科学技術のアネクドート

1700年の日本の津波からアメリカの地震を推定


(2010年2月)27日にチリで起きた大地震の影響で、日本にも大津波警報や津波警報が発令されました。

日本とチリはほぼ地球の表と裏にある国どうし。1万7000キロも離れています。そのくらいはなれた震源から津波が届くということは、水がいかに流動性のある物質であるかをものがたっています。

江戸時代の日本では、地震が起きたら津波が起きるおそれがあることはしられていました。しかし、自分たちが揺れを感じないような離れた場所で起きた地震により津波を受けることまではしられていませんでした。

元禄年間の1700年、日本の東北太平洋岸などに大津波がおしよせたことがあります。しかし、この津波ではどの日本の地域も揺れを感じませんでした。津波の”親”にあたる地震が日本で起きなかったことから、この津波を江戸の人びとは「みなしご津波」などとよびました。

この津波はどこからきたかというと、アメリカ大陸の西海岸、いまのワシントン州あたりで起きたものだったのです。詳細がわかったのはつい最近、2005年のことでした。米国地質調査研究所が、マグニチュード9規模の大地震が当地で1700年1月27日におきたことをつきとめました。

米国が独立したのは1776年。まだ現地にいた人自体が少なかった時代です。現地の調査記録はほぼ残されていません。

それでいて、具体的な地震の年月日やマグニチュードが推定されたのは、津波を受けることになった日本で詳しい津波の記録が残されていたからです。日本の各地で、武士、商人、農民などにより、波が来た日時や波の高さなどが克明に記録されていたのでした。

津波と地震の関係性がつまびらかにされてきた現代では、これらの日本の津波の資料をもとに、米国の地震の様子が具体的に推定されたというわけです。
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秘密にしない県民性


各県出身の客人がごとうちでしか知られていない食べものや習慣などを自慢する「秘密のケンミンSHOW」という番組があります。三重県津の餃子はふつうの5倍の大きさだとか、秋田県男鹿市民はみなババヘラアイスを知っているとか、あつかわれるねたはさまざま。

ファミリーレストランやファストフードのチェーン店の分布も、県民性が色こく反映されるものかもしれません。もちろん、本社が置かれている県では店舗数も多くなるなど、分布のしかたには店側の要因もありますが、「人気のあるところに店は建つ」という単純な考え方もできます。

「都道府県別統計とランキングで見る県民性」というホームページがあります。このページでは、チョコレート消費量、ピーマン生産量、人工林率などの各分野での都道府県別の度合を日本地図で示しています。その中にあるのが、「ファストフード」と「ファミレス」。

「ファストフード」で見逃せないのは、「ケンタッキーフライドチキン」。全国の都道府県別のうち、人口10万人あたりの店舗数が最も多いが沖縄県になっています。偏差値もついていて「73.27」。

沖縄県民は、お祝いなどの贈答用にケンタッキーフライドチキンをわたす習慣があります。それほど、ケンタッキーフライドチキンの人気が高いわけです。米軍基地や米国軍人の影響が強いともいわれますが、なぜ沖縄県で人気が高いかは解明されていません。ちなみに、第2位は北海道となっています。

いっぽう「マクドナルド」の人口10万人あたりの店舗数がもっとも多い県は滋賀県。2位の東京都や3位の大阪府をしのいでの第1位です。

「モスバーガー」の第1位は山梨県。17店舗で、これは東京都211店舗の10分の1にもなりませんが、それでも偏差値は76.19。甲府市内に3店舗、富士吉田市内に3店舗、河口湖畔にも1店舗あります。

モスバーガー偏差値の高い山梨県ですが、いっぽうで「ミスタードーナッツ」の人口10万人あたりの店舗数は、全国で最下位。この2店だけを見れば、極端なかたよりぶりです。ミスタードーナッツ好き一家のご主人の山梨への異動が決まった場合、引っ越しでなく、主人のみ単身赴任というのも手かもしれません。

じつはこの2店だけでなく、ファミリーレストラン「ガスト」率の高さでも山梨県は一番。偏差値89.00の高さです。各企業の山梨県戦略はさまざまといたところでしょうか。

「人口10万人あたり」や「偏差値」にすると、県民性がよく見えてきます。

参考ホームページ
都道府県別統計とランキングで見る県民性
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歯の靱帯のおかげで闇鍋


靱帯というと、スポーツニュースなどで「誰々選手、太ももの靱帯を断裂」といったようなかたちで取り上げられることもあり、体の大きな部分にあるものと考えられがちです。しかし、それだけではありません。

靱帯は、骨と骨をたがいに結びつける組織です。たとえば、歯のまわりにも靱帯はあります。顎の上側(内側)にある歯槽骨という骨と、歯という骨を結びつけている靱帯があります。

この靱帯は「歯根膜」とよばれるもの。歯と歯茎の境界面を覆うかたちで歯根膜はあります。歯がかんたんに抜けおちてしまわないように、しっかり支えるのが主な役割ですが、ほかにもはたらきはさまざま。

たとえば、人は“闇鍋”をするとき、豆腐のような柔らかいものから、ごぼうのような硬いものまで、いろいろなかたさのものを目で確認せずに問題なく噛みくだくことができます。これは、歯に加わった食べものの圧力を歯根膜が感知して、脳に噛む力の強さ加減を「このくらいの力で筋肉に働いてもらうといいのではないでしょうか」と伝えているからです。

また、歯と歯のあいだに、かいわれ大根の筋のような、小さなたべもののかすがつくことがあります。こうした歯にはさまった小さなものを感知するのも歯根膜の役割といいます。その精度は、0.05ミリくらいの小さなものでも感じるほど。ちょっとでも、歯に薄いなにかがはさまるだけで違和感をおぼえるのは、歯根膜のおかげだというわけです。

ほかにも、人は舌やほほの内側を噛むことはめったにありませんが、その制御をしているのも、歯根膜の感知機能によるところが大きいといいます。

歯という目に見えるみぢかな骨のすぐ下で、歯根膜はつねにはたらいているのです。驚異の小靱帯といったところ。
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日本への伝来、ネギは5世紀、ハクサイは20世紀。

日本を代表する農作物といえば、米。いま日本で栽培されているジャポニカ米は縄文時代、中国大陸から、朝鮮半島または台湾を経て日本に伝わってきたといわれています。

もちろん、日本でとれる農作物は米だけではありません。四季があり、かつ、北から南まで長い日本列島では、おりおりの野菜もとれています。

野菜も多くは外国から伝わってきたもの。しかし、米にくらべて野菜がいつ伝わってきたかは、あまり知られてはいません。

米ほどではありませんが、わりと古く伝わったのが、ねぎです。中国が原産とされ、5世紀の飛鳥時代には日本に伝わったといいます。奈良時代に完成した『日本書紀』にも、「葱」の文字が見られ、ねぎが登場していることがわかります。

レタスというとポテトサラダのおともとしての印象からか、新しく入ってきた野菜のように思う人も多いでしょう。しかし、8世紀の奈良時代には日本に入っていたといいます。ただし、本格的に普及したのはやはり現代。1960年代から日本の食卓に登場しました。

ジャガイモとサツマイモでは、ジャガイモのほうが先に日本に伝わった模様。ジャガイモは安土・桃山時代の16世紀、サツマイモは江戸時代に入った1615年に琉球地方から薩摩に入ったといわれています。

日本的な印象を与えながらも、伝わった時代が比較的新しいのがタケノコです。タケノコが採れる代表的な竹は孟宗竹。この孟宗竹は、1736年に薩摩藩主の島津吉貴により植えられたといわれています。

葉もの野菜で、日本的なものといえば鍋料理に欠かせないハクサイ。以外にも伝来の歴史は浅く、1894年の日清戦争から1904年の日露戦争の間といわれています。日本全国に広まったのはもっと遅く、昭和に入ってからでした。

現代でも、つぎつぎと日本人には目新しい野菜が入ってきます。カリフラワーは19世紀末。カリフラワーと同種のブロッコリーはそれより少し遅く、20世紀が始まってまもなく。お店でよく見られるようになったのは1980年代です。ごく最近ではモロヘイヤが1980年代に入ってきました。

鍋、シチュー、カレー……。器に盛られる野菜ひとつひとつの歴史を感じながら噛みしめると、料理もまた味わいが深くなるかもしれません。

参考ホームページ
庄内青果市場「野菜の歴史」
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アフリカ・中東の科学ジャーナリスト養成プロジェクトが発足

世界各国の科学ジャーナリスト団体からなる「世界科学ジャーナリスト連盟」は、(2009年2月)20日、アフリカと中東諸国の科学ジャーナリスト養成を目的とする取り組みを始めたと発表しました。

世界科学ジャーナリスト連盟には日本科学技術ジャーナリスト会議を含む世界41団体が加盟しています。今回の取り組みは「科学ジャーナリズムの協力」を意味する“SjCOOP”というプロジェクトの第2期にあたるもの。プロジェクトの実行団体として名乗りをあげているのは、英国の国際開発省(DFID)やカナダの国際開発調査センター(IDRC)など。

アフリカと中東の科学報道に携わるジャーナリスト60人や15人の科学ジャーナリズム教育者を養成します。養成を受ける人たちは、地域内外からの科学ジャーナリスト経験者かたちからの助言などを受けることができます。キャリアの開発や国際フリーランサーとしての活動などのためになる課題をあたえて支援することも行う予定です。

一昨年に早稲田大学で講演したアラブ圏出身ジャーナリストのサラメ・ウィサムさんによると、アラブ圏の放送媒体などで科学の話題をとりあげる機会はほとんどなく、市民の科学への関心は低いとのこと。社会的に科学分野の優先順位が高くないことなどが背景にあるようです。

連盟会長のナディア・エルアワディさんは、発足のあいさつで「第2期SjCOOPの成功が続くこと、また、科学ジャーナリズムを支援することで真の役割を果たして、両地域の科学報道の質を高めることを願っている」と話しています。

参考記事
世界科学ジャーナリスト連盟ニュース“Xtreme Training in Science Journalism in Africa and in the Arab World”

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猿はシェイクスピアの名文をまずタイプしないがタイプしうる――法則古今東西(13)


ウィリアム・シェイクスピアの戯曲の有名な一文に「生か死か、それが問題だ」があります。悲劇『ハムレット』の中に出てくる王子ハムレットの言葉です。

英語にすると、“To be, or not to be: that is the question.” この名文は、かつては何度もタイプライターで繰り返し打たれ、いまでは何度もインターネット上でコピーアンドペーストされています。

時代を超えて表現されるこの名文は、いきものの種を超えても表現されるでしょうか。

「猿であれば、いつかはかならずタイプライターでこの名文を打つことができる」という話があります。

指でタイプライターを適当に叩けば、“atartiajraragurrtgj”とか、“thuprhatattyyurttaczzzfte”とか、意味をなさない文字の羅列になりそうですが、これをつづけていけばいつかは猿が、“To be, or not to be: that is the question.”という文字の列を打つ日が来るということです。では、その日がくるのはいつでしょうか。

大文字と小文字の違いは無視するとして、使われるアルファベットは、AからZまでの26個。さらに、空白、コンマ、コロン、ピリオドが加わります。つまり30種類のタイピングの組み合わせで、42字分をつくるわけです。

このとき、考えられる組み合わせは「30の42乗とおり」となります。「30×42」ではなく「30の42乗」。これは計算すると、「1.09418989×10の62乗」。猿が42字分のタイピングを首尾よく1分で行うとすれば、すべてのとおりの42字分が表現されるまで、およそ“10の62乗”分間の時間がかかることになります。

これは“2×10の56乗”年が掛かることになります。猿が最後の最後までシェークスピアの名文を打たないこともまずないでしょうから、ちょうど作業の半分のときに打たれるとすると、“10の56乗”年後に目的達成となります。

宇宙誕生からいままでを46億年とすると、その“2.2×10の46乗”倍ほどの歳月がかかることになります。別の数字で表すと、2000000000000000000000000000000000000000000000倍。

まずもって、猿がタイプライターで“To be, or not to be: that is the question.”を打つ日はこなさそうです。

しかし、猿がタイプライターで“To be, or not to be: that is the question.”と打つことが「ありうる」か「ありえない」か、と問われれば、これは完全に「ありうる」ことになります。

ランダムに文字列を作り続ければどんな文字列もいつかはできあがるという定理は、「無限の猿定理」とよばれています。
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新型インフルエンザ諮問委員会「議事録とらず」の憶測

政府に新型インフルエンザ対策のとりかたを進言したきた専門家諮問委員会が、過去に開いたすべての会議の議事録をとっていなかったことがわかり報道されています。

報道によると、この会議はすべて非公開で、新型インフルエンザの発生直後の2009年5月からこれまで10回、行われてきました。

政府系の公的な会議では、議事録をつくるのが原則です。事務担当の職員が作る場合もあれば、科学技術系のライターなどに依頼する場合もあります。この政府系会議の議事録づくりが、かなりの収入源になっているライターもいます。

議事録をつくるという行為が手段か目的かといえば、手段のほうになります。会議で話された内容をいつ何時も引き出して活用できるようにするため議事録がつくられます。

この目的に照らし合わせれば、会議を録音するということでも最低限の目的は達成できます。しかし、報道によると専門家諮問委員会の会議では10回とも録音されていなかったといいます。

前回やらなかったことは今回もやろうとしないのが、人の常かもしれません。初回の会議のとき、なんらかの理由で議事録づくりも録音もしないことになり、回をかさねていくごとにそれがこの会議での常識になっていったのでしょう。

初回に議事録づくりをしなかったのは、録音機の電池切れだったのか、たいへんに緊迫した事態で記録づくりまで考えがおよばなかったのか、その実、定かではありません。可能性としてあるのは、同席した厚生労働省の官僚は「会議の主体者は専門家たちだ」という立場でのぞみ、いっぽう会議に出席した専門家たちはそもそも自分たちで議事録をつくったり録音を残したりする習慣がなかったのではないかということです。

会議の参加者が、ほかの参加者とおなじ認識を共有しあえるかといえば、その部分も少しはあるでしょうが、ほとんどは自分なりの解釈をするもの。参加者の立場、体調、心情はそれぞれだからです。それぞれに異なる認識をどうにかつなぎとめるための手段が議事録であり録音です。
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“海のオリンピック”日本で開催


バンクーバー五輪では、氷や雪の上での熱戦がくりひろげられています。いっぽう、海の男たちには海の男たちの「オリンピック」があるといいます。

漁業では、魚をとりすぎると生態系が乱れて、その後、とれなくなってしまうおそれがあります。そこで各国はとりすぎにならないような制度を設けています。

「オリンピック方式」とよばれる方法もそのひとつ。「何月何日を操業開始日とします。その日からはみなさん、どうぞ魚を捕ってください。ただし、漁獲量が何トンになったところで漁は終了となりますので、それ以上とるのはやめてください」という漁業管理の方法です。

いわば「早い者勝ち」の競争で、漁業者に漁を行わせることや、期間がかぎられていることからオリンピック方式とよばれています。

かんたんでわかりやすい方法ですが、魚のとれる量が少ないときには過激な競争が起きやすく魚の価格を不安定にすること、また、船が現地に行ってみたら競争が終わっているなどでエネルギー資源をむだにしかねないことなどが短所とされています。

オリンピック方式に対して、「個別割当方式」という方式もあります。「誰々さんのところは、とっていい魚の漁は何トンまでにします」と、あらかじめ個別に漁獲量を割り当てる方法です。さらにこのとっていい魚の漁を取り引きすることのできる「譲渡可能個別割当方式」があります。

いま、おもな漁業国のなかでオリンピック方式を採用しているのは日本のみ。英国やスペインなどでは個別割当方式が、また、アイスランド、ノルウェイ、ニュージーランド、豪州、米国などでは譲渡可能個別割当方式がとられています。

2008年7月には原油価格高騰のあおりを受けた、日本の漁業者たちがいっせいに漁をとりやめる事態がおきました。日本がオリンピック方式をとっていることが、あらためて認識されたできごとでした。

政府の規制改革会議は、2009年9月12日に、「原油高騰に耐え得る漁業への転換を」という声明のなかで、「漁業における燃費を削減し、省エネ型の構造転換を図るためには、漁獲規制をオリンピック方式から譲渡可能個別割当方式に改革すべきである」と訴えました。

競技のオリンピックでは、なかなか開催国になれない状況が続く日本。しかし、漁業管理では「オリンピック開催国は日本のみ」という状況です。

参考ホームページ
ニッスイ「世界の水産資源管理」
規制改革会議「原油高騰に耐え得る漁業への転換を」平成20 年9月12日
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治療に多い「姑息な手段」


「部長、クレームもとには口止め料を支払うことでことを穏便にできればと……」
「なんだと、そんな姑息な手段を使うんじゃない!」

その場しのぎの一時的な方法として使われるのが「姑息な手段」です。上の会話では、浅はかにも思える部下のクレーム対処法に、部長が反対の意をとなえたのでした。

医療の世界でも、「姑息な手段」による治療が行われています。といっても、ふだんの会話で使われるほど、悪い意味合いはもっていません。

あらためて「姑息」は、「姑」が「とりあえず」、「息」が「休む」といった意味から「一時の間に合わせ」といった語感になります。

医療では、患者の病気の原因そのものをとりのぞいて快復させる根本的な治療をすることが理想としてあります。しかし、なかなかそうもいきません。

理由はいろいろあげられます。病気の進行により、根本的な治療ができなくなることもその一つ。がんなどの病気が進行してしまい、がん細胞を切除することができなくなってしまったとき、それ以外の方法でなるべく症状の緩和を目指すことになります。

また、そもそも根本的に治す治療法ができていない病気も多くあります。糖尿病、高血圧、脂質異常症などの生活習慣病、それにアルツハイマー病などでは、根本的な治療薬の期待はもたれているものの、実用化には至っていません。

また、命に関わる重大な病気に対する根本治療に入る前段階として、まずは命をとりとめるという場合もあります。

病気のもとを断つことはせず、当座の間に合わせとして治療をほどこす。このときの治療方法を「姑息的治療」とよんでいるのです。

世の中では「姑息」というと、よくない意味でとられられがち。医者が患者や家族の方に「姑息な治療にきりかえるのが最善だと判断しました」などと言っては、「先生、そんな逃げるような卑怯なこと、言わないでください」と落胆されてしまいます。そのため、あくまで医師どうしや、医療スタッフ間で使い、患者側には極力避けているといいます。

もっとも、医療の世界でも基本的に目指しているものは「姑息的な治療」よりも「根本的な治療」のほうです。「姑息」にまとわりつく負の意味合いは、完全にないわけではなさそうです。
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書評『リフレクティブ・マネジャー』
教育学者と経営学者の二人が、「大人の学び」について真剣に考え合った本です。


受験で英単語をよく勉強した人は、“manage”ということばの第一の意味は印象深く覚えているかもしれない。「どうにかして何々する」だ。

この“manage”に“-er”がつくと、“manager”、つまり「マネジャー」。「どうにかする人」と、とることもできる。実際、いま、日本企業のマネジャーつまり“課長さん”たちは、日々の難局に“どうにかして”対処していることが多いのではないだろうか。話によると、企業の課長は午前中3時間で9件もの活動をこなしているそうだ。

本書『リフレクティブ・マネジャー』は、そんな日本企業のマネジャーに対して、「内省」することを薦める本。内省とは、かんたんにいえば、自分のことを省みること。

冒頭に、「本書全体を通じて言いたいこと」が示されている。

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仕事の世界に入ってからの成長、発達には、仕事の世界での経験のリフレクション、ダイアローグ、アクションにつながる持論の獲得(という意味での学習)が、鍵を握る。
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著者の一人の中原淳さんが携わった富士ゼロックス総合研究所による研究結果が内省の大切さを示す。企業の若手や中堅社員を調査したところ、人との“かかわり”のなかで内省する機会を得ることで、業務能力の向上、他部門理解の促進、部門間調整力の向上、視野の拡大、自己理解の促進、タフネスの向上といった、仕事によいことがたくさん得られることがわかった。たんに、上司から業務の支援をしてもらったり、精神的な支援を受けたりするだけでは、これらの効果はほぼ見られなかった。

できない部下や後輩とかかわることでさえ、社員は「俺もあいつみたいな時代があったな」などと、内省を得ることができるという。世阿弥のいう「下手は上手の手本なり」はこの機微を言い当てたものだろうと中原さんは述べる。

上の例からもわかるように、自分ひとりで「うーん、うん」と自分のことを考えるばかりが内省ではない。一般的に内省が生じやすいのは、「語るべき他者」や「応答してくれる他者」がいるとき、また、内省が「外化」(アウトプット的な行為)によって他者と共有されるときだという。

また、内省するための材料についても本で言及されている。それは、理論と経験をうまい具合に活かしなさいということだ。もうひとりの著者である金井壽宏さんは述べる。

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研究者の理論なんか関係ないと背を向けて自己流に留まるのではなく、経験からの内省によって自らつくり出した持論を、研究者によって検証された抽象度の高い理論とうまく突き合わせ、自分なりの裏付けをとってほしいということだ。理論と両立するような持論こそパワフルなのであり、理論の目利きになるためにも持論を生かしてほしい。
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対立しそうなものを取り入れて自分の立ち位置を高くしていくという点に、ヘーゲルの弁証法を思い出す読者も多いだろう。

つねに会社の内と外をめぐる状況は、矛盾を抱えながらダイナミックに動いているのだ。そうしたなか、課長さんをはじめとする社員は、ひとつだけの論に固執することもなく、かといって持論をもたないでもなく、まさに内省を“マネージ”することが大切となる。

二人の著者は、肩書きこそ「総合教育研究センター准教授」や「経営学研究科教授」だが、企業の現場感覚をつねに意識しているにちがいない。課長さんが日々直面している現実的問題とそれに対する現実的対応のあり方を受けとめている。

共著ではあるが、ちかごろの新書の共著書に多い対談をまとめた軽い内容のものでなく、往復書簡的な形式をとっている。いっぽうの著者の論をしっかりと受け止め、さらに論の展開を試みている。読みごたえは十分だ。

『リフレクティブ・マネジャー』はこちらでどうぞ。
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かたちの性質を利用して頑丈に

昔からある駅のプラットホームには、昔ながらの柱や骨組みも見受けられます。上の画像は、東京・千代田区のJR神田駅。開業は1919(大正8)年になります。

鉄骨の梁が、屋根を支えていますが、その形は三角形を基本にしていることがわかります。おなじ山の点線の御徒町駅の屋根を支える梁などでもおなじような構造が見られます。

これは、「トラス構造」とよばれるもの。「トラス構造=三角形を組み合わせた構造」とよく理解されますが、辞書の意味は、「接点がすべて回転自在の結合から成る構造」などと出ています。

「接点」というのは、この三角形でいえばすべての頂点にあたるところ。すべての接点が、自由に回転をする支点となっているわけです。すべての支点が回転するため、ある方向から力が掛かったとしても、その力をうまい具合に分散させることができます。


たとえば、上の図のように、一つの支点に上から重力が掛かると、すぐ近くの柱には圧縮の力が掛かりますが、その影響を受けて、接している柱は逆に引っ張りの力を受けます。

圧縮と引っ張りしか力の掛かりようがないため、基本的に頑丈なわけです。これが格子などのようにべつの構造になっている場合、力がより複雑にかかり、ある一点に負担がかかることになりかねません。

駅のプラットホームの梁も、建てかえることなくずっと屋根を支え続けることができているのでしょう。古そうなトラス構造は、頑丈な証拠といえそうです。
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更科藤井のカレー南ばん――カレーまみれのアネクドート(19)


北陸・金沢の街にかかる犀川大橋の北詰、片町の繁華街に蕎麦屋「更科藤井」はひっそりとたたずんでいます。

「蕎麦屋とは思えぬ居酒屋風情」とよく評されるこのお店。かつては蕎麦屋こそが酒を呑む店だったことを考えれば、「居酒屋風情がいまも残る蕎麦屋」といったほうがふさわしいのかもしれません。

もちろん蕎麦屋なので蕎麦の献立は揃っています。かけそば、たぬきそば、しいたけそば、たまごそば……。

カレー南ばんもあります。店の名物ではなく、品書きの一番下にそっと書かれている存在。

店は広くありません。カレー南ばんを頼めば、やさしいカレーの香りが店内を漂ってきます。

注文して5分。小振りながら底の深い器に入ったカレー南ばんのできあがり。机にある七味はお好みで振りかけます。

濃厚なカレーの汁の中に、鶏肉が浸かり、青々とした柔らかいねぎが散りばめられています。その下で待ち構えるのが細い蕎麦。大将の話によると、打っているのは「外二(そとに)」。つなぎの小麦粉とメインのそば粉の割合が二対八の「二八」でなく、二対十の比率のためこのように呼ばれています。

蕎麦をずずっとそそると、麺にカレーの汁が追いついてきます。食べ終わるころには、自然と汁はほとんど残っていません。

「今日は雪が降って外は寒いでしょう。こんな日は、ちょっと濃いめのカレー汁をつくるんです」とは、大将のことば。

深夜遅くまで店の明かりは灯っています。カレー南ばんが、金沢の夜を温めます。
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オラファー・エリアソンの包み込まれる作品


石川県金沢市広坂の金沢21世紀美術館で、展覧会「オラファー・エリアソン あなたが出会うとき」が開かれています。2010年3月22日まで。

オラファー・エリアソン(1967-)は、デンマーク・コペンハーゲン出身のアイスランド人。1989年から6年間、王立デンマーク芸術アカデミーで学びました。自然のなかにある、光、影、色、霧、風、波などをとりこむことが作品の特徴です。

金沢21世紀美術館は、円形の館内にいくつもの部屋を用意しています。展覧会では、その部屋のなかで仕掛けをもちいた様々な作品が展示されています。


小さな部屋にあるのは、「動きが決める物のかたち(まもなく)」。丸い台の上にある半透明のオブジェは、近づいてみると噴水のようなしくみで、水で形づくられているのがわかります。このオブジェを上から照らす光はごく速い頻度で明滅しています。水と光の視覚的効果があいまって、来場者は作品を水とは異なるものとして認識することに。この小部屋には他に、水のかたちを変えた「動きが決める物のかたち(いま)」と「動きが決める物のかたち(それから)」も。


比較的大きめな暗室では、「見えないものが見えてくる」という作品が展示されています。暗室に入ると真っ先に目に飛び込んでくるのは、太い光の一筋。奥から手前の壁に向けて直線状の光が送られています。車のヘッドライトに雨が反射すると光のかたちが際立ちますが、それとにたしくみで、光に薄い霧が反射しているようです。途中には、ガラスの立方体が置かれ、ここでも光が反射。光の筋に手をかざすこともできます。物体を触るのとはまたちがった感触を得ることができます。


霧を使うのは、エリアソンの芸術の特徴のひとつ。「あなたがつくり出す空気の色地図」という作品が置かれている部屋のなかは、向こうにいる人がほぼ見えなくなるほどの霧の濃さ。大掛かりな装置の屋根から、部屋いっぱいに赤、青、紫、緑などの光が発せられますが、各色は霧のなかでぼけます。色とりどりの不思議な霧が発生した葡萄棚の下にいるような感覚に陥ります。

照明や水などを芸術表現の手段として使う芸術家は多くいますが、エリアソンの作品群は、来場者が展示品と対面するだけでなく、それぞれの作品と深く関わることができる点が特徴的。作品装置には触れられませんが、その作品装置が出す光、風、霧などに包み込まれることができます。

「オラファー・エリアソン あなたが出会うとき」は、金沢21世紀美術館で2010年3月22日(月)まで。美術館によるお知らせはこちら。
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運動の単位に「メッツ」と「エクササイズ」

ダイエットや健康維持のため運動をしている人びとが気にする“単位”といえば、どんなものがあるでしょうか。

真っ先にあがるのが「カロリー」または「キロカロリー」かもしれません。1キロの水を1度高めるのに必要な熱量が「キロカロリー」です。年齢や職業にもよりますが、1日に消費する熱量は、成人男性で約2500キロカロリー、成人女性で約2000キロカロリーといいます。

単位はほかにも、体重をあらわす「キログラム」、走った距離をあらわす「キロメートル」、あるいはわずかな期間しか続かなかったときの運動継続日数を表す「日坊主」などがあげられそうです。

いっぽう、運動に対する国の指針をくまなく目通ししている“指針好き”の方は、「メッツ」や「エクササイズ」という単位を気にかけるかもしれません。

「メッツ」も「エクササイズ」もふだんの会話や放送などではあまり聞かない単位です。これは、厚生労働省の運動所要量・運動指針の策定検討会というグループが、2006年に定めた「身体活動の強さと量を表す」単位。「健康づくりのための運動指針2006」という報告書にもなっています。

まず、メッツは、からだの活動の強さを、安静時を基準に何倍に相当するかで表す単位。座ってじっとしているときの体の活動の強さが1メッツで、ふつうに歩いているときの体の活動の強さは3メッツ。

これをもとに、国立健康・栄養研究所は、さまざまな活動のメッツの値を出しています。たとえばバケツや木材の運搬も含むメープルシロップづくりは、5.5メッツ。イヌへのシャンプーは3.5メッツ。運動では、一般的なジョギングが7.0メッツ、遅いクロールが8.0メッツなどです。

いっぽう、エクササイズは、からだの活動の強さに、その活動を行った時間をかけたもの。「メッツ×時間」なので「メッツ時」ともよびます。つまり、「1エクササイズ=1メッツ時」。

たとえば、メープルシロップづくりを2時間行った場合は、「5.5メッツ×2時間」で、11エクササイズ。ジョギングを30分行った場合は、「7.0メッツ×0.5時間」で、3.5エクササイズ、となります。

そして、エクササイズという単位は、おなじみの「キロカロリー」に計算で置き換えることができます。

 エネルギー消費量(キロカロリー)=
     1.05×からだの活動の量(エクササイズ)×体重(キログラム)

たとえば、70キロの人が、ジョギングを30分間、行うとします。

 エネルギー消費量(キロカロリー)=
     1.05×3.5(エクササイズ)×60キログラム

という計算で、エネルギー消費量は「220キロカロリー」となります。

しかしながら、この「健康づくりのための運動指針2006」では、運動の指針に「カロリー」や「キロカロリー」などの単位を使っていません。その理由として次のことが書かれてあります。

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【参考】身体活動の単位に「カロリー(kcal)」を用いていない理由
一般的にエネルギー消費量として用いられる単位「カロリー(kcal)」を用いた場合には、個人の体重によって差が生じてしまいます。例えば、40kgの人と80kgの人とでは、同じ内容の身体活動を行った場合でも消費するエネルギーに2倍の差が生じます。このため、生活習慣病予防のために必要な身体活動量を個人の体重に関係なく示すために、この運動指針では「メッツ」と「エクササイズ」という単位を用いています。
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個人差が反映される「カロリー」より、反映されない「メッツ」と「エクササイズ」を、というわけです。

しかし、この二つの単位はなかなか浸透していません。どの運動がどのくらいのメッツなのか、表を見ないといまひとつぴんとこない、エクササイズを表すメッツ時という単位が頭にすっと入ってこない、など理由はいろいろ考えられそうです。

いつの日か、「いやー課長、きのうは8メッツで皇居を1時間半も走っちゃいました」「おお、12エクササイズか、がんばったねー」といった会話が日常茶飯事になるでしょうか。

単位「メッツ」と「エクササイズ」を提唱している厚生労働省運動所要量・運動指針の策定検討会の報告書「健康づくりのための運動指針2006」はこちら。
国立健康・栄養研究所の「身体活動のメッツ(METs)表」はこちら。
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「自分たちのものか」が快・不快に影響


医薬の世界には「偽薬効果」という効果があることが認められています。「プラシーボ効果」ともよばれるもので、ただの白い小麦粉のようなものを「よく効く薬ですよ」と言われて飲むと、それなりの治療効果がおきる場合があるというものです。偽薬が効くかどうかは、偽薬を飲む本人が、「よく効く薬だ」と信じているかどうかが大切だといいます。

「影響は気分次第」というわけですが、これとにた話が再生可能エネルギーの世界でもあるようです。

いま、日本でも普及がじょじょに進んでいる風力発電には健康上の問題があるのではと心配されています。

風車がまわるときにおきる微妙な低音や低周波が頭痛や肩こりなどを引き起こしているのではないかといわれています。

しかし、頭痛や肩こりというのは、風車がまわっていなくても起きるもの。たくさん原因があるなかで、「この頭痛は風車がまわることで起きるものです」と断定することが難しいのです。

個人差もあります。風車の近くで暮らす一世帯の家族のなかでも、奥さんは肩がこってしょうがないけれど、旦那さんはなんともない、といった場合もあります。

風車がまわることが健康によからぬ影響をあたえるかどうかは、その人にとっての風車のとらえかたにも関係するという話もあります。これが「影響は気分次第」という話。

専門家の話では、北欧などでは家庭や地域が風車を所有して電気として自分たちで使ったり、電気を売ったりするオーナーシップ制度があります。再生可能エネルギーを普及させるための制度の一貫です。

風車がまわればまわるほど、電気代が節約できたり、電気を売っても受けたりすることができます。そのため風車が出す微妙な低音も、この地域の人々にとっては快い音になります。

しかし、ある日突然、建設業者が近所にやってきて、「来年、ここに風車を建てる計画になりましたから」と言われれば、住民は「そんなこと聞いとらん」と身がまえてしまうでしょう。

日本では、住民がその風車と「距離が近い」ということ以外は関係をもたないままでいます。行政などの手腕で「自分たちがまわす風車」という心象を住民にあたえることも大切だと専門家は言います。そして、いったん「風車は敵だ」という印象が世の中に浸透してしまうと、それを拭い去ることはかんたんではありません。

もちろん、「影響は気分次第」といっても程があります。風車と健康被害の関係についてはきちんとした調査が求められます。ストレスのない再生可能エネルギーの普及もこれからの課題として大きくなっていくでしょう。
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かんたんに和ませる。


フランスの作家ヴィクトル・ユゴー(1802-1885)は、書いた小説の売れゆきが気になっていたときがありました。そこで彼は、出版社の編集担当者に手紙を送ります。

「?」

この手紙を受けた編集担当者は、ユゴーに次のような返事を返したといいます。

「!」

「売れゆきはどう?」「とってもいいですよ!」というやりとりを、ふたりは「?」と「!」で交わしたのでした。この2通は、世界一短い文の手紙として知られています。

「!」は「感嘆符」または「エクスクラメーションマーク」とよばれています。驚きなど感嘆を表わすときなどに用いられる符号です。「わしは感嘆符は使わん」とこだわる人をのぞけば、ほとんどの日本人も感嘆符を使ったことがあるのではないでしょうか。「びっくりマーク」といういわれかたも浸透しています。

おもに驚きを表現するための感嘆符ですが、ちかごろはイーメールでのうまい使い方があると言います。メールでひんぱんにやりとりをする人物はこういいます。

「ああ、感嘆符ね。メールの最後につけてるよ」

メールを送ってきた相手に対して、メールで返事をするとき、この人は文章の最後に「!」をつけて締めくくるといいます。

「最後を感嘆符でしめくくる。この意味は大きい」とこの人物はつづけます。

メールでのやりとりは、相手の声や表情を確かめることができません。要件を書いた文面に続いて、最後に「よろしくお願いします。」で締めくくられているようなメールの場合、「よろしくお願いします(頼むからしっかりしてくれよ)」なのか、「よろしくお願いします(応援しているからね)」なのかがわからないこともしばしば。

「ご依頼の件、うまくいきませんでした」など、あまり望ましくないような報告をメールで送った人にとっては、相手がどう考えているのかわかりかねるわけです。

そんなとき、最後に「よろしくお願いします!」と感嘆符を付けると、受けとった相手は少なくともメールからは「ああ、怒っているわけではないんだな」ということを感じとることができるというわけです。

逆に、望ましくないような報告をメールで受けたほうも、「怒っていないからね」という意思を感嘆符に乗せることができるというわけです。

感嘆符「!」は本来、驚きや強調を表現するためのもの。しかし、メールが浸透した世の中では、言葉を「和らげる」という使われ方もされています。
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近世の人びとの楽しみは解剖観劇


「解剖」というと、一般人の生活からは縁遠い印象があるのではないでしょうか。警察が被害者の死因を調べるため行う司法解剖のニュースに触れるか、学校に通っていたころ生物の実験でカエルの解剖をした経験があるくらい……。

しかし、時と所が移れば、いまより市民にとって解剖が身近だった場合もあります。

近世から近代にかけての欧州では、「解剖学劇場」という催しものが行われていました。

解剖学劇場の興業は、大学の講義室などで行われました。学生席が円形で階段状になった教室の中心に“舞台”が置かれます。死んだ人の体が置かれるのです。

劇が開始。「床屋外科医」とよばれる外科医をかねた床屋などの職人が、解剖学に詳しい教授の指図にしたがって、死体に刀を入れていきます。つぎつぎと体内の臓物があらわになっていき、これを解剖学の教授が解説することに……。

この解剖学劇場は、もちろん大学生も出席しますが、一般にも公開され、人の体に興味をもつ市民も“観劇”に来ていたといいます。

劇場として有名どころは、オランダ西部の都市ライデンにあるライデン大学。1575年創設のオランダに残るなかでは最古の大学です。上の図は、この大学で行われた解剖学劇場の様子を描いた絵。“舞台”に横たわるは解剖途中の男性死体。それを遠巻きに、紳士淑女が興味深く眺めています。

解剖学劇場の様子を描いた絵は数多く残されています。その絵画にある人びとの表情は、“恐いもの見たさ”というよりも、“興味津々”といったところ。

まだ、人体のなりたちが完全にはわかっていなかった時代、人びとの興味は高かったのでしょう。それとともに、欧州で解剖学劇場が見られたのには、死体に対する人びとの価値観が関係していそうです。

解剖に接したことのない日本人からすれば、「死体の内臓を見るだなんて」と避けられそうなもの。しかし、欧米では人の死体は「もの」として見られる文化があります。そのため解剖をそれほどためらわずに見ることができたという要因もありそうです。

解剖学劇場の様子を描いた絵画は、東京・六本木の森美術館で(2009年)2月28日(日)まで開かれている「解剖と美術展」でも見ることができます。
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地球環境対策への考え方、三者三様。


日本IBMが発行する雑誌『無限大』の2010年新春号に、日本の地球環境対策をめぐる三つの立場からの記事が掲載されました。記事の執筆をしました。

三つの立場とは、政府、非営利組織、電力企業のこと。

まず、政府。環境省大臣官房長の南川秀樹さんが、鳩山政権以降の地球温暖化対策にむけた施策の方針を話しています。

南川さんは、エネルギーの消費者である市民や国民に向けて直接、地球温暖化対策でできることを呼びかけます。

「新しい技術が取り入れられた製品を積極的に購入していただくことも重要です。節約と矛盾するような話ですが、テレビや冷蔵庫やエアコンなどの家電製品は10年前の製品より約4割もエネルギー効率が改善されています」

「業界団体が最も弱い企業を護るあまり、環境対策に異を唱えるという構図が今もあります。環境問題にまで“護送船団方式”的発想を持ち込むのは、ぜひ終わりにして欲しいと思っています」

いっぽう、非営利組織の立場からは、環境エネルギー政策研究所所長の飯田哲也さんが、日本の展望を語りました。飯田さんは世界の国々の環境政策を観察し、日本でも行政アドバイザーをつとめます。

太陽光発電や風力発電などは、電子力や火力などにくらべると小さな規模で比較的かんたんに設置できるのが特徴。そのため“地産地消”、つまりその場でつくってその場で消費するという電気の使い方が考えられがち。

飯田さんは、エネルギーの“地産地消”は「根本的には正しい」としながらも、こと東京などの大都市については少しちがった考え方をもっています。

「人口が密集した東京に消費電力の20%分の風車を並べられるわけがありません。電気も化石燃料も所詮外から買わなければならない。であれば、東京は自然エネルギーも外から買うというかたちでもいいのではないか」

大都市の人びとが、地方でつくられた自然エネルギーを引っぱってきて使えば、地方発の自然エネルギー産業が活性化するという理論です。産業的な格差を埋めるひとつの方法といえるでしょう。

電力企業からは、東京電力環境部長の影山嘉宏さんが東京電力としての地球温暖化対策に向けた取り組みを語っています。

東京電力は、神奈川県川崎市の浮島や扇島などに太陽光発電所を建設する予定。また、海に浮かばせる風力発電装置の開発を東京大学とはじめるなどしています。

東京電力が地球温暖化対策の主力として考えているのが原子力です。

「原子力と再生可能エネルギーという二つの『非化石エネルギー』の供給を拡大させて、石油、石炭、天然ガスなどの化石エネルギーの供給比率を減らしていくというシナリオを考えています」

東京電力は化石エネルギーによる電力供給比率が減るいっぽう、原子力発電による源力供給比率は高まっていく。そのようなシナリオを描いています。原子力にも依存した地球温暖化対策といえるでしょう。

政府、非営利組織、電力企業。「地球環境対策のため」というベクトルは同じ方向であっても、考え方は三者三様です。

日本IBMの雑誌『無限大』2010年新春号はホームページからも読むことができます。内容はこちら。
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回さないでつくる再生可能エネルギー


日本で開発されている再生可能エネルギーの代表格といえば太陽電池。外国では風力などが有力ですが、日本では「再生可能エネルギーといえば太陽電池」というくらい結びつきが強くあります。

たいていの再生可能エネルギーは、「何かを回す」ことによりエネルギーを電気にします。風力発電では、風車がまわることで電気エネルギーを得ますし、太陽熱、地熱、潮力、波力、温度差、マイクロ水力などの発電ではみな最後にタービンという回転機をまわすことで電気を得ているわけです。

「何かを回す」ということをしないという点では、太陽電池の発電のしくみは大きく異なります。

太陽電池では、n型半導体とp型半導体という、ふたつの半導体をくっつけます。半導体は電子を通すようで、通さないようで、通す、いわば融通の利く便利な物質。n型のほうは電子を帯びやすく、p型のほうは電子が足りない状態になる性質があります。

n型半導体とp型半導体をくっつけると、この接したところは電界という状態が帯びるようになり安定な状態になります。

このとき、n型半導体とp型半導体の接したところに光が当たりつづけていると、n型のほうには電子が、p型のほうには正孔という電子の欠けた“あな”がつぎつぎとできます。光が当たっているあいだ、n型側に電子が、p型側に正孔が増えていき、nとpの特徴がより際立ちます。

そこに、n型側とp型側の両側を結ぶ回路を取り付けると、n型から出た電子がつぎつぎとこの回路を経由して“あな”のあるp型へと向かおうとします。これが電流です。

こうして、太陽の光によって電子を半導体の外側に導き出すことができるわけです。

車やオートバイの動力のしくみがわからなくても運転できるように、太陽電池も発電のしくみがわからなくても発電させることができます。

しかし、太陽電池を設置した人にとっては、太陽の光が太陽パネルに当たっているところを見て「おお、電気がつくられてるぞ」と想像しやすくなるので、うれしさが増すかもしれません。
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落ちつく中間点と落ちつかない中間点


一瞬にして終わるようなものでなく、ある程度じっくりと取り組むようなものでは、「中間点」が意識されます。

マラソンでいえば、折り返し地点が中間点になっている場合もあります。走ってきた選手は、中間点で折り返すと「あと半分だ」と思うわけです。

物書きにも中間点があります。「1万字を目安に書いてください」と言われた原稿で、5000字を書けば、「とりあえずは半分まで埋めた」となります。

江戸から京都まで東海道を旅していた昔の人も、中間点を意識していたかもしれません。宿場町では袋井あたりがそこになります。「あと半分だな、野次さん」「おう、北さん」と。

ものごとに始めと終わりがあれば、全体のうちの10分の1、5分の2、8分の5、12分の11といったように、それぞれの“地点”があるはずです。そのなかでも、中間点はより多くの人びとに意識されやすいものかもしれません。

まず、「半分まで来た」という実感が、人を落ちつかせるからです。半分まで来たということは、それまで経験したこととおなじ手間や時間を使えば終わりにたどり着けることになります。いままでの実感から、目標までにどのくらいの労力を使えば済みそうかが、とてもよくわかるわけです。

「ここまでで、5分の2か。ならば、あと1.5倍の作業をすればいいんだな」と考えるより「中間点か。ならば、あと同じだけ作業をすればいいんだな」と考えるほうが簡単なのでしょう。

さらに、「半分を過ぎたのだから、終わりまでの時間はあとは減っていくだけだ」という算段もつきます。これにより、もっと落ちつくかもしれません。

ただし、上にあげた中間点は、すべて「自分の行動により終わりまで近づく」種類のもの。これとは別に、「自分の意志に関係なく終わりが近づいてくる」種類の中間点もあるわけです。

たとえば国家プロジェクトはこの例でしょう。国の予算でおこわれるような事業には、「3年間で」や「5年間で」といった期限があります。その半分が過ぎると「中間評価」を受けることに。多くのプロジェクト参加者は、「もう半分が過ぎてしまった」と思うことでしょう。

こちらの中間点を意識しても、落ちつきはあまり得られないかもしれません。達成すべき目標は別にあるので、「あと半分」の中間点までさぼっていた人は、より気合いを入れなければならなくなります。つまり、「自分の意志に関係なく終わりが近づいてくる」中間点では、「あと同じだけ作業をすればいい」ということにはならないわけです。

「あと半分だ」と「もう半分しかない」は、微妙にちがうわけですね。
| - | 23:52 | comments(0) | -
試合の最中に“蛍の光”の曲

サッカーの試合には応援がつきもの。国際大会では、応援にもその国のスタイルが現れます。

日本は、歌劇「アイーダ」の「凱旋行進曲」を口ずさんだり、曲に合わせて「オー、ニッポン、ニッポン、ニッポン、ニッポン」と「ニッポン」を連呼したり。

「永遠のライバル」といわれる韓国の応援スタイルも日本と似たものがあります。太鼓で音頭をとりながら、韓国民謡の「アリラン」や、ベートーベンの「第五交響曲」の曲に合わせて、「大韓民国(テーハミング)」「コリア」「ハングル」といったことばを連呼します。

日本人にとってもなじみある曲が歌われているわけですが、その中でも、ひとつだけ日本人にとっては違和感を覚えるかもしれない曲があります。試合の最中に歌われる「オールド・ラング・サイン」です。

「オールド・ラング・サイン」は、日本では「蛍の光」という名前で知られています。百貨店やレストランの閉店時間を知らせたり、大晦日の紅白歌合戦の最後に歌手が歌ったり。日本のプロ野球でも、阪神タイガースの応援では、敵軍の投手が降板するときファンが「蛍の光」でお見送り。“お別れの歌”として定着しています。

いっぽう、サッカーの韓国戦では、この「オールド・ラング・サイン」の曲に合わせた歌が、「アリラン」や「第五交響曲」とおなじ並びで、試合の最中にふつうに歌われます。べつに対戦国の選手が退場するわけでもありません。

「オールド・ラング・サイン」は、もともとスコットランド民謡。日本のように、国によっては“お別れの歌”として歌われる場合もありますが、この歌の使われ方はそれだけではありません。

じつは韓国では、この「オールド・ラング・サイン」の曲が、国歌として使われていた時代があります。20世紀初頭、この曲に「愛国歌」という歌の歌詞が付き、これが国家として通用していました。その後、戦後になると、歌詞はそのままで、曲は『韓国幻想曲』を使うということが大統領令により定められました。

それぞれの国のなかで、「オールド・ラング・サイン」には、独自の歌詞がつき、歌うのにふさわしい場面がつき、歌への印象がついたわけです。世界の各国で発展する土台としての曲は、誰にとってもなじみやすいということなのでしょう。ちなみに作曲者は不明です。
| - | 23:36 | comments(0) | -
“地図”を手に入れた生命科学


方向音痴の人は、頭に地図を描くことが苦手といいます。いっぽう、方向感覚に長けている人は、「交差点があって道路があって、向こうに公園」という奥行きある風景を目にしたとき、無意識に頭のなかに平面地図を開いて「自分がいる位置はここだろうと」と推測するといいます。

頭に地図をなかなか描けない人は、「駅の南口を出て、商店街を進み突き当たりにコンビニエンスストアが見えてきたら右に曲がって、30メートル進んだら今度は左折して、さらに20メートル進んだ右手にある建物が事務所です。お待ちしています」という、言葉の情報が頼りになるかもしれません。

しかし、多くの人はことばで示されるよりも、地図で「この赤い目印のが事務所です。お待ちしています」と言われたほうがぴんと来ることでしょう。万一、道に迷ったときも、地図を見れば「あ、道から外れているな」とわかります。

実際の場所についてでなくても、全体の状況がどうなっているかを把握することは、「地図を描く」や「マッピングする」などと表現されます。その人が知りたい対象が全体の“どこ”にあるのか、この“地図”を参照にして調べるわけです。

「21世紀はバイオの時代」とよくいわれます。「20世紀は物理学の時代」ということばに対抗するもので、「バイオ」とは「生命科学」を指します。

「生命科学の進展がこれからさらに加速するだろうという」思いが「バイオの時代」にはこめられているわけですが、バイオの進展を加速するのに大きく関わっているのが「地図」です。

2000年に、人間のもつ遺伝情報の総体である「ヒトゲノム」がほぼすべて解読されました。ほかにも「チンパンジーゲノム」「ハエゲノム」「イネゲノム」などなど、いろいろな生物のゲノムが解読されています。

これは、それぞれの生物の遺伝情報についての「地図」がつくられたようなものと喩えられます。

たとえば、植物の研究者が「イネの背丈の長さに関係する遺伝子はどれなのだろうか」と思って調べようとするとき、「イネの遺伝情報についての地図」つまり、イネゲノムの情報がすべてわかっていれば、解明の時間は圧倒的に短くなります。

「ほかの草では、この遺伝子の部分が背丈を決めていたというじゃないか。だったら、イネゲノムでも似たような遺伝子の部分がそうかもしれないな」と目星をつけたうえで、地図からその該当部分を見つければよいのです。やみくもに遺伝子の最初のほうから一つひとつを「これかな、ちがうな、これかな」と調べていく必要はありません。

全体像を把握するために地図をつくる。その地図を広げて、つぎつぎと発見したことを地図の上に書き込んでいく。その地図を共有していく……。

21世紀に入り、こうしたことが本格的に行われるようになったため、生物学の進展は加速しています。
| - | 23:01 | comments(0) | -
「2010年問題」に“呉越同舟”も


その年に起きることが予想される問題を「何年問題」とよぶことがあります。1999年から2000年になるとき世界中のコンピュータが誤作動するのではと心配された「2000年問題」はその例です。ほとんどのコンピュータは問題を起こさず、2010年は杞憂に終わりました。

ことし2010年は、製薬業界で「2010年問題」が心配されています。

ほかの製品とおなじように、薬も企業が開発すると、特許をとって、その企業が開発の権利を独占したり、ほかの企業に売って儲けるなどします。こうした薬の特許が、米国などで2010年につぎつぎと期限切れとなります。

すると、その薬を開発した以外の企業もその薬を売ることができるようになります。これは後発医薬品とよばれるもの。大規模な臨床試験などの開発費が上乗せされないため、安い価格で売ることができます。

ちょうど2010年は、過去に開発された主力級の薬が特許を迎える件が集中する年にあたるのです。いままで会社の利益を確保していた薬の特許が切れてしまうため、「開発して販売する」という姿勢をとってきた製薬企業は、利益が減ってしまうことになります。

2010年問題は、あらかじめ予想はできたことですから、製薬企業も覚悟はあります。たとえば、製薬大手の武田薬品は、2011年に、米国で売っている潰瘍の薬や闘病病の薬の特許が期限切れを迎えます。しかし、対策は万全とはいかない模様。今年に入り、長谷川閑史社長は「万全の準備をしてきたつもりだが、残念ながら開発中止や大幅な承認延期を余儀なくされる例が続出し、現時点では十分な答えを描き切れていない」と話しています。

製薬会社の対抗策として、注目されているのが“合剤”です。病気に対する治療法はひとつだけではありません。そのため、カプセルの中に、これまでべつの薬としてあつかわれていた成分をまとめて入れて、「新薬ができました」として特許をとったり販売したりするわけです。カプセルに入れる薬は、これまでも使われていたので安全性の問題は少なく、認可は早めに下りるといいます。

たとえば、高血圧の薬は、これまで利尿薬、アンジオテンシンII受容体拮抗薬、カルシウム拮抗薬などが使われており、それぞれの薬は「この薬こそがよく効きます」とライバル関係でした。しかし、2010年問題を前に、つぎつぎとこれらの合剤が開発されています。“呉越同舟”といったところ。

薬業界に詳しい医師は、「高血圧、糖尿病、脂質異状症など、別の病気に見られていた生活習慣病を総合的に治療しようという動きがある。この表向きの動きに乗じて、製薬業界では高血圧の薬、糖尿病の薬、脂質異常症の薬を合剤にするような動きもある」と言います。

名前は「2010年問題」ですが、特許切れはそれ以降もしばらく続きます。そのため、世界的に製薬企業の合併が加速するのではともいわれています。

参考文献
薬事日報2010年1月22日「武田薬品・長谷川社長『答え描き切れていない』主力品の2010年問題は“急がば回れ”」
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“残された最後の国”いまだ批准なし


ことし(2009年)10月、名古屋で「生物多様性条約締約国会議」が開かれます。

生物多様性条約は、生物の多様性を守り、人間たちが持続可能な多様性の利用をすることなどを目的として結ばれた条約。条約を締結している国どうしが、2年に一度の頻度で締約国会議に集まり、具体的な方法を話し合っており、名古屋での開催は10回目。16回目。

環境問題についての条約で、多く報じられるのは、この生物多様性条約締約国会議と、昨2009年にコペンハーゲンで行われた気候変動枠組条約締約国会議。気候変動枠組条約では、温室効果ガスの排出削減義務などをめぐって、各国の足並みが乱れがち。京都議定書に米国が参加していないのはその例です。

いっぽう、生物多様性条約では、ほぼ全世界の国が署名し、それぞれの国で批准しています。

ただし、この条約でも、ある大国が批准をまだしていません。こちらも米国です。

この条約を管理する国連環境計画の条約事務局は、世界の国々に対して、条約国に加盟するよう促しました。その結果、ソマリアやイラクといった内政が難しい状況にある国も加盟を果たしました。

この事務局の働きかけは、「どの国も参加しているのだから、あなたも入りなさいよ」という米国への圧力ともいいます。それでも、米国は条約の批准をしません。

かといって米国がこの条約をまったく無視しているわけでもありません。過去の締約国会議では参加しており、順番が回ってくれば発言もします。関係者によると、ことし1月に行われた「戦略計画見直しのための専門家会合」という関連の会議でも、米国の課長補佐級の担当者が現れ、他国から「お、アメリカが出てきたね」と視線を集めたそうです。

しかし、米国は「公式には批准しない立場はなにも変わっていませんから」と述べたとのこと。

この米国のかたくなな態度は条約に詳しい日本の専門家でも読みづらいようです。名古屋会議の支援実行委員会アドバイザーで名古屋市立大学の香坂玲准教授は、「遺伝子組み換え技術が進んでいる米国は、他国と考え方が違うのかもしれない」と話します。

条約では、「遺伝資源の利用から生ずる利益の公正かつ衡平な配分」が謳われています。米国は遺伝子組み換えを含む遺伝資源への投資で、特許や商品などを生みだし、大きな利益を上げてきた経緯があります。「公正かつ衡平な配分」を強いられれば不利になります。

気候変動枠組条約で、日本や欧州などの条約国は、米国や中国の条約参加にそうとうな苦労を強いられました。いっぽう、生物多様性条約では、米国は“残された最後の国”という立場。名古屋会議開催後、その次の締約国会議までホスト国になる日本は、米国に批准をとりつけることができるでしょうか。

この記事は、世界自然保護基金(WWF)ジャパンで2010年2月5日に開かれた勉強会「生物多様性条約(CBD)成立の経緯とこれまでの展開」(香坂玲准教授の講演)を参考にしています。
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複雑化した生きものが単純化に進む


科学の世界で語られる概念が、一般の社会にもあてはまることがよくあります。

前の世代から次の世代へと受け継がれる生物的特徴のもとは「遺伝子」といいます。これを「うちの会社の遺伝子を引き継ぐものは、きみしかいない」とか「猪木の遺伝子を受け継いだ最後の男」とかいったように使うわけです。

「進化」という言葉も、科学に使われるとともに、社会一般にもよく使われます。辞書にも、生物学的な意味と、社会学的な意味が両方のっています。

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〔生〕生物が世代を経るにつれて次第に変化し、元の種との差異を増大して多様な種を生じてゆくこと。その過程では体制は概して複雑化し、適応が高度化し、また種類が増す。ダーウィンによれば「変化を伴う由来」。原義は展開。

〔社〕生物における進化の観念を社会に適用した発展の観念。社会は同質のものから異質のものへ、未分化のものから分化したものへ進むとする。スペンサーが提唱。社会進化。

『広辞苑』より
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生物学的な「進化」と、社会学的な「進化」。どちらも、「時間経過とともに以前とは異なるものが生まれ、種類が枝分かれしていく」といった意味を含んでいます。

ただし、おなじ「進化」でも、生物学と社会学の見方では、ちがってくる要素があります。

生物学でいう「進化」のほうは、辞書の意味にもあるように、「(進化の)過程では体制は概して複雑化」します。これは、地球が誕生してほどないころには細菌という単細胞生物しかなかったのが、いまではヒトなどの複雑な動物があらわれている、といった例から思いうかべることができます。

いっぽう、社会学でいう「進化」のほうは、「複雑化」という言葉が見あたりません。複雑化とは逆をいく「進化」が社会的にあるからです。

たとえば、言語は進化するにつれ、単純なほうへ向かっているという説があります。もともと言語体系は簡単でしたが、語彙が増えたり、自制表現が加わったりで、だんだん複雑になっていきました。しかし、言語により意思疎通をする人の数が増えると、「もっと簡単に話したいね」という圧力が加わり、単純化していくというのです。

インドネシア語は、「世界でもっとも簡単な言語のひとつ」といわれますが、同時に「世界でもっとも進化した言語のひとつ」ともいわれています。

ほかにも、活版印刷が隆盛だったころの書体は、文字の線の端につけられるヒゲのような「セリフ」が特徴的でしたが、時代とともにヒゲがない、図形的に単純化された「サンセリフ」の書体が増えてきました。

おなじく、公共施設のサインであるピクトグラムも、より単純でわかりやすいデザインになるほど、記号が進化したといえるのでしょう。

生物学的進化で複雑になりすぎた人間が、自分たち特有の進化としては単純化の道を選んでいるのかもしれません。
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「医学と芸術展」で向き合う「生と死」


東京・六本木の森美術館で「医学と芸術展:生命(いのち)と愛の未来を探る」という展覧会が開かれています。(2010年)2月28日(日)まで。主催は、森美術館、ウエルカム財団、読売新聞社。

英国の製薬企業家ヘンリー・ウエルカム卿(1863-1936)の遺志をつぐ「ウエルカム財団」が保有する150点の医学資料や美術作品と、30点ほどの現代美術作品を展示しています。

展覧会のねらいは、「医学と芸術、科学と美を総合的なヴィジョンの中で捉え、人間の生と死の意味をもう一度問い直そう」(森美術館の案内より)というもの。


館内に入ってすぐの「第一部 身体の発見」の展示で出迎えるのは「鉄製関節模型」。21世紀に日本で開発された人間型ロボット「PINO」と大きさや骨格が似ていますが、鉄製関節模型は1570年から1700年ごろイタリアで作られたもの。関節の各部が動く優れもので、講義などに使われていたようです。イタリアの技術の精巧さがうかがわれます。

「第二部 病と死の戦い」は、「人間の生と死の意味」を考えるうえで重要な展示物が並べられます。


壁に掲げられた、ほぼ全面が白塗りの壁画。フィリピンの現代芸術家アルヴィン・ザフラの作品「どこからでもない議論」です。板に紙やすりを貼り付け、そこに人間の頭がい骨を2週間かけて削り、粉にして作りました。背景には作者が死を単なる物理的現象とみなす唯物史観があります。「死は現前とそこにあり、それ以上でもそれ以下でもない」とザフラは考えます。


多くの来場者が立ち止まって見入っていたのが、ドイツの写真家ヴァルター・シェルスの「ライフ・ビフォア・デス」の作品群。1歳5か月の赤ちゃんを含む2連の顔写真が4対、並んでいます。すべて、左が生前で右が死後。開いていたまぶたは閉じられ、輝いていた眼は輝きをなくし、深く刻まれていたしわは平坦になっています。

「第三部 永遠の生と愛に向かって」は、理化学研究所脳科学総合研究センターとトヨタ自動車が共同開発した「脳波駆動式電動車椅子」という極めて実用的でな非芸術的機器から、遺伝子組み換えによって作られた蛍光ウサギ「アルバ」という芸術目的のいきもの論争まで、なんでもござれの世界。

ふだん芸術と結びつけることのないテーマを結びつけて、未知の見かたや考えかたを客に提案する展覧会。雑誌『BRUTUS』のコンセプトをそのまま展覧会にしたような雰囲気です。

「医学と芸術展:生命(いのち)と愛の未来を探る」は、2010年2月28日まで東京・六本木の森美術館で。森美術館による展覧会のお知らせはこちら。
| - | 18:51 | comments(0) | -
月よ雪よと眺む


関東平野では、きのう(2009年2月1日)夜遅くから、きょう未明にかけて雪が降りました。都心でも1センチの積雪が観測されました。

関東に雪が降るときの気圧配置として多いのは、日本の南岸を西から東へと前線をしたがえた低気圧が通過する場合です。

暖気とぶつかる前線の周辺は雨が降りやすく、さらに前線の北側は寒気のため冷え込みます。この条件がそろうと、雪になる可能性が高くなります。1日21時の天気図は、関東地方に雪が降るお手本のような気圧配置となっています。

写真は午前2時ごろに見られた空模様。雪が降っているにもかかわらず、画面右側に月が出ています。月が雲に隠れはするものの、おぼろ月のようにうっすらと光は届きます。月の方向には、それほど雲がかかっていなかった模様。

気象庁の天気相談所によると、雪が降っているときに月が見える現象は「それほどめずらしいものでもない」とのこと。

ちょうど午前2時ごろは、関東地方から低気圧が離れかけていた時間帯。雲の切れ間が生まれながらも、低気圧の本体の影響はまだあるために、雪が降りながらも晴れ間が見えることになったのでは、とのこと。台風や低気圧が過ぎたあとに晴れる“強制晴れ”が起きようとするとき、見られることが多いようです。

似たような状況として、天気雨または天気雪がありますが、月には新月のように光の量が減る日もある分、めずらしさは増すかもしれません。めったに雪が降らなくなった関東地方となればなおのことです。

 狐の嫁入りに対して、天気雪はなんというのでしょうか。「うーん、それはちょっとわかりません」。
| - | 16:34 | comments(0) | -
グーグルが克明に報じるハイチ被災地


中米ハイチの首都ポルトーフランス西方で(2009年)1月12日に起きた大地震から20日が経ちました。

震災の様子を伝える報道は、日本ではあまり見られなくなりました。現場が遠いほど、情報の伝わり方は疎くなるという法則が報道にも当てはまるようです。

報道とは別の手段により、地震後のハイチの様子を見ることができます。グーグルマップに以下の英語表記の場所名を入れて「地図を検索」すると、その場所の状況がわかります。

グーグルが提供するグーグルマップは、大地震が起きた直後のポルトーフランスなどの街の様子を衛星写真で鮮明に写し出しています。

デ・ラ・リベルテ通り(Avenue de la Liberte, Morne A Tuff)の付近、倒壊したナショナルパレスの庭にはヘリコプターが離着陸しています。パレス前の広場には無数の青や赤のテントが張られ、被災者がパレスの塀際に集まっているのがうかがえます。

市内のサッカー場スタッド・ シルヴィオ・カトル(Stade Sylvio Cator‎)にも、テントが張られています。その南西の共同墓地セメタリーでも、倒壊した墓が見られます。

首都圏北部の海岸沿いにあるシテ・ソレイユ(Site Soley)は、北半球最大の貧民街のひとつとされます。近代的な建物の倒壊に比べると目立ちませんが、それでも屋根が抜け落ちたり、サッカー場にテントが張られていたりといった光景が見受けられます。

ロイター通信の報道では、教育省担当者や支援団体の推計で死者が約20万人になったといいます。この地震のモーメントマグニチュードは7.0。これは阪神大震災をもたらした地震のモーメントマグニチュード6.9より0.1大きいことになります。

モーメントマグニチュードが0.1大きい場合、地震のエネルギーは1.4倍。いっぽう、地震による犠牲者は、阪神大震災の6434人に比べて、30倍以上になる計算です。

中心街は19世紀はじめの独立後に建てられた石造のたてものが多かったたため、石壁が崩れたことでがれきの山の下敷きになった方も多かったと見られています。

グーグルの説明によれば、通常の衛星画像は「大部分は、約1年から3年前くらいのデータ」であり「特定の地域が更新される時期については、お知らせすることができません」とのこと。大地震から1か月も経たないハイチの衛星写真を提供するのは異例のことです。

報道機関は、断片的な情報しか伝えられない性格があります。いっぽう、グーグルマップは網羅的な情報を提供します。まったく新たな情報の伝え方といえるでしょう。今後も、大きな災害や事件が起きた直後の場所でグーグルマップが衛星画像をいち提供するすることが予想されます。

グーグルマップはこちら。
| - | 23:46 | comments(0) | -
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