科学技術のアネクドート

タヌキ、ハクビシン、アライグマも東京で生活中

イメージ写真

動物ジャーナリストの宮本拓海さんが、集計してきた東京23区内のタヌキ、ハクビシン、アライグマの目撃情報の分析をこのたび行いました。2009年1月の発表に続くもので、今回は2007年から2009年にかけてをまとめたもの。

メールによる都民などからの報告、宮本さん自身の発見などを通じて、3年間で集められた情報は、タヌキに関するものが408件でした。

2007年から2009年まで順に102件、149件、157件と着実に増えています。宮本さんが2008年に著書『タヌキたちのびっくり東京生活』を出版するなどして、「東京でタヌキが暮らしている」という認識がじょじょに広まっているのでしょう。

メールによる報告を大きな情報源としている点は、情報の信憑性というかねあいも出てきます。しかし、大きな予算をかけない草の根の活動としては最善の方法なのでしょう。宮本さんの年数をかけた報告により、タヌキが安定して都会で生活しているという像が浮かび上がってきています。

目撃情報のなかには、タヌキがほかの動物と遭遇したときの報告もあります。

イヌとの遭遇は2009年で12件の報告があり、「交差点の出合い頭など、唐突に近距離で遭遇する場合 はタヌキは慌てて逃げるが、ある程度の距離がある場合 はすぐには逃げず、イヌと人間の様子をうかがう例も多い」。ほかに、ネコとの遭遇も2009年に1件、宮本さん本人が発見しています。

さらに今回は、ハクビシンとアライグマに関する報告もあります。

ハクビシンは、体長50センチほどのジャコウネコ科の哺乳類。鼻に白い筋が通っているため「白鼻心」という名前がついています。東南アジアに広く分布し、日本には輸入されたものが野生化したと考えられています。

ハクビシンの目撃情報は、2007年から2009年の3年間で180件だったといいます。23区の単位面積あたりの目撃件数でいうと、第1位が文京区。ついで豊島区、渋谷区となります。また、目撃場所別でも集計されており、道路94件、民家53件、公園8件などとあります。道ばたにネコがうろつくように、ハクビシンもうろついているのでしょう。

アライグマに関するものは3年間で15件。世田谷区、文京区、中野区、練馬区などで複数の報告があった模様です。

宮本さんは、今回の集計について、「やはり東京都23区内にタヌキは1000頭程度が生息しているだろうという推測は変更しなくてもいいだろう。またこのことは、ハクビシンもタヌキに匹敵するほどの数がいることを示してもいる」と述べています。

なじみあるイヌやネコなどのほかにも、都会に動物はいる。そう思って都会を歩くと、見えてくるものがあるのでしょう。

ひきつづき宮本さんは、以下のホームページなどを通じて情報提供の呼びかけをしています。

宮本さん主宰のホームページ「東京タヌキ探検隊!」はこちら。
「東京都23区内のタヌキ、ハクビシン、アライグマの目撃情報の集計と分析(2010年1月版)」はこちら。
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荒川に砂金あり


荒川は、埼玉県奥秩父の甲武信ヶ岳に源流があり、関東平野そして東京湾へと注ぎこむ川です。東京23区内を流れる荒川は大正時代、水害を防ぐために人工的につくられた放水路ですが、埼玉県内を流れる荒川は古くからの自然の形が残っています。

かつて、荒川の上流には金などを採集する鉱山がありました。江戸の博物学者・平賀源内も埼玉県大滝村にかつてあった鉱山に足しげく通っていたといいます。

川を流れる水は、源流から河口へと流れていき、石や砂などはその流れに沿って上流から下流へと少しずつ移動していきます。かつて、荒川上流で金が採れていたのだから、いまも荒川では金が採れることになります。

実際、砂金マニアには荒川の砂金はいまも有名なようで、埼玉県内の荒川沿いには、砂金とりをする人が出没しているようです。長瀞地方の名勝・天然記念物区域を除けば、砂金採取はとくに規則に触れるわけではありません。

きのう(2010年1月)29日の埼玉新聞には、県立川の博物館の学芸員が、砂金とりに挑戦した記事が載っています。

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その結果。惨敗。一粒も見つからない。その後も機会を見つけては砂金採集に挑戦したものの、なかなかめぐりあえない。
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金は砂などよりもおなじ体積あたりの重量が大きいので、専用の器に川の砂を入れて砂を洗い流せば金が底に残ります。しかし、熟練者でも砂金を得るのは至難の業で、1日働いた分の対価を砂金で得られるかというと、なかなか難しいようです。

しかし、記事には続きがあります。砂金採集はあきらめて、砂の中の鉱物を調べていたある日のこと。

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顕微鏡でのぞいたところ、きらっと光る金色の断片を発見。「?」。最初は何かよく分からず、そのままやり過ごそうとして、はっと思い当たる。「あっ、これは!」
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ついにこの学芸員は0.1ミリほどの葉片状の砂金を見つけたのでした。

いま金の国内価格は1グラム3000円ほど。「砂金とりでひともうけ」と考える人は、1日2、3グラム見つけないと「日給」の対価を得る感覚にはならないでしょう。

この学芸員は学術的な志と、ほんの少しの下心で砂金とりを始めたようです。見つけた砂金は小さすぎるため、博物館の展示物にするにはためらわれたようです。それでも「砂金が採れることが証明された」。荒川から話のネタもじゅうぶんに掘ることができたようです。

参考ホームページ
猪山健「秩父鉱山と平賀源内」
参考記事
埼玉新聞2010年1月29日「なるほど!寄居学 荒川に眠る“お宝”」
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書評『箸』
むかし、味の素の広告で「お箸の国の人だもの」という惹句がありました。箸の文化に浸っているお箸の国の人が、箸のことを見つめなおすことのできる本です。

箸は、中国で紀元前3世紀ごろから使われだしたとされる。朝鮮、ベトナム、モンゴル、そして日本に伝わった食の道具だ。

洋食が増えたとはいえ、日本人にとって箸を使うのはいまもまだ日常茶飯事。箸は意識しなければ改めて考えもしないほどの道具だ。食の専門家である著者の二人は、その道具の多様性や深遠さを、豊富な図や古典資料を紹介しつつ、あますところなく本のなかに書き記している。

「単なる二本の棒であるのに、あたかも手の指の延長のように自由に操ることができる」。著者は、箸という道具の特徴をこのように述べる。スプーンやフォークが「器具そのものがもつ具体的な機能のための道具」であるのと比べて、箸には「きりわける」「つまむ」「はさむ」「すくいいあげる」「まきつける」「ほぐす」などなど、指さばきによって様々な使い方ができる点が特徴だという。

日本では、邪馬台国の卑弥呼(3世紀ごろ)は、まだ食事は手でとっていたという。日本で出土した最古の箸は、7世紀の飛鳥板葺宮遺跡で見つかった檜の箸だ。ほかの大陸由来の文化とおなじく、それ以降、日本で箸文化は独自の発展をとげる。

一日二食から一日三食になり、箸を使う頻度が高くなると、箸の耐用性をたかめるために漆塗りがほどこされるようになった。

また、「はし」というよび方も、口と食べ物の“橋わたし”、“端”を合わせる、鳥の“くちばし”のかたち、あるいは神の“御柱”といったようなさまざまな説があるが、いずれにしても日本独自の文化のなかで成立したものだ。「箸と神と人を結ぶ神聖な道具としてとらえられている。各種の年中行事が箸と深いつながりのもとに行われていることが、日本の箸の特徴である」。

「箸と科学」という章では、箸のもちかたによる筋肉の使い方といった、生理学的な観点からも研究成果を紹介している。箸を5本の指すべてを使って扱う“伝統的な持ち方”が、他の持ち方に比べて、いかに無駄なく美しい動きかが示される。

文献調査と科学的調査の量が多く、箸の文化、箸の宗教的意味合い、箸の科学など、箸全般のことを詳しく知ることができる一冊となっている。

『箸』はこちらで。
| - | 20:39 | comments(0) | -
「正しい」の適用範囲は限定的

親子づれが動物園をおとずれました。すいすいと泳ぐペンギンの横で、壁にぶつかりじたばたもがきながら泳いでいるペンギンがいます。父が小学生の娘にこんな言葉をかけました。

父「見てみろよ、あのペンギンの泳ぎ方、正しくないぞ」
娘「え……」

ペンギンの泳ぎ方に「正しい」「正しくない」はあるのでしょうか。

「正しい」とは、辞書の意味では「よいとするものや決まりに合っている」あるいは「法・規則などにかなっている」ことをいいます。これからすると、「泳ぎ方が正しくない」と言われたペンギンは、「父がペンギンの泳ぎ方として“よい”と思っている泳ぎ方とはかけはなれていた」のでしょう。

しかし、娘が「え……」と絶句したように、自然界のものに対して「正しい」「正しくない」を判断することは、しっくりとはきません。動物の世界でみられるふるまいが、人間が「正しい」「正しくない」と決めつける対象ではないと思われるからでしょう。

父「見てみろよ、あのペンギンの泳ぎ方、変わっているぞ」
娘「うん、ほんとだね」

この父の発言に対しては、娘がすんなりと来たようです。そのペンギンに対してあたえられた基準が、“父のあるべきペンギンの姿”から、“よく見られるペンギンの姿”に変わったからでしょう。

「正しい花の咲き方」「正しい鳥の飛び方」「正しい雲のできかた」。これらも「正しいペンギンの泳ぎ方」とおなじく、「べき」論で話す対象にはなっていません。

人間の規範がおよぶ対象にかぎって「正しい」「正しくない」をいうことができるのでしょう。

しかし、これだけでは、なにをもって「正しい」のか、なにをもって「正しくない」のかを決めることはできません。

たとえば、日本の少年野球や中学野球では、投手がまねするべき投げかたがあります。「足の上げ方、腕の振り方、肘の使い方」などの手本となる投球動作があるわけです。

ところが、米国の大リーグなどを見ていると、まねすべきとされる投げかたとはかけはなれた投げかたをしている投手が多くいます。そして、そうした投手も、完封勝利をおさめたり、最多勝をあげたりしています。日本の基準からすると、その投手は「正しくない投げかた」で最多勝をあげてしまうことになります。

哲学者の河本英夫さんは、次のように言います。

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適性があるからといって、個人の能力が最大限に発揮されているかどうかは別問題です。フォームがきれいなのは、“投げる型”をまねるよう教育され、身につけたからでしょう。

けれども、まねをする教え方で能力を潰された人も多いと思います。他人と自分の身体状況は違うため、同じことをしようとしてもうまくいくわけがないからです。
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この河本さんのことばに、「正しい」は出てきません。しかし、模範となることをまねた結果はかならずしも、よい結果になるとはかぎらない、という意味が込められています。

これからすると、「正しい」と「よい結果をあげる」ということは別ものとなります。

本来のあるべき姿を守るおこないが、「正しい」といえるかは人の主観によって評価が異なる部分を多く含みます。むしろ「伝統的な投球動作」と表現したほうがよいのかもしれません。
| - | 23:58 | comments(0) | -
「もう3分の1」のはずが「まだ6分の1」で、二重苦
コンピュータのマッキントッシュには、「テキストエディット」というアプリケーションがあります。ウィンドウズでいう「メモ帳」とおなじ役割。ここに走り書きや原稿を書きこむ人も多いことでしょう。

最新版OS10.6では、このテキストエディットに歓迎されざることが起きているようです。それは、スクロールバーの長さがあいまいだということ。

コンピュータでは、画面に示されているより下を見るために、右側の“棒”、つまりスクロールバーを下に引っぱります。テキストエディットに書き込んだ文字が1画面分で収まればスクロールバーは出てきませんが、1画面分で収まらなくなると青い棒が出てきます。そして、文字の量が2画面分に増えればバーは2分の1の長さに、3画面分に増えればバーは3分の1の長さに、だんだん短くなっていきます。

しかし、打ち込んだ文字が3万字や6万字などの膨大な量になると、最初にテキストエディットを立ち上げただけではスクロールバーの長さは、本当のあるべき長さよりも長めにとられてしまいます。

スクロールバーを打ち込んだ文字の最後、つまり5万字目までもっていけば、コンピュータは「ああ、全体の文字量はこんなにあったんだ、バーをもっと短くしなくちゃ」と認識するのか、スクロールバーが短くなります。

このスクロールバーの長さどりの特徴を知らないで、テキストエディットに入った膨大な文字をもとに書類や原稿をつくると大変な目に遭います。

たとえば、取材で録音した肉声を6万字の文字に起こして、それを10分の1の6000字の原稿にまとめるような場合です。文字起こしの6万字を最初から流れどおり原稿にしていくと、スクロールバーは下へと進んでいくことになります。



このとき、上図のようにスクロールバーが全体の3分の1までさしかかったとしても、「お、ここで全体の3分の1まで進んだか。原稿のほうも3分の1の2000字を超えたくらいだし、順調、順調」と、思ってはなりません。

いったんスクロールバーを最後までもっていき、コンピュータに全体の文字量を認識させてから、「全体の3分の1まで進んだか」と思われていた地点まで戻ってみると、じつは6分の1も進んでいないことに気づきます。


この事実を知る人の衝撃は、「おいおい、ほんとはペース配分がだめだったのか。orz」というものと「え、まだこれしか進んでいないのか。orz」というものの二重です。

テキストエディットの文字量が膨大になったときは、いちどスクロールバーを最後までもっていってから作業を進めると、この二重苦は防ぐことができます。
| - | 20:36 | comments(0) | -
生物多様性の大切さを言語化する「オーシャンズ」


映画「オーシャンズ」が公開されています。

海洋にすむ生き物たちの活動を、最新の技術で撮影したフランスの作品です。監督は、ジャック・ペランとジャック・クルーゾー。ペランは、「Le People Singe」という映画作品で動物の世界に目覚め、「ミクロコスモス」(1996年)の制作や「WATARIDORI」(2001年)の共同監督などを勤めました。クルーゾーも「WATARIDORI」の共同監督や、テレビドキュメンタリーの「WATARIDORI もひとつの物語」(2001年)を監督するなどしています。

映画の公式ホームページによると、469時間36分の撮影フィルムのうち、0.35%の1時間40分を選び抜いたとのこと。獰猛な海の生き物たちを、肌のきめまでわかるほど近づいて撮影しています。

迫力ある映像のために使われた撮影技術が話題になっています。

「テティス」は、はしご状の鉄柱の先に取り付けたカメラの揺れを防ぐ技術。全方向からの振動を吸収して、ブレを防ぐカメラ。これで、クジラやシャチなどの泳ぐ姿を安定して観ることができます。

「ジョナス」と「シメオン」は、2メートルほどの円筒のカプセルに撮影装置を入れた“魚雷”のようなもの。これを魚とおなじ速度の船で引くと、マグロの群れが自分たちのリーダーと勘ちがいして後を追いかけていったといいます。

さらに、海洋学者が撮影現場に立ち会ったことで、映画にあるような映像を撮影することができたようです。「『ジョナス』を使って捉えたクロマグロの群れのシーンでは、決して餌でおびき寄せるのではなく、予想した動きどおりに船を走らせることで、迫力のあるシーンを撮ることができたのです」(映画の公式ホームページ)。

はじめから3分の2は、海洋のいきものの生活ぶりが動的な映像と実際の録音によっていきいきと描き出されます。

その後、これまで登場しなかった、海洋に足を踏み込むいきものが登場します。

人間です。

漁の網に絡まる海のいきものたち。サメの背びれと尾びれをフカヒレ用に切断して、海に返す漁師たちなどが描かれます。

映画を観た人たちは、最後のほうの展開にやや落胆ぎみのようです。

「後半は、グリーンピースばりの編集シナリオで、残念〜!!」
「見たけど説教臭い上聞いたような話で面白くなかった 」
「終盤に説教臭くなるのが作品の質を落としているように思える」

こうした感想は、人間が海洋の生物多様性を侵しているという趣旨のことを、ナレーションとして伝える手法によるものでしょう。

魚介類を食べている以上は、人間もオーシャンズの一員といえます。しかし、生物界のピラミッドの上層にいるクジラやウミドリが小さな生き物を食べる場面と、人間が漁として魚介類を捕獲する場面とでは、明らかに意味合いが異なるものとして描写されています。人間の登場しない世界は自然的な世界、人間の登場する世界は非自然的な世界、といった意味合いです。

ドキュメンタリー映画では、過去にも「ディープブルー」などの作品がつくられました。こうした“海洋もの”の根底にある主題は生物多様性です。

「オーシャンズ」も生物多様性を感じられる映画です。とともに、生物多様性が大切であるということを、言語化・映像化して、直接的に観客に伝えようとする映画です。この伝え方については、受け入れる人と受け入れない人がいるでしょう。

「オーシャンズ」の公式ホームページはこちら。
| - | 18:45 | comments(0) | -
近いほど有利

記者が取材をするとき、たいていは取材対象者がふだん仕事をしているところに出かけます。研究者への取材のときは大学などの研究機関へ、企業への取材のときはその会社へ、となります。

研究者に取材するときは、研究室へ通されることがほとんどです。研究室には研究者の机のほかに何人かで座れるテーブルと椅子があるため、そこで話をうかがうことになります。

いっぽう、企業取材では多くの場合、応接室か会議室に通されます。社員の席はオフィスの中にあるため、そこで話をうかがうと、ほかの社員の仕事の迷惑になります。そこで、応接室か会議室に通されるわけです。

ここで、おもに記者にとって問題になるのが、部屋の広さや取材対象者との距離です。

こんな場合があります。40畳もある大会議室に通され、机の配置は“ロの字”。しかも、「こちらにお座りください」といわれた席は“ロ”の問い面。取材対象者との距離は10メートル……。

ここまでおたがいの距離が離れてしまうと、書き手にとっても取材対象者にとってもあまりいいことがありません。録音をひろいにくい。表情の機微をうかがいにくい。紙に絵を描いて説明してもらえない。肉声さえも届きにくいことも。

書き手と取材対象者の距離が近いほうが、なにかと利点は多くなります。上にあげたような不利益は、距離が近いことですべて利点に逆転します。

さらに「これより近づくと関係が怪しまれる」というくらいまで近づくと、べつの利点も生まれます。

おたがい黙っていることがこわくなり、どちらかが話さざるをえない状況になるのです。取材対象にとっては言わなくてもよいことに、けっこう重要な発言が含まれるものです。企業でも、あえて社員どうしをものすごく近い距離に座らせて、しゃべらせて発想を生みださせるところがあるようです。

遠いほどコミュニケーションは不利、ほどほどまでなら近いほどコミュニケーションは有利、といったところです。取材にかぎったことではないかもしれませんが。

取材者が「こちらにお座りください」と遠い席に案内されたときは、「おとなりのせきに座ってもよろしいですか」と申しあげるのが得策のようです。
| - | 23:57 | comments(0) | -
矛盾は避けられた「ビッグ・アメリカ」


日本マクドナルドは、「ビッグ・アメリカ」という期間限定販売をしています。

(2009年)1月15日から、バーベキューソースと粒マスタードソースがあいまった「テキサスバーガー」が発売されました。今後、ニューヨークバーガー、カリフォルニアバーガー、ハワイアンバーガーも発売予定です。

「ビッグ・アメリカ」だけあって、米国の食の象徴「牛肉」を強調する宣伝文句も用意されています。トレーにしかれてある紙には、次のような文があります。

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アメリカ人が愛してやまないハンバーガー。

それは、ビーフステーキより手軽に牛肉が食べられる、
という理由でアメリカ食文化に受け入れられたとも言われています。

おいしい牛肉を手軽にたっぷり食べたい。

そんな願望をかなえてくれるハンバーガーのパティに、
豚肉など他の肉が入るはずがありませんよね。

ビーフへの憧れが100%つまっているのが
マクドナルドのビープパティ、というわけです。
―――――

ここで、マクドナルドを愛してやまない方は、すこし首を傾げるかもしれません。「マクドナルドは豚肉入りのハンバーガーも売っているではないか」と。

マクドナルドのホームページには、「マックポーク」を紹介するこんな文もあります。

―――――
食べごたえのあるジューシーなポークパティに、シャキシャキのレタスとオニオンを添えて、こんがりとトーストしたバンズでサンドしました。
―――――

つまり、マクドナルドは、ハンバーガーのパティ(パン)に、豚肉をマクドナルドは入れています。そうでありながら、「豚肉など他の肉が入るはずがありませんよね」と宣伝しているわけです。

しかし、宣伝文をよく読み返してみると、矛盾していないことがわかります。「ビッグ・アメリカ」のキャンペーンは、けっして豚肉入りのハンバーガーをばかにはしていません。

宣伝文は、「おいしい牛肉を手軽にたっぷり食べたい。そんな願望をかなえてくれるハンバーガーのパティに、豚肉など他の肉が入るはずがありませんよね」となっています。

この文の“骨”を抜き出すと、こうなります。「牛肉を食べたい人のハンバーガーに、豚肉が入るはずありませんよね」。

言われないでもわかるようなことを、そう感じないようにすることも、文章の技なのかもしれません。あるいは、文がある程度決まってから、「そういえばうちもマックポークを売っているから、ちょっとこのままだとまずいよね」ということで矛盾対策をとったのでしょうか。

日本マクドナルドの「ビッグ・アメリカ」のお知らせはこちら。
「マックポーク」の紹介はこちら。
| - | 23:56 | comments(0) | -
越冬池で震えるカモ

冬場、日本の湖や池などに渡り鳥がやってきています。もっと寒い北国から暖かい日本にやってくるわけです。

マガモのやマガモの仲間も、カルガモやアヒル(カモが家畜化されたもの)などをのぞけばほとんどが渡り鳥。いろいろな種類がけんかすることなく水辺にたたずんでいます。

カモといえば、「グァグァ」というあの鳴き声。しかし、いつも鳴き声を発しているわけではありません。オナガガモ(写真)などは、ときに“振動音”も立てています。

マガモたちは移動しながら、くちばしを水面につけ、小刻みに水を震わせます。「ぶるぶるぶる」。暖かい日本に渡ってきたのですから、水の冷たさに震えているわけではありますまい。

カモたちは、こうして餌をとっているのです。

まず、池の水を口の中に飲み込みます。水の中には水草や雑草の種などが混じっているので、これらが餌になります。

餌は食べたいけれど、水はがぶがぶと飲み込みたくありません。そこで、くちばしを震わせるしぐさをします。

餌と水の仕分けをするための“道具”がカモのくちばしの縁には付いています。くしのような突起があって、これが濾過装置の役目を果たします。いったん、餌と水をすべて口に入れてからくちばしをぶるぶる振るわせると、水は“くし”から漏れて外に捨てられ、餌は“くし”に引っ掛かって口の内側にとどまります。



いっぽう、オナガガモやマガモよりひとまわり小さいキンクロハジロ(写真)は、ぶるぶるとしません。

こちらは、水面下にある餌を見つけると、「チャポン」。尼さんよろしく、勢いよく水の中に潜っていき水草などを食べます。くちばしをぶるぶる振るわせる派よりも、せわしなく池を動きまわります。

ゆうゆうと泳ぎながらくちばしを開けて入ってくる餌を処理する型と、せわしなく泳ぎながら水の下まで餌を獲得しにいく型があるわけです。池のカモたちを見ながら、顧客開拓を受動的対応でおこなう人たちと、積極的営業でおこなう人たちの像を重ねあわせることもできます。

参考文献
富山市科学博物館OnLine図書室「カモを見よう」
| - | 22:43 | comments(0) | -
お供え21日、おばあさん眼の健康を取り戻す。

東京・小石川に「こんにゃくえんま前」という信号があります。“こんにゃくえんま”がまつられている源覚寺の前にある交差点なので、こんにゃくえんま前。

この寺の閻魔さまは、鎌倉時代につくられたものとされています。その後、江戸時代なかごろの宝暦年間(1751-1764)に重要なできごとが起きます。

あるおばあさんが片眼をわずらいました。医療のかぎりをつくしても治りません。そこで、この閻魔さまに眼を治してくれるよう21日間、祈りつづけたといいます。

このおばあさんは、こんにゃくが好物でした。祈りの21日間は、大好きなこんにゃくも断ち、そのかわり閻魔さまにお供えをしつづけました。すると、お祈りが満願になった21日目に、おばあさんの寝床にこの閻魔さまがやってきて、おばあさんに片目をやりました。

これによりおばあさんは、眼の健康をとりもどし、いっぽうの閻魔さまは片目を失ったといわれます。このできごとがあってから、閻魔さまは「こんにゃくえんま」とよばれるようになり、いまでは信号の名前にも使われるようになりました。

祈る気持ちがあれば、捧げるものははんぺんでもかまぼこでもよかったのかもしれません。別の説では、おばあさんが、閻魔さまに感謝の気持ちをこめて、自分の食べたいこんにゃくをお供えしつづけたという話もあります。

閻魔は、地獄に堕ちる人の生前の善悪を裁く仕事をしていた神さま。はじめに死んだのは閻魔さまで、死んだ当初は天の楽土で暮らしていたといいますが、その後、下界におりてきて地獄に立つことになりました。

境内の絵馬には、「病気が治りますように」というお祈りが、数多く飾られています。


東京の街なか小さなお寺ですが、安置されている像はこんにゃくえんまだけではありません。

じつはこのお寺の本尊はこんにゃくえんまでなく、極楽を主宰する阿弥陀さま。閻魔さまと阿弥陀さまが同居しているのですね。「阿弥陀さまばかりに甘えていたらダメだぞ」と、閻魔さまが睨みをきかせているのが現状のようです。脇役が脚光を浴びるようになりました。

ほかにも、塩地蔵がまつられており、歯の痛い人はこのお地蔵さんに祈りをささげます。そして、完治した暁には、感謝のきもちをこめて塩を供えます。

参考ホームページ
浄土宗源覚寺
| - | 18:55 | comments(0) | -
大三角より大きいダイヤモンド


「天体ショウ」というと、日食や流星群のように見られる日にちがかぎられ、また、天体の変動が動的なものを思いうかべる方が多いかもしれません。

ある季節、夜空をながめれば、ずっと観られる星々もあります。こちらは静的であることから「天体絵画」といった表現がふさわしいかもしれません。

冬の日本で観られる天体絵画といえば「冬の大三角」があります。南東の空を見ると、こいぬ座のプロキオン、おおいぬ座のシリウス、オリオン座のベテルギウスという三つのひときわ輝く星が、三角形のそれぞれの頂点の位置にあります。地球から見ると三点の星は平面上に置かれているように見えますが、それぞれ地球からの距離は異なります。

天文に詳しい理科の先生であれば、授業で「“冬のダイヤモンド”というのもあるんだよ」と、話が発展するかもしれません。

冬の大三角をなすシリウスとプロキオン、さらにふたご座のポルックス、ぎょしゃ座のカペラ、おうし座のアルデバラン、オリオン座のリゲルの六つの星を結ぶと、ややいびつながら六角形になります。ダイヤモンドといえば、六角形に切られることが多く、そのため「冬のダイヤモンド」とよばれているわけです。別名は「冬の六角形」。

ちなみに、インターネットで検索をすると「冬の三角」または「冬の大三角」で当たる件数は、約40万件。いっぽう、「冬のダイヤモンド」または「冬の六角形」で当たる件数は、約33万件。言葉の露出度としては、それほど差はないようです。

夜も明るい日本の都会では、輝きの弱い星はあまり見えません。逆に、冬の大三角や冬のダイヤモンドは探しやすいといえるかもしれません。晴れた夜、上を向けば“絵画鑑賞”ができます。

参考ホームページ
星見にいこてば「冬のダイヤモンド(大六角形)」
| - | 23:46 | comments(0) | -
“日本版”サイエンス・メディア・センターのプログラム・マネージャー募集


募集のお知らせです。

早稲田大学が(2009年1月)15日、「科学技術情報ハブとしてのサイエンス・メディア・センターの構築」という研究開発プロジェクトのプロジェクト・マネージャーの募集をはじめました。

以前(2009年10月22日)の、このブログの記事「“日本版”サイエンス・メディア・センターの人材募集」は、おなじプロジェクトの専属スタッフの募集のお知らせでした。今回は、その専属スタッフの“上司”的立場にあたる人材の募集です。

サイエンス・メディア・センターは、科学技術の研究者と科学ジャーナリストや科学の物書きなどとのあいだを媒介する役割をもつ組織。すでに英国、カナダ、オーストラリアなどでは設立されています。科学技術振興機構社会技術開発センターの研究開発プログラム「科学技術と社会の相互作用」の一つのプログラムとして、このサイエンス・メディア・センターの構築計画が採択されました。代表計画者は早稲田大学政治経済学術院教授の瀬川至朗さんです。

募集要項によると、プログラム・マネージャーの仕事として、2009年度より運用実施が計画されているサイエンス・メディア・センターの構築と運営、また、関連する教育プログラムや研究活動などに参加することが挙げられています。就任後の身分は早稲田大学の准教授または講師で、器官は最長で2012年9月30日までとなります。

応募資格は、次のいずれか、または複数を満たしていること。

(1)出願の時点でSMCの活動に関連した学術分野(自然科学、メディア論、マス・コミュニケーション論等)の博士号を有する者
(2)メディアにおける就業あるいは活動経験を有する者
(3)NPO運営などの組織マネジメント経験を有する者

研究的な側面、あるいは実務的な側面、あるいはその両方の経験が重視されそうです。

サイエンス・メディア・センターは昨2009年、今回募集のプログラム・マネージャーとともに勤務する「専属スタッフ」の募集をすでに終えています。今回募集のプログラム・マネージャーが決まることで、日本発のサイエンス・メディア・センターの体制が整うことになります。

プログラム・マネージャーの募集は2009年2月19日(金)まで。詳しくは、早稲田大学政治経済学術院の「募集要項」をご覧ください。
「科学技術情報ハブとしてのサイエンス・メディア・センターの構築」の計画資料抜粋はこちら。
| - | 18:13 | comments(0) | -
「温暖化防止と防犯の対立」説明に自治体は消極的


地球温暖化対策と経済対策は、しばしば対立するものとして考えられます。「地球温暖化を防ぐには、エネルギーを使わなければよいのだから、なにも買わず、どこへも出かけないのがよい。でも、そうするとだれももうからなくなるから、景気は悪くなってしまう」というのが単純化した理論です。

温暖化対策が完全に経済対策と対立しているわけではありません。低公害車がよく売れた例などを見ると、考え方によっては商機になりそうです。とはいえ、「環境と経済」をいかに両立させるかが議論になっているということは、やはりこの二つはだいたいの場合において対立しているのでしょう。

「よい」と思われる方向に進めば進ほど、地球温暖化防止と衝突してしまう分野はほかにもあります。

いま、多くの自治体は「一戸一灯運動」という取り組みを市民によびかけています。家々の玄関や門灯を夜ともしておくことで街を明るくし、防犯につなげようという運動です。ゆるキャラやマークもさまざまできています。

一戸一灯運動をよびかける自治体は、市民に「1か月の電気代は、缶ジュース1本ほどです」などと説明します。「経済的にそれほど大きな負担にはならないのでよろしくお願いします」または「運動に参加するかどうかの判断材料にしてください」という意味が込められています。

経済的な負担の説明はどの自治体もしています。しかし、環境的な負担の説明はほとんどの自治体がしていません。どのくらいの負担になるのでしょうか。

仮に、一戸一灯運動が国じゅうにものすごく浸透して、日本のすべての家がこの運動に参加したとします。

埼玉県川口市が出している計算表では、30ワットの電球を1日6時間ともすと1か月の電気料金は114円で缶ジュース1本分ほど。このときの電力使用量は5.4キロワット時になります。

2005年時点の日本の総世帯数は4906万3000戸。全世帯が、1年間30キロワットの電球を6時間ともすと、31億7928万2400キロワット時の電力を使うことになります。

電力量の二酸化炭素排出係数は換算することができます。換算すると、114万4541.6トンに。つまり、日本の全世帯が一戸一灯運動に協力した結果、1年間でおよそ114万トンの二酸化炭素を排出することになります。

この年間114万トンとはどのくらいの量でしょう。京都議定書では、日本は基準年の温室効果ガス削減量12億6100万トン(二酸化炭素換算)から、第一約束気管の年平均で11億8500万トン(同)に減らすことになっています。つまり、二酸化炭素換算で7600万トン減らさなければならないわけです。

7600万トンを減らすため、政府はさまざまな業界に対して、「がんばってこのくらいの分は減らしてください」とよびかけています。電気・電子業界に対しては「全体の35%分を減らしてください」といっています。計算すると、年平均で2660万トンを電気・電子関連で減らすことが求められているわけです。

先ほどのとおり、全世帯が一戸一灯運動をした場合の二酸化炭素排出量は年114万トン。いっぽう、地球温暖化のため、電気・電子関連で求められている削減量は年2660万トン。

電気・電子関連で減らすべき二酸化炭素が、国民的な一戸一灯運動により、逆に4.3%増えてしまうことになります。

一戸一灯運動と二酸化炭素削減の対立について、自治体のなかには見解を述べているところもあります。たとえば、大阪府河内長野市は、つぎのように示しています。

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地球温暖化防止のための取組みとして、不必要な照明の使用を控えたり、使用しない電気製品のコンセントを抜くことや、冷暖房の温度設定を適切にすることで、生活で消費する電力量を削減することは重要であり、積極的に推進する必要があります。

一方、一戸一灯運動による門灯等の点灯は、街灯(道路灯、防犯灯など)の補完的役割をもつばかりか、市民自らの生命・財産にかかる生活安全のため必要なものであり、これを推進するものです。
―――――

地球温暖化の防止も、市民の生活安全も、どちらも大切だという見解のようです。

環境と経済のはざまで国が腐心しているように、ひとつの自治体が対立したことを推進する場合が生まれるのもしかたのないことなのかもしれません。

ただし、ふたつの対立するもののどちらも推進する以上は、それぞれどのくらい重要であり、それぞれどのくらいの負担がかかるのか、なるべく矛盾をおこさないための最善策としてどのようなものが考えられるか、といった情報をわかりやすく市民にあたえることが求められます。

「うちの市でなんだか一戸一灯運動をやっているけれど、これって地球温暖化にどうなの」と思っている市民はいることでしょう。

参考ホームページ
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「ここまで治る! 先端医療」の裏に一命とりとめた患者の悩み


きょう(2009年1月)18日発売の『週刊東洋経済』では、「ここまで治る! 先端医療」という特集が組まれています。この記事の「パート2 心臓・脳」という部分の取材・執筆をしました。

ここ30年ほど、日本人の3大死因となっているのが「がん」「心臓病」「脳卒中」です。このうち、「心臓病」と「脳卒中」は、体のはなれた部分で起きる病気であることもあり、異なる病気として考えられてきました。

しかし、心臓病と脳卒中には大きな共通点があります。どちらも、多くは血管の異常により起きるということです。心臓のまわりには、大動脈という血管が取り囲んでいます。また、脳にも細い動脈がすみずみまで行きわたっています。これらの血管は、心臓や脳が働くために欠かせない酸素や栄養を届ける“生命線”です。

これらの動脈が、塞がってしまうと、酸素や栄養が行きわたらなくなり、心臓や脳が働かなくなるわけです。起きる場所が心臓か脳かというだけであり、そのしくみは変わりません。

先端医療中心の記事構成のため、記事にならなかったものの、取材した製薬企業から、脳卒中にかかった患者の“第二の苦しみ”が語られました。

現代の医療技術により、脳卒中にかかった人は一命をとりとめられる場合が多くなりました。しかし、そのあと待っているのは、治療やリハビリテーションです。

一命をとりとめた患者は、病院の集中治療室をはなれ、一般病棟に入院して回復のための治療をすることになります。

そして、ひととおり治療が済むと、今度は体のはたらきをとりもどすためリハビリテーションにとりくむことになります。

しかし、ある程度、時間が経てば「あとはリハビリテーションは、ご自宅でやってください」ということになり、家での生活が中心となり、通う病院も街の開業医や中小病院へと変わります。

こうして、患者は、集中治療室、一般病棟、リハビリテーション科、開業医、自宅へと、回復のため励む場所を、転々と移動することになります。

環境が変われば、当然、主治医や看護婦、また、いっしょに会話してきたおなじ境遇の患者とも別れることになります。目まぐるしい治療場所の移動のため、自分が患った脳卒中の悩みや苦しみを、長いこと共有しあえる人がいない状況になるわけです。

最先端医療の裏側には、こうした“表に出ていない問題”があるわけです。

記事で取材に協力してもらった製薬企業サノフィ・アベンティスは、「NO梗塞 NOリターンキャンペーン」や「脳梗塞アカデミー」といった取り組みをしています。催しものでは、脳卒中の経験者たちも参加し、悩みを抱えているのは自分一人ではないという、意識共有の場になっているとのことです。

最先端医療で、一命をとりとめることができるようになりました。これからは、「一命をとりとめたあと」のケアがよりいっそう問われていく時代になりそうです。

『週刊東洋経済』「ここまで治る! 先端医療」の案内はこちらです。
サノフィ・アベンティスの「NO梗塞 NOリターンキャンペーン」の案内はこちら。
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警告されたが伝わらなかった大地震
きょう(2010年)1月17日で、阪神淡路大震災を引き起こした大地震から15年が経ちました。きょうの報道番組でも、2度の大きな揺れが木造家屋を多く倒壊させることになった、といった科学的な検証が紹介されています。

1990年代前半まで、多くの日本の国民には、「関西地方に大きな地震は起きない」といった迷信に近い常識がありました。「地震が恐かったら関西で暮らせ」といった話もあったほどです。

科学的な立場からも、「関西で大きな地震は起きない」といったことはいわれていたのでしょうか。むしろその逆だったことを示す資料があります。



1974年11月、神戸市の総務局と土木局は、『神戸と地震』という報告書を出していました。報告書を執筆したのは、地質学者の大阪市立大学・笠間太郎さんと、京都大学・岸本兆方さん。神戸市からの依頼を受け、1972年度と1973年度に調査を行いました。

この報告書には、次のことが報告されています。

―――――
 活断層群の実在するこの地域で、将来都市直下型の大地震が発生する可能性はあり、その時には断層付近で亀裂・変位が起こり、壊滅的な被害を受けることは間違いない。

 神戸市域に至近のところで大地震が発生した場合も、その影響は大きいと考えられる。
―――――

「活断層」とは、過去およそ100万年間にずれたことのある断層のこと。阪神大震災によって、「地震の起きるところ」として、かなり多くの市民が知ることになりました。しかし、当時は地質学などの限られた世界で使われる専門用語だったのかもしれません。

たしかに、報告書には、神戸のあたりにも活断層群が実在し、都市直下型の地震が発生するおそれがあることや、さらに、その揺れが壊滅的な被害をもたらすことを警告していました。

さらに、この報告書と関連して、神戸新聞も「神戸にも直下地震の恐れ」という記事を夕刊の第1面に載せています。

しかし、「神戸でも地震対策の充実を」といった気運は、この記事からは高まらなかったようです。報告書や新聞記事から20年あまり。これらの警告がほとんど忘れさられた1995年に大地震が起きたのです。

岸本さんとともに、京都大学で地震の研究をしてきた国際高等研究所長の尾池和雄さんは、京都大学時代の2001年に、『神戸と地震』の報告書について、次のようなことを述べています。

―――――
神戸市の報告は、東京都の活断層調査の開始や、国の地質調査所に地震地質課ができたのよりも早 く、1974年に活断層の存在を指摘したものであったが、20年後市民はほとんど覚えていなかった。

このことから得られる貴重な教訓として、地震に関する情報は、単に一度提供されればいいという ものではなく、公的な機関などによる系統的な広報活動が続けられていなければならないといえる。
―――――

科学的に解明されて報告書も発表されているものの、それが市民にまで伝わっていない。このことは、科学の成果を市民のために還元することの必要性が高まっているいま、あらためて考えなおすことが求められるものです。

プレート境界や活断層があるかぎり、地震は起き続けるもの。6000人以上の犠牲者を出した大きな地震から15年が経ちました。これは、おなじような大きな地震の発生に15年近づいたということでもあります。

参考文献
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熱として逃げられるより生きかえらせるほうが効率的
電気自動車やハイブリッド車では、車を動かすためにエンジンとはべつにモーターが使われています。車を動かすためのモーターを動かすには、電気が必要です。

そこで、車のなかに電気をどう用意するかが問題になります。電気自動車やプラグイン・ハイブリッド車とよばれる車には、外部からコンセントをさして充電することができ、それをニッケル水素電池やリチウムイオン電池などの充電池にためておくことができます。

また、ハイブリッド車はモーターとエンジンが両方ついているから“ハイブリッド”とよばれているわけですが、このハイブリッド車では、エンジンが電気をつくるための手段になります。ガソリンでエンジンが動き、エンジンで発電して電気をつくり、電気でモーターを動かし、車を動かすわけです。

充電による電気、そしてガソリン発エンジン経由で得られる電気のほか、電気自動車やハイブリッド車には、もうひとつ電気をえるための大切なしくみが備わっています。「回生ブレーキ」とよばれるものです。

「回生」は「起死回生」といった熟語もあるとおり、「生きかえること」を意味することばです。回生ブレーキのなにが生きかえるかというと、「エネルギーが」ということになります。

ふつう、車にブレーキをかけるとタイヤと道路のあいだに摩擦が生じて熱になり、ほぼすべてのエネルギーは熱のかたちで大気に放たれてしまいます。車の立場にしてみれば、エネルギーが自分から離れていき、生きかえらなかったのです。

ブレーキをかけたときにエネルギーが生きかえらず、大気に放たれてしまうのはエネルギーをたくわえるという点ではもったいないこと。どうにかして、ブレーキのときに使われるエネルギーを車のなかで生きかえらせられたら……。

ここで、回生ブレーキの登場となります。

回生ブレーキは、ブレーキのときうまれるエネルギーを電気に変えて、ふたたび電気自動車やハイブリッド車の電気としてつかうための装置です。基本的なしくみは、自転車で考えるとわかりやすいでしょう。



夜、自転車をこぐとき自転車にとりつけられた電灯をつける場合があります。この電気は車輪と連動していて、タイヤが回転すると電気がうまれて電灯がつくようになっています。

電灯がつくようにスイッチオンにして自転車をこごうとすると、電灯スイッチオフのときより、いくぶんペダルが重くなり力が必要になる気がします。これは、気のせいでなく、人がペダルでこいだときのエネルギーの一部が電灯をつけるために電気にかたちをかえて使われているからです。

電灯をつけるために、ペダルがまるでブレーキがかかっているかのように重くなったわけです。

電気自動車やハイブリッド車では、これとおなじしくみを本当のブレーキに使っているわけです。

車輪の回転で生まれるエネルギーを電気のかたちにして奪ってしまえば、車輪の回転はやがてとまります。つまりこれはブレーキがかかっているのと同じこと。ブレーキをかけるとき、できるだけ多くのエネルギーを電気にすることができれば、ブレーキのかかりがよくなるわけです。ブレーキ時のほぼすべてのエネルギーが熱になってしまっていたのが、この回生ブレーキのしくみにより、かなりの分、電気エネルギーにして再利用することができるようになりました。

回生エネルギーは、路面電車やエレベータには使われてきた技術です。これを、電気を使って走る自動車にも応用したかたちです。

運動にも、熱にも、電気にも、さまざまなかたちに姿を変えるエネルギーの特性がいかされています。

参考ホームページ
オートックワン「『回生ブレーキ』とは」
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「双葉山散る」は、18時32分


1939(昭和14)年の1月15日、横綱双葉山が平幕だった安藝ノ海に破れました。大相撲で69連勝をつづけていた双葉山が破れた瞬間です。決まり手は外掛け。

世紀の大一番が行われた場所は、旧両国国技館。京葉道路沿い、本所回向院という寺のなかにある1万3000人収容の巨大施設でした。

当時、大相撲はすでにラジオで実況中継がされていました。ラジオ中継がはじまったのは1928(昭和3年)のこと。中継開始からすでに11年が経った大相撲中継は、おなじみの番組になっていたことでしょう。

それでも、当日の実況担当だったNHKのアナウンサーは、放送席の後ろに控えていた先輩アナウンサーに、「負けたね」と確認をとってから、「双葉散る。双葉散る」とマイクの前で叫びはじめたといわれています。

双葉山が負けた瞬間の時刻は18時32分でした。すでに日が暮れていた時刻です。当時の結びの一番は、18時台をかなり過ぎてから行われていたようです。

いまの相撲では千秋楽をのぞいて結びの一番はだいたい17時55分ごろ。その後、弓取り式を終えて18時にはうちどめ、つまりその日の興業終了となります。 

18時までに相撲が終わるのは、テレビ中継を考えてのことといわれます。1953(昭和28)年、NHKによるテレビ本放送とおなじ年から大相撲のテレビ中継は始まりました。テレビ中継が基本的に18時までに終わるように、取り組みの進行が組まれています。

しかし、「18時までにうちどめ」については、近ごろ「見直すべきではないか」といった声も角界などからあがっています。

土曜、日曜、祝日などの日はともかく、大相撲興業の15日間の大半は平日に行われるもの。平日の18時までといえば、多くの人は会社で働いている時間。大相撲を観るとすれば、午後半休などをとらなければなりません。

貴乃花、若乃花、曙などが活躍していた全盛時代には、それでも平日の満員御礼が続いていました。しかし、近ごろは平日に満員御礼の垂れ幕が下がることは少なくなりました。

そこで、プロ野球やサッカーJリーグなどと同じく、大相撲でも幕内の取り組みを18時、19時、20時台にずらすべきだという声が上がっているわけです。

テレビ中継が始まって2年後の1955年9月場所では、5時半に中入り、8時前に結びの一番という夜間興業が実験的に行われました。背広を着た会社帰りの人びとが蔵前国技館に大勢おしよせていたようです。11日目には、横綱・千代の山と関脇・若ノ花の水入り2度にわたる“引き分け”の一番もあり、うちだしは20時15分になりました。

しかし、夜間興業はこの場所かぎり。すぐに取りやめた理由は、ふだん昼間に相撲をとっていた力士の体調づくりがたいへんだったことと、翌日の朝刊に記事を載せられない新聞社があったことといいます。

当時に比べれば、力士の体調管理の技術も、報道の通信の技術も格段に進みました。夜間興業に立ちふさがった二つの壁は、いずれも乗り越えられそうです。すると、壁は、テレビの相撲中継を19時台や20時台に行えるかといった問題なのでしょう。

人気低迷がいわれる大相撲。実験的にでも夜間興業をしてみる価値はあるのかもしれません。
| - | 21:14 | comments(0) | -
「言葉の重複に違和感」はけっこう少ないほう


対応関係のある表現のなかでおなじ言葉を使うと違和感が生まれます。

典型的な表現は「頭痛が痛い」です。「頭痛」は「頭に発する痛み」のこと。「頭痛が痛い」は「頭に発する痛みが痛い」ということになります。「頭の痛みで試験がうまくいかなそうで参った」というのを表現する場合は「頭痛が痛い」もあるかもしれません。しかし、ふつうは誤まった使いかたと思われます。

他にも「頭痛が痛い」に似た例はあります。「馬から落馬する」とか「現金を入金する」などなど。競馬中継など実況担当が「あーっと誰々騎手、馬から落馬しました」といえば、「ん、なんか変だったな」と感じることでしょう。

では、主語と述語におなじ言葉を使う表現がすべて誤りなのでしょうか。

そうでもありません。

たとえば、「歌を歌う」や「歌歌い」という言葉があります。これは一般的に使われている表現です。「指をさす」も「指を指す」と表現できます。

もっと限定的な例では、「うまい棒がうまい」とか、「激辛ラーメンが辛い」とかいった表現も使われています。

なかなか気付きませんが、ひとつの記事に1個使われるぐらいの頻度で使われるものもあります。「という言葉」です。

「『歌を歌う』という言葉」は「『歌を歌う』と言う言葉」とおなじ。「という言葉」を解きほぐすと、「と言われている、口で言われているもの」となります。

このようなことは考えず、人びとは日々「という言葉」を使っています。

ちまたで使われている表現の中で、対応関係の中でおなじ言葉を使うとおかしいものと、使ってもおかしくないもの。種類も実際に使われている比率も、圧倒的に使ってもおかしくない表現のほうが多いのかもしれません。
| - | 23:49 | comments(0) | -
昆虫と線虫の共同作業で被害


日本を象徴する樹木のひとつにマツがあります。しかし、日本のマツは松枯れの被害が起きています。2007年までに被害報告がなかったのは、寒冷地の青森県や北海道だけといいます。

松枯れは、マツ材線虫病ともいいます。「病」の前に「マツ材線虫」という病気のもととなる虫の名前がついたもの。しかし、病気のしくみはすこし複雑です。

まず、春ごろ、マツノマダラカミキリというカミキリムシが、マツの木ににやってきます。マツノマダラカミキリの学名は“Monochamus alternatus Hope”。“Hope”と付きますが、人間にとって松枯れはあまりいい話ではありません。

マツノマダラカミキリがマツの木にくるのは、小枝の皮を食べるため。じつは、そのとき、マツノマダラカミキリの体の中に入っていた、マツノザイセンチュウというミミズのような形の小さな虫ががはい出してきて、マツの木に“上陸”します。

マツの木に入ったマツノザイセンチュウは、夏ごろに増殖します。するとマツは弱っていきます。

そうこうしているうちに秋になると、また、マツノマダラカミキリがマツの木にやってきました。今度は、自分の卵を産むためです。

マツノマダラカミキリの卵から返った幼虫は、冬にマツの樹皮の内側で蛹になります。すると、その蛹の部屋にマツノザイセンチュウが集まってきます。そして、マツノザイセンチュウは、成虫になって飛び立とうとするマツノマダラカミキリの体に乗り移ります。

こうして春になると、新世代のマツノマダラカミキリはマツノザイセンチュウを体に入れた状態で餌となるマツの木へ。

これで、マツノマダラカミキリとマツノザイセンチュウの四季はひとまわりしました。いっぽう、マツのほうは、つぎつぎとマツノザイセンチュウ入りのマツノマダラカミキリに飛び移ってこられるため、枯れていくことになります。

マツ、マツノザイセンチュウ、マツノマダラカミキリ、そして人。このなかで、松枯れのしくみの全体像を知っているのは、おそらく人だけでしょう。いちばん困るのも人なのでしょう。

参考ホームページ
林野庁「松食い虫の仕組みと被害の対策」
| - | 23:51 | comments(0) | -
目的でも手段でもあるブログ、4周年と1日


当ブログ「科学技術のアネクドート」は、きのう(2009年1月)10日、開始から4周年を迎えていました。今日は4年と1日目。“アラフォー”です。

ブログを続けることに、利点も欠点もあるというのは一般的にいわれること。

利点としてあがるのは、人とのコミュニケーションが得られるという点です。ブログのコメントはもちろん、それ以外の個人的なメールや現実の会話でも、「あの記事、私はこう思った」といったやりとりが繰り広げられます。

受け身な姿勢の物書きにとっては、みずからで積極的に営業活動をしなくても、「ブログを見て、この分野の仕事を引き受けてくれるかどうか、連絡してみました」と、出版社側から連絡がくる場合があります。興味を示してもらうための“置き網”のような営業装置になるということです。

欠点のほうは、意識しなければなかなか気づきません。「ブログを書いている時間に他のことがやれていない」ということです。移動中の電車で記事を書けば、読書の時間は削られます。また、夜中にブログを1時間かけて書けば、睡眠時間が1時間短くなるか、仕事の締め切りが1時間近づくかです。

「ブログにあてる時間は、他のことをしているときと比べて、あきらかに損な時間」と断言する人さえいます。ならば、ブログをやめればいいのではないか、となりますが、「でも、ここまで続けちゃってるんだし、まあ惰性ですよ」。

表面的には「損なことばかり」でも、続ける理由があるからこそ続けているのかもしれません。「なぜブログを書くのか」を突きつめれば、「人はなぜ生きるのか」「生まれてきたからだ」、「人はなぜ山に登るのか」「そこに山があるからだ」といった問いと同様のところにたどりつくのかもしれません。

人がその行為を手段とするか、目的とするかは人それぞれです。このブログは、手段でもあり目的でもあります。

5年目に突入した「科学技術のアネクドート」を今後ともよろしくおねがいします。
| - | 23:13 | comments(0) | -
美人は美人と思われると思われるから美人


ジョン・メイナード・ケインズ(1883-1946)は英国の経済学者。「需要は公共投資などによって作り出すことができるものだ」などという新しい理論を打ち立て、米国のルーズベルト政権が行ったニューディール政策を理論で支えたといいます。

経済史に名を刻むケインズは、投資家、つまり株式などの投機で儲けようとした人だったといいます。

投資をするにあたり、ケインズは「美人投票」のことを頭に入れていたのでした。

彼は、「玄人の行う投資」を「投票者が100枚の写真の中から最も容貌の美しい6人を選び、その選択が投票者全体の平均的な好みに最も近かった者に賞品が与えられるという新聞投票」に見立てたのでした。

つまり、100枚の写真の中から美しい6人を選ぶ新聞投票で、その「美しい6人」はどう選ばれるか、ケインズは想像をめぐらせたのでした。

ケインズによると、「ぼくは、このAさんという娘がいちばん美しいと思う。よし、Aさんに投票しよう」という態度で投票に臨むのでは、そのAさんは選ばれにくいといいます。

そうでなく、「私は、このBさんという娘がいちばん美しいと“投票者がみんな思う”と思う。よし、Bさんに投票しよう」という、一歩引いた態度で臨んだほうがまだましだと考えました。

しかし、それでもまだ足りません。ケインズは著書『雇用・利子および貨幣の一般理論』のなかで、こう述べます。

―――――
ここで問題なのは、自分の最善の判断に照らして真に最も美しい容貌を選ぶことでもなければ、いわんや平均的な意見が最も美しいと本当に考える容貌を選ぶことでもないのである。

われわれが、平均的な意見はなにが平均的な意見になると期待しているかを予測することに知恵を絞る場合、われわれは三次元の領域に達している。さらに四次元、五次元、それ以上の高次元を実践する人もあると私は信じている。
―――――

つまり、「みんなが投票すると思うと思う」ような美人が誰かを考えて、その人に投票することが重要だとしました。こうして選ばれた6人は、「美人である」というより「美人だと思われていると思われている」というほうが当たっています。

美人は美人だから美人なのではなく、美人と思われていると思われているから美人だということです。

この理論が、株式の投資にも当てはまるとケインズは考えたのでした。かんたんにいえば「自分が買いたい株を買う」のでは儲からず、「みんなが買うだろうと思うと思う株を買う」ほうが儲かる、ということになります。

有望株は有望株だから有望株なのではなく、有望株と思われると思われるから有望株だということになります。

こんなことを考え、著書に「美人投票」の喩えまで使ってこの理論を主張したケインズですが、彼は投資で儲けたのでしょうか。

英国経済史家のロバート・スキデルスキーが書いた評伝『ケインズ』によると、1921年から1922年にかけて、ケインズは3回の巨額な投機に成功して、10万ポンドほどを稼いだといいます。1万6000ポンドだった資産は、死ぬときには41万ポンドになったいともいいます。

儲けたのですね。

いまでは、ケインズのこの理論は経済学で「美人投票」という名前がついた理論になっています。

参考文献
ジョン・メイナード・ケインズ『雇用・利子および貨幣の一般理論』
ロバート・スキデルスキー『ケインズ』
鈴木芳徳『ケインズ「美人投票論」の謎』
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“展開”をあたえられると嬉しい記者たち


雑誌記者は、編集者から「次のテーマはエコカーで」などと主題があたえられると、自動車の技術開発者などに取材を試みることになります。雑誌の記事づくりに“取材”は欠かせません。

「取材しなくても、公表されている技術報告書などをもとに記事をつくれるのでは」という考える人もいるでしょう。しかし、なかなかそうはいかないもの。すでに報告書として出ているものは、雑誌に載せるには古い情報も含んでいます。“いま”がどうなっているかを知るには、昨日もその現場に立っていた人物の話をうかがったほうがいいのです。

臨場感を出せるのも取材の効用。「技術開発者の豊田さんは、『ライバルには負けたくないと言う思いがあった』と話す」とか「いっぽう、ライバル企業で働く本田さんは『われわれは意識していなかったなぁ』と素っ気ない」とか、生の声を記事で紹介することで記事に生々しさをあたえることができます。

上の例のように、業界の複数の企業を取材することもしばしば。

依頼内容や取材時間にもよりますが、だいたいどの企業も「そもそもエコカーの歴史が始まったのは」などと、記事の対象とする製品の開発の歴史を話してくれます。

そうしているうちに、「うちの会社でもエコカーの開発の気運が高まっていき、技術チームを結成しました」などと、自社がどのようにその製品に取り組むようになったのか、自社側の話に移っていきます。技術開発における突破口や、ほかの企業の製品より優れている点などを説明してくれます。

ほかの企業への取材でも、だいたいおなじような取材の展開になります。その製品そのものの開発史の話から始まり、そのなかでの自社製品の登場や位置づけ、特徴といった具合に話は進みます。

材料を得られたところで、記事づくりの構想へ。はじめから記事のくみたてかたを決めて取材にのぞむ用意周到な記者もいますが、たいていの記者は複数社への取材を終えたあと、記事のくみたてかたを考えます。

ここで、記者はどの企業の製品開発を中心とした記事にするかを考えます。豊田さんが語っていた技術を中心に据えるか、それとも本田さんが語っていた技術にするか、はたまた……。

こうしたとき、記者が決め手にするひとつに「記事にしたてやすい筋書きや物語を示してもらったかどうか」があります。

製品の歴史においては発明者についての逸話や、製品が普及しはじめた時代背景なども紹介し、自社開発の経緯については、技術開発の苦労や突破口などを段階を追って紹介する……。こうした一連の流れの中で製品を示されると、「あの企業での話は、話の展開があったな」という印象をあたえ、「よし、あの企業の製品を中心にして記事を組み立てるか」となるわけです。

いっぽう、話に流れがなかったり、聞いたことに対してのみ答えをもらう、といった取材である場合、「あの企業からは少ししか話してくれなかったので、脇役として据えよう」となります。

記者は記事を書くときに“とっかかり”を求めるもの。“取材慣れ”している企業は、そのとっかかりを記者にあたえ、結果として自社製品を大きく取り扱うこともしています。
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「航空100年」羽田の管理も一新へ
今年2010年は「航空100年」とばれています。100年前に1910年(明治43)に、陸軍工兵大尉の徳川好敏と陸軍歩兵大尉の日野熊蔵が1910(明治43)年12月、東京・代々木練兵場ではじめて動力機による公開飛行を行ったからです。

この「航空100年」を機に、“空”をめぐる動きが活発になりそうです。

東京国際空港は、東京・大田区にある飛行場。「羽田空港」の名前でよばれています。羽田空港では、「D滑走路」とよばれる新しい滑走路が2010年10月末までに使われはじめます。

建設中のD滑走路

D滑走路は、これまでの羽田空港の島の突端に新しくつくります。連絡誘導路という橋でつなぐもの。埋め立て部分とともに、桟橋部分をつくって、近くを流れる多摩川の水の流れを変えないようにしています。

いま羽田空港では、飛行機発着のある時間帯で、1時間あたり31便が発着できる状況。D滑走路が使われ拡張すると、これが40便に増えることに。およそ1分に1便が飛び立ったり降りてきたりするわけです。

発着する飛行機の管理もいまより大変になります。そこで、新管制塔が建てられました。

新管制塔

管制塔は、飛行機の発着についての許可や指示を出す場所。コンピュータによる管理もしていますが、管制官の肉眼ももちろん重要。空港全体を見渡せるよう、塔の上に設置されます。

これまでの管制塔は高さ77.6メートル。いっぽう、新管制塔は115.7メートル。これは、成田空港の87.3メートルを超えて、世界3番目の高さ。新管制塔が使われはじめると、ここで、すべて羽田空港の滑走路と飛行機の管理が行われることになります。

羽田空港の機能や飛行機の運用を管理している国土交通省東京都航空局東京空港事務所の古殿嵐さんは、「羽田空港を離発着する飛行機の数は年々増えるいっぽうで、われわれ職員の数は減ってきている。コンピュータのシステムがそれを補っている状況」と話します。

この記事は、日本科学技術ジャーナリスト会議主催の羽田空港新管制塔見学会の内容をもとにしています。
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病院では略語が飛び交う。
MRI画像

医療の世界には、さまざまな略語が存在します。「オペ」は「オペレーション」。「カテ室」は「カテーテル室」。

命のために一刻をあらそうような場面では、長いことばより略語のほうが機能的という側面もあるのかもしれません。

医療の世界だけではありませんが、英語のことばの頭文字をとって、2字や3字や4字で表す表現もひんぱんに見られます。

MRIは、“Magnetic Resonance Imaging”の略。日本語にすれば「磁気共鳴映像法」。患者の体に電磁波をあてます。患部に存在する水素原子などに核磁気共鳴を起させます。これで輪切りの撮影をします。どんな角度からの画像も得られるのが特徴です。

CTは、“Computerized Tomography”の略。「コンピューター断層撮影」のこと。内臓や冠動脈などの撮影したい部位に対し、断層像を撮影します。いまの診断法の標準的な技術です。

IVUSというのもあります。“IntraVascular Ultra-Sound”の略。日本語では「血管内超音波」。カテーテルという血管に入れる細い管の先端に、超音波の探触子を付けます。カテーテルを血管内に入れます。血管内の様子を画像化します。観測範囲の広さが特徴。

OFDIも血管に関する機器の名前の略語。“Optical Frequency-Domain Imaging”がもとで、日本語にすると“光周波数領域画像”となります。光ファイバを血管の内側に走らせます。これで画像を得ます。IVUSより質のよい画質が得られます。しかし観測範囲は限られます。

今後もこうした略語がつぎつぎと現れてくるでしょう。それは、医療技術の開発が起こり、その技術が医療従事者に定着する証拠でもあります。


| - | 20:08 | comments(0) | -
書評『生きがい。』
2008年に75歳でエベレストに登頂した三浦雄一郎さんの人生論です。



著者・三浦雄一郎は日本屈指の登山家でありプロスキーヤー。脚で山に登り、スキー板で山から滑りおりる。1966年には無謀といわれていた富士山直滑降に成功。1985年には、世界初となる七大陸最高峰スキー滑降を達成している。

ところが、それ以降、ぱたっと登山やスキーの記録がなくなる。著者は「いつしか心の中から冒険心が失われて」いたと振りかえる。

一時期は友人に誘われるがままに飲んでは食べ、体重は86キロに。しかし、99歳になる父がアルプスのモンブランでスキー滑走を成しとげる姿を見て、「僕も奮起しないわけにはいきません」。これが、2003年の70歳、そして2008年の75歳でのエベレスト登頂への一念発起のきっかけになった。

講演会などでは、“非のうちどころのない冒険家”という目で見られることがほとんどだろう。しかし、本書ではむしろ挫折と復活の繰りかえしの人生がつづられている。

スコーバレー五輪の選手選出直前まで進みながら、選手の選抜方法に異議を唱えたため永久追放に。闇雲なサラリーマン生活をしていたなかで米国の賞金スキーレースの話を聞いてやる気の火がつきプロを目指すことに。長いブランクのあとのエベレスト登頂も同様だ。まさに“谷あり山あり”の人生。

この著書が出たのは著者が75歳のとき。年齢を積みかさねた高みに立っつからこその言葉も多い。“老い”を前むきに捉えるという考え方もそのひとつだ。

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老いという言葉には、なんとなくマイナスのイメージがあります。
しかし、労健や老巧という言葉があるように、これまで積み上げてきた経験はうまくつかえば社会のプラスにもなるのではないでしょうか。
―――――

山登りにも、老いたからこその楽しみかがたあるのだという。

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若いころ、1時間で登れた山が、今では3時間かかるようになった。
それを嘆くのではなく、できれば変化を楽しんで、景色をゆっくり眺めたり、早足では気づかない路傍の花に目を止めたり、時間をかけて自分にできることを考えてみればいい。
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何歳になっても、本当は何事も楽しむことができる。それは心次第なのだということを著者は「生きがい」ということばに乗せて伝える。

随所に息子・豪太氏から見た父・雄一郎の像が描かれており、小気味よくページは進む。また、雄一郎の部分は本人の執筆でなくライターによる聞き書きだというが、逆にその方法をとったことにより、赤裸々で誇らしくもある人生についての語りが強まっている。

『生きがい。』はこちらでどうぞ。

三浦さんの75歳にしてのエベレスト登頂は、2009年度のギネスブックに認定されました。ところが、つい最近の2009年11月、ネパール人男性が76歳でエベレストに登頂していたことがギネスに認められることになり、三浦さんの世界記録は消えてしまうことに。

しかし、三浦さんは「なぜ一所懸命トレーニングするかといえば、他人に勝ちたいからではなく、やはり過去の自分に克ちたいからです」とこの本で述べています。自分の限界に挑戦し、それを乗り越えたことの価値は変わらなさそうです。
| - | 14:17 | comments(0) | -
対照的。磁気共鳴型非接触充電の企業競争(2)
 磁気共鳴型非接触充電の技術開発をめぐっては、日本と米国のあいだで熾烈な競争が始まっています。その競争に参加する企業は、日本と米国とで対照的。たとえていうなら、「地元企業対世界企業」といったところ。

まず日本。長野日本無線という企業が長野市にあります。情報・通信、メカトロニクス、電源・エネルギーなどの事業を中心とする企業で、1949年に設立されました。従業員は800名ほど。

同社のホームページを見ると、信州の高い山々に囲まれた信州の土地に根づいた企業であることが伺えます。社長の命か、優秀な社員の発想か、会社の展望台からの360度の眺望を見渡せる「パノラマバーチャル体験」といったサービスもしています。

信州のまじめな企業という雰囲気のある長野日本無線は、昨2009年8月、「無線給電システムの開発に成功」という報道発表を出しました。

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送電側リングから受電側リングまでの電力の伝送距離を数十センチ〜1メートル程度(伝送距離40センチで伝送効率:95%)と飛躍的に長くすることを可能としました。

また、多様な位置関係での装置間(平行に置かれた送受電リングの中心軸が数十センチずれた 場合や、リングの対抗面が垂直な配置など)でも自動制御により高効率な無線給電を可能としました。
―――――

長野日本無線が開発した試作機は「信州環境フェア」にも展示されました。

長野日本無線が開発した無線給電システム、平行な配列例

平行な配列例

さて、いっぽうの米国。磁気共鳴型非接触充電の技術開発に積極的なのは、「インテル入っている」で有名なインテル・コーポレーションです。半導体世界最大手で、従業員は8万人を超えます。本社は米国カリフォルニア州サンタクララ、いわゆるシリコンバレーにあります。

インテルは、自社が開発した技術を開発者向けに披露する「インテル・デベロッパー・フォーラム」という催しものを定期的に開いています。2008年11月の催しもので、磁気共鳴型非接触給電装置を発表しました。最高技術責任者のジャスティン・ラトナーが、電源プラグや電線を使わず60ワットの電球を点灯させました。

さらに2009年8月には、「リサーチ・アット・インテル」という別の自社主催の催しもので、送信される電力に音声を乗せて送るという実演をしました。技術の進歩を見せつけたかたちです。

インテルは磁気共鳴型非接触給電技術について、次のような見通しを発表しています。

―――――
インテルの研究者は,モバイル機器からコードをすべて無くし,インテルのプラットフォームにワイヤレスで送電する方法を開発したいと考えています。
―――――

インテルは、この技術を“WREL”と名づけて売り出し中。“Wireless Resonant Energy Link”の略で、日本語にすると「ワイヤレス共振エネルギー・リンク」となります。

もちろん、磁気共鳴型非接触給電の技術開発を進めているのは、長野日本無線とインテルのみではありません。

この原理の発明者であるマサチューセッツ工科大学のマリン・ソウルヤチーチは大学発ベンチャー「ウィトリシティ・コーポレーション」を起業。「ウィトリシティ」は“Wireless Electricity”の略語。将来像が企業名に刻まれています。電気自動車のほか、テレビ、携帯電話、産業機器、ロボットなどさまざまな分野への応用を目指すといいます。

また、米国のクアルコムという企業も、磁気共鳴型非接触給電システム「eZONE」を開発中です。

地元企業色の強い長野日本無線に対して、世界企業のインテルや“生みの親”がいるウィトリシティなどなど。日本対米国の磁気共鳴型非接触給電をめぐる争いは、これからさらに加熱しそうです。(了)

長野日本無線の報道発表「無線給電システムの開発に成功」はこちら。
インテルの報道発表「“最後のコード”を切る:ワイヤレス電力」はこちら。日本語訳。
| - | 23:55 | comments(0) | -
対照的。磁気共鳴型非接触充電の企業競争(1)
電気コードなしで充電や給電をする方法は「非接触充電」や「非接触給電」などとよばれています。先日、「“触れ合い”なしのエネルギー補給」という記事で、その便利さをとりあげました。

ふたつの離れたコイルのうち、どちらかに電流を流すともうひとつのコイルにも電流が流れる「電磁誘導」という現象を使う方法を、その記事では紹介しました。

非接触給電のやりかたは、電磁誘導型だけではありません。「磁気共鳴型」とよばれるものも開発されています。

「共鳴」というと、だれかが「ぼくはこう思うんだ」と言いだすと、ほかの人が「ああ、俺もそう思うよ」「あたしも」「ぼくも」と同感しあって力がわいてくるような語感があります。

「磁気共鳴」もこれに似たもの。ある原子核が特定の周波数の電磁波を与えられると、刺激をあたえた側の電磁波と相互作用を起こし、電磁波を強く吸収することができます。

ギターの音階調整で使う音叉を鳴らしてからもうひとつの音叉に近づけると、もうひとつの音叉も鳴りはじめる、といったものも「共鳴」のひとつです。

磁気共鳴の原理を利用して、離れた二つのアンテナ間で電気をやりとりするのが「磁気共鳴型非接触充電」です。

電気を送る側にも電気を受ける側にも、コイルを輪っかにしたようなアンテナを用意します。これで、電気を送る側のアンテナに電流を流すと磁場の振動が発生し、電気を受ける側の回路に振動が伝わります。こうして、送る側から受ける側に電気を送ることができます。

磁気共鳴型非接触充電のしくみでかなり離れた二つの場所で電気を送ることに成功したのは、ごく最近の2007年6月。米国マサチューセッツ工科大学(MIT)のマリン・ソウルヤチーチ教授らが2メートル離れた電球に無線で電力を送って明かりを付けることに成功したことを発表しました。


送電成功を伝えるマサチューセッツ工科大学の発表

もちろんこの成果は、ただの純粋な科学的興味から起きのではありません。ここから“実用化”にむけた熾烈な企業間の競争が始まっているのです。

じつは、日本企業と米国企業の開発争いは、ある意味で非常に対照的です。つづく。
| - | 23:39 | comments(0) | -
書評『寿命はどこまで延ばせるか?』
PHP研究所が、PHPサイエンス・ワールド新書という新書シリーズを2009年9月に発刊しました。この本は、その第一弾の5冊の中の1冊です。


最近は、地球環境問題の“ウソ”をめぐる議論などでもしばしば登場する著者だが、もともとは生物学者。そして、さらに元をたどれば生物の高校教師。だからかは定かではないが、寿命をめぐる話は幅広く、かつ、語り口は快調だ。

編集者「池田先生、『寿命はどこまで延ばせるか』について書いてくださいよ」
著者「よし、わかった。じゃあ、これまで集めてきた資料とかも含めて、書いてみるかな」

こんなやりとりで企画が始まったのだろう。書名にある「寿命はどこまで延ばせるか」について、最後のほうではきっちりと著者の結論が示されている。その結論を紹介してしまえば、“ほぼ不可能”といったところだ。

ヒトが死に近づく原因はさまざま。たとえばがん、たとえば活性酸素の発生、たとえば細胞内に蓄積するゴミ、たとえば糖化最終産物とよばれる物質の蓄積、などなどだ。その一つ一つを著者は検証していく。

たとえば、がんについては、転移さえしなければ除去手術をすればよいのだから、死への危険は免れるという。悪性のがんは基底膜のコラーゲンを溶かす酵素をつくることで転移をするのだとう。だから、このコラーゲン分解酵素を無効にする物質をがん細胞に送り込めばよい。しかし、「難しいのは、この物質が見つかったとして、これをいかにして首尾よくターゲットのがん細胞に送りこむかである」。

ほかにもがんの原因はある。ふつうの細胞ではDNA末端のテロメアという部分が細胞分裂のたびに短くなり分裂回数の限界を迎えるのだが、がん細胞のテロメアはテロメアーゼという修復屋がとてもよくはたらいてしまい、分裂限界を迎えさせないのだ。だから、テロメアーゼをはたらかさなければがんは無限増殖しない。しかし、「テロメラーゼの抑制が全身の細胞で起きると、がんは殺せても大変やっかいなことになる」。

そもそもヒトを含む真核生物は、進化の過程で偶然にも寿命というシステムをもってしまったらしい。だから、寿命を引き延ばそうとするほうが、かえって摂理に反することになる。

この「摂理に反する」ということの説明のしかたが、著者独特だ。自然という観点と、社会という観点の両面から、寿命の延長には無理があるという説明をあたえている。

反ダーウィン主義者で知られる著者は、「生物にとって最重要な課題は、動的平衡を保つシステムを細胞分裂を通して次々に伝えていくことである」と述べる。分子どうし結合や分解を繰りかえしながらも、生命全体のシステムは保たれている状態が動的平衡だ。

―――――
個々の分子は不変のまま留まることは許されない。個々の分子が同じ化合物として同一性を保てる期間を「寿命」と呼べるならば、生体システム内の分子は必ず寿命をもち、しかもその寿命は極めて短い。動的平衡を保つためにはシステム内の分子が寿命をもつことが必須の条件なのだ。個々の分子が定まった寿命以上に長生きするとサイクルはストップして、生物は死んでしまう。
―――――

社会的な観点からの説明は、本書では“落ち”に近い。事故死や自殺などを除いて、いつまでも人々が寿命が来なくなった未来の状況を空想的に描いている。

―――――
いちばんの問題は、社会のトップにいる人々が権力を握ったまま、なかなか引退しないことだろう。たとえば、三十歳で当選した議員が九十歳になってもまだ引退しないで頑張っているとか、五十年も同じ人が社長をやっている会社が出現するとか、あるいは、学界を牛耳っているボス学者が老害を撒き散らし、いつまで経っても居坐っているとか。いろいろなことが起きるだろう。
―――――

いまでさえ垣間見れるようなことが、寿命が延びる社会ではより鮮明になるということかもしれない。

年間死亡率が0.1%の世の中では、半分の人が690歳まで生きることになるという。つまり平均寿命は690歳だ。

「そんなに生きのびてどうするよ」か、「いや、そこまで生きられれば本望」かは読者次第かもしれない。しかし、人間の時間に対する感覚はそんなに急には進化しないだろうから“暇”であることはたしかかもしれない。その時代には、新たな悩みが起きそうだ。

『寿命はどこまで延ばせるか?』 はこちらでどうぞ。
| - | 23:57 | comments(0) | -
2010年も科学、技術、カレー……


科学技術のアネクドートは、2010年も科学技術の話題を中心に、単発記事や企画・連載記事を伝えます。企画・連載企画は、ひきつづき次のものを用意しています。

sci-tech世界地図

世界の科学にまつわる場所に焦点をあてて、その場所でどのような“科学技術の事件”が起きたのかを伝えます。時間を軸にした科学史とは異なり、場所を軸にした科学技術の世界地図です。

書評

科学技術を伝える手段のひとつが本。本は、媒体の中でも「自分から読むことを求め、自分から文章をたどる」というきわめて能動性のたかいものです。みなさんの本えらびの参考となるべく、新旧古今東西の科学書を中心に本を評していきます。

カレーまみれのアネクドート

科学技術とはほぼ関係ありません。名高い店や知られざる店のカレーや、日本のカレー文化に関する話題などを紹介しています。2007年9月に第1回として、「メーヤウ早稲田店の『インド風チキンカレー』を紹介してから、2009年12月の「もうやんカレー池の『ビーフカレー』」をとりあげるまで18回を重ねました。まだまだ全国には名だたるカレー店がたくさんあります。全国のカレーの深い味わいを2010年も紹介します。

科学技術の話題も、科学的発見に焦点をあてたもの、人に焦点をあてたもの、組織や制度や法律などに焦点をあてたもの、さまざまあります。新聞や放送ではとりあげないような話題、切り口、視点の数々を提供していきます。

2010年もどうぞよろしくお願いします。
| - | 23:27 | comments(0) | -
2010年は国際生物多様性年


今年2010年は、国連が「国際生物多様性の年」と定めています。

「生物多様性」は、いきものが分化・分岐してさまざまに異なる状態をあらわしたもの。地球にいるいきものの種類が多ければ多いほど、地球はいろんな意味で反映するという考えかたにもとづいた概念です。

2010年が生物多様性の年になったのは、2002年の国連の会議にさかのぼります。会議で「2010年までに各国が生物多様性の損失の速度を大幅に減らす」という目標が採択されたのです。10月には名古屋で第10回となる生物多様性条約締結国の会議も開かれます。

生物多様性が大切に思われるようになったおもな理由は、人間が地球のすみずみまで進出して、その土地のいきものたちの生き方に影響を与えたからです。

そのため、生物多様性をめぐっては、こんな会話が繰り広げられます。

「生物多様性を守るにはどうしたらいいんだろう」
「かんたんじゃないか。人間がこの地球からいなくなればいいのさ」

たしかに人間の土地開発によって、自然が荒らされたという点はあるのでしょう。人がいなくなれば、人という種が存在しなかったころの生物多様性が取りもどされるのかもしれません。

しかし、人も生物多様性をなりたたせている一要素である、という考え方もあります。

身近な例では、日本におけるいきものの反映ぶりは、日本にいちはやく人が住みついたからという説があります。

朝鮮半島から人が日本にわたってきたのは3万2000年前とされます。このころは大陸と日本は陸続きでなく離れていたので、人々は船で上陸したと考えられます。

日本にやってきた人たちは、多かった森林を焼いて生活していたとされます。木を切ることによって炭などの燃料を得ていたのでしょう。こうして日本では、人の手によって少しずつ草原が広がっていったといいます。

その後、日本列島と大陸は一続きになっていた時期がありました。人の手によって広がった草原に、それまで日本にはなかった新しい種類の植物が入ってきて、日本の生物多様性が生まれたといいます。

その後も人は森林をほどよい量、炭に変えていくことで長いこと生物多様性の均衡は保たれてきました。その均衡は、ここ30年で崩れてきたといいます。日本の人びとが炭に頼らない生活をしはじめたからです。

地球の自然における種としての人間の役割とはどのようなものか。「国際生物多様性の年」でその議論が深まるかもしれません。

国際生物多様性年のホームページはこちら(英文)。

参考文献
内閣府みどりの学術賞「『命をつたえる』矢原徹一」

| - | 23:52 | comments(0) | -
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