科学技術のアネクドート

不況が可塑性をあたえる。

2009年があと数十分で終わろうとしています。今年はどんな年でしたか。

このブログの1月1日の記事に「2009年は『何々どころではない』という言葉が街のあちこちで聞こえるようになるのではと言われています」ということが書かれてあります。

「広報誌を作っているどころではない」「社会貢献を謳うどころではない」「慰安旅行どころではない」……。

実際にこのようなせりふを誰かが言っているのを聞いたり、あるいは自らで発したりした人もいたことでしょう。意思決定者にとって投資の優先順位が低いものから資金を削っていく。2009年の象徴的なできごととなった「事業仕分け」でも見られたことです。

しかしながら、景気はいつか回復するもの。これは過去の歴史が証明しています。もっとも、哲学者のカール・ポパーにいわせれば、過去がそうだったからといって未来もそうであるとはいえないようですが。

科学技術の世界では、よく「可塑性」や「不可逆性」といったことばが使われます。可塑性は、指で押した粘土のへこみがそのままであるように、外力を取り去っても変形したものが元に戻らない性質を示しています。不可逆性も似た意味で、逆戻りすることができないことをいいます。

2009年を通じて抜けきらなかった不況は、さまざまな分野に可塑性や不可逆性を与えているといわれます。

たとえば、広告。雑誌やインターネットなどのマス媒体が得ていた広告収入についても可塑性を指摘する人がいます。つまり景気が回復して、2008年秋リーマンショックが起きる前の経済状況に戻ったとしても、企業は雑誌やインターネットなどに広告費を元のようには投じないのではないか、ということです。

産学連携もそうです。好景気だったとき企業と大学は、“お付き合い”の意味も込めて共同研究の看板を掲げていたこともありました。しかし「お付き合いどころではない」いまの状況では、企業は株主からの視線もあり、寄附講座のようなものを新たに提案しづらいもの。こうして、不況を機に産学の協力関係は変質していくという見方もあります。

可塑性が指摘される分野の現場にいる人びとにしてみれば、事業形態の変更も考えなければならい深刻な問題です。

しかしながら「必要は発明の母」ともいいます。厳しい状況は、広告主や消費者はなにを求めているのか、本当に機能する産学連携とはどういうものか、といったことを真剣に考える機会にもなりそうです。

2010年以降、不況の波はかならず去ることでしょう。波が去ったあと、何が残り、何が残らなかったか。その見極めは、2010年の社会テーマのひとつかもしれません。

今年も「科学技術のアネクドート」をお読みいただき、ありがとうございました。よい年をお迎えください。
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“声なき声”には心寄せ、“残された声”には耳傾け――長崎とアトム(17)


科学技術のアネクドートでは、今年2009年夏に「長崎とアトム」というテーマの記事をこれまで16回にわたって連載しました。

原子爆弾が投下された“爆心地”に、終戦直後の一時期「アトム公園」というよび名がついていたという史実をもとに、当時の長崎市民や米国軍の精神性に迫りました。

長崎の爆心地は、「アトム公園」とよばれた1940年代後半の時期を経たのち、原爆の実相を伝え、世界平和と文化交流をはかる目的の「平和公園」として整備されました。1951年のことです。

爆心地をアトム公園とよび、その土地を平和公園とよびなおしたのは、原子爆弾の犠牲から免れ、生き残った人たちです。犠牲になった人々は、長崎の復興を向こうの世界から見届けていたのでしょう。

死没した人たちに、当時の長崎の様子を聞くことはできません。しかし、その “声なき声”に、心を寄せることはできるのかもしれません。

長崎の爆心地から歩いて5分ほど、小高い丘の上に「国立長崎市原爆死没者追悼平和祈念館」という施設があります。原爆関連の公共施設というと、長崎原爆資料館がよく知られていますが、平和祈念館は原爆資料館のとなりにあります。

平和祈念館は、原子爆弾により亡くなった人たちの犠牲を銘記し、恒久平和を祈念する目的でつくられた施設。2003年7月に開館しました。

地下の入口へと通じる地上の回廊の内側には豊富な水がはられています。原子爆弾投下直後、長崎や広島の人々は水を求めながら倒れていきました。この水には、人々に水を賜う意味が込められているといいます。


地下の館内には追悼空間があります。追悼空間には12本の光を発する柱が立っており、原爆死没者の名前が記された150冊、14万9266人分の名簿がおさめられています(2009年8月9日現在)。

原子爆弾の投下は、人々の命だけでなく、顔、表情、体つき、その人がその人である証拠をも奪いました。ほとんどの遺族は、亡くなった家族の遺体を見つけることができませんでした。

しかし、名前と記憶は原子爆弾によっても消し去られません。長崎と広島の原子爆弾投下時の状況を知っている遺族や市民たちは、この空間に立つたびに当時の記憶がよみがえるのでしょう。

追悼平和祈念館の役割は、「平和祈念・死没者追悼」だけではありません。

「被爆関連資料・情報の収集および利用」も役割のひとつ。被爆者の証言や、原子爆弾にまつわる詩を映像で見ることができます。これからも被爆者たちの体験談を収集していくことでしょう。

また、「国際協力および交流」も役割のひとつ。資料や館の案内を世界各国語に翻訳して情報提供をしたり、原子爆弾に対する価値観が日本とは異なる米国や欧州などで、日本発の企画展やシンポジウムを開くなどして国際交流をはかっています。

祈念館の職員・伊奈俊信さんは「被爆者の子どもにあたる“被爆2世”もいまでは50歳から60歳台。そうした方々に、親が生きていた時代とはどういったものだったのかを知っていただきたいし、お祈りもしていただければ」と話します。

時は流れていくもの。被爆2世が50歳から60歳台なのですから、長崎・広島で被爆を経験した方々の高齢化ももちろん進んでいます。直接的な証言を得られる時間は長くは残っていません。原子爆弾の投下直後の様子を伝える証言にくらべて、都市がすこしずつ機能を回復し、復興へと向かっていく時期の様子を示す証言は、さほど収集が進んでいないといいます。

被爆、混乱、占領、復興、平和。断片的に語られることの多いこれらの過程が一つにつながったとき、新たな価値が生まれてくるのかもしれません。

長崎は原子爆弾投下から65年目の新たな年を迎えようとしています。(了)

国立長崎原爆死没者追悼平和祈念館のホームページはこちら。
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物書きを分化・未分化の細胞でたとえる。

いろいろな職業には、対象となる分野があり、その分野に得意な人と苦手な人がいます。

小学校の先生はいわゆる国語、社会、数学、理科などの4教科が教える対象としてあり、国語を教えるのが得意な先生もいれば、理科を教えるのが苦手な先生もいます。

物書きもすべての分野が書く対象となります。社会科学を書く対象にしている人もいれば、自然科学や技術を書く対象にしている人もいます。

しかしながら小学校の先生と少し異なるのは、自分が職業として関わる対象範囲を自分で設定できる点です。「生物全般のことを書きます」と自分を設定する人もいれば、「生物の分野のなかでも分子生物学について書きます」と自分を設定している人もいます。

自分の対象分野を広くしている人は「あの人だったらこの分野も書けるんじゃないか」と思われることになり、分野を絞り込んでいる人は「あの人だったらこの分野は深くほり下げて書けるんじゃないか」と思われることになります。対象を広くしている人のほうが逆に絞り込んでいる人よりも勉強して精通している場合もあったりはしますが。

ある物書きは、物書きが関わる対象範囲のあり方を「細胞」に喩えます。人の細胞は、骨や皮膚や臓器などのさまざまな器官になっています。しかし、元をたどれば、これらの器官に分化する前の“未分化”の状態にあるわけです。この“未分化”状態があることを利用して、さまざまな器官になるよう細胞を誘導するのが胚性幹細胞(ES細胞)や人工多能性幹細胞(iPS細胞)です。

つまり、「私はこの分野ならば書くことができます」という人は、分化の過程が終わり、すでにある器官の一部となっている細胞のようなもの。いっぽう、「私はどんな分野にも書いているんです」という人は、あるときは骨に、またあるときは心臓に変わりうる未分化の細胞のようなもの。

未分化状態を人の手でつくり出すiPS細胞は「万能細胞」とよばれることもあります。この言葉の印象からすると「どんな分野にも書いているんです」という未分化細胞型の物書きのほうが、万能のように聞こえます。

このたとえでいえば、未分化細胞型の物書きは、様々な細胞に化けることできる、つまり様々な分野の記事を書くことができる、なにかの能力をもっていることになるでしょう。書くと決まった分野を調査する能力、取材する能力、あるいは何でも好奇心をもつという能力かもしれません。

しかしながら、いっぽうで未分化型の細胞は、望んでいる器官に分化しなかったり、がん化したりと、医療で使うにはまださまざまな問題も抱えています。

これも、技術の内容に迫るはずの記事が産業の枠組みを紹介する記事になってしまったとか、書き手自身の主張が強く暴走してしまったとか、そうしたことにたとえることができるといいます。

さまざまな器官になる能力を活かしながら、問題なく望んでいる器官になるようにもっていく。広い分野に書くことを自分で設定している物書きも、おなじことが求められているようです。
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内側の斑点は病のしるし


人の脳の断面図を見たことがあるでしょうか。灰色の部分と白い部分とにわかれていることがわかります。

灰色の部分は「灰白質(かいはくしつ)」といいます。ここには五感などの刺激を情報としてやりとりする神経細胞が集まっています。

いっぽう、灰白質の内側にある白色の部分は「白質(はくしつ)」といいます。ここは、主につぎの神経細胞に情報を伝える部分である軸索や、神経細胞の支援役ともいわれるグリア細胞といった物質でできています。

この白質に異常が見られることがあります。白質に斑点模様が見られたり、また、斑点と反転が結びついて異常な模様が広い範囲にわたったり。こうした白質の異常が何らかの病気を引き起こすことを「白質病変」といいます。

白質病変が深く関わっているとされる病気の代表例が「アルツハイマー」です。認知症のひとつで、めまい、ふらつき、軽い頭痛などの初期症状からはじまり、物忘れ、知能低下、感情の鈍り、気分の異常などへと進み、しまいには全身の衰弱で死に至ることがある病気です。

アルツハイマーには、側頭葉という脳の部分の内側で細胞の萎縮が起きることがおもな原因とされています。しかし、側頭葉の萎縮に白質病変が加わると、アルツハイマーになる率が単独よりも高くなるという報告があります。

さまざまな医学研究の結果、白質病変は「脳の虚血」によってもたらされるようだ、ということがわかってきました。「虚血」とは、字のごとく「血」が「虚(から)」になること。さらに脳の虚血は、高血圧や糖尿病などといった代謝症候群の要素により引き起こされる場合が多いことも明らかになってきました。

高血圧も糖尿病も血管の傷みや詰まりを引き起こす原因となる病気。脳にはすみずみまで毛細血管が行きわたっているため、高血圧や糖尿病で白質まで血が届かなくなることが考えられます。認知症と代謝症候群にも関係性があるといえます。

参考文献
中尾慎一 宮本悦子 阪本幸代 新宮興「脳虚血における白質病変の重要性」
横手光太郎 曽根崎桐子 齋藤康「生活習慣病と脳皮質下白質病変」
正名好之「生活習慣と脳の老化および脳卒中」
葛谷雅文 鈴木裕介 長谷川潤 井口昭久「認知症における白質病変と精神運動速度の関連」
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“前向き”な研究、日本でも


医学研究機関や製薬企業などは、人々のふだんの生活が病気とどう関係するかを調べて、その結果を医療や新薬の開発に活かしています。市や町などの地域住民が、自分たちの病気や健康についての統計調査に参加します。

ある一人の人が何かの病気にかかっても、その原因がなんだったのかはよくわからないことがほとんどです。病気の原因がいろいろあるからです。脳卒中になったのは、たばこの吸いすぎだからか、生活習慣の乱れがあったからか、ほかの原因か、一人の生活を見るだけではこれだ、ということはいえないのです。

しかし、多くの人を対象に調べれば傾向が見えてきます。たばこを何本吸う人はこんな病気にかかりやすいとか、酒を何合飲む人はこんな病気にかかりやすいとか、そうしたことがわかってきます。

このような集団を対象に統計的に原因を明らかにする調査を「疫学調査」といいます。

その地域に住んでいない人々にはあまり知られていないかもしれませんが、日本でも一つの自治体の住民を対象とした疫学調査が行われています。

なかでも大規模なものは「久山町研究」とよばれるもの。福岡県の久山町という人口8,000人ほどの町の40歳以上の住民を対象に、脳卒中や心血管疾患などの血管病の原因を調べるものです。歴史は古く1961年から始まり、いまも続いています。九州大学、久山町、塩野義製薬などが研究に関わっています。

久山町の研究では「前向き調査」という方法がとられています。これは、“いま”を基準にいくつかの集団を設定し、“将来”どんな病気が起きるかを集団ごとに追っていくもの。たとえば、「たばこを吸っている集団」と「吸っていない集団」をわけて、20年後に脳卒中になった人の率がどれくらいかを比較する、といったものです。

久山町研究ではさまざまな成果が上がっています。なかでもこの40年で脳卒中による突然死が大幅に減り、心臓病による突然死が増えた傾向が見えてきたことは、主だった成果のひとつ。

脳卒中が減ったのは、血圧を低くする薬が発達したことなどが原因であるということがわかってきました。いっぽう、心臓病による突然死が増えたのは、コレステロールの増加などによる代謝異状が原因であることがわかってきました。日本人の食事が油分の多い西洋的なものになっていることを指摘する医師もいます。

ほかにも「下の血圧も上の血圧も、とにかく血圧が高いほど、病気になりやすい」といったことや、「コレステロールなどのほかの原因をおさえて、高血圧と脳卒中の関係が最も深い」といったことも明らかになってきています。

疫学調査は、ほかにも米国のフラミンガム研究などが有名ですが、久山町研究の最大の特徴は「剖検率」の高さ。亡くなった人を解剖して、死因を調べるのが剖検ですが、久山町ではおよそ8割の方に対して剖検をしています。

疫学調査に協力する久山町の人々は、脳卒中や、心臓病の一つである虚血性疾患などによる死亡率の低下が全国平均より早く訪れたとのこと。病気に関心をもつということが健康維持につながる、といった証明も生まれています。

参考ホームページ
日経メディカルオンライン「久山町研究:40年間で脳卒中突然死が7分の1に激減」
循環器疫学サイト「久山町研究」
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“触れ合い”なしのエネルギー補給


今年2009年はトヨタの新型プリウスやホンダのインサイトといった低公害車の売上が伸びました。「エコカー元年」ともいわれています。

プリウスやインサイトは、ガソリンを入れてエンジンを動かしながら、そのエンジンで作った電力をもとにモーターを動かします。エンジンとモーターの二つの動力装置がはいっているため「ハイブリッド」。

いっぽう、2009年に発売が始まった三菱自動車のアイミーブや富士重工のステラのような電気自動車や、今後、販売が本格化されるプラグイン・ハイブリッド車とよばれる車にはコンセントが付いていて、充電するしくみになっています。

この充電の煩わしさ、あるいは煩わしくなさがプラグイン車が広まるかどうかの要素のひとつとされています。携帯電話やノート型コンピュータなどを持ち歩くには充電が欠かせませんが、それを車で行うわけです。街なかに充電用のスタンドや、家の駐車場で充電するためのインフラストラクチャーの整備が行われています。

しかしながら、ほんの1、2分で燃料補給が済むガソリン車よりも、電気自動車の充電に時間がかかるのは確実。電気自動車の理想は「いつの間に充電されていたよ」といった状況をつくりだすことになります。

それをかなえるための研究がいま進んでいます。「非接触型充電」とよばれるもの。電話やコンピュータのマウスなどは「コードレス」の機能が付いていますが、非接触充電はこのコードレスのしくみを使って充電しようというもの。

いちいち充電器と電気自動車を線でつなぐ必要がないため、充電の手間はかかりません。道路の下に充電器を埋め込んだり、自動車道路やトンネルの壁面に充電器を付けたりすれば、ただ運転したり停車したりしているだけで充電されてしまうわけです。

ほかにも利点はあります。電気自動車を非接触で充電する場合、充電器と自動車が触れる点がありません。もの劣化はだいたいにおいて何かと何かが触れあうところから進むもの。非接触充電にすれば、不良接触、水分による漏洩などの心配が少なくなります。

この非接触充電の方法にはいくつかの候補がありますが、電気機器などで実用化されているのは、電磁誘導型というもの。

二つの離れたコイルのうち、どちらかに電流を流すと、もう一つのコイルのほうにも電流が流れます。19世紀、英国の化学者マイケル・ファラデーがこの現象を発見しました。

電気自動車のインフラストラクチャーは、まだ充電スタンドもようやく置かれはじめた、といったところ。非接触型充電による電気自動車の充電がふつうに見られる日は、まだまだ先のことではありますが、夢のある話ではあります。
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「3つの」の次に来る英字、1位は“S”
 人は、頭文字がおなじ言葉を考えて「3つの……」と表現するのが好きな動物なのかもしれません。

インターネットの検索機能で「“3つのA”」とか「“3つのB”」とか入れると、結果はどうなるでしょうか。グーグルで「“3つのA”」から「“3つのZ”」まで検索してみますと……。

"3つのA" の検索結果 約 128,000 件
"3つのB" の検索結果   約 84,000 件
"3つのC" の検索結果 約 486,000 件
"3つのD" の検索結果 約 116,000 件
"3つのE" の検索結果 約 271,000 件
"3つのF" の検索結果   約 51,900 件
"3つのG" の検索結果 約 115,000 件
"3つのH" の検索結果 約 327,000 件
"3つのI" の検索結果 約 111,000 件
"3つのJ" の検索結果   約 27,600 件
"3つのK" の検索結果 約 168,000 件
"3つのL" の検索結果 約 122,000 件
"3つのM" の検索結果 約 116,000 件
"3つのO" の検索結果   約 24,600 件 
"3つのP" の検索結果 約 168,000 件 
"3つのQ" の検索結果   約 14,800 件 
"3つのR" の検索結果 約 157,000 件 
"3つのS" の検索結果 約 519,000 件 
"3つのT" の検索結果   約 72,400 件
"3つのU" の検索結果   約 84,200 件 
"3つのV" の検索結果   約 64,200 件
"3つのW" の検索結果   約 17,400 件
"3つのX" の検索結果 約 133,000 件
"3つのY" の検索結果   約 26,800 件
"3つのZ" の検索結果   約 16,900 件

もっとも「3つの」との組み合わせが多い文字は“S”。次いで”C”。次いで“H”となりました。“S”や“C”は理解できても、“H”が第3位に入ることにやや意外に思うかたもいるかもしれません。いちばん上に検索されたのは、にらさわあきこさんの『3つのH(ステップ)でオトコをつかむ』という本のタイトルでした。

ちなみにこの本で示されている「3つのH」とは、「ほっておけない女になる」「(男性を)ほっておける女になる」「(男性にとって)ほっとする女になる」。

少ない文字のほうは“Q”、“Z”、“W”の順。こちらは順当といえる結果でしょうか。いちばん上に検索された「3つのQ」は、「3にまつわる、3つのQ」という言葉。つまり“Question”の“Q”でした。

なかには好敵手と目される二つの会社が、おなじ文字の「3つの……」を掲げている場合もあります。

たとえば、東京電力は基本的使命として「3つのE」を掲げています。それは、“Energy security”(安定供給)、“Economy”(経済性)、“Environment”(環境性)のこと。電力会社だけあって、安心感を与える印象をもたせる“E”が並んでいます。

いっぽう、しばしば東京電力の好敵手と目される東京ガスも、2009年に「3つのE」をテーマに掲げました。こちらは、“Eco Friendly”(環境を基軸とした価値創造)、Excellent Servie”(顧客価値の向上)、“Expansion”(マーケットの徹底深耕・拡大)の三つ。

東京電力は目に見えないサービスを「3つのE」で示しているのに対して、東京ガスのほうはかなり客のことを意識して目に見える形で人に伝わる「3つのE」を掲げているようです。

三つの言葉の頭文字が、偶然にもみなおなじだったという確率は高くありません。「二つの言葉の頭文字がおなじになったから、もうひとつ加えよう」とか、「なんとか、Eであと二つ捻りだそう」とか、そんな過程を経て「3つの……」は生まれるものが大半かもしれません。
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年の瀬の言い訳

師走は忙しい時期。さまざまな業種で、年末年始の休業日が来るまえに片付けるべきことを片付けようとして仕事を前倒しする「年末進行」がされています。

そこにきて年賀状づくりも重なります。日本郵便は、年賀状が元日にかならずとどくためには「12月25日(金)までにお出しください」とよびかけています。

「そんな時間はない」。そう思っている方は、こんな話を聞くと、すこし安心するかもしれません。

年賀状の投函は、元日つまり年が明けてからするのが本来の姿だといいます。

19世紀末ごろまでの日本では、1月1日に年始のあいさつとして人々が年賀状を投函していたのでした。

1月1日に投函すれば、消印は「1月1日」となります。送られるほうも元日の消印があるのがよかったのでしょう。

しかし、1月1日の消印を押してもらおうとするあまり、たくさんの人が元日に投函。この日の郵便物がとても多くなってしまいました。

そこで郵政省(いまの総務省)は1899年、年賀郵便の特別扱いを始めることにしました。12月20日から12月30日に投函された年賀状は、一律で「1月1日」の消印をおすというもの。

これで、元日に年賀状の投函が集中するといった状況は避けられるようになったのです。

ぎゃくに特別扱いが始まったために、年賀状を年が明けぬうちにの師走に投函するといったことが一般的になったのです。

「なんだ。今年は従来の姿にたちもどって、年賀状を1月1日に投函することにしよう」。こう自分に“よいこと”を言い聞かせる人はいるでしょうか。
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「励起された二量体」から「エキシマ」


さまざまな場面で使われる装置には「人の名前+装置の名前」でよばれるものがあります。

有名なのは「エサキダイオード」。日本の物理学者・江崎玲於奈さんが発明したダイオードです。

量子の世界では「トンネル効果」といって、粒子が通り抜けられそうもない壁を通り抜けてしまうことがあります。この効果を使って、電圧を増すとかえって電流が減るという特性をもたせたダイオードを江崎さんは発明しました。「トンネルダイオード」ともよばれますが、日本人にとっては「エサキダイオード」が使われるほうが誇らしいかもしれません。

装置の名前の頭に「エキシマ」が付く「エキシマレーザー」はどうでしょうか。

エキシマ、えきしま、益島さん、江木嶋さん、役島さん……。日本の科学者にいなくもなさそうな名前に「レーザー」がついています。

でも「エキシマレーザー」は「人の名前+装置の名前」のパターンではありません。ソ連のニコライ・バソフ(1922-2001)という物理学者が1970年に発明しました。

エキシマレーザーは、希ガスやハロゲンという物質を混ぜあわせたガスによって光を発生させて使う装置です。エキシマレーザーが光を発する鍵は「励起」という現象にあります。

原子や分子などの物質には、「励起」という状態と、「基底」という状態があります。励起状態は、原子や分子がなにかの刺激によって高いエネルギー状態に移るときの状態こと。逆に、基底状態は原子や分子のエネルギーがもっとも低い状態のことをいいます。

人がエネルギーをもらうと興奮するように、原子や分子がエネルギーを得ると励起します。「興奮」も「励起」は英語で書くとどちらも“exitation”となります。

希ガスとハロゲンという二つの物質がまとまっている状態は「二量体」または「ダイマー」とよびますが、この二つは基底状態では結ばれず、励起状態のときに結ばれてレーザー光を発するのです。

「励起された二量体」により、エキシマレーザーは発光するわけです。この「励起された二十体」を英語で表すと、”excited dimer”、「エキサイテッド・ダイマー」となります。

もう「エキシマ」の語源に気付いた方もいるかもしれません。「エキシマレーザー」の「エキシマ」は、“exci(ted)”と“di(mer)”をつなげたものなのです。

なかなか耳にしない装置かもしれません。しかし、半導体の加工技術や、レイシック手術という眼の治療にも使われています。
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2009年の画期的科学成果、2位以下は天文学、植物生物学、物理学、加齢学などから

米国の科学雑誌『サイエンス』が (2009年)12月18日に発表した「今年の画期的成果」。2位から10位までは次のようなものになっています。なお、順位は示されていません。

「ガンマ線の空間を拓く」。米国、フランス、ドイツ、イタリア、日本、スウェーデンが共同で運用する天文観測衛星「フェルミ・ガンマ線宇宙望遠鏡」が、「パルサー」という特殊な星を見つけるための新しい方法の運用をしました。結果、2009年に16個のパルサーを新たに発見されました。

パルサーは、電波やX線を脈打つように規則的に放射する天体のこと。これまでの天文学では、パルサーから規則的に発せられる電波をとらえることで、パルサーの存在や状態を明らかにしてきました。

いっぽう、2008年に打ち上げられたフェルミは、パルサーから発せられていると考えられる「ガンマ線」を受け取ります。ガンマ線も、広い意味では電磁波のひとつですが、その波長はきわめて短く、これまでの観測手法とは異なります。「最も高速で回転するパルサーの回転速度に明らかな変化をもたらすはずである」と記事は締めくくっています。

「ABA受容体」。植物は「アブシジン酸」(ABA)という化学物質をもっています。植物にとって生存の厳しい環境では、このABAの濃度が高くなり、種が“休眠”します。

休眠か活動かを決める“鍵”がアブシジン酸だとすれば、いっぽうの“鍵穴”は、アブシジン酸の受容体になります。その受容体の正体が何であるかは、明らかにされないまま謎でした。

その謎が今年、破られたのです。米国カリフォルニアの研究チームがアブシジン酸の受容体の正体をつきとめ、「PYR1」と名づけました。また、ドイツの研究チームは、アブシジン酸の作用を促進するABI1とABI2という酵素に結びつくたんぱく質を二つ発見し、「ABA受容体制御成分」と名づけました。

「単極子に似た擬似粒子、発見される」。磁石にN極とS極があることは知られています。しかし、理論物理学では、どちらかの極だけしかもたない基本粒子があると考えられてきました。これは「単極子」とよばれます。

理論的には単極子の存在は考えられていました。そして今年、二つの研究チームが、その単極子に似た状態の粒子をつくることに成功したのです。

「長寿と繁栄」。薬を使って、マウスの寿命を伸ばすことに初めて成功したという成果です。

米国の三つの研究所が、腎臓がんの拒絶反応を抑える薬「ラパマイシン」を含む餌を“高齢マウス”に与えました。すると、高齢マウスの寿命が9〜14%伸びたといいます。

これまでの加齢学では、長寿の鍵を握るのは、カロリー摂取を抑えること、つまり「カロリー制限」にあるとされてきました。しかし、ラパマイシンが効いたしくみは、このカロリー制限とは異なるものと考えられています。

「月表面の氷の謎が明らかに」。米国航空宇宙局(NASA)の月探査機エルクロスが今年10月9日、月の南極にあるクレーター「カベウス」に向けて、重さ2トンのロケットを時速7200キロで衝突させました。

結果、数リットルの水が観測されました。月に氷があることが証明されたのです。『サイエンス』は「氷となって保存された月表面の水は、何十億年にもわたる月面衝突の記録をとどめている可能性がある」としています。

「遺伝子治療再び」。遺伝子治療とは、病気治療や治療法開発を目的として、遺伝子を導入した細胞を人の体に投与すること。『サイエンス』では「DNAを修復して機能不全に陥っている細胞の回復を図る治療」としています。今年、次のような難病に対する遺伝子治療が成功しました。

レーバー先天性黒内障は遺伝性の失明です。米国と英国の研究者は、患者の片目に、光を感受する色素をつくるための酵素をつかさどる遺伝子を入れました。この治療を受けた12人全員で、光の感受性がよくなりました。

X連鎖副腎白質ジストロフィーも遺伝子の異状により起きる病気。子どもに発症する脳障害で、10歳未満で死をもたらします。フランスの研究チームは、7歳の患者2人の血球に矯正遺伝子を入れたところ、必要なたんぱく質がつくられはじめ、2年後には脳障害の進行がみられなくなりました。

バブルボーイ症候群は、酵素「アデノシンデアミナーゼ」の欠損で起きる重症複合免疫不全症。イタリアの研究者が患者の子ども10人に、8年前の試験を再開したところ、8人がべつの治療法を使わずに普通の生活を送れるようになりました。

「グラフェンが好調」。グラフェンは、炭素原子が結合してできた蜂の巣構造の炭素原子シート。グラファイトという炭素原子の塊から、単原子の層でなるシートをはがすことでつくられます。

グラフェンは、電子の伝導性が高い物質。この特徴を生かして、物理学者は量子力学の特性を調べる実験をすることができるようになりました。

また、今年1月には、IBMの研究者が、従来のシリコントランジスタよりはるかに高速な「グラフェントランジスタ」を開発したことを発表しました。グラフェンは好調。さまざまな用途に使われはじめています。

「蘇ったハッブル」。ハッブル望遠鏡は1990年に宇宙空間に打ち上げられた望遠鏡。性能の劣化が進んでいました。

今年5月、スペースシャトル「アトランティス」に乗った宇宙飛行士たちが、ハッブルの修理を敢行。その結果、19年前に打ち上げられて以来最高の画像を撮影するようになった」のです。

「世界初のX線レーザーの光」。米国立加速器研究所の物理学者は、世界初のX線レーザーを用いた施設「線型加速器コヒーレント光源」による実験を開始しました。

この施設は4億2000万ドルの資金を投じた大規模なもの。建設に3年を費やしました。

研究者はこれまで物質の原子寸法のつくりを調べるのにX線を使ってきました。このたび使われはじめた線型加速器コヒーレント光源は、これまでのX線源の10億倍の輝度で物質を捉えることができます。

「1分子の標本から蛋白質の構造を確定したい」「物質のあらゆる原子から内殻電子を破り取り、物質がどう反応するのかを調べてみたい」といった研究者たちの願望を満たすものと考えられています。

今年の画期的成果では、日本の研究者の寄与が少なかった点もある意味でとくちょうかもしれません。しかし世界では2009年もさまざまな科学技術の進歩がありました。

『サイエンス』が12月18日に発表した「今年の画期的成果」の記事の日本語翻訳文は以下のサイトで読めます。
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2009年の画期的科学成果、1位は「アルディピテクス・ラミダス」解明


米国の科学雑誌『サイエンス』は(2009年)12月18日、「今年の画期的成果」を発表しました。同誌は毎年、その年に科学技術の世界で起きた大きな進歩を、第1位と第2位以下にわけて発表しています。

第1位となったのは、「アルディピテクス・ラミダス」という人類の祖先の体の設計図と生態が明らかになったこと。

人類の祖先といえば、科学を愛好する人は「ルーシー」のことを思い出すかもしれません。1974年にエチオピアのアファール地方で発見されたアファレンシス猿人の化石につけられた名です。アファレンシス猿人は、400万年前から300万年前ごろにかけて生きていたと推測されています。

ルーシーの発見から25年。2009年に、ルーシーよりもさらに進化の歴史をさかのぼる猿人の、ほぼ完全なかたちの化石の詳細が報告されました。この猿人は「アルディピテクス・ラミダス」あるいは「アルディ」と名づけらています。440万年前に生存していた猿人の化石で、ルーシーが発見された場所に近い、エチオピアのアファール盆地で見つかりました。

アルディは1994年に化石の一部が発見されていました。しかし、化石の保存状態がきわめて悪く、脆くなった化石はきわめて扱いにくい状態でした。その後、多くの分野の専門家たちがアルディを発掘。15年かけて、骨を分析していきました。そして2009年、アルディの骨格の分析結果が11本の論文となり発表されたのです。

人類学の世界では、発掘された化石がヒトであるかどうか見分けるには、その動物が直立歩行をしていた証拠があるかにかかっていると考えられています。

その点、440万年前に生きていたアルディは、いまを生きるヒトや320万年前に生きていたルーシーに比べると、さほど上手に歩行はしていなかったようです。しかし、骨盤のかたちは、少なくとも木登りにも直立歩行にも便利なものであることがわかっています。

ただし、アルディがヒトの祖先であるといえる決定的な論拠はありません。アルディの発見者たちは、自分たちの発見を人類の起源の解明と結びつけたいのでしょう、「アルディはヒトの祖先である」と主張します。

いっぽう、この論に批判的な研究者もいます。「アルディがヒトの祖先であるとする証拠は、まるで具材の形が煮崩れしたアイルランド風シチューのようだ」いう人も。完全な直立歩行をしていたわけではないためアルディをヒト科とするには躊躇があるようです。

アルディの手指は長く曲がったものであり、足指は他の指と向かい合わせにしやすいということも明らかになっています。このことから、アルディは木の枝をつかんでいたのではということが推測されています。

人類の祖先は、視界の開けたサバンナのような場所より、むしろ森林のなかで暮らしていたのではないかという見方も出てきました。

アルディの体の設計図をめぐる研究は現在進行中。少なくとも人類の起源により近づく画期的成果であることはたしかなようです。

『サイエンス』の記事は、「何をもってヒト科の最古の祖先であると特定できるのか。直立歩行はどのように進化したのか。チンパンジーとの最後の共通祖先はどのような姿であったのか。研究者らは今後このような疑問を追究する際、アルディを参考にすることになる」と記しています。

『サイエンス』が12月18日に発表した「今年の画期的成果」の記事の日本語翻訳文は以下のサイトで読めます。

あすは『サイエンス』「今年の画期的成果」の2位から10位を紹介します。
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COP15に用意されている延長戦


デンマークの首都コペンハーゲンで開かれていた国連気候変動枠組み条約第15回締約国会議(COP15)が(2009年12月)19日に幕を閉じました。

事務担当段階、閣僚段階の話し合いを経て、首脳段階の議論へと移り、最終的には「コペンハーゲン合意に留意する」というかたちで会議は落ちつきました。

合意の要点は、「地球の気温上昇を2度以内に抑える」「先進国は2020年の排出削減目標を2010年1月31日までに別表に登録。途上国は排出抑制行動を別の別表に登録」「長期目標は2015年までに検討」「対策支援として先進国は2010年から2012年に合計300億ドルの途上国支援をし、2020年までに1000億ドルの支援のしくみをつくる」といったもの。

これらの合意は会議で「採択」されたわけではなく、「留意」されるという結果になりました。会議での決めごとは、参加国の全会一致が原則ですが、中南米の国から合意案に反対があったため、「採択」には至りませんでした。

温室効果ガスの削減目標についても、「別表に登録」とあるように、この会議で決まったわけではありません。

日本の各新聞は、目標を「見送り」や「先送り」という見出しでこの結果を伝えています。

「COP15主要国が合意案、削減目標先送り」(読売新聞)
「COP15 合意文書を承認、採択見送り決裂回避」(朝日新聞)
「政治合意に『留意』 COP15全体会合、正式採択は見送り」(日本経済新聞)

報道の傾向は「話し合いがまとまらなかった」という印象をあたえるもの。実際そのとおりの結果といえるのでしょう。

しかし、会議に臨んでいる当事者たちにとってみれば、今回のコペンハーゲン会議で話がまとまらなかったのは、想定内という側面もありそうです。

気候変動枠組み条約締約国会議には「再開会合」という制度があります。再開会合は、事前に大筋で決まったことを具体的に詰めていく場。いわば、締約国会議の「延長戦」といったもの。

過去には2001年7月、ドイツのボンで第6回会議の再開会合が開かれました。1997年に採択された京都議定書での排出削減目標達成のための具体的ルールについて、1999年のオランダ・ハーグでの第6回会議では合意が得られなかったため、再度合意を目指すために開かれたもの。

今回の第15回会議についても、すでに2010年6月に米国ニューヨークかスイスのジュネーブで再開会合が開かれることが決まっています。

各国は、この再開会合の場でポスト京都議定書となる、2013年以降の温室効果ガス削減取り組みを定めたコペンハーゲン議定書の成立を目指すことになります。
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『図解 次世代エネルギーの基本からカラクリまでわかる本』発売


新刊のお知らせです。

『図解 次世代エネルギーの基本からカラクリまでわかる本』というムックが、このたび洋泉社より出版されました。原稿の執筆をしました。編集は依田弘作さん。図版の描き起こしは米山雄基さん。

エネルギーに関する基本的な知識をひととおり理解し、エネルギーの話題の底面にある“しくみ”や裏にある“カラクリ”を把握することのできる本です。

切り口のちがいから、3つのパートにわかれます。

PART0は、「エネルギーの基本を理解する」。エネルギーのことを考えるときにあるとよい基礎的な知識を紹介します。エネルギーの概念やエネルギー関連の科学法則など、念頭に置いておくとよいエッセンスに絞り込みました。

PART1は、「次世代エネルギーの技術を把握する」。さまざまな種類のあるエネルギー資源、それを利用して動かす自動車などの機器、両者の間に位置する供給手段などを順に紹介していきます。

エネルギー資源の“主役”になりつつある太陽光、風力、バイオマスなどをはじめ、ハイブリッド車・電気自動車などのエコカー、スマートグリッドなどの電力系統、さらに旧来のエネルギー資源や発電手段にいたるまでをカバーしています。

技術面でのしくみの話はもちろん、業界動向や国の取り組みなどの話も盛り込み、多面的に紹介しています。とくに、海外の情勢がわかる話を多数とりいれました。

PART2は、「次世代エネルギーの政治を読み解く」。次世代エネルギー資源を普及させるための政策、計画、機関、制度、法律などに焦点を当てています。

また、エネルギー問題とは切り離せない地球温暖化対策や、経済危機以降浮上した「グリーン・ニューディール」政策などをテーマに世界の動向とその中の日本の位置を把握できるようにしました。テレビや新聞などのニュースの裏側にある話も紹介します。

次世代エネルギーの技術的な面とともに、世界の中で日本の置かれている位置などについても把握できる内容となりました。

『図解 次世代エネルギーの基本からカラクリまでわかる本』は、こちらでどうぞ。
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日本列島の正体は“滓”の集まり


日本列島はアジア大陸の先につきでた島国。地球儀でよくよく見てみると、「なんで、大陸の縁の先に、こんな島々が寄せあつまった地形をしているのだろう」と思う人もいるでしょう。

こうした疑問を解き明かすのは地質学という学問。地球の表面をつくる物質を研究し、そこから地球のさまざまな現象を解き明かそうとする学問です。

地質学者に「なぜ、日本列島はこんな位置でこんな形をしているのですか。日本列島ってなんなのでしょう」と聞くと、多くの人は「日本列島は滓の集まりです」と答えます。

日本列島の近くには、「太平洋プレート」や「フィリピン海プレート」といった厚さ100キロほどの“板”がひしめき合っています。これらの板は、地球の遠くで地下から現れて、ベルトコンベアのように日本の近くまで移動していきます。例えば、太平洋プレートに乗っかっているハワイ諸島は、毎年2、3センチ、日本へと近づいているといいます。

ベルトコンベアに始点と終点があるように、プレートにも始まりと終わりの地点があります。太平洋プレートやフィリピン海プレートの最終到着地が日本の近くなのです。

ハワイ諸島ほど巨大なものはあまりありませんが、プレートにはさまざまな堆積物が乗っかっていて、これが日本に運ばれてきます。

すると、問題はプレートに乗っている堆積物の処理のされかた。ベルトコンベア役である太平洋プレートは、フィリピン海プレートの下に潜り込んでいきまますし、フィリピン海プレートがユーラシアプレートという別のプレートに沈み込んでいきます。

しかし、堆積物はプレートといっしょに沈み込んでいくことはありません。日本列島の近くのプレートどうしの境界面に残されるのです。

じつは、日本列島そのものが、プレートに乗ってやってきた堆積物、つまり“滓”が集まってつくられたのだ、という説がいまの地質学での主流です。これは「付加体説」とよばれています。

中国大陸のように、プレートの真上に乗っかっている場所では、地層も極めて単純。どの石を採ってもあまり変わらないといいます。いっぽう、日本列島のように、プレートに乗ってやってきた滓でできた国では、地層は極めて複雑になります。地質学者という点では、日本で生まれた人のほうがより楽しい研究ができるかもしれません。
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終わりなき不安な遊び
 ものごとには始まりと終わりがあります。ドラマも第1話があって、第12話で完結。野球も1回から9回まで。国家プロジェクトも初年があり最終年があります。

これらには、12話まで、9回まで、最終年までという、終わりのタイミングが規則として定められているといえます。「もう十分」と思っても、「まだ足りない」と思っても、最後の段階はかならずやってきます。

しかし、最後の段階がいつになるか決まらないようなこともあります。子どもの遊びもその典型的なひとつ。

いま、子どもたちがやっている姿はあまり見られませんが、かつて全国的に「どろけい」や「けいどろ」や「どろじゅん」とよばれる遊びがありました。漢字にすると「泥警」「警泥」「泥巡」。「泥棒と警察」「警察と泥棒」あるいは「泥棒と巡査」のことです。

この遊びでは、子どもたちが泥棒組と警察組にわかれて鬼ごっこをします。ふつうの鬼ごっこは1人が鬼であとは子。いっぽう、どろけいでは10人いれば鬼役の警察が5人、子役の泥棒が5人と、均等配分されます。公園や団地の敷地内などで警察役の子たちが泥棒役の子たちを捕まえるわけです。

子どもたちは攻守交代を何回か繰りかえしたり、組みがえをしたり。しかし、どの段階になればこの遊びが終わりをむかえるかは、とくに申しあわせがないかぎり決まっていません。“成りゆき”に委ねられるわけです。

ウィキペディアの「ケイドロ」には「終了条件」として、「飽き」「疲れ」「時間」をあげ、以下の具体例が書かれてあります(一部略)。

・何度も交代を繰り返し、いい加減飽きた、という場合。
・保護者が遊戯者を迎えにきてしまった場合(夕食の時間、というのが最も多いケースである)。
・誰かの「もうやめようぜ」「疲れた」「飽きた」などの一言から一気に終結してしまうことが多い。

どろけいをやったことのある人たちは「私の子ども時代もそうだった」と思う方もいることでしょう。さらに、

・影が薄い人は隠れていてもゲーム終了までに忘れられている可能性があるので終了時の人数確認も必須である。

という落ちまでついています。

子どもたちは素直ですから「いち抜けたー」とか「どろけいやめて野球やろうぜ」と切り出す役回りの子はよくいます。

しかし、すこし年齢が高くなり、まわりに合わせようとする年代になると事情はすこし変わってきます。

ある中学生たちが、放課後になりゆきで「フルーツバスケット」をやることになりました。椅子とりゲームの一種で、「靴下が色付きの人!」や「男子!」などと鬼が叫ぶと、それに該当する子たちは座っていた椅子を移動しなければなりません。椅子の奪いあいが、この遊びの醍醐味です。

15人ほどの大規模なフルーツバスケットでした。はじめのうち、中学生たちは「名前がア行の人!」とか「眼鏡を付けている人!」などと叫んでは、椅子の取りあいをしてわいわいと楽しみます。

しかし、すこしずつ難しい状況になってきました。「もうやめようぜ」とか「もう帰ろうぜ」といったことを切り出す人がなかなか現れないのです。本人たちは本人たちに空気を読んでいるのでしょう。「ここで帰ろうぜと俺が言ったら、まだ続けたい人にいやに思われるんじゃ」。

しかも、フルーツバスケットは、10秒もあれば1回が終わるくらいの、かなり展開の早い遊びです。つぎつぎと鬼が代わり「じゃあ、長袖の人!」「じゃあ、携帯電話もっている人!」などと言いつづけます。

だれもやめると切り出せず、激しい動きもあるため、中学生たちの笑顔はだんだんと引きつってきました。「いつになったらこの遊びは終わりになるんだろう」と。

結局、担任の先生が教室にやってきたことが転機となり、延々と続きうるフルーツバスケットは終わりを迎えました。

場の空気を読み合みつつも、誰かが終わりを切り出さなければならない。こうした状況は難しいもの。逆にはじめから終わりの条件が決まっているものごとのほうが、余計な心配はしなくて済むのかもしれません。

参考ホームページ
ウィキペディア「ケイドロ」
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身がカレー粉になる

人がただならぬ苦労をして働くようすを「身を粉にする」と表現することがあります。

しかし、ただならぬ苦労をして働かなくても、人の身は“粉”になることがあります。しかも、その粉は“カレー粉”になることがあります。

いまや名曲となった秋川雅史さんの「千の風になって」にはこんな歌詞があります。

「千の風になって あの大きな空を 吹きわたっています」

この歌が示すのは、「一生を終えた人は、吹き渡る風のような存在になる」ということ。お墓に眠ってなんていないわけです。

一生を終えた人のからだは、火葬や土葬で埋葬され、土の中に埋められます。その亡きがらも、もともと人だったのか土だったのかさえ、やがてわからなくなります。土と同化した人の体を風がさらっていけば、「あの大きな空を吹きわたって」いくことになるわけです。

土と見分けがわからなくなるほど人の亡きがらがちりぢりになるのは、人の身体が、それ以上分解できない「元素」という要素からできているためです。

では、人はどんな元素でできているのでしょう。6割が水素、2.5割が酸素、1割が炭素、0.2割が窒素、そのほか1%は、リン、硫黄、カルシウム、マグネシウム、鉄、亜鉛、銅などさまざま。合わせておよそ30ほど元素で、人のからだは成り立っているのです。

これらの元素がうまく組み合わさることで、分子ができ、細胞ができ、器官ができ、皮膚ができ、人ができます。しかし、人が一生を終え、元素どうしが結びつく必然性がなくなれば、ばらばらにほどけていきます。からだを構成していた元素どうしは握手することをやめ、また別の元素と握手することになります。

元素の単位でみれば、「偶然にも元素と元素が握手して人のからだをつくっていたときがあった」という見方をすることができます。

ちりぢりになった元素はどうなるのでしょう。あるいは土になることもあるでしょう。また、あるいは風に吹かれるほこりに。

植物になることだってあります。

人が30ほどの元素から成り立っているのとおなじように、植物も成り立つために必要な元素があります。酸素、水素、炭素、窒素、リン、カリウム、カルシウム、硫黄、鉄など、こちらは15種類。

人をつくる元素と植物をつくる元素。合わせて見てみると共通するものがほとんど。

ここからいえることは、「ある時期に人をつくっていた元素は、ちりぢりになり植物をつくるために集まることもありうる」ということです。

冒頭の「身をカレー粉にする」に立ちかえります。カレー粉は、ガラムマサラ、唐辛子、サフラン、クミン、クローブ、ナツメグなどのスパイスでできています。

これらスパイスはすべて植物がつくる実です。

長い歴史において、ある時期に人の体をつくっていた元素は、ある時期にカレー粉をつくっていたということもありえます。つまり「身がカレー粉になる」という理論が成り立つわけです。

カレーを食べるとき、「このカレー、ひょっとしたら死んだおじいさんの身が粉になっているのかもしれない」と思いつつ味わう人はほぼ皆無でしょう。しかし、その可能性は皆無ではありません。

ありとあらゆる物質は、ある場所にとどまることはなく、つねに流れていきながら、そのときどきに何かをつくりだしているのです。
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書評『江戸時代はエコ時代』
NHKで放送していた「コメディーお江戸でござる」の名解説で知られる作家・石川英輔さんが伝える、江戸の庶民の“エコ”な暮らしぶりです。



テレビが故障した人が、こんなことを言う。「壊れたときは番組を見れずに不便だなと感じていたけれど、テレビを見ないぶん、ほかのことに打ちこめて、むしろ生活が豊かになった気がする」。

いまの生活は便利だけれど、その便利さが失われたとしても、その状態が当たり前になればそれでどうにかなるのではないか。そんなことを読者に考えさせる機会を与えてくれる本だ。

もちろん現代に暮らす人たちが、江戸時代に時間旅行することはできない。でも、この本で疑似旅行的な気分になることならできる。

書名は『江戸時代はエコ時代』とある。著者は触れていないが、本に出てくる“エコ”は、“エコロジー”と“エコノミー”だ。江戸時代に描かれた絵や書き物などの膨大な資料を引きながら、江戸のこのふたつのしくみを軽快に綴っていく。

まず、エコロジー。石炭やガスなどの化石燃料にほとんど頼らなかった人々が、なぜ生活を維持することができたのか。

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昔の人は太陽エネルギーだけでさまざまな物資をつくっていたからだ、と書けばむずかしそうだが、わかりやすくいうなら、江戸時代の人は、衣食住に必要なほとんどあらゆるものを植物原料を加工してつくっていたのである。
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さらに著者が指摘するのは、移動や輸送の動力がすべて人力だったという点。いまの時代に当てはめれば、すべての人が徒歩や自転車で生活し、エネルギーはバイオマスエネルギーに頼りきる、といったところだろう。10のエネルギーを使って1のことをするのとは逆に、「無から有が生じる」ほどの驚異的なエネルギー効率だったという。

エコノミーという点でも、深い科学的分析で江戸の経済が語られる。とくに「宵越しの金をもたなぬ」といわれた江戸庶民たちの経済感への考証がが深い。

まず、「宵越しの金をもたない」といわれるが本当は「もてなかった」のだ、という説を、行商人の収支計算から検証する。著者によると、江戸の商売は「宵越しの金をもてない」ほど儲からないものではなかったようだ。

では、なぜ江戸の人々は宵越しの金をもたなかったのか。著者は「理由は単純で、金を残す必要がなかったからにすぎない」と話す。そして、貯金する必要のない理由をあげる。

江戸は火事が喜ばるほどの街。庶民はマイホームをもとうなど考えもしなかった。つまり、安い家賃を払えばそれで済んでいたという気楽さが一つ。また、子どもは手習い師匠という町内のお師匠さんのところで5年前後、学のみ。教育費がかからなかったのだ。また、平均寿命が低かった当時は、老後の心配をする必要もなかった。

では、こうした、エコでエコな社会を現代が手本にすることはできるのだろうか。冒頭の話でたとえれば、みんながテレビを見ない生活を始めて、豊かな生活を送れるかといったところだ。

著者は「江戸の生活に戻る」ことの実現性を明解に否定する。

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無理だと思うんですよ、逆戻りは。産業の発展に合わせて社会を作ってしまったから。
―――――

江戸時代の人々はそもそもエコやリサイクルといったことを考えるまでもなく生活をしていた。「それまでやってなかったことを始めようとして、それをカタカナ英語で言い始めた時は、すでに修復不可能なことが多いんです」。

いま生きている人たちの系譜を何世代か戻れば、かならず江戸時代を生きた人々にたどり着く。だが、“江戸は遠くになりにけり”ではなく、“今と昔はまるで別世界”ということなのだろう。江戸っ子気質で明解にものごとを断じてゆく著者の語り方が心地よい。

『江戸時代はエコ時代』はこちらで。
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珍祭・奇祭は冬にある


祭というと、季語は夏。また、その年の収穫を感謝して秋に行われるものも多いようです。

しかし、寒い季節にも至るところで祭は行われています。めずらしい名前の祭をいくつかひろってみると……。

1月6日には、石川県輪島市の門前町で、「あまめはぎ」がおこなわれます。鬼のような赤い面をかぶった若い衆が、家々のなかに入り込み、子どもたちに木槌をふりかざすふりをして歩きまわります。

「あまめ」とは、囲炉裏で暖をとりすぎているとすねなどにできる“火だこ”のことで、怠け者の象徴とされています。こうした「あまめ」な子どもたちを「はぐ」から、「あまめはぎ」といわれているようです。

いっぽう大阪の四天王寺では1月14日に「どやどや」が。日本三大奇祭の一つとされます。

いわゆる“はだか祭”で、四天王寺内の大きなお堂である六時堂に、赤ふんどしと白ふんどしをはいた若い衆が寺の東西から寄り集まり、代表者が押し合いをして勝ち負けを決めます。豊作をもたらす魔除けの札を農民(白)と漁師(赤)が取り合ったことから祭になったとされます。

「どやどや」のいわれは、大勢が一団となってどやどやと動くためだとか、関西弁で「どうだ、これでも負けぬか」を意味する「どや」からきているとか、諸説あり。

1月第3日曜日には、長崎県五島市の下山崎で「へとまと」が開かれます。

奉納のための相撲が行われると、おめかしした新婚女性が酒樽に乗って羽根つき。いっぽうでは、ふんどし姿の若い衆が体にすすをぬりあい、わらの玉を奪い合い。さらに浜辺で綱引き。しまいに巨大なぞうりの上に、未婚の女性を乗せて胴上げしつつ、神社に奉納するという奇祭です。

八百万の神の国には奇祭もさまざま。まだみたことのない冬の祭にでかけてみるのも新鮮かもしれません。

参考ホームページ
我楽多家「皆月あまめはぎ」
和田フォトギャラリー「四天王寺どやどや」
五島市観光情報サイト「ヘトマト」
「珍祭『へとまと』考」
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自家用車だけではないハイブリッド
ハイブリッド車というと、トヨタの「プリウス」や、ホンダの「インサイト」といった自家用車を思い浮かべる人がもっぱらでしょう。

しかし、ハイブリッド車は自家用車のみならず。トラックやバスなどの商用車でも実用化が進んでいます。

そもそも「ハイブリッド」は、「混成」や「雑種」という意味のことば。ハイブリッド車には、なにが混ざっているのかといえば動力源です。電気で動くモーターと、ガソリンで動くエンジンが搭載されています。

大きさのちがいこそあれ、自家用車も商用車も車は車。どちらのハイブリッド車も、うごくしくみは似ています。おもに「シリーズ方式」と「パラレル方式」という二つの方式があります。

シリーズ方式は、基本的には電気自動車とおなじと考えてもいいくらいのものといわれます。電気自動車は電気を使ってモーターを動かして走るわけですが、この電気を生み出すのがガソリンとエンジンです。

「ガソリンでエンジンが動く → エンジンで電気が生まれる → 電気でモーターが動く → モーターで車が走る」といった順番になります。この過程が直線的なので、「一続き」という意味をもつ「シリーズ」という方式名がついているわけです。

バス・トラック製造大手の三菱ふそうトラック・バスは、このシリーズ方式を応用したバス「エアロスターエコハイブリッド」を発売中です。


エアロスターエコハイブリッド(2007年報道発表試料より)

発進するときや低い速度で走っているときは、リチウムイオン電池に蓄えられた電気を使って走ります。しかし、走り続けているとリチウムイオン電池の充電量が減ってくるので、それを補うためにエンジンで発電して充電に充てます。

いっぽうパラレル方式は、エンジンとモーターの“いいところ”を「並列的」つまり「パラレル」に使って車を動かすもの。

エンジンにもモーターにも、それぞれ“得意分野”があるのです。エンジンは、特定の速度以上を維持して走り続けるのが得意。モーターは、機敏な動きが特徴的なので走りはじめやブレーキングが得意。パラレル方式では、この得意技の使い分けをします。

三菱ふそうのバスはシリーズ方式でしたが、トラックはパラレル方式。「キャンターエコハイブリッド」という小型トラックを販売しています。

キャンターエコハイブリッド(2006年報道発表資料より)

キャンターエコハイブリッドでは、発進するときはモーターが動き、通常はエンジンで走行。坂道などを加速するときはモーターとエンジンが働きます。

2008年には英国企業5社にキャンターエコハイブリッド10台を納入。また、今年2009年には、オーストラリアとアイルランドの企業からも受注がありました。

シリーズ方式とパラレル方式がハイブリッド車のしくみのおおまかな種類。ただし、この二つをさらに組み合わせた「シリーズ・パラレル方式」なるものもあります。自家用車ではトヨタのプリウスがこれにあたります。

三菱ふそうでは、シリーズ・パラレル方式にも「燃費・排ガス性能が優れている」と着目。汎用性の高い小型トラックで実用化に向けた研究を進めると発表しています。

「エアロスターエコハイブリッド」の案内はこちら。
「キャンターエコハイブリッド」の案内はこちら。
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「もうやんカレー池」のビーフカレー――カレーまみれのアネクドート(18)



「カレーは煮込むとうまくなる」。この店のの常連さんたちは日々、実感していることでしょう。

東京の、西新宿、池袋、渋谷に店を構える「もうやんカレー」は、「じっくり煮込んだカレーを貴方に」を信条としています。

写真は、「池」とよばれている池袋店のビーフカレー。ルウのなかにはほほ肉だけが見えます。ほかの玉ねぎ、人参、セロリ、果物などの具材は、すでに溶け込んであり見ることができません。でも、味わうことはできます。

最初の一口は「若干甘い」で始まります。でも少し経つと、舌は徐々に炭火の熱さような辛さを感じめることに。二口目も、甘さで始まって辛さが後かやってきます。この繰り返しに、煮込まれて柔らかいほほ肉、あつあつのご飯、さらに食べ放題のじゃがいもなどが加わり、最後の一口まで飽きさせません。

店の雰囲気も独特です。地下へ行く細い階段を下がると、大型のカレー店ほどの空間に客がぎゅうぎゅうづめ。いつも混んでいるので、となりの客と肩を寄せ合いながら食べることになります。その狭い空間を店員が注文に歩き回るため、客の背後はたびたび店員の体に触れることに。

人口密度のきわめて高いこの雑多感に、驚き戸惑う人もいることでしょう。しかし、複数で来ている客はわいわい楽しそうに、一人で来ている客はまったりとおいしそうにカレーをほおばっています。人間もまた、もうやんカレーという店に煮込まれているのかもしれません。

昼の時間帯は食べ放題も実施中。「もうやんカレー」のホームページはこちら。
http://moyan.jp/

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昼に飛ぶミネルヴァの梟


ドイツの哲学者ゲオルグ・ヘーゲル(1770-1831)は、『法哲学』という著書の序文に、「ミネルヴァの梟(ふくろう)は暮れ染める黄昏とともに飛翔する」という言葉を記しました。

「ミネルヴァ」は、ローマ神話に出てくる女神で、技術の女神といわれます。この女神ミネルヴァがペットとして飼っていたのが梟でした。この梟は、“知の象徴”といわれます。学術図書出版で名高い「ミネルヴァ書房」のイメージとぴったりです。

いまの梟とおなじように、ミネルヴァが飼っていた梟も夜行性だったといいます。

黄昏になると、この梟は空に飛び立ち、地上できょう一日に起きたできごとを眺めるのでした。戦いに勝利をおさめた者の姿も、戦いに敗北して死んでいった者の姿も眺めるのでした。そして、「なぜ、あの人は勝利者となり、あの人は敗北者となったのだろう」と、思いめぐらせます。

この梟は、決して昼間には飛び立ちません。ここでいう昼間とは“最中”ということ。世の中が実時間として動いている“最中”、梟はじっと羽を休めてたたずんでいるのです。そして、“最中”が過去のものになると飛び立つのでした。

ヘーゲルは、ミネルヴァの梟を学者に喩えたのでした。ヘーゲルが「ミネルヴァの梟は暮れ染める黄昏とともに飛翔する」で言いたかったことは、「学者は、事が終わったあとに事を検証する」ということです。

とはいえ、現代は研究者たちが“最中”の現象や事象を分析して、未来のことを予測する時代。昼間に飛び回るミネルヴァの梟たちは、口々に「激変の時代」を話します。

いまの時代がとりわけ激変の時代なのか、それともいつの時代も激変の時代なのか。これは、黄昏に飛びはじめる梟が判断することなのかもしれません。
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気体と液体を行ったり来たり

エネルギー資源の中で、石油や石炭などは「ああ、あれね」と想像がつく人は多いでしょう。

「天然ガス」の場合はどうでしょうか。上の画像のタンクを見て「ああ、あれね」と想像がつく人もいるでしょう。

天然ガスは、地中から採れる炭化水素が主成分の可燃性の気体。炭化水素とは、炭素と水素だけでなる化合物のこと。

採れる環境で天然ガスは大きく三つにわけることができます。油田地帯で産出される「油田ガス」、炭田地帯で産出される「炭田ガス」、それに水に溶けている「水溶性ガス」です。

じつは日本国内でも天然ガスは千葉県などで採られていますが、やはり資源の豊富なところは国外。輸送のしかたによっても天然ガスは二つの種類にわけることができます。

まず、ガスが採れる現地とガスを使う利用地を輸送管でつないでガスを送るもの。「パイプライン天然ガス」とよばれるもので、採れた国の中で使われることが多いです。

もうひとつは、天然ガスを冷やして液体の状態にして、タンカーで輸送するもの。液体となった天然ガスは「液化天然ガス」(LNG、Liquefied Natural Gas)とよばれます。

日本では1960年代後半以降、米国、ブルネイ、アブダビ、インドネシアなどから、液化された天然ガスを輸入することになりました。輸入が始まる前、国内で採れた天然ガスの利用だけだったときは、1次資源の消費のなかでの天然ガスの比率は1%ほどでしたが、輸入後は14%にまで上がっています。
| - | 23:59 | comments(0) | -
裾野が広い山は高い

企業や大学などの研究開発機関は、省庁系の資金出資機関が募集するプロジェクトや事業に応募して資金を獲得し、研究開発を進めることがあります。

産学連携の実績で名高いある大学の窓口担当者はこういいます。「プロジェクトに採用されて研究開発費を受けられれば研究者はよろこびますよ。しかし、研究開発費を受けたからには、それに見合う開発成果を出さなければだめですよ」。

たしかに、省庁系の資金出資機関は目的達成のため、プロジェクトや事業に資金を投じるわけです。その資金は、もともとは国民の税金です。

しかし、ひとつの目的を達成させるための手段は、ひとつだけではありません。富士山の頂上に行くのに複数の登山道があるのと似ています。

仮の話ですが、たとえば「おいしい水を飲もうプロジェクト」という事業に応募して資金を獲得できた装置製造企業があるとします。この企業は、提出した計画書にしたがって水道の蛇口に「水がおいしくなる装置」を開発にとりくんだしたとします。5年かけて、製品化。しかし、製品ができたからといって喜んでいられるとはかぎりません。

じつは、おなじ「おいしい水を飲もうプロジェクト」の事業に、製薬企業も応募していて資金を獲得していたのでした。その企業が資金で開発したのはは「振りかけると水がおいしくなる粉」。消費者にとって、こちらのほうがはるかに手軽で装置を買うよりもかんたん。

けっきょく、装置製造業が世に送りだした「水がおいしくなる装置」は売れず、製薬企業が世に送りだした「振りかけると水がおいしくなる粉」は売れました。

企業にとっては明暗がわかれたわけですが、資金出資機関にとっては「おいしい水を飲もうプロジェクト」により、国民がおいしい水を飲むという目的は達成できたのですから、これでよし、となります。

「競争力」や「裾野が広いと山は高い」ということばがあるとおり、さまざまな研究開発機関が切磋琢磨することで、国全体の技術は向上していきます。
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心臓の再生医療実現に二歩近づく


日本人の三大死因の1位は「悪性新生物」つまり「がん」です。では2位はなにかというと「心疾患」つまり「心臓病」です。

心臓病は、3位の「脳血管疾患」(脳卒中)と合わせて「血管病」や「循環器病」とまとめることができます。ただし、治療で扱う部位が心臓と脳ということで大きく異なるため区別されるのが主流です。

心臓病をとっても、心内膜炎・心筋炎・心臓弁膜症・心筋梗塞・心臓神経症・心嚢炎など種類はさまざま。なかでも、心臓の筋肉が伸びきって血液を送りだすポンプ機能が失われる拡張型心筋症や、血の流れが極端に少なくなり心臓に栄養が届かなくなる虚血性心身疾患などの病気は重いものに含まれます。心臓移植手術を待つ患者も数多くいます。

そうした中で、次世代の心臓病治療法として開発が進むのが再生医療。各臓器・器官の細胞に分化する前の幹細胞やES細胞(胚性幹細胞)、またiPS細胞(人工多能製幹細胞)などを、成長させ、心臓の細胞をつくり、患者の心臓にあてがいます。あてがわれた細胞は、時間経過とともにもともとあった心臓の細胞と同化して、最終的に心臓の機能をとりもどします。

幹細胞を使って心筋の機能をとりもどす方法は、すでに大阪大学など臨床的治療が行われています。拡張型心筋症の患者さんに手術をしたところ、患者さんは元気をとりもどしました。

いっぽう、ES細胞やiPS細胞を用いたヒトの心臓の治療はこれからといった状況です。

最近この心臓の再生医療をめぐって、似た二つの進歩的な成果が報告されています。様々な臓器・組織の細胞になりうる細胞を心臓の細胞に使うことに特化するための医療技術です。

国立循環器病センター研究所の森崎隆幸部長と日高京子室長は、ES細胞などを心臓の細胞に効率よく変化させるための手法を開発しました。

マウスの受精卵(各臓器・器官に分化する前の段階にある細胞)を調べたところ、心臓に変わっていくものは「プリオン」というたんぱく質を多く含んでいることがわかりました。

そこで、マウスのES細胞を成長させるとき、プリオンと仲のよい物質をプリオンにくっつけて「この細胞は心臓に変化しそうですよ」という目印にします。こうすることで、心臓に変化する細胞だけを集めることができます。ES細胞のうち、心臓になる部分を選び分けることができるわけです。

この成果は(2009年)11月13日に『米心臓協会雑誌』電子版に発表されました。

それか17日後の11月30日、今度は慶應大学医学部の福田恵一教授らも、ES細胞やiPS細胞から心臓の細胞だけを選びだす技術を開発したと、米国の科学雑誌『ネイチャー・メソッズ』電子版に発表しました。

福田教授の手法は、心筋の細胞にはミトコンドリアが多く含まれることに目を付けたもの。ミトコンドリアは蛍光色素に染まるため、「この蛍光を発している細胞は心臓の細胞ですよ」とわかります。つまり、蛍光の目印により心臓の細胞を選ぶことができるわけです。

この選びわけで選んだ細胞を、マウスの心臓にあてがったところ、9割以上が心臓の組織として定着したといいます。

似た二つの成果が発表された時間差はわずか17日。たまたま発表する時期が近かったのか、それとも競争があったのか、新聞報道はそこまで追いかけていません。しかし、成果が一つよりも二つのほうが、心臓の再生医療にとってプラスであることはまちがいありません。

参考資料
日本経済新聞2009年11月13日付「万能細胞から『心筋』選別 国循センター、再生医療に応用も」
産經新聞2009年11月30日付「万能細胞から心筋細胞を選別・移植 慶応大が新手法、再生医療へ期待」
| - | 23:59 | comments(0) | -
「中古品抜きでは語れない温室効果ガス25%削減」

きょう(2009年12月7日)発売の『週刊東洋経済』では、「中古品大解明!」という特集が組まれています。特集内の「中古品抜きでは語れない温室効果ガス25%削減」という記事に原稿を寄せました。

二酸化炭素など温室効果があるとされるガスの削減を中古品の活用という視点から考えてみる、という趣旨の記事です。

中古品は新品の代わりとなるもの。中古品を使うということは、新品を使わないということになります。新品をつくるのには、金属やプラスチックの素材をつくったり、その素材を工場まで輸送したり、部品を組み立てたりしなければなりません。こういう過程でもエネルギーが発生します。

いま使われているエネルギーは、石炭や石油などの化石燃料を燃やして捻出しているものが主。それらを燃やすときに二酸化炭素が発生します。

こういう理論から「中古品を使うほうが新品を使うよりも、温室効果ガス排出を抑えることができる」という理論がなりたちます。

しかし、とにかく中古品を使えばよい、というほど話は単純ではありません。世の中には、使っている最中にエネルギーを消費するような製品がたくさんあります。こうした製品はたいがい、年式の古いものはエネルギー消費が多く、新しいものはエネルギー消費が少ない、という傾向にあります。

そのため、いつまでも中古品を使っていると、逆にエネルギーをたくさん使って温室効果ガスを多く出すという結果にもなりかねないわけです。

では、中古品を使う場合と新品を使い場合のとで、どちらが温室効果ガスの排出を少なく済ませられるのか。温室効果ガスが出る量の割合が大きい住宅や自動車などについて、見極めの参考となるデータを記事で紹介しています。

中古品を使えばいいのか、新品を使ってもいいのかの答を、消費者がかんたんに見つけることができないのが現状。食品のカロリー表示であれば「ダイエットのためこれは買うまい」といった判断ができますが、「この製品は10年間使用で、二酸化炭素を何キログラム排出します」という表示があっても「ぽかーん」となるだけでしょう。

しかも地球環境問題には、希少金属の使い方といった資源問題からの観点もあります。消費者がものを買うときの判断となる指標をいかにわかりやすく示すかといった社会的課題が、行政や研究者、教育者などには課せられています。

特集全体は「“新品並み”で中古を選ぶ」「総合リユース店が勢力拡大」
「ネットは中古の“宝の山”」といった、経済の観点からの記事が主。『週刊東洋経済』「中古品大解明!」特集号のおしらせはこちらです。
| - | 19:10 | comments(0) | -
「書ける原稿がなにもなくなってしまいます」


原稿を書くときの“とりくみやすさ”について尋ねられたある科学記者は、「やっぱり、自分がその分野をよく知っているほうが原稿に取り組みやすい」といいます。

そのとおりなのでしょう。ある分野について記事を書くとき、背景知識が豊富であれば全体の構想もしやすいですし、「ああ、あんな話もある。こんな話も思い出した」と、発想を追加させていくこともできます。

野球が好きな人は、野球の話題になると水を得た魚のように「背番号がどうの」「球場の構造はどうの」と雄弁に語ります。しかし知識のないサッカーの話になると、やはり言葉は少なくなってしまいます。これと似たことが物書きにもいえるのかもしれません。

逆のこともいえそうです。つまり、背景知識がない中でなにかものを書くということは至難の業なのだといことです。

物書きの世界には「自分の知っていることを超えては書くな」という格言があるといいます。つまり、書く対象となる分野の“しくみ”や“地図”や“全体像”がわかっていないまま書くと、“勘ちがい”や“筋ちがい”や“まちがい”をおかしてしまうということです。

この「自分の知っていることを超えては書くな」という格言を聞いた物書きの見習いは、師匠にこう尋ねたといいます。「師匠、そうすると私には書ける原稿がなにもなくなってしまいます」。

師匠はこう答えました。「それは、しかたのないことだ。自分とはそのくらいの小ささなんだと、いまは悔しがるしかなかろう」。

体験したり、人から聞いたり、本を読んだりすることで「あ、この話、前にも聞いたな」という“塗り重ね”の部分が大きくなっていきます。かつ、塗り重ねは三重にも四重にもなっていきます。

つまり、面積的に広がるとともに、層的にも積み重なっていくわけです。「これなら書ける」という分野は、そのようにしてつくられていくのでしょう。
| - | 23:59 | comments(0) | -
「猛毒ながら予防効果」は矛盾せず


学校での「フッ素うがい」を奨めている県があります。フッ素という原子が含まれた化合物である「フッ素化合物」を水に溶かして、それでうがいをするというもの。

和歌山県では、2007年に「小学校等におけるフッ化物洗口の集団実施を推進する決議」を可決。長野県や北海道旭川市などでも、おなじように学校でのフッ素うがいを奨めるための決議を可決しています。

栃木県と栃木県医師会はこのたび、フッ素うがいの効果を調べました。フッ素うがいをしてきた県南部の中学1年の虫歯率は60.4%、フッ素うがいをしなかったほうは73.5%、また、県北の生徒ではフッ素うがい派が虫歯率41.8%、しない派が65.1%という結果になったといいます。大きな差があります。

フッ素うがいをするということは、口にフッ素化合物を含めるわけです。場合によってはそれを飲み込むこともあるでしょう。うがいだけでなく、フッ素化合物が練り込まれている歯磨き粉などもあります。

ところで、フッ素について『理化学辞典』や『広辞苑』などの辞書では、かならず「猛毒。」と書いてあります。フッ素という元素はものすごい毒性をもっているわけです。

フッ素の“猛毒”性とは、どのようなものなのでしょう。毒性には、急激にからだがおかしくなる急性のものと、じょじょにからだがおかしくなる慢性のものがありますが、フッ素の毒性もこの両方があります。

急性の場合は、一般的に吐き気や腹痛、下痢などの中毒症状が起きるといわれています。さらに症状が進むと、けいれんを起こすといったこともあります。

いっぽう慢性の場合は、フッ素症という症状が見られるといいます。国連国際緊急児童基金(ユニセフ)は1999年「過剰フッ素を慢性的に摂取すると、非常に重症で永続的な、骨や関節が変形する骨フッ素症となる」という警告を発しました。

「猛毒であるフッ素が含まれる水道水でうがいしたり、ときには飲み込んでしまったりしても平気なのか」と、心配する親や先生もいることでしょう。

これには、“毒”というものに対する考え方を深めることが大切になります。

まず、急性の場合、体重30キログラムの子どもでは60ミリグラムのフッ素をとると中毒になるといわれています。ヤクルト1本くらいの量を一気に飲み込む計算です。

いっぽう、フッ素うがいで使われている液を飲み込んでもフッ素の量は2ミリグラム未満とされています。フッ素うがいの液を一度に30回分飲むと中毒を起こす水準になります。

「料理にすこしだけ垂らせば美味しさを引き立てるしょうゆも、がぶがぶと飲んでしまったら毒になる」とはよくいわれるもの。これと同じことがフッ素にもいえるでしょう。

慢性の場合は、たしかにユニセフがいうようなフッ素症が気になるところ。いっぽうで、同じ国連の世界保健機関は、虫歯予防という観点からですが、フッ素を含む水道水の利用を一貫して推進しています。

これは、フッ素には、からだにとってよくない影響をあたえる側面と、よい影響をあたえる側面の両方があるということを示しています。ひとつのものを、“善”か“悪”かでは決められないというのは、フッ素という物質だけにかぎったことではありません。

フッ素うがいやフッ素入り水道水の利用について、世界では日本より進んでいる国は多く、日本はやや遅れ気味というのが現状のようです。

参考資料
朝日新聞栃木版2009年11月18日「フッ素うがい 中学生でも虫歯の予防に効果」
参考ホームページ
歯チャンネル88「フッ素の安全性」
「ユニセフがフッ素の安全性に疑念を表明」
水道水フッ素化委員会「歯科医師会と水道水フッ素化」
| - | 23:59 | comments(0) | -
書評『江戸・キューバに学ぶ“真”の持続型社会』


地球環境の悪化に対する危惧のなか、「持続可能な開発」ということばが脚光を浴びるようになった。「資源を使いすぎたり地球環境を汚染したりして、元の状態に戻れない」状況までにはならない程度に開発をつづけるという意味だ。

この持続可能性を重視した社会とは本当はどういうもなのかに迫るのが本書である。

本書でも指摘していることだが、持続可能な発展の必要性がいわれるなかで、いまの社会は大量生産や大量廃棄などがもたらす物の問題を、新しいものづくりの技術で封じ込めようとする風潮がある。環境にやさしい自動車や家電製品、また太陽光発電等の製品を社会に出まわらせて、エネルギー消費の少ない社会を実現しようというのはその典型だろう。

だが、こうした「技術力で資源問題を解決する」という方法に対して、著者たちは警鐘を鳴らす。

―――――
モノづくりによってもたらされた問題を新たなモノづくりで解決することは困難である。永久に使える製品はこの世の中には存在しない。また、製造される製品も、物質の塊である以上、資源や環境の制約を平等に受けているのである。
―――――

では、どのようにしたら“真”の持続型社会を手に入れることができるのか。著者たちは、修繕や再利用などの環境サービスを組み合わせた社会の実現こそが、その答だという。

その模範になり得る社会が、江戸時代の日本と、近年のキューバにあるという。それぞれの1章ずつ割いて、江戸時代の生活をつぶさに調べてきた作家と、物資不足のキューバを観察してきた農業研究家が、それぞれの社会が創ってきた生活の智慧を紹介する。

江戸時代の日本は幕府が鎖国という政策とったため、植物など自国資源に頼らざるを得なかった。また近年、西側諸国と対立してきたキューバにも同様の事情はあった。「そうならざるを得ない事情」のなかで工夫は生まれてきたといえるかもしれない。

ひるがえって、現代の社会で「そうならざるを得ない状況」はまだ来ていない。この点に“真の持続型社会”を創れるかという議論の余地は残っている。とはいえ、現代の物が物を上書きするような社会の中に一石を投じる内容になっている。

『江戸・キューバに学ぶ“真”の持続型社会』はこちらで。
| - | 23:59 | comments(0) | -
“なにくわぬ”の効果を社会で実験(後)


“なにくわぬ顔をすればばれないか”を試す実験に似た実験をする舞台はコンビニエンスストアなどの店舗です。

このごろは環境問題への意識の高まりから、店員が客に購入商品について「袋に入れますか」と聞いてきます。でも「袋に入れますか」と聞かない場合もあります。客への対応がそれほど厳しくマニュアル化されているわけではないもよう。

そこで、「袋に入れますか」と聞いてこない店員に対して、客であるこちらのほうが「このままで……」と言います。

じつは、これが疑似実験だといいます。大切なのは、この「このままで……」を、“何も伝えていないかのような口ぶりで店員に伝える”こと。

店員は「はい」と、承知したことを示す返事をします。しかし、その直後、おもむろにレジ袋を手に取り、購入商品を詰め込もうとします。

 客「あのー。ですから、このままで……」
店員「あっ、すいません。そうでした」

このようなやりとりにもちこむことができれば実験で効果のほどが確かめられたことに。この結果は「なにくわぬ口ぶりで話せば、相手の耳にことばを届かせながらも、メッセージは伝えない」ということが可能であることを支持することになります。

客側の「このままで」がよく聞き取れなかったけれど、店員が「はい」と言ってしまう場合も考えられます。それを防ぐため、はっきりと「このままで」という必要があります。でも、はっきりと言いすぎると、メッセージがちゃんと伝わってしまいます。この加減がむずかしいのだと、実験をしたことのある人は言います。

長い人生のなかで、“なにくわぬ表情”を見せたり、“なにくわぬ口ぶり”で話したりすることでうまくいくという場面は、ときどきおとずれるもの。試される店員にとっては失礼な話ではありますが、コンビニエンスストアでの実験は、“その日”のための備えにもなるのかもしれません。
| - | 23:56 | comments(0) | -
“なにくわぬ”の効果を社会で実験(前)


駅にまだ自動改札機がおかれていなかったころ、改札口にはきっぷ切りの駅員が立っていました。

いまではきっぷや定期券に不正があると自動改札機の扉が閉まるようになっています。でも、かつては駅員が改札に立ち、定期券が期限を過ぎていないか、きっぷが昔の日付になっていないか、料金は足りているかといったことを確かめていたわけです。

通勤時間帯などで乗客が押しよせる時間に、改札の駅員がすべてのきっぷや定期券をくまなく確認するのは至難の業。そこで駅員はこんな“裏技”を使っていたといわれています。

むこうから改札にやって来る乗客の表情や態度などを見る。不正を働こうとしている人の表情はどこかおどおどしているから目星がつけられる。その人が示すきっぷや定期券だけに注意を払うようにする……。

こうすることで、「お客さん、料金が足りませんよ」と声を掛ける率を上げていたということです。

あくまで噂話です。でも、もしこれが本当だとすると、逆に客が不正を働こうとする場合、不正を働いているような表情や素振りをしなければ、改札を通り抜けられることができていたのかもしれません。

もちろん、不正乗車はすべきではありません。それに、いまの自動改札で、なにくわぬ顔をしてきっぷを入れても扉にひっかかるだけ。“なにくわぬ顔をすればばれないか”実験を駅で試すことはできません。

しかし、“なにくわぬ顔をすればばれないか実験”の疑似的な方法があるといいます。しかもその方法なら、人さまに迷惑をかける心配もあまりないというのです。つづく。
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