科学技術のアネクドート

“第一・第二”を3セットやれば汗かく。


「知られざる日本文化」といった雑誌企画や放送番組が海外にあるとすれば、「日本人の大半は“ラジオ体操”という体操をすることができる」といった話題もとりあげられるのではないでしょうか。

小学校高学年から中学生ぐらいにかけての年齢層にとって、ラジオ体操は「真剣に取り組むにはちょっと恥ずかしい」といったものかもしれません。

第一体操には、最初の「背伸びの運動」の次と最後の「深呼吸」の前にある「腕を振って脚を曲げ伸ばす運動」があります。普通にやれば脚は“がにまた”の姿勢に。これが嫌で、脚を“がにまた”にしないことはもとより、脚を曲げさえしない子どももいます。

また、第二体操でも、2番目の「腕と脚を曲げ伸ばす運動」では、「筋肉もりもり」のような姿勢をとるため、恥ずかしがる子どもはいるようです。

恥ずかしがって真剣に取り組もうとしない男子と女子に対して、先生は「いいか、お前たち。ラジオ体操も真剣にやれば、汗をかくぐらいのよい運動になるんだぞ」と諭します。

実際、ラジオ体操の運動量はどのくらいなのでしょうか。

インターネット上には、水泳、ランニング、自転車など、運動の種目別で消費熱量を比較できるサービスがいくつもあります。ラジオ体操もその中にはちゃんと含まれてあります。

どのサービスを見ても、だいたいラジオ体操の熱量は、普通の早さで自転車を漕ぐよりも消費熱量が多く、早歩きのときとおなじといった計算がされています。

この結果から、インターネット上でもラジオ体操に対して「有酸素運動として大変優れた効果をもたらしてくれます」や「侮るな、ラジオ体操」といった賞讃の声が数々あがっています。

ただ、少しだけ注意が必要なのは、ラジオ体操は曲の時間がそれほど長くないという点。第一も第二も3分と少し。最後の深呼吸をしおえると「ああ、やりとげた」という充実感に満たされます。

いっぽう、ダイエットや健康増進のため自転車や早歩きに取り組んでいる人の多くは、短くても15分から20分ほどは運動を続けるもの。3分では「まだ、これから」といった感覚の人も多いでしょう。

つまり、自転車や早歩きとラジオ体操を同じ土俵で考えるには、自転車や早歩きを3分で打ち切るか、またはラジオ体操を“第一・第二→第一・第二→第一・第二”と、3セットほど行うかするのが比較的妥当なやりかたといえるでしょう。

「ラジオ体操第一と第二を3セット」は、想像するだけでもかなり汗をかきそうです。
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行動分析で継続技術を得る


行動分析学という学問分野があります。人や動物の行動を分析する学問であり、米国の心理学者バラス・スキナー(1904-1990)が創始しました。

ものの説明では、環境を操作することで行動がどれだけ変化したかを記述することにより、行動の法則を見つけ出すのが行動分析学。日本行動分析学会のホームページには分析する対象を端的に示すため「人は、なぜそのように行動するのか、あるいはまた、なぜ行動しないのか」という一文が載っています。

日本には、この行動分析学をもとにした認定講座まであります。「“継続は力なり” 行動継続技能認定講座」というもの。日本余暇文化振興会という財団法人が監修・認定しています。

読書、日記、語学学習、禁煙、ダイエット、整理整頓、良好な人間関係などを継続させるための技能を認定する、ちょっと変わった講座です。この認定講座のホームページに載っている文言を拾ってみますと……。

「(行動分析について)人間の内面の問題を解決する手法でなく、目に見える行動に焦点をあてて分析する知識と技能できる技術です」

「目に見える行動に焦点をあて、行動環境を整えることにより、自発的、継続的行動をできる分析手法を仕組み化できます」

「行動分析(行動科学)の過去40年以上の何千という実験結果から、はっきりいえます。あなたが思っているほど、意志ややる気という内面は、関係がないのです。注目するところ目に見えない内面ではなく、表に現れる『行動』なのです」

人がものごとを継続させるということを、「気合い」とか「精神力」に求めるのでなく、長く続きさせる環境づくりに求めるのが、行動分析による継続技能の本質のようです。

たしかに、気合いや精神力は数値化できないため学問の対象にはなりにくいものでしょう。しかし、学問の対象にならないからといって、気合いや精神力がものごとの継続には必要ないといえるわけではありません。

日本行動分析学会のホームページはこちら。
「“継続は力なり”行動継続技能認定講座」のホームページはこちら。
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誤変換より推敲度の深い“てにをは”まちがい
 雑誌や本などではたまに誤用が見られます。私的なブログなどでは、すぐに修正をすることもできますが、印刷されたものとなるとそうはいきません。

雑誌の場合はそのままにするか内容が重要なときは翌号以降に訂正記事を載せるか。本の場合は増刷のときに訂正することが多いようです。

誤用の生じかたもさまざま。コンピュータ入力でよくあるのは、漢字の誤変換。「ミーティングに参加した」を「ミーティングに酸化した」とするような場合です。「参加」と「酸化」ほど、明らかな違いがあれば明確です。しかし、「係長は網走支店に異動となった」を「係長は網走支店に移動となった」とするようなものでは「異動」と「移動」はけっこう気付きづらいもの。

この手の誤変換は、執筆の第一段階で入力をしたときに起きるもの。推敲のときにわざわざ「異動」を「移動」に改めることはまずありません。

いっぽう、推敲のとき起きるおそれの高い誤用もあります。「てにをは」と呼ばれる、助詞・助動詞などの使いかたについての誤りです。

出版前の編集段階でよく見られるのは、次のようなもの。

「委員会は議定書が採択した」。

これだと「議定書」が主語になってしまいます。あるべき表現は「委員会は議定書を採択した」。つまり「が」は「を」に換えられるべきです。

書き手に「こんな単純なまちがいをしやがって」と責めようとする編集者もいるかもしれません。しかし、この手の誤用は、冒頭の「ミーティングに酸化した」といった類の誤用よりも“書き手の努力の跡が感じられる誤用”といえるものかもしれません。

おそらく書き手は、最初「委員会で議定書が採択された」と書いたのでしょう。

しかし「議定書が採択される」というような“主語がもの・ことで、述語が受け身”の文は、一般的に言葉の力を弱くするものといわれています。

そこで、書き手は推敲のとき、「主語をこと・ものにするのはやめよう」と考え、「委員会」を主語にする文にあらためることに。「委員会で」は「委員会は」となり、「採択された」は「採択した」となります。

ところが、この書き手は「議定書が」を「議定書を」にあらためることを忘れてしまいました。そのため「委員会は議定書が採択した」という誤用に。

“推敲を重ねた結果ゆえの誤用”という少し皮肉な結果です。もちろんより一層の推敲が足りなかったといえばそれまで。しかし、原稿に「ミーティングに酸化した」という誤用があるのと、「委員会は議定書が採択した」という誤用があるのとで、書き手の推敲の深さの差を感じることもできるわけです。
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「チャンバ」の正体は「容器」

あたりまえのように使ったり耳にしたりする言葉でも、「それがなんなのか説明しろ」と言われるとわからない、といったものがあります。

アニメ番組の世界では、かつて放映されていた高橋陽一さん原作『キャプテン翼』の主題歌「燃えてヒーロー」に、「あいつの噂でチャンバも走る」という歌詞が出てきます。この、走っている「チャンバ」とはなんなのかをめぐり、さまざまな説が飛び交っています。スペイン語の俗語で「酔っぱらい」を指すとか、ポルトガル語で「新聞記者」を指すとか、「婆ちゃん」を逆さにした業界読みだとか……。

いっぽう、半導体の世界での「チャンバ」は、一般の人にとっては「どっかで聞いたことがあるが」くらいで、よく使っている人には「なんのことはない」といったほどの知られ具合でしょう。

半導体の世界の「チャンバ」は、英語で“Chamber”。「会館」や「公式の間」や「謁見室」といった意味もありますが、もう少し抽象的で小さな「容器」や「小空間」といった意味あいが強いものです。

このチャンバの中で化学的または物理的な反応を起こして、半導体を作ります。例えば、半導体の薄膜の作り方に、プラズマ化学気相成長法という方法があります。つくりたい薄膜の成分を含む原料ガスを半導体の基板にあたえ、基板の表面に起きる化学反応を使って膜を作るのが化学気相成長法。このうち、原料ガスを電気的に中性なプラズマという状態にして薄膜を作る方法がプラズマ化学気相成長法です。この方法をチャンバの中で行うわけです。

半導体づくりでは、薄膜やフォトレジストという層を積みかさねてから、その層に紫外線を当てて部分的に削りとり、回路パターンを残していきます。

削り取った層は、半導体からすればいわば不要物。基板上の少しのちり・ほこりの存在も重大な欠陥につながります。そのためチャンバのような小空間内で半導体づくりの工程を進める必要があります。


また、おなじ半導体づくりで使われるチャンバでも、上の画像のものは「ドラフトチャンバ」や「ドラチャン」と呼ばれるもの。こちらも「小空間」です。空間の中で有害な物質を扱います。

いずれにしても、“あいつの噂で走ってくる酔っぱらい”の立ち入りは禁止したほうがよさそうです。
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「正論よりも、正直さが人を安心させるんじゃないでしょうか」

きょう(2009年11月)26日(木)、日経ビジネスオンラインのコラム「鈴木義幸のリーダーシップは磨くもの、磨けるもの」に、早稲田大学ラグビー蹴球部の監督・中竹竜二さんと、コーチA社長・鈴木義幸さんの対談が掲載されています。前半の紹介記事はこちら

後半の話に中心になるのは「中竹さんは、なぜリーダーに選ばれるのか」。子ども時代には学級委員長、大学生のときは早稲田大学ラグビー部主将、そして2005年には監督に選ばれています。ただし、いずれも中竹さん自身が「俺がリーダーをやる」と手を挙げたのではありません。

ラグビー部主将を引き受けたときも、「最後は『私がやらないとしかたない』という使命感です。『やりたい』といった気持ちはまったくありませんでした」と中竹さんは言います。

そんな中竹さんに、鈴木さんが「なぜ学級委員長や主将に推薦されたのだと思いますか」と訊きます。

「正論を通すのではなく、自分の正直な気持ちを出すという個性がにじみ出ていたのかもしれません。『もっと普通にやりましょうよ』といった雰囲気」

「人は、組織の方針や、社会でいわれている正論だけで生きていては辛いし、ストレスになるものだと思いますから」

正論を前面に押し出すことはせず、自分の心に正直なままに語ることを中竹さんはしてきました。「正論より正直さ」が人を安心させること。それがリーダーに選ばれてきた理由だったのではと中竹さんは自己分析します。

結果的にリーダー役をつとめることになったとしても、リーダーになる過程はきわめて受動的。しかし、それでいて、早稲田大学ラグビー部を、2007年、2008年と全国大学選手権2連覇に導く結果も出しています。

世の中には、“しかたなくリーダー役を引き受ける”という人は多いのかもしれません。そういう人にはそういう人なりのリーダーのつとめかたがあるということを中竹さんは語っています。

日経ビジネスオンライン「鈴木義幸のリーダーシップは磨くもの、磨けるもの」の中竹竜二さん・鈴木義幸さん対談後編「正論よりも、正直さが人を安心させるんじゃないでしょうか」はこちら。
前編「所詮、自分以外はみな他人なんですよ」はこちら。
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不朽のカレー新書、カレー選書、カレー小説――カレーまみれのアネクドート(17)
 本には、出版から何年経っても色あせない定番があります。これはカレー本の世界にもいえること。不朽の名作を、新書・選書・小説から。


『カレーライスと日本人』は、写真家でありジャーナリストである森枝卓士さんが著した新書。

カレーについてあれこれ思い浮かんだ疑問を解くため、森枝さんはまず本場インドへ向かいます。そして、日本式カレー輸入元の英国へに足をのばします。旅先で入手した情報を携え、いよいよ日本人とカレーの関係をひもといていきます。

日本人の食文化にいまや深く浸透したカレーの歴史を、その源流インドから大河を下るように、見渡していくことができるつくり。

日本人にはカレーの原風景なるものが共通項的に存在するのでは、という思いを読者に抱かせる一冊。


『カレーライスの誕生』は、食文化研究家で2005年に亡くなった小菅圭子さんが遺した一冊。文明開化期、日本にカレー文化が輸入されたころからいまにいたるまで、ジャパニーズカレーの歴史が詰まっています。

近代化の歩みとともに日本は、カレーパン、カレーうどん、ドライカレー、レトルトカレーといった、カレーの新商品を生みだしていきました。これら“発明”の裏側にあった人々の試行錯誤のドラマを生き生きと紹介しています。

カレーうどんやカレーパンといった定番の仲間入りを果たすような、カレー加工品が近ごろはなかなか出てきません。ド定番となっているカレー商品には、その裏打ちとなる開発努力があったことを読者は思い知らされることでしょう。


『カレーライフ』は、小説家・竹内真さんによる青春小説。

主人公のケンスケは就職を間近に控えた19歳。父が死ぬ間際に病床で一言「お前はカレー屋を開くつもりなんだろう」と告げます。それは、洋食屋を営んでいた祖父が死んだとき、ケンスケたちがいとこ同士で「大人になったらカレー屋になろう」と誓った約束だったのでした……。

ケンスケは、アメリカへ、インドへ、沖縄へ。世界各地で暮らすいとことの再会を求める旅へ出ます。各地のカレーの美味しそうな描写が相まみえます。

いとこどうしが、カレーの具よろしく、様々な性格を発揮しながらカレー屋のオープンに向けて一致団結していく姿がすがすがしい。

『カレーライスと日本人』はこちらで。
『カレーライスの誕生』はこちらで。
『カレーライフ』はこちらで。
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混じりけある「真水」


「真水」ということばがあります。塩などの入っておらず、混じりけのない水のことです。

この「混じりけのなさ」という意味合いから、「真水」が水のこと以外にも使われています。多くの方が目や耳にするのは、行政関連の報道などでしょう。

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麻生前政権は、世界的な経済金融危機に伴う国内景気の急激な冷え込みに対して、真水で14兆円強の景気対策を09年度第1次補正予算で実施し、実際に景気下支えの成果を出した」(新聞記事より)
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このように、政府がとる経済対策に対して「真水」が出てきます。経済対策にあてる予算の大きさを「90兆円規模」など「規模」で表します。この景気対策の規模は、実際に政府がお金を出す分と、政府の景気政策に刺激を受けて民間企業などが事業にお金を投資する分を加えたもの。

この場合、「混じりけのない」のは、政府のお金が直接的に景気対策に効果を与える分、つまり「実際に政府がお金を出す分」となります。

しかし、「真水」の定義はあいまい。「実際に政府がお金をだす分」のなかでも、「公共事業を行うために政府予算で土地を取得した」といったことは、真水には含めないとする向きもあります。

政府の景気対策を言うときの「真水」は、かなり定義に混じりけがあるといえるでしょう。
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「使われなくなる日がいつかくる」


石油の枯渇が心配されています。枯渇とは「尽き果ててなくなること」をいいます。

石油は将来、ほんとうに枯渇するのでしょうか。

よく知られているのは、石油など化石資源が「あと何年採りつづけることができるか」を示す採掘可能年数には変動があるということです。

採掘可能年数は、確認されている埋蔵量を、その年の年間生産量で割って求めるもの。確認されている石油の埋蔵量が仮に100だとして、今年使った石油の量が10だとすれば、「100÷10」で、「あと10年」となるわけです。

しかし、新しく油田が開発されて確認埋蔵量が増えることもありますし、使う石油の量も年ごとに変わってきます。つまり、分母も分子も変わり得るわけです。石油大手の一社BPの調べでは、ここ20年間「あと40年」という状況は変わっていません。

いっぽう、日本の業界連盟である石油鉱業連盟の計算は、この方法とは少し異なります。確認されている埋蔵量の分とともに、技術革新や資源発見の影響分も加味して、2007年の時点で「あと68年」としています。より現実的な数値とはいえるでしょう。

しかし、「石油が枯渇する」という状況は市場の原理を考えると、まずありえない状況といえるでしょう。

石油が限られた資源であり、使うほど絶対量が減っていくという点はあるとします。しかし、石油の絶対的な量が減ってくれば、とうぜん石油の価格は値上がりします。すると、石油の消費者はほかの資源との価格を比較しはじめます。

人々はより安い資源のほうに飛びつくもの。石油の絶対量が少なくなれば、価格は上がるため、市場のなかで見向きされなくなります。上の採掘可能年数の計算からしても、分母が小さくなれば、「あと40年」があと「100年」になり、「あと68年」はあと「120年」にもなるでしょう。

石油の可能採掘年数をめぐる「枯渇」という言葉は、「最後の一滴までなくなる」というほど厳密な意味ではないでしょう。しかし、それでも、枯渇することはなさそうです。「石油が使われなくなる日がいつかくる」というほうが適切でしょう。

参考記事
産経ニュース「石油枯渇まで68年 石油鉱業連盟」2007年11月29日
資源エネルギー庁「エネルギー白書2009」
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「2020年までに25%削減」はけっこう不可解


鳩山由紀夫首相は2009年9月、国連の場で「2020年までに温室効果ガスを25%削減する」といったことを述べました。国内外から“鳩山イニシアチブ”として、賞讃を受けたことも伝えられます。

ところで、この「25%削減」とはどういう意味なのでしょう。

鳩山首相が9月の国連のおおやけの場で「25%削減」を述べたのは2回。9月22日の国連気候変動ハイレベル会合と9月24日の国連総会での演説です。

国連気候変動ハイレベル会合
「また、中期目標についても、温暖化を止めるために科学が要請する水準に基づくものとして、1990年比で言えば2020年までに25%削減を目指します」

国連総会
「新しい日本政府は、温室効果ガスの削減目標として、1990年比で言えば2020年までに25%削減を目指すという非常に高い目標を掲げました」(日本語訳は両方とも朝日新聞配信のもの)

「1990年比」と「2020年まで」と「25%削減」という三つの数字が出てきています。

1990年は、先進国が温室効果ガスの排出削減を話し合って決めた京都議定書にある「基準年」です。温室効果ガスの種類によっては1995年の1年間で出た量を基準年としているものもありますが比率は少ないので、「1990年を基準年」と考えてもよいでしょう。

この基準年に、日本は温室効果ガスを二酸化炭素に換算して12億6100万トン出したとされています。

ここで「1990年比」と、過去の1年間のことをいっているわけですから、比べるものも「2020年まで」の1年間となります。

その「2020年まで」の1年間というのは、今年2008年はもう無理でしょうから、2010年から2020年の11年間のうちの「1年」となります。

このなかの1年で、1990年の1年間の温室効果ガス排出量である12億6100万トンから「25%削減」した「9億4575万トン」までに年間排出量を抑えた1年間を経験すれば、中期目標達成となるわけです。

しかし、「国民のみなさん、来年の2010年は暖房をぜったいに使わないで、二酸化炭素を出すのを極力がまんしましょう。2010年に25%削減の目標を達成すれば、翌2011年からたくさん二酸化炭素を出しても構いませんからね」というわけではありますまい。ダイエットのリバウンドのように、逆に排出量が増えてしまったら、政策的には失敗となります。

このあたりをどう解釈すればいいのかについては、省庁や報道などの情報ではかんたんに見あたらないのが現状。ただただ、「1990年比で2020年までに25%削減」と伝えるばかりです。

確実にいえることは「1990年比で2020年までに25%削減」というのは「2020年までうちの1年間で、1990年の年間排出量に比べて25%削減する年を経験する」ということです。

「2020年までに25%削減」のほんとうの意味を理解できる人がどれだけいるのかという話。

国連ハイレベル会合での鳩山首相の演説の全文(日本語)はこちらで読めます。
国連総会での鳩山首相の演説の全文(日本語)はこちらで読めます。
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「人道的わな」も標準化議論の対象


工業の分野での国際的な標準化組織のなかでとくにしられているのは国際標準化機構(ISO)でしょう。

国際標準化機構が発行する環境マネジメントシステムに関する国際規格の「ISO14000」(環境ISO)や、品質マネジメントシステム関係の国際規格である「ISO9000」(品質ISO)などを、企業や組織で推進しているという方も多いかもしれません。

もちろん、国際標準化機構がやっていることはこれだけではありません。国によってことなる様々な規格を統一するため、さまざまな分野の技術委員会が開かれています。技術委員会は“Technical Committee”の頭文字から“TC”とよばれ、分野ごとに1から243までの番号が付いています。つまり、200以上もの分野についての標準化が話し合われている(または話し合われていた)わけです。

なかには「これはなんだ」という分野や「こんなものまで標準化をするのか」といった分野もあります。

TC24は「ふるい、ふるい分け及びふるい分け法以外の粒子径測定方法」。この分野については、日本では日本粉体工業技術協会という社団法人が、ISO対応委員会をつくっており、そのなかの「ふるい小委員会」委員へのよびかけ文をインターネット上で見ることができます。

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ISO/TC24 事務局から今年9月に英国ストラドフォード・アポン・エイボンにてSC8(ふるい関係)を開催する旨の連絡が入っています。今回の主題は、はっきりしていませんが、ふるい関係の今後のISO 活動として、何を行うべきかということになるだろうと思います。ただ、昨年の国際会議のように5カ国が集まらない場合には正規の会議とはなりませんが、とりあえず、開催を前提に、我が国として何を要求すべきか審議しておきたく、下記のように国内委員会を開催いたします。
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このよびかけ文を見るかぎり、それほどTC24は議論しあう話題は多くはないようです。

TC87は「コルク」。たしかにコルク栓の規格がメーカーごとにばらばらだったら、ワイナリーなどは困ってしまうかもしれません。国際標準化機構の日本窓口である日本工業標準調査会は、このTC87について「動いているTC」と評しています。

しかし、日本からの委員会への参加はあまり活発ではないもよう。同調査会は「国際標準化活動基盤強化アクションプランの実施状況について」という資料のなかで、「コルク生産会社は国内で3社。以前国内審議団体として登録されていた『日本コルク同業界』は解散したので業界団体的なものはない。誰も見ていない状態は問題」と、現状の打破をよびかけています。

また、いまは休止中ですが、TC191の「人道的わな」という技術委員会もあります。「人道的わな」とはいったい何のことでしょう。

英語での分野名には“Animal(mammal)traps”とあります。つまり動物をつかめるためのわな。日本規格協会という団体の資料によると、TC191の目的は「効果的な動物(哺乳類)用わな及びその使用のテスト方法、専門用語、分類、特性の標準化」を目指すこと。

「非人道的わな」が、人をおとしめるものだと考えれば、「人道的わな」はたしかに動物を捕獲するものといえなくもなさそうです。ちなみのこの委員会はいまのところ休止中です。

標準化は、製品や技術の互換性を高めて、使い勝手をよくするためには重要なこと。分野の数だけ標準化に向けた議論の場があるといってもいいのかもしれません。

国際標準化機構のホームページはこちら。
国際標準化機構の技術委員会の一覧は、日本規格協会のこちらの資料でご覧いただけます。
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「困らんもんね」を「困らんけど、必要だよね」に


内閣府の行政刷新会議による事業仕分けの結果が話題になっています。

「国、地方公共団体及び民間の役割の在り方の見直しを行う」(内閣府)ことを目的としたもので、国の予算で行われる事業を「廃止」「来年度予算見送り」「予算要求の縮減」「予算要求通り」などに振り分けていきます。

科学技術分野の仕分けでは、仕分け人の意見やワーキンググループの結論に対して、多くの反発の声が上がっています。

おなじ内閣府にある総合科学技術会議からは19日(木)、研究者などで構成される有識者議員が「科学技術関係予算の確実な確保について」という緊急提言を出しました。

この提言では「国としては、まさに国家百年の計の下、長期的な視点に立って、継続的かつ安定的に科学技術政策を実施していくことが極めて重要」としたうえで、今回の事業仕分けについて「短期的な費用対効果のみを求める議論がなされるなど、国として長期的視点から推進すべき科学技術に対しては必ずしも馴染まない部分があると懸念している」と意見を述べています。

事業仕分けに省庁側の説明者として出席した日本科学未来館館長の毛利衛さんも「予算要求の縮減」という結論を言い渡され、報道に「はじめに結論ありきという印象も否めませんでした」と感想を述べています。

予算の削減や事業の廃止などを言われた研究者側にとっては、「1時間のそこそこの議論で結論をくだされるなんて、たまったもんじゃない」というのが正直なところでしょう。

研究者側からの意見として聞かれるのは、「科学の成果はそんなにすぐに形に現れるものではなく、財政論に終始するのはいかがなものか」といったものです。

これとともに、現実問題として「予算が削られる→研究ができなくなる→ポストがなくなる→職にあぶれる」といった、自分たちの職に対する危機意識もあるのかもしれません。

研究者側が、不利な形勢を逆転させるにはなにが重要なのでしょう。

市民の後押しを得ることは大切な要素になります。産業の役に立たないようにみえる科学分野であっても、市民の関心を引き付けることで発展してきたものはあります。天文分野などはその例。

報道によれば、今回の事業仕分けを指示した市民は7割にのぼりました。この7割の中には「科学技術なんて関心がないし、そんな事業なくたって、うちの生活、困らんもんね」という人も含まれているでしょう。

「続けることがいつかは国民のためになるのです」と訴える研究者たちが問われているのは、科学技術の分野はなぜ特別扱いされるべきなのかを国民に対して訴えて「うちの生活、困らんけど、必要だよね」という人を増やすことです。

「財政的に見合わなくても続けていく必要のあるものが、科学技術にはあるんです」ということを研究者が市民に訴えるために用意されていた時間は、これまで1時間だけではなかったはず。これからも1時間だけではありません。

19日までの「事業仕分けの評価結果について(速報版)」はこちら。
総合科学技術会議有識者議員の緊急提言「科学技術関係予算の確実な確保について」はこちら。
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「所詮、自分以外はみな他人なんですよ」


日経ビジネスオンラインで2009年9月まで「鈴木義幸のリーダーシップは磨くもの、磨けるもの」という連載がありました。コーチング企業「コーチA」社長である鈴木義幸さんがリーダーシップ論を展開する企画です。

連載は9月で終わりましたが、“延長戦”となる記事が11月19日(木)に配信されています。早稲田大学ラグビー蹴球部監督の中竹竜二さんとの対談で、題は「所詮、自分以外はみな他人なんですよ」。この記事の構成をしました。編集は連結社。撮影は佐藤類さん。

水準の高い運動競技における監督とは、つねに勝ちを求められるもの。早稲田大学のラグビー部の場合もおなじです。中竹さんは、自分の性格を分析したうえで、選手と面接を徹底的にするという方法で部を率いることにしました。

選手との面接をすることで得られることは「選手が“自分らしさ”を見つけられること」といいます。逆境のときでさえ強い精神のままでいられるためには自分らしさが必要だと中竹さんは話します。

監督から「お前はこうしろ。お前はああしろ」と言うのでなく、選手の自分らしさを引き出して試合で発揮させるという姿勢は、トップダウン式とは真逆の方法といえるでしょう。

自分らしさを重視するという方法が、中竹さんの中でそもそもなぜ芽生えたのか。中竹さんは「私はあまり周りに対して信用も期待もしていないんです」と言います。周りの評価に左右されず、「この人は自分の考えをわかってくれるかな」という見方で考えるための軸になるのが自分らしさだと中竹さんは言います。

トップダウン型とは異なるリーダーシップ論を探す動きは様々ですが、中竹さんの方法もその一つといえるでしょう。

日経ビジネスオンライン「鈴木義幸のリーダーシップは磨くもの、磨けるもの」はこちら。
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2010年1月23日(土)24日(日)は「日本の“科学技術コミュニケーション”のこれから」


催しもののお知らせです。

来年2010年1月23日(土)から24日(日)にかけて、札幌市北区の北海道大学で国際シンポジウム「日本の“科学技術コミュニケーション”のこれから」が開かれます。

主催は北海道大学科学技術コミュニケーション養成ユニット(CoSTEP)。CoSTEPは科学技術振興調整費・新興分野人材養成プログラムという国の予算で行われている教育。早稲田大学の科学技術ジャーナリスト養成プログラム(MAJESTy)、東京大学の科学技術インタープリター養成プログラムとは、いわば姉妹関係にあります。早大や東大にさきがけて2005年10月から授業を開始しました。

これまで、科学を語らいながら喫茶するサイエンスカフェが認知されるようになったり、科学の伝え手を世の中に輩出したりと、費用対効果の点でははかりきれないながらも、3大学は一定の成果を出してきました。

しかし、3大学とも、科学技術振興調整費を受けられるのは2010年3月まで。予算が切れる分野に、人は寄り付かなくなるといわれます。科学技術コミュニケーションとよばれる分野も、蜘蛛の子を散らすように人が離れていくのでしょうか。

岐路に立たされる直前での「日本の“科学技術コミュニケーション”のこれから」といえましょう。

2日間とも、講演の部とパネルディスカッションの部があります。

1日目の1月23日(土)の講演の部では、午前中、CoSTEP特任准教授の石村源生さんが「科学技術コンテンツを『コミュニケーション生態系』の中に位置づける」、ニュージーランド・オタゴ大学サイエンスコミュニケーションセンター長のスペンサー・デイビス・ロイドさんが「A Frame Work for Science Communication from a Down Under Perspective」、科学ジャーナリストの小出五郎さんが「科学コミュニケーション:送り手のリテラシー、受け手のリテラシー」という演題で講演。

午後のパネルディスカッションでは「『関係性のデザイン』としての科学コミュニケーション」など二つのテーマが用意されています。

2日目の24日(日)は、午前中、北海道大学高等教育機能開発総合センター准教授の三上直之さんが「CoSTEPでの『対話の場の創造』の実践:科学技術の市民参加に向けて」、英国ニューカッスル大学のトム・ウェイクフォードさんが「From Transmission to Co-inquiry:Future Trends in Science Communication from a European Perspective」、大阪大学コミュニケーションデザインセンター教授の小林傳司さんが「科学技術への市民の関与:市民参加・市民 科学の可能性」という演題で講演。 

午後のパネルディスカッションでは、「科学技術をめぐる『市民対話』のあり方」などの二つのテーマが用意されています。

「日本で、科学技術への市民参加は根づくのか?」という問題提起の答は見出せるでしょうか。「日本の“科学技術コミュニケーション”のこれから」は2010年1月23日(土)24日(日)北海道大学で。参加は無料ですが事前登録が必要です。CoSTEPによるイベント案内詳細はこちら。
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かつては原子爆弾、いまは再生可能エネルギー


日本に「国立環境研究所」や「独立行政法人・産業技術総合研究所」といった“大学以外の研究機関”があるように、海外にも大学でない研究機関はいろいろとあります。エネルギー関連で見ていきます。

米国ではエネルギー省という官庁の下に、5つのエネルギー関連の研究機関が置かれています。

有名なのはロスアラモス国立研究所(上の写真)。1943年に、「マンハッタン計画」の名でしられる原子爆弾製造計画のためつくられました。いまは原子力のほか、再生可能エネルギーについての研究も行っています。

ロスアラモス研究所より歴史があるのが、ローレンス・バークレー国立研究所。1931年に設立され、比較的幅広い分野での研究を行います。

またこのほか、1949年につくられ、研究分野として情報科学分野に重点をおくサンティア国立研究所、1952年につくられエネルギー、環境、バイオテクノロジーなどの研究を行うローレンス・リバモア国立研究所などがあります。

もっとも新しいエネルギー省の研究所は国立再生可能エネルギー研究所。1977年に太陽エネルギー研究所としてつくられ、1991年にいまの名前に変わりました。利用する再生可能エネルギーの種類の拡大を感じさせます。

欧州では、ここ何年かで新しい研究機関が立ち上がっています。ドイツでは、フラウンホーファー協会というぜんぶで50以上の研究所をもつ研究機関が2009年、風力エネルギー・システム研究所を立ち上げました。

いっぽう、フランスでは2006年、スイス近くのサヴォアに国立太陽エネルギー研究所を設立。この研究所は、約3万人の職員がいる国立科学研究センターのほか、原子力庁、サヴォア大学、フランス建築科学技術センターと共同でたてられたものです。

日本の大学以外の研究所は「独立行政法人・何々研究所」と名のつくところが多いです。橋本龍太郎政権での行政改革を受け、かなりの国立研究所が独立行政法人化をしたためです。かたちとしては国の直接の手から離れ、国の保証なしに資金調達などを行う研究機関になりました。
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コンビニエンスストアでの攻防


野球やソフトボールなどの球技は先攻と後攻がはっきり分かれた“展開的な競技”です。先攻と後攻のどちらのほうが勝負で勝ちやすいかという点は議論が尽きないようです。ただ、「さよなら勝ち」があるのは後攻のみ。

では、コンビニエンスストアの店内では、どうでしょうか。

コンビニエンスストアにおける“先攻”とは、店の中に入ってゆく客のこと。自動扉が開くと、肩で風を切って店内へと進んでいきました。対して“後攻”とは「いらっしゃいませー!」と客を迎えうつ店員のことです。

店内での攻防の山場は後半戦。先攻の客はかごに商品を入れてレジスターへと向かいます。後攻の店員は、待っていましたとばかり「いらっしゃいませー、こんにちは!」と、客にあいたいします。

レジで、客の行列待ちができているといった状況は、先攻の客をいらつかせます。客はこれでより攻撃的に。対して店員もそうした客の表情を読みとってか「受けて立つぞ」と意気込みます。

「お待たせしましたー! サッポロビールが213円! 東京スポーツが140円! スニッカーズが120円……」。店員はつぎつぎと商品をバーコードリーダーにかざします。「合計、473円になります!」。

「はやく金を出せよ」と言わんばかりの店員の攻勢に、先攻の客は少しだけたじろぎます。財布からお金を取り出そうとしますが、財布から小銭を取りそこねます。

ここで後攻である店員は、すかさず先攻の失策につけ込みます。中指でレジスターの板をとんとんと叩き、「おい、客が並んでるんだから、待たせさせるなよ」と、無言の攻撃をしかけます。

ここまでの形勢は圧倒的に後攻の店員が有利。先攻の客は、ようやく財布から100円玉5枚を取り出して支払いをするのでした。

「500円おあずかり。お釣りは27円!」と言って、店員は小銭を客に渡しました。

客は店員のここまでの言動に対して、「ちょっと私のほうが店員におされているな。このままだと“劣勢”で店を出ることになってしまう」と、“負け試合”を察しました。

しかし客は逆転をねらいます。「次にお待ちの方、お待たせしました!」と言いかかっている店員に対して、客はレジスターでねばります。

「レシートくれませんか」

店員はさすがに客が言うことに対して無視はできません。レシートを渡そうとします。客はこのレシートを、ばっと奪いとるようにかっさらい店を去るのでした。客にとっては「さよなら勝ち」の心境のようです。
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海岸線が記者を悩ます
雑誌の記事などに載せる図を、文字原稿を書く記者が考えることがよくあります。

電力関係の記事を担当することになったある記者は、韓国の仁川市で建設されようとしている潮力発電所についての原稿を書きました。潮力発電は、潮の満ち引きを利用した発電方法。湾内と湾外をしきる堰をこしらえて、湾内と湾外の海面の高さの差をつくり、高い側から低い側へ向かう海水の流れを利用してタービンを回して発電します。仁川市内の江華島をはじめとする海岸線の島々を堰でつなぎ、世界最大規模の潮力発電所をつくる計画です。

原稿をひととおり書き終えた記者は「この潮力発電所についての地図を載せることを編集者に提案しよう」と考えました。

まずはインターネットの画像検索で「韓国 潮力発電所」などと入れます。すると、韓国のインターネットサイトが、堰でつながる予定の島々の地図を示していることがわかりました。「よし、この地図をもとに図版をつくりなおしてもらおう」。

実際のページの一部

さらに記者は「江華島が韓国のどこにあるのか日本人は知らないよな、俺も含めて。orz。韓国全体の地図もセットにしよう」と考えました。

記者は、江華島のある仁川市が韓国の北西、北朝鮮のすぐ南にあることは知っていました。そこで、韓国のサイトの島の地図をたよりに、インターネット上の地図サービスで場所をつきとめることにしました。韓国の通信社の地図にある地形とおなじ海岸線をインターネット上の地図でも見つけさえすれば、インターネット地図の縮尺伸縮機能を使えば、韓国全体における江華島の位置もわかります。

ところが、記者はいっこうに通信社の地図の地形と同じインターネット地図上の海岸線を見つけることができません。

記者を悩ませたのは、地球の地形がもつ「フラクタル」とよばれる特徴でした。フラクタルは「自己相似」ともよばれます。拡大しても縮小しても、おなじような形を示す図形のことです。

フラクタルの例としてよく示されるのは入道雲です。入道雲のふちをカメラで撮ったとしても、その写真に飛行機など大きさを比べられる物体が写っていなければ、何倍の望遠にしたのかわかりません。つまり、入道雲のふちはフラクタルといえます。

いっぽう、絵画の「モナリザ」はどうでしょう。拡大や縮小をすれば「目だけ映っている」「顔だけ映っている」「絵全体が映っている」といったように形のちがいがわかります。つまり「モナリザ」はフラクタルではありません。

陸と海を隔てる海岸線もほぼフラクタルといわれています。たとえば、100メートル上空からみた海岸線と、10メートル上空から見た海岸線とでは、曲線の形に特徴的なちがいが見られません。

韓国の通信社が示した地図の縮尺がわからないため、記者はインターネット上の地図で様々な縮尺を試して、おなじ地形がないかどうか仁川市の海岸線を探していくことにしました。しかし、インターネット上の地図でも海岸線はやはりフラクタル。さらにありがたいことに、そのインターネット上の地図では拡大しても縮小しても場所を示す文字のサイズは変わりません。

「あわわわわ。こんなに大変だとは……。orz orz」。地図と海岸線の照合に費やすこと3時間。困り果てた記者は編集者に言いました。「すいません。潮力発電所の韓国内の位置がわかる地図を載せようとしたのですが、やっぱりあきらめます」。

編集者は記者に言いました。「インターネット地図に『仁川市江華島』と入れれば、コンピュータがその場所に行ってくれるよ」。

「あああっ、なるほど。orz orz orz」
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「科学書籍研究の視座」で語られた研究者と編集者の出会い


科学技術社会論学会の年次研究会が東京・早稲田の早稲田大学で開かれています。15日(日)まで。この学会は2001年に発足したもので、科学・技術と社会の界面に発生している諸問題をできる限り多様な視点から検討することを目指すもの。今回の年次研究会は8年目となります。

きょう14日(土)午前の部では、東京大学科学技術インタープリター養成プログラム住田朋久さんの主催で「科学書籍研究の視座」というワークショップが行われました。11月2日(月)東京・青海の日本科学未来館で開かれたサイエンスアゴラでの催しものの延長線にあるものです。

関連調査では、講談社科学出版賞受賞作品を題材として、各受賞作ができあがるまでの過程を検証。著者である研究者側と編集者である企業社員側それぞれに質問文を送ったり、聞き取り調査をしたりして、出版に至るまでの個別の過程を調べています。

ワークショップではゲストとして、中央公論新社で編集を行う佐々木久夫さんと、東京大学先端科学技術研究センター教授の西成活裕さんが登壇。佐々木さんは、第12回で受賞した田口善弘さん著『砂時計の七不思議』の編集を手がけました。また、西成さんは第23回で受賞した『渋滞学』を著しました。

40年間、本の編集に関わってきた佐々木さんは、本のつくりかたの実際を経験などを踏まえて紹介。本が生まれる8割型が編集側からの執筆依頼によるといった話や、書籍の返本率は39%といった話がでました。

また、質疑応答ではかつてといまの編集者のあり方の違いをこう話します。「かつては採算をど返ししても本をつくりたいという編集者が本をつくっていた。いまはコスト内で済ませることが優先になり、自分に掛かる仕事も増えた。それにより著者と会う時間も減っている」。

西成さんも、『渋滞学』ができるまでのいきさつを披露。「一般書を書いたのは『渋滞学』が初めてだったが、とちゅう二度『書くのを辞めます』と編集者に言ったことがある」と話しました。西成さんによると、厳密性とわかりやすさのバランスを考えると書けないと思ったそう。

こうした困難を乗り切るため、50歳のインテリ層に読者対象を絞ることを編集者と話し合って決めたり、説明するための比喩を考えたりしたといいます。

会場からは「研究者にとっての一般書執筆は教育としての意義がある。研究者が教育者であることの同定がどれだけあるだろうか」(早稲田大学科学技術ジャーナリスト養成プログラム教授の西村吉雄さん)や、「東大出版会による出版事業が大学収入のかなりの収入源になると聞く」(新潟県立大学の本間善夫さん)など多くの意見や情報が寄せられました。

科学技術社会論学会は15日(日)まで。学会のホームページはこちらです。
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大学講義の「経験論」と「原則論」


大学や大学院の講義は、高校までの教育とちがって、学習指導要領による内容のしばりなどはありません。講師の裁量により、教えることのできる度合は高いといえます。

そこで講師たちはおもに、ふたつの方法で学生に講義を行います。「経験論」か「原則論」かです。

経験論は、講師が実際に経験したことがおもな話の内容となります。

「不法投棄をしでかすアウトローにはアウトローとしての接しかたがあるというものです」や「アスベスト問題に関わってきて感じたのは、マスメディアがいかに熱しやすく冷めやすいかということです」といったもの。本人の眼で見たことや、本人の肌で感じた経験を学生に伝えるわけです。

いっぽう、原則論は、講師がべつの講師から習得したことがおもな内容の内容となります。

「カール・ポパーによると、反証が失敗されつづけることによって、その仮説は“生きのびて”安定したものになっていくそうです」や「トマス・クーンがいう『パラダイム』は、ジグソーパズルの『お城の絵』にたとえることができます」といった類のもの。誰かから耳で聞いた原則を学生に伝えるわけです。

どちらの講義が学生に人気があるのでしょうか。講師の話し方がうまいかへたかを別にすれば、経験論のほうに軍配があがるのかもしれません。直接その経験をした人がする話には臨場感があるからです。

しかし、原則論を語る授業にも優れている部分はあります。原則論を学ぶ方が、いろいろな場面に対して「あのとき講師から教わった原則論はこの場面でもいえるな」といった“当てはめ”がしやすいということがあります。経験論にもとづく講義の場合は、いったんその具体的な話を抽象化してから、いろいろな場面にあてはめるという段階を踏む必要があります。

大学の講義が経験論によるものだけでは講演会の寄せ集めと変わらなくなります。いっぽう原則論によるものだけでは紋切り型でしか考えられないような人材を輩出してしまうおそれがあります。経験論による授業と、抽象論による授業がうまい具合に混ざることで、バランスのとれた教育をすることができるようになります。

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メジャー集団がぞくぞくとマイナー参戦


時の移りかわりとともに、人々が使ったり求めたりするものも変わるもの。企業も時代の変化への対応が求められます。

そのとき、いままで培ってきた技術を活かそうとするのは企業の鉄則といえます。造船業などの大規模なものづくりを営んでいた会社がごみ焼却炉製造などに事業転換をはかるのはその例です。

石油関連の企業も、長い目で見れば時代の転換点にさしかかっています。石油を掘って売って儲けるということが、そのうちできなくなるといわれているため、ほかのエネルギー資源を売って儲ける方法を探しはじめています。

ここで石油関連企業が一斉に注目するのがバイオ燃料。再生可能エネルギーのひとつで、トウモロコシやサトウキビなどの植物からバイオエタノールとよばれるガソリン代替燃料や、バイオディーゼル燃料とよばれる軽油代替燃料のことを指します。

世界には国際石油資本とよばれる石油関連の巨大企業があります。原油の掘削から石油の販売までを一気通貫で手がけています。

とくに売上高の高い6社は「スーパーメジャー」とよばれていますが、どのメジャーもバイオ燃料事業に着手しています。

米国エクソンモービルはバイオ燃料事業に消極姿勢でしたが一転。藻を原料とするバイオベンチャー米シンセティック・ゲノミクス社に6億ドルを投資し、藻からつくられるバイオ燃料の開発をもくろみます。

オランダのロイヤル・ダッチ・シェルは、カナダのイオゲン社に投資。バイオエタノールを商用ガソリンに混ぜて売る事業に乗りだしました。

英国のBPは、再生可能エネルギー事業として太陽光発電や風力発電などに投資していましたが、一転してバイオ燃料事業に集中投資。デュポン社とバイオブタノールという燃料を共同開発したり、米ベレニアム社とセルロース系バイオエタノールの製造を行うなどしています。

米国のシェブロンは産学連携に注力。テキサスA&M大学とセルロース原料のエタノールを開発するプロジェクトをしています。また、カリフォルニア大学デイビス校とはセルロース系のバイオマスを飛行機などの燃料に使うための開発を行います。

フランスのトタルは、フランス政府や原子力庁、石油研究所などと共同で、農産物を原料としない次世代のバイオ燃料の開発計画に参画したばかり。

米国のコノコフィリップスは米アーチャー・ダニエルズ・ミドランド(ADM)社と共同で、スイッチグラスとよばれる雑草などからバイオ原油を開発する事業に乗り出しています。

バイオマスエタノールは、ほぼそのままガソリンの代わりに使うことができます。バイオディーゼル燃料も軽油の代わりに使えます。こうしたことから、これまで手がけてきた商品とにた性質のものを事業対象にするという戦略をどの石油企業もとるわけです。

エネルギー資源としてのバイオマス燃料の利用量はまだ微々たるもの。“メジャー”たちが“マイナー”なリーグに参戦といったところ。
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「時節柄芝居、寄席、活動写真などには行かぬがよい」


新型インフルエンザの流行とともに、冬にかけては従来のインフルエンザの流行も心配されます。

インフルエンザが世界的に流行した年として知られるのは、1918(大正7)年から翌年にかけて。この流行には「スペインかぜ」という名前がつきました。

スペインかぜによる死者は世界でおよそ5000万人。日本でもおよそ40万人がなくなったといわれています。

いまのインフルエンザに対して厚生労働省が予防法を市民に知らせているように、スペインかぜが流行したときも厚労省の前身・内務省衛生局が「流行性感冒予防心得(はやりかぜよぼうこゝろえ)」を市民に伝えています。おもな内容を見てみましょう(一部略)。

―――――
はやりかぜはどうして伝染するか
はやりかぜは主に人から人に伝染する病気である かぜ引いた人が咳や嚔(くしやみ)をすると眼にも見えない程微細な泡沫が三、四尺周囲に吹き飛ばされ夫れを吸ひ込んだ者は此病に罹る。
――――――

当時はまだ、この「はやりかぜ」の原因がウイルスであることは解明されていませんでした。ウイルス自体が発見されておらず、「プアイフエル氏菌」という細菌が原因だという説がありました。

「プアイフエル氏」は、ドイツの細菌学者リヒャルト・パイフェルのこと。パイフェルは、インフルエンザの原因物質として「インフルエンザ菌」という菌を発見したと報告しましたが、その後、この説は否定されました。とはいえ「微細な泡沫が三、四尺周囲に吹き飛ばされ」(一尺は30.3センチ)といった記述から、泡沫が飛び散る範囲などは知られていたようです。

―――――
罹らぬには
 見舞に行つても可成玄関ですますがよい。
 病家では御客様を絶対に病室に案内してはならぬ。
 時節柄芝居、寄席、活動写真などには行かぬがよい。
 急用ならざる限りは電車などに乗らず歩く方が安全である。
―――――

人の多いところでは感染しやすいという前提はいまも昔もかわりません。人が集まる場所の例として「芝居、寄席、活動写真」があげられています。

―――――
罹つたなら
かぜを引いたな思つたなら直に寝床に潜り込み医師を呼べ。
 看護人や家内のものでも病室に入るときは必ず呼吸保護器を掛けよ。
 地震の震り返し(ゆりかへし)よりも此病気の再発(ぶりかへし)は怖ろしい。
―――――

「呼吸保護器」とは、「人工呼吸器」の意味の「レスピレーター」や、「ガーゼマスク」のこととしています。「三」の「ゆりかへしよりぶりかへし」という表現に、伝えての伝えるための工夫が見られます。

いまの注意事項と完全に一致するわけではありませんが、基本的な予防対策の原則はさほど変わらないことがわかります。

いっぽう、昔といまとで大きく異なるのは情報の伝わり方。スペインかぜが流行したころの情報伝達手段といえばもっぱら新聞か口コミでした。ラジオはまだ実用化されていません。現代は交通手段の発達でウイルス拡散の速度は高まりましたが、インフルエンザ対策がさまざまな媒体をとおして伝わる点では感染拡大抑止に有利といえます。

厚生労働省の「新型インフルエンザ対策関連情報」はこちら。

参考文献
内務省衛生局編『流行性感冒』
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太陽エネルギーの1割を電力に換える


シャープが業界トップレベルとなる変換効率10%の薄膜太陽電池をつくると、話題になっています。

変換効率は、太陽電池などの発電装置がどれだけもととなるエネルギーを有効に使えるエネルギーに変換できているかを率で示したもの。一般的に「出力エネルギ/入力エネルギー×100(%)」で計算します。

どの発電方法でも、かならずエネルギーを電気にする過程で、無駄で使えないエネルギーが生まれてしまいます。変換効率が高くなるということは、無駄で使えないエネルギーが少なくなるということ。

太陽電池の変換効率では、太陽電池が受ける光エネルギーのうち、どれだけ電気エネルギーに変換できるかが変換効率として示されます。太陽電池が発電するための最小要素である「セル」と、セルどうしが結びつきあってパネルになった「モジュール」とで変換効率は区別されます。

今回のシャープの「変換効率10%」はモジュールでのこと。薄膜太陽電池では業界トップレベルですが、薄膜でない結晶シリコン型太陽電池などでは市販されているもので20%ほどとなっています。

「変換効率20%の太陽電池があるなかで、10%は低いな」と思う方もいるかもしれません。しかし、薄膜太陽電池では、重要部材のシリコンを結晶シリコン型より100分の1ほどに抑えることができます。

各社各方法の能力を比べるうえで変換効率は重要な指標。ただし、たんに変換効率の高ければ軍配が上がるというものではありません。コストや装置づくりにかかる環境負荷なども指標として入ってきます。

参考ホームページ
産経ニュース「シャープが変換効率業界トップレベルの薄膜太陽電池を生産へ」
http://sankei.jp.msn.com/economy/business/091106/biz0911060035000-n1.htm
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ベクトルの異なる反論の同居が違和感を招く

科学哲学者トマス・クーンは、科学のパラダイムの進展とは、取るに足らないような例外を示す反論が積み重なることで起きるものだといいました。

「取るに足らないような反論」の持ち主は、しばしば「何々懐疑派」のようにいわれます。これらの人々は『何々を疑う』や『何々はウソばかり』といった本を出版することもしばしば。“取るに足らない”では済まないほど売れる本に化けることもあります。

懐疑派たちは、本のなかで常識的に考えられている学説に対して「いや、それはちがう」「そうじゃない」「本当はこうだ」「こんなデータもあるぞ」といった言葉を数多く重ねることで読者を味方に引き寄せようとします。

疑いの根拠になる話がたくさん並べられていればいるほど、常識を覆すのに効果的にみえます。

しかし、この常識にも取るに足らない例外があります。たとえばこんな……。

懐疑派の学者が、世界の将来を決めるような地球規模のある問題について『何々の常識を疑え』という本を書いたとします。

第1章では、その地球規模の問題について「本当はそんな問題は起きていないんだよ」という話を、さまざまな根拠をもとに展開しました。

第2章では、その地球規模の問題について「じつはその問題は問題といわれているけれど、こんなにいいことが起きるんだよ」という話を、さまざまな根拠をもとに展開しました。

第3章では、その地球規模の問題について「問題を解決するといわれている方法がちゃんちゃらおかしいよね」という話を、さまざまな根拠をもとに展開しました。

そして、第4章で締めくくりました。「みなさん、いかにこの問題がおかしいかがおわかりいただけたと思います」。

第4章は別にしても、第1章から第3章まで読んだ人はどうも腑に落ちない気分になっているようです。それぞれの反論のベクトルが異なりすぎるからです。

第1章で「そんな問題は起きていないんだよ」と述べた時点で、この『何々の常識を疑え』は、本当は完結したはずでした。「そんな問題は起きていない」なら、第2章以降を述べる必要はないのです。

ところが第2章がつづきます。この章では「こんなにいいことが起きるんだよ」と述べられています。この章は、第1章で否定したはずの「そんな問題」が起きていることを前提としなければ成り立ちません。

致命的なことに、第3章では「問題を解決」する方法論についての批判が加わっています。

第1章で「問題は起きていない」と述べ、第2章で「こんなにいいことが起きる」と述べたうえでの第3章。すでに、第1章と第2章でそれぞれ問題を解決する必要性がないことをいっているのだから、「問題を解決するといわれている方法がちゃんちゃらおかしいよね」と述べることはもはや無意味となっているわけです。

この懐疑派が第1章と第2章と第3章を、時を隔てて別の本にして出せば、あまりこの問題に気づかれることはなかったかもしれません。一冊の本に、ベクトルの異なる反論が同居することで、読者はどうもしっくりこなくなるのです。
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“日本規模”に驚く


アメリカ大陸やヨーロッパ大陸などの“広いところ”で過ごしてきた外国人にとって、日本のたてものや地形は、ある意味“別のもの”に見えることがあるようです。

米国出身のプロ野球選手で阪急ブレーブス(いまのオリックス・バファローズ)に“助っ人外国人”として1983年から1992年まで活躍したブーマー・ウエルズという内野手がいました。3冠王にも輝いたこともある強力な打者でした。門田博光選手と本塁打後のハイタッチをしたら、門田選手の肩が脱臼してしまうほどの巨漢・怪力でした。

ブーマーが、ロッテ・オリオンズ(いまの千葉ロッテ・マリーンズ)が本拠地としていたいまは亡き川崎球場にやってきたときのことです。川崎球場は両翼が89メートルというとても小さな球場でした。

試合前の練習を川崎球場のグランドで終えたあと、ブーマーは疑問に思ったそうです。「ところで本番の試合はどこでするんだろう」。

観客がちらほら入ってくるのを見て、ブーマーは「なんだ、ここで試合をやるのか」と驚いたといいます。大リーグで試合をしてきた外国人にとって、川崎球場はマイナーリーグの球場さながらだったのでしょう。

にたような逸話は、100年前にもあります。

ヨハニス・デ・レーケというオランダ人の技師がいました。1973(明治6)年、デ・レーケは日本政府に招かれて初めて日本にやってきました。

当時の日本は西洋の文明を取り入れて近代化をはかろうとする途上国。土木も近代化をはかるうえで重要な分野でした。そこで、土木技術者のデ・レーケに治水の指導をあおぐことになったのです。

来日後、デ・レーケは日本の役人に呼ばれて、日本の川を視察することになりました。日本のいろいろな川を見て回ったようです。

オランダのあたりでは、プレートの移動や衝突がなくきわめて平坦で広大な地形が広がっています。そのため、川も長く、ごくゆっくりと水が流れます。

これに比べて日本の川というと、1000メートル以上の山々から、ヨーロッパに比べたら一気に河口の海まで下り降りてくるものばかり。

オランダの川を川だと思っていたデ・レーケは、日本の川を見てこんな結論に達したといわれています。「日本には川はない。あるのは滝ばかりだ」。
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マグマの熱を井戸で誘導して発電


地球の表面では、プレートとよばれるとても何枚もの大くて厚い岩盤が移動しあっています。プレートどうしがひしめき合う場所では、岩が熱で溶けてマグマになっています。このマグマが地上に噴き出てくるのが火山の噴火です。

いまの技術ではマグマが噴出する勢いを抑えて火山の噴火を防ぐことはできません。しかし、マグマから昇ってくる蒸気をうまく誘導してエネルギー源とする技術は確立されています。「地熱発電」とよばれる発電方法です。写真はアイルランドの地熱発電所。

火力や原子力など、いろいろなエネルギー源を電力に換えるときには、タービンという装置を使います。蒸気や風などの圧力をタービンの翼で回転させて、それで動力をえて電力に換えます。

地熱発電も発電のしかたは火力発電や原子力発電とおなじ。マグマから昇ってくる蒸気でタービンを回して電力を得るわけです。マグマとタービンの間は井戸でつないで蒸気の通り道とします。

蒸気とともに熱水も昇ってきます。ただし、熱水のほうはタービンを回すのに必要ないので、気水分離器という装置でまさに蒸“気”と、熱“水”を“分離”して、熱水を地下に戻します。場所によっては蒸気だけが出てくる「蒸気卓越型地熱資源」とよばれる地熱もあります。

地熱発電は20世紀前半から行われてきました。このところの新しい技術として注目されているのが「バイナリ発電」です。ふつうの地熱発電では200度以上の熱源が必要ですが、バイナリ発電では200度以下の熱源からとりあえず熱水を取り出します。

そしてこの熱で、沸点の低い液体を温めて蒸気をつくりタービンを回すのです。液体には、36.07度で沸騰するペンタンという物質がおもに使われます。

日本は火山国。三菱重工業や東芝などの地熱発電設備の有力メーカーもあります。しかし、地熱発電による電力供給量は世界で6位どまり。いまのところ原子力発電所0.5基分ほどの電力しか生みだしていません。
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ふるえてこそ武者


意地っぱりだけどほんとうはひ弱なヒラ社員が社長室に呼ばれました。後輩に「足がふるえてますよ」と指摘されると、ヒラ社員は「むむむむむ武者ぶるいだぁあああぁぁ……」。

こんな場面を漫画や映画で見かけることがあります。現実にもいるのかもしれませんが。

「武者」という正式な職業がなくなったいま、「武者ぶるい」は、恐怖心を否定するための表現として使われることがもっぱら。このことばは従来、「武士が戦にのぞむとき心が勇み立つあまり身体が震えた」ことから来るものです。

「ふるえる」と聞くと、つい「怖れ」や「寒さ」といったことを思いうかべる人も多いでしょう。「ふるえ」から「勇み」といったことを想像する人はあまり多くないのでは。

そこでこんな疑問がわく人もいるでしょう。「“武者ぶるい”っていうけどさ、ほんとはむかしの武将たちも戦いで斬られるのを怖がってガクガクブルブルしてたんじゃないの」。

なかには「戦いたくないよぉ。ここから逃げたいよぉ」と思ってふるえている武士もいたのかもしれません。人の性格もいろいろです。

しかし、「武士が戦の前にふるえる」ということは、からだのしくみから見れば、とても理屈にあったものといえます。

ふるえはからだの筋肉がこわばるときに起きます。心がぴんと張りつめたとき「緊張する」といいますが、そのような状況におかれたときのからだも「緊張する」わけです。

筋肉がこわばる理由をさらに探ると、「交感神経というからだのしくみがはたらいているから」ということにたどりつきます。

交感神経は、意思とは関係なくからだを自動的に動かす「自律神経」というからだの機能をコントロールする神経です。交感神経にスイッチが入ると、副腎髄質というからだの部分がはたらいて「アドレナリン」という物質がからだのなかをめぐります。おもにこのアドレナリンが自動的に筋肉がこわばらせ、結果的にふるえを起こさせるのです。

いっぽう、交感神経のスイッチがオフになっているときもあります。そのときは副交感神経という交感神経とは対極的なスイッチが入っています。このときは、いわばリラックスモード全開の状態。

緊張をもたらす交感神経は、ヒト、ネコ、イヌ、ライオン、サルなどの高等脊椎動物に見られるものです。そもそもなぜ交感神経がこれらの動物のからだにそなわったのでしょう。

いまも昔も、それぞれの動物には敵がいます。「ここは俺のなわばりだ、どけ」と脅されたり、「食べちゃうぞぉ」と迫ってきたり、「おぅ、お前、やるってのかよう」と睨まれたり。

そんなとき「ふぇー、なんのことっすかー、むにゃむにゃ」とリラックスしていてはすぐやられてしまいます。そこで、交感神経がはたらいて自分の意志とは関係なく筋肉をこわばらせます。筋肉をこわばらせたほうが、リラックスしているときより素早く動けるようになるからです。逃げるのにも、闘うのにも、緊張しているほうが都合がいいのです。

つまり、もともと「ふるえ」というからだの現象は、「怖れ」から来るものというより、もう一段ほり下げて「敵が前にいる」から来るものといえるわけです。

あらためて「武者ぶるい」。武者ぶるいをしている武者は、これから戦にのぞもうとしています。つまり「怖い」というより「敵が前にいる」からこそ、からだがふるえていると解釈できます。

武者ぶるいが起きた武士は、武者ぶるいが起きなかった武士よりも、からだは機敏に動くことでしょう。敵より有利に戦にのぞめるわけです。「臨戦態勢」ということばがありますが、武者ぶるいはまさにからだが臨戦態勢をとった結果といえます。

社長室をノックする前のヒラ社員がからだのふるえを抑えられないのも、社長が敵だからかもしれません。

参考ホームページ
ヘルスクリニック「ふるえはどうして起こるの? 治せるの?」
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「台風に関する講習会」に上申


(2009年)10月、日本に台風18号が日本に上陸し、被害をあたえました。勢力が強く大きな台風で、50年前の「伊勢湾台風」と比較されたりもしました。

この台風の上陸地点はどこだったのでしょう。気象庁は、8日の朝5時ごろ「愛知県知多半島付近に上陸」と発表しました。知多半島は伊勢湾の北側にある半島です。

いっぽう、同じ台風18号の情報を、民間の気象情報会社「ウェザーニューズ」は、4時台に「三重県志摩半島に上陸」と伝えました。志摩半島は、伊勢湾の南側にあり、半島は東のほうに突き出ています。ウェ社は台風がこの突き出た半島の上を通ったので「上陸」としたわけです。

気象庁は、ウェ社に9日、再発防止のための口頭注意をしました。しかし、ウェ社は台風はたしかに志摩半島に上陸していたとして反論。事態は10月29日に気象庁が「台風に関する講習会」を行うことにまで発展しました。ウェ社を含む民間気象事業者の予報担当者を呼び出され、指導を受けました。運転免許の講習さながらです。

しかし、この講習の中味に対しても、ウェ社は噛みつきました。きょう11月5日(木)、気象庁長官宛に上申書を提出。上申書は上の者に意見や事情を申しあげるための書類です。

ウェ社は、気象庁が天気図解析で台風の目がどこにあるかを推定するときに使う「高橋の式」には問題があると述べます。「台風の目の範囲の内側から中心付近では現実との乖離が大きいと考えられます」。

「高橋の式」は、台風の中心からの距離とその場所の気圧との関係を示すもの。中心付近にこの式を当てはめようとすると不合理なことになるとは、前からいわれていました。

そしてウェ社は気象庁に「誤差が拡大しやすくかつ迅速な修正の難しい旧来の手順にとらわれず、『最新の技術』と『あらゆる有用なデータ』を適切に活用していただきますようお願いします」と上申しています。

上申書ではまた、予報業務の許可をめぐる見解の相違についても述べています。民間企業が気象を予報するときには国の許可が必要です。技術的な裏付けのない予報で世の中に混乱を起こさないようにするためです。

上申書によると、講習会で気象庁は「台風の進路等に関する情報は、気象庁の情報の解説の範囲に留めること」について触れ、この「留めることの」の対象に「台風の位置、進行 方向・速さ、中心気圧、最大風速、暴風域等に関する現況」も含まれていると述べたといいます。

つまり、気象庁は「いいか諸君。台風の位置がどこにあるかについても、われわれ気象庁の情報と別のものを言っちゃぁだめだぞ」と諭したわけです。

しかしウェ社は、気象庁がそう述べたことの根拠について反論。「台風の位置がどこにあるかについても、われわれ気象庁の情報と別のものを言っちゃぁだめ」ということになったのは、国会の「附帯決議」においてであり、それを根拠にしても意味のないこととウェ社は主張します。

附帯決議は、国会の委員会で法案が可決されるときに委員会の意思を表明するためのもの。「法律を可決します。ちなみに、この条文のこの部分は、こういう意味なんだとわれわれ委員会では考えました」といったものです。

2003年に気象業務法という法律が一部改正されたとき、「台風の位置がどこにあるかについても、われわれ気象庁の情報と別のものを言っちゃぁだめ」が、附帯決議となりました。

ウェ社は「附帯決議そのものには一般的には法的な拘束力はないと認識しております。今回の貴庁の主張は予報業務許可の条件を予報以外の解析にまで広げるもの」と上申したのです。

許可をあたえる国の機関に、許可をあたえられる民間企業がここまでいうのはめずらしいこと。社運が掛かっているといってもいいすぎではないでしょう。

論戦の発端となった台風の上陸地点について、ウェ社は特別番組を組んで気象庁に反論をしたほど。ここまで噛みつくとは、ウェ社は観測によほどの自信があったのでしょう。

台風上陸地点の“ずれ”の問題は、気象を「統一的に伝える」ことと「正確に伝える」ことのどちらに市民の利益があるかを考えさせる根源的な問題といえます。異なる情報は市民に混乱をあたえます。しかし、誤った情報が統一的に伝えられれば、みんなが誤りの被害を請うことになります。

ウェザーニューズ社「気象庁『台風に関する講習会』にて示された技術および法解釈に関する弊社の見解」はこちら。
| - | 23:59 | comments(0) | -
目標を図で“見える化”

ものごとにやみくもに取り組むより、なにか目標を立てて取り組むほうが成果は出やすいものかもしれません。「とにかく原稿を書きまくる」と「2日後までに10000字を書く」では、後者のほうが「あすまでに5000字は書こう」などと、より計画的に進めることができそうです。

技術の普及や開発を進めようとするときも、公的機関や業界団体が目標を掲げます。

これは「ロードマップ」と呼ばれるもので、言葉の由来は「道路地図」。実際は「道のり図」や「行程図」といったほうがふさわしいかもしれません。「何年ごろまでにこのくらいの目標を達成しており、そのためにこの課題を解決していたい」といった、将来のあるべき姿への道筋を示すものです。文章でなく、図で“見える化”します。

たとえば、経済産業省系の独立法人「新エネルギー・産業技術総合開発機構」(NEDO)は、「次世代自動車用蓄電池技術開発ロードマップ」をつくっています。

リチウムイオン電池は、いま多くのパソコンや携帯電話に充電式の電池で、電気自動車などのエコカーに使われることが有望視されています。

ロードマップでは、リチウムイオン電池の材料である正極材、負極材、電解質それぞれの開発技術を高め、リチウムイオン電池の性能を上げていく道筋とそれによっていつまでに電気自動車などの走行距離を何キロまで伸ばしているかなどが示されています。

たとえば、電池の中で電気をつくるため電子の移動をする場となる電解液は、2015年までに高い電圧に耐えられ、燃えにくいものを開発し、2020年までにイオン液体系でそれをつくる、といった道筋が示されています。

また、電気自動車の1回の充電で走る距離は、2020年ごろまでに200キロ、さらに2030年ごろには「革新的蓄電池」の開発が行われているものとして670キロになることを目標にしています。

NEDOのように、国の予算でプロジェクトを促進するような機関のロードマップはとりわけ重要視されます。そこに示された目標のためには、研究開発の予算が付くからです。

「『次世代自動車用蓄電池技術開発ロードマップ2008』策定について」はこちら。
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予算編成という名の駆け引き

ここのところ、政治報道では予算をめぐる記事やニュースが多くなっています。臨時国会では、委員会の“花形”とされる予算委員会も始まりました。

あらためて、国の予算の立て方を見ていきましょう。

通例8月末に文部科学省や国土交通省などの各省庁が財務大臣に、その省庁としての予算の見積もりを提出します。この見積もりは「概算要求」とよばれます。今年は麻生政権から鳩山政権への政権交代もあり、概算要求が政権移行前と後で2回出される異例の事態となりました。

概算要求を受けた財務省は、各省庁の見積もりを取りまとめ、9月上旬に閣議に報告をします。その後、12月まで各省庁から概算要求の内容説明を受けるなどして、それぞれの見積もり項目の経費を査定します。財務省は、閣議提出を経て「検討の結果、おたくの省の予算はこうしたいと思います」と、概算査定案を出します。

これに対し、各省庁は「ちょっと待ってください。この部分はゆずれませんよ」などと、財務省に再び詰め寄ります。これが「復活折衝」。何度もやりとりをして、予算案を固めていくのです。

予算には「本予算」と「補正予算」の2種類があります。年度の当初に国会に提出される予算が「本予算」。いっぽう、本予算成立後、新たに生じた事情でとくに必要になった予算が「補正予算」。今年は不況の深刻化により、麻生政権で15兆円台の補正予算が組まれることになりました。

これに噛みついたのが鳩山新政権。補正予算には無駄が多いとして、約3兆円を削り、補正予算を組みなおしました。

その鳩山政権も来年度予算は、過去最高の100兆円前後となる見通しです。
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風土がつくる技術


哲学者の和辻哲郎(1889-1960)は、著書『風土』で、世界の風土には“モンスーン”、“砂漠“、“牧場”があるとしました。「モンスーン」は「季節風」のことで、日本の風土もこのモンスーンに含まれます。和辻は、風土がその土地の思想や文化をつくると考えたのです。

たとえば、日本は季節風が強いため、木々の対称性が崩れやすいもの。これが非対称な配置や構図の創造物を生みやすい文化を生んだということです。

風土と資源の関係も、とても深いものがあります。

砂漠といえば、太陽が年がら年じゅう照るような風土。さらにこの風土から人があまり立ち入らず、なんのためにも利用されていません。そんな広大な土地に太陽光発電はうってつけ。実際、世界の砂漠の半分の面積に、太陽電池を敷きつめると、世界が1年で必要なエネルギー資源の17倍ほどの電力量を得られることになるといいます。

砂漠にくらべると、雨や雪の多くて狭い日本は太陽光発電に向いていない風土に思われがち。しかし、日本ほどの天候と広さがあれば太陽光発電に適した地といえるのです。日本を均したときの日照時間は、太陽光発電の導入量が日本よりはるかに多いドイツを上回ります。日本よりも天候の悪いドイツでさえ太陽光発電に適しているともいえます。

風力発電ではどうでしょう。世界の中でとくに風力発電に向いている風土があるのは、北米と北欧といわれています。風がまんべんなく吹いているわけです。

台風の通り道である日本も風力発電に向いていると思いがち。しかし、世界的に見ればそれほど風が強い土地ではなく、また移動性の低気圧と高気圧の入れ代わりが激しい風土のため風向きが定まりません。

風力発電の風車は、風向きに対応して動くことができますが、それでも首をたくさん回していれば、設備に負荷がかかり寿命が短くなります。日本の風土はあまり風力発電は向いていないようです。

しかし、風向きがころころ変わる風土だからこそ、それに耐えうる風力発電の技術も生まれてくるというもの。風力発電ラッシュに沸くインドも日本と同じくモンスーン地帯。風向きの対応に強い風車が日本で開発されれば、広くアジアの風土に適したものになりえるのかもしれません。

参考ホームページ
産業技術総合研究所「日本で導入できる量」
ワイアード・ビジョン2005年5月26日「世界風力地図」が示す風力発電の大きな可能性
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「憲法」のつぎに優先される「条約」
(上の「条約」を「条例」としていましたが誤りでした。訂正します。コメントありがとうございました)



世界が“狭く”なるにつれ、国と国のあいだに国境はありながらも、その国境を越えた利害関係が多くなりました。見えるものでは物流、見えないものでは環境汚染物質が国境をまたいで日々移動しています。

みずからの国だけにとどまらない問題に対するとき、国々は「条約」を結びます。つまり「何々国さん、こうしましょうよ」と別の国によびかけて、応じてくれる国とのあいだに約束を取り交わすのです。法的な拘束力をもつことが条約の特徴です。

条約に似たことばもいろいろあります。「協定」は「条約」とほぼおなじ意味で、話しあって決めることを意味します。また、原則的おきてを意味する「憲章」や、国どうしがこれでいきましょうと認め署名しあった文書を示す「議定書」もあります。

条約、協定、憲章、議定書。これらは意味合いがやや異なるものの「国どうしの取り決め」という意味ではかわりません。以降は、条約、協定、憲章、議定書のすべての意味を含め「条約」と表現します。

条約が働きはじめることを「発効」といいます。発効までには手続きが必要です。

まず、外交の場で、国の代表が条約の内容面で合意します。各国代表はその条約の内容を、自分の国にもちかえります。

それぞれの国では、その条約の内容を認めるかどうかを諮ることになります。その場所は、国会や議会などの立法府。日本では国会です。

もし国会や議会などの立法府が「その条約の内容に国が従うことを認めます」となれば、その条約はその国で「批准」された、となるわけです。

じつは、日本では「批准」のほかに、国として認めたことを意味する手続きがあります。批准には天皇の認証が要りますが、天皇の認証の手続きを省いて条約を認める「受諾」という手続きもあります。

また、外交の場で条約に合資していなくても「やっぱりこの条約は重要だから、わが国は条約を認めます」という場合も考えられます。このとき、立法府が条約を認めれば「加入」となります。

他国からの“白い目”はべつとして、外交の場で同意した条約内容を、国会や議会が「やっぱり、この条約にわが国ははいるべきじゃないよ」といって拒むことももちろんできます。1997年に採択された京都議定書に、米国が加盟入りをしなかったのはこの例です。

さらに「基本的には条約の内容を認めるのですが、一部分だけは承認しませんから」という態度を示す場合は「留保」することになります。

こんな場合もあるでしょう。「条約の内容を認めます。ただし、条約のこの部分はわが国では『何々は何々である』という意味でとらえていますので伝えておきますね」。こう宣言することを「解釈宣言」といいます。

外交の場で合意された条約には、「この条約は、合意した国のうち何か国が認めれば、効き目をもちはじめるものとする」という発効要件がたいてい含まれています。

外交の場で条約の内容に合意し、もちかえった各国で批准や受諾などがつぎつぎとされていき、発効要件が満たされれば、はれてその条約は発効となるわけです。

日本では、憲法、法律、条例などの行政上の“決まりごと”があります。どの決まりごとに従うべきかを判断するとき、条例より法律、法律よりも憲法が優先されます。

条約もこの決まりごとの中のひとつ。優先順位はというと、憲法には優先しないものの、法律には優先するという位置づけにあります。「おうちのなかの決めごとより、おうちのそとの決めごとのほうが大切」なわけです。
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