科学技術のアネクドート

ブロッコリーもカリフラワーもみなキャベツ


魚介類を食べるのが好きな日本人にとって、寿司屋で出される赤いまぐろと白いいかがはどうちがうのかを説明するのは簡単かもしれません。「まぐろは魚で、いかは軟体動物」といった具合に。

いっぽう八百屋などでは、緑色のブロッコリーと白いカリフラワーが置いてあります。この二つはどうちがうのでしょう。

寿司のまぐろといかのちがいを説明するほど、野菜のブロッコリーとカリフラワーのちがいを説明するのは簡単ではなさそうです。むしろ「同じものである」というところから入るほうがよさそうです。

ブロッコリーもカリフラワーも、キャベツの変種。学名は三つとも「ブラシカ・オレラシア」。キャベツの花のつぼみが化けたようなものを私たちはブロッコリーやカリフラワーとして認識しているのです。まぐろでたとえれば、ブロッコリーとカリフラワーのちがいは、メバチマグロとキハダマグロのちがいのようなものといえます。

進化的には、ブロッコリーのほうがもともと存在したもので、カリフラワーはそこから枝分かれしたものとされます。

白いうさぎがいますね。白くなかったうさぎの子どもが突然変異を起こして誕生したものです。親から子どもに遺伝子が受け継がれるとき、たいてい毛や皮膚の色の情報も伝わりますが、この情報が伝わらないと白いうさぎが生まれます。

おなじようにブロッコリーもふつう、前の代から次の代へ、葉緑素という緑の色素をつくるための遺伝子を伝えています。

ところが、あるブロッコリーから生まれた次世代は、葉緑素の情報を伝える遺伝子が突然変異で伝わりませんでした。こうして、世界のどこかで、いまではカリフラワーとよばれるようになった、白いブロッコリーが誕生したわけです。

その後、人が人工的に突然変異を促す“品種改良”もなされました。ブロッコリーにあるつぶつぶしたつぼみを、カリフラワーではすべてつなげて、見せなくさせました。

ここ十数年、ブロッコリーの消費量は人気のある野菜として消費量が徐々に上がってきています。野菜全体の消費量が右肩下がりのなか人気上昇中なのです。いっぽう、ブロッコリー人気に押されるようにカリフラワーの消費量は減りぎみといいます。

参考文献

| - | 23:59 | comments(0) | -
民主党政策も“基礎”より“応用”重視


きょう(2009年8月30日)に行われた衆議院選挙の結果、民主党が過半数の議席を確保し、民主党中心の政権に交代することが決定的となりました。

民主党幹部たちは、特別番組の取材などに対して「マニフェストに書いてあることを実行していく」と、政権政策として掲げていることがらをこなしていくことを強調しています。

科学技術や医療などの分野について、民主党はどのような政権政策を掲げているのでしょうか。

まず「年金・医療」という政策分野の括りのなかで、「医学部生を1.5倍に増やし、医師数を先進国並みにします。看護師などの医療従事者も増員します」と、医療に携わる人材の充実をあげます。産婦人科をはじめとする医師不足の問題に対処してのことでしょう。

また「経済・雇用」の括りのなかで、「日本経済の成長戦略」として、技術分野への支援政策を打ち出しています。「IT、バイオ、ナノテクなど、先端技術の開発・普及を支援します。特に地球温暖化対策では、国の大胆な支援で、わが国の優れた技術力をさらに高め、環境関連産業を将来の成長産業に育てます」。

政権政策で掲げられているIT、バイオ、ナノテク、それに地球温暖化対策という具体的な分野は、文部科学省が示している「第3期科学技術基本計画」の重点推進分野の内容と似ています。

第3期科学技術基本計画は、2006年から2010年までの国の科学技術分野への戦略を示すもので「とくにこの分野に力を入れます」ということを示した「重点推進4分野」には「ライフサイエンス、情報通信、環境、ナノテクノロジー・材料」が上がっています。

ただし、第3期科学技術基本計画に対しては、目立った成果が見られない分野は重点化を見直されるのではないか、といった話が研究者たちからも聞かれます。

民主党の政権政策を見るかぎりは、第4期に引き継がれる科学技術基本計画を基本的に踏襲する姿勢がうかがえます。

とくに民主党が力を入れるとする温暖化対策については、おなじ「雇用・経済」の括りのなかで、税制や助成の構想も掲げています。

「2020年までに温暖化ガスを25%削減('90年比)するため、排出権取引市場を創設し、地球温暖化対策税の導入を検討します」

「太陽光パネル、環境対応車、省エネ家電などの購入を助成し、温暖化対策と新産業育成を進めます」

このように、「年金・医療」や「経済・雇用」という社会的な問題のなかで、医療や技術に対する政権構想が示されています。いわば、“問題に対処するための医療や技術分野への支援”は示されてるわけです。

これに対して、医療や技術の土台とされる、理学などの基礎科学といわれる分野に対する支援は影をひそめています。

基礎科学は「何のために役立つか」といった目的意識にとらわれず、純粋に自然のしくみを追究する点が特徴。そのため「役に立たない科学」という印象が政策者に植えつけられがちのようです。

しかし、基礎科学から医療や技術につながる成果が上がるという場合もあります。役に立たない印象だからといって支援に消極的でよいのか、といった論も多くの基礎科学研究者たちからあがっています。

税金のムダづかい根絶を目指し「必要なものは増やし、そうでないものは削る」と謳う民主党。もちろん、ムダづかい根絶の主な対象は、天下りの禁止やひもつき補助金などを対象とするものではあります。が、「そうでないものは削る」が、科学技術分野にも影響をあたえるものか、これからの実際の政策で見極めていく必要もありそうです。

民主党の政権政策はこちら。
| - | 23:59 | comments(0) | -
温暖化肯定派と懐疑派がおなじ机に


国勢選挙期間中の報道番組や討論番組は、報道の公平性を保つためにあえて政治的な話題をとりあげない場合があります。

きょう(2009年8月29日)未明に放送されたテレビ朝日の討論番組「朝まで生テレビ」も他聞にもれず、「激論! ドーする?! 地球温暖化」という環境問題を話題とした討論をとりあげました。

ふだんこの番組を見ている視聴者にとっては、ある種の違和感を覚えたかもしれません。討論者たちは、すくなくとも科学という方法論を尊重しようとする姿勢を保とうとしました。また、政治的議論をするにしても、政府が民間をどこまで制御すべきかといった“与党対野党”の構図とはまた別の視点からの討論が繰り広げられたからです。

環境問題に関心のある人は、地球温暖化に肯定的な研究者と懐疑的な研究者がひとつの机を囲んで討論をしたという点に、「ついに討論番組でこの構図を見ることができたか」と喜んだ方も多かったことでしょう。

出演者のなかで温暖化肯定派の急先鋒は、国立環境研究所の温暖化リスク評価研究室長の江守正多さん。“ミスター温暖化予測”という愛称をもちます。さらに、国立環境研究所温暖化対策評価研究室主任研究員の亀山康子さんも席に座りました。

いっぽう懐疑派のほうは、『環境問題はなぜウソがまかり通るのか』の著書で有名な中部大学教授の武田邦彦さん。それに、東京工業大学大学院教授の丸山茂徳さんが席に座りました。

これまでのこの手の討論番組とちがって、片方の主張にじっと耳を傾け、その後、みずからの反論に入るという、落ちついた雰囲気での討論が繰り広げられました。

ただ「やはり議論が噛み合っていない」と感じた視聴者も多かったのではないでしょうか。

その要因のひとつは、時間尺度のとりかたの大きなちがいでした。丸山さんは、1000年や2000年の時間尺度のなかで、地球は温暖化と寒冷化を繰り返している、という主張を繰り広げました。

対して江守さんは、武田さんや丸山さんの主張を鼻から否定する姿勢はとらず冷静です。そのうえで、丸山さんらは都合のよいデータだけを集めて主張をしているとして反論。

結局、議論は平行線をたどり、「温暖化になるかどうかは5年後には結論が出ているでしょう」(丸山さん)、「1000年スパンの話をしている人がなぜ5年後のことを重視するのか」(江守さん)といった話で終わりました。

丸山さんや武田さんから聞かれなかった言葉もあります。それは「予防原則」。

予防原則は「しばらく経ってみないと危険な状態になるかどうかはわからないが、危険な状態になる可能性があるのであれば、手遅れにならないうちに危険性に対する策を用意しておくべきだ」とする考え方です。

これだけ「温暖化は進む」「いや進まない」の議論がなされているとすれば、予防原則にのっとって「温暖化で人類に被害が及ぶことを念のために案じておいてもいいのでは」という結論もありうるはずです。

温暖化に懐疑派の科学者たちも、あるいはその大切さは感じているのかもしれません。

番組制作者にとっては、選挙直前期に腐心してとりあげた例外的な議題だったのでしょう。しかし、インターネット上のブログには「珍しく面白いテーマ・議論でした」という感想も見られます。
| - | 22:03 | comments(0) | -
「治らない」から「治る」へ、1型糖尿病の広報映像


「日本IDDMネットワーク」という特定非営利活動法人があります。IDDMは、“Insulin Dependent Diabetes Mellitus”の頭文字をとったもの。「インシュリン依存型糖尿病」と訳されます。

糖尿病は、食事などでとりこまれた糖が体のなかでうまく処理できなくなる病気。おもに2種類があります。インシュリンというホルモンが糖を処理しなくなる「インシュリン非依存型糖尿病」(2型糖尿病)と、インシュリンそのものが欠乏する「インシュリン依存型糖尿病」(1型糖尿病)です。

おとなが代謝症候群などの生活習慣病などから罹りやすいのは「非依存型」。いっぽう「依存型」は、子どもでも突然に発症しやすく重症となりやすいのが特徴のひとつです。体のなかでインシュリンをほぼ、またはまったくつくれなくなるため、つねに注射をするなどしてインシュリンを体に入れる必要があります。

日本IDDMネットワークは、1型糖尿病や、小児糖尿病、また若年発症糖尿病の患者の自立を支援する団体。この会が(2009年)9月5日(土)と6日(日)に、愛知県の愛・地球博跡地で行われる「愛フェス」という催しもので放映するための1分間の映像「1型糖尿病(Type-1DM)をご存じですか?」をつくりました。

当日の上映に先立って、動画サイトのユーチューブでも見ることができます。

ご覧いただくとわかるように「子供達は毎日自分でインスリン注射を打つ 生きるために!」の言葉とともに、一人の少女が自分でインシュリン注射を打つ姿が。

そして映像では、医療の進歩がこの病を「治らない」から「治る」に変えうることを伝え、「研究を進めるために皆さんの寄付が必要です」と、人々の支援を求めます。

この宣伝広告は、広告代理店などを介さず,この会に賛同する人たちと、実際に1型糖尿病をもっている少女が参加してつくられたもの。多弁ではない、率直なまでの訴えが視聴者に届くことでしょう。

日本IDDMネットワークの放送広告「1型糖尿病(Type-1DM)をご存じですか?」は、こちらでご覧いただけます。
日本IDDMネットワークのホームページはこちら。
| - | 23:59 | comments(0) | -
「睡眠最貧国ニッポンはリスクだらけ」


きょう(2009年8月27日)、日経ビジネスオンラインの連載記事「カラダを言葉で科学する」で、「睡眠最貧国ニッポンはリスクだらけ」という記事が掲載されました。執筆は尹雄大さん、撮影は佐藤類さん。この記事の編集を連結社としました。

国立精神・神経センター精神保健研究所客員研究員の白川修一郎さんが「日本人の睡眠とリスク」について語っています。

衣食住のなかで睡眠という行為は、多少のむりが通ってしまうもの。苦しみともいえない笑顔で「もう2日間寝てないんですよー」などと徹夜したことを話す人もいます。白川さんは「仕事や趣味のためにいちばんに削られてしまう」のが睡眠だと言います。

そのむりは、様々なところで「リスク」として浮かびあがってきます。とくに今回の前編で白川さんが取りあげるのが、コンビニエンスストアなどで夜勤をする交代勤務者の健康被害への危険性です。

―――――
通常だと体温は日中と睡眠時では1.5から2度の差がありますが、交代勤務者は差が0.5度くらいしかない例も知られています。自律神経が働くときと休息しているときの差があまりないからです。

そうすると成長ホルモンや他のホルモンの分泌も不活発になるので、病気になる率が高くなります。さらに女性だと月経周期の異常を起こしやすく、不妊のリスクも高まるでしょう。
―――――

成長ホルモンは、大人にとっても疲れを回復させるといった役割を果たすもの。「朝から寝て夕方に起きたけれど、なんか疲れがとれない」といった感覚にも、体のバランスが崩れるといった裏づけがあるのですね。

白川さんによれば「睡眠に対し不満を感じている人は国民の7割」。さらに「実際、7割どころではないのではないかと思っています」とも。

寝る間を惜しんで、といった美徳的感覚は、これから少しずつ崩れていくでしょうか。日本の現状は「目覚めよニッポン!」の前に「眠れよニッポン!」のようです。

「カラダを言葉で科学する」のコラム「睡眠最貧国ニッポンはリスクだらけ」はこちら。
| - | 20:59 | comments(0) | -
若田さんが宇宙で使いつづけた「ビスフォスフォネート」
2009年3月から7月にかけて国際宇宙ステーションに滞在していた宇宙飛行士の若田光一さんは、宇宙で薬を飲んでいたといいます。

といっても、宇宙で病気にかかったわけでも持病をもっていたわけでもありません。

国際宇宙ステーション長期滞在中の実験のひとつとして、みずからが被験者となり臨床実験ならぬ“臨宇宙実験”に取り組んだのです。

地球にいる人々にたえず重力がかかっているのとちがって、国際宇宙ステーションは微小重力空間。人ががんばらなくても、骨への負担はかかりません。

しかし、骨への負担がかからない分、骨は鍛えられもしません。そのため、お年寄りの骨粗しょう症の10倍もの速さで、骨からカルシウムが溶け出していくといいます。

そして溶けた骨は、血液とともに尿の中へ。このため、宇宙で滞在すると尿路に石がつくられて激痛のもととなる「尿路結石」にもなりやすいといわれています。


尿路結石

若田さんが宇宙で週に1回、飲んでいた薬は「ビスフォスフォネート」。

ビスフォスフォネートは、燐や酸素などの元素からなる無機質の小分子で、体の中では骨や歯をつくるう水酸燐灰石(ハイドロキシアパタイト)という物質と結ばれます。

骨や歯には、破骨細胞というつねに自分の骨を壊しつづけている細胞があります。いっぽう、骨をつくりつづける骨芽細胞という細胞もあります。たえず「壊しては作り」をくりかえしているわけです。


骨や歯の水酸燐灰石にくっついたビスフォスフォネートは、破骨細胞のはたらきをじゃましてやっつける効果があります。「壊しては」のほうが軽くなるために、骨が作られる機会が増えるわけです。

じつは、2000年から2001年にかけて、ヨーロッパ宇宙機関、フランス国立宇宙センター、それに日本の宇宙航空研究開発機構は共同でビスフォスフォネートを使った実験を行っていました。

90日にわたり、ベッドで寝たままの状態におかれる被験者に、2週間前にビスフォスフォネートを注射したといいます。

結果、実験が終わってからも骨の量はあまり変わらず、尿路結石につながる尿へのカルシウム排出も増えませんでした。

この宇宙での環境を模した実験の結果を受け、今度は本当の宇宙でビスフォスフォネートを使ったら人の身体はどうなるかを、若田さんが被験者となり確かめるのが今回の実験です。

若田さんは国際宇宙ステーションに滞在していたときに書いたブログで「ISSでの宇宙長期滞在や今後の火星有人飛行などに向けても、骨密度低下の予防や対策の研究はとても重要ですが、骨密度低下の抑制は、地上で骨粗鬆症に苦しむ多くの方々にとっても重要な研究テーマだと思います」と話しています。

「地球で効き目があったのなら、まず宇宙でも効き目があるのでは」とは、多くの人が思うことかもしれません。それでも「宇宙だったらどうか」ということを一つひとつ確かめていくことで、だんだんと宇宙のことがわかり、人のことがわかってくるのでしょう。

「若田光一 宇宙ブログ」はこちら。2009年7月1日の記事「無重力での骨の密度低下を防ぐための研究」に詳しいことが書かれてあります。

宇宙航空研究開発機構の「JAXA宇宙飛行士によるISS長期滞在」はこちら。「骨量減少・尿路結石予防対策実験(ビスフォスフォネート剤を用いた骨量減少・尿路結石予防対策に関する研究)」の説明があります。
| - | 23:53 | comments(0) | -
「どうせ分別を守らないなら……」

コンビニエンスストアの出入口に置かれているごみ箱には、空き缶、空き瓶、空きペットボトルをいっしょに捨てるものがあります。

多くの行政の分別回収の方法では、これらは別扱いになっています。ごみ箱に捨てるとき、すべてをいっしょくたにするのはどういうことでしょう。

理由はいろいろとあるようです。

まず、捨てる人のすべてが「缶と瓶とペットボトルを分別して捨てる」ことを守るわけではないということを回収者が見こしているから、ということがあります。

空き缶や空きペットボトルの材料が再利用される場合、100本の空き缶の中に1本のペットボトルが混ざっていても処理工程のさまたげに。逆に、100本の空きペットボトルの中に1本の空き缶が混ざっている場合も真なりです。

回収された空き缶や空き瓶、空きペットボトルは再利用される場合、一度きちんと分別される必要があるわけです。コンビニエンスストアのごみ箱で「分別して捨てましょう」と示しても守らない人がいるため、コンビニエンスストアのごみ箱の段階では「空き缶も空き瓶も空きペットボトルもいっしょくたに入れちゃってください」として、後の工程で分別をきちんとやっている、ということのようです。

また、たとえば空き瓶だけを捨てるごみ箱を設置すると、放って捨てられた空き瓶が割れてしまうおそれもあります。そこで、ごみ箱の段階ではペットボトルをいっしょにして、ペットボトルを緩衝材にするといった利点もあるようです。

分別回収の工夫の話があるいっぽう、分別回収のあり方自体に疑問を投げかける意見も聞かれます。ペットボトルはリサイクルするより、燃えるごみとして回収したほうが、ごみ焼却炉での燃焼カロリーを高めるので効率的、といった意見はその代表でしょう。

焼却炉の性能などにも左右されますが、ごみ分別の方針は自治体によりさまざま。興味ある方は、役所に「なぜ、この街では、この分別方法なのですか」と、改めて聞いてみるのもいいかもしれません。
| - | 23:59 | comments(0) | -
グリコ「リー」の2009年スペシャルバージョン――カレーまみれのアネクドート(15)


市販カレーのマニアにとって、グリコのカレー「リー」のスペシャルバージョンの販売は、毎年の夏の楽しみになっているようです。

レギュラー品の「リー」は「辛さ×10倍」を売りにしています。いっぽう「スペシャルバージョン」は「辛さ×20倍」や「×30倍」が売り。そして、毎年、香辛料の中味が変わります。

ここ1、2年は「辛さ×30倍」を基本に、さらに「辛さ増強ソース」を加えることにより「×45倍」まで、辛さを上げることができるような仕様にしています。

昨2008年は、菓子製造業トー鳩のスナック菓子でもおなじみになった香辛料「ジョロキア」が増強ソースに入っていました。

そして今年2009年のスペシャルバージョンは、“ピメンタ・デ・シェイロ”という激辛唐辛子が入っています。

謎めいた名前のピメンタ・デ・シェイロですが、同社は「アマゾン特有の唐辛子。ブラジル北部が産地。小指くらいの小粒の形で、一般的な唐辛子(天鷹唐辛子)の約3.3倍の辛さ」と説明。

カレールウの「辛さ×30倍」に、この増強ソースの「辛さ×15倍」が追加されて「辛さ×45倍」になるわけです。

「辛さ×30倍」のカレールウは、色がくすんだ茶色。味は後からじわじわと辛くなってくる典型的なものです。その辛さは、ほかの味の成分よりもはるかに直接的に舌に訴えかけ、そして、カレー店の激辛カレーよりも早く去っていきます。

さらに、増強ソースをふりかけると、質の異なる辛さが加えられることに。ピメンタ・デ・シェイロは「黄色く丸みのある実は芳香を放つのが特長」(グリコのホームページより)。“濃い辛さ”が伝わってきます。

さながら、辛いカレーを売りにするカレー店のカレーの辛さ。かつて、レトルトカレーは激辛を謳っても、老若男女が家で食べることをメーカーが考えてか、その実が伴わないことがありました。しかし、時代はかわってきました。本当に辛いカレーが市販のレトルトカレーで食べられる、本格的な時代になってきたといえましょう。

商品の変遷も見ることができる、グリコ「リー」のホームページはこちら。
| - | 23:59 | comments(0) | -
50メートルプール、泳ぎ方さまざま
もうすぐ処暑とはいえ、まだまだ暑い日々。水泳場に行って泳ぐ人も多いことでしょう。

スポーツクラブなどにも25メートルプールは置かれていますが、本格的に泳ぎたい人は、街なかの50メートルプールへと出かけます。東京の近辺には数か所、50メートルつきの水泳場があります。

それぞれの水泳場はレーンが8つほど。多くのところは、コースロープがなく自由に泳いだり歩いたりできる部分と、道路のように泳路が決まっている部分があります。

この泳路が決まっている部分は、それぞれの水泳場によって、泳ぎ方の決まりにちがいが見られます。



上の図は、新宿区千駄ヶ谷の東京体育館や江東区辰巳国際水泳場などの泳路コースのイメージ。泳者は一つのレーンの中を往復する対面通行型です。ただし、泳者によって遅い人と速い人がいるため、低速コースと高速コースをわけて、泳者どうしの追突が起こりにくいようにしています。

ただ、対面通行型の難点は、対面で向こうから泳いでくる人との接触のおそれがあること。右側通行になってはいますが、平泳ぎなどで脚を開くと、対面泳者の手や腹にぶつかってしまうことも……。


そこで、もう一つの手としてあるのが、上の図のようなもの。これは、港区芝公園のアクアフィールド芝公園という野外50メートルプールに見られる泳路です。

泳者は片方のレーンを50メートル泳ぐと、コースロープをくぐって隣のレーンに移ってから復路を泳ぎます。ここでも、遅い人と速い人がいることによる追突を防ぐため、外側を低速、内側を高速としています。

これで、同じレーンでの対面衝突は防ぐことができます。ただし、何度も往復して泳ぎたいという人は、いちいちコースロープをくぐらなければなりません。

もちろん、ターンのとき泳ぎながらロープをくぐってそのまま復路の泳ぎに入る人もいます。が、とくに低速レーンで泳ぐ人は、大回りをしなければなりません。

これらに対して、千葉市美浜区にある千葉市営高洲市民プールの50メートルコースは柔軟な対応をしています。


手前(下)2レーンでは一方通行でコースロープをくぐって往復し、奥(上)2レーンでは対面式でレーン内で往復をします。しかも、奥2レーンは低速と高速にわけられています。

つまり、上の二つの泳路のあり方の両方を採用したような設定となっています。泳路の進化形といえるかもしれません。

公営の水泳場には、2003年から始まった民間企業などが代行することが可能な指定管理者制度の波がおしよせています。“泳ぎやすさ”の工夫・改善もより求められる時代です。
| - | 23:59 | comments(0) | -
「理系、あまりにも乱暴な……」

人は、みずからの理解のため、対象となるものを区別して考えようとします。

文系と理系もそのひとつでしょう。文科に属する学問系統が「文系」。理科の系統が「理系」です。

文系・理系の区分けによって、人が得られる情報は多くあります。さらに、ここから紋切り型の想像をすることもできます。

「あの人は文系」と聞けば「小説とかは好きだけれど、数学とかは苦手なのかも」。「あの人は理系」と聞けば「頭の回転は速いけれど、融通はきくのかしら」といった具合に。

ただし、文系と理系が、東と西あるいは右と左のように、対等的に区分けされているものかというと、そうともいえない側面があります。

文系といって思い浮かぶ分野といえば、文学、芸術、社会学、教育学などでしょうか。いっぽう、理系といえば、生物学、物理学、地球科学、工学などが思い浮かばれるでしょう。

しかし、一般的な人々の認識のしかたとしては、文系の分野は「さらに区分けをすべき対象」となるのに対して、理系は「理系として一括りにしておいても構わない」となる傾向がありそうです。

たとえば、文系の世界を覗けば、文学評論家が「この先の世界経済の動向はですねぇ」と、ああだこうだ解説するような場面はあまり見られません。また、経済ライターには、金融分野の記事を書くことこそあれ「芸術方面もおなじ括りとして書いています」という人はまずいません。たまたま、両分野が得意という人はいるでしょうが。

理系のほうが、文系よりはるかに“一括り”にされている度が高いといえそうです。

たとえば「科学ジャーナリスト」という肩書きの職業があります。その人が雑誌や放送で解説をするときは、環境問題、天文学、量子力学、機械工学、エレクトロニクス、場合によっては医学や医療まで、手広く語ります。

その科学ジャーナリストにも得意な分野もあれば、苦手な分野もあるでしょう。しかし、すべては「理系のことだから」という理屈で、理系分野のことに対して「解説してください」と依頼を受けます。

理系を一括りに捉える状況を、ある編集者は「よく考えてみると、あまりにも乱暴ですよね」と言います。

“理系一括り”の背景には、「理系にはほぼすべての分野の説明を、数式という共通的な表現方法で表せる」という基本原則がある、ということもあるのでしょう。

理系のほうが比較的どの分野も歴史が浅いためにまだ成熟されていないからか、理系は文系以外の分野と見なさるからか、それとも、誰もこれで困っていないからか。文系より理系のほうが一括りにされる傾向は長らくつづいています。
| - | 23:59 | comments(0) | -
ヒット曲に使われる「ドレミソ」――法則古今東西(12)
 

音楽業界には「ドレミソの法則」があるといいます。

「ドレミソ」は音階のこと。このように上がっていく旋律を、歌のはじめや一番の盛り上がりの部分で使うと、よく聴かれる、あるいは売れる曲になりやすいとのこと。もちろん変調しても、音階の並び方が「ドレミソ」とおなじであれば効き目はあるでしょう。

たとえば、サザンオールスターズが2000年1月に発表したシングル曲「TSUNAMI」は、その年の暮れまでに300万枚を売る大ヒット作になりました。

この曲の盛り上がりの部分は「見つめ合うと素直におしゃべりできない」。この「見つめ合」の部分に「ドレミソ」が使われています。

また、男性デュオのclassが1993年4月に発表したデビュー曲に「夏の日の1993」というものがありましたね。これも170万枚の売上があったといいます。カラオケでも「『夏の日の1993』を歌っているということは、この人の世代はこのくらいだな」と想像できるほどの“懐メロ”の定番になっているとも。

この曲の盛り上がりの部分は「ナインティナインスリー恋をした ああ君に夢中さ」という歌詞のところ。ここの「ナインティナインスリー」にも「ドレミソ」が使われています。

また、作曲家の久石譲氏の曲を見ても、映画『菊次郎の夏』などで使われた「summer」という曲の出だしで、同様の旋律が聴かれます。

放送広告で使われる曲などを探してみると、まだまだたくさんありそうです。

ただし、どの分野でもそうですが、王道とされている方法は多くの人に使われる宿命があります。「今日もまた、猿でも簡単にできるドレミソ歌が有線から流れて来ました」といった具合に、揶揄される場合もあるようです。単に「ドレミソ」を使えばいい、というわけでもないようです。
| - | 23:59 | comments(0) | -
(2009年)8月29日は「先端バイオロジーが加速する」


催しもののお知らせです。

(2009年)8月29日(土)、東京・神宮前の青山ブックセンター本店内「カルチャーサロン青山」で、「先端バイオロジーが加速する 科学とアートのゆくえ」という対談会が行われます。

デザインジャーナリストの藤崎圭一郎さんが、早稲田大学の生物学者で“バイオメディアアーティスト”の岩崎秀雄さんを迎え、科学とアートの未来を予測する内容。「バイオメディアアート」とは、耳なれない言葉ですね。日本語に直訳すれば「生物媒体芸術」。

数学や風や波などの自然環境を使って芸術を表現することがあります。バイオメディアアートは生物学と芸術を結びつけた表現型といえるでしょう。

岩崎さんは、生物の体内時計と生物固体のパターン形成の関係を扱う研究者。芸術活動では、地球で初めて光合成により酸素を生みだした生物とされるシアノバクテリアの運動パターンを切り絵など手法で表現しています。

会場の青山ブックセンターは、「生命をつくりだす研究とは? ヨーロッパで先行するバイオメディアアートとは? 科学技術とデザインの関係を読み解く藤崎が、先端バイオロジーを素材とした、ウェットなバイオメディアアートの価値を探る」と、対談会の内容を伝えています。

この催しものは、日本科学未来館が展開している「サイエンス・ブック・カフェ いま科学の本がこんなに面白いわけ」の一部として行われるもの。青山ブックセンター本店と、東京・丸の内の丸ビル店などで、未来館スタッフがおすすめするおよそ50冊の本を展示しています。

「正統派の科学書から、絵本、漫画、小説、エッセイなど、楽しいポップとともににぎやかに並んだ本棚を見ると、この夏読みたい本が次々にでてくるはず」(ホームページより)

「先端バイオロジーが加速する 科学とアートのゆくえ」は、青山ブックセンター本店内「カルチャーサロン青山」で8月29日(土)13:30から。予約と入場料600円が必要です。青山ブックセンターによるお知らせはこちら。

日本科学未来館「サイエンス・ブック・カフェ いま科学の本がこんなに面白いわけ」は、青山ブックセンター本店と丸ビル店で8月31日(月)まで。お知らせはこちら。

岩崎秀雄さんのホームページはこちら。
| - | 23:59 | comments(0) | -
「メリケン等の投點票にあらはれし……」――長崎とアトム(15)


敗戦から間もない1946年5月の長崎で、占領軍主導のもと行われた「ミス長崎」のミスコンテストは、米国で別名「ミス原爆」のコンテストとよばれていました。

このミスコンテストについて、当時の新聞記事のほかに、いくつかの記述が米国と日本の双方から見られます。

ひとつは、米国の有名な歴史家ジョン・ダワーが『敗北を抱きしめて』のなかで、「ミス原爆」を選ぶコンテストが行われたころの長崎の状況を描写しています。

―――――
原爆が投下された長崎においてさえ、住民は最初に到着したアメリカ人たちに贈り物を準備し、彼らを歓迎したのである(贈り物はガラス・ケース入りの人形で、放射能の影響を調査に来たアメリカの科学チームの責任者に贈られた)。またそのすぐ後にも住民たちは、駐留するアメリカ占領軍とともに、「ミス原爆美人コンテスト」を開催したのである。
―――――

原爆投下直後の長崎市民が、占領のためやってきた米国人に対して、非常に好意的だったことの例として、「ミス原爆」のコンテストの存在を示しています。

ここから「原子爆弾」や「アトム」を、ポジティブなイメージで喧伝しようとした米国軍と、それを受け入れる精神性をもっていた長崎市民あるいは日本人、という構図を想像したら、想像のしすぎでしょうか。

いっぽう、日本人のほうでも、このミスコンテストのことを表現した人物がいます。長崎市立博物館学芸員で、長崎県・長崎市文化財保護審議会委員、長崎国際文化協会副会長などをつとめた経歴のある島内八郎です。このミスコンテストの日本人審査委員をつとめていたらしく、「ミス長崎審査」という題名の短歌を『多磨』という雑誌の1949年9月号に3句、残しています。

―――――
極彩の和装の奥に桃色の鼓動高鳴りゐる乙女らか

六挺の算盤の音が集計を彈き出してやみし今の瞬間

メリケン等の投點票にあらはれし鑑賞眼の相違考へさせらるる
―――――

時系列に表現されたこれら句のうち、3句目からは、米国人と日本人の眼は、やはり違うものであるという島内の心の内が読みとれます。

ここまで見てきた、アトム公園、アトミックフィールド、アトム音頭、ミス原爆……。原子爆弾投下から64年のいま、「長崎とアトム」をどう捉えるべきなのでしょうか。つづく。
| - | 23:59 | comments(0) | -
原子力利用推進の芽――長崎とアトム(14)
戦後、日本は、“平和利用”という名のもとで、原子力利用を推進する道をひた走りました。そして、行政やマス媒体などが主導したこの道に国民は従順にも従いました。
 
1955年の新聞週間の標語は「新聞は世界平和の原子力」。この時点でも「原子力」という言葉が、好意的に使われていたことをうかがわせます。
 
また、1979年の時点でも、国民の6割強が原子力の利用には賛成していたという新聞世論調査もあります。

子ども時代を戦争の中で過ごした、ある科学ジャーナリストはこう話します。
 
「唯一の原爆被害者となった日本国民は、原子力の利用を不幸とは考えなかった。科学技術を軍事に使えばたいへんな悪になる。けれども、人類のために使えばプラスになると多くの人は考えた」
 
こうした風潮を後押しするもうひとつの要因が、終戦後占領軍として駐留していた米国軍の存在だったのかもしれません。すくなくとも、米国軍が「原子爆弾」や「原子」、「アトム」に対して好意的であったことに疑いの余地はありません。
 
原子爆弾の投下から60年を迎えようとする2005年7月31日、産經新聞がスクープ記事を報じました。
 

「占領軍主導『ミス原爆』 被爆後9ヵ月長崎のミスコン」という見出しの記事です。ミスコンテストは占領軍長崎地方プレス班が主導し、毎日新聞、西日本新聞、長崎新聞の3紙が主催していたことがわかったといいます。各新聞社は「ミス長崎」と表現していたいっぽう、米国内ではミス長崎のことを「ミス原爆」とよんでいたと記事は伝えています。
 
このミスコンテストの結果を伝える毎日新聞1946年5月3日付の記事がプランゲ文庫には残されています。
 

―――――
“ミス長崎” 山村蓉子さん
晴のナンバーワンを選定する第三次“ミス長崎”の審査はメーデーの五月一日午後七時から市内寶塚ダンスホールで開いたが、この日第一次審査にパスした山村蓉子さん(十九)下永好子さん(二〇)第二次審査に入選した吉田信子さん(十九)小坂富美子さん(廿一)の四女が出場したが、結局本社推薦応募の山村蓉子さんが見事入選“ミス長崎”の栄冠を勝ち得た、第二位は小坂さん、第三位下永さん、第四位吉田さんと選定されたが、ナンバーワンの山村さんには蒔絵手箱(香水入)はじめ岡政、濱屋百貨店寄贈の商品十点が授典され次の小坂さんほか三名にも数々の商品が贈呈された
―――――

やはり「ミス原爆」の表現は一切なく、「ミス長崎」としています。さらにこのミスコンテストをめぐる記述として、米国人と日本人のものから二つ、紹介することができます。つづく。
| - | 23:59 | comments(0) | -
「食料自給率の向上」を疑問視する専門家

農林水産省報道発表

農林水産省は、(2009年)8月11日、2008年度の日本の食料自給率がカロリーベースで41%だったことを発表しました。

食料自給率は、国内での生産量や消費量から計算する重量ベースや、それぞれの食料の品目の生産額から計算する生産額ベースなどもありますが、カロリーベースは代表的な数値のひとつ。国民ひとりに供給される1日分のエネルギーのうち、どれだけの率が国内生産の品目でカバーされているか率で示したものです。

農林水産省が推進し、企業や有識者からなる「フードアクションニッポン」というキャンペーンが組織され、食料自給率を高めるための取り組みが行われています。

しかし、農業政策に詳しい専門家たちからは、「食料自給率を高めようとするというのは、おかしな話になりなかねない」という意見も出ているようです。

あらためて、カロリーベースの食料自給率の計算を式で表してみます。「国民ひとり1日あたりの国内生産カロリー/国民ひとり1日あたりの供給カロリー」ということになります。

分母は、ひとり1日あたりに供給されるエネルギー。分子は、ひとり1日あたりに生産される食料エネルギーということになります。

では、食料自給率を高めるに、どうすればよいでしょうか。

「国内でたくさん作物をつくって、輸入作物より国産物をたくさん食べれば、食料自給率は高まる」と考える方は多いでしょう。

しかし、上の式からいうと、食料自給率を高めるための方法がもうひとつあります。

分子の国内生産カロリーを増やさなくても、分母の供給カロリーを減らせば、率は高まるのです。

いま、日本人の平均的な摂取カロリーは、男女差や年令差もありますが、ざっくりいって2500キロカロリー。極端にいえば、この摂取カロリーを半分の1250キロカロリーにしたうえで、国内でつくられた作物を優先に食べるようにすれば、食料自給率は高くなっていきます。

現実ばなれした話ではありますが、仮に「日本人のみなさん。私たちの国でつくられた作物しか食べないように」といった法律ができれば、食料自給率はまず100%を達成することができます。

いっぽう、確実に餓死者も出ることでしょう。実際、太平洋戦争終戦直後は、これに似た状況になり、ヤミ米などを買わず政府からの配給をきちんと守っていた国民から餓死者が出たという話もあります。

農業政策に詳しい専門家のなかには、食料自給の“率”を、国家目標に掲げる国は日本以外はあまり見られないとし、代わりに国内の食料生産量や国内の食料生産額などの絶対値を上げることを目標にすべきではないか、と提案する人も見られます。

2008年の食料自給率が1ポイント上がった要因は、国内の作物が豊作だったことや、外国の穀物相場が高かったことが大きかったようです。

農林水産省「食料自給率とは」はこちら。
「フードアクションニッポン」のホームページはこちら。
| - | 23:18 | comments(0) | -
検索キーワードにもロングテール傾向


ブログには管理者がアクセスできる「管理者ページ」というものがあります。

ここには、書いた原稿を載せる手続きや、どのくらいのアクセスがあるのかをページ数で見られるといった機能があります。

そのほかの機能としてあるのが「検索キーワード」とよばれるもの。グーグルやヤフーなどには検索機能があります。インターネットの使い手が検索したい言葉を入れると検索結果が表示され、ときにはブログにたどり着くことがあります。

ブログ管理者側にとってみたら、ブログに載せていた言葉を頼りにされて、自分のブログに来てもらうことになります。

「どんな言葉を頼りに自分のブログに来てもらったか」がわかる情報が「検索キーワード」。だいたいどのブログサービスの管理者ページにも付いています。過去3か月に、アクセスの元となった検索語と検索回数などが示されるサービスが主流です。

ちなみに、当ブログでは、どのような検索語が多いのか。主だったところは次のようなもの。

「日食 眼」これが、ここ3か月の第1位。(2009年)7月22日に観測された皆既日食の直前に、過去記事「日食観察、眼のけがに注意」にアクセスがあったのでしょう。安全な観測に対するマス媒体などの注意喚起があったため、この言葉で検索する人がかなりいたということでしょうか。

「脳死からの生還」というのも多い検索数でした。(2009年)7月13日、改正臓器移植法案が成立しました。家族の同意で子どもからの臓器提供が可能になったわけですが、この案に反対する根拠に「子どもの場合、脳死状態から生還が起きる可能性があるのでは」というものがありました。こうしたことを調べる方が、過去記事「脳死からの生還」にたどり着いたのでしょう。

「アルキメデスの公理」も検索数が高いもの。アルキメデスは、「アルキメデスの定理」のほかに「アルキメデスの公理」とよばれるようになる公理も発見知っています。過去記事「アルキメデスの公理」へのアクセスでしょう。

ほかに、検索キーワードにあげられている特徴的な言葉をあげると「タコマ・ナローズ橋」「玉掛け 地切り」「しろありん」「資生堂ホネケーキ工業」「六虫」など。

かつて、インターネットやウェブの使われ方や位置づけが新しい段階に入ったことを意味する「ウェブ2.0」ということばがひんぱんにいわれていたころ、「ロングテール」ということばもよく聞かれました。「あまり売れない商品が、ネット店舗での欠かせない収益源になる」という意味です。検索キーワードの結果を見るかぎり、「巷であまり検索されないことばが、ブログでよくアクセスされる」といった面もあるようです。
| - | 23:59 | comments(0) | -
ひんぱんに起きる「今の問題」


文章を書くときの問題のひとつに「今の問題」があります。

「8月15日、今世の中はお盆休み」
「8月15日、いま世の中はお盆休み」

つまり、「いま」を「今」のように漢字にするか、「いま」のようにひらがなにするか、という字の用いかたの問題です。

「今」のように漢字にすると、上のように次に来る字も漢字の場合、漢字と漢字が並んでしまうため、読みづらくなってしまうわけです。

「今、世の中はお盆休み」のように、「今」と漢字のあいだに読点を入れれば解決されそうなもの。しかし、「8月15日、今、世の中はお盆休み」のように「今」の前後に読点を付けるとなると、「今」が浮いてしまいます。

いっぽう、「いま」のようにひらがなで表す場合はどうでしょう。この場合、ひらがなの「いま」のつぎに漢字が来れば、「いま世の中は」のように「いま」とつぎに来る言葉がつながっていないことが読む側に一目でわかるわけです。

しかし、「いま」のつぎがひらがなのことばであると、これはこれで読みづらくなるもの。

2007年、日本で公開された映画に『いま ここにある風景』というものがありました。『いまここにある風景』ではなく『いま ここにある風景』。「いま」と「ここ」をわざとすこしだけ離しているわけです。映画の題名であれば、このように離すという手もあるでしょう。

ひらがなの「いま」も、「いま、ここにある」のように読点を入れれば解決に近づきますが、「8月15日、いま、ここにある」のように読点がつづくと「いま」が浮いてしまう問題は、漢字の「今」とおなじです。

「だったら、つぎに漢字が来るときは『いま』を、つぎにひらがなが来るときは『今』を使えばいいじゃないか」という人もいるでしょう。

「いま世の中はお盆休み」「今ここにある風景」のようにするわけです。

一点、この使い方が問題とされるのは、おなじ文書のなかに「いま」と「今」の両方が使われる場合です。一冊の本や雑誌のなかでは「いま」なら「いま」、「今」なら「今」に統一すべきだ、とする傾向があります。

しかし、「もっと柔軟に、その場の対応で漢字を使うかひらがなかを使うか決めてもよいのでは」と考える編集者や物書きもいます。

このあたりの問題処理のしかたは、センスや勘の問題ともいえそうです。ひんぱんに使われる「いま」ということばだけあって、編集者や物書きは記事をつくるたびに「ああ、またか」と「今の問題」に出くわしています。
| - | 23:59 | comments(0) | -
「迂回路」のほうが距離が短い
(2009年)8月11日の駿河湾を震源とする地震で、静岡県牧之原市を走る東名高速道路の一部が崩れました。上り線の復旧作業が行われています。

帰省の時期やETC車1000円サービス期間と重なったため、テレビの報道は、実際に現場近くを走行するなどして、状況を報告をしています。

関西や中部から東京方面への「迂回路」のひとつとして紹介されているのが、中央自動車道路です。この自動車道は兵庫県西宮市から愛知県小牧市をへて、東京都杉並区までをつなぐ自動車道路。世間では、西宮から小牧までは「名神高速道路」として通っていますが、法律上は「中央自動車道西宮線」という位置づけです。

さて、「迂回」とは、あるところを避け、遠まわりして目的地まで行くことをいいます。「小牧から東京に至るまで、東名高速道路の一部が使えないため、遠まわりして中央自動車道を使う方法もあります」と、いうのが報道のいう「迂回路としては中央道がある」の真意となります。

中央自動車道路

しかし、東名高速道路と中央自動車道の東京・小牧間の距離を調べてみるとどうでしょう。

東名高速道路 東京・小牧間347キロメートル。
中央高速道路 東京・小牧間343.8キロメートル。
(いずれも『広辞苑』より)

じつは、中央高速道路のほうが距離が短いのですね。起点の「東京」が東名高速道路は世田谷区、中央高速道路は杉並区というちがいはありますが、この二つの地点がそれほど掛け離れているわけではありません。

一般的に、東名高速道路のほうが中央自動車道路より「首都圏と中京圏を結ぶ主要な自動車道路」という印象は強いかもしれません。その理由もいろいろと考えられます。

東名高速道路

ひとつは、走ってみての実感がそうさせるのでしょう。

東名高速道路は、東京インターと秦野中井インターチェンジの間や、日本坂トンネル出口と牧之原サービスエリアの間など、さまざまな区間で最高時速100キロメートルが設けられています。

いっぽう、中央自動車道路は、甲州街道や中山道といった山あいの街道に沿って進むこともあり、最高速度が時速80キロメートルや70キロメートルの区間が長くあります。

距離はほんのわずか短いけれどスピードは出ない中央高速道路に対し、距離は長いものの速く走れる東名高速道路のほうが利便性があるといえるのかもしれません。

より大きいのは、東名高速道路が東海道の海沿いの開けた場所を走るのに対して、中央高速道路がほぼ山の中を走るといった、景観心理的な影響かもしれません。

かつての中山道といえば、江戸と京都を結ぶ大動脈として、東海道に匹敵するほどのものでした。しかし、いまその役割は東海道つまりは東名高速道路にゆずっている状況です。

海側に開けた道を進む東海道と東名高速道路。静岡や浜松や豊橋といった大きな都市を結びます。いっぽう、中央自動車道といえば、八王子、甲府、その先は、小規模な都市がつづきます。

また、中央自動車道は、山梨県甲府市から長野県塩尻市にかけては、中央アルプスの山脈を迂回するように北方へ向かうため、それも“遠回り”の印象をあたえる要因かもしれません。

あす15日(土)を過ぎれば、東名高速道路は全線で復旧する見込み。帰省ラッシュの渋滞予測がさほどあてにならないことも明らかになりました。ユーターンで関西・中部から東京に車で戻る方は、たまには距離の短い中央自動車道を使って帰るのも、いい思い出になるかもしれません。
| - | 23:58 | comments(0) | -
完成まで600年以上、対称性への執念ここに―sci-tech世界地図(7)


ドイツの西部、ライン川沿いの都市ケルンには「ケルン大聖堂」というたてものがあります。「ザンクト・ペーター・ウント・マリア大聖堂」が正式な名前で、カトリック教会が管理しています。1996年にはユネスコの世界文化遺産にも登録されました。

このケルン大聖堂が完成したのは、129年前のあす1880年8月14日のこと。

「やはり歴史のあるたてものだ」と思う方も多いでしょうが、この大聖堂の着工年を知るとより、その思いが強くなることでしょう。

いまのケルン大聖堂の建設が始まったのは、いまから750年以上前、完成から600年以上も前の1248年にさかのぼります。先代の聖堂が火事でうしなわれたため、新しく建て直したのでした。

13世紀前半といえば、モンゴル帝国がヨーロッパを席巻していた時代でした。いっぽう、日本では北条顕時が生まれた年。こんな都市に、ケルン大聖堂の建設が始まったのです。

ゴシック様式では世界最大の建築物とされるケルン大聖堂。たてものの特徴は、高さ157メートルの大きな尖塔がふたつ並んでいる点です。建設が始まったころから、尖塔をふたつ並べることは折り込みずみでした。

ところが、工事を進めていくうちに宗教改革の時代へと突入。教会は財政難におちいり、片方の尖塔しか建てられない状態が長くつづきました。

もちろん、尖塔がひとつだけの教会は数多くあります。このケルン大聖堂も「空高くそびえる尖塔がひとつ」というたてもので妥協したとしても、世界的な遺産として賞讃されるに値する立派な建築物になっていたことでしょう。

しかし、計画どおり尖塔を二つ並べることをあきらめませんでした。1842年まで尖塔はひとつでしたが、ここから二つ目の尖塔をつくる工事が行われたのです。

ふたつ目の尖塔が建設された背景には、ゴシック・リヴァイヴァルとよばれる、ゴシック様式の建築物への復興運動の高まりがあったとされます。ゴシック建築の代表的存在であるケルン大聖堂を完成させよう、という気運が19世紀に高まったのでしょう。

もうひとつ、ドイツ人の、あることがらに対する執念深さが、ふたつ目の尖塔完成に至らせたともいわれます。

それは、対称性(シンメトリー)に対するドイツ人の美意識です。

中国や日本などの建築物では、二つのものを左右対称的に並べるよりも、右側や左側を意識的に崩して、非対称(アシンメトリー)にすることが美の形式とされてきました。

いっぽう、西欧では、建築物などに対して対称性を保持することに美意識が置かれる傾向が強かったとされます。英国やフランスに見られる王宮庭園の配置などにも、きわめて左右対称的であることがうかがえます。

倫理学者の和辻哲郎は東洋と西洋のこのちがいについて、東洋は季節風が強いため樹木のかたちが非対称になりやすく、西洋は風が穏やかなため樹木のかたちが左右対称になりやすいという風土に根づいたものが関係していると説いています。

ケルン大聖堂においても左右対称の建築設計をしたからには、それを果たすことはドイツ人としての大きな悲願だったのでしょう。

ケルン大聖堂の位置はこちらでご覧になれます。
http://www.google.co.jp/maps?f=q&source=s_q&hl=ja&geocode=&q=ケルン大聖堂&sll=50.932469,6.911774&sspn=0.016877,0.032916&ie=UTF8&z=15&iwloc=A
上の画像元はこちら。
| - | 21:54 | comments(0) | -
「アトム」は「偉大」な「人気者」――長崎とアトム(13)


1945年8月、広島と長崎に原子爆弾が落とされ、日本は敗戦を喫しました。

それまで、日本で「原子爆弾」のことを知る人は、一握りの科学者や軍人をのぞけば、ほぼ皆無だったはずです。そうした状況のなか、原子爆弾は突然、二つの都市に落とされ、何もかもを消し去りました。

原子爆弾は、多数の人々の命を奪いました。当時の広島や長崎の市民は、平和への祈念が強いいっぽうで、その原子爆弾に対して畏敬の念を抱いていたことを読みとれる記述を見つけることができます。

1948(昭和23)年8月9日、長崎市で発せられた「平和宣言」では「アトム長崎を再び繰り返すなと絶叫することによって、恒久的平和は確立するものと信じて疑わぬ」と、負の遺産として「アトム」という言葉を使いつつ、平和を訴えています。

いっぽうで、長崎日日の1949(昭和24)年7月21日付の紙面には「音盤にのるアトム長崎 新長崎文化音頭 記念祭に披露」という見出しの記事で、当時の長崎でつくられた音頭が紹介されています。

「アトムネー、アトム・ナガサキ茜の空に……」

「アトム」という言葉を歌詞に使った音頭がつくられていたということから、少なくとも長崎市では「アトム」ということばが流行語として市民に浸透していたということがわかります。

「アトム」が流行していたのは、長崎市においてのみではなかったようです。南日本新聞の1947年2月10日付にある「豆知識」という記事を見てみます。

南日本新聞は、いまも鹿児島県内で発行されている地方紙。当時は「鹿児島日報」から「南日本新聞」に紙名をかえて間もないころでした。「豆知識」には、当時の日本人が「アトム」をどのように捉えていたかを示す、きわめて端的な記述が見られます。

―――――
アトムはすでに日本語になつている、物質の最後の単位を原子としたのは過去の科学、今日ではその構造が電子、陽子、中性子であることは常識である、この電子と中性子を使つで偉大なアトミツク・ボーム(原子爆弾)が現出した、今日の科学の最も華々しい舞台である原子物理学はすべて原子の内部の究明に研究対象がおかれている

新聞や雑誌の雑筆欄に『アトム』というのがあるが『原子爆弾的な』というしやれだろう、アトムが人氣ものになつてからこれらが動詞にも使われるようになりアトマイズ、直訳して原子爆弾攻撃を加えることであり、もちろん廣島が爆撃されてから使われた新語である
―――――

この記事からはつぎの二つのことを推しはかることができます。

ひとつは、少なくとも報道者には、原子爆弾に対する怒りや憎しみといったものがほぼ感じられず、むしろ賞讃の対象として捉えられている点です。何のためらいもなく「アトム」を「偉大」で「人気者」と解説しています。

もうひとつは、爆心地の長崎や広島だけでなく、日本で広く「アトム」という言葉が好意的な流行語として使われていた可能性があるということです。長崎を含む九州で「アトム」が流行したということも考えられますが、鹿児島で発行されている南日本新聞にこうした解説があるという点から「アトム」の流行を察することができます。つづく。
| - | 23:46 | comments(0) | -
「100万部」より「3万部」


本の編集者にとって、企画の立て方や本の売り方はとても重要。そのため“本のつくりかたの本”や“本の売りかたの本”が数おおく出まわっています。『ベストセラーの作り方』『ベストセラーはこうして生まれる』『この本は一〇〇万部売れる』といった具合に。

こうした本から、編集者が得る“ベストセラーづくりの勘どころ”はいろいろとあるでしょう。そうした本を読めば『世界の中心で愛を叫ぶ』『ハリー・ポッター』『バカの壁』といったミリオンセラーがなぜ売れたのかが、解説されています。

しかし、売れる本を出したい編集者の本音は、「ミリオンセラーのつくりかたを知りたい」といったものは別のところにあるようです。

ある編集者は、しみじみと言います。「 “ミリオン”じゃなくていいんですよ。むしろ、3万部や5万部売れたような本のタイトルが並んでいるような本があれば、そちらのほうに飛びつきますね」。

100万部以上も売れる本は毎年、片手の指に入るほどしかありません。こうした本はたいがい“大化けした本”です。

しかし、100万部以上売れた本がどうやって“大化け”したかを探ってみたところで、その編集者自身が手がける本が、同じような大化けの道を再び歩むということはそう起きません。

著者との出会い、本の主題が話題になる時宜、販促に協力的な書店の出現……。100万部も売れる本は、そうした様々な要素が偶然にもぴたりと合うとき起きるものです。

100万部の本を手がけた編集者も「はじめから100万部を狙って用意周到に計画しました」という人はめったにいません。「始めは売れるかどうかわからなかったのですが、ある書店のAさんに気に入ってもらい、そこから火がついたんです」といった、“小さなきっかけ”があったことを披露する場合のほうが多いようです。

「本を売りたい」と思う編集者が求めているのは、宝くじを当てるように100万部の本を当てる方法ではなさそうです。損益を出さない投資をするように3万部や5万部の本を確実につくりつづける方法なのです。

『確実に3万部の本をつくりつづける技術』といった本が出れば、その本は確実に3万部は売れるのではないでしょうか。
| - | 23:59 | comments(0) | -
起死回生に「昆虫のヒミツ 昆虫学入門」


小学校の夏休みもおおくの地域では折り返し。

「自由課題がまだ終わらない!」というお子さん。「こどもの自由課題がまだ終わらない!」という親御さん。起死回生の大逆転のために、科学館へ出かけてみてはいかがでしょうか。

福岡市の市立少年科学文化会館では、(2009年)8月31日(月)まで九州大学との合同企画展「昆虫のヒミツ 昆虫学入門」が開かれています。九州大学理学部の昆虫研究者たちの参加のもと行われている本格的なもの。

青く輝く蝶レテノールモルフォ(写真)や、エメラルドグリーンに光る甲虫ホウセキゾウムシなどの標本がこれでもかというぐらいに数多く飾られています。


また、展示は各コーナーにわかれていて、昆虫の基本的なからだのしくみ、アリの世界の多様性や精緻性、昆虫やダニなどが植物につくらせる虫こぶの数々などを、詳しく知ることができます。

ただし、子どもたちにとっての人気の的は、やはり壁に掲げられたパネルよりも、実際に動いている生きた虫たちのほう。

世界最重量のカブトムシであるゾウカブト(写真)や、気ままに水の中を泳ぐ水性甲虫のゲンゴロウ、また桑の葉をむしゃむしゃとたべまくるカイコなどが見られます。


さらには、生きているセミの展示もあります。檻に入っているセミたちはもの静かなもの。ここのコーナーは「暑くなる地球とセミ」というもの。ここでは、日本国内で分布が広がっているといわれるクマゼミについて、調べた結果が掲げられています。

―――――
ほんとうに、クマゼミの増加は、気温の上昇に関係しているといえるのでしょうか? 最近、分布が広がっているように報道されていますが、じつは、1989年頃とあまり変わっていません。
―――――

研究者からの“冷静な視点”が、こどもたちに投げかけられています。

8月29日(土)には、つかまえた昆虫をもってくれば、“昆虫博士”が虫の名前を教えるといった機会も設けられています。

福岡市と九州大学の合同企画展 「昆虫のヒミツ 昆虫学入門」は8月31日(月)まで。福岡市によるおしらせはこちらです。
| - | 23:59 | comments(0) | -
被爆から64年、悲しみ癒えぬ教会
きょう(2009年8月9日)、長崎市は原爆投下から64周年を迎え、各地で犠牲者への慰霊や核廃絶を表意するさまざまな行事が行われました。


松山町の平和公園では、10時40分から長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典が行われ、参列者が11時2分から1分間、黙祷を捧げました。

その後の平和宣言で田上富久・長崎市長が、米国バラク・オバマ大統領の「核兵器のない世界を目指す」と発言した2009年4月のプラハ演説を支持することを表明。「『核兵器を使用した唯一の核保有国として行動する道義的な責任がある』という強い決意に、被爆地でも感動が広がりました」。

また、被爆経験者の奥村アヤ子さんも平和への誓いのなかで、「オバマ大統領のプラハでの演説では、64年目にしてやっと被爆者の声が世界に届いた形となり、心強く感じています」と語りました。

米国の首脳が核廃絶に向けた方針を示したことに、被爆地では支持・歓迎の雰囲気が漂っています。


本尾町の浦上天主堂では午前6時から、早朝の追悼ミサが行われました。浦上天主堂は爆心地にほど近く、破壊と復興の象徴として位置づけられてきました。

ミサでは、小島栄主任司祭もプラハ演説のことと思われる「ある国の首脳の核削減にむけた表明」への感想を語りました。しかし、その内容は、多くの人びとが示している“支持・歓迎”とは大きく異なるものでした。

「核兵器廃絶は当たり前のこと。その当たり前のことに対して、人々は小躍りをして喜んでいる。いまの世の中は、そんな状況にまで堕ちてしまっているのです」

64年前、天主堂に集まっていた信者や司祭が犠牲となり、教会のたてものや聖像も破壊しつくされました。大きな痛みを負った天主堂の悲しみは、いまも癒えていません。集う信者たちは、司祭の言葉を静かに受けとめていました。
| - | 22:53 | comments(0) | -
市長たちがプラハ演説支持を確認

きょう(2008年8月8日)、原爆投下64周年を前日に控えた長崎で、平和市長会議総会が開かれました。

平和市長会議は、核兵器の廃絶に向けて努力するため世界の都市の市長などが集まるもの。1982年に広島市と長崎市が加盟、1985年には第1回総会が開かれました。以降、4年に1度、総会が開かれ、今回が第7回。2009年8月3日現在、3047の市や行政区など参加しています。

開会式の基調講演では、「宇宙への兵器と原子力の配備に反対するグローバル・ネットワーク」共同設立者のブルース・ギャニオンさんが、宇宙を舞台にした軍拡が核不拡散を妨げるとして、“宇宙の軍事化”を警告する講演をしました。また、核兵器と核保有国をなくすためには「組んだことのない人とも手を結びあうことが重要。市民と身近な自治体は行動を起こすことができる」と、話しました。


つづく総会では、一般公開のもと総会の議案承認が行われました。

会議の当面の最重要課題は、同会議が発表している2020年までの核廃絶への筋道を示す「ヒロシマ・ナガサキ議定書」が、2010年に行われるNPT再検討会議で採択されるかどうか。世界の市民からの署名、また加盟自治体の拡大、マス媒体へのアピールなどを進めていくことが承認されました。

また会議は、米国バラク・オバマ大統領が4月に核廃絶を訴えた「プラハ演説」を全面的に支持。核兵器廃絶に賛同する世界の多数派の人々や国を示す「オバマジョリティ」という言葉を広めることが議案には含まれます。

さらに、2020年までに核廃絶への道筋がたった暁には、2020年に広島と長崎でオリンピックを共同で開かれるよう誘致することも議案に盛り込まれています。

会議に参加した各国の市長や国連からの客人などは、やはりオバマ大統領のプラハ演説を追い風に感じている模様。ただ「オバマ大統領に核廃絶の道を任せるのでなく、自分たちが共同していくことが重要だ」という意見も、多く出されました。

第7回平和市長会議総会は10日(月)まで長崎市内で開かれています。
平和市長会議のホームページはこちら。
「ヒロシマ・ナガサキ議定書」の全文はこちら(英語と日本語)。
| - | 23:59 | comments(0) | -
子どもに問いかける紙芝居の数々


東京・四番町の千代田区立四番町歴史民俗資料館で、企画展「紙芝居が語るもの」が開かれています。(2009年)8月30日(日)まで。

千代田区内の幼稚園や小学校などが寄贈した紙芝居の数々を、昭和30年代や40年代の紙芝居実演の写真などとともに展示しています。

1961(昭和36)年の千代田区主催の「子ども会」の様子を写した写真では、50人ほどの子どもたちが紙芝居を見ている姿が描かれています。男子の多くはランニングシャツを来て、巨人軍の帽子を被っています。後ろのほうでは、紙芝居そっちのけでつかみ合いをしている子どもの姿も。

展示されている紙芝居は、どの絵も懐古的。そして、メッセージ性を含んでいます。1967(昭和42)年発行の「せなかまるたろうくん」は、ふだんからの姿勢の悪さが健康に影響を及ぼすということを、せなかまるたろうくんの場合を例に描くもの。

ほかにも、保育教材としての紙芝居には1972(昭和47)年の「ばいきんこわいぞ」や、1979(昭和54)年の「はのいたいおまわりさん」なども。

1953(昭和28)年発行の「この虫何屋さん」は、さまざまな虫を職業に見立てて、子どもたちに、それぞれの虫がもっている職業をさせるもの。最後に登場する蝶々にはあえて答を用意せず、子どもたちに考えさせる、といった工夫もあります。

紙芝居の裏側がどうなっているか見ることもできます。裏側には、右上に表面の絵の縮小版が、中央部に台詞があります。そして左側には「実演について」という説明書きが。

―――――
いまはラジオのクイズなどを通じて昔よりもずっとさかんにあてものごっこは喜ばれています。この作品でも、こうしたクイズを織りこんでありますが、これはものを教えこむという固苦しさをさけて親しみのある『あてものごっこ』の中から子どもたちの心に伸びゆく芽を培っていただきたいからにほかなりません。
―――――

ラジオでの「あてものごっこ」とは、「二十の扉」などの番組のことを指しているのでしょう。「紙芝居を自由に利用して、子どもの教育に活かしてほしい」というメッセージが込められています。

紙芝居は1930(昭和5)年、東京の下町から生まれたものとされています。展示されている紙芝居屋の証言によると、1952(昭和27)年ごろは、1日に7、8件も街なかをまわるほどの活況ぶりでした。

展覧会主催者の千代田区教育委員会は「日本独自の文化財である紙芝居の魅力を再発見していただければ」と話しています。

「紙芝居が語るもの」は、8月30日(日)まで。千代田区からのお知らせはこちらです。
| - | 23:59 | comments(0) | -
「世界は『メカニズム』では説明しきれない」


日経ビジネスオンラインのコラム「カラダを言葉で科学する」で、きょう(2009年8月6日)「世界は『メカニズム』では説明しきれない」という記事が掲載されています。青山学院大学教授の福岡伸一さんへのインタビューの記事で、書き手は尹雄大さん、撮影は風間仁一郎さん。この記事の編集を連結社とともにしました。

福岡さんは『プリオン説はほんとうか?』(講談社ブルーバックス)『生物と無生物のあいだ』(講談社現代新書)などの一般向けの著書を多く出す研究者。記事では『動的平衡』(木楽舎)や、最新刊の『世界は分けてもわからない』(講談社現代新書)などの著書に関係する話が展開されています。

「分子生物学者」は福岡さんによく使われる肩書き。分子生物学といえば、科学の分野でも“ものごとを細かく見ていって理解する”という方法の代表的存在という印象がある人もいるでしょう。

しかし、その福岡さんが新著の書名にあるとおり、「世界は分けてもわからない」と宣言しているのです。

―――――
 科学は言葉によって世界を分け、その構造を取り出して見せました。しかし、実際に存在すると思わせてしまうその構造は、空耳ならぬ“空目”かもしれない。
―――――

この言葉は、都合のいいように解釈しようとする、といった人間の性質を連想させるもの。福岡さんは、人の「認識はすべて言葉によって行われている」のであって、科学とは「言葉の構造と実在の構造を照合すること」だといいます。この結果、起きてしまうのが“空目”である、というわけです。

“しくみ”や“メカニズム”を把握することで、人はものごとの大切な部分を理解したように感じ、安心します。しかし、生命を含む万物のほとんどは、時の経過とともにつねに変わりゆくもの。その一瞬を切りとっても、すべてを理解したとはならない、というのが福岡さんの説明です。

“あのとき”にうまくいったから、そのしくみを普遍化させて、成功の法則をつくろうとする。こうしたことは、世の中のいたるところで行われ、人々の関心も集めます。しかし、時代や環境が変わっていけば、その成功法則もいつか失敗法則に変わるかもしれません。

生物学の枠をこえて世の中にも当てはめられそうな話です。

日経ビジネスオンライン「カラダを言葉で科学する」の記事「世界は「メカニズム」では説明しきれない動的平衡で考える生物学〜福岡伸一・青山学院大学教授(前編)」はこちらです。
| - | 17:43 | comments(0) | -
爆心地の横に飛行場「アトミック・フィールド」――長崎とアトム(12)


長崎市浦上の爆心地に1948年ごろから1949年にかけてよばれた「アトム公園」は、どのような経緯で名づけられたのでしょうか。

当時の新聞などが収蔵されているプランゲ文庫のほかにも、終戦直後の長崎の状況を物語る資料や証言がいろいろあります。

それらをまとめてみると、戦後まもなく長崎に進駐してきた米軍の影響がやはり大きかったということが見えてきます。

日本の敗戦から1か月半後の1945(昭和20)年9月30日から10月11日、米国の占領軍1298大隊は、長崎市内に簡易飛行場を建設しました。爆心地から西へ進むと、長崎本線の線路にぶつかりますが、これを越えた現在の陸上競技場や市民総合プールなどがある松山町2丁目あたりは、かつて駒場町とよばれ、戦前・戦中には長崎酸素という企業があった地域でした。“原子野”となったこの地に、米軍の飛行機が離着陸するようになったのです。

この簡易飛行場は、記録写真家のジョー・オダネル(1922-2007)によって撮影されています。を見ると、瓦礫のなかに立つ1本の柱。掲げられた横長の白い板には、角ばった書体でこう書かれています。

「ATOMIC FIELD」

そして、写真が収蔵されている写真集『Japan 1945』には、つぎのような解説文が書かれてあります。


ジョー・オダネル『Japan 1945』

「アトミック・フィールドは、長崎の米海軍滑走路に名づけられた、皮肉が込められた名前である」

日本国内の資料にも、この簡易飛行場が建設されたときの様子を描いた記録があります。地元の老舗百貨店「濱屋」が1960(昭和35)年に出版した社史『濱屋百貨店二十年史』には、次のように書かれています。

「原子爆弾の中心被害地である浦上には飛行場がたちまちのあいだにできあがって『原子飛行場』と命名され、小型機が発着した」

また、毎日新聞西部本社がまとめた『激動二十年 長崎県の戦後史』という本には、次のような説明が見られます。

「浦上の爆心地に乗り込んだ別働隊は、松山の焼け跡(現三菱グラウンド付近)に、わずか三日間で長さ千五百メートル、幅百五十メートルの簡易飛行場を建設した。名づけてアトミック・フィールド(原子爆弾飛行場)。完成と同時にLH連絡機があわただしく離着陸を始めた」

1945年の終戦直後、「アトミック・フィールド」という、「アトム」に関連するよび名の簡易飛行場が建設されていたのです。

爆心地のすぐ脇にあるという位置関係からしても、「アトム公園」というよび方には、このアトミック・フィールドの存在が関わっていたということが想像できます。踏みこんで推測すれば、飛行場がアトミック・フィールドとよばれていたことに触発され、その近くの爆心地公園にはアトム公園というよび名が付けられたということが考えられます。

しかし、「アトミック・フィールド」を米軍が名づけたことは想像できても、「アトム公園」を誰が名づけたかを探るには資料が足りません。これも米軍によるものなのか、長崎民友の新聞記者によるものなのか、長崎市民の自発的なものなのか。

あるいは、“当時の気運”が「アトム公園」のよび名をつけたのかもしれません。爆心地が「アトム公園」とよばれるようになった経緯を探るためには、より広い視野で当時の状況を見る必要があります。つづく。
| - | 23:59 | comments(0) | -
鈴虫ちんちろ、松虫りんりん

鈴虫(左)と松虫

8月も4日。暦としてはもうすぐ秋です。標高の高い里山などでは、そろそろ“虫の声”が聞こえてくるころでしょう。

  あれ、松蟲が鳴いてゐる。ちんちろちんちろ、ちんちろりん。
  あれ、鈴蟲も鳴き出した。りんりんりんりん、りいんりん。

これは、文部省唱歌「虫のこえ」の歌詞です。いまからおよそ100年前に、学校などで歌われ始めました。

もし「虫のこえ」が、いまからおよそ1000年前に歌われていたら、歌詞はどうなっていたでしょう。

  あれ、松蟲が鳴いてゐる。りんりんりんりん、りいんりん。
  あれ、鈴蟲も鳴き出した。ちんちろちんちろ、ちんちろりん。

平安時代は「松虫」がいまの「鈴虫」で、「鈴虫」がいまの「松虫」だったかもしれないといいます。虫が入れ替わっていたわけではありません。人による虫のよび方が入れ違っていたという説です。

源氏物語には、「鈴虫」という巻があります。たとえば、「声々聞えたる中に、鈴虫の振り出でたる程はなやかにをかし」といった文が綴られています。いまの常識で考えると「ああ、むかしも、りんりんりんという虫の音をみごとなものと考えていたのだな」と考えてしまいそう。

しかし、この説に従うと「鈴虫」は「松虫」のことだから、当時の人々は「ちんちろちんちろ」と奏でられる音に風流を感じていたということになります。

『広辞苑』などの国語辞典には、はっきり「平安時代、鈴虫と松虫と名称が入れ違っていた」と記されてあります。しかし、やはり「鈴虫」は「鈴虫」、「松虫」は「松虫」だったのではないか、という説もあります。

いまでいう鈴虫の「りんりんりん」となく高く美しい音に比べ、松虫の「ちんちろちんちろ」はやや地味に感じる方もいるかもしれません。「鈴虫」といわれるほどなのだから、平安時代の人々には「ちんちろりん」が鈴の音のように聞こえたのでしょうか。

謎は深まります。

参考文献
『広辞苑』第5版
参考ホームページ
たこつぼ通信「松虫」と「鈴虫」の呼称について
| - | 23:59 | comments(1) | -
命を救う車か、タクシーか。
ACジャパン(旧・公共広告機構)の放送広告に「脳卒中の症状か。ただの疲れか。」というものがあります。

脳卒中におそわれた経験をもつ俳優の江守徹さんが、とつぜん言葉が出にくくなったときのことを回想し、「きっと疲れているんだ。そう思いたかった。あの時、すぐ病院へ行かなかったら私は今、ここにいなかったかもしれません」と、たんたんと告白します。

そして最後にひとこと。「脳卒中の症状か。ただの疲れか。それが問題です。症状を見逃さず、すぐ救急車を」。

脳卒中の超療法として血栓溶解療法という医療が確立しており、脳卒中が起きてから3時間以内にこの治療を受けることで症状改善や回復をのぞむことができます。脳卒中から治療までの時間は、短いにこしたことはありません。疲れているだけの感じもするが、どうもおかしい。このような疑わしいときは、ためらわず救急車を呼んで脳卒中の重症化を防ごう、というメッセージが広告には込められています。

いっぽうで、防災思想の普及広報を目的とする全国消防協会は、こんな貼り広告をつくっています。



「救急車はタクシーではありません。本当に救急車が必要な人の心の声」

この二つの広告は、かならずしも相反するメッセージというわけではありません。しかし、病気の症状を判断するときのむずかしさを示唆しているものといえそうです。

2008年、全国の救急車が出動した件数は510万31件。前年2007年より3.6%減っています。これは「救急車はタクシーではない」といった告知活動が効果的に市民に広がったことの表れともとれるでしょう。

しかし、「救急車はタクシーではない」というメッセージは「救急車をやすやすと使うな」というメッセージに置きかえられるおそれも。

この認識が市民に強く植えつけられてしまうと、「だたの疲れだろうか」と思ったとき「救急車を呼ぶまでもない」という意識が働いてしまうおそれもあります。江守さんとは逆の道へ向かってしまう人もいるかもしれません。

「ただの疲れだろうか。それとも……」と思ったとき、どうすればよいのでしょう。

ACジャパンのおなじ広告では「片方の手足が動かない。ろれつがまわらない。これも脳卒中の症状です」と、見極めの基準の例も知らせています。

それでも、救急車をよぶか、よぶまいか迷うときは、119番をかけるまえに、別の電話番号をかけてみるとよいかもしれません。

東京消防庁は「救急相談センター」という部署を設けています。ここに「♯7119」を押して電話すると、救急隊経験者や看護師などから救急車をよぶべきかどうかの判断や、応急手当の助言などを受けることができます。

東京消防庁は、東京都内の消防や救急を管理している機関ですが、この救急相談センターは都外にいる市民も連絡することが可能です。ほかの道府県では、おなじようなサービスを受けられる体制が十分でないからです。

東京消防庁の救急相談センターの電話番号は「♯7119」。ダイヤル回線からは「03-3212-2323」(23区)、「042-521-2323」(多摩地区)です。繰り返しですが、都外の方も電話をすることが可能です。

ACジャパン支援キャンペーン「脳卒中の症状か。ただの疲れか。」のホームページはこちら。
全国消防協会のホームページはこちら。
東京消防庁「救急車の適正利用にご協力を!」はこちら。
| - | 23:59 | comments(0) | -
“確認”をめぐる賛否両論


原稿が雑誌などに記事として載るまでのあいだに、通るときと通らないときがある工程があります。

「取材対象者に原稿を確認してもらう」という工程です。

書評などの記事をのぞけば、大半の記事は誰かに取材をしてつくられるもの。そのとき、原稿を書いてから一度や二度、取材対象者に確認を依頼する場合もあれば、確認を経ずに記事になる場合もあります。

どちらの工程を踏むかは、出版社や編集部の方針によりけり。確認をすることによる利点と難点への考え方のちがいが、原稿確認をするかしないかに現れます。

まず、利点としては、雑誌が発売されるまえに取材対象者に原稿を目通ししてもらえば、「私はこんなこと言ったつもりはない。記事の内容を訂正しろ!」といったいさかいを防げる確率が高くなるということがあります。

とりわけ、説明のむずかしい科学技術関連の記事などでは「正確に伝える」という観点から、専門家である取材対象者に記事の確認をしてもらうことは大切だ、という考えの持ち主はいます。

確認賛成派には、「そもそも、人が人に何かをして“もらう”のだから、取材者より取材対象者のほうが希望を通せる権利がある」と考える人もいます。

いっぽう、取材対象者の確認を経ないことの利点もいろいろあります。確認の依頼をしてから返事をもらうまで何日かかかりますから、この一工程を減らせれば、それだけ原稿を書く時間にゆとりができるというのもひとつです。

確認反対派がより大きな利点としてあげるのは「自分の書いた記事の意図などが、取材対象者の確認を経ることで変えられてしまうことを防げる」ということです。

極端な例が“ネガティブ取材”を記事にする場合です。あるものごとに対して批判的な記事を書くとき、その批判の矛先にいる人物に取材をする、といった場合もあります。こうした取材はネガティブ取材といわれます。

このネガティブ取材をもとにして書いた原稿を取材対象者に見せてしまえば、取材対象者から「記事全体を書きあらためてください」とか「こんな趣旨で取材に応じたつもりはなかったので、私を記事に登場させないでください」といった反応を示されるおそれがあります。もちろん、あらかじめどういう意図で取材をするのか、事前にすり合せをしておくこともひとつの手ですが。

また、自分の書いた記事に、いろいろと注文を付けられることを毛嫌いする記者や編集者も多いことでしょう。

いずれにしても「自分の意志で書いた記事を取材対象者になおされるのは、職業的にいかがなものか」と思う人がいるわけです。これは、ジャーナリズムや言論の自由にも関わってくる問題といえます。

科学技術関連の記事に関していえば、実際の状況として確認の工程を経る場合は「7」、経ない場合は「3」ぐらいになるでしょうか。

「取材が記事になるとは、こういうものだ」という常識は、人によってさまざま。そのため「これだ」という答が見つからない話でもあります。
| - | 23:59 | comments(0) | -
CALENDAR
S M T W T F S
      1
2345678
9101112131415
16171819202122
23242526272829
3031     
<< August 2009 >>
SPONSORED LINKS
RECOMMEND
フェルマーの最終定理―ピュタゴラスに始まり、ワイルズが証明するまで
フェルマーの最終定理―ピュタゴラスに始まり、ワイルズが証明するまで (JUGEMレビュー »)
サイモン シン, Simon Singh, 青木 薫
数学の大難問「フェルマーの最終定理」が世に出されてから解決にいたるまでの350年。数々の数学者の激闘を追ったノンフィクション。
SELECTED ENTRIES
ARCHIVES
RECENT COMMENT
RECENT TRACKBACK
amazon.co.jp
Billboard by Google
モバイル
qrcode
PROFILE