2009.04.30 Thursday
ダーウィン、ミミズとともに29年―sci-tech世界地図(6)
英国の生物学者チャールズ・ダーウィンの生誕から今年2009年で200年。また『種の起原』の発表から150周年。今年は「ダーウィン年」です。
ダーウィンが1842年から、没年となる1882年まで住み続けたのが、ロンドンの南東にあるブロムレイ・ロンドン自治区の邸宅でした。
ダーウィンの才能で評されるのは、ひらめきなどの瞬発力というより、長年にわたる観察を続ける粘り強さです。その天賦の才能は、齢をとっても衰えることはありませんでした。
1842年に33歳のダーウィンは、ロンドンからこの家に引っ越すと、近くの地面に大量の石灰をまきました。『種の起原』が発表される17年前のことです。
彼には「この石灰の白い一面はいつか地中に埋もれるはずだ」という考えがありました。じつは、ビーグル号での航海時期をはさむ1827年から1837年の10年間でも、耕されたことの無い土地にまかれた石灰の跡がなくなっていることを、その眼で見ていたのです。
ダーウィンの家の近くの小径「サンドウォーク」
新居に移り住んでから29年。『種の起原』もとうの昔に出版し、62歳になったダーウィンは、29年前に石灰をまいたのと同じ地面を掘り返してみました。すると18センチの地中から、29年前の白い石灰が姿を見せたのです。
つまり、人が耕すことのない地面に、29年かけて、石灰の一面から18センチもの厚さの土が覆いかぶさっていたことになります。
この土を盛ったのはどうやらミミズでした。土の中のミミズが地上付近に出てきては糞をします。ミミズの穴のまわりには、噴火口のような円心状の糞の盛り上がりができあがるのでした。ミミズの地道な営みが、一面に土が覆いかぶさることにつながる主要因だと彼は考えました。
ミミズの“偉業”をたしかめるため、ダーウィンは晩年、「ミミズ石」という装置を発明し、庭におきました。0.01ミリの単位である水準の地面一面が埋もれていくのを観察できる精密な道具です。
ミミズ石の設置から19年後、その石は27.77ミリメートル地中に沈んでいったそうです。彼の死後、息子のフランシスが報告しました。
人が耕さずとも、ミミズの排泄行為が、緩やかな時間を掛けて少しずつ大地を肥沃にしていくということを、ダーウィンは29年の歳月をもって観察したのです。
ダーウィンが『ミミズの行為による肥沃土の形成とミミズの習性の観察』という研究成果を本にして出版したのは、彼が亡くなる1年前の1881年のことでした。
ダーウィンが33歳から72歳までを過ごした家は、ダウン・ハウスとよばれています。場所はこちら。
http://maps.google.com/maps?client=safari&rls=ja-jp&q=Luxted%20Road&oe=UTF-8&um=1&ie=UTF-8&sa=N&hl=ja&tab=wl
家の写真はこちら。
http://www.panoramio.com/photo/2320694
参考文献
佐々木正人『アフォーダンス入門』
参考ホームページ
細田直哉「ダーウィンのミミズ研究とアフォーダンス」
ダーウィンが1842年から、没年となる1882年まで住み続けたのが、ロンドンの南東にあるブロムレイ・ロンドン自治区の邸宅でした。
ダーウィンの才能で評されるのは、ひらめきなどの瞬発力というより、長年にわたる観察を続ける粘り強さです。その天賦の才能は、齢をとっても衰えることはありませんでした。
1842年に33歳のダーウィンは、ロンドンからこの家に引っ越すと、近くの地面に大量の石灰をまきました。『種の起原』が発表される17年前のことです。
彼には「この石灰の白い一面はいつか地中に埋もれるはずだ」という考えがありました。じつは、ビーグル号での航海時期をはさむ1827年から1837年の10年間でも、耕されたことの無い土地にまかれた石灰の跡がなくなっていることを、その眼で見ていたのです。
ダーウィンの家の近くの小径「サンドウォーク」
新居に移り住んでから29年。『種の起原』もとうの昔に出版し、62歳になったダーウィンは、29年前に石灰をまいたのと同じ地面を掘り返してみました。すると18センチの地中から、29年前の白い石灰が姿を見せたのです。
つまり、人が耕すことのない地面に、29年かけて、石灰の一面から18センチもの厚さの土が覆いかぶさっていたことになります。
この土を盛ったのはどうやらミミズでした。土の中のミミズが地上付近に出てきては糞をします。ミミズの穴のまわりには、噴火口のような円心状の糞の盛り上がりができあがるのでした。ミミズの地道な営みが、一面に土が覆いかぶさることにつながる主要因だと彼は考えました。
ミミズの“偉業”をたしかめるため、ダーウィンは晩年、「ミミズ石」という装置を発明し、庭におきました。0.01ミリの単位である水準の地面一面が埋もれていくのを観察できる精密な道具です。
ミミズ石の設置から19年後、その石は27.77ミリメートル地中に沈んでいったそうです。彼の死後、息子のフランシスが報告しました。
人が耕さずとも、ミミズの排泄行為が、緩やかな時間を掛けて少しずつ大地を肥沃にしていくということを、ダーウィンは29年の歳月をもって観察したのです。
ダーウィンが『ミミズの行為による肥沃土の形成とミミズの習性の観察』という研究成果を本にして出版したのは、彼が亡くなる1年前の1881年のことでした。
ダーウィンが33歳から72歳までを過ごした家は、ダウン・ハウスとよばれています。場所はこちら。
http://maps.google.com/maps?client=safari&rls=ja-jp&q=Luxted%20Road&oe=UTF-8&um=1&ie=UTF-8&sa=N&hl=ja&tab=wl
家の写真はこちら。
http://www.panoramio.com/photo/2320694
参考文献
佐々木正人『アフォーダンス入門』
参考ホームページ
細田直哉「ダーウィンのミミズ研究とアフォーダンス」
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