科学技術のアネクドート

11日後「T」から「〒」へ


街でよく見かける郵便ポスト。全国で10万個ほどあると言われます。

赤色をしているのは、1901(明治34)年、それまで黒色だったものが、「夜見づらい」とか「公衆便所とまちがえる」などの指摘を受けて、郵便ポストとして目立つ色に変わりました。

ポストの正面には郵便記号「〒」があります。この記号も、紆余曲折を経ていまのマークになったという話があります。

郵便記号は1887(明治20)年、当時の国の省庁だった逓信省によって導入されました。当時の郵便記号はアルファベットの「T」でした。

諸説ありますが、一説では、「逓」の読み方「テイ」と、甲乙丙丁の「丁」の「テイ」が似ていることから、さらに「丁」と字形が似ている英字「T」が郵便記号になったとされます。

逓信省は2月8日「今より (T) 字形を以って本省全般の徽章 とす」と告示をしました。

ところが、この郵便記号「T」に対して「郵便記号としてあまりふさわしくないのではないか」という指摘が寄せられました。

世界の郵便制度では、「T」は「郵便料金不足」を示す文字として通っていたのです。この「T」は「Tax」の頭文字とされます。指し出した郵便の料金が足りないと、郵送物に「T」の印が押されるのでした。

そこで逓信省は、郵便記号「T」を発表してから11日後の2月19日、「『T』は、じつは『〒』の誤りだった」と訂正して発表しました。混迷するいまの政治状況に比べたら、迅速な対応といえるのかもしれません。

それから120年後、2007年3月、郵政民営化後の日本郵政グループのブランドマークにも引き続き「〒」を採用することが発表されました。最近では企業のブランドマークが、次々と新たらしいものに変わる場合もありますが、郵便記号は変えてしまうと世の中に影響が出るほどに定着をしているということかもしれません。
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3月31日「すイエんさー」定期放送、開始。


おしらせです。NHK教育テレビの科学番組「すイエんサー」が、あす(2009年3月)31日(火)から定期的な放送を開始します。

この番組は、昨2008年11月8日に単発で放映されました。「おやじギャグってつまんなくない?」「必ず失敗するお料理キッチン」「あんまり努力しないでオリンピックに出る方法」というテーマに沿って、アイドルグループAKB48のメンバーたちがレポートするもの。

あすの放送では「ケータイが外で急に圏外になるってありえなくない?」というテーマ。

多くの方が携帯電話の電波状態が“バリ3”(電波の印が3本立っている状態)から“圏外”へと急に変わってしまうという体験をしていることでしょう。番組のブログのPR動画では「バリ3に戻すには」といった予告もあり、デジタルな生活の知恵が身につきそうです。

おもな視聴者の対象はティーンエイジャーです。理系大学院生の日常を紹介する「明日のすイエんサー」や、科学アニメ「マリー&ガリー」などの時間帯もあります。

制作統括の村松秀さんは、「すでに理科離れをしているような方々に何とか科学の面白さが伝わらないかとイメージして作りました。まったくNHK的でない、かなり軽くゆるいバラエティ的な番組です」と話しています。

ティーンエイジ世代に入りかける13歳や14歳は、ちょうど理科が好きになる少数と、嫌いになる多数に分かれる年頃といわれます。また、その後は部活動や受験勉強などで忙しくもなります。受験に関係のない理科への興味を沸き起こすのが難しい世代と言われています。

こうした世代に今後どのようなテーマで番組を見せていくのでしょうか。新たな試みです。

「すイエんサー」弟1回放送はNHK教育テレビで、2009年3月31日(火)19時25分から19時55分。再放送は4月4日(土)10時から10時30分です。番組のブログはこちら。
http://www.nhk.or.jp/suiensaa-blog/
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科学映像「伝え方」よりも「伝える内容」の時代


科学リテラシーの向上・発展を目指す「サイエンス映像学会」の大会が、きょう(2009年3月29日)まで2日間、東京・弥生の東京大学で行われました。

2年目となる今年は、2日間にわけて開催。分野別に別会場にわかれての分科会も開かれました。

ジュニア・学生分科会は、当初、広く公募をしてコンテスト形式で作品を募り審査・表彰する構想でしたが、準備不足もありその形式は来年以降にもちこし。学会側から学生側に作品出展を依頼して、10作品を上映しました。

「ジュニア」層からは、横浜国立大学附属横浜小学校6年1組の池田壮志くん、亀山楓さん、清家理佐さんと、担任の山本純さんが参加。総合的学習の時間をつくって制作した「地球や人に対してのやさしさを伝えよう」が上映されました。

温暖化、酸性雨、海洋汚染の三つのテーマをもとに、実験観察の様子を伝える作品でした。企画も撮影も報告もみな小学生たちで行った作品。酢の溶液に10円玉を入れて、ただの水に入れた場合との違いを見るなどの“科学映像”でした。池田くんらは「生徒で全部考えて協力しました」と話します。担任の山本さんも「子どもにしかできない作品になったと思います」。

「学生」層からは、城西国際大学メディア学部メディア情報学科の学生たちによる「伊能忠敬の地図づくり」や、早稲田大学科学技術ジャーナリスト養成プログラムの島田尚朗さんらによる「地震大国ニッポンのゆくえ」などの9作品が上映されました。「伊能忠敬」では、撮影隊が実際の海岸線に行き、伊能忠敬が測量した“歩測”や“鉄くさり”による計測を再現。江戸時代の測量技法の中身を詳しく紹介しました。

映像作品にも「手段」と「結果」という二つの意味があります。「手段」とは、伝いたいことを伝えるための手段が「映像」という表現形式であるということ。対して「結果」とは、その映像を作ることに意味があり、目的があるというものです。今回の映像作品の多くは「手段」に分類されるものでした。

機材と若干の技量さえ整えば、誰もが10分ほどの映像ならつくれる時代になりました。職業人と学生や一般人の技術環境的な面での差は埋まっていきているのでしょう。逆にいえば、今後はより内容や切り口、そして伝えたいことなどの点での差が、映像を見比べたときの印象の違いとして現れてくるのかもしれません。

サイエンス映像学会副会長の林勝彦さんは「今後、学生部会をロボットコンテストの映像版のようなものにしていきたい」と話しています。

サイエンス映像学会の2009年大会のプログラムはこちら。
http://svsnet.jp/?p=60
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“残りは1個”が最適――法則 古今東西(9)


コンビニエンスストアには「近くにライバル店があるほうが売上が伸びる」とか、「100のサービスをしても1の失敗があれば、店の値打ちは0になる」とかいった、さまざまな“法則”があります。

「“残りは1個”が最適」という法則もあります。

コンビニエンスストアは、つねに「棚の商品を補充しては消費され」の繰り返し。生物の新陳代謝ににていますね。

おにぎりなどの足の早い食品は、有効期限という時間的なあしかせも強くあります。有効期限の「午前2時」を1分でも過ぎてしまったら、もうその商品を棚に並べておく価値はなくなります。

コンビニエンスストア業界は、目まぐるしく消費・補充を繰り返す棚の商品を、いかに有効期限の中で余すことなく売るかが勝負となります。明太子おにぎりを10個、仕入れたけれど、有効期限が来たとき7個も余ってしまっていたら、やはりそれは“ムダが多い”となるわけです。

店によって、各種おにぎりの入荷数も変わってくるといいます。たとえば、梅干しとごはんの組み合わせが好きな地域では、梅干にぎり10個を仕入れるているとしても、辛子明太子のほうが主流の地域では、梅干おにぎりは7個に抑えておくといった数量調整が、1店単位で行われているといいます。

数量を重要視するコンビニエンスストアにとって、梅にぎりであれば梅にぎり、辛子明太子にぎりであれば辛子明太子にぎりを、何個、売るのがもっとも利得が高いのだといえるのでしょうか。

「仕入れた梅おにぎりが売り切れれば、その商品は『よく売れた』といえそうだから、答は『すべて』だ」と考える方も多いことでしょう。「商売繁盛、売切れ御免」というわけです。

しかし、コンビニエンスストア業界の常識では、「すべて売れた」は、さほど嬉しい結果ではないといいます。

最も利得が高い「売れた数」は、「残りが1個になる数」だといいます。梅にぎりを10個仕入れたら、有効期限までに9個が売れて、1個だけ棚に残るという状況をつくりだすべきだというのです。

「おにぎりを残すなんて、それが1個だとしても、もったいない」と考える人もいることでしょう。たしかに倫理的に考えれば、食べ物を残すことは避けたいところ。しかし、利益をあげるのが目的のコンビニエンスストアにとっては「“残り1個”が最適」となります。

もし、仕入れた梅にぎり10個がぜんぶ売り切れてしまったら、「本当はあといくつ売れたのか」がわからないのです。10個を用意して、買われる梅にぎりが10個だったならばよいでしょう。しかし、20個は売れるはずだったかもしれないし、あるいは30個は売れるはずだったかもしれません。

売切れてしまえば、本当は何個、売れたはずだったのかは誰にもわからないのです。

いっぽう、「残りが1個」の場合は、確実に客が必要としていた数を知ることができます。梅にぎり10個を棚に並べて、賞味期限までに残り1個となれば、客は9個分を必要としていたことがわかります。

本当はもっと売れるはずだったのに、用意した数が少なすぎて“売り損”をした、という状況は避けられるわけです。1個は残ったものの、この「残りが1個」は、極めて「0個になるまで売れた」に近く、かつ「売り損はなかった」という、両方の目的を満たすのにもっとも適した個数といえます。

コンビニエンスストアの生鮮食料品の棚で、梅にぎり残り1個を残して、店員さんが商品を入れ換えようとしていたら、「あ、この店はいい具合に梅にぎりを売ったみたいだな」と思うことができます。
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多角的に「ストレス」を科学して、最終回。


きのう(2009年3月26日)紹介した、日経ビジネスオンラインのコラム「多角的に『ストレス』を科学する」は、上野千鶴子さんの記事をもって最終回となりました。

研究者たちに語られた分野は、失敗学、気象医学、デザイン、細胞生物学、行動経済学、声楽、福祉などなど。全16人の“その道”の専門家が「ストレス」に対する議論を重ねてきました。

コラムの連載にあたり、つねに付きまとうテーマがありました。それは「ストレス」という言葉の曖昧さです。

機械からもたらされる心身の病理という意味の「テクノストレス」のように学界で認知されている「ストレス」もあれば、この言葉が未定義の学界もあります。

学界によっては未定義である理由は、「ストレスになる」という表現が、心身の病理を与える要因と、受ける要因の両方のことを指す曖昧な言葉だからという点があるのでしょう。登場した研究たちは、「ストレスとは」と問われて、改めてストレスのことを考え始める方が多かった模様。

いっぽうで、巷では「ストレス」ということばを聞かない日はないくらいです。曖昧ゆえに誰もが使いやすく、かつ、愚痴の対象としてふさわしいという、ことばとしての性格があるのでしょう。取材での聞き手と研究者との語らいそのものは、おおいに盛り上がりました。

多角的に「ストレス」を科学することにより、浮き上がってきたストレスの正体とは何なのでしょうか。

からだのことを考えると「避けたいもの」という通念があるものの、いっぽうで、ストレスがいまの細胞の形をつくりだしたり、ストレスが国の経済を発展させたりしたという側面もあります。かといってストレスが大きすぎるのもやはり健康によくない。ストレスは、生命が営んでいく上での“必要悪”のようなものなのかもしれません。

「多角的に『ストレス』を科学する」はこれにて終了。8か月間、お読みいただきありがとうございました。4月からは、書き手の尹雄大さんが、別のテーマを追って、新たな取材を始める予定です。

「多角的に『ストレス』を科学する」はこちら。
http://business.nikkeibp.co.jp/article/life/20080711/165124/
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「『とりあえず結婚』社会の脱家族論」


日経ビジネスオンラインのコラム「多角的に『ストレス』を科学する」に、東京大学の上野千鶴子さんの取材記事「『とりあえず結婚』社会の脱家族論」がきょう(2009年3月26日)掲載されました。書き手は尹雄大さん、撮影は風間仁一郎さん。取材と編集をしました。

社会学者の上野千鶴子さんは、これまでジェンダー論などを中心に研究を重ね、著書を数多く出すなどして社会への直接的な働きかけもしてきました。

2007年に上梓した『おひとりさまの老後』では、老後の一人暮らしを明るく捉え、ベストセラーにもなりました。

今回の記事でも、超高齢社会を迎えた現代における「おひとりさま」生活のすすめを語っています。むしろ、同居生活の大変さが身にしみて実感できるかもしれません。

取材で上野さんが紹介した本がもう一冊ありました。『ニーズ中心の福祉社会へ』(医学書院)です。「当事者」の「ニーズ」を最優先にした福祉社会は実現可能であり、実現させましょう、というのが本の主張です。



この本の発行は、2008年10月。上野さん曰く、いつ行われるかもわからない衆議院選挙の前に読んでもらえるよう、急いで作ったのだそう。しかし、衆議院選挙はいまだ告示されず。この本を読むには好機です。

遙洋子さんのエッセイ『東大で上野千鶴子にケンカを学ぶ』の書名の印象などから、上野さんにはなにかと「怖い人」の印象がなにかと付きまとうようです。

しかし、取材では資料を用意して、懇切丁寧に、ときに「多重介護」や「強制労働」や「番狂わせ」といった興味を引く言葉を散りばめさせて、高齢者介護にともなうストレスの話は熱心でした。使っているマグカップには大きなハート印が刻まれていました。

一人暮らしや同居暮らしに対する見方を変えることのできる話です。「『いちおう結婚』社会の脱家族論」の記事はこちら。
http://business.nikkeibp.co.jp/article/life/20090318/189412/
前編「老後の同居は幸せな時間を奪う」の記事はこちら。
http://business.nikkeibp.co.jp/article/life/20090317/189216/
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チョコレートにも「エコ」の波


お口の恋人、ロッテが(2009年)3月24日(火)より、地球にやさしいチョコレート「エコチョコ・フォレスタ」を全国発売しました。首都圏では2月10日から発売されていたので、食べた方もいるかもしれません。

このチョコレートのどこが地球にやさしいのでしょう。ロッテの話では、レインフォレスト・アライアンスという非政府組織が推奨する「アグロフォレストリー」という栽培方法で採れたブラジル産カカオ豆を使っています。

レインフォレスト・アライアンスは、米国ニューヨークのブロードウェイに本拠を置く非政府組織で「土地の利用法、商取引、消費者の行動を変えることにより、生物の多様性を維持し、人々の持続可能な生活を確保することを使命」(同団体)としています。

この団体が推奨するアグロフォレストリーとは、植えた木と木の間の土地で家畜を飼育したり農作物を栽培したりする複合型の農法のこと。農林複合経営などともよばれています。

アグロフォレストリーを営む農家は、農業や牧畜業で利益を上げ、さらに林業で利益を上げることができます。また、農作物に加えて木を植えるため、生物多様性が高まることも期待されます。

フォレスタは、インフォレスト・アライアンスが認証したアグロフォレストリーで採れたカカオ豆を使ったチョコレートです。生物多様性に寄与するカカオの栽培方法のため「地球にやさしいチョコレート」を謳っているようです。

日本のカカオ豆の最大の輸入国はアフリカ大陸のガーナで、2005年は38,359トン。日本へのカカオ豆総輸入量の69%を占めます。

いっぽう、ブラジルからのカカオ豆輸入量はというと、2005年では「なし」。前年2004年が137トン、前々年2003年が1195トンですから、徐々に減りつづけていました。エコチョコ・フォレスタの発売で、ブラジルからの輸入量は少しもちなおすことになるのでしょう。

緑色の包装(画像)に入ったビター味は、他のビターチョコよりも味が抑え目。好みで何度も食べたくなる味かどうかは……人の味覚はいろいろとあるものです。

一般的に「地球にやさしい」とか「環境調和型」を謳った新製品は、本来の経済原理に則ったコストパフォーマンスとはべつに、「めずらしいから買う」という消費原理が働きます。太陽電池が日本に登場したときもそうでした。今年発売される電気自動車も出だしは“めずらしさ買い”からとなるのでしょう。

少なくともいえることは、ロッテがこのフォレスタを「地球にやさしい」と宣伝しているということは、フォレスタ以外のチョコレートはフォレスタに比べて「地球にやさしい」度合いは低いのだろうということです。

ロッテは、地球へのやさしさに目覚めたのでしょうか。それともエコ商売に目覚めたのでしょうか。もし前者であれば、今後すべてのカカオ豆をアグロフォレストリー豆に切り替えていくことでしょう。フォレストも“普通のチョコレート”への仲間入りを果たすことになります。

ロッテ「環境にやさしいチョコレート『エコチョコ・フォレスタ』新発売」のお知らせはこちら。
http://www.lotte.co.jp/news/news698.html
非政府組織レインフォレスト・アライアンスのホームページはこちら。
http://www.rainforest-alliance.org/index_japanese.html

参考資料
日本チョコレート・ココア教会「日本の主要カカオ豆国別輸出量推移」
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「リーダーシップは磨くもの、磨けるもの」


日経ビジネスオンラインで、きょう(2009年3月24日)より、新コラム「鈴木義幸のリーダーシップは磨くもの、磨けるもの」が始まりました。

鈴木義幸さんは、コーチングの会社「コーチ・エイ」の社長。これまで「鈴木義幸の『風通しのいい職場づくり』」というコラムを32回続けてきましたが、「リーダーシップは磨くもの、磨けるもの」は、装いを新たにしての後継コラムとなります。

リーダーシップとは、会社の社長や、団体の会長、町内の会長など、一部の人に課せられるものと思われがちですが、鈴木さんはリーダーシップは「全ての人の中にあるもの」といいます。自分だけでは実現できないことを実現したいとき、他者を働きかけて、実現を目指すことがリーダーシップだといいます。

第1回は「部下は『決めてくれる上司』に付いてくる」という主題。優柔不断で決断しようとしないリーダー像を絶ち、頼られるリーダーになるため、「デメリット<メリット」を明確にする、「即決断」を体で覚える、「戦略」をシミュレーションする、といった3段階の方法が書かれてあります。

折しも、ワールドベースボールクラシックの原辰則監督が、日本とメジャーリグの野球選手を引き連れて、第2回大会を優勝へと導きました。おもねらずに、選手たちの力を最大限伸ばすリーダーシップが注目されそうです。政治が迷走を続けたり、株価が乱高下したりする時代、リーダーシップが脚光を浴びる時期がきているようです。

日経ビジネスオンラインの新コラム「鈴木義幸のリーダーシップは磨くもの、磨けるもの」はこちら。
http://business.nikkeibp.co.jp/article/manage/20090319/189496/」
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命を救った数学


19世紀ドイツで活躍した数学者のガウスは「数学は科学の女王」といいました。科学を超越して世界を支配する数学の奥深さを感じさせる言葉です。

科学は自然の現象のしくみを扱うものであるのに対して、数学は数の性質を掘り下げていきます。どちらかというと、科学のほうが、生活にとっては役立つような印象が強いかもしれません。

しかし「役に立つ」の中味は違いこそすれ、数学が人の役に立つという場面はごまんとあるようです。時に数学は人の命さえ救うのですから。

19世紀から20世紀にかけてのドイツに、パウル・ヴォルフスケールという資産家がいました。彼は、第一線級の数学者たちには劣るものの、「数論」という数の性質を扱う数学分野に深い造詣がありました。

ヴォルフスケールが愛した相手は数学。いっぽう、恋した相手は一人の女性でした。多少骨の折れる数学の問題は解決してしまうヴォルフスケールも、人が相手だとうまくいきません。ある日、ヴォルフスケールは恋焦がれていた女性に振られてしまいました。

諸説ありますが、恋に破れて絶望にうちひしがれたヴォルフスケールは自殺することを心に決めたといわれます。「今夜、深夜零時ちょうどに、このピストルの引き金を抜いて、自分の命を絶とう」。

夜までにやりかけの仕事を済ませると、ヴォルフスケールは“その時”までの時間を書斎で本をしながら過ごすことにしました。人生の最期に読む本は、もちろん数学書。ドイツのエルンスト・クンマーが書いた数学書だったといいます。

本を読んでいたヴォルフスケールは、本の内容にふと疑問をもちはじめました。「あれ、おかしい。クンマーのこの仮説は、証明が不十分ではないか」と。

このクンマーの本は、当時の最高技術の計算が書かれていた名著でした。その名著に欠陥があるかもしれないことに、自殺寸前のヴォルフスケールが気付いたのです。彼は、その欠陥をどうにか自分の手で埋められないか試行錯誤しました。

長時間にわたる検討の結果、ヴォルフスケールの気付いた欠陥はついに彼の手により修復されました。クンマーの証明はより強固なものになりました。

気がつくと、書斎の外はすでに明るくなりはじめていました。ヴォルフスケールは数学に夢中になり「午前零時に自殺をする」という悲しむべき計画を忘れていたのです。

証明を強固にしたヴォルフスケールの心からは、すでに自殺願望は消え去っていました。

自分の命を救ってくれた数学に恩返しをしたい。この思いから、ヴォルフスケールは、数論の難問「フェルマーの最終定理」の証明をした人物に対して「ヴォルフスケール賞」という10万マルクの賞金が懸けられることを遺書に残しました。この賞を受賞したのは、英国の数学者アンドリュー・ワイルズです。懸賞発表から約100年、有効期限が迫るなかでの受賞でしたが、物価上昇に関わらずワイルズが受けとった賞金は、それでも約500万円程度の価値になりました。

恋をして傷ついた心が、愛して病まなかった数学に救われたという話です。

参考文献
サイモン・シン『フェルマーの最終定理』
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黄砂の四季変化の原因は砂漠にあり


「春の使者」ともよばれる黄砂は、中国大陸のタクラマカン砂漠(画像)、ゴビ砂漠、黄土高原などから飛来してきます。吹き上げられた多量の砂じんが、流されて徐々に下りてくる現象です。

この黄砂がよく観測されるのは、3月や4月などの春先。他の月に観測されることがないわけではありませんが、決まって1年のうち春に多いのです。

気象庁の説明などによると、これは、気象条件が原因というより、中国の砂漠の状態が原因のようです。

黄砂のもととなる砂漠地帯は、冬はけっこう雪が降るいいます。そのため雪が積もっているときや、地面が湿っているときは、強い風が吹いたとしても砂じんが撒き上がることはありません。また、5月以降は夏に近づき、砂漠とはいえ草が生えるようになります。すると風が吹いても、さほど砂じんが飛ぶにはならなくなります。

このように、3、4月以外の月は砂漠に“覆い”がされているため、砂じんが撒き上がり黄砂になることが少ないようです。いっぽう、3、4月は、雪も砂漠が乾燥しており、かつ草もまだ生えていないため、まさに砂が“野ざらし”の状態。風が吹けば、すぐに日本にも運ばれるのですね。「春の使者」であるゆえんです。
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幽霊が取材に立ち会い


物書きの世界には、原稿書きを著者に代わって行う“代筆業”という職があるといいます。俗にゴーストライターとよばれています。

その本が代筆者によって書かれたことを明かすかどうかは出版社や本物著者の方針によりけり。本のあとがきに「執筆にあたっては誰々氏にご協力いただいた」などと書かれている場合は、代筆者が執筆をしたと考えてよさそうです。

編集者は、本物著者と代筆者のスケジュールを調整して、「取材」あるいは「収録」などとよばれる機会を設定します。取材の当日、本物著者は用意してきたパワーポイント資料などをもとに、編集者と代筆者の前で“講演会”を行います。本の分量によりけりですが、取材時間は「2時間×5日」といったもの。これを代筆者は録音しておき、後日、音声起こしをしたうえで原稿の“代筆”に取りかかります。

“ゴースト”と呼ばれるくらいだから、取材の日に代筆者が出席しなくても問題なさそうです。編集者や本物著者が録音をしておいて、その音声や資料を執筆者に送ればよいのですから。

しかし、本物著者と編集者と代筆者の三者が取材に会して本物著者の話を聞くことには、それなりの意味があるといいます。

その場で代筆者が本物著者に事実確認をするといった制作上の意味もさることながら、より大きいのは「取材を盛り上げる」ということでしょう。

“講演会”とはいえ、本物著者は編集者と代筆者に対して“話す”わけです。本物著者にしてみれば、自分の話に対して、「そうなんですか!」とか「ああ、なるほど」などと相槌を打ってくれる相手がいれば、がぜん話は盛り上がるもの。その本にとって魅力的な本音や余談を本物著者が話す機会は多くなります。

逆に、本物著者の話を眠そうに聞いていたり、あるいは欠席したりすると、やはり本物著者の心の盛り上がりぶりもいまひとつになるでしょう。傍聴席に人がたくさんいる法廷の裁判官はのりのりのなるといいますが、それと同じこと。

ある本物著者が、編集者も代筆者も誰もいない一人の部屋で、代筆依頼用の“講演会”をしようとしたそうです。この試みはうまくいきませんでした。自分の話を聞いてくれる相手がいなかったため、うまく話すことができなかったといいます。

代筆者が取材に出席して、相槌を打って本物著者の話を盛り上げることのインセンティブとは何でしょうか。

それは印税報酬にあるといえそうです。

本の代筆の場合、代筆者への報酬は印税で支払われる場合が多く、その相場は著者7に対して3や、8に対して2といったもののようです。本物著者のとっておきの話を引き出すことができれば、それだけ本の内容も充実したものに。一般的に「本が売れる要素の3分の1は内容にあり」といわれています。

今日もまた、あちこちの出版社の小部屋で「取材」が執り行なわれているのでしょうか。
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だいたいは「冷たい雨」


気象学的にいうと、「雨」には「冷たい雨」と「暖かい雨」があります。

地球では、海水などがつねに揮発して“水蒸気”が起きています。よく「水蒸気」と「湯気」は混同されますが、この二つは別のもの。鍋に水を入れて沸騰した水の上に手をかざすと、上へ上へと上がってくるものを感じます。これが水蒸気です。水蒸気は、沸騰しなくても置きます。いっぽう、火を止めると白いものが漂ってきます。これが湯気です。水蒸気は見えないものなので“気体”。湯気は見えるものなので“液体”です。

その気体である水蒸気が、ある一定の空気の体積に対して、ある一定以上の密度以上になると“飽和”します。このときの状態が2種類あるのです。

摂氏約0℃未満の凝固点より低い気温の中で凝固する場合は固体、つまり氷晶になります。いっぽう、約0℃以上の融点よりも高い気温の中で凝縮すると液体、つまり水滴になります。空に浮かんでいる白い雲の正体は、氷のつぶつぶの集まりか、または霧吹きにのときに見られるような小さな霧状の水滴の集まりです。

雲の氷晶が重力で落下してくると、地表に近づくにつれて暖かい気温の中にさらされるようになります。氷晶が融けずに地表まで落ちてくれば雪となり、融けて水になれば「冷たい雨」となります。対して、雲のときから液体である場合、落下してきた水は「暖かい雨」となります。

日本では、冷たい雨と暖かい雨の比率は8対2ほどとされています。つまり、私たちが見ている雨の多くはもともと氷のつぶつぶだったのですね。
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“風”と“粒”の衝突から光のカーテン


北極圏では、夜になると空が光る「オーロラ」が見られます。なぜ“光のカーテン”を見ることができるのでしょうか。

太陽からは電気を帯びた「太陽風」という粒子が毎秒100トンも発せられいます。この太陽風は、およそ1億5000万キロメートル離れた地球にも届いています。

いっぽう、地球に目を向けてみます。白い紙のうえに磁石を置き、そのまわりに砂鉄をまぶすと、同心円状の磁力線が描かれます。これは、磁石により磁場が作られたためです。この磁石の規模を大きくしたものが地球です。地球自体も見えない磁気を起こす作用があり、地球そのものが巨大な磁石と見なされるのです。

地球の磁場発生は、直流の電磁石と原理が似ています。たえず地球の核に発生している電流が磁場をつくっています。この電流は、地球内部が発電機と化してエネルギーをつくりだす「ダイナモ作用」によるもの。いまの地球は、北極付近が磁石のS極、南極付近が磁石のN極にあたります。

この大きな磁石である地球に太陽風が近づくと大気中の粒子が衝突します。ぶつけられた大気中の粒子は高いエネルギーをもつ状態になります。粒子がその状態から元に戻ろうとするときに光を放ちます。これがオーロラです。

地球の大気には磁力の線がめぐっており、太陽風はこの磁力線に沿って移動します。そのため、太陽風と大気中の粒子がぶつかる場所は、南極や北極の上空と決まっています。日本ではめったにオーロラを見ることはありません。

あまり存在は知られていませんが、オーロラには「光オーロラ」とともに「電波オーロラ」もあります。日本の昭和基地などではレーダーを使って、電波オーロラの周波数の特徴を調べる研究がされています。空気のない宇宙空間では太陽風は人体に有害なため、それを避けるための宇宙天気予報に、電波オーロラの観測は役立てられています。
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光に光をあてた実験


未解明の部分が多かった“光の世界”に光をあてた人物の一人が、英国のアイザック・ニュートンです。

1666年、ニュートンは「プリズム」という三角柱の透明ガラスを使って実験を行いました。

プリズムに光を通すと、光は屈折してプリズムの外側に出てきます。ニュートンは、暗い部屋に小穴をあけて日光を入れ、さらにプリズムを2個用意しました。小穴を通った光をまず1個目のプリズムに通します。その先にはさらに2枚の板をそれぞれ小穴をあけて置いておきます。

その2枚の板の小穴をかいくぐり出てきた2本の光の先に、2個目のプリズムを置きます。板の小穴の位置を少しずつ調整することで、紫色のみの光線や、赤色のみの光線などを用意しました。そして、それを2個目のプリズムに通しました。すると、紫の光線は赤の光線より壁の上のほうで反射しました。この実験でニュートンは光は色により屈折率が変わることを突き止めたのです。

さらにニュートンは、プリズムで分けた光を、今度は集めることにしました。ニュートンがさらに使った道具が「レンズ」です。レンズには、中心が薄い「凹レンズ」と、中心が厚い「凸レンズ」がありますが、ニュートンが使ったのは光を焦点に集められる凸レンズのほう。

分かれた光は、凸レンズ通して再び集められると、白色になりました。太陽からの光の色に戻ったのです。

これらの実験から、ニュートンは白色光は異なった色の光線が合わさってできており、それぞれの色は屈折率が異なるという結論に達しました。

その後、1800年のハーシェルによる赤外線の発見、翌1801年のリッターによる紫外線の発見などにより、可視光の外側にも“光の続き”が存在することがわかってきました。

いまでは、可視光は電磁波の一部であり、電波よりも波長が短い領域にあることが明らかになっています。
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「電子式通行料徴収」と「周波数変調」


よく日本人は、英字を3文字や2文字ほど並べたことばを使います。CD(Compact Disc、コンパクト・ディスク)のように。しかし、その英字が何の頭文字であるかは、あまり知られていない場合もあります。最近のニュースなどで伝えられる言葉からひろってみましょう。

(2009年)3月28日から、地方区間の高速道路が、土曜、日曜、祝日に1000円で使い放題になります。ただし、税金の大量導入によるこの恩恵を受けられるのは、“ETC”カードを車に載せている人のみ。

“ETC”は、Electronic Toll Collection System(エレクトロニック・トール・コレクション・システム)の最初の3語の頭文字を合わせたもの。日本語にすれば「電子式通行料徴収制度」となるでしょうか。

「電子」という言葉が入っているのは、「電子決済」という特徴があるからかでしょう。情報伝達手段として「無線」つまり“Radio”を使っている特徴を考えると、“RTC”のほうがよりふさわしいかもしれません。

「無線」といえば、NHK(日本放送協会)の“FM”放送が、(2009年)3月1日で放送開始40周年を迎えました。

“FM”は、“Frequency Modulation”の頭文字をとったもの。“Frequency”は、ここでは「周波数」を示しています。また、“Modulation”は、あまり聞かない単語ですが、電子工学で「変調」を意味することばです。つまりFMを日本語にすれば「周波数変調」となります。

電圧により、送る電波の周波数を高くしたり低くしたりすることができます。これにより搬送される波が疎になったり密になったりすることで、情報が伝わるというしくみ。

しかし「周波数変調」では、何のことをいっているかわかりません。「はーい、みなさん。東京・渋谷のNHK、周波数変調スタジオからお送りしています」では、拍子抜けしてしまいますし。

昔から日本人は外国のものを取り入れて日本独自のものにこしらえる“加工”が得意といわれてきました。これは、言葉の世界にいえるのかもしれません。
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中東でも「新エネルギーバブル!」


きょう(2009年3月16日)発売の雑誌『週刊東洋経済』は「新エネルギーバブル!」という特集を組んでいます。「自らの病を振り切るべく、照り輝く太陽を描いたムンク。グリーン革命は危機に沈んだ世界に光をもたらすか」という、特集の宣伝文句が踊ります。

この特集の「UAE 自然エネ都市を砂漠に建設、アブダビのマスダール計画」という記事などに原稿を寄せました。以前、このブログでも「石油国に炭素排出ゼロの『資源都市』」という記事で、UAEの首長国アブダビで建設中の「マスダール・シティ」などを紹介しました。

UAEを含めた中東の産油国は足並みを揃えたかのようにどの国も、新エネルギーの開発や、脱石油型エネルギー社会の構築に乗りかかっています。太陽が照りつけるサウジアラビアは太陽光発電を、ペルシャ湾からの風が吹くバーレーンは風力発電の実証実験をはじめるなど、国の風土により取り組みは様々です。

単純に考えれば、こうした中東の国々の新規エネルギー開発は「地球温暖化問題もあり、太陽光や風力が重要な役割を担う日は遠くない。ならば、今から投資して主要プレーヤーになろう、という戦略」(毎日新聞3月8日記事)と言えそうです。しかし、中東各国には、こうした将来の主要エネルギーへの先行投資といった目的とは別に、新規エネルギー開発に乗り出す事情もあるようです。

いつの日か枯渇するといわれていはいるものの、中東各国にとって石油や天然ガスなどの資源は当面のあいだは“ドル箱”でありつづけることに変わりありません。価値の高い石油や天然ガスは、なるべく国外に高く売りつけることにして、自国で消費するエネルギーは新エネルギーでまかないたい――。

そういう意図が、この新規エネルギー開発ラッシュにはあるようです。脱石油型社会の構築を進めながらも、国の利益としてはやはり石油を頼りにしています。脱石油型社会と石油依存型社会が表裏一体となっているといえるでしょう。

こうした中東各国の新規エネルギー戦略に対して、日本の企業が次々とビジネスの機会を狙っています。記事では、日本企業の動向も取材・報告しました。

他にも「あのエアバスも大注目、『音力発電』って何だ!?」「新エネ専門官庁も存在、世界4位の風力大国インド」「オバマを支えるカリフォルニア人脈」といった記事が並びます。“技術”、“国事情”、“人物模様”が入り乱れての特集となっています。

『週刊東洋経済』の「新エネルギーバブル!」特集のお知らせはこちら。
http://www.toyokeizai.net/shop/magazine/toyo/detail/BI/6b914f9d695ce1858ca75d68bb2218bd/

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情報がモチーフの「進芸術」
多摩美術大学情報デザイン学科情報芸術コースの展覧会「進芸術」が、きょう(2009年3月15日)まで、神奈川県横浜市の赤レンガ倉庫で開かれました。

同コースの卒業作品展です。1階から3階まで、広いスペースに、映像作品、物体作品、描画作品などが50点ほど点在しています。

「情報芸術」ということばはあまり聞きなれません。デジタル技術を使ったり、生体を媒体としたりして、人の感性に訴える芸術芸術表現のことを指します。「情報と物質が一体化したポスト情報化時代の作品制作を通じて、21世紀の芸術・デザイン、さらには科学・技術・哲学の統合的な理解を目指した、実践的な制作研究を行っています」(同コースの案内より)。

作品として印象的なものは、実際の空間に置かれてあるインスタレーション作品でしょう。



3階の暗闇の空間では「air+air+air」という作品が見られます。天井から吊るされた20個ほどの四角い物体の一つひとつに青い光が動いています。空気という目に見えないものを、限りなく透明感を出すことで物体として表現しています。「普段意識されない『空気の存在感』に感覚を傾け、感じてもらいたい」と、制作者の石黒奈々子さん。



1階には「see-saw」という長大な作品が置かれてあります。木と金具で組み合わせた、遠隔式のシーソーです。向こうの人とこちらの人をつなぐ凹みに球を置き、“ぎったんばっこん”することで球を移動させます。「間接的な繋がり」の方法が表現されています。

「モチーフは他の作品を作っているときにフト思いついたもの。構想から完成まで半年間ほど。一人で作るのは大変でした」(制作者の岩本多玖海さん)。

人間活動を含めたあらゆる事象が芸術のモチーフであるとすれば、「情報」というものもその中に含まれます。情報を手段として使う芸術を数多く眺めることにより、その芸術から情報の本質というものを考えることができるのかもしれません。芸術の中の情報に「いきもの」への近さを感じることができます。

多摩大学情報デザイン学科情報芸術コース卒業制作展「進芸術」のホームページはこちら。
http://www.idd.tamabi.ac.jp/art/exhibit/gw08/
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大学発「高齢社会の車」開発―不況時代のクルマ革命(4)
1キロ1円の時代へ―不況時代のクルマ革命(1)
2次電池の主役交代―不況時代のクルマ革命(2)
電気自動車の“対抗馬”課題さまざま―不況時代のクルマ革命(3)



次世代の車を開発するのは、企業のみではありません。大学もまた、これまでにない車やその技術を開発中です。

神奈川工科大学の自動車システム開発工学科は、これからの日本で進む高齢社会での車運転に目を付けた技術開発を進めています。

高齢者にとって、車の運転は至難の業。加齢による注意力の低下もさることながら、ハンドルやアクセルを扱うための体力の低下も大きくなるからです。

こうした、高齢者が車を運転することを支援するため、同学科は「高齢者のためのアクティブインターフェイス技術」の開発をしています。おもな技術の要点は二つ。

一つ目は、ハンドル操舵角制御の技術です。ハンドルの角度とタイヤの角度の関係を自由に制御することで、運転者の負担を軽減します。たとえば、少しだけハンドルを切るだけで、タイヤが大きく曲がる技術が取り入れられます。これにより、筋力の衰えた高齢者ドライバーも少しだけハンドルを切るだけで、車の左折・右折が無理なくできるようになります。

二つ目は、ハンドル操舵トルク制御の技術です。前輪に取り付ける左右のインホイールモータ(車輪内モーター)を独立して制御します。これによりハンドルの重さを軽くすることができます。この技術もハンドル操舵角制御とともに、体力のあまりない高齢者の運転を支援する技術です。

これらの技術が実際の車の運転に使われ始めるにはまだ数年は掛かることでしょう。しかし、同研究室は福祉車両製造業のオーテックジャパンと連携するなどして、実用化への模索をつづけています。

高齢者のためのアクティブインターフェイス技術を開発する神奈川工科大学自動車システム開発工学科の安部・狩野研究室のホームページはこちら。
http://www.kait.jp/laboratory/abe.shtml
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京都アジャンタのカレー3種――カレーまみれのアネクドート(11)


カレーの店で「アジャンタ」といえば、東京に住む方々は麹町・日本テレビ前にあるインド料理店を思いうかべるかもしれません。でもアジャンタは東京のみにあらず。

関西や西日本のカレー好きにとって、アジャンタといえば「京都のアジャンタ」となりましょうか。

四条河原町の藤井大丸を横に見て寺町通に入り、南へ数分。闇夜の中に白い象の看板が光っていたら、そこは京都のアジャンタです。

奥に長細い店に入ると、スーツをぱりっと着こなした若いインド人の兄さんが迎えてくれます。店に置いてあるテレビには、色恋沙汰を歌ったインドの歌謡曲のビデオクリップが流れています。



京都のアジャンタも本格的なインド料理を出すお店。インドのホテルで15年以上の経験を積んだシェフが作ります。こうしたいわゆるインド料理屋には「チキンカレー」「野菜カレー」それに「マトンカレー」という、はずせないカレーの種類がありります。

チキンカレーは、日本で食べるインドカレーの定番中の定番。金属皿のなかに大ぶりの鶏肉が二つ入っています。ルウはよく煮込んであり、インド直輸入のスパイスの数々が渾然一体となっています。

野菜カレーは、にんじんやじゃがいもを主役としたカレー。野菜の”甘さ”がルウの中に溶け込んでいます。チキンカレーよりも味の深みが増しています。

そして、マトンカレーは羊肉の入ったカレー。辛さをベースにしながらも、ほんのりと羊肉のしょっぱさを感じることができます。

こうしたカレーの数々に合うのが鬱金で染めたご飯です。ふつうの白米のご飯よりも油気があり、ぱらぱらとしています。この黄色いご飯とカレーの組み合わせが、食欲を誘います。

店の客に多いのは学生。「うまいやろ、なー」と京ことばが飛び交います。おばんざいの店に入る観光客よりも、むしろインドのカレーを欲している地元の人々に利用されています。

京都のインド料理屋「アジャンタ」のホームページはこちら。
http://ajanta.cc/
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iPS細胞商用化に乗りだす新興企業
万能細胞といわれる「iPS細胞」の実用化が始まろうとしています。

日本の新興企業リプロセルが、このたびiPS細胞を使った医療ビジネスを世界で初めて乗り出そうとしています。

同社がiPS細胞を使って行おうとしているのは新薬の開発における一工程でのこと。薬をつくるときは、効き目があるか、副作用がないかといったことを、ことこまかに実験をして調べていき、薬として使える物質を絞り込んでいく必要があります。

リプロセルは、iPS細胞からつくった心筋細胞を、化合物の副作用があるかどうかの検査に使おうとしています。つまりiPS細胞は薬をつくるという目標に向けての実験材料となるわけです。

従来、薬の候補となる化合物に副作用があるかどうかは、開発のはじめのうちはマウスなどの動物を使って調べられています。これを人のiPS細胞を使って行えば「人への作用はどうか」といったことが直接的にたしかめられるようになります。iPS細胞を使うことで動物実験の過程が短縮されれば、10年もかかるとされる創薬の期間をみじかくすることにもつながるでしょう。

リプロセルは、京都大学の山中伸弥教授らの研究グループが開発したiPS細胞を使います。京都大学は、商用に対しては有償でiPS細胞を提供しています。

iPS細胞の医薬分野への実用化をめぐっては、大手企業より中小の新興企業のほうが動きが活発なようです。まだ、iPS細胞には謎の点も多く、大手企業は実用化に向けての種が医学界から生まれてこないか“様子見”をしている向きもあります。

いっぽう新興企業には、話題性の高いiPS細胞を積極的に使っていくことで創薬などの分野を切り拓いていくとともに、自社の先見性をアピールする狙いもあるのかもしれません。実際、リプロセルの「iPS細胞で初の事業化」は、日本経済新聞や読売新聞などで記事になっています。

米国ではオバマ大統領が3月9日、ES細胞の研究に対して政府予算で研究助成することを解禁する署名をしました。iPS細胞研究とES細胞研究は、基礎的な部分での共通点や関連性も多く、米国でも今後、幹細胞研究が加速していきます。合わせて、この分野をめぐり、世界のバイオ企業のビジネスもますます活発化していくことでしょう。

参考記事
日本経済新聞2009年2月27日「iPS細胞で初の事業化 新薬の副作用を効率診断」
http://health.nikkei.co.jp/news/gyo/index.cfm?i=2009022701006h3
読売新聞2009年2月28日「世界初、iPS細胞で新薬検査…心臓への影響を確認」
http://www.yomiuri.co.jp/iryou/news/iryou_news/20090228-OYT8T00344.htm
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「感覚どおり」という使いやすさの要素


インターネットでは、画面にうつる絵を拡大・縮小したり、移動させたりする機能があります。

たとえば、グーグルやヤフーの地図。かつては地図の四方にある矢印にカーソルを合わせて画面を“切り換え”なければなりませんでした。

しかし、いまでは画面上にカーソルを置いておきながら、クリックしてマウスを動かすと、動くマウスの方向と並行に地図も動くことになります。この移動方法になり、「すばやく動く」という心地よさに加えて「感覚どおりに動く」という心地よさを感じた方は多いことでしょう。

いっぽうで「どうも操作がしっくりこない」という不慣れな感覚をあたえてしまうような機能もあります。

たとえばレストランのホームページなどで見かけるメニュー画面です。画面の下側に、横位一列に「上に移動」「左に移動」「拡大」「縮小」「右に移動」「下に移動」といった表示があり、それぞれをクリックするとメニュー画面はそのとうりになります。

しかしながら「この表示による操作は使いづらい」という声もあがるかもしれません。使いづらく感じさせる要素のひとつは、「感覚どおりでない」という点です。

ふつうの感覚では、「上に移動」や「下に移動」という表示は「左に移動」や「右に移動」の横にあるものではなく、操作表示範囲内の上側か下側についていそうなもの。その「感覚どおり」の位置と反するため、使いづらさを感じてしまう人が多いのでしょう。

デザインが機能に追随するのでなく、デザイン最優先で考えた結果といえそうです。
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社会主義ポーランドが生んだポスター


東京・神田錦町の竹尾見本帳本店で、「竹尾ポスターコレクション・ベストセレクション06」が開かれています。(2009年)3月13日(金)まで。

竹尾は、印刷紙や特殊紙の商社。1899(明治32)年に東京の京橋で創業しました。営業110年の老舗です。見本帳本店は、竹尾が扱う紙の見本が並べられた店。この2階に展示場があります。

紙を売るだけでなく、紙が生み出す文化にも竹尾は積極的に関わります。1997年、ニューヨークのラインホールド・ブラウンギャラリーのポスター集を購入。今回の企画展は、「ポーランド・イラストレーションポスターの巨匠」5人の作品を展示しています。

ポーランドは、ベルリンの壁が崩壊する1989年までは、共産圏の一刻でした。展示作品は8作品中7作品までが社会主義時代に生まれたもの。垢抜けず、落ちついた色調のポスターが並びます。

ヴァルデマル・シュヴェジの1975年の作品「ジャズの巨匠チャーリーパーカー」は、漆黒の背景に目をつぶる横顔のチャーリー・パーカーを描いたもの。絵画でありながら手の動きを、シャッター速度の遅い写真のようにぶれさせて躍動的に見せます。

フランチシェク・スタロヴェイスキの1983年の作品「モリエール/ドン・ジュアン/激情ポスター」は、ココア色の基調色のなかに、人の鼻や唇と、波紋のような模様をあしらった凹凸を組み合わせた前衛的なポスター。現代芸術がポスターの舞台にも現れています。

これらの作品は、遠くから見ると絵画作品そのものに見えます。しかし、紙に近づいて見るとパーカーの顔にも印刷のドットがたしかに刻まれています。大量印刷の時代に生まれた、半商業的、半芸術的な作品であることを実感できます。

「竹尾ポスターコレクション・ベストセレクション06」は13日(金)まで。お知らせはこちらです。
http://www.takeo.co.jp/site/event/central/200902.html
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雨粒の数ほど雨の名前


くらしにおおいに関係する分野であればあるほど、一つのイデアにもたくさんのことばが付くようになるといいます。極北の民族イヌイットにとって、「雪」を表すことばは20種類もあるといいます。それだけ、雪が関心事としてあるということなのでしょう。

もちろん日本でも、生活に密着したことがらを示す語彙は豊富です。たとえば、高温多湿な風土のため、「雨」についてのことばが数多くあります。

草木を育てる雨は「甘雨」(かんう)や「膏雨」(こうう)、また粒の細かい雨は「小糠雨」(こぬかあめ)といいます。画像の歌川広重作『東海道五十三次之内庄野』絵のなかの雨は「白雨」つまり、にわか雨のことです。

局地的に降る雨にもことばはあります。「ゲリラ豪雨」ということばが2008年に流行しました。「ゲリラ」ほどでなくても、ごくかぎられたところに振る雨のことを「私雨」(わたくしあめ)といいます。

とくに、山の斜面は「私雨」と深いかかわりがあるといいます。水気を多く含んだ水蒸気が斜面をはうように昇っていき、冷やされて飽和すると雨になるからです。

たとえば、三重県の鈴鹿山脈は年間の降水量は2200ミリほどで、よく雨や雪が降ります。また、神奈川県の箱根も相模湾からの湿った空気が山々にぶつかり、ごく狭い地域だけに私雨が降るといわれます。鈴鹿山地も箱根も峠があります。

昔から、峠越えは人々の関心事だったのでしょう。
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ピースという名のミーム


生物がまわりの環境に応じて後天的に獲得する反応を「条件反射」といいます。犬に餌を与えるときに鈴を鳴らしつづけると、餌がなくても鈴の音で犬はよだれを垂らすようになるといいます。

とりわけ日本人の若者に顕著な条件反射は「うれしいことがあると『イェーイ』と言うこと」と「カメラを前にすると“ピース”をすること」ではないでしょうか。後者のほうを考えてみましょう。

ためしにグーグルのイメージ検索で「集合写真」と入れ、検索順の5枚に移っている市民の方々の数を計算します。計125人に対してピースの数は41個。“ピース率”は約33%になりました。

傾向も見られます。右手のピースが多いことから、利き手でピースをする人が多いようです。また、男性より女性のほうがピースをする傾向が強いようです。

説によるとピースの由来は、1960年代の平和集会で、参加者が平和への意思表示のため二本指を立てたとされます。戦に勝ったときの「Vサイン」とは同じ格好である点も不思議さを演出します。

日本人が写真の前でピースをする習慣が広まったのにも諸説あるようです。平和運動で若者が立てる二本指を、テレビ放送で見た人たちがまねをしはじめたという説。俳優の井上順が小西六写真(いまのコニカ)のテレビ広告でピースをしていたのを人々がまねしたという説……。

おそらく、カメラを向けられてピースをする人の大半は「よし、カメラ写りを考えてここはピースするか」など、なにも思わないで自然と二本指が出るのでしょう。

それにしても、ピースはものすごい浸透力ですね。人から人へと模倣でうつる“文化的遺伝子”が存在するとしたら、伝播力は相当のものです。
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科学ジャーナリスト塾第7期が修了


「科学ジャーナリスト塾」の第7期が、きょう(2009年3月7日)修了しました。

この塾は科学ジャーナリストを目指したり科学ジャーナリズムを学ぼうとしたりする人々に開かれた塾。日本科学技術ジャーナリスト会議に加え、今期からはサイエンス映像学会という新しい学会が主催者に加わりました。東京駅すぐそばの関西学院大学丸の内キャンパスで、行われました。

きょうは、記事づくりとラジオ番組の実習をしたコースと、映像作品づくりの実習をしたコースの“塾生”たちが、作品の発表を行いました。「積み木による教育」や「血液型占いへの疑問」、「絵本カフェの盛り上がりぶり」など、取材したいテーマを設定して10分ほどの番組が発表されました。

塾に参加する人たちの経緯や背景はさまざまです。いまは他の職種ながら、ゆくゆくは科学ジャーナリストを目指している方。研究所の広報を充実させたいと思っている方。科学を教育する立場から表現方法を充実させたいと思っている方。

人生の転機を迎えている方も多くいます。つまり、広い意味での転職活動の一つとして、科学ジャーナリスト塾に来るということです。

もちろん、この塾に来ても具体的な求人情報が検索できるわけではありません。しかし、塾に通うことそのものが就職活動のための実績や話題にもなるようです。もちろん、記事づくりや番組づくりの実習を通じて表現力が高まるという点はいわずもがなですが。

科学ジャーナリスト塾とは別に、日本では科学技術振興調整費という国の予算により、東京大学、北海道大学、早稲田大学などで、科学技術コミュニケーターや科学技術ジャーナリストの養成プログラムが行われています。これらの本格的プログラムは、来年度で5年間の予算期間が終わります。しかし、複数の大学はおなじ内容のプログラムを続ける意向が模様。これからが生き残りを掛けた競争の時代になるのかもしれません。

7年間の実績を積んできた“老舗”の科学ジャーナリスト塾にも同じことがいえそうです。3人の科学ジャーナリストの有志により立ち上がった塾は、初期のころは“手弁当”による運営をしていました。それから7年、現在は時間数も大幅に増え、市民講座を超えて大学のプログラムに近い内容になっています。

老舗が、後からやってきた大学のプログラムと同じ土俵に立ったわけです。いかにその中で個性を出しつづけるかといった点が問われていくことになるでしょう。

塾生のみなさん、修了おめでとうございます。
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本の“16”
世の中のいろいろな業界には、その業界にまつわる“数字”というものが存在することがあります。

たとえば、出版業界や製本業界には、“16”という数字が付きまといます。書斎や書店にある本の最後のページ数を見てみると、160、192、256など、16の倍数になっているものがほとんどです。

また、14ページや30ページなどまで記されているリーフレットなどを見ても、なぜか2ページ分さらに「MEMO」などといった、余計にも思えるページがあります。

出版物が16の倍数のページ数で終わることが多いのは、製本工程の都合という理由が多分にあります。

現代の一般的な製本は、カメラで撮ったときのフイルムから写真を現像するのとおなじように、ポジのフィルムに活字や図版をすべて載せて、それを現像することで印刷をしています。

ただし、製本用のポジも紙も、カメラの写真のように1枚単位でいちいち現像していたら、莫大な費用がかかってしまいます。そこで、ページ数をある程度まとめて、ポジにしたりそれを印刷したりしているのです。

その“ある程度まとまったページ数”とは、8ページの場合が多いです。つまり、製本用のフイルムは、8ページ分が印刷されて並べられた大きなものとなります。

そのフイルムをよく見てみると、単に、p1、p2、p3、p4、p5、p6、p7、p8と並んでいるわけではないことに気付きます。

また、別の8ページ分の大きなフイルムを見てみると、単に、p9、p10、p11、p12、p13、p14、p15、p16と並んでいるわけではないことに気付きます。

さて、ここで、8ページ分の大きさの紙を用意して、この2つの大きなフイルムを紙の表と裏に現像するとします。一見、ただの8ページ分の紙に、ページがランダムに並べられたかのように見えます。

ところが、この紙を折っていくと、じつはp1の裏にp2が、p3の裏にp4が、p5の裏にp6が、p7の裏にp8が、という具合に整列するのです。

あとは、ページの三辺を切り落とせば、これで本の構成要素である、1ページから16ページまでの1組ができあがります。この16ページの単位を“折(おり)”といいます。

1折目は1ページから16ページまで。2折目は17ページから32ページまで。このように折を重ねて行くと、160ページや、192ページや、256ページといったページ数の本になるのです。

なお、たまに168ページや、200ページなど、16ページの倍数になっていない本も見かけます。これは原稿の量からして、160ページでは足りないし、かといって次の倍数である176ページでは紙が余りすぎるといった場合、1折だけ16ページでなく表4ページ裏4ページの8ページの折をつくることがあるからです。

紙が折り重ねられて本は作られるのですね。

ちなみに、オンライン書店のアマゾンなどは、印刷されている最後のページをそのまま表記しているらしく「155ページ」(あと5ページある)とか、「253ページ」(あと3ページある)といった表示がなされているようです。
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清掃工場の三段階


家のごみでさえ、ポリ容器などに貯められて蓋をされているのですから、ごみの焼却炉でどのようにごみが処理されているのかといったことを知っている人はあまり多くなさそうです。

「燃えるごみ」はとうぜん燃やして処理することになります。いま日本のごみ焼却炉で8割型、採用されている主流は「ストーカ炉」とよばれるものです。

まず、ごみが投入口に入れられると、筒をくぐり抜けて、階段状になっている空間へと運ばれていきます。ここが「ストーカ」と呼ばれる器材が置かれてある部分です。

ストーカは「火格子」ともよばれます。金属格子状のもので、このストーカの下側から空気を送り込むことで、ストーカ上のごみを燃やしやすくします。

ストーカはふつう3つ置かれており、投入口側からだんだんと高さ位置が低くなっていきます。3段式の最初の工程にあるストーカはごみをよく燃やすために乾かすためのもの。「乾燥段ストーカ」などといいます。

次の段のストーカで、いよいよごみは燃えます。この第二段階のストーカは「燃焼段ストーカ」ともいいます。

そして、燃やされたごみは次の第三段のストーカへと移っていきます。ここでは、燃焼段ストーカで燃え残ったごみを、完全燃焼させるためにあります。このストーカは「後燃焼ストーカ」ともいいます。

ストーカでごみを燃やすときの温度が低いと、その分多くの空気をストーカの下から送り込むことが必要になります。理想的な必要量の空気の量と、実際に焼却時に必要とする空気の量の比は「空気比」として表されます。通常のストーカ炉では、空気比は1.5から1.8ほど。空気比が高いと、空気をたくさん使うことになり、一酸化炭素や窒素酸化物といった大気汚染のもととなるガスを多く発生させることになります。

一酸化炭素や窒素酸化物の出る量を抑えるために、ストーカ炉製造企業は高温で安定的に燃やしつづけるための技術を開発しています。

また、ストーカを長もちさせるために、格子そのものは比較的低温にしておくことが大切になります。そのため、格子の内側に冷却空気や冷却水を流すような技術も開発されています。

ごみも、もし心があれば「完全燃焼することができました」と喜々として言うかもしれません。

参考ホームページ
名古屋市「ストーカ炉の仕組み」
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確実な“玉掛け”で安全確保

厚生労働省「玉掛け作業の安全に係るガイドライン(案)」より

工事現場や重量物荷下ろしの現場は安全が第一に求められます。その安全を確保するために大切なのが“バランス”です。

作業現場では、鉄パイプや木材、荷物などを鉄ひもで束ねて移動させる作業があります。このとき作業者は、鉄ひもをクレーンのフックに掛けます。“玉掛け”という作業です。

玉掛けされた荷物がクレーンでもちあがると“地切り”という段階になります。地切りは、荷物が地面から離れた状態を指します。

“字切り”の辞書的な意味は「収支や損得が釣り合うこと」。この「釣り合い」は、荷物の持ち上げ方でも求められるものです。

玉掛けのとき、例えば荷物にかかったひものどちらか側が緩んでいるとどうなるでしょう。そのゆるみから、荷物を持ち上げたときバランスが崩れていき、高いところから荷物がばらばらばらと落ちてくるといったことになりかねません。

そこで荷物を掛けたひもが一か所だけたるんでいないかなどを確認した上で、“3・3・3”運動を行います。

・玉掛け者が玉掛けをしてから、クレーン操作者が地切りをするまで“3秒”待つ。

・地切りのときは3センチ(30センチ以内とする場合も)の高さで一旦停止する。

・玉掛け作業者は、荷物から3メートル離れる。

作業者は自分で荷物を上下に移動させるときは、ペンダントスイッチという機械道具を使う場合があります。上ボタンとしたボタンがあり、これを押すと荷物が上下に移動します。このペンダントスイッチを片手でもったまま、玉掛けをすると手を挟む危険もあります。

クレーンが荷物を持ち上げる能力が1トン以上のものを扱う場合、玉掛け作業者は、労働安全衛生法による「玉掛け技能講習」を修了して、資格をもっている必要があります。

正確な玉掛けや地切りの作業が、「安全第一」を築く要素となっています。
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電気自動車の“対抗馬”課題さまざま―不況時代のクルマ革命(3)
1キロ1円の時代へ―不況時代のクルマ革命(1)
2次電池の主役交代―不況時代のクルマ革命(2)



電気自動車の未来を握るリチウムイオン電池の話からすこし逸れて、次世代自動車の対抗馬とされる「燃料電池車」について見ていきます。

燃料電池車は、これまでの車や、ハイブリッド車、また電気自動車とは動くしくみが大きく異なります。燃料電池は、水素と空気中の酸素を反応させて電気を取り出すしくみの電池です。この電力で車に取り付けたモーターを動かして走らせます。水素と酸素を使う過程では二酸化炭素は登場せず、排出するのは水だけ。よって、温室効果があるとされるガスを出しません。

エコカーということで国は導入に積極的です。2020年には約500万台、2030年には約1500万台の燃料電池車を導入することを目標に掲げています。

しかし、燃料電池車の時代は当分来ないのではないかという声も上がっています。その理由も整理されています。

一つは、水素の輸送や貯蔵をする方法がまだ明確になっていない点です。いまの主流の車がガソリンスタンドでガソリンを補給する必要があるように、燃料電池車では水素を補給する必要があります。いまのガソリンスタンドのように、“水素スタンド”を全国に建てるのは、相当な費用と安全面の確保が必要となります。

また、水素スタンドに水素を運ぶ輸送方法や、水素を貯蔵する方法にも、課題があります。

さらに、自動車の技術面にも課題はあります。おもなものは、一回の燃料補給で走れる航続距離が短いという点です。自動車各社は燃料電池車の開発にも力を入れていますが、航続距離は300キロや500キロほど。普通自動車は一度の燃料補給で500キロから1000キロほど走れるとされます。ただし、トヨタは2008年に航続距離が約830キロの燃料電池車「FCHV−adv」(写真)を発表しており、技術革新は見られます。

燃料電池車は、温室効果があるとされるガスを排出しないため環境にやさしいといわれます。しかし、自動車そのものからよりズームアウトしてみると、そうとも限りません。

水素は、水や酸素のように身のまわりに身近にある物質ではありません。そのため水素をつくらなければいけないのです。水素をつくるには、エネルギーを使わなければなりません。自然エネルギーでも使わなければ、水素をつくる過程で二酸化炭素が生じてしまうのです。

もちろん、電気自動車でも、電力を生み出すのに火力発電などを使うとすれば、温室効果があるとされるガスを出していることには変わりません。しかし、燃料電池車用に水素をつくるときの二酸化炭素排出量は、ガソリンや軽油をつくるときよりも多くなるという話もあります。

すでに普及しはじめているハイブリッド車や、前夜まで来ている電気自動車に比べると、燃料電池車は普及までの準備が多くかかります。市場原理のなかで淘汰されないためには、一つ一つの課題や疑問に対処していく必要があります。

参考ホームページ
トヨタ自動車2008年6月6日発表「トヨタ自動車、新型燃料電池ハイブリッド車『トヨタFCHV-adv』を開発」
日経ビジネスオンライン「燃料電池車の時代は当分来ない」
| - | 23:59 | comments(0) | -
「次世代」が腐っていく
インターネットなどの記事は、いつ書かれたものかがわからないと、情報が遠い過去のことなのか、現在に近いことなのかわかりません。言葉や情報にはどんどん腐っていくものがあります。

「次世代」という言葉も、時が経つにつれて次世代でなくなってきます。あるいはずっと次世代のままである場合、それは進展がないということにもなるでしょう。

ある人は「次世代」のことを、「これまで使っていた製品などを多くの人が『過去のもの』または『当たり前のもの』と見なしているころの未来」と表現します。携帯電話では、アナログ方式が主流だったころ、「次世代」はデジタル方式でメールやインターネットを使えるようなものでした。そのデジタル方式で出始めると、アナログ方式は「過去のもの」になります。

携帯電話では、デジタル方式が進化して、いまや高速データ通信で動画やテレビが楽しめたり、海外で使うこともできるようになりました。デジタル方式が出はじめたころの「次世代」がいまここにあるわけです。

次世代への移行は、製品の入れ替えなどにより行われる場合が多いといえそうです。流行に敏感な人は、いまの時点で次世代の製品をもつことも、製品によってはできます。

また、次世代のことが計画されている製品は、需要が高く開発競争が繰り広げられている証しといえるでしょう。こうした分野では、5年から15年ほどで、世代が変わっていくことが多いようです。
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