科学技術のアネクドート

2月を28日にするのも30日にするのも、人


「ひと月」を活動の単位にしている方にとって、「2月」は特別な月かもしれません。あまりに1か月が短いからです。

1月の平均日数は2月をのぞけば30日が4回、31日が7回あります。2月を含めた平均の1か月の日数は30.4日。2月は2日半、他の月より短いのです。

計算からすれば、ほかのひと月での15分という長さの価値を、2月では14分で受けもつことになります。2月のほうが他の月よりも14分の15だけ、時が貴重であるともいえるかもしれません。

1か月としての時間が短いことは、人の立場によって“吉”に“凶”にもなります。

2月が短いことの恩恵に預かれる代表的立場は、月給をもらっているサラリーマンなどです。月額30万円だとすれば、他の月では30日や31日過ごさなければならないところ、2月は28日過ごせば同じ額の給料がもらえます。逆に月給を払う側にとっては「28日分なのに、同じ額を払わなければならないとは」と嘆くことでしょう。

2月が短いことが悪く出るのは、月ごとに決まった量のものを納品するような立場の人です。たとえば、月刊誌の編集者は、ふだん30日か31日かけて用意すればよい雑誌を、28日でつくらなければなりません。「2月は短いのでページ数を減らしました」といった話は聞きませんから、2月の仕事の負担は多くなります。

こうした月による生産性や労働力の格差を均すためか、ソビエト連邦では、1929年の改暦により「どの月も1か月30日とし、あまった5日はどの月にも属さないことにする」という独自の暦を定めました。これにより、翌1930年と1931年には「2月30日」が存在したといいます。しかしこの制度は長続きせず、1932年には2月の日数は元に戻りました。

2月を30日にしたのも人であれば、2月を28日にしたのも人です。ローマ帝国初代皇帝アウグストゥスが紀元前8年に、8月を31日にする代わりに2月を短くしたのがはじまりとされています。

ソ連の例やローマ帝国の例からわかるのは、暦は自然や季節のものでなく、人のものであるということです。28日しかないことによる生産性の歪みなどが大きいのであれば、世界が足並みを揃えて、他の31日のふた月分を30日にして2月を30日にすればよいのかもしれません。

しかし、2月を28日した紀元のころとはちがい、“世界”は地球規模になりました。国の事情もさまざまですから、世界が足並みを揃えて2月の日数格差をなくすのはそう簡単なことではありません。
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下流へと進むバイオ燃料


植物からとる燃料「バイオエタノール」の実用化への動きが活発になって来ています。本田技研工業は、麦わらなどから燃料をつくるための実験施設を千葉県木更津市で今年2009年11月から運営させます。

「実用化」とは、学問の領域で知られていた研究や開発が、広く社会で役立てられることをいいます。研究の“種”が、製品やビジネスとして“実”を結ぶことといえます。

実用化までの一つのモデルとして、「研究→開発→生産→販売」という、上流から下流への流れがあります。研究者や技術者のほかに、研究成果を市場に広める役割をはたす人の存在が重要になります。研究開発費の工面や、研究開発者側と販売者側を橋渡しすることになるためです。

一般的に、研究の成果が上がってからそれをどのように社会に行かすか考えるよりも、社会での必要性に目を向けて、それを満たすことを目標に研究を行うほうが実用化はされやすいといいます。

本田技研工業のバイオエタノール実用化への動きは、自動車製造業の新しいビジネス展開を予兆させるものがあります。新エネルギーが実用化される時代には、車をつくるのは車メーカー、燃料をつくるのは化学企業といった括りが崩されていくのかもしれません。

本田技研工業の講評発表「バイオエタノール製造技術確立に向け、新たな研究施設を建設」はこちら。
http://www.honda.co.jp/news/2009/c090226.html
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初上陸「情熱のジュース」


東京・赤坂の日本貿易振興機構(ジェトロ)で、「ペルー展 今、飛躍するペルー」が開かれています。あす(2009年2月)27日(金)まで。

外国の空港に降り立って、ビルに入ると、“異国のにおい”がするといいます。展覧会の来場者もおなじような感覚を味わえるかもしれません。

展示場には、26のペルーの企業やペルーと貿易をしている企業の小間が並んでいます。平日とあって来場者はまばらなものの、試食や試飲できる小間で立ち止まる人も見られます。

輸入おろし・販売業のグラシアの小間では、果汁100パーセントジュースが配られています。三つ並んだジュースの容器のなかでひときわ目を引くのが「サボテンジュース」。ごつごつした緑色のサボテンからは想像できないような深紅の色です。

「情熱のジュース」という別名がつくこのジュースのことを、小間の店員が説明します。「これは、サボテンの実をしぼったものですね」

サボテン科のサンカクサボテンは、「ドラゴンフルーツ」という赤い実をつけます。このサボテンジュースもおなじ類のもののよう。宣伝文句にはこんなことが書かれてあります。
サボテンの果実は、繊維質が含まれ、ダイエットに大変効果を発揮しています。また、利尿採用(ママ)がある事でも知られむくみや慢性腎炎等に効果を発揮しています。その他、カリューム、鉄分が豊富で優れた果実でビタミン類と抗酸化物質をあわせて吸収出来るジュースです。
試飲をする人たちは、まず「甘い!」という第一声を上げます。「砂糖を入れてあるのですか」と聞く来場者に、店員は「ノーノー。砂糖は一切入っていません。100パーセントジュースだよ」と、すかさず言います。

果肉がまだけっこうジュースの中に残っているため、凍らすとスムージーのようにしゃりしゃりになります。ドラゴンフルーツや、この情熱のジュースを飲んだことのない方は「サボテンがこれほどの甘みをもっているのか」と驚くことでしょう。

小間では、他にマンゴージュースとグアバジュースを試飲することもできます。でも、もっとも容器の残りが少ないのは、やはりサボテンジュース。

このところ、ペルーと日本は外交が活発になっています。2008年にペルーで開かれたアジア太平洋経済協力会議で、ガルシア大統領と麻生首相が投資協定を結ぶなどしています。

「ペルー展 今、飛躍するペルー。」は、東京・赤坂のアーク森ビルで27日(金)まで。お知らせはこちらです。
http://www.jetro.go.jp/events/tradefair/20081006166-event



ちなみに、この展覧会の親善大使は歌手の吉川晃司さんが勤めています。2007年にテレビの撮影でペルーへ行ったとき、現地の友人ができたそうです。しぶい人選ですね。
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毘沙門天を大きく見せる技術


京都・東山区にある東福寺の子院・勝林寺で、毘沙門天立像などの特別公開が行われています。(2009年)3月18日まで。

毘沙門天は、四天王・十二天の一つ。北方に置くと財宝を守ってくれるとされる神様です。勝林寺の毘沙門天は、平安時代につくられたもので、本堂・東福寺の天井に収められていたものが、移されました。じつに83年ぶりの開帳となります。

毘沙門天の身長は147.5センチしかありません。しかし、拝観者は「そんなに小さくは見えません」と感想をもらします。

まず、毘沙門天は二つの邪鬼の上に乗っかっています。これで、およそ20センチメートルほど高くなっています。さらに、奉られている毘沙門堂にもちょっとしたしかけがあります。

毘沙門堂は、手前から、毘沙門天の置いてある奥にかけて床が少しだけ高くなっています。座ってみると、その傾き加減が実感できるでしょう。ずっと座っていると、平衡感覚が狂ってくるかもしれません。拝む人間の位置より、毘沙門天は少しだけ高い位置にましましています。

この傾斜は、毘沙門天を大きく見せるしかけであるとともに、「天に通じる道」を表現したものといわれています。勝林寺は1550年に建立されたもの。床を斜めにする発想と建築技術が、この当時からありました。

毘沙門堂を出ると、その先の部屋には日本画家・田村月樵(1846-1918)による版画「毘沙門天曼荼羅」が飾られています。これも特別公開。真ん中に毘沙門天を描き、その横には奥さんと子どもが、さらにその周りには様々な神様が、精密に描かれています。田村月樵が10歳台のときに作った版画とされています。

古の人々の、毘沙門天を尊敬する気持ちが感じられる特別公開です。

勝林寺の非公開文化財特別公開は3月18日まで。お知らせはこちら。
http://event.jr-odekake.net/event/59875.html
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気象庁のカレーライス――カレーまみれのアネクドート(10)


東京・皇居のお堀の向かい、竹橋の毎日新聞社の横に気象庁があります。

たてものを入ると、すぐに警備員のおじさんが「はい、こんにちは」。一般の人も中にある気象科学館などに用があれば入ることができます。

東京消防庁に面した部屋に食堂が。ショーケースの中を見ると、官庁食堂の定番「カレーライス」がここにももちろんあります。役所の食堂でカレーライスがないところはたぶんないのでは。

ここのカレーは、コラムニスト泉麻人さんが食べたことでも(一部の人には)知られているメニューです。泉さんは、気象予報士の資格をもつほどの天気予報マニア。気象庁1階にある、お天気や地震、それに火山などの本が並んだ小さな書店には、著書『お天気おじさんへの道』も置いてあります。

泉さんは、気象予報士試験の申請で気象業務支援センターを訪れたついで、「かねてより一度覗いておきたい」と思っていた、気象庁に入ったのでした。そして、食堂へ。「神保町のカレー、が頭にあったので、迷わずカレーライスに決める」。
職員の多くがシャツの胸などに部署名入りの名札を付けていることに気づいた。省庁全般のしきたりなのか……もしや、僕のような“部外侵入者”を排除する目的があるかもしれない。ただし、食卓の所々には作業衣の人や、技術系と思しきラフなスタイルの人も見られるから、スウィングトップ姿の僕もさほど浮き上がってはいないだろう。とはいえ、やや伏し目がちにカレーを口に運び、ふと目の前を見ると、さっきまで空いていた席に白髪の理知的な男が座っている。胸の名札に「気象庁予報部……」の表示が確認された。
 もしや、この男があの難解な試験問題などを考えた……のかもしれない。
食堂の職員たちを観察するなかで食べたカレーの味は「わるくはないが、よくあるレトルトのレベル」とのこと。

泉さんが気象庁でたべた2004年には、400円でひじきもついていたようですが、最近のメニューではみそ汁がつくのみ。でも、その分、味はグレードアップしたのかもしれません。

省庁のカレーにありがちな、黄色っぽいどろどろしたルウよりも茶褐色。粉っぽさや安っぽさを感じさせません。中辛、若干コクあり。400円なりの誇りを感じさせる、堂々とした味です。

ルウの中のたまねぎはほとんど溶けています。そのぶん牛肉の自己主張は強く、小粒ながらごろごろ5、6個、入っています。スプーンがステンレスの皿にぶつかるたび、カツッカッと音がします。

食堂は閉店まぎわの2時まえ。掃除のおばちゃん床を拭きながら二人でなにやら「24かい」「いや、26」と話しています。気象庁だけに、気温や湿度の話でしょうか。いいえ、どうやら嫁に行く娘の年齢の話のようでした。

「タンメン+半チャーハン」の注文が多いようですが、立ち寄りのときは「カレーライス」もぜひどうぞ。

参考文献
泉麻人『お天気おじさんへの道』
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「『怒り』と『叱り』の不等式」


日経ビジネスオンラインのコラム「風通しのいい職場づくり」で、きょう(2009年2月23日)「『怒り』と『叱り』の不等式」という記事が配信されています。

このコラムは、コーチング企業「コーチ・エィ」社長の鈴木義幸さんが、職場の風通しをよくするための方法を読者に話すもの。週1回の連載です。

「怒り」と「叱り」は、異なるものとはよく言われます。記事で鈴木さんは、二つの違いを「叱る基本スタンスは“フォー・ユー”なのです。対して、怒るのは“フォー・ミー”」と話しています。

「怒り」は、たまっていたイライラが何かのきっかけで爆発したときの感情の表れとなります。

物事には原因と結果があるもの。「怒り」の場合、原因は「自分が大事にしている価値観とぶつかった」ことにあるといいます。よかれと思っていたことが否定されたり、自分が参加していると思いこんでいたことがじつは秘密裏で進行していたりといったことも含まれるでしょう。

「怒り」に見られるような感情的反応で相手と意思疎通をした結果、「コミュニケーション・コスト」が上がってしまうと鈴木さんは話します。

たとえば、「これでお願いします」と相手に伝えたとき「はいわかりました」で済む相手と、それだけで済まない相手がいます。それだけで済まない相手の会話を覗いてみましょう。

「これでお願いします」
「えっ、なんでですか」
「だってこうしないと進まないじゃないですか」
「そんなことないと思いますよ」
「とにかく、まずはこれでやってくださいよ」
「やり方が乱暴だなー」

何事に対しても言い争いになるといった人どうしがいます。そうした人たちは、そうとう高いコミュニケーション・コストを支払うことになります。

前向きな解決策は、本人たちの努力でたがいに尊重しあい、コストの掛からないコミュニケーションをするようになるということでしょう。

しかし、なかなかそうならないもの。いやいやでもその人に対してコストを払う意味や価値があると感じればコミュニケーションは続きます。いつも上司と対立するけれど、それがいやだからといっても会社を辞めたらたいへんなので、我慢するといった状況です。

いっぽう、その人に対してコストを払う意味や価値が感じられなければ、コミュニケーションをとらないようにするという選択も出てくるでしょう。「なぜ、私はあの人とこんなことまで話合わなければならないのか」という気持ちが起こります。その気持ちは退職などの行動になっていきます。

コミュニケーションにも経済原理が働くということですね。

「叱る」ことに対して、鈴木さんは「挽回への励まし」であり「フォー・ユー」であり、「『相手の“ゴール”に結びつくかどうかを考えて叱ること』が重要」と話します。

「怒る」と「叱る」は表現的には似ていながら、その実はまったく非なる行動であることがわかる記事です。

「鈴木義幸の『風通しのいい職場づくり』」の記事「『怒り』と『叱り』の不等式」はこちらでどうぞ。
http://business.nikkeibp.co.jp/article/life/20090220/186761/
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原子力「依存大国」フランス「発電大国」アメリカ


原子力発電をめぐる世界各国の現状は、国の事情などによりさまざまです。いろいろな切り口から、見ていくことにします。

電気は、石炭、石油、天然ガス、原子力、水力、太陽光などさまざまな発電源があります。電気事業連合会の「原子力・エネルギー図面集2008」によると、原子力発電への依存率がもっとも高い国がフランスです。じつに電力全体の79.1%を原子力で占めています。

つぎに割合が多いのが韓国です。原子力は37.8%。石炭の38.4%と合わせて、この二つの発電源が韓国の電力供給を支えます。次が日本で、原子力の割合は27.9%。

実際の出力規模が大きい国はどこでしょうか。日本原子力産業協会の資料「世界の原子量発電の概要」(2008年)によると、第1位は米国です。運転中の原発が1億606万キロワットの出力規模。

米国は、国内電力供給での原子力依存率は19.0%に過ぎません。にもかかわらず、運転中の原発104基をもっており、これは出力規模第2位のフランス6602万キロワットを大きく上回ります。いかに米国がエネルギー消費大国であるかがわかります。

なお、出力規模第3位は日本です。4958万キロワットで、55基が運転中です。

いっぽう、原子力発電のエネルギー源となるウランの埋蔵量が多い国はどこでしょう。経済協力開発機構や国際原子力機関の資料『URANIUM2005』によると、シェア第1位は豪州で24%です。つぎに中央アジア北部のカザフスタンで17%。第3位にカナダ9%と続きます。

原子力発電は、石炭による火力発電などに比べると、二酸化炭素を出しません。原子力抜きで温暖化防止を考えることは難しい状況です。米国では、温室効果があるとされる二酸化炭素などのガスを出さない電力の7割は原子力発電によるものとされます。こうした点から、オバマ大統領は安全性を保ちつつ、原子力発電所の運転認可更新をしていく姿勢とされます。

対して、ドイツは太陽光発電を積極的に推進するいっぽうで、脱原子力の政策を掲げています。今後、原子力発電所を数年のうちに閉鎖する予定です。おもな理由は事故の危険性が高いため。しかしながらドイツは、核融合技術への開発の投資はしています。

今後は、中国やインドなどの国々が原子力をどのように利用していくかも、世界の動向の鍵を握っていくことになるでしょう。

参考文献
『原子力産業新聞』2008年12月18日
日本原子力産業協会『世界の原子力発電の概要』

参考ホームページ
大阪・神戸ドイツ連邦共和国総領事館「ドイツが脱原発を選ぶ理由」
http://www.german-consulate.or.jp/jp/umwelt/energien/index.html
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石油国に炭素排出ゼロの「資源都市」


中東のペルシャ湾南岸に「アブダビ」という国があります。アラブ首長国連邦の一首長国で、連邦の中では、全体の8割という最大の面積、190万人という最大の人口、そして最大の収入をもっています。

収入を支えている資源は石油です。2006年時点で、1日に275万バレルの石油産出があり、埋蔵量は978億バレル。国内総生産2865億ディラハム(7兆1625億円ほど)のうち、半分強の1612億ディラハム(4兆625億円)が石油分野をしめています。

いわゆる石油依存国の感があるアブダビに、いま石油や石炭などに依存しない環境都市がつくられようとしています。

新しい都市の名前は「マスダールシティ」。「マスダール」は「資源」を表します。完成予想図を見ると、砂漠の土地に正方形をした都市が建てられる模様。220億ドル(1兆9800億円)が投じられて2010年代半ばには都市が完成される予定。居住人口は4万人です。

計画では、「炭素排出ゼロ」「浪費ゼロ」「水の生産75%削減」「80%の水をリサイクル」そして「100%再生可能エネルギー」といった数々の数値が並んでいます。

この街には二酸化炭素をだす自動車は走りません。交通手段は、ライトレールという新交通と、パーソナルラピッドという乗用車よりも小振りな乗り物が街のなかを走ります。外部から都市に車で来る人は、都市の縁につくる駐車場を降りて、これら交通機関に乗り換えます。

計画の議長を務めるアフマド・アリ・アル・サエ氏は「長期目標は、新しい発想、技術、発展の安定的潮流を生み出すイノベーティブな産業を創出すること」と述べています。

何もない場所に環境型の新都市をつくる計画はマスダールシティのほかに、中国で2050年の完成を目指す崇明島の「東灘プロジェクト」、水素エネルギーを使ったデンマークの「H2PIAプロジェクト」などがあります。

莫大な予算を投じての新しい街づくりには、「既存の街への環境対策をするほうが優先順位は高いのではないか」といった批判の声も上がっています。

いっぽうで、新都市づくりにより、環境問題の解決に結びつくような技術が生まれることもある、という推進の声もあがっています。

長い時間軸で見れば、石油が使われなくなる時代はいつかやってくることでしょう。マスダールシティの計画は、そうした未来に向けた、一つの投資のかたちといえるでしょう。

マスダールシティのホームページ(英語)はこちら。
http://www.masdaruae.com/en/home/index.aspx

参考ホームページ
中東ビジネスレポート「アラブ首長国連邦 アブダビ首長国概況」
http://www.dubai.uae.emb-japan.go.jp/middle%20east_economy_01_01_j.htm
中央日報2008年3月15日「太陽熱、風力を電気に…“炭素ゼロ都市”ブーム」
http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=97433&servcode=400§code=400
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濃い桃色と幾何学模様が謎を生む。


東京都の御茶ノ水駅と千葉県の千葉駅を結ぶ総武線各駅停車の駅ホームには、黄色の点字ブロックの外側に、桃色の線が引かれています。

桃色の線の上には、「○┤」印と矢印が印刷されています。矢印の向きに従って進むと、黄色四角の上におなじ印が印刷されています。



これはなにを意味するものでしょう。

桃色線の位置から推しはかれるのは業務用の線であるということです。駅の利用客のためのものであれば、点字ブロックの内側にあるでしょう。桃色線と電車との距離はわずか50センチほど。桃色線の上を利用客が歩くにはあまりに危険です。

この桃色線をめぐっては、インターネットの掲示板で意味をめぐって議論が繰り広げられています。

「ホームにピンク色で♀に似たマークが書いてあるラインがひいてあるのを見かけて、何の意味なのかとても気になります」

「何にみえるかという視点ではありますが、矢印方向に女性専用車両の乗降場所あり、ということを表現している様にみえました」

「総武線の女性専用車両は三鷹方面のみですが、千葉方面のホームでこのマークを見かけたので女性専用車両とはどうも関係がないみたいです」

こんな具合です。

もっとも確実なのは駅員に聞いてみることでしょう。桃色線が引いてある駅の一つ、JR本八幡駅の駅員は次のように説明します。

「あ、はい、はい。あれは信号のある位置を車掌に示すための線です」

たしかに、桃色線の進んだ先の黄色四角の頭上には信号があります。



しかし、冷静な方にはさらに疑問がわくかもしれません。電車の車掌は、ふつう停車駅ホームの最後尾に位置することになります。つまり車掌は駅の端から端までを見わたせます。車掌は停車駅で信号を見ることができるはず。信号の位置を示されるまでもありません。

しかも、この桃色線の矢印は、停車駅最後尾にいる車掌の視線の向き、つまり次の駅の向きとは逆向きに印刷されています。

駅員はつづけます。

「電車が行きすぎたときなどの緊急時に、車掌が信号を見るためのものです」

補足すると、次のような目的があるようです。

電車が止まるべき駅を通過しそうになったとします。いわゆるオーバーランです。そのとき電車は本来の停止位置に後戻りします。

ところが、あまりにも過誤の通過が過ぎると、電車の車掌がいる位置でさえ、駅の信号の位置を通り過ぎてしまいます。

そんなとき、車掌は桃色線と黄色四角の「○┤」の位置を電車が完全に過ぎてしまっているか、過ぎてしまっていないかを確認します。

過ぎてしまった場合、その電車は信号の指令区間を完全に越えてしまったことになります。

いっぽう、駅を通過しそうになった電車が「○┤」を完全には越えていなければ、まだ信号の影響が及ぶ範囲内に、電車はかろうじて残っていることになります。

「○┤」を完全に越えてしまったか、かろうじて越えずに残ったかは、その後の過誤の挽回に、大きな違いを及ぼします。

完全に越えてしまった場合、次の信号の影響範囲に入ってしまった電車を前の信号の影響範囲に戻すことになります。後続の列車が近づいているかもしれません。なので、電車を後戻りさせるにも危険を避けるための慎重な手続きを踏まなければなりません。

いっぽう、かろうじて越えずに残った場合は、まだその電車は信号の影響かにあるため、ただ後戻りをすればよいことになります。

慎重な手続きを踏んで電車を後戻りさせるか、ただ電車を後戻りさせるか。停車駅を通過しそうになった電車に乗る車掌が、この判断を「○┤」を越えてしまったかどうか確認することで判断するのです。

かなり濃い桃色の線で、かつ謎の印があるため、「この線と印は何の意味だろう」といぶかしがる駅利用者も多いことでしょう。

駅利用客には気付かれないよう、目立たない色の線にすることも考えられます。変な疑問や誤解をあたえないためにはそうすべきなのかもしれません。

しかし、安全第一を考えると、車掌の目にすぐに飛び込んできやすい桃色線は大切な印であるともいえます。

参考ホームページ
Yahoo!知恵袋「駅のホームに「○┤」←こんな感じのマークがあったのですが、これは何を示しているの...」
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1222708672
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「パラダイム」のひとり歩き


ことばは、発明者の手から離れると、ひとり歩きをすることがあります。

「パラダイム」は、米国の物理学者・科学哲学者トマス・クーンが、著書『科学革命の構造』のなかで提案した考え方です。

いま、パラダイムは「ある集団において、その時代を支配する、共通したものの見方や考え方の枠組み」といった説明がなされます。

当のクーン自身はパラダイムを「一般に認められた科学的業績で、一時期の間、専門家に対して問いや答え方のモデルを与えるもの」などと説明しました。

しかし、クーン自身が使った「パラダイム」には、多義的に読める部分もあり、曖昧さが批判の対象になりました。また、「一時期の間、専門家に対して問いや答え方のモデルを与えるもの」という説明は、科学だけでなく、文学、音楽、芸術、政治などを含む、人間の多岐にわたる活動にも当てはめることのできるものでした。

クーンにしてみれば、客観性がすべてと思われていた科学の世界に人間活動的要素を取り入れたユニークさに「科学ならでは」という点があると考えていたようです。

しかし、パラダイムは“便利な言葉”として、いろいろな分野で人々に受け入れられたのでした。

いまでは「時代を支配している概念」といった広義の意味で使われる場合が多いようです。
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古の免震構造


京都・南区の東寺で、五重塔の特別公開が行われています。(2009年)3月18日まで。

東寺は、東寺真言宗の総本山。弘法大師空海に渡され、「深遠で、凡夫にうかがいえない秘密の教え」(広辞苑より)を扱う密教の寺として栄えました。

案内役の方によると、五重塔は釈迦の遺骨を納める“墓”。東寺の五重塔は54.8メートルあり、木造の塔としては高さ日本一です。これは、遠くからでもこの墓を眺めて拝むことができるようにする狙いがあるといいます。

公開されているのは1階にあたる部分。仏像を安置する須弥壇には、金剛界四仏像と八大菩薩像が置かれています。

その中心には、心柱という柱があります。須弥壇の下を除くと、この柱の青く塗られています。1644年、いまの第5代の建立当初、この模様は50センチメートル高い位置にありました。心柱が屋根を突き上げてしまうことになったため、心柱を50センチ切り下げたのだそうです。

年を経るにつれ、だんだんと塔全体は木の収縮で小さくなっていくもの。対して心柱だけは収縮しませんでした。そのための処置だったとされます。

案内役の方によると、この心柱は仮に取り去っても五重塔が崩れることはないのだそうです。塔は、積み木細工をつくるように、軸や軒となる部分を積み上げてつくられています。

この積み上げ式の構造は、木材の組み方としては緩いのですが、逆にその”ゆるさ”のために、振動が塔全体を通じて伝わることがなく、地震が起きても上層は大揺れしないようになっています。いわば古の免震構造といったところでしょう。

こうした建造の技術があるとともに、塔を支えるための“小物”も用意されています。四天王の像がふまえている小鬼「天邪鬼」の木像を塔の軒下の四隅に置いて、塔の支え役をまかせているのです。



3月18日までの公開期間中は五重塔のほか、講堂で、不動明王や大日如来などの、立体曼荼羅を形づくる仏像の21体を拝むこともできます。

東寺五重塔の特別公開情報も載っている「第23回 京の冬の旅非公開文化財特別公開」の案内はこちら。
http://kyoto.jr-central.co.jp/kyoto.nsf/saijiki/sj076AD1EAD64E545A492570C1003142DC
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気付かないけれど「糸面取り」
以前、このブログで「神は細部に宿る」という言葉があることを紹介しました。「細かいところをていねいに処理すると完成度がぐっと高くなる」といった意味です。

「神は細部に」ほどの細かさではないかもしれませんが、工業デザインには「糸面取り」という作業があります。モノのとがった角を、ごくわずか削ることをいいます。ごくわずかに、角を削ることで、指で触れたりしても痛くないようにするわけです。


糸面取り

身の回りのモノを改めて眺めると気付くことですが、家電製品、文房具、小物類など、角のあるもののほとんどは角が削られています。

よくほどこされる処理が「角アール」です。これは、角に丸みを持たせて手触り感をよくするもの。角アールは、角をなくすときの基本的な処理とされています。


角アール

また、角に丸みをつけるのではなく、90度の直角に斜面をもたせる処理がされたものも見られます。これは「面取り」といわれます。面取りは、各アールよりも力強い感じをつくることができます。


面取り

デザイン性や必要性から、角アールも面取りもできるならばしたくないという場合もあります。ただし、角の処理を何もしないと、人が手を触れたときに痛みを感じてしまいます。そこに「糸面取り」の出番があります。

モノによりけりですが、糸面取りでは、角を削った平面の幅が、0.1ミリから1ミリと、ほとんどの人は気付かないような、微細な角の処理がされます。

触れるたびにちくっとする官職を経験するか、それとも何とも思わないか。この差はまさに「神は細部に宿る」が表面に出てきたものといえそうです。

参考文献
木全賢『デザインにひそむ<美しさ>の法則』
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人前でも眠気を起こす脳


中川昭一財務大臣が、(2009年2月)14日(金)ローマの先進国財務相・中央銀行総裁会議の記者会見で、半分眠っていたことが波紋をよんでいます。

財務相は風邪薬を飲んだと釈明しているようです。しかし、2週間前の国会で26か所の読み違いをした1月28日の財政演説でも鼻声で咳もしていました。なかなか風邪が治らないのでしょうか。それとも1か月で2度も風邪を引く体なのでしょうか。

辞任要求をめぐる政局とは別に、起きているべき人まえの状況で眠ってもよいのかどうかと、市民でも議論が起きそうです。

「眠くなる」という体の状況は、どのように起きるのでしょうか。脳の働きが大きく関わっています。

人間などの動物は、脳を休める必要があるために、眠りを必要とします。「そろそろ脳を休めたほうがよさそうだ」と体が察知すると、体内からプロスタグランディンD2というホルモンが出てきます。このホルモンは、脳の神経に作用する「アデノシン」という物質をたくさん出すように働きかけます。

アデノシンは脳の睡眠中枢という神経細胞にたどりつくと、この細胞にある受容体にカチッとはまります。これは鍵(アデノシン)と鍵穴(受容体)の関係に喩えられます。鍵が鍵穴にはまると、眠気がやってきます。

この基本的な眠気のしくみの他に、ヒスタミンという覚醒を引き起こす物質があります。このヒスタミンはヒスタミン受容体の鍵穴にカチッとはまるとアレルギー反応が起きます。

アレルギーを起こすヒスタミンの反応を防ぐには、ヒスタミン受容体に先回りしてヒスタミンの働きをさえぎることが必要になります。このはたらきをするのがいわゆる風邪薬の一種「抗ヒスタミン剤」です。

最近では、抗ヒスタミン剤のなかには眠気の発現率が8%ほどに抑えられた「第三世」とよばれる抗ヒスタミン剤もあります。中川財務相は、この薬は飲まなかったようです。
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御所の“美”が国立博物館に集合


京都・東山の京都国立博物館で、特別展覧会「京都御所ゆかりの至宝 甦る宮廷文化の美」が開かれています。(2009年2月)22日(日)まで。

京都の上京区にある「御所」は、14世紀後半の後小松天皇の時代から、19世紀後半に明治天皇が東京の皇居に移るまでの約500年間、皇居として使われてきました。御所では、歴代の天皇みずからが絵画などの美術をたしなんだり、天皇家の行事などにともないさまざまな工芸作品や道具などをこしらえるなどし、宮中芸術が発展しました。

展覧会では、京都御所を飾っていた芸術品や、天皇から下賜された品々が展示されています。

御所に置かれていた装飾品には、室町時代後半から江戸時代にかけて活躍した狩野派の作品が多くあります。多いのは障壁画や襖など。「7章 御所をかざった障壁画」に展示されています。

新しい天皇が即位したり退位したり、また、お妃が御所に入ったりすると、そのたびに新しい建物をつくるのが習わしでした。古い建物と、その建物にあった品々は、貴族などが住まう寺に譲られました。

「垂柳椿図襖」はその一つ。狩野派の代表的人物である狩野永徳が桃山時代の天正年間に描きました。金色の地の色に、柳の木と葉が白色を基調にして描かれています。さらに四面の襖の両端には、鮮やかな赤色の椿が控えめにちりばめられています。派手さはないものの、少ない色で抑えられた美が感じられます。息子・孝信の作った「牡丹図襖」に見られる、緑、桃色、赤、白の多色づかいとは対称的です。

また、歴代の天皇は、御所において仏の教えを聞く会である法会を開くなど、仏教との結びつきがありました。「3章 宮廷と仏教」では「普賢菩薩騎象像」が、ひときわ入場者の注目を集めます。象の背中に載った蓮の上に、普賢菩薩が鎮座し、手を合わせています。目を閉じたその顔は澄み渡り、無の境地に至っているようです。

ほかにも、御所で天皇たちの和歌詠みに関する作品なども。色紙に、筆で歌を書き、それを屏風などに貼った「色紙貼混屏風」や、布に歌を書いて裏面に紅葉の葉の刺繍または型押をした「霊元天皇宸翰和歌袱紗」などが展示されています。

また、天皇や妃が儀式に臨むときの礼服や、日常的に着ていた朝服などの装束も飾られ、宮中の生活ぶりを想起させます。

国宝数点、重要文化財約20点を含む、宝の数々は、宮内庁京都事務所や、京都の各寺院などが所有するもの。博物館に一堂に寄せられました。

京都国立博物館特別展覧会「京都御所ゆかりの至宝 甦る宮廷文化の美」は2009年2月22日(日)まで。展覧会の案内はこちらです。
http://www.kyohaku.go.jp/jp/tenji/index.html
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10年遅れた日本の産学連携――大学の変革30年(2)


バブルが起きていたころ、日本の大学は、企業への人材派遣の元締約と化していました。卒業生を企業に送り込みさえすれば、社会は満足したのです。大学発の知が、産業界で活用されることはありませんでした。

1990年代、いよいよバブルがはじけます。世界の空気が読めなかった産業界の、「これからは基礎研究だ」という合言葉にのせられて、それまで基礎研究重視の科学技術制作をとっていた政府は、実用的な研究を促す方向に大きく舵を切ることになりました。

それに企業も、不況の中で、役に立つかどうかわからない基礎研究にカネを注ぎ込むわけにもいかなくなっていました。「これからは基礎研究だ」の声は、急速にしぼんでいきました。

ここでようやく、政府と産業界は、大学の知的財産に注目するようになったのです。

欧米の大学は1980年代からすでに、「大学発ベンチャー」を輩出していました。大学が新しい産業をつくる時代を迎えていたのです。

日本の大学は世界の波に遅れること10年、1990年代になり、産学連携の必要性がいわれるようになりました。日本版の大学改革がようやく始まったのです。

以降、日本では、1991年の大学設置基準の大綱化、1990年代後半の大学院重点化、2004年の国立大学の独立行政法人化といった変革がつぎつぎと行われていきます。これらはみな欧米の大学がすでに歩んだ道でした。長い目で見ると、日本の大学は約10年の遅れがあることになります。

産学連携に詳しい研究者は、「大学は、出会いと交流のプラットフォームだ」といいます。若い学生が入ってきて、人と出会い、交流し、そして巣立っていきます。「企業にない“新陳代謝”のはげしさが大学にはある。あるからこそ、知の活性化が生まれるのではないでしょうか」。

日本の大学が、10年の遅れを取り戻す鍵は、魅力的な人財をどう輩出するかにかかっているのかもしれません。了。
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中央研究所の時代の終焉が大学の役割を変えた――大学の変革30年(1)


世界と日本の大学の役割は、ここ30年間で大きく変わりました。一言でいえば、「産業界との関わりが深くなった」ということです。この30年間を、大きな視野で振り返ります。

大学の役割が変わっていった背景としてあるのが、産業構造の変化です。1970年代後半までは「リニアモデル」という産業構造のかたちが強くありました。これは、企業の自前研究機関である「中央研究所」が、研究、開発、生産、販売を一手に引き受ける産業モデルです。

しかし、リニアモデルは1970年代後半から陰りを見せはじめます。情報網がだんだんと発達することで、わざわざ自分の会社で研究から商品化までの一貫した生産過程をつくらなくても済むようになってきたからです。

企業は、世界中の企業や大学とインターネットを使って連携すれば、必要な情報や技術や材料が手に入るようになりました。象徴的にも、インテル社は、自社の研究所を意図的につくりませんでした。創業者マイケル・ムーアは、雇った研究員を、現場の各部署に散らせたのです。

中央研究所が産業を支える時代が終焉をむかえるなかで、1980年代に入ると、欧米では、産業界が必要な情報や技術や材料を手に入れるために、企業だけでなく大学とも手を組むようになります。いわゆる産学連携です。

こうして、大学の知が、産業界で求められるようになりました。大学は、それまでは教育と研究の場でした。しかし、ここで新産業の創出という役割が加えられることになったのです。

1980年代に世界の産業構造が変わった要因は日本の存在があったともいわれます。この時期、日本の企業は「エコノミックアニマル」とよばれ、世界の市場に乗り出していきました。この危機に対応するために、欧米の産学連携が強くなったということです。

ところが、欧米が産学連携などで、より実用的な技術開発を目指すようになったのに対して、当時バブル経済まっさかりだった日本は世界の波に逆らうかのように「これからは基礎研究だ」を合言葉にしたのです。つづく。
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「15秒ルール」は「局面の競技」に不釣り合い


プロ野球で今年2009年、走者がいないときに投手が捕手から球を受けて15秒以内に投球しない場合、ボールが宣告される規則が加わりました。現場でプレイする選手からは「野球にならない」(日本ハム・ダルビッシュ投手)といった反対の声が多く上がっています。

この「15秒ルール」をめぐって、楽天の野村克也監督は、次のような発言をしています。

「そんなものをルールにするのはナンセンス。もともと野球は時間に制限のないスポーツ」

この発言は、野球という競技の本質を語ったものといえるでしょう。野球という球技は分類的にいうとかなり独立した競技です。

サッカーやラグビーのように、敵の陣地を踏み入れて、最終的にゴールをまでたどりつく「陣地型」と、テニスやバドミントンのように、仕切りごしに敵どうしが相対して、敵が球を拾えなくなるまで球を打ちあう「仕切型」のものがあります。

野球は、このどちらにも分類されません。敵・味方が表と裏で攻守を交代します。攻めるときは完全に攻めて、守るときは完全に守るわけです。「攻守交代型」といえます。

陣地型・仕切型・攻守交代型で、時間的な制限度が最も強いものが陣地型です。たとえばラグビーでは前半・後半40分という時間枠の中で闘います。この時間が過ぎると、敵も味方もなくなる“ノーサイド”になるわけです。

いっぽう、仕切型や攻守交代型は、本質的に時間制限がありません。仕切型のテニスであればサーバーが球を給仕したら、あとは決着がつくまで打ちあい続けます。攻守交代型の野球であれば、3アウトになるまで攻め側の攻撃は続きます。

陣地型は、時が流れていくなかで、いかに臨機応変に隊形をつくるかといった臨機応変さがつねに求められます。仕切型や攻守交代型も、プレー中は臨機応変さが求められますが、一旦プレーが決着すると、つぎに球を給仕するまで、プレーは行われません。陣地型が「流れの球技」だとすれば、仕切型や攻守交代型は「局面の競技」といえるでしょう。

仕切型と攻守交代型では、攻守交代型つまり野球のほうが、“局面度”は高いといえます。投げた球がストライクになった局面と、ボールになった局面でさえ、投手が次にどこに投げ込むか、また守備の位置をどうするか、さらに打者がバットを振るかどうかなどがかわってきます。

こうした「局面の競技」に、時間制限という要素を取り入れるのは合わないというのが、野村監督の言わんとするところではないでしょうか。
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書評『桜が創った「日本」』
「一気に書いてみた」ため編集者は「原稿を催促する手間はかからなかったのでは」と、著者は書いています。しかし、矢継ぎ早に書き上げた感じのない、読みごたえのある本です。

『桜が創った「日本」―ソメイヨシノ 起源への旅―』佐藤俊樹著 岩波新書 2005年 230ページ


「桜」は日本の代表する花だ。その桜と日本人の関係性を考えた本。著者は比較社会学や日本社会論を専門とする学者。エッセイスト赤坂真理さんの桜についての記事に触発され、自分も桜について書こうと思ったという。

研究者らしく(?)きっちりとした3章構成で、日本人と桜の関係論を展開している。

第1章「ソメイヨシノ革命」では、日本で見られる桜の木々の大多数派となったソメイヨシノについての生物学的特徴や、起源を語っている。

「染井吉野」(ソメイヨシノ)は、江戸時代の終わりごろ、大島桜と江戸彼岸という二つの桜を掛け合わせてつくられたものだ。ソメイヨシノの花粉とソメイヨシノの雌しべで受粉をさせても、種から次の世代は生まれない。人の手による接ぎ木や挿し木によって、染井吉野は全国に拡がっていったのである。

では、クローン植物であるソメイヨシノが、世の中に出はじめたころの植えられ方はどうだったのか。その後どのように日本中に拡がっていったのか。その答と若干の考察が示されているのが、第2章「起源への旅」だ。明治期から昭和期にかけての桜にまつわる多くの文献から、ソメイヨシノをめぐる“史実”に迫っている。

いまでこそ、東京ないし日本で咲く桜の種類をあげるとすれば、ソメイヨシノとなる(本当はヤマザクラも混ざっているらしい)。だが、誕生して間もないころのソメイヨシノは、当然、桜の中の“ワン・オブ・ゼム”だった。著者は、日清・日露戦争期に、戦争を記念するため造られた新しい公園などでソメイヨシノが植えられていったことが、全国拡大の一つの契機だったと考える。「伝統や由緒を持たない場所」に、由緒や伝統がなく、20年もあれば立派な樹に成長するソメイヨシノは似合っていたのだ。

この話からも見られるように、著者はソメイヨシノを「都合のよい花」と表現する。一斉に咲きほこる桜の光景は、ソメイヨシノが生まれる前から日本人が心に持ちつづけ歌や句にも「桜の美しさの理想(イデア)」として描かれていた。それを体言してくれたのもソメイヨシノだった。

そうした流れから、ソメイヨシノは、過去の日本の桜の風景をも作り替えてしまったそうだ。著者は述べる。
起源と終端。原点と現在。旧い桜ヤマザクラと新しい桜ソメイヨシノ。そこではあたかも起源が終端を、原点が現在を、旧い桜が新しい桜を創り出すように見えるが、本当は終端が「起源」を、現在が「原点」を、新しい桜が「旧い桜」を創りだしている。旧さが新しさを創るだけではない。新しさも「旧さ」を創る。
著者の考察が中心に語られるのが、第3章「創られる桜・創られる『日本』」だ。この章でも、近代日本においてソメイヨシノがいかに「都合のいい桜」かが語られる。記念公園の造園でソメイヨシノが拡がった戦前より、むしろ戦後の硬度経済成長期に、すぐに成長して街を一色に染めてくれるソメイヨシノの本領が発揮されたとする。
まるで引き裂かれ、傷だらけになった裸顔を厚い化粧で覆い隠すように。成長が速く、周りをぬりつぶす濃密な花をつけるこの桜の特性が最も活かされたのは、戦前の記念公園づくりよりも、戦後の列島改造かもしれない。
明治初期からわずか100年と少しの間で、日本中の土地と日本人の心に浸透していった。ソメイヨシノは著者がいうように、まさに「奇跡の花」なのかもしれない。植物の立場からすれば、人に愛でられ、接ぎ木・挿し木で広まっていったソメイヨシノは、自分で次世代をつくらない主としての生存戦略の成功例にもなる。

社会学的な立場から、ソメイヨシノという桜を客観的に見られるくらいの距離を保っている点が、桜を愛でながら日本の心を一席ぶつような「桜語り」とは一線を画すところ。何しろ、著者が好きな桜は、葉の緑色と花の白のコントラストが美しいオオシマザクラなのだそうだ。

『桜が創った「日本」』はこちらで。
http://www.amazon.co.jp/桜が創った「日本」―ソメイヨシノ-起源への旅-岩波新書-佐藤-俊樹/dp/4004309360/ref=sr_1_1?ie=UTF8&s=books&qid=1234369132&sr=1-1
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働く研究者


第一線で活躍する研究者に対する印象に「よく働く」というものがあるのではないでしょうか。朝も昼も夜も問わず、研究室をねぐらにして働いているような方もいるといいます。

労働基準法では、労働者が働く時間について「使用者は、労働者に、休憩時間を除き1週間について40時間を超えて、労働させてはならない」「使用者は、1週間の各日については、労働者に、休憩時間を除き1日について8時間を超えて、労働させてはならない」などと定めています。

もちろん、上の条文が定める範囲を1か月単位で守れば、「特定の日や週について1日及び1週間の法定労働時間を超えて労働させることができる」といったことも定められています。

しかし、明らかに朝、昼、晩もなく働きつづける研究者は、法律で定められた労働時間を超えるはずです。

ここで登場するのが「裁量労働制」という考え方です。会社などの「使用者」が、労働者の働く時間を把握しなくても、「あの研究者はこれだけの時間を働いている」と“みなす”ことができる制度です。もちろん、この“みなし”をするためには、労働者と使用者の間での協定が必要になりますが。

工場や食堂や運輸業などで働く方とちがって、研究者などは仕事のやり方が千差万別のため、「1週間40時間」とか「1日8時間」といったくくりではうまくいかない点も多くあります。そのため、「使用者が仕事の中身や仕事の時間を労働者に指示することがむずかしいので、労働者の判断によって働いてもらってください」と、厚生労働大臣が示した「専門業務型裁量労働制」が、研究者には当てられます。

ちなみに、他の専門業務型採用労働制に当てはまる業務には、情報処理システムの分析・設計、記事の取材・編集、デザイン、プロデュース・ディレクション、コピーライティング、公認会計、弁護、建築(1級)、不動産管理、弁理などが含まれていますj。

画期的な発明は、研究に没頭できる好奇心や、たゆまぬ努力が必要とされます。自分の研究が好きでたまらない方にとっては、労働形態のあり方などは二の次となる場合も多いことでしょう。

しかし、自分が好きだからといって働きすぎて、体を壊してしまっては、逆に研究は滞ってしまいかねません。研究は、自分自身への体調管理も問われる業務ともいえそうです。

参考ホームページ
全国求人情報協会「Q&A 働き方について」
http://www.zenkyukyo.or.jp/qa/04/04-01-02.html
労働基準法・労働基準監督署ガイド「労働時間」
http://www.e-roudou.net/jikan.htm
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「水と油」な関係を有効利用


よく、水と油は、“混じらない人どうし”のたとえに使われます。コップに水と油の両方を入れて、箸などでかきまわすと混じったように見えるものの、やがて水は下へ、油は上へとわかれてしまいます。

こうした、水などの一つの性質の物質と、油などのもう一つの性質の物質が、離ればなれになってしまう現象を「相分離」といいます。また、二つの物質をわけているは「界面」とも。

ナノテクノロジー・材料の分野では、この相分離の構造はよく使われます。たとえば、ある物質(溶質)と液体(溶媒)からなる溶液は、ふつうはどんどん物質が液体のなかに溶け込んでいきます。これは、溶液のなかの濃度が濃い部分と薄い部分が均されていくからです。

しかし、条件をいろいろと設定すると、なかには濃度の濃い部分と薄い部分がよりはっきりとわかれてしまうような溶液もあります。この溶液をつくっている物質と液体は、時が経つにつれて相分離していくことになります。

この相分離の性質は材料づくりに利用することができます。物質Aと液体Bを器のなかで相分離させてから、液体を取り除いてしまうと、スポンジのようにまばらに孔の空いた「多孔質」とよばれる材料ができます。この“新しい孔”に、今度は別の物質を入れれば、新しい機能を果たす材料になることもできます。

どの物質と、どの液体を組み合わせて、どのような条件にすると、どんな構造ができあがるかは、それこそ千差万別となります。いまは、コンピュータシミュレーションによって、たとえば液体が蒸発したあと、分子の薄い膜がどのような形になるかといった動きを観察することもできます。

相分離は、水と油だけの話ではないのですね。材料の分野では、この特徴を逆に利用して、機能的な材料をつくりだそうとしているのです。ひょっとすると、人間関係でも馬が合わない人どうしを逆に有効利用する場面があるのかもしれません。

参考ホームページ
山形大学工学部物質化学工学科
http://chemistry.yz.yamagata-u.ac.jp/labo/higuchi-labo.html
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「劣化」か「成熟」かは感情次第


たいていの“役に立つもの”は、いつか“役に立たなくなる”時を迎えます。本来の性能が、時の経過とともに失われていく現象は「劣化」とよばれています。

劣化の対象はさまざまです。ものが劣化してしまったかどうか判断するのは人です。なので、劣化の種類も、「見た目が悪くなる」「音質が落ちてくる」「味がしなくなる」「臭いが腐った感じになる」「肌触りがごわごわになる」といったように、五感に関わるものがあげられます。

劣化の具体的な種類としては、どのようなものがあるでしょうか。代表的な劣化の現象が「腐る」です。食物の香りや味などの性質が、細菌の働きで変化していたんだ場合、その状態を「腐る」といいます。ただし「腐る」のとおなじ現象でも、味に深みが増した場合は「発酵する」といいます。

化学的な変化をともなう劣化もあります。その代表的原因が酸化です。たとえば、見た目が悪くなる「黄ばみ」も劣化の一つ。物質に対して、熱や酵素などが働いて酸素と結合し、それにより色が変化することをいいます。

黄ばみも、たいていは「使い続けて古くなってしまったな」と、劣化の文脈に含まれます。しかし「汗で黄ばんだユニフォーム」といえば、それだけ選手は鍛錬をしたんだなということがわかります。劣化という言葉は、きわめて人間の主観に影響されるものといえそうです。
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知の三大哲人「形態は機能にしたがう」を語る――法則 古今東西(9)


「形態は機能にしたがう」という、経験則からくる言葉があります。モノの形やデザインは、そのモノがどのように使われるかによって左右される、といった意味です。

たとえば、印刷用紙などの紙の比率は「1:√2」のものが多いです。半分にたたんでも「√2:1」、また半分にたたんでも「1:√2」となります。この比率の紙を用意しておけば、なにかと便利なわけです。

この「形態は機能にしたがう」という経験則から、「機能美」とよばれる美しさが現れます。機能的にはたらくことを最優先で作られたモノには美しさがある、ということです。

機能的は機能することが第一に考えられた結果としてあるものだから、とうぜん無駄な飾りなどは排されることになります。

自然哲学や自然科学の歴史に刻まれる著名な人たちは、この無駄のなさについてのことばをいろいろと残しています。

アリストテレスは「自然は可能な最短距離を選ぶ」と言いました。いまでは、自然淘汰にも偶然による要素があるとされており、かならずしも正しいとはいえないかもしれません。しかし、地球や月などの天体の形が丸かったり、雁の群れがV字をつくって飛んだりする点には、アリストテレスの言葉が生きていることを感じられそうです。

アイザック・ニュートンは「自然の物事の原因としては、真実であり、かつ、それがどのように発言しているかを説明するのに十分である以上のものを認めるべきではない」と言っています。アリストテレスの上の言葉に通じるものがありますね。

アルバート・アインシュタインは「何事もできるかぎり単純化しなければならない」と言っています。アリストテレスやニュートンの自然に対する眼差しから発展して、アインシュタインは人の行いについても語っているようです。

しかし、アインシュタインはこうも言っています。「ただし、必要以上に単純化してはならない」。

無駄な飾りが多くても効率よくはたらかない。かといって必要以上に単純にしすぎでもやはりはたらかない――。機能美は、ちょうど均衡がとれるところにあるのかもしれません。人はそれを「ちょうどよい」とも表現します。ちょうどよさに美しさを見いだした、数学教育者の渡邉泰治さんは著書で次のように述べています。
感情のゆらぎは、それが大きくゆらぐとき、情熱、面白さ、異常さ、不愉快さなどの激情や動的感情を誘発し、それがほとんどゆらがないとき、安定感、安堵感、静寂さ、律儀さ、杓子定規などの性的静的感情を誘発する。すなわち「ちょうどよさ」からの不即不離が人間の心をゆり動かす。(化学同人『黄金比の謎』)
「美」に「機能」という言葉がつくという自体、「美」にはいろいろな種類があるということを示しています。「機能美」は、心を落ちつかせる種類の美しさといえるのかもしれません。

参考文献
ウイリアム・リドウェル、クリティナ・ホールデン、ジル・バルター『デザイン・ルール・インデックス』
渡邉泰治『黄金比の謎』
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問われる知識、問われる頭のやわらかさ。


マスクをした子どもと付き添いの親御さんが、電車や街なかで多く見られるようになりました。中学入学試験が山場をむかえています。

「男子御三家」といわれる、開成中学、麻布中学、武蔵中学、それに「女子御三家」といわれる、桜陰中学、女子学院中学、雙葉中学などの試験日は毎年2月1日。

ただし、今年のように女子学院中学は、2月1日が日曜日の年は試験日を翌日に移します。受験生と家族に、少なからず影響をあたえるかもしれません。しかし、小学6年生の中学受験は浪人がないためその年かぎり。日程的な戦略はあっても、やはり試験で最善を尽くせるかどうかが、中学入試の鍵となるのでしょう。

中学受験では、どのような問題が出題されるのか。昨年の理科の試験では、次のような時事問題が出されました。問題の一部を抜粋します(本郷中学2008年理科入学試験より)。
2007年8月16日、勢力の強い太平洋高気圧に覆われた東日本から西日本は、各地で気温が上昇し、岐阜県多治見市で14時20分、埼玉県熊谷市で14時42分に、観測史上最高の40.0℃を記録しました。これは1933年7月に山形市で観測した40.8℃を74年ぶりに更新しました。また、この日は埼玉県越谷市、群馬県館林市、岐阜県美濃市でも40℃以上を観測しました。

気象庁では、昨年から最高気温が35℃以上の日を「猛暑日」と呼ぶことを決めましたが、それをはるかに上回る気温となりました。
この文章の後に次のような問題が出されます。
一般的に高気圧に覆われると天気はよくなる傾向があります。その理由を次のア〜エから1つ選び、記号で答えなさい。

ア. 高気圧では空気が上昇しており、雲が発生しにくいため。
イ. 高気圧は1020hPa(ヘクトパスカル)よりも気圧が高く、雲が発生しにくいため。
ウ. 高気圧は、いつも低気圧に狭まれており、雲が発生しにくいため。
エ. 高気圧では空気が下降しており、雲が発生しにくいため。
高気圧の特徴を問うた問題です。「高気圧」とよばれるように、気圧が高い空気は、空気の密度が高いため、まわりの低い気圧の部分へと空気が流れていきます。そのため、高気圧の空気はまわりの低気圧の空気のほうに下降していきます。

上昇気流が起きると、空気が舞上がり冷やされます。空気が冷やされて飽和水蒸気量に達すると、水蒸気だった水野状態が液体へと変わります。液体状の細かい水滴が集まったものが雲です。つまり、低気圧では上昇気流が生まれて、水蒸気が飽和するため、雲ができやすくなります。

いっぽう、高気圧は、この低気圧と逆の現象が起きます。上昇気流の逆の下降気流が起きる場所では、雲はほとんど現れません。

というわけで、正解は(エ)となります。

(ア)は「空気が上昇しており」の部分が誤り。

(イ)は高気圧を「1030hPa」という絶対値で定義している点が誤り。まわりに比べて気圧が高い状態が高気圧であり、1020hPaという数字は関係ありません。

(ウ)は、正解選びとしては捨てがたいところです。高気圧は、まわりに比べて気圧が高いから「高気圧」なのであり、「低気圧に挟まれており」は、あながち真実から掛け離れているわけではありません。これに「いつも」という条件が加わっている点が、難点なのでしょう。(高)の印のすぐ脇に(高)の印が並んでいる天気図もたまに見かけます。

テレビやラジオの気象情報では、高気圧のときになぜ天気が世よくなるのか、といった疑問への説明はあまりされません。こうした問題は、やはり勉強により得られるある程度の知識が必要なのでしょう。

正解を導く理論さえしっかりとしていれば、頭のやわらかい小学生のほうが大人よりも飲み込みは早いかもしれません。
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「『一緒に食べる』の革命性」


日経ビジネスオンラインのコラム「多角的に『ストレス』を科学する」で、きょう(2009年2月5日)、京都大学教授で霊長類学者の山極寿一さんの取材記事「『一緒に食べる』の革命性」が掲載されています。執筆は尹雄大さん、撮影は佐藤類さん。

山極さんは、ゴリラやサルなどの霊長類を野外研究で観察することにより、彼らの生態とともに、そこから写し出される人間のコミュニケーション方法の“理由”を追い求めています。

霊長類や人に限らず、動物が生きていくためには“食”の確保が欠かせません。動物どうしの食べ物をめぐる争いは常にあります。

進化の歴史のなかで、争いがエスカレートしないための食のしくみを、霊長類は見いだしました。それは、勝ち組・負け組を順位化することにより、食べることに対する優先順位をつくるという方法です。強いものが先に食べ、弱いものが後から食べる。人の社会に照らし合わせると理不尽な感も出てきそうですが、別の場所に移動すれば植物にありつける環境では負け組も簡単に食物にありつくことができます。合理的な方法でした。

こうした霊長類から離れ、人は食に独自の意味を付けることになりました。食べ物に飾り付けをしたり、一緒に食べましょうと人を誘って食事をしたりするのは、人だけが行う行為です。人の社会で“食の公開”が行われるようになった理由を、山極さんはこう説明します。

1つの理由は、1日のうちに家庭から会社へ、会社から友人同士へといったように、組織を渡り歩く「集団遍歴」にあります。人間以外の霊長類は、1つの集団に加入すれば、その集団から出られず、いったん離れたら二度と元の集団に戻れません。しかし、人間は毎日異なる集団間を移動しています。これは人間だけが持っている特質です。

新参者が他の集団を訪ねるとき、食べ物を土産として持っていく習慣が昔からあります。迎える側としても一番都合がいいのは、一緒に食事をすることです。共に食べるだけで和むことができる。

文字どおり、“日常茶飯事”になっている人の食事は、栄養を摂取するという目的の他に、いろいろな組織で自分と他者の関係を円滑にするためのコミュニケーション手段でもあるようです。

“食”という行為を改めて考えることができます。「ストレスを『多角的』に科学する」の記事「『一緒に食べる』の革命性(前編)」は、こちら。
http://business.nikkeibp.co.jp/article/life/20090204/184970/
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「弘前劇場の30年」


東京・早稲田大学の演劇博物館で、きょう(2009年2月4日)まで、企画展「弘前劇場の30年」が行われていました。

弘前劇場は、青森県を拠点とする劇団です。名のとおり弘前市が発祥の地でした。1978年、監督・長谷川孝治さん、俳優・福士賢治さん、舞台監督・野村眞仁さんなどにより結成されました。それから30年、青森と東京を股にかけた公演を続けています。

館内では、代表作のひとつ「<FRAGMENT>あの川に遠い窓」の録画が上映されていました。一人の女性を同時に愛した二人の男が、生まれた息子の父親(福士賢治さん)として、そして、その子どもの教師(後藤伸也さん)として再会するといった物語です。二人だけの 日常会話的な掛け合いは、人間の機微が表現されています。

長谷川さんの自筆の脚本も展示されていました。
時間割表とは暴力そのものである。
小中高という学校教育の配列が、高校という曖昧な存在を許しているように、時間割表は配列ぶりによってすんなりと暴力を許容しているのだ。
地域の生活などに密着した劇を、その地域で行う「地域演劇」が弘前劇場のひとつの鍵の言葉となっています。劇団が意識的に試みているのが、あえて脚本の台詞を「共通語」にすること。脚本を渡された俳優が、みずからによって言葉を「生活言語」に変えます。

「俳優に作品の質的なものに責任を積極的に負わせることで『地域発の演劇』を」と、長谷川さんはねらいを寄せています。演劇の東京一極集中に対するアンチテーゼがそこにはあります。

2009年2月は5日(木)から8日(日)まで弘前市で、13日(金)から15日(日)まで東京で「アザミ」という劇が上演されます。

弘前劇場のホームページはこちら。
http://www.hirogeki.co.jp/index.html
| - | 23:59 | comments(0) | -
2次電池の主役交代―不況時代のクルマ革命(2)
1キロ1円の時代へ―不況時代のクルマ革命(1)

電気も石油も使って走るプリウスのようなハイブリッド車よりも、電気だけで走る電気自動車のほうが、環境にもやさしく、走るときのコストも安上がりです。しかし、まだ電気自動車は普及しているわけではありません。

その理由としてあげられるのが、まだ電気自動車にのせられる電池に、まだ不安がつきまとうからです。

電池は、使いすてで乾電池ともよばれる1次電池と、充電することのできる2次電池に大きくわかれます。電気自動車に1回使ったらおしまいの1次電池を使うのは、あまりにも無駄が多いため、やはり2次電池を使うことになります。

いろいろな2次電池の種類のなかで、もっとも歴史が長いのが鉛電池です。



乾電池の上側と下側に凸と凹の電極があるように、2次電池にも同じく正極と負極という二つの極があります。鉛電池はこの二つの極に鉛を使っています。

鉛電池は150年間も使われて来たという輝く歴史があります。自動車の電気系統のエネルギー源となっているのも、この鉛電池です。しかし、鉛電池は常に“重さ”が使い勝手のさまたげになってきました。鉛は鉄にくらべて1.46倍も重い物質です。

バッテリーに使われるくらいの重さであればまだしも、車を動かす動力源として使うとなると、車にかなりの負担をかけることになります。もし仮に、ハイブリッド車とおなじ性能を鉛電池で出すとすると、鉛電池の重さは800キログラムになるといいます。国産のガソリン乗用車の平均重量は1200キログラムほどです。電気自動車といえども、いかに鉛電池が重さの点で負担になるかがわかります。

いま、ハイブリッド車におもに使われている2次電池はニッケル水素電池という種類です。正極に水酸化ニッケルという物質を使っているためこうよばれます。ニッケル水素電池が出まわるまで使われていたニッケル・カドミウム充電池は、人の腎臓や骨に悪い影響をあたえるカドミウムが含まれいました。ニッケル水素電池はカドミウムを含まないため、環境面で安全です。

ニッケル水素電池は、ハイブリッド車のほか、パーソナルコンピュータや携帯電話の充電池としても使われてきました。しかしながら、より性能のよい電池が生まれれば、それまで使われてきた電池は淘汰されるものです。日本国内の出荷量は、2000年を頂点にして減っていきました。

では、ニッケル水素電池を脇に追いやった電池とはなにか。2次電池の主役に躍りでているのが、リチウムイオン電池です。つづく。
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関係ある。そうした中で、成りゆきが注目される。
雑誌記者や自由業の物書きのあいだでは、“便利だけれど多用は避けたい言い回し”というものがあるようです。

一般の読者にも知らているような有名な例が「今後の成りゆきが注目される」というもの。「ナリチュー」という縮めたかたちまであります。

最後の言葉としていいものが見つからず、あたりさわりなく終わらせるときに使われるとされます。「ナリチューは避けたい」という話が一般の読者にも届いているなかで、いまも雑誌やテレビなどではナリチューはたまに見られます。ということは、使い勝手がほんとうにいいということなのでしょう、きっと。

あまり一般の読者には知られていないものに、「そうした中で」があります。

たとえば、「不況で失業率は増えている。そうした中でこのところ目立つのは、タクシーの運転手をねらった強盗事件だ」といったもの。失業率の増加とタクシー強盗の増加には、ひょうっとすると関係があるかもしれませんが、その証拠や根拠が見つからない。そんなときに「そうした中で」が使われるようです。いかにも関係がありそうににおわせながらも、はっきりと関係あるとはさせない方法です。

「関係ある」といえば、「関係している」も、“便利だけれど多用は避けたい言い回し”です。とくに科学の分野では遺伝子を扱った雑誌記事などによく見られます。

「新しく発見された遺伝子は、ヒトの眠りの深さに関係しているらしいことがわかった」などといった使われ方をします。ヒトの眠りの深さにどのように関係しているのか、深い眠りの引き金となるのか、深い眠りにもっと深く関わるのか、あるいは深い眠りを阻害するのか。それは文からはわかりません。でも「関係している」ことはまちがいないようです。

「風が吹けば桶屋が儲かる」式でいえば、「首相の言いまちがえは、松井のけがが関係している」とか、「部長のギャグが寒いのは、温暖化が関係している」とか、いろいろといえてしまいそうです。
| - | 23:59 | comments(0) | -
1キロ1円の時代へ―不況時代のクルマ革命(1)
不況の影響をもろに受けている業種の一つが自動車製造業です。しかし、どの車企業も、車が売れない時代をせめて何かの好機にしようとしているようです。

復活の突破口として、どの車企業も力を入れているのがハイブリッド車や電気自動車の開発です。

ハイブリッド車は、電気を動力源とするモーターと、石油を動力源とするエンジンの両方を兼ね備えた車。世界でもっとも有名な車種が、トヨタのプリウスでしょう。1997年の地球温暖化防止京都会議のときに「21世紀に間にあいました」という謳い文句のもとお目見え。2008年4月末までに世界で100万台が売れました。


プリウス

いっぽう、電気自動車は、名前のとおり電気のみで走る車です。いままでの石油を使って走る車が出す二酸化炭素や排気ガスなどとは無縁です。石油も使って走るハイブリッド車に比べて、やはり環境によいとされます。

もちろん、電気自動車の原動力となる電気は、石油を使う火力発電が大きな供給源となっています。「電気自動車を使っているので二酸化炭素はいっさい出しません」という話には飛躍があります。しかし、石油を燃やして走る車よりも、電気自動車のほうがはるかに環境への負担は軽く、また二酸化炭素排出も抑えられるとされます。

また、価格が不安定な石油にくらべれば、電気料金は比較的安定しています。さらに、電気伊自動車のほうが燃料費も安上がりで済むといわれています。

電線から家や企業に届く電気は、常に供給されつづけなければならないため、あまり電気が使われていない深夜の時間帯は、電気料金は安くなっています。この「深夜料金」の時間帯に電気自動車を充電すれば、1キロ走るためのエネルギー費用は1円ぐらいといいます。

単純計算では、東京から名古屋までおよそ300円、名古屋から大阪まで200円しか移動で使うエネルギーは掛かりません。もちろん、車を最初に買うときの値段は計算に含まれていませんが。

燃費という点で優れているトヨタのプリウスは、1リットルのガソリンで35.5キロを走るとされます。いまガソリン代は1リットル120円ほど。よって、1キロ走るのに約3.4円掛かります。

移動距離あたりにかかる値段という点では、明らかに電気自動車に軍配が上がります。

環境にもよいし、移動費も安い電気自動車。いいことづくめですが、まだ街で走る姿はめったに見掛けません。技術的な課題がまだまだ多く、客が満足するには至っていないからです。つづく。

不況によりむしろ進むともいわれる環境を意識した自動車の開発について、不定期で連載します。
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