科学技術のアネクドート

つぐ


老舗のうなぎ屋や焼鳥屋には、長年つぎたしている秘伝のたれを、店の売りとしているところがあります。

つぎたしの意味はどこにあるのでしょう。いまも器のなかに残る創業時のたれをお客さんに提供すること、というわけではありますまい。

1000ccのたれの器があるとします。毎日100ccのたれが使われ、100ccのたれがつぎたされるとします。日々10分の1のたれは入れ替わることになります。

創業日の翌日、創業時のたれは1000cc×0.9で900ccになります。翌々日には、900cc×0.9で810ccになります。1か月後には、器に残っている創業日のたれは42cc。1年後には計算上、0.00000000000000002ccとなります。つぎたしが何十年も続けば、お客さんが創業時のたれを口にする機会は、天文学的に小さい確率になります。

「秘伝のたれをつぎたしています」ということを宣伝材料にするというのが目的でなければ、「創業者がつくったたれを心だけでも受け継ごう」ということが、つぎたしの本分になるでしょうか。

そもそも日本人は、継ぐことが好きなのかもしれません。正月に行われる大学駅伝は、国民的行事のひとつになっています。中でも、たすきがつがれる中継所からの実況中継は、首位から最下位の大学まですべて完了するまで行われます。実況担当も「部員のすべての思いが染み込んだたすきが、いま最終走者に引きつがれました」などと、熱をこめて話します。

つぐしくみをつくりだして、それを売りにしている番組もあります。最たる例はフジテレビの「笑っていいとも」です。司会の森田一義と客人が会話する「テレホンショッキング」では、その日の客人が翌日の客人を紹介しつづけることで続いています。「友達の友達はみな友達だ。世界に広げよう友達の輪」という謳い文句もこの番組から生まれました。

また、同じフジテレビの朝の報道番組「めざましテレビ」でも昨2008年、「めざましフラワーロード」という企画を行いました。日本を沖縄から北海道まで、何人もの参加者が1台の自転車を乗りついで、花の種を届けるという企画です。この企画を中心に、番組そのものの主題も「つながり」にしていました。

“つぐ”という行為への情熱がとりわけ日本人に高いのかどうかは、深い調査が必要かもしれません。でも、もし日本人が他の国の人々に比べてつぐことが好きであるとしたら、要因はどこにあるのでしょうか。

可能性として考えられるのは、国そのものが外国に植民地化されることもなく、日本の為政者によってつがれていったということがあるのかもしれません。これを検証するには、植民地支配をうけるなどして、自国の人物や朝廷による統治が分断された国、例えば中国などと比較することでしょう。

そもそも、人は先祖代々からのDNAを受けついでわけです。本質的に“つぐ”という行為の大切さが染み付いているのかもしれません。
| - | 23:59 | comments(0) | -
「現時確認」の味わい
情報があふれる現代、旅の楽しみは「現地で確認すること」といいます。

小説などを読んで、話の舞台となる地域に思いを馳せてから、旅で実際にその舞台を訪れ「ああ、小説に書かれてあった橋はここか」などと味わうわけです。「行ってみないと分からない」旅というのも、趣きがあるかもしれませんが、「現地確認」の旅もまた多くの人が味わっていることでしょう。

この「現地確認」は、行こうとする場所の情報を仕入れておいて現地で確認するといった、地理的な要素が強いもの。いっぽう、似たようなものごとの味わい方として時間の要素が強い「現時確認」もあります。

月刊誌の「連載」は、物書きにとって、記事が載る1、2か月前には原稿をつくっておく必要があります。その後の編集作業や印刷作業があるためです。よって、3月号の記事を1月に、4月号の記事を2月に書いたりも。

書く内容が季節柄の話が多く、季節を1、2か月ほど先取りして書くことになるわけです。書くときには取材や調べものをします。そこには、知りえなかった発見があり、再認識させられる見聞があるわけです。

そうした情報を仕入れたうえで、原稿を書いた2か月後に、実際その季節が巡ってきます。

「取材であの専門家が説いていた気象現象はこのことだったのか」「あの記事で紹介した短歌にあるような季節になってきたな」

このように、原稿を書いている時と、実際の季節が訪れた時の時間の間隔のおかげ、実際に季節が訪れたときに「ああ、これがそれか」と味わえるわけです。連載執筆者のなかには「時間的ずれで味わえる季節感こそが書く楽しみ」と考えている人もいるようです。

もちろん、物書きでなくても、この「現時確認」で楽しむことはできます。実際の季節が巡ってくるよりもまえに、季節についての本を読んだり、友人や夫婦で話しあったりすればいいわけです。

いまの時期でいえば、春一番、梅、桃、桜、などの春の話あたりは狙い目かもしれません。
| - | 23:59 | comments(0) | -
「『あの人にまかせていいのか』の答は案外正しい」


日経ビジネスオンラインのコラム「多角的に『ストレス』を科学する」で、きょう(2009年1月29日)、「『あの人にまかせていいのか』の答は案外正しい」という記事が載っています。帝塚山大学・中谷内一也さんのインタビューです。取材を連結社としました。執筆は尹さん、写真は佐藤類さん。

中谷内さんは、人々が“リスク”をどう受けとめるかなどを研究する「リスク心理学」の専門家。『安全。でも、安心できない…』などの著書があります。

世の中で「リスク」という言葉が出まわるほど、人々は数字ではかれるリスクの度合いはそれほど重視せず、むしろ心が反応する別の尺度の影響を受けているようです。その例として、中谷内さんは、おなじ人が、おなじことに対して「成功率20%」と「失敗率80%」と言われるのでは受けとめ方が異なるといった逸話を紹介しています。

人が数字ではかれるリスクより重視するものの一つは「任せる人に信頼感があるかどうか」といったこと。人は、すべてのことを自分でできるわけではありませんから、誰かに自分へのリスクを委ねることになります。原子力発電の安全性を自分たちで確保できないので、電力会社に事故が起きないように管理を委ねるといったことです。

そのとき、市民などの“託す側”の人たちは、そのリスクを「誰が取り扱っているか」にとりわけ関心を払うといいます。「あの人だったら安心できる」と思える人か、「あの人にまかせていいのか」と思える人かということです。

そして、その結果、同じことが起きても、まかせた人への信頼度の高さによって託す側の人たちの反応が異なってくるとも。つまり「あの人だったら安心できる」と思える人に託した結果、失敗が起きたとしても「あの人にまかせてこうなったのだからしかたがない」と人々が思うわけです。いっぽう「あの人にまかせていいのか」とつい思ってしまう人に託した結果、失敗が起きると「だからいったじゃないか」と人々は思うわけです。

中谷内さんの話は、人々が安心を得るための信頼獲得をめぐる、理想ではなく現実の話が多く載っています。人に自分のリスクを託す方も、人のリスクを預かる方も、記事はこちらです。

「多角的に『ストレス』を科学する」「『あの人にまかせていいのか』の答は案外正しい 中谷内一也さん(前編)」
http://business.nikkeibp.co.jp/article/life/20090121/183407/
「『安全』と『安心』の溝はどこから生まれる? 中谷内一也さん(後編)」
http://business.nikkeibp.co.jp/article/life/20090121/183375/
| - | 13:47 | comments(0) | -
「なんのグラフか」問題
入学試験の季節となりました。

試験を受けるみなさんはあまり考える余裕もないかもしれませんが、問題をいかにつくるかという点は学校側の腕の見せ所でしょう。

中学受験の社会科の入試では、よく「これはなんのグラフか答なさい」といった問題が出されます。

年ごとのグラフの値の移り変わりを示すことで、その時代に何があったかといった背景的な知識が問われます。極端にその年だけグラフが伸びていたり落ち込んでいたりといった特徴もあると、類推の足がかりにもなりますね。「なんのグラフか」問題は、グラフの選び方によっては、“良問”になる潜在力がありそうです。

こんなグラフはいかがでしょうか。



あるものの1人あたりの消費量を示したものです。横軸は年齢階層。つまり、右に行くほど齢が上がっていきます。縦軸は1か月分の消費量(グラム)です。

5歳から10歳の階層で低かった値が、20歳代で頂点となり、高齢者層ではまたあまり消費されなくなっています。

グラフは経時変化も示しています。だいたいの年齢階層において、消費量は1982年が多く、2006年に近づくにつれ減っていきます。しかし60歳以上の高齢者では逆に、最近のほうが消費量は上がっているもよう。

このグラフが示しているものは「ピーマンの消費量」です(反転させると答がわかります)。

子どものうちは、食べる量そのものが少ないという理由もあるでしょうが、やはり小学生のうちの「ピーマンぎらい」はあるようです。食べ盛りの10歳代後半でも、まだその名残はありますね。

いっぽう、同じ野菜の消費量でも、こちらのグラフは少しちがう線の描かれ方です。



10歳前後ではまずまず人気がありますが、20歳台には敬遠され気味。でも、高齢者になるほど消費量が増えます。経時変化を見ると、このところ消費量はかなり落ち込んでいるもよう。

このグラフが示しているのは「さつまいもの消費量」です(反転させると答がわかります)。

甘い食材のために、子どもとお年寄りに人気があるのかもしれません。65歳以上は、戦中戦後の食糧難時代に主食の一つとしてさつまいもを食べていた世代でもあります。ご高齢者が昔の味を懐しんでよく食べるといった要因もあるのでしょうか。

「書くことは最大のインプット」といわれるように、「問題づくりは最良の解答練習」になるかもしれません。「すべてのことをやりつくしたぞ」と、余裕しゃくしゃくの受験生のみなさんは、受験までの残された日、入試問題をつくってみるのも手かもしれません。

参考資料
農畜産産業振興機構「生鮮野菜の家庭内消費量変化 第2回野菜需給・価格情報委員会資料」
http://www.vegenet.jp/3-5.pdf
| - | 23:59 | comments(0) | -
優秀な科学技術の本、記事、映像などなど、募集中。


科学技術についての映像や記事などを、世の中に知らせるための機会はいろいろとあります。賞や祭への出品もそのひとつでしょう。

日本科学技術ジャーナリスト会議は、「科学ジャーナリスト賞2009」の候補作品を募集中。「科学技術に関する報道や出版、映像などで優れた成果をあげた人を表彰」するもので、2008年4月から2009年3月までに発表された、新聞、テレビ、ラジオ、雑誌、出版物などの作品を受賞対象の成果物としています。

今回が第4回目。これまでの大賞受賞者は、2006年の第1回が毎日新聞科学環境部記者の元村有希子さん、第2回がNHKディレクターの村松秀さん、第3回が医科学ジャーナリストの宮田親平さんです。

かなり大きな所属先の方、あるいは名前が著名な方が受賞していますが、地方の新聞社で記事を出し続けたり、地方の大学で雑誌を発行し続けたりといった、地道な活動に対しても賞が贈られるなどしています。自薦・他薦は問いません。応募締切は2009年2月28日まで。3月以降に発表された作品は3月末日まで受けつています。

日本科学技術ジャーナリスト会議の科学ジャーナリスト賞2009候補募集のお知らせはこちら。
http://jastj.jp/?p=116

いっぽう、日本科学技術振興財団、映像文化製作者連盟、つくば科学万博記念財団が主催する「科学技術映像祭」は今年2009年で50回の伝統を誇ります。

優秀な映像作品を選定・表彰します。2008年2月1日から2009年1月31日までに完成または放映した作品が対象。科学教育部門、基礎研究部門、科学技術部門、医学部門、ポピュラーサイエンス部門、マルチメディア部門の各分野に分かれています。

参加申し込みしめきりは2009年1月30日(必着)。入選発表は3月中旬、表彰式は4月17日(金)に行われる予定です。

科学技術映像祭のホームページはこちら。
http://ppd.jsf.or.jp/filmfest/
| - | 23:59 | comments(0) | -
ソメイヨシノと何々銀座

写真素材カシャ http://www.kakaso.com/photo/

桜の代表的な種類「ソメイヨシノ」と、全国に点在する商店街の「何々銀座」には、共通点があるといいます。

ソメイヨシノは江戸時代末期、江戸の染井という植木づくりのさかんな地区で職人が誕生させたといわれています。伊豆大島の大島桜と、江戸に咲く江戸彼岸という桜を掛け合わせたもの。

この明治時代のある時期までソメイヨシノにはそれらしい名前はついていませんでした。当時、上野の山はすでに桜の名所となっていましたが、植えられていたおもな木は吉野桜とよばれる山桜だったそうです。

そんな吉野桜で染まっていた上野の山に、ソメイヨシノが植えられることになりました。いまもある精養軒という食堂の目の前です。

「花の色が珍しい桜があるな」。そう気づいたのが、上野公園の博物局につとめていた藤野寄名という植物学者でした。藤野は、上野の桜の種類を調査中だったのです。

藤野は上野公園の木の手入職人にこの珍しい桜について尋ねたところ「染井あたりより来る」とのこと。藤野は、この桜にも「吉野」の名前を付けることにしましたが、ただの「吉野」だと吉野桜と区別がつきません。そこで(東京内の)「染井」産の「吉野」桜ということで「染井吉野」つまり「ソメイヨシノ」と名づけたのです。

吉野桜と、染井吉野の親である大島桜・江戸彼岸とは、桜の種類としてはまったく別のものです。にもかかわらず「染井吉野」の名がついたのは、当時、吉野桜には相当なブランド力があったからとされます。

ひるがえって、全国各地にある「何々銀座」は、東京・中央区の「銀座」に、地元の地域名を冠したもの。私鉄の駅名にもなりすっかり名前として定着している「戸越銀座」はその走りです。戸越銀座は、関東大震災後、銀座のかわらをここに埋め立てたことからその名が付いたとされます。この命名をきっかけに、「うちの街にも『銀座』を」ということで、「千葉銀座」「逗子銀座」「相模大野銀座」のように「何々銀座」が広まっていきました。

染井吉野も何々銀座もブランド力のある名前に、別のゆかりある地域名を冠したのですね。ただ、染井吉野は一般的に片仮名表記されるため、なかなか二つの地名から来ているとは気付きづらいようです。

ちなみに、偶然ながら、染井吉井が生まれた豊島区染井にも「染井銀座」があります。

参考文献
佐藤俊樹『桜が創った「日本」』
| - | 23:59 | comments(0) | -
宮本拓海さん、東京23区タヌキ目撃情報334件を報告


動物ジャーナリストの宮本拓海さんがこのたび、東京23区のタヌキの
目撃情報についての新しい報告書をつくりました。

宮本さんは、数年前から東京に暮らす野生のタヌキの実態を追い求めています。宮本さんの活動に触発を受けたらしいNHKが「ダーウィンが来た!」で東京のタヌキの暮らしぶりを紹介する番組を放送するなどもしました。路面電車の脇を歩くタヌキの様子などが映し出されました。また宮本さん自身も『タヌキたちのびっくり東京生活』という著書を出しています。

今回の宮本さんの報告は、2006年から2008年にかけて寄せられた「タヌキをこんなところで見ました」といった目撃情報をまとめたもの。情報の数は334件にもなります。宮本さん本人や、仲間のプロナチュラリスト佐々木洋さんたちが目撃したものも数十件ありますが、多くは宮本さんがホームページで呼び掛けをしたところ集まった市民からの情報です。

東京23区別の情報件数は、とくに23区在住の方にとっては気になるところでしょう。宮本さんの報告では次のような件数になりました。

 練馬区  55件
 板橋区  53件
 杉並区  42件
 文京区  30件
 世田谷区 30件
 中野区  28件
 新宿区  25件
 北区   16件
 豊島区  13件
 足立区  11件
 渋谷区  10件
 千代田区 9件
(以下、港区、目黒区、大田区、葛飾区が2件、台東区、江東区、荒川区、江戸川区が1件、中央区、墨田区、品川区は0件)

こうした区別の情報の他に、2キロ×2キロの地域で区切ったメッシュ地図も報告の目玉になっています。

それぞれの区での目撃情報に対する解説が興味深いところ。たとえば渋谷区で10件の情報が寄せられた点に「意外と多いものだ」と驚く方も多いかもしれません。

宮本さんは「渋谷区での目撃は山手通りの西側に集中している。目撃情報が極めて少ないが、明治神宮、新宿御苑(南側が渋谷区)にもタヌキが生息しているのは確実である」とコメントしています。山手通りの西側といえば、東京大学駒場キャンパスや駒場公園などに広い緑地があります。

また、23区でもど真ん中の千代田区も9件の情報が寄せられました。宮本さんは「目撃の多くは皇居とその周辺のものだが、永田町などでも目撃されている」としています。永田町の周辺には国会議事堂前の緑地や、日枝神社などにわずかな緑があります。国会議事堂ないを歩く政治家の姿をしたタヌキではありますまい。

宮本さんの活動や放送局の番組などにより、東京にタヌキが棲息していることは徐々に知られるようになってきました。しかし、まだまだこの話をすると驚く方も多いことでしょう。東京にも緑地や寺社仏閣などの緑があること、それにタヌキの生存力は意外なほど強いことが大きな要因なのでしょう。

最後に、「東京タヌキたちの平穏な生活が続くことを祈りたい」の一言で報告は締めくくられています。

動物ジャーナリスト宮本拓海さんの報告「東京都23区内のタヌキの目撃分布(2009年1月版)」はこちら。
http://tokyotanuki.jp/tanuki0901.htm
同時に、「東京都23区内のハクビシンおよびアライグマの目撃分布(2009年1月版)」も発表しています。こちら。
http://tokyotanuki.jp/tanuki0901b.htm
| - | 23:59 | comments(1) | -
世界的競争に拍車も――オバマの科学技術政策(4)


米国のバラク・オバマ新大統領が選挙戦で掲げた「米国の未来に対する投資」(Investing in America's Future)の内容を見てきました。

科学技術政策として示された「科学政策の再構築」「研究開発投資の拡充」「理系教育の強化」「民間イノベーションの促進」「科学技術による新たな課題の解決」の五本柱は、米国で以前に民間機関が発表した二つの報告書との類似点があると指摘されています。

一つ目は「パルミザーノ報告」とよばれるもの。2003年10月、米国競争力評議会の組織「国家イノベーションイニシアチブ」が米国の将来のあるべき姿を検討し、報告書を作りました。議長がIBM社のサミュエル・パルミザーノ氏だったため「パルミザーノ報告」とよばれています。

同報告は、イノベーションが米国の21世紀の成功を決めると断言しています。理系人材を海外からも取り入れるといった人材面、基礎研究を重視した投資面、製造業や医療での基盤強化を強調した社会基盤面に区分しました。各要素は、オバマ氏の「米国の未来に対する投資」でも見られるものが多いとされます。

パルザミーノ報告よりも似た要素を多く含むとされるのが、「オーガスティン報告」です。「21世紀のグローバル経済における繁栄に関する委員会」が調査したもので、委員長の元ロッキード・マーチン社会長ノーマン・R・オーガスティンの名からオーガスティン報告とよばれています。

同報告では、理系教育を強化すること、基礎研究を重視すること、理系大学教育を人材面などで強化すること、社会基盤を整備することといった重要性が指摘されています。基礎研究重視や、社会基盤面のブロードバンドの活用などなどは、オバマ氏の方針でも見られます。

科学技術関連の国立機関への予算額を10年で倍増させる方針などを見ると、ブッシュ政権時の科学技術政策の停滞ぶりから、クリントン政権時の積極姿勢に再び米国政権は舵を切ったといえるかもしれません。

科学技術分野での世界競争で特許を抑えたり、優秀な人材を確保したりして優位に立つことは、国の利益を上げるためにも重要なことです。

不況に対する経済政策に直面するなかで、どれほど科学技術政策にも「変革」のために力を注げるか。オバマ新大統領の今後の姿勢によっては、日本を含めた世界では、科学技術の研究面だけでなく政策面での競争にもさらに拍車がかかっていきそうです。了。

参考資料
科学技術振興機構「オバマ次期大統領の科学技術・イノベーション政策」
http://www8.cao.go.jp/cstp/budget/h21gaisan_press.pdf
文部科学省『平成20年度科学技術白書』
http://www.mext.go.jp/b_menu/hakusho/html/hpaa200801/08060518/010.htm
| - | 23:59 | comments(0) | -
エネルギー、医療、安全、製造、情報、交通、宇宙、農業が重点分野――オバマの科学技術政策(3)


昨2008年の米国大統領選挙戦で、後に大統領となるバラク・オバマ氏と副大統領となるジョゼフ・バイデンが、政権を握ったときの科学政策の方針を示した「米国の未来に対する投資」(Investing in America's Future)を発表しました。この政策提言には、きのうの記事で紹介した「科学政策の再構築」「研究開発投資の拡充」のほかに、「理系教育の強化」「民間イノベーションの促進」「科学技術による新たな課題の解決」といった柱も盛り込まれています。

「理系教育の強化」。米国では、ここ数年は理系教科への学力低下が問題視されているといいます。政策提言では、初等中等教育と高等教育に対する方策が書かれてあります。

初等中等教育で特徴的な点は、テレビなどのメディアや、インターネットを活用して、若者などの国民と科学的発見との間の媒体を設立するという点です。米国には、ディスカバリーチャンネルなどの、有名な科学番組専門テレビ局があります。また、オバマ大統領は就任演説でも「デジタル通信網をつくり、我々の結びつきを強めなければならない」と発言しています。

高等教育では、年間100時間以上の公共奉仕をした学生に4000ドルの進学支援金を与えたり、国立科学財団の大学院生奨学金の額を3倍に増やすといったような、学生への手厚い金銭的支援を打ち出しています。

つぎに、「民間イノベーションの促進」です。オバマ氏は「政府や基礎研究や人材育成を担う。民間は開発を主導してほしい」といった立場をとっていると見られます。民間がイノベーションを起こしやすくするよう、連邦政府が環境整備をするといった姿勢です。ベンチャーや中小企業への優遇策として、株式を発行したときの所得にかかる税金を控除するといった方策があります。また、民間によるイノベーションのためにも、次世代ブロードバンドを全米じゅうに張り巡らせることが方策としてあげられています。これは、情報通信関連団体が、オバマ陣営に働きかけたのではという推測があります。

柱の最後は「科学技術による新規課題の解決」です。オバマ氏は、取り組むべき重点分野として具体的に、クリーンエネルギー、医療、国土安全問題、製造技術、情報技術、交通、宇宙、農業の8項目をあげています。

とりわけ、前ブッシュ政権からの変革を打ち出しているのは、クリーンエネルギーの分野でしょう。研究開発のための投資額を倍増し、10年間で1500億ドルを投じる予定です。また、日本とのiPS細胞研究競争などを含む、医療分野での研究開発にも力を入れます。国立衛生研究所の予算を10年間で倍増することを掲げています。つづく。

「米国の未来に対する投資」(Investing in America's Future)はこちらでご覧いただけます(英文)。
http://www.barackobama.com/pdf/issues/FactSheetScience.pdf

参考資料
科学技術振興機構「オバマ次期大統領の科学技術・イノベーション政策」
http://www8.cao.go.jp/cstp/budget/h21gaisan_press.pdf
| - | 23:59 | comments(0) | -
10年で科学研究予算を倍増――オバマの科学技術政策(2)


米国のバラク・オバマ新大統領は、1月末に米国の現状に対する見解と政治課題を米国民に説明する「一般教書演説」を、2月中に予算方針を説明する「予算教書演説」を行う予定です。それまでは、科学技術政策を含めた新政権の方針は、過去の発言や発表から考えるのが得策のようです。

米国のバラク・オバマ新大統領と、ジョゼフ・バイデン新副大統領は、昨2008年の大統領選挙戦中に、政権を握ったときの科学政策の方針を示した「米国の未来に対する投資」(Investing in America's Future)を発表しました。

この政策提言では、科学技術政策を推し進めようと、おもに5本の柱を打ち立てています。「科学政策の再構築」「研究開発投資の拡充」「理系教育の強化」「民間イノベーションの促進」「科学技術による新たな課題の解決」です。

それぞれの方針はどういったものでしょうか。

まず、「科学政策の再構築」は、政権で科学政策を担当する人事や、意思決定のしかたを示したものです。科学技術担当大統領補佐官という役職を設けることが書かれてあり、実際、昨2008年12月には、すでにハーバード大学のジョン・ホルドレン教授を任命することを発表しました。ホルドレン教授は、アルベルト・アインシュタインのよびかけで1957年にはじまった、科学者による核兵器廃絶のための「パグウォッシュ会議」の代表人でもありました。

また、科学技術担当とは別に、地球温暖化とエネルギー問題の担当補佐官があり、元環境保護局長官キャロル・ブラウナー氏が担当します。

ホルドレン氏やブラウナー氏の起用に見られるように、オバマ新政権は、科学技術分野に長けている人材を要職に任命し、科学的な根拠に基づいた意思決定を使用とする構えです。

意思決定のしかたという点では、政府が資金を投じる研究に対する評価のあり方を明確化するといった方針もあります。本来、科学の成果とは中立性が保たれるべきものとされています。しかし、科学が政治的に利用されるといった問題もこれまでの歴史のなかでは起きてきました。そこでオバマ氏は、研究結果が政策決定者に都合よく解釈されることのないよう、ガイドラインをつくる方針を掲げました。

次に、「研究開発投資の拡充」は、新政権が科学技術研究への予算の方針を示したものです。

科学の領域は、物理や化学といった分野とは別に、その研究は基礎的か応用的かといった位置づけでも区分けされることがあります。オバマ氏は、基礎研究はあらゆる分野の進展を推し進める可能性があるため、重点的にお金をつぎ込むという方針を出しています。

実際のどの程度の予算の増減があるのでしょうか。米国政府の科学研究予算の配分先は、おもに国立衛生研究所、国立科学財団、エネルギー省科学局、国立標準技術研究所といった機関です。「米国の未来に対する投資」では、10年間でこれら機関に投じる予算を倍増させるという方針を打ち出しています。

研究予算を増額させた分は、若手研究者への支援や、エネルギー、医療、気候変動、国土安全保障、情報技術、製造技術などの分野の充実に当てられる見込みです。

2009年度の連邦政府の科学技術分野への予算は、非軍事目的が約600億ドル(約5兆4000億円)、軍事目的が約850億ドル(約7兆6500億円)となっています。いっぽう日本の2009年度の科学技術関連の予算は全体で約3兆5500億円。財政難でありながらも緊縮財政でありながら、前年2008年度並みとなっています。しかし、「科学技術研究費を10年で倍増」といった方針を明確に打ち出すような政府ではありません。

次回は、「米国の未来に対する投資」より、「教育」「民間イノベーション」「新規課題」といった点でのオバマ氏の政策方針を見ていきます。つづく。

「米国の未来に対する投資」(Investing in America's Future)はこちらでご覧いただけます(英文)。
http://www.barackobama.com/pdf/issues/FactSheetScience.pdf

参考資料
科学技術振興機構「オバマ次期大統領の科学技術・イノベーション政策」
http://www8.cao.go.jp/cstp/budget/h21gaisan_press.pdf
内閣府「平成21年度科学技術関係予算概算要求の概要の公表について」
http://www8.cao.go.jp/cstp/budget/h21gaisan_press.pdf
| - | 23:59 | comments(0) | -
科学を本来あるべき場所に引き戻す――オバマの科学技術政策(1)


米国のバラク・オバマ新大統領が(2009年1月)20日、就任演説を行いました。200万人が、就任式に立ち会うために首都ワシントンに詰めかけました。長くて暗かったブッシュ前政権時代から解き放たれた“リバウンド”の現れかもしれません。

就任演説は、大統領選挙戦で語られた“夢を掲げる話”から、不況や戦争を見据えて“国民と現実を分かち合うための話”へ移行しました。

いっぽう、新大統領は、科学技術政策に対して、現実を踏まえながらも未来に対する視野を語りました。
我々は道路や橋、電線やデジタル通信網をつくり、我々の商業を支え、我々の結びつきを強めなければならない。我々は科学を本来あるべき場所に引き戻し、技術を活用し医療の質を引き上げると共にコストを下げる。

太陽、風や土壌を使って我々の自動車の燃料とし、工場を動かす。我々の学校や単科大、大学を新たな時代の要請にあわせるようにする。これらすべてが我々には可能だ。これらすべてを我々は実行するのだ。(毎日新聞より)
わずか30秒ほどの短い時間でしたが、オバマ大統領は情報技術、医療、環境・エネルギー対策、大学教育といった多分野への視野を示しました。

環境分野では、エネルギー効率を上げるための投資と、その労働力のための雇用創出を目的にした政策「グリーン・ニューディール」がよくとりあげられています。いっぽう、それ以外の科学技術分野は、さほど話題にのぼることはないようです。

オバマ大統領は、「変革」(チェンジ)をひとつのスローガンに掲げています。就任演説の「科学を本来あるべき場所に引き戻す」という言葉からも、「現状は本来の場所」にはないという認識が見てとれます。科学技術の分野ではどのような変革があるのでしょうか。

米国新政権の科学技術分野に対する主要な政策がわかるのが、大統領選挙中の2008年9月にオバマ氏と、副大統領となったジョゼフ・バイデン氏が掲げた「米国の未来に対する投資」(Investing in America's Future)です。つづく。
| - | 23:59 | comments(0) | -
「許されない失敗」と「許される失敗」


学校の先生が読者対象の科学技術振興機構の科学雑誌『サイエンスウィンドウ』(2009年)2月号は、「失敗に学ぶ知恵」という特集を組んでいます。「失敗に学ぶことが成功へのカギ」として、失敗という事象に積極的に向きあおうと提案しています。

「失敗を見つめ、伝え合う社会へ」という記事では、工学院大学教授の畑村洋太郎さんが、みずから創始した「失敗学」を語っています。畑村さんに取材をしました。

畑村さんは「失敗は起こるものだととらえ、起きてしまった失敗を生かす」ようにしようといいます。とはいえ、失敗はだれもが積極的にはおかしたくないもの。実際、失敗学の体系では、「許されない失敗」がほとんどです。

許されない失敗の特徴は、先に同じような失敗が起きていたにもかかわらず、おかしてしまう失敗です。気をつければ防ぐことができたのに、防ぐことができなかった。失敗をしたあとで「だからいったじゃないか」や「いわんこっちゃない」と言われるような部類ですね。

いっぽう少数ながらも「許される失敗」があります。失敗学ではその失敗を、成長する過程でかならず通らなければならないような失敗とします。仮想演習をしても気付かなかったような“想定範囲外”の出来事が起きたときは、それを知識として書き出し、人に伝えることが大切と畑村さんは言います。

失敗学が多くの人に知られることの影響には、どのようなものが考えられるでしょうか。

ひとつは、人々に失敗から学ぶといった習慣が根づき、それだけ人々の知識が増えるということです。成功事例に比べて、失敗事例とはおなじか成功事例以上の数があることでしょう。これまでどちらかというと人々が隠したがっていた失敗事例に目を向ければ、人が過去から学ぶことは確実に増えるということです。

もうひとつは、人がおかす失敗を認めるような風潮が社会に根づくかもしれない、というものです。ただし、失敗を受けとめるという行為は、そうかんたんなことでもなさそうです。失敗が起きたとき、「頭では受けとめようとしても、感情が付いていかない」といった頭と心の乖離に苦しめられる人は多いことでしょう。また、失敗を許す社会と失敗を許さない社会では、どちらのほうが利益が大きいのかといったことの議論も必要かもしれません。

「学問」とは、一定の理論に基づいて体系化された知識と方法。失敗の種類を「未知」「不注意」「誤判断」などに分類したり、失敗を「原因」「行動」「結果」にわけて分析をしたりといった点では、たしかに知識の体系化がなされています。「失敗論」ではなく「失敗学」たるゆえんです。

『サイエンスウィンドウ』2009年2月号の記事は、ホームページからダウンロードの上ご覧いただけます。
http://sciencewindow.jp/
| - | 23:59 | comments(0) | -
ソーセージ型物語展開


テレビ番組には、“連続もの”があります。1時間番組のドラマやドキュメンタリーを12週や6週連続で放送する、といったものです。

こうした連続ものの番組をつくるときには“定石”があるといいます。それは「その回で浮かび上がらせた問題を次回以降にもちこさない」というもの。

たとえば、地球46億年の歴史を主題にした連続番組のある回で、恐竜絶滅をとりあげるとします。このとき、なぜ恐竜が絶滅したかといった問題を浮かび上がらせたとしたら、その回のなかで「有力な説のひとつは、地球に巨大隕石が衝突したというものです」といったように、答になる部分を示して、問題を解決しておくということです。

その回のなかで問題を解決しておかないと、次の回で「さて、ここで前回途中までにしておいた恐竜絶滅の謎について、続きの話をしよう」と伝えても、その回から見る視聴者は何のことだか分かりませんし、前回を見た視聴者も内容を覚えているかわかりません。

1回の60分のうちに、出した問題は解決しながら、次回へと移っていく。ソーセージをつくるような作業ですね。

映像や音声が使えないといった、メディアとしての制約を除けば、テレビ番組で使われている手法は、本づくりでも活かすことができるものは多いです。

この“1回のうちに問題解決”という手法も、ノンフィクションや小説などで使うことができそうです。本の1章分を、テレビ番組の1話分と見立てて、その章のなかで出てきた問題は、その章のなかで解決をするわけです。

章の終わりで、「これでこの問題は片付いた」と示しておいて、「ただ誰も、この時点で新たな問題が起きはじめていることには気付いていなかった」などと、次の章に誘うような文を示して、つないでいくわけですね。

テレビ番組のときと同じですが、その章のなかで問題を解決させておくことの利点は、読者が話の流れを理解しやすくなるといったことになります。「そういえば、さっきの問題はどうなったんだっけ」といった、むだな心配を起こさせないようにするわけです。

ノンフィクションや小説の作り手にとっても、話の構造が明確になるため有効な手段といえるかもしれません。
| - | 23:59 | comments(0) | -
加わる191字、外れる5字。


文化庁の文化審議会国語分科会漢字小委員会が、「常用漢字」を見直す案をまとめました。複数の新聞社が報じています。

常用漢字は、かつて「当用漢字」と呼ばれていたもので、国語で表現をするために日常生活のなかで使う漢字の目安が決められたものです。1981年10月から、当用漢字は常用漢字と呼ばれるようになり、現在は1945字が指定されています。

今回の見直しでは、情報社会を反映してか、加わる予定の文字が191字、いっぽう外される文字が5字と、加わるほうが圧倒的に多くなっています。

加わる予定の字のなかで、科学技術関連のものを見てみます。

「嵐」。気象報道などでは「冬の嵐」や「春の嵐」などとひんぱんに使われてきました。これまで、常用漢字に入っていなかったことを不思議に思う人も多いことでしょう。

「鬱」。たしかに、画数が多く、書くのがたいへんという難点もありますが、ストレス社会から「鬱病」や「新型鬱病」などの言葉が世間でよく使われるようになっています。

「荷」。「負荷」とか「荷重」、「電荷」など、物理学の分野ではなじみのある字です。
訂正:「荷」は、追加文字でなく、すでに常用漢字に含まれていました。「苛」は新しく加わります。

「鍵」。この字が常用漢字でなかったのに驚く人も多いのでは。細胞の外からホルモンや神経伝達物質やウイルスなどが細胞にやってくると、細胞にある受容体という器がそれを受け入れて、特定の現象を引き起こします。たとえば、眠さは、アデノシンという物質が、脳の睡眠中枢という神経細胞にある受容体にはまることで、引き起こされるといいます。こうした「はまる」と「はめる」の間柄を、よく「鍵と鍵穴」という比喩で表現することがあります。また「鍵」は、「この遺伝子が進化の鍵を握っていた」などというように、具体的な関わり方を触れないで済ませるあいまいな表現のために使われることもあります。

「汰」。これも生物学や進化学の分野で「自然淘汰」といった具合によく使われる字ですね。

いっぽうで、外される漢字5字は、鉄鉱石から作られる粗い鉄などを意味する「銑鉄」などで使われる「銑」、鉛の重りの意味の「鉛錘」などで使われる「錘」、尺貫法で使われている、升の100分の1の単位を示す「勺」(しゃく)、同じく尺貫法で使われる単位で「貫」の1000分の1を示す「匁」(もんめ)、腫瘍と似た意味の「腫脹」などで使われる「脹」の5字です。どれも、科学技術との距離は遠くない字です。

今後、国民からの意見などを受け入れて、検討し、2010年2月ごろに新しい常用漢字の表が完成するはこびです。

文化庁文化審議会国語分科会漢字小委員会の議事記録はこちら。第29回の配布資料に、「追加字種(191字)表」(案)があります。
http://www.bunka.go.jp/kokugo_nihongo/bunkasingi/kanji.html
| - | 23:51 | comments(0) | -
「世界を変える技術を日本人の手で」


日本アイ・ビー・エムが発行している雑誌『無限大』の2009年新春号は「Future of Work フラット化した世界でどう働くか」という特集を組んでいます。

「フラット化」は、社会的地位が高かったり、財力があったりするような人でなくても、世界をまたにかけてコミュニケーションをしたり、事業をしたりしやすいようになったことを指します。米国人コラムニストのトーマス・フリードマンが著した『フラット化する世界』で有名になった言葉です。

特集では、リアルコムの取締役・竹内克志さんが「世界を変える技術を日本人の手で」という主題で語っています。取材をしました。

リアルコムは、情報産業系の企業で、ソフトウェア開発をするだけでなく、知識や情報を使った事業を成功させるためのコンサルティングもしています。

竹内さんは、1990年代、ソフトウェア開発企業ロータスで「ロータスノーツ」というソフトのインターネット対応機能の開発に参加した経緯があります。ボストンでの長期滞在経験があり、日本と米国を股に掛けてきました。

長期海外滞在経験の持ち主だけあって、世界からみた日本や日本人という視座が豊富です。世界を舞台にコミュニケーションをするうえで日本人が忘れがちな情報力についての指摘がありました。

すでに言われているのは、フラット化の象徴でも原動力でもあるインターネットは情報の8割以上は英語によるものということです。つまり、日本語では知りえないような情報が、英語のホームページを見れば見つかるといった可能性ははるかに高いわけです。実際に「海外にはこんな情報がある」といった話を、翻訳して日本人に示すことは、ニュースの価値としては依然高いものと考えられています。

竹内さんの視点は、「日本人が海外の情報を得る」というものとは異なりました。「日本人が海外に情報を発信する」という視点からの指摘がありました。

「“外国語ができない日本人”よりも“日本語ができない外国人”のほうが圧倒的に多いといういことです。当然ながら彼らは日本語の情報を読むことができません。日本人がいくら優秀なアイデアをインターネットで発信しても、それが日本語である限り世界に伝わらないのです」

世界のなかで、自身の存在を知らしめるためには、世界的に通じた英語によるホームページやブログを開設して、そこで優れた発想を伝えていかなければならない、ということです。

一般的に「世界から見た日本人」という主題の記事は、「これだから日本人はだめなんだ」という結論に陥りがちです。竹内さんは、日本人が世界に対して誇れる点についても語りました。「集中し、没頭してよいものを作ることは日本人ならでは」と話します。

仕事は仕事という感覚で、自分の私的な時間をきちっと確保する、といった割り切りを日本人はしない、ということです。ある意味では“仕事のしすぎ”につながるような文化かもしれませんが、いったんやりはじめた仕事は、最後までやり遂げるといった姿勢が日本人にはあると竹内さんは言います。仕事を自己実現の場と捉える傾向は、日本では世界よりも強いのかもしれません。

他にも特集では、「国境なき医師団」の活動状況や、バングラデシュで服飾生産の事業をしている山口絵里子さんの“細腕号泣戦記”、デザイナー山本寛斎さんの「熱き心に年齢はない」というメッセージなども載っています。

日本アイ・ビー・エム『無限大』のホームページはこちら。
http://www-06.ibm.com/jp/ibm/mugendai/
| - | 23:59 | comments(0) | -
景色の見かたが変わる「海の地図」


中央にある島は、兵庫県の淡路島です。左側は徳島県鳴門市、上端は兵庫県明石市。

「海図」といって、おもに船乗りたちが使う「海の地図」です。陸地に道路があって、車や自転車、徒歩の人が決まりにしたがって移動しているように、海にも船の通り道や通っては行けない海域、通ると危険な海域などがあります。海図にはそれらの情報が載っています。

たとえば、淡路島など陸地の縁には、青く塗られた領域が見えます。これは浅瀬。水深10メートル未満の領域は青く表示されていて、ここに船が入ると座礁するおそれがあります。

また、陸地の地図とはかなり建物や目印の表示も違います。たとえば、海上保安庁「水路図誌使用の手引き」をもとに作成された日本水路協会「海図の記号を覚えよう」のサンプル海図の一部を見てみます。



左上にあるのは「黒四角」は駅、真ん中の「手紙」は郵便局、右下の「塔」は給水塔。



左上の「人生ゲームの人のような形」は記念碑。そのすぐ右下の、「!」の、上が色付きで、下が星になったようなものは灯台です。赤い印が向いている方向は関係ありません。青い浅瀬の領域の中央には、「沈みかけている船」が見えます。これはまさに船体の一部を露出した沈船です。

実際の海図に戻ります。淡路島と徳島県をわけるのが鳴門海峡です。鳴門海峡といえば「なると」つまり渦潮が有名です。これも海図には書かれてあります。



鳴門大橋の左右に、まさに「の」の字型の渦巻きが書かれてありました。

船乗りにとって海図は必携品。海図の専門家はこう話します。「船に乗っているだけでは、目に飛び込んでくる情報は限られている。しかし、海図を見た上でおなじ海の景色を見ると、それまで気付かなかったものがいろいろと見えてくる」。

船乗りの方でなくても、船旅が好きな方は、航路の海図を携えて船に乗ると、また景色を楽しめるかもしれません。

参考ホームページ
日本水路協会「かいず〜WEB」
http://www.jha.jp/
| - | 23:59 | comments(0) | -
「見すかし」と「見すかしがえし」の攻防


街の食堂では、店員と客とのあいだでこんなやりとりがたまに見られます。

Aセットも、Bセットも、Cセットも、定食はみな720円。客が食事を済ませてレジスターで支払いをしようとすると、店員が待ちかまえています。すでに店員は「280円」を手に握っていました。おつり用です。客は1000円札を出すだろうと見こしていたのです。

店員が280円をすでに用意して待っているのを見た客は、財布の小銭入れに手を入れて硬貨を出そうとします。

客のその動きに気づいた店員は、「さては、つりなしで払うつもりだな」とまた先読みし、すかさず280円をレジスターの中にしまい込みました。

それを見た客は、また財布をもそもそしてから、「はい、これで」と言って、1万円札を出したのでした。

店員は「ちーっ。負けた」と言わんばかりの苦い顔に。ちょっとした攻防戦ですね。

こんな話しもあります。日本の研究者4名がノーベル賞を同時受賞したことを受けて、ノーベル賞に詳しいその道の専門家が放送局から取材を受けました。

「今回、一気に4人も日本の受賞者が増えたことになりますが、この結果をどうご覧になりますか」
「こういうことも、いつかはあり得るかなと思いました」
「驚かれましたか」
「いえ、あり得るかなと思っていたので」
「驚きましたよね」
「ですから、あり得るかなと思っていたと言ってるじゃないですか」
「驚いたって言ってくれませんか」
「いいえ。驚きませんでした」

放送局側は「驚きました」という言葉を拾いたいという狙いが初めにあって、「あの専門家なら『驚きました』という言葉を拾えるだろう」と踏んでいたのでしょう。それを見込んで取材をしたものの、専門家は最後の最後まで「驚きました」とは言いませんでした。

専門家は、ほんとうに驚かなかったのかもしれません。あるいは、驚きましたという言葉を期待している放送局側を逆に見すかしたといえるかもしれません。

人は、自分の行動を見すかされたり、見こされたりすることを好まないのでしょうか。見すかしたり、見こしたりという行為は、相手がどんな行動をとるかを読むことと同じです。見すかされたり、見こされたりする側は、自分のやっていることを読まれることで、「手の内がばれている」という屈服感をいだくのかもしれません。

まして状況としては自分のほうが上の立場なのに、下の立場の人から見すかされたり、見こされたりすることは、ますます避けたいのでしょう。世間的には、食堂の客と店員では、客のほうが上の立場ですし、取材では依頼を受けた専門家のほうが上の立場です。

しかし、これらの説明に当てはまらない場合もあります。つまり下の立場の人に、自分の行動を読まれても気もちいいという場合です。

行きつけの酒場などで、客がいつも最初に飲むマティーニを頼もうとして店員に注文したら、店員に「ご用意しておりました」と言われ、さっとマティーニを出してくれた場合などです。「見すかしやがって」と思う人よりも、「お、気がきくな」と嬉しくなる人のほうが多いでしょう。

この場合は、「自分が見すかされている」という屈服感よりも、「自分の趣向を知ってもらっている」という“関心寄せられ感”のほうが上まわるということでしょうか。
| - | 23:59 | comments(0) | -
偶然の突然


その環境や条件などに適したものが残り、そうでないものはなくなる現象を淘汰といいます。サラリーマンや言葉といったものにも当てはまりそうですが、淘汰は生物学者チャールズ・ダーウィンにより、まず生物の世界に対して考えられた概念でした。

生物は、次世代に情報を遺伝するときに何らかの突然変異を起こしているものです。その突然変異がその生物がいまおかれている環境により適しているものであれば、次世代にも次々世代にも、その遺伝情報は引き継がれていくでしょう。こうして、突然変異でできた遺伝子は環境の中で生きながらえ、さらに世代を経るにつれて増えていくわけです。

しかし、突然変異が次の世代に引きつがれる要因は、かならず淘汰によるものかといったら、そういうわけでもありません。「偶然」という要因も作用するのです。

人も、すべてのことをなるべく合理的に考えて「こっちの方が自分のためになる」と判断して物事を選んでいるわけではありません。身に降り掛かってくる偶然的な出会いなどによって、そっちの方になびかれていく場合も多くあります。

おなじように生物も、より環境に適した突然変異のみが行われていくというわけではないのです。突然変異自体は偶然に起きるものです。その突然変異が環境への適応という点でよくもなく悪くもない場合だってあります。さらに、環境への適応という点では悪い突然変異も、主流になっていくという場合もあるのです。

自然の中での生存という意味で、「よくも悪くもない変異」は「中立変異」とよばれ、「淘汰による変異」と区別されています。日本人の遺伝学者・木村資生(1924-1994)が理論化して提唱したもので、ダーウィンの進化論のアンチテーゼとなりました。木村本人は、自然による淘汰についても肯定的でしたが。

現在では、中立変異と淘汰による変異は両立するものと考えられています。
| - | 23:59 | comments(0) | -
缶ではわからない「二段発酵」
あまり目立たちませんが、缶ビールや缶コーヒーなどには、その製品で使われた製法を宣伝する文言が印刷されていることがあります。



アサヒビールが発売している“第三のビール”「クリアアサヒ」の缶には[澄み切り二段発酵]という製法が缶の中央に書かれてあります。この文言の右肩には米印があり、米印の先を探してみると横に次の注釈が書いてあります。
[澄み切り二段発酵]とは、クリアな味を実現するため、原材料の発泡酒で採用している発酵方法です。


この注釈は、「こういう製法があるのです」ということを言ってはいるものの、「その製法はこういう内容なのです」とは言っていません。「猫だまし」を説明するのに、「猫だましとは、相撲でごくたまに使われる技です」という説明があるだけで、「猫だましとは、相撲でごくたまに使われる技で、立ちあいに相手の顔面の前で手をぱちんと叩いて目くらましをして優位な体勢にするためのものです」と、猫だましの内容までは説明しないのとおなじです。

「澄み切り二段発酵」とはどのような製法なのかは、アサヒビールのホームページに書いてあります。
「澄み切り二段発酵」とは、発泡酒の開発において蓄積してきた技術を「クリアアサヒ」の原材料となる発泡酒に応用したアサヒビール独自の製法で、こだわりの原材料からできた麦汁を二段階の温度で発酵させる製法です。
「こだわりの原材料からできた麦汁を二段階の温度で発酵させる製法です」の部分が内容を示した箇所になります。

ビールのようにアルコール分を含む飲み物を作るときは、酵母が炭水化物などを分解する必要があります。これを「発酵」といいますが、クリアアサヒで使われている「二段発酵」は、その発酵を前半と後半にわける製法です。

ビールや発泡酒などの場合、麦芽でできた麦汁を酵母が分解することで、発酵が起き、アルコール分が作られます。二段発酵の前半では、低い温度で時間をかけて酵母に発酵をさせます。ゆっくりと発酵させるのは、高い温度で一気に発酵させると、酵母がうまみを醸しだすアミノ酸を奪いすぎて、水っぽい味になったり、不快な臭いが生じやすくなったりするようです。そこで、じわじわと酵母に働いてもらい、うまみを残すわけです。

いっぽう、後半の発酵では、酵母の働きを活発にします。この段階では、麦芽から出てきた糖類を酵母に一生懸命、消化してもらいます。砂糖でわかるように、糖類は甘さのもと。発泡酒などにとっては、この甘さというのが難敵で、飲んだときの味を悪くする「雑味」になってしまいます。糖類を使わず、また、生じた糖類を酵母に消化してもらうことによって、すっきりとした味わいにしているのです。

缶の表示のもったいぶりに反して、ホームページでは「澄み切り二段発酵」について、かなりのことが書かれてあります。しかし、どのくらい経ったときに発酵のしかたを変えるのかといったことは、やはり企業秘密なのでしょう。

「クリアアサヒ」のホームページはこちら。
http://www.asahibeer.co.jp/clear/
| - | 23:59 | comments(0) | -
何もしない動作


「動作」とは、体を動かすことをいいます。しかし、「待つ」という動作には、手をぶらぶらさせたり、足をじたばたしたり、頭をぶんぶん振ったりする必要はありません。ただじっとしているだけでもいいのです。

未来において、自分の身に起きるはずの物事があるときが、「待つ」という動作の条件になります。待つことの対象は、よいことのほうが多いようですが、なかには悪いことを待たなければならない場合もあります。購入を決めた新車が手元に届くのを待つ人もいれば、監獄で死刑執行の日を待っている人もいます。暖かい春という季節を待つ人もいれば、社内で失敗を報告するために上司の帰りを待つ人もいます。

よいことを待つにしても悪いことを待つにしても、言えるのは来るはずの時間までの待ち時間は、人の心はいわば“吊るされた”状態にするということです。その時間がいつになるか分からないとき、人の心は「まだか、まだか」とやきもきします。

2003年、時計会社のシチズンは「ビジネスパーソンの『待ち時間』意識調査」を行いました。いろいろな物事に対して、どのくらい待たされるといらいらするかを首都圏のビジネスマンに聞いたもの。

レストランの昼食での空席待ちは、10分までが限界という人が52.3%。注文した食べ物が運ばれてくるまではというと、10分までが限界という人が56.5%だといいます。レストランの入口でせわしなく待つよりは、テーブルに着いて食事を待っている方が少しはましということなのでしょう。

いっぽう、総合病院での待ち時間は、30分までが限界という人が54.6%となりました。役所では10分までが限界という人が54.1%もいることを考えると、「病院は待って当然」といった向きがあるのかもしれません。

待っているあいだは、起きるはずのことが起きないのだから、心はやきもきします。しかも、いつまで待てばよいのかが分からない場合は、待つということのほかに、いつ起きるべきことが起きるかと不安になる心のストレスも溜まります。

では、長い時間待っているとき人は何をしているかというと、「新聞・雑誌・本を読む」が47.8%、「携帯電話を操作する」が36.8%、「ボーッとしている」が28.8%になったそうです。少しでも、自分にとって無益な時間を作るまいとする人は新聞や雑誌を読むなどして、何らかの情報を得ようとするということでしょう。いっぽうで、ボーッとする人もかなりのいるのですね。
| - | 23:59 | comments(0) | -
実らず、飛ばず、3周年


「科学技術のアネクドート」は、きょう(2009年1月)11日で3周年を迎えました。

日々のアネクドートが3年間つづいたのは、いつも読んでいただき、そして「読んでるよ」と声をかけていただいたみなさんがいるからに他なりません。どうもありがとうございます。

3年というのは、世間では“節目の年”のひとつであるようです。日本のサラリーマンは、入社3日、3か月、そして3年を迎えたとき「こんな会社、辞めてやる」と思う、とはよくいわれるもの。

ためしに「三年」がつく言葉にどのようなものがあるか、辞書を引いてみますと……。

「顎振り三年」。尺八で顎を振らないようになるまでには3年を要するということです。

「櫂は三年櫓は三月」。櫂(かい)も、櫓(ろ)も、船を漕ぐための道具。櫓に比べて、櫂の使い方はむずかしく、ものにするまで3年はかかるということです。

「桃栗三年柿八年梨の大馬鹿十八年」。桃や栗は、芽が出てから実がなるまでに3年、柿は8年、梨は18年もかかるということ。

これらの諺を見るかぎり、実を結ぶまでの期間として、“とりあえず3年”という捉え方があるようです。

いっぽうで、こんな「三年」の付く言葉も……。

「三年飛ばず鳴かず」。飛翔する機会を待って、長い間、他の人の支配に服して堪えることをいいます。しかし、スピードが求められる昨今、似た「鳴かず飛ばず」という言葉は、長いこと大した活躍もなくただ過ごしている人に向けられたものです。

「三年坂」。具体的には東京の霞ヶ関や、京都の清水寺までの坂です。なぜ「三年」なのかというと、この坂で転ぶと3年のうちに亡くなってしまうからなのだそう。

しかし、「禍も三年」。災難も3年経てば幸せの種になることがあるのだそう。

成長するにしても、禍が幸せに変わるにしても、3年という歳月は「まぁ長い」という感覚で受けとめられる言葉のようです。ところで、この1年を「3年目」という括りで考えてみると……。

「3年目の浮気」。ヒロシ&キーボーが歌ったデュエット歌謡の名曲です。3年もおなじことを続けていると飽きてしまうということでしょうか。ヒロシとキーボーが「馬鹿言ってんじゃないよ」「馬鹿言ってんじゃないわ」と、楽しそうに歌う姿には、歌詞のような不仲を微塵も感じさせませんでした。

中島みゆきの「トーキョー迷子」によると、行ってしまった人を待つとき「3年4年は洒落のうち」なのだそう。「貌だちも変わる」まで、あと1、2年あります。

総じて「三年」は「一区切り」といった意味合いが強いようです。ただ、世の中の動きは、3年で話しが尽きてしまうほど、のどかなものではありません。むしろ話しの種は増えていくばかりです。

3年経っても、振れたままの顎もあれば、思いどおりにならない船の漕ぎ方もあります。成らない実もあれば、飛翔しない人もいます。丸3年が過ぎれば、3年と1日目がやってくるのですね。

「科学技術のアネクドート」を、ひきつづきよろしくお願いします。
| - | 19:20 | comments(0) | -
"3倍"は種をつくらず


季節はずれですが、種なしすいかです。近ごろ、八百屋では、種なしすいか、種なしメロン、種なしぶどうといった、“種なし”の果物を多く見かけるようになりました。

“種なし”の果物がつくられるしくみを知るには、生物がつぎの世代をどのように生み出すか、そのしくみを知る必要があります。

多くの植物では、雄しべの花粉を蜜蜂や蝶などが雌しべの柱頭に運ぶことで、つぎの世代の種がつくられます。植物では雄しべと雌しべ、動物では精子と卵子のように、2種類の生殖のための細胞がくっつことで新しい個体が生まれる現象を「有性生殖」といいます。

有性生殖をする多くの植物は、雄しべも雌しべも染色体をそれぞれ2組もっています。受粉すると、それぞれ1組ずつの染色体がくっついて、雄しべも雌しべも遺伝子が半分ずつ使われることになります。

こうした、2組の染色体をもつ個体を「2倍体」といいます。私たち人間も、男性と女性それぞれがもつ2組の染色体から、1組ずつが次世代に使われるので、2倍体の生物といえます。

しかし自然界のすべての動植物が2倍体の生物であるとはかぎりません。なかには、一つの個体が3組の染色体をもつ「3倍体」の生物もいます。それどころか、植物には一つの個体が4組の染色体をもつ「4倍体」や、6組の染色体をもつ「6倍体」の生物もいます。たとえば小麦には、2倍体、4倍体、6倍体の種類があり、たとえば「パンコムギ」という名前の小麦は6倍体です。

では、すいかはどうでしょう。

本来の種ありすいかは2倍体です。しかし、この2倍体のすいかが芽を出したあと、コルチヒンという物質を当てると、2倍体のすいかは4倍体になってしまいます。

この4倍体のすいかのうち、雌しべに注目し、この4倍体雌しべに2倍体雄しべの花粉を付けます。すると「(4+2)÷2=3」ということで、次の世代は3倍体になります。

2倍体の生物が、雄しべと雌しべ、または精子と卵子がくっついて次の世代の種や子を生むのとちがって、3倍体はうまく次の世代の個体を生み出すことができません。3倍体のすいかの場合は、種が発育しないのです。

こうして、編み出された3倍体のすいかが“種なしすいか”なのです。この“種なし”をつくる技術はメロンやぶどうなどにも使われています。

ただし、3倍体の植物のなかには、次世代を残すことができるものもあります。雄しべと雌しべの受粉という過程を経ずに、単体の親世代が子世代をそのまま生むような方法がとられます。この場合は、3倍体の植物の次世代は3倍体となるわけです。

“種なし”の果物は、生物学がもたらした成果物ということができます。
| - | 23:59 | comments(0) | -
2009年1月24日(土)は「100年先の未来をつくろう!」


催し物のお知らせです。

東北大学の大学院工学研究科機械系が、仙台市青葉区の川内キャンパスで(2009年)1月24日(土)にシンポジウム「FRY TO THE FUTURE 100年先の未来をつくろう!」を開きます。

東北大学工学部は2006年、「100年後の機械工学の先端を担う子供たちの夢を創出すること」を一つの目標に掲げた「100年後を見据えた東北大学工学部の取り組み」を発表しました。

作家の瀬名秀明さんを工学系に迎え、「国立情報学研究所グランドチャレンジ」予算で、人間とロボットの自然なコミュニケーションを実現する基盤づくりをしたり、「瀬名秀明が行く! 東北大学機械系」というホームページを開設したりしてきました。このホームページの見出しページは、瀬名さんが入った写真を17枚も載せています。瀬名さんを前面に打ち出したプログラムです。

24日の催し物は、機械系と瀬名さんの活動の「集大成」(機械系推進室)としての位置づけで、最先端科学技術の紹介などをします。

客人は、東京大学情報理工学系研究科教授の國吉康夫さん。ロボットが「目の付けどころ」や「コツ」といったものを得るための理論などを研究しています。「ロボット、人間、情報システムの融合創発進化と未来社会」という題の講演を行います。

また、漫画家の出渕豊さんも客人として、瀬名さんと「アカルイミライ」という主題で語りあいます。出渕さんは、『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア』や『機動警察パトレイバー』などに登場するロボットのデザイナー。川田工業の人間型ロボット「HRP-2」など実物のロボットのデザインも手がけます。

他にも、東北大学機械系の研究者5名が、「心が動く 人とロボットの未来」(内山勝教授)、「飛行機は100年後飛んでいるか?」(河内俊憲助教)などの題で話をします。

未来のことは誰もが自由に言うことができるもの。夢とともに、現実味のある未来の話をどれくらい聞くことができるでしょうか。「FRY TO THE FUTURE 100年先の未来をつくろう!」は2009年1月24日(土)13:00から、東北大学川内キャンパス川内萩ホールにて。入場無料。お知らせはこちらです。
http://www.mech.tohoku.ac.jp/j/event/sena/
| - | 22:06 | comments(0) | -
五・七・五にイライラをこめて


日経ビジネスオンラインの「ストレス革命」という特集で、「ストレス川柳コンテスト」の結果が発表されています。いくつか紹介してみます。かっこ内は作者。

大賞
転勤の もらった辞令は 裏紙で(シゲサン)

“エコ”に“経費削減”で、ここまで切り詰める時代が訪れたということでしょうか。ただ、株券が電子化されたのと同じように、辞令もペーパーレス化されても、重みはあまり変わらなさそうですね。

同じく大賞
崖を見て あっちだと言う 上司です(新入社員まるお)

これは、いろいろな解釈ができますね。上司が経営苦から部下を“道連れ”にしようとしている極限状態なのか。はたまた東尋坊かどこかの出張先で、上司が世界経済を占ったのか。いずれにしても、先は暗そうです。

優秀賞より
叩き台 書いた私が 叩かれる(あきら)

非常にストレスの溜まりそうな状況ですね。次回からはやけ気味に「叩き台は要らないでしょう。私が叩き台ですから」と言ってみたらどうなるでしょう。余計に叩かれてしまうでしょうか。

佳作より
氷河期が 頻繁に来る 現代史(二本松少年隊)

風刺的なひねりもあることながら、現代に近い時代ほど、歴史上の出来事の数は増えるといった法則性をもいいえていますね。

佳作より
任せると 言ったそばから 口を出す(東行小師)

どの会社でも、かならず起きていそうな状況ですね。上司が部下相手に「5対5の割合で話している」と感じたときは、実際は「9対1」や「8対2」ぐらいになるといいます。

わずか五・七・五の17文字ですが、何度も口にしてそのたびぷっと吹いてしまうのが川柳ですね。この不況のご時世、時流に乗ったストレス川柳の数々を味わうことができます。入選以上19作品が乗った「ストレス川柳コンテスト」のホームページはこちら。
http://business.nikkeibp.co.jp/as/glico/senryu/
| - | 23:59 | comments(0) | -
国会図書館でシステム故障


(2008年1月)6日、東京・千代田区の国会図書館でコンピュータの故障がありました。図書館の説明によると、館内で利用者が使うカードなどを制御するネットワーク・システムの異常がありました。

通常、利用者が本や雑誌などの資料を検索たり閲覧したりするときは、コンピュータ端末の横にあるカード読みこみ口にカードを入れます。これで閲覧予約や予約確認状況などを利用者は確認することができます。見たい資料を検索したうえで、画面上で閲覧予約をすると、自動的に図書館員に情報が伝わります。利用者はしばらくして受け取り口に行けば、求めていた資料を得ることができます。

ところが6日は、カードが読みとれませんでした。コンピュータで資料の検索だけはできるため、利用者は画面を見てから臨時に置かれた申し込み用紙に手書きで記入し、それを受付に渡すことになりました。

資料を閲覧申し込みしてから手元に届くまで、約30分。通常の2倍ほどの長さです。通常、利用者番号が大画面に表示されると資料が渡されますが、6日は「何時何分までに閲覧申し込みをした方の資料は用意できています」といった表示板を掲げて対処しました。

図書館などでのコンピュータ管理は、故障が起きるとシステム全般が動かなくなってしまうといった問題をかかえています。利用者にとっては、通常の閲覧方法とは別の方法を強いられることはストレスになります。

ただ、利用者が図書館員に詰めよるような大きな揉めごとはなかったようです。利用者の「しかたないな」という諦めもあったのでしょうが、図書館側の危機対応力もあったのかもしれません。こうした問題発生は何年かに一度あるかないかなのでしょう。しかし、図書館員ら自身は混乱に陥ることなく、“非常事態モード”にシフトした対応をしていました。
| - | 06:51 | comments(0) | -
無限大の“枠”をさばく(2)


きのう(2009年1月5日)の記事の問題「茶色の紙の上の点Aと点Bを、一筆書きで結んでほしい。ただし赤い線を横切ってはいけない」の正解の一例が上の写真のとおりです。

「紙は折り曲げてはならない」という“枠”を無意識のうちに作ってしまった人は上の答にたどり着きづらく、逆に考える“枠”を広げて「紙は折り曲げたらどうか」と考えてそうした人は上の答にたどり着けそうです。人のもつ常識の“枠”は人それぞれなのです。

人は生まれてからの経験でこの“枠”を作っていきますが、ロボットや人工知能の場合、いったいどうなるのでしょう。

米国の哲学者ダニエル・デネットは1984年、次のようなたとえ話で、この問題を表しています。

ロボットを動かしているバッテリーが洞窟の中にある。このバッテリーの上には時限爆弾が乗っていて、このままだと時限爆弾が爆発してしまい、バッテリーが破壊されてしまう。洞窟からバッテリーを取ってこなければならない。

ロボット1号機が洞窟に行き、バッテリーを取ってきた。ただし、バッテリーの上の時限爆弾の存在に気づきながらもそれを一緒に運び出してしまったため、洞窟から出てから爆発してしまった。

そこで、バッテリーのみを洞窟から取ってくるべくよりいろいろなことを考慮に入れるロボット2号機が用意された。しかし、思慮深い2号機は、バッテリーを前に、「上の時限爆弾を動かすと爆発してしまわないか」「爆弾を先に動かしてもいいのか」「バッテリーを動かすと天井が落ちてくることはないか」などと、バッテリーを動かすことに伴う副次的なできごとをいろいろと詮索しはじめた。そうこうするうちに時限爆弾は爆発してしまった。

そこで、バッテリーの前で立ち尽くすようなことにならぬよう、余計なことは考えないロボット3号機が用意された。しかし3号機は、洞窟を前で、目的と関係のない“余計なこと”は何と何と何と何と何で、洗い出すことをしはじめた。そうこうするうちに洞窟の中の時限爆弾は爆発してしまった……。

人工知能やロボットにとって、何を考慮に入れるべきで、何を考慮に入れなくてもよいのか、その“枠”があまりにも多すぎてしまうわけです。

デネットがこのたとえ話を示すより15年早い1969年、ジョン・マッカーシーとパトリック・ヘイズという人工知能研究者が「ロボットは情報処理能力が限られるため、現実に起こるすべての問題には対処できない」という考えを初めて示しました。この問題は「フレーム問題」とよばれることになりました。

いまも人工知能やロボットの分野の大きな問題になっています。そして、冒頭の問題は、人間にもこのフレーム問題があるのではないかということを示しています。人の常識は人それぞれというわけです。

それでも現に人間は人それぞれに場面ごとに“枠”をつくって、この問題をうまく処理しています。どのようにフレーム問題を解決しているのかはこれから解明すべき課題です。ひょっとすると、常識にとらわれない考えがこの問題を解くことになるのかもしれません。了。

参考文献
友野典男『行動経済学 経済は「感情」で動いている』
| - | 23:59 | comments(0) | -
無限大の“枠”をさばく(1)


車の運転免許をもっている方は、教習で車を運転したての日々を覚えているでしょうか。

座学で学んだ道路標識や、対向車の有無、歩道の人の動きなど、あらゆる情報が目の中に飛び込んできて、「こんなに運転するのは大変だとは」と思った人も多いかもしれません。瞬時に処理しなければ情報が多すぎて、運転もかなり大変なものになったでしょう。

しかし、教習所の実地訓練をこなして、免許を取り、マイカーで何度も運転を重ねていくと、ハンドルを握ったばかりのときよりも運転は簡単なものになってきます。

判断材料に入れるほど重要ではない標識表示は無視したり、車線を守っていれば対向車線を気にしなくてもよいことが分かってきたりして、“運転するのにたいして要らない情報”を切り捨てることができるからです。人はこれを経験と呼んでいます。

人がなにか行動をとるとき、「この範囲までは検討の対象として考えなければならないけれど、それよりも外側のことは考えなくてもよい」といった、“枠”の取捨選択を自動的にします。

この“枠”は、車の運転のように経験の積み重ねなどでつくられます。からだを伴った経験だけでなく、見聞きするといった知識を得る経験によってもつくられます。経験の積み重ねで人は“常識”というものを得るといいます。

常識があるからこそ、人は寝間着から着替えて靴を履いたり、混んでいる電車では床に座らず立ったりして、会社へと向かうのでしょう。ふだん生活を送るかぎり、常識をもつことは恥をかかずに済むし、それ以上に行動の“枠”を決めてくれるのです。

行動経済学者の明治大学教授・友野典男さんは著書の中で次のような問題を出しています。

上の写真のような茶色の紙がある。この茶色の紙の上の点Aと点Bを、一筆書きで結んでほしい。ただし赤い線を横切ってはいけない(一部改変)。

あなたは、点Aと点Bをどのように一筆書きするでしょうか。常識が作り出す“枠”を超えたところに、答があるかもしれません。つづく。

参考文献
友野典男『行動経済学 経済は「感情」で動いている』
| - | 23:59 | comments(0) | -
無印良品タイカレーグリーン――カレーまみれのアネクドート(9)


カレーを自炊する楽しさに、無印良品の「手づくりキットタイカレー」で目覚めたという人は多いようです。無印良品にはレトルトのタイカレーもさまざまあるものの、手づくりキットは好みの具材をスーパーマーケットなどで買ってつくる本格的なもの。

無印良品の手づくりキットタイカレーは、赤、黄、緑の3種類。それぞれの辛さと味が若干ちがいます。中でもグリーンは“五つ星”ならぬ“五つ唐辛子”の印。無印良品のlカレーのラインアップでは最高の部類です。

キットを空けると中には、グリーンカレーペースト、ココナッツミルク、カフェライムリーフ、それにナンプラーの4袋。いっぽう、買ってくる具材は、キットの袋表示には、鶏モモ肉、筍水煮、しめじと書かれていますが、これは作り手の好み。ぶつ切りの茄子や人参を入れて楽しむ人もいます。

肉や野菜を炒め、そこにお湯で解いておいたココナッツミルクとグリーンカレーペースト、それに香りづけのカフェライムリーフをつぎつぎ鍋の中へ。柔らかくなるのに時間のかかる具材に合わせて、ふつふつ煮込みます。

最後にナンプラーとも言われるタイ料理の定番フィッシュソースを垂らしてフィニッシュです。

ルウは水加減にもよりますが、小麦粉を使ったカレーとはちがい、ご飯にかけると下に染み込むほどのさらさら感があります。“五つ唐辛子”の辛さが野菜や肉に染み込み、しんなりした野菜の歯ごたえも加わり、カレーの旨さをつくります。

2年ほど前までは、無印良品のカレーキットは、カレーペーストでなくカレー粉でつくるものでした。そのときに比べて辛さもやや抑え気味になっている模様。「カレー粉時代のタイカレーキットを再び」の声も上がっているようです。昔の辛さに浸りたい方は、鷹の爪や一味唐辛子を入れるといいかもしれません。

1キット4人分。一人暮らしや二人暮らしの方は、“翌朝のカレー”もしっかり楽しめます。

無印良品手づくりキットタイカレーグリーンはこちらで。
http://www.muji.net/store/cmdty/detail/4945247389791
| - | 23:59 | comments(0) | -
書評『無駄学』
一年の計はもう立てましたか。「充実した日々を過ごす」といった誓いを立てた方は「無駄」について考えてみるのもいいかもしれません。

『無駄学』西成活裕著 新潮選書 2008年 207ページ


著者の西成活裕さんは、東京大学工学研究科の教授だ。2006年に『渋滞学』を上梓し、一役“一般人が知っている大学教授”となった。

万物の流れが滞る渋滞という現象の研究をしているなかで「渋滞は社会の無駄」と考えるようになったという。「これまで渋滞を解消しようと取り組んできたが、それはつまり無駄を取り除こうとしているのだということに気がついた」。

それからというものの、西成さんは「無駄」の正体を突き止める道を歩む。世の中の「無駄」という言葉を洗いざらい取り出して、そこから無駄の要素を抽出したりもした。その結果、無駄を次のような考え方で捉えるようになったという。

当初に予測したインプットとアウトプットと、期間終了後の実際のインプット棟とプットを比較する。予測より実際の益が低くなっているときは、何らかの無駄が潜んでいた可能性がある。

学問として未到だった「無駄の性格づけ」から始まり、その後、話は本書の核ともいえる、「トヨタ生産方式」の紹介へと移る。

トヨタ生産方式は、トヨタ自動車がいかに無駄のないものづくりをするかを追求した成果である。不良品の無駄を作らないようにする「自働化」と、必要なものを、必要なときに、必要な量だけつくる「ジャストインタイム」がトヨタ生産方式の二本柱だという。

前者の説明はもう少し詳しく知りたい点もあったが、後者の説明はうまくまとまっている。その本質は「引き取り生産」だ。
上流へとかんばんによって指示を伝えていく。これにより、本当に必要な量だけ作ることができて、仕掛り品は在庫は発生しにくくなる。
部品から製品へといった流れ出は、結果として不必要な個数が生じてしまうこともありうる。それを防ぐため、より製品に近い工程の担当者が、一つ前の工程の担当者に、“かんばん”を掲げて、必要なものを示すのだ。これが有名な「かんばん方式」の勘所である。

他にも、トヨタ生産方式で見られる「5S」つまり、整理、整頓、清掃、清潔、しつけの心がけや、問題点や要点を多くの現場の人が共有するための「見える化」なども紹介する。

トヨタ生産方式の詳述という本書の山場を越えると、あとは生活の中の無駄を省くといった話に移る。このあたりは、著者の「朝の時間を効率よく使うためには、前日の夜に5分だけでもよいから翌日のことをイメージしておくのが大切だ」と言った、読者への薦めや著者の思いが、話に多分に入り込んでくる。

著者は最後にこう締めくくる。
無駄の膨大な事例を見ていくうちに、その発生原因のかなりの部分が、ある一つの言葉と関係していることが分かってきた。それが、資本主義経済なのだ。
資本主義経済は「自分だけが得をしよう」「わが社だけが儲けよう」といった考え方が許されるし、そういう競争原理の元で成り立っている。ここに、利益が出るのであれば、余ったものは大量廃棄といった結婚式場やコンビニエンスストアの常識や、乗客に殴られても届け出る方が時間の無駄だから警察に言わないタクシー企業の方針といった、「資本主義の犠牲」が生まれる。

学問とは提唱者の考え方が入るもの。無駄の正体を突き詰めようとする西成さんの思想もよく分かる本だ。本人が述べているとおり、無駄学はこれからもまだまだ続きそうだ(続編も続々編も出そうな予感)。

『無駄学』はこちらで。
http://www.amazon.co.jp/無駄学-新潮選書-西成-活裕/dp/4106036231/ref=sr_1_1?ie=UTF8&s=books&qid=1231013906&sr=1-1
| - | 23:59 | comments(0) | -
市民が盛り上げ役になるか、「世界天文年2009」


今年2009年は「国際ゴリラ年」であるとともに「世界天文年」でもあります。

1609年にイタリアの天文学者ガリレオ・ガリレイが望遠鏡で天体観測をしてから400年に当たることにちなみ、国際天文学連合や国連などが定めたもの。

ガリレイが作った望遠鏡はいま「ガリレオ式望遠鏡」とよばれています。長所は、凸レンズと凹レンズを組みあわせているため、対象物を逆さまでなく正立で観測できる点。短所は、視野が限られるという点です。

視野が限られるとはいえ、当時としては最先端の発明品。実際ガリレイはこの発明道具で、木星に衛星があること、太陽に黒点があること、月面に凹凸があること、金星が満ち欠けすること、などを発見しました。2年後の天文学者ヨハネス・ケプラーによる凸レンズ2枚のケプラー式望遠鏡や、1688年のアイザック・ニュートンによる反射式のニュートン式望遠鏡発明の皮切り役になったのも、ガリレイと彼の望遠鏡です。

世界天文年日本委員長の海部宣男さんは「人間の宇宙は、望遠鏡の発達とともにどこまでも拡がって、私たちは137億年前のビッグバンに迫り、第二の地球を大型望遠鏡で探しています」と話します。

年明けとともにさっそく天文関係の催し物が、各地のプラネタリウムや博物館で行われます。1月4日(日)は「全国一斉オープニングイベント」として、群馬県の県立ぐんま天文台で、ガリレイの業績を讃え天文教育の普及を考える催し物が開かれます。同じく、4日には、仙台市天文台(宮城県)、つくばエキスポセンター(茨城県)、日本科学未来館(東京都)、四日市市立博物館(三重県)、みさと天文台(和歌山県)、熊本県民天文台など、全国の十数か所で観察会などが行われます。

日本で最高潮の天体ショウになりそうなのが、7月22日の国内で46年ぶりに観測される皆既日食です。晴れていれば、鹿児島県の、屋久島、奄美大島、吐噶喇(トカラ)列島などに行けば見られます。東京や大阪などの日本各地でも、三日月ほどに欠けた太陽を見ることができます。

今日の科学ではめずらしいことに、天文学はアマチュアが学問の進歩に一役買える場がいまも残されている分野です。天体の発見は、アマチュア天文家によるものが多く、「市民が見つけて、研究者が詳しく解析する」といった共同作業が成り立っています。

市民に科学に興味をもってもらうための活動も、生物学と並んで天文学は活動者の多い分野とされます。天文の知識が印刷されたトイレットペーパー“ATP”(Astronomical Toilet Paper)をつくり雑誌『ネイチャー』にも紹介されたことのある「天文学とプラネタリウム」(天プラ)などが有名。

「国際何々年」や「世界何々年」は、市民にどう知らせ広めるか、主催者の手腕が試される年でもあります。「世界天文年」は、待ちで活動している個人や団体による他の「世界何々年」とは異なる盛りあがりが期待できるかもしれません。

各地の催し物情報も載っている「世界天文年2009ホームページ」はこちら。
http://www.astronomy2009.jp/index.html
国立天文台「2009年7月22日 皆既日食の情報」はこちら。
http://www.nao.ac.jp/phenomena/20090722/index.html
「天文学とプラネタリウム」ホームページはこちら。
http://www.tenpla.net/

参考文献
電通大子供発明クラブ「ガリレオ式望遠鏡をつくる」
http://www.dcc.uec.ac.jp/inv80/hatumei_files/inv_text_06-03-04.pdf
| - | 23:59 | comments(0) | -
CALENDAR
S M T W T F S
    123
45678910
11121314151617
18192021222324
25262728293031
<< January 2009 >>
SPONSORED LINKS
RECOMMEND
フェルマーの最終定理―ピュタゴラスに始まり、ワイルズが証明するまで
フェルマーの最終定理―ピュタゴラスに始まり、ワイルズが証明するまで (JUGEMレビュー »)
サイモン シン, Simon Singh, 青木 薫
数学の大難問「フェルマーの最終定理」が世に出されてから解決にいたるまでの350年。数々の数学者の激闘を追ったノンフィクション。
SELECTED ENTRIES
ARCHIVES
RECENT COMMENT
RECENT TRACKBACK
amazon.co.jp
Billboard by Google
モバイル
qrcode
PROFILE