科学技術のアネクドート

2008年の画期的科学成果、1位は「細胞の初期化」


2008年も残すところあとわずかになりました。今年の科学界のできごとを、米国の雑誌『サイエンス』が12月18日に発表した「今年の画期的成果」を中心に振りかえります。

同誌が第1位にあげたのは、「細胞の初期化」です。京都大学の山中伸弥教授の研究グループなどが樹立した新型万能細胞「iPS細胞」の研究を指すもの。同誌はこの画期的成果を次のように評しています。
新型細胞は疾病がどのように起こり進行するかを見きわめる道具になるとともに、創薬スクリーニングにも有用となるだろう。もし科学者が細胞の初期化を操れるようになり、明確に効果的に安全に制御することになれば、患者が自分自身の健康な細胞を使って治療を受ける日も来るかもしれない。
「創薬スクリーニング」とは、薬として機能する候補化合物を探し出すことです。この「iPS細胞」という名前は山中教授が付けたもの。最初は“Reprogrammed Stem Cell”(初期化された幹細胞)の頭文字をとって「RS細胞」と名付けることも考えていましたが、現象が初期化であるかどうかの確証がまだなかったため、“induced Pluripotent Stem Cell”(人工多能性幹細胞)にしました。

なぜ、「iPS細胞」の1文字目は小文字になっているかというと、アップルコンピュータ社の「i」で始まる音楽プレイヤーの名前を意識したからだそうです。

京都大学は今年10月、iPS細胞研究に関わる基本的な特許を得たことを発表。その後も12月に米国の研究所や中国の北京大学などがラットのiPS細胞づくりに成功するなどしています。

第2位になったのは「系外惑星―見ることは信じること」。地球と同じような惑星は、太陽系の火星などであれば観測は進んでいますが、太陽以外の星を回る惑星の観察は、惑星が小さくて光を放たないため難しいとされています。この画期的成果により、生命が存在する地球に似た星がありそうなのかなども見えてくるかもしれません。

下記の第3位以下は順不同です。当ブログで2008年、話題にしたものといえば、第1位の「細胞の初期化」と、わずかに第2位の「系外惑星」のことに触れた程度となりました。

「がん遺伝子のカタログが開いた」。がんの遺伝子を網羅的に解析した成果です。

「謎の新物質」。高温超伝導物質の“第二ファミリー”に新しい物質が加わりました。銅と酸素の化合物でなく鉄の化合物によるものです。東京工業大学の細野秀雄らが発見しました。

「作用中のタンパク質を観察」。タンパク質が、標的にくっつく瞬間などを観察することに成功しました。

「必要な再生可能エネルギーのために」。余った電力を蓄える新しい触媒の開発です。

「ビデオの胚」。人間の萌芽である胚が発生する様子を撮影することに成功しました。

「“良い”脂肪が照らし出された」。“悪い”白色脂肪を燃やす、“良い”褐色細胞を筋肉に変身させることに成功しました(逆も可能)。

「世界の重さを計算」。陽子などの粒子の質量を精密に計算することができました。

「ゲノム解析をより速く、より安く」。遺伝の全情報(ゲノム)を高速かつ安価に解析する技術が進歩しています。

『サイエンス』誌の「2008年の画期的成果」の発表はこちら(英語です)。
http://www.aaas.org/news/releases/2008/1218breakthrough.shtml

日本全体の科学界は、「画期的成果」でも1位になったiPS細胞の研究が進んだことや、4人の日本人がノーベル賞を受賞したことなど、明るい材料も見られた年でした。いっぽうで、中国産冷凍ギョーザによる食中毒事件や、事故米の不正転売問題など、市民生活に直結する食の問題は昨2007年に引き続き、あいかわらず社会問題になりました。

今年も一年「科学技術のアネクドート」にお付き合いくださり、ありがとうございました。来年もまたすぐに始まりますが、どうぞよいお年をお迎えください。
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お遊びは終わった。年は越せるか。
企業にとって新製品や新サービスの開発は宿命のようなものかもしれません。日進月歩の技術革新により、これまでの製品の上を行く製品が誕生します。

新製品には、これまでの自社製品よりも優れた点が生まれるわけです。逆に考えれば、既存製品は新製品の新開発の部分から取り残され、その部分が劣ってしまうことにもなりうるのです。

新製品を発表する企業は、既存品の劣ってしまう部分を傷つけないようにすることに細心の注意を払うのでしょうか。そうでもないようです。

年末は、“年越しそば”の季節とあって、日清食品は「どん兵衛」の広告に力を入れています。今年の日清食品の技術革新の一つは「ピンそば」の発明。これまで“ちぢれ麺”だった乾燥そばを、ピンっと伸ばすことに成功したのです。

そこで年末のテレビ広告では、ベートーベンの第九交響曲に乗せて次のような宣伝文句が流れています。

「ちぢれたソバでは、年は越せないー」

言い切りました。ピンそばの技術革新への自信が見えます。

けれども、100円ショップなどに行くと「日清の天ぷらそば」という既存商品が売っています。ふたを開けてみると……。



“ちぢれたソバ”が。orz。

年を越せない“ちぢれたそば”も、日清食品は作りつづけているのですね。とにもかくにも、年をまたぐ瞬間に“ちぢれたそば”を食べなければ「年は越せない」という災厄からは逃れられそうです。

日本マクドナルドは、熊本県、関東、大阪府でこのたび「クォーター・パウンダー」を発売しました。並々ならぬ大きさのパテ(肉の部分)が特徴です。さらに「ダブル・クォーター・パウンダー」はパテが二重になっています。

マクドナルドのハンバーガーは、特大化路線として「ビッグマック」から「メガマック」へと発展し、「クォーター・パウンダー」にたどり着きました。この新商品の宣伝文句は様々ありますが、同社ホームページなどでは次のような文句も見つけることができます。

「ニッポンの ハンバーガーよ もうお遊びは終わりだ」

クォーター・パウンダーは、本場米国からの輸入商品。この文言はクォーター・パウンダーの独り言のようにも聞こえます。

しかし、あくまで現実の宣伝主体は日本マクドナルド株式会社です。日本マクドナルド株式会社が広告として「ニッポンの ハンバーガーよ もうお遊びは終わりだ」と、自社の新製品を宣伝しているのです。

日本マクドナルド株式会社は「ニッポンの ハンバーガーよ これまでありがとう さようなら」といは言っていません。いまも店頭に行けば、ビッグマックがひきつづきマクドナルドの商品として用意されています。

クォーター・パウンダーの宣伝で「ニッポンの ハンバーガーよ もうお遊びは終わりだ」と宣言するからには、ビッグマックやメガマックは、“お遊び”の“終わられた”ハンバーガーだということになるでしょう。「お遊びのビッグマックを一つ下さい」と言ったら、店員さんは“スマイル”は無料でくれるでしょうか。

ちなみに、クォーター・パウンダーの宣伝文句には他に「夢がデカイ 嘘がデカイ 足がデカイ 何だっていい」というものもあります。(2008年)12月23日(火)には大阪・御堂筋周防町店にアルバイト1000人を動員して「同日ご来店いただいたお客様の数は約1万5千人」と発表。巷では「チッチャイ嘘をついて」と言われているようですが、「何だっていい」のかもしれません。
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書評『安全。でも、安心できない…』
頼れる人物と頼れない人物のちがいとは何なのでしょうか。日頃から立場的に頼られたいと思っている人は、この本を読むと答が見えてくるかもしれません。

『安全。でも、安心できない…――信頼をめぐる心理学』中谷内一也 ちくま新書 2008年 208p


この本は、リスクという概念やある物事のリスクを市民に知らせる「リスク・コミュニケーション」について書かれたものだ。でもリスクの話のみに捉えられてしまうのはもったいない。主題が「信頼」だからだ。

世間には「あの人の言うことはどうも信用ならん」という印象をあたえる人がいる。いっぽうで「あの人の言うことなら信用してもいい」と感じさせる人もいる。この本を読めば、その違いが見えてくる。

まず著者は、市民がある物事について安心を得るまでの過程を、「二重過程理論」という理論で説明する。人が「それは安全か危険か、どのくらいのリスクか」と知りたいとき、とことん調べあげるのはそう多くない。なぜなら、その問題に対して手間暇をかけてまで調べようとする動機づけが足りないか、専門的知識や情報処理能力が足りないか、といった理由があるからだ。

そうした場合に市民は、例えばそのリスクを説明してくれる人のいうことを聞いて「まあ、安全かな」などと簡単な方法で安心してしまう。つまり、市民は自分で調べることができない場合は、「調べる動機をもっている人」や「知識をもっている人」こそが信頼に足る人となるはずだ。

だが著者は、「動機づけ」と「知識」という要素の他に、見逃してはならない別の、信頼を得るための要因があると述べる。それは、一言でいえば「共感」である。

「リスクはこのくらいですから安全です」と説明するリスク管理者に対して、市民が「この人は、どうやらウチらと同じ価値を共有しているな」と思うか「この人は、ウチらの安全や利益なんてちっとも考えとらん」と思うか。この違いが、信頼に足るリスク管理者であるかどうかに大きく関わるという。

人の価値というものは様々だ。将来を予測するにおいて、科学的な根拠を信頼するA氏もいれば、過去の一回性の経験を信頼するB氏もいる。あるいは占いを信頼するC氏もいるだろう。たとえば、A氏に将来の見通しを説明する場合、「私の長年の経験からすれば」とか「占いの結果では」と言って説明しても、A氏はピンとこないだろう。

リスク管理者が市民を説得する場合、「私はみなさんと同じ立場で同じ価値をもっているのですよ」ということをさり気なく示すことが鍵となるようだ。
他者のこころを読むという能力は人間が持ち得た高度な(ある意味でやっかいな)能力である。安全管理の問題についても、この能力を使って、自分の中にある相手の立場を引き出すような条件を見いだすことができれば、安全・安心の問題についてもこれまでとは違った方向からのアプローチが可能になるかもしれない。
著者はリスク心理学が専門であり、この本もリスクや安全を市民に説明する際に信頼を得る方法という観点で述べている。

しかし、著者の明解な主張はリスク管理だけでなく、人が人にたいして信頼を得たり、説得をしたりといったことにもおおいに役立つものである。

著者は本書の最後を「相手の気持ちを理解しようとせず、一方的に言いたいことをまくし立てるだけのリスク管理者を相手にしたいとは、誰も思わないだろう」という一文で締めくくっている。「リスク管理者」の代わりに「上司」「交渉相手」「監督」「恋人」「友人」……。コミュニケーションの相手であれば誰でも当てはまりそうだ。

『安全。でも、安心できない…』はこちらで。
http://www.amazon.co.jp/安全。でも、安心できない…―信頼をめぐる心理学-ちくま新書-中谷内-一也/dp/4480064494/ref=sr_1_1?ie=UTF8&s=books&qid=1230581094&sr=1-1
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「黄金比は美しい」を科学する(下)――法則 古今東西(8)
「黄金比は美しい」を科学する(上)――法則 古今東西(6)
「黄金比は美しい」を科学する(中)――法則 古今東西(7)



「1:1.618…」で著されるのが黄金比です。古来、美しさを造りだす比率とされてきました。黄金比が美しいというのは真実なのでしょうか。興味深い科学的な研究結果があります。

イタリアのパルマ大学で脳科学を専攻するエミリアノ・マカルソ、シンジア・ディ・ディオ、ギアコモ・リゾラッティの3研究者は、次のような実験を行いました。

美術を批評するような知識をもちあわせていない被験者たちに、彫刻作品の画像を二つ見せました。一つ目は黄金比が施されて彫刻の画像で、二つ目は画像処理によって黄金比を崩した彫刻の画像です。

被験者たちは、一つ目の黄金比になっている画像を見たときは、二つ目の黄金比が崩れた画像を見たときよりも、脳の「島皮質」という部分が活発に動いたのだそうです。島皮質は、感情を生み出す情動に関する領域であるとされています。つまり、黄金比には人の情動に影響する潜在的能力があるということになります。

3研究者は「美には客観的な価値があることを示した」としています。

この実験の結果だけをもって「黄金比が美しいことが証明された」というには性急すぎる感もあります。しかし、こうした美を感じる心を脳科学的に追究する研究はこのところ盛り上がりを見せています。

鹿児島大学で認知神経科学を専攻する川畑秀明さんは、絵画を見て「美しい」と感じたときと「醜い」と感じたときで、脳の活性にどのような違いあるかを研究しました。

被験者が美術作品を観て「美しい」と感じたときには、「眼窩前頭野」という部分の活性が高まることがわかりました。この眼窩前頭野は、欲求がかなったときに活性化して、「気もちいい」と感じるシステムを司る「報酬系」と呼ばれる脳の領域の一つです。この論理でいうと、「美しい」と感じることが「気持ちいい」と感じる報酬を得ていることになります。

美術作品に名作と駄作があるというのは、人々がその作品を美しいと見るか、醜いと見るかの傾向があるということです。黄金比についても「これは黄金比が使われている」というバイアスがない状態で、黄金比とそうでないものを見比べたときに、黄金比のほうが美しく感じるかどうかが鍵になるというわけです。これからも、脳科学を中心とした科学的手法により、黄金比と美の関係が明らかにされていくことでしょう。了。

参考文献
ワイアード・ビジョン「『美には生物学的な根拠』彫刻作品と脳の働きを実験」2007年11月26日
http://wiredvision.jp/news/200711/2007112623.html
読売新聞「感動『目の後ろ』で味わう」2006年1月3日
http://www.yomiuri.co.jp/komachi/news/rensai/20060103ok04.htm
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「黄金比は美しい」を科学する(中)――法則 古今東西(7)
「黄金比は美しい」を科学する(上)――法則 古今東西(6)



古今東西、今昔を問わず、「1:1.618…」という黄金比は、建築や芸術作品に使われてきました。そのため、無条件に「黄金比は美しい」と受け入れてしまう傾向もあるようです。

しかし、少し疑って掛かる目線も必要なのかもしれません。世間に流布している黄金比の俗説にはかなり疑わしいものもあり、それが「黄金比だから美しい」例として通っているからです。

一例はエジプトのピラミッドです。クフ王のピラミッドは、しばしば黄金比が使われている例として紹介されています。もちろん紹介されるときは「美しいもの」の例されるわけです。

「クフ王のピラミッドは、底辺と高さの比が146メートル対230メートルで黄金比になっています」という言説はいろいろな記事などで見られます。疑い深い人は「146対230」が「1対何」であるのか計算をするかもしれません。

実際に計算してみると「146:230=1:1.575」となります。

黄金比は「1:1.618…」。対してピラミッドの底辺と高さの比は「1:1.575」。これを黄金比の誤差の範囲と考える人もいれば、考えない人もいるでしょう。実際に両者の間には3%以上のずれがあります。

自然界で黄金比が見られるという例でも、実際に測ってみると黄金比とは言えないのではないかという話があります。

「鸚鵡貝の美しい螺旋は、黄金比で描かれる曲線と一致する」という話がよく聞かれます。鸚鵡貝は中心から螺旋曲線が描かれるわけですが、その曲線がちょうど90度まで弧を描いたとき、そこに長方形の枠を当てはめると、その長方形の比は1対1.618…の黄金比になるというのです。

しかし、実際に鸚鵡貝の曲線の描き方を測ってみると、黄金比の長方形はまるで当てはまりません。もっと螺旋の描き方が急峻で、いわば“なると”に近い曲線をなしているのです。

ピラミッドにしろ、鸚鵡貝にしろ「黄金比が潜んでいるから美しく見える」と言われるものの、実際は黄金比とは異なる比であるわけです。「この形は、黄金比だから美しい」というのではなく、「この形は、黄金比と言われているから美しい」という論が成り立ってしまいそうです。

黄金比は先入観による美なのでしょうか。それとも、本当に美しいものなのでしょうか。科学に真偽を聞いてみるのも手かもしれません。つづく。
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「黄金比は美しい」を科学する(上)――法則 古今東西(6)


人々が昔から信じてきた習慣や常識を、あらためて「科学の目」で見なおしてみると「やっぱりそうだったのか」という証明か、「どうもちがうのでは」という反証かが得られます。

“美しさ”についての常識の場合はどうなのでしょう。

美しさを感じられるとされる形の代表が「黄金比」です。「1対1.618…」という比率は、古くからの有名な彫刻、芸術、製品に含まれており、人々の目を魅了してきたといいます。

例えば、紀元前5世紀にアテナイのアクロポリスに建てられたパルテノン神殿は、地面から屋根の最上部までと、横の端から端までが1対1.618…の黄金比になっています。

絵画でも、点描画の技法で有名なジョルジュ・スーラの絵「グランド・ジャット島の日曜日の午後」も、じつは幾重もの黄金比が隠されているといわれています。

日本でも、葛飾北斎の「冨嶽三十六景」の「神奈川沖浪裏」にも、黄金比が隠されていて、美の演出をしているとされます。スーラも葛飾北斎も、時代的には黄金比と美の関係がいわれた時代以降に生きた人物ですから、意図的に黄金比を仕組んだ可能性は否定できませんが。

「黄金比は美しい」という理論を深遠なものにしている要因のひとつに、自然の中でこの比を見つけることができるという点があります。

向日葵にぎっしり詰まった種の配列を観てみると、真ん中を起点にして、種の連続が、右回りと左回りの弧を描いていることがわかります。この右回りと左回りの種の数を数えると、21個対34個、34個対55個といった具合になっています。

これは、黄金比と深く関わる「フィボナッチ数列」という数列に出てくる数です。

フィボナッチ数列は「ある項とその前の項を足した整数が、次の項の整数になる数列」のこと。0と1を足すと1。1と1を足すと2。1と2を足すと3。3と2を足すと5。5と3を足すと8。8と5を足すと13。13と8を足すと21。21と13を足すと34。34と21を足すと55。向日葵の種の配列に見られる21個対34個、34個対55個がここで出てきました。

フィボナッチ数列が黄金比と深く関わっているというのは、対になった数の比が、どんどん黄金比つまり「1対1.618…」に近づいていくからです。

「3と5」ぐらいの初歩では、まだ「1対1.6666…」ぐらいの比ですが、「21と34」になると「1対1.6190…」に。「55対34」になると「1対1.6176…」に。こうして数列が大きな数に移っていくと、黄金比に限りなく近づいていくのです。

この数列を思いついたイタリアルネサン期の数学者レオナルド・フィボナッチは、自分の数列が黄金比と関係していることを見つけぬままこの世を去りました。

古今東西の有名な建築物や芸術作品にも隠され、しかも自然界にも隠されているのが黄金比です。ただし、それだけで「だから黄金比は美しい」と結論づけるのは、まだ少し早すぎるかもしれません。つづく。
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9時か17時か23時59分か、それが問題だ。


人との間に信頼を少しずつ重ねる手の一つに「期日を守る」ということがあります。航空機製造業であれば納期を守る。物書きで言えば締切日を守る。依頼主であれば支払日を守る、などなど。

期日を守ることは、ある意味あたりまえのことだから、信頼度が劇的に上がるわけではありません。プロ野球選手が守備機会に失策をしないのと似ています。ただ確かにいえることは、期日厳守を重ねていけば、その人の“信頼残高”は着実に増えていくということです。

“約束の人”を果たそうとする人たちは、ちょっとした問題を抱えているといいます。それは「9時17時23時59分問題」といわれる問題です。

依頼主から「締切は12月26日(金)ということでお願いします」などと注文をされた場合、受注者は当日のいつごろまでに頼まれたものを提出すればよいか、というのがこの問題の本質です。

「そりゃ、朝の9時でしょ」と答える人もいることでしょう。依頼主は、その期日の日、発注先から届く提出物を一日がかりで検討しようと思い、朝から予定を空けるのでした。

「17時だと思います」と答える人もいるでしょう。かなりの企業は17時が定時の退社時刻。「少なくとも退社時刻までに物を提出していれば、先方を残業させてまで待たせることもない」という理論です。「健全な時間帯」とよばれる時間帯とそうずれてもいなさそうです。

「23時59分59秒が正解でしょうね」と答える人もいるのではないでしょうか。「締切は12月26日(金)で」ということは、26日(金)のうちであれば有効期限内であるとする考え方です。

似たことは「上旬、中旬、下旬」でもいえます。とくに「締切は1月中旬で」などと「中旬」を示す・示される場合は、かなりの注意が必要です。「中」という言葉から、月の真ん中を想起する依頼主が多いからです。辞書によると「中旬」とは、「月の、中の10日。11日から20日までの10日間」のこと。

つまり「締切は中旬で」と言われた依頼先が、「20日の23時59分59秒」に提出をしても、言葉上の約束は守ったことになります。しかし「中旬」を月の中日と考え込んでいる依頼主からみれば「5日も遅れやがって」となるわけです。

依頼先にしてみれば、依頼主に「あの人は『締切は26日(金)で』と頼んだら、26日いっぱいを使う人だ」と当たり前に思わせるようになれば、安心して締切日をまるまる使うことができるでしょう。

しかし、そうした成熟関係を迎えるには、時間と回数が必要です。となると、やはり信頼残高を少なくとも減らすことのない時刻設定を考えなければなりません。

9時と23時59分のちょうど中間をとって、16時30分の直前と考えるのも手かもしれません。

もっとも無難なのは「朝9時」と考えることです。しかし、その日の昼間を使えば提出物の質が高まるという場合、朝9時に物を手放すのは返って依頼主に申しわけないという考えもありそうです。

齟齬をきたさないために、依頼主は本当に26日(金)に物を受けとる場合は、「26日(金)17時」とか「26日(金)いっぱい」とか、具体的な時刻を示しておくとよいでしょう。また、依頼先は「締切は26日(金)で」といわれたら、返事に「その日いっぱい掛かってしまうかもしれませんが、なるべく早くなるよう目指します」などと答えておくのが現実的な解になるでしょうか。

「自分の中の常識が答だ」といってしまえばそれまでですが、いっそのこと時計製造業か、郵政省か、天文台か、時のことを管理する当局的機関が「締切は26日(金)で」とは、何時までに提出するのが望ましい、といった指針を示すなどして常識をつくりあげるというのはどうでしょう。
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日本でも広まりを、「2009年は国際ゴリラ年」


来年2009年は「国際ゴリラ年」です。国連が(2008年12月)1日、移動性野生動物の種の保全に関する条約締約国会議で宣言しました。

ゴリラは、「テイチ(低地)ゴリラ」といわれる「ローランドゴリラ」と、「山ゴリラ」といわれる「マウンテンゴリラ」に二分されます。生息地はアフリカ大陸で、コンゴ、ガボン、カメルーン、中央アフリカ、赤道ギニア、ナイジェリアには西ローランドゴリラが、コンゴ民主共和国東部、ウガンダ、ルワンダにはヒガシローランドゴリラとマウンテンゴリラが暮らしています。

マウンテンゴリラは雄は180キログラムで立ったときは1.5メートルから2メートル、雌は120キログラムほどと霊長類最大です。

獰猛そうな印象もありますが、ゴリラは非常に繊細な動物のようです。人や他の動物が近づいたときは、胸をどんどんと叩く「ドラミング」によって「こっちに来るなよ」と威嚇します。

ストレス性の下痢になることも多いそうで、英国の動物園では胃の消化を促進する芽キャベツをクリスマスの贈り物にしたところ、おならの回数が増えて園が客に謝罪したそうです。食べるものは繊維性の植物がほとんど。

人が多い動物園だと厄介なようですが、アフリカの生息地では、糞をすることで植物の種を広く撒いたり、木々を刈って間引きしたり、ゴリラが森の生態系で果たす役割は大きいとされます。また、人間の行動を探る上でもゴリラの観察が役に立っています。

「ゴリさん」や「ゴリエ」、「ブタゴリラ」など、ゴリラは親しみをもってテレビや漫画のキャラクターの愛称に使われます。しかし、アフリカでひっそりと暮らしていることもあってか、脚光を浴びることはあまり多くありません。分子生物学のゲノム解析などでは、ヒトとの塩基配列の違いは1.23%ほどしかなかったことがわかったチンパンジーがもっぱら脚光を浴びています。

国連が2009年をゴリラ年とするのも、ゴリラが絶滅の危機に瀕している動物だから。たとえば、ヒガシローランドゴリラは1996年ごろには250頭ほどが確認されましたが、その後、頭数は半分ほどにまで落ち込みました。NGOのポレポレ基金(ポポフ)の努力などもあり、2008年には176頭にまで回復しているそうです。

国際ゴリラ年の行動計画では、生息地コンゴの森林破壊を抑えるプロジェクトや、カメルーンでの食肉販売目的のゴリラ猟を禁止するプロジェクト、アフリカ諸国でエコツーリズムを促進するプロジェクトなどがあります。

国際ゴリラ年のホームページ「Year of Gorilla 2009」はこちら(英文です)。
http://www.yog2009.org/
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2009年1月17日(土)は「科学コミュニケーションを捉え直す」


催しもののお知らせです。

2009年1月17日(土)、京都大学生命科学研究科が「科学コミュニケーションを捉え直す 生命科学とマスメディア」という研究会を京都大学の農学・生命科学研究棟で開きます。

同研究科教授の加藤和人さんの研究室が主催するもの。加藤研究室は、生命科学を対象にした科学コミュニケーションや生命倫理などの「科学と社会との接点領域」の実践と理論を研究しています。これまでも、ゲノム関連の催しものなどを重ねてきました。

今回は、科学と社会の関係づくりの仲介役である“マス・メディア”に焦点を当て、現状と課題を捉え直そうとします。

講演者は3名。

東京大学工学部広報室特任教員の内田麻理香さん。主婦の視点から家庭の科学を研究する「家庭科学総合研究所(カソウケン)」の主宰者でもあります。

早稲田大学政治学研究科講師の田中幹人さん。同研究科のJスクールというジャーナリスト養成プログラムの講師をしており、『iPS細胞』などの著書があります。

大阪大学コミュニケーションデザインセンター特任教授の春日匠さん。日本における「サイエンスショップ」(科学分野の市民相談窓口)の導入の可能性などを探っている方です。

政府の第3期科学技術基本計画では、「科学コミュニケーション」の重要さが叫ばれ、東京大学、北海道大学、早稲田大学などでは「科学コミュニケーター」を養成する講座などが文科省予算で開設されました。予算が2010年3月には切れるため、各大学は間もなく講座の“その後”がどうなるか発表することになるでしょう。

「科学コミュニケーターは職業の肩書きではない」という声も聞かれます。また科学コミュニケーションという言葉も一般市民に浸透せず「“内輪の言葉”になっていないか」という声も上がっています。

催しものでは、科学コミュニケーションに新たな視座が与えられるでしょうか。

「科学コミュニケーションを捉え直す 生命科学とマスメディア」は、2009年1月17日(土)13時から京都大学にて。参加費は無料ですが、事前に申し込みが必要です。詳しくは加藤研究室のホームページをご覧ください。
http://www.lif.kyoto-u.ac.jp/labs/biosoc/04information/info_08.html#023
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「ロボットは街でかならず死亡事故を起こすでしょう」

画像はイメージで本文内容とは関係ありません

科学技術にはいろいろな分野があります。その分野が進歩するほど、進歩したからこその問題もいろいろと出てきます。

生物学が進んだからこそ、クローン技術でヒトをつくってよいかどうかといった問題が生まれました。大きな視点では、技術全般が進歩したからこそ環境が問題化した点もあるでしょう(逆に技術力で環境がよくなった例も多いけれど)。

あることが解明されると先のことを知りたくなる。しかも自分の手によって知りたくなる。これが科学者の本来の性格だといわれます。この推進力は、いろいろな分野での進歩と、それに伴う問題の原因の一つにもなるでしょう。

先を知りたいからといって、問題を無視するようなことは、最近の「安全・安心」を求める社会では通じなくなってきました。そこで、研究者たちは自分たちによって「自主規制」を設けることがあります。

これから、そうした研究者による自主規制が必要になってくる分野の一つがロボット工学でしょう。『ターミネーター』のように、知能をもつロボットが暗躍する世の中になるまでにはまだ時間がかかるでしょうが、それでもその芽をいまから摘んでおく必要はありそうです。



2007年11月、千葉大学は「ロボット憲章」という掟を作りました。「知能ロボット技術の教育と研究開発に関する千葉大学憲章」ともよばれています。ごく簡単にいえば、知能をもつロボットが暴走しないようにロボットづくりへの心構えをもっておきましょうというもの。
第1条 (倫理規定)本ロボット憲章は、千葉大学におけるロボットの教育と研究開発に携わるすべての者の倫理を規定する。

第2条 (民生目的)千葉大学におけるロボット教育・研究開発者は、平和目的の民生用ロボットに関する教育・研究開発のみを行う。

第3条 (非倫理的利用防止)千葉大学におけるロボット教育・研究開発者は、非倫理的・非合法的な利用を防止する技術をロボットに組み込むこととする。

第4条 (教育・研究開発者の貢献)千葉大学におけるロボット教育・研究開発者は、アシモフのロボット工学三原則ばかりでなく、本憲章のすべての条項を遵守しなければならない。

第5条 (永久的遵守)千葉大学におけるロボット教育・研究開発者は、大学を離れてもこの憲章の精神を守り尊重することを誓う。
この憲章の特徴的な点は、心得として重要な部分の多くを「アシモフのロボット工学三原則」に負っているところでしょう。作家のアイザック・アシモフが考えたこの三原則についても、加えておきましょう。過去の記事をご覧ください。
第一条 ロボットは人間に危害を加えてはならない。また、その危険を看過することによって、人間に危害を及ぼしてはならない。

第二条 ロボットは人間から与えられた命令に服従しなければならない。ただし、与えられた命令が、第一条に反する場合は、この限りではない。

第三条 ロボットは、前掲第一条および第二条に反するおそれのない限り、自己を守らなければならない。
また、第3条にある「非倫理的・非合法的な利用を防止する技術をロボットに組み込む」という条文もアシモフの三原則にないという点で特徴的です。

事故や失敗は「起こるべくして起こった」などとよくいわれるものの、ほとんどの技術者は「これなら事故は起きるよね」とは考えません。“不慮の事故”にあらかじめ予防線を貼ることはとても難しいものです。なので、この第3条は、「事故が起きてから、同じ事故が再発しないための技術をかならずロボットに組み込む」とするのが現実的なのでしょう。

かつて取材をしたロボット工学者は「ロボットが街を歩くようになれば、かならず人を死なせる事故を起こすでしょう」と断言していました。開きなおっているわけではありません。自動車が普及するまでの歴史を見れば明らかだといいます。

「街を歩くロボットが人身事故を起こした時点で、ロボット問題点よりも便利さがはるかに上回っていなければなりません。同時に、ロボットが犯した“罪”に対して誰が責任をとるのかといった整備も整えておかなければならない」

「憲章」や「原則」といった倫理規定を考えるのは、それだけその分野が成熟したことを示すものでもあります。研究者たちが自分たちで考えた原則を、市民が甘くないかどうか判断するという形が、一つの理想的な姿になります。

「千葉大学ロボット憲章」の主旨などはこちらでご覧になれます。
http://www.chiba-u.ac.jp/general/robot/robot.html
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「今日銭湯風呂屋にて柚子湯を焚く」


きょう(2008年12月21日)は冬至。1年のうちで最も昼の時間が短くなる日です。

日本の伝統行事は、「暦優先」と「季節優先」という二つの種類にわけることができます。

「暦優先」のほうは、江戸時代の暦であれ現代の暦であれ「7月8日に七夕祭をする」とか、「3月3日に桃の節句をする」とか、「何月何日」が確定している行事です。明治5(1872)年から明治6(1873)年にかけて、日本の暦は「太陽太陰暦」から「太陽暦」に移りました。その影響で明治5年12月2日がこの年の最後の日に。翌日は明治6年1月1日になってしまいました。

この1か月の“飛躍”のせいで、同じ「何月何日」でも、江戸時代以前と現代とでは、季節的な時期がずれているのです。たとえば「7月7日」は、江戸時代以前は「秋」(現在の8月上旬)に当たっため秋の行事でした。しかし、現代の7月7日は梅雨時。星空をもとにした行事を曇天の下で行うのは、七夕が「暦優先」の行事となっているからです。

いっぽう、典型的な「季節優先」の行事例が、今日の冬至や夏の夏至など。江戸時代の太陽太陰暦が使われていたころも、現代の新暦の時代でも「昼の長さがいちばん短くなる一日」は、ほぼ365日の周期でやってきます。この場合、明治5年から6年への飛躍で動いてしまった「何月何日」のほうが移動するわけです。実際、江戸時代、昼の長さが最も短くなる日は「11月28日ごろ」でした。

江戸時代の江戸の町におけるおりおりの自然や行事を記した書物に『東都歳事記』があります。神田雉子町(いまの神田司町)に住んでいた町役人の斎藤月岑が記したものです。

冬至の歳時記で斎藤は「今日銭湯風呂屋にて柚子湯を焚く」と書いています。江戸のお風呂といえば銭湯。江戸幕府が始まる10年前の天正19(1591)年、銭瓶橋(いまの大手町2丁目)あたりに伊勢出身の伊勢与一が開いたのが銭湯のはじまりとされます。東都歳時記が記された天保9(1838)年には、すでに柚子湯に浸かる習慣は浸透していたのでしょう。

洒落心のあった昔の人々は「冬至」の「湯治」で、「柚子」の風呂に入って体が息災であれば「融通」が利くようになると願かけをしていたとも言われます。ただし、歳時記にもある「柚子湯」が俳諧や川柳として詠まれた記録はほとんど残っておらず、江戸の町人たちにとってどれだけ大切な行事だったかはなかなか知ることができません。

「融通」は「臨機応変」や「機転」という意味のほかに、「お金の流通」という意味もあります。世の中の金回りがすっかり滞ってしまった2008年の冬、柚子湯に浸かって「融通」をよくする願かけも一考かもしれません。

明日からは、明るい昼の時間が少しずつ長くなります。
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「空気を読む」は人間の特性


きょう(2008年12月20日)東京・弥生の東京大学でシンポジウム「社会性の脳科学 激動する現代社会を互いに協力して生き抜くには」が開かれました。主催は科学技術振興機構。

同機構の予算で執り行なわれている研究開発プログラム「脳科学と社会」の研究成果を披露するものです。

プログラムの領域総括である日立製作所役員待遇フェローの小泉英明さんが「社会性の脳科学:自己と他者のより良き共存のために」と題して、また、同じくプログラム内の「脳科学と教育」分野の研究代表者である東北大学教授の川島隆太さんが「前頭領域の新皮質とコミュニケーション機能:社会性の行動を支えている神経系」と題して講演するなどしました。

午前中のプログラムでは人間を含む霊長類の行動から脳のしくみを考えるという主題の講演が二つ。

東京都神経科学総合研究所特任研究員の渡邊正孝さんは「学習と社会活動を支える報酬系:サルにおける脳研究から人の社会行動へのアプローチ」と題して講演しました。

聴衆の興味を引いていたのは「猿は見たいものを見るためにジュース報酬を妥協するか」を調べる実験の話。雄猿の前に二つのものを用意します。一つは「好物のジュース」(T1)。もう一つは「好物のジュースと画像のセット」(T2)。この「画像」というのは、被験者の雄猿にとって性的に興奮する雌猿のお尻の画像や、ストレスの素になる嫌いな猿の画像などです。

T2のジュースに雌猿の臀部の画像をセットにすると、T1よりジュースの量が少なくても、被験者の雄猿はT2のほうを選びました。「ジュースが少なくても、雌のお尻を見ていたい」という雄猿の心情でしょう。逆に、T1よりジュースの量が多くても、T2に嫌いな猿の画像をセットにすると、被験者の雄猿はT1のほうを選びました。「嫌な猿を見るくらいならジュースが少なくてもいいわい」という心情でしょう。猿の行動は餌のみに縛られるものではないようです。

また、東京大学教授の長谷川寿一さんは「進化理論からみた人間の社会性発達」という題の講演をしました。米国の生物学者ジャレド・ダイアモンドの「人は第三のチンパンジー」という言葉を紹介して、人とチンパンジーの似ている点と違う点を話しました。

似ている点は「知的であること」「文化・道具・言語を駆使すること」「駆け引きをすること」など。チンパンジーもこのくらいのことはするそうです。また、喧嘩したあとに仲直りのための親和的行動をすることも人とチンパンジーは共通しているのだそう。

いっぽうで、違う点は「共感」や「思いやり」それに「教育」といった概念があるかどうかということなど。長谷川さんは「これらは相手の意図や要求を理解する人間の特性によるもの」と話します。喧嘩のあと仲直りをしようとするチンパンジーではあるものの、喧嘩で負けたチンパンジーに第三者が入ってなぐさめるといったことは決してしないのだそう。

ちかごろの人間社会では「空気を読む」という言葉が流行っています。相手の心を察するという点は、人間の行動を司る大きな特性のようです。“思いやり”や“読心”を脳の活性領域などの点から調べていくのが、この分野の今後の研究課題のひとつです。研究が進めば、空気を読む人と読まない人の脳のちがいも見えてくるでしょうか。

科学技術振興機構の研究プログラム「脳科学と社会」の紹介はこちら。
http://www.ristex.jp/examin/brain/index.html
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書評『自然の中に隠された数学』
黄金比に見られるように、数学と自然は古来から親密な関係があったとされています。その関係性に迫る本です。

『自然の中に隠された数学』イアン・スチュアート著、吉永良正訳、草思社、1996年、226ページ


書名にある「自然」は、野山の自然というより自然科学の自然といった意味が強い。海に棲む魚たちや、山に咲く花々などの形は幾何学的であるという話は少しだけだった。第6章の「対称性」から、第7章の生命、第8章の「カオス」、第9章の「複雑系」へと進む展開はなめらかだった。

「数学はパターンの科学」と書かれている。その物事がなぜそのようになっているのか、物事の状態を解釈するための道具が数学であり、またそこから数学的にパターンを発見できれば物事の予測が可能になるという。

著者もいうとおり、数学は奥に引っ込められ、存在していることが感じられない場合が多い。だからというわけではないだろうが、この本でもどちらかというと科学の紹介が中心で数学が裏方にまわっている部分も多かった。

いちばん印象的だったのは、「過去において誰かが知らなければならなかった」という言葉。加速運動を説明するためにニュートンにより創出されたのが微分方程式だし、自然の美の追求する中で発見されたのが黄金比である。

数学は自然の事実そのものであるにすぎず、その事実を発見した人たちにより感謝すべきなのかもしれない。

『自然の中に隠された数学』はこちらで。
http://www.amazon.co.jp/自然の中に隠された数学-サイエンス・マスターズ-イアン-スチュアート/dp/4794207204/ref=cm_cr-mr-title
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人が見る絵・文字を再現、国際電気通信基礎技術研究所の正体と過去


人が見る文字や絵を、脳の情報を介して再現する技術を国際電気通信基礎技術研究所がこのたび開発し、話題になっています。

ものを見たときの大脳の活動パターンを読み解くことで、見ているものを推定するというしくみ。成果発表の場となった科学紙『ニューロン』2008年12月11日号の表紙には、この技術で再現された「n e u r o n」の各文字や「×」などの幾何学模様を見ることができます。

多くの方は「国際電気通信基礎技術研究所なんていう国の研究機関があったのか」と思うかもしれませんが、法人としては株式会社になります。関西の産業界や学業界などからの要望や声を受けて1986年に立ち上げられた第三セクターの企業です。

今回の「脳から知覚映像を読み出す」という話題でにわかに注目を浴びていますが、過去22年の歴史があるわけです。これまでどのような研究成果を上げてきたのか見てみます。

2000年には、“タカラジェンヌ”の声で天気予報を読み上げるホームページサービスを開発しています。同社のCHATRAという音声合成技術が使われています。「明日の天気は雨です」などの文章を、タカラジェンヌの声のような合成音で再生するシステムです。



翌2001年には「マイクロオリガミ」の作成に成功しました。ガリウム砒素の基板に、インジウムガリウム砒素などからなる“ひずみ層”や、アルミニウム砒素による“エッチング除去層”などの様々な層を重ね、それをナノテクノロジーで加工し、極微の蝶つがいや三面鏡のような物体をつくりました。



さらに2005年には、携帯電話から送った“写真”が“絵”になって返ってくるサーバーを開発しています。写真画像をこまかく分解してから視覚表現を加えて、写真を絵画にするもの。同社はこの技術を「アルゴリズム筆絵」と呼んでいます。

これらの成果は“遊び心”が強い印象。「イグノーベル賞」で受賞されても違和感ありません。しかし、どれも独創的でこれらの発想や技術を生み出す研究所の文化から、このたびの画期的な「脳から知覚映像を読み出す」技術が生まれたといえるのかもしれません。

国際電気通信基礎技術研究所のホームページはこちら。
ttp://www.atr.co.jp/
同社の2008年12月11日のプレスリリース「脳から知覚映像を読み出す ヒトの脳活動パターンから見ている画像の再構成に成功」はこちら。
http://www.atr.co.jp/html/topics/press_081211_j.html
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募集中。科学ジャーナリスト賞2009受賞候補


「科学ジャーナリスト賞」という賞があります。優れた科学ジャーナリストの仕事を顕彰するもので、日本科学技術ジャーナリスト会議が2006年に設立しました。

過去の受賞者の顔ぶれを見てみると、毎日新聞科学環境部の元村有希子さん(2006年大賞)、受賞後に『生物と無生物のあいだ』がベストセラーとなった青山学院大学教授の福岡伸一さん(2006年賞)、NHKディレクターの村松秀さん(2007年大賞)、『チームバチスタの栄光』などを手がける作家の海堂尊さん(2008年賞)、医科学ジャーナリストの宮田親平さん(2008年大賞)など、さまざまです。

いま、同会議は来年の第4回にむけ、受賞候補を募集しています。応募締切は2009年2月28日まで(ただし、3月以降に発表されたものに限り3月末まで受け付け)。

賞の案内によると、賞の狙いは「科学技術に関する報道や出版、映像などで優れた成果をあげた人」。また「授賞者は原則として個人(グループの場合は代表者)とし、ジャーナリストのほか優れた啓蒙書を著した科学者や科学技術コミュニケーターなども対象」としています。

また、受賞対象は「広い意味での科学技術ジャーナリズム活動、啓蒙活動全般で、2008年4月から2009年3月末までに新聞、テレビ、ラジオ、雑誌、出版物などで広く公表された作品(記事、著作、映像など)」です。「広い意味での科学技術ジャーナリズム」は解釈の難しいところですが、「科学技術に関すること媒体などで世に知らしめた」程度に考えるといいでしょう。応募は自薦・他薦を問いません。

賞の選考委員は、白川英樹さん(ノーベル賞受賞者)、黒川清さん(前日本学術会議会長)、村上陽一郎さん(国際基督教大学教授)、米沢富美子さん(慶大名誉教授)、北澤宏一さん(科学技術振興機構理事長)など。同会議の理事や会員らによる選考会議を経て、最終的に選考委員の手によって大賞・賞が決まります。

発表は例年4月ごろ。授賞式は2009年5月に開催する日本科学技術ジャーナリスト会議総会で行います。

受賞作候補の応募は会員以外にも広く開かれていますので、「この人こそ」と、ぴんときた方は応募してみてはいかがでしょう。

日本科学技術ジャーナリスト会議「『科学ジャーナリスト賞2009』の候補募集について」はこちら。
http://jastj.jp/?p=116
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免疫活性の現場(3)
免疫活性の現場(1)
免疫活性の現場(2)

T細胞が抗原を認識して活性化する現場は、免疫シナプスではなくミクロクラスターであることがわかりました。

さらに観察を行うと、免疫の活性化が進んでからも、免疫シナプスの外縁部では次々とミクロクラスターがつくられ、レセプターが中心部に集まっていきます。つまり、活性化が“維持”される場所もミクロクラスターであることがわかったのです。免疫シナプスの形成は1時間ほど続きます。

免疫が活性化している現場は免疫シナプスではなくミクロクラスターであるという発見は、これまでの免疫のしくみの常識を覆しました。

さらに、T細胞の活性化に重要な補助刺激を制御するレセプター「CD28」がT細胞のレセプターと同じミクロクラスターに集合し、「プロテインキナーゼCθ」との相互作用でT細胞の増殖や活性化を担っているとことも明らかになっています。

これら免疫反応の解明は、花粉症、喘息、アトピー性皮膚炎などのアレルギー疾患やリウマチなど自己免疫疾患への新治療法につながる期待がもてます。また、移植手術後に使われる免疫抑制剤やがん治療での免疫賦活剤の開発にも役立てることが可能です。

ナノテクノロジーの免疫学への応用が、新しい科学の常識をつくりだしていくことでしょう。(了)
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「白黒」が苦手だけど好きな人たち


日本人は、白黒つけることが嫌いなのでしょうか、好きなのでしょうか。

豊臣秀吉が小田原城に攻め入ったとき、攻め込まれた北条氏直と腹心たちが城内で「講和だ」「篭城だ」と意見が分かれて決着が付かなかったという故事があります。なかなか結論が出ない会議は「小田原評定」と呼ばれるようになりました。

小田原評定になると、日本人はあっちの意見もこっちの意見も取り入れて、「折衷案」や「玉虫色の決着」で終わらせる場合が多いようです。

なぜでしょうか。

みなが、議論が終わってからの確執をおそれているのかもしれません。「私たちの案だけ取り入れたら、別案を出したグループと仲が悪くなるのでは」といった心配から「では、両方のよいところを見ていきましょうよ」という声が現れます。議論の対立を、そのあとの日常生活に引きずってしまう傾向が日本人には多いのかもしれません。

日本人は「白黒つけるのが苦手」といえそうです。

しかし、いっぽうで「日本人ほど白黒をつけるのが好きな民族はいない」ともいわれます。

日本人はある事柄について「それは、安全なのか、危険なのか」という結論を求めようとする傾向が強いといわれます。この傾向を示す典型例となるのが牛海綿状脳症に対する前頭検査の要求です。牛肉を食べて死に至る危険性は、街を歩いて交通事故に遭う危険性よりもはるかに低いにも関わらず、世論は「前頭検査をしないと不安」となっています。

このように日本人が考える背景には「牛肉を食べて健康被害が出るおそれは、ゼロとはいえない」という専門家たちの声に対する曲解がありそうです。専門家はどんな場面でも「危険が全くない」とは言いません。「危険がゼロとはいえない」は、「危険はまぁゼロだけど、完全にゼロだとはいえないので、『ゼロとはいえない』と言っておくか」という場合が多くあります。

しかし「ゼロとはいえない」を受けとった日本人は、「危険が残っている」と思うようになり、それがさらに「危険がある」へと発展し、しまいには「危険だ」になってしまいます。内発的な理論飛躍とともに、マスメディアなどの外発的な影響も大きいでしょう。

「白黒決めることは避けたい」「白黒してくれないと気が済まない」。日本人はこの両方の側面をもち併せているようです。

人との対話が絡むときは灰色の決着でも妥協するけれど、自分がどう思うかという場面では白黒はっきりさせないと気が済まないという、人の二面性を表しているのかもしれません。
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免疫活性化の現場(2)
免疫活性化の現場(1)



花粉などの抗原に対しては、特異的なレセプターをもつT細胞が免疫反応する。この基本的なしくみを発見した米国の免疫学者クップファーは、T細胞と抗原提示細胞のつなぎ部分である「免疫シナプス」こそが、免疫が活性化する“現場”だと考えました。

しかし、よく見ると、免疫反応は免疫シナプスが作られるよりも早く行われていたのです。

免疫反応が行われるはずの免疫シナプスが、免疫反応より遅く作られるとは。この矛盾した謎に取り組んだのが、理化学研究所の免疫・アレルギー科学総合研究センターグループディレクターの斉藤隆さんです。

免疫反応を顕微鏡で観察するには、対象のT細胞付近のみを照射し、周囲は暗いままにしておくことが必要です。そこで斉藤さんは、同センター免疫1分子イメージング研究ユニットリーダーの徳永万喜洋さんが開発した「1分子イメージング顕微鏡」を利用し、T細胞が活性化する様子を観察しました。

試料を斜めからレーザー光照射すると、近接場光という淡い光が100〜200ナノメートルという分子サイズでにじみ出ます。ここに調べたい試料を置けば、1分子レベルの動きを見ることができるわけです。

斉藤さんは、この顕微鏡のカバーガラス上に、抗原提示細胞を模した脂質二重膜を置き、上からT細胞を落として接触させることで免疫反応を再現しました。T細胞の反応を見きわめる上で斉藤GDが着目していた分子は主に三つ。抗原を認識するレセプター「TRC」、その情報をシグナル伝達する酵素キナーゼ「ZAP-70」、そしてシグナル伝達を受け活性化を担うアダプター「SLP-76」です。

これらを、2008年の下村脩さんのノーベル化学賞受賞でも有名になった「緑色蛍光タンパク質」で蛍光ラベリングし、経過時間ごとの動きを見ました。

「T細胞のレセプターを調べると、小さなドットが多く集まって免疫シナプスの中心をつくっていることがわかったのです」と講演会で斎藤さんは説明します。この「小さなドット」を斎藤さんは「ミクロクラスター」と名付けました。

さらに詳細な動きを調べると、動的な変化が見えてきました。「一つのミクロクラスターはレセプター、キナーゼ、アダプターをもちあわせていることがわかりました。抗原認識後、各ミクロクラスターは免疫シナプスの外縁に広がっていきます。その後、レセプターは互いに融合しながら免疫シナプスの中心に集まっていくのですが、キナーゼとアダプターは20分も経つと消えてしまったのです」。

抗原認識の直後はミクロクラスターに見られたキナーゼ、アダプターがやがて解離し、レセプターのみが集合して免疫シナプスの中心部を作る――。免疫反応初期の活性化のしくみが解明されました。この複雑で動的な変化から、T細胞が抗原を認識して活性化する現場は、免疫シナプスではなくミクロクラスターであることがわかったのです。つづく。
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吉岡幸雄さん「華やかな色こそが日本の伝統色」


今年2008年は、紫式部が『源氏物語』を著してから1000年。さまざまな記念行事や催しものが行われています。

12月11日(木)から16日(火)まで、東京の日本橋タカシマヤでは、「千年紀―源氏物語の色―染織家 吉岡幸雄の仕事」が開かれています。

吉岡幸雄さんは、京都・伏見にある「染司よしおか」の染師。源氏物語に見られる色彩美を、絹などの染め物で再現することを畢生の仕事としています。東大寺の「お水取り」に染め和紙を奉納するなどの活動も行っており、『日本の色辞典』や『日本の色を染める』などの著書も多数あります。

催しものの期間中は、午前11時から約45分間、吉岡さんが手がけた染め物を自らで解説します。源氏物語を深く読み込み、そこから現れ出る“色”を、染め物で再現します。

たとえば、第14帖の「澪標」。都落ちをして須磨で嵐に遭っていた光源氏は、嵐が治まるよう住吉の神に祈ります。また夢の中で、源氏は桐壺帝に、住吉の神のお告げだから須磨から明石に移りなさいと言われます。こうした一件のあと源氏は都へ返り咲きました。源氏は神に礼をするため住吉へ参詣します。

この一行の様子を紫式部は次のように表現しました(与謝野晶子訳)
深い緑の松原の中に花紅葉が撒かれたように見えるのは袍のいろいろであった。
吉岡さんは「当時の身分階級は、着物の色により示されていました。花紅葉を散らしたように見えたとは、位の高い人から低い人まで、本当に沢山の人が随行していたのでしょう」と話します。そして、最高位から順に、深紫、浅紫、浅紫、深誹、浅誹、深緑、浅緑、深縹、浅縹といった色を染め上げました。

「当時の高い階級の人たちは、季節に合わせて色をしつらえることに精力を傾けた」。その季節の色は、原色に近い鮮やかな調子で幾重もの彩られています。

「“わび”や“さび”とは、麗しい色がある対極としてあるもの。華やかな色こそが日本の伝統色だと思っています」。吉岡さんの言葉どおり、催し物の会場は鮮やかな数々の色で染められていました。

「千年紀―源氏物語の色― 染織家 吉岡幸雄の仕事」は日本橋タカシマヤで12月16日(火)まで。お知らせはこちらです。
http://www.takashimaya.co.jp/tokyo/event2/index.html
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量子力学の難しさを示した『R25』


東京とそのまわりでは毎週木曜に駅などで『R25』という週刊誌がただで配られています。25歳から30歳ぐらいまでの男性を読者対象にしています。

誌面の一企画にあるのは「R25ゼミナール」。惹句には「『知ってる』から『分かる』へ。世の中の「要するに」をクイズで学ぶR25的ドリル」とあります。

今週号(2008年12月10日発売)で扱われている主題が「量子テレポーテーション」。量子力学の話題を200字程度の短い解説ですが、読んでみると……。
量子コンピュータは、まったく異なる計算原理を用いて、驚異のスピードで因数分解をやってしまう。その計算の原理は「量子テレポーテーション」と呼ばれている。(画像の赤線は後から付けたものです)
量子コンピュータが得意とする分野の一つに「素因数分解」があります。素数と素数の掛け算でできている数を素数と素数に分解するのが素因数分解です。例えば391という数は、17と23の素数からできています。17と23を掛けて391にするのは簡単なものの、391を与えられて17と23に素因数分解するのはなかなか大変なもの。

「驚異のスピードで因数分解をやってしまう」という点はよいのですが、その次にある「その計算の原理は『量子テレポーテーション』と呼ばれている」という文章は訂正が必要かもしれません。

量子による計算で使う原理は量子テレポーテーションではなく「量子重ねあわせ」です。電子や光子などの量子のビット(量子ビット)は処理により「0」と「1」の状態を重ねあわせることができます。この重ね合わせの状態は、だまし絵で有名な「婦人と老婆」に喩えられます。同じ1枚の絵でありながら、婦人にも見え老婆にも見える。婦人と老婆の重ね合わせができあがっているわけです。同様に、量子も1量子ビットに二つの状態を重ねることができます。

この重ねあわせを使うと、同時に並行して計算をすることを意味する「超並列計算」をすることができます。量子コンピュータを並べるほど、その計算処理能力は自乗的に増していきます。

では、『R25』に「計算の原理」と書かれていた量子テレポーテーションはというと、これは「量子もつれ」という量子重ねあわせと似て非なる原理を用いた技術なのです。電子と電子、光子と光子などをある特殊な処理して「もつれ」の状態にします。すると、その電子と電子、光子と光子が遠く離れていても、一方の状態が決まれば、もう一方の状態が決まる現象を利用した技術が量子テレポーテーションです。

では、量子テレポーテーションが量子コンピュータの原理になりうるかというと、“筋ちがい”ということになります。量子コンピュータの計算でに量子テレポーテーションを使う必要はありません。

記事は「量子力学」という分野の括りの中で、「量子計算は量子重ねあわせによる」という話と、「量子テレポーテーションは量子もつれによる」という話を結びつけてしまい「量子の計算の原理は量子コンピュータ」といっているわけです。

喩えるなら「乗り物」という分野の括りの中で、「車はエンジンという原動力で動く」という話と「電車はモーターという原動力で動く」という話を結びつけて「車は電車という原動力で動く」といっているようなものです。

「量子力学とは何であるかわかった」と言っているうちは量子力学がまだ分かっていない、と言われます。「要するに」を示すことさえ難しいということを記事は示しています。

今週発行の『R25』の記事はインターネットで見ることができます。
http://r25.jp/honshi/archive/20081211/index.html
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免疫活性化の現場(1)


人のからだでは、免疫が微生物の侵入を防いでいます。

たとえば、スギ花粉という"抗原”が体内に入ってきたとき、スギ花粉の抗原のみに対応するT細胞というリンパ球がそれを認識し、自らを活性化し、異物に対する抵抗力を高めます。

こうしてT細胞は多くの病気を防いでくれているわけです。そのT細胞のまわりでどのような動きが行われているのかが、最近の研究で少しずつに明らかになってきました。

「ある抗原に対して特異的なレセプターをもつT細胞が反応するという免疫の基本的なしくみがある」と解明されたのは約20年前でした。そして10年前には、米国の免疫学者クップファーにより「免疫シナプス」が発見されました。免疫シナプスは、異物の侵入に最初に反応する抗原提示細胞とT細胞のつなぎ役です。神経細胞と他の細胞をつなげる「神経シナプス」と構造が似ているため、「免疫シナプス」の名が付けられました。

クップファーの発見以来、この免疫シナプスこそが、免疫が活性化する“現場”と考えられてきました。しかし、免疫シナプスからでは説明のつかない現象もありました。異物が体内に入ってから免疫シナプスの形成まで10〜15分かかる一方、細胞の活性化はわずか1〜2分後に始まっていたのです。

つまり、活性化の現場が作られるよりも早く、活性化が行われているという点が謎となっていました。つづく。
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駅お客さま流動調査カード


きょう(2008年2月10日)、JR新宿駅で「流動調査」が行われました

流動調査は、人や物がどこから来て、どこへ行ったかを調査するもの。有名なところでは、各都道府県がその年の1年間の年齢別人口変化などを調べる人口流同調査などがあります。

今回は、ホームに降りて、乗り換えや出場のためにコンコースへ降りようとするときに、黄色のジャケットの配布係員が「流動調査にご協力お願いします」と、言って写真の「JR新宿駅お客さま流動調査カード」を渡します。カードには「中央本線特急ホーム」など、ホームの名前が書いてあります。これで調査者は「この人はどこのホームを使ったのか」がまずわかるわけ。



カードを受けとった駅利用客は、乗り換えで別のホームにまた上ろうとするとき、「ご回収にご協力お願いします」と言って待ち受ける回収係員にカードを渡します。回収係員はこのカードをあとで集計します。これで、「何番線のホームで電車を降りた客が、何番線に乗り換える人数はどのくらい」ということがわかります。

カードには、水色、黄色、緑、紫色など、ホームの数だけ色が付いています、カードを分けるときの工夫なのでしょう。

客としては、ただカードを受けとって渡すだけなので、物珍しさから協力する人はかなり多いようでした。ただし、「調査のための大切なカードです」と書かれているだけであって、「何に役立つか」までは書かれていません。調べる目的や利点まで書かれてあると、より協力者は増えるのでしょう。
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野菜に“野菜権”


人権から発展した“動物権”という考え方があるようですが、では“野菜権”はあるのでしょうか。日本では野菜はどちらかというとののしられる対象として扱われてきました。

「おたんこ」といえば「なす」。「どて」といえば「かぼちゃ」。「だいこん」といえば「やくしゃ」。「もやし」といえば「っこ」。

「おたんこなす」は、遊女が嫌な客を「御短」つまり「短小」の意味で使っており、それに「小茄子」が付いたとされます。「御短小茄子」なのですね。

「どてかぼちゃ」は、土手に生えているほど、どこにでも転がっている価値のないものという意味のよう。「土手南瓜」。

「だいこんやくしゃ」は、語源が諸説あるようで、色の「白」と「素人」を掛けたとか「おしろいを塗りたくった」とかいう説があります。大根は食あたりがないことから「当たらない」という説も。「大根役者」。

「もやしっこ」は、「萌やしっ子」。語感どおり、ひょろひょろとした体力のない子のこと。『美味しんぼ』では「そんなことはない。もやしは栄養価が高い」と否定していました。

どの野菜も、人の容姿や態度などを蔑むときに利用されているわけです。言われた人にも失礼だし、喩えられた野菜にも失礼。

英語にも「キャベツのように無気力な人(cabbage)」といった言葉があるようですが、いっぽうで「黄瓜のように落ち着き払う(cool as a cucumber)」などと言われるように、まだ“野菜権”は尊重されている模様です。

野菜と人には広い意味での互恵的関係があります。人間が受ける恩恵のほうが大きいのかもしれません。取るに足らない野菜はありません。
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たんけん湖のまち


30歳台の方には、『たんけんぼくのまち』というNHK教育テレビの社会科番組を懐かしむ人もいるかもしれません。「チョーさん」こと長島茂(ながしましげる)さんが、商店の店員として下宿生活を送る中で、地元地域のいろいろな有様を地図で表していくといった番組です。

この番組で1984年から85年にかけて舞台となっていたのが長野県諏訪市です。諏訪市の人口は5万人ほど。大都会でもなく、農村でもなく、ちょうど中庸な規模の都市であるため、番組として扱いやすかったのかもしれません。

この番組では、諏訪市の代表的な地形である諏訪湖が何度も映されていました。諏訪湖は長野県と静岡県を流れる天竜川の水源です。水が豊富なこともあり、諏訪市にはセイコーエプソンなど、精密機械製造業の本社や工場が建ち並んでいます。

一昔前から諏訪湖で深刻化しているのが、堆積物の増加です。諏訪湖に流れ込む横河川、砥川、宮川などの川が泥などを湖に流し込み、それが堆積しているのです。諏訪湖の地底には200メートル以上の堆積物が沈殿しているといいます。

いっぽう、現在の諏訪湖の平均深度は4メートルほど。つまり単純にいえば、204メートルの深さがあった湖の、200メートルは泥などで埋まってしまったということです。いまも諏訪湖は毎年2センチメートルの嵩で土砂が堆積しています。

この土砂の堆積は、川の流れが生み出す自然の成り行きといえます。しかし諏訪湖が長年に渡り、湖畔の生活者に、水瓶として、また漁場として、さらに憩いの場として恩恵を与えてきたのも事実です。

いま諏訪湖では、土砂堆積の対策として、川が流れ込む河口付近の土砂の除去作業がおこなれています。

もし諏訪市を舞台にした「たんけんぼくのまち」が復活すれば、深刻化した諏訪湖存亡の危機についても取り上げるかもしれません。

参考ホームページ
長野日報2008年12月3日「諏訪湖流入3河川河口 土砂1000立方メートル除去へ」
http://www.nagano-np.co.jp/modules/news/article.php?storyid=12687
| - | 23:59 | comments(0) | -
「いつもの赤ライスワインで」


葡萄酒には色によって、赤、白、ロゼの3種類があります。赤ワインは赤い皮の葡萄を発酵させたもの。白ワインは白い皮の葡萄を使い、かつ果汁のみ発酵させたもの。ロゼは白ワイン使われるような薄い皮の葡萄を皮ごと発酵させたり、赤い皮の葡萄の皮をむいて果汁だけで発酵させたりします。

いっぽう、お米からつくられたお酒にも“赤い酒”があります。

ロゼワインをつくるのにいろいろな方法があるように、“赤い酒”のつくりかたも何種類かあります。

たとえば「あ、不思議なお酒」という不思議な名前のお酒があり「赤」の種類があります。日本酒づくりには酵母という糖をアルコールに発酵させる物質が欠かせませんが、広島県の酒造業者・賀茂泉の「あ、不思議なお酒(赤)」は、赤い色素をつくる酵母を使っているため、お酒の見た目がピンク色になっています。

また、お米そのものを白米でなく、色のついた種類を使うことで、米からつくられる“赤い酒”をつくることも可能です。色のついたお米には古代米の一つ「黒米」や、おなじく赤飯の源流とされる「赤米」などのがあります。なかでも、「黒糯米(くろもちごめ)」とよばれる種類は、アントシアンという色素がよく働き、“赤ワイン”ならぬ“赤ワイスワイン”づくりに一役買っています。アントシアンは、紅葉をもたらす色素でもあり、赤・青・紫色などの花や葉そして果実などの細胞液にある色素です。

お米からつくるお酒といえば多くの人は「日本酒」を思い浮かべますが、例えば調味料のみりんや、韓国のマッコリなども「お米からつくる酒」です。“赤い酒”の製造関係者には「赤い日本酒」と呼ぶことを好まない人たちもいる模様。ワインを好む女性などに狙いを定めているようで、「日本酒といっしょの括りにされると購買者の属性が中途半端になってしまう」という懸念があるようです。

もっとも店員から「今晩は何を」と聞かれ、「いつもの赤ライスワインで」と注文したところで、対応してくれる酒場はまだ限られているかもしれません。

賀茂泉「あ、不思議なお酒(赤)」の紹介はこちら。
http://kamoizumi.com/?pid=3313777
| - | 23:59 | comments(0) | -
「平野を拓いた木の道具」


仙台・長町南にある「地底の森ミュージアム」で、企画展「平野を拓いた木の道具 農具のはじまり」が開かれています。あす(2008年12月7日(日))まで。

地底の森ミュージアムは、この地で発掘された2万年前の「富沢遺跡」の保存や公開を目的とする博物館です。地下展示室には写真のような2万年の前の氷河期の世界が常設で展示されています。

企画展では、富沢遺跡のほか、仙台市内の高田B遺跡、中在家遺跡などから出土した木製品が展示されています。これらは旧石器時代よりもいまに近い弥生時代のものとされています。考古学者の山内清男が「日本の稲作は弥生時代にはじまった」」と証明しています。



これは斧の柄です。上はクヌギ、下はコナラ。遺跡周辺からは自然に生えているクヌギの化石は見つかっていません。離れた場所で加工され、遺跡のあたりまで持ち込まれたものと考えられています。いっぽう、同じく斧の柄に使われていたクリは、遺跡から自然木と加工木が同じ割合で出土しています。



中鍬とよばれる道具です。これに柄を付けて田圃を耕しました。機能的な形をするなかで、縁を角ばらせるなどの形も見られます。

仙台市教育長の新井崇さんらは挨拶で「近代まで使われていた農具の原形が、弥生時代までさかのぼることができるのは、当時の製作・農業技術の高さを表しています」と話しています。

企画展「平野を拓いた木の道具」は7日(日)まで。お知らせはこちら。
http://www.city.sendai.jp/kyouiku/chiteinomori/event/exhibi0810/index.html
| - | 23:59 | comments(0) | -
講演+参加者の語り=サイエンスカフェ


テーブルを囲み、コーヒーを飲みながら、科学を語りあう。ここ数年「サイエンスカフェ」という試みが全国各地で行われています。

きょう(2008年12月5日)仙台メディアテークで「東北大学サイエンスカフェ」が開かれました。今回が41回目、相当な数を重ねています。

まず、講演者の東北大学工学研究科准教授・五十嵐太郎さんと、大阪大学コミュニケーション・デザインセンター准教授の平川秀幸さんが、20分ずつ講演しました。

五十嵐さんは、グーグルが提供する道路画像サービス「グーグルマップストリートビュー」を画像とともに紹介。このサービスは、主要都市の住所を入力すると、当地の公道が画像として写し出され、さらに矢印に沿って画面上を前進・後退できるもの。全地球を人工衛星から描写した「グーグルアース」につぐ、第二の衝撃といわれています。

平川さんは、日本でも見られるようになった「サイエンスショップ」を紹介。サイエンスショップは、市民と科学者を仲介する窓口。平川さんは「市民のための科学相談所」と言います。発端はオランダのユトレヒト大学。日本では大阪大学や神戸大学などでサイエンス・ショップが立ち上がりました。「近隣の川の汚染状況を調査してほしい」といった、市民の要望に、大学のサイエンスショップが応じ、学生や研究者に調べさせます。依頼主も調査に参加します。

二人の講演が終わると、数個のテーブルごとに参加者が「グーグルマップストリートビューは使ったことがあるか」とか「サイエンスショップを知っていたか」といった主題で語らいます。ファシリテーターと呼ばれる、テーブル司会者が「あなたはどうですか」と、意見を聞いていきます。

時間が経ったら、各ファシリテータがテーブルで出された意見や質問をマイクで発表。「ストリートビューにはそもそもどんな意味があるのだろう」「サイエンスショップは『探偵ナイトスクープ』と同じくらいの発信力があれば今後、認知されていくだろう」といったものです。

こうしたテーブルからの意見・質問に、講演者の五十嵐さんと平川さんが応えていきます。「ストリートビューの意味はまだ見えないが、グーグルは世界を人間の手で”再構築”したいという目標がある。ストリートビューはそれに合っている」とか「他大学のサイエンスショップもだが、『探偵ナイトスクープ』はたしかに強力なライバル」といった具合です。

科学関連の講演会は数多く行われていますが、テーブルごとに参加者が意見を言いあうという形は、意見交換とか知識共有といった別の価値を生みます。参加者にとっての快適なサイエンスカフェは、司会者やテーブルのファシリテーターの準備に掛かっている部分が大きいようです。

「東北大学サイエンスカフェ」のお知らせはこちら。
http://cafe.tohoku.ac.jp/
| - | 23:59 | comments(0) | -
NHKのニュース原稿の癖


英国の国営放送局BBCのニュースで使われる英語は、イギリス英語の標準的なものとされています。広く放送で見聞きできる発音や言葉づかいが言語習得の指標になるというのは便利なことかもしれません。

NHKのニュースは日本語の標準的といえるでしょうか。ラジオのニュースはともかく、テレビのニュース番組を使っての言語習得はおすすめできそうにありません。

「述語を述べない文」があまりに多すぎるからです。たとえば、名詞などで終える体言止め。また、助詞で終えるといった使い方も、この述語を述べない文に含まれます。

「述語を述べない文」の模範例は、平日21:00からの「ニュースウォッチ9」の原稿です。例えば、きのう(2008年12月3日)のトップニュースを文字にしてみましょう。太字の部分が「述語を述べない文」。
4万5千通の「年金とくべつ便」を含む12万通もの郵便物。なぜ2か月間も放置されていたのか。その原因が明らかになってきました。

配送を依託された業者。そして郵便事業会社。信じられないミスが繰り返されていました。 

(市民の声)

JR貨物の大阪梅田駅に2か月あまり放置されていた年金とくべつ便を入れたコンテナ。9月23日、埼玉県の郵便事業会社の支店から東京の運送会社「中央通運」が発送。梅田駅には翌日、到着しました。受けとるはずだったのは大阪の運送会社「合通」。中央通運はコンテナを発送した際、伝票を送信しました。しかし、合通の担当者は配車係に渡しておらず、トラックが受け取りに向かうことはありませんでした。

それでは、伝票はどこに行ったのか。

(合通の会見)

運送会社のミスはさらに。合通はFAXで「発送案内」とよばれる確認を中央通運から受け取り、返信する必要がありました。しかし、そのまま放置。FAXを送った中央通運も返信がないことに気づきませんでした。ミスは続きます。合通は、コンテナの放置に気づいたJR貨物から再三にわたって連絡を受けていたのです。最初の連絡はコンテナが到着した5日後。しかし、合通の担当者は、顧客の都合が何かであえて駅に保管しているコンテナだと思い込み、詳しい確認をとらなかったということです。

(合通の会見)

配送を依頼した郵便事業会社は何をしていたのか。年金とくべつ便が届かないという苦情が相次ぎ、先月14日、社会保険業務センターから調査を依頼されていました。ところが郵便事業会社は調査を一切行いませんでした。依頼を受けた支店が本社に報告していなかったと説明しています。日本郵政の西川社長は……。

(日本郵政社長のコメント)

その上で西川社長は、今後、関係者の処分も検討する考えを示しました。運送会社のミスと郵便事業会社のずさんなチェック。放置されていた4万5千通の年金とくべつ便は、今日ようやく配送が始まりました。
市民の声や関係者のコメントをのぞいた“地”の文は29文。そのうち「述語を述べない文」は10文になります。3つに1つ以上の割合です。

とくに目立つのは体言止めです。「配送を依託された業者。そして郵便事業会社。」「しかし、そのまま放置。」などなど。上の文は違いますが、「ウォッチ9」のニュースでは、各項目の冒頭文で「何々の問題。」のように、主題を言いっ放しにする体言止めがよく使われます。

体言止めは、文章にところどころ挟むと律動がよくなるので効果的とされます。しかし、体言止めが2文つづいたり、あまりに多かったりすると、かえって目障り・耳障りになる場合もあります。

「ウォッチ9」の体言止め頻出には「映像主体で、言葉は映像を補うもの」といった番組づくりの姿勢があるのかもしれません。ただ、この番組で外国人が日本語を習得しようとすると「やけに体言止めを使う日本語修得者」が増えそうです。
| - | 23:11 | comments(0) | -
「ゲリラ」で「ゼロ」で「オワンクラゲ」な2008年


2008年の「新語・流行語大賞」がこのたび発表されました。『現代用語の基礎知識』が選ぶものです。

流行語はその年の世相を反映するものです。科学技術関連の言葉を拾ってみましょう。

まず大賞の10傑から「ゲリラ豪雨」が選ばれました。受賞者はウェザーニューズの石橋博良代表取締役です。

大賞ホームページの解説には「いきなり局所的に発生する集中豪雨。予測が難しいことからこう呼ばれる。正式な気象用語ではなく、1970年代にはすでに新聞等で使われていたが、近年の豪雨の多発によりマスコミではすっかり定着した」とあります。「ゲリラ豪雨」は、地球温暖化が話題になるより前から、存在が認められていたわけですね。

受賞語10傑のうち科学技術が関係するものは「ゲリラ豪雨」があるくらい。 ちなみに昨2007年も、おなじく気象関連の「猛暑日」が10傑に入っている程度です。

今年の候補語には、科学技術関連の言葉はどのようなものが入ったでしょうか。

「糖質ゼロ」は、発泡酒などでさかんにうたわれた言葉です。糖質は炭水化物や炭水化物の誘導体のこと。それが「ゼロ」であるという点は、「100%なのか0%なのか」を知りたがる日本人に受けるのかもしれません。

「オワンクラゲ」は、化学賞の下村脩さんが蛍光たんぱく質を発見することになったクラゲのことです。下村さんがノーベル賞を受賞したことで有名になりました。

「汚染米/事故米」は、日本が関税との関係から一定量を輸入しなければならない米にカビがはえていたりしたことから名付けられたもの。厚生労働省が「事故米」を使ったのに対して、報道機関は「汚染米」を使い、マス媒体のより衝撃的に報じようとする姿勢が議論されました。科学技術より社会問題の色合いのほうが強いといえそうです。

候補60語のうち科学技術に少しでも関連しているといえそうなのは「ゲリラ豪雨」を含めた上の4語ほど。新語・流行語にかぎれば、2008年の科学技術分野はそれほど話題豊富とはいえなかったようです。

「新語・流行語大賞」のホームページはこちらです。
http://singo.jiyu.co.jp/
| - | 23:59 | comments(0) | -
絶対に破られない暗号(3)


アリスがボブに送る文字の連続はランダムであり、ボブがその文字の連続を受信機で受けとった結果もランダムです。ランダムな文字の連続は意味ある文章として読みとることはできないものの、1回限り有効な「鍵」として使うことはできます。

アリスが送った光子の偏極の向きを、盗聴者のイブは検出器で測定しようとします。しかし「縦横スキームだけわかる検出器」で測定しても「斜めスキームだけわかる検出器」で測定しても、どちらの場合も半々の確率で、光子の偏極の向きを取り違えてしまうのです。斜めに入ってきた光子も「縦横スキームだけわかる検出器」に掛かれば縦横スキームになってしまい、縦横の向きで入ってきた光子も「斜めスキームだけわかる検出器」に掛かれば斜めスキームになってしまうのですから。

ただし、これは受信者ボブとて同じ条件。イブとちがうのは、送信者イブとの電話により、何番目の文字は有効(検出器スキームと光子偏極スキームが一致)で、何番目の文字は無効(検出器スキームと光子偏極スキームが不一致)かを、確認することができる点です。

もし、この電話の会話をイブが盗聴できたとしても、もともと半数の光子の偏極を取り違えているので、アリスとボブにとって有効な文字は読みとれないことになります。

さらに、量子の特性が生かされるのはこの先です。

アリスはn番目の文字として、斜めスキームの光子をボブに送ったとします。これを盗聴者イブは「縦横スキームだけわかる検出器」で読みとってしまったとします。つまり誤りです。

ここで、光子のスキームを見てみると、アリスの段階では斜めだったものが、イブの検出器により縦横に変わってしまうわけです。

さて、アリスとボブの電話での会話。

アリス「私が送ったn番目の文字は『\』でした」

ボブ「あれ、おかしいな。n番目は、斜めスキームだけわかる検出器に掛けたら『/』が通ってきたぞ。本当は引っ掛かるはずなのに」

これは、途中でイブが「|」か「−」に光子の向きを変えてしまった結果、ボブの斜めスキームだけわかる検出器で「/」が通過してしまったことを表しています。

つまり、アリスとボブが電話で光子の偏極について照合しているとき、辻褄が合わない結果が出てしまったとしたら、それは誰かに盗聴され、偏極の向きに“ひねり”を加えられていることを意味します。

アリス「この暗号は盗聴されているわね」

ボブ「そのようだね。もう一度やりなおそう」

イブ「ちっ。ばれたか」

こうして量子暗号は、1回限りの有効性と、光子の偏極の向きが変わってしまう特性があるおかげで、絶対に破られない暗号となりうるのでした。量子暗号が今後、世の中に広まってゆく日はそう遠くないでしょう。了

参考文献
サイモン・シン『暗号解読』
| - | 23:59 | comments(0) | -
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