科学技術のアネクドート

アイヒマンの法則 「絶対に続けていただきます」――法則 古今東西(3)


映画にはたまに主人公が電流ぜめの拷問にかけられる場面があります。主人公を横目に、冷酷な長官と臆病な部下のあいだでこんな会話が。

 長官「まだあいつは白状しないのか」
 部下「へ、へぇ」
 長官「よし、電流を最大級にしろ」
 部下「し、しかし、長官。これ以上やったら、あいつは死んじまいますぜ」
 長官「構わん、続けるんだ。やれ!」
 部下「ひ、ひー」(震える手)

よくある映画では、部下が電流を最大級にする直前で、主人公に助けが来るなどして、窮地を脱することが多いようです。

しかし現実の世界では「やれ!」と言われたらやってしまう人はかなりいるようです。

米国の心理学者スタンリー・ミルグラムは、1961年、「上役に電流ぜめを指示された人は、どこまで従ってしまうか」を試すという実験をしました。

被験者はもう一人の“役者”と対になります。被験者と役者は別の部屋に入ります。役者は簡単な4択問題に答えます。まちがった場合、被験者は向こうにいる役者にたいして15ボルトの電流をあたえなければなりません。4択問題は続き、役者が2問まちがえると、被験者が役者に課す電流は30ボルト、3問まちがえると45ボルトに。

被験者はあらかじめ、電流ぜめがどのようなものかを45ボルトで体験させられています。

さらに問題は続き、役者はまちがえていきます。60ボルト、75ボルト、90ボルト、105ボルト。電流があがるごとに、役者の部屋では「うわー」「ひー」「ぎゃー」と、痛みの声がひどくなっていきます。

しかし役者は役者。じつは、問題をまちがえても電流は彼の体を流れず、録音されていた「痛みの声」が部屋から流されるだけでした。

だまされていることを知らない被験者。さらに問題は続き、役者は4択問題をまちがえていきますいきます。120ボルト、135ボルト、150ボルト。

被験者はさまざまな経歴をもった男性40人。なかには「相手がかわいそうだからもうやめましょう」と実験者に中止を訴える人もでてきました。しかし実験者はこう答えます。「続けてください」。

じつは、被験者が実験の中止を求めたときの対処法も決められていました。1回目は「続けてください」。2回目は「この実験を進めるためには、あなたに続けていただかなくてはなりません」。3回目は「あなたが実験を続けることが、絶対に必要なのです」。4回目は「あなたに選択肢はありません、絶対に続けていただきます」。

被験者が5回目の実験中止嘆願をするか、電流の最大値450ボルトを3回流したところで、実験は終了です。

被験者は40人。5回目の実験中止嘆願と450ボルト3回到達の率はどうなったでしょうか。ミルグラムはあらかじめイェール大学の学生14人に予想調査をしていました。その結果は、14人の平均で「450ボルト3回到達までたどりつく被験者は1.2%」となりました。

しかし実際はこの予想からは大きく外れました。被験者40人中、450ボルト3回まで到達した人は25人にもなったのです。

この実験から心理学では「どんな善良な人間も、 閉ざされた環境の中で権威を持つ人の命令があればどこまでも残虐になる」という法則が、導き出されているといいます。

実験をした人物はミルグラムですが、この実験や法則には「アイヒマン」の名前がつけられています。アドルフ・アイヒマンはナチス・ドイツの親衛隊中佐。ユダヤ人大量虐殺の実行者でした。ドイツ敗戦後、1960年にイスラエルの首都エルサレムで行われた裁判でアイヒマンは、ユダヤ人虐殺を「上官の命令に従っただけ」と証言したのでした(画像は裁判の模様)。

この証言が本当かどうかを実験で解明しようとしたのがミルグラムでした。実験のかぎりでは、アイヒマンの「命令に従っただけ」という証言は、かなりの信憑性があったといえます。ミルグラムの実験結果が『異常・社会心理学誌』に発表される1963年の前年、アイヒマンは処刑されました。毒ガスでも電流ぜめもなく、絞首刑です。

治る.com「ミルグラムのアイヒマン実験」
http://www.naoru.com/ijime.htm
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「“アリの行列”と“蛍の光”から考える効率性」


日経ビジネスオンラインのコラム『多角的に「ストレス」を科学する』に、きょう(2008年10月30日)「“アリの行列”と“蛍の光”から考える効率性 渋滞学はストレス軽減への近道」という記事が掲載されています。記事の編集をしました。執筆は尹雄大さん、撮影は佐藤類さん。

渋滞学は、取材した東京大学准教授の西成活裕さんが提唱した学問。自然界や社会で起きるさまざまな渋滞のしくみを科学します。とくに、渋滞が起きる境目を数理的に探る点が渋滞学の特徴です。

きょうの記事は後編。私たちが生活を送る上で知っておくと得な研究成果を西成さんはつぎつぎ紹介しています。

たとえば、百貨店などで2台動いているエレベーターは、後から来るものに乗るべし、という助言。「最初に来たエレベーターに乗ったほうが早く目的階に着くと思いがちですが、各階の客を拾っていくのでかえって時間がかかる場合が多い」と、西成さんは言います。

たしかに、エレベーターで地下の食料品売場から10階の催しもの会場などに行くときは、はじめの台に乗ると1階や2階などの低い階でどんどん客が乗ってきそうです。でも1台見過ごせば、各階に待ち客のいないエレベーターに乗れるから、先発を追いぬかす場合が多いのでしょう。

西成さんの話に共通している点は、焦って目先の利益を得ようとせず、大局を見て総合的な利益を得よ、といったもの。「木でなく森を見ろ」や「急がば回れ」といった言葉が当てはまります。

西成さんはいま、渋滞学との共通点の多い「無駄学」を研究中。11月20日には新潮社から『無駄学』が刊行されます。

『多角的に「ストレス」を科学する』「“アリの行列”と“蛍の光”から考える効率性」はこちら。
http://business.nikkeibp.co.jp/article/life/20081021/174618/?P=4&ST=leaf
「小仏トンネル付近」でなぜ渋滞が発生しやすいのかの理由も書かれている前編「“イライラ”を生む“ノロノロ”のしくみ」はこちら。
http://business.nikkeibp.co.jp/article/life/20081021/174617/
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築地市場の脚


東京の築地市場は、場内にも一般人が入れるお店が並んでいて、寿司屋などの前には早朝から長蛇の列が並んでいます。

はじめて市場内を訪れる人が新鮮に感じるのは、見なれない乗り物でしょう。車の正面に円筒があり、その上に大きな丸い鉄製の方向握り。片手でたばこを吸い、片手でこの握りをもった威勢よさそうな魚業者たちが、魚などを積んで所せましと走りまわっています。

この車は「ターレットトラック」といいます。「ターレット」は、英語で「旋回刃物台」や「旋回砲塔」の意味。円形または円筒形でぐるぐる回るものに使われることばです。

ターレットトラックも名のとおり、動力となる正面の円筒が方向握りとともに旋回します。ターレットトラックを製造している埼玉県の朝霞製作所は、乗り物の特徴を次のようにあげています。

特徴1…なんといっても小回りの良さ:小回りの秘密はターレットならではの駆動輪(前輪)が真横を向き、後輪を軸にその場で旋回できるためです。

特徴2…運転が簡単:難しい技術や要領は必要ありません。誰にでも簡単に乗りこなせます。

特徴3…とにかく丈夫:構造がシンプルでトラブルが少なく、丈夫なボディーが魅力です。

築地市場内の人気寿司屋には、順番待ちの観光客が三重にも四重にも行列をつくっています。そうしたなか、幅の狭い通路をターレットトラックはかなりの勢いで駆け抜けていきます。魚業者たちの運転ぶりは、プロ演奏者が楽器を自分の体の一部と化して弾いている姿と似たものがありますね。いったいどうやって運転しているのでしょう。

鉄製の方向握りの輪の内側に、じつはもう一つ細い鉄の輪が。これが加速握りで、方向握りの輪に寄せるように握ると動くというしくみ。また制動機は右足の足元についています。これとは別に手動の制動機もすぐ近くにあります。さらに、手動弁があり、左に向けるとターレットトラックは前進し、右に向けると後退します。警笛もついていますが、これを使うより「どいたどいたー」と声を掛ける魚業者のほうが多いかもしれません。

ターレットトラックは登録商標ですが、おなじような車を製造している企業もいくつかあります。“本家”の朝霞製作所は種類を取り揃えており、東京築地市場用に設計された車もあります。「小型で小回りのきく車で、朝の混雑した時間帯の運搬作業に最適です」(同社製品紹介より)。

朝霞製作所によるとターレットトラックは誕生からまだ20年ほど。昭和30年代に街なかを走っていたオート三輪などに比べると、歴史はまだ浅いのですね。でも、すっかり築地市場の“脚”として定着しています。

参考ホームページ
朝霞製作所ホームページ
So-net BackStreet 「築地市場内を疾走するあのクルマに乗ってきた」
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「マン・ザ・ハンター」と「マン・ザ・ハンテット」と


人のはじまりともされる猿人のアウストラロピテクスが地球に現れたのは400万年ほど前といわれています。

ちかごろは「ニート」や「ホームレス中学生」などが人の生きかたに論点をあたえています。かたや400万年前の人の生活はどのようなものだったのでしょう。

生活を送るうえでの男女の役割という点では、まず「男性=狩猟者」説とが見逃せません。人は肉を食べるが、猿は食べない。そこで、人と猿の分岐点でも、人は動物を狩猟していたという説です。20世紀前半に人類学者レイモンド・ダートが唱えました。

英語でこの説は「マン・ザ・ハンター」とよばれます。「マン」が「人類」のほか「男性」の意味でもあるからか、この説ではおもに男が狩猟をしていたという点が強調されるようにもなったようです。

それに対して「女性=採集者」説が1970年代に登場します。男が狩りをするのではなく、女がよりかんたんに穫れる動物などを採集することで、人の生活は成り立っていたという説です。提唱者は文化人類学者アドエンヌ・ジールマン。

これら男女のちがいからの観点を論じるよりまえに、そもそも人は動物の餌食だったという説が注目されています。

これは「人類=被狩猟者」説とよばれます。古生物学者ボブ・ブレインが南アフリカで発掘したアウストラロピテクスの頭の骨に、彪の牙の跡が見つかったのです。当時、人はネコ類よりも弱い存在だったとブレインは考えました。

この「人類=被狩猟者」説は、「男性=狩猟者」説よりも「女性=採集者」説を支持しそうです。野獣になるべく合わないようにして、小動物や植物などを採って生活していたとなれば、「狩猟」ではなく「採集」にブがありそうです。もっとも女性だけでなく男性が採集をしていても不思議ではありませんが。

参考文献
田中-貴邑冨久子著『がんで男は女の2倍死ぬ』
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ティティウス-ボーデの法則 広めた者こそ法則の主?――法則 古今東西(2)


法則とは、真実や事実にくらべるとかなり真実性は揺らぐものなのかもしれません。そして法則を伝える人によってもその信憑性や知名度はかなり変わるものなのかもしれません。

天文学には「ティティウス-ボーデの法則」があります。水星から各惑星までの距離は、次式のnに整数を入れた距離に支配されているというもの。



たとえば、水星からもっとも近い金星に対しては、n=0を入れます。



つぎに水星から近いのは地球。地球に対してはn=1を入れます。



こうして、以降も火星、木星、土星、天王星について、それぞれ、n=2、n=4、n=5、n=6、と入れていきます。

それぞれの惑星についての計算結果は、次のようになります。

 金星 0.7
 地球 1
 火星 1.6 
 木星 5.2 
 土星 10.0
 天王星 19.6

いっぽう、実際の水星と各惑星の距離を倍数で表すと次のようになります。

 金星 0.72
 地球 1
 火星 1.52
 木星 5.2
 土星 9.54
 天王星 19.19

どの惑星も、計算結果と実際距離はさほどかわりません。地球や木星にいたってはぴたりと一致します。

この法則には“つっこみどころ”もあります。たとえば、n=3に当てはまる惑星が存在しないのではという指摘。式にn=3を当てはめると、出てくる数値は2.8となります。

火星と木星との間には惑星なし。しかし、法則の支持者にとって後押しになったことに1801年、この2.8にきわめて近い距離に、小さな天体が発見されたのです。シチリア島パレルモ天文台長ジュゼッペ・ピアッツィが発見し、その星は「セレス」と名付けられました。

一難去って一難。この法則はつぎに、n=8に当てはまる惑星が存在しないのではという指摘を受けます。式にn=8を当てはめると、出てくる数値は38.8。いっぽう、天王星の外側をまわる海王星は、水星との実際の距離は30.06。法則から大きく逸れてしまうのでした。

法則とは、法則が見つかってから事実に当てはめるとそのとおりになる場合もあれば、ある事実を見つめると法則になる場合もあります。ティティウス-ボーデの法則は後者のほう。こうした事実から作り出される法則は「経験的法則」ともよばれます。

このティティウス-ボーデの法則は、ティティウス・ボーデ氏が生み出したのではありません。ティティウス氏とボーデ氏の名前がついているのです。

1766年、ドイツの天文学者ヨハン・ダニエル・ティティウス(1729-1796、画像左)が初めてこの法則性に気づいたとされます。翻訳家であったティティウスは、スイス出身の生物学者シャルル・ボネの書いた『自然の思想』第2版の訳注に、この法則を書き残したのでした。

しかし、当時の学者たちはこの法則に見向きもせず、埋もれてしまいそうになりました。あまりに根拠に乏しかったからともいわれています。

ところが、この法則を見逃さなかった同世代人がいました。ドイツの天文学者ヨハン・エレルト・ボーデ(1747-1826、画像右)です。ティティウスの影の薄い発表から6年後の1772年、彼は自著である天文入門書にこの法則を脚注として載せました。強かなことにボーデは「この法則はティティウスという別人がつくった」と、積極的には言いませんでした。さらに学会では積極的なまでにこの法則を宣伝したといいます。

結果、今度はこの法則が学会で受け入れられて、ボーデは有名な天文学者へ。いつしか、この法則は「ボーデの法則」とよばれるようになりました。

最近では、海王星の近くに、キュビワノ族と、ブルーチノ族という小天体群が見つかっています。キュビノワ族には冥王星も含まれますが、冥王星より大きい星も見つかったことが、冥王星の惑星降格の理由にもなりました。

海王星に、キュビワノ族、ブルーチノ族の水星からの距離を足して3で割ると、37.9になるといいます。これは法則の式にn=8を当てはめたときの38.8にかなり近づきます。

こうして、最近また少しだけ、ティティウス・ボーデの法則は、息を吹き返そうとしています。もし将来、系外惑星でもおなじような距離関係が見つかったとしたら、この経験的法則は真理的法則へと変わるかもしれません。

参考ホームページ
上原貞治「『ボーデの法則』とその見直しについて」
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研究と報道の立場のちがい鮮明に。食と健康のコミュニケーション(2)


きのう(2008年10月25日)行われたシンポジウム「現代を見る目、めざす未来 食と健康のコミュニケーション」の第2部では、「現代を見る目、めざす未来」と題して、6人の識者が食の問題に対するジャーナリズムのあり方を討論しました。

東京国際大学准教授の小室広佐子さんは元NHKキャスター。メディア研究者として「専門家と一般人の意思疎通は、非常時だけでなく平常時にも行うことが大事。共通認識の積み上げが必要」と話しました。

元朝日新聞編集委員で医療ジャーリストの田辺功さんは、報道の現場に長くいた実感から「メディアが物事を“見通した上で”報じることはない。走りはじめたらそのまま突っ走るもの」と、報道機関の特性を述べました。

『メディア・バイアス』の著者がある科学ライター松永和紀さんは、メディアのバイアスはいつの時代もあるとしつつ、「いまは一般人がそのバイアスに気づけるようになった。市民も自分で(研究機関や行政などの)プレスリリースなどを咀嚼して社会を動かしていく意思表示をしていける」と、時代の変化に希望的。

食品成分などを研究する鈴鹿医療科学大学教授の長村洋一さんは研究者の立場から市民の姿を捉えます。「理科の勉強をした人としていない人の差が大きい。知識として共通に持てば怖がらずにすむような現象は多くある」と話します。

科学技術振興機構社会技術研究開発センター長の有本建男さんは、「報道のねつ造問題などが起きたとき、それに対する見解を示すような役割を日本科学技術ジャーナリスト会議などの機関が担ってはどうか」と提案しました。

進行役の科学ジャーナリスト小出五郎さんは「人は、自分のきわめたい分野の“山”を登りながら、他の分野の山も俯瞰するような形でコミュニケーションをはかっていくのがいいのでは」と、議論を締めました。

シンポジウムの議論ではそれぞれの立場の識者が登壇する以上、満場一致の結論が出ることはほぼありません。今回も「報道側に科学的知識を高めてほしい」と望む研究者と、「日々、時間に追われる中でじっくり勉強するのは構造的に無理」という報道者の立場のちがいが鮮明になりました。

しかし、こうした議論がなくなってしまえば、研究者と報道者それに市民の溝はより深まることになります。議論を続け、そこで話しあわせたことを発信していく中に、新たな考え方が出てくるのかもしれません。
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「100%の安全はないと理解して」食と健康のコミュニケーション(1)


きょう(2008年10月25日)、東京・四番町の科学技術振興機構(JST)ホールで、シンポジウム「現代を見る目、めざす未来 食と健康のコミュニケーション」が行われました。主催は日本科学技術ジャーナリスト会議とサイエンス映像学会、科学技術振興機構。

狂牛病、自給率の低下、毒入り餃子問題、農業の高齢化、賞味期限や産地の偽装、汚染米など、毎年のように食の問題は話題になっています。今回のシンポジウムは、この食の問題を題材にして、社会と科学技術をつなぐ情報の伝え方と報道のしかたについて議論を深めるもの。

第1部の基調講演では、日本学術会議会長の金澤一郎さんが「科学と社会の情報交換」という主題で話しました。

リスクの捉え方の難しさを金澤さんは強調します。狂牛病対策として、日本では月齢21か月以上の肉牛に検査を行ってきましたが、「これまで41万頭を調べて、脳にプラスの反応が出たのは12頭」。

しかし、「牛肉が危険か危険でないか」の白黒をはっきりさせたい市民にとっては、12頭の異常(しかも食べない脳の部位)でプラスの反応が出ても「黒」となってしまいます。

また、話は遺伝子組みかえ作物の話題へ。金澤さんは、遺伝新組み換え作物の安全性に対して共通認識をもつことの難点をふたつあげました。

一つは、「これまで10年間、問題が起きなかった」という事実に対する評価が人によって異なる点です。「何も起きなかったじゃないか」という人と、「これから問題が起きるかもしれない。1件でも問題が起きないと言えるのか」という人がいるという点です。

もう一つは、市民が真実を得られていない場合があるという点です。遺伝子組みかえ作物をからだに取りこむと、自分のDNA(デオキシリボ核酸)が変えられてしまうと、思いこんでいる人が中学校の先生でも少なくないといいます。

こうした事例を点を踏まえて、金澤さんは三つの提案をしました。

一つ目は、農家や研究者などの“現場の人々”に対して。「なにか問題が起きたときは正確かつ迅速に把握をして『何例中何例が問題』などと適切に公表すべき。まちがいはただちに謝罪すべき」。

二つ目は、“国民”に対して。「この世には100%の安全などないということを理解してほしい。自分の身は自分で守るという考えも身につけてほしい」

三つ目は、“メディア”に対して。「科学の内容は専門家である科学者に聞くべきと思うが、単に科学者に聞けばいいという話ではない。複数の人に聞いてバランスをとることが重要」。

具体的な提案が示されました。

金澤さんは医師、つまり研究者側の人物yです。研究者が考える国民のあるべき科学への接し方が語られました。これを受けて、第2部では、研究者側と国民側をつなぐジャーナリズムがどうあるべきかが6人の登壇者で討論されました。その模様はあすの記事で伝えます。
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11月23日(日)は「出版不況下の科学雑誌を語る」


おしらせです。

早稲田大学大学院科学技術ジャーナリスト養成プログラム(MAJESTy)が、(2008年)11月23日(日)、東京お台場の日本科学未来館で「出版不況下の科学雑誌を語る 科学雑誌の新しい形を求めて」というシンポジウムを行います。

11月22日から24日にかけて行われる「サイエンスアゴラ2008」の催しものの一つ。

日本の科学誌の世界では、「低価格誌やオンライン誌が創刊されるといった動きもみられる」。低価格誌は、たとえば『オルタナ』といったもの。『日経サイエンス』が1400円。『ニュートン』が1000円するなかで、同誌は350円から500円という低価格設定です。また、雑誌のオンライン化としては、社学連携情報誌『ネイチャーインタフェイス』が、発売後時間のたった既刊号記事を無料公開したり、理科教育誌『サイエンス・ウィンドウ』が最初から無料公開をしたり。

こうして構図が新たになっていく中で、「かつての隆盛を迎えるため科学誌にできることは残されているのか。紙媒体からの転換の可能性を含め、科学誌の将来を考えていく」としています。

討論の登壇者は、毎日新聞科学環境部記者の元村有希子さん。日経サイエンス社長の上岡義雄さん。ビジネス情報誌『オルタナ』編集長の森摂さん。高校生向け科学誌『someone』を発行するリバネスの楠晴奈さん。そして『日経エレクトロニクス』元編集長の西村吉雄さん。科学誌に携わってきた人物や科学ジャーナリストが集まります。

日本で科学雑誌がなぜあまり売れないかは、科学誌を生み出す人たちなどにとっても長年の疑問とされてきました。そして、このところ科学を語る人たちのあいだで、その原因分析がされています。この催しもので、ある程度の結論が出されるでしょうか。

主催者のMAJESTyは、「科学雑誌の現状認識と、科学雑誌を隆盛させる方策を議論したい」としています。

「出版不況下の科学雑誌を語る 科学雑誌の新しい形を求めて」は、2008年11月23日(日)日本科学未来館イノベーションホールにて。入場無料です。
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コープの法則「動物はつねに大きくなる」に賛否――法則 古今東西(1)


米国の古生物学者エドワード・ドリンカー・コープ(1840-1894)は、論文を多産しました。40歳までに1200本の論文を発表したといいます。19歳のときにイモリについての論文を報告したといいます。その後20年間で「6日に1本」の頻度となります!

生涯にわたり多産された論文のなかには、1867年の「属の起源について」、1884年の「西部諸州第三紀層における脊椎」、1887年の「適者生存の起源」という代表的な3本の論文も含まれます。

コープの名前が日本で知られているのは「コープの法則」という法則の名前としてでしょう。

この法則は、「動物の系統は進化につれてからだが大きくなる傾向がある」というもの。この、法則の真偽はあとにおいておいて、この説を支持する理由にはつぎのようなものがありました。

食べる動物と食べられる動物とでは、食べる動物のほうが一般的にからだが大きい。からだの大きいものが生きのびていけば、何世代にもわたりからだは大きくなっていくという理由。

絶滅のような大きなできごとがあるときには、小さい種が生き残るので、危機のあとは大きくなるしかない、など。

しかし、このコープの法則については賛否両論があります。米国の古生物学者ジョン・アロイは、約6500万年前から現代までの新生代という時代区分における北米の哺乳類のからだを数多く調べました。

その結果、古くからの種よりも新しい種のからだは9%ほど大きいということがわかりました。これだけを見れば、コープの法則を支持する結果といえそうです。ただし、からだが大きくなる傾向は、大きな哺乳類に顕著だったものの、小さな哺乳類でははっきりしなかったようです。

なかには「矮小動物」とよばれる、小さくなっていった動物も存在しました。小島などで敵のすくない生活を営むような種などは、からだが小さくなっていく傾向があるようです。かつて日本列島などに生息していたアケボノゾウという像は、体の高さがおよそ2メートルと、象にしては小さいほう。

コープの法則を支持する上に示した理由はそれらしくも感じられますね。また、人は「物事は激化していくことが多い」と直感的に理解しています。「ほうっておいたら太っていくいっぽう」とか「原稿の提出は遅くなるいっぽう」とかいった具合に。

これらの要素からすると、コープの法則は「感覚として受け入れられやすい法則」ということができたのではないでしょうか。

ちなみに、コープは生前こんなことに気づいたといいます。「いろいろな動物には分類のよりどころとするための模式標本があるけれど、ヒトには模式標本が存在しない」。

「であれば、私がヒトの模式標本になろう」。こうしてコープは博物学の発展に寄与するみずからのからだを提供することを遺言したのでした。

1994年、異端の古生物学者とされるロバート・バッカーが、遺言どおりにコープのからだを模式標本にしようという提案を論文として「ワイオミング地質学会誌」という論文雑誌で発表したそうです。

国立環境研究所研究論文2006年、吉田勝彦「クレード内捕食は体サイズの 大型化を促進する」
http://www.nies.go.jp/biology/publications/2006/2006_yoshidak01_01.html
「古世界の住人 矮小動物列伝」
http://ameblo.jp/oldworld/entry-10013484964.html
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染師が『源氏物語』「紅葉賀」を再現


小学校などに配布している『サイエンスウィンドウ』という理科教育の雑誌があります。「次代を担う若い人への理科や科学の教育の充実を目的に発行しています」。

この雑誌で「いにしえの心 科学散歩」という記事を連載しています。古典文学で綴られている和歌、俳諧、物語の描写などを、現代科学の目で見なおすといったもの。(2008年)11月号は『源氏物語』「紅葉賀」の描写を追ったもの。

作者の紫式部は、源氏が「青海波」という宴をも要すにあたり、紅葉の散る中で「青海波」という舞踏を頭中将と催した様子を描写。踊る姿の背景でちりゆく色とりどりの紅葉の様子を、次のように描写しました。

木高き紅葉のかげに、四十人の垣代、言ひ知らず、吹き立てたるものの音どもにあひたる松風、まことの深山おろしと聞こえて吹きまよひ、色々に散り交ふ木の葉のなかより、青海波のかかやき出でたるさまいと恐ろしきまで見ゆ。

この紅葉の色を“染め物”で再現している染師(そめし)に取材を行いました。京都で「染司よしおか」を営む、吉岡幸雄さんです。

『源氏物語』は、紫式部という女流作家が書いた作品。作家にかぎらず、当時の女性は、外出をすることはほとんどなく、御簾の奥で外の世界の自然をどうにか再現しようとしていたようです。そこで、女性たちが考えたのが、着物というキャンパスに外界の自然を再現しようということ。着物をかさね着し、その絹に染められた色の階調で紅葉のグラデーションを再現しようとしたと、吉岡さんは踏んでいます。

『源氏物語』を読みこむことで、吉岡さんは紅葉の色の階調を染め物で再現しました。いちばん左にある「茜」という色は、茜という植物の根から採取します。根は茶色ですが、「秘めたる色を出すのが染色」(吉岡さん)。

今年は『源氏物語』の上梓からちょうど1000年。当時の雅の世界が、ひとりの染師によって、いま再現されています。

『サイエンスウィンドウ』2008年11月号は、PDFファイルでご覧いただけます。
http://sciencewindow.jp/index/show/23.html
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図書館、開館時間拡大の波


進化する図書館が全国各地で見られます。

朝日新聞は、きのう(2008年10月20日)の「大学面」で、24時間開館する大学図書館を紹介。記事によると、秋田市の公立国際教養大学図書館はこの春、24時間365日開いている図書館として開館。「明け方でも数人の学生が勉強している」といいます。京都大学でも図書館内の自習室を24時間使えるようにしました。

自治体が運営する図書館も変わっています。

お堀が見える閲覧室から、首都高速道路が見下ろせる閲覧席へ。東京都千代田区の旧庁舎から新庁舎への移動に伴い、2007年5月に区立千代田図書館も引っ越しをしました。

この引っ越しを期に、千代田区は千代田図書館の運営を指定管理者に委託。「あなたのセカンドオフィスに。もうひとつの書斎に。」と宣伝。図書館のホームページを刷新するなど、改革を行っています。新図書館9階の閲覧席には、連日、利用者が詰めかけほぼ満席。

東京の中心地で区外から通勤者も多く、区外の住民へのサービスも積極的に行っています。区外在住者にも本の貸出を行ったり、予約がない場合は貸出期間内に1回1週間の延長ができたり。

終夜開館の大学図書館には劣りますが、公立図書館としてはめずらしく平日は22時まで開館となりました。場所柄、残業をする会社員や官庁職員にも配慮したのでしょう。

図書館の長時間開館や終夜開館でよく取沙汰されるのは、図書館の宿泊施設化です。終夜営業のファストフード店やファミリーレストランと同じく、終電車を逃した人が一晩明かすために図書館を使うのです。

図書館の宿泊施設化に対して、“開きなおり作戦”ともとれる方針を打ち出している大学もあるようです。同じく朝日新聞によると、東京都小平市の嘉悦大学は「寝転がったり飲食したりできるコーナー」を設置。守衛への届け出により24時間利用可能なので「泊まってもいい」。大学の生き残りをかけたサービス競争ともとれます。 

いずれにしても「いつでもやっている図書館」は便利なもの。運営費や税金との“さじかげん”も考えなければならないでしょうが、長時間開館や終夜開館は、生活様式の多様化に伴ったものともいえそうです。

紹介した各施設のホームページはこちら。

国際教養大学図書館
http://www.aiu.ac.jp/japanese/campus/library/library02.html
京都大学図書館機構
http://www.kulib.kyoto-u.ac.jp/
千代田区立図書館
http://www.library.chiyoda.tokyo.jp/
嘉悦情報メディアセンター
http://kimc.kaetsu.ac.jp/
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2020年、日本の福祉像は「高齢者コミュニティ」が鍵


きょう(2008年10月20日)発売の『週刊東洋経済』は、「『家族崩壊』考え直しませんか? ニッポンの働き方」という特集。「家族」を鍵の言葉にして、そこから見えてくる所得、労働、福祉、教育といった面での日本の現状を洗いざらいしています。

先週のiPS細胞研究関連の記事にひきつづき、今週号に寄稿しました。「海外比較」というページで、「働き方・雇用」「高齢者介護」などのテーマで日欧比較をしました。

高齢者層が増えていく日本。65歳以上の老年人口が3割を占める都道府県は2005年の時点ではありません。しかし2020年になると60%を超えます。若い世代が少なくなっていく中で、いかに高齢者を介護していくかが大きな課題となっています。

参考にすべきは、デンマークやフィンランドなどの欧州の小国。これら国々では、日本では見られない福祉政策の特徴があります。

それは、高齢者のコミュニティづくり。このコミュニティには、介護施設や高齢者住宅、それに病院などが集まっています。重い介護が必要な高齢者は、医療と福祉の両方を兼ねもつ施設を利用。いっぽう、元気な高齢者は自治体が提供する高齢者住宅などに住み、希望者には奉仕活動などをしてもらいます。

家族が老齢の親を養うといった習慣が強い日本では、高齢者コミュニティはまだなじみありません。こうしたコミュニティの出現を自然に待つか、それとも行政などが積極的に作りだすか。この二つは福祉の未来に大きな影響を与えそうです。

デンマークやフィンランドを見習う立場であるいっぽう、日本はまたこれから高齢社会に突入する国々に“見られる”立場でもあります。2020年の日本は、長寿国であるとともに、福祉国でもいられるでしょうか。

『週刊東洋経済』「家族崩壊」集号の目次はこちら。
http://www.toyokeizai.co.jp/mag/toyo/2008/1025/index.html
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10月25日は「現代を見る目、めざす未来 食と健康のコミュニケーション」


催しもののおしらせです。

(2008年)10月25日(土)、東京・四番町のJSTホールで、「現代を見る目、めざす未来 食と健康のコミュニケーション」というシンポジウムが開かれます。主催は日本科学技術ジャーナリスト会議、科学技術振興機構、サイエンス映像学会。

「コミュニケーション」に主眼をおいたこの催しものでは、一般市民と専門家との意思疎通の難しさ、情報格差の克服のしかたなどが、研究者、報道者などにより語られます。

第一部の基調講演では、日本学術会議(後援)の金澤一郎会長が「科学と社会の情報交流」と題して話します。

また、第二部のパネルディスカッションでは「現代を見る目、めざす未来」という題のもと、 鈴鹿医療科学大学の長村洋一教授、東京国際大学の小室広佐子准教授、ジャーナリストの田辺功さん、フリーライターの松永和紀さん、科学技術振興機構社会技術研究開発センターの有本建男さん、日本科学技術ジャーナリスト会議会長の小出五郎さんが登壇し、さまざまな立場から「食」について論じます。

主催者は「科学技術が未来社会のあり方と深くかかわる時代。私たちの選択の基礎となる科学と社会のコミュニケーションについて討論するシンポジウムを」としています。

人は食べているかぎり、つねに“食の問題”を抱えているといってもよいでしょう。ちかごろの中国ギョーザ問題や汚染米流通問題などは、そうした問題の一端といえるかもしれません。

シンポジウム「現代を見る目、めざす未来 〜食と健康のコミュニケーション」は、10月25日(土)13:00から16:00まで東京・四番町のJSTホールにて。先着200名で参加申し込みが必要です。日本科学技術ジャーナリスト会議によるお知らせはこちら。
http://jastj.jp/?p=103
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血を見るビール


お酒の名前の由来はさまざま。なかには穏当とはいえない名前のお酒も見うけられます。

まっさきに思いうかぶのは「ブラッディ・メアリー」でしょうか。ウォッカのトマトジュース割です。これはイングランドの女王メアリー・チュダーにちなんだお酒とされています。メアリーは16世紀に勃興しはじめたプロテスタントをつぎつぎと血祭りに上げて惨殺したそうです。トマトジュースの赤色を血の色に見立てたのがブラッディー・メアリーとされています。

ベルギービールには「ギロチン」つまり「絞首刑台」という銘柄もあります。アルコール度はおよそ9%と、日本のビールの5%に比べたら高め。

画像はビールのコップ敷き。たしかに“La Guillotine”と書かれてあります。絵にも首をかける丸穴があり、上のほうには鋭利にとがった刃物が。

このビールの銘柄の由来は何なのでしょう。いろいろと調べてみると諸説あるようです。

このビールが赤みがかっているため、血を想像させるということ。これはブラッディ・メアリーと似ていますね。

また、純粋に人の名前をとったという説も。ギロチンの発明者はジョゼフ・ギヨタン。日本に、吉右衛門がなまった人の名前である「吉四六(きっちょむ)」という名前のお酒があるのとおなじでしょうか。

ちなみにギヨタンは、ギロチンという絞首刑器具を発明したものの、それは惨殺によるものではなく慈悲によるものだったといわれています。ギヨタンが生きていた当時のフランスは恐怖政治が横行し、死刑執行が頻繁に行われていました。ただ、死刑執行人の人手不足などから、中途半端な死刑執行が行われてしまいます。死刑囚をなんども斧や刀で斬りきざまねばならに、死刑執行の場面は見るに絶えない修羅場だったそうです。

「執行されるほうにもそれを傍観するほうにも無駄な苦痛を与えず、死刑をとりおこなう方法はないものか」

こうしてギヨダンが開発した器具がギロチンだといわれています。

「ギヨダンといえばギロチン」という等式が浮かんでしまいますが、ギヨタンは内科医をつとめたり、国民議会の議員をつとめたりして、社会福祉のためにも一役買った人物です。

いろいろなことに想いをめぐらせて飲む「ギロチン」は、また格別の味かもしれません。
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科学者は「まんが」がお好き


科学者の講演では、パワーポイントを大型画面に映して説明する形式がほとんど。顕微鏡で撮影したナノ寸法の分子の写真や、血管に血が流れる映像などを示して、研究成果を披露します。

実際の写真や画像では説明しづらい点もあります。そのあたりはべつの方法で示すことに……。

そこで、多くの科学者がこんなことばを口にします。

「いまの写真をこれは“まんが”で示したものですが、写真の白くなっていた部分がこの円でかこんだところで……」

「いまの画像を“まんが”にしてみました。おわかりのように、赤く塗った部分が……」

「これは“まんが”です」

科学者たちは写真や映像とともに“まんが”で説明を試みます。しかし、大画面のどこを探しても、たいてい目玉親父や、アナゴくんや、次元大介などのキャラクターは見つかりません。

いわゆる“図解”や“絵解き”のことを、研究の世界では“まんが”とよぶことが多い模様。科学村に広まった“さとびことば”のようなものといってよいでしょう。

ことばとは伝染するもの。ある分野の大家が講演で「こんどは“まんが”でご説明しますと」などとしゃれて言いはじめれば、それを耳にした科学者たちがまねをすることも考えられます。

ただし、科学者たちが講演で使う「まんが」を、完全な俗語とよべるかというと、そうともいえません。

「まんが」とは、辞書によると「単純・軽妙な手法で描かれた、滑稽と誇張を主とする絵」(『広辞苑』より)。

写真や動画に対して、科学者たちが口にする“まんが”は、まさに実際の複雑な構造を「単純な手法」で描いていて、さらに多くの場合は実際よりも「誇張」をします。つまり、科学者たちは「まんが」という言葉の定義に忠実に「まんが」を使っているともいえます。

一般の人は、「小説」などに対して「まんが」というと、辞書にもある「滑稽」ぶりを連想する人が多いかもしれません。これと同じ関係で、科学の世界では、「写真や映像」に対する「まんが」には「滑稽」なものという意味合いが含まれていると考えるのは、深読みしすぎでしょうか。
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にごり酒、作りやすさ故の飲まれにくさ


日本酒というと透きとおっていて、さらさらとした「清酒」の印象をもつ方が多いでしょう。いっぽう「にごり酒」という種類もあります。

にごり酒は「どぶろく」ともいわれます。清酒とにごり酒の製造工程は途中まではほぼ同じ。

蒸した米に麹菌を加えると、酵素が出てきます。この酵素は米の成分である澱粉を分解して、ぶどう糖などに分解するはたらきがあります。

つぎの工程で、酵母菌という菌が登場します。糖を発酵させてアルコールにするのが酵母菌。

この段階までは、清酒もにごり酒もまだにごっています。清酒では、発酵が起きると、酒の粕をこしとって透きとおった液体に。その後、殺菌などのために熱を加えるのが主流。いっぽう、にごり酒では、粕のこしとりや加熱処理を行いません。

酒粕には、アミノ酸、ビタミン、ミネラルなどのさまざまな栄養分が入っているため健康的といわれています。

清酒よりにごり酒のほうが、工程段階が少ないため、簡単につくれます。しかし、酒は国にとって大きな税収源。市民に簡単につくられては困ります。酒税法では、無許可で酒をつくると、5年以下の懲役または50万円以下の罰金に。酒づくりの免許が出る条件として、年間6キロリットル以上の酒をつくることが必要となります。

しかし、小泉内閣下の2002年から行われている構造改革特区の制度で、つぎつぎと「どぶろく特区」が誕生しました。その場で飲まれるかぎりでは、飲食店や民宿などでの製造が許されるというもの。岩手県遠野市や、新潟県上越市(旧・安塚町)など、米どころを中心に全国で特区の数は80を超えています。

とはいえ、にごり酒解禁はまだ地域限定的。日本酒全体の消費量は減っています。酒税の壁が、日本の酒文化を薄めているともいえそうです。にごり酒がよりつくりやすい状況になれば、多少はより多くの人に飲まれるようになるでしょうか。

参考ホームページ
かがくなび「どぶろく特区で仕込みはじまる お酒の科学」
http://www.kagakunavi.jp/document/show/122/news
オールアバウト「どぶろく競演!特区で選ぶ田舎暮らし」
http://allabout.co.jp/family/countrylife/closeup/CU20080224A/
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“綱引き外交”ならず


麻生新内閣で外務大臣に就いた中曽根文弘さんが、日本綱引連盟の会長職を辞任しました。(2008年10月)14日の毎日新聞などが伝えています。

おなじ国会議員の森喜朗さんが日本ラグビー協会の会長であることはけっこう知られている模様(森さんは同時に日本プロスポーツ協会会長)。でも、中曽根さんが日本綱引連盟の会長だったことは“知る人ぞ知る”だったのでは。じつは6期まで勤めていたといいます。

綱引きといえば、玉入れ、大玉転がしなどと並ぶ運動会の代表的競技。騎馬戦ほどの華々しさはなく、リレーほどスピード感はなく、どちらかというと地味な競技に入るかもしれません。

だいいち、敵どうしの体と体がぶつかりあうのではなく、離れあうのです。引力や圧力でなく斥力のはたらく競技はめずらしいのではないでしょうか。

しかし綱引きは、1900年から1920年までの5回の五輪大会で正式競技にも名を連ねていました。栄えある正式種目初大会はパリ大会。記録を見ると、金メダルは各国の混成チームで、銀メダルは主催国フランス。そして銅メダルは「なし」。

主催国フランスが「とにかく、やるだけやってみましょう。1チーム分はフランスで用意しますから」などと画策したのかもしれません。

連盟があるほどなので、運動競技として綱引きはしっかりとした競技規則もあります。選手8人、交代要員2人、監督・トレーナー(選手兼任OK)2人の12人で1チームといったように、人数も厳密です。

さらに、連盟がつくった規則を見てみると、こんなルールも。
8 服装
ユニフォームの補修は、必要最小限度とし、かつ、裏側からとする。
ユニフォームの補修を裏側からとするのにも、きっとなんらかの理由があるのでしょう。外側からの補修だと、綱とすれて補修が台無しになるといった配慮でしょうか。
9 ロープの仕様
ロープは、Z撚りとする。
「Z撚り(ゼットより)」とは英語の「Z」のように、正面から見て「/」の方向に綱が向く撚りかたのようです。反対は「S撚り」。
10 競技エリア及びマーキング
正面は、大会本部席側を正面とする。
こんな細かい規則まで定められているとは……。しかし、規則を厳密化することにより、「厳然とした運動競技」であることを示すねらいもあるのかもしれません。日本綱引連盟は、綱引競技のオリンピック正式種目復帰を目指しているとのことですし。

ちなみに報道によると、中曽根文弘さんが連盟の会長を辞した理由は「外務大臣就任」。外交により、綱引きを五輪競技にするまでの余裕はなかったようです。

日本綱引連盟のホームページはこちら。
http://www.tsunahiki-jtwf.or.jp/
「公式競技規則」はこちら。
http://www.tsunahiki-jtwf.or.jp/data/rulesmanual.pdf
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「多忙につき取材お断り」から考える研究者の本分


10月は、大学見本市が開かれたり経済誌で大学特集が組まれたりする季節。きょう(2008年10月14日)発売『週刊東洋経済』も「激化する大学間競争 本当に強い大学2008年」という大特集を組んでいます。

この特集に「『iPS』細胞は世界に勝てるのか? 京都大学発オールジャパンの開発体制の課題」という記事を寄せました。

iPS細胞は京都大学の山中伸弥教授らが作り出した“万能細胞”。人や動物の皮膚などから細胞をとりだして、DNAに特定の遺伝子を入れると、これまでのDNAの“履歴”が消去され、心筋や筋肉や神経などの器官に分けられる前の状態に戻ります。

体の失った機能をとりもどす再生医療の分野で、iPS細胞は“救世主”になるのと期待されています。ES細胞という別種の細胞にもさまざまな器官に分化する能力はあるものの、「胚」という動物の萌芽段階の細胞を使わなければならず、生命倫理の問題がつきまといます。いっぽうiPS細胞では胚を使う必要はありません。

このiPS細胞をめぐって世界的研究競争が激化。そこで内閣府、文部科学省、経済産業省、厚生労働省などの政府機関は「オールジャパン体制」を組んで、京都大学などの大学を支援しようとしています。

記事はこの体制の課題をおもに紹介したもの。京都大学や同じくiPS細胞研究で注目される慶應大学などを取材しました。

記事づくりにあたり、iPS細胞研究にとって重要な“ある研究者”への取材を試みました。しかし、その人物への取材はならず。

理由は「多忙につき」。

中心人物に取材ができないことは伝える立場にしてみると残念な結果といえます。いっぽうで、今回の「多忙につき」は、いろいろと考えるべき論点も含んでいます。

取材依頼先は「多忙」の理由も寄せています。「iPS細胞にかかる研究に従事し、また、その成果をひろく社会に還元するため」。

研究者の本分とは研究をすること。そして研究の本分とは、このiPS細胞の場合、患者や家族のために再生医療を実現すること。

重要な役割の研究者は、とうぜんその研究に欠かせません。しかし、その研究者が重要であればあるほど、関心の目も向けられてしまいます。こうして“一極集中”の構図ができあがります。

もし研究者が取材に追われて研究できなければ、再生医療を待つ患者や家族が不利益を被ってしまいます。極端な話、取材につぐ取材で研究が進まなければ、再生医療を待つ患者の命を奪っていくことにもなりかねません。

しかし、取材で研究が滞った結果、患者の命が奪われることは、明らかな殺人とはちがって目に見えづらいもの。法的にも罪の対象にはなりません。そして伝える側は伝える側で「研究者の声を世に伝えることの重要性」を主張する理論があります。

ここ数年「科学を伝える」といった言葉のもと、研究者自身も情報発信をするといった姿勢がとくに求められるようになっています。市民が「研究は税金で行われている」ということに敏感になったことも理由とも。

しかし、一刻を争う研究を考えると「研究者は研究に専念すべき」という論も根強くあります。

最適解はどこにあるのでしょうか。

基本にかえって「頼む・頼まれる」の関係を、社会常識的に考えてみることも大切かもしれません。取材を依頼する側、その依頼に応じる側という立場を考えれば、取材依頼を応じる研究者が、多忙な研究の時間を削って取材を受けることに利益を感じるかどうかにあるということです。

今回の「多忙につき」という取材お断りの理由は、研究者が本来的に何をすべきかを問いかけるものでした。

特集には「『本当に強い大学』総合ランキング」や「別冊付録2008年版大学四季報」なども。『週刊東洋経済』大学特集号の目次はこちら。
http://www.toyokeizai.co.jp/mag/toyo/2008/1018/index.html
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昭和33年の街角に「予備校」の貼り紙


写真展「写真で綴る昭和33年」が、東京・有楽町の銀座インズで開かれています。

昭和33年というと、長嶋茂雄が新人として入団し、特急こだま号が東京-大阪間で開業し、東京タワーが竣工した年。即席めんのチキンラーメンもこの年、発売されました。こうした写真の数々が展示されています。

東京の街なかの様子がわかる写真の中には「予備校」の文字が見られます。予備校の名前に「田」の文字が見え、「神田駅三分」とあることから「神田予備校」という予備校の貼り紙と考えられます。「模試」の文字も見られますね。



予備校の歴史は古く、明治5年に学制がはじまったときには「すでに中学校や専門学校・大学への入学を目標とする予備教育の諸学校が設立されるようになった」(全国予備学校協会)。

明治後期には、早稲田大学や中央大学などの私立大学も、大学予備校を設置していたようです。いまもある駿台予備校は昭和5年、河合塾は昭和8年の開業。

戦後、予備校は発展し、昭和35年以降は「大学進学率の増加に応じて生徒数も徐々に増えていった」(同)。写真にある貼り紙は、予備校発展期の夜明け前を象徴するものといえるかもしれません。

ちなみに「神田予備校」をホームページ検索してみると「進学進路センター神田予備校」と「神田予備学校」が見当たります。

銀座インズは、東京高速道路という会社が営業している高架道路の下にある商業施設。蓬莱橋から新京橋までの2キロをつなぐこの道路は無料です。会社は収入源として、この道路の下にある店舗の賃貸業を行っています。その一つが銀座インズ。前身となる「有楽フードセンター」が開業したのは50年前の昭和33年でした。

「写真で綴る昭和33年」は、銀座インズのホームページにも紹介されていない小さな写真展です。でも、昭和33年の写真には発見や新鮮味があります。

参考ホームページ
全国予備学校協会「予備校の歴史」
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“ふちどり問題”を“ぼけあし”が解決


本の表紙画像を出版物やホームページなどに載せるとき、たまに“ふちどり問題”とよばれる問題がおきます。

表紙に色がある本の場合は、この“ふちどり問題”は起きません。いっぽう表紙の基本色が白の場合、載せる出版物やホームページの字の色も白だと、書籍のふちがどこなのか分からなくなるのです。これが“ふちどり問題”。

問題を解決する手だてとしてまず考えられるのが、白い本には輪郭線をつけるといった方法。いわば、本と出版物の境界線を引くわけです。

しかし、輪郭線でふちどり問題を解決することをよしとしないデザイナーもいるようです。色のついた表紙には輪郭線をつける必要はありません。すると、輪郭線がある本(白が基調の表紙の本)と、輪郭線がない本(色つき表紙の本)で、見た目がかなりばらついてしまうのです。

そこで、もう一つの方法が使われます。それは、“ぼけあし”を敷くというもの。

画像のように、本と下地のあいだに、影をつけるのです。この影は、白が基調の表紙の本でも、色つきの表紙の本でも、違和感ありません。白い表紙と色付き表紙の両方にぼけあしを敷けば、輪郭問題は解決されるわけです。

最近の画像処理ソフトには、ぼけあしを付ける機能がついています。しかし、この機能が付いていないころは、ぼけあしをつける作業はけっこうたいへんでした。

たとえば、「フォトショップ」という画像加工ソフトでは、載せたい書籍の画像サイズより1.1倍ぐらい余裕をもたせた画像サイズを設定します。

そこの画像サイズに対して、左上にぴたっと付くように、本の表紙画像を配置します。すると、右下にわずかな余白ができるわけです。

ここに、別のファイルでつくっておいた影を配置するわけです。この影は、黒い長方形をつくっておいてから、フォトショップの「ぼかし(ガウス)」という機能で黒い長方形をぼかすことにより表現されます。

こうしてつくられた影のぼかしを、最初の表紙画像のファイルに取り入れます。レイヤーは上層が表紙画像、下層が影。右下の余白部に影を敷いて、表紙画像とすこしだけずらせばぼけあしの完成です。

ぼけあしには、輪郭問題を解決する目的のほかにも、見た目の効果があります。

本の表紙に影がつくということは、表紙が下地よりも浮かび上がって見えることになります。紙やホームページは当然ながら2次元。この平面世界を立体的に見せる手法の一つがぼけあしというわけです。
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発見はつくりだすもの


研究者に、“発見”に至るまでのいきさつを聞くことがあります。

「なんだかわからないけれど、見つけちゃったんです」という人はあまりいません。むしろ「見つかる条件を予想して、道筋を立ててやってみたら、そのとおりになった」という場合のほうが多いです。

ある研究者は、原因不明の難病に特定の遺伝子が関わっていることを突き止めました。その発見までのいきさつについて、こう話します。

「関係しそうな遺伝子の文献に当たってみて、まず断片的にでも、情報と情報の間に結びつきがないかを考えます。その“間”にある、埋めるべきものが何であるか考えて、それを当てはめてみて、立てたストーリーが正しいことを証明するわけです。これが世間で『発見』とよばれているものの過程です」

この研究者は、発見までの道筋を「ストーリー」とよんでいます。「この病気にはこの遺伝子が関わっていて、さらに元をたどると、この遺伝子も関わっているのではないか」。これまでに得た知識や経験などを、ストーリーづくりのきっかけにするわけです。

分子生物学の世界では「狩り」という言葉があるそうです。
細胞という複雑なジャングルにひそむ未知のタンパク質や遺伝子といった「獲物」を見つけ出し、捕獲する。そしてその機能を知ることで、細胞というジャングルのしくみを解き明かそうとする試みである。(田中幹人著『iPS細胞』)
この狩りを、やみくもにしていては時間がかかってしまいます。そこで「獲物はこのあたりにいるのでは」と、“当たり”をつけてそこに重きをおいて探っていきます。ストーリーづくりと近いものがありますね。

いっぽう、なにかを発見するために、すべての可能性を洗いざらい試してみることは機械が得意としています。たとえば、バイオインフォマティクスといった分野ではそのようなやりかたがとりいれられています。九九の計算で答をすべて出しておいて、「16」という現象が起きた場合に、その現象の要因は「8と2」か「4と4」か、と候補の目星をつけるようなやりかたです。

しかし、九九のすべての答をあらかじめ機械的に出すにしても、地道で時間のかかる作業が要ります。いっぽう、人には直感や直観という、人にだけ備わっています。外れるときもあるけれど、知識や経験を土台にしていると、けっこう役に立つもの。

「ストーリーづくり」や「狩り」には、「こうしたら話が展開するのでは」「こっちを探ったら獲物が見つかるのでは」といった勘も大切のようです。研究者にかぎった話ではありません。
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2008年イグノーベル賞、“本家”上回る日本人5人受賞


人々を笑わせ、そして考えさせてくれる研究に贈られる「イグノーベル賞」。今年2008年は“本家”ノーベル賞で4人もの日本人が受賞をしたこともあり、すっかり影が薄くなってしまいました。

でも、10月2日に一足はやく発表されたイグノーベル賞では、ノーベル賞よりさらに1人多い5人の日本人が受賞をしています。

受賞はいずれも「認知科学賞」で、北海道大の中垣俊之准教授、広島大の小林亮教授、東北大の石黒章夫教授、名古屋大学(当時)の山田裕康さん、北海道大学の手老篤史さんが、ハンガリー・セゲド大学の女性研究者アゴタ・トスさんとともに栄光に輝きました。

主催者の雑誌『風変わりな研究の年報』による受賞理由は「粘菌の難問解決能力を発見したことに対して」。粘菌はムラサキホコリカビやカワホコリカビなどを代表とする下等菌類。アメーバ運動をし、繁殖には胞子をつくります。

この粘菌には、もちろん脳がありません。けれども粘菌には、迷路を最短経路で解く能力がどうやらあることがわかったそうです。

学問の世界で知られている研究業績から選ぶノーベル賞に比べて、あまり知られていないけれど笑わせるような研究業績から選ぶイグノーベル賞のほうが、選ぶ作業は大変なのかもしれません。

そんなイグノーベル賞に選ばれた受賞者のみなさん、おめでとうございます。

2008年の結果も載っている、イグノーベル賞歴代受賞者の一覧はこちら(英文)。
http://improbable.com/ig/ig-pastwinners.html#ig2008

そういえば、昨2007年のイグ・ノーベル賞では「牛のふんから『バニリン』というバニラ香料を抽出する研究」を行った日本人研究者の山本麻由さんが受賞しました。このブログの記事で「今後、注目をあびるかも」とお伝えしましたが、インターネットの検索では16,300件の該当。小ヒットのようですね。
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階層的に見ると「細胞は生命の最小単位」


日経ビジネスオンラインのコラム「多角的に『ストレス』を科学する」で、きょう(2008年10月9日)、「あなたのその命、数えてみたら“60兆”」という記事が掲載されています。

細胞生物学者の団まりなさんに、館山のご自宅におじゃまして取材。書き手は尹雄大さん。撮影者は風間仁一郎さん。連結社とともに編集にたずさわりました。

団さんは「細胞は生命の“最小単位”」と話します。つまり細胞よりも小さな分子を見ても生きている姿は見られないが、細胞には命が宿っているということ。

こうした団さんのものの捉え方のもとには、「階層性」という考えかたがあります。団さんは階層性を「複雑なものは必ずそれより単純な下の段階のものから作られており、上の段階に移ることで、下のレベルにはなかった新しい性質が加わることを意味します」と説明します。

小さなものから順に、クオーク、復号粒子、原子、低分子、高分子といった階層を延長していくと、その先には細胞、器官、個体といったものがあるのでしょう。グーグル・アースで、国、都市、町、家へと迫るとき、見えている景色が違ってくるといった感覚と似ているかもしれません。

科学に階層性の考え方を取り入れている研究者はほかにもいます。たとえば、東京大学で複雑系の研究をしている池上高志准教授は「中間層」という考え方で、生命の本質を捉えようとします。

「そこから下になると原子や分子などの法則が支配する層になるけれど、ここで見れば生命の性質がわかるという層があります。それを僕は『中間層』とよんでいます。その層を抜き出して考えないと生命を理解できないのでは」と池上准教授は言います。

細胞生物学と複雑系科学ではアプローチ法はちがいますが、層に分けて見えてくるものを探究するといった研究の切り口はきわめて似ていますね。

「多角的に『ストレス』を科学する」のコラムは、今回が団さんのお話の前編。生命の本質や、階層性の を語っていただき、後編でいよいよ「細胞が感じるストレス」といった話に入っていきます。

「あなたのその命、数えてみたら“60兆” 細胞が感じるストレスを解明−−団まりな氏(前編)」はこちら。
http://business.nikkeibp.co.jp/article/life/20081008/173136/?P=2&ST=leaf
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「緑色蛍光たんぱく質」が照らすものは基礎科学


きのうの2008年ノーベル物理学賞の発表につづき、きょうの化学賞でも日本人の下村脩さんが受賞となりました。

ノーベル財団が発表した受賞理由は「緑色蛍光たんぱく質(GFP)の発見と応用に対して」。米国コロンビア大学のマーティン・チャルフィー教授、サンディエゴ大学のロジャー・ツェン教授との共同受賞です。

下村さんは1960年代、ヒドロ虫綱のオワンクラゲという海のいきものが光ることに着目し、光の正体を突き止めようと考えました。

クラゲを獲りつづけ、光の正体を突き止め、青白く光るこのたんぱく質を「イクオリン」と命名しました。

今回のノーベル賞の受賞理由と関係するのは、この先の話です。イクオリンが放つ光は青色ですが、下村さんはオワンクラゲの光には、緑色も混じっているということを見逃しませんでした。

そこで今度は緑色の副産物の正体を突き止めることに。この物質が緑色蛍光たんぱく質だったのです。1962年に下村さんが発見しました。緑色の光は、イクオリンの励起エネルギーが引き起こすものであることがわかりました。

下村さんが緑色蛍光たんぱく質を発見した時点では、この光の使い道がそれほど明確にあるわけではなかったそうです。

しかし、緑色蛍光たんぱく質は、いまでは生命科学や医学の研究に重用されています。ほかの蛋白質と細胞のなかで融合させることができるため、緑色蛍光たんぱく質の光をたよりに、調べたいたんぱく質がどこにいるかを観察できるようになったのです。

緑色蛍光たんぱく質の発見と応用をきっかけに、いまでは青色蛍光たんぱく質、黄色蛍光たんぱく質なども開発されています。

下村さんの今回の受賞は、基礎研究の大切さを訴える科学者たちに大きな勇気をあたえてくれるものになることでしょう。発見当初は発見者にさえ「何の価値もない」と考えられていた物質が、その後の生命科学の研究では重宝されたからです。

緑色蛍光たんぱく質の発見に対してノーベル賞が贈られたことにより、「何に役立つとはいまはいえないが、何かに役立つかもしれないから基礎科学をやる」という言葉はふたたび輝きを見せることでしょう。

ノーベル財団のホームページで発表された「The Nobel Prize in Chemistry 2008」はこちら(英文)。
http://nobelprize.org/nobel_prizes/chemistry/laureates/2008/

参考文献
本間善夫・川端潤『パソコンで見る 動く分子事典』
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「対称性の破れ」予言でノーベル物理学賞


ことし(2008年)のノーベル物理学賞は、高エネルギー加速器研究機構の小林誠名誉教授、京都産業大学の益川敏英教授、米シカゴ大の南部陽一郎名誉教授に送られることになりました。

ノーベル財団の発表によると、南部さんの受賞理由は「原子レベル以下の物理における自発的対称性の破れのしくみを発見したことに対して」、小林さんと益川さんは「少なくとも自然界に3世代のクォークが存在することを予言した対称性の破れの起源を発見したことに対して」。

いずれも「対称性」という言葉が鍵。対称性は「任意の物理系に平行移動・回転などの変換を行なっても系の物理的性質が変らないこと」(広辞苑より)。

小林さん・益川さんの受賞理由は、「CP対称性の破れの起源発見に対して」とも報道されています。「CP対称性」の「C」は「電荷」を意味する「チャージ(Charge)」の「C」。「P」は「空間反転」を意味する「パリティ(Parity)」の「P」です。

物理には、「電磁気力」「強い力」「弱い力」「重力」という4つの力があるとされています。「弱い力」は、Cつまり電荷の正負を入れ換え、かつ、Pつまり縦・横・高さの方向を逆転させると、ほぼ対称性が保たれるものの、それは完全な対称性とまではいかないというのです。

もし、PもCも逆になった弱い力が完全な対称性を保つとすると、素粒子の構成要素は「アップ、ダウン」という第1世代、そして「チャーム、ストレンジ」という第2世代という世代分にとどまります。いっぽう、小林さんと益川さんは、世代が2つだと完全にCP不変になってしまうことから、第3世代の存在を予言したのです。

予言どおり、ボトムクォークは1977年、米国フェルミ研究所が行った実験によって、またトップクォークは1995年、こちらもフェルミ研究所の実験によって、存在が証明されました。

もし、完全な対称性が保たれているとすると、この宇宙には「粒子」とおなじ分だけ「反粒子」が存在することになります。

しかし現実の世界では、粒子はそこかしこにありながら、反粒子のほうはなかなか見つけることができません。もし、粒子と反粒子の分量がまったく同じだと、この世は光があるだけの世界になってしまいますが、私たちはそうした世界を経験していません。粒子と反粒子にちがった物理学的法則が当てはまることが、PC対称性の破れから説明することができるといいます。

南部さんは、対称性の破れそのものを、1960年代に初めて素粒子物理学に導入しました。理論物理学の礎を作った3人にノーベル物理学賞が贈られます。

ノーベル財団のホームページで発表された「The Nobel Prize in Physics 2008」はこちら(英文)。
http://nobelprize.org/nobel_prizes/physics/laureates/2008/
| - | 23:59 | comments(0) | -
『がんで男は女の2倍死ぬ』


朝日新聞出版から『がんで男は女の2倍死ぬ 性差医学への招待』という新書が(2008年)10月10日に発売されます。著者は横浜市立大学の田中-貴邑冨久子名誉教授。

この本づくりに執筆過程で参加しました。

衝撃的に感じられる書名ながら、「がんで男は女の2倍死ぬ」は日本人のがん死亡率の統計から得られる事実です。

日本の三大死因は、がんのほかに心臓病(心疾患)と脳卒中(脳血管疾患)。これらの死亡率も男性は女性の2倍にもなります。

なぜこのような差が出るのか、田中名誉教授は分析します。かんたんにいうと、男性がこれら病気で死にやすいのは生活習慣病の要因が強く、女性がこれら病気で男性より死なないのは女性ホルモンの恩恵があるからということです。

生活習慣と女性ホルモンという二つの要因は、“社会的性”と“生物学的性”という2種類の“性”の反映と見ることができます。

社会的性のほうは「男たるもの夜遅くまで働くもの」といった社会通念がいまだに強いため、食習慣の乱れなどを起こしやすいといったこと。いっぽう、“生物学的性”のほうは「そもそも女性にはからだに加護をあたえるホルモンが多く備わっている」といった体内環境の影響がつよいということです。

脳についても「古い脳」と「新しい脳」という考えを使って、性差を説明しています。古い脳は、生命を維持し、種族を保存するための脳の部分で、脳幹などがそれに当たります。いっぽう、新しい脳は、思考や記憶といったより知性的な役割を担う脳の部分。新皮質(脳のしわしわの部分)や海馬などです。

脳の機能に性差があるとなると、それはもともとの男女間の脳のつくりのちがいと捉えがち。でも、新しい脳には学習によって神経細胞が密になるなどの後天的な影響があります。これからすると、新しい脳の機能は、「男たるもの、女たるもの」といった“社会的性”も大きく影響していると考えることができるわけです。

そのほか、「人類史のほとんどは男女平等社会」「女は数学ができないというのはうそ」「子育てをする雄ザルは長生きする」といった意外な話が満載です。

10月10日発売『がんで男は女の2倍死ぬ 性差医学への招待』はこちらでどうぞ。
http://www.amazon.co.jp/がんで男は女の2倍死ぬ-性差医学への招待-田中-貴邑-冨久子/dp/4022732415
| - | 23:59 | comments(0) | -
10月20日(月)21日(火)は「産総研オープンラボ」


産業技術総合研究所つくばセンターが、(2008年)10月20日(月)と21日(火)「オープンラボ」を開催します。

産総研は経済産業省系の研究所。規模は巨大で、研究職員数2408人を擁します。ものごとの発見や解明といった基礎研究をもとに、それが製品化されるまでの一連の流れを追う「本格研究」を提案しています。研究で生まれた“種”を、社会で役立つ“実”に育てるといったものでしょう。

オープンラボは「産総研がこれまでに行ってきた研究の成果や実験装置・共同施設等の研究リソースを、企業の経営層、研究者・技術者、大学・公的機関等の方々に広くご覧いただく」のがねらい。産総研は年に一度「一般公開」も行っていますが、今回のオープンラボはより“仕事むけ”といった色合いが強そうです。

10月20日(月)の講演会では、吉川弘之理事長のほか、ロボット工学を専門とする金出武雄さんや、太陽光発電研究で知られる近藤道雄さんなどが登壇する予定です。

展示一覧には、ライフサイエンス、情報通信・エレクトロニクス、ナノテクノロジー・材料・製造、環境・エネルギー・安全、地質、標準・計測の各分野の研究内容がずらり。「映像酔い評価システム」や「ダイヤモンドをバイオに使う」、「地下水で地震を予測する」といった純粋な科学としてそそられる研究もあります。

産総研は「オープンラボを通じて、来訪者の方々からの意見等を産総研の研究活動等に反映するとともに、共同研究等の産学官連携活動をより一層推進することを目指しています」としています。

10月20日(月)21日(火)産総研オープンラボのお知らせはこちら。無料ですが事前登録が必要です。
http://www.aist-openlab.jp/index.html
| - | 23:59 | comments(0) | -
昔の地球がはじける

撮影:浅井千晶さん

南極の氷です。

今年、南極を訪れた科学ジャーナリストの方が、袋詰めにして酒場に持ってきました。これをウイスキーで氷割に。

グラスの中に耳を入れると小さな音で“シシュー”と聞こえます。これは氷の中の気泡から出てくる音。手つかずで溶けることもなかった南極では、氷に閉じ込められた気泡も“年代もの”です。

氷の味は、酒場で出たり売られたりしている氷と変わりません。こういったものは「南極の氷で酒を飲んでいるんだ」という状況を味わうものなのでしょう。

科学の研究では南極の氷を掘っていき、各層で得られる気泡の空気の状態を調べることがあります。二酸化炭素がどのくらいあったのかがわかりますし、酸素の同位体からそのころの気温が何度ぐらいだったのかを知る手がかりにもなります。

北極の氷は何十年かのちには消えかかってしまうという予測もありますが、南極の氷はむしろ増えているとか。

遠くて寒い南極。貴重な氷は、貴重のままでありつづけるでしょうか。
| - | 21:48 | comments(0) | -
「地図にみる関東大震災」


お知らせです。

「地図にみる関東大震災」という展示会が、つくば市の国土地理院で開かれています。(2008年)11月3日(月)まで。

国土地理院は、日本国土の地理に関わる情報を整備・提供する国の機関。この前身にあたる参謀本部陸地測量部は、1923(大正12)年に起きた関東大震災の直後から、大地変動や災害現況の調査を行い、それが地図として残されました。震災直後の調査地図は初公開です。

企画展の目玉は、大震災直後に記した「震災地応急測図」。同院は「どこで、どのような災害が起きたのか、測地測量結果から大地がどのように変動したのかを示すとともに、多くの方々に提供いただいた写真や資料から関東大震災の様子を紹介します」と案内します。

後援は、歴史地震研究会(会長・北原糸子神奈川大学教授)。歴史的な地震などの研究情報を交換し、カバーする分野は理学・工学・歴史学・社会学・防災科学などの方面に渡ります。

地震予測がままならぬいっぽうで、地震の記録は江戸時代以前から行われてきました。「震災地応急測図」の他にも「山崩れ地帯」概況図や「消防活動中の丸の内」の写真など、震災直後の状況を見ることができます。

「地図に見る関東大震災」は11月3日(月)まで、つくば市北郷の国土地理院「地図と測量の科学館特別展示室」にて。公開時間は9:30から16:30。月曜(月曜祝日の場合の翌日)が休館日です。案内はこちら。
http://www.gsi.go.jp/WNEW/PRESS-RELEASE/2008/0828kikakuten.html
| - | 23:59 | comments(0) | -
新幹線電源確保戦略
まえに「“街中仕事”の電源確保」という記事で、ファストフード店の電源サービスの便利さを書きました。

東海道・山陽新幹線ののぞみ号にも、電源が付いている号があります。ただし、一部の号に限られています。どの車両にどのように付いているか、いろいろな情報がネット上で行き交っていますが、どうやら以下のように整理することができそうです。

(1)最も恵まれている場合、各車両の窓側、そして最前列・最後列の各席に電源がある。

(2)二番目に恵まれている場合、各車両の最前列・最後列の各席に電源がある。

(3)最も恵まれない場合、すべての席に電源がついていない。

自分が乗るのぞみ号が、電源付きかどうかはほぼ運なのだそうです。ノート型パソコンをもって出張している人にとっては、行き帰りののぞみ号の中でパソコンの電源を使って仕事をしたいもの。そこで、もっとも快適な席にたどりつくための最適解を考えることになります。

まず「最前列」または「最後列」というのが、もっとも電源席である確率が高くなります。しかしノート型パソコン(とくに大型機)を使う人にとって「窓側で最前列」は、思わぬ落とし穴があります。

それは、電源なしの号にめぐりあった場合です。最前列のテーブルは壁についています。このテーブルは、ふつうの座席の背中から出すテーブルよりも狭く、またテーブルまでの距離もやや遠め。大型ノートパソコンだと、直角以上に画面を開けなかったり、手を伸ばしてキーを打たなければならなかったりするおそれがあります。

「窓側で最後列」であれば、狭いテーブルを使う心配はありません。そのときのテーブルは前の座席の背中に付いたものになるからです(自分の背中の壁から電源を引っぱってくる)。

その次に電源にありつく可能性が高い席は「窓側」の席をとることです。

最も電源にありつく可能性が低い席は「最前列または最後列でない通路側」と「最前列または最後列でない3連席の真ん中」です。窓側に電源がある号で、窓側の人が電源を使っていない場合は電源を使うことができそうです。

電源にありつける確率の順番をまとめると、次のようになりましょう。

「窓側最後列」=「窓側最前列」>「窓側」>「最前列または最後列でない通路側」=「最前列または最後列でない3連席の真ん中」

しかし、上にあてはまらない“例外”もあります。

一つ目は、のぞみ号のグリーン車では、すべての席に電源が付いているという点です。絶対に電源にありつきたい場合はグリーン車に乗ることです。ただし東京-新大阪で5,150円のグリーン料金がかかりますが…。

二つ目は、どの車両にも“清掃のための業務用電源”がどこかに付いているので、その電源に最も近い席を指定するといった方法です。1車両に2個付いているらしいので探してみては。ただし、これは裏技的なので業務用電源を使うときは車掌に断りを入れておいたほうが無難でしょう。

三つ目は、新幹線の洗面台に付いている電源を使うというもの。かならず電源にはありつけます。しかし、洗面台で新大阪から東京までパソコンを使うとなると、やはり問われるものが多そうですね。
| - | 23:59 | comments(0) | -
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