科学技術のアネクドート

置き換えることばを探せ!


文章指南などでよく指摘される心得のひとつに「一つの文や一つの記事のなかに、何度もおなじことばを使うな」といったものがあります。

「手紙を受けとった。手紙にはこう書かれてあった」よりは「手紙を受けとった。茶色の便箋にこう書かれてあった」などにすべき、といった指摘です。理由はいろいろ考えられますが、おなじことばのくりかえしで文が短調になってしまうのを防ぐため、といったねらいがあるのでしょう。

似た意味でありながら別のことばを探すとき便利なのが類語辞典(シソーラス)です。辞書をインターネット上で引けるように、類語もネットで検索することができます。

株式会社の言語工学研究所は、これまで「シソーラス(類語)検索」の提供をしてきました。キーワード欄にことばを入れると「同義語」「広義語」「狭義語」「関連語」「反義語」の一覧を見ることができます。

たとえば「科学」と入れると、同義語は「サイエンス」、広義語では「学問」「学」「学究」「学業」「学事」「学識ない」「学術」「研究」「学問|分野」「学問|理系」。また、狭義語には「ライフサイエンス」「行動科学」「自然科学」「社会科学」「人間工学」など12語、関連語は「学芸」「学徳」「教科」「雑学」「耳学問」など29語が並びます。

類語辞典と似た機能をもっているのが国語辞典でしょう。あることばを別のことばで説明しなければならないので、必然的に類語や関連語を見つけることができます。「技術」を引くと、「技巧」「技芸」や(technique)といったことばを目にすることができます。

しかし、便利なのはやはり類語辞典のほう。とくに優れたインターネット類語辞典は、ウェブ上に溢れることばどうしを即時的に関連づけて、類語や関連語を示すこともできるでしょう。つまり“生きている”ことばが示されるのです。

言語工学研究所のホームページにある「電子化されたシソーラス」という説明でも「もはや木構造ではなく、網構造になって複数の広義語が持てるようになります」とインターネット類語辞典の特性を説明します。

さて、そんな便利な「シソーラス(類語)検索」は、じつはきょう(2008年9月30日)をもって閉鎖されることになりました。

長らくの愛用者には残念きわまりなしと思いきや、この閉鎖は「類語.JP」という、新しいサービスが提供されたことに伴うもの。見たところ同じ機能がそのまま引き継がれているようです。

「シソーラス(類語)検索」では、何度も類語検索をしていると「ご利用ありがとうございます。長いご使用は他のユーザー様のご迷惑となる場合がありますので回数を制限させていただきます」と丁重に連続使用を遠慮されました。「類語.JP」は料金を払えば何度でも使え、またお試しで1日5回まで使うことができる模様(いずれも会員登録は必要)。

「ありがとう、シソーラス(類語)検索」の声が聞こえてきます。

2008年9月30日に閉鎖される「シソーラス(類語)検索」はこちら。
http://www.gengokk.co.jp/thesaurus/
引きつがれえる「類語.JP」はこちら。
http://ruigo.jp/
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「おいしい!」にちがいがあることを脳科学が解明


このところ「行動経済学」という学問分野が脚光を浴びています。

これまで経済学がもっぱら扱ってきた人物モデルは、まったく行動にむだのない、冷徹無比な“経済人”でした。

しかし、ふつうの人はふと寄り道をして別の線路で帰宅したり、むだづかいをしたりしたくなるもの。こうした人間らしい(経済人らしからぬ)行動を前提に、人間がどのような行動や経済活動を行うかを知ろうとするのが行動経済学です。

2002年に経済学者ダニエル・カーネマンがノーベル経済学賞をとり、注目されるように。日本では『行動経済学 経済は感情で動いている』といった新書も売れています。

人間の感情は脳科学の対象にもなりますから、行動経済学と脳科学は親しい間柄といえます。そこで「神経経済学(ニューロエコノミクス)」なる学問も現れています。

2004年、米国でこんな神経経済学の実験が行われました。

コカ・コーラが好きな被験者と、ペプシ・コーラが好きな被験者を集めます。コカ・コーラ派にはコカ・コーラを、ペプシ派にはペプシ・コーラを、どちらにも2回飲んでもらいました。1回目は被験者が飲んでいるのがコカ・コーラかペプシ・コーラかわからない状態で。2回目は何を飲んでいるかがわかる状態で。

すると、コカ・コーラ派とペプシ派で、結果にこんなちがいが現れたそうです。

コカ・コーラ派は、2回目にコカ・コーラであると見せられてから飲むと、それまで活発でなかった脳の部分が活発になりました。

いっぽう、ペプシ派は、1回目の商品名を隠したときも、2回目のペプシ・コーラであると見せられて飲むときも、脳の活動のしかたにちがいはありませんでした。

この違いからわかることは「ペプシ派は、飲んだものがペプシ・コーラとわかっていようといまいと、ペプシ・コーラをおいしく飲んでいる。コカ・コーラ派は、飲んだものがコカ・コーラだとわかると味がよいと感じるようになる」ということです。ここから、コカ・コーラのブランド戦略がすぐれているということが読みとれるのでした。

脳を測る機械がより小型化して、携帯できるようにまでなると、この神経経済学はますます、実際の生活のなかで取り入れるようになることでしょう。
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ヤンキースタジアムより前のヤンキース本拠地は超いびつ
大リーグのニューヨーク・ヤンキーズが本拠地としていた「ヤンキースタジアム」が86年の歴史に幕を閉じました。来年からはとなりに建設されている新球場が使われることになります。

ヤンキースタジアムの歴史は86年と、とても古いものがあります。でもそれ以上に球団史は歴史あるもの。ヤンキースの名前がついたのは1913年というから、95年前です。

ということは、ヤンキースはヤンキースタジアムを使う前に、べつの場所を本拠地にしていたことになります。それはどこかというと「ポロ・グラウンズ」という球場です。サンフランシスコに移るまえのニューヨーク・ジャイアンツと併用していました。

米国の球場でよく見られる特徴的な点は、外野の左右対称性が崩れていること。ヤンキースタジアムも、右翼席の後方に鉄道が走っているため窮屈になっていて、左翼より右翼のほうが短くなっています。



ヤンキースの一代前の本拠地ポロ・グラウンズの外野の形も特徴的です。本塁から左翼までと右翼までの長さのちがいは、この球場にも6メートルほどありました。右翼のほうが短いのです。

しかし、もっと特徴的な点は、その左翼・右翼までの距離は極端に短く、中堅までの距離が極端に長いこと。本塁から右翼までは78.5メートル、左翼までは85メートルしかないのに、中堅までは147.2メートルもありました。



この距離を日本の球場でくらべるとどうでしょう。かつてロッテオリオンズの助っ人選手が、あまりの狭さのため練習場と誤解され「試合はどこでやるんだい」と言われた川崎球場の両翼でも89メートルはありました。ポロ・グラウンズの右翼はそれより10メートルも短いのです。

いっぽう、日本で中堅まで長い球場といえば阪神甲子園球場。長さは120メートルあります。しかし、ポロ・グラウンズはそれより27.2メートルも奥行きがあるのです。中堅に本塁打を打てる選手はまずいなかったでしょう。

なぜポロ・グラウンズの外野が極端な形をしていたかというと、もともとこの球場は野球のためでなく、球場名のとおりポロに使うための場所だったからです。長方形のフィールドに、むりやり野球の内外野の規格を当てはめたため、両翼が極端に短く、中堅が極端に長い野球場になってしまったのです。

ヤンキースの花形選手だったベーブ・ルースもポロ・グラウンズ時代に活躍をしました。右翼まで極端に短かったことが、本塁打量産の原因になったとも言われます。

ヤンキースが1922年にヤンキースタジアムに移り、ジャイアンツが1957年に西海岸のサンフランシスコに移ってからも、ニューヨーク・メッツの本拠地として、1962年までポロ・グラウンズは野球場として使われました。

日本の野球場は、かつての川崎球場や、来年完成の新広島市民球場のように、左右非対称の“しわ”は外野応援席に寄せられます。しかし、外野が左右対称だったり、決められた形だったりしなければならないという規則はありません。

球場設計者のみなさん、ポロ・グラウンズのようないびつな外野がある球場も、また客を呼ぶひとつの名物になるのではないでしょうか。
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脳細胞の脇役はなくてはならない存在


脳の細胞といえば、情報伝達をおこなう神経細胞(ニューロン)がよく知られています。でも、その50倍の数で脳を占めているべつの細胞があります。神経膠細胞(グリア細胞)です。神経膠細胞の「膠」は「こう」と発音しますが「にかわ」とも読みます。

かつて神経膠細胞といえば、神経細胞のまわりにただ多くあるだけで、それほど大切な役割を果たす細胞とは思われていませんでした。

しかし2000年以降、神経膠細胞の役割がつぎつぎと明らかになってきました。ただ黙っていたのではなく、神経膠細胞どうしが情報のやりとりをして、神経細胞と神経細胞のつながりを制御しているらしいとうことがわかってきました。

脊髄損傷の治療についても、グリア細胞の重要性が明らかになっています。慶應大学の岡野栄之教授は、胚性肝細胞(ES細胞)の研究をしてきました。胚性幹細胞は、動物が生まればかりのときの胚の内部細胞塊からつくられる細胞株。この細胞からどんな組織をつくることも可能とされます。

岡野教授は脊髄損傷をしたマウスを使った実験で、脊髄の一部分である胸椎に、胚性肝細胞からつくった神経幹細胞2種類を入れました。神経幹細胞とは、文字どおり“神経”の“幹”の“細胞”。いろいろな神経細胞に枝分かれする前の状態の細胞で、自分で増えていく機能と特定の機能をもつ細胞に変わる機能の両方をかねそなえています。

1種類目は、神経細胞がつくられることになる「1次神経幹細胞」。2種類目は、神経細胞とともに神経膠細胞もつくられることになる「2次神経幹細胞」です。

1次神経幹細胞を入れたマウスでは、脊髄損傷の回復は見られませんでした。しかし、2次幹細胞をマウスに入れると、麻痺していた後脚が回復したといいます。脳と神経をあわせた中枢神経系、とくに脊髄損傷に対しては、神経細胞と神経膠細胞の両方が生み出されることが大事ということを示しています。

ただの脇役と思われていたものが、名脇役、いやひょっとしたら主役を張る役割をもっていたことがわかったということは科学には起きうること。DNA(デオキシリボ核酸)とおなじかそれ以上にRNA(リボ核酸)の役割は大切だということもいわれますし。

いずれにしても、脇役に据えるのも主役にするのも人間の判断によるものです。神経膠細胞もRNAも、太古の昔からずっとおなじことをしつづけてきました。
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小泉英明さん「自然科学と人文社会科学に橋を」


きょう(2008年9月26日)東京・内幸町の日本記者クラブで、日立製作所のフェローで脳科学者の小泉英明さんが講演会をしました(主催は科学技術ジャーナリスト会議)。演題は「実社会に役立つ脳研究とは? 『イノベーション』の意味と方法論を考える」。

小泉さんは、脳科学を道具にして、自然科学と、社会科学や人文科学の分野との“架橋・統合”を行い、そのあり方を考えています。

小泉さんが10年間つづけている研究が「脳科学と教育」。社会的な重要性や緊急性などの社会的需要の面から研究をしています。「自然科学の立場で学習を研究するときは、“価値観”というものを外さなくてはならない。教育哲学者などからも反発をいただいたこともあった」。

自然科学と社会・人文科学を架橋する研究の難しさも小泉さんは言います。異分野研究者間の激論も絶えず、学界で重職を担っていた研究者がその役割を降りてしまうことも。そこには、研究方法の違いが大きく影響している模様。

「社会科学や人文科学は多くの変数を扱う必要があり、帰納的な方法になる。自然科学は変数が限定されるため演繹的な方法を得意とするが、それはやれることが限られるからともいえる。相手の言っていることが理解できないと、プライドを傷つけられるという感情面の問題もあります」

最近では人間の心理面から経済的行動を研究する「行動経済学」といった学問分野も興てきています。小泉さんは脳科学でわかっていた興味深い人間の行動もいくつか紹介しました。

たとえば、こんな実験があるようです。被験者が他人から高い評価をされている映像を見たときの脳はとてもよく活性して快感を覚えていることを示しました。いっぽう、他人が他人を高く評価している映像では、被験者の快感を覚える脳の部位は、逆に普通の状態よりも下がってしまいました。“妬み”といった人間の性質が、脳科学的に証明されたともいえるかもしれません。

また、人が現実の行動をしているときと、夢の中で行動を起こしているときとでは、脳の活性部位が同じであるということも明らかになってきています。統合失調症の人々の脳の状態や行動についての研究への応用が考えられそうです。「人間はなにをもって現実を認識し、なにをもって非現実を認識しているのかといった点に重い課題をあたえている」。

現在、行政から受けている予算で行っている研究は来年まで。自然科学と人文・社会科学は“架橋”が始まったところ。“融合”はより遠くにあるのが現状といえます。「わかっていることとわかっていないことを十分に理解することが重要」と小泉さんは言います。
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「BEAMS学習帳」の微妙さ


20歳台、30歳台のおとなにとって、小学生時代に使っていた定番ノートといえば「ジャポニカ学習帳」ではないでしょうか。青緑色を濃くした表紙の中央には、世界で撮られたきれいな写真が大きく載っています。

そのジャポニカ学習帳が、いまセブン-イレブンで「BEAMS学習帳」として売られています。

ビームスといえば全国展開をしている代表的な洋服店。男性品、女性品とわず、Tシャツからスーツまで幅広い品揃えをしています。服飾の販売だけでなく、雑貨などの商品も充実していますから、ビームスのノートがあってもおかしくはありません。

しかし、ジャポニカ学習帳の特別版にしたてて、それをセブン-イレブンで販売するとは…。

BEAMS学習帳を含むビームスの文具品について、2社は2008年春に報道資料を出しています。開発の背景として、(1)文具小売店舗数の継続的な減少、(2)文具には機能性と新規性を求める傾向があり、両方を兼ね備えた文具としてご提案、(3)セブン-イレブンとBEAMS の主要客層が合致し、デザイン性を兼ね備えた文具を発売することによりお客様の相互誘引を図る、(4)文具のニーズ(期待感・関心)が年間でもっとも高まる新年度に合わせて発売、の4点をあげています。

(2)の新規性、(3)の主要客層の合致、(4)の時期的なニーズといった点より先に、(1)の「文具小売店鋪数の継続的な減少」を背景に掲げている点が、この商品の「遊んでみました」という点と「真剣なんです」という点のあいまいさを醸しだしています。

表紙をめくってみると、右側には5ミリ方眼紙。そして左側には「エコモンといっしょに地球環境のことを考えて行動してみよう」の文字が。その下にある、次の一文が強烈な印象です。



「私たち現代人は、地球からみれば、害虫のような存在かもしれません」。ビームスなりの、地球環境問題に取りくむ姿勢が垣間見られます。その下には、星、種、土、葉、花、茎、水、月のキャラクターが地球の上で手を組んでいる姿も。

裏表紙をめくったところも地球環境問題を啓発する紙面になっています。「身近な暮らしの中で、できる地球温暖化対策!」。



表紙側の“害虫発言”に比べて、裏表紙側は「風呂の残り湯を洗濯に使いまわす!」「買い物袋を持ち歩き省包装の野菜を選ぶ!」など、過激ではなく、よく言われている対策が並んでいます。これらの対策は「全国地球温暖化防止活動推進センターホームページ」からとってきたものと書かれています。

開発背景といい、紙面の地球環境メッセージといい、表紙と裏表紙の写真の構図といい、意図的にも感じられる“微妙さ”が出ています。気になる値段は、ジャポニカ学習帳が170円ほどであるに対して、ビームス学習帳は300円。この価格については、微妙と思う人もいれば、そうでないと思う人もいるでしょう。

2008年4月の報道発表資料「セブン-イレブンとビームス 初の協業ブランド『BEAMS STATIONARY』が誕生!」はこちら。
http://www.sej.co.jp/corp/news/2008/pdf/040301.pdf
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“ラジオ版”チューリング・テスト


英国の数学者アラン・チューリング(1912-1954)は「チューリング・テスト」とよばれる試験を考えました。

あなたが2台のコンピュータで、Aさん、Bさんという、知らないふたりとチャットをしているとします。

Aさんとのチャットでは「はじめまして、Aさん」「はじめましてAと申します」「いま、どこにいるのですか」「部屋の中です」と、オンラインでの会話が続いていきます。

いっぽうBさんとのチャットでは「こんにちはBさん、よろしく」「Bです、よろしく」「趣味は何ですか」「趣味ですか。そうですね、読書とかかな」と、会話が続いていきます。

あなたはチューリング・テストの被験者です。この試験で試されるのは「AさんとBさんのどちらかが生身の人間で、どちらかが人間をまねた機械です。人間はAさんでしょうか、Bさんでしょうか」といったものです。

Aさんとの会話とBさんとの会話について、どちらかに機械が答えているような点がなかったかを考えて、「Aは機械だ」などと答えるのです。

しかし、チャットの内容からして、Aさんも人間、Bさんも人間としか思えず、どちらが機械であるか区別できなかったとします。チューリングは、そうであれば人間のふりをしていた機械には「知能がある」といってよい、と主張しました。

対話の相手が人間だと思い込むほどの会話であれば、それはもはや“知能をもったものとの会話”といってよいのかもしれません。

さて、あまり知られていませんが、最近このチューリング・テストをラジオ局がやっているのではないかという噂が、一部から上がっています。

NHKラジオ第一では、毎時間決まった時間帯にニュースを流しています。このニュースを読むアナウンサーのうち、機械が原稿を読んでいるのではないかと思わせる人がいるというのがその噂です。

たしかに朝の時間帯、ある男性アナウンサー(ニュースで名前は名乗っていますが機械でないときの名誉のためにここでは書きますまい)のニュース読みを聞いてみると、その口調はやけに短調で“人間ばなれ”した声をしています。

「ショクヨウニ使エナイ米ガ不正ニ転売サレテイタモンダイデ、全国ノショウヒシャ団体ガアツマッテ緊急集会ガ24日、都内デ開カレ、国ニタイシテ検査態勢ノ見直シヲ求メル意見ガ相次ギマシタ」

一部の人から「あのアナウンサーは機械なのではないか」という声が上がっているということは、チューリング・テストとしては、まだ成功の域には達していないわけです。

この噂は本当かはわかりません。でもNHKが将来、知的ロボットによる番組進行などを計画しているのだとしたら、“ラジオニュース版チューリング・テスト”はその布石を敷いているということもいえそうです。
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「生産性の向上」がもたらすものは仕事


ここ何年か「仕事と生活の調和」をもっと考えましょうという提案が、政府や経済界などから起きています。「ライフワークバランス」ともいいます。

つまりは「仕事も充実感をもって行い、また、家庭や地域の生活でも多様な生活を選べるよう、両方のバランスをとりましょう」ということです。

このような提案がされるのは、多くの人にとって仕事と家庭生活のバランスがとれていないという現状があるからです。

内閣府は「仕事と生活の調和(ワーク・ライフ・バランス)に関する意識調査」を今年(2008年)8月に、20歳から80歳までの2500人を対象に行いました。仕事と家庭生活のバランスがとれていないことを示す典型例がつぎの結果です。

「仕事」優先を理想とする人は、2.0%にすぎないが、現実には約半数が(「家庭」よりも)「仕事」優先となっている。

また、いろいろなことをするための「時間は十分とれているか」という質問もあります。「仕事のための時間」が「十分とれている」または「まあ取れている」と答えた人は計71.2%でした。いっぽう「家庭生活のための時間」は計64.1%、「休養のための時間」は49.6%と減っていき、「学習・趣味・スポーツなどのための時間」は36.5%、「地域活動に参加する時間」は19.5%となりました。

この結果からも、つい仕事を優先してしまう人々の考え方がわかります。

なぜ、仕事を優先してしまうかといえば、仕事には約束事が多いからではないでしょうか。いつまでに書類や原稿を提出しなければならないとか、売上をどのくらい伸ばさなければならないといった、契約事項が多くあります。しかも、給料や報酬といった生きていくためのおカネが掛かっています。これで仕事を優先しないという人は、よほど肝の座った人かもしれません。

約束事を守ることを優先するといった観点から、“仕事優先”は健全な社会の象徴であると考えるのもある意味、妥当なのかもしれません。

ともあれ、仕事と生活の調和が大事と考えたのでしょう。内閣府は「仕事と生活の調和(ワーク・ライフ・バランス)憲章」を策定しています。

しかし、この憲章には議論の余地がある文言が盛り込まれています。それは、企業と働く者の役割が書かれた次の文言です。

「企業とそこで働く者は、協調して生産性の向上に努めつつ、職場の意識や職場風土の改革とあわせ働き方の改革に自主的に取り組む」

生産性の向上に努めることにより、少しでも無駄なく仕事をして、浮いた時間を家庭生活に当てようという意図があるように見受けられます。

では、生産性を向上した結果、増えるものといえばなんでしょうか。仕事ではないでしょうか。メールで情報伝達速度が上がったために起きたのはメールの洪水です。遠隔会議を行うために多くなったのは会議です。

1日の目標が未来永劫かわらないような職場で生産性が向上すれば、夜7時まで掛かっていた仕事が夕方5時までに終わるかもしれません。

しかし「生産性が上がったね。仕事の質が上がったね。早く帰れるようになったね」という職場はそう多くはありません。たいがいは「生産性が上がったね。仕事の質が上がったね。より多くの仕事ができるね」となることでしょう。

「生産性の向上」がもたらすものは産業社会における生産性の向上です。家庭生活の時間を増やすことにはなりません。

内閣府「『仕事と生活の調和(ワーク・ライフ・バランス)に関する意識調査』について」はこちら。
http://www8.cao.go.jp/wlb/research/pdf/wlb-net-svy.pdf
内閣府「仕事と生活の調和(ワーク・ライフ・バランス)憲章」はこちら。
http://www8.cao.go.jp/wlb/government/pdf/charter.pdf
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あまりに知られざる日本最古の神社建築


日本に現存する最古の神社建築はどこでしょうか。伊勢神宮でも、出雲大社でもありません。

京都・宇治市にある宇治上神社(うじがみじんじゃ)です。5世紀頃の応神天皇、その皇子の菟道稚郎子、そして兄の仁徳天皇が奉られています。

地元の人や歴史に詳しい人であれば、宇治上神社の名は知るところでしょう。しかし、知名度はあまり高いとはいえません。ホームページ検索でも、"伊勢神宮"1,090,000件、"出雲大社"2,890,000件に対して、"宇治上神社"はわずか42,100件しかありません。

神社建築は一般的に、礼拝を行うための手前にある「拝殿」(画像)、神に供える麻布を置く「幣殿」、神霊を奉安する「本殿」からなります。ただし、宇治上神社には幣殿は見られません。

拝殿は、寝殿造りの風情があり、屋根は茅葺き。神社建築の原型にふさわしいような素朴なつくりです。飾りたてるような要素がほぼありません。

また奥の本殿は、覆屋とよばれる本殿を囲う社で覆われています。覆屋は外見的には木材の格子が特徴的。ファザード下半分は直角-水平方向に格子が組まれ、上半分は格子を45度回転させたつくりになっています。

この覆屋の格子から中を覗くと、社の中は坂上になっていて、そこに3つの社がならんでいます。これが本殿。現存最古といわれています。

じつは宇治上神社は、世界文化遺産の一つでもあります。1994年「古都京都の文化財」の一つとして、近くにある平等院とともに登録されました。

日本最古の神社建築にして世界遺産。にもかかわらずこれほど知名度が低いのは不思議なところです。最古であるがゆえの飾り気のなさや簡素さも手伝っているのでしょう。

敷地には「侘び・寂び」の空気が漂っています。観光地化されるより、このまましっとりたたずむ宇治上神社のほうが似合いかもしれません。

京都府ホームページ「世界遺産(世界文化遺産)宇治上神社」はこちら。
http://www.pref.kyoto.jp/isan/ujigami.html
関西情報・産業活性化センター「関西デジタルアーカイブ 宇治上神社」はこちら。
http://www.kiis.or.jp/kansaida/uji/uji02.html
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カトレアのカレーパン――カレーまみれのアネクドート(8)


海外から輸入されたものを、独自に加工して別の商品にする技術は、工業製品だけの話ではありません。カレーにも当てはまります。

カレーのルーツはインド。そのインドを植民地にした英国にカレー文化は伝わりました。日本のカレーは、その英国から文明開化のときに伝えられたもの。日本はこの英国経由のカレーを独自のカレー文化に発展させます。その典型的な例が「カレーパン」の誕生でしょう。

東京都江東区の森下という下町に「カトレア」というパン屋があります。ここは、日本のカレーの歴史を語るうえでかならずといってよいほど登場するパン屋です。この店の前身「名花堂」こそが、日本初のカレーパンを世に出したからです。

店の中には、「元祖カレーパン」の木看板が掲げられています。店を訪れたとき、カレーパンは下段の棚に自己主張せずにたたずんでいました。油が手につかぬよう、ひとつひとつがビニール袋に入っている親切さ。カレーパンと辛口カレーパンの2種類が売られていました。

「カレーパン」のほうは、外の衣はきつね色にこんがりと揚げられています。内側のパン生地の柔らかい食感が残るなか、カレーが口の中に飛びこんできます。普通のカレーパンよりもルウはとろりと柔らめか。具はニンジンなど、どれもほどほどの大きさです。外の衣のさくさく感と、パン生地ふわふわ感、そしてカレーのぎっしり感。三拍子が揃っています。

「辛口カレーパン」はどうでしょう。基本の味は「カレーパン」と変わりません。「辛口」は、カレーパンの辛さの延長線状にある辛さです。口の中でしばらく辛さが残ります。

ルウの柔らかさといい、辛さといい、ごはんに掛けても十分美味しいのではないでしょうか。日本におけるカレーの原点は「ライスカレー」にあり、ということを少しばかり思い出させてくれます。

創業は1878(明治10)年。カレーパンの発売開始は1927(昭和2)年。発売当時、カレーパンは「洋食パン」という名前で新案特許を取得しました。カレーをパンで包み込んで、しかもそれをこんがりと揚げる…。この発想こそが、外来品を加工して日本独自の品にしてしまうという日本文化を感じさせます。
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酵素活性の発芽玄米、人気活性はこれから


東京ビッグサイトで「フードシステムソリューション2008」という展示会が開かれました。

おなじ会場では「ふるさと食品全国フェア」が開かれており、神奈川県に事務所のある日本発芽玄米協会が「第1回発芽玄米加工食品展」を開催。

発芽玄米とは、玄米を一定温度の水に浸し、胚芽部分が0.5ミリから1ミリほど発芽した玄米のこと。配布資料によると、発芽すると酵素が活性化されて、栄養分を増やすといいます。また食物繊維やビタミンB1、カルシウム、マグネシウムといった栄養も白米より多く含まれています。

同展では、協会が実施した発芽玄米加工食品コンテストの受賞作品の試食会が行われました。



手前の銀の皿にあるのは、審査員特別賞の「一口鶏五目」。ふつうの炊き込みご飯でつくった五目むすびと変わらない、香ばしい風味でした。「もち米を使用しているため、他社のしゃり玉機では打ち出せません」と同社は説明します。

変わり種は、発芽玄米加工食品展審査員長賞「発芽玄米サラダベース」(ケンコーマヨネーズ)。サラダの中に発芽玄米が脇役として入っています。それほど「発芽玄米を食べている」という感覚はありません。栄養価を加えることができそうです。

発芽玄米は玄米よりも“おいしさ”や“食べやすさ”が高いとされています。栄養価はほぼ玄米とおなじ。ただし、興奮を抑えるとされる神経伝達物質「ギャバ」が玄米の約4倍、白米の約10倍、含まれているといいます。

事故米の使用が社会問題になっています。健康で美味しいとされる発芽玄米は、いわば対極の位置にあるようなコメ。よい意味のほうで認知度が高まるには、まずは地道なアピールからといったところ。

参考ホームページ
健康美容EXPO「おいしくてヘルシーな発芽玄米加工食品が決定」
http://www.e-expo.net/news/2008/09/20080918_01.html
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キリの仲間から油を得る


バイオ燃料として注目される植物は、トウモロコシやサトウキビだけではありません。

草木にも油を多く蓄えているものがあります。パームオイルを作るアブラヤシや、菜種油がとれるアブラナなどはその代表例です。これらに加えて、いま「ナンヨウアブラギリ」という植物から油をとろうとする研究が日本の企業などで行われています。

耳なれない植物ですが、ナンヨウアブラギリは“桐のたんす”のキリの仲間。おもに東南アジアやアフリカなどの熱帯地域で育っています。小指の先ぐらいの大きさの種の中に油が含まれていて、黄から黒に色が変わったときが収穫のしごろ。種全体の半分が油でできているといいます。

じつは、ナンヨウアブラギリの種や葉には毒が含まれています。なので食用としては使うことができません。しかしこれは燃料資源としては好都合。アブラヤシやアブラナなどとちがって食用に使われない分、燃料として安定的に使うことができからです。陸の植物なので広い海を使うことはできませんが、日本では将来、使われなくなった田畑などで育てることが計画されています。

こうしたバイオ燃料の開発を考えるときに大切なのは「燃料を作るときにエネルギーがどれくらい使われるのか」という点。たとえば石油1リットル分のエネルギーを植物から作るために、機械を動かしたりして石油1リットル分以上のエネルギーを作っていてはかえってマイナスになります。

少しでもエネルギーを使わずにエネルギーを取り出す方法を研究者たちは考えているのです。
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紅色を金色に


日本に古くから根づいている「色」を「伝統色」といいます。

『日本の伝統色』という本には225種類の伝統色が載っていますが、そのうち木々や草花などの生物にちなんだ色は146色あるといいます。

赤色の系統も、植物にちなんだ色が豊富にあります。「紅葉」といった言葉に使われる「紅(くれない/べに)」もその一つです。

トップ画像に見られるような“鮮やかな赤”が紅です。紅の由来となった紅花は小アジアやエジプトが原産のキク科の草。紀元前3世紀ごろ、“絹の道”での交易がさかんになると、紅花は中国の異端にあった匈奴(紀元前3世紀-紀元5世紀)にもたらされます。ちなみに紅花の花が紅色に見えないのは、紅色よりも多くの黄色い成分を含んでいるから。



匈奴を前漢(紀元前202-紀元8)の武帝が紀元前117年に攻め入りました。これにより前漢はいまの甘肅省中北部にある「燕支山」を奪いとりました。この山が紅花の産地だったといいます。前漢と紅花の出会いです。

それから600年以上あとの5世紀、日本に紅花が染料の素材として入ってきました。当時、日本の染物といえば藍染がもっぱら。染料のことを「藍」とよんでいたほどです。紅花は、当時の中国の朝廷「呉」(222-280)から来た「藍」だったため「くれあい」とよばれ、これが「くれない」に転じたそうです。

日本に「紅色」の文化が輸入されたのは、中国の唐(618-907)の時代です。強い文化の影響受けて、濃い紅色には「唐紅(からくれない)」という呼び名がつきました。

錬金術ではありませんが、紅花が作り出す紅色は、金色に変化するといいます。

紅花の色素を沈殿させて濃くし、黒みがかった紅色を紙や皿に幾重にも塗り重ねると、光沢が出てくるといいます。もちろん「ゴールド」といった色ではありませんが、光の加減では光沢部分が金色に発します。

「紅に黒」が重なっていくと「金」になるとは。色を生み出した自然と、色を加工する人間の合作といえるかもしれません。

参考文献
長崎盛輝『日本の伝統色』
吉岡幸雄『日本の色辞典』
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直感でわからない数学


人の直感と数学的確率との間には、かなりの差がある場合があります。

よく知られているのが「おなじ誕生日の二人がいる確率」です。学校の1学級が23人いると、おなじ誕生日の二人がいる確率はおよそ50%にもなります。40人学級だとおよそ90%の高確率に。

もっと驚かされる話は「モンティ・ホール問題」でしょう。

これは米国の司会業モンティ・ホールがとりしきる「レッツ・メーク・ザ・ディール」という娯楽番組に端を発します。この番組では、参加客のあいだでこんなゲームが行われました。

(1)A、B、Cという三つの扉の向こうに、車、山羊、山羊を無作為に置く。車は“あたり”の景品、山羊は“はずれ”。

(2)参加客が、どの扉を開けるか選ぶ。

(3)司会者モンティ・ホールは、残りの二つの扉のうち、どちらかを開けて、山羊を見せる。このとき、モンティは車がある扉がどれであるかかならず知っている。二つの扉とも山羊である場合、モンティはどちらの扉を開けるか決める(どっちにしても山羊が出るが)。

(4)参加客は、空いていない二つの扉のうち、最終的に開ける扉をそのままにすることもできるし、変更することもできる。

さて、もしあなたが参加客として、最初に扉Aを選んだとします。次に、モンティは扉Cを開けて山羊を示しました。ここであなたは扉Aと扉Bと、どちらかの扉を最終的に選ぶべきでしょうか。

直感では「どちらを選んでも同じ」と考えてしまいがちです。扉は二つで、どちらかに車、どちらかに山羊がいるのですから。

ところが、正解はこのとおりではありません。確率的には「(選ぶ扉を変えて)扉Bを選ぶべき」が正解になります。これを確率論的に説明するとつぎのようになります。

「あなたが選んだ扉」と「あなたが選ばなかった扉(二つ)」では、前者で車が出る確率は3分の1、後者で車が出る確率は3分の2になります。

後者の3分の2の確率の扉については、はずれの山羊が出る扉が1個、モンティによって除外されました。

すると「あなたが選んだ扉」と「あなたが選ばなかった扉(残り一つ)」では、前者で車が出る確率は3分の1、後者で車が出る確率は3分の2となります。よって「あなたが選ばなかった扉」を最終的に選びなおしたほうが、車をがあたる確率は2倍になります。

直感では「おなじ確率」と思われがちなものが、数学的には「2倍の確率の差」がつくとは。人間の直感とはかなりいいかげんなものなのかもしれません。いや、人間からしてみれば、数学の答のほうが“常識はずれ”といえるのかもしれませんが……。
| - | 22:26 | comments(0) | -
「これとこれがおなじだった」


登場人物の多い小説を、気が入らずに読んでいるとき、こんな経験をしたことがあるでしょうか。

「山田は、来る日も来る日も汗水を流して練習に励んだ」
(なんか、山田って男は努力家なんだな)

「太郎、ついに明日はお前の出番だな」
(この太郎っていうのは、試合に初出場なんだ)

「それは、山田太郎にとって忘れられない経験となった」
(山田と太郎って同じ人物だったんだ。読みなおし)

おなじものを、ある言葉とべつのある言葉で示すことがありますね。科学の世界にもそうしたものは多くあります。

いっぽうの言葉がよく知られているにもかかわらず、もういっぽうのなじみの薄い言葉が使われるために、それがどんなものかピンとこないでいる、といったことはかなりの人が経験しているでしょうか。この場合「厳密には違うが、ほぼおなじ意味」といった言葉は、「おなじ意味」してしまうほうが便利です。

たとえば「エタノール」という言葉。ちかごろの環境問題への関心の高まりから、新聞などで「バイオエタノール」という言葉がよく使われていますね。

この「エタノール」とほぼおなじ意味の言葉が「アルコール」です。厳密には「エチルアルコール」と同義なのですが、辞書の「エチルアルコール」の項目では「単にアルコールともいう」とあるので、「エタノール=アルコール」と考えても日常生活にはほぼ問題ありません。

また、植物図鑑などでは「シロツメクサ」という草の名前がでてきます。草花に詳しい人であれば、どんな植物かすぐにわかるでしょう。でも、あまり詳しくない人は「クローバー」のことであることに気づかないかもしれません。

医療・医学の分野でも、有名な“ほぼ同じ意味”があります。日本人の三大死因は「悪性新生物」「心疾患」「脳血管疾患」。公的な資料や論文などには、そのように載っています。

でもこれも、ほぼ置き換え可能。「悪性新生物」は「がん」ですし、「心疾患」は「心臓病」、また「脳血管疾患」は「脳卒中」。

対の言葉の意味範囲をベン図で示せば、多少のずれはあります。たとえば、脳卒中は脳血管疾患の一種として説明されることもあります。

しかし、多くの一般的な書物やホームページでは、「悪性新生物(がん)」といったように、ほぼおなじ意味の、なじみあるほうの言葉をかっこで載せている場合がよくあります。

「エタノール」という言葉に「何のことやら」と思っていた人が、「アルコールのことですよ」と聞いたようなときは、言葉の宇宙を瞬間移動したような感覚が経験できます。みなさんのまわりにも、まだ「あの言葉とこの言葉はほぼおなじ意味」という科学用語はあるかもしれません。

ちなみに「蛋白質」の「たんぱく」と「淡白な性格」の「たんぱく」は、意味が混同される場合が多いとか。「淡白質」は、無味乾燥な物質っぽいですね。でも「蛋白な性格」とはどういうものでしょう……。
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半世紀で平均寿命20年の伸び、では定年は?


きょうは敬老の日。「多年にわたり社会につくしてきた老人を敬愛し、長寿を祝う」といった意味があります。

衛生状態がよくなったり、栄養豊富な食べものを食べられるようになったりして、日本人の平均寿命は戦後、年々、伸びてきています。

抗加齢の研究をしている慶應大学の坪田一男教授は、漫画『サザエさん』の磯野波平を例にして、こんな話をします。

「サザエさんに登場する波平さんは53歳。漫画が始まった1950年の日本人男性の平均寿命は58歳でした。波平さんは2年後の55歳で定年を迎え、その後3年後にはこの世から旅立つ年齢。当時はまず老後の心配なんていうものはありませんでした」
(注:現在の公式プロフィールでは波平は54歳)

波平さんは、漫画が始まった当時としては、あと5年でお亡くなりになるお年頃。晩年もいいところだったといえます。

それから半世紀。2007年現在の日本人の平均寿命は、男性が79.00歳、女性が85.81歳。70歳以上の人口も2000万人を超えました。もはや“高齢化社会”ではありません。“高齢社会”です。

半世紀前に比べて20年も平均寿命が伸びたなか、かなりの企業では社員が“第一線”を退く年齢はいまだ60歳。たしかに2006年には高年齢雇用安定法という法律が施行され、65歳までの定年年齢の引き上げや、65歳までの継続雇用制度導入、または定年制の廃止が企業に義務づけられました。とはいえ、かなりの場合、60歳で部長職などは“お役御免”となります。

つまり、半世紀して寿命は20年伸びたの対して、定年や第一線からの引退は5年から10年ほどしか伸びていないわけです。

こうした現状に対して、引退生活を謳歌する欧米人とちがい、いつまでも仕事にやりがいを見つけている日本人は多いようです。電通が2006年に行った調査によると、男性の77%が定年後も組織で働くことを望んでおり、75%が定年前に働いてた企業で引き続き働きたいと答えています。

前出の坪田教授は「社会が高齢者を活かすシステムになっていません。日本には高齢者というすごいリソースがあるのだから、社会を支える重要な参加者として活用する社会を作っていかないと」と話しています。次の衆議院選挙では、このあたりの政策も争点になるかもしれません。

敬老を示すため、おじいちゃん、おばあちゃんに「これからも、どんどん働いてください」という言葉はいいすぎでしょうか。

参考文献
坪田一男「いつまでも健康でごきげんな明日のために」『無限大』2008年夏号
電通『2007年団塊世代退職市場攻略に向けた調査レポート「退職後のリアル・ライフ鵺」』
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ホーキング博士の賭け癖、またしても…


英国の天体物理学者スティーブン・ホーキングは、日本人にも有名です。『ホーキング宇宙を語る』などの著書で人気を博したことに加え、“車いすに乗った科学者”という印象も強いのでしょう。

ホーキングは、“賭けごと”が好きな科学者としても知られています。といっても、競馬場やカジノに出向くわけではありません。舞台は物理学です。

1974年には、友人でおなじく天体物理学者のキップ・ソーンに「白鳥座のX-1という星がブラックホールであるかどうか」という賭けを挑みました。

「ブラックホールだ」というソーンの主張を、ホーキングは「ブラックホールでない」と否定しました。

このとき賭けたものは、おたがいの好きな雑誌です。ホーキングが勝てば『プライベート・アイ』4年分を、ソーンが勝てば『ペントハウス』1年分を、敗者が送りつづけることになりました。『プライベート・アイ』は、うわさ話や風刺、特ダネなどを得意とする大衆誌です。日本でいえば『週刊新潮』あたりでしょうか。『ペントハウス』は、かつて日本版も出版されていた雑誌で、『プレイボーイ』のような、いわゆる男性誌です。

当時、ブラックホールは物理学者のカール・シュヴァルツシルトが、アインシュタインの一般相対性理論から導き出した概念でした。しかし多くの物理学者は、その実在までを認めようとしませんでした。

この賭けに勝ったのは、ソーンでした。恒星と連なるX線源を強く発するブラックホールの存在が、X線を使った天文観測技術により明らかになっていきました。1990年にホーキングは敗北を認めました。ソーンは1年間『ペントハウス』を買う必要がなくなりました。

こりずにホーキングは1991年、ふたたびキップ・ソーンらに賭けで挑みます。「ブラックホールの存在は認めよう。でも、“裸の特異点”は存在しない」とホーキングは主張します。裸の特異点とは、“事象の地平線”(光さえも私たちまでは決して届くことのない領域の境界)に覆われない点のことをいいます。

6年後の1997年、またもホーキングは敗北を認めます。この賭けでソーンと仲間の素粒子物理学者ジョン・プレスキルが手に入れたのは、現金100ポンド(当時の相場で1万6千円ほど)と、勝者の“裸”を隠すためのTシャツでした。

つい最近、ホーキングはまたも物理学の話題について、賭けようとしている模様です。今度は、欧州合同素粒子原子核研究機構がまもなく行う大型ハドロン衝突型加速器を用いた実験の結果を予想するもの。ホーキングは「ヒッグス粒子は見つからないだろう」と言いました。

ヒッグス粒子は素粒子の一つで、1964年に英国の理論物理学者ピーター・ウェア・ヒッグスが提唱しました。“ヒッグス場”という素粒子に質量をあたえる場から得られる素粒子です。どこにも存在するとされますが、私たちの目には見えません。実験は、巨大粒子加速器を使ってこの存在を突き止めようというものです。

報道によるとホーキングは今回「100ドル賭けてもいい」と言っているそうです。「『ペントハウス』1年分」に「100ポンドとTシャツ」に加え今回の「100ドル」。額に比べると、賭けに破れて持論が否定されたときの対価のほうが大きそうです。

しかし、みずからの理論に欠陥があったときは、いさぎよくそれを認める姿勢もホーキングの評価を高めているようです。

参考文献
ダン・フーバー著・柳下貢崇訳『見えない宇宙 理論天文学の楽しみ』
参考ホームページ
インテック・ジャパンブログ「ブラックホールはどのように作られるか」
AFPBB News「ホーキング博士、『LHC実験で神の素粒子は見つからない』に100ドルの賭け」
| - | 23:59 | comments(0) | -
地震対策先進国の日本、中国に遅れをとる


いろいろな分野の“本場”は、文化や技術を向上させるもの。地震も同じことがいえるかもしれません。地震大国である日本の観測網は、外国が見ならうものといいます。

ところが、その防災・減災先進国といえる日本で、遅れている地震関係の“技術”があるといいます。

それは地震の命名法です。

今年(2008年)6月に起きた「岩手・宮城内陸地震」では、山林が大規模に地すべりを起こし、その映像が報道番組に何度も映し出されました。また温泉旅館での救出活動なども伝えられました。

そうした被害があったいっぽうで、地震の名前である「岩手・宮城内陸」の大部分の地域の人びとは、地震の後すぐにふだんの生活をとりもどしています。

しかし、多くの日本人は東北の広い地域で震災の爪あとが残る印象をもち、東北観光を控えがちに。いわゆる風評被害です。盛岡市ではこの9月、風評被害に対して宿泊施設への支援を決めました。それぞれの自治体で対策を立てています。

震災研究者は、こうした風評被害の要因として、地震の命名に対する行政の配慮のなさが一因であると指摘しています。たしかに、栗原市など被害地域の範囲に比べると「岩手・宮城内陸」という名前は規模が大きすぎます。

中国四川省で5月に起きた巨大地震にも名前がつけられています。日本の報道機関は「四川大地震」とよんでいますが、中国の公式的な命名では「5.12汶川大地震」。防災システム研究所の山村武彦所長は、命名した中国国務院が「『四川大地震』では四川省の観光地イメージを壊すと配慮したためと見られる」と理由を話しています。

震度6クラスの地震が日本でひんぱんに起きるなか、地震の名前はもっと慎重にすべきもの。被災者への精神面を含めた支援が必要であることはいうまでもありませんが、震源地の市名や町名に限定した地震の呼び方のほうが、広い地域での風評被害は減らすことができるでしょう。これも一つの減災対策といえそうです。

参考ホームページ
山村武彦「中国5.12汶川大地震:現地調査・画像速報」
http://www.bo-sai.co.jp/shisengentityousa.html
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iPS細胞特許成立に「人類全体の役に立つ知財」の思い


京都大学が(2008年9月)11日、山中伸弥教授が作成した新型万能細胞(iPS細胞)に関わる国内特許が成立したと発表しました。

特許の対象は、山中教授が特定した4遺伝子、Oct3/4、Klf4、Sox2、c-Mycを体細胞に入れてiPSを作成する方法。きのう書評した『iPS細胞 ヒトはどこまで再生できるか?』にも、4遺伝子の特定までの道のりが詳しく書かれてあります。

特許で「この発明をしたのは誰々です」ということが認められると、他の人はその人にその発明を使う許可をおかねを払うなどして得なければなりません。特許は、発明の保護のためにあります。発明が保護されないと、つぎつぎとその技術がほかの人にまねされてしまいます。これは発明者にとっても社会全体にとっても不都合なこと。そこで一定の期間、発明者に対して独占的な発明の使用権利があたえられるのです。

京都大学で作成されたiPS細胞の研究に携わる人たちの多くは、iPS細胞作成の特許成立が悲願だったと考えられます。京都大学本部の真の狙いはどうかわかりませんが、山中教授などの研究者個人レベルでは、特許による収入とは別の狙いがあるようです。

いまは研究職に就いていますが、山中教授のそもそもの職業は医師。医師として、一人でも多くの患者を救いたいという思いは大きいものでしょう。

しかし、特許は技術の使用を限定しかねないもの。特許成立の背景には、海外との熾烈な研究争いがあります。iPS細胞をめぐっては、欧米の大学や製薬企業なども研究をしています。欧米では発明に対して特許を獲得する文化は日本よりも強いとされ、当然のように各研究所は特許を狙っています。

もし、海外の研究所にiPS細胞をつくる上での重要な特許をもっていかれたら、日本の研究もままならなくなります。とくに企業は営利を目的として成り立っているからには「技術を使うのであればお金をください」と言うかもしれません。

そうした、海外研究所の特許の“足かせ”を取り払うにはどうしたらよいか。自分たちで先に特許を得るしかないのです。

iPS細胞の研究に携わる理化学研究所の西川伸一さんは以前より「iPS細胞は、大もうけするための知財ではありません。『人類全体の役に立つ知財』であると肝に銘じていただきたい」と話しています。

もっとも、こうした特許成立への悲願はあくまで研究者の個人レベルの話であり、大学といったより大きな組織としては別の狙いもあるかもしれませんが。

今回の特許は、日本国内のiPS細胞の作成に関する技術のみが対象です。今後も、海外の舞台などで、特許をめぐる海外研究所との争いは続きます。

参考文献
田中幹人著『iPS細胞 ヒトはどこまで再生できるか』
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書評『iPS細胞 ヒトはどこまで再生できるか?』
専門家的立場かつジャーナリスト的立場という、両面からの視点を兼ね備えた、日本では極めてまれな本です。

『iPS細胞 ヒトはどこまで再生できるか?』田中幹人著 日本実業出版社 2008年 256ページ


世界的業績をあげた学者が、ジャーナリストから取材依頼を受けた。いつものように断ろうとすると、そのジャーナリストにこう説得された。「私が先生の研究成果を知らせる決定版を作ります。先生は今後の取材依頼に『私が言いたいことはこの作品にすべて書いてある』といえば済むようになります」。

その学者は取材を受け、あとの取材依頼には「この作品にすべて書いてある」と答えているという。

昨2007年11月、京都大学の山中伸弥教授が人工多能性細胞(iPS細胞)の作成に成功した。iPS細胞は、本人からとった細胞を利用して、臓器などの器官を作り出すことを可能にする細胞だ。これまで研究が進められてきたES細胞とちがい、細胞の作成に受精の必要がないため、生命倫理の問題を大きく回避することができる。研究が進めば、再生医療の技術を大きく進めることにつながる。

本書は、山中の行ってきた研究、打ち立てた成果、そして研究者としての意思や哲学の多くが載っている。これほど詳しく山中の研究に迫ることができる本は、ここ1、2年は出てこないのではないか。以下のような要因がさまざま重なっているからだ。

著者は生命科学の専門家だ。研究の現場に立った経験があるため、実験の手練手管も経験談をもとに紹介することができる。「細胞という複雑なジャングルにひそむ未知のタンパク質や遺伝子といった『獲物』を見つけ出し、捕獲する。そしてその機能を知ることで、細胞というジャングルの仕組みを解き明かそうとする」といった具合だ。

かといって細胞と遺伝子の込み入った説明のときには、研究者らしからず(?)「この説明は難しい」ということを意識できるメタ視点をもっている。クローン羊“ドリー”や、ES細胞などとの比較からiPS細胞の要点を説明する(それでも難解と思える箇所はあったが)。

一連の成果が発表される前後、科学雑誌の記事づくりで山中に試みた取材が元になっている。山中教授が“同業者”に心を打ちあけた部分もあるのだろう。研究者の人間らしさもよく出ている。外国の研究者からの「日本人はマウスを治すのはうまいが、ヒトを治すのは下手だね」と言われたときの山中教授の気持ちを次のように紹介している。

これまでの研究成果を、患者さんを救う方法として結実させたい、という強い希望があった。そのためには、ヒトiPS細胞を作らなければならない。

医療への応用、知的財産をめぐる海外研究グループとの争い、生命倫理など話は多岐にわたっている。

最後には、研究者の経験をもつ立場から、再生医療に対して過度な期待をもちがちな社会に警鐘を鳴らす。「再生医療など待たないでください。いまできる治療をしてください」と講演会の聴衆に訴える研究者の声を伝える。

いま山中教授も、社会からの期待、マスメディアからの取材攻勢、海外との競争といった三重四重の圧力に潰されそうになりながら、研究を進めようとしているのかもしれない。

この本は、そうした重圧への防御壁になりうるものだ。少なくとも研究者の理解者である著者は、この本にそうした気持ちを込めているにちがいない。研究者が「知りたいことがあったら読んでください。私の研究や考え方がこの本に書かれてありますから」と言えるに値する本である。

『iPS細胞 ヒトはどこまで再生できるか?』はこちらで。
http://www.amazon.co.jp/iPS細胞-ヒトはどこまで再生できるか-田中-幹人/dp/4534043848/ref=sr_1_1?ie=UTF8&s=books&qid=1221141436&sr=8-1
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配送車にイノベーションの影


セブン-イレブンの配送車です。

運転手がつぎつぎと商品を荷下ろしして店内へ。一見なんともない風景に見えますが、ここには流通革新の成果があるといいます。

セブン-イレブンの商品配送車がセブン-イレブンに商品を配送します。

ただ、セブン-イレブンで扱う商品は自社ブランドの弁当などのほかに、食品製造業が作っている商品も。雪印のアイスクリームやサッポロビールなどです。

でも基本的に商品配送車は、セブン-イレブンのマークが入った車のみ。裏側には「共同配送センター」の存在があります。

むかしは、牛乳であれば雪印乳業や森永乳業などの各製造業の配送車がコンビニエンスストアを巡回していました。配送時間が異なるため、棚の陳列もばらばらとなり見栄えがしませんでした。各製造業の営業が、ライバル商品を棚の奥にやるといったおそれもありました。

そこで、セブン-イレブンは考えました。各製造業の商品を一括管理できる共同配送センターをつくろう、と。

各製造業が、この共同配送センターに牛乳や納豆などを納入します。そして、定時にセブン-イレブンの商品配送車が配送。これで、いつも決まった時間に商品の棚入れができることになりました。

配送での要点は「温度別」であること。たとえば、納豆や牛乳や加工肉などは保存状態がすべて10度前後です。こうした“要・冷蔵”の商品はすべて1台のチルド配送車にまとめます。他にもアイスや冷凍食品などは零度以下で保存するので冷凍配送車へ。

いまセブン-イレブンでは保存温度別に7種類の配送車が各店舗を回っています。1974(昭和49)年の初出店時は70台の配送車がひっきりなしに店を訪れていたといいます。共同配送センターのしくみがいかに効率を高めたかがわかります。

「イノベーション」は技術的な革新を指すものだけではありません。流通におけるイノベーションの一例をセブン-イレブンの配送車にかいま見ることができます。

参考文献
矢作敏行「コンビニエンスストアに見る『小売イノベーション』の本質」『日経 大学・大学院ガイド2008年秋』
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物理の効果でいいわけを試みる


きょう9月9日は「救急の日」。救急といえば救急車。救急車といえば耳に飛び込んでくる、存在を知らせるあの音。

救急車が自分に近づくと音は高くなり、通りすぎて遠ざかると音は低くなります。これは救急車が近づいてきたときの音の波長は短くなり、遠ざかるときの波長が長くなるから。1842年にオーストリアの物理学者クリスチャン・ドップラーが研究したため「ドップラー効果」といわれています。

ドップラー効果が起きるのは音だけではありません。光も波の性質があるため起きます。音では「高い・低い」で表わされますが、光では「色のずれ」となって現れます。光が近づくと青く見え、光が遠ざかると赤く見えるのです。

空の星は、温度が高いと青く、低いと赤く見えますが、それとは別にどちらかというと青いものより赤いもののほうが多いといいます。これは地球からすべての恒星が遠ざかっているため。赤い星が多いのは宇宙が膨らみつづけていることを示す根拠になっています。

逆に、光をもつものがこちらに近づいてくると、その光は青の波長帯のほうへとずれます。

「近づく光はより青く見え、遠ざかる光はより赤く見える」。この現象から、つぎのような冗談が生まれます。

信号機といえば、青が「進め」で、赤が「止まれ」。ある人が車を運転していると、信号無視をしてしまいました。赤信号の下を通りすぎるその車を白バイ警官が見つけ、車を止めました。車に乗っていたのは物理学者でした。

警官と物理学者の間で、こんなふしぎな会話が繰り広げられます。

警官「ちょっと、おたくさん、いま赤信号を無視しましたね」
学者「えっ、そうでしたか。おかしいな。信号はたしか青でしたよ」
警官「そんなことはない。私はあなたの乗っている車が赤信号を通過していくのを見たんだから」

物理学者は、理論的ないいわけを試みます。

学者「ははぁ、わかりました。ドップラー効果です。きっと私の目には赤信号が青信号に見えたんです。光というものは、近づくと波長が変化して青いほうにずれるものですからね。赤い光がずれて、青く見えたんだ。しかたなかったということで、今回は見逃してください」

物理学者にとって残念なことに、警官には若干の科学の知識がありました。

警官「そうですか。赤信号が青信号に見えたのですね。そんなに速度を上げていたとは。スピード違反で逮捕します」

参考文献
サイモン・シン『ビッグバン宇宙論』
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男性が消えかけた国


身のまわりに、男性と女性のどちらが多いかを考えたことがあるでしょうか。

女性専用車両にまちがえて乗った男子学生や、男子高校の女性教師など、その状況によりけりですが、日本の平均でみると、少しだけ「女性が多い」と感じるようです。

2005年の国勢調査では、男性が6234万8977人に対して、女性が6541万9017人。日本では300万人ほど、女性のほうが多いのです。平均寿命の差なども関係するのでしょう。

この男女比の均衡が極端までに崩れてしまった国があります。南米の中央にあるパラグアイです。

19世紀のパラグアイは激動の時代でした。1810年、スペイン植民地だったこの土地で革命が起き、翌1811年にパラグアイ共和国の独立宣言をしました。南米では初の独立国となりました。

その後19世紀半ば、パラグアイは英国の鉄道技術者を雇用して、鉄道を敷くなどして国は発展していきます。

しかし国外の情動は不穏でした。1860年代、すでに独立していたブラジルやアルゼンチンが、パラグアイの隣国ウルグアイに内政干渉をしてきたのです。小国としてウルグアイと立場の似ていたパラグアイは、ウルグアイ救援のために戦争をはじめます。フランシスコ・ソラーノ・ロペス大統領は、ブラジルに侵攻しました。

ところがロペスの失策により、救護するはずのウルグアイからは支援を得ることができませんでした。そうしているうちに、ブラジルとアルゼンチン、それにウルグアイまでもが同盟を組んでパラグアイに攻め入ります。

“四面楚歌”ならぬ“三面楚歌”。同盟3国とパラグアイのマンパワーは10対1の大差がついていました。そこで、パラグアイ政府は少年兵や老年兵を総動員して戦争を続けました。

その後、アルゼンチンとウルグアイは内政事情もあり、戦争から離脱したものの、ブラジルの強力な攻撃を受け、首都アスンシオンが1869年1月に陥落しました。このころの闘いでは、パラグアイの主戦兵は9歳から15歳の子どもだったといいます。

首都陥落後もロペス大統領は戦争を続けましたが、1870年に戦死。5年間の戦争が終わりました。


ホセ・イグナシオ・ガルメンディア作『息子の遺体を看取るパラグアイ兵』

男性という男性を兵力に総動員して壊滅的な戦禍を受けたパラグアイ。諸説あるようですが、1863年に52万5000人いた人口は、1871年に22万1000人にまで減ってしまいました。

とくに男性の減り方は尋常ではありません。1871年の総人口22万1000人のうち、男性(子どもを除く)は28746人しかいなかったといいます。このときの男女比は約3対10。極端な男性希少社会となりました。5年間で男性の約9割が亡くなってしまったと言います。

以降、パラグアイには「道を歩くと木から女が降ってくる」といった自嘲的かつ女性に失礼極まりない冗談が生まれたといいます。

しかし、現実の人口では男女差が激しくても、生まれてくる赤ちゃんの比率は男女ほぼ半々。極端な人口比の世代が時とともに減っていくと、また男女の人口差は埋まっていきました。

2002年現在、パラグアイの総人口は516万3000人。男性260万3000人に対して、女性256万人。男性のほうがわずかながら多い国になっています。

参考
「パラグアイについて考える」
http://www.mars.dti.ne.jp/~mitsui99/kanko/paraguay-01.html
総務省統計局・政策統括官(統計基準担当)・統計研修所「世界の統計」
http://www.stat.go.jp/data/sekai/02.htm#02-03
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取材時のけっこう深刻な問題


雑誌の科学記事をつくるとき、研究者への取材は欠かせません。本や論文に書かれてあることを並べるだけの記事と、研究者の生の声を載せる記事では、臨場感が大きくちがってきます。

そこで、取材となるわけですが、たいていの場合は書き手と編集者とで研究室に向かうことになります。

いろいろな書き手や編集者の話をまとめると、取材にのぞむ場面で、けっこう深刻なある問題にたまに直面するときがあるといいます。それはどういうものかというと……。

書き手「今日の取材も、よろしくお願いします」
編集者「こちらこそ、お世話になります」

待ち合わせ場所で編集者と書き手が合流して、取材場所となる研究室へと向かいます。

そして研究室に入り、研究者とも名刺交換をして、あいさつ。その後、編集者から記事を載せる雑誌の紹介の説明があります。

ここまでの流れは、だいたいにおいてどんな書き手と編集者の組でもだいたい型が決まっているようです。

“けっこう深刻なある問題”が起きるのはこの先です。

編集者「というわけで先生、これから1時間くらい研究のお話を聞かせていただきます。改めましてよろしくお願いします。じゃあ、はじめてください」

書き手「えっ……」(私が質問するんですか……)

聞き手のメインが、書き手なのか、編集者なのか。この共通認識が得られていないまま、取材に突入するといった場合がまれにあるようです。

編集者と書き手の間では、事前に取材対象者の研究者の名前や待ち合わせ場所、日時などを事前連絡するもの。しかし「取材をリードするのはどちらか」といったことは、なかなか明文化されない、暗黙の了解事項となっているようです。

書き手にとっても編集者にとっても、「自分がメイン質問者となる」とわかっていれば、やはり記事の組み立て方などを含めて、より“気合いを入れて”下準備をするもの。

メイン質問者がどちらになるかの事前協議がないと、どちらも“気合いを入れないで”取材に臨んでしまうことがあるようです。

待ち合わせ場所や日時に比べると、「どちらがメイン質問者か」といった申し合わせは「そんなことを決めるのは無粋だ」といった風潮があるからか、なかなか事前には話しあわれない模様。

何回も取材をしている相手と取材をすれば「あ、今回は○○さんだから、メイン質問者は自分のほうだ」と経験的にわかってきます。しかし、はじめての組む相手の場合は、上のような怖い状況が起こりうるのです。

経験的には、8対2ぐらいの割合で書き手がメイン質問者となります。この比率が相応であれば、書き手のほうが「主な聞き役は私のほうでよいのですか」と念のために聞いておくのが筋でしょう。しかし、事情は時と場所によりけり。親密な取材前の意思疎通が大切かもしれません。
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法則は誰もが生み出せる。
人には、個別ばらばらに見えるものごとに共通点を見いだして「法則」というもので括ろうとする傾向があるようです。

惑星と太陽の関係をヨハネス・ケプラーが三つの法則で解いたように、古い時代から宇宙のものごとに対して法則性を求める営みはありました。そうした中、19世紀の後半にドイツの哲学者ヴィルヘルム・ヴィンデルバンド(画像)が「法則科学」という言葉を生み出しました。



ウィンデルバンドは、科学を分類しました。その中の一つが法則科学。反復のできない一回性をもつものを記述する科学が「歴史科学」であるのに対して、法則科学は普遍的な法則を探究する科学とウィンデルバンドは定義しました。法則科学は、いま私たちが使っている「自然科学」に近いものといえそうです。

しかし、ウィンデルバンドの意に反して、法則が存在するのは何も自然の中だけではありません。社会の中にも、何かによって定められたかのような普遍的関係を見ることができます。

個々の事例がいつどこで起きるかはまったくの偶発性によるけれども、それを積み重ねていくとある法則が見えてくるといったことは、人間社会のいたるところで見られるもの。交通事故が起きる場所と時刻はてんでばらばらでも、1年間の統計をとりつづけると、どの都道府県で交通事故の件数が多いか、月別ではどうか、時間帯別ではどうかといった傾向は見えてきます。そしてこの傾向は、いつの年でも大して変わることはありません。

「定理」などに比べると法則は、かなり曖昧性を許容した発見の対象といえるかもしれません。それに誤りや例外が見つかったとしても「法則」としてよばれ続けることがあるからです。たとえば、英国の遺伝学者フランシス・ゴルトンが生み出した「ゴルトンの法則」は、子への影響力は父親と母親が4分の1ずつ支配し、あとの2分の1は祖父母以上の代までさかのぼっていくとしていました。この論は、メンデルの法則が世に認められることで否定されましたが、いまでも「ゴルドンの法則」は「ゴルドンの法則」と言われています。

社会を支配する規則が法則と呼ばれるには、学会で発表したり、特許庁に出願したりする必要もありません。誰もが、自分自身で法則を生み出して、それに名前をつけることができるわけです。

サイエンス・フィクション作家のアーサー・クラークは「革命的な発展が成されるとき、人々は四つの段階を通る」としたそうです。「ばかげている。時間の無駄だ」から「面白い。けれども、重要じゃない」を経て「良いアイディアだと、私はずっと言っていた」へ。最終的には「私が最初に思いついたんだ」へ。「何々の法則」が最後の段階までたどりついたら、それは社会に受け入れられた立派な法則といえるでしょう。

法則はこれからも生み出されていきそうです。人は世の中を支配する規則性を発見するとどこか安心するのでしょうか。世の中の法則に支配されたい願望があるのでしょうか。
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三角関係の正負掛算


負の数と負の数を掛けると正の数になるのはなぜか、といった疑問は単純ながら深く考えさせられる問題ですね。ある人は「マイナスな印象の人がマイナスな羽目に陥ってたら、あなたにとってプラスだろうに」と言っていました。

数学的といえるかはともかく、納得されられたような、されられなかったような…。

この正と負のかけ算は、心理学の分野でも人の心の状態を計算するために、使われるといいます。

まず数学で、正または負の数を三つ掛けると答えはどうなるでしょう。

 1×1×1=1
 1×1×(−1)=−1
 1×(−1)×(−1)=1
 (−1)×(−1)×(−1)=−1

正になるか負になるかです。

3個の数のうち、負の数が奇数個(1個または3個)あるときは掛けると負の数に。

いっぽう、3個の数のうち、負の数が奇数個でないときは(0個または2個)正の数になります。

この正と負を、人対人の間の心的状態に置きかえてみます。つまり正は「仲がよい」、負は「仲がわるい」と考えます。

Aさん、Bさん、Cさんのそれぞれの人間関係において、この正負の掛け算をしてみるのです。すると、右辺に出てきた答の正負が、その3人全体としての心的バランスの良さ・悪さを表わすことになります。

 AさんとBさんは仲良し……正
 BさんとCさんは仲良し……正
 CさんとAさんは仲良し……正

正×正×正=「正」。この場合は、3人とも仲が良いので、3人全体としても良いバランスを保つことができます。つまり、3人はいつまでも仲よし!

逆に3人が3人とも仲が悪いとどうでしょう。

 AさんとBさんは仲悪し……負
 BさんとCさんは仲悪し……負
 CさんとAさんは仲悪し……負

負×負×負=「負」。この場合は誰もが誰もと仲悪いのですから、たぶん即刻トリオ解消です。

考えさせられるのは、一部は仲よしといった3人関係です。

 AさんとBさんは仲良し……正
 BさんとCさんは仲良し……正
 CさんとAさんは仲悪し……負

正×正×負=「負」。この場合、Bさんは他の二人とも仲が良いわけです。けれども、AさんとCさんは仲悪いどうし。するとこんな場合が……。

A「Bさん、遊びましょ!」
C「Bさん、私と遊びましょ!」
A「Bさんは、私と遊ぶのよ!」
C「Bさんは、私と遊ぶのよ!」
B「やれやれ……」

3人全体のバランスはとても不安定です。

最後の組み合わせは次のもの。

 AさんとBさんは仲良し……正
 BさんとCさんは仲悪し……負
 CさんとAさんは仲悪し……負

正×負×負=「負」。負の数が多いですが、この場合はつまりCさんだけが問題の人という場面です。

Aさん「Cさんとケンカしてるんだ」
Bさん「あら、私もCさんとケンカしてるの」
Aさん「なんだ、Bさんもか。よかった」
Bさん「Cさんって、むかつくよね」
Aさん「だよねー」

Cさんが共通の敵役となり、AさんとBさんの関係は良好に保たれます。よって3人のバランスは意外と安定して保たれることになります。これは、ワンマン社長がいるおかげで、不満の矛先が社長だけに向けられ、社員の統制が保たれている会社と似ているかもしれません。

3人の人間関係の正負計算は、恋愛がらみの三角関係などでも成り立つといいます。当事者の3人を冷静に観察するとき、または当事者として置かれた状況を冷静に考えるとき、正負の計算は役に立つかもしれません。
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直観でわからない「終わり」
街なかで見かける道路標識の歴史は、大正後期にさかのぼります。初期のころは文字による情報が中心でした。戦中・戦後直後までその傾向は続きます。

標識改正の節目は何回かありますが、大きなものはまず1950年。このころから、いまも見かけるマークによる表示が出はじめます。たとえば、十形交差点は黄色ダイヤ型に「十」の印。踏切ありは同じく黄色ダイヤ型に「汽車」の印といった具合。占領期における改正を反映して、“ROAD CLOSED”(通行止)や、“ONE WAY”(一方通行)などの英語表記も加えられました。



1960年には、青字のおにぎり型を逆にした国道番号の標識が現れます。そして1963年、赤三角の「止まれ」や、帽子をかぶった紳士が歩く「横断歩道」、赤丸に白い横線の「車両進入禁止」などの、なじみある表示が現れます。



視覚的に訴えることになり、たいがいの道路標示は直観で「安全」「危険」「禁止」などを判断できるようになりました。

けれども中には「なんでこれがその意味なのだ」という道路標示もあります。

その代表例は、補助標識の「終わり」でしょう。青縁白丸の地に斜めに入る青斜線。この標識は「507-C」という番号がついています。

たとえば、一方通行を示す「青字白抜矢印」の上に507-Cが着いていると「一方通行はここで終わり」という意味になります。507-Cの意味はもちろん教習所で習うはずですが、なぜ青斜線だと「終わり」なのかを直観的に理解するのは難しいものがありますね。

「507-C」とあるからには「A」や「B」もあります。すべて「終わり」の意味で、507-Aは「左側を指す赤矢印」。507-Bは「ここまで」の文字。3種類もあるのはこんな経緯があるからだそうです。


上から507-A、507-B、507-C

(1)Aをつくった。けれども矢印の向きがどちらをさす場合「終わり」なのかがわかりづらい。

(2)そこで、文字によるBができた。でも、各標識の下にいちいち「ここまで」「ここまで」「ここまで」と何枚も表示するのは煩わしい。

(3)そこで、複数の標識の上にCを表示することで「Cは下にある表示すべてに適応する」というまとめ役になった。

こうした経緯とは別に、やはりCの直観的理解度は低いもの。AもCもわかりづらいとしたら、文字による「ここまで」を各標識の上に乗せるといった方法がいまのところ最善ではないでしょうか。

「道路標識の歴史(変遷)」はこちら。
http://www.kictec.co.jp/inpaku/iken%20keikai/syasin/rekisi/hyousiki.htm
国土交通省道路局「道路技術基準・道路標識」はこちら。
http://www.mlit.go.jp/road/sign/sign/index.htm
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この暑さ、じつは湿度が決めていた!?(後)
日々の天気予報では、気温の変化に比べて湿度の変化は、それほど触れられてきませんでした。

地球規模の気候変動でも、同じことがいえそうです。

国連の「気候変動に関する政府間パネル(IPCC)」の報告では、過去100年で地球全体の平均気温は0.74℃上昇したとされています。

いっぽう湿度の変遷については、話題にのぼることがほとんどありません。

しかし体感的な暑さを考える上で、湿度は欠かせない要素。そこで、過去における湿度の移り変わりを調べてみました。



図は、千葉大学教育学部の三沢正教授が示した東京と横浜における相対湿度の変遷です(『地理学研究報告』1997年、第8号より)。

暑くなる日本。湿度も高くなっていると思いきや、20世紀前半には70%を超えていた湿度は、年とともに下がっていっているようです。最近は65%前後となりました。

よくよく考えてみると、気温が高くなるにつれ水蒸気をためこむ“器”は大きくなるので、相対湿度は低くなるのが原則。都市の気温が上がれば、相対湿度が下がっていくのも理屈にかなっています。

しかし三沢教授は「東京では1950〜1960年代に大きな相対湿度の低下が認められるが、この間の気温の上昇は必ずしも大きいものではない。また、横浜では1960年代以降はっきりした相対湿度の低下が認められるが、やはりこの間の気温の上昇は大きいものではない」と述べています。

相対湿度の低下には、気温の上昇とは関係ない別の要因もあるということでしょうか。

報告では、気温に相対である相対湿度に対して、絶対的な水蒸気圧の変遷についても触れられています。「東京と横浜における都市化の進展が著しかった1960年代に大きく低下している」とのこと。

都市化は気温を高めるという近年の説があるいっぽうで、1950年から1960年代の都市化では気温上昇は大きいものでなかった……。さらに同時期の都市化では、水蒸気圧は下がっていた……。

東京や横浜などの都市における気温と湿度の関係は、簡単に説明のつくものではないようです。気温変化のみならず、今後は湿度変化のしくみについても踏み込んだ研究が求めらます。

参考文献
三沢正「東京・横浜における今世紀の相対湿度の永年変化」『地理学研究報告』1997年 第8号
http://www.e.chiba-u.jp/~misawa/misawa/m_rep/m_r_9703.pdf
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この暑さ、じつは湿度が決めていた!?(前)


暦の上では秋に入ってそろそろ1か月。今年2008年の夏は、昨年ほどの暑さにはなりませんでした。

暑さというと、どうしても私たちは「気温」に目を向けがち。真夏日も猛暑日も、気温が難度を超えるかにより判断します。

しかし、体感的な暑さを決める要素にはもう一つ「湿度」があります。

湿度にはいろいろな種類がありますが、一般的に湿度といえば相対湿度を指すことが多いもよう。空気は、暑いときと寒いときで、ためこむことのできる水蒸気の量が変わってきます。暑いほど水蒸気を多く含むことができ、気温が下がっていくと“器”が減っていきます。その器から水蒸気が溢れてしまうと、雨や露などになるわけです。

湿度は気温とちがって、0から100までのパーセント表示。100%に近づくほど、いわゆる「蒸す」状態になるわけです。

では、湿度がどのくらい体感的な暑さと関わっているかというと、一つの目安として「不快指数」があります。上司からお小言を受けたときなどにも不快指数は上がるとされますが、いやみの度合いや、叱られた長さなどは計算には含めません。

不快指数は、ある時刻の気温(T度)に0.81を掛けたものと、気温に0.99を掛けてそれから14.3を引いたものに相対湿度(U%)の100分の1を掛けたもの、この二つにさらに46.3を足したもの。これだと、何のことかわかりませんが、以下のような式で表わせます。

  不快指数= 0.81T+0.01U (0.99T−14.3)+ 46.3

上の式を見るかぎり、温度がかなり重要な要素となっていそうです。しかし気温が高くなればなるほど、湿度の高い低いが不快指数に大きく影響してくるのです。

たとえば気温が20度のとき、湿度20%と湿度80%ではどのくらい不快指数が変わってくるかというと……。

  気温20度、湿度20%のとき、不快指数は63.6。
  気温20度、湿度80%のとき、不快指数は66.9。

その差は3.3です。

いっぽう気温が30度のとき、湿度20%と湿度80%ではどうかというと……。

  気温30度、湿度20%のとき、不快指数は73.7。
  気温30度、湿度80%のとき、不快指数は82.9

その差は9.2にもなりました。

冬、大平洋側で空気が乾燥したときなどは、湿度がどのくらいまで下がるか、天気予報でしきりに報じられます。けれども夏の暑い日でも、湿度がどのくらいになるか、もっと伝えられてもよいのかもしれません。つづく。
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ある総理大臣の辞任会見から


ある国の総理大臣が辞任することになり、記者会見で記者につぎの質問を受けました。

「総理の会見が国民には他人事のように聞こえるという話がよくされていました。今日の退陣会見を聞いても率直にそのような印象をもつのですが。こうした形での辞め方になったことについて、現在の政権に与える影響をどのようにお考えでしょうか」

総理大臣はこう応えたそうです。

「政権ですか。それはね、順調に行けばいいですよ。これに超したことはない。しかし、私の先を見通す目の中には、政権が決して順調ではない可能性がある。他人事のようにとあなたはおっしゃったけれどね、私は自分自身を客観的に見ることはできるんです。あなたとちがうんです」

この総理大臣の発言には、人間の特性について考えさせられる二つの要点があります。

一つ目は「私の先を見通す目の中には、政権が決して順調ではない可能性がある」という点です。「先を見通す」とは「予測する」ということ。人間は「予測をする」という能力をもっています。

しかし、この総理大臣が行った予測は、発言するまでもないほどの自明性をはらんでいます。

「政権が決して順調ではない可能性がある」の反対は「政権が順調に進む可能性しかない」。一国の総理大臣でなくても「政権が順調に進む可能性しかない」と考える人はそういないでしょう。

「可能性があるか」だけ考えたら「可能性はある」といえるできごとはたくさんあります。将来あなたが宝くじで1等を当てる可能性……あります。将来、赤を青とよぶようになる可能性……あります。将来、数学で「1+1」が「3」になる可能性……これはないかもしれませんが。

可能性があるからこそ予測するのであり、可能性のないものを予測してもあまり意味はありません。「政権が決して順調でない可能性がある」ことは、先を見通す目で見なくても、自明的に存在するのです。

二つ目は「私は自分自身を客観的に見ることはできるんです。あなたとちがうんです」という点です。

この発言で総理大臣の意味するところは「自分は自己を客観視できるが、質問をした記者は自己を客観視できない」ということでしょう。

自己を客観視できることは、デカルトが「我思う、故に我あり」と述べたころから人間の特性の一つとされています。「私は自分自身を客観的に見ることはできるんです」は、ほぼ当然のことを言っているにすぎません。ただし、なぜ人間は自己を客観視できるのかという問題はまだ未解決だそうですが。

問題はそのつぎ。「あなたとちがうんです」つまり「質問をした記者は自己を客観視できない」という意味の発言です。これにはすぐに反論が考えられます。その記者の発言が反証になるからです。

質問をした記者は「今日の退陣会見を聞いても率直にそのような印象をもつのですが」と言っています。記者自身が「総理大臣の記者会見が他人事のように聞こえる印象をもつ」と言っているのですから、この記者は印象をもっている自己を客観的に見ている確率は高そうです。

(1)「政権が決して順調ではない可能性がある」(2)「私は自分自身を客観的に見ることはできる」(3)「あなたとちがう」。

(1)自明と考えられること。(2)自明と考えられること。(3)誤りと考えられること。この三つを言い残して、ある国の総理大臣は記者会見場をあとにしました。
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