科学技術のアネクドート

法廷の科学は真実を語るか(6)
法廷の科学は真実を語るか(1)
法廷の科学は真実を語るか(2)
法廷の科学は真実を語るか(3)
法廷の科学は真実を語るか(4)
法廷の科学は真実を語るか(5)



前妻らを殺した容疑で法廷に立ったOJシンプソン。この巨漢の向こう側とこちら側で、検察側と弁護士側が、はげしい法廷あらそいを繰りひろげていました。

しかし、その争いは“がっぷり四つ”のものかといえばそうではありません。殺害現場の血痕からDNA鑑定の結果を陪審員に示そうとした検察側。対して弁護側は「証拠管理の連鎖」という、検察側の証拠品管理体制のずさんさをつこうとしたのです。

「ごみからはごみしか出ない」。法廷でこう述べたのは、弁護側のF・リー・ベイリーです。

検察側のDNA鑑定では、殺害現場の血痕から、DNA鑑定を可能にするために ポリメラーゼ連鎖反応という方法を必要としました。DNAがATGCという4つの単純な文字でできていることを利用した‘DNAの倍々法’とでもいうべきものです。

鑑定に使われるまでに増幅されるDNAも元をたどれば、ごく微量なもの。その微量な量にわずかでも本人以外のDNAが含まれていれば、とうぜん増幅されたDNAも、本人のものかどうか疑わしくなってくるわけです。

弁護士のリーは、ロサンゼルス市警法科学研究所が血痕も含めた証拠品の数々をおなじ部屋で扱っていたこと、証拠品を扱うための手袋を交換しなかったことなどをついてきました。

そこでリーの口から出たことばが上の「ごみからはごみしか出ない」でした。いくらポリメラーゼ連鎖反応でDNAを増幅しても、元が混入物だったら鑑定しても意味がないということです。弁護側は管理の連鎖の落度をここでもついたわけです。

べつの争点として「エチレンジアミン四酢酸の検出」があります。

弁護士側は、現場に残された靴下についた結婚を「OJシンプソンを取り調べたときに採取した血液を“後づけ”したものではないか」と指摘していました。これに対して検察側は「血液を注射で採取するときには、血液が固まらぬようエチレンジアミン四酢酸を使うはずだ。もし、靴下からこの物質が検出されなければ、採取した血液を意図的に靴下に付けたものではないということになる」と対抗したのでした。

靴下は連邦捜査局犯罪科学研究所に送られました。

3日もしないうちに、毒物研究室の担当者が分析結果を発表しました。

「たいへんに微量ながら、エチレンジアミン四酢酸が検出されたといってよいかもしれない」

検察にとっては裏目に出た結果となりました。この分析結果の表現にも「完全に存在しないとはいいきれない」といった、科学特有の慎重な言いまわしが感じられます。“ほぼ皆無”であっても、“ほぼ”がつけば、わずかながら存在するということになります。少なくとも人の印象としては。

検察側は「エチレンジアミン四酢酸は食品保存物としても使われているので、食べ物を食べれば検出されてもおかしくない」と弁解しました。しかし、検察側はふつうの人から検出される量を調べるための対象資料のデータは、コンピュータからすでに消してしまっていたのです。これも、陪審員に不利な印象を与えることになりました。つづく。
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ecochemさん「生活環境化学の部屋」開設12周年


県立新潟女子短期大学ecochemさんが企画・運営するホームページ「生活環境化学の部屋」が、あす(2008年7月31日)で12周年を迎えます。echochemさんのブログ「こども省」27日付で伝えています。

「生活環境化学の部屋」は、環境問題や身近な現象を、化学の視点から考えていくページ(同ホームページより)。ecochemさんが開発した立体分子構造図、多数の化学関連ホームページのリンク、お知らせなどからなるホームページです。環境問題や化学にとどまらない、科学情報のポータルサイトとなっています。

eccochemさんは、12年を振りかえり、「今喧伝されている『科学コミュニケーション』の1つの試行錯誤だったという見方も可能だと思っている」と控えめに述べています。

また、年表形式にした「インターネット利用とホームページ開設の歩み」も公開しています。1997年10月には「環境ホルモン情報」掲載開始、1999年12月には「化学物質過敏症情報」掲載開始など、社会問題にもなった環境問題情報をいち早く公開、ホームページが進化していく様子がわかります。

2000年には、単著『2時間即決環境問題』を上梓。「生活環境化学の部屋」に書籍の「サポートページ」を開設しました。書籍に書かれてある話題の関連情報をつぎつぎとインターネットで更新していきました。いま媒体の一形態にもなっている「紙」と「電子」の連動をすでに本格的に取り入れていたのです。

科学にかかわる人にも電子機器を苦手とする人はけっこういますが、いわゆる科学コミュニケーションの一媒体としてインターネットはやはり重要な手段。eccochemさんは、その重要性を早いうちから見出していました。ネットワークの大切さに対する先見の明があったというよりも、ご本人が切り拓いていったという表現のほうがより正確でしょう。

ブログ記事では、「ウェブ2.0」の先を見すえ「この次の大きな節目となる15周年においては、いったいどんなことになっているのだろうか」としめくくっています。

12周年、おめでとうございます。

ecochemさん企画運営「生活環境化学の部屋」はこちら。
http://www.ecosci.jp/ブログ「子ども省」2008年7月28日付け「7/31に「生活環境化学の部屋」12周年」はこちら。
http://d.hatena.ne.jp/ecochem/20080727
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山村武彦さん「喜びごとはよばれたら、悲しみごとはよばれなくても行け」


きょう(2008年7月29日)、東京・内幸町のプレスセンタービルで、防災システム研究所所長の山村武彦さんの講演会が開かれました。主催は日本科学技術ジャーナリスト会議。四川大地震の震災報告会です。

山村さんは被災地の中でも被害が大きかった中心部へ入ろうとしました。しかし、汶川県は立ち入り禁止。西都を本拠地に、周辺各地に言っては戻る日々だったといいます。

現地で山村さんが驚いたのは「被災地の10人のうち7人が、間違いないとしていた要因が、紫坪埔ダムがつくられたから」と考えていたこと。“大地震ダム説”は現地新聞でも報道されたあとインターネットから削除されたといいます。「ダムは断層の真上にあるが、地震との因果関係は決定的なものはない」。今後も調べていかなければならない問題としています。

あとかたなき銀行や学校などの建物、尋ね人の貼り紙などを写真で紹介します。

山村さんが訪れたところの学校も全壊、瓦礫の山となりました。しかし、死者は一人も出ず、生徒がわずかに足にけがをしただけで済んだそうです。「その学校は毎月、災害訓練をしていたのです。人が死なかったので、授業はすぐに再開できました」。

綿陽のテント群も訪れました。8畳のテントに8人暮らし。テントの中が気温40度以上になることも。ふだん人の少ない土地に住んでいる人がテント群で過ごすため、いろいろな人と接しなければならず疲れた様子だったといいます。「被災地にみんなが助けに行くが、助けられる被災者がいちばん疲れてしまう。被災対策の課題だと思います」

奉仕的な食堂を開設され、お昼にザーサイと豚肉と野菜の炒め物を出されます。「配膳時はあっちが多い、と分捕り合戦になる。少なきを憂えず、等しからずを憂うというのは本当かもしれません」。

中国で災害があるたびに何度も足を運んでいる山村さん。ボランティア受け入れ態勢の進歩に驚いたといいます。災害直後は無許可で現地にボランティアに行った人々も多かったとのこと。

義援金箱にお金を入れている人に話を聞くと「今日のお昼を抜いたんです」。被災者をいたわる気持ちは、富裕層も庶民層も、また日本でも中国でも同じということかもしれません。

国際支援も7月1日現在、15億9800万元、248億円に達したそうです。街のあちこちで「感謝している」という政府や企業の横断幕が見られます。「中国は横断幕文化だと思いました」。

よいことを流し、悪いことを流さないという中国の災害報道は変わったのでしょうか。今回の地震では中央電子台が24時間生放送を続けました。北京五輪という大きな行事が控えていたことも背景にあったのではと山村さんは言います。「現地の人は、死者数を毎日報道されるのはたいへん画期的なことだと言っていました」。

ふだん日本のよいことを書かない中国の報道も、今回は異例的に日本の国際緊急援助隊のことを新聞は非常に大きく取り上げたとのこと。母子の遺体を前に涙を流したという記事が大きな話題になりました。

「災害が起きたときにこそ、隣人として助ける体制をつくるべきだ。ODAなどの間接的な援助よりも感動は大きいのではないか。喜びごとはよばれたら、悲しみごとはよばれなくても行けと私は思います」

大災害のときこそ、国の政治のありのままの姿が露呈するといわれます。山村さんの話は、日本での報道では伝わらない話や、長年災害を見つづけたうえでの考え方がたくさんありました。
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その職場を変えていく「風通しのいい職場作り」


日経ビジネスオンラインで新連載「鈴木義幸の『風通しのいい職場作り』」がはじまりました。連結社とともに編集をしています。

鈴木義幸さんは「コーチA」という日本最大のコーチング企業の取締役社長。『コーチングが人を活かす』や『ほめる技術』など、数々のコミュニケーション指南書を著してきました。

新連載は、空気が淀むような職場をどのように変えて風通しをよくしていくか、毎週、主題を設定して鈴木さんの知見や経験から書き下ろすもの。鈴木さんは米国の大学院で臨床心理学の修士課程を修了しています。

第1回は「『気分は伝染する』〜ご機嫌から始まる職場革命」。職場を明るくて活気ある雰囲気にするための、誰にでもできる方法が書かれてあります。

科学や心理学に沿った話も出てきます。第1回の話で重要な鍵を握るのが「ミラーニューロン」。

相手がある行動をとっているところを見たとき、相手の脳活動と同じ反応を引き起こす神経細胞のことです。鏡のようにおなじ部位が活発になるからミラーニューロンといわれています。目の前の相手が悲しんでいると、自分も悲しくなってくるのにも、神経細胞のしくみがあるからといわれています。

このミラーニューロンと結びつけて、では職場の雰囲気を自分自身が変えていくにはどうしたらよいのか、といった話を展開してきます。

企業や役所づとめの方にとって、朝9時から夕5時までいつづける「職場」とは、生活空間そのもの。働く企業は自分で選べるとしても、配属される職場はなかなか選ぶことができません。

けれども、自分の力で職場の空気を変えることはできるということが、記事を読むとわかります。

今後も読んだらすぐに「やってみよう」と実行できるような話が、鈴木さんのお話から得られることでしょう。

日経ビジネスオンライン「鈴木義幸の『風通しのいい職場作り』」はこちら。
http://business.nikkeibp.co.jp/article/life/20080724/166185/
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「もう時間がないので説明はしませんが、」問題


このブログで「発表」や「プレゼンテーション」にまつわる、ちょっと気づいた点をいろいろと取り上げてきました。「苦手な講演」とか、「ホワイトボードマーカの構造的問題」とか、「なぜ発表は長引くのか」とか。

きょうは「もう時間がないので説明はしませんが、」問題について取りあげます。こう聞いて「ああ、あの問題か」と気づいた方もいることでしょう。

講演会などでは、講演時間が15分とか30分とか割り当てられていて、それを大きく超えるのはマナー違反となります。予定終了時刻の5分前に予鈴を鳴らす場合もありますね。

どの講演会でも、かならず一人くらい時計とパワーポイントの投影とをちらちら見ながら「もう時間がないので説明はしませんが、」という講演者を見かけます。

最後が「が、」になっているところが要点です。

「もう時間がないので説明はしませんが、この図で示されていることは過去にもこうしたことが行われていたということであり、縦軸は何々に、横軸は何々になっておりまして、順番に申しあげますとまず上段の右端はですね…」

結局、説明してるじゃん…。orz 。

文章指南書などでは「が、」のあとは逆接の内容も順接の内容も来るので、あいまいさを避けるために「が、」を「しかし、」や「その結果、」などに代えろ、といいますね。

講演の「もう時間がないので説明はしませんが、」も似たことがいえそうです。「もう時間がないので説明はしませんが、説明しちゃいます」という逆接が続くのです。

なぜ、講演者は「もう時間がないので説明はしませんが、」といいながら説明してしまうのでしょうか。

推しはかると、つぎのような心理状態が考えられます。

それは「与えられた時間は使い果たしてしまった」という心理と「でも話したい」という心理が混じりあっているということです。前者の心理が働いて「もう時間がないので説明はしませんが、」と言うものの、すぐに後者の心理が働いてけっきょく説明してしまうのです。

パワーポイントできっちりと図を用意してきて「もう時間がないので説明しませんが、」と発言する時刻まできっちりと説明してきたものだから、最後まで説明して終わりたいという思いもあるのでしょう。

「もう時間がないので説明しませんが、」といいながら説明が続く講演をに立ちあった聴衆は、「有言不実行」が瞬時に実行されているという、またとない場面に遭遇できるわけです。

しかし、それを貴重な体験と感じる人よりも、不快な体験と感じる人のほうが上回ることでしょう。

何度もいいますが、講演終了時刻30秒前に「徹子の部屋」のエンディングテーマを流すことが何よりの得策ではないでしょうか。
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家族の殺害疑惑晴らした「触れたものからDNA鑑定」


新しい科学技術が、家族に向けられた殺人の疑いを晴らしました。

今月(2008年7月)、米国コロラド州のジョンベネ・ラムジーちゃん殺害事件で、ジョンベネちゃんを殺したのではと疑われていた両親の潔白が証明されました。

このたび捜査で使われた鑑定法は「タッチDNA」という新技術。日本の新聞は「新しいDNA鑑定技術が使われた」としか書いていないものの、米国各紙は技術の内容を書いています。

米紙によると、タッチDNAは「ボード・テクノロジー・グループ」という企業が3年にわたり研究を進めてきた鑑定法です。今回の事件でも、2008年3月に同社がタッチDNAによる試験を執り行いました。

名前に「タッチ(触る)」とあるとおり、この鑑定法は犯人が触れたものから、わずかに残された細胞を削りとり、それによりDNA鑑定を行います。高い精度が求められる技術です。

これまでの殺人事件などにおけるDNA鑑定では、犯人の遺した髪の毛や血痕などの目に見える痕跡からDNAを採取する方法でした。しかし、タッチDNAでは、目に見える痕跡を残さなくてもDNAを採取することができるのです。

犯人がジョンベネちゃんのズボン下に触れていることが明らかであるため、この部分を対象にDNAの削りとりを行いました。鑑定の結果、そのDNAはラムジー家の家族のものではないということがわかったのです。

殺害の疑いが向けられていたころ、父のジョンさんは失職し、転居もせざるを得なくなりました。いっぽう母のパトリシアさんは疑惑の目が向けられたまま2006年にがんで死亡していました。検察は家族に謝罪をしています。

触れたものからDNA鑑定ができるようになったとは、法科学の技術もここまできたか、という感があります。いっぽうで、DNA鑑定された細胞が本当に犯人のものであることを証明するための慎重な手続きが求められそうです。

ボード・テクノロジー・グループ発表のニュース“Bode Technology Applies New "Touch DNA" Method to Advance JonBenet Ramsey Investigation”はこちら(英文)。
http://www.bodetech.com/documents/Press_Release_070908.pdf
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誤用で危険になることば


文化庁が「国語に関する世論調査」の結果の要点を発表しました。

調査で「誤用」されていることが多かった例を新聞などが取りあげています。

「檄を飛ばす」を「元気のない者に刺激を与えて活気づかせる」だとした人は72.9%、本来の意味「自分の主張や考えを広く人々に知らせて同意を求める」だとした人は19.3%とのこと。

高校野球中継などで監督が選手に何やら大声で指図していると「木内監督、檄を飛ばします」などと実況されます。これで「喝を与えてるな」などと思ってしまうのかもしれません。「檄」と「激」が似ていることも影響しているのでしょう。

ことばの誤用をめぐっては「正しく使うべきだ。けしからん」とする考えと「ことばは生きもの。時代ごとに変わりゆくのさ」とする考えがありますね。

たとえば『広辞苑』は「棹さす」を「棹を水底につきさして、舟を進める。転じて、時流に乗る。また、時流にさからう意に誤用することがある」としています。誤用だからと無視しておけなくなったのでしょう。

べき論の他に、実害という面で考えてみるのも手でしょう。

「檄を飛ばす」の場合は、「活気づける」の意味でも「同意を求める」の場合でも、意味の方向に極端なずれはありません。なので誤用されていても、それほどの実害はなさそうです。

しかし誤用の結果、意味が反対になってしまうと実害は大きくなります。

例えば「役不足」。本来の意味で使っている係長と、まちがって認識している課長がこんな会話をします。

係長「こんど部長が、挨拶励行プロジェクトのメンバーに加わるそうですね。部長には役不足の気もしますが、プロジェクトが軌道に乗るといいですね」

課長「……。きみ、ことばに気をつけたまえ。部長本人の前で言わないほうがいいぞ」

文化庁2002年度調査では、「役不足」を、誤って「本人の力量に対して役目が重すぎること」と思っている人は62.8パーセント、本来の「本人の力量に対して役目が軽すぎること」と思っている27.6パーセントを大きく上回りました。

「不足」には「満足いかず不平に思うこと」の意味があります。「役不足」は「役に満足できない」のであって「もっと、いい役が与えられてもいいはずなのに」という意味になります。

誤用でことばの意味が反対になると、誤解や不和をまねく“危険なことば”に。使うこと自体にためらいが出てしまいます。

「部長本人の前で言わないほうがいい」という課長の忠告はある意味、正しいでしょう。部長も課長と同じく本来の意味をしらなかったとしたら…。

部長「きみ! 上司に向かってなんだと! 私の怒りは心頭に達したぞ」

なんてことになりかねません。

文化庁「平成19年度『国語に関する世論調査』の結果の要点」はこちら。
http://www.bunka.go.jp/kokugo_nihongo/yoronchousa/h19/yoten.html
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畑村洋太郎さん「失敗とストレス」をおおいに語る。


日経ビジネスオンラインで、このたび「多角的に『ストレス』を科学する」という企画が始まりました。連結社とともにこの企画の編集に関わっています。書き手は尹雄大さん。写真は風間仁一郎さん。

人間のすべてが関わっているストレス。確実に感じることはできるものの、目には見えないため、その実態はなかなか一言ではいい表わせません。

そこで、自然科学、社会学、文学、芸術などなど、いろいろな分野で活躍中の専門家に、ストレスをどう捉えたらよいのかを聞くのが「多角的ストレス研究所」。

第1回目は、工学院大学教授の畑村洋太郎さんです。「失敗だらけの現代ニッポン、安全社会という落とし穴」。畑村さんが創始した「失敗学」からストレスを考えていきます。

ふだん本やテレビでは、工学的な見方から理論的に社会の「失敗」を解説している畑村さん。しかし、今回のお話の毛色はそれとはまったくちがいます。畑村さんが心から感じるがままのことを言いはなってもらいました。
人は誰でも間違えるし、めげるし、つらい思いをする。だから、そういうときは「クワーッ」と叫べ、畳の上でひっくり返って手足バタバタやれって思う。人のせいにするのもいいし、悪口言うのもいい。何でもやれと。大事なのは、そうしてでも生きてないとダメだってこと。
閉塞感というのは「俺がキリギリスでいられないのは、社会のせいだ」と言っているようなもの。そんなの晴れるわけない。そういう人には「いつからおまえ用にキリギリスのシステムができたんだ」と言い返したいよね。
畑村さんの失敗学は、社会のシステムに潜む失敗を分析することから、人間の内面性を探る方向へと広がっているもよう。取材では、社会に頼るのではなく、自分に頼れというメッセージが込められていました。

「おい、それはちがってるだろ!」というような世間に対する文句もさまざま聞かれます。「全部イモ」「おかしいでしょ」「どうかしてるよ」。江戸っ子ハタムラ先生の放談ぶりに、胸のすく思いがすることでしょう。

「多角的に『ストレス』を科学する 失敗だらけの現代ニッポン、安全社会という落とし穴」はこちらでご覧になれます。
http://business.nikkeibp.co.jp/article/life/20080716/165559/?P=2&ST=leaf
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16,215語しゃべる女性、15,699語しゃべる男性


きのうの記事で「舟唄」の「女は無口なひとがいい」という歌詞について、そう考えているのは男性であるという結論を出しました。

歌詞で「女は無口なひとがいい」とわざわざ言葉にするぐらいだから、作詞家(阿久悠さん)には「女性は無口ではない」という前提があったのかもしれません。

「女性はよくしゃべる」といった通説をめぐって、最近の科学ではそれを覆すような報告がされています。

米国アリゾナ大学のマティアス・メール助教授らは、女性と男性が1日に発する単語の数を数えました。その結果、大きな差は見られなかったということです。

米国とメキシコの男女学生396人に、ごくふつうの生活をしてもらいました。電子作動録音機という機械が動いていることだけをのぞいて。この録音機は12分30秒ごとに30秒、録音されるようしくまれています。オンとオフの切り換えがわからないため、被験者はふつうに生活するしかありません。

調査により、女性は16,215語、男性は1日平均15,699語、話しているということがわかりました。日常生活でのおしゃべりについて、性別の差は確認できないという結論です。

ただし、メール教授らは、この結果を発表した雑誌『サイエンス』で、「私たちの分析の限界は、すべての被験者が学生だったということだ」ということも述べています。けれども「普段のしゃべりの性差が生物学的な根拠に基づくかぎり、さらに多様な被験者で試したときと同様のことが学生からも見出せるはずだ」とも。

しかし、このような結果が出ても、人の通念にはあまり影響がないようで、日本国内のインターネット調査では「あなたの周りでおしゃべりな人が多いのは男性? 女性?」という質問に72パーセントが女性と答えたといいます。

「女性はおしゃべり」という通念と「そうでもなかった」という実験結果の差はどこからくるのでしょう。女性の会話のほうが、人にとって印象的であるということも考えられます。男性よりも女性のほうが高い声なので耳に入ってきやすいということもあるかもしれません。

参考ホームページ
『サイエンス』2007年7月6日号“Are Women Really More Talkative Than Men?”
ヤフーニュース意識調査「やっぱりおしゃべりなのは女性か」
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「女は無口なひとがいい」と考えた人物はたぶん男性


「雨の慕情」とならぶ八代亜紀の代表曲といえば「舟唄」でしょう。

 お酒はぬるめの 燗がいい
  肴はあぶった イカでいい
   女は無口な ひとがいい
 灯りはぼんやり 灯りゃいい

まるで『枕草子』の「春はあけぼの」のようですが、「舟唄」のこの歌詞をめぐっては、ちょっとした論争があるようです。

その議論とは「女は無口なひとがいい」という詞は、男性の心情なのか女性の心情なのか、というもの。

「『女は無口な人がいい』と俺は思うぜ」なのか「女は『無口な男がいいわね』と思っている」なのか。

上に当てはまらない場合も考えられます。「『女は無口な人がいい』とあたしは思っているわ」もありえるし「女は『無口な女はいいわね』と思っている」の可能性も否定できません。

つまり「男性が女性に対して」「女性が男性に対して」「女性が女性に対して」の場合が考えられ、「男性が男性に対して」は外されます。

この議論の答を求めるにあたって示唆的な点がいくつかあります。

一つ目は、八代亜紀が歌っているということ。女性が「女は無口なひとがいい」と言っているのだから「女性が女性に対して」という可能性を支持します。

けれども、演歌にかぎらず歌の世界では、女性歌手が男心を歌ったり、男性歌手が女心を歌ったりはよくあること。長渕剛は「涙のセレナーデ」という歌で、別れる寸前の女心を「あなたがいやがっていた赤いマニキュアきょうはつけて行きましょう」と歌っています。

なので、一つ目の示唆から「女は無口な人がいい」を判断するのは早急となります。

二つ目の示唆はより強力。2番で「あの頃あの娘を思ったら 歌い出すのさ舟唄を」という言葉がでてきます。「あの娘」のことを思うのですから、男性なのではないでしょうか。あの娘を思った「あの頃」が、どの頃なのかはわかりませんが、この議論に影響はあまりないでしょう。

三つ目は、この歌が演歌であること。一般的に演歌には「男と女の別れを歌う」種類がありますね。同性どうしの関係を歌う演歌よりもはるかに多いでしょう。「舟唄」の場合も、「男性が女性を思って」あるいは「男性が女性を思って」歌った歌である可能性がきわめて高そうです。

以上から総合的に判断すると「女は無口なひとがいい」は「『女は無口な人がいい』と俺は思うぜ」つまり、無口な女性を評価した男性の心情であるという結論を導き出せます。いちおう。
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情報速度の限界を超えて(2)
データ伝送速度の上限は「シャノン限界」とよばれています。シャノン限界を超えるデータ転送をかなえることは、ある意味、時間とのたたかいといえるかもしれません。

通信の情報量がこのまま増え続けると、いまの光信号を使った通信技術では情報網がパンクしてしまうからです。そのXデーは2015年にも来るといわれています。

でも、シャノン限界を超える速度でデータを送るということは、とてもできそうに思えません。たとえば、天井10メートルの体育館で棒高跳びをして12メートルの記録を出すようなものだからです。

そんなむりな話を可能にする技術があります。量子通信です。

量子とは、物理量の最小単位のこと。原子1個などを指す、極微の単位です。物体が原子の大きさくらいまで小さくなると、通常の私たちの世界とはまったくちがった振るまいをするのです。量子通信でも、量子のふしぎなふるまいを利用します。

2003年、日本の通信総合研究所(現・情報通信研究機構)の佐々木雅英さんらの研究グループが、量子通信をほんとうにすることができるということを実験で確かめることに成功しました。

通常の世界では、伝送するデータを2倍にすれば、情報量も2倍になります。これはあたりまえのこと。東京と新大阪の間の新幹線をいまより倍、走らせれば、輸送できる客の数は2倍になります。

ところが、伝送に量子を使うと結果はちがってきます。伝送する量子の数を2倍にすると、伝わる情報量はなんと2倍以上にすることができるというのです。“量子新幹線”を2倍、走らせると、3倍の客を輸送することができるのです。

量子通信をかなえるためには、光信号の“ゆらぎ”を抑圧させることが必要になります。たとえばレーザー光は見た目はまっすぐに飛ぶ光ですが、ごく細かい視点では光が揺れています。でも、ある時、ある場所における光の揺れ幅がどのくらいかを測ることはできません。

しかし、ある場所での光の揺れ幅を大きくすれば、その代わりに別の場所の光の揺れ幅を小さく抑えこむことができるのです。この抑圧した光はスクィーズド光とよばれています。このスクィーズド光を使えば、一つの通信経路だけでなく、一度に複数の経路に影響をあたえられるようになり、情報量を増やすことができるのです。

佐々木さんらは、かぎられた条件の下ながら、スクィーズド光を使って光信号の揺らぎを抑えることができました。

まだ研究は実験段階。とはいえ、シャノン限界を打ち破ることが実験で証明されたことで、データ通信の可能性はとてつもなく広がりました。シャノン限界を超える量子計算システムは、2010年までに実現するという青写真もあります。(了)

参考ホームページ
http://www.mri.co.jp/COLUMN/TODAY/NAKAMURAG/2005/0303NG.html
http://journal.mycom.co.jp/articles/2005/07/12/nict/001.html
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情報速度の限界を超えて(1)


インターネットや携帯電話など通信機器の世界には「データ転送速度」という度合いがあります。1秒間にどれだけの情報量を送ることができるかを示したもので、「bps(ビット秒)」「kbps(キロビット秒)」「Mbps(メガビット秒)」などがあります。

1ビットはコンピュータが扱う最小単位。大人気「iphone」の通信速度は、環境によりちがいますが、およそ200kbps。キロは「千」なので、1秒間に200000ビットを送ることができるということです。

高速道路や新幹線などに「いくらがんばっても1時間にこれ以上の車を通すことはできない」といった限界があるように、このデータ伝送速度にも機械ごとに限界の値があります。つまり、これ以上どうやってもデータ伝送速度を上げることができないという、理論的な数字です。

この限界値を導きだしたのは、米国の数学者クロード・シャノン(1916-2001)。1948年に「コミュニケーションの数学的理論」という論文の中で、この限界値をはじめて式として表わしました。禁域幅という単位ヘルツで表わされる周波数の範囲、禁域幅上の電力量、禁域幅上のノイズ量といった要素から計算できます。値は発見者の名をとって「シャノン限界」や「シャノンの通信路容量」などとよばれます。

シャノン限界は理想的な値。この値に近づければ近づけるほど、通信性能はよくなるわけです。新幹線ももうこれ以上は無理という限界まで列車を走らせれば、輸送力は最大になります(過密ダイヤはこわいけれど)。

このシャノン限界に近づけるには、通信過程の雑音などで、いかに誤った情報が送られないように、それが誤りであることを検出して訂正する作業をいかにむだなく行うかということが問われました。

シャノン限界に限りなく近づくべく、1993年、フランスのクロード・ベローは、ターボ符号という技術を開発しました。佐藤さんがビットの情報を送り、鈴木さんがそれを情報として見るには、符号と復号という過程を使います。意味のあるメッセージをいったん符号で記号にし、それを符号で再び意味あるメッセージに復元するという流れ。

ベローは、符号器のなかで、同じ情報が二つの器「A」と「B」に入ることを考えました。ただし、二つ目の器に入るには、インターリーバーという門をくぐります。この門をくぐると、情報の順序が並べ替えられます。

この二つの情報は一組になって、復号器のほうへやっていきます。復号側にも「A'」と「B'」の器があります。「B'」は、「A」を通った情報と「B」を通った情報のあいだに誤りがないかを確認する役割をもっていて、「A'」に何度かその情報を確認させたりします。念入りに確認作業を行った結果、「A」の情報も「B」の情報も同じであるとなれば、符号と復号が正しく行われたと判定するわけです。

この他に、1962年にマサチューセッツ工科大学の学生ロバート・ギャラガーにより考えられていた低密度パリティ検査符号という理論も、同じくシャノン限界に限りなく近いと考えられています。ギャラガーの理論は忘れ去られていましたが、上のターボ符号で研究がわきたったことで、別の研究者に発掘されたのでした。

シャノン限界は青天井に記録が伸びるわけではありません。室内で棒高跳びをやるようなものです。ターボ符号と低密度パリティ検査符号が限りになく近いところまでいったならば、これにてシャノン限界への挑戦は終了となってもよいはずです。

しかし、この二つの記録を破る理論が日本人研究者によって発見されました。驚くべきことに、その技術を使うと、データ伝送速度はシャノン限界を超えることができるというのです。つづく。
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海外写真家が主観で撮った日本


日本で暮らした海外の人物たちの日本に対する記述は、私たちに客観的な視点をあたえてくれます。でも、この人物の場合はどうだったのでしょう。

米国の写真家ユージン・スミス(1918-1978)もその一人。彼の人生には、日本が深く関わっています。

第二次世界大戦中、硫黄島や沖縄に戦争写真家として従軍。沖縄では日本兵から攻撃で殉職寸前の経験をします。写真家としての戦争体験を、スミスは「私はカメラの向こう側にいたかもしれない」と振り返ります。撮影者のなかの“主観性”が見られます。

1971年、暮らしていたニューヨークを離れ、妻のアイリーン・美緒子とともに水俣での撮影生活を始めます。白黒写真はどれもコントラストが強く、被写体が背負っている重い影を感じさせます。

1972年には、チッソ五井工場で患者交渉団といあわせていたところ、工場側による暴行を受けて大けがを負いました。この事件で、患者たちの怒り、苦しみ、悔しさを自分のものとして感じられるようになったといいます。スミスの撮影に対する客観性と主観性の交錯がここでも見られます。

スミスは、日本に影響を受ける以上に、日本に影響をあたえました。

(2008年)8月5日(火)から9月7日(日)まで京都国立近代美術館で展示会「没後30年 W・ユージン・スミスの写真」が開かれます。妻アイリーンが手元に保管してきたスミスの写真のうち150点を展示。

同博物館は「記録性や客観性をドグマとする報道写真の位置に止まりながらも、彼は主観的な制作姿勢と方法論を貫き続けました」とスミスの報道姿勢を解説。スミスの“主観性”は、表現技法としても切り落としなどを駆使したことにもうかがえます。

スミスの写真は、より撮影者の眼に焼きつけられた光景が表現されているのでしょう。世界のさまざまな現場で撮った写真が展示されますが、スミスの眼が見た日本には、とくに注目が集まりそうです。

8月9日(土)にはアイリーン・美緒子さんによる講演会「ユージン・スミスと私」も開催予定。「没後30年 W・ユージン・スミスの写真」のお知らせはこちら。
http://www.momak.go.jp/Japanese/exhibitionArchive/2008/367.html#pr
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痛いのは、出たいから。


スーパーマーケットなどで、表面をあぶった鰹をよく見かけますね。これは、鰹のからだについた寄生虫を、殺すためだとか。

人のからだに入っても害のない寄生虫もいますが、なかにはたいへんな思いにさせる寄生虫も。とくにこわいのは「アニサキス」というカイチュウ目の線虫。長細くてにょろにょろしています。

ある女性が、魚市場などで売っている初鰹を買い、刺身にして食べたそうです。8時間後、お腹のあたりがずきずきと痛みだしました。薬を飲むなどしましたがよくならず、病院で診てもらうことに。すると、胃からアニサキスの幼虫が見つかったそうです。病院で摘出してもらいました。

お腹の痛みというのは、アニサキスが胃壁を破ろうとするから。胃に穴があけば、それはそれは痛いことでしょう。

でも、アニサキスにしてみても、人の臓物がおいしいから胃壁を破るわけではないようです。

胃は食べものを消化する臓器。消化のため胃液が分泌されます。胃液はpH1やpH2という強い酸性。たしかにどんな食べものも消化してしまうのだから、かなりのもの。

さて、アニサキスはそんな強酸状態の胃のなかに、嬉しくて放り込まれるわけではありません。「うわ、なんだ、このひりひりした世界は」と、必死に胃のなかから抜け出ようとします。そのために胃壁を破ろうとするそうな。

人が苦しめているアニサキスに、またその人が苦しめられているわけです。どちらにとっても何の利益もない……。なんだか、どうしようもない関係ですね。
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書評『スノーボール・アース』
地球温暖化問題が議論されるいっぽうで「凍る地球」をめぐる論争もさかんなのです。ちょっと古い本ですが紹介を。

『スノーボール・アース 生命大進化をもたらした全地球凍結』ガブリエル・ウォーカー著 渡会圭子訳 早川書房 2004年 293ページ


スノーボール・アースは「全地球凍結仮説」とよばれる。先カンブリア紀に、北極から赤道まで、地球はほぼすっぽり氷に覆われていたというのだ。この仮説の真相が、研究者たちの人物像をからめながら紹介される。

地球が凍結したことは、多細胞生物の爆発的発生の引き金にもなったという。地動説または進化論級のパラダイムの転換という触れ込みだ。

地球がまるごと凍りついていたという説は、じつは19世紀の中ごろルイ・アガシという人物により示されていた。その後も似た説が出ては消えを繰り返したという。ならば、なぜこのような本が出るほどスノーボール・アースが再注目されたのか。

それは、その根拠が揃ってきたからだ。現在のスノーボール・アース仮説の旗ふり役である地質学者ポール・ホフマンを中心に据え、彼らの示す仮説の根拠を仔細に紹介していく。とくに後半の、スノーボール・アース肯定派と否定派の論争は、やや込み入ってはいるが読みごたえ十分。高度なディベートの論戦を本を読みながらに体験できる。

全体としては、原著の出された2003年現在も論争に決着はついていない感じだ。とくに「スノーボール・アースが多細胞生物の爆発的発生の引き金になった」という説は、終わりの数ページで何案かが取り上げられているだけにすぎず、地質学から生物学への説の展開はまだこれからといった印象。

このように、スノーボール・アースはまだまだホットなもの。「最新科学の波」をなにかひとつ追い求めたい方にとっては、この本がおあつらえ向きかも。

『スノーボール・アース』はこちらで。
http://www.amazon.co.jp/スノーボール・アース-ガブリエル・ウォーカー/dp/4152085509/ref=sr_1_1?ie=UTF8&s=books&qid=1216327018&sr=1-1
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「こと」を問う。


ことばの定義を知ろうとするとき、インターネットを使った「とは検索」は便利です。

検索ホームページで「遺伝子とは」や「暗黒物質とは」などと入れると「生物の遺伝情報の単位である」とか「自力で光らないし、光を反射しないため、光学的には直接観測できない星間の物質である」とか、それなりの定義が出てきます。

「AとはBである」とするとき、BにはしばしばAと同じことばが来る場合があります。

「ES様細胞とは、ES細胞の機能を真似て人工的に作った細胞である」

途中を省略すれば「細胞とは、細胞である」となります。あまりすきっとしません。

また、Bに「こと」や「もの」が来る場合も多くあります。

「観察とは、物事の真の姿を間違いなく理解しようとよく見ることである」

「こと」や「もの」という抽象的なことばで締めくくるときも、あまりすきっとしません。「こと」や「もの」は突きつめれば、かならず別のことばに置きかえられるともいいます。たとえば、上の「観察」の意味も「観察とは、物事の真の姿を間違いなく理解しようとよく見る行為である」と、換えられます。

もっと抽象的で、目には見えないことばを「こと」や「もの」とは別のことばで置きかえるとなるとちょっと大変です。たとえば「情報」ということばに対して「情報とは何々である」といった定義づけをする場合「何々」には何が入るのでしょうか。

「情報」を辞書を見てみると「知識」ということばが入っています。

「(情報とは)判断を下したり行動を起したりするために必要な、種々の媒体を介しての知識(である)」

「情報とは知識である」。なるほど。これはこれでよいかもしれません。でも、ほかにも「何々である」に入ってくることばはありそうです。

あるジャーナリズム研究者は「情報とは資源である」という説明をしていました。では「資源」とは何かというと、辞書には「生産活動のもとになる物質・水力・労働力などの総称」と出ています。生産活動のもとになるという意味では、情報も資源の種類のなかに入りそうです。

また、情報学に関する本には「情報とは差である」という定義もされていました。「情報とは、知る前と知った後の差である」というわけです。言いえて妙な感もあります。

「こと・もの排斥運動」を展開している人もいると聞きます。でも、新聞や雑誌などからすべて「こと」「もの」が消えてしまうと、それはそれでぎくしゃくした印象をあたえてしまうおそれも。いっぽう学術的な論文などではあいまいさを極力なくすため、すべての「こと」や「もの」を具体的なことばに置きかえろともいわれています。

「こと」や「もの」がすべて別のことばに置きかえられる事実を知ってしまった人は、気になってしかたない問題でしょう。そして完璧主義者は、すべてを置きかえることでしょうね。
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書評『安政大地震と民衆』
大地震が起きると、人々はすこし幸せになった…。そんな視点から、江戸時代の震災と大衆の関係性をとらえた本です。この本をもとに、2000年には『地震の社会史』(講談社学術文庫)も出版されています。

『安政大地震と民衆』北原糸子 三一書房 1983年 266ページ


安政2年(1855年)10月2日、江戸をマグニチュード6.9の大地震が襲った。安政大地震である。

大江戸の町は破壊され、4000人ほどの死者も出た。人口の少なかった江戸でこれだけの死者が出たのだからかなりの震災だったのだろう。

だがいっぽうで、生き残った江戸の庶民は、意外なほどに活況にわいていたようなのだ。

象徴的なのは「鯰絵」だ。幕府非許可の「かわら版」に、絵師たちはひんぱんに鯰の絵を描いた。

当時、考えられいたところでは、大鯰のからだに重しとして載っていた「要石」が外れると、大鯰が暴れだして大地震になったのだという。紹介されている鯰絵も、要石を背負っているものがある。

だが、それ以上に鯰は、“震災後の縁起のよさ”の象徴として描かれているのである。鯰の背に載ったえびす様が小槌を振りかざして庶民に小判をあたえていたり、鯨の潮吹きのように鯰が小判をじゃらじゃらと吹いていたり、どれもこれも景気がよいのだ。

この景気のよさはどこからくるのだろうか。著者は、鯰絵には「災害ユートピア」が示唆されていると述べる。それは、我が身は助かったという安堵感であり、日常生活の中断であり、復旧活動による活況などを象徴したものだという。

そして、震災後の景気のよさをさらに高めたのが「施行(せぎょう)」とよばれる施しだった。幕府による「御救」と異なり、施行は三井家などの富裕層が低所得者層などに対して、お金やお米などを分けあたえるといった、民衆の間での行いだ。

注目すべきは、地震のときに行われたこの施行が、震災を受けた者だけを対象にしたものではなかったこと。この点を著者は見逃さなかった。ここから、著者の鮮やかな自説が展開されていく。

その説とは「施行に象徴されるような震災後の活況は『儀礼』としての要素が強かった」というもの。

炊き出しが行われたりもして、実際に食に困っていた人ももちろんいた。だが、施行は庶民の間ではそれ以上の「儀礼」としての意味をもっていたというのだ。
彼らが求めるものは、統制や規制を離れて施行を通してとり結ばれる交歓であった。災害は仮初にせよこれを実現させる天恵であることを彼らは経験的に知っていたのである。
つまり、大地震という“現実的非現実”を機会にして「この際、金持ちも貧乏もない」といったような、臨時的格差解消を行ったのだという。大地震は庶民の抑圧的状況が解放される、またとない機会だったのだ。

この儀礼は、当時、流行っていた「伊勢参り」にも通じるものがあるという。参詣という機会を使って、庶民の人々は非日常的な道楽に興じた。震災後の施行も、同質であるという。

かわら版や災害の記録などの文献調査が極めて綿密にされていたからこそ、この鮮やかな説も浮かび上がってきたのだろう。当時の社会的しくみを震災という視点からみごとに探りだした、おもしろい本だった。

『安政大地震民衆』はこちらで。
http://www.amazon.co.jp/安政大地震と民衆―地震の社会史-1983年-北原-糸子/dp/B000J7B4YU/ref=sr_1_2?ie=UTF8&s=books&qid=1216139778&sr=1-2

ところで、地方で震災が起きるたびに、情報番組の客人が「東京じゃなくて、ほんとによかったですね」などと発言してひんしゅくを買いますね。いま、震災報道で少しでも景気のよいことを伝えようものなら「被災者や遺族の気持ちを考えていないのか」と叩かれてしまいます。

江戸時代の人々の情報網といえば、人から人への聞き伝手か、かわら版だったといいます。つまり「マス媒体」はまだなかった時代でした。ところが、いまや被災に遭った人も、被災に遭わなかった人もいっせいにラジオやテレビを視聴します。

震災後に縁起のよいことを伝えることが禁忌になるかどうかは、この伝達手段の発達ぶりがおおいに関係しているといえそうです。
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黒船が来る前と来た後


小説では、自由に時の流れを切れるため、最高潮で次の場面に飛んだり、物語を終わりにしてしまったりすることができます。でも、現実の世界では、そうはいきません。

きょう7月14日は、米国の提督マシュー・ペリーが三浦半島の久里浜に上陸をした日。1853年(嘉永6年6月9日)のことでした。泰平の眠りを覚ます「黒船」の来航です。いまも、外から脅威となる勢力が押しよせると「黒船が来た」などと喩えられますね。

当然ながら、いま久里浜の海岸に行っても黒船の姿は見えません。ペリーは上陸の3日後に、江戸幕府側の「将軍はいま病気療養中なので開国の返事は1年待ってください」との申し出を受けて久里浜を離れたからです。

この後、ペリー率いる黒船は舵を切ってどこへ行ったのかというと、沖縄でした。

江戸時代末期の歴史に詳しい方であれば知られている話かもしれませんが、ペリーは久里浜上陸の前後、沖縄を当座の根拠地にしていたのです。

久里浜上陸前、1853年5月にペリーは沖縄の那覇に上陸しています。沖縄島民はペリーの来航を「敵が来た」と攻撃的に迎えたようです。しかし、日本上陸という“本番”を前に、ペリーは粛々と那覇に碇を下ろして物資を調達したそうです。そして7月に江戸方面へと船出するときには、沖縄の役人のために「行ってきます」と、晩餐会も開いたそうです。

久里浜から引き上げた後も、沖縄へ。その年の冬、ペリーは香港で過ごしますが、その前にまたちょっと寄航したのでした。

ところが香港に行ったあと「ロシアの海軍隊が、長崎を訪れたらしい」という知らせを聞き、すぐまた日本を目指すことなります。立ち寄ったのは、またしても沖縄でした。三度目の帰航のときペリーは、石炭の備蓄が用意されていたり、病院の建物がつくられていたりと、沖縄の発展を目にしたそうです。彼が沖縄にあたえた衝撃も、かなりのものだったのでしょう。

沖縄には、ペリー寄港の名残がいまもあるそうです。たとえば、那覇軍港にほど近い山下町の地はかつて「ペリー」とよばれていたもよう。

黒船来航を“舞台”にたとえれば、さながら沖縄は舞台の袖のようなものになるかもしれません。しかし、沖縄の歴史から見れば、那覇はこの時代からすでに日本と中国の真ん中にある、海の要所だったわけです。

参考ホームページ
A Brief Summary of The Perry Expedition to Japan, 1853
沖縄地理雑学

※原文では「久里浜上陸前、1953年5月にペリーは沖縄の那覇に上陸しています。」としていました。これは「1853年」の誤りでした。名無しさんにご指摘いただきました。ありがとうございます。
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危険かはさておき「不安」と答える。


内閣府の食品安全委員会は「食の安全の観点から感じている不安の程度」を市民に聞いています。

市民が「非常に不安である」と「ある程度不安である」を答えた項目とその率は、つぎのようになりました。

 汚染物質           91%
 農薬             90%
 家畜用抗生物質        84%
 有害微生物(細菌・ウイルス) 77%
 食品添加物          72%
 遺伝子組換え食品       75%
 BSE(牛海綿状脳症)     75%
 いわゆる健康食品       65%

この調査が行われたのは2004年。もし、いまふたたび行えば、中国製農薬餃子問題などから「農薬」の項目がさらに高くなるでしょう。

さて、この調査結果では「有害微生物(細菌・ウイルス)」は4番手でした。

でも実害を考えると、毎年O157やノロウイルスなどの有害微生物による感染で病気になったり死亡したりする件数が多いのも事実です。

厚生労働省が発表した昨2007年の「原因別食中毒発生状況」を見ると、細菌とウイルスが原因で食中毒になった患者は合わせて52,227人でした。

これに対して、化学物質による食中毒の患者数は93人です。

この「化学物質」は、カドミウム、ダイオキシン、メチル水銀などのこと。上の調査で不安を感じる人が91%で1番手だった「汚染物質」とだいたい重なります。

つまり、患者の数が100人にも満たない汚染物質をもっとも市民は心配し、5万人もの患者を出す有害微生物への心配はそれほどではないという、ちょっとふしぎな状況があるわけです。

この“ねじれ”について、食品安全委員会リスクコミュニケーション専門調査会専門委員の唐木英明さんは、「聴かれて出てくる不安」が理由だろうと分析します。

たとえば市民のAさんが、上のアンケートの回答を求められて、「汚染物質」「農薬」「有害微生物(細菌・ウイルス)」などの項目が並んでいるのを目にするとします。

ここで聞かれるているのは「不安に感じるのはどれですか」という質問。しかし、この手のアンケートでは「不安」を答えるよりも優先される要因ができてしまうといいます。

それは「知識」です。たとえば「魚を食べると生物濃縮で高濃度のダイオキシンにさらされる」とか「農薬のメタミドホスが食の事故があった」といった知識を備えていると、そうした知識がない項目よりも「不安に感じる」度合いは高くなってしまうもの。そこでAさんはもっている知識から「汚染物質」や「農薬」が不安と答えるのです。

どれだけ大きな害を出しているのか、といったことは二の次にになります。

世論は、ときに政府や司法を動かします。「(ほんとうに危険かはともかく)国民が不安をもっていることに対策を打つ」といった場合もありえます。

厚生労働省が2003年に「妊婦は、メカジキやキンメダイを食べる回数を週2回以下にすることが望ましい」と発表すると、報道に乗って市民が過剰に反応し、キンメダイの価格は半分に落ち込んでしまい、漁業は数億円の損失を負ったそうです。

人はすこしでも知識として取り入れると、その知識にすがりついて、不安に感じ過ぎたり、ぎゃくにひいきの目で見すぎたりするもの。私たちにいろんな情報がまんべんなく行きとどくことの大切さを考えさせられますね。
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360年後の世界遺産に落書きした日本人


フィレンツェの世界遺産地区にあるサンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂に日本人が落書きをしたできごとは、イタリア市民から「わざわざ謝罪しに来なくても」とか、フィレンツェ市から「謝罪しにきた女子学生たちをぜひ平和大使に」とか、波紋をよんでいます。

日本人が世界遺産(といっても制定される前ですが)に落書きをしたできごとは、なにも今回がはじめてではありません。こんな話が知られています。

森本一房という平戸藩(いまの長崎県)の侍が、1632(寛永9)年、360年後に世界遺産となるカンボジアのアンコール寺院を訪れました。死んだ父・儀太夫の冥福を願い、老母の来世の幸福を祈るためです。

この時代、アンコール寺院を訪れた日本人は森本だけではありません。みな、アンコール寺院を、釈迦の説法が行われたインドの祇園精舎と勘ちがいして朱印船などで乗り込んでいったようです。森本もどうやら祇園精舎に来たと思い込んだ一人。

はるばる遠くまで来て気が高ぶったのか、寺院の荘厳さに行動を起こさずにはいられなかったのか、森本はアンコール寺院の壁に、墨で「初めて来たぞ」という旨のことを書きました。
寛永九年正月初而此所来 生国日本 肥州之住人藤原之朝臣森本右近太夫 一房 御堂心為千里之海上渡 一念 之儀念生々世々娑婆寿生之思清者也為 其仏像四躰立奉者也 摂州津池田之住人森本儀太夫 右実名一吉善魂道仙士為娑婆 是書物也 尾州之国名谷之都後室其 老母亡魂明信大姉為後世是 書物也 寛永九年正月丗日
ごく簡単に意訳すれば、「日本の森本、数千里の海を渡って来ました。仏四体を奉ります」。

この落書きは、寺院の壁に300年以上も刻み込まれることになります。その途中には、アンコール寺院を1860年に再発掘したフランス人冒険家アンリ・ムーオによる落書きの再発見という重要なできごとがありました。20世紀にいったんポル・ポト派によりペンキで上塗りされて見えなくなりましたが、ペンキはあっというまに風化し、ふたたび墨で書いた落書きが見えるようになりました。

落書きも、300年ほどの歳月が経てば文化的な価値が増すものかもしれません。フィレンツェの大聖堂に記された落書きは、そうなるまえに人びとに知れわたりました。市側は受けとった補修費で落書きを消す意向のもよう。この落書きは、アンコール寺院で森本が書いたような道はたどらないようです。

あとは「落書きをしたかどで謝罪したことを機に、かえって平和が深まった」という記憶が、私たちの心に刻まれるかどうか…。

参考資料
石澤良昭「落書きと歴史 17 世紀に活躍したアンコール・ワットを参詣した日本人」
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温暖化問題に必要な“冷たい頭”


きょう(2008年7月11日)東京・神楽坂のブリティッシュカウンシルで、「ネイチャー・カフェ 科学の夕べ」という催しものがありました。主催はネイチャー・アジアパシフィック。

さきの洞爺湖サミットでも話しあわれた「気候変動」を語りあうサイエンス・カフェです。温暖化予測の研究者、日本と英国の科学ジャーナリストが、それぞれの立場から気候変動について語りあいました。

どの客人も「地球温暖化に対策を打たなければならない」という前提に立っていたものの、科学的に伝えるという立場からの冷静な意見が聞かれました。

国立環境研究所地球環境研究センターの江守正多さんは「気候変化という客観的事実に人びとの価値が入る。暖かくなることで作物が増えるような場所も出てくるだろう。ただ、それは短期的な利益であるとは思います」とのこと。

また『ネイチャー・レポート』チーフエディターのオリーブ・ヘファナンさんは「グリーンランドの氷が解けることがあるかどうか。だれも絶対に起きるとはいえない。科学ジャーナリズムのいうことは表面的な場合も多い」と報道を批判気味。

科学ジャーナリストの藤田貢崇さんは「地球温暖化問題の懐疑論者がいることは事実。この点も含め、無関心な市民にどう関心をもってもらうかが科学ジャーナリズムの最大の問題」と強調しました。

ただ「予測」については、やや疑問の浮かぶような話も。江守さんによると、地球温暖化やその影響の予測に対しては「自分たちの人生の問題としての近未来の予測」とともに「人類の問題として2300年ごろまでを見据えた予測」の流れが起きているのだそう。

2300年ごろまでどう予測するのか。300年といわず、50年後の未来には、いまでは予想もつかないような科学技術や社会基盤が現れていることでしょう。馬車が走っていた時代に、これほどの自動車社会が来るとは誰も思っていませんでした。

社会状況は30年も経てばがらっと変わるもの。「いまの社会が300年つづいたとして地球がどうなっているか」という予測にほとんど意味のないものに思えます。より直近の予測に力を入れたり、対策に力を入れたりするほうが、有効な投資になることでしょう。

ネイチャー・カフェは、きょうが第1回。第2回は、2008年9月に予定しているとのこと。ホームページはこちら。
http://www.natureasia.com/japan/nature_cafe/index.html
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史上最大の職業病


米国の心理学者クレイグ・ブロッドは1984年、日々コンピュータを使って仕事をしている人たちに共通する病理的な傾向があるという考えから「テクノストレス」ということばをつくりました。

ブロッドは、「テクノストレスとは新しいコンピュータ技術に対処できないことで引き起こされる現代的な適応障害である」といったことを本のなかに書きました。

これはテクノストレスのうち、「テクノ不安症」とよばれるもの。仕事などでコンピュータ技術を受け入れなければならないときに、いらいらしたり“拒絶反応”を起こしたり、はたまた頭痛やめまいを起こすといった症状です。英語がうまく使えないでストレスがたまったり、数学の問題が解けなくて嫌になるのとどこか似ているかもしれません。

いっぽうで、テクノストレスには「テクノ依存症」というべつの症状もあります。

かんたんにいえば、人間があまりにコンピュータに適応しすぎた結果、自分自身がコンピュータ化してしまったような状態。顔から感情が消えたり、人との関わり合いを避けようとしたり。「デジタルくん」ということばがありますが、その成れの果てといえるかもしれませんね。

またコンピュータを使うことによってもたらされる病理に関連して、「ビデオ・ディスプレイ・ターミナル障害(VDT障害)」というものもあります。これはコンピュータ画面を見ながら作業を続けていると、頭痛や肩こりなどの肉体的な疲労、注意力や思考力の低下などの精神的な疲労、さらに頸や腕の痛み、目の疲れや視力低下などを引き起こすといったものです。

眠いけれど、寝てはいけないという状況におちいった物書きの話では「ずっと画面に文字を打っていると、画面の白い部分にイトミミズが動いているような光景が見えたり、書体を変えていないのに文字が飛び出たり凹んだりする」とのこと。

顔に鉛白を塗っていた歌舞伎役者の鉛中毒や、力士の糖尿病など、いつの時代も職業病というものはありました。テクノストレスは、程度の差こそあれ、コンピュータ機器をつかって仕事をしている人すべてに発症の可能性があるわけです。そう考えると最大の職業病というべきか、先進国における国民病というべきか。
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書評『宇宙においでよ!』
マイク・ミュレインという宇宙飛行士が書いた『宇宙飛行士が答えた500の質問』という宇宙体験を詳細につづった決定版的な本があります。きょう紹介する本は「日本版」といえるほどの完成度の高さです。

『宇宙においでよ!』野口聡一・林公代著 講談社 2008年6月 184ページ


スペースシャトルで宇宙に行った野口聡一さんの、宇宙での、そして宇宙に行くまでの経験が語られている。

宇宙飛行士が語る宇宙体験記は、宇宙に行くたびに何らかの形で出されている。今回もその一つではある。だが、ほかの本よりも二つの点がきわだっていた。

一つは、宇宙での体験の記述がとても詳しいということだ。たとえば、宇宙に出て5日目に野口さんが行った船外活動の様子が、状況と心境を織りまぜながら詳しく紹介されている。
 おっと、レバーがかたい。「あれっ!?」と、動揺が走る。
 おちつけおちつけ。(略)
 なかなか耐熱カバーが外れなくて困った。ほんの数秒のことだけれど、「このままマジックテープがはがれなければ船外活動ができないぞ。」とあせる。(略)
 やっとの思いで体をシャトルの船内から出す。目の前にシャトルの白い貨物室が見えた。それから百八十度体を回転させると……。
 地球だ!
 まぶしく輝く地球が、圧倒的な迫力でぼくにせまってきた。
宇宙飛行士の活動を伝えるニュースでは、よく「作業はとどこおりなく無事に終了した」などと報じられる。まあ結果はそうなのだろうが、その過程には本人しか知りえないような難関とそれを越えたよろこびがある。この本には、その細部がとても詳しく語られているのだ。

もう一つは、宇宙飛行士としての思考の深さだ。いや、どの飛行士も深い哲学をもっているのかもしれない。でも、野口さんの思考がどういったものかが、くっきりとわかる。

「人が宇宙に行くのはなぜか」は、宇宙飛行士がよく聞かれる質問だろう。野口さんは「ぼくは自分が『小さなアリ』になったつもりで考える」と話している。一次元でしか動けないアリは行く先に石ころがあればそこで道は終わってしまう。だが二次元のアリはその石をよけることができる。二次元のアリは壁を超えることができないが、三次元のアリは超えられる。
つまり、今直面している問題は「別の次元」で見ると、突破口が開けることがあるんじゃないかってことだ。
詳しくて、深い。聞き手であり書き手である林公代さんが、野口さんから宇宙体験の細部までを聞き出せたこと、とともに野口さんの宇宙を伝えたい気持ちが強かったこと。この二つが重ならなけれれば実現しなかったのではないか。

野口さんは空気のない宇宙空間に出て「生き物が生きていけない世界だ」と直感的に感じたという。人は、ふだんは意識しないようなことも、特別な状況におかれるとその大切さを強く意識するもの。宇宙の野口さんにとって、それは「命」だったという。
死と隣り合わせで、命の輝きに満ちているからこそ、地球は美しい。
子どもたちへのメッセージ性がとても強い本だ。それとともに、宇宙飛行士という類まれなる仕事の、ふだん語られない部分をおとなたちが知るのにも格好の本だった。

『宇宙においでよ!』はこちらで。
http://www.amazon.co.jp/宇宙においでよ-野口-聡一/dp/4062145464/ref=sr_1_1?ie=UTF8&s=books&qid=1215573830&sr=1-1
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ロボットに懐いてもらう方法


「自分のいのちを維持するために体の仕組み」

「長生きへの執着ではなくて、自己肯定のこと」

「自分がいかにして生きるかを司っているもの」

これらは「自己保存とは」ということばの検索で得られたウェブ上の答えです。かなり幅の広いことばですね。

「自己保存」は、しばしば「自己複製」と一組で扱われます。どちらも、生物が生物であることの本質をなすものです。自己複製のほうは、馬が仔馬を生んだり、たんぽぽが種を飛ばしたりするように、つねに自分の遺伝子が複製されようとすることです。

いっぽう、自己保存のほうは、生物が自分のいのちを守り発展させようとすること。

自己保存のしくみの典型的な例が、恒常性です。たとえば「汗をかく」といういい方がありますね。「汗」という目的語と「かく」という述語でできていますが、人は意思をもって「汗をかく」という行動するわけではありません。暑くなれば自動的に汗が出てきます。

これは「暑くなったら汗をかいて体を冷まそう」というしくみが人のからだに備わっているから。このような、からだの環境が一定の範囲に保たれる機能が恒常性です。

恒常性のしくみは、じつは人間や動物だけでなく、人間型ロボットの開発にも大切な役割を果たすのだそう。ロボットづくりのなんのために役立つのかというと、ロボットに意思疎通の能力をもたせるためです。

人がほかの人と意思疎通をしようとするのは、社会相互作用を求める人の本能です。小さい子どもが親に対して、なついたりむずかったりと愛着を見せるのも本能。

この本能から起きる愛着という行為をつくりだすのは、ひとつは社会的相互作用を得たい(他人との関係のなかに自分を置きたい)という要求、そしてもうひとつは自己保存への要求だといいます。

つまり、自己保存の機能をどのようにかして、ロボットのしくみに組み込めば、愛着をはじめとする意思疎通などの本能的な行動をロボットもとることになるわけです。

その自己保存の機能としてロボットにもたせるのが恒常性です。ただ、ロボットに自動的に汗をかかせるのは難しいので、そうしたからだの自動的なしくみをモデル化して組み込むのだそうです。

こうした人間型ロボットの研究が進むと、人間に対する新しい発見も起こりそうですね。ロボット化した人間に人間味をもたせる方法を、ロボットに教えてもらう、なんていう…。
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水面に織姫星と彦星を映す


七夕です。

雑誌『サイエンスウィンドウ』2008年7月号の連載記事「いにしえの心 科学散歩」で、七夕についての原稿を寄せました。国立天文台の元台長・海部宣男さんに、万葉歌人の山上憶良の七夕を詠んだ長歌を紹介してもらっています。

記事には載せられませんでしたが、取材のなかでこんな歌に出合いました。

聞かばやな二つの星の物語たらひの水に映らましかば

平安時代末から鎌倉時代初期を生きた、女流歌人・建礼門院右京大夫が七夕に詠んだ短歌です。「たらひの水に映らましかば」とあるように、平安時代のころは、たらいに水を張って、水面に映る星を眺める風習があったようです。

この風習には、当時の人びとの“鏡観”がうかがえます。平安時代の人びとにとって、鏡はとても不思議な道具でした。ありのままの世界を映し出すからです。人びとは、鏡のなかにもう一つの自然があると信じていたのかもしれません。

鏡とおなじ役目を果たしたのが、夜たらいに張った水でした。たらいの水のなかの織姫星と彦星を、人びとはあたかもそこにあるもののように感じていたようです。星々を手元にたぐりよせたかったのでしょう。

ほんとうにたらいの水に星を映すことはできるのでしょうか。さて、ものはためし。七夕のきょう、“中華鍋”に水を張って、公園で空を見てみることにしました。

あいにく水面に星は映し出されませんでした。

映らなかった明らかな理由がひとつ。空が曇っていて織姫星と彦星が見えなかったからです。

七夕は「7月7日」の行事。いまの暦では、梅雨が明けきらない季節の風習です。しかし、江戸時代までは旧暦を使っていたため、「7月7日」は季節的にはもっと遅い、秋のはじめの風習だったのです。実際、仙台の七夕祭りや、石垣島の星見の会などは、旧暦に合わせて8月上旬に開かれています。

暦のずれによって、七夕の行事は「星が見えなかったね」で終わってしまうことも多々。「伝統的行事は旧暦に」という声はけっこう聞かれます。

『サイエンスウィンドウ』7月号はこちら。
http://www.jst.go.jp/rikai/sciencewindow/pdf/web08SW07_1p.pdf
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書評『タヌキたちのびっくり東京生活』
本や番組には“裏テーマ”があると深みが増すといいます。この本はその典型といえます。

『タヌキたちのびっくり東京生活 都市と野生動物の新しい共存』宮本拓海・しおやてるこ・NPO都市動物研究会著 技術評論社 2008年 240ページ


テレビ番組や催しもので見かけるようにはなったけれど、「東京には野生のタヌキが1000頭ちかく棲んでいる」ということはまだあまり知られていない。

そうしたなか「東京のタヌキ」を知るための現時点での決定版が出版された。30分のテレビ番組や1時間の催しものよりもはるかに情報量満載の240ページである。

著者の宮本拓海氏は、動物ジャーナリスト。東京にタヌキがいるという事実に魅せられ、これまで数年間、タヌキの東京生活を追い求めてきた。

著者は、過去数年の東京におけるタヌキの目撃情報を、自分の野外観察、目撃者からのたれこみ、インターネット情報などで、できるかぎり洗っていった。それを集計して、東京の地図に網の目をかけ、どの地域にタヌキの出没情報が多いか傾向を探り出している。

集計から導きだされる仮説は、科学的洞察が深く、よく考えられている。たとえば、タヌキにとって鉄道の線路は森から森へと移動するときの“回廊”の役割をしているのではないか、という説を出している。そこでタヌキの生態域を「西武線グループ」「京王線グループ」「小田急線グループ」などに区分けした地図もつくった。

野外観察や地図づくりから見えてくるものは、タヌキの生活ぶりだけではない。私たち人間の都市の作り方も見えてくるのだ。

著者は明治から140年の東京を、70年ごとに「鉄道開発の時代」「自動車の時代」に分け、それがタヌキの棲み心地にとってどうだったかを論じる。タヌキは鉄道の線路はうまく活用していたが、広い道路とそこを走る自動車は危険要因にしかならなかった。

著者はつぎの70年を見据える。それは「人口減少の時代」だという。
そんな時代に突入しつつあるというのに、未だ自然を破壊してまで開発をしようという動きがあるのは、私から見ると非常に不可解なことです。(略)人間がこれまで奪ってきた自然を、タヌキをはじめとする動物たちに返すべきかもしれません。
この最後の1文には「動物ジャーナリスト」としての著者の思想が現れている。長年にわたり動物に接してきた著者にとって、動物がただの観察対象や商売道具であるはずがない。著者にとっては愛するがゆえに守るべき仲間なのだろう。

動物がよりよく棲むための方法を、自分のことしか考えない人間たちに考えてもらうのは大変なことだ。しかし、この本には、都市の動物の生き方を鏡にして、自分たち人間の生きる姿を見てみようという提案もある。

動物ジャーナリストとして動物にとっての最善環境を考え、人間として都市という人工物のあり方を考える…。この本は、その二つの立場の上になりたった、動物と人間の共存を考えるための本である。

『タヌキたちのびっくり東京生活』はこちらで。
http://www.amazon.co.jp/タヌキたちのびっくり東京生活-‐都市と野生動物の新しい共存‐-知りたい-サイエンス-35/dp/4774135259/ref=sr_1_1?ie=UTF8&s=books&qid=1215372395&sr=1-1
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さらばオホーツク海気団


沖縄地方につづいて、四国地方が梅雨明けとなりました。本州地方の夏本番ももうすぐかもしれません。

だいたいにおいて南から北へと梅雨入りし、また南から北へと梅雨明けしていくものです。梅雨前線は、沖縄、四国や九州、本州の大平洋側、日本海側、そして北日本へ…。

しかし、北海道には基本的に梅雨がないといいます。梅雨前線が北日本まで北上するのであれば、その続きとして北海道が梅雨入りしてもよそうなものなのに。

北海道に梅雨がないのは、この時期の気圧配置とその気圧配置を決めるジェット気流がおもな原因となります。

梅雨前線は、温かい小笠原気団と冷たいオホーツク海気団のぶつかる部分で生まれるといいます。小笠原気団は、赤道に近い太平洋で温まった空気が北上して小笠原近海まで届く空気のかたまり。

いっぽう、オホーツク海気団のみなもとは、日本から遠く離れたヒマラヤ山脈あたりにあるといいます。地球の上空には、いつもジェット気流という大きな空気の流れができています。北半球ではジェット気流は西から東へ。毎年、似た動きをしていて、梅雨前になるとインド付近の気流の筋道が北上していき、ヒマラヤ山脈にぶつかるようになります。

ヒマラヤ山脈にぶつかったジェット気流は、山脈の北と南の二手にわかれて東へと進んでいきます。わかれた気流が再開するのがオホーツク海あたり。つまり、ここに空気の“たまり場”ができるため、オホーツク海気団ができるのです。

しかし、ジェット気流がヒマラヤ山脈にぶつかっている時期はそう長くはありません。ふたたび気流の筋道は南へと下がっていきます。すると、オホーツク海あたりでできていた二つの流れの“たまり場”もなくなってしまいます。

梅雨前線は、小笠原気団とオホーツク海気団のぶつかるところに生まれますが、かたほうのオホーツク海気団がなくなってしまうために、梅雨が明けるわけです。

梅雨前線は二つの気団の勢力が変わってくるため北上していきますが、北海道に至るよりまえに北の気団がなくなってしまうため、北海道に梅雨が訪れないということになります。

しかし、気象庁は梅雨と認めていないものの、梅雨時には北海道も「蝦夷梅雨」というぐずついた天気の日が数日つづく年があるとのこと。気象衛星も天気図もない時代から「この季節、なんとなく天気がくずれるよな」などと気づいていた昔の人の観察力には驚くものがあります。
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夏時間の省エネ効果0.1パーセント未満


「夏時間」という制度の導入が、議論されています。これは、夏のあいだ時計の針を1時間早めること。夏時間を導入すると、夜明けは1時間遅くなり、日没も1時間遅くなります。

夏時間を取り入れている国は、米国、欧州各国、豪州、ブラジルなど。日本でも米国の占領下だった1948年から1951年まで、夏時間が実施されていた過去があります。

夏時間の制度があり、実施されているのはもちろん目的があるから。いちばんよくいわれているのは、省エネルギーです。「地球環境と夏時間を考える国民会議」という団体が試算した省エネ効果は、原油換算で年間50万キロリットルといいます。温暖化につながるといわれる二酸化炭素などの温室効果ガスの排出を減らすことが期待されます。

しかし、夏時間をめぐっては反対派も多く、反対する理由もさまざまです。

たとえば、日本公開天文学会は(2008年)6月20日、「我々から星空を奪う危惧」「我々から引き継いでいくべき伝統を奪う危惧」などがあるとして、夏時間に反対する声明文を表明。夏休みの九州では、星の観察に適する時間が21時30分過ぎになってしまうといいます。また七夕の日、北海道東部で真っ暗な空になるのは、22時前後になるとも。

日本睡眠学会も反対の声を上げています。睡眠や生体リズムに悪影響を与える恐れがあり、健康弱者にはつらい点、医療費の増加や経済的損失による増エネルギーの可能性がある点などを理由にあげています。

上に示した省エネ効果、つまり原油換算年間50万キロリットルはどのくらいのものでしょう。「50万」という数字を示されると「けっこう多そうな量だ」とつい思ってしまいがち。しかし、これは国全体の原油換算エネルギー消費量と比べてどのくらいかを見る必要があります。

国土交通省の「交通関係エネルギー要覧」という資料から計算すると、2005年の日本全体のエネルギー消費量は6億800万キロリットルとなります。6億800万キロリットル使ううち、50万キロリットルの省エネルギーになるのだから、全体の0.08パーセントの省エネルギーとなるわけです。

この0.08パーセントを、大きな数と見るか小さな数と見るかはその人の考え方次第です。

6月まで行われていた国会では、夏時間の制度導入の審議が行われていましたが、時期尚早ということで先送りになっています。
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蚊――「刺されてかゆくなる」に若干の飛躍


蚊の飛ぶ季節になってきました。

前にこのブログで、寝ているときに近づいてくる音こそ蚊の恐怖だと書きました。しかし、蚊に食われたときのかゆさも、苦くも痛くももないけれどやはり苦痛です。

蚊に刺されたとき皮膚に「×」や「井」と刻む民間療法にどれほど効果があるかはわかりません。でも、なぜ刺されるとかゆくなるのかは科学的に理解できます。知っておけばせめてもの慰みになるかもしれません。

針治療で針を皮膚に刺してもあまりかゆくならないのに、蚊に刺されるとかゆくなりますね。これは蚊の唾液のしわざ。蚊が血を吸うしくみはかなり複雑で、さぐり針4本の、血液を固まりにくくする液を注入するための細管1本、血を吸う為の太管1本、これらを総合的に駆使した作業が「蚊が刺す」という行為です。

いつの間にか蚊に食われていることがほとんど。これは蚊が刺すときに、3分間だけ効き目のあるたんぱく質の麻酔液を注入しているためです。

そしてこの麻酔液こそが、かゆみの元凶なのだそう。抗原がからだに入ることで抗体が反応する現象を「アレルギー」といいますが、蚊によるあのかゆみもアレルギーの一種です。

つまり「蚊に刺されてかゆくなる」とは、より厳密にいうと、「蚊に刺されたあとに麻酔液が注入され、その抗原抗体反応によりかゆくなる」といったことになります。

ちなみに、このアレルギー反応は、皮膚をぷっくりと膨らませる元でもあります。かつて芸人の松本人志が「蚊に刺されると皮膚が膨らむのではなく、刺されたところ以外のからだ全体がへこんでいるのだ」という仮説を唱えていました。この仮説はもともと覆されていたようです。
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国会のすみに「本の虫」


東京・千代田区の国立国会図書館で、「虫を記録する 昆虫図鑑古今東西」という常設展示が行われています。(2008年)8月19日(火)まで。

館内の一角の小さな展示ですが、並べられている図鑑類はいろいろです。

目を引くのが、現実感あふれる蝶の図。「ツマベニテフ(ツマベンチョウ)」という蝶が描かれています。「ツマベニ」は「爪紅」とも書き、指爪に紅を塗ること。たしかに見ると、翅の上側が橙色、下側が白の鮮やかな蝶が描かれています。

さらに目を凝らして翅をみると、光沢や凹凸まで表現されているでは。この図鑑は1909年(明治42年)に作られた『蝶蛾鱗粉転写標本』(名和昆虫研究所工芸所)。本物の蝶の鱗粉という小さなうろこ状のものを糊で写しとっているのだそう。

右の展示棚には、1901年(明治34年)の『初学昆虫採集法』(三宅恒方編、佐々木忠次郎閲、東洋社)という、虫とりの入門書が置いてあります。三宅は『天使の翅』といった随筆でも有名。この本では「甲蟲」の採集法がことこまかに書かれています。
甲蟲を殺すには、毒瓶にてもよきが、之を携へ歸りて熱湯を以て殺す方稍便利ならん。毒瓶にて殺したるものは、瓶内に久しく置くべからず。もし久しく置くときは、甚だ脆くなりて、翅脚を缺刻するの恐れあればなり。故に甲蟲瓶内に死したるを見ば、早速取り出して之を針にて貫き、採集凾の内に入れるべし。
いまでもカブトムシなどの標本づくりのときには、酢酸エチルやエーテル、ベンジンといった薬剤を入れた毒瓶を使うのが主流のもよう。昔も今も基本はそれほど変わっていないのですね。

都会の昆虫は、「見つからないだろうな」と思って探すのと、「ある」と思って探すのでは、見つかり方がぜんぜんちがうといいます。夏休みに昆虫採集を計画している方は、まず国会図書館で自信をつけてみるのもいいかもしれません。

常設展示「虫を記録する 昆虫図鑑古今東西」は国会図書館東京本館で2008年8月19日(火)まで。ただし館への入場は18歳以上にかぎられていますのでご注意。常設展示のおしらせはこちらです。
http://www.ndl.go.jp/jp/service/tokyo/permanent/index.html
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