科学技術のアネクドート

「エコ仮面」を被った省エネ奨学金


「エコ」という言葉は「エコロジー」つまり「環境保護」の意味で使われています。でも「エコ」にはもう一つの意味があります。

(2008年6月)30日の朝日新聞によると、早稲田大学が省エネルギーで浮いた光熱費を奨学金にあてる制度を始めることになりました。

9拠点ごとに年間の電気・ガス使用料を集計します。たとえば、大久保キャンパスで使用料が200万円減ったら、半額100万円が学生の奨学金にあてられるとのこと。残りは施設の効率改善費などに。

記事によると、この制度は二酸化炭素削減の方法、つまり「エコロジー」的な取り組みとして大学が考えたようです。「自分たちの奨学金が増えるなら、電気をこまめに消そう」と考える学科や学生も増えるかもしれません。電気を消すことはエネルギーを使わないことになり、エネルギーを使わないことは二酸化炭素を出さないことにつながる、ということですね。

他の大学にはない制度だそうで、画期的にも見えます。ただ「本当にエコにつながるのだろうか」と、もうすこし考えてみるのもむだではないでしょう。

学生ががんばって省エネをして、奨学金が増えたとします。これが学生のふところに入りました。お金があれば、とうぜん何かに使おうとします。

学生らしく、奨学金で本を買って勉強するとします。でも、本を作るのにはけっこうなエネルギーがかかるもの。製紙、印刷、編集、輸送などの工程を踏んで本は生まれるからです。

いっそのこと「原付を買おう」「車を買おう」となれば、電気を節約した分よりも結果的に二酸化炭素の排出に加担してしまうことにもなりかねません。

貯蓄だったらどうでしょうか。銀行に預けたとしても、その預けたおかねはよそ様が使うことになります。自分が使わないでもエネルギー消費の対象になってしまいます。

おかねの特徴は「等価交換できること」。つまり、エネルギー節約分がおかねに変わったとしても、そのおかねはまたエネルギー使用にあてられてしまいます。

では、この制度が意味のないでしょうか。そうとはいいません。純粋に「学生の奨学金が増える」といった利点があるからです。地球環境問題の対策になるかは度外視しても、せっせとこまめに電気を消せば、「電気代」の節約になり、最終的には学生の利益になります。

もうひとつの「エコ」とは「エコノミー」の「エコ」。この制度は「エコロジー」の仮面を被っているものの、本当は「エコノミー」のための制度といえるのではないでしょうか。
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「行う・行わない」を打ち上げる。


地域ではごくあたりまえのことも、ほかの地域の人から見れば「そんなことやっているの」と驚かれることはいろいろありますね。

「地元にはこんな伝達手段があった」と、関西出身のみなさんに話したら驚かれました。

6月は、秋とならんで運動会や体育祭が多い季節。秋には文化祭が控えていたり、受験勉強が本格化するなどの理由から、この時期に開く学校が多いようです。

ただ、6月は雨天順延になる可能性も高い季節でもあります。「曇りときどき雨」などの微妙な天気の日、児童・生徒をもつ家族にとっては、お弁当の用意なども気にかかります。

「運動会を行います」「運動会を順延します」といった知らせを、朝早く各家庭にどのようにかして伝えなければなりません。

最近では各家庭にメールを送るといった方法もとられているようですが、地域によっては「花火」による伝達も行われています。

日が明けた空に花火を見るのは大変そうですが、花火は大きな音も発するので、そちらがおもに頼られます。

学校はあらかじめ家庭への連絡で「運動会当日の朝6時に花火を打ち上げます。1発の場合は開催、2発の場合は翌日に順延とします」と伝えてきます。

そしてむかえる運動会当日の朝。

「ドーン」

これで、運動会は開催となるわけです。鳴らなかったら中止という方法もあるでしょうが、これだと聞き逃す人もいるだろうから、「1発か2発」のほうが確実でしょう。

空から大きな音で広く伝えるというやや原始的な方法が役立っています。花火も文明の利器。

「おにぎり」と「おむすび」のように、東日本と西日本で、連絡方法の文化がちがうのか、それとも区立第一小学校は花火を打ち上げているけれど、第二小学校はほかの方法、といったように、行っている地域はまだらに分布しているのでしょうか。
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しゃないしっぴつ、しゃないこうせい


雑誌づくりで、企業の編集部員が自前で記事をつくることを「社内執筆」、ふだんは外注する校正の作業を自前で作業をすることを「社内校正」などといいます。

けっこう何にでも、言葉に「社内」は冠せられるもの。「社内編集」「社内記者」「社内会議」「社内業務」など。

「しゃない」は「しゃない」でも「社内」とはべつの「しゃない」もあります。それは「車内」つまり「電車の中」という意味です。

「車内執筆」となると、座席に座れるかがまず最重要課題。座って、おもむろに膝の上にパソコンを載せて、目的の駅まで3、40分、“車内”で原稿を書きます。これはいわば「車内記者」の作業ですね。

「車内校正」となると、座席に座って今度は“校正刷り”という、印刷前の試し刷りをかばんから取りだし、ひたすら集中して活字に目を通していきます。そして、揺れる電車のなかで、活字に赤ペンで修正の指摘を入れていきます。これはおもに「車内編集者」が行う作業となります。

「車内会議」となると、かなりたいへんそうです。ボックスシート4席で向き合って行うか、長座席で身を乗り出して行うか。それとも立って行うか。周辺の乗客に話が聞こえてしまうため、それでもかまわないという話の選択、または心の準備などが要りそうです。

ちかごろの新幹線では、グリーン車以外にも最前列に電源の差し込み口がある車両が走っています。さらに最近は、窓側の座席の下にも電源が。東京から大阪までは約3時間。新幹線は本格的な「車内執筆」の場にもなります。

新幹線の中ではまだしも、ふつうの電車のなかでの「社内作業」は、時間がないときの策として行っている人もいるでしょう。でも、せまい座席で必死に窮屈にかたかたとパソコンに向かっている姿はあまりかっこいいものではないかも。このすがたはできれば「車外秘」にしたいところかも…。

ちなみに、名古屋市営地下鉄では、「すごい車内会議」というキャンペーンもしていた模様。車内会議の模様はこちらでどうぞ。
http://sugoisyanai.com/
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宇宙の果ての存在を5秒で証明

NASA

まともに考えるとなかなか解けない問題も、すこし頭をひねるとかんたんに解ける場合がありますね。

数学者のガウスは子どものころ、先生にしかられて「1から100までの数をぜんぶ足して答を出すまで遊んではいけません」といわれると、即座に「5050です」と答えたそうです。「0と100」「1と99」「2と98」「3と97」…と、100を101回くりかえし、それぞれの数字が1対2組になっているので2で割って5050。

天文学の分野におけるこの手の問題としては「宇宙の果ての存在の証明」が有名です。小学生よりはやや水準が高い問題でしょうか。

それは、「この宇宙に果てがあることを証明せよ」というもの。

物理学にそうとう得意な人は、ビッグバン理論や相対性理論など、天文学や物理学に関する知識を総動員して証明に挑むことでしょう。

でも、たとえばガウスのような生徒であれば、背理法を使ってこの証明に取りくみ、あっというまに解きおえるかもしれません。背理法は、ある文章の否定を正しいとすれば、不条理な結論が出てくるということを示して、そこから元の文章そのものが真であることを示す方法です。

ガウスのような生徒は、夜空に浮かんでる星空に目をつけました。「星がいっぱいあるけれど、これらはぜんぶ地球から離れた宇宙のどこかの場所にあるはずだ」

そこで、ガウスのような生徒は先生に答えるのでした。

「もし、宇宙が有限でなく無限だったとします。すると、この地球の全方向が無限に広がっているのことになるのだから、全方向にわたってかならずどこかで星にぶつかるはずです」

「でも、先生もご存じのとおり、夜空は全方向にわたり星空で埋められているわけではありません。宇宙の闇がたくさん見えているのですからね」

「ということは、宇宙は無限ではない。つまり宇宙には果てがあるということです」

宇宙が無限であれば、夜もさぞ明るいことでしょう。
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祖先をめぐる「ホヤ-ナメクジウオ」対決に終止符か


私たち人間には体の中心に脊椎という器官が走っています。後頭部からおしりのあたりにかけて、背骨を中心にしたひとつづきの骨です。人間にかぎらず哺乳類、魚、両生類、爬虫類、鳥類などにも体の中心に骨があり、体を支えています。

こうした骨がある動物は「脊椎動物」としてひとつのまとまりにされています。

この脊椎動物の進化の系統樹をどんどんさかのぼっていくと、どの動物にたどりつくのか。それは学問的な論争の題材になっていました。

一つの説としてあがっていたのは「ホヤ」(写真下)です。海の岩などにはりついて生活する生き物で、酒の肴や刺身としても食べられています。

赤褐色の色はともかく、岩場にごつごつと張りつくごっつい姿からは、これが私たちの祖先だとはなかなか想像もつきません。

しかし岩場に貼つくのは大人になってからのこと。こども(幼生)のころは自由に海のなかを泳ぎ回っています。そしてそのかたちは、オタマジャクシそのもの。

ホヤが脊椎動物の祖先であると支持する研究者たちは、このこどものときのホヤのかたちを頼りに、そう唱えてきました。

いっぽうで「脊柱動物の祖先は、ホヤではなく、ナメクジウオだ」と主張する研究者もいました。

ナメクジウオは(写真上)、名前のとおりナメクジのような細長いかたちの体をしています。ただし「ウオ」とは付くものの、魚ににているだけで、分類としては魚ではありません。ホヤにくらべてあまりお目にかからないのは、昼間は海底の砂のなかに隠れていて、泳ぎ回るのは夜だからでしょう。

ホヤもナメクジウオも、脊椎動物の前に現れた脊索動物という類のもの。大方の見方としては、6億年前ごろにまず、脊索動物のうち尾索類というホヤの仲間が現れて、それから頭索類というナメクジウオの仲間が現れて、その後、脊椎動物が広がっていったというものでした。

ところがつい最近、「ホヤ祖先説」がくつがえり、どうやら「ナメクジウオ祖先説」であるということがわかってきました。(2008年)6月19日、京都大学や国立遺伝学研究所などの共同研究チームがナメクジウオのゲノムを読解しおえたことを発表したことによります。同日に科学雑誌『ネイチャー』にも論文が載りました。

発表によると、ナメクジウオの遺伝子の並び方は、脊椎動物の遺伝子のゲノムのとのあいだでとてもよく似ていることがわかったそうです。解読したゲノムのうち1090個の遺伝子を調べたところ、脊索動物のなかでもナメクジウオがもっともはじめに進化をしていたことが明らかに。

また、二組のナメクジウオのゲノムを比べてみると、ゲノムのなかで多型を示す領域が10.5%あったそうです。多型は、ゲノムの中のあるひとつの場所におけるA、T、G、Cの4文字からなる塩基の違いのこと。「大多数に対して少数」の違いは「変異」とよばれますが、けっこうよくある違いは「多型」とよばれます。この多型領域10.5%という数字は、これまで調べられていた生物では最高の値なのだそう。

京都大学や国立遺伝学研究所などが共同で出しているニュースリリースには、「今回のナメクジウオゲノムの解読は、脊椎動物の進化についてダーウィンの進化論発表以来の懸案となっていた問題を一気に解決し、脊索動物の進化と脊椎動物の起源を明らかにするものです」と高らかにうたっています。

国立遺伝学研究所のプレスリリース「国際チームがナメクジウオゲノムの解読に成功」はこちら。
http://www.nig.ac.jp/hot/press/0619namekujiuo.html
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時代がつくった八角形の島―sci-tech世界地図(5)その2
愛知・老津の海上に昭和10年代、ほぼ八角形の島が作られました。人々はこの島を「大崎島」と名付けました。



このめずらしい島の形は、昭和初期という時代と大きく関係しています。

島がつくられた理由は、軍事施設をここに置くためでした。島と陸地を結ぶ長い橋が架けられているのも地図から見てとれます。

軍用施設と多角形の関係では、五角形が思い浮かびます。どの方角から敵に攻められたときも、すぐに応戦できる多角形は五角形といわれています。実際、江戸幕府が北方警備のために函館に建てた五稜郭も、米国の国防総省ペンタゴンも、五角形をしています。

いっぽう大崎島は八角形。これはこの島に、軍事施設として飛行機の滑走路がつくられたことと関係しています。戦争が始まって2年後の1943年(昭和18年)、ここに海軍航空隊が開かれました。

民間の中型飛行場であれば、地形的な理由なければ滑走路2本を、東西や南北など同じ方角で並べて置くことができます。

いっぽう、この軍用飛行場では滑走路が東西、南北、そして斜めに3本走っています。いついかなる方角へも軍機が飛び立つこと、そして埋め立て土の量が少なくて済むこと、この両方を考えて、島のかたちを八角形になったのでしょう。全方位対応という点では円形も考えられますが、土木技術としては円形よりも八角形のほうが簡単のようです。

さて、戦争で日本が敗れると、当然この島の軍用飛行場としての役割は終わります。その後、この島は、大きな農地となりかわりました。

そして、行動成長期の昭和30年代になると、八角形の大崎島自体が埋め立てられて陸地の一部へとなっていきます。「国土地理院25000:1『老津』」では、ここの土地に八角形の島があったことは感じられません。臨海地域の埋立地によくあるように、この土地も吉野石膏、花王、日本電装、カナサシ、トビー工業といった企業の工場施設が建てられています。



飛行場の痕跡は、いまも探せばどこかで見つかるのでしょうか。(了)
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時代がつくった八角形の島―sci-tech世界地図(5)その1
海岸沿いにある「有明」や「美浜」といった地名は、たいがい埋め立て地に付けられた“吉祥地名”であることが多いようです。

愛知県豊橋市の「明海町」も埋め立てた土地に付けられた町名です。新豊橋駅から豊橋鉄道渥美線で23分、老津駅の北に明海町はあります。

かつてこの土地は老津村という村の大津島という島でした。1928(昭和3)年発行の「大日本帝国陸地測量部二万五千分一地形図『老津』」を見ると、このあたりの海には細長い島が点々としています。大津島は、島のすべてが半島でできたような、かなりいびつな形の島でした。畑があり、“半島”の間には橋の役割をする細長い道も見られます。



時代の経過とともに、この海にも埋め立ての波が押し寄せます。けれどもこの地域の埋め立ては少し事情が特殊でした。

太平洋戦争が始まる3年前の1938(昭和13)年、大津島の北側の海で、埋め立て工事がはじまりました。ただし、埋め立てといっても、この時点では陸続きの土地にするわけではありません。湾の中に新しく一つの島を作る類の埋め立て工事です。

つぎつぎと海の中に土が送り込まれ、2年後の1940年(昭和15年)には埋め立てによる人工島が完成しました。

この人工島には、ある大きな特徴がありました。それは後年に発行される地形図を見れば一目瞭然。島の北東の部分を覗くと、きれいなほどに8角形の均整がとれているのです。つづく。
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科学技術は芸術の奴隷にあらず。


東京・文京区の東京大学で、制作展「iii Exhibition 9」が開かれています。(2008年)6月24日(火)まで。

東京大学大学院のコンテンツ創造科学産学連携教育プログラムが開く、科学技術と芸術が融合した作品の展示会です。

天井から降る水滴を感知器が捉え、発光ダイオードがその水滴を照らす「トリクシー・ドロップス」という作品や、投影幕に映された光に手の影が触れると光が揺れ動く「アービス」などの作品が展示されています。

人垣ができていた作品は「ストラクチャード・クリーチャー」。米国の芸術家ケネス・スネルソンが発案し、建築家バックミンスター・フラーが広めたテンセグリティという形をあしらった、金属棒と鉄線でできた20センチほどの大きさの物体です。鉄線が形状記憶素材でできていて、熱を受けると生き物のように物体がたたまれていきます。

科学技術と芸術の融合を作品にして展示する催しものは、大規模でないながら、いろいろなところで開かれています。今回の展でおもしろいのは「科学技術を芸術的に表現」(担当教授の挨拶)するという考え方。こうした試みは、たいがい「科学を駆使した芸術」という主従関係が見られますが、この展は逆のよう。主は科学技術にあるようです。

そうして見ると、他の「科学技術と芸術の融合」を謳った展よりも、科学技術肌の強い人たちが「科学技術はこんなこともできます」ということを示す作品が多い印象もありました。芸術作品を作ることで、科学技術の理解を深めるといったねらいがあるようです。

「iii Exhibition 9」はあす24日(水)まで、東京大学本郷キャンパスで開かれています。おしらせはこちら。
http://i3e.iii.u-tokyo.ac.jp/index.html


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ロケット推進力の、ロケット開発推進力は…。


人が天にむかって唾をはくと自分の顔にかかってきますが、ロケットは天にむかって打ち上げられると宇宙にたどり着きます。

日本で開発されているH2Aロケットの重さは285トン。重力のはたらく地球で、これほど重いものがどのように打ち上がっていくのでしょう。

この285トンというロケットの重さの9割は、燃料による重さなのです。燃料で燃料を打ち上げているといってもよいくらい。もちろん、残り1割のほうには、人工衛星など打ち上げる“目的”のほうが詰まっているわけですが。

ロケット打ち上げの推進力となる燃料は、大きく二種類にわかれます。

一つ目は、固体燃料によるもの。ロケット花火が個体の火薬で飛ぶように、個体の燃料を使う方法です。固体燃料は、合成したゴム材料と、アルミニウムなどの金属粉、それに、燃料を燃やすための酸化剤を混ぜたものなどでできています。

二つ目は、液体燃料によるもの。日本のH2Aロケット、米国のスペースシャトル、欧州のアリラン5といったロケットは、みな液体燃料を使っています。液体酸素や液体水素を組み合わせたもので、基本的なしくみは、水素を酸素で燃やして推進力を得るというもの。燃やした後に出るのは酸素と水素なので、毒性はありません。

最新鋭ロケットには、この液体酸素と液体水素の組み合わせが使われていますが、新型のロケット燃料「LNG推進系」も開発中です。

水素は密度が小さくてかさばるため、大きな燃料タンクを用意しなければなりません。いま、半実験的に走っている水素バスなども、大きなタンクを車の上に載せているため、タンクが走っているみたいといわれます。

そこで、水素燃料の代わりに、液化天然ガスというべつの液体を使うというもの。

新型のロケット燃料として開発されているのが、「LNG推進系」とよばれるもの。LNGは、“Liquefied Natural Gas”の頭文字をとったものです。メタンなどがおもな成分です。

このLNG推進系を使って、日本では、民間7社が立ち上げたギャラクシーエクスプレス社によるGXロケットという新型ロケットが打ち上げられる計画があります。

しかし、LNG推進系の技術開発も含めて開発費用がかさみ、はじめ450億円の計画だった開発費が、1500億円以上になる見通しに。2008年1月には、文部科学省の宇宙開発委員会が、民間だけでなく国の予算も開発に充てることも含めた見直しを行う方針が出されました。宇宙航空研究開発機構の報告を受けてのもの。

乗り物でも、家電ものでも、燃料はものを動かす土台となる要素。ロケット開発におけるLNG推進系技術の開発も、基礎からの積み重ねていくことにより、真の土台になるのかもしれません。

宇宙航空研究開発機構のLNG推進系プロジェクトの紹介はこちら。
http://www.jaxa.jp/projects/rockets/lng/index_j.html
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専門用語対処


『広辞苑』は「用語」の意味を「使用する言語・語句。特定の部門や人に特に使われていることば」としています。

そして「用語」の用例として載っているのが「科学用語」。科学にはたくさん用語が使われているということを示しているようです。

用語が多く出てくる本や記事は、専門性が高くて難しそうな印象をあたえます。なので、一般の人たちにむけた記事を書くときには、なるべく専門的な用語を、だれもが知っていることばにおきかえるのが、表現法の鉄則のひとつのようになっています。

すると、伝える側は、あるひとつの情報を知らせるときに専門的な用語を使うかどうか、という点を考える必要が出てきます。

たとえば、生物学の用語に「アポトーシス」というものがあります。これは、私たち人間をふくむ多細胞生物に組み込まれている“細胞の自殺”のこと。よく知られているアポトーシスには、おたまじゃくしが蛙になっていくとき、尻尾がなくなっていくという現象があります。また、お腹のなかの赤ちゃんは、はじめ脳の細胞がたくさんつくられますが、その後、お腹にいるうちに脳の細胞はだんだんと減っていくのだそう。

この用語を知らない人に、伝え手がはじめから「蛙のアポトーシスが…」と述べてしまうと、読んだ人は「アポトーシスってなに」となってしまいます。

しかし、読んでいる人の中には、その用語の存在そのものを知っている人もいるのはたしか。「アポトーシス…。ああ、おたまじゃくしのあれね」くらいに聞きかじっている人もいるでしょう。

すると、そういう人たちにとって「アポトーシス」という用語が使われないアポトーシスの記事は、逆にすこし不親切でわかりづらいものになってしまうかもしれません。「これって、アポトーシスの話かしら」と、うすうす思いながらも、アポトーシスということばが出てこないのです。

用語を知らない人にも知っている人にも、わかりやすく伝わるようにする妥協案は、やはり「用語を使って伝える」ということになるのでしょう。ただし「生物にはアポトーシスという、予定された細胞の死があって…」のように「何々という何々」のような形で用語を説明する必要があります。

このような用語の説明をはじめにもってくるか、おわりにもってくるかも考えどころ。はじめだと、やや説明口調が強くなり、用語を知らない人にはいぜんとして敷居が高いものになってしまいがち。いっぽう、ずっと説明してきて「こうした現象をアポトーシスといいます」と述べて締めくくる方法だと、アポトーシスを聞きかじっていた人は、「なんだ、アポトーシスのことか」と、おわりでわかることになり不親切。

どちらにするかも、用語がどれだけ専門的か、読者がどれくらいその用語を知っているか、ほかの用語をどれだけたくさん示さなければならないかなどの条件を考えて判断することなのでしょう。
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書評『零の発見 数学の生い立ち』
69年前に出た本。数学の本はそう簡単には情報が腐りません。「数学を楽しむ」ってこういうことかも、と思える本ですよ。

『零の発見 数学の生い立ち』吉田洋一著 岩波新書 1939年 181ページ


「零の発見」と「直線を切る」という、ふたつの話が載っている。

「零の発見」は、算術や記数法の歴史について書かれたもの。学校で習うような計算のしかたがどのように世界標準となったのか。その説明のひとつとして、名も無きインド人が「0」を発見した話や、プラーマグプタという数学者が0を使った計算法を著した話が出てくる。

0が発見される前、世界の人々は0を使わない記数法(インド記数法以外の記数法)で数を数えていた。大変だっただろう。13世紀終わりごろのヨーロッパでは、“新参者”のインド記数法を使うことを禁じていたこともあったそうだ。

それでもやはり、0を使う便利さには勝てなかったのだろう。やがて簿記にインド記数法が使われるようになり、15世紀に活版印刷術が生まれてインド記数法は広まっていった。数学とは、社会の必要が発展を後押しするものだ。

「直線を切る」は、数学の内容そのものの話なのでより思考的。「ある円とまったく同じ面積の正方形を、定木(定規)とコンパスだけで作ることができるか」がテーマ。ここには有理数と無理数が深く関わってくる。

円の面積を無理数πというキリのない数字で表す以上、キリのある有理数で示す正方形では円と同じ面積を示すことができないと思われるからだ。

このテーマもおもしろいけれど、前段の話もおもしろい。ゼノンの「アキレスの亀」の話は有名だけれど、この話をさらに理論武装して説きづらくさせた話があと3つも出てくる。

学校で習う数学とはまたちがった、深く考える数学を味わった気がする。答えを出すまでにいろいろなことを考えることができる。数学が苦手な人も、著者がうまく先導してくれるから、少なくとも何が問題なのかは理解できそうだ。「ああよんで楽しかった」と思えるかはその人次第。少なくとも「『数学を楽しむ』ってこういうことかもしれない」とは思える。

『零の発見 数学の生い立ち』はこちらで。
http://www.amazon.co.jp/零の発見―数学の生い立ち-岩波新書-吉田-洋一/dp/4004000130/ref=cm_cr-mr-img
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就職活動に新聞
就職活動をしている学生さんは、積極的に新聞を読んでいる人も多いことでしょう。

「一般常識」を問われる筆記試験や、「最近の関心ごとは」などと聞かれる面接では、新聞で仕入れた知識が武器にもなります。

新聞社も、新聞が就職活動の武器になることを学生に宣伝しない手はありません。若者の購読者を増やす機会になります。

そこでたまに見かけるのが、次のような新聞社の広告です。

「○○新聞の読者は、内定率が高いですよ」

おそらく、学生に情報提供する就職情報雑誌の編集部や、学生を社会に送り込む大学からデータをもらい、それを新聞者がもっている購読者データベースと照らし合わせるのでしょう。

駅や新聞紙上でこうした広告を見かけるくらいです。そのデータ収集はおそらくきちんとした方法でやっているのでしょう。

しかし引っかかるのは「○○新聞の読者は、内定率が高い」という謳い文句です。

この文章が示すことに間違いはないとしても、この文章の裏にひそむ“関係性”は、疑ってかかる余地ありです。

「○○新聞の読者は、内定率が高い」という謳い文句を見た学生は「○○新聞には、筆記試験や面接に使える情報がたくさん載っているんだな。購読してみようかな」と思うかもしれません。

実際に、その新聞が鋭い視点で事件に斬り込んでいたり、経済情報が充実していたりすれば、就職活動の武器になることでしょう。

しかし、「○○新聞を読む」ことと「内定率が高いこと」を結びつける理由は他にもあるかもしれません。いや、きっとあるはずです。

例えば○○新聞が、社会的地位の比較的高い層に読まれている高級紙だとしたら、その新聞を購読している家庭の子は、就職活動に優位な立場にあることも考えられます。例えば親にコネがあるとか、就職活動を成功裡に治めるための資金力がその家庭にあるとか…。

「○○新聞の読者は、内定率が高い」という文言だけでは、その関係性をつくるおもな理由が何であるかはわかりません。

けれども「○○新聞を読んでいれば内定がとれる」は、就職活動で自信をつけるための、暗示のことばになるかもしれません。自信がつけば、面接での受け答えもしっかりして、就職には有利に働くでしょう。

どう転ぶかわからないのが、就職活動です。学生のみなさん、どうぞ満足のいく就職活動を。
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「の」の問題を考える。


ものを書いているとき、書きかたの決まりごとなどを意識するほど、書く速さが落ちてしまうということがあります。

通っていた大学院には「論文で通用する日本語を書く」という目的の授業がありました。一つの文に伝えるべきことは一つという「一文一意主義」や、段落のはじめにいいたいことを書く「トピックセンテンス」の方法などを、実際の駄文の例をまじえて修得します。

その授業の中で出された一つの主題が「『の』の問題」。この主題を目にして「ああ、あの『の』のことね」とぴんと来た方は、そうとう書き方に意識をしていることでしょう。

とくにラジオやテレビの事件報道などを聴いていると、つぎのような伝え方の型があることに気づきます。
○○市でおよそ13万円する鉄製の排水溝のふた13枚を盗んだとして市内に住む男2人が逮捕されました。逮捕されたのは○○市に住む無職、○○○○容疑者(73)と○○○○容疑者(54)です。調べによりますと…。

○○を爆破すると、インターネットの掲示板に書き込んだとして、○○県の会社員の男が警視庁に逮捕されました。男は「職場でストレスがたまりうさ晴らしでやった」と供述しているということです。逮捕されたのは、○○市の会社員○○○○容疑者(34)です。
はじめに、どんな事件でどんな人物が逮捕されたのか、結論をいいます。問題の「の」が出てくるは、そのあと。「逮捕されたのは」の「の」です。

この「の」は、具体的な名詞の肩代わりをする「の」です。上のニュース原稿では「逮捕されたのは」は「逮捕された男2人は」となります。下の原稿も「逮捕されたのは」は「逮捕された男は」となります。ちなみに、5文前の文に「の」を使っています。「問題の『の』が出てくるのは」の最後の「の」です。これは「問題の『の』が出てくる文は」とか「問題の『の』が出てくる場面は」などとなるでしょう。

「の」は置き換えられる名詞に比べると具体的ではありません。かつ「の」はかならず何かに置き換えられるだから「の」は撲滅すべきだ、という論があります。冒頭の大学院での授業も「の」撲滅作戦が展開されていました。論文を書くという目的では、たしかに「の」あいまいさは排除されるべきでしょう。

でも「男が逮捕されました。逮捕された男は」という原稿のニュースはどうも違和感を覚えそうです。記者は、「逮捕」や「男」などの同じ文が続けざまに出てくる問題を避けるため、「の」を使っているのでしょう。

「の」を使う利点も耳にします。新聞記者経験の長いべつの教授は「名詞は2文字以上になるときがあるが、『の』は1字だけだ」と話します。「逮捕された男2人は」と「逮捕されたのは」では、字数が2字ちがいます。

「たかが2字」と考える方もいるでしょう。でも新聞記者にとって原稿の升目は宝のようなもの。1字でも無駄なく使いたいわけです。となると「男2人」より「の」のほうが都合よいわけです。

「の」を使おうが名詞を使おうが、どちらでも日本語として通ります。ふだん使うときはその人の使いやすいほうが選ばれることになります。あるいは「の」の問題を避けるため、そうした文を作らないといった手もあります。
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これからを伝える。いまを伝える。


ラジオ放送は、時間ごとの進行がきっちりしていますね。関東でNHK第一を聞いていると、きまって55分からの5分間は、地域ニュース、天気予報、交通情報とつづきます。

ワタナベさんが「関東地方の気象情報でした」と天気予報を伝え終えると、「つづいて関東地方の交通情報です。日本道路交通情報センター、どうぞ」。そしてヨコタさんが1分間、てきぱきと渋滞情報を伝えます。

天気予報と交通情報は、どちらも情報を伝えるという点ではいっしょ。でも、この二つは、天気と道路ということのほかにも、伝えかたの大きなちがいがあります。それは、伝える対象の時制。未来か現在かということです。

天気予報は「予報」だけあって「神奈川県の今夜は、南の風やや強く、晴れでしょう」といったように、未来のことが話の中心。

いっぽう交通情報は「環八通りは、練馬区の環八五日市で上下線とも5キロの渋滞しています」といったように、ほぼ現在の情報が中心です。

未来を伝える天気予報と、現在を伝える交通情報。このちがいがなぜ生まれるのでしょう。よくよく考えるとふしぎです。

もし、“現状だけを伝える天気予報”があるとして、ワタナベさんが「神奈川県東部は、いま晴れていて、雲は少しだけ見られます。北西の風が吹いています」とだけ伝えたら、それを聞いた私たちは、傘をもって出かけるべきか、洗濯をすべきか、判断につきかねます。

いっぽう交通情報では、ヨコタさんが「三宅坂付近でトラックの積み荷が散乱していて8キロの渋滞しています」と伝えれば、運転手は「ならば一般道を使おう」などと判断することができます。

このことからは、天気予報のいまの情報には、一般の人が未来のことを判断するための材料がとぼしいが、交通情報には判断材料が多くある、といったことがいえそうです。

技術的に予測しやすいかどうかといった点でも、天気予報と交通情報は大きくちがいますね。

天気予報では、西から天気が悪くなるといった基礎知識があるほか、気象衛星による写真情報なども充実しています。過去の似た天気図などからも予報を立てることができます。つまり、気象は本質的にどちらかというと予測しやすいものであり、その技術もかなりととのっているということ。

いっぽう交通情報では、これからどこで渋滞が起きるのかを予報するのは至難の業でしょう。トラックの積み荷が散乱するようなことは突発的。予想材料はすくなさそうです。デモ行進の予定があるとか、祭の予定があるといったことくらいでしょうか。

ただ、ちかごろの交通情報では「渋滞を抜けるのに何分かかる」といった情報を伝えています。可能性を考えれば、天気予報が“現状主義”に戻ることはなさそうですが、交通情報が“未来主義”に近づいていくことは考えられそうです。技術がどれだけ進歩するかでしょう。

あらためて考えてみると、天気予報も交通情報も、人間がこれからどう行動するかの判断材料を提供するものなのですね。
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メモをとる派、とらない派、根本はおなじ。


きょう(2008年6月16日)発売の『週刊東洋経済』の特集は「最強の『読書術』」。本の特集ではなく、読書の特集です。

「親の読書が子に与える影響」という記事と「書評ブログ」についての記事を寄せたため、このたび編集部から雑誌が送られてきました。

特集には、レバレッジコンサルティング代表の本田直之さん、明治大学教授の斎藤孝さんなど、ビジネス書の世界で名の通った方々の読書法が数件、載っています。

読書術も十人十色。なかでも取材を受けている人によって方法がわかれているものがあります。それは、メモやノートをとるかとらないか。

メモ・ノート派の急先鋒は、伊藤忠商事調査情報部長の三輪裕範さん。最初から最後まで本はきちっと読み、重要なところは線引き。もっとも重要と思う部分は、手書きでノートに書き写しているそうです。

いっぽう、メモをとらない派の代表は、公認会計士の勝間和代さん。たくさん読んでもメモはとらないそうで、そのかわり、読んだあとに「この本は結局何が言いたかったのか」をしっかり覚えることをしているそうです。そして、読んだ内容を実践することで「体にメモをしている」とも。

けっきょく、どちらの方も、読んだことはきっちり頭に体に叩き込むという点はやはり共通していて、その前提に立って、メモをとるかとらないかを論じているわけです。

おそらく、みなさんも多くの本を読んでいれば、付箋を貼るとか線を引くとか、いくつかの本を並行して読むとか、いろんな型があることでしょう。

特集には、数多くの読書術が載っています。考えもしなかった方法に巡りあえて、それが自分の新しい読書法になったら、雑誌を買った価値はとても高いもの。でも、そうでなくとも、自分のいまの方法ににた読書術を見つけて、自分の型に自信を深めるということでもよいのでしょうね。

自分にとっての「最強の読書術」とは、自分にとって最も心地よいと思える方法です。

『週刊東洋経済』のホームページはこちら。
http://www.toyokeizai.co.jp/mag/toyo/index.html
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辛さをめぐる攻防


身のまわりで感じることの“度合い”の多くは、数と単位で表わすことができます。暑さは「28度」、長さは「50センチ」といった具合。

では、辛さはどうでしょう。

カレー屋には、「2辛」「3辛」といった辛さを選ぶことのできる店があります。けれどもこれは、チェーン店舗の範囲で通用する辛さの基準。どの国どの店でも共通というわけにはいきません。

けれども、唐辛子の辛さについては「スコヴィル値」という、そこそこ万人に通用する辛さの単位があります。

このスコヴィル値は、辛さの度合いを数値化しようとした米国人化学者ウィルバー・スコヴィル(1865-1942)の名にちなんで付けられたもの。

唐辛子の辛さの成分は、カプサイシンという物質。スコヴィル値は、カプサイシンを何倍の水で薄めると、人は辛さを感じなくなるかで求められる数値です。例えばタバスコのスコヴィル値は2500から5000。食堂でよく見かけるタバスコは60ミリリットルなので、150から3000リットルの水で薄めれば、まず辛さを感じなくなるということです。

スコヴィル値をめぐっては、一番手あらそいがホット。その争いは、お菓子の名にもなっている、「ハバネロ」や「ジョロキア」などの間で繰り広げられてきました。どちらも唐辛子の仲間です。

ハバネロのスコヴィル値は、10万から35万ほど。1990年代前半までは、このハバネロが最もスコヴィル値が高いとして、ギネスブックに認定されていました。

ところがその後、ハバネロよりも辛い唐辛子の仲間が次つぎと見つかり、2007年には、ブート・ジョロキアという種が記録を塗りかえています。ギネスブックによると、スコヴィル値は100万1304。少なくともハバネロの3倍弱はあります。

「そんなに辛さを求めてどうする」といった声も聞かれそう。でも、最高気温の日本記録も市町村のうりになるくらい。スコルヴィ値をめぐる攻防は続きそうです。

ちなみに、東ハトの「暴君ハバネロ」と「魔王ジョロキア」を食べくらべてみると、ハバネロは辛さのなかにどこか甘味を感じられるのに対して、ジョロキアには若干の酸味があります。

ちなみに、ちなみに、暴君のハバネロは「暴君ハバネロ大学」という学校を運営しており、誰もが味のある(ありすぎる)入学試験を受けることができます。こちら。
http://boukun.jp/boudai/index.html
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スティーブ・バーンズ氏「米国は500チャンネルの番組を選ぶことができる」


(2008年)6月14日(土)東京・丸の内の関西学院大学で、米国ナショナルジオグラフィックチャンネル編集責任者スティーブ・バーンズ氏の講演会が開かれました。題は「サイエンス映像の近未来(ナショジオのアジア戦略)」。主催はサイエンス映像学会。

『ナショナルジオグラフィック』は1888年に創刊された科学雑誌。自然科学以外にも、文化や歴史分野の特集なども組み、また写真報道にも力を入れています。

バーンズ氏所属の「ナショナルジオグラフィックチャンネル」は、映像番組を提供する部門。氏はこれまで、科学番組制作会社ディカバリーチャンネルの上級副社長や系列の主席科学編集者でもありました。

会場からの質問にバーンズ氏は答えていきます。

米国の番組では子どもに配慮した放送内容の制限が厳しいが、表現上、工夫している点などは…。

「たしかに、血を見せる場面は禁止されていて、手術の場面、チーターがガゼルを襲う場面、死体が映るような場面などは放映できません。でも、病院の場面では医者の作業衣姿を見せることなどで対処できます。科学番組にはインスピレーションも大切ですから」

米国人と日本人の科学に対する姿勢のちがいは…。

「米国は500チャンネルの番組を選ぶことができる。選択肢が多いため、その人の好みの分野を選ぶことができます」

ナショナルジオグラフィックチャンネルと、ディスカバリーチャンネルのちがいは…。

「どちらもよい番組を提供しますが、ナショナルジオグラフィックチャンネルはより正確性を期し、事実に基づいた番組づくりをしている印象です。100年以上の社史があることも背景としてあるのでしょう」

演題のナショナルジオグラフィックチャンネルのアジア戦略について、バーンズ氏は「アジアの話題を取り上げたり、NHKとの共同制作を行うなどして、できるだけ広く番組を提供していきたいと思っている」と話します。

米国にはサイエンスチャンネルという制作・配信会社もあり、科学番組についても他チャンネル化が進んでいます。

いっぽう日本におけるその担い手といえば、ほぼNHKのみ。講演で登場した日本の放送局はもっぱらNHKでした。背景には、制作側の予算面や技術面での問題もあるのでしょうが、根底には日本人の科学番組への無関心ぶりもありそうです。

科学情報提供のノウハウを培ってきたナショナルジオグラフィックが、科学文化の根づかない日本に深くきりこんでいけるか。モデルの構築に関心が集まります。

ナショナルジオグラフィックチャンネルの日本語ホームページはこちら。
http://www.ngcjapan.com/
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「いつまでも健康でごきげんな明日のために」


日本の一般向け科学雑誌は、書店で売られていないものもいろいろと発行されています。東京電力の『イリューム』も一時期、休刊の情報があったものの、次号発行に向けて取材が進行中とのこと。

日本アイ・ビー・エムも、『無限大』という雑誌を毎年2回、発行しています。雑誌のコンセプトは「ITと社会の架け橋」。ただ実際の中味は、企業色は強くなく、やや総合雑誌よりの科学雑誌といったところ。

最新の2008年夏号は、6月11日に出ました。特集の主題は「近未来医療―5年後の医療を探る」です。特集のなかの「いつまでも健康でごきげんな明日のために」という記事づくりに参加しました。

この記事の主題は「抗加齢」。「加齢」に「抗う」と書いて「抗加齢」。「アンチエイジング」ともよばれています。齢をとっても若々しくいるための医学的な方法です。慶應大学で眼科治療とともに、抗加齢に取り組んでいる、坪田一男教授の取材がもとになっています。

取材前に仕入れた予備知識では、女性ホルモン、男性ホルモン、成長ホルモンなどを注射で体にとりこむ「ホルモン補充療法」などの、診察室で医者に受ける治療などが、抗加齢法の代表という印象でした。

しかし、坪田教授の話では、抗加齢への基本な取り組み姿勢はきわめて単純なものでした。それは「一に運動、二に食事」です。

運動にも、心肺機能を高める有酸素運動、筋力をたくわえる筋肉負荷、体を軟らかくする柔軟体操、体の釣り合いを保つ平衡運動などがあります。勘どころは「一番弱いところを焦点に、そこを補強すること」と坪田教授はいいます。

食事については、日本人が慣れしたしむ、ある食習慣さえ変えれば「健康面でもっと素晴らしいものになる」といいます。それは、白米の摂りすぎ。「(白米は)糖度が高く、血糖値を急激に上げることがわかっています」。坪田教授は玄米や雑穀米をすすめます。

ある一定の時間を、どれだけ充実して過ごすかは人間の関心事。人生という長い期間についてもおなじことがいえます。

長生きすること自体を生き甲斐とする人もいるかもしれません。けれども同じ長生きならば、旅行したり創作したり、充実した中味でありたいもの。

抗加齢と向きあうこと自体が、生活の質を高めることとも関連していそうな印象でした。

『無限大』のホームページはこちら。最新号の情報も、もうすぐ更新となるでしょう。
http://www-06.ibm.com/jp/ibm/mugendai/
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忘れないか、忘れるか。
花に花ことばがあるように、人は草花に行いや想いを重ねあわせてきました。

「忘れな草」も思わせぶりな名前。ムラサキという植物の一種で、花はまわりが青色、中央が黄色という、きれいな保護色をなしています。「勿忘草」とも書き、「勿」は「するなかれ」を意味する字です。



歳時記にも季語は春とあるということは、歌にも詠まれているのでしょう。しかし「忘れな草」が日本で見られるようになったのは明治時代から。花の名は西洋から来たものといいいます。

こんな伝説があります。

ある西洋の騎士が、恋人のために川のほとりに咲くこの花を取ろうとしたところ、足を滑らせてしまいました。転落死を覚悟したのでしょう、騎士は恋人にこう言い残して、川に落ちていきました。

「私のことを忘れるなかれ」。

残された恋人は、騎士の最期のことばを忘れることなく、この花を髪飾りにしたのだそう。

実際、忘れな草は英語で「フォーゲット・ミー・ノット」。この草が日本に来たときに、そのまま「忘れな草」と翻訳されたようです。

忘れな草があるいっぽうで、「忘れ草」という名の草もあります。



忘れ草はヤブカンゾウという、ユリの仲間の草。青い花の忘れな草とは対照的に、橙色の鮮やかで大きな花をつけます。

忘れ草も、名が特徴的。ぱっと咲いてすぐに花が終わってしまうことから、この花を忘れてしまう、という理由で付けられました。

原産は中国ですが、忘れ草のほうは古くから日本に生えていました。飛鳥時代や奈良・平安時代に詠まれた歌を集めた万葉集にも、忘れ草が出てきます。柿本人麻呂はこう歌います。

わが屋戸の 軒のしだ草 生ひたれど 恋忘れ草 見るに生ひなく

「軒さきに、しだの草は生えたけれど、姿を見せなくなった恋人のことを忘れさせてくれる忘れ草は生えてこない」といった意味。万葉の歌人にかかれば、やはり忘れ草も、恋沙汰を詠むときの道具に使われてしまうようです。

「忘れな草」も「忘れ草」も、実らなかった恋に対する、なぐさめの道具として人は考えたようです。いっぽうは、相手のことをいつまでも忘れずにずっと思う。もういっぽうは、相手のことをきれいに忘れてしまいたいと思う。

心のなかでの決着のつけかたは、人それぞれということでしょうか。
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時計に縛られず…


「1秒」という時間は、国際単位として決まっています。1967年までは、平均太陽日(太陽が真南に来てから次に真南に来るまでの平均時間)の8万6400分の1と決められていました

1967年の第13回国際度量衡総会により、次の定義になりました。

「セシウム原子133の基底状態の二つの超微細準位間の遷移によって発する光の振動周期の91億9263万1770倍の時間」

1秒という時間の定義が変えられたのには理由があります。太陽が一回りする時間は、厳密に測ると毎日ちがっていたからです。基準となる“はかり”が、日によって少しだけ伸びちぢみしていたようなものです。そこで、セシウム原子という、伸びちぢみのない基準を使うことになったのです。

太陽の一回りの時間が違うからといって、そのことに感覚的に気づいた人はいますまい。1秒は1秒、1分は1分、30分は30分、というのが人の感覚でしょう。

ただ、人の感覚にはべつの側面も。しく過ごしているときはあっというまの30分に感じられ、また、退屈でしょうがないアルバイトのときは永遠の30分に感じられます。不思議なものですね。

ところが、この「1秒は1秒、1分は1分、1時間は1時間」は、長い歴史のなかでは最近おきた考えなのです。

明治のはじめごろまで、“ある一定の時間”の実際の長さは、日によって違っていたのです。

“ある一定の時間”は「いっとき」という単位でした。この「いっとき」を決める基準となったのが“日の出”と“日没”。

日の出から日没までが「昼」、日没から日の出までが「夜」とします。これは、いまの常識と変わりません。異なるのは「いっとき」の決めかた。「昼」を六等分したときの、その6分の1が、昼の「いっとき」。「夜」を六等分したときの、その6分の1が、夜の「いっとき」だったのです。

となると、昼間が長い夏と、昼間が短い冬の季節では「いっとき」の実際の長さはかなりちがってきます。夏至の昼間は14時間40分ほど。「いっとき」は6分の1なので、およそ147分になります。いっぽう冬至の昼間は9時間50分ほど。昼の「いっとき」は、およそ98分しかありません。

「いっとき」が使われていた時代、いかに太陽が人々の時間の感覚を支配していたかがうかがえます。

この「いっとき」という時間の単位は、1872(明治5)年12月3日をもって公的には幕を閉じます。つまり、実際は一定でない時間単位から、実際に一定である時間単位に変わったわけです。明治初期におけるこの変更には“文明開化”の背景があります。

文明開化さなかの日本は、西洋の制度を積極的に取りいれました。時間の刻みかたについても、西洋標準に合わせたわけです。「いっとき」が廃止されたこの日は、太陰暦が太陽暦に切りかわる日でもありました。12月4日以降はうちきり、翌日は1873年1月1日となります。

世の中も「いっとき」より「1時間」を使うほうが何かと便利と思ったようです。最たる例は鉄道でしょう。

鉄道が走りはじめたのは、おなじ1872(明治5)年。新橋-横浜を「いっとき」の時間単位で走るとなると、夏は速度を下げ、冬や速度をあげることになります。「時間」で走るほうが便利だったのでしょう。

もし「時間の単位を『いっとき』に戻しましょう」という法律が通ったら、世の中はどうなるでしょう。

夏場は勤務時間はやけに長く感じられるでしょう(実際に長くなる)。「3分クッキング」という番組も、夏場の放送では手の込んだ料理が、冬場は残りもので簡単につくれる料理が紹介されることでしょう。

産業を見れば、時計業界は「昼夜自動式別Gショック」などが売れて特需になりそうです。いっぽう鉄道業界は運行系統の変更を迫られ大打撃かもしれません。

なにより、感覚を頼りにすることが見直されそうです。

参考文献
三戸祐子『定刻発車』
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ストレスの測りかた(2)


内分泌系は、“ホルモン”の出どころ。大衆居酒屋で出されるほうではなく、体の内側から知らないうちに出されるほうのホルモンです。

たとえば、インスリンはホルモンのひとつで、すい臓から出されて血管のなかのブドウ糖の量を調整します。このホルモンが出なくなったり、効かなくなったりすると、糖尿病に。

内分泌系のひとつに「視床下部→下垂体前葉→副腎皮質」という、ホルモン分泌の道すじがあります。この道すじを通って出てくるカテコールアミン類というホルモンは、筋肉を緊張させたり、血圧を上げたりする作用をもっています。この作用はまさに、ストレス応答。

つまり、ストレス応答を調べるには、カテコールアミン類の出る量を調べればよいのです。もちろん、ほかにも指標となるホルモンはありますが。

でも、ここで困ったことが。カテコールアミンなどの指標となる物質が血に含まれています。注射で血をとろうとすると、痛みや緊張でストレス応答が出てしまうのです。

そこで、血以外に指標をとる方法として、唾液から調べる方法が使われています。唾液にはホルモンは含まれていませんが、ストレス応答を測る指標となるアミラーゼなどの酵素が含まれています。

たとえば、唾液のアミラーゼを乾燥させて、フィルムに保存します。それを溶液に戻すことで、アミラーゼの量がどれくらいかを調べる方法があります。アミラーゼが活発に出ていればストレス応答が高い、つまりストレスをたくさん抱えていることに。

「ストレス度チェック」などの主観評価法と、「アミラーゼ測定」などの化学的な客観評価方法。「主観的、客観的」と聞くと、化学的方法のほうがきちんとストレスの度合いを測れそうな気になりそうです。

けれども、きちんとした方法で測れば主観的評価も科学的に認めらています。心理面を中心に測るか生体面を中心に測るか、どちらが実際に測りやすそうか、といったことから使いわけることができます。

もっとも、部長にどなられた同期のストレスの大きさを知るには、居酒屋で耳を傾けてやるという手もありそうですが。

参考文献
脇田慎一「ストレスの化学計測」『バイオインダストリー』2008年6月号
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ストレスの測りかた(1)


部長に「ばかもーん」といわれた同期を見て「あいつ、またストレス溜まったな」などと思ったことはあるでしょうか。

「ストレス」ということばには、外からの刺激を示す“ストレス刺激”と、刺激を受けたときの普段とは異なる反応を示す“ストレス応答”の二つの捉えかたがあります。部長のどなり声が「刺激(ストレス刺激)」のほうで、同期の胃の痛みが「反応(ストレス応答)」のほう。

部長の声の大きさはさておいて、心配なのは同期のストレス(応答のほう)がどれほどか。ストレス応答の量を測るにはどうしたらよいでしょう。

よく知られている方法は「ストレス度チェック」。「朝、起きれなくて困っている」などの問いに「はい・いいえ」で答えてもらうものです。

だけれど、もうすこし主観を排した方法はないのでしょうか。

あります。“化学的に測る”という方法です。

動物は、外からの刺激を受けると身を守ろうとして、意志とは関係なく体のいろいろなところで反応を起こします。冷や汗をかくのも、血圧が上がるのも反応の結果。その反応の度合いを測るのが、化学的にストレス応答を測る方法。

測るべきものには、心拍数などの自律神経系の反応や、感染から身を守るリンパ球など免疫系の応答などがありますが、もうひとつ、内分泌系の反応を測るという手があります。(長くなりそうなので)つづく。

参考文献
脇田慎一「ストレスの化学計測」『バイオインダストリー』2008年6月号
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量子ドットの発見でカヴリ賞


2008年から、科学の世界では「カヴリ賞」という賞が創られました。ノルウェイの科学文学アカデミー、教育省、カヴリ財団が共同でたちあげた企業が主催で、ナノ科学、天体物理学、神経科学の3部門に対して賞と賞金計300万米ドルが贈られます。

5月28日に受賞者の発表があり、ナノ科学部門では、カーボンナノチューブを発見した名城大学の飯島澄男教授と、量子ドットを発見したコロンビア大学のルイス・ブラス教授が受賞しました。

量子ドットは、とても小さな「箱」に喩えられます。一辺の寸法は10ナノメートルほど(ナノは10億分の1)。10ナノメートルというと原子数個分の大きさです。

この箱に閉じ込めるものは、電子です。

かつて電子は“粒”でできていると考えられていました。それは事実だったのですが、電子は同時に“波”でもあるということが20世紀前半にわかったのです。つまり、電子は“粒”と“波”の両面性をかねそなえているということになります。

波としての電子は波長が10ナノメートルほど。これは量子ドットの寸法とだいたい同じ。よって電子の波は、量子ドットの箱に閉じ込められると、なかなか身動きがとれなくなります。

この“身動きのとれなさ”は、電子のエネルギーとりかたに影響を与えてきます。

電子は「エネルギー準位」という座ることのできる“座席”のような位置をもっています。どの座席に座るかにより、電子がとることのできるエネルギーは変わってきます。

ふつうの環境だと、電子は長座席のどの位置にも座れるように、エネルギー準位を連続的にとることができます。

しかし、量子ドットの箱に閉じ込められた電子には、長座席は与えられず、指定席制になります。電子のとれるエネルギー準位が飛び飛びになるのです。この不思議な電子のふるまいは「量子サイズ効果」の表れです。

では、量子ドットのなかで電子はその指定席に座るのでしょう。それを決めるのが量子ドットの大きさです。箱の寸法が小さくなるほど、電子は自由に運動できなくなるため、高いエネルギー準位をとることになります。せまい檻に閉じ込められるほど、動物が力をもてあましてしまうようなもの…。

箱の寸法を変えることで、電子が座る座席(エネルギー準位)は変わります。このエネルギー準位の違いに対応させて、量子ドットは外から来る光の吸収波長を変えることができます。小さい量子ドットでは高いエネルギー準位になるため青などの短い(エネルギーの高い)波長の光を、また、大きい量子ドットでは逆に赤などの長い(エネルギーの低い)波長の光を吸収します。

この性質を応用して、太陽光発電の分野では「量子ドット太陽電池」という次々世代の太陽電池が開発されています。

量子ドットをたくさん並べて間隔を近づけると、量子ドットどうしの相互作用が起こり、光の吸収幅をいろいろととれるようになります。これまでの太陽電池では、効率よく吸収できる光の波長帯とそうでない帯がありました。しかし、量子ドット太陽電池では、どんな波長の太陽光も受けとめられるようになるため、より効率的に光エネルギーを電気エネルギーに換えることできます。

ブラス教授の発見した量子ドットは、太陽電池をはじめ、半導体などいろいろな装置に応用ができると期待されて、研究開発が進んでいます。

カヴリ賞の公式ホームページはこちら(英文)。
http://www.kavliprize.no/
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この情報だけで「エコ替え」できますか


6月5日は地球環境デー。(2008年)7月7日からは洞爺湖サミット。

いま放送局は“環境問題を考える番組”をつぎつぎ流し、企業は“環境にやさしい商品”の広告を打っています。

ちかごろ見かける放送広告のひとつがトヨタ自動車の「エコ替え」。関根勉さんと菊池桃子さんがこんな台詞をいっています。
まだ使えるけど、省エネのほうに変えよう。
まだ乗れるけど、燃費のいいほうに変えたんです。
低燃費だと、低CO2だね。
これこそ「エコ替え」。
「まだ使えるけど」「まだ乗れるけど」という台詞につっこみを入れたくなる人は多いらしく、「タダのエゴ」などの批判も。

技術が進み、同じ距離を走っても温室効果ガスを出しにくい車をつくれるようになったのは事実でしょう。「エコ替え」ホームページでは、測りに車を載せると二酸化炭素削減量は150キログラムと出てきます。これは、1997年5月製造時のラウムという車種を2006年12月製造時の車種に買い替えたとき、5000キロメートル走るとどれだけ二酸化炭素の排出を抑えることができたかを示すもののよう。

同ホームページは、各自動車製造業の各車種、各年代の車を選択して、それがどれほど二酸化炭素を輩出するのかを調べることができます。

自社以外の車の情報まで載せるとは、徹底ぶりがすごいですね。

けれども「エコ替え」の広告やホームページからは、車を選ぶ利用者にとってこれまた重要な、別の情報を得ることができません。

その情報とは「その車をつくるときに二酸化炭素などの温暖化ガスがどれくらい出てしまうのか」。

車をつくるには、原料やリサイクル部品を工場まで輸送しなければななりません。工場のラインを動かす必要もあれば、できた車を各地まで移動することも必要です。これらエネルギーを使えば二酸化炭素が出てきます。

つまり、使う人が車に乗るまでにも二酸化炭素は出ているのです。

それぞれの車の二酸化炭素排出量を示して「エコ替えの参考にしてください」というのなら、車をつくるときに出る二酸化炭素量の情報も出さないと選ぶ側にとって親切ではありません。

たしかに車をつくるときにどれだけの二酸化炭素が出るのか調べあげるのは難しいようです。けれども、少なくとも“相場”は計算に入れて「エコ替えした車で何キロ以上走ると、前の車よりも二酸化炭素排出量を減らせる域に入ります」ということは示すべきでしょう。

“エコ”については、全体を見て何をすべきか選ぶための判断材料が不足している状況です。

トヨタの「エコ替え」ホームページはこちら。
http://ecogae.jp/
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宇宙への“つめこみ授業”

NASA

宇宙飛行士の星出彰さんが、スペースシャトルに乗り国際宇宙ステーションを訪れています。

米中部時間(2008年6月)4日には、日本の施設「きぼう」の実験室に入りのれんを付けました。

「宇宙飛行士」は資格です。星出さんは、宇宙航空研究開発機構の前身の宇宙開発事業団時代に得た「国際宇宙ステーション搭乗宇宙飛行士」、ロシアの宇宙船ソユーズの「フライトエンジニア」、そして、米国航空宇宙局(NASA)の「搭乗運用技術者(ミッションスペシャリスト)」の資格をもっています。

スペースシャトルの搭乗員の役割は、船長と操縦手のほかに、搭乗科学技術者(ペイロードスペシャリスト)と搭乗運用技術者。搭乗科学技術者は客人の立場であるのに対し、搭乗運用技術者はシャトルの操作員。星出さんがロボットアームできぼう実験室を取りつけられるのは、搭乗運用技術者だからです。

シャトルの搭乗運用技術者の資格を得たのは、つい2年前の2006年。NASAでの1年8か月の訓練の末、日本人宇宙飛行士の山崎直子さん、古川聡さんとともに認定バッジを受けました。

訓練は過酷だったようで、資格取得直後、星出さんは「受験勉強のようだった」と感想を語っています。宇宙や無重力に関する知識の“詰め込み教育”がなされる模様。

“体育”的な訓練では、T-38というジェット機に乗り、ストレス下で、通信、計器確認、操舵などを同時にこなす技を身に付けます。

また“地学”的な訓練も。アポロ計画の時代からの講師とともにニューメキシコ州に行き、断層を見たり、月の石を地球に持ちかえることの意義を聞いたり。

1年8か月の訓練だけでなく、日本での準備も含めれば、とても長い歳月の末に、ようやく得られた宇宙での14日間。現状は、長い訓練に比べてあまりにも短い宇宙滞在。しかし今後は、若田光一さんのステーション滞在が予定されているように、日本人の宇宙飛行士も宇宙にいる時間が長くなっていくことでしょう。

資格取得直後、星出さんは「国際宇宙ステーションの先にある、有人月・火星ミッションにも貢献していきたい」とも話しています。

参考記事
「星出さんら3人がMSに」『ジャクサス』2006年3月発行号
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市川食堂のカツカレー大盛り――カレーまみれのアネクドート(7)


“大盛り”や“どかもり”は、B級グルメの中心的話題。カレーライスの世界でも話題に事欠きません。

千葉県・JR市川駅のすぐ近くにある市川食堂の「カツカレー」も雑誌に載るほど。普通盛りも大盛りも同じ料金です。品書きを見ると「カツカレー850円」の下に「大盛りは危険です」の文字が。

こう書かれていたら注文しないわけには行きますまい。15分ほど待つと、直径30センチほどのさらに、厚いトンカツの乗ったカレーが出てきました。

カレーを食べるときは“ペース配分”が大切。食べ終わったとき、ご飯とルウがちょうど無くなっているか、若干のルウが残っているぐらいが最善でしょうか。ご飯だけが残ったときのカレーライスには寂しいものがあります。

不思議なことに食べ初めの段階で、ルウを食べるペースが上回ると、なかなか配分を均等に取り戻すことができません。途中で「このままだとご飯だけになる」とおもい、意識的にルウを抑えて、ご飯だけを食べても、なぜかルウの分量がご飯を上回るまでにたどり着けません。出されたカツカレーは、カツの下がご飯。ペース配分が難しくなります。

それでも、トンカツとご飯の組み合わせも駆使し、どうにかルウとご飯をちょうどの配分で食べ終えることができました。大盛りは、いろいろな意味で自分との闘いです。

カツカレー大盛りも850円。市川食堂のホームページはこちら。
http://www.geocities.jp/ichishoku/
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“街中仕事”の電源確保


仕事のうちあわせの合間など、すこし空いた時間に喫茶店などで仕事をする方も多いことでしょう。鞄からパソコンを取りだして、1、2時間ばかり書類づくり…。

そこで気になるのが電池の残り容量です。使っているとあっという間に「50%」「25%」と減っていき、電池の印が赤くなるあたりで書きかけのまま作業終了…。

街で電子機器を使う人にとっては、電源確保は大きな関心事。それに目を付けたのでしょう、電源供給サービスをする飲食店が増えています。

大規模に普及を進めている店はマクドナルド。店内の改装で、一人席の机正面にコンセントを取りつける店舗が増えています。いまのところ東京都内では100店弱、大阪府内で20店以上。全国に拡大中です。

コンビニエンスストアで洗面所を使うのとちがって、とくに「借ります」と断ることなく使えます。ただし長居すると退店時に「ありがとうございました」といってもらえない傾向がある感も…。

マクドナルドのほか、電源供給に力を入れているのは「喫茶室ルノアール」などの喫茶店を展開する銀座ルノアール。ホームページにも「電源コンセントをご自由にご利用いただけます。(携帯電話の充電・モバイルPCの電源などご利用可能です。)」と明記しています。

ルノアールは足もとや壁に電源がある店が多いもよう。電源が使える席か教えてもらうためにも、また、店員が注文や配膳、さらにお茶おきのため席までくることからも、「電源を使いたいのですが」と店員に声をかけたほうがよい雰囲気も。長時間の作業にはやや気がねしてしまいそうです。

自宅が仕事が基本の物書きにとっても、この喫茶店の電源供給は非常にありがたいサービス。自宅で原稿書きがはかどらない場合、街なかでの作業は気分転換にもなり、仕事が捗ることがあるからです。家で勉強に集中できず予備校の学習室や学校の教室で勉強をする受験生の心理と似ているかもしれません。

電源利用可能なマクドナルド店舗などの情報がある「マクドナルドforモバイル」はこちら。
http://mac.af-e.net/

喫茶室ルノアールの店舗検索はこちら。各店の情報を見ると「携帯電話充電と電源サービス」の有無がわかります。
http://www.ginza-renoir.co.jp/renoir/index.htm
同じ銀座ルノアール系列のニューヨーカーズカフェやカフェミヤマでも電源供給をしているお店があります。
| - | 23:59 | comments(0) | -
(2008年)6月15日(日)は「地球は孤独な存在なのか?」


天文学の観測が進歩したため、宇宙には地球に似た惑星が数多く存在するということがわかってきました。

地球に似た星が存在するということは、生命がいるかもしれないということ。では、その星に人間のような“宇宙人”はいるのかというと、それはまた別の話。“宇宙人”の極めて可能性は、例えばバクテリアやコケなどの生物が存在する確率よりもはるかに低くなるのだそうです。

というのも、この地球に人間のような生物が存在すること自体、何十億年の生物の進化のなかで偶然を重ねてできた確率で表せるものだから。

では、人間のいる星「地球」とは、宇宙のなかで孤独な存在なのでしょうか。

この催しものに行くと、その答が聞けるかもしれません。

(2008年)6月15日(日)13時30分から、東京・港区の青山ブックセンターで「ヤノベケンジ(アーティスト)×井田茂(惑星科学者) トークショウ『“宇宙” ウルトラクエスチョン〜地球は孤独な存在なのか?』」が開かれます。

現代社会におけるサヴァイヴァルをテーマにした作品を作ってきた芸術家ヤノベケンジさんが、NHK「爆笑問題のニッポンの教養」などにも出演している惑星物理学者の井田茂さんに「宇宙って何?」という疑問をぶつけます。

6日(金)より同店で開かれる、ブックフェア「日本科学未来館 Science Book Cafe『おもいきり遠くへ行ける本』」に関連した催しもの。どんな本が並べられるか楽しみです。

「“宇宙” ウルトラクエスチョン〜地球は孤独な存在なのか?」は、6月15日(日)13時30分から15時30分まで、青山ブックセンター本店のカルチャーサロン青山にて。入場料は500円。お知らせはこちらです。
http://www.aoyamabc.co.jp/10/10_200806/science_book_caf_2008615.html
| - | 23:59 | comments(0) | -
大学の“目的”化


人間のほとんどの行為は、“目的”か、“手段”か、あるいは両方かに分けることができるといいます。

たとえば、野球観戦の応援。「応援」というからには、もっぱらひいき球団が勝つための“手段”でした。しかし最近では、応援の振りつけは多種多様。「体を動かし声を出して発散する」という“目的”を果たすために外野席に陣どる客も多いのでは。

似たような話は、大学での講義の受講という行為についてもいえそうです。

建前としては、学生が大学に入学して講義を受けるのは、大学を卒業して社会に出たときに通用する知識を身につけるため。つまり大学で学費を払って講義を受ける行為は「未来の自分への投資」として見ることができます。

ところが最近の大学では、講義の受講が“目的化”している傾向が強くなっているという見方もあります。

ちかごろは、これから社会に出ていく若い学生のほかに、たとえば会社づとめ引退後に大学に再入学して講義を受ける人も多くなっています。少子化でどの大学も多くの学生を入学させたいという思惑も手伝っているのでしょう。

いっぽう、講義を担当する教授たちの間にも生き残りのための競争原理が働きはじめました。学生の大半が眠っていても気にしないという授業はしづらくなってきているかもしれません。

こうした流れの結果、起きるのが“講義の目的化”です。

吉本興業のお笑いを見て「これからの人生に役立てよう」と思う人はあまりいないでしょう。お笑いは、その場で笑って楽しいときを過ごす“目的”のためにあります。

おなじように、教授の興味深い話を聞いて「今日の授業も楽しかった」と満足していれば、それは授業を楽しむことが“目的”となります。

これは「未来の自分への投資」とは反対にある「いまの自分への消費』といえます。

おなじ教室のある講義に対して、“手段”として受ける学生もいれば、“目的”として受ける学生もいるということです。混在しても問題なく講義が成り立つのは、学生があまりこのことを意識していないからかもしれません。
| - | 23:59 | comments(0) | -
科学ジャーナリスト賞2008 田辺功さん 古賀祐三さん
「科学ジャーナリスト賞2008」では、おととい・きのう紹介した書籍3作品への受賞のほかに、新聞連載とウェブ作品に対しても賞が贈られました。

前朝日新聞論説委員の田辺功さんへの賞は、新聞連載記事『それ本当ですか? ニッポンの科学』をはじめ、長年の科学ジャーナリストとしての活躍に対して。朝日新聞の連載で、巷でいわれているBSEや携帯電話電磁波などの“非科学”的な部分に斬り込みました。

以下は田辺さんの受賞あいさつです。


市川誠さん撮影

本日はありがとうございました。

朝日新聞で40年間、一貫して科学記者あるいは医療記者でした。フリー記者になりましたが、口に悪い元同僚は「田辺さん、前からフリーだったでしょ」と言います。朝日新聞の外のフリーランサーになることになりました。今後ともよろしくお願いします。

科学部は新聞社では少数派で、その科学部でも私は少数派でした。審査員の方に賞に選んでいただき、多数派になった気分です。賞とはまったく無縁でしたし、好き勝手にやっていました。

科学記者あるいは医療記者として、もっとも強く思っていることは「日本はほんとうにに上から下まで非科学の国だ」ということです。朝日新聞への入社面接のとき「科学の記事をどう思うかね」と聞かれました。「惨憺たるひどいものだ。非科学の固まりだ」と思いました。その思いを40年間、伝えたいとやってきました。残念ながらいまも非科学のほうが強い。新聞社の中では限界があります。

政治面や社会面の記者は、科学を知らないことを自慢しています。経済担当も科学的な技術をまったく知らない。経済紙を見て「なるほど」とわかる事態が、今日まで続いているのは嘆かわしいことと思っています。

「それ本当ですか? 日本の科学」は、ほんとうは「日本の科学」でなく「日本の非科学」でした。国の政策自体に非科学的なことがある。科学者がほんとうに科学を理解し、あるいは科学に准じてやっているかといえるか。政治、カネ、絡み合いがあるなかで、科学的エビデンスが歪んでしまっているということが、日本の問題だと思っています。

連載では、BSEや携帯電話の問題をとりあげました。いま、日本でペースメーカーを入れている人の胸に携帯電話をあてて発信しても、それで変調をきたす機種は一機もない。研究者は実際に実験してはいますが、それは90年代以前に作られた、日本でほとんど使われていない機種です。十何年使い続けるなどありえないような条件を与えて「ひょっとしたら人に影響があるかも」という話です。「ペースメーカー友の会」の方々に聞くと「自分も携帯電話を使っている」と言います。国民はああいう車内放送を毎日聞いていると、そう思うようになってしまうんですね。そうした社会になっていると思って、記事を書きました。

読者からはかなりの反響が来ました。むかし、記事を書いたとき、抗議的な資料が高さにして7、80センチ分届きました。「きみ、そういった記事は書いてくれるな」と社内で言われて2、3年まったく書きませんでした。ペースメーカー問題とBSE問題それぞれに対して、今回も30センチ分の抗議が来ました。

しかし、ペースメーカーを入れてゴルフをやっている人が1級(障害者)に認定されている。そんな馬鹿げたことをしている国はありません。巨額の税金がそのために出ている。本当に障害がある人を障害認定することは必要です。しかし、その必要のない人が……。

いろいろ言いたいことはあるのですが、これでやめます。フリー記者として、新聞記者では書けなかったことをこれから書いていきます。みなさんのご支援ご協力をお願いします。どうもありがとうございました。

古賀祐三さんは、有限会社遊造代表。インターネットで生のオーロラ映像を配信する「LIVE! オーロラ」というサービスなどを行っています。この活動に対して賞が贈られました。古賀さんの受賞あいさつです。


市川誠さん撮影

栄誉な賞をいただきありがとうございます。

受賞のご連絡をアラスカの観測所のメンテナンス中にメールでいただき、非常に驚いたことを覚えています。

せっかくですから、年末テレビ局に取材していただいたときの、オーロラの映像がありますのでご覧ください。

(映像に会場が拍手)

「サイエンスコミュニケーション」には微妙なニュアンスが含まれています。2年前、北海道大学科学技術コミュニケーター養成ユニットの臨時講師によばれたときも、いまも聞かれるのが「どうやって食べていけるか」ということです。私から見ると、どうやって稼ぐかは関係ない。やりたいことに対して食べていける方法を作ればいいという考えです。

サイエンスコミュニケーションと啓蒙活動は、私はまちがいなく異なると思います。現場の人が一般の方々の性格や求めていることを知ることは重要と思います。ブログやメールマガジンでの対話をふくめ、いろんな方々と話すことを重要視しています。実際の声を聞くといろいろなことがわかります。お酒の席で「オーロラに関する仕事をしています」と言うと食いつきがよい。でも、オーロラは思いのほか難しいもので、わかりやすく伝えようとしても、みなさん引いていくんです。この状況はなかなか変わりません。

ただ今回の受賞をきっかけに、多くの方々に活動を知っていただきました。間接的な影響がどれほどあるかわかりませんが、諸先輩方、高名な方々に対しても、何かの役に立てるのかもしれないと思っています。これからもがんばります。ありがとうございました。

各受賞あいさつとも、世間に訴えたい主張が込められていました。受賞者のみなさん、おめでとうございます。

次の科学ジャーナリスト賞は、2008年4月から2009年3月までに発表された作品が対象となる予定です。

日本科学技術ジャーナリスト会議ホームページ「科学ジャーナリスト賞」はこちら。
http://jastj.jp/?p=94
| - | 23:59 | comments(0) | -
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