科学技術のアネクドート

科学ジャーナリスト賞2008授賞式 海堂尊さん 松永和紀さん
科学ジャーナリスト賞2008の受賞者は、きのう紹介した大賞の宮田新平さんのほか、海堂尊さん、松永和紀さん、田辺功さん、古賀祐三さんが「科学ジャーナリスト賞」を受賞しています。

海堂尊さんは、医学博士号をもつ作家。2005年には『チームバチスタの崩壊』で「このミステリーがすごい!」大賞を受賞。これは『チームバチスタの栄光』として、本と映画化されました。

今回の受賞作は『死因不明社会』というノンフィクション。日本の解剖率の低さは、犯罪行為や児童虐待すら発見できない問題であるとし、剖検前に画像を撮影するAi(Autopsy imaging)を提唱しました。

以下は、海堂さんのあいさつ。


市川誠さん撮影

賞をいただきありがとうございました。

『死因不明社会』は単純な内容です。遺体を知らなければ医学情報はわからず、死因はわかりません。解剖でしか死因がわかりませんが、現状は実施率1%なので、「死因不明」がほとんどです。これが日本の実体です。ジャーナリストのみなさんに、キャンペーンでこの問題を書いていただけると助かります。

解剖が行える人員は、法医学者が120人、病医院関係者が1000人という現状です。病医院で行われる解剖には、国からの費用が出されず、25万円程度のもちだしになります。費用が付かないということは、人材が育たないということです。巡り巡って市民社会にとってものすごいマイナスになります。

この話がなぜ問題解決に進まないか。デメリットをこうむるのが声を出すことはできない、亡くなった人々だからです。生き残ったご遺族は弱い立場にいるので強い声を出すことができなません。健康な人がしっかり考えるべきと思っています。

日本のシステムは、利権がないと動かないというのが実感です。最たるものが厚生労働省です。また、メディアの方に訴えてもその人には理解してもらえます。でも、記事にするとなると直接聞いていない人が「そんなの記事にならない」と言い出します。

賞をいただいて力づけられました。こういうことを感じ取ってもらう人が多いと感じたからです。

「解剖の代替法として、Aiを導入しましょう」というのが本の趣旨です。国が認めればかんたんに実現します。医療現場は“アイドリング状態”なので、あとは費用をいただくだけです。年間200億円の予算は大きい額に思えますが、全国民が死因を確定できます。安い出費だと思います。国全体で考えればできると思います。

法務省は「裁判員制度にAiが必要」という感じでした。しかし、費用の話になるとうやむやになります。費用を出さないと医療現場がいっそう疲弊します。医療費からこれを出せば医療費増額を、増額できないならきちんとした別の費用を。(経済的な)利益を生まない制度には国家が投資するしかありません。

こうしたことを、ジャーナリストの方に外に向けて発信していただきたいと思います。Aiを日本に根づかせたいと思っている人々の思いが通じたのだと思います。

また、科学ライターの松永和紀さんには、『メディア・バイアス あやしい健康情報とニセ科学』の著作に対して賞が贈られました。松永さんは仕事で欠席だったため、あいさつが代読されました。

科学ジャーナリスト賞の授与に対し感謝申しあげます。

『メディアバイアス』では、マスメディアの歪んだ報道の現状を書きました。なぜこのような本を書いたかを説明するには、私の新聞記者としての経験を申しあげなければなりません。

科学部に在籍したことがなく、夫ともに九州で子育てをしながら、記者を書いてきました。地方紙の記者は何でもやります。農業、福祉、医療、さまざまな分野を広く浅く取材し、止まり勤務のときは火事場にも事件現場にも駆けつける日々でした。科学知識のない一般読者と接する機会も多くありました。

一般読者にとっては、科学面はそもそも面倒なものです。社会面も経済面、家庭面などで書かれる残留物や食品添加物、環境ホルモンの記事から科学情報を受けとります。

しかし社会部、経済部の記者は「専門知識をもたないのが解」ということを聞きます。その結果、科学的にみれば首を傾げざるをえない記事、主観に満ちた記事ができます。私自身、取材でそんな記事を書いた覚えもあります。

では科学面を読みそうもない普通の人々に基本的な科学技術に関する知識をどう伝えるか、どう私は責任を負うべきなのか。これらは記者時代の大きなテーマとなり、結局は新聞記者をやめフリーの科学ライターになることにしました。

それから9年。メディアバイアスは私の集大成です。

「科学技術に感じる様々な疑問や不安を平易に解き明かしたい。科学への深い関心を、くらしのなかから掘り起こしていきたい。市民自身の努力で培われる目がメディアを育てるのではないか」。そう思いながら書きました。出てきたことは科学的には先端でも高度でもなく、お世辞にもスマートとはいえないことです。

そんな思いをJASTJのみなさんが思いがけなく認めてくださり、科学的読み物として評価してくださいました。望外の喜びです。研究者や企業人、行政万など多くの人々への感謝の気持ちでいっぱいです。地に足をつけて取材していきたいと思います。

私にもバイアスがあります。判断ミスから一面的な報道をしてしまうこともあるでしょう。そんなとき、私を支えてくれた人たち、集まりのみなさん、読者が「ちょっとおかしいよ、こんな見方もあるよ」と指摘くださるとよりよい原稿につながります。それを目指して、まじめな努力を続けたいと思います。ご指導よろしくお願いします。

あすは、もう二人の受賞者を紹介します。
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科学ジャーナリスト賞2008授賞式 宮田新平さん「ひとこと、うれしい」


きょう(2008年5月30日)東京・内幸町の日本記者クラブで「科学ジャーナリスト賞2008」の授賞式が行われました。主催は日本科学技術ジャーナリスト会議。

この賞は、優れた科学ジャーナリストの仕事を顕彰するもの。今回は2007年4月から2008年3月までに世に出た作品が対象です。大賞は、医・科学ジャーナリストの宮田親平さんで『毒ガス開発の父ハーバー 愛国心を裏切られた科学者』の著作に対して贈られました。

この本は、ドイツのユダヤ人科学者で、ノーベル化学賞受賞者のフリッツ・ハーバーをとりあげたもの。第1次世界大戦のときに勝利に貢献しようとしたハーバーは、後に祖国から裏切られることになります。

以下は宮田さんの受賞のあいさつ。


市川誠さん撮影

ありがたく賞を頂戴します。

私は「後期高齢者」を代表するものですが、じつは、この本は私が「前期高齢者」のときに作ったものです。(この題材に取り組もうとしたのは)20年か30年ぐらい前。実際に取りかかったのは13年ぐらい前でした。まず資料を読むことから始めました。いろんな問題が社会には入ってきており、それこそ女性の社会的地位などの問題も入ってきました。

対象が外国人なので、調べることが大変です。そこで実際のハーバーの足跡を追って、ドイツまで行きました。日本語は通じないし、ただ散歩しただけに過ぎないかもしれない。

でもその中でカルツレー大学やベルリンなどに行き、ドイツの人やヨーロッパの人たちも取材に来ているということを知ったことが大きな収穫でした。古戦場にも行きました。街には白い墓がいっぱいでした。何しろ50万人が死んだんですね。それで、3年ぐらいそこに行きました。

なにを書くか、迷いに迷いました。私もバルザックなみに1行を書くのに2年間も迷っていました。ハーバーの資料を読んで、もうそろそろ書けると思っていました。それが3年前です。ところが、山から落ちて大けがをして、もうおしまいかと思いましたが、幸い1年間でどうにか元に戻りました。人生、無駄なことはなく、看護婦さんの夜勤とか、みなさんの献身的な努力をまざまざと見せられました。医療というものは助け合いであると思いました。

(取りかかってから)10年も経ち、「もういいや」という感もあったのですが、せっかくここまでやったのだからということで、朝日新聞の編集者に出してくださいと言ったら、この出版不況の中で原稿をとりあげてもらいました。本にはたくさんめずらしい資料を入れています。

受賞のお知らせを受けてから今日まで「実際、授与式でどんな気持になるか」と思っていました。いまやっとわかりました。一言でいえば「うれしい」ということです。
私は、中身が正確かどうかがいちばん気になるのです。ことに(選考委員の)白川英樹先生などの専門家に見られるのはどうなのかと思っていました。でも今日は家宝になる言葉をいただき、もしかしたら低空飛行でパスさせていただけたのではと思い、ほっとしています。それがうれしいことの一つです。

もう一つは、賞金がないことです。この科学技術ジャーナリスト会議の兄弟組織である医学ジャーナリスト協会で、私は5、6年前まで、マネジメントをしていました。途中で「医学ジャーナリスト賞」を作ろうという提案がありました。こちらの科学ジャーナリスト賞が賞金がないということで、よい前例を作ってくれました。ぜひとも、医学ジャーナリスト賞もつくったらどうかと思います。

最後におわびを申しあげます。この科学ジャーナリスト会議ができたときは、私も会員として参加していました。でも、サボっていました。明日から心を入れかえて戻りますので、どうぞよろしくお願いします。
ありがとうございました。

あすとあさっては、科学ジャーナリスト賞受賞者のあいさつをお伝えします。
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温暖化より早く「緑の回廊」を


地球温暖化が進んだ場合、森林への影響が考えられます。そこで鍵を握るのは「緑の回廊」。

日本は緑が豊富といわれます。とはいえスギやヒノキの人工林も多く、自然の森林は飛び飛びの状態。この状態でもし地球温暖化が進むと、どうなるのでしょう。

比較的暖かい環境で育ってきた樹木は、温暖化とともに生息域を南から北へと移していくでしょう。ところが、いま自然の森林は分断されています。つまり、樹木の種が北へ北へと向かおうとしても、自然の森林が続いていないために移動できないのです。

となると、いま孤島状態にある自然林の生態系は、急激な環境の変化に付いていけなくなります。

この問題を解決するために考えられているのが「緑の回廊」の整備です。生態系が北へと移っても行き止まりにならないよう、人工林を自然林に戻して通り道をつくるという考え方です。

しかし「言うは易し、行うは難し」かもしれません。人工林を自然林に戻すには年月が必要。また人工林は林業で使われていて、それなりの経済的な価値もあります。

いまのうちに予防的に森林への投資をするか、事が起きてから対応策として投資をするかの選択です。日本では、松林がもたらす経済的利益よりも、松枯れを防除する対策費のほうが上回っている状況があります。

林野庁「国有林野ホームページ」に、緑の回廊の紹介がされています。
http://www.kokuyurin.maff.go.jp/Kokuyu_Natural_Page03.html
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聞かぬがキャプション論(3)


キャプション論の3回目です。きょうは、ありそうでなさそうな「本文とは関係ないキャプション」について考えます。

ほとんどの本や雑誌には、本文があります。本文は書物の本体をなす構成要素。見出しがあるのも、目次があるのも、四色刷りにするのも、本文で書かれてあることを読み手に読んでほしいからということもできるでしょう。

図表と図表に付くキャプションにもその鉄則は当てはまります。第1回目の「本文の内容を補足説明するキャプション」は、まさに本文を読みやすくするためのキャプション。第2回目の「本文と関係するものの別の情報が載ったキャプション」は、やや本文からはぐれるものの、本文の関連情報をいう意味では、本文の結びつきは依然としてあります。

では「本文とは関係ないキャプション」とはどういうものでしょう。

第1回と第2回で見てきたサイモン・シンさんの『ビッグバン宇宙論』(青木薫さん訳)にそれがないかくまなく見ました。結果、見当たらないことがわかりました。

通例、書籍や雑誌には、意識的にも無意識的にも本文の情報に読者を集中させたいという意図が働くもの。なので、第1回目または第2回目のようなキャプションの位置づけがほとんどです。

しかし、探せば「本文とは関係ないキャプション」も見つかります。

出版社勤務時代、大学の研究者を15人ほど取材してそれをまとめた本を編集しました。山梨の大学を取材してもらった書き手さんに、写真とキャプションを選んでもらったところ、次のような写真とキャプション原稿が届きました。

写真は富士山の景色。

キャプションは「勉強が得意なら東大や京大もいいけど、ウチは人数も少ないし環境もいいし、オトクだと思うよ」

取材した先生は生物学の研究者で、本文の内容も昆虫採集などでした。

なので、富士山の写真とそのキャプションは本文とは関係ありません。よく考えれば富士山の写真とキャプションとの関係もありません。

けれども「こういうキャプションの使い方もあるのだ」と勉強になったものです。校正刷を眺めていると、ぎゅっと集中した本文とそれに関連する写真やキャプションの中で、上の写真とキャプションだけが、“息抜き”的な材料になったのです。

図版でいえば、本文とあまり関係ない挿絵が入る場合がたまにあります。この書き手は、それをキャプションでやってのけたのです。

本屋で客が本を手にとったとき、表紙の絵柄を見て、書名を見て、目次を見て、本文を少し読んで、という感じで品定めが進んでいきます。その序列でいえば、キャプションは下から数えて何番目ぐらいの要素かもしれません。

されどキャプション。

「神は細部に宿る」といいます。きちんと考えられたキャプションかどうかは、細部まで丁寧なつくりの本であるかどうかの指標にもなりそうです。(了)
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聞かぬがキャプション論(2)


第1回はキャプションの位置づけのうち「本文の内容を補足説明するキャプション」について考えてみました。

キャプション論の2回目です。

本や雑誌のキャプションを見てみると「本文と関係するものの別の情報が載ったキャプション」があります。今回も科学ジャーナリストのサイモン・シンが著した『ビッグバン宇宙論』(青木薫訳)から事例をとりあげます。

イタリアの天文学者ガリレオ・ガリレイが1610年、木星の四つの衛星を初めて恒星ではないと認識したときの様子を説明した箇所です。まずは本文。
ガリレオはたまたま木星の近くに四つの星が見えたのだろうと考えた。しかしやがて、それらの天体は木星の周囲で動いていることがわかり、恒星ではないことが明らかになった。四つの天体は衛星だったのだ。
この文に関連して、ガリレイがスケッチした木星の衛星の図が「図16」に示されています。そのキャプションを見てみましょう。
図16 木星の衛星の位置変化。ガリレオによるスケッチ。円は木星を表し、左右に打たれた点は衛星の位置変化を示している。横線は、ある日時に行われた1度の観測を表し、一晩に1度または数度の観測が行われている。
このキャプションの文はガリレイのスケッチの方法や様子が説明されています。ガリレイの木星衛星の発見という文脈の中に含まれているものの、本文で示された「ガリレイは木星の近くの星が恒星ではないことに気づいた」という情報とは別の情報です。

この種のキャプションが生まれる経緯には、次の二つがありそうです。

一つは、本文から外した結果としてのキャプション。はじめはキャプションの文も本文中に組み込んだものの、字数制限の関係上、あるいは本文に入れるには詳細すぎるといった都合上、キャプションに回したというものです。

もう一つは、図を用いてさらに関連情報を加えたいと考えてつくられるキャプション。一つ目と区別は付きづらいものの、こちらのほうがより能動的といえるかもしれません。

次回は最終回として、キャプションの三つ目の種類「本文とは関係ないキャプション」について考えてみます。つづく。
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聞かぬがキャプション論(1)


いつの時代も“文章論”や“文章指南”の本は世に出されますね。

文をうまく書きたいと思ったら、文章指南書をむさぼり読むというのも、ひとつの手かもしれません。読んで「指南どおりに自分も書いてみたい」というやる気がでればしめたもの。

もっぱら文章論には関心が寄せられるようです。いっぽう“キャプション論”という言葉は、あまり聞いたことがありません。

キャプションとは、写真や図表に添える説明文のこと。新聞・雑誌の見出しも「キャプション」とよばれますが、ここでは図版の説明文に絞ります。

キャプションの別名は「ネーム」。ただし、ネームだと、いろんな意味に捉えられてしまうためか、「ネームが、ネームが」といっている編集者や物書きをあまり見ません。「図3 100年間の地球の温度変化」といった、図の「名」をよぶときは「キャプション」より「ネーム」のほうがふさわしそうですが、図の名前には「図タイトル」といった別の用語があります。

キャプションは図の説明をすることが目的。その位置づけには三種類あるようです。キャプションをとりわけ大切に扱う人物の一人に、科学ジャーナリストのサイモン・シンがいます。『ビッグバン宇宙論』という著書をもとに、このキャプション三種類を考えてみます。訳者は青木薫さん。

一つ目は、本文の内容を補足説明するキャプション(と図)。つまり、言葉の説明だけだと難解な概念について図で説明するとともに、さらにその図をキャプションで説明して説明を加える類です。

次のような本文があります。
図41は、ケフェウス座デルタ星の明るさの変化をグラフにしたものである。もっとも驚くべき特徴は、グラフの形が対称的になっていないことだ。
「図41」を見てみると、縦軸に明るさ、横軸に時間がとられたグラフの中に、非対称な曲線が描かれています。この図41のキャプションは次のもの。
図41 ケフェウス座デルタ星の明るさの変化。変化は非対称で、明るさはすみやかに増大し、ゆっくりと減少する。
本文で「グラフの形が対称的になっていない」とあるのに対して、キャプションは「変化は非対称で、明るさはすみやかに増大し、ゆっくりと減少する」。本文の情報を、キャプションではさらに詳しく説明しています。つまり、本文の内容を補足説明するキャプションであることがわかります。

では、他にはどのようなキャプションの位置づけがあるでしょう。二つ目は、本文と関係するものの別情報が載ったキャプションです。つづく。
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原子力が日本を揺り動かした(2)


広島と長崎への原子爆弾投下があったにもかかわらず、敗戦後の日本には、原子力の技術を受け入れる空気がありました。

原子爆弾による不幸が、原子力技術利用への反対に向かわなかった。柴田鉄治さんは、その経緯をこう話します。

「不思議なことに、唯一の被害者だった日本国民が(原子力の利用は不幸だとは)考えなかったのです。科学技術を軍事に使ったら大変な悪だが、人類のために使えばプラスになると多くの人は考えました」

B29の爆撃を受けながら戦禍を生き抜いた柴田さん自身も、同じように考えたといいます。

原子爆弾という圧倒的な威力を見せつけられながらも、その直後から日本国民は、原子力を受け入れました。

原子力を讃える戦後直後の新聞報道記事もたしかに存在します。占領下、たしかに米国軍の検閲はありました。とはいえこの“原子力の受容”は、日本人の戦争直後の精神性を推しはかるうえで欠かせない要素でしょう。

柴田さんはまた「科学技術に“恨み骨髄”とはならなかった」ことが、その後の日本の復興にも大きな影響を与えた、とも。

エネルギーとして原子力利用は、いまの日本では賛成・反対が拮抗している状況。これまでの支持率・不支持率は、米国スリーマイル島やソ連チェルノブイリでの原発事故、さらには日本における原発事故のトラブル隠しにより変動しています。

原子力爆弾と原子力発電は、日本人の心のなかでは「それはそれ、これはこれ」というように分け隔てられているのかもしれません。戦争直後の原子力受容の精神性がいままで続いているのか、もともと“きりかえ”の早い精神性をもった国民性なのか…。
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原子力が日本を揺り動かした(1)


「これからのエネルギー源として原子力を利用することにあなたは賛成ですか」。朝日新聞社の原子力利用世論調査の質問です。2002年は賛成44%、反対38%でした。

賛否拮抗の原子力利用。昔はどうだったのでしょう。

きょう(2008年5月24日)の科学ジャーナリスト塾で、元朝日新聞科学部長の柴田鉄治さんが、原子力に対する日本人の姿勢の移りかわりを講義しました。

1978年、同紙初の原子力利用世論調査では、賛成55%、反対23%。1979年12月には、賛成62%、反対21%の差まで広がりました。

ところが柴田さんは言います。「この世論調査が1970年代に始まったのは、それまで賛成が当然で、質問の意味がなかったから」。

1950年代60年代は、世論も新聞も国会も、こぞって原子力利用に賛成だったのです。「鉄腕アトム」で「心やさしいラララ科学の子」と歌われたのも、1963年から66年にかけて。

時をさかのぼるほど、原子力は希望の象徴と考えられていたのです。柴田さんが新人記者として水戸支局に配属された1959年は、東海村で原子力研究所が発足して2年。街の様子を柴田さんはしみじみ語ります。

「最寄り駅から研究所までの道は紅白幕で飾られ、小学生が旗行列。地元名物は『原子力饅頭』でした」

さらにさかのぼれば戦争の時代。日本の敗戦は、広島と長崎に原子爆弾を落とされてのこと。両都市で21万人の命が一瞬に奪われています。

けれども、大量の犠牲者を生み出したにもかかわらず、戦争直後の日本では原子力がいま以上にもてはやされていたのです。なぜなのでしょう。

柴田さんは自説を話します。つづく。
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博士たちが語る博士課程の魅力


日経BPが「リガクル」という叢書を出しました。 第1号は「東京大学の今がわかる本」。

研究大学である東京大学のなかでも、文学部とともに純粋学問の色合いの強い「理学部」を紹介した内容。「OBが語る 企業の雄が東大生を激励」と「博士課程へ行こう!」という記事を担当させてもらいました。

「博士課程へ行こう!」という題はあるものの、もちろん大学院に進んで、さらに後期となる博士課程に行こうが行くまいが、本人の自由です。しかし博士課程まで進んだ東大生に取材すると、博士課程でしか味わえない学びの魅力というものが見えてきました。

修士課程はよほどのことがないかぎり、教授の指導に従ってそれなりの論文を書けば修了できる…。他大学と同じく、東大でもこれは当てはまるようです。

しかし博士課程になると様相はがらっと変わります。ふつう、博士課程の期間は3年。でも、論文審査で通らなかったり、もともと4年計画で臨んだりで、3年で博士課程を修了しない人もかなりいるようです。

これを考えれば「博士課程って厳しい。研究って大変」ということになります。実際、博士課程での研究は厳しいし大変なのでしょう。その学問が進歩するような発見でなければ、博士課程の研究成果ではなにともいいます。

しかし、過程がつらいほど、目標を成し遂げたときの達成感は強いのでしょう。マラソンや原稿書きと似ているかもしれません。

実際に東大理学部で博士号を得た人はこんなことを言っています。

「博士課程の3年間は深さが違いました。……研究をやり遂げた達成感は、修士論文のための研究よりも博士課程のときのほうがはるかに大きい」

学ぶことが本当に好きな人であれば、博士課程の約3年間は、人生のなかでの悦楽でもあるようです。

日経BP『リガクル 東京大学理学部の今がわかる本』の案内はこちら。
http://ec.nikkeibp.co.jp/item/books/K00830.html
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(2008年)5月27日から「古町風歩」展


お知らせです。物書きのほりみちよさんから「古町風歩」展の案内が届きました。5月27日(火)から6月22日(日)まで、東京都新宿区津久戸町のココットカフェで。

「古町風歩」は、ほりさんやほりさんの仲間たちがつくりつづけている、小さな写真随筆集。一編ごとに「神楽坂」や「有楽町」といった東京の街をとりあげ、ほりさんたちがそこで見たり感じたりした情景をしみじみと綴ります。

文章も写真も洞察するどく、街の個性を詩的に描き出しています。

 千住は流れ、移ろいゆく町。
 荒川と隅田川にはさまれて。
 土手の緑は生きてるしるし。
 走って、転んで、すべってく。

 千住は裸になれる町。
 銭湯と呑み屋の、ハーモニー。
 赤い顔して、にんまりと。
 江戸の喜びここにある。
 (北千住編より)

届いた案内には「東京の古い町を 風のように 足跡をつけずに 歩きませう。」

今回も、おそらく前回と同様、写真を引きのばしで紹介し、文章を付けるのでしょう。

「古町風歩」を味わえば、人とおなじように街には顔があるということが分かります。その街は、顔のある人がつくってもいるのですが。

「古町風歩」展は、5月27日(火)から6月22日(日)まで、新宿区津久戸町3-12のココットカフェで。平日は12時30分から20時30分、土日は12時30分から18時まで。ただし月曜と第1・第3・第5の日曜はお休みです。
ココットカフェのホームページはこちら。
http://www.cocottecafe.net/
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書評した本の選ばれかた


日経BPオンラインの「超ビジネス書レビュー」に『町人学者 産学連携の祖 淺田常三郎評伝』という新刊の書評を寄せました。

淺田常三郎(1900-1984)は大阪生まれの物理学者。大阪大学創設のころから、物理学の名教授として講義は人気。盛田昭夫ら、後に著名な経済人になる弟子を、つぎつぎと産業界に輩出しました。

書評で鍵となる言葉は「産学連携」。産業界と学術界がビジネスで手を組むこの形態は、ここ5年ほどよく聞きます。でも、日本の歴史は古いもの。江戸の学者・平賀源内がうなぎ屋に「夏に売るとよい」と提案したことが産学連携のはじまりという説もあるようです。

淺田の産学連携も、現在のような、契約書や機密保持といった形式ばったものではなく、師の淺田と弟子の企業社員が膝をつきつめて、「ああでもない、こうでもない」と話し合っていた雰囲気です。プロジェクトを組むときの「個」と「個」の結びつきの大切さを思い返させてくれる本でした。

書評記事の本はどのように選ばれるのでしょう。媒体によって様々ですが、この書評の場合、こちらから「こんな本を評したい」と3、4点提案する中から選ばれるとき、編集側から「注目を集めているこの本にしませんか」「ぱっと見おもしろそうなのでいかがですか」といった提案を受けて、書き手が返事するときがあります。

この『町人学者』は、担当編集者さんの提案から。こうして一人の大阪人と、場所と時代を超えて巡り会うことに。

過去に読んだ本の中からから「こんな本がありますよ」と提案できれば中味もわかるからよいでしょう。しかし多読しないと、いつかは読んだ本より選ぶ本のほうが過多になります。そうした場合は本の「目利き」が必要に。

ただ、目利きでも、本をどれだけ多く読んできたかがものをいうのでしょう。本屋などでぱっと見たときに「この本は、前に読んだあの本よりもおもしろいかも」などと、判断をすることができるからです。

おもしかった本があれば、ぜひおすすめしてください。

日経BPオンライン「超ビジネス書レビュー」『町人学者 産学連携の祖 淺田常三郎評伝』の書評はこちら。
http://business.nikkeibp.co.jp/article/life/20080519/157313/
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地下通路から第2ターミナルへ


空港の建物や設備は、一般客が入れる場所や飛行機の姿をのぞけば大部分は殺風景。臨海工業地帯とにた雰囲気があります。

無機質さを一般客が体験できる場所は、成田空港にもあります。

空港への電車経路は、もっぱらJR線または京成電鉄の「空港第2ビル駅」か「成田空港駅」を使うもの。先に空港第2ビル駅に到着する点は、初めて使う客には混乱の種ですが、それはさておいて。

空港をひんぱんに使う方は知っているかもしれません。空港ターミナルへのアクセス駅がもう一つあります。京成電鉄の「東成田駅」です。いまの成田空港駅ができる前までは、この駅がターミナル最寄り駅でした。

京成成田駅から10分ほどで到着します。駅は閑散。2ホーム4番線のうち使われているのは二つ分だけ。駅が頼りにされていたころの名残です。

駅からは第1ターミナルにも第2ターミナルにもたどり着けます。第1ターミナルへは専用バスで。

いっぽう第2ターミナルへの経路は500メートルの長さの地下通路となっています。こちらを進んでみましょうか。

天井か地上の都合によるものか、入口と出口付近に勾配が。旅行用トランクをもっている人には大変かもしれません。

薄黄色で統一された地面と天井と壁を、無数の白色蛍光灯が照らします。側面の掲示板に広告などはほとんど見られません。

通路の途中、最大にして唯一の見どころは曲がり角。東成田駅から200メートルの地点にあります。“遊び”もなく、ただ90度に折れ曲がるところが無機質さを演出。「ポートピア連続殺人事件」みたいです。



その後もただ直進すると、第2ターミナルにたどり着きます。ビルに入るときには検問が。大きな旅行鞄をもっていないと、検査官から「通勤ですか」と聞かれます。

「あの東成田駅からただ歩いてきただけなんですけれど」と答えると…。

「……。見学ということでよろしいですね。身分証明できるものをお出しください」。チェック体制もやはり無機質でした。

きょう(2008年5月20日)は成田空港開港30年。

成田空港は都心との距離が遠く、利用客からはいつも“不便さ”の声が。ただ、その不便さの印象は「遠い」から来るものだけではないのかもしれません。

どこか施設全体に「使えればそれでいいだろう」といった雰囲気を感じる方も多いのでは。この無機質さは「機能的」とはややちがいます。象徴的な地下通路です。地下マニアは喜ぶかもしれないけれど。
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「無策に不満」。でも「主体は政府」。


NHK放送文化研究所が「環境に関する世論調査」の結果を発表しています。ことし2008年7月の北海道・洞爺湖サミットを前に、3月に実施されました。

結果を見ると、“政府に対する環境対策への不満”が浮きぼりになっている点がわかります。

まず、日本の地球環境保護への取り組みを聞いた質問では、「十分すぎる」1.9%、「ちょうどよい」17.0%に対して、「不十分である」が66.3%に。ただ、この質問には“日本全体が”という意味合いが含まれます。

ただ、環境保護に努力しているのは誰かを聞いた質問では、政府と企業を比べた場合、「企業」の40.6%に対して「政府」は9.0%。一般の人々と政府を比べた場合「一般の人々」42.9%に対して「政府」14.3%。いずれも「政府」が大きく下回っています。

環境問題の情報源としても、政府はあまり信頼されていないもよう。「非常に信用している」と「かなり信用している」の合計でもっともポイントが高かった団体は「大学研究機関」で37.1%。「環境保護団体」27.8%が続きます。いっぽう政府は11.0%に過ぎず、逆に「ほとんど信用していない」と「全く信用していない」の合計では、6団体中もっとも高い30.9%となりました。

結果を並べると、政府への落胆や不信が多いことがわかります。しかし「環境保護の主体はあくまで政府」という市民の意見を示す結果も。環境保護は誰がすべきかを聞いた質問の結果を見てみると…。

「たとえ一般の人々が正しい選択をするとは限らなくても、環境をどう守るかについては政府は干渉せず、一般の人々の判断に任せるべきである」が8.8%だったのに対して、「たとえ一般の人々が持つ自ら決定を下す権利を侵害するとしても、政府は一般の人々に環境を守らせるための法律を制定すべきである」が64.0%にもなりました。企業と政府のどちらに環境対策を任せるべきかを聞いた質問でも、似た結果が出ています。

環境問題に対する政府の無策ぶりに不満を抱いている、といった市民の気持ちが浮かび上がってきます。

この要因として考えられるのは、京都議定書の第一約束期間にすでに入っているにもかかわらず、温室効果ガスが基準年比マイナス6%にむけためどが立っていない、という不満があるのでしょう。

京都議定書基準年の1990年は、ロシアやヨーロッパ諸国に比べ、すでに日本では温室効果ガスの抑制技術がかなり極められていたといわれています。議長国の面子もあったのでしょう、基準年で比べたら他国より厳しい宿題を背負うことになりました。「よく絞ったぞうきんを、さらに絞れと言われたようなもの」との見方も。

「政府は無策。もっと主体になってもらわなければ」という世論を、政府はどのように受け止めるでしょうか。もしかすると、いちばんがっかりしているのは政府かもしれません。

NHK放送文化研究所「環境に関する世論調査」の結果はこちら。
http://www.nhk.or.jp/bunken/research/yoron/shakai/shakai_08051901.pdf
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嫌な悪寒


風邪を引いたときには、いろいろな症状が出ますね。熱、鼻水、咳、喉の痛み…。そのどれもが気持ちのよいものではありません。

意識調査を行ったわけではありませんが、“悪寒”も、避けたい風邪の症状の上位にくるでしょうか。

発熱型の風邪では、熱の上がりはじめに、体が寒気を感じてぞくぞくします。これが悪寒。

からだに風邪を起こすウイルスなどが入りこむと、白血球が反応して発熱物質をつくりだします。その発熱物質が脳に送られると、脳は、暖かいと認識する神経細胞の活動を抑え、寒いと認識する神経細胞の活動を活発にします。体温調節をつかさどる脳の部分が「熱を体にこもらせよう。熱を体から放つまい」とし、熱が上がっていきます。

この体温が上がっていくときに、寒気、つまり悪寒を感じるのです。

自分の体温が36度から38度に上がれば、相対的な気温は2度下がります。しかし、体温が2度上がるのと同じように部屋の温度を2度上げても、もしくは先回りして部屋の温度を4度上げたとしても悪寒は起きるもよう。身のまわりの暖かさに関係なく、とにかく体の内側からぞくぞくしてしまうということでしょうか。

このぞくぞくには、医学的な名前もついていて「悪寒戦慄」というのだそう。「悪寒」に加えて「戦慄」とは、もう嫌になりますね。ちなみに「戦慄」は「わななき」とも読みます。

悪寒は熱の上がりはじめ、つまり風邪の引きはじめに起きます。これから風邪が本格化するという、悪化の一途をたどるときの症状であるため、余計に嫌になる症状かもしれません。

参考ホームページ
http://www.igaku.bz/z995.htm
http://dokutoruyo.com/toyoigakusindan55.html
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蝶がつくる道


鹿や猪などが、森を何度も行ききしているうちにできる道は「けものみち」。でも大きな動物だけが道を作るのではないようです。

蝶が「蝶道」を作るという話、聞いたことがあるでしょうか。

森や山の中には、蝶がきまって通る空間的な道筋があるといいます。とくにアゲハチョウ科の蝶がよくつくる道なのだそう。

東南アジアでは、蝶の数が多いためさらにはっきりと蝶道が目に見えるのだとか。たとえば山の頂上に立ち、ふもとの森のほうに眼を凝らすと、そこに一筋の線がはっきりと視界に飛び込んでくるようです。

解剖学者の養老孟司さんは蝶道の目撃者。科学ジャーナリスト塾の講演で、ベトナムの山で見た、カワカミシロチョウがつくる蝶道の光景を話していました。

「一本の紐がずっと麓から私のいる山のてっぺんまで来ます。空が真っ暗になります。山のてっぺんでその紐は一瞬にして完全にばらけました」

森の中で白い蝶が紐をつくる様子はさぞ幻想的でしょう。しかし、蝶道にも科学的な解釈ができるようで、つづけてこう話します。

「蝶の眼に、光る場所が入ってくる。その光に対して蝶が小さな脳で演算すると、どういうふうに筋肉を動かすかの出力がされます。蝶は同じにできていると、みな同じ羽ばたきになるので、結果的に同じところを飛ぶことになる」

前の蝶を後ろの蝶が追いかけているというわけではないのだそう。このように蝶が機械的な行動に入らせる、ある特定の場所が自然にはあるとのこと。

眼に飛び込むほどではありませんが、日本の自然にも「ここは蝶がよく飛ぶな」と感じられる蝶道があるそうです。こんど公園でよく観察してみてはいかがでしょう。
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書評『暮らしの哲学 やったら楽しい101題』
すいている電車で座りながら読んだりすると、つぎつぎと発想が浮かんできます。

『暮らしの哲学 やったら楽しい101題』ロジェ=ポル・ドロワ著 鈴木邑編 長崎訓子訳 ソニーマガジンズ 2005年 214ページ


仕事で企画を考えたいとき、どうしているだろうか。うんうんうなって絞り出すのも手かもしれないが、考えるための“触媒”として、本を読むのもまた手だろう。

『暮らしの哲学』は、私たちが日常の範囲内でできるけれど、あまりしないようなことを101個ならべて、やってみることを勧めるといった、変わり種の本だ。著者の哲学者ロジェ=ポル・ドロワによれば、この本の目的は“ちょっとしたきっかけをつくる”こと。何のきっかけかといえば、“目覚め”の、である。いいかえれば、自分という殻を破るきっかけが、この本から得られるということだ。

例えば、こんな“やること”が載っている。

「短波放送を聴く」。何を聴くかは考えずに、じわじわダイヤルを回していく。
一秒ごとに、別世界へと移動します。声の調子が変わり、口調が変わり、抑揚が変わる。聞き覚えもしないし、聞き分けようもない何十種類もの言語。いまこの同じ瞬間にしゃべっているこれらの人々から、これ以上ないというくらい近くにいると同時に、これ以上ないくらい遠くにいる。そういう感じがします。
「そんなのあたりまえではないか」で片付いてしまう人もいるかもしれない。しかし、近くにいると同時に遠くにいるという感覚を短波ラジオの前で味わえたら占めたものだ。その効果として「世界中の人々の気配を感じる」ことが得られると書いてある。

「青い食べ物を探す」。
どんな色でもたいていは、私たちの食欲を刺激します。それなのに青い色をしたものはない。水色や藍色の食べ物、まして群青色の食べ物など、目の前にあるだけで胸が悪くなるような感じです。
改めて考えてみると、たしかに不思議だ。ここから先、なぜ青い食べ物がないのかと思いめぐらせてみると、色とは何か、野菜はなぜ緑黄色なのか、本当に青い食べ物はないのか、などさらに想像は膨らんでくる。

著者は「かならず自分で実際にやってみること」と念を押す。もちろん、やってみれば心の新境地が得られるから、発想へと近づくだろう。

しかし、実際にやってみなくても、すくなくとも発想だけは浮かぶようにこの本はできている。101個の題材をやってみるとどうなるか、何が得られるかを考えるだけで、そこから新たな考えが得られるのだ。いや、それは頭の奥底に埋もれていた考えが、この本をきっかけに顕在化する、といった過程かもしれない。

どれも日常生活の根本的な題材だからこそ、逆にどんな具体的な発想にも結びつく潜在性があるのかもしれない。大切なのは、発想しようと思いながら読むことだ。

『暮らしの哲学 やったら楽しい101題』はこちらで。
http://www.amazon.co.jp/暮らしの哲学―やったら楽しい101題-ヴィレッジブックス-ロジェ-ポル-ドロワ/dp/4789724603/ref=sr_1_3?ie=UTF8&s=books&qid=1210957497&sr=1-3
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大学はけっこう早寝


早稲田大学の社会科学部が、来年(2009年)より夜間の授業を廃止し、昼間部に移行することを発表しました。

社会学部は「ここ数年、昼間時間帯の授業選択者の増加傾向が見られ、また、現在検討中の大幅なカリキュラム改革を実現するためには、1時限からの開講が必須との結論に至りました」として、3時限以降の授業時間帯を廃止します。

夜間の授業をとる学生が激減していたことも、昼間の授業への移行の背景にはあるようです。

大学は、どの時間に行っても開かれているかというと、そうではありません。

たとえば、早稲田大学の主要学部が集まる早稲田キャンパスは22時30分に閉門。構内にいつづけることはできるものの、いったん出ると朝まで入れません。徹夜で作業をする学生は、教授との食事会でも22時過ぎに中座して構内に入っていきます。

また、米国などではよく見られる24時間開館の大学図書館とちがい、早稲田大学の中央図書館は22時に閉館。大学院生が使える個室は延長されますが、それも23時まで。

たしかに米国の24時間開館図書館は宿泊施設と化してしまうようです。日本の大学図書館もおなじ状況になるでしょう。しかし、米国の大学図書館を調査した研究者は、24時間開館で働く図書館員の“図書館=消防署”論を紹介しています。「普通は必要がなくても、本当に必要なときにいつでも利用できるというところに意義がある」のだ、と。

人件費や電気代などの運営費も膨らみそうですが、工夫しながら24時間開館を実施している大学図書館が日本にもあります。

旭川医科大学の図書館は、昨2007年12月から学生・教職員と地域医療従事者に365日24時間開放。磁気カードによる入退館管理装置により“無人開館”を行い人件費を抑えています。

4年生までの学部では夜間学生が減っているものの、大学院への重点化などにより、大学に行く社会人学生は増えています。深夜に行っても開いている構内や図書館は、やはりむずかしい希望でしょうか。

参考文献
半澤陽子「米国の大学図書館における24時間開館の実態」『カレントアウェアネス』No.258 2001.02.20
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父が息子に和解の手


今週(2008年5月12日)発売の漫画誌『ビッグコミックスピリッツ』の「美味しんぼ」で、主人公・山岡士郎と父・海原雄山が和解しています。共同通信や毎日新聞がこのできごとを伝えています。

山岡士郎は、東西新聞文化部記者。食の特集企画『究極のメニュー』を担当。父・海原雄山とは少年時代に親子関係を断っていました。雄山の自己中心的性格が母を早世させたと断じてのこと。

しかし、海原雄山も『美食倶楽部』主宰として、帝都新聞の特集記事『至高のメニュー』のメニューづくりを指揮。しばしば両新聞による料理対決で息子・士郎と顔を合わせていました。

主人公の士郎とちがい、雄山は毎号登場するわけではありません。しかし登場するたびに、その圧倒的な威圧感から誌面にも緊張が走ります。士郎の用意した究極のメニューを前に「愚か者めが」とこきおろし、至高のメニューを勝利に導きます。

しかし近ごろの雄山は、士郎への態度を軟化。士郎の妻となったゆう子記者が、士郎と雄山に接近し、和解を模索していたのでした。

今号で、士郎が究極のメニューの最後に出したコーヒーも、海原雄山から差しむけられたコーヒーを手掛かりにつくったもの。士郎は究極のコーヒーを用意し、審査員の唐山陶人から「雄山の送りつけたコーヒーを士郎は乗り越えたんじゃ」と称賛されます。

しかし、親のほうが一歩勝る「美味しんぼ」の基本構図は普遍でした。毎日新聞が“歴史的”と報じた父子和解の場面でも、手をさしのべたのは海原雄山でした。

漫画の登場人物ながら、現実世界でも海原雄山はしばしば比喩の対象に。「あの社長は海原雄山みたいだったよ」といえば「近寄りがたいほど威風ある人なんだな」と伝わる人には伝わります。現実味の強い弘兼憲史作「島耕作」よりも漫画化された個性。ゆえに“荘厳”や“畏怖”を象徴する人物として適役だったのでは。

「美味しんぼ」は、士郎と雄山の和解をもってしばらく休載のようですが、「秋からは、あなたの地元が舞台になるかもしれない『日本全国味巡り』」が始まるという予告も。ゆう子記者の豊かな食後感の表現をふたたび味わえる日が楽しみです。
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2664194号の特許切れ


ある発明をした人は、「特許」という権利を使って一定期間、その発明技術をひとりじめすることができます。もしくは特許を使える権利を他人に売って儲けることも。

ちかごろの特許をめぐる動きのひとつに「特許第2664194号の期限切れ」があります。

この第2664194号は「光電気化学電池・その製法および使用法」というもので、太陽電池のつくりかたの特許です。出願者はローザンヌ工科大学。発明者はミカエル・グレッツェル教授です。

太陽電池にはつくりかたが数種類あり、いま世の中に出まわっている主流はシリコンという半導体の材料を使ったもの。

いっぽう、グレッツェル教授は「色素増感型」という種類の太陽電池の開発において、太陽のエネルギーを電気エネルギーに換える効率を高めました。

色素増感型太陽電池では、酸化チタンという金属の表面に色の成分、つまり「色素」を吸着させます。太陽の光がその色素に当たると、色素の表面の電子が急に高いエネルギー状態になり、酸化チタンの電極へと動いていきます。電極は、電流を流す導線の入口なので、そこから電子は導線を流れていき、風車をまわしたりします。

いっぽう、電子が移動してしまった色素は、ぽっかり電子の穴が空いてしまった状態。電子はいつもマイナスの電荷を帯びていますが、その電子がなくなったため、穴はプラスの状態です。この穴が、まわりにあるヨウ素イオンという物質を三ヨウ化イオンという物質に酸化させます。

ところが、マイナスを帯びた電子が風車をまわしたあと、ふたたび、もういっぽうの電極から色素へと戻ってきました。ふたたび三ヨウ化イオンはヨウ素イオンに戻ります。

これで元どおり。太陽の光が降り注いでいれば、この循環をくりかえします。

1970年代には、スポンジのように穴のたくさん空いた「多孔質」の半導体電極を使えば、上のようなしくみで電気を取りだせることはわかっていました。酸化チタンを使って、エネルギー変換効率を高めたのがグレッツェルだったのです。

グレッツェルのこの特許は、色素増感型太陽電池の根本原理を抑える基本特許とよばれるものですが、もちろん同じ種類の太陽電池でさらに細部の発明を別の人がすれば、その細部はその人の特許となります。基本特許はグラッツェルの手中にあったものの、富士フイルムや産業技術総合研究所など、日本の企業や研究機関は色素増感型太陽電池の開発に熱心。細部の特許をつぎつぎ出願していまいた。

そして、ローザンヌ工科大学による特許出願から20年後の2008年4月12日、ついにグレッツェルの特許第2664194号の期限が切れたのです。

色素増感型太陽電池の特徴は、シリコンを使った太陽電池よりも費用が安く、またいろいろな形にすることもできます。今後、細部の特許を抑えていた企業が色素増感型太陽電池の市場化に向けて乗り出してくる可能性は高いでしょう。いまの状況は、釣り具の性能を上げていた釣り人たちに、釣りの解禁日が訪れたといったものかもしれません。
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国立三大学喩え


国立大学が独立行政法人化されて4年あまり。国立大学はそれぞれ“独自色”を打ち出そうと、いろいろな試みをしていますね。

しかし、これまでの国立大学にも、それぞれ大学の特色はありました。とくに、なにかと比較されがちな東京大学、京都大学、大阪大学の3大学をめぐっては、対抗意識から阪大生がこんな戯れ言を思いついたとか。

「阪大は飯台」

つまり、大阪大学はご飯を食べるちゃぶ台のように、実生活にちなんだ学問を学べる場であるということです。かつて大阪大学は北区中之島という大阪の中心地を本拠にしていました。食い倒れの町の大学も象徴しているようです。

「東大は灯台」

未来永劫まで明るく先を照らすという意味。なかなか阪大生も東大をたてますね。でも、こんな“但し書き”が付いているそうな。

「灯台だけに足下は暗いけれどね」。東大だけに“灯台下暗し”というわけです。

より阪大生にとって対抗意識が強かったのが京都大学だったのでしょう。

「京大は鏡台」

研究者や学生の顔がよく映える、といった意味合いもあるのでしょうが、こんな意味合いの方が強かったようです。

「鏡に映った顔を見て自己陶酔」。

大阪の学生にとって、京都の学者や学生はナルキッソス的な存在に見えていたのかもしれません。

「阪大と飯台」「東大と灯台」「京大と鏡台」。こうした駄洒落のような言葉遊びが出てくるのも、その国の文化的成熟の現れだとか。京大は京大で、東大や阪大の別の喩えがあるのでしょう。グローバル思考の強い東大はどうかわかりませんが。

参考文献『町人学者 淺田常三郎評伝』
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書評『環境問題はなぜウソがまかり通るのか2』
環境問題の虚実を問うたベストセラーの続編です。

『環境問題はなぜウソがまかり通るのか2』武田邦彦著 洋泉社 2007年9月 320ページ


前作『1』の書評を書いたことがある。「ベストセラーが出た後の圧力と印税はたぶん相当なものだろうけれど、今後もぜひ黙り込まずに『環境問題の真実』を発信し続けてほしい」と締めくくった。

そして『2』が出た。

『1』では「リサイクルの幻想」「ダイオキシン問題の虚」「地球温暖化の嘘」が主題だった。『2』では、このうち「リサイクル」と「地球温暖化」をより掘り下げて論じている。

たとえば地球温暖化問題では、1997年の京都議定書で決まった温室効果ガス削減目標について触れ「日本だけが圧倒的に不利な条約」と断ずる。理由は“基準年”にある。

いま米国を除く先進国が取り組んでいる温室効果ガス削減は「1990年の排出量に比べて何パーセント減らすか」で計算される。この1990年は、欧州でまだ温暖化ガスが多量に排出されていた時代。つまり削減できて当然の状態だったのだ。実際、京都会議の時点で、ロシアは1990年に比べて−38パーセント、ドイツは−19%の温暖化ガス削減を果たしている。

ひるがって日本はというと、1990年にはすでに環境対策の技術水準が高く、すでに温室効果ガスも無駄に出すことなどはしていなかった。そこにきてホスト国となった京都会議では、1990年比で−6%を課せられることになる。

1990年から京都会議までの間にすでに温室効果ガスを大幅削減し、らくらく目標達成していた欧州やロシア。京都議定書自体を脱退してしまった米国。これらの国々に比べて、日本に課せられた削減目標はあまりに不利だと著者は述べる。

「マイナス6パーセント」という目標数値だけが一人歩きしている日本において、市民がこうしたからくりを知る機会は圧倒的に少なすぎた。

著者は資源学の研究者である。“科学的視点”からの「環境問題のウソ」への指摘はあいかわらず鋭い。

だが、視点はそれだけではない。『1』『2』とも文面が“怒り”基調なのは、著者の“国家主義的視点”あるいは“愛国的視点”から来るものだ。

「私の執筆の原動力は、日本人が持ち続けてきた誠実さという少々古風な規範を守りたいという想いだ」。この原動力があればこそ、『1』が売れたからと言って「黙り込む」べくもなかったのだろう。“深化”を感じられる続編である。

『環境問題はなぜウソがまかり通るのか2』はこちらで。
http://www.amazon.co.jp/環境問題はなぜウソがまかり通るのか2-Yosensha-Paperbacks-029-武田邦彦/dp/4862481825/ref=sr_1_2?ie=UTF8&s=books&qid=1210524233&sr=1-2
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第7期科学ジャーナリスト塾が開講


「科学ジャーナリスト塾」の第7期がきょう(2008年5月10日)開講をむかえました。

科学ジャーナリスト塾は大きく変化しました。

例年は9月開講ですが今期は5月から。場所もプレスセンタービルから東京駅近くサピアタワー内にある関西学院大学に。

背景には、サイエンス映像学会の立ち上げがあります。第6期までの塾は日本科学技術ジャーナリスト会議が主催していました。ここで“兄弟団体”サイエンス映像学会が塾運営の参加を表明。新計画を示して、双方で検討を重ねてきました。その結果、サイエンス映像学会と日本科学技術ジャーナリスト会議の「共同開催」に。

塾の構成も変わりました。「科学ジャーナリスト基礎講座(Aコース)」「科学ジャーナリスト養成演習(Bコース)」「サイエンス映像制作演習(Cコース)」の科目別制を採用。基礎講座で科学ジャーナリストや研究者の講演を座学形式で聞き、各演習で実践的授業をゼミ形式でこなします。基礎講座のみの受講や、基礎講座の単発的受講も可能に。

変わらない部分もあります。

塾長は第6期にひきつづき、二代目の林勝彦さん。林さんはサイエンス映像学会副会長と日本科学技術ジャーナリスト会議理事を兼務しています。

また講師陣も、東京新聞科学部長の引野肇さんや朝日新聞元科学部長の柴田鉄治さんなどの顔ぶれが今期も参加。柴田さんに加えて、科学ジャーナリストの小出五郎さんや、科学技術振興機構『サイエンスウィンドウ』編集長の佐藤年緒さん、この科学着樹いつジャーナリスト塾“発起人3人”が講師として参加します。

初回は、林塾長の開講宣言のあと、各講師があいさつ。塾生さんおよそ30人が自己紹介。各コースにわかれて概要説明がありました。

その後、基礎講座の1回目としてサイエンス映像学会会長の養老孟司さんが「科学は視覚化して人類の文化となる」という題で講義。「情報入力をするときには概念ではなく感覚を使え」とメッセージを送りました。

第3期で塾生として参加し、第4期から塾の手伝いをしてきた身からいえば、第7期の塾は“変貌を遂げた”という印象。塾名と講師陣が引き継がれなければ、まったく別の講座が始まったといってもよいほどです。

しかし、塾生さんの意気込みは毎期ともまったく変わりません。今期も理科教育に風穴を開けたいと願う教諭や、会社員を離れて科学ジャーナリズムの世界に飛び込んだ方などさまざま。

運営者側は、これまで蓄積してきたノウハウを継続しつつ、新しい塾を展開するという舵取りが求められています。

ホームページ「科学ジャーナリスト塾第7期生」はこちら。
http://science-oasis.tv/academy/
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「何も得られなかった」という視察成果


研究論文の指導をする大学教授が、こんなことを言っていました。

「調査の結果、なんの成果も得られなくても『この方法では成果が得られないことがわかった』という成果を得ることができたのだから、それを論文に書くべきだ」

そんな“マイナス的”な研究成果を論文にするのは悲しいこと。でも、たしかに「この方法ではなんの成果も得られないことがわかった」というのも、発見といえば発見です。

お金や時間をかけて調べごとをするからには、何らかの“プラス的”結果を見出したいのが人の常かもしれません。考えさせられます。

たとえば、政策関係者が、環境問題に対する取り組みを視察するため、“環境先進国”と呼ばれる国に行ったとします。

でも、その国の国民1人が消費する資源量は日本国民1人分の2倍。それほど省エネルギーをしている国ではありません。

その国のリサイクル状況はどうでしょう。視察したリサイクル工場は立派でした。でも、ここで重要な点は、なににくらべて“立派”なのか基準をもっておくこと。日本のリサイクル工場がどのくらいのものであるのかを調査した上でその国の工場を視なければ比べようがありません。

視察への労力もまた、視察の価値づけを助長します。わざわざ海外まで行き、現場の担当者からよい話を聞けば、「さすが」と、つい思ってしまうでしょう。帰国後、自分が視察した中でよい部分を挙げて「あの国ではこんな取り組みがされている」という話に花が咲きます。

いっぽう「視てきましたが、とくに参考にすべき点はありませんでした。日本のほうが優れているという感想です」などと報告すれば、「あなたは何を見てきたのですか」と批判を受けそう。

けれども「参考にすべき点がなかった」という結論になっても、それが視察をしての正直な結果であるのであれば、認められるべきこと。

向こうの芝は青く見えるもの。労力を掛けてその“芝”まで足を踏み入れれば「この芝は、自分のところよりも青いにちがいない」という先入観が入りかねません。

もちろん「視てきましたが、何も得られるものはありませんでした」という報告が出るような視察を企画しようとする人はいないでしょう。しかし万一「何も得られるものはありませんでした」という結論になってしまったとしても、それは視察の成果。視察とは「実地について状況を見きわめること」を意味します。
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第3回科学ジャーナリスト大賞に宮田親平さん
速報です。

第3回科学ジャーナリスト賞(日本科学技術ジャーナリスト会議主催)の受賞者がつい先ほど発表となりました。

【科学ジャーナリスト大賞】
・医・科学ジャーナリスト 宮田親平さん
『毒ガス開発の父ハーバー 愛国心を裏切られた科学者』の著作に対して

【科学ジャーナリスト賞】(順不同)
・有限会社遊造代表 古賀祐三さん
『LIVE!オーロラ』プロジェクトのWEB活動に対して

・前 朝日新聞社編集委員 田辺功さん
新聞連載記事『それ本当ですか?ニッポンの科学』をはじめ、長年の科学ジャーナリストとしての活躍に対して

・医学博士  海堂尊さん
『死因不明社会 Aiが拓く新しい医療』の著作に対して

・科学ライター 松永和紀さん
『メディア・バイアス あやしい健康情報とニセ科学』の著作に対して

5受賞作品のうち書籍が3つ、ウェブが1つ、新聞企画が1つとなりました。

選考委員(50音順)は、外部委員が、北澤宏一さん(科学技術振興機構理事)、黒川清さん(政策研究大学院大学教授)、白川英樹さん(ノーベル賞受賞者)、村上陽一郎さん(国際基督教大学教授)、米澤冨美子さん(慶大名誉教授)。日本科学技術ジャーナリスト会議の委は小出五郎さん、柴田鉄治さん、高木靭生さん、武部俊一さん、牧野賢治さん。

日本科学技術ジャーナリスト会議ホームページ「科学ジャーナリスト賞2008」が決定いたしました」はこちら。
http://jastj.jp/?p=91
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沖大幹さん「水は安すぎて運搬するには不経済」


きょう(2008年)5月7日(水)東京・内幸町の日本記者クラブで、東京大学生産技術研究所の沖大幹教授の講演会が行われました。主催は日本科学技術ジャーナリスト会議。

沖教授は地球循環システムを専攻。気候変動が地球環境に及ぼす影響を調査・研究するなどしています。

まず、中国・黄河の水問題を紹介。かつて黄河では、最大700キロにわたって水が干上がる“断流”が起きていました。世界から指摘を受けた中国の黄河水利委員会は、取水管理などを強化。21世紀に入ると断流は激減しました。「水は問題が起きたときにきちんと対処すれば、被害を最小に防げる」と沖教授。

つぎに、なぜ水が循環する地球で水不足が生じるのかを説明。沖教授は「『地球の水のうち、淡水はごく限られているから』という話は理屈に合わない」といいます。「大切なのは人間が必要とする水の量がどれくらいかということ」。

この点、現在の世界人口が不便なく生きられるほどの使用可能な水は地球上にはある模様。しかし「水ほど安い生産材はありません」。つまり安い水をわざわざタンカーやトレーラーで遠くまで運ぶと「100円の水を1万円かけて運ぶ」といった事態になりかねません。つまり余程のまとまった量でない限り、水の豊富なところから不足しているところに運搬するにはあまりに不経済。いつまでも水不足の地域は水不足のままとなります。実際、世界の水の長距離輸送手段はパイプラインです。

日本と水との関係についても沖教授は説明します。畜産で牛や豚などを飼うにしろ、ジャガイモやトウモロコシなどの作物を栽培するにしろ、水は必要。“食糧の影に水あり”というわけです。食糧を輸入に頼る日本は、こうした輸入食糧にひそむ“影の水”を年間640億トン使っている計算になるそう。これは国内の年間灌漑用水使用量570億トンを上回ります。食糧自給率がいかに低いかがこうした数字からも見てとれます。

世界に目を向けると、地球温暖化の水への影響が心配されます。沖教授は「海水上昇よりも、気候変動や氷河消失のほうが問題が大きい」といいます。いつでもそこにあった氷河がなくなる不自由さや、氷河が絶え間なく溶けることにより「いつでも雨が降っているのと変わらない状況」を生み出してしまいます。日本でも、融雪の時期が早まり、河川流量の時期にずれが生じて農作業に影響も。

「暖かくなるから問題とは思っていません。むしろ急激な変化に適応できない点が問題。先進国はまだしも、途上国では激しい変化に対応して社会を作りかえることはできないでしょう」。ただし、発展途上国は変化を求めるのが常。その前提に立ちながら国どうしで解決策を見出さなければならない複雑さもあります。

中国には「水を飲むときに源流の人々のことを思いなさい」という「飲水思源」という言葉があるそうです。沖教授はこれに掛けて「飲食思水」つまり「飲み食いするときに水のことを考えましょう」という言葉で講演を締めくくりました。
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コカ・コーラの「揺かごから墓場まで」


「揺りかごから墓場まで」は、第二次世界大戦後の英国で、労働党が社会保障政策に力を入れることを国民に示すために掲げた標語です。

その後、この「揺りかごから墓場まで」は、いろいろな分野で使われる考え方になりました。環境問題の分野では、私たちにもなじみある飲料企業による、こんな逸話が伝えられています。

1969年、米国のコカ・コーラ社が、カンザスシティのミッドウェスト研究所に、こんな依頼をしました。

「コーラの容器として、回収可能なびんを使うのと、使い捨てのプラスチック容器を使うのでは、どちらが環境への負荷が少なくて済むか、調べてほしい」

このころコカ・コーラの容器はガラスからプラスチックへの切りかえ時。世間から「びんの再利用をやめて使い捨てにしてしまうのは、資源のむだづかいになるのでは」と批判が出たそうです。そこでコカ・コーラ社は「ほんとうに環境にやさしいのはどちらか明らかにしてみせます」と、調査に乗り出したのです。

調査依頼を受けたミッドウェスト研究所のフランクリン博士は、びんを使った場合とプラスチックを使った場合に、どれだけ環境に影響を及ぼすかを、積算式に調べあげることにしました。

たとえば、びんを使う場合、はじめにびんを作るときのエネルギー、工場から店に輸送するときのエネルギー、回収車が街を回るため輸送エネルギー、さらに、再利用のためにびんを洗浄するときのエネルギーなどが発生します。これらすべての要素を計算に入れるのです。

おなじように、プラスチック容器の場合も、石油から容器を作るときのエネルギーや、工場から店に輸送するときのエネルギーなど、清掃車がごみとして回収するときのエネルギーなどを計算していきます。容器の誕生から使命完了までに掛かる環境負荷を積み重ねていくのです。

調査の結果、次のような結論が出ました。

「容器をプラスチックに切りかえない特別な理由はない」

「なぜ使い捨てプラスチックのほうが、環境にやさしいのだ」と疑問に思う方もいるでしょう。要因のひとつには、プラスチック容器の方がガラスのびんよりもはるかに軽い点があります。製品づくりから輸送まで、全般の工程で費やすエネルギーが少なくて済むのです。

この調査を皮切りに「揺かごから墓場まで」の視点で環境負荷を調べる方法が使われるようになっていきました。いまは「ライフサイクル分析」とよばれています。

環境問題や資源問題が深刻になった21世紀、ライフサイクル分析はますます有効に。しかし、課題もあると聞きます。

大きな問題は、物のライフサイクルを計算するだけの情報が集まりにくいという点。たとえば自動車だと計算に入れるべき要素は1万以上になるとも。

これらの要素を正しく計算することもかなり難しいようです。調べる物によっては、地域ごとの環境や気候なども考えに入れなければならず、計算はかなり複雑に。

国も動いています。経済産業省は1998年から2005年にかけ、ライフサイクル分析プロジェクトを支援。自動販売機や戸建て住宅、情報通信機器のライフサイクル分析の体系化などを行ってきました。

福祉の「揺りかごから墓場まで」は、人間のみが対象です。しかしライフサイクル分析では、飲みものの容器や住宅だけでなく、あらゆる物が対象になります。

計算法を確立したり、計算をしたりするエネルギーが莫大になりませぬよう…。

なお、コカ・コーラ社のびんとプラスチックの比較については、日本の各種ホームページで紹介されていますが、比べた物や比べた結果がまちまちでおもしろいです。「びんと缶」を比べたと紹介する文もあれば「びんとペットボトル」を比べたとする専門家も(二者選択でなかったのか)。また「びんが優った」とする記述も。このブログ記事では米国の以下のホームページを参考にしました。
http://www.buildinggreen.com/auth/article.cfm?fileName=110301a.xml
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みどりの学術賞2008年(2)


2008年の「みどりの学術賞」では、きのう紹介した淺田浩二さんとともに、東京大学大学院工学系研究科教授の石川幹子さんに賞が送られました。

石川さんは、公園や緑地が都市のなかで成立していった経緯を研究。日本、米国、英国などの世界各地の公園を訪れたり、膨大な資料に当たったりして、公園の起こりかたや受けつがれかたなどを体系にしました。

公園というと、あってあたりまえの感がある方も多いでしょう。しかし、石川さんは次の5つの要素が必要だと言います。

まず、公園を作るという人々の“理想”。次に、その理想を形にしていくための“法律”や“計画”。さらに、公園をつくり、守るための“資金”も必要になります。しかし、取材で石川さんがもっとも強調していた点が、できた公園を守ろうとする人々の“意志”。

街なみはめまぐるしく変わっていきます。つぎつぎと新しい建物が建てられていく中で「この地は公園として残さねば」という人々の積極的な意志がないと、都市の新陳代謝に抗うことはむずかしいのです。

実際に、東京・港区の芝公園などは、広い神社の土地を受けてできたものの、公園維持に対する政策や資金、さらに社会的な意志が薄かったため、いまでは道なりの細々とした公園になっています。

いっぽうで、人々の意志により守られた公園を石川さんは紹介します。例えば、富山県高岡市の高岡城。前田利長が築いた城の敷地は、明治時代に切り売りされそうになりました。それを市民が防ぐため土地を買い上げたといいます。

「緑は文化そのもの」と石川さんは話します。

子ども時代、ふるさとの宮城県では工場や住宅の建設がめざましかったといいます(写真は石川さんが高校時代を過ごした仙台市。青葉城址公園から)。

人々が長年かけて築いてきた街のみどりも、壊されるときは一瞬なのだということを目の当たりにしたことが、現在の研究の原点にあるようです。

今年度の石川さんと淺田さんの取材でも、幼少時代の思い出話から研究の深い話まで、興味深い話を聞くことができました。

受賞者みなさんに共通する点は、小学生から高校生のころにかけて魅力的な理科の先生とめぐりあったという点です。子どもたちと植物採集に行く先生、子どもたちを地域の藩主が築いたお堀に連れていく先生も。

先生たちから示された疑問や不思議の種が、その後の研究へとつながる大きなきっかけになっているようでした。

「みどりの学術賞」のホームページはこちら。
http://www.cao.go.jp/midorisho/index.html
| - | 23:59 | comments(0) | -
みどりの学術賞2008年(1)


きょう5月4日は「みどりの日」。4月29日から移って2年目になります。

みどりの日を含む、4月15日から5月14日は「みどりの月間」。この月間にちなみ、植物、森林、緑地、造園、自然保護などの研究や技術開発で優れた学術的顕著功績のあった方に、内閣府が「みどりの学術賞」を2007年から授与しています。

2年目の2008年は、京都大学名誉教授の淺田浩二さんと、東京大学大学院工学系研究科教授の石川幹子さんが受賞しました。

昨年度にひきつづき、みどりの学術賞の資料づくりの仕事で、淺田さんと石川さんに取材をさせてもらいました。

淺田さんは、いまや広辞苑にも採録されている「活性酸素」という言葉の名付け親。活性酸素が植物の葉緑体で生まれるしくみや、植物がその活性酸素をすばやく消し去るしくみを明らかにしました。

この淺田さんの研究の発端には、素朴な疑問ありました。

ある夏、淺田さんは海水浴に行くと、ふと疑問に思ったそうです。「私たちは、日の光を浴びると日焼けするのに、植物は日の光を夏のあいだ浴びつづけても、なぜ日焼けしないのだろうか」と。

淺田さんはそれまで、構造が不安定で徐々に崩壊していく放射性同位元素を使った研究をしていました。放射線を浴びても、日光を浴びても、植物のなかの酸素が活性化して細胞を壊します。この活性化した酸素が「活性酸素」。

淺田さんは、日光がもとで起きる活性酸素は、植物が光合成のとちゅうすばやく消し去ってしまうことを突き止めました。その速度、100分の1秒以下といいます。

人は、植物の葉緑体のような、一瞬にして活性酸素を消し去る業をもっていません。そこで人の細胞は、メラニンという「盾」を肌の奥まった基底層というところでつくるのです。数時間後、皮膚の表面に遅れて現れでることにより、人は日焼けをするのです。

淺田さんが植物の研究をしようをしたきっかけには、戦争でつねにお腹をすかせた苦しい体験があったといいます。植物は、活性酸素の消去だけでなく、二酸化炭素から炭水化物を作るという、私たちにとっての離れ業を演じてくれます。

淺田さんは「植物には、まだ私たちが気づいていない、すごい能力が眠っているのではないだろうか」と考え、その能力をさらに見つける研究にいまも取りくんでいます。

あす6日(月)は、もう一人の受賞者・石川幹子さんの研究を紹介する予定です。

みどりの学術賞ホームページはこちら。
http://www.cao.go.jp/midorisho/index.html
| - | 23:59 | comments(0) | -
『時間と学費をムダにしない大学選び』


“大学研究家”の山内太地さんが、『時間と学費をムダにしない大学選び』という本を出版しました。ライター石渡嶺司さんとの共著。

山内さんは、日本と世界の大学に足を運びつづける大学探訪者です。これまで訪れた数は702大学931キャンパスとのこと。探訪記などを書いたブログ「世界の大学めぐり」も更新中です。

大学選びの本は数ありますが、この本の特色を版元の光文社は「大学を『偏差値』ではなく『就職に強いか?』という観点で解説したガイド」としています。

実際に17の主要な業界、つまりマスコミ、公務員、司法、教師・教育、福祉・心理、観光・航空、金融、IT・情報、エンジニア、医師、看護・医療、動物・環境、ファッション、栄養・料理、スポーツ、建築・インテリア、マンガ・アニメ・ゲームの各分野に就職することを当面の目標にして、そのための大学選びができるような構成になっているとのこと。

大学生活を控えた高校生が将来の職業に具体的な夢や目標を描いているかは、人によりまちまちでしょう。でも、この本をきっかけに将来のやりたいことを考えるのも手かもしれません。村上龍さんの『13歳のハローワーク』を読んだ上で、「では大学選びをどうするか」と手に取るのもよいでしょう。

山内さんは「受験生のみならず、ビジネス書としても自己啓発になると評価いただいております」と、別視点からも読める点を強調。

いま企業にとって大学は、その知識力や技術力を活用できる資源集積地にもなっています。「うちの業界だと、何大学の何学部・研究科に当たればよいのか」といった目星も見えてくるかもしれません。

電車の広告などでも展開しているようで、アマゾンのランキングも1000位前後と売れているようです。

『時間と学費をムダにしない大学選び』はこちらで。
http://www.amazon.co.jp/時間と学費をムダにしない大学選び-石渡-嶺司/dp/4334934374/ref=sr_1_1?ie=UTF8&s=books&qid=1209823723&sr=1-1

出版社・光文社の案内はこちら。
http://www.kobunsha.com/shelf/book/isbn/9784334934378

大学研究科・山内太地さんのブログ「世界の大学めぐり」はこちら。
http://tyamauch.exblog.jp/
| - | 23:58 | comments(0) | -
発車メロディ次の課題


いま駅での発車音には、“プルルルルル”や“ジリリリリリ”など一音のみが流れる発車ベルと、旋律のついた曲が流れる発車メロディがありますね。

発車ベルは1970年代ごろから駅で使われはじめましたが、無機質な音が不快という乗客の声も。そこで1980年代終わりから1990年代、JR東日本などの鉄道会社で発車メロディが使われるようになりました。

新宿区のJR高田馬場駅は、鉄腕アトムが製造されたとされる「科学省」の最寄り駅であることから「鉄腕アトム」。文京区のJR水道橋駅は、東京ドームにほど近いことから読売巨人軍の応援歌「闘魂こめて」といったご当地メロディに使われています。阪神タイガースが負けた日などにこのメロディを流す車掌は勇気がいりそうですが…。

年数も経ち発車メロディは定着、おおむね好評。「山手線駅メロ目覚まし時計」といった商品も売られているくらい。

しかし一点、みなさんも経験したかもしれない、発車メロディの問題もあります。

電車と電車が同時に駅から発車しようとするとき、1番線と2番線の別メロディが同時に流れることがありますね。このときの音がかなりの雑音に。

ものはためし。音楽共有サービスのユーチューブでこんな“試聴”をしてみました。

東京都大田区のJR蒲田駅では「蒲田行進曲」が発車メロディ。1番線は歌詞「カメラの眼に映る かりそめの恋にさえ」の旋律が、2番線は「虹の都 光の港 キネマの天地」の旋律が流れます。

ユーチューブに「蒲田駅発車メロディー」という蒲田駅での録音があるので、1番線と2番線の曲を重ねて聞いてみると…。

やはり名曲もかなりの不快音になってしまいます。同じ曲なので、音階は同じながら、振動数の比が簡単な整数比にならない2音が重なると聞き苦しい音になってしまいます。

大半の駅では発車する番線の区別から別の曲が流れます。しかも音階が異なる曲も多いため、さらに聞き苦しい音に。ユーチューブには「同時に鳴った東京5・6番線発車メロディー」といった録音も。

なかには発車メロディが重なったことを察知するとすぐにメロディを中止する、気をきかせる車掌さんもいます。本人も聞きたくないのだろうけれど。

全体のことを考えれば発車ベルよりも発車メロディのほうが好評。鉄道会社の次なる課題は、同時に流れても不快にならない、むしろ同時に流れたほうが気持ちよくなるような発車メロディの開発でしょう。無理か…。
| - | 23:59 | comments(0) | -
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