2008.04.30 Wednesday
法廷の科学は真実を語るか(5)
法廷の科学は真実を語るか(1)
法廷の科学は真実を語るか(2)
法廷の科学は真実を語るか(3)
法廷の科学は真実を語るか(4)
前妻と知人の殺人容疑があるOJシンプソン被告側と、彼を逮捕した検察側との間の法廷での闘いが始まりました。この闘いに判定を下すのは、12人の陪審員です。
法廷展開の構図を一言で表わせば、「肩すかしを食らわせた弁護士側と、食らった検察側と、それを見ていた陪審員」というものでした。検察側がもちこもうとした勝負を弁護士側はあえて避け、別の部分で勝負に出たのです。
まず、検察側は、DNA鑑定3機関に犯行現場の血痕などからDNA鑑定を依頼して、その血がシンプソンのものであるという有力な証拠を握っていました。これを陪審員に示そうとしたのです。
ところが弁護士側は、この話に触れようとしません。その代わりに彼らは「証拠管理の連鎖」という、まったく別の問題で、陪審員たちからの信頼を得ようとしたのです。
証拠管理の連鎖とは、法廷における証拠が正当な管理手順を踏んで示されたものか、その一連の過程を示す言葉です。たとえば、砂漠のラリーで、ある人物が他の人たちを大差で引き離してゴールしました。誰の眼からもその人物が一番であることは明らかです。しかし、その人物がまったく同じ模様の車とヘリコプターを用意し、“近道”をしてゴールしたとしたら…。
過程が正当でなければ、結果はまったく意味のないものになってしまいます。
OJシンプソンの弁護士たちは、検察側の証拠については管理手順の点で疑いがあるとして、次々とその問題点を陪審員たちに示しました。例えば…。
「ロス市警は、あまりにも早いタイミングでシンプソン氏から血液を採取している。彼の血液を、現場の血痕として使うするためだったのではないか」
「シンプソン邸の寝室のベッドの下から市警が押収した血染めの靴下について、押収当時は誰も血が付いていることに気づかなかった。それが、なぜ鑑定の証拠になっているのか」
検察側は肩すかしを食らいながらも「靴下が濃い色だったため、血痕を見落としていた」などと反論します。しかし陪審員には、この発言はいいわけに映ったかもしれません。
弁護士側はさらに証拠管理の連鎖での警察・検察側の不手際を指摘します。その中で「ごみからはごみしか出ない」という言葉が飛び出しました。つづく。
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