科学技術のアネクドート

法廷の科学は真実を語るか(4)
法廷の科学は真実を語るか(1)
法廷の科学は真実を語るか(2)
法廷の科学は真実を語るか(3)



前妻ニコール・ブラウンと、ニコールの知人ロナルド・ゴールドマンを殺した容疑で逮捕されたOJシンプソン。彼はらつわん弁護士を集めた「夢の軍団」を結成します。

その弁護士とは、F・リー・ベイリー、バリー・シェック、ロバート・シャピロ、ロバート・カルダシアン、アラン・ダーショウィッツ、そしてジョニー・コクラン。彼らがシンプソンから受けとった金額は計400万ドルとも言われています。

弁護士団はまず、この事件の捜索で使われた「DNA型鑑定」に詳しい専門家を、裁判の証人に呼ぼうとしました。

DNA型鑑定とは、証拠となる血痕や頭髪などが誰のものかをDNA(デオキシリボ核酸)の特徴から割りだす手だて。ヒトのDNA(デオキシリボ核酸)には「多型」とよばれる、塩基配列のちがいがあります。酒に強い上戸とまったく飲めない下戸の両方がいることは多型の典型。酒の場合、日本人では19人が飲めて、1人がまったく飲めない比になります。別の場合でこの比が100対1よりも開くと、多型とよばず変異とよぶようになります。

事件当時OJシンプソンがはいていた靴下には血が付いていました。DNA型鑑定の結果、その血は被害者ニコールのものであることがきわめて高い精度で確かめらんとしたのです。その精度は、77億人の中の1人を特定するくらいのものといいます。

弁護士たちは、このDNA型鑑定につけいる隙があると考えたようです。ポリメラーゼ連鎖反応というDNA増殖法を編み出したノーベル賞受賞者のキャリー・マリスや、コネティカット州警察本部で勤めていた法科学者ヘンリー・リーを引き入れようとしました。警察の人間が弁護士側の証人でよばれるのは異例のことです。

弁護士側が突つこうとしていたDNA鑑定については、ギル・ガーセッチ、マーシャ・クラーク、クリストファー・ダーデン、ウィリアム・ホッジマンらでなる検察側も自信がありました。犯人はOJシンプソンにちがいないと確証していたのです。

ロサンゼルス市警法科学研究所、カリフォルニア州司法省法科学研究センター、それに民間のセルマーク・ダイアグノティクスというDNA鑑定3機関がDNA型鑑定に臨みました。その結果を受け検察側はこのような物語を築きました。

OJシンプソンは殺人現場のニコールの家から裏門を抜け、白い車に乗り、そして自宅の寝室へと戻っていった。

法廷論争の幕があきます。つづく
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画期的? 国会質問の情報源に…。


(2008年)3月27日、参議院財政金融委員会で民主党の大久保勉さんが国土交通省に「新聞記者の取材に虚偽の回答をしたのではないか」と、追求しました。

その新聞記者とは、産經新聞の池田証志さん。省庁職員のタクシー券が道路特定財源から出されている問題で、2007年9月に国交省を含む全省庁に「深夜帰宅用タクシーチケットの使用規定がない局はありますか」などと質問をしました。

国交省からは「使用規定は整備されている」との返事があったそうです。

ところが(2008年)3月19日、冬柴鉄三国交相は参議院で「使用規定が整備されなければ、4月1日以降の(タクシー券の)使用を禁止する」と答えました。

つまり冬柴国交相は「使用規定が整備されていない局がある」ことを暗に認めてしまったわけです。この点を、大久保議員がただしたというわけです。

大久保議員の質問は、池田さんのブログを見てのもの。池田さんは新聞記者ですが、産經系ホームページ「イザ!」でブログも展開。ここで「おや? 私は昨夏、同問題を受けて全省庁に質問書を送り、全省庁が使用規程を整備していると回答を得ていたはずでは」と書いたブログ記事が、大久保議員の目にとまり、上のような追求をすることになったのです。

国会質問でブログが情報源になるのはきわめて異例。「初めてではないか」と言う報道関係者もいます。ブログ記事が国会で用いられたのが初なら、歴史的なできごとです。

しかし「ブログの情報が国会質問に使われることは、これまでなかったんだ」と驚く人も多いのでは。

実際、ブログそのものが国会で議論のたねになることも、これまであまりなかったようです。

国会の議事録を検索できる「国会会議検索システム」で、平成元年から現在までの期間を「ブログ」で検索。わずか33件しか当たりませんでした。

最初に「ブログ」をいうことばを発した国会議員は民主党の城井崇さん。2004年5月の文部科学委員会で「大臣、インターネットをお使いかと思うんですが、ブログというのを御存じですか」と述べました。これに対して河村建夫国務大臣(当時)は「私、存じません」と答えています。

さて、冒頭の大久保議員の質問に、国交省の金子善次郎大臣政務官は「取材を受けた担当者が、本省の内省、つまり霞が関の本省だけだと思いこんだ。意図的に虚偽の回答をしたわけではない」と説明しました。やはり使用規定は整備されていなかったのですね。

今回の「ブログの利用」をあしがかりに、これからも国会などの論戦の場で「ブログにはこう書かれてあった」というやりとりは増えていくでしょう。

民主討議委員がとりあげた「イザ!」池田証志さんのブログ記事「国交省会計課の取材対応に疑問…タクシーチケット問題」はこちら。
http://ikedaa.iza.ne.jp/blog/entry/518044/
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缶コーヒーの“つるつる”と“ざらざら”


駅で電車を待っていると、つい缶コーヒーを買ってしまいます。

缶の表面には、ボスの渋い顔とか、そびえ立つエメラルド山とかの模様が描かれていますね。でも、これらの模様を指で触れてもつるつるの指ざわり。

模様をさわってもつるつるなのは、表層がフィルムだからです。

缶コーヒーの缶包装では、模様はフィルム裏側に印刷されて、金属スチール板とフィルムの間にサンドイッチされるような位置どりになります。印刷された模様面を金属スチール板に接着。これで、下から順に、スチール板、模様、フィルムの層がぴったりと重なります。フィルムを触っているからつるつるというわけ。

缶コーヒーの模様の印刷には、よく耳にする「グラビヤ印刷」という方法が使われます。歯車のくぼみに当たるところに、インキが入り込み、むこうから流れてくるフィルムの面にくっつくことで印刷されます。くぼみにインキが入ることから「凹版印刷」ともよばれます。

でも最近、ざらざらとした指ざわりの缶コーヒーもよく見かけますね。これはフィルムの両面に印刷をしているのです。これまでどおりフィルム裏面に模様を印刷するのに加え、フィルム表面にも特殊なワニス(ニスのこと)などを印刷してざらざら感を出すのです。

ゴム版にインキを盛って印刷する平版印刷とちがい、グラビヤ印刷では凹みにインキのほかワニスなどを入れることもできます。また、小さな飾り玉やら何やらを含ませることができ、グラビヤ印刷は特殊な印刷に向いているといいます。

缶コーヒーを買うとき、人には「“こだわり”のありそうなものを選ぼう」という気持ちがはたらくのだそう。飲料会社が「焙煎」とか「朝限定」とかを謳うのもそのためでしょう。こだわり感の演出は、缶の指ざわりにも反映されているのですね。
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博士就職の“紋切り型”を見なおす。
就職活動はいまが盛り。活動中のみなさん、よい就職先が見つかるといいですね。

よく、こんな話を耳にします。「博士課程まで進んだ人を企業は採用したがらない」。博士課程とは、大学院の後期のこと。理系の学生は、大学院の前期つまり修士課程を終えると就職する人が多く、博士課程まで行く人は少数派。

なぜ、企業は博士課程まで進んだ人を採用したがらないというのか。よく聞く紋切り型の理由は「社会に出たくないがために博士課程まで進んだ人もいるだろう。そんな人たちに来られても困る」というもの。

企業は、それほど博士号取得者をいやがっているのでしょうか。

文部科学省は昨2007年「民間企業の研究活動に関する調査報告」という調査結果を発表しました。企業に研究開発者などの人材について聞き、科学技術政策に活かすための調査です。

報告書には「採用した研究者の資質」という項目があります。「学士課程修了の研究者」「修士課程修了者の研究者」「博士課程修了の研究者」さらに「ポストドクターの研究者」それぞれの「資質」を企業側がどう感じているのか、「期待を上回る」「ほぼ期待通り」「期待を下回る」「わからない」で答えるのです。

すると、こんな結果が。









研究者の学歴としては標準的な「修士課程修了」に対して「ほぼ期待通り」と答えた企業は64.5%。対して「博士課程修了」に対して「ほぼ期待通り」と答えた企業は60.5%でした。

修士への「期待通り」64.5%に対し、博士への「期待通り」は60.5%。この4%をどう見るかが大切でしょうが、それほど大差はついていない気もします。ただし、ポストドクターへの「期待通り」は55.9%でさらに下がってしまいます。

もっとも企業にとって各卒業生への「期待値」が異なっているかもしれませんが、ここでは触れますまい。

2002年に行われた同じ調査では「企業から見た博士課程修了の研究者(ポスドクを含む)の問題点」を企業に聞いています。

もっとも多かったのは「博士課程修了の研究者、ポストドクターの能力を社内ではうまく活かしきれない」の36.1%でした。

そして2番目に食い込んだのは「特にない」で26.7%。

以下「特定の研究分野へ偏向しており、他の分野に対処しようとする意思に欠ける」が16.7%、計画性やコスト意識、時間感覚など、企業経営に対する意識に問題が14.7%などと続きます。

企業が博士を嫌うという傾向は見られはしたものの、それを紋切り型とするのも現実とは異なっているようです。

文部科学省の「民間企業の研究活動に関する調査結果」2006(平成18)年度はこちら。
http://www.mext.go.jp/b_menu/houdou/19/10/07102312/001.htm
2002(平成14)年度はこちら。
http://www.mext.go.jp/b_menu/houdou/15/09/03091702.htm
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“大文字化”、否定的な記者も。


春は、新聞の紙面が新しくなる時期。各社こぞって文字を大きくしています。

毎日新聞は昨2007年12月から夕刊で文字面積14%増の「J字(ジャンボ文字)」を開始。産經新聞も(2008年)3月20日から文字を大きくしました。読売新聞や朝日新聞も追随し、3月31日から大文字化へ。

産經新聞を読んでみると、たしかに文字が大きくなったと実感。ただ、段数は15段から12段に減ったものの1行11字のままなので、さほど違和感ありません。

各紙が文字を大きくした背景には、読者の高齢化があるといいます。また大文字化を望んでいる広告主も多い模様。

では、記者は大文字化をどう思っているのでしょう。書く量が減るため嬉しいのでしょうか。それとも…。

大文字化実施の新聞で記事を書いている社員に聞くと「現場は否定的です」。記事の数も少なくなります。書いた原稿が載らない場合も増えていくことになります。「書いても日の目を見なくなるのはつらいですよ」

たしかに、原稿が読者に届いてこそ新聞記者。

物書きの実感からも、記事の文字量が減ることは大変なことのほうが多いかもしれません。800字や1000字ほどの新聞記事の文字量では、マス目に字を埋める苦労より、マス目からあふれないように字を削る苦労のほうが上回るということです。

読者の立場からは、単純に情報量が減るわけだから、すこし損をした気分になるかもしれません。しかし昨年末から文字を大きくした毎日新聞の夕刊は、販売部数が伸びたといいます。大文字化は多くの読者には受け入れたといえそう。

人間とは“慣れる”いきもの。大文字化に違和感ある人も、すこし経てば、それがまたしっくりくるようになるのでしょう。
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曇り雲


東京の墨田区「東あづま」という名の駅があります。「ひがし(東)」と「あづま(東)」。おもしろい組み合わせですね。

気象の世界でも、にたことばを連ねたことばがあります。公式な名ではありませんが、「曇り雲」という雲があります。

雲の名は「はぐれ雲」や「ちぎれ雲」のように、ありさまに「雲」をつけて「何々雲」とつくのが多いよう。「曇り雲」もそれに含まれるといえばそうでしょうが…。

辞書によると「曇る」とは、雲などで空がおおわれること。また「雲」とは、空気中の水分が凝結して微細な水滴または氷晶の群となり、高く空に浮いているもの。

雲は高さなどにより10種類にわけられます。曇り雲は高さ2000メートル以下の空に浮かぶ灰色または白色の雲のこと。

写真家で元日本気象協会職員の高橋健司さんが著した空模様の写真集『空の名前』によると、「板状、あるいは丸みのある塊の雲が、層状または波状に浮かんだもので、畑の畝のように規則正しく並ぶことがあり、曇り雲、畝雲などの俗称があります」とあります。



たしかに「霧雲」や「雨雲」のように、ある気象状態をひきおこすことからつけられる雲の名もあります。そう考えれば「曇り」という状態をひきおこす雲、すなわち「曇り雲」も“あり”でしょうか。

ものごとや現象の種類は、暮らしの関心事であればあるほど細かくわけられていくもの。いろいろある雲の名も、暮らしの必要から来ているようです。
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早稲田大学科学技術ジャーナリスト養成プログラム第1期が修了


きょう(2008年3月25日)所属していた早稲田大学大学院科学技術ジャーナリスト養成プログラムの修了式が行われました。初の修了生が生まれました。

第1期生19人の合格者ではじまったプログラムから、11人の修士が誕生。あとの8人は、とちゅうでマスメディアに就職を果たした人、元の職場に復帰した人などです。

プログラムは、文部科学省の科学技術振興調整費「振興分野人材育成プログラム」による支援を受けて実施されたもの。東京大学の科学技術インタープリター養成プログラム、北海道大学の科学技術コミュニケーター養成ユニットと、いわばいとこのような関係で、開始から3年ほどがたちました。

いずれのプログラムも文科省からの予算は5年間。ただし2年半を過ぎたところで、同省からの中間評価を受け、残り2年半、予算を継続するかが決まります。

3プログラムとも「予算うちきり」は免れました。早稲田大学のプログラムの総合評価は「A」。ほかの2プログラムは「B」。

きょうの修了式でも、「早稲田だけはA評価だった」という話が教授陣から何度か出されました。中間評価の詳細を見ると「養成の考え方がよく整理されており、今後の発展性が見込まれる」。職業人養成機関としてのお墨つきはもらったようです。

しかし、A評価を受けるいっぽう「早稲田のプログラムは何をやっているのかが見えづらい」という批判もしばしば耳にしました。

この点、くらべるに値するのが、北海道大学科学技術コミュニケーター養成ユニットでしょう。市民との直接的な科学コミュニケーションの場として「サイエンスカフェ」をしばしば開催。また、地元放送局と連携し「かがく探検隊コーステップ」というラジオ番組の制作もしています。科学コミュニケーションや動物関連の本を出したり、学術雑誌を年2回発行したりも…。

早稲田のプログラムでも、科学関連の祭典「サイエンスアゴラ」に2年連続で出展するなど、外部に向けた活動がなかったわけではありません。

しかし、実践的な活動としてより多かったのは、一人の教授が一人の学生に対して「こういう雑誌のこういう記事を書いてみないか」と実践活動の話をするもの。プログラムの成果というより、プログラムに属する個人の業績として捉えられる向きは強いです。署名記事になっていても肩書きに「早稲田大学科学技術ジャーナリスト養成プログラム」がつく場合は多くはありません。そのため「プログラムとしてこれをやりました」といった成果を外に向けて発信する機会は比較的すくないものでした。

文科省の評価ではアウトリーチはそれほど重視されなかったようです。しかし評価とはべつに、市民への情報発信は大切な活動であるのはだれもが認めるところでしょう。

では、A評価を受けた科学技術ジャーナリスト養成プログラムから得られた最大のものは何でしょう。

それは人脈をふくめた人とのつながりです。実際に入学と同時に物書きの仕事をはじめてから2年。仕事の4割がたは、このプログラムの教員や同輩などから紹介によるものとなりました。

中間評価では早稲田大学に対して「修了者の今後の活躍を把握していくことが望まれる」とも。これから新聞記者、フリージャーナリスト、物書きなどとして修了生がどれだけの活動をするかが問われています。

政府がジャーナリスト養成を支援するという、矛盾めいた構図のなか修了生が生まれました。養成プログラムを受けた人材が、社会で通用するかどうか、これから問われていくことになります。

もうすぐ3期生を迎える、早稲田大学科学技術ジャーナリスト養成プログラムのホームページはこちら。
http://www.waseda-majesty.jp/
北海道大学科学技術コミュニケーター養成ユニットのホームページはこちら。
http://costep.hucc.hokudai.ac.jp/index.php
東京大学科学技術インタープリター養成プログラムのホームページはこちら。
http://park.itc.u-tokyo.ac.jp/STITP/
文部科学省の中間評価結果「平成19年度科学技術振興調整費の評価結果等について 新興分野人材養成」はこちら。
http://www.mext.go.jp/b_menu/houdou/19/12/07122123/011.htm#a005
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中静透さん「乾燥で熱帯雨林は一斉開花する」


きょう(2008年3月24日)、東京・内幸町のプレスセンタービルで、東北大学大学院教授・中静透さんの講演会「森林から見る地球環境」がありました。主催は日本科学技術ジャーナリスト会議。

中静さんは森林の生態系を30年にわたり調査してきた“森の専門家”。2007年には、内閣府の「みどりの学術賞」を受賞しています。

国内はもとより、海外の森へも脚を運ぶ中静さん。マレーシアのサラワク州(ボルネオ島)のランビル国立公園内の熱帯雨林にクレーンを建て、それに乗って林冠(樹木の上部)を観察しています。

科学はもちろん、文化や経済の話まで、森の生態系をめぐる話は、多岐に。とりわけ興味ぶかかった話は、熱帯雨林の「一斉開花」。密林の木々がつぎつぎと花を咲かせる“ある時期”があるのだそう。

これまで海外の学者は、その“時期”を「その地域の温度が一定以下になったとき」だと唱えていました。ところが21世紀に入ると、温度が一定以下にならずとも一斉開花が見られる年があったため、中静さんらは温度ではないべつの“時期”を探っていました。

そして導きだした答えが「その地域がある程度以上に乾燥したとき」。たしかに乾燥の度合いと一斉開花の時期が一致するグラフを示します。

一斉開花は東南アジアの熱帯雨林に特有の現象。中静さんによると、そのメカニズムはこう説明できます。

たとえばサクラであれば花を咲かせる引き金は温度。しかし、一年を通じて気候変化がとてもとぼしい熱帯地方では、花を咲かせる引き金をなかなか見つけだせません。

そこで、木々が花を咲かせる引き金に選んだのが、熱帯地方でも少しは変化のある乾燥だったのです。

乾燥が一斉開花の引き金であることをたしかめるため、中静さんらは熱帯雨林のかぎられた面積の地面だけ、水がしみこまないようにするしかけをつくり、そこの木々だけが花を咲かせるか、実験をしているそうです。

熱帯雨林の一斉開花。人間の感覚ではわからないような微妙な気候変化が、木々にとっては大きな関心事のようです。

中静さんが受賞した「みどりの学術賞」のホームページはこちら。
http://www.cao.go.jp/midorisho/jushousha/jushousha.html
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のたりのたりと春の海


春の海は、古今の作家や作曲家がとりあげる景色です。

古くは、紫式部が『源氏物語』の「須磨」で、春の海を変わりやすい春の気候とともに描いています。

3月上旬の海を訪れた光源氏は、空と海との際限もわからないような凪いだ海を見て、過去のこと、行く末のことに想いをはせ「八百よろづ神も憐れと思ふらん犯せる罪のそれとなければ(神々も私をあわれんでくださるでしょう。犯した罪はこれといってないので)」と歌っています。

ところが、そうこうしているうちに急に風がふきだし、空も暗くなり、嵐に見舞われてしまうのでした。春の天気のうつろいやすさが描かれています。

しかし、文学や音楽における「春の海」は、おしなべて穏やかさの象徴。

現代では、1931(昭和6)年に箏曲家の宮城道雄が邦楽『春の海』をつくっています。新春の街かどや放送番組でよく流れているので、知っている方も多いのでは。曲を聴くこともできます。

さらに。国語の教科書でも習う「春の海」の俳句といえば、与謝蕪村の一句。

「春の海終日のたりのたりかな」

「終日」の読みは「ひねもす」。意味は「しゅうじつ」とおなじで「一日中」。

海の波は、地震によって起きる津波や、月の引力により満潮と干潮をくりかえす潮汐波をのぞけば、波は風によって起きるもの。

ある場所で生じた風により風浪が起き、それが別の場所まで伝わって滑らかな形の波となっているのが「うねり」。海岸線ちかくに風が吹いていなくても、どこかでは風は吹いているものです。そのため、いつ見ても、海岸線では波がのたりのたりとくりかえし訪れては戻っていきます。

風も吹かない穏やかな春の海、「のたりのたりかな」と日がな眺めている蕪村のゆったりとした気もちが伝わってきます。
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謝る前のひとしぐさ


人は口というからだの器官を使っていろいろな音を出すことができます。

もっとも特徴的なのは「発声」でしょう。咽頭中央部の声帯を振るわせて音を発します。ほかにも、舌打ち、口笛などなど。これらは広い意味で意思疎通の手段といえます。

もうひとつ、口で音を出す意思疎通の手段として、有効なものがあります。

こんな状況を思い浮かべてください。

会社の部長が「きみ。報告書、誤字脱字ばかりじゃないか。あれだけ時間をかけて何やっとるんだ」と部下をしかりつけたとき。本心からかどうかはともかくとして、部下が部長への謝罪ごころを効果的に示そうとします。このとき、口を使って音を出すことでの効果的な手段にどのようなことが考えられるでしょうか。

「すいませんでした」と、ことばを発することにより謝る方法は常套手段。ただ、さらに口から発せられる“ある音”を加えると、謝罪ごころを示す効果が倍増するといいます。

「すいませんでした」と、ことばを発する前に、舌の裏がわあたりに引きつけるように息を吸って「すーーーっ」という音を出すという手段です。

「きみ、報告書、誤字脱字ばかりじゃないか」

すーーーっ、すいませんでした」

なぜ、舌の裏がわあたりに引きつけるように息を吸い込むことが、申しわけなさを示すことになるのでしょう。ここからは推測ですが、理由はふたつ考えられます。

ひとつは、「すいませんでした」という前に“ため”をつくることにより、「すいませんでした」をとっておきのことばとして示せるからです。

もうひとつは、「すーーーっ」と息を吸っているときは、いかにもこわばったような表情になります。これらのことから、「すーーーっ」は謝罪ごころを示すうえで効果的なのだと考えられます。

ちなみに、この「すーーーっ」は、部長に謝るほかにも使い道はあります。混んでいる電車から降りようとするとき、「すーーーっ」と発すると、まわりの客がドアまでの道をちょっとあけてくれるかもしれません。一度ためしてみてはいかがでしょう。
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書評『HAL伝説』
サイエンス・フィクション作家のアーサー・クラークが書いた『2001年宇宙の旅』は、映画にもなり不朽の名作となりました。

『HAL伝説』デヴィッド・G・ストーク編 日暮雅通訳 早川書房 1997年 434ページ


『2001年宇宙の旅』の印象的なシーンを題材にしている。

たとえば、HALと宇宙船乗組員フランクとのチェスの場面。HALが英国国営放送の取材に応じる場面。乗組員デイブとフランクがHALの電源を切ろうか話しているところを、HALが見取る場面。HALがデイブを宇宙船外へ閉め出す場面。そしてHALがデイブに電源を切られる瞬間など。

HALのこれらの振るまいは、どうすれば可能となるか。各章でその分野の研究者たちがその可能性を論じる。

なかでも第13章「HALはデジタルの涙を流すか」は、もっとも本質をついている。機械が人間らしくなるには知性が必要で、知性をもつには感情がある程度必要という。ジェフ・ホーキンスが『考える脳、考えるコンピュータ』で示した「人のように思考できる機械が人に害をあたえないためには、感情を切り離せばよい」という論へとの関わりも感じられておもしろい。

本全体の流れは、認知論からはじまり哲学へとたどり着く。第8章「もうしわけありませんが、デイブ、それはできません」と第12章「宇宙での生活」は、コンピュータが人間に近づくにはといった大きなテーマ。これらの章から読むのも手だろう。とくに第12章は、辛辣に「HALなんてありえない」と、映画を批判している。

『2001年宇宙への旅』は、制作者が練りに練った未来予測をもとに、できるだけ現実感をともなわせようとした作品。映画における未来は、もはや過去のものとなった。虚構の世界と現実の世界とにどれだけ開きがあるか。その差異を科学的に分析している。

『HAL伝説』はこちらで。
http://www.amazon.co.jp/HAL-ハル-伝説―2001年コンピュータの夢と現実-デイヴィッド・G-ストーク/dp/4152080957/ref=sr_1_1?ie=UTF8&s=books&qid=1206115372&sr=1-1

原作者のアーサー・クラークさんが(2008年3月)19日、亡くなりました。サイエンス・フィクションの金字塔はいつまでも輝くことでしょう。ご冥福を祈ります。
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『Protect against 糖尿病』を上映


きょう(2008年3月20日)東京・新宿区の国立国際医療センターで糖尿病について知るためのイベント「Fight against! 糖尿病」が開かれました。

早稲田大学大学院科学技術ジャーナリスト養成プログラムもこの催しものに参加。糖尿病予防の大切さや方法を知らせる映像作品『Protect against 糖尿病』を作り、上映しました。

この映像作品は、女子高生たちが授業で「糖尿病」を耳にしたことをきっかけに、病院で医師から糖尿病の説明や血糖値検査を受け、さらに大人たちの生活習慣のみだれを改善させようと立ち上がるというもの。

私立藤村女子高校の女子高生10人、国立国際医療センターの梶尾裕先生、早稲田大学の教授や大学院生などが出演。市民を代表する女子高生、医療従事者を代表する医師、それに市民と専門家をつなぐ伝え手という構図となりました。

ふだんは物書きである立場から、本づくりと、映像作品づくりは、いろいろと異なるものだということを感じさせられます。最大の点は、かかる人的資源の差。

本づくりでは、極端にいえば、原稿づくり、撮影、編集、装丁を一人でこなしてしまうことも理論的には可能。今回の作品が本だったとしたら、原稿づくりが作業の5、6割を占めていたことでしょう。

いっぽう映像作品づくりでは、脚本づくりも大切ながら、その後の作業、つまり撮影と編集にそれ以上の力を必要とします。今回の映像作品は、わずか10分の長さでしたが、実際の撮影は病院や学校の場を借りて2日がかりのものに。その後の編集も、各担当者による絵解きづくりや資料映像集めと並行して、約4週間の作業になりました。

映像作品づくりには、組織力がより求められます。

『Protect against 糖尿病』は、今後も医療関係の催しものなどで、上映の機会を探していくことになります。ウェブ上での公開も考えています。糖尿病予防のため、今後ぜひご覧ください。

藤村女子高校の生徒のみなさん、国立国際医療センターの梶尾裕先生、また資料映像を提供していただいたみなさま、どうもありがとうございました。
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カルピスウォーターに半固形状のねばねばが残らない理由を考える。


「カルピス」といえば、なにを思いうかべるでしょう。

ご年配の方は「初恋の味」という惹句かもしれません。創業者の三島海雲は、京都・西本願寺が運営する学校「文学寮」の出身。惹句は、学校の後輩だった驪城卓爾に「甘くて酸っぱい『カルピス』は『初恋の味』だ」と言われたことによるといいます。

もう少し若い方は「パナマ帽の黒人」の印を思いうかべるかもしれません。黒人差別だという非難を受け、この印は1989年から使われなくなりました。

でも、より多くの人が思いうかべるのは、飲んだあと舌に残る、“半固形状のねばねば”ではないでしょうか。

カルピスのホームページにも「口の中や舌の上に残る白い塊は何?」という、よくある質問を掲げています。
それは、「カルピス」の中に含まれるカゼインというたんぱく質と、唾液に含まれる成分が反応してできた白いかたまりです。
カルピスは、三島海雲がモンゴルの地で体をこわしたとき、酸っぱいミルクを飲んで回復したことから考えだされたといいます。カルピスは牛乳と乳酸菌や酵母菌などからできています。牛乳のなかのカゼインというたんぱく質、それに唾液の粘素という粘り気をつくる糖たんぱく質。このふたつが混ざりあうと、あの半固形状のねばねばができるようです。

しかし、自動販売機で売っているカルピスォーターを飲んでも、あまり半固形状のねばねばは舌に残りませんね。なぜなのでしょう。

カルピスとカルピスウォーターの成分を比べてみると…。

カルピス100ミリリットル(5倍にうすめたとき)
たんぱく質 0.4g
脂質 0g
炭水化物 11.5g
ナトリウム 5mg
リン 10mg
カリウム 18mg
カルシウム 12mg

カルピスウォーター
たんぱく質 0.25g
脂質 0g
炭水化物 11.2g
ナトリウム 16mg
リン 7mg
カリウム 16mg

たんぱく質がカルピスは0.4グラムあるのに対して、カルピスウォーターは0.25グラム。このちがいが、半固形状のねばねばの多さ・少なさを反映しているようです。あるいは、カルピスウォーターの「たんぱく質」がカゼイン以外のものでできている可能性もあります。

ほかにもちがいが。成分表示を見るとカルピスにはカルシウムが含まれているものの、カルピスウォーターにはカルシウムが含まれていません。カルピスの「カル」は「カルシウム」の「カル」だというのに。カルピスウォーターは単に原液を薄めたのではなく、独自の味になるよう、また半固形状のねばねばが残らないよう、よく検討されたようです。

さて、カルピスが飲みたくなりました。

カルピスのホームページ「カルピス」なんでもQ&Aはこちら。
http://www.calpis.co.jp/calpis/faq/
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「描こうよ 科学の力で 未来地図」


4月14日から20日にかけての科学技術週間をまえに、「科学技術週間標語」が決まりました。文科省の募集に、全国の小・中・高校生の作品1万点以上が寄せられたそうです。

科学技術週間ポスターに載る最優秀作品は、和歌山県切目中学校3年の中本朱さんの作。

「描こうよ 科学の力で 未来地図」

科学がこれからの私たちの生きかたを担っている、ということを明るく表現しています。五・七・五のリズム感もよく、おとなも子どもも親しめる標語ですね。

ほか優秀作15点のなかからいくつか見てみましょう。

「科学者は 知識の海の 冒険家」(高校2年男子)

未発見の知識を追いもとめる科学者という職業。その本質を「冒険家」にたとえて表しています。すでにある膨大な知識をもとに、ときには危険をおかして発見をしようとする科学者像をあたえます。

「サイエンス 地球の未来 救うカギ」(中学1年男子)

科学に対する期待が強く示されていますね。「地球の未来」とは、おそらく地球環境問題や戦争などのことを指しているのでしょう。「カギ」ということばから「地球の未来を救うのも駄目にするのも科学に掛かっている」と捉えることもできそう。しかし、未来を救うのは科学であり、未来を駄目にするのは科学を使う人間という考え方もよくあります。

「かんきょうと 仲よく進もう 科学技術」(小学5年女子)

上の標語をさらに具体化して、洞察しているような作品ですね。科学だけでなく、技術も環境に深く関わっているということを示している点も見のがせません。科学技術を使う私たちや、成果を生みだす研究者たちに「仲よく進もう」とやさしく提案しています。

「疑問符を そのままにしない 『科学』精神」(高校1年女子)

これは、科学の本質に、本人の視点からするどく迫った作品ですね。作者の方は、おそらく「疑問符」ということばのなかに、「不思議なこと」という意味のほか「問題点」という意味も含ませているのでしょう。

こうした週間の標語には、その時代をつつむ雰囲気や考え方が反映されているとともに、主催者側のねらいも含まれているもの。何度も口ずさみ、なぜこの言葉が選ばれたのだろうと考えていくと、そこにまた発見があるかもしれません。

参考文献
『サイエンス・ウィンドウ』2008年4月号
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物言う力士


規則がいろいろとある運動種目には「こんなことがあった」という珍事がつきもの。野球などでは「この場面でめずらしくもこの規則が適応された」といった話だけで一冊本ができてしまいそうです。

大相撲も多分にもれません。しきたりを重んじる競技だからか、行事や審判員、さらには土俵に控える力士の振るまいかたにまで規則があります。例えば、控え力士は「自分の出場する2番前から、所定の土俵溜に着かなければならない」など。

相撲には次のような規則があると小耳にはさんでいました。

「控え力士も“物言い”をつけることができる」

“物言い”とは、行司軍配に異議を唱えること。通常は、東西に各1人、行司だまりに2人、正面に1人いる審判の誰かから手があがると、土俵上で行司を交えて協議を行い、あらためて勝者を決めます(“同体”で取りなおしになることも)。

規則を見てみるとやはり。物言いをつけられるのは審判だけではありませんでした。

控え力士の項目には「勝負判定に異議があるときは、物言いをつけることができる」とあります。土俵での協議には参加できないものの、力士にも「勝ち軍配の力士の足が出ていたのでは」とか「体が死んでいたのでは」といったことを主張をする権利が与えられているのです。

とはいえ、自分の土俵に集中したい控え力士のこと。その権利を行使したひとはまずいそうもありません。

と、思いながらも念のため調べてみると、「控え力士が物言いをつけた」珍事はたしかにありました。それもわりかし最近のこと…。

1996年1月15日の初場所。貴闘力と土佐ノ海の一番で、行司の軍配が土佐ノ海に上がったとき、すかさず手をあげ“物言い”をつけた力士がいます。大関・貴ノ浪です。

当時、審判部長だった元横綱琴桜の佐土ケ嶽は、自分も手をあげようと思っていたそうですが「あんなに貴ノ浪が早く手を上げたのでびっくりした」と振り返ります。

貴ノ浪が真っ先につけた“物言い”により5人の審判員は土俵へ。協議の結果、行事差し違えで貴闘力の勝ちとなりました。

翌16日の朝日新聞「天声人語」がこの珍事を振り返っています。
サラリーマン的心配もしてしまう。(1)「逆転勝ち」の貴闘力は、同じ二子山部屋の所属。身びいきだ、と非難されないか(2)審判はお株を奪われた格好だ。よけいなことをして、などと言われないだろうか(3)親方には、褒められただろうか。自分の勝負に専念せよ、と注意されなかっただろうか
“物言う”力士が多くなったいまとなっては、大いなる老婆心にも見えます。でも、黙って土俵に専念する、寡黙な力士像がこのころはまだ強かったのでしょう。安芸乃島とか、陣岳とか。

貴ノ浪本人は「きわどい勝負があったら物言いをつけようと、いつも思っている」とさわやかに語ったとか。ふところの深さを感じさせる言葉ですね。この場所、貴ノ浪は、いま審判部長を勤めている貴乃花を優勝決定戦で破り、初優勝をしています。

相撲規則はこちらでご覧になれます。
http://sumo.goo.ne.jp/ozumo_joho_kyoku/shiru/kiso_chishiki/kisoku.html
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JR御茶ノ水駅にエレベータを


東京都千代田区のJR線の御茶ノ水駅は、千葉−三鷹をむすぶ総武・中央線各駅停車と東京−高尾をむすぶ中央線快速が停まる交通の要所です。乗車客は1日におよそ10万人。このブログでも前にのりかえまつわるささいな記事を書きました。

もちろん駅を出て目的地に向かう客も多くいます。とくに駅のまわりは順天堂大学、東京医科歯科大学、日本大学などの8病院が集中し、からだの不自由な方やお年寄りも多く使っています。

しかし、困ったことに駅にはエレベータやエスカレータがついていません。病院に通う人たちも駅でおりるとせまい階段を上らなければなりません。この問題は2006年ごろから新聞で報道されるなどしていました。

JR東日本では、2010年までに乗降客5000人以上の駅にエレベータやエスカレータを設けてバリアフリー化する予定。しかし御茶ノ水駅はとりわけ難しそうです。駿河台の崖と神田川の谷の間にへばりつくように作られているため、ホームの幅も狭いためです。

新宿方面よりにある御茶ノ水橋口は病院が多く、利用者そのものも多い改札口。とりわけ、この改札口の近くとホームをつなぐエレベータが求められましょう。



改札口から真下へおりるエレベータをつくっても(A)、階段幅がホーム幅とほぼ同じため、エレベータをおりたところで階段がじゃましてホームへたどり着けません。利用客の多いため階段幅を削ることもむずかしそう。

そこで一考。改札口から1・2番線と3・4番線に降りる両階段の間に「Y」字型の延長通路を設け、そこにエレベータを設置するのはどうでしょう(B)。まず、両ホームにエレベータ施設をつけ、それを橋脚代わりにして「Y」の橋をつける案です。言うは易し行うは難しかもしれませんが。

1904(明治37)年末に飯田町駅との間を結ぶ駅として開業してから104年。東京とは思えぬほどの風光明媚な駅ながら、その裏では身体の不自由な利用者にとって切実な問題があったのですね。

近い将来「エレベータはこのように設置されました」と報告できればよいのですが…。
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気長な生存戦略


「素数」と「セミ」の組み合わせは、数学好きにとってはよく知られている話かもしれません。

海外に棲息しているM.decim、M.cassini、M.deculaという3種類のセミには「ジュウシチネンゼミ」という名前がついています。名のとおり、17年ごとに大発生して街を騒がせます。

西洋では虫の鳴き声にあまり風流を感じないといいますから、さぞ17年に一度の大音は人にとっては困った話でしょう。

けれどもセミにして見れば、この“17年周期”にはこんな生き残り戦略があるのではと言われています。

セミにとっての天敵は寄生虫。それはジュウシチネンゼミにしても同じですが、“17年周期”を利用することで、寄生虫とめったにお目にかからずに済むのです。

もし寄生虫のライフサイクルが2年周期なら、ジュウシチネンゼミがこの天敵とおなじ時期に発生するタイミングは「17年周期×2年周期」つまり34年に一度だけ。寄生虫のライフサイクルが3年なら「17年周期×3年周期」で51年に一度だけになります。

寄生虫にとっては、このセミを首尾よく捕まえるため、自分も1年周期か17年周期にしなければなりません。でも1年周期にすると、最初の16年はセミの発生を待たねばならないから大変。

いっぽう17年周期に伸ばそうとすると、徐々に進化していくなかで16年周期の期間を経験しなければなりません。この期間も寄生虫はジュウシチネンゼミを食べて生きるには、「16年周期×17年周期」で272年に一度の機会しかなくなるのです。

17年という長い期間で、かつ素数の年の周期をとったことにより、セミは寄生虫から逃れられたという説です。

参考文献
サイモン・シン『フェルマーの最終定理』
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書評『ノーベル賞の光と陰』
『ノーベル賞の光と陰』『科学朝日』編 朝日新聞社 1987年 255ページ


書名のとおり、ノーベル賞にまつわる「陰」の部分にも焦点をあてている。

たとえば、1923年に医学・生理学賞を受賞したジョン・マクラウドとフレデリック・バンディングのように、犬猿の仲だった共同研究者が賞を受けたときの顛末の話もあれば、1926年に医学・生理学をとったヨハネス・フィーガーのように、受賞後にその研究成果が誤りだったことがわかり、研究者としての名誉をおびやかされた話もある。

苦しみの末に受賞をした人、受賞したに関わらず不幸な目にあった人、22編にわたって個性的な話がでてくる。

日本人についても、第1回医学・生理学賞受賞候補になっていた北里柴三郎や、ビタミンの発見者とされつつも世界的には無名だった鈴木梅太郎の話が出てくる。

研究の世界でも骨肉のあらそいはそこここで繰り広げられているよう。科学上の功績とは、発見・発明をした人にあたえられるもの。一番争いは、科学者どうしの対立も生めば、遺恨も残す。

ノーベル賞の存在が、そうした一番争いを助長させているようにも見えてくる。けれどもノーベル賞をとるための争いが、結果的に科学の発展の速度を速めることにもなる。これはノーベル賞の光」の部分といえる。

古めかしい逸話で覆い尽くされている気もするが、内容は科学史のエピソードが集まっているので、読みものとしていまも十分に楽しめる。

『ノーベル賞の光と陰』はこちらで。
http://www.amazon.co.jp/ノーベル賞の光と陰-朝日選書-322-科学朝日/dp/4022594225/ref=pd_rhf_p_1
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鯨肉


地元の食堂が、めずらしくも鯨肉を出していたので食べてみました。20年以上前に、小学校の給食のときにたまに出ていた覚えがあります。

まぐろの刺身よりも歯ざわりを少しだけこりこりさせたような感じ。赤身のなかの白身が特徴的。もっとも近い味は、やはりまぐろの赤身でしょうか。

おろしにんにくが添えてあったので、それをつけて食べます。すると魚を食べているというよりは、肉を食べているというような感覚になりました。

鯨をめぐっては、日本の調査捕鯨船に外国の環境団体が妨害活動をつづけていることが問題になっています。食という文化がからんだ問題だけに、解決までの道のりは遠いかもしれません。

そんななか、こんな報道がされています。

「捕鯨は畜産よりも環境にやさしい」

ノルウェーの人が「鯨肉1キロを得るのと、牛や豚、鶏から肉1キロを得るのでは、そのために消費する温室効果ガスの量ははるかに鯨肉の場合のほうが少なくてすむ」ということを調査したとのこと。

1キログラムの牛肉のかたまりを得るには、その牛が穀物を飼料として摂取するため、11キログラムの穀物が使われるといいます。おなじように豚1キログラムも7キログラム、鶏1キログラムも4キログラムの穀物が必要とか。うえの報道内容は、こうした話と似ている部分がありますね。

食べなれていないせいか、実感としては「ぜひまた食べたい」と思うような料理ではありませんでした。とはいえ、昔から食べてきた料理の「食べる・食べない」の選択の自由がうばわれていることは、やはりのっぴきなりません。
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『生と死の倫理』で“生かさなくてもよい命”を考える。


日経ビジネスオンラインの「超ビジネス書レビュー」というページに、ひさしぶりに書評を寄せました。きょう付けで載っています。

とりあげたテーマは生命倫理。ピーター・シンガーというオーストラリア出身の哲学者が著した『生と死の倫理』という、およそ10年前に出された本です。

著者の主張は、かなり刺激的なもの。ごくかんたんに紹介すると「“生かすべき命”と“生かさなくてよい命”があることを受け入れよう」という主張に集約されます。

著者によれば、“生かさなくてもよい命”とは、たとえば意識がまだ生じていない胎児や、脳が欠落した無脳症とよばれる病気のまま生まれた赤ちゃん、また脳死状態となった人はもとより、いわゆる植物状態の人の命などが含まれています。

これらの共通点は、意識が生じていない、または、意識が回復する見込みのない者たちということになります。つまり、意識がないのならばその人が生かされても生かされなくても本人の利益や不利益にはならないという考えから、著者は“生かさなくてもよい命”の存在を認めようというのです。

きょう一日だけで、かなりの書評読者からの「コメント」が来ているようです。少しだけ抜粋してみます。
脳死からの摘出を条件とする心臓移植には反対だ。酷な表現だが「人の心臓をもらわなければ生きていけないような命を生かす意味があるのか」と感じたからだ。
植物人間など重度の障害は看護をする家族の心労を考慮してあげるべきで、「生かさなくてよい命がある」ということには賛成です。
動物の一員である人間は死も選択できる存在であって欲しいと考えますが 如何。何が何でも呼吸させるというのは人間の尊厳に対する冒涜の何物でもないと考えます。
法律で一律に白黒つけるのではなく「ケースバイケース」で臨機応変にやれるのが一番いいと思います。個々の事情は皆違うのに、たった一つのルールや価値観だけで乱暴に人の生死を決めてしまっていいのかと思うからです。
私は著者の考え方には抵抗があります。それはなぜかと考えると、自分や身内がそのような立場になったときに安易に切り捨てられない、切り捨てられてはたまらない、そんな目に会ったら怖い、と思うからです。

ある方のコメント「『死なせていい』がスタンダードになってしまうと、逆に、家族も本人も死ぬ事を望んでいないのに、周りからの圧力(生かしておくのは税金の無駄遣いだ等)で、そうせざるを得ない状況に追い込まれて行く危険性が出てきます」には、共感する部分があり、著者の主張に心配を投げかけるとしたら、やはりこの部分なのでしょう。

“すべり坂”を滑っていくように、“生かさなくてもよい命”の範囲がどんどん拡大していき、“生かすべき命”だった者にさえ「あなたは“生かさなくてもよい命”に含まれます」と圧力がかかっていくような世の中になってしまわないか、という心配があります。社会の制度や雰囲気に歯止めを掛けることはそう簡単ではないでしょう。

科学と生命倫理がより密接にからみあうこれからの時代。ぜひおすすめしたい本です。

日経ビジネスオンライン「超ビジネス書レビュー」のページはこちら。
http://business.nikkeibp.co.jp/article/life/20060330/100893/
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ロマンスカー、地下鉄を走るなら…。


東京のあたりを走る私鉄の「特急」の多くは、運賃だけで乗ることができます。

でも小田急電鉄の特急ロマンスカーは特急券を買って乗る正統派。関西を走る近鉄の特急とおなじですね。

このロマンスカーが、(2008年)3月15日から、北千住と代々木上原をむすぶ地下鉄千代田線を走るようにもなります。

これまでも小田急線と地下鉄千代田線は、代々木上原で電車の乗り入れをしていました。そのダイヤグラムに特急ロマンスカーを組みいれることになったのです。

かつてロマンスカーは、都心から箱根や江ノ島にお出かけするための特急でした。いまもその役割はあるものの、ちかごろは通勤客も増えたようです。小田急電鉄は地下鉄千代田線を走るロマンスカーを「北千住・大手町〜本厚木・唐木田を結ぶビジネス特急」と位置づけています。

時刻表の一例を見てみますと、小田急線内の本厚木を6時28分に出発したロマンスカー「メトロさがみ」は、地下鉄千代田線内の表参道、霞ヶ関、大手町、北千住に停まります。大手町のオフィス街にかよう厚木市民には魅力的な電車となるでしょう。

けれども、この地下鉄を走るロマンスカーには、走る前から改善点を指摘することもできます。

地下鉄千代田線は各駅停車の電車しかなかったため、急行や特急が通過するのを待つ「退避駅」がありません。特急ロマンスカーが地下鉄千代田線を走ったとしても、前を走る各駅停車を追い抜かすことはできないでしょう。

新しい時刻表では、表参道に7時17分に停まったロマンスカーが終点北千住に着くのは7時47分。かかる時間は30分です。この間、霞ヶ関、大手町に停まるのみ。

いっぽう千代田線の各駅停車でも表参道から北千住までは約30分。この間、霞ヶ関、大手町も含め13駅に停まります。

各駅停車とほぼ同じ時間がかかるなら、なぜ特急ロマンスカーは地下鉄千代田線内で各駅停車にしないのでしょうか。前の各駅停車につっかえながらの運転となるため、地下鉄千代田線内のロマンスカーはのろのろ運転も予想されます。

つぎの時刻表改正で地下鉄千代田線はロンスカーも各駅停車となっていると予測できます。

小田急電鉄「もっと便利に もっと快適に ダイヤ改正を実施」はこちら。
http://www.odakyu.jp/release/080214/080214.pdf
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31字のなかの贅沢


五・七・五・七・七の31字に自分の心情をあますことなくつづるのが短歌。7世紀後半、万葉集初期のころにはこの形ができていました。

限られたマス目に文字を埋めて、むだなく情報を伝えようとする現代のものかきとはちがい、奈良時代や平安時代などの短歌には「枕詞」がありました。

「たらちねの」は「母」などにつく枕詞。漢字にすると「垂乳根」。

「タラチネ」という、なまめかしい感じもする語感も手伝い、一度おぼえたらなかなか耳から離れませんね。たまに言葉遊びが好きなサラリーマンのなかには「俺、もう帰らなきゃ。家で、たらちねの母ちゃんが待ってるから」などといって宴席をいとまする人もいるようです。ちなみに「たらちね」は「母」という意味から転じて「父」という意味ももっているようです。父がたらちねとは。

「しろたえの」もよく聞く枕詞。「ころも」「そで」「たもと」などの服装を指す言葉の前につきます。

持統天皇は「春過ぎて 夏来にけらし 白妙の 衣干すてふ 天の香具山」と歌っています。上の句の最後に枕詞をつけるといった技もさえています。

「からころも」は「唐衣」であり、中国風の服装のこと。これが枕詞として「ひも」「着る」「そで」「すそ」などの前に出てきます。

「からころも」は「からころむ」などとも発音するよう。ここで思い出されるのは、チベット高原の近くにある「カラコルム地方」でしょうか。しかし「カラコルム」は「黒い砂礫」を意味するモンゴル語だそうだから、たまたま似た言葉というだけのようです。

口調を整えるためとはいえ、たった31字の字数のなかに、5字もの枕詞を使うというのは、ある意味ぜいたくの極みなのかもしれません。
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訂正
3月5日に紹介した催しもの「Fight against! 糖尿病」の開始時間を訂正します。

正しくは、「2008年3月20日(木祝)午前9:30 から」でした。
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放電してから充電を(1)


人間はむかしから携帯できることに対してかなりのお金を注ぎこんできました。電気関係でいえば電池がその典型例でしょう。

家のコンセントからの電気で数十円する電力量を、乾電池で買おうとすると数万円にもなるのだとか。それでも電池を使うのは「どこに行っても電気機器を使いたい」という人びとの思いが高いから。

ならば電池は長もちしてほしいもの。とくに二次電池とよばれる充電ができる種類は、性能が劣らぬままくりかえし使いたいものです。

充電池には、電気が残ったまま充電をくりかえすと、だんだん電池の容量そのものが減ってきて、短い時間しか持たなくなってしまうという問題があります。エヌティティ・ドコモなどでも、3本立っている電池容量表示が1本になってから充電することをすすめています。

二次電池については、放電しきってから充電するほうが、いつまでも長い時間、使えるということになります。となると「放電してから充電する充電器」があれば、利用者にとってはとても便利。

実際に、そうした「放電機能つき充電器」というのは売られてはいます。

たとえば、ネクセルという福井市の会社は、単三・単四電池の放電充電ができるNC-60FCなどを作り、売っています。また、東京・秋葉原の電気街では香港の企業サイテック社製の放充電器などが売られているようです。

しかし、これらの放充電器製造業の名はあまりなじみがないところ。もっと名の知られた電池製造業などが放電充電器を作っているという話はあまり聞いたことがありません。

放電充電器は、それほど技術的にむずかしいものなのでしょうか。それもとまたべつの理由があって作らないのでしょうか。

そこで何社かに「放充電器があると利用者は充電池を長く使えて便利なのですが、作らないのですか」と聞いてみることにします。つづく。

ネクセル社の放電もできる充電器の紹介はこちら。
http://shop.yumetenpo.jp/goods/goodsList.jsp?st=nexcell.co.jp&category=2&action=category
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安全を高めるエネルギー


「太陽光エネルギー」と聞いて「地球にやさしいエネルギー」と連想する方は多いでしょう。

ほぼ無尽蔵に使える太陽の光。そのエネルギーは、理論的には二酸化炭素の排出をともないません。なので地球にやさしいエネルギーであることはまちがいありません。

でも「太陽光エネルギー」と聞いて「私たちの安全を高めるエネルギー」と連想する方はまだあまりいないのでは。

なぜ、太陽高エネルギーは安全を高めるといえるのか。そのわけはいくつかあります。

まず、災害対策の面で太陽光エネルギーは優れているといえます。

たとえば地震が起きたとき、原子力発電所や火力発電所が運転を止めてしまうと大規模な停電などが起きてしまいます。

しかし、いたるところで太陽光発電により電気を作っていれば、ある地域で定点が起きても、広い地域におよぶ心配はありません。

ある意味「リスクの分散」を太陽電池がになっているということが言えるでしょう。

また島国の日本は、有事のとき海路を絶たれてしまうと、たちまち食料不足と石油不足に陥るといいます

太陽光発電の普及率が高まっていれば、とうめんは電力を確保してしのぐことができるでしょう。

太陽光発電は国防上の安全性を高める力がある、ということもいえます。

日本では「太陽光発電と安全」という結びつきはなじみ薄いようですが、海外では国を守るための太陽光発電という図式が浸透しているようです。

たとえばスウェーデンは、もちろん環境対策もあるでしょうが、国防対策のため太陽光発電をはじめとする再生可能エネルギーの導入を進めているそうです。

環境対策に一役買う。それだけでなく、安全をも高める。そういったことで太陽光エネルギーをさらに売り込めば、太陽電池の浸透度もすこし上がるかもしれません。
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「わが大学の湯川先生がノーベル賞を…」


物理学者の湯川秀樹はいわずとしれた日本人初のノーベル賞受賞者。「中間子」の存在を予言したことにより1949年に受賞を果たしています。

中間子とは素粒子のひとつです。湯川は、陽子と中性子は中間子をキャッチボールしあうことにより、ばらばらにならずに済んでいる、というようなことを予言しました。この予言を述べた論文「素粒子の相互作用について」は1934年、湯川が28歳のときに書かれたものです。

さて「湯川秀樹」といえば、「何大学」が連想されるでしょう。

かなりの方は「京都大学」と答えるかもしれません。湯川は京都大学を卒業、その後も京都大学で講師や教授の職に就いています。京都大学では、これまで総合博物館で「湯川秀樹−朝永振一郎生誕百年記念展 ノーベル賞への道のり」といった企画展を催しています。

しかし、ノーベル賞受賞につながるこの論文を湯川が発表したとき、湯川はほかの大学に在籍していました。

それは大阪大学(大阪帝国大学)。

1933年から湯川は大阪大学の講師になっています。このため、京都大学と大阪大学の両大学は「わが大学の湯川先生がノーベル物理学賞をおとりになった」と、誇ることができそうです。

それぞれの大学では湯川のことをどのように讃えているのでしょう。

京都大学は「湯川秀樹・朝永振一郎博士 生誕百年記念行事」ホームページで「日本で初めてノーベル賞を受賞した湯川博士と二番目に受賞した朝永博士は、第三高等学校と京都大学において学んだ同級生であり、卒業後も京都大学に於いて研鑽して研究者としてのスタートをきりました」と書いています。京都で“育ち”、京都で“研究をはじめた”という書き方をしていますね。

いっぽう大阪大学は「湯川記念室」ホームページで「1935年、当時大阪帝国大学理学部講師だった湯川秀樹博士は、原子核を結合させている力は中間子という未知の素粒子の媒介によって生じる、という趣旨の論文を発表し、この先駆的な業績により1949年度のノーベル賞を授与された」と書いています。こちらは、大阪での研究がノーベル賞につながったという意味合いが感じられます。

しかし「湯川といえば京都大学」という型にはまった構図はかたくなです。ためしにグーグルで「湯川秀樹 京都大学」「湯川秀樹 大阪大学」などで検索をかけてみました。

湯川秀樹 京都大学 の検索結果 約 28,200 件
湯川秀樹 大阪大学 の検索結果 約 8,720 件

世間の風潮はグーグルだけでははかれませんが、検索結果の差は3倍もついています。

英語ではどうでしょう。

Yukawa Hideki Kyoto University の検索結果 約 3,490 件
Yukawa Hideki Osaka University の検索結果 約 1,490 件

日本語ほどではないものの、やはり京都大学のほうに部があります。

若かりしころ京都で育ったこと、また京都時代は、中学、高校、大学と、つねに朝永振一郎と同級生だったこと、また、京都市の名誉市民にもなっていること。これらのことが「湯川といえば京都」に作用しているのではないでしょうか。

大阪大学でも京都大学でも湯川秀樹は名誉教授です。ちなみに出身地は東京です。
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3月20日(木・祝)は「Fight Against ! 糖尿病」


おしらせです。

(2008年)3月20日(木・祝)に、東京・新宿区の国立国際医療センターで「Fight Against ! 糖尿病」という催しものが開かれます。

いま日本では、1800万人が糖尿病患者または予備軍だといわれています。でも、原因や症状などの実態は、あまり市民に理解されていないのが現状のよう。

たとえば。なぜ肥満の人がなりやすい病気なのに、病気が進むと症状によっては痩せてしまうのか…。患者が注射などの薬のほか、ジュースなどの甘いものを必要とするのはどうしてか…。

これらのことは患者さんや家族にとっては、よく知られた話なのかもしれません。しかし、糖尿病になっていない、または自覚していない人が糖尿病のしくみについてどれだけ理解しているかは未知数です。

糖尿病は自覚症状がなかなか出てこないため、ふだんからの予防がとくに大切といわれています。「糖尿病なんて関係ない」と思っている人こそ、糖尿病や予防について知ることが求められています。

そこで、この催しものでは、糖尿病にあまりなじみのない一般の方や高校生たちに、国立国際医療センターの糖尿病専門医や研究者たちがトークやクイズなどのかたちで糖尿病をめぐる話をします。ほかにも、血糖値を測ったり、糖尿病食を試食したりできる体験コーナーも。

忙しさなどもあってか、これまで医者が市民と対話する機会は、診察をのぞけば乏しいものでした。でもここにきて、診察だけでなくアウトリーチ活動などの別のかたちでも対話をすべきだという声がすこしずつ出てきています。

背景には、医療費を減らすため、治療から予防へと医療の重点がうつっていることなども。診察室でのやりとりだけでは、市民が病気や予防について知る機会はなかなか生まれません。医者たちは、市民との対話をするモデルを模索しはじめているのです。

この催しものには、早稲田大学大学院科学技術ジャーナリスト養成プログラムも参加します。高校生などの若い人たちに糖尿病にならないようにしようとよびかける映像作品「Protect against ! 糖尿病」を上映予定。撮影は快調です。

糖尿病や予防のことを知るきっかけになる催しものです。いつもとちょっとちがう祝日の朝を過ごしてみてはいかがでしょう。

「Fight Against ! 糖尿病」は、(2008年)3月20日(木・祝)>午前9時30分から、新宿区の国立国際医療センター研究センター5階大会議室にて。入場無料、予約不要。

会場までの地図はこちら。
http://www.imcj.go.jp/hosp/guide/location.htm

内容はこちら。
1)オープニング
  Protect against! 糖尿病(映像)
    早稲田大学、藤村女子高校、国立国際医療センターの合作作品
2)糖尿病と遺伝の話題「遺伝といっても簡単じゃないんです!」
    国立国際医療センター代謝疾患研究部長 安田和基
3)糖尿病と生活習慣の話題「リスクという数学的な考え方」
    国立国際医療センター糖尿病・代謝症候群診療部長 野田光彦
4)クイズ! あなたは糖尿病をどこまで知っている?
    国立国際医療センター看護相談室 石本洋子

実体験シリーズも。
1) 測ってみよう!あなたの血糖値
2)あなたの血管年齢は何歳?
3)あなたの消費カロリーは?
4)食べ過ぎ?少なすぎ?食事のチェック
5)試食コーナーなど
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オプト・インとオプト・アウト


消えた年金問題では、「年金を払った」「払わない」をめぐり、市民と社会保険庁のあいだで論争が起きています。

弁護士の谷澤忠彦さんは、市民救済の立場からこんな提案をしています。

「『私は払った』と言う人は基本的に払ったものとするしかないでしょう。政府のほうが『あなたは払っていません』と証明するように、立場を転換しないと」

たしかに問題を起こしたのは政府なのに、なぜ市民が「私は払った」と証拠を示さなければならないのか。谷澤さんの提案はまっとうに聞こえます。

さて、二者間の義務のありかをめぐっては「オプト・イン」と「オプト・アウト」という考えがあります。

オプト・インとは、AさんがBさんになにか働きかけるとき、Bさんの許しがあってはじめて実行できる状態のこと。

たとえば。国が市民に脳死時に臓器提供をしてほしいと思っているとします。国が「私が脳死になったときは臓器提供をします」という意思表示をしている市民からのみ、臓器提供を受けるのがオプト・インです。日本では、このオプト・インの考えに基づいています。

いっぽう、オプト・アウトの考え方も。AさんがBさんになにか働きかけるとき、Bさんが許さないという意思表明をしていなければ実行できる状態のこと。

脳死の例でいえば、「私は脳死になったとき、臓器提供を拒みます」という意思表示をしている市民でなければ、国はその人から臓器提供を受けることができることになります。

欧州では臓器提供に対して基本的にオプト・アウト。「死者の体は物である」という、ルネ・デカルトの心身二元論などから来ているとか。

まとめると、オプト・インでは、働きかけを受けた人が許さなければだめ、つまり働きかけられた側が有利。オプト・アウトでは、働きかけを受けた人が拒まなければよく、働きかけをした側が有利になります。

オプト・インとオプト・アウトでは有利さは大きくちがうものの、どちらが適用されるかは働きかけ側の意思による部分が大。消えた年金問題についていえば、国は「あなたが拒まないかぎり、あなたは年金を払っていないこととみなします」を基本にしたオプト・アウトの姿勢。どう考えても変ですね。

どちらが「オプト・イン」で、どちらが「オプト・アウト」かわからなくなるときは語呂合わせもあります。「“オプト・イン”も、“インフォームド・コンセント”も、どちらも“イン”」と覚えるとよいでしょう。“イン”フォームド・コンセント、つまり説明のうえでの合意が要るほうがオプト・“イン”ということです。
| - | 23:59 | comments(0) | -
撤退・縮小をめぐる小不幸
自分が愛用していた製品が、お店や市場から姿を消してしまうときはさびしいものがありますね。ごくたまにおきることと思っていたら、最近そんなことがたてつづけに…。

きょう(2003年3月3日)三菱電機が携帯電話事業から撤退することを発表しました。

同社は理由を「携帯電話端末の需要の伸びが見通せない中で、お客様の嗜好がますます多様化する非常に厳しい事業環境の下、当該事業につきましては、足下の出荷台数が減少するとともに、今後の業績改善を見通すことが非常に難しくなっております」とあげています。



使っている携帯電話が三菱電機製でした。この薄くて角ばった「モノリス」のような形はほかの機種にはなかなか見られない特徴です。「こんなに薄い携帯があるんだ」と驚かれることもしばしばでした。

身のまわりで、おなじ携帯電話を使っている人もちらほら。しかし、それだけで“はやっている・いない”を決めるのは早すぎ。また、一機種だけで事業全体が“黒字か・赤字か”を想像するのもしすぎというものでしょう。

もうひとつ。この時期はコンビニエンスストアの棚でビール・発泡酒・第三のお酒の品ぞろえがかわるころ。



キリンビールが昨2007年10月に売り出した「スパークリングホップ」をよく飲んでいました。名前のとおり、ホップの香りが濃く、これまでの発泡酒や第三のお酒とはちがう、特徴的な味です。

けれども最近コンビニエンスストアに行くとスパークリングホップが見あたりません。その代わりに新発売の「麒麟ゼロ」という発泡酒が棚に何列も並べられています。

商品の撤退や縮小をめぐっては、二段階の小不幸がありそうです。一段目は、やはり使っていた商品やブランドが市場やお店から姿を消してしまうという直接的なもの。

もう一段深い小不幸は、みずからが愛用していたものが、人さまにはそれほど愛用されていなかったことに気づくこと。たとえば上のスパークリングホップでも「あなたが飲んだことのある第三のビールブランドは」と聞いた消費者調査によると、上位9品のうち第9位どまりだったそう。

個人による好みと世間による受け入れとがかけ離れているとき、自分の感覚は外れているのだろうかと感じてしまうもの。人によっては、世の中の流行や傾向を追うとき、自分の嗜好が妨げになることもあるのかもしれません。

三菱電機による携帯電話端末事業の終息の発表はこちら。
http://www.mitsubishielectric.co.jp/news-data/2008/pdf/0303-b.pdf
キリンビール「スパークリングホップ」のホームページはこちら。
http://www.kirin.co.jp/brands/sparklinghop/index.html
| - | 23:59 | comments(0) | -
4月6日はサイエンス映像学会設立総会・公開シンポジウム


お知らせです。

(2008年)4月6日(日)、東京大学の弥生講堂で、サイエンス映像学会の設立総会・公開シンポジウムが行われます。

サイエンス映像学会は、「映像を通して自然や科学の世界を理解するとともに、アーカイブス化できた貴重な映像を大人だけではなく、広く子どもたちの教育にも役立ててゆくことを目的」とする学会。昨2007年12月16日には、設立準備シンポジウムも開いています。

4月6日は、13:00から講演とシンポジウム(事前の10:30からは会員の設立総会)。

ノーベル化学賞受賞者の白川英樹さんが、特別講演「大学での研究成果を還元するためにサイエンス映像が担うべき役割」を、また学会長に就任する養老孟司さんが基調講演「サイエンス映像学会が、考え、育てること」を行います。

シンポジウムでは、養老さんのほか、ケーブルテレビ「サイエンスチャンネル」を放映するディスカバリー・ジャパンの沼田篤良さん、テレビ朝日「素敵な宇宙船地球号」プロデューサー安田裕史さんが「映像を科学する〜発展への夢〜」というお題で鼎談(進行は副会長で「驚異の小宇宙『人体』元プロデューサーの林勝彦さん)。科学映像にいぜん重要な位置を占めるテレビで活動する人たちの、番組制作に対する語りあいが聞けそうです。

映像とは、映画やテレビなどに映し出された画像のことをいいますが、最大の特徴はやはり動くことでしょう。

たしかに、科学の話題には、環境問題やナノテクノロジーなどの視覚化しづらい分野も多く、実際の対象を映像化することの難しさもあります。しかし、たとえば映像を見ている人に自分たちの暮らしが地球温暖化につながるまでの流れを概念化して示すなどの、実写を超えたシミュレーションなどで示す方法もあります。絵に動きがあることで、わかりやすさや印象を増すことの可能性が高まります。

学会設立の背景には、ユーチューブなどの動画投稿ホームページの充実もあります。学会は「科学者だけではなくテレビプロデューサー・ディレクター、映像クリエーター、小・中・高・大学の教師、そして若い学生たちによる共同活動によって、サイエンス映像のパブリックドメイン化を進めてゆきます」としています。

サイエンス映像学会設立総会・公開シンポジウムは、4月6日(日)東京大学弥生講堂で。会員も広く募集しています。詳しいお知らせはサイエンス映像学会のホームページをご覧ください。
http://svsnet.jp/?p=20
| - | 13:46 | comments(0) | -
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