科学技術のアネクドート

法廷の科学は真実を語るか(3)
法廷の科学は真実を語るか(1)
法廷の科学は真実を語るか(2)



1994年6月17日午前0時ごろ、ロサンゼルス近郊ブレントウッドで、血まみれとなった一体の死体を地元の住民のアンディが発見しました。

被害者はニコール・ブラウン35歳。高級住宅地にたたずむ屋敷のなかで、黒いカクテルドレスを身にまとい、そして血の海に溺れていたといいます。血の跡は、屋敷の中から外へと続いています。

アンディからの通報を受け、ほどなくしてロス市警が現場に到着します。捜査官は、屋敷のほど近くの鉄柵にもたれかかった、もう一人の遺体を確認しました。後に、この男性は元男性モデルのロナルド・ゴールドマン25歳であることがわかります。

ニコールは一度の離婚を経験したあと、ロナルドと非常に親密な仲になっていたといわれています。事件前夜もニコールはロナルドが勤めていた食堂に電話をかけ、「お母さんが食堂にメガネを忘れてきたの」と告げていました。いまや死体となったロナルドのすぐ近くに、そのニコールの母の忘れ物は置かれてありました。

ニコールが事件に遭う2年前に、家庭内暴力が理由で離婚をした相手こそが、オレンサル・ジェームズ・シンプソン当時46歳でした。OJシンプソンの愛称で通っていた元アメリカンフットボールの名選手です。1969年、全米フットボールリーグのバッファロー・ビルズに入団。その後、1973年には1シーズンに2000ヤード以上を獲得した初めての選手として、最優秀選手にも輝いています。

ロス市警は、ニコールの屋敷からほど近くにある元夫シンプソンの邸宅に車を走らせます。しかし、シンプソンは死体発見時刻直前の深夜、飛行機でシカゴへ飛びたっていたのです。このときロス市警のバナター捜査官とファーマン捜査官は、OJシンプソンが犯人であると確信していたといいます。

深夜便の飛行機でシカゴにいたシンプソンは、13日朝ホテルでロス市警から電話を受けます。「前妻のニコールさんが殺された。シンプソン、あなたに事情を聞きたいので、ロスに引き返してほしいんだ」

シンプソンがロサンゼルスの飛行場に下りると、待っていたのは手錠でした。すぐに顧問弁護士ハワード・ワイズマンの抗議により手錠はとかれます。動揺するそぶりを見せず、シンプソンは警察署でその後も冷静に事情聴取を受け、一度は釈放されます。

しかしその後、ロス市警はニコールとロナルドを殺した疑いによる逮捕状をとり、あらためてOJシンプソンに出頭を求めます。顧問弁護士とのあらかじめの折衝で、17日の昼まえにシンプソンが警察署に来るよう手はずを整えていました。

ところが時刻になってもシンプソンは警察署に姿を見せません。

夕方になりロス市警は、友人が運転する車に同乗して高速道路を“逃走”するシンプソンの姿を確認します。逃げる1台の車と追う数十台のパトロールカー、さらにそれを追う放送局のヘリコプター。“逃走劇”は全米に生中継され、全米中のピザの出前注文数が激増したといいます。

逃走行為により逮捕されたシンプソンは、その後、あらためて殺人容疑で逮捕されます。

不快感をあらわにするOJシンプソン。犯人はシンプソンであると確信するロス市警。この対決は、その後、弁護士団対検察官という構図にかわっていくのでした。つづく。
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見えないけどそこにあるハウスダスト


ハウスダストの人体への悪影響が心配されています。

先日(2008年2月24日)、東京・初台のリビング・デザイン・センター「OZONE」で、このブログでもたびたび解説コメントをいただく県立新潟女子短期大学の本間善夫さんらがハウスダストについての説明を行いました。

日本語にすれば「家のほこり」。ダニの死骸などを含め、ハウスダストにもさまざまな種類があります。本間さんは「家にあるすべてのものがダストのもと」と話します。たとえば台所で料理のときに飛びちった油のつぶが部屋をただよう繊維ぼこりにつく、家電製品の外側のプラスチックの成分がはがれおちる、といったように、家の中ではいまもちょっとずつハウスダストが生まれているのです。

説明会でとりあげられたのは臭素系難燃剤という化合物。たとえば火事のとき燃えひろがらないよう、カーテンにこの臭素系難燃剤が使われています。

“まさか”のときにはとても便利ですが、このカーテンの臭素系難燃剤もハウスダストのもと。成分であるテトラプロモビスフェノールA(TBBPA)などの化学合成物質が、経路はわからないながら私たちの体に取り込まれます。

国立環境研究所の鈴木剛さんによると、人体への影響は、生命を維持するために必要な代謝をつかさどる甲状腺ホルモンの異常など。とくにお腹のなかの赤ちゃんがこれらの物質の影響を受けると、行動異常などのおそれが出るといいます。

難燃剤はカーテンだけでなく、テレビの外枠、パソコンの基板、そのほかいろいろな製品に使われているため、なかなか避けることはできません。では体に取りこまないためには、どうしたらよいのでしょう。

鈴木さんは「手を清潔にすることや部屋のそうじをこまめにすることが考えられる対策」と話します。風邪のウイルスや花粉などを体に入れないようにすることと似ていますね。

アスベストがそうだったように、いつの時代も「便利さ」と「環境や体への悪影響」は天秤で比べられるもの。難燃剤もいまは便利さ優先で使われていますが、影響が科学的にわかってくると、使われ方も変わってくるかもしれません。

本間さんの「ほこりは目に見えないものです。ハウスダストを避けるため、私たちの想像力を働かせることもたいせつ」ということばが印象的でした。

本間善夫さんのブログ「こども省」の25日の記事「昨日の新宿でのセミナーと交流会」はこちら。
http://d.hatena.ne.jp/ecochem/20080225
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第1回国際太陽電池展が開幕


第1回国際太陽電池展が、きょう(2008年2月27日)東京・有明の国際展示場ではじまりました。29日(金)まで。

太陽電池は、太陽エネルギーを電気エネルギーにかえる装置。屋根に太陽電池をつけている家はむかしからありました。でも、ここにきて太陽電池の業界はもりあがりを見せています。

背景には、ちかごろの石油の価格高騰や枯渇への心配に対する新エネルギーへの期待、市民や企業の地球環境に対する関心の高まりなどがあるでしょう。こうした社会的な要因のほかにも、科学技術が進んだため太陽電池の本格的な実用化への道がひらけてきたという見とおしもあります。

太陽電池の種類はさまざま。たとえば「単結晶シリコン型」は伝統的なもの。シリコン結晶の固まりを薄くスライスし、太陽の光を受けるセルをつくります。

ほかにも、「多結晶」によるシリコン太陽電池や、「CIGS(炭素、インジウム、ガリウム、セレン)」という複数の元素を混ぜてつくる太陽電池、また、薄くて曲げることもできる「有機薄膜太陽電池」といったものも。

種類により、費用、エネルギー変換効率、形状・形質などは一長一短。適材適所に使うという考え方もできるため、ブルーレイ・ディスクとHD-DVDをめぐる次世代DVD市場ほど、標準規格あらそいは激しくありません。でも、技術が進歩した種類に客がよってくることはたしかでしょう。

出展企業のねらいもさまざま。シャープは2010年3月、大阪・堺市で稼働予定の巨大太陽電池工場を液晶ディスプレイで紹介するなどやや業界向け。いっぽうホンダは自社製太陽電池を使っている人のインタビューを上映するなど利用者向けの展示でした。

太陽電池パネル製造の大手から、周辺機器を扱う小企業まで、300社が出展(主催者情報)。大手企業の前の通路は、年末のアメ横ほどの混みぐあいでした。

太陽電池のシェアでは、ちかごろ海外企業からの追随におされ気味ながら、シャープが世界1位、京セラ、三洋電機、三菱電機も10位以内に名を連ねています。市場の明るい未来を感じさせる会場の雰囲気でした。

第1回国際太陽電池展のホームページはこちら。
http://www.pvexpo.jp/
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村松秀さん「『分からなさ』にどう対処するか」


きょう(2008年2月26日)東京・内幸町のプレスセンタービルで、NHKディレクター村松秀さんの講演がありました。村松さんは「論文捏造」というドキュメンタリー番組と同名の書籍を発表し、2007年度科学ジャーナリスト賞(日本科学技術ジャーナリスト会議主催)大賞を受賞しています。

講演でもっとも使われたことばが「分からなさ」。村松さんが日ごろ番組をつくるときに抱いているテーマだといいます。「日本人は『分からなさ』と向き合うことが下手だと思うのです。分からないことがやってきたときにどう対処したらよいのかが分からない」

あげられた例はさまざま。たとえば、報道ではすっかり下火となった「環境ホルモン(内分泌かく乱物質)」。環境省は36の人工化合物を調べて「人間への影響がない」という旨の声明を出しています。

しかし、これは36種類のみで分かっただけの話。ホルモン受容体と結びつくことのできる化合物はほかにも約2000種あるといいます。まだ内分泌かく乱物質かどうか“分からない”物質はたくさんあるのです。ほんとうはそれらも調べなければ人体への安全は確かめられないのですが、世の風潮は環境ホルモンはむかしの話となっています。

「あまりにも巨大かつ深遠なブラックボックスになってしまっている問題があります。そこには『安全である』『危険である』という側面だけでなく『分からない』という側面もある。それにどう対応すればよいのかを考えなければならない」

村松さんが手がけた、論文捏造を題材にした番組と本は米国ベル研究所の研究員による高温超伝導についての多くの論文がねつ造だったと分かる前後を丹念に追ったもの。この作品でも、底に流れているテーマは「分からなさ」と言います。

「科学では『分かる』ことが大事なのであって『分からない』ことは扱いにくい。捏造を証明することはきわめて難しい」

科学に対する一般人の意識とはどういうものでしょう。“分かっていなければならない”とか“分からないことはない”というような絶対性をもたせたい人もいるのかもしれません。

しかしこうした絶対性や完全性は自分の首を絞めることにもなりかねないようです。「『完成された社会』であると思い込んでいる場合に『分からなさ』に対処できない場合が起きやすい」と村松さんは言います。

「どこか深い」と感じさせる番組や本には、表にはあまり出さないけれども、裏側にあるしっかりとしたテーマがあるもの。村松さんの「分からなさ」は、まさにそのようなものでしょう。

書籍『論文捏造』はこちらで。
http://www.amazon.co.jp/論文捏造-中公新書ラクレ-村松-秀/dp/4121502264/ref=sr_1_1?ie=UTF8&s=books&qid=1204038315&sr=1-1
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食後ののど渇き


夜にラーメンなどの塩辛い食べものを食べたつぎの朝、喉が渇いて水をたくさん飲みたくなるのはなぜなのでしょう。構成の手伝いをした『高血圧の常識はウソばかり』に書かれてあるので、それをもとに見ていきましょう。

話の中心になるのは、ナトリウム。いわゆる「塩」は「塩化ナトリウム」という物質でできています。塩化ナトリウム(NaCl)の組成は、重さでナトリウム22.99に対して塩素35.44。塩の中には、かならずこのくらいの比率でナトリウムが入っているのです。

このナトリウムを人の体が取りこむと、体は体内のナトリウムの濃さが一定になるように調整をしようとします。そのひとつの表れがのどの渇き。つまり、がぶがぶと水を飲むことによって水分が増えるため、これにより体内のナトリウムの相対的な濃さが減るというわけです。

しかし、水を飲み過ぎると、それだけ心臓がその水を尿にするために腎臓に送り込もうとして、血管にたくさんの血液が流れることになります。この状態が高血圧なのですね。

もちろん、高血圧が起きるしくみはこれだけではないのですが、塩分の高い食べものをとると、血圧が高くなるのはこうしたしくみによるもの。ナトリウムを尿とともに排出する利尿薬が、高血圧対策の薬ではよく使われています。

参考文献
桑島巌著『高血圧の常識はウソばかり』
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自動車道の出入口ループの内側
「地図をながめて、ここはどうなっているのだろうと思いめぐらすことが好き」という人が少なからずいます。

かつては、地図で見る場所が実際どうなっているか調べるには現場に行く必要がありました。でもちかごろは「グーグルアース」などの衛星画像があります。

ということで、きょうはグーグルアースで“現場”を見ることにします。

地価の高い東京では、いたるところで土地の有効活用が行われています。では、高速道路の出入口にある、ぐるっとまわって本線へとつながる“ループ”の内側はどうなっているのでしょう。

東京23区の自動車専用道路出入口の多くは、本線の道なりに進入路があり、そのまま本線に合流しています。土地を無駄にできない事情を現していますね。

けれども、東京23区の地図をくまなく見ると、四か所の出入口ループがあることがわかります。

足立区にある首都高速道路の加平インターチェンジは上り・下りに二つのループがある、自動車専用道としてはまともな出入口。

荒川をへだてて東側にあるループの内側はこんな感じ。



ここは首都高速道路を巡回するパトロール車の駐車場になっています。首都高出入口に首都高速パトロール車。合理的といえましょう。

いっぽう、もう一つの加平インターのループ内はテニスコートになっています。



このテニスコートは『メイド・イン・トーキョー』という本でも「インターコート」として取りあげられている有名なテニスコート。先の首都高速パトロールの職員や、地元民がこのコートを使っているという話を前に聞いたことがあります。

さて、つぎは飛んで世田谷区へ。東京と横浜を結ぶ第三京浜の起点がループになっています。ただし上で見た加平インターチェンジほど真ん丸ではありません。



ループの中に道があり、数軒の民家も見られます。その道の右側は「ホンダカーズ東京中央上野毛店」というホンダ系列の自動車販売店があります。自動車道の出入口内側に自動車販売店というのも、あまり違和感ありません。

最後は、練馬区にある大泉ジャンクション。正確にいえば、このループは出入口ではありません。東京外環自動車道から関越自動車道へと乗り換えるための連絡道路です。



ループの内側は造成中の空き地。地方にもありそうなループの内側です。しかし、やはりどうしても気になるのは、ループ内中央にある青色の円形。この色から池のようにも見えますが、右上を流れる川の色とはだいぶちがいます。また、地図でも水域を示してはいません。

よく見てみると、この青色の円形には、傘を上から見たように何本もの白い筋が通っています。

残念ながら、グーグルアースによる観察はこれが限界。やはり、そこに何があるのかを知るためには、現場に行くのがいちばんのようです。
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第5期科学ジャーナリスト塾が修了


手伝いをしていた「科学ジャーナリスト塾」の第6期が、きょう(2008年2月23日)修了しました。

科学分野で活躍するジャーナリストを育てることを目的とした塾です。東京・内幸町のプレスセンタービルで、秋から春にかけ半年間で約15回を行いました。

内容は、新聞や放送などの畑を歩いてきた講師による講義と、その講師たちがテーマごとに率いる班による発表の二本柱。さらに、今期は母体組織の日本科学技術ジャーナリスト会議が外部講師を招いて開く月例会の聴講も。まえの第5期までよりも、内容量が増えました。

きょうは、班活動の成果を披露する発表会でした。各班のテーマはつぎのとおりです。

「明らかになる宇宙の姿 〜学校で教わらない天文の世界〜」
「認知症とアルツハイマー 〜原因・治療・予防はどこまでわかっているのか〜」
「エネルギー利用 〜脱地球温暖化は可能か〜」
「里山を守る 〜足もとから見る環境問題〜」
「ポストYouTube 〜ネット時代に望まれる映像創造力〜」

発表では、それぞれの班によって発表手段が大きく異なりました。「明らかになる宇宙の姿」と「里山を守る」ではパワーポイントを使ったもの。「エネルギー利用」は格班員が新聞を作りました。「ポストYou Tube」では班員が立ちあげたブログを紹介。また、「認知症とアルツハイマー」は映像でドキュメンタリー番組をつくり発表。

教える講師が、新聞記者であったり、映像研究者であったり、テレビプロデューサーであったり。経歴が班の発表手段に大きく影響した形です。

また今回は1回2時間半の塾のなかで、講演も班ごとの演習も両方こなす内容。内容充実のねらいがありました。しかし、各班での作業が短くなってしまい、塾以外の場所でのうちあわせなどを余儀なくされることにもなりました。

毎期ごとに塾の体制や内容は多かれ少なかれかわっています。しかし、変えてみてよくなった場合もあれば、難点が生まれる場合もあり。多くの塾生は1期のみの参加なので、それがよいかどうか比べて判断することはできません。しかし各期ごとに成果と課題は浮かび上がり「これが最善」という解は、まだ見つかりません。試行錯誤は続きます。

塾生のみなさん、どうもお疲れさまでした。

これからも「科学ジャーナリスト塾」は続いていきます。
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論文の多産者は少数。少産者は多数。


多くの論文に名前が載っている、“論文の常連”がいます。

たとえば、ハンガリーの数学者ポール・エルデシュは、83年の生涯に1500以上の論文を発表しました。もちろん共同執筆による論文も多く、そこから「ポール・エルデシュ数」なる「数」も生まれています。

いっぽうで、生涯で一度きりしか論文に名前が載ったことがない人も多くいるでしょう。たとえば大学で教授から「授業のレポートがおもしろかったから、論文にしてみたら」と言われて書いた論文が載ったけれど、それっきり論文とは無縁といった学生など。

論文の多産者は少なく、論文の少産者は多い…。このことは、なんとなく常識として理解できますね。

さらに、この傾向には法則まであるのだそう。

アルフレッド・ロトカというオーストリア出身の人物がいました。彼は1902年に渡米すると、その後、石油会社、特許庁、出版社、大学、生命保険会社などのさまざまな職場を渡り歩きます。いまロトカは統計学者という肩書きがついています。

1926年、ロトカはつぎのことを指摘しました。

「多数の論文を発表する科学者はきわめて限られている」

これは、最初に示したポール・エルデシュの例を見れば明らかです。論文を1500本も書いた人は、おそらくエルデシュぐらいなものでしょう。

ロトカは、ためしに『ケミカル・アブストラクト』という抄録誌に目をつけ、「ある一定期間で、何本の論文を発表した人は何人いる」ということ調べたのです。その結果、ロトカはこんな法則性を発見しました。

「n本の論文を産みだす人の数は、nの自乗に反比例する」

これは「科学の生産性に関する逆自乗の法則」または「ロトカの法則」とよばれています。

ここから、つぎのような具体例が導きだされます。

ある期間に、
1本の論文を発表した人が、100人いた。
2本の論文を発表した人は、100/(2の自乗)つまり100/4で、25人。
3本の論文を発表した人は、100/(3の自乗)つまり100/9で、11人。
4本の論文を発表した人は、100/(4の自乗)つまり100/16で、6人。
5本の論文を発表した人は、100/(5の自乗)つまり100/25で、4人。
……
10本の論文を発表した人は、100/(10の自乗)つまり100/100で、1人。
100本の論文を発表した人は、100/(100の自乗)つまり100/10000で、0.01人。

ロトカの法則に解釈をあたえたのが、英国の科学史学者デレク・J・デ・ソラ・プライスでした。なぜ、多産の論文者は少なくなるのか。プライスによれば、それは、論文を多く発表する有名な科学者は、論文が雑誌の審査を通りやすくなるからだとか。この解釈には「論文の審査は、名前で判断するものではない」と反論する人もいるかもしれません。

その後、ロトカの法則が当てはまるかどうか、いろいろな分野の科学雑誌で調べられたといいます。もちろん、法則ほどきっちりとは行かず、ばらついた結果も出たでしょう。しかし、いずれにしても、この人数分布のゆがみは、多くの雑誌で確かめられたそうです。

人文科学分野や社会科学分野、さらには一般のブログやネット掲示板への書き込みなどでも、ロトカの法則が当てはまるのか知りたいところ。でも、だいたい当てはまりそうな気がします。

参考ホームページ
http://unit.aist.go.jp/techinfo/cisrep/pdf/dp_0503.pdf
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きゅうりねつ


(2008年2月)3日の記事で、日本人の科学の話題への関心が高くなったことを示す世論調査結果が出たことを伝えました。調査した内閣府が結果を発表しています。

科学熱の高まりか、科学バブル崩壊寸前かは何ともいえません。でも、確実にいえることは、いまから130年ほど前の日本では「窮理熱」が高まっていたということ。

あまり知られていない「窮理」ということば。もともと儒教で尊重される五つの経典のうちの一つ『易経』のなかに出てくるといいます。「窮」は「きわめる」の意味なので、「窮理」は「物事の道理をきわめる」といった意味になります。

明治時代初期の日本では、物事の道理をきわめる「窮理」ということばは、いまの学問としての「物理」に近い意味で使われていたといいます。といっても文明開化により入ってきた「西洋物理」のことを指していたのだとか。

いまとちがって西洋科学にくわしい人は当時ごくわずか。そこで人々に窮理を紹介するために1868(明治元)年に『窮理図解』という科学入門書を書いた人物がいます。慶応義塾の創始者・福沢諭吉でした。英国と米国で出された物理学などの本を参考に自然現象を図解で示したそうです。

福沢の本がきっかけとなり、明治10年ごろにかけて、文明開化の日本では「窮理熱」が沸騰したといいます。ためしに「窮理」と名のつく本を、国会図書館の検索機能で調べてみました。

『窮理外伝』(明治5年)。明治5年になると、すでに「外伝」が出ています。著者はエレキテルの発明で有名な平賀源内。ただし源内はすでに約100年前に死んでいます。よって「窮理ばやりだけれど、むかし日本の平賀源内がこんな窮理的なことをしていたのですよ」ということを伝えるための本かもしれません。

『児女必解窮理隠語』(明治5年)。「児女」に「隠語」に、なんだか卑猥な印象を受ける書名です。でも、中身は科学の問題を掲げて、別のページに答えを載せるといったものだったよう。さながら『子供もかならずわかる!物理なぞとき』といった感じでしょう。

『窮理早合点』(明治6年)。「早合点」ときました。『物理おっちょこちょい』のような本なのかと想像してしまいますが、おそらく「早合点」は「すぐにわかる」というよい意味だったのでしょう。つまり『はやわかり物理学』といった感じでしょうか。著者は軍艦行進曲の作詞者・鳥山啓です。

『窮理諳誦本』(明治7年)。こちらは暗唱本です。物理を暗記するためのテクニックが書かれているのでしょうか。本川達夫さんの『歌う生物学』のような本でしょうか。著者は瓜生寅(うりゅうはじむ)という官僚。

新しく入ってきたものが魅力的に感じられれば、それは「熱」を帯びることになるでしょう。まさに文明開化の音がするような科学の流行がありました。
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ハンドボールなのに「F.LEAGUE」は変ですし…。


行きつけの食堂でチャーハンを食べたあと、棚に置いてあった新聞に目をとおしていました。

スポーツ面には画像のような小さな記事があります。
王者名古屋敗れる波乱

F.LEAGUE 17日
(代々木第1体育館…)

最終節の2試合が行われ、全日程が終了した。既に優勝を決めている名古屋が、7位の大阪の鋭いカウンターに苦しみ、4-5で敗れる波乱。連勝は13で止まった。2位の浦安は、再会の花巻に快勝。優勝の名古屋にチーム強化費として300万円、浦安に150万円、3位に入った神戸に100万円が、それぞれ贈られた。得点王には21点を挙げた横江怜(町田)が輝いた。

浦安6-1花巻
大阪5-4名古屋
地味目な記事ですが、読んでながらしばらく考えこんでしまいました。

「いったい何の競技なのだろう」

体育館で行う。得点が4、5点入る。集団で行う。全国に8チームある…。

はじめは、すこし話題のハンドボールかなと思いました。しかし、ハンドボールなのに「F.LEAGUE」は変ですし…。

無知を恥じながら、日本の新聞の読者対象はとても広いということを考えました。おそらく新聞社は「F.LEAGUE」と見出しにあれば、読者が何の競技かわかってくれるだろうと踏んでいたのでしょう。そしてスポーツ面を見る多くの読者は「F.LEAGUE」と見て、何の競技かわかったことでしょう。

しかし常識は人によってまちまち。さらにいえば一人の人のなかでも、精通している分野もあれば精通していない分野もあります。

とても漠然とした読者を相手に、新聞記者は記事を書いてデスクがそれを直しているのです。

ちなみに、いまだに「F.LEAGUE」が何の競技のリーグであるか確認はしていません。ただ「ああ、あれか!」と察しはついたところ。
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イージス艦は「大型」「強力」「高価」艦船。


きょう(2008年2月19日)未明、房総半島沖で自衛隊のイージス艦「あたご」と、漁船「金平丸」の衝突事故が起きました。漁船の乗船員ふたりの捜索が続いています。

報道番組では「イージス艦」とは何なのかをあまり報じていないようなので調べてみました(写真は米国海軍のイージス艦)。

「大型」「強力」「高価」。事典のたぐいを見てみるとこれらの言葉が出てきます。具体的には「イージス戦闘システム」という、一括した指揮・処理システムを搭載した軍艦のことを指しています。

イージス戦闘システムとは、レーダー、ソナーなどにより他の艦船や航空機の動きを情報として収集し、ミサイル、魚雷などの兵器などを駆使して敵を破壊したり無力化したりする系のこと。敵を探知する領域は数百キロメートル、射程距離は100キロメートル以上などの高性能です。1隻の値段は1300億円を超します(「こんごう」型)。

そもそも「イージス」とは、ギリシャ神話の最高神ゼウスが着ていたとされる胸甲のこと。英語では“Aegis Destroyer”(イージス駆逐艦)。

今回の衝突事故がことさら大きく報道されているのは、もちろんふたりの人命の安否が気づかわれていることもありますが、事故を起こした艦船がイージス艦だったということも大きいようです。

日本には、今回の「あたご」1隻と「こんごう」型4隻の計5隻しかありません。最新鋭の超大型強力艦船が、漁師ふたりを乗せた漁船にぶつかってしまったわけです。軍事の面で注目される艦船が犯した事故に批判が集まっています。

参考サイト
http://www004.upp.so-net.ne.jp/weapon/aegis.htm
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プレジデントファミリー「頭のいい子の本棚拝見!」


きょう(2008年2月18日)発売の雑誌『プレジデントファミリー』の特集は「頭のいい子の本棚拝見!」。本の特集です。うち、科学書を紹介する「読んだら実験したくなる! 眠っていた『なぜ』が芽生える本」という記事に、原稿を寄せました。

紹介した本は『へんないきもの』、『ファーブル昆虫記』、『もやしもん』などなど。“新・旧”、“本・漫”、“高・安”、いろいろ織りまぜての紹介となりました。

これらの本は、いずれも灘中学、桜陰中学、筑波大学付属中学駒場校、開成中学の中学1年生たちが選んだもの。中学受験に役立つ・役立たないの視点を超えて、「将来を夢を考えるきっかけとなった本」などとして、子どもたちが選んだ本の数々です。

子どもに本への興味をもたせるための方法を、東京大学工学部広報室特任教員の内田麻理香さんに取材しました。先日(2008年1月20日)このブログで書評した『恋する天才科学者』の著者さんです。

内田さんは、みずからのお子さんを育てているお母さん。「親が読んで楽しいと思う本でなければ、子どもに本をあたえても飽きてしまう」と話します。人に何かをさせるときに大切なことの本質をついたことばに聞こえます。

そんな内田さんのおすすめ本は、科学エッセイの名著『ご冗談でしょう、ファインマンさん』。著者の物理学者リチャード・ファインマンについて、内田さんは「科学をものすごく楽しんでいる人」と話します。「こんなに楽しいと言っているのなら、ほんとうに楽しいのだろうと思える本です」。

子どもたちに興味をもって本を読ませるためのワザの数々も内田さんに語ってもらいました。ご興味ある方は、記事をお読みください。

読書の時間を削るかのように、子どもたちにも携帯電話やコンピュータが広がっています。ただひとついえることは、コンピュータも携帯電話もそして本も、すべて子ども時代に“初対面”があるということ。その人が本好きの人生を送るかどうかは、子ども自体に掛かってくると改めて思い知らされる記事づくりでした。

『プレジデントファミリー』2008年4月号のおしらせはこちら。
http://www.president.co.jp/family/20080400/pageflip.html
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得体の知れぬもの


「得体の知れぬもの」に対して、人は前むきにそれを受け入れるより、不安に感じたり排除しようとしたりと、後ろむきの感情をもつ場合が多いようです。

遺伝子組み換え作物は、一般市民にとって「得体の知れぬもの」の典型例でしょう。「なんだかよくわからないが、変な遺伝子が入った食べ物を食べるなんてこわい」といったような、漠然とした不安があるようです。

1990年代後半に政府や民間企業が遺伝子組換え食品についての世論調査を行った結果も、全体的に利用したいという声よりも不安がる声のほうが大きかったといいます。

遺伝子研究の科学者や技術者たちにしてみれば、この現状はきっと残念なものにちがいありません。遺伝子組み換え作物がより社会に受け入れられれば、病害に強い作物が栽培され収穫量は増え、と社会にとってよいことが起きることを確実視しているからです。

けれども「こうしたほうがよいに決まっている」という思いだけで、社会がそちらの向きへ傾いて行くかといえば、そうは問屋が卸さないようです。童話『北風と太陽』にもあるように、「とにかくいいからやれ」では、いわれた人が動こうとしません。

遺伝子組み換え作物をめぐる、研究者たちと一般市民たちの認識のちがいは相当なもの。一般市民が消費者である以上、そして「得体の知れないもの」であることが市民の不安を招いている以上、やはり「得体の知れぬもの」を「得体の知れたもの」に変えていくための研究者たちの努力が求められます。

研究者と市民との対話の意味はそういった点にありましょう。
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「再現率」と「精度」


知りたいことを調べてみたとき…。

「周辺情報はたくさん見つかったけど、ほんとうに知りたい情報は見つからなかった」というときと「周辺情報はあまり見つからなかったけれど、知りたい情報はずばり見つかった」というときがあります。

この二つの結果は、情報検索の「再現率」と「精度」から考えることができます。

たとえば、あなたが「サンドイッチはどのように考えだされたのか」を調べたいと思い図書館に行ったとします。司書にも相談し、知りたいことが載っていそうな10冊の事典を机の上にずらっと並べました。

「サンドイッチ、サンドイッチ…」

それぞれの事典のさくいんを見ていきます。すると机に並べた10冊のうち、5冊の事典に「サンドイッチ」という項目がありました。

その5冊を調べてみると、『食物歴史事典』(架空の事典です)という1冊だけに「18世紀の貴族サンドイッチは、カードゲームに興じて食事の時間を惜しんでいた。彼は片手で食事ができるようにパンで具をはさんだ食べ物を食事係に用意させた。このことから、この食べ物はサンドイッチとよばれるようになった」とありました。

あとの4冊の事典には、サンドイッチの作り方などは書かれてあるものの「サンドイッチはどのように考えだされたのか」を知るための情報はありませんでした。

さて「再現率」と「精度」。

「再現率」は、知りたい情報に対して、これは載っているだろうと考えた文献すべてのうち、実際に知りたい情報のことばが検索された文献の割合をいいます。「サンドイッチ」の場合、10冊の事典のうち、「サンドイッチ」で検索された文献は5冊だったので、再現率は「10冊分の5冊」つまり50%となります。

いっぽう「精度」は、検索された文献のうち、知りたい情報に適合した文献の占める割合。「サンドイッチ」で検索された5冊のうち、1冊のみが知りたい情報に適合したので、精度は「5冊分の1冊」つまり20%となります。

再現率と精度は、うらはらの関係です。

たとえば、知りたい情報が載っているのではと考えた100冊の資料のうち100冊に知りたい情報のことばが検索されたら、再現率は100%になります。一瞬「ラッキー」と思いそうですが、100冊からほんとうに知りたい情報を探すのは至難の業。精度はとても低くなります。

逆に、知りたい情報が載っているのではと考えた100冊の資料のうち1冊だけに知りたい情報のことばが検索されたら、再現率は1%ととても低くなります。けれども、その1冊にまさに知りたい情報が載っていたとしたら、精度は100%になるのです(載っていなかったら精度も0%)。

再現率と精度がちょうどよい具合に均衡がとれていると、精神的ストレスはあまりかからないでしょう。調べる人の情報への“嗅覚”が試されます。
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引用索引の歴史


米国人科学者ユージン・ガーフィールド(1925-)は、大学の学部時代に化学を学んだあと、修士課程で図書館学を専攻するという経歴をもっていました。

ガーフィールドは、研究者たちには次のような習慣があることに目をつけていました。

「研究者が、論文を読むと、その論文が引用している論文も読むものである。引用している論文と引用されている論文の間には、“論理的な鎖”があるのだ」

たとえば、ワトソンという研究者がAという雑誌に載せた論文で、クリックという研究者が書いたBという雑誌の論文を引用したとします。ある研究者が、A誌のワトソンの論文を読んだときは、つい、そこに引用されているB誌のクリックの論文を読みたくなるのです。

そこで、ガーフィールドはこんなことを考えました。

「B誌に載っているクリックの論文を、A誌のワトソンのほかに、だれが引用しているかを知りたい研究者は多いのではないか」

こうして誕生した発想が「引用索引」または「サイテーション・インデックス」とよばれる索引の形式です。

ガーフィールドは、この発想を1955年に科学雑誌『サイエンス』に発表しました。30歳の若き研究者のアイディアは画期的なものではありましたが、当時はまだ夢物語だったといいます。しかし、夢物語をひろう神もあり。

バクテリアは遺伝子を結合または交換できることを発見した理由で1958年にノーベル生理学医学賞を受賞したジョシュア・リダーバーグがその人。引用索引のたいせつさを認識していたリダーバーグは国から補助金を得るための知恵を教えたりして、ガーフィールドを励ましたといいます。

こうしたこともあり、ガーフィールドは試行錯誤をしつつ試験版を積みかさねていき、1960年代に引用索引は刊行されたのでした。

引用索引は、被引用文献の著者名の下に、発表年、発表誌名、何巻、何ページを見出し語として示し、さらにその下に、その文献を引用した論文の著者や雑誌名、何号、何ページ、出版年を一覧にします。こうして、ワトソンさんが2008年にAという雑誌の何巻、何ページに書いた論文を、誰が、どの雑誌の何号、何ページで引用しているかが一目でわかるのです。

この引用索引は、研究者たちに便利さとともに、新たな競争心をももたらしたともいいます。自分の書いた論文をほかの研究者たちがどれだけ引用しているかが、一種のステータスになるというのです。

さらに、Aという雑誌の論文の2年前と3年前の論文が、昨年1年間にどれだけ別の論文で引用されていたかから求められる「インパクトファクター」という数値も、その雑誌の有用性などを見る判断材料とされています。

けれども、「A誌に載っているワトソンの論文にはひどいことが書いてある。引用しよう」という文脈でもワトソンさんの論文は引用されてしまうわけで、かならずしも引用の多さが名声につながるというわけではありません。

ガーフィールドは、自身が生みだした引用索引やインパクトファクターについて、こんなことを述べています。

「インパクトファクターは原子力のように有難いようなありがたくないような存在となっている。 誤った方法で乱用されるかもしれないという認識はあったが、その一方で私はインパクトファクターが建設的に用いられることを期待したのである」

参考文献
戸田光昭ら編『専門資料論』
Eugene Garfield “The Agony and the Ecstasy―The History and Meaning of the Journal Impact Factor”
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「別れても好きな人」


「別れても好きな人」という歌がありました。ロス・インディオス&シルヴィアが歌い、佐々木勉が作詞・作曲をした、懐かしのメロディです。

 別れた人に会った 別れた渋谷で会った
 別れたときと同じ 雨の夜だった
 傘もささずに原宿 思い出語って赤坂
恋人同士にかえって グラス傾けた

歌の主人公は「別れても好きな人」と思いつつ、別れた人と東京の街でお酒を酌みかわすのでした。偶然か、約束か。寄りをもどした一夜かぎりの仲…。

この歌の舞台となっている街は東京ですが、その舞台を「半導体」に置きかえたとき、「別れても好きな人」を再現してみるとどうなるでしょう…。

半導体は、電気を通すと通さないの中間にあたる材料。たとえばエネルギー産業で注目されている太陽電池で使われています。

半導体の材料が太陽の光を受けると、電子がぽこっと飛び出してマイナスの電極へと向かいます。いっぽう、その電子が抜けた穴は正孔という状態になり、プラスの電極へと向かいます。この電子と正孔が両極端の電極へと向かうことにより電流が生まれるのです。

もともと、この電子と正孔は一つの原子でした。つきあっていた二人が、太陽の光によって別れてしまったようなものです。

別れた電子と正孔は、歌のようにふたたび会うことも考えられます。いったん電極のほうへと離れていった電子と正孔が、ふたたびくっついてしまう現象のことで「再結合」とよばれます。もっとも半導体の再結合の場合、ある特定の原子の電子と正孔のことを指しているわけではないですけれど…。

歌の「別れても好きな人」に戻ると、お酒を飲んだふたりは、二番で高輪や乃木坂をめぐったあとで「ここでさよならするわ 雨のよるだから」と、ふたたび別れてもとの暮らしに戻っていきました。

いっぽう「再結合」で寄りを戻した電子と正孔はどうなるかというと、ふたたび結ばれて原子の状態に戻ります。つまり寄りを戻すのです。このとき、電子と正孔のエネルギーの位の差がもとで光まで放つといいます。なんだか幸せな感じですね。

けれども。太陽光発電の世界では再結合はやっかいもの。なぜなら電子と正孔を電気として使うには、別れさせたままの状態にしておかねばならないから。ふたたび寄りを戻されると、半導体の内部でよぶんなエネルギーの光を発してしまうことになるのです。

「別れても好きな人」。歌でも半導体でも、切なさが残ります。

バレンタインの日にこんな話をすることに、とくに意図はありません。
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ものつくりの技術の転換期


シャープや松下などの大組織がものつくりをすることは、いまの時代なんの違和感もなく受け入れられています。でも、300年前はそうではありませんでした。

中世ヨーロッパでは、「知」は学者の頭のなかに入り、「技」は職人の手のなかにおさめられるという空気があったといいます。いまも西洋では、科学と技術には日本よりしっかりと線引きされています。

中世では、職人がその弟子に秘伝として技を教えこむといった伝えかたが主流でした。こうした親方と弟子の関係をもとにした組合を「ギルド」といいます。12世紀には織物などの手工業者ギルドがつくられていました。

しかし16世紀になるとギルドのしくみは揺らぎはじめます。みずからの技に自信をもっている職人たちはギルドから離れていき、独立して技術の向上につとめます。

そうした状況がつづいた結果、18世紀はじめ産業革命が起こりました。職人という個人や、ギルドという身内的な職人集団によるものつくりのほか、人的労働力や機械を使う大量生産がはじまったのです。

なかでも『百科全書』(画像)は、技術の組織化に大きな影響をあたえたといいます。フランスの哲学者ドゥニ・ディドロとジャン・ル・ロン・ダランベールらによって編纂された百科事典です。職人たちのあいだで受けつがれてきた技術を、記録にして世に広めるためにつくられました。項目の数は6万にもなるといいます。

18世紀までの世界とくらべると、いまの社会のものつくりの手段は信じられないくらいに大規模なものになりました。

しかし、師匠が靴をつくったり、機を織ったりといった職人のものつくりがついえたわけではありません。むしろ工場でロボットが働く時代だからこそ、人の手によるていねいなものつくりは価値あるものになっています。

参考文献
戸田光昭ら編『改訂 専門資料論』
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村上陽一郎さん、退任記念は演奏会。


大学教授の退官というと「最終講義」が世の常。けれども、このお方の場合は、例外的にしゃれています。

科学哲学者の村上陽一郎さんが、ことし(2008年)3月で国際基督教大学の教授を退官します。けれども最終講義は行わないもよう。「最終講義をするのが世の習いとは知りつつも、最も長かった東京大学でも避けたわがままを、今回も貫こうと思いました」。

「その代わりに」村上さんは音楽の演奏会を企画しました。「退任記念音楽会」が3月に行われます。ベートーベンの『魔笛の主題による七つの変奏曲』などをチェロで演奏するとのこと。ヴァイオリンはヴァイオリニストの篠崎功子さん。ピアノはピアニストの岡田知子さん。

篠崎さんや岡田さんとはかねてからの音楽仲間のよう。以前にも、篠崎さんのことを「本番もさることながら、練習の楽しさ、終わってホッと息を入れるときの雑談の楽しさ、彼女を中心にいつも、どこでもさわやかで明るい空気の渦ができる」と紹介しています。

いわゆる大正教養人だった父親から教養を学んだという村上さん。音楽にも精通し、『魔王』や『菩提樹』などの謡曲を父から「学ばされ」、またコンサートにも足しげく行っていたようです。東京藝術大学への受験も考えたほどだそうですが、「父の急逝に遭い、音楽の未知を諦めることにしました」。

今回、演奏するチェロについては「まあ、『弾く』」としているものの、いつも教鞭のかたわらにはチェロがあったようです。

楽しみな村上さんの「退任記念音楽会」は2008年3月30日(日)、東京の紀尾井ホールにて。
http://www.kioi-hall.or.jp/calendar/index_h.html

参考文献
『日本経済新聞』1990年4月16日朝刊
参考ホームページ
http://subsite.icu.ac.jp/sts/essay16.html
http://subsite.icu.ac.jp/sts/essay30.html
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休日の夜のパフェ談義


洋菓子デザートの横綱格といえばなんでしょう。ケーキ、アイスクリーム、チョコレート…。

なかには、パフェをあげる方も多いのでは。

もともと、仏語の「完全な」を意味する“parfait”から来ているパフェ。アイスクリーム、チョコレート、シリアル、生クリーム、ウエハース、さらにはプリンや果物までをのせるパフェ。たしかに盛られる材料としては「完全」に近いものがあります。

大学には、パフェを食すことを目的としたサークルまであります。早稲田大学生のともだちからは「『パフェの会。』という公認サークルに入っています」と聞きました。その部員によれば、活動はやはりパフェを食べにいくことが中心。とりわけ幹事長の“舌”が肥えているらしく、「いつもおいしいお店につれてってもらってます」。

「ちかごろの大規模大学はサークルもさまざま。変わった会があるものよ」と思っていたら、そうでもありませんでした。1981年には東京の駒沢大学でも、おなじようなパフェを食べ歩く会があったといいます。

その名は「軽食喫茶研究会」。すべて漢字で表している会名に、いささか時代を感じてしまいます。新聞社の取材にたいして、会員の一人はパフェの“魅力”ならぬ“魔力”を、こう話しています。

「豪華なパフェがテーブルに運ばれて来ると、オレは今からこれを食べるんだぞという征服感で感動すら覚える。食べている時は高い山の頂上に登った時の気分」

たしかに、透明の長ほそい器に盛られたパフェの頂きを目の前にすると「これから食べてやるぞ」という征服感をもつ気はわかります。

いま活動中の「パフェの会。」と、おそらく活動終了または名称変更となっている「軽食喫茶研究会」。ふたつのクラブの共通点は、パフェ以外の軽食を食べることも活動の対象にしていること。

「パフェの会。」のホームページでは、パフェだけでなく、カフェ、ケーキ、アイスクリームなどの「美味しいお店」が紹介されています。

いっぽう「軽食喫茶研究会」も立ち上げ時に、「対象をやや広げてサテン(喫茶店)の研究会にしたら」とか「バーガーショップも加えてみよう」といった対象の拡大が話しあわれたとか。

ひとつのことを深く掘りさげるか、いくつものことを覆うか…。多くのものごとの探究にあてはまる課題は、パフェを食べる会にもどうやら当てはまるようです。

ちなみに、「パフェの会。」会員の友だち曰く、「いちばん美味しいと思ったパフェは『エーグルドゥース』」だそう。新宿区下落合にあるお店です。パフェをむしょうに食べたくなる方、行ってみてはいかが。

早稲田大学の公認サークル「パフェの会。」のホームページはこちら。
http://waseda_pafe.at.infoseek.co.jp/

参考文献:『朝日新聞』1981年4月22日朝刊
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生命科学の新大陸(2)
生命科学の新大陸(1)



生命科学の“新大陸発見”の旗艦船となった理化学研究所は、その船出として「マウスゲノムエンサイクロペディアプロジェクト」を1995年に立ち上げました。

「遺伝情報の百科事典」づくりのためには「cDNA」が使われたといいます。いったいどのようなものでしょう。

DNAがもっている遺伝子は、子孫に伝えるためだけにあるのではありません。遺伝子は、体のたんぱく質の構造が決める大もとでもあるのです。「遺伝子からたんぱく質まで」の第一歩が、“転写”とよばれる過程。DNAのなかから遺伝子の文字だけが選ばれて、べつの紙にまさに写しとられるのです。その転写されたものは「mRNA」といいます。「mRNA」の「m」は、「メッセンジャー」の頭文字。mRNAは、遺伝子の文字情報をつぎの段階へとわたす伝令役といえるでしょう。

mRNAが登場する段階は、「遺伝子からたんぱく質まで」の第一歩にすぎず、ふつう、mRNAに載せられた遺伝情報はつぎの過程に進みます。ところが、生命のなかには「DNAからmRNA」へと進む矢印とは逆に、「mRNAからDNA」へと進むものもあるのです。これを「逆転写」とよんでいます。

DNAからmRNAヘという順当な矢印と、mRNAからDNAへという逆転写の矢印。この二つのDNAは中身がちがいます。つぎの例を見れば、わかるでしょう。

たとえば、まず順当な矢印におけるDNAの、「ATGACTACTA」という文字の並びを考えてみましょう。この文字の並びのなかで、奇数番目だけが遺伝に必要な文字、つまり遺伝子だとします。1文字目、3文字目、5文字目、7文字目、そして9文字目にあたる「AGCAT」が選ばれることになります。

ATGACTACTA (最初のDNA)
A G C A T  (遺伝に必要な文字)

この選ばれた5文字が、先ほど見た“転写”の過程に進みます。転写の過程では、文字の対応関係があって、AとTの文字は交換され、CとGの文字は交換されます。この例では、「AGCAT」が転写されてできてmRNAができるので、その文字は「TCGTA」となります。

ATGACTACTA (最初のDNA)
A G C A T  (遺伝に必要な文字)
T C G T A  (mRNA)

いっぽう、逆転写では「mRNAからDNAへ」の矢印でした。つまり、mRNA段階の「TCGTA」の並びから、AとTが交換され、CとGが交換されることになります。

T C G T A  (mRNA)
A G C A T  (逆転写でできたDNA)

こうして、逆転写によるDNAができました。このDNAは、mRNAの塩基配列に対して相補的(complementary)であることから、頭文字のcを付けて「cDNA」とよばれているのです。

もうお気づきかもしれせんが、最初のDNAと逆転写でできたcDNAでは大きく異なる点があります。最初のDNAの「ATGACTACTA」には、遺伝に不要な文字も混ざってしまっていますが、逆転写でできたcDNA「AGCAT」は遺伝に必要な文字だけが入っている純粋なもの。

研究者にとってありがたいことに、「最初の遺伝子→遺伝に必要な文字→mRNA→逆転写でできたDNA」という過程はひとつなぎになりますので、調べたいDNAがあるとき、遺伝に必要な情報だけを抜きとったcDNAで調べることができるのです。まさにcDNAは、遺伝情報を研究するにはうってつけのDNAといえるでしょう。

こうして、マウスゲノムエンサイクロペディアプロジェクトは、cDNAをもちいたゲノムの百科事典を用意したのでした。しかし、この時点では巨大な“新大陸”が眼前に迫っていることを、多くの船乗りはまだ知らなかったようです。つづく。
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生命科学の新大陸(1)


ヒトのすべての遺伝情報「ヒトゲノム」が完全に読み解かれたと各国首脳が2003年に宣言をしてからはや5年になろうとしています。生命科学は、“生命の設計図づくり”から、“ポストゲノム”の研究へ。でも、そのポストゲノムということばも、古いことばになりつつあります。

ちかごろの生命科学で起きた、大きなできごとのひとつが「新大陸の発見」でしょう。生命にはまだ知られていないとても大きな領域が横たわっているとことがわかってきたのです。これは日本の研究者たちによる科学の成果でした。

新大陸とはなにを意味し、どのように発見されたのか。私たちも、研究者のあとを追って、新大陸へと足を踏みいれてみましょう。

新大陸への航路をたどるため、1995年ごろへとさかのぼります。旗艦船は、日本の理化学研究所のゲノム総合科学センターでした。

この年、ゲノム総合科学センターは、「マウスゲノムエンサイクロペディアプロジェクト」を立ち上げています。マウスを例にした「遺伝情報の百科事典」をつくり、研究者のだれもがこの事典を使えるようになることを目指したのです。

百科事典といっても、載せる情報のよりすぐりは必要。これをマウスの遺伝情報の話にあてはめると、「DNAというすべての塩基配列の文字から、遺伝には要らないと思われる塩基配列をとりのぞき、必要と思われる遺伝子だけを残してそれを百科事典に載せる」という方法が求められます。

ここで使われたのが、「cDNA」という、ふつうのDNAとはすこしちがう種類のDNAでした。まず、cDNAが細胞のなかでどのようにつくられるかを見てみましょう。つづく。
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ウィキペディア時代の百科事典


ウィキペディアなどのインターネット情報源におされがちですが、いまだ「百科事典」が出版されています。2005年には平凡社から『世界大百科事典』の改訂版が出ました。

百科事典の辞書的な意味は「学術・技芸・社会・家庭その他あらゆる科目にわたる知識を集め記し、これを部門別あるいは五十音順などに配列し、解説を加えた書物」。

ただ実際には、扱う分野の範囲に百科事典はふたつに分類できそうです。

ひとつは、分野をかぎったもので“主題百科事典”。もうひとつは、すべての分野を包括的に扱った“総合百科事典”。

また百科事典に対しては、各専門領域のみを扱った“専門事典”があります。百科事典は、これら専門事典や専門書に知識を求める前の段階の、知識の「手がかり」を得る目的にかなったものといえるでしょう。

「ウィキペディア」や「はてな」は、電子媒体の特性上、検索機能が優れているため、人々には一般的に重宝がられてはいます。

でも、やはり百科事典にも知識取得手段としての特長はあります。その最たる例は、各分野の専門家が執筆しているという点でしょう。冒頭紹介した『世界大百科事典』では、評論家の加藤周一を編集長にし、専門家総勢18人が各項目の執筆をし、また17人が編集顧問を勤めている。

匿名性の高いウィキペディアなどにくらべ、信頼してその知識を活用することができるといった点は大きな利点です。
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235億円で科学者をひっぱたく


いまから半世紀以上まえの1954年、科学者たちが“ひっぱたかれる”できごとがあったといいます。人がひっぱたかれると、あまりよい気はしません。このときひっぱたかれた科学者はどうだったのでしょう。

ひっぱたかれる科学者をひっぱたいた人は、このときすでに国会議員7年目だった中曽根康弘でした。中曽根はこの1954年、国会ではじめて「原子力予算」を提出して成立させることに成功しています。

中曽根が、原子力の科学者たちのいる研究機関へと出かけて、科学者たちを札束でひっぱたき「これだけ予算をつけたのだから、きみたちも原子力発電を推進してくれ」と檄。

「札束でひっぱたかれた」という科学者の証言は「札束でひっぱたかれたような衝撃を受けた」ということでしょう。金目をいとわず、原子力発電まっしぐらだった当時の雰囲気を表わしています。

ではこの年、原子力予算はいくら計上されたかというと、235億円でした。

1954年の初任給は5,600円。2007年の初任給はおよそ20万円といいますから、単純に計算すれば当時の1円はいまの36円の価値。つまり当時の235億円は、いまの8,460億円の価値になります。

しかし、値段の破格ぶりとともに「235億円」にはもうひとつの意味があるといいます。

原子力発電に必要な燃料といえばウランという元素。このウランには、おなじ原子番号ながら原子核の中性子数が異なるという“同位体”があります。99.275%のウランは、ウラン238という同位体。けれども、原子力発電使われるウランは、9割9部の組成でなるウラン238ではありません。

もう、お気づきの方もいるかもしれません。原子力発電に必要なウラン燃料は「ウラン235」という同位体なのです。

ウラン235が作り出す原子力の開発に対して、ついた予算は235億円。

これは偶然の一致ではなく、中曽根らが「ウラン235にちなんで初の予算も235億円にしましょう」と言って決まったとか。

いまでは語呂合わせのような理由で予算を決めるなどすれば、野党から「たいせつな予算をしゃれ心で決めるとは何事だ」と、反発を食うでしょう。

しかし、当時は原子力の平和利用がさかんに推しすすめられようとしていた時期でした。ウラン235に引っかけた予算235億円も、当時は受け入れられたのでしょう。
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マックブック・エアを有線で使うとき…


このたび発表されたアップルコンピュータのノートパソコン「マックブック・エア」が、銀座の直営店に展示されています。8台おかれてあるうちの1台からこの記事を書いています。

「世界で最も薄い、ノートブック」という触れこみどおり、折りたたんで手にもったときの感触は、いままでのノートパソコンとはちがいます。大きくて薄い貝殻を開け閉めするような感覚。使っているうちこの薄さにもなれるのかもしれませんが。

発表以来、気になっていた点がひとつ。

無線のエアマックを使うことはもちろんこの機種でもできるでしょうが、電話回線からつないで有線で使うとき、この薄い機種のどこに端子を差しこめばよいのでしょうか。

店員に聞いてみました。

「機会の右腹部にある、USBの差しこみ口に、別売りのイーサネットアダプタという装置をつけて、そこに電話回線の端子を差しんで使うことになります」とのこと。

無線でしか使えないのかと、すこし心配でしたがとりこし苦労でした。

しかし「別売り」ということは、(いまだ多数派であろう)有線で使う人は、その装置を買わなければなりません。価格は3,400円です。

このマックブック・エアを見たり触ったりするにつけ、ピザを乗せるおぼんを思い出してしまいます。今後、13.3インチ画面より大型の機種が発売されることに期待。

アップルコンピュータのマックブックの案内はこちら。
http://www.apple.com/jp/macbookair/
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ナノテクノロジー信頼崩壊の危機


つみかさねてきた信頼も、ひとつのことであっというまに崩れさってしまう…。

ちかごろの菓子製造業や老舗料亭のできごとからは、そんな世のことわりが感じられますが、科学技術の分野でもおなじことがいえそうです。

ナノテクノロジー(微細加工技術)は、いまのところ日本も力を入れている科学技術の分野。じつはこの分野には、信頼崩壊の世界的な危機がありました。

ドイツで2006年3月、ふろや便器を洗うみがき粉が回収されるさわぎがありました。呼吸器の障害を引きおこしたのです。3月末までに77人が、肺にたくさんの水がたまって呼吸がしにくくなる肺水腫やほかの症状をうったえました。

この商品は「マジックナノ」という商標で知られていました。

“ナノ”とついたみがき粉が呼吸器の障害を引きおこす…。想像できるのは、ナノメートル(10億分の1メートル)寸法の微粒子が肺や気管支に入りこみ、細胞に化学作用を起こすといった光景でしょう。目に見えない世界だけあって、想像がふくらんでしまいます。

「マジックナノ」が健康被害をもたらしたという問題で、世界のナノテクノロジーへの比較的よい心象は一気に崩れようとしていました。しかし、信頼崩壊は、すんでのところで避けられました。

2か月ほどして「マジックナノ」による健康被害は、ナノ粒子のしわざではないということが明らかになったのです。

しかし、世は風評がつきもの。「マジックナノによる被害はナノ粒子のしわざにあらず」とはいっても、ナノテクノロジーへの心象の悪さは、残されてもしかたないところ。

そうならなかった理由を、事情にくわしい研究者は「評価機関の事件後の対応がわりかししっかりしていたから」と分析しています。評価機関とは、なにか事件や問題があったとき原因などをみきわめる第三者の団体のこと。マジックナノ問題では、連邦リスク評価研究所が評価にあたりました(画像は3月末時点での注意よびかけ)。

研究所のレネ・ジマー氏が5月下旬に「(呼吸障害の問題が)ナノ粒子と関わっているという可能性はいっさい考えなくてよい」と宣言。それからも情報をきちんと知らせることで、“火消し”に成功したといいます。

すこしずつ貯めてきた預金も、ひとつのできごとで一気になくなってしまう。“信頼残高”のこわさです。その「ひとつのできごと」が起きないにこしたことはありませんが、起きてからの対応によっても結果はおおきく変わるようです。
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前から報じられていたメタミドホス


餃子禍で、いちやく注目されるようになった農薬「メタミドホス」。

メタミドホスには「有機リン系殺虫剤」ということばがよく冠されます。

『理化学辞典』には「有機リン系化合物」ということばが載っていて、「広い意味でリン原子を含む有機化合物の総称」。「リン酸エステル,亜リン酸エステルなどが含まれる.また殺虫剤にはリンのほか窒素や硫黄を含む有機リン化合物が多く使われる」とあります。メタミドホスは載っていません。

では「リン」という元素はどのような物質でしょう。単体の原子では自然界に存在せず、リン酸塩やリン酸カルシウムといった形で、ほかの物質にくっついて鉱物として存在しています。もっとも身近なところでは、50度で発火するため、マッチの成分にリンが使われています。

有機リン酸系化合物のメタミドホス。「メタミドホスとは…」といった記事も目につくため、新聞や雑誌に登場する機会は今回がはじめてかと思われがち。でも、調べてみると、まえにも取りあげられていました。

たとえば、いまから6年前の2002年には『週刊朝日』が書いています。

記事によると厚生労働省はこの年1月を「中国産野菜検査強化月間」としました。その理由を2001年12月に「中国の全国紙『中国青年報』が、中国産の野菜の47.5%からメタミドホスなどの残留農薬が中国の安全基準を超えて検出されたと報道したから」とあります。

また新聞では、おなじ2002年に日本経済新聞が書いています。

この記事では、札幌市内で売られていた冷凍カリフラワーから、メタミドホスが基準値の2.6倍検出されたとしています。ここでの厚生労働省のコメントは「健康への大きな影響はない」というもの。

いっぽう、今回は、さいたま市で見つかった餃子からは基準値の130倍以上のメタミドホスが検出されました。濃度は半端ではありません。この濃度はなにを意味しているのでしょう。
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科学技術の関心が増えた要因は…


内閣府の「科学技術と社会に関する世論調査」が2日、発表されました。

内閣府のホームページではまだ公表されていませんが、複数の新聞記事によると科学技術についてのニュースや話題に「関心がある」と答えた人は61.1%。前回2004年の調査より8.4ポイント増。1981年に調査をはじめてから過去最高になったとのことです。

科学者や技術者の話しを「聞いてみたい」と答えた人も前回より9.7ポイントうわまわり、60.4%に。

とりわけ伸び率が高かったのが「社会の新たな問題は科学技術によって解決される」と思った人の率。今回は62.1%で、前回の34.9%から27.2ポイントも上がっています。前回の調査前には、日本のH-2Aロケットの打ち上げ失敗や(2003年11月)、大分県でトリインフルエンザ騒動(2004年1月)が起きています。時期的な背景もあるのでしょうが、それにしても驚くべき伸び率です。

内閣府は、市民が科学技術に関心をもった理由として「温暖化など地球規模の問題が話題を集めており、その解決に科学技術への期待感が高まっているため」を上げています。しかし地球温暖化問題はここ10年以上いわれていること。

もし内閣府の分析が正しければ、ゴア元副大統領の『不都合な真実』や、武田邦彦さんの『環境問題はなぜウソがまかり通るのか』などの、ごくふつうの人でも気になるような本が出たことも関係するでしょう。

政府はこのごろ、科学技術の振興に力を入れてきました。市民に科学技術のことをより親しんでもらうために税金を多く使ってきたのです。科学コミュニケーションを担う人材の養成講座を設置した大学に予算を出したり、『東京ウォーカー』に似せた『サイエンス・ウォーカー』というムックに7000万円もの予算を費やしたり。

報道に目を向ければ、たとえばNHKなどの放送でも科学関連の番組の多さが目にはつきます。また、日本科学技術ジャーナリスト会議が「科学ジャーナリスト賞」を始めたりも。

でも、どれもこれも市民が科学技術に関心をもつ決定打とはいいがたいものがあります。環境問題がさらに深刻になったと市民が感じ、政府や報道の試みが、どれもすこしずつ効果を出しはじめている、といったことになるのでしょうか。
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四色化問題


本の編集では、製本のまぢかに「フイルム出力」という工程があります。8ページ分で1枚の大きなフイルムを出すのです。写真とおなじように焼いて、紙に印刷をします。

ところがちかごろは、フイルム出力の工程を経ずに印刷できる方法が出てきてきます。「コンピュータ・トゥ・プレート(CTP)」とよばれる印刷法。「インデザイン」などの編集ソフトで作った印刷データを、プレートセッターという機械をつかい直接、印刷してしまいます。

フイルム出力では、四色刷となるとフイルムの枚数も、シアン、マゼンタ、イエロー、ブラックで4倍に。四色刷りの本の費用が高くなる要因でした。

しかし、コンピュータ・トゥ・プレートならフイルム出力代の心配は無用。そのため、四色刷りの本でも安めの値段の本も出てくるようになっています。

本や雑誌の四色化は、ほとんどの人にとっては歓迎すべきことでしょう。図版などをより鮮やかに楽しむことができるのですから。

でも、媒体の四色化を好まない人たちもなかにはいます。

一つ目は編集者やデザイナーなどの、本をつくる人。もちろん、自分が編集する本を四色で表せることによろこびを感じる人もいるでしょう。でも、罫線や見出しなどの色のことまで考えなければならなくなるため、作業量は確実に増えます。表現手段が広がったことに喜びを感じるか、作業時間が増えたことに悲しみを感じるか。編集者やデザイナーそれぞれかもしれません。

二つ目のほうが、より歓迎しない人の率が高いでしょう。色覚異常をもつ方々です。色の見分けに困難がある人たちにとっては、媒体の四色化は情報を得るためには不利です。

色覚異常者のなかでは、赤と緑の区別がつきにくい人は、日本人男性ではおよそ20人に1人ぐらい、女性では500人に1人くらいいるといいます。たとえば、凡例に赤字で「輸出」、緑字で「輸入」などと示した棒グラフは、どちらがどちらなのか分かりづらいことでしょう。一色刷りで、白が「輸出」、黒が「輸入」などとしてあるほうがよっぽど見やすくなるわけです。

恥ずかしながら最近、映像の研究者からこの話を聞き、ようやく四色化で不利をこうむる人たちがいることを知りました。考えるほどむずかしい四色問題です。
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「書誌」と「目録」


図書館には本を読んだり借りたりするほかにも、いろいろと使えるサービスがあります。

たとえば「参考調査(レファレンス)」。「八木節の起こりについて調べたいのですが」などとカウンターで聞くと、司書の人が「でしたら『日本民謡大事典』などを調べてみては」などと教えてくれます。

図書館でわからないことがあれば司書たちに聞けばよいのですが、使う側が館内でなにげなく見かけることばを知っておくと、図書館をより使いこなせるようになるかもしれません。

「書誌」と「目録」は区別がつきづらい典型例でしょう。目立ちませんが、どの図書館にも書誌と目録があります。

「書誌」とは、ある分野について、“いっさいの資料”の情報を見ることができる情報源のこと。資料のタイトルや、だれが著したものかを示す責任表示、また改訂版かどうかなどの版についての情報などが書かれています。

図書館の世界は「理想」を追いもとめる向きがあるよう。どの図書館にもまず置かれていない「世界書誌」という架空の書誌もあります。これは、全世界のありとあらゆる資料の情報が載っている書誌のこと。グーグルあたりは世界書誌にあたる情報源をつくることを本気で目指しているようですが…。

書誌はその図書館に置かれていない資料の情報も載っているいっぽうで、「目録」はその図書館におかれている資料をあつかう情報源のこと。これも図書館のあまり目立たないところに置かれています。

最近は、図書館ホームページの検索機能「OPAC(オンライン・パブリック・アクセス・カタログ)」の存在があたりまえになってきましたね。このOPACも、その図書館におかれてあるすべての資料を探すことができることから「目録」であるといえます。

「書誌」と「目録」の区別をつきづらくさせている理由のひとつは、「目録」と名のついた「書誌」があること。

たとえば『岩波文庫総目録』というタイトルがあります。「目録」と名はついているものの、たとえばその図書館に岩波文庫がそろっていない場合は、図書館学的にいえば目録ではなく書誌になります。「書誌」ということばがあまり知られていないため、より知られている「目録」を使う出版社が多いようです。
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