科学技術のアネクドート

法廷の科学は真実を語るか(2)
法廷の科学は真実を語るか(1)



1995年10月3日午前10時。米国ロサンゼルス地方裁判所、裁判長の「被告は無罪」という評決が響き渡りました。大方の予想どおりだったといいます。

その瞬間、身長185センチにもなる大男の被告人は、ひといき胸をなでおろしました。“夢のチーム”ともいわれていた敏腕弁護士は、大男の肩を何度もたたき喜びの表情を浮かべます。白い歯を見せてそれに答える大男。

おなじ部屋では遺族がすすり泣く声が聞こえてきました。そして敗れた検察官たちの苦虫をかみつぶすような表情も。評決のようすは全米中にテレビで流され、多くの国民がブラウン管ごしの判決を、固唾を飲んで見ていたといいます。

被告の大男。その名はオレンソール・ジェームズ・シンプソン。O・J・シンプソンの愛称で親しまれていた、プロフットボール選手でした。

判決直後、「ノット・ギルティー」の大見出しの号外を出す地元紙。「被告はおそらく殺っていると思う」と、記者たちに答える陪審員。悔しさのあまり記者会見のとちゅうで退席をする検察官。「ことが落ちついたら、まず真犯人を探したい」という元被告の声明を読み上げる弁護士…。

さまざまな反響がうごめくなか、O・J・シンプソンはロサンゼルス近郊ブレントウッドの自宅へと帰るのでした。その自宅からわずか三キロの場所、バンディドラブ857番地の住宅で、1994年6月13日、二人の遺体が見つかったのでした。無罪判決の1年前のことです。つづく。
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書評『にいがたシナリオ講座』
映画やドラマのシナリオづくりの方法が書かれてあります。もちろん、対象はシナリオを作りたい人ですが、ものをうまく伝えたい人が読んでも勉強になります。

『にいがたシナリオ講座』司貴志 新潟日報事業社 2004年 236ページ
http://www.amazon.co.jp/にいがたシナリオ講座-司-貴志/dp/4861320267/ref=sr_1_1?ie=UTF8&s=books&qid=1201705499&sr=1-1


新潟の市民団体「にいがた映画塾」の講座を一冊にしたもの。著者はこの講座の講師だ。

本を見つけてから読みおえるまでに、じつはふたつの“迷い”があった。

ひとつめは書名についてだ。『にいがた』とある。映画の「尾道三部作」のように、「映画の舞台は新潟」という前提で書かれているのだろうか。

答えは「いいえ」。塾生がつくったシナリオに、すこしだけ雪国ならではの舞台設定があるものの、まず全国のだれが読もうが、舞台をどこにしようが通用するシナリオづくりの本だった。

ふたつめのほうが根本的。著者についてだ。本の推薦者のはしがきを読むと、著者は「シナリオセンターで学んだ経験を持っているようだが、いわゆるプロの脚本家ではない」とある。シナリオづくりに精通しているけれどプロではない人のシナリオ指南に耳を傾けるべきか。

読み終えるまで迷った。読み終えても迷っている。でも、迷いながらも最後まで読ませた書きぶりはたいしたもの。ですます調ともである調ともいえない文体で、やわらかくやわらかく書いていく。プロでないぶん「自分はこう書いている」という押しつけがましさがない。逆に「定石はこうだ」という、初心者がまず習うべき要素をたくさん紹介している。

映画やドラマに確実に演出法があることに気づく。たとえば「かせ」の存在。「かせ」とは、「手かせ足かせ」の「かせ」。つまり、なにかの目的に向かって進もうとする主役の行く手をはばむ関門を、多くの映画やドラマはしかけているのだ。『ロード・オブ・ザ・リング』もそう。『母を訪ねて三千里』もそう。

「あの映画、まさにこの手だったよな」「あのドラマ、こんな方法使われていたよな」といった、思い出す例がいくつも出てくる。それほど、基本や型というものは効果的であり、大事なのだと思った。

読むときの迷いはあったけれど、読んだあと「読まなかったら損していただろう」と思える本だった。

『にいがたシナリオ講座』はこちらで。
http://www.amazon.co.jp/にいがたシナリオ講座-司-貴志/dp/4861320267/ref=sr_1_1?ie=UTF8&s=books&qid=1201705499&sr=1-1
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過冷却で肝を冷やす。


『翼よ! あれが巴里の灯だ』という映画があります。1927年、米国のチャールズ・リンドバーグがニューヨークとパリのあいだを、飛行機スピリット・オブ・セントルイス号(うえの絵)で単独無着陸飛行したときの冒険ばなしです。

印象的だった場面は、大西洋を横断飛行しているとちゅう、飛行機の操縦が思うようにできなくなってしまうところ。みずからが乗りこんだ飛行機が思うように動いてくれない…。これには、さすがのリンドバーグさんもあせったことでしょう。

原因は、翼に雲の氷がついて、飛行機が重くなったからといいます。

学校では、水と氷の境目は0℃ということを学びました。雲は、低いところを漂っていれば気温が0℃より高いので、水の状態。その雲も位置が高くなれば当然0℃以下になって、氷の状態になるはず。

ところが、雲は0℃以下になっても、しばらくは氷にならずに水の状態のままでいます。この状態を「過冷却」といいます。水が氷に変わるための「きっかけ」をつかめぬまま、0℃以下になっても水のままでいる状態といったらいいでしょうか。

過冷却になった雲は、すこしでも刺激を加えると、あっというまに氷に変わってしまいます。飛行機の翼がこの過冷却の雲に衝突すると、たちまち雲が氷に変わり、翼を覆ってしまうのです。リンドバーグの乗っていたスピリット・オブ・セントルイス号も、過冷却の雲が氷に変わって翼に付いたため、飛行機が重くなり、操縦が困難になったということです。

リンドバーグの体験などが活かされて、いまでは飛行機の翼にはヒーターが搭載されています。過冷却の雲があたっても翼に氷がつくことはありません。リンドバーグが過冷却によって肝を冷やした経験も、空の旅もより安全・安心につながっているわけです。
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かっこよさそうな物質


早乙女さんから毒鬼さんまで、人の名はいろいろ。おなじく原子や化合物の名もさまざまです。

まえに「タモリ」という名の物質が存在すると聞き、「二酸化タモリとかもあるのだろうか。質量はあまりなさそうだ」などと興味わきましたが、どうやらガセネタのようでした。

ひときわ、かっこよく聞こえる物質名は「ガリウムナイトライド」でしょうか。

「ガリウム」は原子番号31番の元素。ちなみに「水兵リーベ僕の船ななまがりシップスクラークか」の「が」ではありません。この「が」は、マグネシウム(Mg)とアルミニウム(Al)のつなぎ“g-A”ですから。

「ナイトライド」のほうは初耳の方もいるかもしれません。たいていの学校では、このよびかたでは教わらないからです。

ガリウムナイトライドを分子式で表わすと“GaN”。

まず元素記号の“N”は、窒素“Nitrogen”の“N”。では「ナイトライド」はというと「窒化物」といって、窒素と窒素よりも電子を引きつける力が弱い物質でできた化合物のことをいいます。「何々ナイトライド」で「窒化何々」とよぶわけです。たとえば「タモリナイトライド」があれば「窒化タモリ」となります。

つまり「ガリウムナイトライド」は「窒化ガリウム」の別名なのですね。

「ナイトライド」という韻からは、どことなく「夜(ナイト)」とか「光(ライト)」などを想像してしまいます。あるいは、デビッド・ハッセルホフ主演の特撮番組「ナイトライダー」なども。

でも「ナイトライド」は“Nitrogen”から派生した“Nitride”なのであって、“Night”も“Light”も“Knight Rider”もほんとうは関係なし。

でも想像だけはさらにふくらみます。ガリウムナイトライドは、あの青色発光ダイオードの材料でもあるのです。

闇夜にこうこうと放たれる青い光。その素となる物質が「ガリウムナイトライド」。なにか決まりすぎている気がしませんか。

会話でも「窒化ガリウムがね…」と言うよりも「ガリウムナイトライドがさ…」と言ったほうが、ムードが出そうな。問題は「ガリウムナイトライド」をさらりと使うような会話にどうもっていくかでしょう。
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「蓄電器」をべつのことばで…。


ふたつ以上のいいかたがあることばには、栄えや衰えがあるもの。では、このことばはどうでしょう。

「コンデンサ」と「キャパシタ」

どちらも「蓄電器」という漢字のことばにすることができます。電気エネルギーを貯めたり出したりすることができる部品です。

トランジスタラジオづくりが流行っていた世代のかたがたにとっては「コンデンサ」はなじみあることばなのかもしれません。

けれども、この外来語がやってきた英語圏では、「コンデンサ」といえばもっぱら熱を凝縮させる「凝縮器」という装置のことを指すのだそう。「コンデンス・ミルク」といえばミルクの成分を凝縮した練乳のこと。辞書でも“condense”は「凝縮する、濃縮する、圧縮する」などと出ているだけで「蓄積する」の意味は見あたりません。

そこで「蓄電器」の意味で使われるようになってきたことばが「キャパシタ」です。

「コンデンサ」に比べると、まだあまり聞かれない「キャパシタ」。けれども、このことばも英単語を分析すると、その意味がすっと入ってきます。

「キャパシティ」ということばはすでに日本語でも知れわたっていますね。英語で書くと“capacity”。「日本武道館のキャパシティはおよそ1万2千人」といったように「その器にどれだけの量が入るか」を示すことばです。

いっぽうの「キャパシタ」も「キャパシティ」のいとこのようなもの。英語で書くと“capacitor”となります。“-or”は「行いをする者」を指すので「キャパシタ」(capacitor)は「入れるもの」とか「貯め込むもの」という意味になります。電気エネルギーを貯め込むという意味から「キャパシタ」ということばが使われているわけです。

ただし、まだ「キャパシタ」の認知度や使用度は低く、たとえば日本経済新聞の記事でのここ半年(2007年6月26日から2008年1月26日)の使われぐあいを見てみると、わずか1件。いっぽうの「コンデンサ」は35件もありました。

若者のあいだでは電子工学ばなれが進んでいるといいますから、新しく使われるようになった「キャパシタ」はなかなか流行らず、トランジスタラジオ世代が昔から使っていた「コンデンサ」がいまも主流となっているといったところでしょうか。

けれども、国際化の時代。もともとの英語での意味を考えれば、日本語でも「キャパシタ」を使うほうがよりふさわしい気がします。
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科学記者“第一世代”が見てきた原子力


科学ジャーナリストたちの話を聞いていると、世代によって、分野への興味がちがうことを感じます。

たとえば60歳以上の、ご高齢の方々にとってとくに関心が強い分野は原子力。もちろんこの分野に興味ある若い人もいますが、やはり原子力の話を聞く機会が多いのは、報道機関を退職したような世代の方々なのです。

第一世代などともいわれる年長のジャーナリストたちが、とりわけ原子力に関心をはらう背景には、新聞社の科学部が発足したいきさつが関係しているようです。

先日の科学ジャーナリスト塾で、朝日新聞の元論説委員・柴田鉄治さんが新聞社の「科学部」が始まったころのようすをくわしく話していました。

朝日新聞の科学部は1957年に始まりました。この年には、ソ連の無人人工衛星スプートニク号が打ち上げられるなど科学の大きなできごとがありました。そして国内では、茨城県東海村で原子炉がはじめて臨界したのです。

いまの国民の冷えびえとした原子力への関心とはちがい、戦後まもないころは、日本じゅうが原子力に対するバラ色の未来を夢みていたといいます。原子爆弾の凄惨さと、平和利用への希望は表裏一体だったのでしょう。

たとえば1955年の新聞週間の代表標語は「新聞は世界平和の原子力」。また、柴田さんが1959年に水戸支局に配属されたときには、ご当地みやげに「原子力まんじゅう」が売られていたそう。

ところが、1979年に米国スリーマイル島の原子力発電所炉心溶融事故が、1986年にはソ連チェルノブイリ発電所での爆発事故などが起き、日本人の原子力推進に賛成する雰囲気は急にしぼみ、反対する人が増えていったのです。

柴田さんは「科学専門記者の“生みの親”は原子力、“育ての親”は宇宙開発」といいます。原子力に対するバラ色の未来も、その後の落差も見てきただけに、第一世代の科学記者にとって、原子力は思い入れが強い分野なのでしょう。
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再生紙と新品の紙、環境の利点に大差なし


製紙会社が「再生紙です」とうたっていた紙に、古紙があまり使われていなかったことがわかりました。

ちかごろの紙では、画像のような表示のほかに、「R100 古紙配合率100%再生紙を利用しています」といった表示も見かけますね。ところが、再生紙はがきの古紙配合率を満たさなかった製品を供給した会社が、日本製紙連合会加盟38社のうち6社あったそうです。また、基準を決めていないものの誤解をあたえるような製品を供給した企業などもありました。

日本製紙連合会は、このようなことになった原因をつぎのように説明しています。
多くは、白色度・印刷適正等要求される品質基準が高まり、また、高品質古紙の入手が困難となる中で、技術的な対応ができないまま、古紙配合率の基準を守ることよりも品質を維持することを優先させたためであったということでございます。そのほかには、技術的対応が困難であることの確認をおろそかにしたまま、売上シェアを維持するために受注を行ってきたという回答がございました。
「環境のため」と、再生紙を使ってきた人にとって、この事態はいささかがっかりかもしれません。

いっそのこと、この機に、再生紙そのものがそもそも利点ばかりかといったことも考えたほうがよいのかもしれません。

まえに、日経BPオンラインで『紙のなんでも小事典』(紙の博物館編)という新書を評したことがあります。本を読みかえすと、「再生紙のメリット、デメリット」というみだしを見つけました。ちなみに、この章を書いた方は本州製紙から真丸特殊紙業へと渡った人。この2社は、このたび発表をした日本製紙連合会には加盟していません。

本では、まず「原料からパルプができるまでに使うエネルギーを計算すると、圧倒的に古紙パルプが有利です」としています。パルプとは、紙のもととなる繊維です。新しいパルプでつくった紙にくらべて、たとえば古紙9割の段ボールでつくると、使うエネルギーは15%で済むとのこと。これを読むと、やはり古紙を使う利点は高そうです。

けれども、そのつぎからは「ただし書き」や「しかし書き」が長くつづきます。

まず、新しくパルプをつくるときも、古紙からパルプをつくるときも、排出したエネルギーは再利用されています。その分もふくめて計算すると「総合エネルギー消費量の差はかなり縮小されます」。つまり、エネルギーの出入り全体のことを考えれば、新しくパルプをつくっても、古紙からつくってもそう大差なくなるということです。

「考慮すべき問題」がもうひとつあるそう。それは、古紙を使うほどパルプをつくるときに出る二酸化炭素の量が多くなるという問題。「古紙パルプだけを原料にする場合には、化石燃料由来の二酸化炭素排出量が二倍になっています」とのこと。

また、古紙を使うほうが安いと考える人もいるかもしれませんが、「とくに上質紙に用いる白色度の高い古紙パルプでは、総合的にフレッシュパルプとどちらが低コストかは一概にはいえません」とあります。このたびの問題では「技術的な対応」が追いつかなかった点をことの原因としているようです。しかし「再生紙を使わないほうが安上がりだったから」という費用面での原因はなかったのかと、疑いたくなります。

こうした偽装問題では、消費者の信頼を裏ぎったという点がかどとなります。そもそも古紙の再生そのものが行われるべきものなのかどうかを論に発展するでしょうか。

日本製紙連合会「再生紙年賀はがき等紙・板紙製品の古紙配合率等に関する実態調査について」はこちら。
http://www.jpa.gr.jp/file/release/20080125015344-1.pdf
『紙のなんでも小事典』はこちらで。
http://www.amazon.co.jp/紙のなんでも小事典-ブルーバックス-1558-紙の博物館/dp/4062575582/ref=sr_1_1?ie=UTF8&s=books&qid=1201278741&sr=1-1
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(2008年)1月30日(水)は「『キレる〈脳と心〉を科学する』脳の中を覗いてみよう」


朝日新書の編集者さんからいただいたおしらせです。

(2008年)1月30日(水)19時から、紀伊國屋書店新宿南店のサザンシアターで、精神科医・香山リカさんと作曲家・伊東乾さんが語らう「『キレる〈脳と心〉を科学する』脳の中を覗いてみよう」が開かれます。

香山さんの新刊『キレる大人はなぜ増えた』の刊行を記念しての催しもの。その知り合いの編集者さんによると、今年1月の発行で早くも3刷だそうです。香山さんの人気もさることながら、「キレる大人」たちに関心を寄せる人が多いということでしょうか。

たしかに、クレーマー、ドメスティック・バイオレンス、暴走老人、ウェブ炎上などなど、世間では、なにかと“キレる”ことに関係したことばを聞く機会が多くなったようです。

対談者の伊藤乾さんは、作曲家であり指揮者でもあり作家でもあります。同級生が地下鉄サリン事件の実行犯だったことから、マインドコントロールの過程を追った『さよなら、サイレント・ネイビー』(集英社)を書き、第四回開高健ノンフィクション賞を受賞しています。近著は『反骨のコツ』(朝日新書)。

語らいのほかにも、香山さんの講演、さらに、頭にヘッドギアをつけて脳内の血流量の変わりようを画像化する「脳機能可視化装置」を使った実演も行われるそうです。

「『キレる〈脳と心〉を科学する』 脳の中を覗いてみよう」は2008年1月30日。予約・お問い合わせ先の紀伊國屋書店からのおしらせはこちらです。
http://www.kinokuniya.co.jp/01f/event/event.htm
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秘密の手紙に南京錠(2)
秘密の手紙に南京錠(1)



ぜったいに人に見られたくない手紙を小箱に入れて南京錠に掛けてボブさんに送ろうとしたアリスさん。でも、その錠を解く鍵をアリスさんに送らなければならず、けっきょくもとのもくあみになってしまいそうでした。

袋小路に入りかけていたアリスさんに、こんなひらめきが訪れたのでした。

「手紙の入った小箱に南京錠を掛けてボブさんにまず送る。それを受け取ったボブさんは、小箱にさらにべつの南京錠をもうひとつ掛けて私に送り返す。この南京錠がふたつかかった小箱を受け取った私は、私が最初に掛けた南京錠を手元の鍵で外すことができる。なので外して、ボブさんに送る。受け取ったボブさんは、ボブさんが二番目に掛けた南京錠を手元の鍵で外すことができる。こうしてボブさんは、私からのぜったい秘密の手紙を読むことができる!」

このようにアリスさんの南京錠とボブさんの南京錠をそれぞれ使えば、鍵のやりとりをすることなく、小箱に入った手紙を誰にも盗み見されることなく読めるのです。

仮想の国の話でしたが、この原理は実際の電子ネットワーク上の秘密情報のやりとりにも使えそうな案。ところがネットワークの世界では、残念ながらこの案は採用されなかったそうです。

というのも「アリスさんがアリス鍵をかけて、ボブさんがボブ鍵をかけ、アリスさんがアリス鍵を外して、ボブさんがボブ鍵を外す」といった順序だと、手順の“対称性”が守られないからだそうです。たとえば「シャツを着てから、セーターを着て、シャツを脱いでから、セーターを脱ぐ」といった行為がむずかしいのと似たようなもの。

残念ながら電子ネットワーク上ではこの方法は当てはまらないようですが、紙の手紙でぜったいにだれにも見られたくない場合は、小箱ひとつと南京錠ふたつをご用意してみてはいかがでしょうか。(了)

参考文献:サイモン・シン著、青木薫訳『暗号解読』
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秘密の手紙に南京錠(1)


アリスさんは、ボブさんに手紙で伝えたいことがありました。

その手紙の内容は、アリスさんにとっては国家最高機密よりももっと大切なもの。ボブさん以外のだれにも漏れることなく、ボブさんに手紙を送ることがアリスさんの願いです。

ボブさんにじかに会って手紙を手わたしすればよいのでしょう。でも、ボブさんのすみかはとても遠く、実際に会うことは不可能なのです。郵便などの手だてを考えなければなりません。

困ったことに、アリスさんたちの住んでいる国は、“通信の秘密”にかぎってはまったく守られていない国。秘密の価値が高いこの国では、悪い配達員が手紙を封をびりびりとやぶって盗み見してしまいます。

もちろん手紙の封をやぶれば、配達員の犯罪行為はじき明らかになるでしょう。でも、その配達員が捕まったからといってアリスさんは満足しません。「ボブさん以外のだれにも漏れることなく、ボブさんに手紙を送る」ことにはならないからです。牢屋で配達員がまわりの囚人たちにアリスさんの手紙の内容をばらしでもしたら…。

そこで、アリスさんはつぎの案を思いつきました。

「手紙を小箱に入れて、南京錠をかけて、ボブさんに送ろう」

名案だと思い、アリスさんは実行します。ところ大きな問題に気づきました。その南京錠をボブさんが外さなければならないのです。

小箱とともに鍵を郵送すればボブさんはその鍵で小箱を開けられます。でもそれは、悪い配達員にとって、手紙むき出し状態もどうぜん。鍵を開ければ手紙はお目とおしです。

鍵をべつの便でボブさんに送っておけばよいでしょうか。でもこの場合も、悪い配達員に鍵の型を記録されて合鍵をつくられてしまうおそれがあります。

“小箱に南京錠”という案は、鍵のやりとりの問題があるため、ご破算になりそうでした。

ところが。「どうすればいいんだ。うーん、うーん、orz」とアリスさんが考えに考えていると、南京錠と鍵を使った新しい案をひらめいたのです。つづく。
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“積雪なし”を気象予報士が解説


関東地方南部に積雪の予報が出ていたものの、都心では雪さえ降らず。八王子や小田原などでは雪は降ったものの、やはり積もるまでには至りませんでした。

雪による交通機関の乱れが起きず、降らなくてよかったと思った人は多かったでしょう。ただ、なぜ予報が外れたのか原因を知っておくことも無駄にはなりますまい。

民間の気象予報会社ウェザーニュースの気象予報士・上中麻衣さんに、今回の“都心に雪降らず”の解説をしてもらいました。

「今回は、気象予報士はみなけっこう強気に『まとまった雪』とか『積もるでしょう』とかの予報を出していました。私も日曜日の予報で、『雪だるまをつくりましょう』とお伝えしたのですが…。みなさん雪玉を私に当ててください」

申しわけなさそうな上中さん。雪が降らなかった原因については、まず気象状況の面からこう解説します。

「低気圧が八丈島の海上を通って、雲が発達すれば雪になったのですが、今回はあまり発達しませんでした。気象庁も『低気圧の進路の予想はあまりぶれなかったのですが、北側で盛りあがるはずの雲があまり発達しなかった』と言っています」

さらに、もう一つ観測面での裏話も披露してくれました。

「メソ数値予報モデルという予報モデルは、雲が発達しない傾向の予想を出していたのですが、みんながそのモデルではなくほかのモデルを信頼して、予報を組み立ててしまったという原因がありますね」

上中さんによると、関東地方の雪の予報はとりわけ判断がむずかしいそう。東京では昨季、3月にほんの一瞬、雪がちらついただけで積雪はなし。“都心の雪への欠乏感”が今回の予報に影響したかどうかは、さだかではありません。

上中さんのブログ「お天気☆ハインドキャスト☆」はこちら。
http://blog.qlep.com/blog.php/uenaka
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書評『恋する天才科学者』
科学に興味がない人たちに興味をもってもらうための試みはさまざま。このほんもその一つといえましょう。科学に興味はない色恋好きは、読んで科学に興味わくでしょう。色恋沙汰に興味のない科学好きは、よんでびっくりするでしょう。

『恋する天才科学者』内田麻理香著 講談社 2007年 256ページ


「天才と変人は紙一重」などとよくいわれる。この『恋する天才科学者』を読むかぎり、この説はどうやらたしかなようだ。

科学革命が起きた17世紀から、原爆が使われた20世紀まで、歴史に残る科学者たちの、恋の“事情”または“情事”を、つぎつぎと紹介していく。登場する科学者は、アイザック・ニュートン、マイケル・ファラデー、アルバート・アインシュタインなど、有名どころばかりだ。こうした科学者たちを手玉にとって品定めをする著者の開きなおりぶりはおみごとだ。

科学者たちの“変人”ぶりがわかる最たる例は、そんな著者から「科学者の光源氏」と称されるエルヴィン・シュレディンガー(1887-1961)だろう。

『生物と無生物のあいだ』でも紹介されているシュレディンガー。著書『生物とは何か』は、ジェームズ・ワトソンとフランシス・クリックがともに大きな影響を受けたという。でも本業は物理学。理工系大学生ならおなじみの「シュレディンガー方程式」という、量子力学の基礎的な方程式をうちたてたことで知られている。

ノーベル賞を受ける理由にもなり、物理学者としての名声を確固なものにした、そのシュレディンガーの方程式。じつは、愛人とスキーに出かけた先での「性愛の爆発」により閃きを受けたのだという。スキーから帰るや論文書きに没頭し、わずか3週間後には論文が受理されたというから、その爆発力たるやすごいものがある。

愛人とスキーに行ってしまうようなシュレディンガーに対し、彼を取りまく人物たちはひどく寛容だったようだ。

妻のアンネマリーは、夫が自分との性生活に嫌気をさしたと察知すると、夫の愛人を探してあげることをいとわなかったという。

シュレディンガーの友人で物理学者のアルトゥール・マーチの話もおもしろい。彼は、彼の妻とシュレディンガーのあいだに子どもができたこと知る。だが、シュレディンガーの情事に対して激高するどころか、名誉にさえ思ったという。生まれた子どもは、アルトゥール・マーチの子として出生届が出され、シュレディンガー家とマーチ家がいっしょに住むという「二世帯同居」まで行われたという。

さらにもうひとつ。女優シェイラ・グリーンの夫は、妻とシュレディンガーのあいだに子どもができたことを知る。ここでもシェイラの夫はシュレディンガーに対して、万事寛大にふるまったという。

科学者たちの世わたりぶりこそが、天才的に思えてしまう。だが、シュレディンガーにしてみれば、恋と科学的発見はつながっていたようだ。「激しい情事からくる緊張は科学的創造を助けこそすれ、妨げにならない」とまで言っているそうだから。

どの科学者も、大きな発見は若いころになされる場合が多い。でも、この「若い」とは、かならずしも年齢のみをいうことではないようだ。むしろ「若い」のまえに「お」を付けたほうが、よりあっていそうな気がしてくる。

『恋する天才科学者』はこちらで。
http://www.amazon.co.jp/恋する天才科学者-内田-麻理香/dp/4062144395/ref=sr_1_1?ie=UTF8&s=books&qid=1200852066&sr=1-1
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ガラムマサラのチキンカレー――カレーまみれのアネクドート(5)


ものかき仕事の出張で、もっともよく行く街といえば京都。大阪よりも京都のほうが多いのは、ノーベル賞受賞者を5人も輩出している京都大学があるからかもしれません。

出張での移動はもっぱらバスですが、自転車を乗るにはもってこいの街ですね。四条、祇園、京都駅あたりの中心街がまとまっていて。

でも、住宅街をふくめた京都はかなり広いもの。出町柳をさらに北に行っても街なみは続いていきます。そんな、“京都でも遠出”になるところに、関西の名店といわれるカレー屋があります。その名は「ガラムマサラ」。

北大路からからすこし南へくだった白川通り。はすむかいには「天下一品」の本店が。さらにすこしくだると「餃子の王将」チェーン設立時からあった一乗寺店。このあたりは意外なほどにB級グルメが充実。

餃子やラーメンを食べる誘惑を抑えつつ、ガラムマサラに入ると出迎えてくれるのは“ぶっきらぼう”だけれど“かしましい”おばあさん。フォークよりも腰を曲げながら「窓側に座ったらどうだい。おにいさん前にも来たことあったっけね」と迎えてくれます。

空気が読めなかったか「ええと、はじめてですよ」と答えると…。

「おお、そうか。よく来なすった」。メニューを出してから「はじめてのお客さんはな、このチキンカレーかな、このキーマカレーをいつもすすめとる。よろしければ、まずはどっちかから食べるとええよ」

いわれるがままチキンカレーを注文。すると厨房から、おばあさんの娘さんが顔を出します。週末の背広姿だったので「お仕事だったんですか」聞かれます。

「ええ、出張だったんですよ」

「あら出張。遠くからですか。うちのお店、なにかで調べていらしたんですか」

ほんとうは「京都 カレー」で検索してたどりついたにもかかわらず、“おのぼりさん”に見られるのがしゃくなので「近くをとおりかかっただけなのですが」と返事。すると「うちは関西中から人が来る、20年もここで続けているお店なんですよ。ごゆっくりどうぞ」

しばらくすると、今度は主人がチキンカレーを手に来ました。「はい、お待ちどうさま」

カレーはこげ茶色。ルウのなかに野菜は見あたりません。よく煮込んであるためとけているようです。目で見える具材は鶏のみ。あとから入れたのでしょう。鶏の歯ごたえは、かなりしっかりとしています。

ルウのほうはというと、“歯ごたえ”ならぬ“歯ざわり”と“舌ざわり”。ガラムマサラの粒つぶが、ほんのかすかに歯や舌で感じられるのです。

店の名にもなっている“ガラムマサラ”。クローブ、シナモン、ナツメグなどの香辛料を混ぜあわせて、粉にしたものです。家庭の数だけみそ汁の味があるのとおなじように、インドには家庭の数だけカレーの味があるといわれています。ガラムマサラのガラムマサラは、辛さは抑え気味なものの、香辛料の種類は多いのでしょう、深みがでています。

サービスのアイスを食べると、おばあさんがレジをきりもり。「今度はキーマカレーを食べにきてな。はい、おおきに」

京都にお住まいのかた。暖かくなったら自転車で遠出する価値はありますよ。

京都といえば、市バスの「トビラガシマリマストビラガシマリマス」が耳にこびりつきますね。
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新春ワイン談論会「甦れ、科学技術雑誌、科学技術広報誌!」


きょう(2008年1月18日)東京・内幸町のプレスセンタービルで、日本科学技術ジャーナリスト会議の月例会が開かれました。「新春ワイン談論会『甦れ、科学技術雑誌、科学技術広報誌!』」というお題で、参加者がワインを飲みながら科学技術雑誌について討論や宣伝をする催しです。

講演者は、東京電力が出している雑誌『イリューム』の編集人だった朝山耿吉さんと、IBMが出している雑誌『無限大』の編集長・松野元子さん。

先月、『イリューム』の編集体制が変わるという記事を書きました。朝山さんによると「この1年ぐらいは発行できないかもしれない」とのこと。原子力発電所の運転停止などによる東京電力の減収をその原因にあげていました。

いっぽう『無限大』も、バブルがはじけてIBMの経営が苦しくなったころ、休刊の危機をむかえていたと、松野さんは話します。

東京電力やIBMなどの企業が発行する雑誌にかぎったことではありませんが、出版や放送などをする組織は、政府系や公共放送でないかぎり、“もうけを出しつづけなければ続けられない”さだめにあります。

もうけだけを追いもとめて人気とりに走る組織もあるでしょう。また、“もうけなければならない責務”と“もうけを度外視しても伝えたい願望”の境界線をいつも渡りあるいている組織もあるでしょう。

いずれにしても商業主義を土台としている世のなかでは、組織が全体としては存続するだけの利益をあげなければならなりません。ここに「視聴率かせぎに走るだけでいいのか」や「売れればそれでいいのか」といった議論のむずかしさがあります。

最後に、会場から出された科学雑誌についての提案や持論などを。

「科学をまんが雑誌にして伝えれば、大衆も読むのではないか」

この提案には、高尚さを重んじる科学者たちがよく思わないのでは、との意見も。しかし、これまであまりなされていない試みをやってみる価値はありそうです。

「日本で科学雑誌が売れないのは、新聞や放送の科学報道がものすごく優秀だからではないか」

つまり科学欄や科学番組を見ればこと足りるから、わざわざ科学雑誌を買うまでにはいたらないという仮説です。この仮説の提唱者は、科学記者の経歴の持ち主。「大胆な仮説ですが」と付け加えます。

編集者や制作者による各雑誌の“宣伝臭”が強かったですが、意見も活発に飛びかった会でした。
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地震を抑えるもの


阪神淡路大震災から13年。今年も被災地では、黙祷が捧げられました。

日本は地震の国。阪神大震災のあとも、新潟などでは大きな地震がくりかえし起き、人や建物などに被害を及ぼしています。

阪神大震災が起きたのは、この真冬の季節。それに対して、記憶のかぎりでは、新潟や北日本で起きる大きな地震は、雪の季節ではない気がします。2004年の新潟県中越地震は、初雪が降るまえの10月下旬でしたし、昨2007年の新潟県中越沖地震も7月でした。

実際に積雪地域では、マグニチュード7.0以上の地震がもっとも多く起きた時期は、5月から6月にかけてで計7回。いっぽう11月から12月は0回ですし、1月から2月も2回に止まっています。

これはたんなる偶然なのか。それとも…。

日本海側の冬といえば雪の季節。あまり雪と地震という現象は関係なさそうに思えますが、こんな説があります。

漬けもの石でふたをされた着けものは、おされてぎゅっと固くしまりますね。おなじように日本海側では、雪の重みが地盤をおさえるために、雪の季節には地震が起こりづらく、雪どけをむかえてからのほうが地震が起こりやすいというのです。国立天文台の日置幸介さんが、2002年に地震学会で発表しました。

まえまえから季節と大きな地震の頻度には関係があるといわれていました。はじめはその理由として、気圧の変化があるのではないか、つまり冬の季節に気圧が高くなることが地盤を抑える役目を果たしているのではないか、という説が出ていたそうです。

けれども、地盤を抑える圧力は、大気よりも積もった雪のほうが10倍も高いのです。

そこで雪に注目した日置さんは、日本各地におかれている全地球測位システムの情報を調べました。すると、やはり雪が多い地域では地盤が沈んでいる、つまり押さえつけられているということがわかったそうです。

「地震抑えの『要石』は案外雪なのかも知れません」と日置さんは、地震学会のニュースレターに書いています。

寒いこの季節に大地震が起きれば、被害はより大きなものになるでしょう。日置さんの“雪が要石論”は、まだ定説とまではなっていないようですが、地球の気候変動で雪国の地震の季節変化が変わらないかと心配になります。

国立天文台・日置幸介教授「年周地殻変動と積雪荷重」は、こちらの日本地震学会のニュースレターで読めます。
http://wwwsoc.nii.ac.jp/ssj/for_member/NL/v13n5/20.htm
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「言えと会社から言われておりまして」


会社に籍をおく研究者たちの会合に顔をだすことがあります。“勉強会”のようなかたちで、それぞれの企業の最先端研究の成果や見通しを発表しあうのです。

もちろん企業には企業秘密が。「きょうはよい天気ですし、わが社の研究をつつみ隠さず話しちゃいますよ」というわけにはいきますまい。「これ以上のことは、ちょっと言いづらいのでごかんべんを」となります。

でも逆に「これは言えと会社から言われておりまして」という場合もよく見かけます。とくに研究の本題に入るまえの、会社紹介のところで「言えと会社から言われて」がよく登場します。

先日おこなわれた、ある工業技術分野の会合でも「言えと会社から言われて」が出てきました。最近では印刷だけでなく、電子工業分野でも成長いちぢるしい大日本印刷の研究者が、こう切りだしました。

「弊社の前身は『秀英舍』といいまして、1876年に創業いたしました」

たんなる社史の話かと思って聞いていると、この前身の企業名にはちょっとした曰くがついていたのです。

「この『秀英舍』という会社名は、じつは勝海舟が名づけたものなんです」

大日本印刷の前身の企業名の生みの親は勝海舟。落ちついていた会場の雰囲気が、ここですこしだけ「へぇ」「ほぉ」と盛り上がります。

「日本の富国強兵を願った勝海舟が、強国イギリスにも国力で勝たなければならないとして『“秀”でよ日本、“英”国さえしのいで』と考えたのだそうです。つまり『秀英舍』というわけです。これは言えと会社から言われておりまして」

勝はいっぽうで、日本の行く末を上のセリフのようにも言っていたといいますが、それはさておいて…。

大日本印刷の技術といえば、活字の書体もしかり。その書体のなかには「秀英体」という伝統的な明朝体があります。たとえば「ほ」や「は」の字の左の縦棒と右上の横棒の連絡が一筆書きになっているなど、趣のある書体(一筆書きになっていない種類もある)。山崎豊子の『華麗なる一族』の本文書体も秀英体だそうな。

この「秀英体」も「秀英舍」の名にちなんだものでしょうから、生みの親はやはり勝海舟。名付け親が偉い人だと、後世までその名は残されるということでしょうか。

こうして、ちょっとした「言えと会社から言われて」が終わると、発表は研究の本題へと入っていくのでした。
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“よい本”を出しつづけて経営はたん


出版社の草思社が、ことし(2008年)に入り民事再生法の適用を申請しました。経営が瀕死の状況にまで追いこまれていたようです。

新潮社や講談社などにくらべれば、名はそれほど知られてはいない草思社。でも、たいていの読書好きには“よい本を出す出版社”という印象があったのでは。“よい本”の捉えかたは人さまざまですが、草思社の本には「ちゃんと読書をしたと思わせる本」という表現が向いています。

科学書の分野でも“よい本”を数多く出していました。『タイムマシンをつくろう!』(P.C.W. デイヴィス著)、『自然の中に隠された数学』(イアン スチュアート著)などは、読んでみたくなるような書名だけでなく、読みごたえのある内容もともなっていました。

元気のよかった2001年、『編集会議』という雑誌の「出版社が理想とする出版社」という記事で草思社が紹介されています。1968年に会社を起こした加瀬昌男さん(当時代表取締役)が、本のつくりかたをこのように話しています。

「つまりこういうのが売れているから出そうとか、装丁に凝ってみようとか、上面だけのことで売ろうとする本が一番まずいんです。我が社も出したことがありますが。それよりもきちんとした本をつくることが大事」

こうした加瀬さんの信念のもと、月に一度、編集者全員と課長以上の営業部員が顔を合わせ編集会議を行っていたといいます。

編集会議とはべつに、書名を決めるための会議も開いていました。発案者の小林富美雄さんは、営業担当ながら校正刷りを読んでこの会議にのぞんでいたとのこと。『平気でうそをつく人たち』『トンデモ科学の見破りかた』などの定評ある書名は、編集と営業がひざをあわせて本を語らうことにより生まれていたのです。

けれども、ここに来ての民事再生法の適用申請。

2001年のおなじ『編集会議』の記事で、このとき取締役営業本部長だった渡辺直之さんは「広告にしても、販売にしても、それにタイトルにしても、特別なことをやっているわけではない。……普通のことをしつこくやっているだけなんです」と会社のようすを話していました。草思社は、ちかごろ流行の新書にも、また雑誌にも手を出さず、実直なまでに“単行本”を出しつづけてきました。はたんの背景には“出版不況”、さらにいえば“単行本不況”があったのかもしれません。

信念をもって本好きが“よい本”を出しつづけていくだけでは、立ち行かない時代であることを象徴するようなできごとです。

今後、草思社は2月末までに新たな支援元を探して、経営を続けていく方針とのことです。

草思社のホームページ。
http://www.soshisha.com/
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1951年“衆議院3分の2以上”で可決した法案


衆議院と参議院の勢力が逆転しているねじれ国会で(2008年1月)8日に、いわゆる「新テロ特措法」が成立しました。

この法案は衆議院で可決したものの参議院では否決。その後「衆議院で3分の2以上の多数で再び可決したとき、法律として成立する」という憲法第59条の定めによって成立したものです。

学校で政治経済の勉強をよくした人は教科書で覚えた記憶があるかもしれません。でも実際にこの定めが使われたのは、じつに56年ぶりとなります。

ここで気になるのは、56年前に衆議院で再議決された法案。

1951年6月、前年12月から続いていた第10回国会は終盤をむかえていました。ここで、いったん参議院で否決された「モーターボート競走法案」が、5日に衆議院に回され、3分の2以上の多数で可決成立されたのです。

モーターボート競走法は、日本での競艇の開催や場所、回数、入場料、舟券の投票方式、払い戻し金などを決める法律です。

法案可決の翌6日、朝日新聞ではこの“可決劇”をつぎのように伝えています。
この法案は参議院で否決になり衆議院に回付されたものだが、参院で否決となった法案を衆院で三分の二の多数で再び可決成立させたのは新国会となってからはじめてだそうだ。

「たかがモータボート・レースじゃないか。再可決とは仰出な」という声もあったが、自民社三党から提案者が出ているのでかくはなったもの。しかも出席議院の三分の二で可決するときは記名投票がしきたりだそうだが、きもそぞろな議員達、起立採決でパチパチ。
1951年は、自由民主党がつねに与党となる“55年体制”がはじまるまえ。当時はまだ、自由党と日本民主党という、べつの政党でした。この二つの党に加えて、社会党(いまの社民党)が賛成の立場だったのです。衆議院に回されたこの法案は、3分の2以上の賛成を得たために成立しました。

上の新聞記事からは、このモーターボート競走法案の、衆議院3分の2以上の多数での成立が特別だったことがうかがえます。じつは、このころの参議院は、いまより無所属の議員が多かったそうで、法案の可否は個人の裁量による部分もあったのだそう。モーターボート競走法案は、参議院では、多くの“個人的反対”を受けていたことになりますね。

56年前、衆議院3分の2以上の賛成多数で可決されたこのモーターボート競走法は、2007年には成人学生が購入できるようになったなど、少しずつ改正されつつ、いまでも続いている法律です。

モーターボート競走法の条文はこちら。
http://www.houko.com/00/01/S26/242.HTM
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「アートと科学のフシギな関係」


NHK教育の科学番組『サイエンス・ゼロ』が、(2008年)1月12日の放送で「アートと科学のフシギな関係」という話をとりあげました。

芸術に科学をとり入れた人たちの作品、芸術と科学の共通性、科学技術に問題を投げかける芸術という、三つの“芸術と科学の接点”を切り口にしていました。

なかでも、ふたつ目の芸術と科学の共通性を扱った話は、芸術と科学に“双方向の関係”があることを示したもの。

ふつう、芸術と科学の関係性の話では「科学という“道具”や“舞台装置”を使って芸術を表現する」といった点に目が向けられがちかもしれません。ところが、ここで扱っていた話は、芸術作品から科学的な発見をするという、逆の方向のもの。一例として紹介されていた芸術作品が、木本圭子さんの「Imaginary・Numbers」でした。

この作品では、動く性質をもった点を、動きの方向性を決める「ベクトル場」という平面に置くことにより、点に絵を描かせるといった過程を制作のしくみにしているようです。

制作の過程そのものは、数学を“道具”として利用するもの。つまり、科学から芸術への方向です。ところが、木本さんが美しいと思って選んだ作品には、どれもある数学的な特徴が含まれていたというのです。

それは、はじめのちょっとした状態のちがいが予測不可能の結果を生みだすという、「カオス」という概念が形となって現れていたというものでした。木本さんの作品を観ていた、カオス研究者の合原一幸さんがそれに気づき、木本さんの作品を研究の対象にすることになったそうです。

つまり、芸術は科学によってつくられもするし、その芸術をふたたび科学の対象として還元することもできる、といったことを示す話でした。

現代科学はつぎつぎと進歩しているため、芸術との結びつきは、コンピュータやカオスのほかにも、今後ますますふえていくかもしれません。たとえば宇宙はその一例でしょう。芸術家が無重力状態に飛び出したとき。宇宙でつくる作品は、地上のものからどのように変貌していくのでしょうか。芸術的思考そのものが大きく覆るような可能性もあるのかもしれません。

かねてから「芸術」と「科学」という異分野に関係性を見いだそうと取り組んでいる人はいます。番組からは、この先、この関係性が大きくなっていく予感を感じさせるものでした。いっぽうで、いまの状態のように“知る人ぞ知る”分野にとどまりつづけることを望む人もいるのかもしれませんが。

「サイエンス・ゼロ アートと科学のフシギな関係」は再放送されます。衛星第2で(2008年)1月17日(木)深夜2時30分より、教育で1月18日(金)19:00より。

番組のおしらせはこちら。
http://www.nhk.or.jp/zero/contents/dsp192.html
木本圭子さんの「Imaginary・Numbers」の作品の紹介はこちら。
http://www.kimoto-k.com/imaginary_numbers.html
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早稲田大学が大学院「ジャーナリズムコース」を2008年4月に開講。


早稲田大学は、ことし4月から大学院の政治学研究科に「ジャーナリズムコース(Jスクール)」を開講します。

これまで政治学研究科は「科学技術ジャーナリスト養成プログラム」をたちあげて、いまも活動をしています。ジャーナリスト養成の大学院教育の意義を「さらに確固にするため」(同コース)、ジャーナリズムコースが立ち上がるとのこと。科学ジャーナリスト養成プログラムとの授業などでの「相互乗り入れ」も考えているといいます。

ジャーナリストの経験がある講師がどのくらい参加するが気になるところ。朝日新聞コラムニストの早野透さん、ウェブなどでも言論する佐々木俊尚さん、元『中央公論』編集長・近藤大博さんなどが、講義をする予定。

また、1回から3回の単発講義ながら、ジャーナリストの高野孟さん、報道特集キャスター田丸美寿々さん、ノンフィクション作家・吉岡忍さんなどのテレビなどでよく知られる人物も講師の名を連ねています。

ほかに、ふだんから早稲田大学で、マスコミュニケーションやメディア、ジャーナリズムなどの授業を担当している教員も参加予定です。

このジャーナリズムコースのプログラムマネージャーは瀬川至朗さん。昨2007年まで毎日新聞の論説委員でしたが、新聞社を退社してジャーナリズムコースの舵取り役に就きました。科学技術ジャーナリスト養成プログラムでも複数の授業を受けもち、報道と教育の両方の現場を歩いてきました。

あいさつでは、マスメディア機関におけるオン・ザ・ジョブ・トレーニングの問題点を「『先生』の当たり外れがあり、それが記者人生を大きく左右します。若手教育の余裕がなくなり、また徒弟制度的なシステムが現実に合わなくなった」と挙げ、大学院によるジャーナリスト養成の必要性を訴えています。

報道機関が、大学でジャーナリズム教育を受けた人材と、そうでないいわば“まっさらな”状態の人材のどちらを求めるのかは、よく議論されているところ。“早稲田”の“ジャーナリズム”の“養成”機関ということで、このコースの成果には、関心が集まっていくことでしょう。

4月からの大学院生募集はまだ行われており、(2008年)1月15日(火)から17日(木)は、第2期募集の出願期間とのこと。案内はこちらです。
http://www.waseda-j.jp/exam.html
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多謝。ブログ2周年。


きょう(2008年1月11日)、『科学技術のアネクドート』は2周年を迎えることができました。

2年も続けることができた理由は、ひとえにみなさんに記事を読んでいたからにほかなりません。とりわけ記事にコメントをしていただいたみなさんにも感謝いたします。自分が書いた記事がどのように読まれているかを知ることは、自分にとってはとても大切なこと。直接、意見や感想を目にすることができることは、とても勉強になっています。

1年前のいまごろは、「1年も続けたから、そろそろ1周年を区切りにブログをやめてもいいのでは」などと思ったこともありました。でも最近は、このブログへの物書きは、一日の締めくくりの楽しいできごとになっています。自分の世界だけで完結する日記ではこうは行かなかったのではと思います。

これからも「科学技術のアネクドート」という名にふさわしい記事を書いていこうと思います。たまには脱線するけれど、あまり知られていないような“科学技術”の“小咄”を、これからも伝えていきたいと思っています。

1年後の3周年も、またこのような形で迎えられればいいですね。その日を目指して、記事を書き続けます。これまでみなさん、ほんとうにありがとうございました。そして、これからもよろしくお願いします。
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複雑系科学は生命を解明する“中間層”


東京大学のおもな科学研究拠点は本郷・弥生と駒場。ふたつの拠点には特色があります。

ひとことでいえば本郷・弥生は深く学ぶことに重点がおかれるのに対し、駒場は広く学ぶことが主体。駒場には「広域科学専攻」という、研究分野をまたぐ大学院がおかれています。

この広域科学専攻を紹介する日経BPの『東京大学広域科学専攻』というムックがあす(2008年1月11日)発売されます。取材記事をひとつ書きました。池上高志准教授に取材したもので、テーマは“複雑系”です。

「多数の異質な要素が複雑に絡みあい、相互作用しながら一つにまとまっているようなシステム」。これが辞書にある「複雑系」の意味。

池上准教授はより具体的に複雑系研究の目的を説きます。その目的とは「生命とはどういうものかをとらえること」。こう言われると、すこしだけ複雑系が身近なものに感じられる気がしませんか。

「細胞や分子のしくみを見ることこそ、生命をとらえる研究ではないか」と考える方も多いでしょう。けれども、細胞や分子レベルでの化学反応を見ても、まだ生命活動全体のしくみを解明できない現状もあります。

いっぽう複雑系研究は、コンピュータを使い、疑似的な生命がどのようなふるまいをするかを見ます。この複雑系研究の役割は“中間層”ということばで説明することができます。

中間層を理解するために、たとえば新聞の写真を考えてみましょう。その写真を顕微鏡で見ると、おそらくは紙の繊維やインキの盛りなどが見えるでしょう。その大きさでは、写真がなにを伝えているのかはわかりませんね。

いっぽう、新聞の写真を30メートル離れたところから見てみるとどうでしょう。おそらくその写真は小さな点くらいにしか見えないでしょう。この距離も、写真の情報を理解するには不向きですね。

では、写真から情報を得るためにはどうしたらよいか。顕微鏡の近さと、30メートル離れた遠さとの“中間”つまり、30センチほどの距離から写真を見るという方法が適しているわけです。

この「30センチほどの距離」は、複雑系研究と生命研究との距離にも当てはめることができます。

つまり、生命の原子や分子を見るのではあまりにも近すぎるし、生命活動を数式で表わそうとするのではあまりにも遠大すぎる。その“中間層”に複雑系研究はあるというわけです。池上准教授のことばを借りれば「ここで見れば生命の性質がわかる」層のこと。

中間層の話をふくめ、池上准教授の話はじつに多彩でした。まさに“広域科学”を地で行くような研究内容です。ご興味のある方は、ご覧ください。

日経BPムック『東京大学 広域科学専攻』のおしらせはこちらです。
http://ec.nikkeibp.co.jp/item/books/K00600.html
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ラブカ


「生きた化石」といわれる太古の魚は、どこか体がずんぐりむっくりしていますね。

シーラカンスは有名ですが、ひれや尾ひれややけに大きいし、4億年前から生きているとされるハイギョも“太巻き”に頭やひれを申しわけなさそうに付けたような体形。

でも、太古から生きている魚のなかでも、ラブカほど得体のしれない体形をしている魚はいないかもしれません。

ラブカはサメの一種。異国情緒ある名ですが、じつは日本語です。漢字で書くと「羅鱶」。「鱶」という字は、サメのことを表わしています。「フカヒレ」といった料理名になごりがありますね。

ラブカは原始なサメとされ、深海にすんでいるためなかなかお目にかかることができません。けれども、日本近海にも生息しており、20年前の新聞では神奈川県沖の相模湾でも生息していると報じられています。

「なかなか見つからないから絵しかないのか」と思うかもしれませんが、そんなラブカを昨2007年に淡島水族館が撮影することに成功しました。動画はこちらです。

どう見ても、不格好なサメにしか思えません。なぜそう思うのか、原因をつきつめてみると二つの点が思いあたります。

ひとつめは、口が顔の前側に(それもでかでかと)ついているため。ふつうサメの顔は鼻がいちばん前にあって、口はその下側についています。でもラブカは鼻よりも口のほうが出ていますね。このサメとしては特徴的な口の位置により、ラブカは進化する前の原始的なサメだといわれているそうです。

でも、なによりも不格好にみせる原因は体全体のバランスでしょう。映像の最後で見られるように背後にまわれば、あまり感じませんが、正面からの映像だと、なんでこんなに頭がでかいのかと思わせます。思いっきり遠近法を使っても、なかなかこうはいきません。クビナガリュウの首から先だけのような体形です。

淡島水族館によるとラブカはだいたい水深600メートルあたりで生活をしているそうです。深海探査船や潜水艦に乗っていて、ふと小窓の外を覗いたらラブカぬっといた、なんて少しいやかもしれません。
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2008年の科学ジャーナリスト塾、始動。


きょう(2008年1月8日)、東京・内幸町のプレスセンタービルで、ことし初回の科学ジャーナリスト塾が開かれました。

科学ジャーナリスト塾は日本科学技術ジャーナリスト会議が開いている養成塾。秋に開講し、初春に修了となります。今期は6期目。

これまで、東京新聞科学部長・引野肇さん、塾長で元NHKプロデューサー・林勝彦さん、関西学院大学教授・畑祥雄さんが講演をしてきました。

引野さんは、塾生に原稿を書かせて、それを添削するという実践訓練。林さんは「パワーズ・オブ・テン」という科学映像を見せながら、科学ドキュメンタリー番組のつくりかたを披露。畑さんは、市民がユーチューブ上などの科学映像を使ってコミュニケーションをする時代に入ったことを伝えました。実践あり、論理あり、さまざまです。

きょうは藤田さんが映像作品とともに天文学の歴史を紹介。「天文学は最古の歴史をもった学問といわれています。(天文学が役に立たないという論もあるが)、知りたいという心を満たす学問はすべて、あるべきなんだと思います」。

また、藤田さんは科学雑誌『ネイチャー』日本語版の翻訳者でもあります。翻訳では、英語版を読む人と日本語版を読む人の情報の受けとめかたが寸分たがわぬよう、英語一文に日本語一文を対応させるなど、厳密な翻訳の規則があることを披露。「誤りがあると翌週に訂正記事が出ます。訂正記事をだした翻訳者は、たぶん次週からは依頼が来なくなるでしょう」と雑誌の厳しい面も紹介しました。

このような講演とはべつに、テーマにより5班にわかれての演習もあります。今期は、「里山を守る」(引野講師)、「ポストYouTube」(畑講師)、「明らかになる宇宙の姿」(藤田講師)、「エネルギー利用」(元朝日新聞論説委員・柴田鉄治講師)、「認知症とアルツハイマー」(林塾長)の5班。班ごとに取材などをして記事や映像作品にまとめ、修了日に成果発表会を行い、最優秀班を決めます。なかには、奥多摩に山ごもりをして発表準備をする気合いの入った班も。

第6期科学ジャーナリスト塾は、残すところあと3回。佳境をむかえます。
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“折る”の発見


雑誌の原稿書きで“折る”という行いをいろいろと調べました。骨を折るほうではなくて、紙を折るほうです。

折るという行為には紙や葉などの道具が要りますね。そう考えると人類史のなかで、“折ること”を考えだした人がいてもおかしくなさそうです。いまでは存在することがあたりまえのゼロが人によって発見されたのとおなじように。

けれども、ゼロの発見と“折る”の発見にはちがいもありそうです。ゼロのほうは、発見されて数の数えかたがとても便利になったでしょうが、見つからなかったら見つからなかったで、「ゼロがなくて困る」と思った人はいなかったはずです。なぜなら、ゼロは目に見えないものなのですから。

いっぽう、“折る”のほうは紙や葉などのものが目に見えてあるわけですから、それを折らなければならない状況があれば、だれだっておそらく折っただろうということ。「必要は発明のマザー」などといいますが、折るという行為もまさに必要から生まれたのだろうということです。

では、人類史上で“折る”ことを発見した人は、どんな状況におかれていたのでしょう。これを考えるためには、折ることによってなにが得られるかを考えてみる必要がありそうです。

折ることによって得られた利益。それはやはり面積の省略化だったのではないでしょうか。紙を折れば面積は半分になります。さらに折ればまた半分に。折られたものは、場所をとりませんし、また手で持ち運びもできるかもしれません。

そんなことを考えているとこんな状況を思い浮かべてしまいます。太古のむかし、南の島あたりでとある人が、“お皿”だったバナナの葉をいつものように食事の下に敷いていた。けれども、その祭のときの食卓では人が多く、バナナの葉がとなりの人と重なり合うようになってしまった。そこで葉を折りたたんで、急場をしのいだ…。

なんだかきのうの思考実験のつづきみたいになってしまいました。“折る”の発見、あなたならどんな状況が考えますか。
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朝おきたら2倍


「ポアンカレ予想」で有名な数学者アンリ・ポアンカレは、“思考実験”もよくしていたそうです。

「あなたが寝ているあいだに、宇宙のすべてのものの大きさが2倍になったとしたら、朝おきたときあなたはそれに気づくだろうか」

この問題も、ポアンカレの思考実験のひとつ。

「ものが2倍の大きさになったことぐらい、寝床のまわりのテレビや家具を見ればかんたんに気づくのでは」と思う方もいるでしょうか。でも、なにもかもが2倍。あなたも、あなたの細胞も、原子もなにもかもです。そうかんたんには、「大きさが2倍になった」と気づかない気がしてきますね。

でも、物理学にすこし詳しい方はこう答えるかもしれません。

「2倍になった世界では、いろいろなものや秩序が崩れているだろうから気づくはずだ」

ものの大きさが2倍になったとしても、ものの重さがそのままなら、すべての重力は4分の1になるはず。ポアンカレはものの“重さ”も2倍になるとは言っていません。すこしずるいかもしれませんが、思考実験ということで…。

すべてのものの大きさが2倍になったとしても、重さはそのままだとしたら、昨夜までつりあっていた地球と月の引力の均衡も崩れるでしょう。すると、月の位置がかわり、それにより海の潮の満ち引きもかわり、津波が起きているかもしれません。こうしたことが、あちこちで起きることでしょう。

そんな突然の天変地異のなか、人間は朝をむかえることができるのでしょうか。

「あなたが寝ているあいだに、宇宙のすべてのものの大きさが2倍になったとしたら、起きたときあなたはそれに気づくだろうか」

「気づくまえに人間の営みも崩壊するから気づかない」あるいは「気づくがその直後、人間の営みも崩壊するだろう」あたりが答えかなと思いますが、いかがでしょう。
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「火星人襲来」


このところ、政府が正式にUFOを存在を否定するなどして、にわかに“未確認飛行物体”論争が起きているようですね。「個人的には絶対にいると思う」という官房長官の発言もありました。

宇宙への探索が進んだいまでは、宇宙人がいるいないの論争はかなり信条的な色が濃い気がします。けれども、わずか70年前は、「いるといったらいる」「いないといったらいない」と言い切れる人はまだまだ少なかったのです。

1938年10月30日の夜。ハロウィンで盛り上がる米国で、放送局がラジオドラマを放送しました。音楽をたびたび中断して「火星人襲来」という“臨時ニュース”を流す、ドラマの凝りようです。

ドラマは作家ハーバート・ジョージ・ウェルズのサイエンス・フィクション『宇宙戦争』をもとにつくられたもの。冒頭、ラジオのアナウンサーは、この番組がドラマであることを伝えています。にもかかかわらず、“臨時ニュース”を耳にした市民は大混乱に。全米各地のお店は閉まり、道は大渋滞。通信もパンクしてしまったそうです。

この事件からは、当時の人々が火星に火星人がいることをまだ強く信じていたことが伺えます。まだ人間はおろか地球の生命体ははだれも宇宙に行ったことがないころ。望遠鏡から見える火星表面の“溝”は、火星人の土木作業の跡と思っていた人もいるとか…。

臨時ニュースから38年たった1976年。NASA(米国航空宇宙局)のバイキングがはじめて火星を探索しました。これにより「火星には火星人がいる」という可能性は否定されたのです。

と、話を終わらせようとしましたが、つづきがあります。

バイキングが送ってきた1枚の火星表面写真がまた論争に火をつけました。よく見ると人の顔が映っているような…。NASAも「人の頭部に似ていますね」と声明を出したほど。



けっきょく、のちに別の火星探査期により、この地形は偶然の産物であることが確かめられたのでした。おとなりの星は、いつの時代も私たちの想像を掻き立ててくれるようですね。

冒頭のラジオドラマの脚本を見ることができます。こちらです(英文)。
http://members.aol.com/jeff1070/script.html
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“25”という境界線


年越しそばを食べ酒を飲んでは寝、おせち料理を食べおとそを飲んでは寝、雑煮を食べビールを飲んでは寝る…。

年末年始は、“BMI”を引き上げるたねがたくさんあります。

BMIとは、「ボディ・マス・インデックス」つまり「体格指標」のこと。「体重(キログラム)」を「身長(メートル)の2乗」で割った値です。

たとえば、レコーディングダイエットにみごと成功した岡田斗司夫の、減量まえの体重は最高時117キロだったといいます。身長は171センチなので、ここからBMIを計算すると…。

117÷(1.71)^2=およそ40となります。

BMIでは、25以上を「肥満」としています。かつての岡田斗司夫は軽くこの基準値を超えていました。

いっぽう、BMIが18.5未満だと「やせ」となります。娯楽番組を席巻するギャル曽根は、体重45キロ、身長162センチだそうなので、計算すると…。

45÷(1.62)^2=およそ17.2となり、なんと「やせ」に入ります。おそるべしギャル曽根…。

BMI25すれすれの人が、牛丼を食べたら「肥満だぁ」、トイレで用を足したら「また正常体重だっ」と一喜一憂していたら、たいへん。けれども、肥満の境目がBMI25という数字には、それなりの根拠もあるのだそうです。

それは、高血圧、高脂血症などの肥満に関係する危険が2倍以上になる分岐点がおよそBMI25だということ。

いっぽう医療統計上、もっとも健康だとされるBMIは22。日本の学会でも「BMI22がもっとも病気になりにくい」と提唱しているそうです。

ダイエットに成功した岡田斗司夫は50キロの減量を果たしたといいますから、67キロとして、BMIを計算しなおすと…。

67÷(1.71)^2=およそ22.9となります。つまり、上の計算では、岡田斗司夫は肥満を脱したどころか、もっとも健康な体型にほぼ様がわりしたということになります!

BMIはホームページに入力するだけでもかんたんに割り出されます。たとえば、こちらでどうぞ。
http://www.pref.chiba.jp/syozoku/c_kenzou/10kenkou/5eiyou/kyouryoku/hchk/hchk01.html
| - | 23:59 | comments(0) | -
2008年の企画のおしらせ


おかげさまでこのブログはもうすぐ3年目をむかえます。今年も続いていくであろうこのブログ。きょうは2008年の予定を企画ものを中心におしらせします。

法廷の科学は真実を語るか

昨年末よりはじめて新しい企画ものです。2009年の春から日本ではじまる裁判員制度をまえに「裁判での科学」とはどのようなものかを探っていきます。

まずは、市民が評決をくだす陪審員制度が古くから行なわれている米国で起きたある事件を追いかけます。その後、部隊は日本へ。いま日本の裁判で科学はどのように扱われているのでしょうか。裁判員制度がはじまったとき、私たち市民が法廷で触れる科学とはどのようなものでしょうか。ちかい将来、私たちのくらしに直結してくる可能性のある話です。

法廷の科学は真実を語るか(1)

sci-tech世界地図

昨年からの企画です。科学史の舞台が時間軸とするならば、sci-tech世界地図の舞台は世界地図。科学や技術にまつわるあの事件やあのできごとが起きたところはどんなところか、地図を見ながら“その土地で起きた科学”を紹介します。

科学革命はここから「パドヴァ大学」―sci-tech世界地図(1)
開通4か月で崩壊「タコマ・ナローズ橋」―sci-tech世界地図(2)
医学の発展に貢献する町「フラミンガム」―sci-tech世界地図(3)
世界人口、60億を超える「サラエボ大学病院」―sci-tech世界地図(4)

カレーまみれのアネクドート

これも昨年からの企画。カレーの表情はお店によってさまざま。そんな多種多様なカレーを紹介する、食べ歩き記です。ほぼ科学技術とは関係のない企画ものではこれがいちばん好評いただいている気も…。今後は、カレーの紹介のみにとどまらず、カレーの本やカレーの歴史なども紹介していきたいと思います。

メーヤウ早稲田店「インド風チキンカレー」―カレーまみれのアネクドート(1)
デリー「カシミールカレー」(レトルト)―カレーまみれのアネクドート(2)
国会図書館のカレーライス―カレーまみれのアネクドート(3)
ナイルレストランのムルギーランチ―カレーまみれのアネクドート(4)

発見“21世紀の新大陸”

新企画です。国際ヒトゲノム計画によるヒトゲノムの完全解読が2003年になされてから、生命科学の分野は激動の時代に入りました。なかでも、DNA(デオキシリボ核酸)の複製先とされていたRNA(リボ核酸)には、知られざる未解明領域が存在することがわかってきたのです。

21世紀に入り日本人科学者がなしとげた“RNA大陸の発見”を紹介しながら、ポストゲノムの生命科学のいまを報告していきます。

大学院の研究成果も

かよっている早稲田大学大学院科学技術ジャーナリスト養成プログラムでは、科学技術やその周辺のさまざまなことを研究対象としています。このプログラムで得たことは、ブログの記事でも小出しにしてきましたが、大きな研究の内容もぜひみなさんにお読みいただきたいものがあります。

もちろん、単発記事もひきつづきご愛読いただければと思います。科学の記事といえば、大きな話題は新聞や放送で目にします。いっぽう、このブログは個人が発するものですから、新聞も放送も誰もとりあげないような話題、切り口、視点を多く提供できるようこころがけていきます。
| - | 23:59 | comments(0) | -
クロネッカーの青春の夢


初夢は見ましたか。

正月の1日から2日にかけて、または2日から3日にかけて見る夢を初夢というとか。私はことし、庭の落ち葉を掃いていたら、見しらぬ三人組に「こっちもおやりなさい!」と、人の部屋まで片づけさせられる、わけのわからぬ初夢を見ました…。

「初夢」ではありませんが、数学で「夢」といえば「クロネッカーの青春の夢(Kronecker's Jugendtraum)」が知られています。

レオポルト・クロネッカーは1823年ポーランド生まれ。ドイツやフランスで活躍し、群論、モジュラー方程式、行列式、数論などという数学のさまざまな分野での業績を残しました。数の性質を調べる数論という分野では、「神は整数を創られた。それ以外はすべて人間の創ったものである」という言葉をのこしてもいます。

そんなクロネッカーは、ドイツの数学者エルンスト・クンマーの教えのもと1845年に学位を取得しました。ところがその後、叔父の家業を継ぐために農場の管理などで8年間も数学界から離れることに…。

クロネッカーが復帰講演で発表した予想が「クロネッカーの青春の夢」でした。「虚2次体上のアーベル体は虚数乗法によって得られる」という内容のようですが、このブログの範囲を超えますので深入りしますまい。

青春の夢を発表したときクロネッカーは30歳台なかば。「この予想、“クロネッカー青春の夢”と呼んでください」と宣言したものならすばらしいのですが、さにあらず。証明があまりに難しかったため、当時の数学者たちが「あの予想、クロネッカーの青春の夢なんだってよ」と、投げ出してしまったという経緯が真相のよう。

多くの数学者が見捨てた、クロネッカーの青春の夢。この夢を追いつづけ、ついに解いた人物は日本人だったのです。

帝国大学理科大学(いまの東京大学理学部)卒の数学者・高木貞治が、19世紀末ドイツへ留学し、ダフィット・ヒルベルトという数学の大家に師事します。

ヒルベルトの前で高木は「自分がやりたいことは此れ此れであります」と、クロネッカーの青春の夢を解決したい旨を言いました。いまでも「思いきったことを口にしたものだ」という見方もあるようですが、そこには高木の大志がありました。

当時、数学のための留学は、それこそ夢のまた夢のような話。クロネッカーの青春の夢を解こうとする人どころか、その存在を知っている日本人は高木ぐらいだったといいます。海外に留学をして数学を研究することは、人生を賭けるほどの価値があったのでしょう。

3年間の留学でヒルベルトから多大な影響を受けた高木は、帰国後も孤高の数学者として研究を進めます。10年以上をかけて類体論という整数論の一分野を確固たるものとし、そこからクロネッカーの青春の夢の証明法を導いたのでした。

そのとき残念ながらクロネッカーは、すでにこの世を去っていました。クロネッカーが「クロネッカーの青春の夢」とよばれた予想の名をどう思っていたかはわかりません。でも、夢が人から人へと受け継がれて叶うことは素敵ですね。

参考ホームページ
http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya0054.html
http://homepage3.nifty.com/kyousei/note40.html
| - | 23:59 | comments(0) | -
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