科学技術のアネクドート

2007年、元旦の宿題を。


今年2007年、このブログは「日の出の太陽は大きく見える。」という話で始まりました。地平線すれすれの太陽や月は大きく見える。それは錯覚だ、という話でした。

その記事で「答えは、今年の宿題とさせてください」といい残した問題がありました。ふりかえると…。
太陽や月の大きさの錯覚について、さらに議論をよびそうな新聞記事を見つけました。

1985年5月、日本で日食が見られたときのこと。その記事には「午前六時半までには、元の姿に太陽が戻る。地平線すれすれの日食は、目の錯覚で大きく見えるため観測しやすいが、肉眼でじっと見ると目を焼く恐れがある」と書かれてあります(日本経済新聞1985年5月17日)。

錯覚による形状の変化が、観測のしやすさ・しにくさにも影響を与えているということになりますね。もちろん、機械による観測では関係ないのでしょうが、人間の目には関係するということでしょうか。私はやや疑問の目でこの記事を見てしまいましたが、その答えは、今年の宿題とさせてください。
忘れちゃ行けない。宿題の答の猶予はあと数時間。わかったかぎりのことをお伝えします。

くわしい人に聞くのがいちばん、ということで、2007年1月1日の記事で、日の出の太陽が大きく見える理由を引用した国立天文台に聞いてみました。

――地平線ちかくで見られる天体(月や太陽)が大きく見えるのは錯覚だそうですが、その錯覚は天体観測をしやすくさせるものでしょうか。

「錯覚で大きく見えるのは、地上の構造物と比較するために大きく見えるのではないかと言われています。したがって、実際に大きくなるということはほとんどありません」

「むしろ、高度が低いと通る地球大気の層が厚くなることで減光されるため、観測しづらくなってしまいます。通常、高度30度以下まで低くなった天体を観測することはありません」

錯覚は天体観測をしやすくさせるかどうかは触れられていませんが、「錯覚が天体観測をしやすくさせることはない」という答えのようです。

やっと宿題は提出。

でも、この論はいろいろと尾を引くもの。天文を研究している人から国立天文台の回答と逆の答えを聞いてしまったのです。

その研究者は自信たっぷりに「地平線の天体のほうが観測しやすくなるに決まってるじゃないですか」といいます。

「だって、地平線ちかくの天文を見るほうが、首が疲れないもん」

たしかに。一般の人が観測する分には、地平線近くの天体のほうが観測しやすそうだ。

でも、待てよ。首の疲れを心配するくらいなら、いっそ仰向けになって、天高くのぼる天体を観測すればいいのでは…。

こうしてまた煩悩がまた一つ増えました。と思ったら、遠くから除夜の鐘が…。

今年も「科学技術のアネクドート」をご愛読くださりありがとうございました。来年もみなさん、よいお年になりますよう…。
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2007年最大の科学的進歩は遺伝的研究


「今年の十大ニュース」がいろいろ発表されるこの年末。米国の科学雑誌『サイエンス』は、今年2007年も「サイエンスが選ぶ科学的進歩トップ10」を発表しています。

第1位は「ヒトの遺伝的変異(多様性)」(Human Genetic Variation)。正しくは「ヒトの遺伝的変異(多様性)が明らかになってきた」という進歩でしょう。記事では、このように伝えています。
2007年に行われた研究プロジェクト12件では、数千人を対象に何らかの疾患を持つヒトと持たないヒトのDNAを比較し、どの小さな遺伝学上の変異が疾患のリスクをもたらしているのかを検討したゲノム規模の関連研究が用られた。このような研究のおかげで今年、II型糖尿病に関与する遺伝子数個を同定することができ、心房細動、自己免疫疾患、躁鬱病、乳ガン、結腸直腸ガン、I型およびII型糖尿病、心疾患、高血圧症、多発性硬化症および関節リウマチなど、多くの疾患についても新たな情報を得ることができた。
2003年4月14日に国際ヒトゲノム計画が「すべてのヒトゲノムの読解を完了した」と宣言してから4年半。「ポストゲノム」ということばそのものは、あまり見かけなくなりましたが、ヒトゲノム情報を活かした研究はたしかに進められています。

遺伝的変異がさらに明らかになっていけば、医学でも、一人ひとりの患者対応型治療などがより現実味をおびてくることでしょう。このかぎりでは「遺伝子情報を頼りにする」度合いがこれからもっと高くなっていきそうです。

遺伝子がその人の運命も性格もなにもかもを決めてしまうという「遺伝子決定論」もさらに高まってくるのでしょうか。

たしかに、この第1位は遺伝子の話となりましたが、遺伝子や遺伝子の居場所DNAの周辺、RNAやたんぱく質の研究も、遺伝子以上に加速して進められています。遺伝子のまわりの研究成果が、いかにわかりやすく人々に伝わるかにかかってくる気がします。

第2位以下ははというと…。

第2位 リプロプラミング細胞(Reprogramming Cells)
京都大学の山中伸弥教授らによる人工多能性幹細胞の確立など。

第3位 宇宙の弾丸を追跡(Tracing Cosmic Bullets)
アルゼンチンの天文台が宇宙線の起源を解明。

第4位 受容体解明(Receptor Visions)
Gタンパク質共役受容体のうちのアドレナリン受容体の構造解明。

第5位 シリコンを超える?(Beyond Silicon?)
遷移金属酸化物の層状接合など。

第6位 電子が新しいスピンを手に入れた(Electrons Take a New Spin)
ドイツで量子スピンホール効果が確認される。

第7位 制圧のための分裂(Divide to Conquer)
免疫細胞の防御機構を特定する証拠。

第8位 少ないもので大きなことを (Doing More with Less)
ルテニウムを触媒にしてアミンやアルコール化合物をアミド類にする反応。

第9位 未来へさかのぼる(Back to the Future)
海馬の損傷による記憶喪失者は、健常者よりも仮想場面の把握に劣ると英国研究者が報告。

第10位 ゲームオーバー(Game Over)
カナダ人研究チームが18年をかけて、対戦者の双方がミスしなければ、チェッカーゲームは引き分けとなることを証明。

今年このブログで、直接的または間接的に扱った話題は、第1位と第2位ぐらいでした。

第2位の山中伸弥教授らの人工多能性幹細胞の確立は、日本人研究者の成果だけあって、テレビなどもひんぱんに取りあげています。米国の研究チームとの争いは激化中。冷めず煽らず見守っていきたいですね。

『サイエンス』が選ぶ2007年の科学的進歩トップ10。第1位はこちら(日本語)。
http://www.sciencemag.jp/highlights.cgi#372
第2位以下の詳しい記事はこちら(英文)。
http://www.sciencemag.org/cgi/content/full/318/5858/1844a
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法廷の科学は真実を語るか(1)


科学技術のアネクドートを伝えてきたこのブログでは、政党の科学分野の政策をただしたり、科学リテラシーを上げるための教育のありかたを考えたりもしてきました。

社会生活と科学は、じつはおおいに関係しているもの。とすれば、それぞれの社会制度で科学の分野はどのように扱われているのかを見ておくことも大切。そう考え「社会のなかでの科学分野」という視座をもってきました。結果的に、どの方面でも科学分野の扱われかたはわりと脇役的だという状況も見えてきました。

この連載「法廷の科学は真実を語るか」は、「裁判のなかでの科学分野」がテーマです。

法科学の話題を取材したり、本で事件に登場する科学のことを知ったりする機会はそう多くありませんでしたが、それでも感じることがあります。「裁判での科学を論じる人や場所が少なすぎるのでは」そして「科学は裁きの根拠だけでなく、裁きを有利にする道具にもなっている」という二点です。

多くの日本人にとって「裁判での科学分野」は、遠い世界の話だったかもしれません。ところが2年後にはじまる、とある制度により、その距離は私たちが手で扱うほどの近さに瞬間移動する可能性があるのです。

その制度とは「裁判員制度」。無作為に選ばれた市民が法廷で裁判官とともに、刑事事件の被告人を裁くというしくみです。2009年5月までにはじまることになっています。2、3年後の法廷で、有罪か無罪か、刑の重さはどれくらいか話しあっている人はあなたかもしれません。

裁判員制度がはじまる前のこの時期に、「裁判のなかでの科学分野」とはどんなものであるかを調べておきたいと思うのです。

まずは、市民参加の裁判制度が古くから行なわれている米国。全米で議論をまきおこしたある事件とその裁判を追っていくことにしましょう。つづく。
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日をまたぐ


小学生のころは、せいぜい夜おそく起きていても21時ごろまで。

「8時だよ!全員集合」までは見ても「Gメン」は見ず、「ウルトラクイズ」までは見ても「欽ちゃん」は見ず、といった起立正しいくらしでした。

なので、22時、23時と起きて過ごし、ついに「日にちをまたぐ」といった体験には、新鮮さがありました。

たとえば大みそかから元旦にかけて。「つい5分前までは、31日だったのに、いまは1日だ!」と、感動さえも覚えていた気がします。

いまは、そんな感動まったくありません。夜型の生活になると、「日にちをまたぐ」というイベントは、気づきもしない通過点になってしまうのですね。

世のなかには「日にちをまたぐ・またがない」をうまく活用している例もあるもの。

いまは変わってしまいましたが、2007年3月まで茨城県大洗から北海道苫小牧まで行く船の出発時刻は「23:59」でした。予約のときや乗船のとき「23:59発」のほうが、たとえば「0:30発」などよりも、日にちまちがえや午前・午後まちがえが少なくてすみそうだという理由ではと察します(べつの理由もあるのかもしれないが)。

また聞いたはなしでは、朝ふつうに起きる人にとっては、日付が変わる前に寝るのと、日付が変わってから寝るのとでは、熟睡度や疲れの残り具合がかわってくるという話も…。

大幅にまたいだ日にち、元に戻さねば(ひとりごと)。
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帰納法の“抹殺”(5)
帰納法の“抹殺”(1)
帰納法の“抹殺”(2)
帰納法の“抹殺”(3)
帰納法の“抹殺”(4)



カール・ポパーがとなえた反証主義によると、ポパーの反証主義も反証の対象となり、正当化することはできなさそうです。帰納法はポパー自身によって“抹殺”されていますから。

ポパーはこの矛盾をどう思っていたのでしょう。

写真はポパーの墓。残念なことに、ポパーはすでにこの世を去りました。けれども『科学の終焉』という本に、ポパーの思いが載っています。著者のジョン・ホーガンという科学ジャーナリストがポパーに取材をしたのでした。
いよいよ、重大な質問の矢を放つ時が来た。――彼自身の反証可能性もまた反証可能なのだろうか?――。
著者の質問に対して、ポパーは「それは愚かな質問だよ」と答え、次のように続けたといいいます。
「それは考えられる限り、最もまぬけな批評の一つだよ!」。彼の反証概念は、科学のような知識の経験的形態と、哲学のような非経験的形態を区別するための規準なのだ、と彼は言った。反証それ自身は「明らかに非経験的な概念なのだ」。反証概念は科学ではなく哲学、もしくは「メタサイエンス」に属し、科学全般に当てはめることさえできない。ポパーは、本質的に、彼の批評家たちが正しいことを認めていた。反証は単なるガイドラインに過ぎない。いわば大雑把なやり方なわけで、時として役に立つが、役に立たないこともある。
つまりポパーは、反証主義は「科学ではなく哲学」に対して述べたものと答えたそうです。反証主義はもっぱら科学の方法として知られてきました。「科学ではなく哲学」という発言はおどろきです。

晩年を迎えていた哲学者は、向けられた批評にたいして言説を一歩譲ったということでしょうか。

ポパーにとっては残念ながら、いまの科学では帰納法はふつうに使われています。もし「帰納から将来のことは予測不可能である」としてしまうと、将来を予測するという科学の大きな役割はなくなってしまうのです。

ではポパーの反証主義は“抹殺”されたかというと、そうともいえません。科学に大きな影響をあたえたという点で反証主義は役目を果たしたからです。

反証できるかどうかといった論は、人間にとっては見すごされがち。ポパーは「科学とは反証する可能性がなければならないものだ」といいます。この定義は、科学と精神分析学や心理学とあいだの境界にもなっています。

いままでに積み重ねてきた経験をたよりに、あしたの行動を決めていくことは、人間にうまれつき備わっている本能なのかもしれません。生きることは帰納することなのです。(了)
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仕事をもらうきっかけ


「週刊ビジスタニュース」というメールマガジンに「OECD調査から見る、日本の科学の未来」という原稿を寄せました。ホームページでもご覧になれます。

記事の題は「OECD調査から見る、日本の科学の未来」。このブログで、(2007年12月)7日と8日に書いた「日本の高校生が最下位をとった、理科の『活動』と『動機』」をあらためたものです。

名刺交換をしていたソフトバンク・クリエイティブの編集者さんから話をいただいたものでした。「ブログの記事に用語の説明と将来的な展望を加えるかたちであらためてみてください」と電話をもらいました。

ここ数か月「ブログを見た」や「インターネットに出てくる記事を見た」ということで、編集者さんからお仕事をもらう場合が多くなっています。別の教育系出版社からのお仕事も「お名前はどこどこの『なになに』で拝見いたしました」と連絡をいただいてのもの。

インターネットには、かんたんに情報にたどりつける気軽さや、検索機能の便利さがあるため「発注・受注の機会の場」としては効果的なのでしょう。

インターネットは、もちろん物書きを生業にしている人の活動場所だけではありません。「職はものかきです」といわなくても、職業人より上手な書き手もいます。

今後ものかきを職にする人には、何が求められていくのでしょう。

最近、印象的だった話は「インターネットに載っていないような話を記事にすることができる人がものかきとして生き伸びるだろう」というもの。検索すれば何かしらの情報が得られるなかで、“本邦初公開”は貴重でしょう。

本邦初公開の話を記事にするためには、人と会って初公開の話を聞きだして記事を書くことか、インターネットに誰も書いていないような独自の発想や切り口で記事を書くこと、このふたつが思い浮かびます。

ただ、独自の発想や切り口なんてものは、くりかえし使える道具にでもしないかぎり、なかなか難しいものでしょう。やはり、誰もまだしらないような話を人から聞き出すことが大切になってくるのでしょう。

「週刊ビジスタニュース」のホームページはこちら。
http://www.sbcr.jp/bisista/mail/
| - | 23:59 | comments(0) | -
帰納法の“抹殺”(4)
帰納法の“抹殺”(1)
帰納法の“抹殺”(2)
帰納法の“抹殺”(3)



おなじお店で9回ともおいしく食べられたから10回目もおいしく食べられる。きょうまで太陽は東から昇っていたから、あすも東からのぼる…。

「aの例は正しい。bの例は正しい。cの例は正しい…。これだけ正しい例が揃ったのだから、私の掲げた仮説は正しい」という論でものごとを確かめようとする帰納法を、カール・ポパーは心のなかで“抹殺”しました。

さらにポパーの帰納法懐疑論ははげしさを増します。検証よりも絶対的なものではありませんが、「確率的にたしからしい」ということを示す作業を確証といいます。この確証でさえも、ポパーは受け入れられないといったのです。

ハンス・ラインヘンバッハという科学哲学者は、「確証論的帰納法」をとなえました。たとえば、さいころを6回、60回、600回、6000回…と、投げつづけたとしましょう。投げた回数が少ないうちは、たとえば「3」の目が「6」の目より多く出るといった、頻度のばらつきが考えられます。しかし、そのばらつきも6000回さいころを投げれば、かなりならされていく気がします。このような考えから、ラインヘンバッハはいいました。

「ある現象がn回の試行のうちにm回観察される場合、十分な大きさの試行を繰り返せば、確率はn分のmである」

ポパーはラインヘンバッハの論を否定しました。ポパーにとっては、経験を拡張しても一般化できないです。60000回さいころを投げたところで、「さいころで『1』の目の出る確率は6分の1である」という真実には近づいたかといえば、近づいたとはならないというのです。そのかわりポパーは次のようにいいました。

「裏づけの度合いを得たのだ」

科学から帰納という考えを“抹殺”してしまうと、仮説を帰納的に検証する作業にはなんの意味もなくなってしまいます。けれども、仮説を「反証」するかぎりにおいては、理論的な正当性は保たれます。

たとえば「AならばBである。しかし、Bではない。したがってAではない」という論法は、科学の方法としてポパーが認める演繹法に含まれるのです。「ルーさんがカレーを食べたなら、カレー臭がただようはずだ。でもルーさんからはカレー臭はただよってこない。よってカレーを食べたのはルーさんではない」といったものです。この論法は論理学では「モードゥス・トレンス」といわれています。

仮説を立てればそれを反証するという行為をくり返す。そして、反証が失敗されつづけることによって、その仮説は“生きのびて”安定したものになっていく。いっさいの帰納を“抹殺”した科学に残されるものは、演繹による科学でした。

このような、ポパーの主張は「反証主義」とよばれています。

ところで、ポパーが唱える反証主義も、ポパーのいうとおりにしたがうと、帰納法では正当化できず、反証の対象にしかなりえないことになります。ポパーはこのことをどう考えていたのでしょう。つづく。
| - | 23:59 | comments(0) | -
ルドルフの赤い鼻


クリスマス・イブ。街ではクリスマスソングが聞こえてきます。

「赤鼻のトナカイ」は日本でも知られる歌。1949年、米国のジョニー・マークスがつくりました。義弟ロバート・L・メイが、モンゴメリー・ウォードというデパートで配るために綴った詩を土台にしているそうです。

  真っ赤なお鼻のトナカイさんは いつもみんなの笑いもの
   でもその年のクリスマスの日 サンタのおじさんは言いました
      暗い夜道はピカピカの おまえの鼻が役に立つのさ
 いつも泣いていたトナカイさんは 今宵こそはとよろこびました

子どものころ「夜道」ということばを知らなかったため、サンタが「暗いよ、道は」と嘆いているものとばかり思っていました。

なぜルドルフの鼻は光るのでしょうか。

メイは詩のなかでルドルフを「世界でただ1頭の赤い鼻をもったトナカイ」と紹介するのみ。鼻が赤くなった経緯はわかりません。

ちなみに、トナカイよりも赤鼻になる率がはるかに高い動物が人間。酒を習慣的に飲みすぎたり、日を浴びすぎたりすると、鼻のあたりの毛細血管が広がり赤らみます。『レ・ミゼラブル』のテナルディエや、『今昔物語』「鼻長き僧の事」の僧なども、きっと赤鼻だったのでしょう。

では、ルドルフの鼻の輝きはどれほどのものでしょうか。

日本語の歌詞では「暗い夜道は」とあります。いっぽう英語の歌詞によると、サンタが「ルドルフ、その明るい鼻で、橇を導いてくれんかのぅ」と頼んだ年のクリスマス・イブは、霧が発生していました。

つまり、霧のなかを進むための明るさが求められていたのであり、ルドルフはその求めに答えることができました。霧のなかも走れるオートバイのヘッドライトは60ワットほど。ルドルフの鼻も光を発するものとして60ワットとすると、1秒におよそ1.2カロリーの熱量を使います。ルドルフが半日分はたらいたとすると5キロカロリーの消費。

赤い鼻の輝き方も重要でしょう。ためしに『赤鼻のトナカイ』のレコードジャケットを見ると…。

ルドルフが鼻を光らせる前段階のものが多いようです。

すこしだけ光らせているものも。描き手の迷いどころでしょうか。

このルドルフがもっとも強烈に鼻を発光させているようです。

サンタは、ルドルフに依頼する前年も別のトナカイに走ってもらっていたことでしょう。ルドルフの赤鼻は霧の夜むき。次の年のクリスマス・イブ、ルドルフがふたたびサンタに仕事を頼まれたかはわかりません。

でも、サンタがルドルフを頼りにしため、笑いものだったルドルフはそれ以来、兄弟からは親しまれるようになったといいます。ルドルフはさぞ喜んだことでしょう。

『赤鼻のトナカイ』の歌が生まれた米国では「クリスマス・イブの夜はサンタクロースに夜間飛行の許可をあたえる」という州条例もあるとか。今宵、ルドルフは出動しているでしょうか。
| - | 22:27 | comments(0) | -
『イリューム』からの手紙


科学雑誌と聞いて、どんな名前を思いうかべますか。『日経サイエンス』それとも『ニュートン』…。

『イリューム』を知っている人は多くないかもしれません。東京電力が年に2回発行しています。本屋で見かけることはまずありません。非売品だからです。

このたび『イリューム』第39号が発行されました。むかし16ページ分の編集補助をしたこともあり、手元に送られてきました。封筒をあけると、真新しい表紙の雑誌とともに、あいさつの手紙が。
20年近くの長きに亘り「ILLUME」の編集顧問を勤めてくださいました小林俊一先生、中村桂子先生、村上陽一郎先生、山崎正和先生、吉川弘之先生が今号をもって御退任されることとなりました。
そうそうたる顔の編集顧問がみな退くもよう。小林、村上、山崎の3氏は1989年の創刊から編集顧問をしていました。さらに文はつづきます。
第39号以降からは、これまでの「ILLUME」の伝統を受け継ぎながら、新たな編集体制の元で発行する予定でおりますが、この準備に今しばらく時間が必要なことなどから、第39号の発行が多少遅くなることが予想されています。
『イリューム』の体制が変わるということは、まえから話題になっていました。科学ジャーナリストのあいだで「休刊することになった」という話までのぼっていたほど。

いろいろな話をまとめると、編集人の朝山耿吉氏が退くことになり、体制をあらためるようです。「編集人」のほかに「編集長」、さらに「編集に深く関わるデザイナー」などもいるため、組織としてかなり複雑だったということでしょうか。朝山氏は、科学技術ジャーナリスト会議の2008年1月の月例会「甦れ、科学技術雑誌、科学技術広報誌!」で講演する予定。

さて、最新38号の題目は「発生生物学の新しい息吹」。

ちかごろNHKニュースの第一項目でも報じられている京都大学の山中伸弥教授が研究する「人工多能性幹細胞」。その報告記事も載っています。

これまでは、からだの失われたはたらきを取りもどす医療技術の切り札として「胚性幹細胞」に目が向けられてきました。内蔵や皮膚や骨などに枝わかれするまえの段階の細胞を使って、はたらきが失われた体の部分を再生するのです。

しかし、この胚性幹細胞には卵子が要ります。そのため赤ちゃんの芽を摘んでしまうという問題がありました。韓国の黄禹錫教授が胚性幹細胞の論文をねつ造した問題も手つだって、胚性幹細胞の分野の雲ゆきはわるくなっていました。

いっぽう山中教授が進めている人工多能性肝細胞の研究では、機能的に枝分かれした後の細胞を、ふたたび枝分かれ前の段階に戻す技術を使います。再生治療を受けようとする患者本人の細胞を使えば済むため、卵子を使う倫理的問題はなくなるわけです。

記事では、山中教授が人工多能性細胞の鍵を握る遺伝子を見つけるまでの道のりや、研究成果が世界で受け入れられるまでのようすをくわしく書いています。とりわけ、生命科学への行きすぎた期待により起きる害や、残された倫理問題については、記事の3分の1ぐらいを費やす力の入れようです。

残念ながら本屋での立ち読みはできません。でも、東京電力のホームページから申し込めば送ってくれます。

知られざる科学技術の高品質誌。次号はいつ、どんなかたちで目にできるのでしょう。

東京電力『イリューム』のホームページはこちら。
http://www.tepco.co.jp/custom/illume/index-j.html
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温暖化防止策の強化に有効?


うちあわせや会議を開くにあたっては、「時、場所、状況」が大切とはよくいわれます。それを実感する話を、ある研究者から聞きました。

今年(2007年)8月に、ウィーンで地球温暖化防止についての国際会合がありました。今月バリ島で開かれた地球温暖化防止条約締約国会議の準備会合です。

会合に出席するため、その先生がウィーンに降り立つと、熱波を感じました。日本も今年の夏は暑かったですが、オーストリアのあたりもそうだったようです。

8月の平均最高気温は22度ほどで、この時期に雨も多いウィーン。冷房を備えつけてある建てものはほとんどないそうです。

会合の場として教会が使われました。その教会も例外にもれず、冷房がありません。

参加者たちは「暑い! なんでこんなに暑いのだ!」と嘆きながら、地球温暖化の防止策を話しあったそうな。

重要な会合なのに暑すぎて頭が回らなかったり、頭に血がのぼって一触即発に、というおそれもあるかもしれません。でもそれ以上に、実際に暑いなかでの温暖化防止の会合は切実感があってよい提案が出そうですね。その先生は「いまごろの冬場に会議をしていたら、議論の中味もちがっていたかも」と振り返ります。

2008年の洞爺湖サミットは7月7日から9日にかけての開催。地球温暖化防止のための話し合いもされるでしょう。

洞爺湖にも熱風が吹いてウィーン会合とおなじ状況をつくれば…。温暖化防止策に消極的な国の首脳から協力を取りつけて対策を強化させる、有効な手段になるかもしれません。もっとも、会議場からの冷房とりはずしと、“暑さ乞い”が必要ですが。
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王立協会クリスマスレクチャー


この時期、英国では王立研究所が毎年開いている「王立協会クリスマスレクチャー」が毎年の行事になっています。

第一線の研究者が、若い人たちに学ぶ機会を贈るクリスマスレクチャー。その伝統は長く、ノーベル賞の創設より76年も古い、1825年にはじまりました。

企画をした人物は、王立研究所の所長だったマイケル・ファラデーという化学者。つぎつぎと研究成果を発表する多産の化学者としても有名ですが、なかでも電磁気学といわれる分野でとくに貢献をしました。「磁気から電流が生まれる」と考えた人物です。

ファラデー自身、クリスマスレクチャーで19回の講演をしました。この記録はいまも最多。ほかにも科学史や教科書に出てくる有名な研究者が講師の名を連ねます。たとえば「チンダル現象」で知られるジョン・チンダル。最近では、テレビの動物番組などで有名なデイビッド・アッテンボローなども。

今年のクリスマスレクチャーは「誰が生き、誰が死に、それはなぜか」というお題です。クリスマスレクチャーを紹介する王立協会のおしらせを見ると…。

40億年にわたる進化で磨きぬかれた人間の体は、複雑な機械そのもの。燃料や液体を見つけ、体の収支バランスをとり、体内にエネルギーの行き渡らせ、それをあますところ働くよう使っています。クリスマスディナーを生延びるだなんて、なんて不思議なこと。

でも、これらの機能が完全なる制限を課せられたらどうなるでしょう。人間の体は、砂漠から北極の環境まで、極度の気温でもうまく対応します。海原を漂流する生存者よろしく、飢えや乾きにもずっと耐えてきました。敵から何百マイルも逃れてきた最屈強の兵隊であればわかるでしょうが、私たちは鋭い痛みにも耐えられるし、想像も出ぬような困難にも対処できます。最たるトラウマから立ちなおる体の可能性は感銘的でもあり、生存本能の力には驚かされつづけます。

でも、私たちはみな、生延びた者なのでしょうか。生延びた者は特別な存在なのでしょうか。そうだとすれば、それはもって生まれたものなのでしょうか、それともつくられたものなのでしょうか。(原文は英文)

この講義を、医者でもあり冒険家でもあるヒュー・モンゴメリーが講演します。

このクリスマスレクチャーは、ちかごろは日本でも翌年の夏に開かれています。昨年までの講義の様子は「サイエンスチャンネル」で、見ることができます。

王立協会のクリスマスレクチャーのお知らせはこちら(英文)。
http://www.rigb.org/heritage/lectures.jsp
最近のクリスマスレクチャーを見ることができる科学技術振興機構のサイエンスチャンネルはこちら(動画は日本語訳されています)。
http://sc-smn.jst.go.jp/
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ナイルレストランのムルギーランチ――カレーまみれのアネクドート(4)


銀座の目抜き通りから東に4ブロック。背の高い建てもののあいだに、赤い日除け幕に黒字の店名が映えるカレー屋があります。

「ナイルレストラン」。

「ナイル」は、レストランの創業者アヤパン・ピライ・ムハマダバン・ナイルのナイルです。

インド独立運動に参加したナイル。英国の監視から逃れるため日本にやってきました。「中村屋のボース」ことラス・ビハリ・ボースとも交流が。インド独立後も、インドと日本の平和のために東奔西走。そんななか、1949年に開いたカレー料理店が「ナイルレストラン」でした。

創業者ナイルの息子がいまの店主G・M・ナイルさん。毎昼、毎昼、開店前に列をつくって並ぶ客を、鋭い眼光で迎え入れます。

店には、店主ナイルさんのほか、割腹のよいインド人店員も。昼どきは、店に入るやいなや「ムルギーランチですか」と注文を聞いてきます。お腹と声のいきおいにおされ「はい」と返事すると、10分後ムルギーランチが出てきました。



銀のお皿に盛られた、ターメリックライスと鶏肉と野菜とルー。骨つきの鶏肉はよく茹でられているのでしょう。ナイルのナイフの手さばきで、あっという間に骨と肉が分かれます。

「よく混ぜて食べてねー」。店員のことばどおり、スプーンとフォークでライスもルーも具もごちゃまぜに。

ほどよく混ざったカレー食べると、辛くもなく甘くもなく、しっかりとした味が口のなかに広がります。「ああ、美味しい」とぱくぱく食べているうちにあっという間にお皿は空に。

小さいけれど確かに幸せなランチは幕を閉じました。

お店を出たあと、歩道の生け垣からお店の写真を撮ろうとしていると、ナイルさんがやって来て、「写真を撮るのなら、ドアを閉めましょうか」と一言。客にやさしいナイルさん。目は鋭いけれど。

ナイルレストランのホームページはこちらです。
http://www.ginza-nair.co.jp/index.html
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もくもくと水蒸気


NHK昼のニュースの後といえば、ゲストとアナウンサーが日本のある場所を訪ねる生中継の番組。風光明媚な観光地からの中継もあります。

むかし、アナウンサーが温泉からの中継でこんなことを言っていました。

「温泉からはもくもくと水蒸気がでています。温かそうですねー」

「もくもくと水蒸気」。どういうことでしょうか。

「水蒸気」は「“水”が“蒸”発した“気”体」。つまり水蒸気は気体です。「気体」の「気」は「空気」や「大気」の「気」。「水の三態変化」でいえば、目に見える液体ではなく、目に見えない気体です。つまり「もくもくと水蒸気」は矛盾した表現になります。

ためしに「もくもくと水蒸気」を検索すると252件が引っかかりました。

揚げ足とりですいません。有名企業も「もくもくと水蒸気」を使用中。アドレスが“www.jal.co.jp”で始まる旅行業者で見つけた表現は…。
とくに、30もの噴気孔があって湯けむりや硫黄臭がたちこめ、もくもくと水蒸気が噴き上がる雲仙地獄は迫力の観光スポット。
「もくもくと湯気が上がる」などとすればよかったのでしょう。でも、文の前半に「湯けむり」ということばを使っているため「湯」の字の重複を避けたかったのかもしれません。

さらに。“http://www.geohankyu.com”で始まる不動産業のホームページに載っていたこの表現。どうでしょうか。
雨上がり、間近な六甲の山肌からもくもくと水蒸気が雲になってのぼっていく様を見るとき。芦屋が海から山へ細長く伸びた街だと改めて実感するのは、そんなときです。
たしかに「もくもくと水蒸気」が見られます。でもオーケーでしょう。「もくもくと水蒸気が雲になって」と続いているからです。「(透明の)水蒸気がもくもくと雲になって」と言い換えられます。むしろ正確な表現といえましょう。

矛盾をはらんだ「もくもくと水蒸気」。でも、ことばの意味を考えてみると、しかたない面もあります。

「蒸」を辞書で引くと「湯気があがること」と載っています。「蒸し風呂」といえば、白い湯気が立ちこめる光景。「蒸」には「湯気」つまり液体の状態を示す意味も含まれているのです。

また「気体」を辞書で引くと「ガス」と載っています。その「ガス」を引くと「濃い霧。濃霧」と出てきます。辞書のことばを渡っていくと「気体」が「濃霧」になってしまいました。

視覚的には「無」であるものが「水蒸気」とぜいたくにも3文字も使われていることが、誤用の要因かもしれません。いつの日か、「水蒸気」を辞書で引くと「湯気」と載っている日がくるかもしれません。

「水蒸気」をイメージ検索してみると、やはり…。
http://images.google.co.jp/images?hl=ja&q=水蒸気&lr=&um=1&ie=UTF-8&sa=N&tab=wi
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農の担い手


静かながら、たしかな足どりでしのびよる危機…。日本の農業には、そんなことばが合うかもしれません。

いまの日本の農家の平均年齢は、およそ65歳。70歳以上が4割をしめるという、いびつな人口の構成といいます。超高齢となる農家の方々に、10年後の農業への期待をかけつづける…。まっとうな話には聞こえません。

そこで、農村に若い世代が集まり活気を取り戻すための提案がなされています。

「第六次産業」がひとむかし前から唱えられています。第一次産業は農林水産業。第二次は製造業。第三次はサービス業。では、一気に飛んで第六次は。

「6」という数字を分解すると「1×2×3」になりますね。このかけ算から考えだされた産業形体が「第六次産業」です。つまり、第一次、第二次、第三次産業のどれにも関わる産業形体を築けば、第一次産業である農業の活性化につながるという考えです。

第六次産業を提唱している人物は、東京大学名誉教授の今村奈良臣さん。第六次産業の本質を次のようにいっています。

農産物を原料のまま売るのではなく、原料を巧みに加工し、消費者に好まれるように流通や販売まで心を配り、付加価値と就業の場を殖やして、農村をより豊かにし、活力をとりもどそうという提案である。

農業だけでは「あまりにも自分の生活からはかけ離れている」と感じる若い世代は多いでしょう。けれども、農業から展開して、農作物の製品としての加工や、農作物を通じたサービスといった第二次、第三次産業までを総合的に取り扱えば、ぎゃくに若い世代にとっては取っつきやすくなるといった側面もあるでしょう。

農学や園芸学に従事する研究者たちは10年後の未来を見すえ、いかに若い世代に農業に関心をもってもらえるか、農の魅力をアピールしようとしています。「農業でビジネスをすれば、お金もちになれる」といった手本を作ろうとしているのです。

第六次産業が提唱されて10年ほどが経つといいます。第六次産業の成功事例を増やしていくことが、若い世代への訴求力となるでしょう。残された時間はあまりありません。
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『高血圧の常識はウソばかり』


新しい本の宣伝です。『高血圧の常識はウソばかり』という新書が朝日新聞社から発売されました。

前の記事で、本づくりに「構成」という役が関わる場合があるという話をしました。
どのような役かというと、研究者などに話を聞いて内容をととのえ、その人になりかわって書くような役のこと。おそらく、取材で得た材料を組みたてて、ひとつのものに仕立てていくので、構成とよぶのだと思います。
今回も、その「構成」の役で本づくりに参加する機会をもらいました。著者は東京都立老人医療センター副院長の桑島巌さん。NHK『ためしてガッテン!』や、朝日放送『たけしの本当は怖い家庭の医学』などの健康番組の高血圧特集で解説役もしています。

高血圧の常識は、つぎつぎと改められています。たとえば、年齢につれ血圧が高くなることはしかたないと考えられていました。しかし、高齢者も血圧が上がれば、やはり脳卒中や心臓病の危険は高まることがはっきりしたため、いまでは積極的に血圧を下げるべきとされています。また、血圧を下げる薬として最古参の利尿薬が、他の新薬にまして効き目が優れていることも大規模な試験で明らかになりました。

この本の肝のひとつが「職場高血圧」の紹介。聞きなれないことばかもしれませんが、多くの人に関わりのあることばです。

仕事がうまくいかなかったり、上司との関係がぎすぎすしていたりでストレスがかかると、血圧は高くなります。1日のうち7時間も過ごす職場は、まさに日常生活の場。ストレスを抱え込んだまま仕事をしていると、本格的な高血圧になるおそれがあります。

ところが自分は職場で血圧が高いということに気づかない人がけっこう多いようです。

職場で部長にどなられて血圧が上がっても、健康診断の場ではストレスからしばし解放されます。すると、健康診断での血圧は、普段の職場での血圧よりも低く測定されてしまいます。

医者から「血圧は正常ですね」などと言われながら、じつは日常的には高血圧であり、それに気がず対処もしないまま職場での高血圧の状態が続いていく。その状態が「職場高血圧」です。桑島さんは、都庁職員や製薬会社社員などに職場での血圧状態を測ってもらうことで、職場高血圧の実態を明らかにしました。

桑島先生の“味のある”血圧の話をするとともに、編集・井原圭子さんが表紙カバーの裏を「血圧チェックシート」にするなどの工夫を凝らしました。「血圧なんて自分には関係ない」と思う方にこそ読んでいただきたい本です。



『高血圧の常識はウソばかり』はこちらでどうぞ。
http://www.amazon.co.jp/高血圧の常識はウソばかり-朝日新書-086-桑島-巌/dp/4022731869/ref=pd_rhf_p_1
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サイエンス映像学会設立準備シンポジウム


きょう(2007年12月16日)東京大学弥生講堂でサイエンス映像学会設立準備シンポジウムが開かれました。

サイエンス映像学会は、「映像を通して自然や科学の世界を理解するとともに、アーカイブス化できた貴重な映像を大人だけではなく、広く子どもたちの教育にも役立ててゆくことを目的」とする学会。2008年の春の正式な立ち上げを予定しています。

催しものでは、会長就任を予定している養老孟司さんといった著名人から、12歳の小学生・藤森伯人くんまで、幅広い人たちが映像に対する思いや望みを語りました。

いちばん大きな拍手を受けた上映作品は、藤森くんの文部科学大臣賞受賞作『守れ!アメンボ』。洗剤を一滴たらすと水の表面張力がなくなり、アメンボの模型が水に沈んでいきます。こうした実験を映像で撮影し(撮影者はおじいちゃん)、川や池に住むアメンボを生活排水から守ろうというメッセージを込めました。コンピュータ・グラフィックスが散りばめられた作品が多いなか、手作りの作品が新鮮に映りました。

思いもよらぬできごともありました。それは、私を含むフタッフの多くが、いまは思い出したくない出来事かもしれません。しかし、これからの学会の長い旅を記録しておくためにも、触れないでおくことはできますまい。

冒頭、副会長就任予定の元NHKプロデューサー林勝彦さんが開会のあいさつをしました。すぐあとに、予定どおり長崎・軍艦島の映像が流れ始めます。

ところが無音。音声が流れません。およそ300人が詰めかけた会場は、静まりかえります。

1、2分、復旧が試されたものの音は出ず。するとテレビ番組制作者として百戦錬磨の林さんは「音声が出ないようなので、では口で説明しましょう」と、毅然と壇の前で、廃墟と化した軍艦島の映像を自分の声で説明しはじめました。

すこしざわめく会場のなかで、林さんの話に集中できた人はそう多くなかったでしょう。それでも、林さんの落ち着きぶりや、その後の養老さんの「音のない映像なんて、めったに味わえないですよ」という切り返しもあり、会場からは笑い声も。空気はもとに戻っていきました。

原因は音声機器のバッテリー切れだったようです。上映担当スタッフは昨晩から今朝にかけ、入念なリハーサルを重ねていました。

因果でしょうか。映像の歴史では、同じようなできごとが知られています。

半世紀以上前の1953年8月28日。日本で初めて電波に乗ったテレビ広告も、出るはずの音が出ませんでした。精工舎(いまのセイコーホールディングス)の、正午をしらせる広告のフィルムが裏がえしに準備されていたのです。音声の読みとりはフィルムと連動していたため、逆向きとなったフィルムでは音が流れません。

このテレビ広告の記念すべき第一号を、いまや同社も「おもしろい事件」として紹介しています。テレビの歴史に一つの趣きを加える、語り草です。

ふたたび壇にあがり「さっきは心臓がどきどきしていました」と披露しながら、林さんは2201年の大予想を夢とともに語りました。「愛国心よりも、地球を、宇宙を愛することが大切な時代になっているでしょう」。

22世紀のサイエンス映像学会で「この学会が発足するとき、こんな夢が語られていた」という話とともに「最初の上映では、こんなことがあったのです」と、微笑ましくきょうのできごとが語りつがれているでしょうか。

サイエンス映像学会のホームページはこちら。
http://svsnet.jp/
| - | 23:59 | comments(0) | -
科学書のきびしい現状
今年2007年の科学書についての話題といえば、福岡伸一さんが書いた『生物と無生物のあいだ』(講談社新書)の発行部数が40万部に達したことでしょうか。

『生物と無生物のあいだ』の売れ行きは、売り上げの高かった今年の本の中でどのくらいに位置するかというと、取次会社トーハンの発表では18位になるそうです。ちなみに1位は坂東眞理子が書いた『女性の品格』(PHP新書)でした。

売れた科学書にも、上には上がいるものですね。

一般的に、科学書は、日本の読者からは疎まれている存在といえそうです。

毎日新聞の「読書世論調査」(2003年)では、「主に読む本のジャンルは」という質問に対し、「自然科学・環境」と答えた人の割合は、複数回答にもかかわらず8%でした。つまり日本人100人いるうち、科学書をおもに読んでいる人は8人しかいないことになります。

では、他の分野はどうかというと、「趣味・スポーツ40%」「日本の小説26%」「暮らし・料理・育児26%」「健康・医療・福祉24%」「ノンフィクション15%」「歴史・地理13%」「経済・産業・マネー13%」「エッセー・詩・俳句10%」「外国の小説9%」「宗教・哲学・倫理9%」などなど。科学書はこの次の順位になります。

また、出版科学研究所が発表している『出版指標年報』によると、2002年の自然科学の分野の書籍1点あたりの出版部数は2,245冊という計算になります。

この年の新刊書の総点数は7万2055点。また、新刊書の総出版部数は4億1706万冊でした。つまり、全分野の新刊書1点あたりでの出版部数は、「417,060,000冊/72,055点」で、5,788冊となります。

全分野では1点あたり5,788冊。いっぽう、科学書は1点あたり2,245冊。出版部数が低ければ、それだけ書店では目立たないから売れません。逆に、売れないから出版部数がこれだけ低い、ともいえるでしょうが。

こうして見ると、『生物と無生物のあいだ』が、いかに“化けた”かということがよくわかりますね。
| - | 23:59 | comments(0) | -
二度読み


書評人や映画評論家などには、その作品の評を書くために、一度だけ接する人もいれば二度以上、接する人もいるようです。

読書好きには「おなじ小説を何度も読むと、そのたびに別のことを感じることができて、また新鮮な気持ちになる」と、鑑賞術をいう人もいますね。

近ごろ取材をしていて、複数の人が「資料の読み込み」の大切さについて話していました。

ある翻訳家の方は「翻訳をするときは、原著を飽きるくらいまで何度も読みます。原作者の文体や伝えたいことを翻訳で表現するためには必要なことですから」といいます。何度も読んでいるうちに、だんだんと行間さらには原作者の心の中までもが浮かび上がってくるのでしょう。

また、本の編集をしている別の方は「あの著者は、聞いたこともないような話を書いてくるけれども、そうとう資料を読み込んでいるのではないでしょうか」といいます。おそらく、この「読み込み」は、いろいろな資料を手広く探しているという意味かもしれません。

しかし、手広く当たった資料もまた、何度も何度も読み込むことの効用はきっとあります。

たとえば、一度でなく二度おなじ資料を読めば、その分だけ理解度は確実に深まります。「受験勉強ではおなじ参考書を何度も繰り返すべし」という助言とにていますね。本を一度読みしかしない人でも、読んでいくうちにわからなくなったらもう一度すこし戻って読みなおす体験をしたことがあるでしょう。その効果と似ていますね。

また、「木を見て森を見ず」といったことばがあります。一度だけでは断片的な情報を連続的に得るだけだった資料の読みが、二度、三度と読んでいくと全体として何が書かれてあるのかがわかってくる資料の読みに変わってくることがあります。

さらに、資料に書かれてあることを何度も読み返すことで、自分が記事や原稿を書くときの新たな発想なども浮かんできたりするときもあります。

時間を測ったことはありませんが、実感では同じ資料を二度目に読むときは一度目のときの半分ほどでしょうか。それでいて、理解度は一度だけで読み済ませたときよりも倍以上になるというのが実感です。三度、四度と読み込めば、さらに効用は高まっていくでしょう。
| - | 12:38 | comments(0) | -
小松秀樹さん「医療を崩壊させないために」


きのう(2007年12月12日)早稲田大学で、虎ノ門病院泌尿器科部長・小松秀樹さんの講演がありました。

病院から医師が去っていき、運営が成り立たなくなる「医療崩壊」。この話題に触れるとき、小松さんの名前は欠かせません。2006年『医療崩壊』という本を表し、医療崩壊が起きている事実をはじめに世に知らしめた人物のひとりです。

なぜ、病院などの現場で医療崩壊が起きているのでしょうか。

「患者は、現代医学は万能であり、医療行為が適切であれば、病気はたちどころに発見され、治癒するものと思いがちである。これに対し、医者は医療に限界があるだけでなく、危険であると思っている」

つまり、医者が最善をつくしたとしても、患者側は治癒されないことに不満をいだきます。その不満を訴訟というかたちで司法に訴える患者側もいます。背景には、知る権利の拡大などにより、医者と患者の関係が“父と子”から“サービス業と客”に化した社会変化もあるでしょう。

では、患者側に訴えられた医者を、司法の番人はどう裁くのでしょうか。

「司法は科学を苦手とする。判断が、倫理規範を振りかざしたメディアの感情論に引きずられやすい。必然的に、法廷での判断には大きな振れ幅が生じる」

こうして、患者側に訴えられた医者は裁判で敗れ、最善をつくしたはずの医療行為が罪と断じられる場合が起きています。訴えられていない医者も、メスをもつことを恐れ、病院を去っていくのです。

「医師は、患者の無理な要求を支持するマスコミ、警察、司法から不当に攻撃されていると感じるようになり、士気を失い病院から離れはじめた。このため、医療の脆弱な部分から崩壊し始めた」

これが医療崩壊が起きるまでのあらましです。

小松さんの問題提起の矛先はさまざま。

「今、普通の日本人が死を目にすることはめったにない。しかも、日本人の少なからざる部分は、生命は何よりも尊いものであり、死や障害をあってはならないことだと信じている。このため、死や障害が不可避のものでも、自分では引き受けられず、誰かのせいにしたがる」

「日本のマスメディアは、『被害者』が、悲嘆にくれたり、強い怨念を語ったりするのをそのまま伝えることをためらわない。突き詰めると情動しか残らない大衆メディア道徳とでもよぶしかないようなものが、立派に規範として機能してしまうことがある」

流行語大賞には入らなかったものの「医療崩壊」ということばが社会で認識されて2年ほど。ディベートでたとえれば、いまはまだ医者側からの最初の反論が行なわれている段階でしょう。

しかし医療崩壊の問題は、対立のすえに「医者側の主張の勝ち」または「医者以外の側の主張の勝ち」といった勝負ごとで決着がつくものとは思えません。スポーツやゲーム以外の争いごとは、勝っても負けても遺恨が残されるもの。

小松さんは「この問題は一気に解決するようなものではない。じっくりとやるしかないのではないか」と言います。

患者と医者。医者と司法。医者とメディア。こうした現在の対立構図を脱した先に問題解決の糸口があるのではないでしょうか。「対話」の繰り返しが求められます。
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「科学」生みの親


「今年の漢字」は「偽」と清水寺で発表されましたね。主催の日本漢字能力検定協会が「いい字一字(1212)」を選ぶという語呂にちなみ、きょう12月12日を「漢字の日」にしています。

日本人にとって漢字は、中国からのもっとも影響力の強い輸入品だったといえるでしょう。けれども漢字を組みあわせたことばのなかには、日本人がつくったものもけっこうあります。

電話。鉄道。工業。情報。化学。物理。天文。現象。実験。観察。医学。哲学。

すべて日本製。明治のはじめ、新しい概念が西洋から入ってきたときにつくられたものです。

ことばをつくり出した人物は、福澤諭吉や森鴎外などの学者や作家など。なかでも、最たる貢献者とされる人物が哲学者の西周(にしあまね)です。

西は1829(文政12)年生まれ。江戸末期には徳川慶喜の政治顧問をつとめました。明治に入ると、国会の貴族院で議員をつとめたり、いまの獨協学園の前身である獨逸学協会学校の創設に関わったりもしました。

このブログの名にも使わせてもらっている「科学」も、西周がつくったことば。

「科」には「区分けをした一つ」という意味が込められています。江戸のおわりから明治のはじめにかけて西洋から来た学問は、日本人にとってはどれも専門的だったのでしょう。区分けされた学問の総称という意味で「科学」ということばが西によって生み出されたようです。

ちかごろの科学は専門化がものすごく進み、もはや漢字で表すことのできない用語も増えてきました。たとえば、超高密度の天体「ブラックホール」や、机などに当たるとしびれがくる肘の軟骨「ファニーボーン」を辞書や辞典で引いても、いいかえられる漢字のことばは出てきません。

カタカナ語を使いたくない人には「ブラックホール」も「ファニーボーン」ももどかしいことば。しかし、外国から来たことばをカタカナ読みでそのまま日本語にしてしまう行為を肯定的に捉えてもよいのでは、と考える科学者もいるようです。たとえば免疫学者の多田富雄氏。
この一世紀ほどのうちに、日本人がカタカナという表音文字を利用して、あらゆる外来語をそのままカタカナの記号に置き換えて日本語に取り入れるという新しい発明を達成したことも確かである。

中国では「インターフェロン」は「干渉素」、「アレルギー」は「変態反応」と訳されている。必ずしも原義に忠実というわけではない。日本語は発音のままカナで使うので対応が早いし、誤解は起こり得ない。それに漢字の豊かすぎる暗喩(あんゆ)能力も問題で、エイズを音訳で「愛慈病」と書くのは気がひける。
ことばを漢字でもカタカナでも表せるとき、どちらを使いますか。漢字表記にもカタカナ表記にも、一長一短はあるもの。たとえば、漢字ばかり使えば文字量は節約できますが、紙面や画面は黒っぽくなりむずかしい印象をあたえるでしょう。いっぽう、カタカナばかり使えば、今風の印象を与えますが、直感的な理解には不向きでしょう。

読み手に読みやすいように読んでもらうことを考えれば「カタカナのほうがよく使われていればカタカナを、漢字のほうがよく使われていれば漢字を」という書き方もひとつの答えかもしれません。

西周がいまの時代に生きていたら、どんな漢字のことばを生みだしていたでしょう。

参考文献:
「カタカナの効用―免疫学者多田富雄氏」日本経済新聞1992年9月30日
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動物愛護


動物愛護の歴史は、紀元前6世紀のギリシャにまでさかのぼります。

数学の「ピュタゴラスの定理」でも有名なピュタゴラス(紀元前582年-紀元前496年)は、輪廻転生を信じていたことから動物を敬っていたそうです。そんなピュタゴラスには、弟子を殺してしまったという逸話もあります。数はどんな場合でも割り切れるという信念があった彼の前で、その弟子は「2の平方根が無理数ではないでしょうか」と口走ってしまったらしく…。

2600年後のいまに目を移しましょう。動物愛護は個人だけでなく団体にも根ざしています。

日本ではまだ信じられませんが、欧州では動物愛護の政党が国会で議席を獲ている国もあります。先月(2006年11月)行なわれたオランダの下院選では「動物愛護党」が2議席を獲ました。

この動物愛護党は「国政が動物の利益になんの関心を払っていないため」2002年に旗揚げされました。党の目的は「社会の中での動物の地位向上」。また「動物も人間も感情や道徳意識をもった生き物なのだから、動物も人間に敬意をもって扱われる権利がある」という考えを基本としています。

欧州の政治にくわしい大学教授から聞いた話では、欧州では動物愛護の団体や政党の活動は活発で、動物愛護にとりわけ関心があるわけでもない人が聞くと、すこしふしぎに思えるような行動も見られるとか。

ある国の動物愛護政党は、牛の輸出に際しては「牛を船に乗せる前に、牛を港で殺すべきだ」と主張しているといいます。動物愛護政党なのに、なぜ港で牛を殺すべきなのでしょう。教授いわく「その党は、牛に船の長旅をさせるほうが、よほど牛にとっては苦痛だと考えているそうです」。

遠い国の話と思いきや、じつはその政党は日本の時代劇にも関心があって、どちらかというと時代劇に反対の立場だそうです。その理由は「じわじわと殺すから」。

つまりその政党にとっては、牛にしても人にしても、すぱっと殺すのではなく、じょじょに苦しめていくやり方は許しがたいということなのでしょう。

歴史は、少しずつ人権を尊重する時代へと移ってきました。そして、その延長として動物にも「動物権」があるという考え方が世界ではじょじょに広まってきています。日本でも「自由動物党」や「新党動物」が1議席を獲る時代は来るでしょうか。

オランダの動物愛護党ホームページはこちら(英文)。
http://www.partijvoordedieren.nl/content/view/129
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京都、川崎、浦和。3公園の共通点。


国立公園でも国定公園でもなく、でも多くの地元民が知っているような公園は数多くあります。

たとえば、京都市北区にある船岡山公園(上の写真)。8月16日には、ここから4か所の送り火が同時に見られます。平安京時代の朱雀大路の基点は、この船岡山の山頂だったとか。

川崎市の南部区域に住んでいる人は富士見公園を知っているでしょうか。メーデーの会場でもあり、公園の近くには教育文化会館、体育館、川崎球場などの文化・体育施設が建ち並んでいます。

また、さいたま市浦和区には調(つきのみや)公園があります。明治7年に調神社の境内に作られた公園で、当時は浦和公園と呼ばれていました。埼玉県内の公園第1号として指定された由緒正しい公園です。

さて、一見なんの関係もない三つの公園ですが、ある共通した歴史をもっています。

それは、戦前、公園ととなりあっていたところの住民に公園を管理・運営するための負担金が掛けられていたということ。

船岡山公園は1934年ごろのこと。負担金全体の4分の1を公園に接した住民が負担していたそうです。また富士見公園は1936年ごろにおなじく4分の1を、浦和公園は1941年に10分の1を負担することが定められていました。

たしかに、下宿がセントラルパークの横とか、わが家は代々木公園の隣とかとなると、窓を開ければ森の木立ち、日々の運動も気軽にできそうで恵まれた環境といえるかもしれません(犯罪も多いかもしれませんが)。

街の景観などには「共用」という概念があります。つまり共に用いること。ともに持つ「共有」とはまた一つちがった考え方ですね。地域社会の成熟度が高いほど、共用の意識は高くなるといいます。

公園に接していた住民に負担金が掛けられた公園は、この3つの公園だけだったといいます。日本には、近くの公園を自分たちで清掃するような、共用の意識から発する自治的活動が活発だったということでしょうか。
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書評『専門医がすすめる「特定検診・メタボ」攻略法』
この本を評することよりも、この本の中に書かれてある、来2008年4月から始まる新制度の紹介をすることのほうが大切かもしれません。とくに40歳以上のお方にとっては、“わが身”の、そして“いまから始めればなんとかなるかもしれない”話です。

『専門医がすすめる「特定検診・メタボ」攻略法』和田高士著、アスキー新書、2007年、208ページ


40〜74歳のお方、ご存じだろうか。来年4月からあなたの身にまず関係してくる医療制度が始まることを。「特定健診・特定保健指導の義務化」だ。

この制度、かんたんにいえば、メタボリックシンドローム診断を受け、引っかかった人は医療機関による健康指導や生活改善チェックを受けねばならぬというもの。「赤点をとった学生への補習みたい」という声が聞こえてきそうだ。

本書は、この特定検診・特定保健指導のあらましや、「補習」組にならぬための対策が書かれたもの。著者は東京慈恵会医科大学付属病院健診センター所長。これまでメタボリックシンドロームの図解本や、糖尿病の食事対策本などを上梓してきた。

そうしたビジュアルな「家庭の医学本」に比べ、本書はマニュアルを読むようであまり味気はないし、正直、完成度も高くない。主語と述語がねじれていたり、4段階の調査表で「まったく同感である」の対極が「あてはまる」になっていたり(「あてはまらない」が正しいのでは)。

それでも本書を紹介する理由は、特定健診で引っかからないための「虎の巻」として一読の価値があるからだ。特定健診・特定保健指導の中身を本書からかいつまんで紹介したい。

特別健診の対象者は40〜74歳の被保険者と被扶養者。「特定健診利用券」が手元に届き、指定された医療機関でメタボリックシンドロームの特定検診をまず受けることになる。

健診では身長・体重・腹囲などの計測、「たばこを吸っている」「20歳のときの体重から10kg以上増加している」など20項目を超える問診、それに血圧、中性脂肪、コレステロール、肝機能、尿糖、尿蛋白などの診断が行なわれる。ここまでは、特定検診の内容をカバーする定期検診を受けていれば、それで肩代わりできる。

次の段階は、健診結果による「補習」の必要性や程度についての「振り分け」だ。メタボリックシンドロームの基準に則し、腹囲で男性85cm以上、女性90cm以上の方は(1)組に、それ未満かつBMI(体重kg÷身長m÷身長m)25以下の方は(2)組に。さらに血糖、脂質、血圧それに喫煙歴の4項目の診断で、各組とも1項目以上引っかかれば「動機づけ支援」または「積極的支援」を受けることになる。もちろん(1)組のほうが基準は厳しい。

新制度の目玉はその次の段階、つまり「支援」という名の「補習」だろう。これが大変そうで、軽いほうの「動機づけ支援」でも、医師らとの面接で生活習慣改善の計画を作り、6か月後に電話やメールなどで改善状況のチェックを受けることになる。

重いほうの「積極的支援」になると、医師らとの個人面談10分で40点、グループ面談40分で40点、2か月後の個人面談で5点というように指導内容が点数化され、最低160点の獲得が必要になる。6か月後に再評価がされ目標未達成なら半年後に迫った次回健診までの目標を再設定しなければならない…。

もし、特定健診を受けないと将来の保険料が高くなり、特定保健指導をさぼると翌年の保健指導対象者の最上位に指定される。「罰」といってよいほどの内容だ。

手間も時間もかかる「補習」はできることなら避けたい。「直前対策」の内容が気になるところだ。

まず血圧(上130mmHg、下85mmHgで該当)対策は、寝不足だと交感神経の働きで血管が収縮し血圧を上げるため、前日しっかり寝るとよいという。また脂質(HDL善玉コレステロール40ml/dL未満などで該当)対策では、採血14時間前から油物を控えたり、前日の酒を控える、当日の朝食を抜かすなどと書かれている。

だが減量が必要のBMI対策や糖尿病(空腹時血糖100mg/dL以上で該当など)対策では「一夜漬け」とはいかない。そこで効果的なダイエット法が示される。「ホメオスタシス効果」を理解したうえでの減量法だ。

「ホメオスタシス効果」は、一気に体重が減ると体がブレーキをかけ体重を維持しようとする効果で、体重5%減で現れる。そこで、1か月目に体重減は5%以内にとどめ、ホメオスタシス効果が発動する2か月目は現状維持。3か月目にまた体重を5%以内で減らすという順番を繰り返せばよいという。

特定検診・保健指導は、医療の対象が治療だけでなく予防にも向けられつつある中で始まるもの。国民皆保険制度の日本でついに自分の健康も自己責任の時代でなくなったといったら大げさだろうか。われわれの健康のためだけでなく、医療費を減らしたいという保険者やお上側の思惑もあるという。

「医療費削減のための健康増進か」と言いたくもなるが、3か月後に制度が始まることはまぎれもない事実。「直前対策」の効果は人により差はあるだろうが、「補習」の手間を考えたら、この直前期に「傾向と対策」だけは抑えておいてもいいのでは。今日から始めれば間に合う(かもしれない)。

『専門医がすすめる「特定検診・メタボ」攻略法』はこちらで。
http://www.amazon.co.jp/専門医がすすめる「特定健診・メタボ」攻略法-アスキー新書-38-和田-高士/dp/4756150543/ref=sr_1_1?ie=UTF8&s=books&qid=1197217425&sr=1-1
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日本の高校生が最下位をとった、理科の「活動」と「動機」(2)


経済協力開発機構(OECD)「生徒の学習到達度調査」の理科学習に関するアンケートで、今回、日本の高校生が「最下位」となった「活動」と「動機」の項目の質問とはどのようなものだったのでしょう。

経済協力開発機構のホームページでは、質問用紙を見ることができますので、そこから見ていきましょう。英文のアンケートを私が訳したものですので、日本でのアンケートの原文とまったく同じではありません。

まずは、科学関連のことがらをしているかを尋ねた「活動」について。

質問19 これらのことがらを、あなたはどのくらいひんぱんに行なっていますか。a)からf)それぞれついて、次の中からひとつ選びなさい。

1とてもひんぱんに行なっている 2よく行なっている 3ときどき行なっている 4まったく、あるいはほとんど行なわない

a)科学に関するテレビ番組を見る

b)科学の話について書かれた本を借りたり買ったりする

c)科学の話に関するウェブサイトに行く

d)科学の進歩に関するラジオ番組を聴く

e)科学の雑誌や新聞の科学記事を読む

f)科学に関するクラブに参加する

「科学に関するクラブ」は、原文では“Science Club”。財団法人が運営している宇宙少年団や、科学技術観が募集しているサイエンス友の会などのことを指すのでしょう。

つぎは、理科を学ぶことが役立つかなどを尋ねた「動機」について。

質問35 以下のことがらについて、あなたはどのくらいそう思いますか。(次のなかからひとつだけを選んでください)

1とてもそう思う 2そう思う 3そう思わない 4ぜんぜんそう思わない

a)将来やりたい仕事をするうえで自分の助けになるから、理科の科目で努力する価値がある。

b)将来学びたいことのために必要だから、私が学校の理科の科目で学ぶことは重要である。

c)私は理科を勉強するのは、理科が私の役に立つことを知っているからだ。

d)私の人生の将来性を高めるから、理科の科目を勉強は、する価値のあることだ。

e)学校の理科の科目では、職業に就くために役立つ多くのことを学ぼうと思う。

以上の2項目、みなさんはいかがでしたか。私は平均値にならすと、質問19は3.0、質問35は
2.2となりました。

「学ぶことへの興味」と「学んだことによる学力」は、たがいに影響をおよぼしあうもの。興味があれば学力がさらにつくだろうし、学力があれば興味がわくだろうということ。文部科学省の初等中等教育局学力調査室は、今回の調査結果の要約で、次のように述べています。

「科学に全般的な興味・関心を持つ生徒は科学的リテラシー得点が高い。科学に関する全般的な興味・関心指標1単位当たりの科学的リテラシー得点の変化が大きいのは、日本の34点をはじめ、フランス、韓国、スイス、フィンランドの32〜35点である」

つまり日本の高校生は、理科への興味があればその興味が学力に影響する度合いが高いということになります。逆に、こうもいえるでしょうか。理科への興味がない日本の高校生は、科学的リテラシーの得点はとても低くなる、と。科学な好きな人と好きでない人とで、学力の二極化が進みやすいことになりますね。

もちろん、このブログをふくめ、日本の報道は「最下位」などの極端な例に目を向けがちです。しかし、とくに後の「科学が役立つと思うか」は、学習意欲にも強く関わってくると言われていますし、やはり見過ごすわけにはいかない結果といえるでしょう。

経済協力開発機構(OECD)が発表している質問(英文)はこちら。
http://pisa2006.acer.edu.au/downloads/PISA06_Student_questionnaire.pdf
文部科学省初等中等教育局学力調査室がつくった「生徒の学習到達度調査2006年調査国際結果の要約(日本語)」はこちら。
http://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/gakuryoku-chousa/sonota/071205/001.pdf
| - | 22:55 | comments(0) | -
日本の高校生が最下位をとった、理科の「活動」と「動機」(1)


経済協力開発機構(OECD)が3年に1度、世界の高校生を対象に行なっている「生徒の学習到達度調査」の2006年度の結果がこのたび発表され、話題になっています。

この調査は57の国と地域の15歳、およそ40万人に科学的適応力、数学応用力、読解力の試験をするもの。若い世代の学力を国ごとに比べることができます。

日本の高校生の平均は前回に比べ、読解力が14位から15位へ、数学応用が6位から10位へ、そして2位だった科学的適応が6位へと、すべてで順位を落としました。

報道では、学力低下の問題を中心に報道されています。ただ、同時に行なわれた理科学習への関心や意欲を聞くアンケートの結果も見逃せません。

このアンケートで、日本の高校生の順位が参加国のうち最下位だった項目がふたつあったといいます。理科学習の「活動」と「動機」の指標です。

「活動」とは、「理科に関する本を借りる、または買う」などのことをどのくらいしばしば行なっているかを尋ねたもの。

また「動機」とは、理科を学ぶことが「自分に役立つ」と思うかなどを尋ねたもの。「そうだと思う」などの肯定的な意見を答えた割合が少なく、統計処理をすると、世界の平均からもっともかけはなれた結果になったということです。

では、実際にどのようなアンケートがなされたのでしょうか。「最下位」をとった上の2項目の出題を見てみましょう。つづく。
| - | 23:59 | comments(0) | -
書評『700万人の糖尿病』
読んで、プロテクト・アゲインスト、糖尿病。

『700万人の糖尿病 日本人は糖尿病になりやすい!?』葛谷健・門脇孝・赤沼安夫著、法研、2002年、148ページ


糖尿病の本は、病気になってしまった患者への食事のとりかたや運動のしかたなどについて書かれた本が多い。いっぽう、この本は糖尿病とはどういう病気かという基礎的なところをくわしく書いている。

糖尿病は、血の中の糖分、つまり血糖値が高い状態を指す病気のこと。糖を抑えてくれるインスリンという物質がすい臓から出なくなったり(1型)、効き目が弱くなったり(2型。本書で扱う)すると血糖値が高くなる。いわば血管が砂糖づけになってしまった状態であり、失明をひきおこす網膜症、人工透析を余儀なくされる腎症、足が壊疽する神経障害などの重い病につながっていく。

糖尿病の診断基準は、空腹時血糖値(血液中の糖の量)126mg/dl以上、またはブドウ糖負荷試験の2時間後の血糖値200mg/dl以上、あるいはブドウ糖のうち、ヘモグロビンA1cというブドウ糖が結合した物質の割合が6.1%以上の人が糖尿病である、などというもの。

こうした説明や基準は、もちろんこの本にも書かれている。だが、本書の特長は、糖尿病について詳しくない人の疑問を手短かに答えてくれる点にある。

たとえば、肥満の人がなりやすい2型糖尿病は、症状として痩せていくというものがある。肥満が原因の糖尿病なのに、なぜ体が痩せ細っていくのか。

「これは、ブドウ糖をエネルギーとして有効利用できないため、脂肪や筋肉のたんぱく質を分解してエネルギー源としなければならなくなるため、やせてくるのです」

また、日本人の糖尿病はここ何十年で激増し、糖尿病が強く疑われる患者はおよそ700万人にもなる。激増の理由はなんだろうか。

「農耕民族である日本人を含めたアジア人には、肉食や高脂肪食を摂取する食習慣はなかったため、β細胞が鍛えられるチャンスがなく、インスリン分泌能力が低いまま現在に至っていると考えられています」

「日本人が体質的にインスリンの分泌能力が低くても、食事などの生活習慣が要因となるインスリン抵抗性は50年前は少なかったため、当時は糖尿病として発症する前段階の糖尿病予備軍の状態にとどまっていたと考えられます。しかし、そのインスリン抵抗性が近年になって非常に強まっていることが、糖尿病患者の激増につながってきたわけです」

こんな具合だ。

「知ることが薬になる」とはよくいわれるけれど、自覚症状が起きにくい「静かなる殺し屋」糖尿病にもそれがいえそうだ。読めば予防の一歩になるだろう。

『700万人の糖尿病』はこちらで。
http://www.amazon.co.jp/700万人の糖尿病―日本人は糖尿病になりやすい-葛谷-健/dp/4879544329/ref=sr_1_1?ie=UTF8&s=books&qid=1196954226&sr=1-1
| - | 23:59 | comments(0) | -
やっとかめ


物書きさんや編集者さんたちとの会合で、方言についての話が出ました。

「『やっとかめ』って知ってますか」と、愛知県出身の物書きさん。

やっとかめ…。

童話『ウサギとカメ』の競争に、出遅れた第三の動物がじつはいて「ようやく亀さんに追いついた」つまり「やっと亀」のことかなと、編集者さんと勝手な想像で楽しんでいました。

そうではない様子。たしかにふつうのことばでも「やっと亀」などと使う場面はなさそう。

「『ひさりぶり』っていう意味なんです」

「ひさしぶり」が「やっとかめ」。

漢字にすると「八十日目(やっとかめ)」。つまり「80日目にふたたびことが起きた」という語源のようです。

この80日はけっこう微妙な期間な気も。ひとつの季節としてはやや短すぎるし、人の噂がおさまるにはちょっと長すぎるし…。

ためしに、80日かかった出来事について調べてみました。

2004年に理化学研究所が、原子番号113番の元素を生み出すことに成功しました。ある二つの原子をぶつけ合うことで新元素は生まれます。113番元素が現れる確率はきわめて低かったようで、17,000,000,000,000,000,000回(1700京回)試してやっと1個の新元素が現れました。

計80日目にして1個の元素が生まれたのです。

発見者の理化学研究所・森田浩介さんは、この計80日間をふりかえり「大事なのは黙って待てるようになること」と、人生の本質につながるようなことばを残しました。

サイエンスフィクションの世界で「80日」といえば、フランス人作家ジュール・ヴェルヌ(1828-1905)の『八十日間世界一周』が浮かんできます。

物語は、1872年に英国貴族フォッグが、80日で世界一周をすることを知人と2万ポンド賭けて旅立つという設定。

フォッグが戻ってくるまでにかかった時間は80日と5分。80日間世界一周は達成されず、フォッグ卿は賭けに破れたかにみえました。

ところが、地球を東まわりで一周していたフォッグは、日付変更線を跨いだため1日分稼いだことを忘れていました。けっきょく80日目に戻ってくることができていた、というみごとな落ちがつきます。

新元素を発見した森田さんは、計80日目にして実験を達成して「やっとかめ」元の生活に戻れると感じたのでしょうか。

世界一周して戻ってきたフォッグは、80日目にして戻ってきた地をを「やっとかめ」と思っていたのでしょうか。

二人ともそんなことを思う余裕はなかったかもしれません。
| - | 23:59 | comments(0) | -
科学者を伝える。


科学を知ってもらう方法のひとつに、「科学者を伝える」というものがあります。波瀾万丈の人生や、人間味あふれる逸話を伝えることで、科学そのものにも詳しくなってもらうという方法です。

「科学者を伝える」ことには、つぎのような効果が考えられるでしょう。

まず、「だれがなにをした」という物語で科学を伝えることにより、受け手の頭の中にイメージが残るということです。

また、科学への興味を芽生えさせることにもつながるでしょう。人への興味が科学への興味へ移ることも考えられます。

「科学者を伝える」場には、どのようなものがあるでしょう。

まず「学校教育の場」が浮かびます。たとえば2003年から高校の理科で「理科基礎」という科目が始まりました。理科基礎の教科書を見ると、人工化学物質の危険性を訴えたレイチェル・カーソンなどの女性科学者の活躍や、ナイロンの発明者ウォレス・カロザースが完成品を見ることなく自殺をとげたというもの悲しい人生などがつづられています。

ただ、教育の場で「科学者を伝える」ことには制限もあります。たとえば学習指導要領のしばりにより、教科書会社は科学者の逸話を何でも載せられるわけではありません。

受験の壁もあります。2003年度で「理科基礎」の授業を取り入れた(教科書を採用した)高校はわずか11.4%。受験科目にならないという背景があるのでしょう。日本化学史学会の調べでは、当初、理科基礎の教科書を採用しても理科基礎の授業を行わなかった高校が21%あったといいます。いわゆる「履修のがれ」の対称になっていたわけです。

学校教育に立ちはだかるいろいろな壁。一方、生涯教育の場としての博物館や科学館はどうでしょうか。

科学館をふくむ博物館のありかたを定める法律は「博物館法」。この法律では、博物館の展示のしかたについて「講演会、講習会、映写会、研究会等を主催」することなどが定められているものの、それぞれの博物館がそれぞれの企画で展示を工夫することができます。

たとえば東京にある日本科学未来館では開館時「見てもらうのは物より人です。」という標語をかかげ、人を見せることに力を入れました。科学者という人の活躍を、展示解説するボランティアなどの人が紹介するという、人に重きをおいた科学の見せかたが注目されました。

学校教育にくらべ博物館は、より「科学者を伝える」場としてふさわしいかもしれません。ほかに放送や一般書などのマスメディアも「科学者を紹介する」担い手になるでしょう。

スポーツには選手。音楽には作曲家や指揮者。芸術には画家や書家。そして科学には科学者がいます。人は人に興味をもつもの。「科学者を伝える」方法は、科学の伝え方として効果的だと思います。
| - | 23:59 | comments(0) | -
2007年流行語、科学技術のことばは…。


師走の風物詩ユーキャン新語・流行語大賞が発表されました。

大賞は「ハニカミ王子」と「(宮崎を)どげんかせんといかん」。10傑には「KY(空気が読めない)」などが入るものと思っていましたが。一個人と世間の感覚のへだたりでしょうか。

科学技術関連の流行語をひろってみましょう。

みごと「猛暑日」が10傑入り。

1日の最高気温が35度以上の日を指す。最近10年間に35℃以上の日が大幅に増え、熱中症等、暑さにともなう健康被害も目立ってきているため、気象庁が新用語として導入した。07年は多治見と熊谷で40.9度を記録。(新語・流行語大賞ホームページより)

「猛暑日」の導入をうたいながら、もし今年、猛暑日が1日もなかったら流行語にはならなかったでしょうし、定着もしなかったでしょう。エルニーニョ現象で猛暑になることを予想した気象庁の読み勝ちでしょうか。

以下は、候補60語から。

「産む機械」。広辞苑によると「機械」は「しかけのある器具。からくり。」「外力に抵抗し得る物体の結合からなり、一定の相対運動をなし、外部から与えられたエネルギーを有用な仕事に変形するもの。原動機・作業機械など。」とあります。ことばの意味としての誤謬はそれほどは感じられませんが、論理と感覚は別ものなのでしょう。

「なんとか還元水」。還元水という少し謎めいた水に輪をかけて「なんとか」という謎めいた形容詞を冠したところに、ことばが流行る条件が揃っていた気がします。ちなみに、ここ1年間に日本経済新聞で「還元水」ということばが出た記事は13件でした。いっぽう朝日新聞は100件でした。

「共生」。異なる種のいきものが結びつきをもち共に生きることです。福田首相は人と人、人と自然との「共生」を政権の理念に掲げました。

「(核施設の)無能力化」。とくに北朝鮮における、核の放棄の一歩前の段階のことを示しています。このまま核の放棄へと進んでいくのか…。

「工場萠え」。大規模プラントの写真と案内が流行したそうです。知りませんでした。日曜夜の番組『熱血! 平成教育学院』の、工場で何をつくっているのかを当てる出題なども影響しているのでしょうか。

「猛暑日」をのぞいて、科学技術関連の流行語はややこじんまりとした印象。科学技術にとって平和な年だったということでしょうか。良いことか悪いことかは意見のわかれるところ…。

2007ユーキャン新語・流行語大賞のホームページはこちら。
http://u-ryukogo.jp/award.html
| - | 23:59 | comments(0) | -
漢字カタカナひらがな


情報量がおなじでも、字数を多く費している文と、少なく済ませている文がありますね。

明日の天気は晴れとなるでしょう。(16字)

明日は晴れるでしょう。(10字)

明日は晴れ。(6字)

限られたマス目にできるだけ多くの情報を詰め込みたい新聞記者さんなどは、とくに1文字を埋めることの価値を感じているようです。体言止めや「だ。」で終わる文末が多いわけです。

「1字でも短く」ということを考える場合、「漢字カタカナひらがな」の「色のちがい」を考えることがよくあります。

たとえばファインマンという物理学者について述べる場合、次のように表現されることがあります。

物理学者ファインマンは言う。

「物理学者」という漢字のことばと「ファインマン」というカタカナのことばが並ぶと、「物理学者のファインマン」の「の」を省いてもさほど違和感はありません。

では湯川秀樹という物理学者について述べる場合はどうでしょう。

物理学者湯川秀樹は言う。

8字連続漢字。ぱっと見どこで区切ればよいのかわかりません。なので「漢字の肩書き」と「漢字名」の組み合わせあまり使われないようです。

もちろん「漢字の言葉」「漢字の言葉」の組み合わせでも違和感なく読める場合もあります。たとえば「二〇世紀物理学」とか「古典的宇宙論問題」のように慣用的に使われているもの。また「長嶋茂雄巨人軍終身名誉監督」のように肩書きが後づけされるものなど。

なるべく、文字数を少なくしたいときに、使わなければならないことばを並べてみて「漢字+漢字」、「ひらがな+ひらがな」、「カタカナ+カタカナ」の組み合わせにならないようにすれば、「の」や「、」「・」などを省いて、少しだけ字数を減らすことができるでしょう。

○むかし物理学者ファインマンは言った。
△昔物理学者湯川秀樹は言った。
| - | 23:59 | comments(0) | -
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