科学技術のアネクドート

書評『論文捏造』
社会の中には見えていそうで見えない欠陥があるということを鮮明に描いた本です。2007年科学ジャーナリスト大賞受賞作。

『論文捏造』松村秀著 中公新書ラクレ 2006年 336ページ


科学界の論文捏造問題を扱ったNHKのドキュメンタリー番組を書籍化したもの。著者はNHKのディレクターである。

「事件」のあらましは次のようなものだ。

2000年を過ぎたころの科学界では、超伝導の分野が興奮でわきたっていた。米国ベル研究所の若きドイツ人研究者ヤン・ヘンドリック・シェーンが、革命的な業績をつぎつぎと上げていたからだ。

金属化合物の電気の抵抗がなくなった状態が超伝導。超伝導の電線が実現すれば、電気抵抗による電力消費がなくなるためエネルギー問題に劇的な改善がなされる。だが目下、超伝導状態が起きる最高温度はマイナス138度。夢の実現には、超伝導が起きる温度をさらに高くしなければならず、金属の化合のしかたなどに工夫が要る。

シェーンは、フラーレンという最近になって発見された物質を使い有機物の高温超伝導の高温記録を次々と塗り替えた、とされた。2000年4月にはマイナス262度。2001年9月にはマイナス156度。わずか1年半の間で一気に106度も温度を引き上げたというのだ。

論文で発表されたシェーンの実験を再現できる研究者は誰もいなかった。みな「シェーンの腕と機械はわれわれの及ばない段階にあるにちがいない」と思い込んでいたのだ。

矢継ぎ早に研究成果の発表を続けるシェーンの背中に、懐疑の目が向けられはじめる。高温超伝導を達成したときの物質を「無くしてしまった」と言うシェーン。また、研究者たちの前ではじめて披露した実験の「腕」は素人並み、「機器」もカメラでたとえれば、インスタントカメラ同然のものだった。さらに別の成果を報告したはずの論文のグラフの曲線が、細かな点までぴたりと一致することを見抜かれてしまう。

こうして論文捏造を告発されたシェーンは、科学の世界の「帰らぬ人」となった…。

番組制作に1年をかけたという著者の丹念な取材と分析力のある記述で、科学界のさまざまな問題が明らかにされていく。

たとえば、再現可能性が必要とされてきた科学の姿は、本書のどこを探しても見当たらない。「シェーンにしかできない実験」という再現不可能性が、逆にシェーンの評判を高め、伝説化されていったという。

また、シェーンの業績を知らしめていたベル研究所の上司バートラム・バトログは、シェーンの実験に立ち会うともせず、事実上、監督役を放棄していた。著者の取材に対しては「シェーンはメンバーの1人なのであり、学生ではありません」などと居直るような態度を見せる。結局、疑惑の目が注がれるまで誰もシェーンの実験には立ち会っていなかったのだ。

さらに『ネイチャー』や『サイエンス』などの論文雑誌の編集側が捏造を検査することは無理であるという構造的問題も、著者が編集者たちを取材で質すことにより明らかにしている。性善説で成立している科学界の限界を直視させられる気分になる。

著者は本書を「わからなさの時代に」というエピローグで締めくくっている。

現実に発生していたのは、科学界にとってある種の想定外の事態だったわけで、そのときの対応の仕方がまったく「わからない」からこそ、問題を3年ものあいだ解決することができなかったのではないかと思うのである。

この一文だけを見れば、科学界に向けられた一文にもとれる。だが、著者がより広範な組織や集団の構造に眼を向けてこの点を述べていることを見逃すことはできない。「シェーン」や「論文」という単語を科学界以外の集団内で別の言葉に置きかえれば当てはまるような、本質的な構造的問題が孕んでいる。

その問題を一言で表すなら、「わからなさに目を向けようとしない」という問題なのかもしれない。

「わからなさの時代」を正面から見据えようとする著者だからこそ、「わからなさ」で満ちる科学のブラックボックス、ひいては社会の欠陥に、正面きって向き合えたのかもしれない。

『論文捏造』はこちらで。
http://www.amazon.co.jp/論文捏造-中公新書ラクレ-村松-秀/dp/4121502264/ref=sr_1_1?ie=UTF8&s=books&qid=1196443435&sr=1-1
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帰納法の“抹殺”(3)
帰納法の“抹殺”(1)
帰納法の“抹殺”(2)



カール・ポパーが影響を受けたデビッド・ヒューム。彼の帰納法懐疑論とはどのようなものだったのでしょうか。

帰納法が使われる場面は科学の世界だけではありません。わかりやすさのため身近な例で見ていくことにしましょう。

あなたは神保町のあるカレー屋を何度も訪れているとします。その店のカレーはとても美味しく、足しげく通うことになったのです。

これまで9回食べて、9回とも美味しい思いをしていました。とうぜん10回目に行く今度も、あなたは「美味しいカレーを食べられる」と推しはかるでしょう。積み重ねてきた過去の例から未来を推論する。生活のいたるところで、帰納法は使われているのです。

でも、いままで食べた9回がすべて美味しかったからといって、これから食べる10回目が美味しいといえるでしょうか。

実際、カレーの世界ではたまに、いつもの店なのにやけに塩っぽくて美味しくないルウが出されることがあります。また、いつも注文している「3辛」という辛さの段階なのに、その日だけはやけに辛いといったことも。

身近な生活の例にかぎらず、いままで当然のように起きている宇宙の現象が明日から変わってしまうことは論理的な可能性としてありえるというのです。たとえば、東からのぼっていた太陽が西からのぼるとか。カフカの『変身』のように、朝起きてみると自分がイモムシになっているとか。

とうぜん「太陽が東から昇ることを疑っていては、科学なんて成り立たないじゃないか。現にいままで帰納法のおかげで科学や生活が成り立ってきたんだし」と思う人もいるでしょう。

しかし、そうした考えは帰納法懐疑論の前ではやはり否定されてしまいます。「いままで帰納法のおかげで科学や生活が成り立ってきた」からといって、明日からも帰納法が役立つという保証はどこにもないからです。

このようにして、ヒュームは帰納による一般化には合理的な根拠を認めることができないと考えるに至ったのでした。

さて、ヒュームの懐疑論により、帰納を使った科学の検証はできないと考えたポパー。彼は科学から帰納法を“抹殺”することにより、科学の正当性は保たれるという結論に達したのでした。

さらにポパーの論は過激さを増していきます。つづく。
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一律料金


年賀状を準備する季節になってきました。

メールのいきおいにおされ、このところ発行枚数が減りぎみだった年賀状。しかし2008年分は39億1650万枚。今年の37億9000枚より3%増えました。民営化された日本郵便が力を入れているあらわれでしょう。

年賀状もはがきも日本のどこからどこへ送ってもすべて50円。根室から西表島に送ろうが、磯野家から伊佐坂家に送ろうが、50円です。なぜ一律料金なのでしょう。

情報を総合すると、おもにふたつの理由がありそうです。

ひとつめは、地域的な格差をなくすためというもの。

たとえば、人口の多い東京などには年賀状やはがきが多く集まってくるでしょう。東京都民は、自分のいる地域へ送る枚数が比較的多くなります。いっぽう西表島の住民も、自分のいる地域内に送る場合もあるでしょうが、東京や大阪などの遠くはなれた都市に送る場合も多そうです。郵便料金に差があっては、西表島民の負担が多くなります。格差の問題を考えて、一律料金にしているというわけです。

より経済的な理由がふたつめでしょう。

送る距離で料金の差を付けるほうが、一律料金よりも手間がかかり、かえって費用が高く付いてしまうといわれています。

一律料金がはじめに取り入れられた国は郵便制度が古くからあった英国。

かつては英国でも手紙を送る距離により料金に差が付けられていました。しかし、この料金の差に疑問を投げかけた人物がいます。チャールズ・バベッジです。

プログラム式計算機を考案したり、線路の障害物を取り除く「排障器」とよばれる金属の器具を開発したりする発明家でした。また、机上では解読不可能とされていたヴィジュネル暗号を解読してみせたり、いまの保険業界になくてはならない死亡表を統計学の知識から作ったりもしています。

バベッジは、いちいち距離ごとに手紙の料金を調べるときの労働費用は、郵便料金を上回ることに気づきました。そこで、料金を調べることはせずに一律料金にしてはどうかと考えたのでした。

たとえば、郵便局の客が「西表島までの切手を買いたいのですけど」とか「東京までの年賀はがきを買いたいのですが」などと言っていては、窓口に長蛇の列ができてしまうでしょう。けっきょく人件費がかかってしまうわけです。

格差是正と費用削減。一律料金の理由はふたつ。もし、年賀状やはがきに距離ごとの値段を付けていては、客にとっても不公平感が生まれるし、費用もかかってしまうという二重の欠点があるのです。

ちなみに。小包の料金に送る距離ごとに差をつける理由は何でしょうか。扱われる荷物の数がさほど多くなく、重くてかさばるため、距離により送料を調べてもそれは調べる価値があることになるようです。
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「ナラティブ」という伝え方


物事を伝える手法の話の中で「ナラティブ」という言葉を耳にします。

日本語では表現しづらい「ナラティブ」。新聞や雑誌の記事などでは「物語」「語り」「話術」「語り口」などの訳語。事実をそのまま伝える手法ではなく、受け手の想像をかき立てたり、印象づけたりするために、物語的に伝える手法といったところでしょう。

英国の放送局BBC出身で、ロンドン・スクール・オブ・エコノミクスでメディア学を専攻していたロジャー・シルバーストーン教授はテレビ科学ドキュメンタリー番組の「ナラティブ」を「神話的」と「模倣的」という2分類にしています。
「神話的」は、「劇化」「空想」「力」「娯楽」「物語」ということばで概略される。

「模倣的」は、「描写」「逐語」「明晰」「情報」「論」という言葉で概略される。
「NHKスペシャル」などの科学番組を見ていても、例えば地球の営みや恐竜の生活などをファンタジックに伝えるナラティブもあれば、社会問題などを現実的・正確に伝えるナラティブもありますね。

広告にも「ナラティブ」の手法は使われています。ソニー「バイオ」の広告では、商品のデザインや素材、機能などを訴求するために「おはなし」を活用する方法をとりました。

例えば「WIDE & SLIMは、この国の美学なのかもしれない。」というキャッチコピーで、バイオの画面の広さやコンピュータのスリムさを伝える広告では…。
使うときには、ひろびろと広げて。しまうときには、薄くたたんで。扇子、屏風(びょうぶ)、番傘、そして風呂敷。考えてみれば、日本で昔から使われてきた道具には、こうした知恵が生きているように思います。使う、しまう、持ち運ぶ。それは、ひとつひとつの動作にも作法を求めてきた私たちの美学なのかもしれません。

それでは、現代の生活道具として欠かせないものになってきたPCはどうでしょうか。メールを読む。ネットで調べものをする。テレビやDVDまで楽しむ。とくに映像コンテンツを考えると、ワイドな画面の方がやっぱり見やすいでしょう。とはいえしまうときには部屋の一角にすっきり収まるほうがいい。持ち歩くときには手にしっくり馴染(なじ)むほうがいい。

スリムも、私たちが自然に求めるカタチです。PCの使いやすさを追求してきたバイオは、いま、WIDE&SLIMというカタチに行き着きました。(以下、略。改行は筆者)
「ものは言いよう」という言葉がありますね。同じことでも言い方により、良い響きにも悪い響きにもなるといった意味。

ナラティブを重視することで効果的な伝え方をすることができるのであれば、それも別の意味で「ものは言いよう」と言えるでしょう。

参考文献
ロジャー・シルバーストーン,“Narrative strategies in television science ― a case study”,Media, Culture and Society
参考ホームページ
http://www.vaio.sony.co.jp/Products/Concept/VAIOgraphy/Html/Design3/index.html
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タヌキは東京のどこにいる?
きのうの記事でお伝えした「都会の森のたぬき」は、タヌキを追いかける動物ジャーナリスト宮本拓海さんらを取材した映像作品。

その宮本さんがこのたびホームページ「東京タヌキ探検隊!」で「東京都23区内のタヌキの生息分布(2007年7月版)」を公開しました。

宮本さん所属のNPO「都市動物研究会」が聞き取り調査などをして東京23区のタヌキ目撃情報を収集。2001年から2007年6月までに約200件の情報が寄せられました。

整理した結果が、この分布図です。もっと大きな図は「東京都23区内のタヌキの生息分布(2007年7月版)」のページでご覧なれます。


(c)NPO法人都市動物研究会(無断転載禁ず)

区の別では、世田谷区35件、練馬区32件、板橋区26件が、目撃件数上位3区。やや意外なところでは文京区が13件と二桁台でした。0件は銀座のある中央区と、下町の墨田区。

分布がこれほど広範囲に広がっていることから、宮本さんは「『山の方(多摩の方)から進出してきた』のではなく、『ずっと昔からそこで暮らしていた』と解釈する方が自然」と言います。

なおこの分布図のもとは、目撃地点を点で示したもの。きのうその図を特別に見せてもらいましたが、やはり崖の周辺で多くの目撃情報があることが見てとれました。

宮本さんらは、点で示した分布図はいまのところ公開しない意向。具体的な場所を知った人が大挙としてその場所を押し寄せることをおそれてのこと。人々の関心と無関心の間の微妙な問題です。

「暮らしにくい大都会にしぶとく生き残ってきたタヌキたちを讃えたい」と言う宮本さんの「東京タヌキ探検隊」はこちら。
http://tokyotanuki.jp/
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サイエンスアゴラ2007閉幕


東京お台場で開かれていたサイエンスアゴラ2007が今日(11月25日)で閉幕。

今日の午前中は、ecochemさんこと本間善夫さん主催の「分子が見える! 分子で魅せる!」を見学。主題は「分子構造の視覚化」といったところ。本間さん含む研究者たちが、コンピュータや透明の素材を使って分子構造を立体視させる試みを紹介しました。

専用フリーソフトを使って、「ここはベンゼン環、ここは水素」といった具合に、作りたい分子構造を「編集」し、それを拡大・縮小、回転させるといった作業が演示されました。3次元に見せることは、科学理解のための大切な技術。動く分子構造に、会場の聴衆は関心の眼を寄せていました。

また昼時には、日本科学技術ジャーナリスト会議が、談論会「未来からの注文 科学ジャーナリストへ、科学ジャーナリズムへ」を開催。

同会が開く科学ジャーナリスト塾の塾生などから集められた、科学ジャーナリズムに関する疑問などをもとに、一般客、科学ジャーナリスト、塾生入り交じって「談論」をするという催しもの。



質問はおもに世代の若い、読者的立場の方からが中心。

例えば、情報の受け手の立場の意見として、「同じテーマの報道が重なると、たとえばC02上昇がなぜ悪いのかといった『なぜ』の点が報じられなくなり、読者の印象もうやむやになってしまう」といった指摘がありました。

対して新聞社の科学記者が「新聞社の間でも、そうした問題は『続報問題』と言われ問題視はされている。記事内に小解説を出して対処しているのが現状」などと答えました。

また聴衆からは「社会には、政治や経済に興味をもっている人が多くいる。それに関わる人の立場に立って、科学を伝えることを考えてこそ、科学ジャーナリズムが社会を変える可能性がでてくるのではないか」といった建設的意見も。

夕方は、早稲田大学大学院科学技術ジャーナリスト養成プログラムによる「都会の森のたぬき 自然を通して見えた東京」。東京に棲むタヌキを取材した映像作品上映と、プロ・ナチュラリスト佐々木洋さん(下の写真)の講演がありました。

東京の公園や森には野生動物が多く生息しているということを再認識することのできる映像作品。佐々木洋さんは「都会に動物なんていないと思わず、いると思って見ていると見えてきます」と話しました。



私は最終日に参加したのみでしたが、今年のサイエンスアゴラ全体は昨年より気持ちこじんまりした印象。サイエンスアゴラが開かれていることを知って「見てみるか」と催し物に足を伸ばすといった通常来場者もいたかもしれません。
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名人たちのいま


「ファミコン世代」なら、みな知っているような「名人」とよばれた人物たちがいます。

もっとも有名だった名人は、ゲームメーカー・ハドソンの「高橋名人」こと高橋利幸さんでしょう。1秒で16回ボタンを押す「16連射」で、名うてのゲーマーとして一世風靡しました。

同社でコンシューマーコンテンツカンパニーCE事業部宣伝グループマネージャーという肩書きをもっていた高橋名人は昨2006年秋、辞令で同事業部宣伝グループ兼宣伝統括室に配属され、肩書きも改められたそうです。

その肩書きとは…。

「名人」。

名刺にも「名人」の文字が刻まれたそうです。昨2006年、ハドソン主催の全国巡回ゲーム大会「キャラバン」が復活。高橋名人はゲームの伝道師として日本中を駆け回っているようです。

高橋名人が東横綱だとしたらで西横綱は「毛利名人」こと毛利公信さんでしょう。高橋名人のいかめしい風貌に対し、毛利名人は面長のハンサム顔。映画『GAME KING 高橋名人VS毛利名人 激突!大決戦』にも主演し、高橋名人と対戦しています。

毛利名人のいまはというと、出版社アスキーのゲーム情報誌『ファミ通』編集部にいるそう。『ファミ通』といえば、4コマ漫画「べーしっ君」を読み、商品の当たる金券「ガバス」集めに躍起になっていたファミコン世代の読者も多いのでは(当時は『ファミコン通信』)。

また、うろ覚えながら「阿部軍団」なる一団も当時いた記憶が。高橋名人と同じく連射がウリ。阿部軍団は1秒間23発と言われていました。A・Bボタンの表面を、人差し指、中指、薬指の3指の爪の平行移動で反復させるという荒技。

企業には課長補佐や課長代理などの、呼び方からして微妙な立場に感じられなくもない役職がありますね。ハドソンの場合、たとえば「鈴木高橋名人補佐」とか「渡辺高橋名人代理」はありうるのでしょうか。高橋名人補佐は、おそらく高橋名人を補助・手助けする立場となるでしょう。いっぽう、高橋名人代理となると、高橋名人の代理を勤めなければならないから、ちょっと大変そうです。

高橋名人のブログ「16連射のつぶやき」はこちら。
http://www.16shot.jp/blog/
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日本初の衛星中継


衛星中継で最初に日本のテレビに映し出された映像は何でしょうか。

日本での最初の衛星中継では、米国のテルスター1号という衛星から、リレー1号という衛星を中継して映像が届けられました。当時「衛星中継」という言葉はなく「宇宙中継」と呼ばれていました。

初日の宇宙中継と聞いてまず思い浮かぶのは、ジョン・F・ケネディ大統領の暗殺でしょうか。当初の宇宙中継の予定では、ケネディ大統領から日本国民にメッセージが届くはずでした。しかし、米国時間の22日12時30分にダラスでオープンカーに乗っていたケネディは暗殺されてしまいます。

いまも時々テレビで放送されるケネディ大統領暗殺の場面。しかし、最も早く届けられた宇宙中継でのテレビ映像は、その場面ではありませんでした。

日本時間の午前5時27分。最初に届けられた映像は、砂漠の荒野にぽつねんと立つサボテンでした。

アナウンサーは次のように伝えます。「ただ今、砂漠の映像をお送りしています。砂漠の映像をご覧頂いております。どうやら ケネディー大統領がパレードの途中に何者かに狙撃されたようです。もしかしたらこの中継を送ることができなくなるかもしれません。もう一度繰り返します。ケネディー大統領が狙撃されたようです」。

宇宙中継を日本で受信した放送技術者たちも、この日この時まで、ケネディ大統領のメッセージが届くものとばかり考えていました。「この映像は何だ。何が起こったのか。ケネディはどうした。変だ」。海の向こうからの映像に固唾をのんで見守る技術者たち心境はいかばかりのものだったか。

そしてサボテンの映像はケネディ暗殺の映像に切り替わりました。

一時は失敗かと思われた最初の宇宙中継。しかしその日の出来事は、大統領暗殺という衝撃的な映像をもって、放送史にそして日本国民の心に深く刻まれることになったのです。

44年前のきょう11月23日が、衛星中継の初日でした。
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駆け込みサイエンスアゴラ情報


きのう(2007年11月21日)紹介したサイエンスアゴラの催しもののほかにも、知り合いのみなさんからご案内が届いていますのでお知らせします。

11月24日(土)10時からは、科学ジャーナリスト賞を受賞した横山広美さんが所属する東京大学理学系が「未来のサイエンスのあり方とは 激化する競争と協力の間で」を開きます。「不必要なまでの競争、研究費の高騰、研究分野の細分化、といった問題が生じています。現代科学は本当にこのままで良いのでしょうか」という問題提起のもと、横山さんと大学院生たちが登壇・討論。
http://scienceportal.jp/scienceagora/agora2007/071124/1-4.html

11月24日(土) 13時からは、産総研地質標本館の目代邦康さんが、セミナー「研究機関の広報の役割」を開きます。多摩六都館館長の高柳雄一さんの基調講演のあと、産業技術総合研究所、理化学研究所、物質・材料研究機構、東京大学先端研究所、基礎生物学研究所が5分間ずつ事例報告をし、あとはディスカッションです。科学広報関係者のネットワークづくりの第一歩としての位置づけも。
http://scienceportal.jp/scienceagora/agora2007/communication/071017.html

11月25日(日)10時からは、当ブログでコメントをいただくecochemさんが「分子が見える! 分子で魅せる!」を開きます。「分子の世界の美しさをウェブ・書籍・クリスタルでアーティスティックに表現する活動を紹介し、その背景にある最新の計算化学について実演とともにわかりやすく解説します」とのこと。予約が必要のようです。
http://www.ecosci.jp/sa07/

11月25日(日)11時からは、日本科学技術ジャーナリスト会議が、談論会「未来からの注文科学ジャーナリストへ、科学ジャーナリズムへ」を開きます。「豊かな未来のためにいま必要なことは何か。科学ジャーナリストと科学ジャーナリズムはそのために、いま何をすることが求められているのか。会員、塾生、非会員からのアンケートをもとに参加者全員でディスカッションを行います」。
http://jastj.jp/?p=66

さて。今年のアゴラは、社会を取り込むことができるでしょうか。サイエンスアゴラのお知らせはこちら。
http://scienceportal.jp/scienceagora/
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11月25日(日)は「都会の森のたぬき」


おしらせです。

東京お台場の日本科学未来館などで開かれる「サイエンスアゴラ2007」で、3日目(2007年)11月25日(日)に早稲田大学大学院科学技術ジャーナリスト養成プログラムが催し物を開きます。

テーマは、タヌキ!

かなりの数の野生タヌキがいまも東京で暮らしているということが最近わかってきました。世田谷や練馬などの緑多いところだけでなく、秋葉原などの都会のど真ん中でも目撃情報があるほど。

催しものは「都会の森のたぬき 自然を通して見えた東京」という題。映像作品上映と講演会の2本立てで、都会の野生生物と人間の共存についてを会場のみなさんに考えてもらいます。

15時30分からの映像作品は、東京のタヌキを記録に収めようと学生たちが奮闘した取材もの。木枯らし吹きすさぶ中、徹夜の“張り込み”を敢行。はたして、暗躍するタヌキたちの様子を記録することはできたのか!

作品中、このブログでたまに登場してもらっている動物ジャーナリスト宮本拓海さんの協力で、東京都23区内のタヌキ分布地図を初公開します。

16時からの講演会では、プロ・ナチュラリスト佐々木洋さんが、東京の自然の移り変わりといまを解説します。

「プロ・ナチュラリスト」の肩書きが気になる佐々木さんですが、いわば「自然案内人」。テレビやラジオでも自然の姿を一般の人たちにわかりやすく解説するなどの活動をしています。じつは鉄道マニアだったりもする、引き出し豊富な佐々木さんの話は、惹きこまれることまちがない。

タヌキ、タヌキ、タヌキづくしの催しもの。ご家族づれは子供が、カップルは恋人が喜ぶこと請け合い。どうぞおこしください。

『都会の森のたぬき 自然を通して見えた東京』は、東京お台場の日本科学未来館7階イノベーションホールで、11月25日(日)15時30分から17時まで。お知らせはこちらです。
http://scienceportal.jp/scienceagora/agora2007/071125/2-1.html

宮本拓海さんのホームページ「いきもの通信」はこちら。
http://ikimonotuusin.com/index.html
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税金の掛けどころ


昔なら王様、いまなら国や自治体の長がもっている特権の一つに、「どんなものにも税金を掛けることができる」権利があります。

有名どころでは「空気税」。

18世紀のフランスは、ルイ14世の華やかすぎる宮廷生活により国の財政が破綻寸前となりました。そうした時に「空気に税金を掛けてはどうでしょう」と発案し、実行した人物が財相エティエンヌ・ド・シルエット。

この人物は相当の倹約主義者だったらしく、宮廷絵画に使われていた高価な絵の具に対しても「お金がかかるから、肖像画は黒一色にしなさい」と指導するほどでした。おかげで黒い絵が流行し、「影」を意味する「シルエット」という言葉まで生まれました。

ただ、空気税はさすがに国民の反発を食らい、わずか9か月しか続かなかったそうです。ちなみに、ルイ14世の命を最期に奪ったものは、空気感染する天然痘でした。

さて。このところ導入が検討されている税に「脂肪税」があります。

たとえば米国ニューヨーク州で州議会議員フェリクス・オーティズ氏が提出した法案は、ジャンクフードなどに1%の税金が掛けるというもの。オーティズ氏は自らも割腹のよい体形。自分を戒める意味が込められていたのかもしれません。

脂肪税が脚光を浴びたきっかけは1994年、エール大学で心理学を専攻するケリー・ブローンウェル教授がニューヨーク・タイムズ紙に寄せた記事でした。教授は7〜10%のジャンクフードへの課税を提案。課税されればジャンクフードは避けられるため、肥満の人が減るという目論見でした。

米国ではいくつかの州で脂肪税の導入が検討され、実際アーカンソー、テネシー、バージニアなどの州では実施されました。廃案または廃止に追い込まれた州もあるそうです。

ジャンクフード大国の米国に限った話ではなく、食文化の味気なさには定評のある英国でも、脂肪税の導入が医師会により提案されています。税率はオーティズ議員やブローンウェル教授の提案よりもさらに高い17.5%。

こうした税は、財源向上といった財政的目的よりも、国民の健康増進などのような社会的目的に重点を置くほうがうまくいくようです。ブローンウェル教授は、脂肪税が廃止された州は、「赤字の補填に充てられることが多かった」と分析しています。

幸か不幸か、日本ではまだ脂肪税検討の動きはない模様。もし課せられたらメタボリック・シンドローム対策の特効薬になるでしょうか。もちろん人により体質は様々なので課税対象が人の体形ということはありますまい。
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「定数」から膨らむ世界


辞書を引くと「定数」という言葉には4つの意味が載っています。

一つ目は「一定の数」といった意味。「定数に達する」とか「選挙区の定数は2」などと使います。

二つ目は置いておいて、三つ目は科学用語で「状態変化の間を通じて一定の値を保つ量」といった意味。さらにこの「定数」には二種類あります。

まず、物質の種類に関係なく不変な「基礎定数」。たとえば炭素(質量数12)の同位体12グラムに含まれる炭素原子の数である「アボガドロ定数」は、いつも決まっているために基礎定数。

また、その物質に特有な定数を「物質定数」といいます。たとえば水槽に斜めに温度計を入れると、水面を境にして折れたように見えますね。空気、水、アルコール、水晶などでそれぞれで光の屈折率は異なるため、これは「物質定数」の一つとなります。

四つ目は数学用語。数学の問題を解くとき「いつも一定の値をとる数」のことを意味します。

たとえば、「5xy+4x-y-3」という式は「5xy」「+4x」「-y」「-3」という項に分かれます(項は、式を組み立てる単位のこと)。

ここで、x=2、y=3を入れると、それぞれ「30」「8」「-3」「-3」となります。
今度は、x=1、y=2を入れると、それぞれ「10」「4」「-2」「-3」となります。

この二つのなかで、最後の「-3」は、いつも一定の値「-3」をとるため、「定数」です。いっぽう「5xy」「+4x」「-y」は、xやyの値によって変わりゆくため「変数」といいます。

さて、前置きが長くなってしまいました。辞書の二つ目に入る「定数」の意味とは何でしょうか。広辞苑には、こうあります。

「定まった運命。」

科学や数学から、気分は一気に因果論へ。

「数(すう)」には、「運命」という意味があります。たとえば「数奇な生涯を送る」などといいますが、これは「奇異な運命におかれた生涯を送る」といったことを指します。

先日、作家・幸田露伴を愛読する方から、こんな話を聞きました。露伴の代表作の一つに、明の時代の中国皇帝の覇権を描いた『運命』という物語があります。

もともと、この物語の題名は露伴の中で『定数』と決まっていたそうです。ところが、露伴からの提案を受けた編集者が「露伴先生、『定数』では、売上はあまり期待できませぬ」と進言。「じゃあ、まかせるよ」となり、同じ意味の『運命』に決まったそうです。

『運命』の中にも、たしかに「吉凶禍福は、皆定数ありて飲啄笑哭も、悉く天意に因るかと疑わる」とあります。

昔の本屋の棚の配置がどうなっていたのか定かではありませんが、いま『定数』で小説が出されたら、きっと本屋ですぐに理工書コーナーに運ばれてしまう数でしょうね。
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書評『楽しみの社会学』
「人が没頭すること」というめずらしい主題の講演会の模様を、前に記事にしたことがあります。人を没頭させるための物理的な道具や仕掛けといった、「没入感の演出」の装置を紹介する講演でした。

きょう紹介する本も「人が没頭すること」が主題。この本における対象は「人」そのものです。

『楽しみの社会学』ミハイ・チクセントミハイ著 今村浩明訳 新思索社 2001年 326ページ


誰でも、人生で何度かは「没頭」を体験したことがあるだろう。部外者から見れば何の利益にもならなさそうだが、当事者は時間を忘れてその行為に浸る。

著者で心理学者のチクセントミハイは、「没頭」という心の状態とはどのようなもので、またどのように起きるかを、岩登りやチェス棋士、バスケットボール選手などの、没頭しやすいとされる集団への聞き取りから明らかにした。調査そのものは1970年代に行われたもの。だが、いまでも新書などで本書に出てくる話が取りあげられている。

チクセントミハイは、人がある行為に完全に浸り、集中しているときの状態を「フロー」と名付けた。フローの特徴を次にように示している。

「もっとも明瞭な特徴は、おそらく行為と意識の融合ということだろう」

フローを経験している人は、行為そのものについての意識はあるものの、そういう意識そのものをさらに意識するようなことはないという。「我を忘れて」とか「無我夢中」という状態がこれに当たるだろう。

「次の特徴は、その経験が通常首尾一貫した矛盾のない行為を必要とし、個人の行為に対する明瞭で明確なフィードバックを備えているということである」

行為をした人が矛盾を感じたり、行為をしてもそれが跳ね返ってこないような場合には、フローを経験することはできないということだ。

「最後の特徴は『自己目的的』な性質である」

つまり、その行為をする理由が「お金が得られるから」とか「名声を得られるから」とかの外部にある目的を必要としない、ということである。

では、以上の特徴で示されるフロー経験は、どのような状態にあるときに起きるのか。分かりやすいのが次の図だ。引用しよう。



縦軸は挑戦する行為の難しさ、横軸はその行為に対する自分の能力を示している。フローは行為の難しさと自分の能力が釣り合っているときに感じられる。

いっぽう、行為が難しすぎると人は心配や不安を覚えるし、自分の能力が高すぎても退屈やこれまた不安を覚える。よってフローは起きない。

一般的な読者の最大の関心事は「自己目的的な趣味はともかく、たとえば自分の仕事でもフローを体験できるのか」といった点ではないだろうか。

この疑問に対する著者の答えは「イエス」。調査の結果、かならずしも自己目的的報酬と外発的報酬は対立するものではないことがわかった。さらに著者はこうも述べる。「『仕事』が何らかのフローの活動の性格を持った時、それを遂行するための内発的動機づけは、外発的報酬による誘因に加えて、強力な誘因となる」。

だが、世の仕事の多くは締切があったり結果が求められたりするもの。フローの状態で仕事ができれば、それですべてよしとはならない。「没頭して書類づくりにとりかかりました」「完成したのかね」「いえ、まだです」ではやはりまずい。

与えられる仕事をフロー体験にすることは難しい気もする。だが、人々に何かをしてもらう立場の人にとっては、やる気の引き出し方や、人を夢中にさせる方法を得るための示唆となるだろう。

『楽しみの社会学』はこちらで。
http://www.amazon.co.jp/楽しみの社会学-M-チクセントミハイ/dp/4783511853
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帰納法の“抹殺”(2)
帰納法の“抹殺”(1)



過去に起きた事例から一般法則を導きだすことを意味する「帰納」。その帰納について「なんら存在しない」と、世界から“抹殺”したカール・ポパー。そのポパーが、強く影響を受けた人物が、スコットランドの哲学者デビッド・ヒュームでした(画像)。

エディンバラで1711年に父ジョゼフと母キャサリンの間に生まれたヒュームは、その後の半生を地元の大学との「因縁」の中で過ごします。

わずか11歳のとき、ヒュームはエディンバラ大学に入学を果たします。ところが2年後には大学を中退。授業を理解するには若すぎたからではなく、哲学以外の分野には何の興味ももてなかったからでした。

うつ病や精神障害に悩まされながらも、ヒュームは1739年、29歳のとき、以後5巻続く『人間本性論』を出すことになります。アイザック・二ュートンやロジャー・ベーコンなどによる科学的手法を、「理解」「情熱」「道徳」「政治」「批評」という人間的な5つの課題に当てはめようとした内容です。

砂糖商人の下で働くなどして生計を立てていたヒュームはそのころ、「母校」であるエジンバラ大学の職に選ばれることを目論んでいました。

しかし『人間本性論』の内容は、エジンバラ大学の庇護者的存在である司教や有力市民たちの気に召しませんでした。司教たちはヒュームのことを「反逆者」と見なします。

こうした事態になることをヒュームはあらかじめ予測し、予防線を張っていたといいます。『人間本性論』を出す直前に、自分の大学教員への道に支障をきたさぬようにと、司教たちの逆鱗に触れそうな部分を削除していたのです。しかし、効き目なく、大学関係者はヒュームを大学の職に絶対に就けないようにしました。

のちにヒュームは『人間本性論』の出版を「印刷機を出た時点で死産であり、熱狂者の間ですらつぶやき一つ引き起こせないほどの低い認知にすら到達できなかった」と振り返っています。しかし、「低い認知にすら到達できなかった」ならば、司教たちの逆鱗に触れることもなかったでしょう。会社内から総すかんを食らった企画書を、企画者本人が「私の意見には誰も耳を傾けようとしなかった」と言うことと似ていますね。

エジンバラ大学の職への道を閉ざされたヒュームはその後、侯爵の家庭教師をしたり、ウィーンやトリノへの軍事使節団をつとめるなどしました。しかし、大学教員への志は心の中でくすぶっていた模様。1751年、40歳のときに今度はグラスゴー大学の職に就こうと試みます。

ところが、この採用機会でもヒュームは不採用。またも大学職への挑戦は失敗に終わりました。結局翌年からヒュームはエディンバラ弁護士協会の図書館長となるなどして、後の半生を過ごします。

大学の教授職とは最後まで無縁で終わったものの、ヒュームが哲学史に残した業績は高く評価されています。中でも「帰納にはまったく合理的な根拠がない」という帰納法懐疑論は、カール・ポパーの心を強く揺り動かした論でした。つづく。

参考ホームページ
http://cruel.org/econthought/profiles/humebio.html
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糖尿病にかかりやすい日本人


きょう(2007年11月16日)東京・新宿区の国立医療センターでシンポジウム「糖尿病とメタボリックシンドローム 国際的勃興をどう制圧するか」が開かれました。

メタボリックシンドロームの定義には「高血糖」という一要素があります。日本内科学会などの国内8学会が定めたものでは「空腹時の血糖値が110ミリグラム/デシリットル以上」。血糖とは、血の中に含まれるぶどう糖などの糖類のことです。

高血糖の状態が続いたものが糖尿病。原因はインスリンというたんぱく質が分泌されなかったり、されにくくなったりして、体にとりこんだ糖分をうまく代謝することができないこと。体中が砂糖漬けのような状態になり血管が傷みます。網膜炎や腎臓病また動脈硬化を併発しやすくなります。

講演では「日本人は糖尿病にかかりやすい」という話が出ました。

「日本人は倹約好き」などといわれてきましたが、これはお金だけでなくエネルギーについてもいえるようです。農耕や牧畜などが発明される前、食糧を貯蔵することができなかった時代、人類はその場しのぎで食べ物を探す生活を強いられてきました。

その頃の日本は、食を得るには厳しい環境だったようです。そのため、体にとりいれたエネルギーを無駄遣いせずに長いあいだ貯め込むことのできる遺伝子をもつ人が生き延びやすくなりました。このような遺伝子を「倹約遺伝子」とよんでいます。日本人のうち3人に1人がもっているとされ、比較的、食べ物を得やすかったと欧米人よりも2倍から3倍、高い率となっています。

また、人類が食べ物を蓄えることを発明してからというもの、欧米人は牧畜を中心とした生活を営んできました。肉食の生活では、インスリンの分泌がさかんに行なわれます。いっぽう日本人は米や魚などが昔からの主食でした。この食生活ではインスリンの分泌は少なく済みました。

時は一気に移って昭和の後半。倹約遺伝子の持ち主であり、インスリンの分泌が少ない日本人も、フライドチキンやハンバーガーに代表される欧米の輸入ファストフードを口にすることになります。

すると、エネルギーを蓄える体質の日本人は「小太り化」したり、またインスリンの分泌が低いため血糖の代謝をすることも苦手だったりするため、これらの要因から糖尿病になりやすい性質であるといいます。

このしくみの話は「2型糖尿病」という種類に関わるもので、インスリンがまったく分泌されない「1型糖尿病」とは分けて考えられています。

日本人の糖尿病患者はいま740万人。2010年には1080万人になっているという予測もあります。
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雑誌デザインのジャンプ率


東京のギンザ・グラフィック・ギャラリーで企画展「WELCOME TO MAGAZINE POOL
雑誌デザイン10人の越境者たち」が開かれています。2007年11月27日(火)まで。

日本人4人をふくむ世界のデザイナーが手掛る雑誌デザインが、地下1階の壁に展示されています。また中央には展覧会名どおり、雑誌で満たされた「プール」が置かれ爽快な景色。

デザインはまさに十人十色。

ぱっと見、違いがよくわかる点は見出しのジャンプ率です。ジャンプ率とは、誌面に使われる文字の大きさの差を示す率。本文が12Q(1Qは0.25ミリ)のとき大見出しが120Qなら、ジャンプ率は10倍となります。

ジャンプ率の高い雑誌は、パリのデザイン会社ワーク・イン・プログレスによる文化・流行誌『セルフ・サービス』や、同じくパリ出身のヨルゴ・トゥルーパスによる『クラッシュ』『インターセクション』など。ページを「K」の1文字が支配するような大胆な配置も。

いっぽう日本人デザイナーのジャンプ率は控え目。目立った雑誌は横尾忠則による『流行通信』ぐらいでした。

作品が並べられる展覧会では、ジャンプ率の高い雑誌は目にとまりやすいもの。しかし実際に読者が雑誌を読む場面を考えれば、比較はさほど関係なくなります。紙面構成に合う見出しの大きさ、それに、デザイナーの個性。この二つのせめぎ合いで見出しの大きさは決まっていきます。

デザイナー藤本やすし氏がプロデュースする「WELCOME TO MAGAZINE POOL」はギンザ・グラフィック・ギャラリーで11月27日(火)まで。会場のホームページはこちら。
http://www.dnp.co.jp/gallery/ggg/
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帰納法の"抹殺"(1)


科学の仮説をもっともなものするための手段に「帰納法」があります。

仮説が「正しい」ということを検証したり、「確からしい」ということを確証するために、個々の事例を観察していきます。

「aの例は正しい。bの例は正しい。cの例は正しい…。これだけ正しい例が揃ったのだから、私の掲げた仮説は正しい」と結論づけます。

しかし、帰納法を使って検証や確証する方法を科学から“抹殺”しようとした人物がいました。

カール・ポパー(1902-1994)です。

20世紀初頭にオーストリアで生まれたポパーは、1937年、35歳のときにニュージーランドに亡命。第二次世界大戦後の1946年に英国に移り住みました。

幼少のころ、ポパーは母親から、大人らしく育つようにという教育方針で、身体的な愛情を示されなかったといわれています。そのためか、ポパーの言動は相手をひどく傷つけるものだったといいます。ポパーの唱える論に反論する者は、それまでの友人であれ弟子であれ、執拗なまでに叱責されました。

科学の方法におけるポパーの頑なまでの主張は、過去の経験を拡張してもそれを一般化することは不可能である、というものでした。自伝『果てしなき探究』でも、科学の方法について触れ、断定的に「帰納はなんら存在しない」と述べています。

ポパーの主張は、ある英国の哲学者の論に強く影響を受けたものです。つづく。
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ジェーン・グドールさん「人間には問題を解決する能力がある」


きょう(2007年11月13日)、動物行動学者ジェーン・グドールさんの講演会が早稲田大学でありました。

グドールさんは1934年英国生まれ。子どものころからの動物好きで、1960年、タンザニアでチンパンジーの研究をはじめました。その場所でいまもチンパンジー研究を続けています。

世界平和や地球安定を望む科学者としても象徴的な存在。国連平和大使の職にもついています。

演台に立つと、まずチンパンジー流で聴衆にあいさつ。華奢な体の芯から出てくるような叫び声が会場に響きわたります。聴衆は一気にグドールさんに惹かれていきました。

半世紀にわたり接してきたチンパンジー。でも「いまだに新しいことを彼らからは学んでいる」と言います。「チンパンジーにも慈愛や利他主義があることを学びましたし、幼少の頃の育てられ方が成長したときに行動に大きく影響していることも分かりました」。

チンパンジーとヒトのDNAの違いはわずか1%ほど。グドールさんは両者の違いと共通点を見いだします。「チンパンジーもキスをしたり握手したり、背中をつついたりします。いっぽうで人間のみが言語という道具を獲得し、距離や時代を隔てた伝達を可能にしました」。

「しかし、動物のなかでもっとも知能の高いとされる人間が、なぜ地球を破壊しているのでしょう」。話は、地球環境問題へ。

長年、未開だったタンザニアの森に外国企業が道路を開きました。チンパンジーや動物たちは人間の目に晒されることに。そしてその道路づたいに人間はチンパンジーの森に入り、彼らを射撃で殺します。「めずらしい食糧として肉を販売するためです」。

グドールさんの目は、人体に影響を及ぼす化学兵器、原油の争奪、そして地球温暖化に向けられます。

「国連ミレニアムサミットで、グリーンランドのエスキモーはこう言いました。『北に住んでいると、私たちより南にいる人たちの行動がわかる。なぜなら、北の氷が解けているからだ』。極地の氷でなく、人の心の氷を溶かさなくてはなりません」

地球の未来を憂う話が多かったものの、グドールさんは地球の未来に希望も抱いていました。

「人間には問題を解決する能力があります。解決策は切羽つまったときに浮かんでくるもの。人の精神がもつ力、決してあきらめないで課題に取り組んでいく心を私は信じています」

メッセージ性の強い講演でした。

ともすればこうした講演は「きれいごと」に陥りがち。しかしグドールさんの話にはそうした臭いがありません。長い間、真摯に自然に向き合ってきた積み重ねがそうさせているのでしょう。

『自然への希望』という新たな著作も執筆中とのこと。ひと言ひと言かみしめるような話し方が印象的でした。
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対称性が発揮される場


中学1年の数学で、線対称や点対称といった対称性について学びました。数学における対称性は、図案(デザイン)の分野とも密な関係があります。

あまり着目されていないようですが、対称性の宝庫といえる、とある“図形”の領域があります。

栗 英 炎 央 王 黄 楽 甘 基 吉 金 具

串 言 工 轟 黒 山 士 車 出 真 辛 全

爽 早 草 大 谷 茶 中 天 田 土 東 日

半 美 文 平 本 未 木 目 薬 来 里 六

つまり、文字の世界は対称性の宝庫といえましょう。

上に掲げた感じは左右対称。漢字のほかアルファベットでも、

A H I M O T U V W X Y

i l o v w x

は左右対称とみなしてよいでしょう。

さらに線対象を90度倒して、上下対象で見れば、次のような文字を挙げることができます。

D E I O

c l o

エ コ ヨ

亜 一 亘

さらにさらに、点対称の文字も。

I N O Z

l o z

発展系としては、2文字の組みによる対称性です。

b p d q

b q d p n u

文字の対称性をデザインに取り込んでいる例はそれほど多くは見かけませんが、意識的に表現していると思わせるデザインもあります。

たとえば、インターネットで見つけたこの喫茶店のロゴは、明らかに対称性をねらったものでしょう。

一般的には対称性のある図版は、均衡がとれているため、見る人に安定感をもたらすといいます。ただ、その版面、変化に富んでいないためやや退屈に思えるという意見もあります。

しかし物事の名前には対称性が保たれているものは数少ないでしょうから、対称的デザインに挑んでみる価値はありそうです。「楽天」「中日」「平山一夫」「吉田英二」「山本圭三」あたりの関係者のみなさん、狙い目かもしれません。
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殺人光線の開発(5)
殺人光線の開発(1)
殺人光線の開発(2)
殺人光線の開発(3)
殺人光線の開発(4)



殺人光線を考えるもととなったマイクロ波が、波の束となり「メーザー」が誕生した年は1954年になります。

米国物理学者チャールズ・タウンズらによって電磁波の増幅の基本原理が確立されました。このことから、1954年は「メーザー発明元年」とよばれています。第二次大戦の終結から9年。いかに戦時中の島田分室での殺人光線開発が絵空事であったかが伺えます。

おなじく1960年にレーザーを発明した米国の物理学者セオドア・メイマンはその年、レーザーの軍事利用について、このようなことを話しています。

「私は当初からレーザーは軍事用には実用的でないと思っていた。兵器用となると標的までかなり距離があり、航空機やミサイルの射撃では数百、数千マイルもの距離でエネルギーを集中することが必要だ。レーザーは通常の光源に比べれば光が広がりにくいが、それでもわずかながら広がりがあり、標的の一点に焦点を結ばせるのは難しい。私の印象ではレーザーは今日でも兵器用として実用的でないと思っている」

島田の風呂場で、仁科芳雄から日本軍の兵器開発計画を耳打ちされ、「殺人光線なんてできるのだろうか」といぶかった朝永振一郎。彼にはやはり鑑識眼があったようです。

実際、メーザーは鉄板加工技術などに、またレーザーは歯の治療、CDやDVDの情報読み取り、娯楽照明、さらにはレーザポインタまで、幅広く生活の中で使われています。

しかしながら、朝永やメイマンの考えをしのぐ勢いで軍事開発は進んでいるのかもしれません。

電磁波の軍事利用はその後も行なわれ、2000年には米軍とイスラエル軍が「戦術高エネルギーレーザー」とよばれるレーザー兵器を開発(写真は実証機)。実験でロケット弾や砲弾を撃墜しています。同じ武器の移動型は実用間近とされています。

無謀ながらも殺人光線の開発が計画されていた1940年代。そして、実用までこぎつけようとしている2007年。生活を向上させる裏で、いつの時代も科学は軍事にも利用されつづけています。(了)
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この宇宙には人間がいる。

NASA

科学が哲学的考え方を利用する場面があります。

「人間原理」とよばれる考え方もその一つ。この原理は例えば次のようなもの。

「私たちはここに存在して宇宙を観測することができる。だとすれば、宇宙の法則は私たちの存在と矛盾したものであってはならない」

宇宙46億年の歴史で、物理法則を決める定数がわずかでもずれていたら、人間は存在していなかったでしょう。私たちが存在すること自体、ものすごい確率の偶然の産物のようですが、裏返せばそう仕組まれていたという必然にも思えてきます。

たとえば「宇宙は6つの変数で支配されている」という説があります。その変数とは、物質どうしの相互作用の強さの変数や、世界の次元を決定する変数など。これらの変数を調べるほど、宇宙は人間の登場をあらかじめ知っていたとしか考えられなくなるといいます。

インディ・ジョーンズ博士が数々の危機を越えて生き伸びたという結果も、走ってくるトロッコの速度、崖が崩れる時期、切れずに持ちこたえた紐の強さなどの、いろんな理由が重なったからに思えます。でも、あたかも博士を最後まで生き延びさせる仕掛けが仕組まれていたような気もします(そうでなければすごい)。

人間原理を逆手にとれば、「ここに私がいる。ならば宇宙の構成要素に、人間の存在を許す要素が含まれなければならない」となります。

これが宇宙観測にも役立てられました。

フレッド・ホイルという英国人天文学者は、「自分はおもに炭素からできている。だからまず宇宙に炭素が存在しなければならない。炭素が生まれるただ一つの方法は、炭素が励起状態というエネルギーの加わった状態になることだ。だから、励起状態は確実に存在する」という論を立てました。この励起状態の存在はビッグバンの存在を示す鍵となりました。

人間原理の解釈は、「宇宙を考えるとき、人間の存在を考慮しておかなければならない」という弱いものから、「宇宙は人間が存在するようなつくりでなければならない」という強いものまでさまざま。人間原理を考えると、偶然と必然は表裏一体のものなのではと思えてきます。

参考文献:『ビッグバン宇宙論 下』サイモン・シン著
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国会図書館のカレーライス――カレーまみれのアネクドート(3)


国会図書館で資料収集をしていると、“微妙な待ち時間”が生まれます。請求した本を待つ時間、雑誌を待つ時間、依頼した複写を待つ時間…。

昼どきは、待ち時間つぶしに本館6階の食堂へ。もちろん全国の食堂の定番、カレーライスも食べることができます。

固形のルーを溶かし、玉葱、豚肉を入れた正統的ライスカレーといった感じのカレーライスです(写真は大盛り)。福神漬けは厨房の人が盛ってくれます。サラダ付き。

カレーの味もきわめて普通。刺激は強くなく、かといってカレーの辛さがないわけでもなく、「食堂のライスカレー」を地で行くようなカレー。

6階からの眺めがなかなかのもの。図書館のすぐ間近には社民党の建てものがあり、看板が見えます。また遠くには丸の内のビル群の風景も。

食堂内の「指定席」も見逃せません。奥に置かれたテーブル1台は、国会議員が利用するための「議員席」。



テーブルも椅子も、置かれている調味料も、他の椅子とまったく変わりありません。「議員席」と指定されているのみ。

この議員席は、国会図書館の存在理由を示す象徴的存在と考えることができます。国立国会図書館が存在する第一義は、国会議員の調査研究のため。国会の委員会での質問などのための情報収集の場というわけです。

国会議員だってお腹はすくでしょう。けれども「国会議員の調査研究」は建て前になっているようです。政策秘書ならともかく、国会議員みずからが図書館におもむいて、資料の到着待ちをするといった姿はあまり想像できません。

カレーライスを食べに食堂に行くたび目にする空席の議員席。この席を使ったことのある先生はいるのでしょうか。まあ、麻生さんや鳩山さんがカレー食べながら雑談でもしていたら驚くけれど。
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11月10日(土)は20世紀メディア研究所の研究会


おしらせです。

(2007年)11月10日(土)14:30から早稲田大学で、20世紀メディア研究所の研究会が開かれます。

同研究所は、早稲田大学政治学研究科・山本武利教授が発起人のメディア研究所。

1945年から49年にかけて占領軍が日本のメディア情報に検閲をかけたことから収集された「プランゲ文庫」という資料庫やそのデータベースがあります。この膨大な情報などが、研究の対象となっています。

10日の研究では、私もすこし時間をもらい発表をすることとなりました。「占領期の新聞報道から見る長崎 ―― 爆心地の呼称の変遷を中心に」という題目です。

プランゲ文庫で、終戦直後の長崎の地元紙の記事を見たところ、爆心地の呼び方などに変遷があったことがわかりました。それを中心にして、当時の長崎の街や市民の様子を推測していくといった内容です。

戦前や戦中、終戦直後の新聞・雑誌を読んでいると、いまとは異なる世界観が紙面に広がっていて、つい没頭してしまいます。

また会では、同大学政治学研究科の加藤貞澄さんが「OSS設立期における米英の二国間協力関係――訓練施設ST103『キャンプX』を中心に」という発表を。

同じく政治研究科の谷川建司准教授が「ハリウッドと中国 ―― 1940年代後半の中国におけるマイケル・ベルゲルの活動を追って」という発表をします。

20世紀メディア研究所の研究会は11月10日(土)14:30から早稲田大学で。ご興味あるかた、ご案内はこちらです。
http://www.waseda.jp/prj-m20th/index.html
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村に住まない村民


ことばの前につける接頭辞に「名誉」があります。名誉教授、名誉会長、名誉総裁などなど。

名誉市民といえば市がある人の功績をたたえて贈るよび名。ノーベル賞受賞者の田中耕一さんは京都市名誉市民。発明家の中松義郎は米国トゥーソン市、ニューオリンズ市、セントルイス市、ピッツバーグ市、ラ・ミラダ市、フィラデルフィア市、サンディエゴ市、モンロービル市の名誉市民だそうです。

かんたんには身に付かない「名誉」の接頭辞。けれども「e」なら、誰でも身につけることができます。

全国の地方自治体、とくに村では「e-村民」制度を実施中。“e”は「Eメール」などと同じ“electric”の“e”。e-村民として村に登録すると、その村に住まなくてもインターネットにより村の情報を得たり、村の施設を格安で利用したりすることができます。

福島県の泉崎村はe-村民制度を進める自治体のひとつ。2007年11月1日現在で、2348人のe-村民がいます。村の人口6761人に対して、35%に迫るいきおい。実際の村民も電子媒体の利用が進んでいるようで、村の情報をインターネットで入手するご年配も多いとか。

e-村民の特典はいろいろ。メールで村の情報の提供を受けたり、就職・転職希望者は求人情報の提供を受けたり。ただやはり旨味がある特典は、村の施設の利用料割引でしょう。e-村民は、カントリービレッジという宿泊施設を約2000円の割引で利用できたり、ゴルフ場を約4000円の割引で利用できたりします。

e-村民制度を実施している自治体は、他にも長野県の原村や朝日村など。

村に関心を寄せてもらい、村の訪問客にお金を落としてもらうことなのでしょう。平成の大合併で村の数が減っていくなか、村々の存続には工夫が必要のようです。

泉崎村「e-村民大募集」のホームページはこちら。
http://www.popland.jp/webinfo/izumizaki/boshuu.html#touroku
ちなみに村長のブログはライブドアです。
http://blog.livedoor.jp/izumizaki/
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機関誌の趣き


「機関誌」や「機関紙」という言葉には、「組合臭」が漂っていて、心の琴線に触れるものがあります。

旧ソ連の「プラウダ」や、中国の「人民日報」などをつい連想しがち。出版社が発行する週刊誌や月刊誌などとは一線を画す、手作り感やマイナー感も、おもむきの要素かもしれません。

政党や労働組合だけでなく学会や協会などの団体も、活動の発表や宣伝、また会員どうしの連絡などのために機関誌を発行しています。

機関誌の数々を紹介するホームページを見つけました。第一資料印刷という印刷企業が運営する「キカンシネット」。機関誌や広報誌の目次または記事の一部を紹介しています。

機関誌の一覧からは誌名の傾向が見えてきます。

たとえば、リズム感を意識して、“最後から2文字目”を長音にしたもの。日本海事広報協会発行の『ラメール』や、コミュニティネットワーク協会発行の『ゆいま〜る』などです。

また、外来語をひらがなで表記する手法も傾向のよう。日本知的障害者福祉協会は『さぽーと』を発行。また、日本酪農乳業協会は『ほわいと』を出しています。

誌名をひねっておしゃれ感を出すところに機関誌っぽさがありますが、王道はやはり扱っている分野がそのまま誌名になっている直球勝負の機関誌でしょう。

たとえば、日本チタン協会の機関誌はその名も『チタン』。記事も“それらしさ”があります。2007年7月号の目次を見ると「チタンに魅せられて」や「21世紀の風神雷神・チタンに漆」また「チタン市場開発・製品スタッフ養成講座報告」といった、チタン関係者にとってはたぶん放っておけない記事が並びます。

日本果汁協会の『果汁協会報』も見逃せません。2007年10月号では「沖縄県のシークヮーサー振興策」という投稿記事や「平成19年度産温州みかんの生産予想量等について」といった記事が載っています。

「タモリ倶楽部」みたいになってしまいました。

部外者外から見れば、単なる好奇の対象。しかし会員にとっては、交流を促進する媒体として機関誌は大きな役割をはたすもの。キカンシネットに掲載している機関誌の数はじつに238もあります。

「キカンシネット」はこちら。
http://www.kikanshi.net/
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鏡がことばを生む


今年は「KY」つまり「空気が読めない」が、はやり言葉になっていますね。女子高生のいる街で使われ、すこし遅れて国会議員のいる街に飛び火しました。

「あの人は空気が読めない」という発言があるということは、裏を返せば人は基本的に「空気を読める」存在なのでしょう。

そうしたことを考えていると疑問が浮かんできます。なぜ人は空気を読めるのだろうか、と。

人が相手の心を察することができるのは、脳の「ミラー細胞」が役割を果たしているから。ミラー細胞は、うねうねしわしわした大脳新皮質のなかの、意思をもつ、考える、創造するといったクリエイティブな機能と関連する前頭葉という部分にあります。

相手が泣いたり、笑ったり、怒ったりしている姿を見ると、あたかも我が身に起きているかのごとく、ミラー細胞が他人の行為を自分に反射させます。相手の気持ちになる、つまり空気が読めるのもミラー細胞あってのこと。

しかし、ミラー細胞は働きすぎても困るというもの。いちいち赤ちゃんがむずかる姿を見てこちらも忠実にむずかったり、政党の党首が怒っている姿を見てこちらも怒ったりしていては大変です。

そこで人は、抑制という機能を働かせます。自分が同じ行為をしてしまわないよう、ぐっとこらえるのです。

ただし、その抑制が完璧ではない点がまた人間らしいところ。人は、ミラー細胞が働きかけた「行為の前触れ」をじつは外に漏らしてしまっているのだそうな。

じつは、このちょっとした漏らしこそが、人がいま行なっている言語活動のはじまりだとする仮説があります。ミラー細胞を発見したイタリアの神経生理学者ジャコモ・リゾラッティたちが唱えているもの。

自分が漏らした行為の前触れに、相手が「あ、いまちょっと動いてたね」と気づくと、そこに小さな意思疎通が生まれます。抑制が効かなかった行為に対するおたがいの気づきあいが発展すると、それが言語行為になるなのだそう。言語は身体なしでは生まれなかったことになりますね。

ミラー細胞の発見は、ここ10年の脳科学の世界では最大の発見ともいわれています。言語の発生にも関わっている点が、また発見の価値を高めているようです。

空気を読むという人の行為も、ひょっとすると外に漏れでている瞬間を目撃できるのかもしれません。そのとき「あ、いま空気を読んでたね」と言ってあげたりすれば、人間どうしの言語活動は一気に活発化することでしょう。
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ふせんをめぐる小不幸


本を読んでいて、ブログ記事などの材料になる文を見つけると、ふせん(ポスト・イット)を貼ります。本の天地や小口などの欄外に貼るため、活字が隠れない面積の小さいふせんを使っています。

さて、読書中のふせん貼りでは、よく“小さな不幸せ”を経験してしまいます。

それは、最後の白い1枚のほうを剥がしてしまうということ。

喫茶店や電車などで本を読んでいるとき。視線を付箋にやらずに指だけで端の一枚をぺろっと剥がします。そして、重要だと思ったところにいま剥がした付箋を貼ろうとすると。“するっ”。

あらら。また最後の1枚を剥がしてしまった。orz。

統計まではとりませんが、8割ぐらいの確率で途中で白い紙のほうを剥がしている気が。最後の紙なしでも付箋として使えるので実害はゼロ。でも、すこし不幸せな気持ちになる理由は、白い紙がとれた接着部に少しずつごみやほこりが引っ付いてくるからでしょう。

ポスト・イットは米国の企業「3M」の研究者スペンサー・シルバーの発案によるもの。強力な接着剤を試作していたところ「よく付くが、かんたんに剥がれる」代物をつくってしまいました。ただ、シルバーは“失敗作”を捨てず、社員に使い道を聞いてまわっていたそうです。

それから5年、アート・フライという同僚が、協会の日曜礼拝で賛美歌集のしおりを床に落としました。この瞬間、フライは「あの接着剤を使えばいいんだ」とぴんと来たといいます。

フライはふせん製造機を自宅で開発するほど商品化に熱心でした。情熱が認められ、その機械を会社に運び込むことになりましたが、部屋の扉より機械のほうが幅があったため、家の壁を壊すという光栄にも預かりました。

さてさて、最後の白い1枚に強力な接着剤を使ってくれればとも思ってしまいます。でも、製造工程がかさみ値段が高くなってしまうのでしょうね。

あるいは、最後の1枚だけ名刺ぐらいの厚紙にしてもらえれば、指で触った感触で「おっとこっちは最後の紙だ」とわかると思うのですが。提案したら検討してもらえますかね。
| - | 22:40 | comments(0) | -
書評『生存する脳』
どちらを選んでも構わない選択肢がある場合、しばらく迷ったとしても、やがてどちらかを選んでいることでしょう。しかし、まったく同じ価値をもつ選択肢なのに、なぜ人は「こっち」と選ぶことができるのでしょう。

『生存する脳 心と脳と身体の神秘』アントニオ・R・ダマシオ著 田中三彦訳 講談社 2000年 402ページ


原題は『デカルトの誤り』。「脳と身体は切り離して考えることができる」というデカルトの「心身二元論」を否定する。つまり、身体なしに感情や意識といった脳の役割を考えることはできない、と著者はいう。デカルトに詳しければ読書に深みは増すだろうが、デカルトを知らなくても読める。

脳と身体の関わりについて多く述べられる本書の中で、本質的かつ独自的な著者の弁が「ソマティック・マーカー仮説」だ。

この仮説は、人がある選択を迫られたとき、何もないまっさらな状態から、どれが最善かを考えるのではなく、すでに蓄えられた知識や経験から起きる感情から、どれが最善かを考えている、というもの。

仮説を支持する例として、アメリカ人の工事監督フィアネス・ゲージに関する逸話や、著者が実際に接したエリオット氏(仮名)の言動などが紹介される。彼らは、事故により脳の前頭前野を損傷してしまった経歴の持ち主(表紙カバーの絵がゲージの事故当時の状態を示している)。だが、理性は失わず生活を続けることはできた。

ところが、しばらく経つと判断力の欠如がおこり、人生が豹変してしまう。たとえば、人と会う約束を15日にするか17日するか、どちらの日でも問題ないのに「どちらのほうが天気がよさそうか」とか「どちらのほうが交通機関の乱れはなさそうか」とかで延々に考え込んでしまうのだという。

裏返せば、私たちのいろいろな選択の場面では、過去のよい体験・いやな体験などが作用して、直観的に将来予測をして、判断しているということになる。生活の中において、帰納法はしっかりと役割を果たしているということを実感した。。

翻訳の精度について、いろいろな書評子から問題とする指摘もあるが、かといって読み控えされるのはもったいない。患者の事例のところとソマティック・マーカー仮説の部分はわかりやすいので、そこを読むだけでも得られる知見はあるだろう。

『生存する脳』はこちらで。
http://www.amazon.co.jp/生存する脳?心と脳と身体の神秘-アントニオ・R-ダマシオ/dp/406210041X/ref=sr_1_2/250-3461571-9880240?ie=UTF8&s=books&qid=1194099166&sr=1-2
| - | 23:11 | comments(0) | -
執刀医の気持ち


ある米国人の夫婦が、水入らずのメキシコ旅行をしました。夫は老練な開業医。「数年ぶりにとる連休、妻と観光を楽しもう」。

ところが旅行3日目、夫の様子が変わりはじめます。そわそわと落ち着かない様子。妻が「あなた、どうしたの」と尋ねると、夫はこう言いました。

「手術をしたくてたまらないんだよ。おまえは好きに観光を続けてくれ」

夫は現地の病院を訪ね、奉仕活動として手術を買って出たそうです。

この実話は極端なものでしょうが、手術をしたいという気持ちは、かなりの執刀医が共感できるものかもしれません。

1970年代、シカゴ大学のジーン・ハミルトン=ホルコムという心理学者が、米国人医師21人に「なぜ手術をするのか」という根源的な質問をしました。

3分の1の医師は「治療に役立つ能力をもっているから」と答えました。また3分の1は「患者を助けることが重要だから」と答えながらも、努力から引き出される挑戦にも意味を見いだしていたそうです。残りの医師は「面白いから」「他の何よりも胸がおどるから」など。

「結果は、いかに細かく、芸術的に手術するかにかかっています」と答える眼科医。

「腎臓を植え込み、縫合する前にもう尿が出てくるなんて」と嬉しそうに答える腎臓移植医。

なにかに夢中だと時間を忘れたり、短く感じたりするもの。この医師たちでも、21人中17人が当てはまっていました。

「時間には全く注意しないんですよ」。「(時が経つのは)早いですよ。手術がむずかしければ」。「楽しいことをやっている時のように、あっという間」。「実際には二時間経っていても、十五分ぐらいにしか感じられない」。

ほとんどの医師が、「他の仕事がいくら金になっても、低い収入で手術をする」と答えたともいいます。ふつう好きなことでも報酬が絡むと、失敗したときを考えるなど重圧がかかってくるもの。しかし、手術執刀医の仕事においては報酬の影響も少なそう。

「なぜ手術をするのか」の有力な答の一つとして、「楽しいから」や「はまるから」が導きだせそうです。

医者が手術中に集中することは、たぶんよい結果をもたらすもの。ただ、もし失敗が続いたりすれば、たちまち手術を不安に感じ集中できなくなるといった状況も考えられそうです。

医師の気持ちは時と場所によりけりでしょうが、でも「手術が楽しい」「手術にはまる」とった感覚は少なくとも医師でない者には味わえないものですね。
| - | 23:59 | comments(0) | -
「進化する印刷インキの世界」


日本化学会の『化学と工業』11月号に「進化する印刷インキの世界」という記事を寄せました。

「インク」と「インキ」。業界ではインクは筆記用で、インキは印刷用という区別があります。今回はインキの世界を覗いてみました。

平版印刷(オフセット印刷)と凹版印刷(グラビア印刷)が現在の印刷方法の主流。印刷工程や用途などの面で、この二つははっきりと区分けがされていることを実感しました。

平版印刷では、インキがブランケットというゴム製の円柱に載せられてから紙に転写されます。いっぽう凹版印刷では、インキの入る凹字のくぼみが刻まれた円柱が回ることで、インキが被印刷物に盛られます。

平版印刷はインキの網点がくっきりするため、新聞や書籍などの出版向き。いっぽう凹版印刷は、わざわざ「グラビヤページ」というくらい。出版用紙への印刷ではやや脇役に回っているようです。

では凹版印刷の活躍の場はどこかというと、たとえばフィルム。インキの厚盛りができるために、紙以外への印刷に向いています。

フィルムへの凹版印刷は、身近なところでは缶コーヒーのラベルなどに用いられています。まず、フィルム裏面に凹版印刷をほどこします。そのフィルムを缶のまわりに巻き付けるように貼りつけます。私たちが手で触れる面は、印刷されていないフィルムの表面なので、つるつるなわけです。透明フィルム→凹版印刷→金属という順番で層になっています。

ほかにも凹版印刷は用途いろいろ。「凹」にガラスの粒々を入れれば、きらきら感のある印刷も可能です。

取材した者の直感からいえば、平版印刷はストレート主体の投手。凹版印刷は変化球で勝負する投手といったところ。

日本で本格的にインキの製造が始まって約100年。色にこだわりの強い日本文化で、インキ技術は今日も鍛えられています。

『化学と工業』のホームページはこちら。
http://www.chemistry.or.jp/journals/kakou/
| - | 23:59 | comments(0) | -
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