科学技術のアネクドート

『非線形科学』を振り返る。


日経BPオンラインに新書『非線形科学』(蔵本由紀著)の書評を寄せました。

脱稿までにかなりの時間がかかりました。その理由は…。

「やはり新聞には向かないかなあ。さんざん悩んだあげく思いきって取り上げることにした」(毎日新聞で評した中村桂子さん

「この分野に馴染みのない読者には少し歯応えあるかも」(アマゾン読者レビュアー

「この本の内容、(新書としては)決して易しくはない」(書評ブロガー

いろいろな書評からもわかるかもしれません。かんたんにいえば難しい本で、非線形科学の概念や具体例の説明がたいへんだったからです。

非線形科学は単純な方程式では扱えないような現象が対象の物理学。複雑なことがらをなるべくかんたんな式で表す原則があります。なので非線形科学の過程は単純化へ向かいます。しかし、もともと複雑な現象に目を向けている点と、単純化の過程を説明することが難しいという点から、やはり本の記述は難しいものでした。

でも非線形科学の大家である著者の塚本由紀さんは、普通なら手の届かぬところにある科学分野を、新書で読める水準に落とし込んでいます。日常語を使って複雑な科学を表現する挑戦は、成功したといってよいのでは。

身近に非線形科学が扱われている例を見ると、すこしほっとします。例を一つ。

当ブログも含まれるインターネットのネットワーク構造。「スケールフリー・ネットワーク」という非線形科学の一概念により、構造を普遍化できるといいます。

たとえば人がウェブサイトに新しくリンクを貼る場合、リンク先はすでに多数のリンクをもつサイトになる場合が多いですね。これを、優先的選択というルールにして、このルールをネットワークの点と点が結ばれていく過程に課します。すると、多数のリンクをもつ少数のハブ的サイトと、少数のリンクしかもたない多数のサイトが存在するという、ネットワーク構造の特徴をモデルにすることができます。この構造は、スケールによって特徴をもたないのが特徴で「スケール・フリーネットワーク」とよばれています。

この話の周辺には、寸法を拡大しても縮小しても形が変わらない「フラクタル(自己相似性)」という概念が書かれてあります。

さて、著者の塚本さんは『非線形科学』を書きながらも、所属先だった京都大学の最終講義では、非線形科学が表沙汰で扱われる時代の終焉をほのめかしています。
今の時代、あるいはこれから、非線形という形でひとくくりのアイデンティティを持った分野、そういうものとして非線形を分ける時代は、もう終わっているのではないかと思います。非線形科学の中で出された色々なアイデアは、それぞれの個別科学の中にもぐりこんでしまい、そこでもちろん非常に意味を持っているわけですが、非線形というひとくくりでアイデンティファイできる分野はもはや消えかかっているのではないか。(2004年3月12日 京都大学での最終講義録)
塚本さんにとって『非線形科学』の執筆は、みずからの研究の集大成だったのかもしれません。そして、その集大成を広く一般の人に手にとってほしいために、あえて新書に執筆するという試みをしたのでしょう。

小難しい本を読みこなすのが好きな趣味・性格の方にとっては千載一遇の機会。また、自然界の形状やリズムが、どのような理論で説明つくか、根源的な物の理を知りたいという方も、挑戦してみる価値あり。

『非線形科学』はこちらで。
http://www.amazon.co.jp/非線形科学-集英社新書-408G-蔵本-由紀/dp/4087204081/ref=sr_1_1/250-3461571-9880240?ie=UTF8&s=books&qid=1193849301&sr=1-1
寄稿した日経ビジネスオンラインの書評はこちら。
http://business.nikkeibp.co.jp/article/life/20071026/138720/

参考ホームページ
http://www.ton.scphys.kyoto-u.ac.jp/nonlinear/kuramoto-finallecture.pdf
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12月16日(日)はサイエンス映像学会設立準備シンポジウム


おしらせです。

科学コミュニケーション関連の学会「サイエンス映像学会」が立ち上がります。科学ジャーナリスト塾の塾長・林勝彦さん(元NHKプロデューサー)や塾講師の畑祥雄さん(関西学院大学教授)らが発起人。

学会の立ち上げに備えて、(2007年)12月16日(日)には「設立準備シンポジウム」が文京区弥生の東京大学で開かれます。申し込み先着300人。

基調講演は3つ。会長就任予定の養老孟司さんが「人は何を見て考え、自然を理解したか」を、評議会議長就任予定の林成之さん(国際脳低温療法学会会長)が「1枚のCT画像から思考を解体する」を、副会長就任予定の林勝彦さんが「サイエンス映像は国境を越え教育をつなぐ」を題目に講演します。

ホームページの設立趣旨では、科学の理解増進に対する映像という媒体を「『百聞は一見にしかず』の諺に因み、高度な科学も映像を駆使して表現することでノーベル賞級の発見も原理をイメージ化できる」と捉えています。

2008年4月に正式発足予定、サイエンス映像学会のホームページはこちら。
http://svsnet.jp/
2007年12月16日(日)開催予定の「設立準備シンポジウム」のお知らせはこちら。
http://svsnet.jp/wp-content/uploads/2007/10/svsyyoyy_e.pdf(1ページ目)
http://svsnet.jp/wp-content/uploads/2007/10/svsyyoyy_ic.pdf(2ページ目)

私も何らかの形でこの学会に関わることになりそうな…。
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殺人光線の開発(4)
殺人光線の開発(1)
殺人光線の開発(2)
殺人光線の開発(3)

敗戦直後の日本には、いま考えると不思議なほどに“科学信仰”が高まっていたようです。原子力爆弾を落とされてから間もない日本。そのころの新聞・雑誌の記事からは、欧米の現代科学に対する恐怖、驚異、畏怖、畏敬、尊敬、礼賛の気持ちが入り混じっていたことが伺えます。

たとえば原子力爆弾の正体が明かされるなか、「原子力発電の実験工場を設立」という米国発外電を伝える新聞も(九州タイムズ1946年4月15日)。原子力の平和利用への道が、日本でも知られていたことになります。

「殺人光線」についても、名前はそのままで平和利用されようとしていたことが、当時の記事から見受けられます。



たとえば大阪市北区に本社のあった大阪商報社の出す雑誌『月刊仕入案内』(上図)。1949年4月号には、「コーヒーを煎る殺人光線平和版」という小見出しのもと、次の記事が載っています。


殺人光線高周波電波を平和産業の舞臺に利用することは、既にアメリカでは、倉庫もろとも倉庫内の穀物を乾燥する程度にまで發達しているそうだが、わが國でも合板製造や、繭の中のさなぎを、絹の光澤を失はぬように殺すのに使われているのを始め、ペニシリンの乾燥にも大々的に使われているが、こんど東京銀座の街中では、あるコーヒー店がコーヒーを煎るのに利用し成功を見ている。
1946年、米国のパーシー・スペンサーが、マイクロ波を出す装置マイクロトロンの試験をしていると、ポケットのピーナツ・バーが解けているのに気づきました。これがマイクロ波オーブンつまり電子レンジ開発の始まりといわれています。米国ではマイクロトロンを使い、倉庫の穀物を乾かしていたようです。倉庫といっても体育館のようなものではなく入れ物といった意味合いでしょう。
これはトリコレンジと言い、高周波の両極板の間に電氣の不良導体が入つた時、摩擦熱を起こして焼ける原理を應用したもので、これによると、コーヒーを煎るのに今迄十五分から二十分かかつたものが、僅か四分三十秒位で出来る。カフエインの失われる率も少く、豆の膨張もいいので、おいしいコーヒーが煎れるというわけ。
トリコレンジの「トリコ」が何を意味するのかは不明。「不良導体」は誘電体のことでしょうか。現在の電子レンジもマイクロ波によって分子が振動し、摩擦熱が生じて食品が温まります。日本での電子レンジ製品化は1962年のシャープ製とされていますが、その13年前にははしりが作られていたのかもしれません。
目下試作中だというが、考案者の大木、竹村兩氏の話によると、コーヒーに限らず豆類はもとより、周波数を變えればビフテキ、卵焼き、魚の油しぼりまで出来るとのことである。
殺人光線の平和利用を紹介する記事は、「高知日報」1949年2月1日付「殺人光線で香高きコーヒー 将来はタマゴ焼きも」で見られます。この記事もマイクロ波を殺人光線高周波電波と呼んでいます。つづく。
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しめきり日の設定


どの業界にもあるでしょうが、出版界には物書きと編集者との間に「しめきり日」の約束があります。

「しめきり日は何月何日でお願いします」と提案する側はもっぱら発注側の編集者。うち9割は原稿の依頼時に提案があり、1割は取材時などに物書きと編集者が会ったときに決まります。

けれども、ごくまれに例外があります。

物書き「しめきりは、いつごろでしょうか」

編集者「そうですね。いつまでに書けますか」

依頼を受けた側がしめきり日を設定する場合があります。この逆転現象は、おもに次のような状況で起きるようです。

一つ目は、それほど差し迫った編集日程ではない場合。1週間あればしあがるほどの原稿量だけれども、1か月後までに原稿ができていればよいというときです。物書きがたまたま別の仕事で手一杯ならば、無理に1週間で書くよりも、次の1週間で書いたほうがよい結果になるだろうということです。

ただ、「いつでもいい仕事は、いつまでもやらない」とか「急ぐ仕事は忙しい人に頼め」という言葉もありますし、原稿を書く身からも効果のほどは微妙な気もします。あまり深くは述べますまい。

あまり平和的でない状況が二つ目の場合です。不義理にも物書きがしめきり日を破り、再設定に迫られたときです。

編集者が「困りましたね」と言って「あと1日だけ待ちますから、かならず書いてください」と再設定する場合もあります。しかし、別のカードつまり「いつまでに書けますか」を、切りだす編集者もいます。

物書きに「何月何日までには書きますから」と言わせることにより、「これは貴方の側からいつまでにやると決めた約束なんですよ」という既成事実をつくらせて、より物書きがしめきりを守る義務感を高める効果への期待がありましょう。「依頼」ではなく「了承」です。

にもかかわらず、再設定のしめきりを破る物書きもいます。世の中、そういう人はときに「約束破り」と思われ、ときに「大物」と思われるようですね。

ある番組で、漫画家の浦沢直樹は「プロフェッショナルとは何ですか」と聞かれたとき「締め切りまでに最善の努力をする人のことじゃないかしら」と答えました。いっぽう、おなじ番組がデザイナーの鈴木成一を取りあげた回では「出版業界では有名な『締め切り破り』、それも常習犯だ」と、仕事の流儀を紹介していました。

日程のきびしい漫画の世界と比較的スケジュールを変更しやすい書籍の世界の違いこそあれ、一流どころの“しめきり観”もさまざまのようですね。

胃の痛む思いをした編集経験から、浦沢さんに一票。
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書評『質的研究の基礎』
かたい本です。でも、雑誌に寄稿にしろ、論文の執筆にしろ、「誰かに話を聞いて書く」作業をする方々にとって、この本に書かれてある方法論は大きな刺激になることでしょう。

『質的研究の基礎 グラウンデッド・セオリー開発の技法と手順 第2版』アンセルム・ストラウス、ジュリエット・コービン共著、 操華子、森岡崇共訳 医学書院 2004年 396ページ


「量」と「質」はしばしば対照的なものとして見られる。この二つから思い出される外食産業を想像すれば、やはり質と量は対極的な印象を覚えてしまうものだ。

学術的研究にあてはめたときにも、同じことがいえるだろうか。つまり、量的研究と質的研究は対照的なものなのだろうか。

自然科学の研究では量的研究は王道。研究の対象を数え上げ、他との比較のなかで仮説を検証していく。

しかし、世の事象すべてが数字で測れるわけではない。超人的な計算から相対性理論をうちたてたアインシュタインは「重要なものが数えられるものの中にあるとは限らないし、重要なものすべてを数えられるわけではない」と述べている。

研究対象となる試料が少ない分野、たとえば患者の数が限られている看護学、少数民族を相手にする文化人類学、また社会学の一部などでは、量を測る研究は成立しにくい面がある。

これらの研究者はどのように研究を進めているのだろう。

ここで登場する方法が、この本の主題「質的研究」だ。人が述べたことを綿密に分析して理論を組み立てる方法である。

質的研究のなかでも、本書は「グランデッド・セオリー」という方法を取りあげている。社会的な事象を、インタビュー、文章化、概念化、理論化といった手順を通して、集めた資料を体系化された理論にしていく。

全14章を読めば、心得という研究の始まりから、論文評価という終わりまでの質的研究の流れを把握することができる。

自然科学の量的研究に目を奪われがちな評者にとっては、この本で示された質的研究の方法はとても斬新だった。ドラッグ経験のある若者に対するインタビューを題材にした研究の具体例では、その若者が発した一文一文の単語に事細かを吟味して、それらから共通の概念を括りだすといった作業を行っている。言葉へのこだわり方に驚くばかり。

ただ、質的研究を理解するうえで「この部分の説明をもっとわかりやすくしてほしい」と感じる箇所もあった。

1点目は、「特性」と「次元」という言葉を説明した第8章。特性と次元との関係性が解説や具体例からは読みとりづらい。後のページに補足的に、特性とは、「色」でいえば「色調」や「彩度」や「色相」であり、次元とは色調における「深い〜軽い」、彩度における「強い〜弱い」、色相における「明るい〜暗い」という説明がある。これを中心にした説明のほうが理解しやすかっただろう。

2点目は第9章。「理論の構築にとって非常に重要」と著者も述べている「軸足コード化」という作業を説明する箇所だ。とくに、この説明で登場するサブカテゴリーという言葉の意味と、サブカテゴリーが軸足コード化においてどのような役割を果たすのか、といった点が直感的に理解しがたいものだった。

学問の世界では、質的研究者と量的研究者は、自身の愛すべき方法を擁護するためからか、おたがいが敵対的な関係になっている分野もあるという。しかし、著者はこう述べる。

「大切なことは、質的なデータが量的分析に影響を与えたりその逆だったりと、両タイプの手順を組み合わせ、その中で両タイプの方法論の間を行き来しあうことが可能であるということなのだ」

著者の記述からは、質的研究を認知させて研究の主流にさせようとする意図ではなく、理論を構築するための手だてを提供するという意図で書かれていることがうかがえる。

量的研究に浸っている科学研究者などにとっても、知的刺激を大きく受ける本となることだろう。

『質的研究の基礎 第2版』はこちらで。
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とつぜん火が出る。


山火事の原因に自然発火が多いことは知られていますね。木が倒れるときの摩擦熱などが原因となっているようです。

山火事だけではありません。聞いたり調べたりすると、身近な生活のなかにも火が出る要因はかなり多く潜んでいます。

そもそも、「火が出る」こと、つまり「発火」とはどのような現象なのでしょう。燃える性質のものに熱を加えていきます。ものが熱を外に逃してやるスピードよりも、熱が発生するスピードのほうが上回ると火がつきます。加熱している時間、まわりの空気の状態などによって、発火する温度もかなり変わってくるようです。

学校では、学期末の大掃除などに床にワックスをかけますね。乾いた布切れで拭くと床に磨きがかかります。そのとき使い終わった布切れから火が出て火事になったという事故が起こっています。

これは、ワックスの成分である油が酸化により熱を出し、布切れが蓄熱を助けたためにおこるものとされています。ワックスに火が付く温度は200度くらいといわれています。

また、「火が出る」といえば、「爆発」という現象も見逃せません。爆発は圧力の急な発生または解放により、気体が急に膨張する現象。

テロ組織が仕掛けるばかりが爆発ではありません。けっこう条件や材料が揃えば身のまわりで突然的な爆発は確実に起きるのです。

その材料とは粉。マグネシウムや炭素などのほかに、コーンスターチさらには砂糖などの食材も爆発をまねく粉となるようです。空気中に飛んでいる粉の量が一定水準を超え、そこに酸素と着火エネルギーの2つの要素が追いうちをかけることによって爆発は起こります。日本で炭坑が栄えていたころ、炭の粉が充満して爆発事故につながったという場合がありました。

こうした爆発を防ぐために、どれだけ粉が飛んでいてそのときの着火エネルギーはどの程度になるかを調べる機械、さらには爆発する粉を回収する機械まで売られています。

とつぜん訪れる火。目の当たりにしたときの恐怖は、いかばかりのものか…。理科の先生がつくったとおぼしき次のホームページでは、実験による粉塵爆発の映像をいくつか見ることができます。生徒の驚きの声が生々しいですよ。
http://www15.plala.or.jp/katya/hunnjinnbakuhatu.html

かつてアントニオ猪木は、試合前に味方レスラー星野勘太郎に張り手をかましたことがあります。星野が「先発は俺がやるから。猪木さんは控えていろって」と強く猪木を制したために、「闘魂」が燃えるための温度を超えてしまったようです。人体も自然に発火することがあり、その原因は不明といわれていますが、このときのアントニオ猪木の発火については、だれの目からも原因が特定できました。
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天才数学者を追う


(2007年10月)22日のNHKスペシャルは「100年の難問はなぜ解けたのか〜天才数学者 失踪の謎〜」という企画でした。

天才数学者とはロシアのグリゴリ・ペレリマンのこと。彼は、ポアンカレ予想という数学の100年以上にわたる難問を解いたあとに、世間から姿を消してしまいました。「ポアンカレ予想の証明」と「証明した数学者の失踪劇」という、二つの謎説きに迫った番組でした。

予想の証明についてはペレリマンによってすでになされていることですから、抽象的な数学の考え方をいかに映像にしていくかが問われます。この点、番組はいたるところに工夫が見られました。

たとえばポアンカレ予想を解くために有効と信じられていた位相幾何学という概念を、コーヒーカップなどがドーナツ型へと変わっていくコンピュータグラフィックを使ってうまく表現していました。3次元と2次元の違いを遊園地のコースターの映像(3次元)と、その影だけの映像(2次元)で説明するなども巧みな発想です。

いっぽう、ペレリマンが失踪した謎については未解決のまま。しかし、ペレリマンを含むポアンカレ予想に挑む数学者たちを多面的に追うことによって、数学者の人生をも変えてしまう数学の魔力に肉薄していました。

とりわけペレリマンはポアンカレ予想への挑戦者の中でも孤独な存在でした。多くの挑戦者がとっていたアプローチとはまったくちがう方法を使っていたからです。証明するには無理があると思われていたやや古い数学、それにペレリマンが得意であった物理学の概念。この二つを駆使してペレリマンは証明をしたのです。その孤独さたるや、いかばかりのものか。

最後の場面では、知人の数学者が「ペレリマンが興味をもっていることがあると伝えてきた」と証言しています。「それが数学かどうかわからないが」。

ひょっとしたらペレリマンは数学における別の未解決問題にすでに着手しているのかもしれない、そんな示唆をあたえる終わり方でした。

NHKが特集番組で数学ドキュメンタリー番組を扱った前例はあるでしょうか。挑戦的かつ完成度の高い番組でした。

NHKスペシャル「100年の難問はなぜ解けたのか〜天才数学者 失踪の謎〜」の番組紹介はこちら。
http://www.nhk.or.jp/special/onair/071022.html
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殺人光線の開発(3)
殺人光線の開発(1)
殺人光線の開発(2)

なぜ、海軍は殺人光線の開発を実行しようと考えるに至ったのでしょうか。これには、こんな「偶然」があったといいます。

ある日のこと。海軍技術廠島田分室でマイクロ波の発振実験が行なわれていました。すると、たまたまその近く留められていた航空機のエンジンが動かなくなってしまったというのです。どうやら電磁波によって電気系統が狂ってしまったようです。

戦局は悪くなっていくばかり。海軍は、この偶発的な出来事に目を着けました。そして、日本軍にとってはあまりにも理想的すぎる次のような仮想実験を行なったようです。

地上から、マイクロ波を巨大な出力にして空に放ちます。空の彼方から飛んでくる飛行体は米軍のB29。巨大なマイクロ波が命中すれば、パイロットの操縦はきかなくなり、つぎつぎとB29は墜落するのではないか。海軍の間では、マイクロ波の巨大な束はまさに殺人光線。開発への期待が高まっていたようです。


米国軍戦略爆撃機B29

風呂に浸かっていた朝永は冷静でした。これまで積んできた知見から、マイクロ波を遠い対象を狙って放ったとしても、波は散り散りになってしまうということにすぐに気がついたのです。

また一説では、殺人光線にさらに強烈な力を期待している者もいたようです。マイクロ波によって敵機の電気系統を乱すだけでなく、エンジンを放電させて焼き壊してしまうという発想まであったようです。

当時の島田分室の様子を垣間見れる資料の数々を見ていると、海軍の開発者に対する過度な期待と、科学者たちの適度な現実視との間にはかなりの温度差があったようです。

殺人光線は、日本の最終兵器という位置づけだったこともわかります。開発が始まったころ、日本軍はすでにミッドウェー海戦で大敗を喫するなどしており、敗色が濃厚になっていたのです。

結局、日本の科学者たちは原子爆弾も殺人光線の完成させることなく、米国の科学者たちが開発した原子爆弾を広島と長崎に落とされ、1945年8月15日の敗戦を迎えます。ちなみに島田には前月の7月26日に原爆の外形を模した「模擬原爆」が落とされ、44人の命が奪われています。

敗戦にともない、殺人光線の計画もこれにて終焉。土台無理のあった計画は、語り草になるのみ…。そう考えてしまいそうですが、じつは「殺人光線」という言葉自体は敗戦後しばらくしてからも新聞・雑誌で使われつづけていたようです。戦争で敗れた日本において、いったい何のためにでしょう。つづく。
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「猛暑日」「準惑星」などが新たに収録。


『広辞苑』が10年ぶりの改訂。来2008年1月に「第6版」が発売されます。

出版社の岩波書店では、改訂版の特色として、「漢字・難読語一覧」や「アルファベット略語」などの別冊化、また、専門家執筆陣による解説の書き改めやデータの更新などを謳っています。

やはり気になるのは、1万の新掲載語。同社は「10万の候補項目の中から,現代生活に必須の1万語を厳選して新たに収録しました」と解説しています。

すでに発表されている新掲載語の中から、科学技術関連の語をいくつか見ていきましょう。

「認知症」や「統合失調症」といった、時代の流れとともに変わっていった病名の新しい呼び名が載ることになります。逆に考えると、これらの言葉は10年前には、まだ『広辞苑』に載るほど認知されていなかったということになりますね。

最近になって使われるようになった言葉としては、「猛暑日」や「準惑星」なども掲載されます。冥王星の新しい分類の呼び名には「矮惑星」などの候補も上げられていましたが、日本学術会議は「準惑星」という表記を推奨しています。

発表された新掲載語の中で「自然・人間」という分類に「六甲颪(おろし)」が載っている点は、ちょっと洒落が効いていますね。「(1)六甲山地から吹き下りてくる風。(2)プロ野球、阪神タイガースの球団歌の通称」などといった記載になるのでしょうか。

発表された新掲載語の一部を見るかぎりは、やはり科学や技術に関する言葉が多くを占めているようです。他の分野に比べて、どれだけ科学や技術の分野から新しい言葉や概念が生まれているかがうかがえます。

岩波書店『広辞苑』第6版のお知らせはこちら。
http://www.iwanami.co.jp/moreinfo/0801210/

余談。天下の『広辞苑』といえども、意味の間違いがあるようで、過去にはこんな記述もあったそうです。「【谷間】谷と谷のあいだ」。一瞬、正しそうに見えますね。
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“新潟発”の科学雑誌


きょう(2007年10月22日)、東京・内幸町のプレスレンタービルで、新潟大学名誉教授・藤田恒夫さんの講演会が開かれました。日本科学技術ジャーナリスト会議の「科学ジャーナリスト賞」を受けての講演です。

藤田さんは内分泌学や顕微解剖学を専門とする研究者。とともに『ミクロスコピア』という科学雑誌の編集長でもあります。“新潟発”の科学雑誌として、1984年に創刊。今年で23年目となります。

東京一極集中が激しい出版界。科学雑誌も例外ではありません。藤田さんは地方からの情報の発信をあえてしつづけてきました。

「裏日本でよい研究をしても、なかなか光は当たらない。新潟の人を掘り出して照明を当てようではないか」

雑誌の寄稿者にはどのような人物がいるのでしょう。たとえば、新潟大学の酒泉満教授。メダカの性決定遺伝子を発見し、完全な性転換に初めて成功した研究者です。2003年には「性を決定づけるメダカの遺伝子」、2007年には「遺伝子導入による『完全なる』性転換が初めて出来ました」という記事で『ミクロスコピア』に研究成果を発表しています。

他にも1999年から2006年にかけて「カエルの目から」という連載を続けてきた新潟大学の岩澤久彰教授(同年5月にお亡くなりになっています)。1990年から現在も「グルメ百話」という連載をつづけている長岡赤十字病院の江部達夫医師などなど…。

寄稿者は新潟の研究者だけではありません。ただ一環している点は、「東京の人たちが見る目を失っている」ような人物や話題を取りあげるということ。

「光が当たらない」研究とともに、「光が当たらなくなった」研究があるという事実も藤田さんは示しました。事情により話題にすることさえ禁忌となっている研究があり、かつその研究を続ける科学者もいるということです。

たとえば、1993年には日本大学医学部の名誉教授だった広瀬貞雄という研究者が『ミクロスコピア』に「ロボトミーの歴史と共に歩む」という記事を寄稿しています。ロボトミーとは、かつて行なわれていた前頭葉という脳の部分を壊して神経を切断する手術。精神病を治すとされ、手術開発者には1949年にノーベル賞まで贈られました。しかし、手術を受けた患者の人格がしばしば変わってしまうなど問題視され、いまでは世界的にロボトミー手術は禁止されています。

「あえてタブーに挑戦している研究を、積極的に報わせたい気持ちはあります」

会場からの「現在は被験者の人権がより尊重されるようになっている」との指摘に対しては「タブーになったのはなぜか、検証さえできない状況がある」と答えました。「立派な成果といわれた研究が突然に否定されてしまう」。そうした状況になった研究者に、発表や表現の場を提供することも意識しているようです。

じつは現在は東京在住。しかし、“新潟発”の『ミクロスコピア』の編集・発刊はこれからも続けていく予定。“大都市発”の情報に対する強いアンチテーゼの象徴なのでしょう。 

「いろいろなことが書けるのは、5千部くらいの雑誌だからでしょう。少ない部数なりの力はあるものですよ」

『ミクロスコピア』のホームページはこちら。
http://www6.ocn.ne.jp/~micros/
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エジソンの望みを叶える。


エジソンが発明した電球のフィラメント(電流が流れて光が放たれる細い繊維)には、京都産の竹が使われていました。八幡市の男山の竹林が、その産地です。

トーマス・エジソンは1879年の今日10月21日、発明した白熱電球を一般にお披露目したと言われています。

そのとき、電球に使われていたフィラメント(電流を流して、光を放たせる繊維)に使われていた材料は炭化物でした。
※当初、記事には「そのとき、電球に使われていたフィラメント(電流を流して、光を放たせる繊維)に使われていた材料は竹でした。」と記しましたが、これは誤りでした。Hさんよりご指摘いただきました。

発明にあたり、材料としてなにが最適か、エジソンは6千種類もの材料を用意して試していたといいます。中でも比較的よい成績をあげていたの材料が竹でした。持っていた日本製の扇子から竹を削って炭にし、それで電球を灯してみたのです。長時間にわたり、光は照りつづけました。

竹がよさそうだと考えたエジソン。質の高い竹を安定的に供給することが必要と考えました。しかし、自分の脚で竹を探しに行くには、世界は広すぎたのでしょう。エジソンは、助手だったウィリアム・ムーアという探検家に遠征をさせたのです。

ムーアはニュージャージー州ラスウェイの出身。1880年にニューヨークを離れ、竹探しの旅に出ます。

日本に来るとムーアは、そのときの首相・伊藤博文や外相・山県有朋らと面会をしました。彼らからは「竹を探しているのであれば京都を目指しなさい」と言われました。

京都に着くとムーアは第2代京都府知事・植村正直とも面会を果たします。今度は植村から「八幡か嵯峨野の竹がよいでしょう」という助言を受けました。

ムーアのとった足取りは、何も京都への旅だけだったわけではありません。最良の竹を探しに、中国にも脚を踏み入れています。採取した竹は何千種類にもおよぶと言われています。その中で、もっとも適っていた竹が、石清水八幡宮のある男山で採取された竹だったわけです。その竹は50日間にもわたり灯り続けたといいます。

エジソンからの命を果たしたムーア。1885年にはエジソンから「きみの中国と日本での竹さがしの旅は、とても満足のいくものでした。私が求めていたどうりのものを見つけてくれましたね」と手紙をもらったそうです。

「発明は1%のひらめきと99%の努力からなる」とはエジソンの有名な言葉。この「99%の努力」は、自らのものだけでなく、自分を支えてくれる協力者たちの努力も混じっているのかもしれません。
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殺人光線の開発(2)
殺人光線の開発(1)

朝永振一郎をはじめとする科学者たちは、海軍技術廠島田分室に集められそれぞれの研究を行っていたものの、海軍の狙いは何であるのか、その心意は把握できていなかったようです。

そんな中、朝永振一郎は仁科芳雄から「海軍の本音は、米軍のパイロットをねらった殺人光線を開発することにあるらしいぞ」と耳打ちされました。「ゼット計画という名前まで付いている」。

ここで朝永は首を傾げました。「しかし、その殺人光線がマイクロ波を使ったものだとしたら、実現は難しいのではないか」

朝永のこの懸念はどういうことでしょうか。

殺人光線とよばれていた兵器。それは、現在「メーザー」とよばれている電磁波の放出原理を利用しようとしたものでした。

いくつもの電磁波が、おなじ調子で山と谷の曲線を描くと、波の強さは増幅されます。たくさんの波どうしが重なり合い、“束”になったものが「メーザー」。“Microwave Amplification by Stimulated Emission of Radiation”の頭文字“MASER”が語源です。


波の調子が重なり合うと波の強さは増幅される(左)。波の調子が打ち消し合うと波は平坦なものとなる(右)。

1文字目の“M”は「マイクロ波」の頭文字。電磁波のなかでも、波長100マイクロメートルから1メートルの波長のことを指します。衛星放送の電波、気象観測のレーダー、そして電子レンジなどはすべて、このマイクロ波の波長の範囲のなかにあります。

似た言葉に「レーザー」があります。あるいはこちらのほうが耳慣れているかもしれません。レーザーとメーザーでは、対象となっている電磁波の波長が異なるのみで原理は同じです。レーザーの波長は可視光線の範囲となるため、波が束ねられて光線になっているということです。

将来メーザーとよばれることになる、このマイクロ波の束を、どのように殺人光線として武器にしようとしていたのか。ここでも「偶然」というものが歴史の脇役を演じたのです。つづく。
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デリーの「カシミールカレー」(レトルト)――カレーまみれのアネクドート(2)


街のカレー店が企画したり監修したりしたレトルトカレーが一時期、流行りましたね。

けれども、店で食べた味がレトルトでも再現されているかというと、かならずしもさにあらず。「こんな味ではなかったのに」と、辛い点数をつけることがしばしば。

でも、「デリー」のレトルトは期待をうらぎりません。

創業は1956(昭和31)年。東京・湯島の春日通りに面したお店に、「カレーハウス・デリー」の看板が掲げられました。創業者の田中敏夫がインドで長年の研鑽を積んだ後のことです。

その後、上野店のほかにもレストランを増やしていく中で、1980(昭和55)年、デリーは埼玉県児玉郡にカレー工場を立てて、レトルトカレーに力を入れはじめます。

トマトベースのベンガルカレーとサラサラのデリーカレーは辛さの星1つ。タマネギのコクがきくコルマカレーは星2つ。デリーカレーに辛さを加えたインドカレーは星3つ。そして極辛のカシミールカレーは飛んで5つ星の辛さになります。

なかでもデリーが「人気ナンバーワン」と謳っているのが、カシミールカレー。茶色い箱の色と同様のルウの色の濃さ。

上野店で出されるカレーは、ルウに加えてじゃがいもと鶏肉が入っています。いっぽうのレトルトはといえばルウのみ。けれどもルウの味は、店もレトルトも変わりません。じゃがいもや鶏肉を買って鍋に加えれば、店で味わうカレーを食卓でほぼ再現できるのです。

ルウをご飯にかけると、すうっとルウがご飯の中に吸い込まれていきます。ご飯、じゃがいも、鶏肉、これらすべてにバランスよく、サラサラしたルウになじみます。そして、やはり辛い。

お店のカレーのレトルト版。その草分け的存在は、忠実に店の味を再現。マニアにも評価の高いルウです。

「インド・パキスタン料理デリー カシミールカレー」はこちらで。
http://shop.delhi.co.jp/goods_detail.php?goodsIdx=11

2007年に「ランク王国」という番組で放送された「お取り寄せカレー売り上げ」で、カシミールカレーは第1位に輝いています。
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殺人光線の開発(1)
第二次世界大戦中、米国では科学者たちが集まって原子力爆弾の開発を進めていました。「マンハッタン計画」という名がついていますがこれは戦争時の暗号名。研究開発の現場はニューメキシコ州ロスアラモスにありました。

戦争のために科学者たちが動員された国は米国だけではありません。日本でも原子爆弾開発の筋道は議論されていました。理化学研究所の仁科芳雄が中心となり、研究開発が行なわれていたのです。こちらの暗号名はニシナの「ニ」をとって「ニ号研究」とよばれていました。

戦時中の日本では、もう一つ、科学者たちを動員して開発されようとしていた戦争兵器があります。

その兵器は「殺人光線」とよばれていました。

現在の静岡県の島田市は戦争当時、人口3万人足らずの小さな町だったといいます。この町に1943年「海軍技術廠島田分室」という研究施設が開かれました。現在の東海パルプの施設の中に置かれたもの。ここが、殺人光線の開発現場となります。

島田分室には、日本の代表的な科学者たちが駆り出されました。たとえば2001年に亡くなった宇宙物理学者の小田稔もその一人。東京帝国大学でウランの分離装置の計算をしていると、所属する研究室の親分だった菊池正士から「この計算は、ちょうどいま海軍が一生懸命やりかけている強力な磁電管、マグネトロンの計算にも使えるから海軍の研究所に行かないか」と勧められました。小田は自身が島田分室に出向いた理由をそう証言しています。



また、戦後ノーベル物理学賞をとることになる朝永振一郎(絵)も、この島田分室におもむき研究開発に参加した科学者でした。当時、朝永は東京帝国大学(いまの東京大学)の講師でもありました。

島田市に泊まり込んで研究をしていた朝永。島田分室では電極から電磁波が出てくる現象のしくみを理論的に解明しようとしていたといいます。疲れた体を癒すため風呂に入っていると、おなじく島田分室に出向いていた仁科芳雄から、湯けむりの中、こんな噂話を聞き受けます。

「海軍の本音は、米軍のパイロットをねらった殺人光線を開発することにあるらしいぞ」。つづく。
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「科学者」といえば誰?
通っている大学院の授業で「『科学者』と聞いて思い浮かぶ人物はだれか」という話題になりました。学生からはアインシュタイン、ダーウィン、キュリー夫人、白川英樹などの名前が…。

授業でけっこう盛り上がったこの話題に刺激を受けて、次のような試みをしてみました。

「インターネットのイメージ検索で、[科学者]と入れてみて上位100位までにどんな人物が出てくるか調べる。[Scientist]でも入れてみて調べる」

グーグルのイメージ検索を使いました。出てきた人物が誰だか特定できなかったり、関係のない絵などが出てきたりしたものはのぞきます。

まずは[科学者]の結果から。



1位。国立感染症研究所の元所員・荒井英雄
3位。アルバート・アインシュタイン(1879年-1955年)。
4位。アルバート・アインシュタイン
7位。イタリアの自然哲学者ガリレオ・ガリレイ(ユリウス暦1564年-グレゴリオ暦1642年)。
8位。「現代物理学の父」と称される元理化学研究所所長・仁科芳雄(1890年-1951年)。
9位。英国の数学者バートランド・ラッセル(1872年-1970年)とアルバート・アインシュタイン

19位。アルバート・アインシュタイン

25位。自然化粧医学会・井上浩郷代表取締役社長。
29位。日本電気・関本忠弘元社長。

32位。2005年度文部科学大臣表彰「若手科学者賞」を受賞した、名古屋大学大学院工学研究科・川瀬晃道教授と西澤典彦准教授。
33位。NHKのディレクター“辰巳さん”
37位。古代ギリシャの哲学者アリストテレス(前384年-前322年)。
38位。元京都帝国大学教授、東芝技術本部長で、探検家でもある西堀榮三郎(1903年-1989年)。

53位。古代エジプトの王・ツタンカーメン(紀元前1342年頃-紀元前1324年頃)。
54位。東京大学大学院総合文化研究科広域化学専攻・藤垣裕子准教授。
58位。2005年末のヒト胚性肝細胞捏造事件が発覚した韓国の黄禹錫教授。

67位。米国ペンシルヴァニア州立大学の歴史学教授で『科学史から消された女性たち』『女性を弄ぶ博物学』を著したロンダ・シービンガー
68位。“キュリー夫人”ことマリ・キュリー(1867年-1934年)。
69位。自然科学研究機構・志村令郎機構長。

84位。ジェームズ・ワトソンにDNAのX線写真をこっそり見られた、英国の結晶学者ロザリンド・フランクリン(1920年-1958年)。

98位。博物学社・菌類学者の南方熊楠(1867年-1941年)。
99位。ドイツの衛生学者で、「10億個のコレラ菌をみずから飲んだ」とされるマックス・ヨセフ・フォン・ペッテンコーフェル(1818年-1901年)。

幅広い顔ぶれとなりました。

[Scientist]でも、イメージ検索。



11位。米国オークリッジにある国立研究所「Y-12国家安全複合体」の主任研究者にこのたび指名されたジョン・レッキー
13位。イスラムの科学者・哲学者として知られているイブン・シーナー(980年-1037年)。

21位。2003年から英国ダートマス大学で職に就いたマリー・コーチ博士と、医学部3年生のジャミ・ベシック
23位。米国のフットボール球団ヒューストン・テキサンズでチア・リーダーをつとめてもいる、25歳のロケット研究者サマー・ウィリアムズ
25位。米国立海洋大気圏局の行政官で、元副海将のコンラッド・C・ローテンバッカー博士。

36位。“悪魔科学者”の役割を演じるアーロン・ウェバー

40位。英国の化学者ジョン・ドルトン(1766年-1844年)。
41位。アルバート・アインシュタイン(1879年-1955年)。
42位。日本の理化学研究所感染免疫応答研究チームの石戸聡青木雅美植松未香後藤栄治中村湖之美星野真理松木洋平水戸麻理

55位。ドイツ自然科学者アカデミーの会員ロニ・アローニ

64位。“How a Scientist Changed the Way We Think”を上梓した英国生物学者リチャード・ドーキンス
65位。2003年から英国ダートマス大学で職に就いたマリー・コーチ博士と、医学部3年生のジャミ・ベシック(再掲)。
66位。日本の理化学研究所励起子工学研究チームの客員研究員で、東北大学大学院理学研究科の岩長祐伸
67位。米国リハイ大学の終身職を放棄したセオドア・ハプナー

74位。イタリア国立認知科学技術研究所で人工生命などを研究しているステファノ・ノルフィ博士。
75位。英国サセックス大学でロボットの社会的協調などを研究しているエセキエル・ディ・パオロ博士。
76位。ビッグバンを最初に主張した米国物理学者ジョージ・ガモフ

90位。2005年末のヒト胚性肝細胞捏造事件が発覚した韓国の黄禹錫教授。
92位。インドのニューデリーで開催された国際電波科学連合総会でヤング・サイエンティスト賞を受賞したルイス・ロドリゲス

100位。2007年ノーベル化学賞を受賞したドイツのマックス・プランク研究所のゲルハルト・エルトゥル

有名な人物から、はじめて聞くような人物までじつにさまざま。イメージ検索は日々移ろうものなので、断定的なことはなにもいえませんが、[科学者]と入れたときに「アインシュタイン」が4回も出てきた結果は特筆に値するかもしれません。いっぽう[Scientist]のほうでは、複数回名前が挙げられたのは、チアリーダー兼ロケット研究者のサマー・ウィリアムズのみ。アインシュタインが出てきた回数は1回でした。

なぜ[科学者]ではアインシュタインが多く拾われたのでしょう。そこには「科学者に一般人とは別格」というイメージと「アインシュタインといえば人間ばなれした理論と風貌をもった人物」といった日本人の連想パターンがあるのかもしれません。かくいう私も、授業では「科学者といえばアインシュタイン」と答えた口です。

みなさんは「科学者」といえば誰の顔が思い浮かびますか。

現在の「科学者」のイメージ検索結果はこちら。
http://images.google.com/images?client=safari&rls=ja-jp&q=科学者&ie=UTF-8&oe=UTF-8&um=1&sa=N&tab=wi
おなじく「Scientist」のイメージ検索結果はこちら。
http://images.google.com/images?svnum=10&um=1&hl=ja&client=safari&rls=ja-jp&q=Scientist&btnG=イメージ検索
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10月27日は「地上をはなれて星を見る」


催し物のおしらせです。案内の絵はがきをもらいました。

(2007年)10月27日(土)は、国立天文台三鷹キャンパスの特別公開日。「地上をはなれて星を見る」と題していろいろな催し物が行われます。

ふだんの日も市民に施設を公開している国立天文台。この日はスタンプラリーや質問コーナーなども行われます。

また特別企画として、先月14日に打ち上げられた月周回衛星「かぐや」について、天文台RISE推進室の佐々木晶教授が講演。

「かぐや」は、月をまわる探査機。宇宙航空研究開発機構が打ち上げましたが、搭載された15観測機器のうち、月の地形を把握する「レーザー高度計」と、超長基線干渉計という新型の機器を使って電波望遠鏡の役割を担う「子衛星」2機については、国立天文台も加わり開発したもの。

ほかにも、太陽観測衛星「ひので」プロジェクトのコマネージャー常田佐久教授が、明らかになりつつある新しい太陽像についての講演をしたり、X線を使った宇宙観測をつづけている天文衛星「すざく」のしくみや、宇宙構造の発見の成果などを、首都大学東京の大橋隆哉が講演したりします。

さらに、おなじ三鷹キャンパス内では、東京大学天文学教育研究センター、総合研究大学院大学、天文台が協力して准教授や助教などの若い天文学者が中心となって展示会や講演会を行います。

10月27日、国立天文台三鷹キャンパス特別公開「地上をはなれて星を見る」のおしらせはこちら。
http://www.nao.ac.jp/open-day/index.html
同時開催の、東京大学天文学教育研究センター、総合研究大学院大学、国立天文台の合同特別公開のおしらせはこちら。
http://www.ioa.s.u-tokyo.ac.jp/openhouse/2007/
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続・泉岳寺トンネル(4)
続・泉岳寺トンネル(1)
続・泉岳寺トンネル(2)
続・泉岳寺トンネル(3)
泉岳寺トンネル(1)



天井までの高さ1.7メートルの泉岳寺トンネル。上はJRの線路が走り、下は水道管などの供給管が埋まっているため、天地を広げられません。

地面の供給管はトンネルをつくるときに地下深くに埋めることもできたはず。でも、そうなりませんでした。

これも理由ありなのか、港区の職員に聞いてみると、こんな答が。

「水路を埋め立てた当時の日本人の平均身長が165センチぐらいだったということで、いまの高さになっているのです」

大正時代の日本人男性の平均身長は1.65メートル。現在の1.72メートルにくらべると7センチほど低かったことになります。天井までの高さが1.7メートルあれば、平均的な体格の人は背をかがめることなく通れたのです。

時代背景としてもうひとつ。戦前のトンネルの形式  当時は掘削作業が大変だったのでしょう。汽車や車がぎりぎり通れる高さや幅で掘られていました。泉岳寺トンネルは掘削とは逆に水路の地面部を埋め立ててつくられたもの。しかし「トンネルとは高さや幅ぎりぎりに造られるもの」が当然なら、泉岳寺トンネルも人の通れるぎりぎりの高さにしてもおかしくはありません。

時代背景から、泉岳寺トンネルの天井の低さも、故なしとなりません。今後も天井の低さは保たれそうです。

街はつねに新陳代謝していくもの。しかし、なんらかの理由により、新陳代謝できない場所もあります。泉岳寺トンネルは、時代に取り残された場所のひとつといえるでしょう。(了)
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皇居周辺をランナーが埋め尽くす。


東京のランニングの中心地といえば皇居外周。桜田門から馬場先門、竹橋へと向かい坂道へ。北の丸から半蔵門を過ぎると、あとはなだらかな下り。ふたたび桜田門へと戻る、約5キロの道のりです。

きょう(2007年10月14日)、皇居外周を走る出版健康保険組合のロードレース大会が行われました。昨年まで勤めていた出版社の社員たちから誘いを受けて1年ぶりに皇居まで応援に行くことに。

きょう目の当たりにした光景は、桜田門の広場を埋め尽くす人、人、人。ランナーは人をかきわけて走るといった状況でした。

大会の参加人数も急増。とりわけ際立っていたのが女性参加者の増加です。昨年は40人程度だった大会登録者が、今年は約80人と倍増。

参加者に話を聞いてみると、流行の背景がいくつかあるようです。

まず、NHKの番組『趣味悠々 増田明美のウオーキング & ジョギング入門』を見て、走り出す人が増えたということ。この番組は、今年の4月から5月にかけて放送されていたものです。

また、2月に行われた「東京マラソン」の効果も大いに考えられます。いろいろな報道番組で、一般参加者の女性たちが走る姿が取りあげられていました。

さらに、今年のヒット商品番付上位入り確実の「ビリー・ザ・ブートキャンプ」に見られる運動ダイエットの流行も影響しているでしょう。「ビリー」とランニングを組み合わせる人、あえて「ビリー」を選ばずに走る道を選んだ人、「ビリー」の成果を屋外で試す人、などなど。

流行を受けてか見込んでか、2月には皇居から走って10分と好位置の銀座に「アシックスストア東京」が開店。シャワー室や更衣室があり、利用者は銀座から走り出して皇居を一周し、ふたたび銀座へと戻ってくるようです。これまで皇居ランナーの着替えの場といえばもっぱら銭湯。お店は、走りたかった人たちにとって、またとない拠点となっているのでしょう。

さて、今年の大会の女性上位入賞者の時間は20分前後でした。日本最高記録は福士加代子選手の14分53秒、世界記録はエチオピアのメセレト・デファー選手の14分24秒です。

東京マラソンの参加、今年も抽選ではずれました。
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平和賞受賞のゴア氏、今後の注目は…。


米国のアル・ゴア元副大統領と、国連の気候変動に関する政府間パネルが、今年2007年のノーベル平和賞に選ばれました。

ゴア氏による映画と書籍『不都合な真実』が世界的な反響を呼び、地球温暖化問題がさらに深刻視されてきたご時世、今回の賞は時にかなったものでした。

ゴア氏の出身国であり活動拠点でもある米国では、ゴア氏の受賞をどのように捉えているのでしょうか。全米の「三大紙」とよばれる新聞紙の記事から、論調を見てみます

シカゴトリビューンは13日付で「科学はゴアの推測を支持」という見出しの記事を掲載。
科学者たちの中にも残っていた「人間の活動が地球温暖化にどれほど影響があるのか」という疑問は、ここ何年かのうちにほぼ払拭された。ゴア氏が映画『不都合な真実』で説いている内容には若干の欠陥もあるが、大多数の専門家は「地球が、危険をはらんだ温暖化への道を歩みはじめており、温室効果ガスの放出が鍵の役割を担っている」という最重要点の指摘は正しいものだとしている。
「若干の欠陥」として記事が取りあげている点は、2005年に米国を襲ったハリケーン「カトリーナ」と地球温暖化との関係性の示唆など。取材を受けたマサチューセッツ工科大学の気象学者は「いくぶん誇張されている」としています。しかしながら、全体的にはゴア氏の活動に賞讃をしています。

ニューヨークタイムズは、13日付でゴア氏の政界復帰、とりわけ大統領選挙への出馬の可能性を取沙汰にしています。「賞により、大統領の座への再活動に関わらず、ゴア氏の正当性は立証された」という見出しです。
現下の注目は、ノーベル平和賞を受賞したことにより彼が得た高い名声と注目をもとに、氏がどのような行動をとるのかだ。その答えは「もう一つの冒険である大統領への道にゴア氏は肯定も否定もしないだろう。だが、民主党内での環境問題政策におけるより強い勢力になろうとしているのではという思索は付いてまわる」といったもののようだ。
2000年の大統領選挙では、わずかな得票差でブッシュ氏に破れたゴア氏。しかし大統領選挙への再出馬には否定的ではという関係者の声を記事では拾っています。

ワシントンポストも13日付で「ゴア氏の受賞は地球温暖化に焦点を当てる」という見出しの記事を掲載。
ゴア氏の10年間の活動により、世界中が「人類が態度を早急に変えなければ、地球温暖化がこの惑星を滅ぼす」ということに耳を傾け、信じることとなった。しかし、ゴア前副大統領と気候変動に関する政府間パネルへのノーベル平和賞が決まって以降、ゴア氏は簡単な声明を出すにとどまり、「地球という惑星の危機」に対する「事業に復帰する」ための大統領への道については言及を避けている。
こうして見ると、米国の新聞の関心はもはやゴア氏の政界への復帰にあるようですね。ノーベル賞の中でも、科学の3賞よりもまして、平和賞には政治に近い位置にあるということを象徴しているようです。

紹介した各記事は、以下で見ることができます(英文)。

シカゴトリビューン
http://www.chicagotribune.com/news/nationworld/chi-gore-scienceoct13,1,5559471.story?ctrack=1&cset=true
ニューヨークタイムズ
http://www.nytimes.com/2007/10/13/us/politics/13gore.html?ref=world
ワシントンポスト
http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2007/10/13/AR2007101300284.html
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擬声語を薬に。


日本語は外国語にくらべて、擬音語や擬態語などの「擬声語」の語彙が豊かと聞いたことがあります。

擬音語は、実際の音をまねたもので、「わんわん」や「かあかあ」など。擬態語は、耳で聞こえてくる以外の感覚印象をことばにしたもので、「かちかち」や「ふらふら」など。

日本語を学ぶ外国人にとって擬声語の数々は、覚えるのにけっこう苦労する言葉たちのようです。でも、日本人にとっては、「さらさら」と聞けば清流を思い出したり、「じめじめ」と聞けば梅雨時を思い出したりと、感覚としてすっと入ってきやすいですね。

これらの擬声語を大いに利用している企業の一つが放送広告でおなじみの小林製薬。

もうがまんしなくてもいいんです「ガスピタン」。

泡で傷口を洗浄・消毒する「キズアワワ」。

シート1枚でツルツル&ピカピカにする爪磨き両面シート「爪ピカッシュ」。

気になる「耳なり」を改善する「ナリピタン」。

扁桃炎・扁桃周囲炎に「のどぬーるガラゴック」。

日焼け後の痛み・ほてりに「ヒリピタクール」。

想像力をかき立てる商品の数々ですね。

たとえば「キズアワワ」。「あわわ」は辞書の意味では「口に手を当てながらアワワと声を出すこと」など。傷口を泡であてがうと、傷口あたりがアワワワワとなりばい菌が逃げていくような像が思い浮かんできます。

また、「のどぬーるガラゴック」。液剤を喉に行き渡らせてがらがらとうがいしたあとに、ごくっと飲み込むという、薬の使い方の一部始終がむだなく表現されていますね。

小林製薬の広報は、企業からの取材にたいして、製品名は「製品コンセプトをぎゅっと凝縮させた結晶」と答えています。「覚えやすい、親しみがある、リズム感がある、シンプルなどの要素、あるいは意味性、語感性、視覚性のポイントを満たすものです」

たしかに擬声語を使うほかにも鎮静剤の「イララック」や、むくみを緩和する「ムックミン」などの語呂のいい薬が並んでいます。

小林製薬の製品名のおもしろさに気づき、評価している人は多いもよう。掲示板の2ちゃんねるにも「小林製薬を見習え」や「【商品名】小林製薬【おもしろすぎ】」といった板がつぎつぎと立てられています。また、「たぐいまれなるネーミングセンス」という副題の付いた小林製薬の愛好サイトなどもあります。

大衆薬として、気どらずに受け入れられることを目指した商品開発の徹底ぶりが感じられますね。

小林製薬の製品情報はこちらで。
http://www.kobayashi.co.jp/seihin/index.html

ちなみに、小林製薬の企業標語は「“あったらいいな”をカタチにする」。この標語は普通っぽいですね。
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続・泉岳寺トンネル(3)
続・泉岳寺トンネル(1)
続・泉岳寺トンネル(2)
泉岳寺トンネル(1)



東京都港区の高輪2丁目と港南1丁目を結ぶ「泉岳寺トンネル」。最大の特徴は、天井までの低さです。

入口の近くにある標識に掲げられている車の高さ制限は「1.5メートル」。もちろん、この高さ(というか低さ)は、すこし余裕を見てのもの。トンネルの高輪1丁目側にある、天井がもっとも低いところでも1.7メートルはあります。



それにしても普通のトンネルに比べて天井が低いのはたしか。

なぜ泉岳寺トンネルはこうも低いのか。昨2006年の連載では、「この付近が海抜0メートルに近いため、地面をこれ以上深くすると、すぐに水が入ってきてしまうからだと思います。頭上は頭上で、JRが走っているので、そう簡単に天井を高くすることはできません。このような理由により、制限高1.5メートルという、難関のトンネルが成立しているのだと考えます」と推論を立てました。

港区役所の芝浦港南地区総合支所の職員から、この点についても回答をもらいました。

まず、上の説が正しいかどうか。天井を高くすることができない理由は、説のとおりでした。JRの線路が走っているので、天井を高くすることは容易ではないようです。

いっぽう、海抜0メートルに近いため、地面をこれ以上深くするとすぐに水が入ってきてしまうという切に着いては否定的でした。海抜が0メートルに近いとはいえ、近所の海に接した場所はちゃんと護岸工事がされているので、海水でトンネルが浸かるような心配はないだろうとのこと。

では、少なからぬ歩行者が「このトンネル、低いのはなぜ」と、首を傾げながら歩いているというのに、地面を深くしない理由は何なのでしょう。

「現在の路面のすぐ下には、下水道管や水道管などの各種の管が埋設されているため、地面を下げることができないのです」。これが港区の回答でした。天井側に線路が敷かれているのと同様、地面にも供給管が何本も敷かれているため、にっちもさっちもいかないようです。

けれども、まだ疑問は残されます。水道などの供給管を道路の下に埋めるとき、なぜもう少し低いところに埋めなかったのか、という疑問です。あと1回だけ、つづく。
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10月10日は「晴れの特異日」か
1964(昭和39)年の東京オリンピック開会式は10月10日。開会式の日をこの日に決めた理由は「晴れの特異日」だったからといわれています。

そういわれると、これまでなんとなく10月10日は晴れが多かった気になってきます。でも、いろいろと調べてみると「10月10日は晴れの特異日といわれるが、それほどでもない」といった話も多く聞こえてきます。

国語辞典をいくつか見てみても、「特異日」の例に10月10日はあがっていません。もっぱら11月3日の文化の日が例にあがっていです。

ものはためし。1977年から2006年までの「10月10日」と「11月3日」の東京の日照時間を調べて、前後の日とくらべてみましょう。数値は気象庁ホームページ「気象統計情報」の「過去の気象データ検索」で得られます。



前後の日との比較では、10月10日の平均日照時間はおよそ30分ほど長く、11月3日のほうはあまり変わりません。これを見るかぎり、10月10日のほうが11月3日よりも「おお、今日は晴れだな」と感じる機会は多そうです。

けれども、10月10日と11月3日を比べると、11月3日のほうが平均日照時間は長く、その差はおよそ65分にもなります。冬至に近い11月のほうが10月より「昼」の時間は短いという不利な条件があるにも関わらず。

いちおうの結論は、「狭い視野で見れば10月10日は特異日といわれる資格をもっているが、広い視野で見ればそうともいえない」といったところでしょう。

「特異日」は、まったくの偶然なのでしょうか。表を見ると、そうともいえなさそうです。たとえば11月初旬の「ある日」は、梅雨時6月下旬の「ある日」よりも、晴れやすいでしょう。つまり「よく晴れる日」は晴れやすい時期という、もともとの有利な条件の中に置かれているということです。

きょう、東京は午後から晴れました。あなたの地元では晴れましたか。

気象庁の気象統計情報はこちら。
http://www.jma.go.jp/jma/menu/report.html
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『週刊東洋経済』の大学特集2007


秋は、なにかと「大学」が熱くなる季節です。「イノベーション・ジャパン」という大学の展示会も行われますし、各大学では学園祭も開かれますし。

経済週刊誌などの雑誌も、この季節にこぞって大学特集を組みます。

きょう(2007年10月9日)発売の『週刊東洋経済』は「本当に強い大学2007」という特大号。このなかで、「大学に淘汰を促す競争的資金とは何か」という記事を寄せました。

競争的資金とは、大学や大学の教員が研究成果や業績などをアピールして獲得する研究費のこと。政府などがこの研究費を、アピールがとおった大学や教員にあたえます。

年々、大学の予算の中で競争的資金のしめる割合は高くなってきています。

競争的資金のほかに、国立大学には毎年、運営費交付金という政府からの助成金が与えられています。大学の規模などによって一律に割り当てられている予算です。

しかし、2004年に国立大学が独立行政法人化され、政府は各国立大学に経営の効率化を迫っているため、運営費交付金は毎年1%ずつ削られています。

競争的資金の割合が増えていくいっぽうで、一律的・平等的資金の割合が減っていきます。大学にはどのような影響が起きるのでしょうか。取材して2ページの記事にまとめました。大学の未来について興味のある方はお読みください。

他の記事も「特大号」というだけあって、大学の総合的な実力を準位づけした「日本の大学トップ100」や、東京大学の改革に疑問を呈した「大学改革の象徴・東大は世界のトップに立てるのか」といった記事も充実しています。

『週刊東洋経済』の2007年大学特集の中吊り広告縮小版はこちら。
http://www.toyokeizai.co.jp/mag/toyo/2007/1013/tsuri.html
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続・泉岳寺トンネル(2)
続・泉岳寺トンネル(1)
泉岳寺トンネル(1)

泉岳寺トンネルができるまでの経緯として、以前の記事「泉岳寺トンネル(6)」には「かつて運河だったところを暗渠にして、さらにそれをトンネルにしたのがいまの泉岳寺トンネルということのようです」ということを書きました。

先日、詳しい話を泉岳寺トンネルのある港区の芝浦港南地区総合支所の職員の方に取材することができました。以下は、取材により分かった事実をふくめた、経緯の整理です。

1872(明治5)年10月、新橋と横浜の間に鉄道が開通しました。ちなみに、品川と横浜の間はこの年5月には開通していて仮営業をはじめています。

鉄道は、いまの東海道線とおなじ位置を走っているものの、このいったいは当時は海だったために鉄道は海に土手を盛って敷かれたのです。このころの鉄道のようすを、三代・歌川広重が『東京高輪海岸蒸気機関車鉄道ノ図』という浮世絵にしています(下の図)。



さて、港区役所の話を総合すると、この浮世絵の中に泉岳寺トンネルの成り立ちに関わる重要な鍵を見つけることができます。

浮世絵の左端を見てみます。すると、内海と外海とをつなぐ水路があり、その上に橋が架かっているのがわかります。鉄道が開通したころの地図でも、この水路の部分を見ることができます(下の図)。港区の話では、これは「海が分断されないように、内水を排出するための水路」との説明。



大正時代に入ると、内海だった部分は埋め立てられることになりました。その埋め立てにともない、この水路も半分だけ埋め立てられました。この部分が、いまの泉岳寺トンネルにあたるところになるのです。

水路の半分は、埋め立てらずに水路のかたちのまま残されました。この水路は、じつはいまでもトンネルの品川駅側の脇にちゃんと残っていて、高輪2丁目側のトンネル入口あたりの道から覗くことができます(下の写真)。ただし、車道のすぐ横に立たなければならないので注意が必要です。



前の連載で書いた「かつて運河だったところを暗渠にして」という推測は、「かつて内海と外海をつないでいた水路の半分を埋めたてて」という記述が正解だったようです。そして「運河だったところ」は、いまも水路として残されているわけです。

もうひとつ推測の域を出ていなかった天井までの低さの理由についても、港区から話を聞くことができました。つづく。
| - | 13:03 | comments(0) | -
177年目、英国の科学祭


このブログで、ワークショップ講義の記事などを書かせてもらっている毎日新聞記者の元村有希子さんはいま英国に滞在中。ロンドン大学インペリアルカレッジで科学コミュニケーションを学んでいるとのことです。

「科学を媒介として、専門家と市民、専門家同士や市民同士がどうすれば上手にコミュニケーションできるか、実践例を見つつ考えたいと思います」(日本科学技術ジャーナリスト会議あてのあいさつ)

きょう(2007年10月7日)毎日新聞朝刊に、「理系白書」の番外編として、「英の科学フェスティバル 工夫重ね活況」という記事が載っています。英国ヨーク市からの「科学祭」の現地報告。

英国中を巡回して開かれているこの祭は、176年前の1831年に同市で第1回が行われました。このころの日本はといえば、まだ「天保の飢饉」も「大塩の乱」も起きていないころ。伊勢まいりが流行していたようです。

英国でも1990年代、狂牛病への不安などがあり、科学者と市民との間の対話の重要性が再認識され、科学祭の内容も専門的なものから科学コミュニケーション色の強いものに変わってきているようです。

参加登録者の4割は科学と関係ない仕事をもつ市民、また6割が女性からの申し込みだったそうです。

古くから科学理解への“土壌”があることと、科学者側からの市民や報道への働きかけをつづけていることの両方により好循環があるのでしょう。

元村さんは、来2008年秋ごろ日本での原職に戻る予定とのことです。

毎日新聞理系白書の記事「英の科学フェスティバル 工夫重ね活況」はこちら。

http://mainichi.jp/select/science/news/20071007ddm016040172000c.html

記事で元村さんとともに署名が出ている押尾真理子さんは、早稲田大学大学院科学技術ジャーナリスト養成プログラムの学生(私の同期生)。英国留学中にインターンシップで記事づくりをしました。
| - | 23:57 | comments(0) | -
だれが書いた文、だれでも書く文


書いた文字の筆跡を鑑定して書いた人を探り当てる方法は、事件の捜査などで使われていますね。

似たように、その人が書いた文の“くせ”などを調べて書いた人を探り方法もあります。

ウィリアム・シェークスピアの“正体”を突きとめようとした調査がよく知られています。シェークスピアの正体は、じつは哲学者フランシス・ベーコンだったという説がかつてあがっていました。この説の真偽は、シェークスピアの作品とベーコンの作品に使われている単語の字数の平均を求めることによって調べられたのです。

たとえばシェークスピアの“To be, or not to be: that is the question:”(生きるか死ぬか、それが問題だ)と、ベーコンの“Good fame is like fire.”(名声とは炎のようなもの)という文。使われている単語の平均字数はそれぞれ2.9字と3.6字。また、2字の単語が10個中8個使われている点と、4字の単語が5個中4個使われているといった違いもあります。

トマス・メンデンホールという物理学者が、ふたりの数々の作品における1単語の長さを比べていくことによって、シェークスピアとベーコンは別人という結論を出したのでした(戯曲と哲学では比べものにならないという反論もあがっているというけれど)。

さて、「この文を書いた人は誰々らしい」という文の傾向による筆者の特定方法があるいっぽうで、さらにもう一段上には「誰だってこのような文を書く」という普遍的な法則もあるといいます。

ジョージ・ジップという言語学者は、文学作品に使われる単語の登場頻度に目を付けました。たとえば、英語の文には“the”や“a”などの冠詞はしょっちゅう出てきますが、“floccinaucinihilipilification”(価値がないとみなすこと)といった単語はめったに出てきません。

ジップはいろいろな文学作品で、一番多く出てくる単語の登場個数、二番目に多く出てくる単語の登場個数、三番目、四番目…と並べていきました。

すると、ほぼどの作品をとってみても、二番目に多く出てくる単語は一番目の半分の多さになり、三番目に多い単語は二番目の半分の多さになるといった、累乗を逆にした比例関係がなりたっていることを見つけたのでした。

時田恵一郎という統計物理学者によれば、シェークスピアの戯曲集も、ダーウィンの『種の起原』も、ミルトンの『失楽園』も、ウェルズの『タイムマシーン』も、だいたい同じグラフの傾きが得られるそうです。

人々の書きかたの個性も、大きな括りでみれば普遍性にしばられているということでしょう。

シェークスピアの全作品が電子化された、マサチューセッツ工科大学の“The Complete Works of William Shakespeare”はこちら。
http://shakespeare.mit.edu/
| - | 23:59 | comments(0) | -
イグ・ノーベル賞2007


ことしもこの季節がやってまいりました。2007年イグ・ノーベル賞の授与式が、米国ハーバード大学で行われました。

今年は10個の研究業績に対して賞が送られています。受賞理由などを見てみましょう。

医学賞。ブライアン・ウィットコムとダン・メイヤーによる「刀を飲みこむ行為の副作用についての報告」に。

物理学賞。L.マハデバンとエンリケ・セルダ・ヴィラブランカによる「敷布のしわ模様についての研究」に。

生物学賞。ジョアンナ・E.M.H.フォン・ブロンスウィックによる「寝床で発見された、だに、虫、蜘蛛、カニムシ、細菌、藻、羊歯の個体数調査」に。

化学賞。山本麻由による「牛のふんから『バニリン』というバニラ香料を抽出する研究」に。

言語学賞。ジャン・マニュエル・トロ、ジョセフ・トロバロン、ヌリア・セバスチャン・ギャレスによる「ネズミは逆から読まれた日本語とオランダ語を区別することができないことの証明」に。

文学賞。グレンダ・ブローネによる「限定冠詞“the”と、それをアルファベット順にしたときの問題の起き方の研究」に。

平和賞。米空軍ライト研究所による「敵兵どうしが性的に引かれある作用をもつ化学兵器“ゲイ爆弾”の計画」に。

栄養学賞。ブライアン・ワンシンクによる「底なしスープボウルを使って、人は食べ物を与えられれば与えられるほど食べることを示した実験」に。

経済学賞。クー・チャン・シーによる「銀行強盗に網を落とす装置の特許」に。

航空学。パトリシア・アゴスティーノ、サンティアゴ・プラノ、ディエゴ・ゴロンベックによる「バイアグラを投与されたハムスターの時差ぼけ解消時間の短縮効果の発見」に。

以上、10賞でした。

化学賞で、日本人の山本麻由さんが受賞したことは日本の新聞などでもさっそく報じられていますね。26歳の若い研究者のようで、今後、注目をあびるかもしれません。

べつの受賞研究からひとつ。栄養学賞の受賞者はイリノイ大学アーバナ・シャンペーン校の研究者です。こんな実験をしました。

54人の被験者を体格指数(BMI)によって分け、半分の27人にはふつうのボウルでスープを食してもらい、もういっぽうの27人にはスープが増えていくしかけのボールでスープを食してもらい、食後にどれくらい食欲が満たされたか、その満足度を聞きました。

スープが増えていくボールのほうの人は、ふつうのボウルのほうの人よりも73%多くスープを食しました。113キロカロリーも多く摂ったことにはなりますが、ふつうのボールのほうの人との満足度はなんら変わらなかったそうです。また体格指数(BMI)と満足度にも相関関係は見られませんでした。

皿の上に食べものがあればあるほど、人は食べるという説を補強する実験となったようです。

この結果については、かなりまっとうなものという気もしますが、やはり「底なしのボウル」の仕組みがどのようなものであるのかは興味あるところ。そしてそんなボウルでスープを食してみたいところ…。

イグ・ノーベル賞のホームページはこちら(英文)。
http://www.improb.com/
| - | 23:59 | comments(0) | -
”語り手”の出し加減
取材して得られた内容を記事にするとき、“語り手”をどこまで出すのがいいか考えることがあります。

たとえば、講演会で科学者が驚くべき内容の発言をしたとき。

「○○教授の発言に、聞いていた私は度肝を抜かれた」と書くか、「○○教授の発言に、会場は騒然とした空気に包まれた」と書くか。

これは、“署名記事”として記者の名前が見出し横に載るか、名前が載らずに(誰だかわからないが)ある何者かが書いた記事として扱われるか、といったことにも左右されます。すくなくとも、記者名の載らない記事で、「私は何々と思った」とは書くことはありません。

ほかにも、取材対象者の声をどのくらい引き立てるかとか、読者が求めているものはなにかとか、自分を出すかどうかを考える要素はさまざま。人々が集まるなかでの自分の立ち振る舞い方と似ていますね。

文章指南書の受け売りですが、大切なのは、ひとつの原稿の範囲内では、書き手と書かれる内容との“距離”を一定に保つことでしょう。客観的な調子の情景描写がたんたんと続くなかで、「困ったものだ」などといった主観的な表現が挿入されていると、「お前は誰なんだ」と、読者の混乱を招きかねません。

ところで。外の景色は明るくなり、雀や烏が鳴きはじめた。困ったものだ。
| - | 23:59 | comments(0) | -
「以上」と「以下」、「未満」と…


近くのスーパーマーケットで「自動給水所」の列に並んでいたときのこと。

水をもらっていた女性客が手提げ袋の中から容器をもう1個、取り出しました。どうやら連続で水をもらうつもりのようです。

けれども給水機には「混雑時、連続2回以上の給水はご遠慮ください」の注意書きが。

すかさず順番待ちの男性客が、声をかけます。こんなやりとりが。

「すいません、みんな並んでいますので、もう一度並んでください」

「え、いけませんか。貼り紙にあるじゃないですか。2回まではいいって」

「“2回以上”は“2回”を含みます。つまり連続2回の給水はいけないことになります」

女性客は「ちーっ(しくじった)」と言わんばかりの顔つき。まわりで並んでいた客たちから、男性客に賛同する意を示す相づちが打たれると、多勢に無勢。列に並ばず帰っていきました。

『広辞苑』によると、「以上」の「以」は、「時・所などの基点を示す」意味があるので、“2回以上”は、“2回”を基点にし、それをふくんで上、といったことになるでしょう。

「以上」「以下」に関係して、「未満」という言葉もありますね。これは、字義からも「その数に達しないこと」という意味とわかります。

では「未満」の逆は…。

『大辞林』には「超過」の2つめの意味で「ある数、ある量より多いこと。その数、その量は含まれない。←→未満」とあります。「未満」の逆の言葉のようです。

外来語の「オーバー」も同じような意味になるでしょうか。「定員オーバー」といえば、「50人中50人」は含まれませんし。

「混雑時、連続2回超過の給水はご遠慮ください」
または
「混雑時、連続2回オーバーの給水はご遠慮ください」

こう貼り紙に書いてあれば、あの女性客もすくわれたかもしれません。

でも、なんのことだかよくわかりません。
| - | 23:59 | comments(0) | -
文字起こし


取材で話してくれる研究者たちの声を録音しておき、原稿を書くまでにその声を文字にします。「文字起こし」とか「テープ起こし」とかよばれる作業。

まわりの物書きさんたちに聞いてみると、記事を書くまえに声の文字起こしをしている人はだいたい半分ぐらいといった感じ。

早送り再生で文字に起こせるような人はべつとして、取材時間(だいたい1時間から1時間30分)以上の時間が作業にかかるのだから、まあ大変です。

でも、「エピタキシャル結晶」だとか、「オオバヤシブシ」だとか、専門用語がつぎつぎ出てきたり、数字が多く出てきたりする取材では、やはり音声起こしに頼る度合いが強くなります。科学関係の取材ではとくにその度合いが強いかもしれませんね。

シリアルバスの付いた機器で声を録音。コンピュータにつないで声を再生。頭は音声起こしモードに入ります。

コンピュータの関係(マッキントッシュとウィンドウズ・メディア・プレーヤー)から、私の場合は音の再生速度を変えることができません。横着せず、ソフトを仕入れたりすればたぶん可能なのだろうけれど。

はじめのうちは等倍速で付いていけるのですが、指が疲れてくるとうちまちがいも増えてきます。

ひんぱんに出てきて、打つのが辛いのは「われわれ」。関係するローマ字のキーが左側に集まっています。私の場合、薬指・小指で「わ」、中指・中指で「れ」と打つので、使うのは左手の脇役的な指3本のみ。「われわれ」がうまくいったからといって気を抜くと、その次の助詞で引っかかることもありますね。「われわれふぁ」になったり。

すると、いちいち再生を止めなければならないので時間のむだ。

また、疲れてくると文字起こしのペースが遅くなっていきます。こうなると、いったん聞いてはちょっとだけソフトの“針”を戻しの繰り返しに。もっとも、文字起こしの専門職には、再生と巻き戻しを足もとのペダルを踏むことでできる機器を使っている人もいるとか。オルガンのようですね。

文字起こしは大変ですが、原稿を書く上ではやっぱりやっておいたほうがいいと思う点はほかにもあります。原稿を書く前にブレインストーミングをしますが、音声起こしをすると頭に浮かんでくる事柄はやはり多くなります。10個思い浮かんだうちの5個を書くよりも、20個思い浮かんだうちの5個を書くほうが、より厳選されたことを書くことになります。でも、そのちがいは「滲み出てくるもの」としかいいようがありません。

また、原稿を書いている途中でも、「こんなことも話していたよな」と、文字起こしを見ることができれば、例をもう一つ増やして“肉付け”をするこができます。

おもしろい取材では、その臨場感をふたたび味わうことができます。一同が大爆笑だった瞬間をふたたび聞くと、やはり一人でも笑ってしまいますし。

と、自分に言い聞かせて、もうひとふんばり。

キー打ちでは「漆原」もよく引っかってしまいます。「鵜rスヒアhら」とか「売るアヒアhッラ」とか「裏鵜h氏腹¥」とかになったり…。
| - | 23:59 | comments(0) | -
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