科学技術のアネクドート

続・泉岳寺トンネル(1)


昨2006年の5月から6月にかけて、「泉岳寺トンネル」というお題の記事を書きました。東京都港区のJR線高架下を貫く、長細く天井が低い“ガード下”についての話です。

このたび「泉岳寺トンネル」についてふたたび取材をしたところ、新たな情報などを得ることができました。昨年の連載で書いた「天井の低さ」の理由などについては、書いたことをすこし改める必要が出てきました。

そこで、このたびの取材でわかった新事実などを整理してみたいと思います。

まずは、昨年の話のおさらいを。

港区高輪2丁目と港南1丁目の間にはJRの線路が何本も通っています。その線路の下には、通称「泉岳寺トンネル」といわれる歩道と一方通行道路を合わせたガード下の道路が貫かれています。

このトンネルは「天井までが低い」という点が大きな特徴で、トンネルの入口には「制限高1.5メートル」といった注意書きまでされてあります。身長170センチ以上の人は、首を傾げたり猫背になったりして通らなければなりません。また、タクシーの広告塔も天井にすれるほどです。

天井までが低い理由を、古地図などから探りました。JRの線路が走る一帯は、大正時代まで海であり、東海道線は海の上に築かれた盛り土の上を走っていることがわかりました。

さらに昭和の戦前の地図を見てみると、トンネルのある位置には運河のような掘り割りとなっていることもわかりました。


1934(昭和9)年『東京市芝区地籍図』色線部がいまのトンネルの位置

こうした古地図から、「かつて運河だったところを暗渠にして、さらにそれをトンネルにしたのがいまの泉岳寺トンネルということのようです」という結論を出しました。

そして、天井までが低い理由については、天井側は鉄道の線路が走っているので天井を高くすることはままならず、地面側はこの付近の海抜が低いため「地面をこれ以上深くすると、すぐに水が入ってきてしまうからだと思います」という推測を立てました。

さて、これらの推測は正しかったのかどうか。港区役所の職員の方に話を聞く機会がありました。つづく。
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国立健康・栄養研究所の一般公開


きょう(2007年9月29日)、東京都新宿区にある国立健康・栄養研究所で施設の一般公開がありました。

この研究所は「国民の健康の保持・増進及び栄養・食生活に関する調査・研究を行うことにより、公衆衛生の向上及び増進を図る」機関。

たてもののなかには運動する人の健康状態がどのように変わっていくかを調べたりするためのプールや、部屋のなかで生活をしながら酸素や二酸化炭素の出入りからどれだけ人が熱量を使うかをしらべる密閉室などもあります。

栄養情報担当者協会理事の渡辺肇子さんが「サプリメントのよりよい取り入れ方」を講演。「栄養情報担当者」とは、健康・栄養食品についての正しい情報を消費者に提供する職業。健康・栄養研究所が認めている公的資格です。

渡辺さんは「食品」の分類を紹介。国が健康の保持増進効果を認めた食品が「保健機能食品」であり、さらに「特定保健用食品(特保)」と「保健機能食品」にわかれます。

国が認める以外にも健康食品の種類は、「健康補助食品」とか「栄養補助食品」などいろいろとあり、お題になっている「サプリメント」もそれらのうちのひとつ。たとえばダイエットをするにしても、体の環境をうまく整えてからのほうが効果的。サプリメントはそうした体内調整の役割を担っているそうです。

また病気の予防について、ちかごろでは健康診断で病気を早く見つけて早く治療するほかに、病気の原因をもとから断つ1次予防や病気が起きたあとの回復訓練といった3次予防をふくめた考え方になってきているとの話。

聞きにきた人からは、「特定保健用食品と保健機能食品の線引きがわかりにくい」などの消費者としての声も。たしかに、健康食品の種類を示すことばには、「栄養」「健康」「補助」「機能」「食品」などがいろいろと混ざっていますね。

専門家の話を市民が聞き、市民が何を感じているのかを専門家が聞く、といった対話こそが、こうした一般公開の意義でしょう。

国立健康・栄養研究所のホームページはこちら。
http://www.nih.go.jp/eiken/

ちなみに。お知らせには「栄養のバランスを配慮した昼食を販売しています」とあったので食べてみることに。

威勢のよい調理師が「あいよっ。カレーライス一丁」といって皿を出してくれました。

「栄養にいいんですね」と聞くと、「まあ、とりわけそういうことを考えてはないですけどねっ」とのこと。もともとカレーは栄養のバランスがとれているということか…。
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相互同期と強制同期
物と物がおたがいに及ぼしあう作用とはふしぎなもの。いっぽうの物が繰り返しの運動をしていると、もういっぽうの物がその繰り返し運動に歩みをあわせるようになり、おたがいの律動がぴったり合うようなことがあります。

これを科学では「同期」とよぶのだそう。そして、同期にはふたつの種類があります。

ひとつは、似たような二つの物がおたがいの歩調を調整しあいながら同期するもの。こうした同期のしかたを「相互同期」といいます。

たとえば同期の現象を明らかにした物理学者のひとりクリスチャン・ホイヘンス(蘭、1629-1695)は、みずからこしらえたふたつの振り子時計を壁に並べてかけていると、だんだんと二つの律動が揃ってくることに気づきました。壁を伝わる細かい力が、たがいを同期させていたようです。

いっぽう、おたがいの関係が対等でない同期のしかたを「強制同期」といいます。たとえば、生物には体内時計が刻み込まれているといいますね。これは太陽が昇っては沈むといった、24時間の絶対的な律動があるために、それぞれの生き物がそれに合わせているというもの。

相互同期と強制同期。よく考えてみたら、私たち人と人との間でも、なんだか似たようなことがいえるような気がしてきました。

相互同期は、たがいがたがいを見上げたり見下げたりすることなく、つりあいのとれた間がらで歩調があっていくような人間関係です。ため口を聞きあう友どうしが心をおなじにしていったり、幼なじみが結婚してにたものどうしになったり。

いっぽう強制同期は、ある頑なな生活をしていたり、強い指導力を発揮しているような絶対的な行動の持ち主に、そうでない別の人がすいよせられていくような人間関係です。巨人の監督だった長嶋茂雄がベンチでうなづくと、ヘッドコーチをしていた原辰則も同期してうなづいていました。

自然界で相互同期と強制同期のどちらが多いかを調べたことはありませんが、人間界では強制同期のほうが多いような気がしますね。そもそも、対等に思いあえる関係はそれほど多くないような。地位だけを見るなら、会社では同期の数よりも上司または部下の数のほうが圧倒的に多いですし。

自然の話を人間社会にもってくるときにむずかしい点は、人間社会の話には人の心が入り込むということ。まわりの人からは「あの二人は同期している」と思えることでも、じつはどちらかがとり繕っていたりする場合もあるかもしれません。

いずれにしても、自分が「あの人とは同期できる」と思える人は大切でありがい存在でしょう。
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映像作品をつくる


いまだ通っている大学院の映像実習の課題のため、映像作品をつくりました。

作品といっても、わずか3分間のたわいないもの。このブログで昨2006年に連載した「泉岳寺トンネル」の映像版です。取材によって天井までの低さの理由について新たな事実もえられたので、このブログでもまたおって紹介します。

映像作品づくりには、アップルコンピュータの「アイ・ムービー」を使いました。マッキントッシュに標準的についているもので初心者向けのソフトです。

「作るのも公開するのもあっという間」とはアップル社の宣伝文句。使ってみると、そのことばに違わず、けっこうさくさくとつくることができました(つくり終えてからの保存のしかたなどはかなり手間取ったけれど)。

“作業台”となるコンピュータ画面上には3本の“レーン”があります。このレーンに、撮ってきた映像や、走査して取り込んだ地図の画像、また、語りの音声などといった要素を“置いて”ゆきます。

置いていった組み合わせはどのような見え方をするか、とちゅうの段階までのものを簡単に“試し見”することができます。

それで「映像がむだに長いな」とか「説明がさっきと重なっているな」とか、そう思ったところをどんどんと“刈り込んで”ゆきます。“レーン”に要素を置いていく作業と、“試し見”の作業の繰り返しですね。

原稿を書くということと、映像作品をつくるということ。そのちがいは大きなものでした。

「いつかこんな効果音をテレビで聞いたことがあるな」とか、「そういえばあの番組でこんな見せ方をしていたよな」といった音や絵の記憶が、大きな参考材料になりました。いってしまえば題材を変えた模倣ですね。

もちろん文字で原稿を書くときも、だれかが書いていた期の聞いたことばなどを、べつの題材のなかで含ませるといったことはよくあること。けれども記憶の中の引き出しは映像のほうが数が多いことを実感。

目に鮮明に焼きついているからか、はたまた、文字に触れている時間よりも映像に触れている時間のほうが多いからか…。映像が人にあたえる影響の強さを感じてしまいます。

アップルコンピュータ社の「アイ・ムービー」のホームページはこちら。
http://www.apple.com/jp/ilife/imovie/
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どこで読書


どんなところで本を読みますか。

2003年にインターネット調査会社のマイボイスコが行った調査では、「主にどんなところで本を読むことが多いですか」という質問に、「居間」と答えた人が49%、「寝室」と答えた人が48%で、この二つが上位2位を占めています(複数回答可能)。

図書館で本を読むという人もいるでしょう。けれども、図書館での本読みは意外と少ないようで、上の調査では「図書館」という答えはありませんでした。べつの調査では、図書館を訪れたときに館内に居つづける時間は平均10分前後という結果もありました。

3番目に多かったのが「電車・バスの中」の41%。携帯電話を手にしている人が増えたものの、読書をしている人もあいかわらずいますね。

「電車の中での読書は意外と集中することができる」という話はよく聞かれるもの。これにはおそらく二つの理由があるのでしょう。

ひとつは、すこし周りがざわざわとしているほうが、かえって集中力を高めるといった効果。身のまわりに、気づかないまたは気にならないほどの雑音があるほうがかえって集中力は高まるといった効果は脳科学などでもいわれているようですし。

もうひとつ、通勤・通学のときに電車のなかで本を読んでいる人は、それが習慣化している場合が多いでしょう。いつもとおなじ環境のなかでの、いつもとおなじ行為は心が落ちつくもの。仕事だと「おなじ環境おなじ行為」は、過誤のもとになることもあるでしょうが、本読みであればその心配もまずなし。読む本やページも日々、変わっていきます。その程度の変化もよく作用するのでしょう。

私は、読むべき本がたまっている場合、2、3冊を風呂場にもちこんでぬるま湯につかりながら読みます。1冊目に対する集中力がとぎれてきたら、ちょっと水を飲んでひと休みしてから2冊目へ。さらに場合によっては3冊目…。

小説とノンフィクションだったり、純文学と科学だったり、まったく種類や分野が異なるもののほうが気分転換の効果はあるのでしょうが、これは読むべき本の巡り合せによりけり…。

参考ホームページ
http://www.myvoice.co.jp/biz/surveys/6003/index.html
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お札の図柄を雑誌に載せたい。


雑誌の記事づくりで、お札の図柄を載せる必要が出てきたために、決まりごとがあるのかどうか財務省の通貨企画調整室という部署に電話をしました。

雑誌に壱萬円札の図柄を載せたいのですが。

「通貨を模造してはいけないという法律があり、ほんものの紙幣と見まちがえられるような紛らわしい図案をしてはいけないということになっています」と担当者。

はあ…、と受話器ごしに相づちを打っていると…。

「では、どこまでが紛らわしいのかということになりますが、じつはこれは明確な線引きというのがなされているわけではないのです」と間髪入れずに説明がありました。たぶん、こうした問合せの電話は毎週のようにかかってくるのでしょう。

「つまり、警察が『これは紛らわしい』と判断したら逮捕されることになります」

はあ…。

「ですのでおたく様の責任で紛らわしくないという判断で掲載していただくしかありません」

はあ…。

「ただし、だれが見てもほんものではないことをしめす方法として一般的には、お札の図柄の表面に“見本”ということばを入れたり、斜線を入れたりといったことはよくなされているようですね」

本などでたまに見かける“見本”はつまりそういうことだったのですね。

「財務省のホームページでも、お札の図案を載せたコーナーがありまして、そこでも『見本』と入れています。ただ、警察に紛らわしいと判断されたら、私どもも捕まってしまう可能性はありますけれども」

ほんものと見まちがえるようなお札の図柄をつくってはいけないことが書かれてある法律は「通貨及証券模造取締法」というもの。
第一条 貨幣、政府発行紙幣、銀行紙幣、兌換銀行券、国債証券及地方債証券ニ紛ハシキ外観ヲ有スルモノヲ製造シ又ハ販売スルコトヲ得ス
最後の「得ス」は「えず」。つまり「やってはいけない」ということ。「紛らわしいものを作ったり売ったりして得する」ではありません。これを破ると…。
第二条 前条ニ違反シタル者ハ一月以上三年以下ノ重禁錮ニ処シ五円以上五十円以下ノ罰金ヲ附加ス
このほか、条文はあと二つしかありません。なんと112年前の1895(明治28)年に成立してからというもの改正されていないようです。もっとも処罰に関係する刑法は改められて「重禁錮」は「懲役」になり、「五円以上五十円以下ノ罰金」は無しとなっています。

ちなみに財務省ホームページにある紙幣の見本はこちら。
http://www.mof.go.jp/jouhou/sonota/kokko/kk160810.htm

参考にしたからといって、ぜったいに逮捕されないとはいいきれません。だからといって参考にしない手はありません。
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メーヤウ早稲田店の「インド風チキンカレー」――カレーまみれのアネクドート(1)


「もう二度と食べるものか」

ものすごく辛いものを食べるときにはいつも、こう思うもの。けれども、また月日が経つと、むしょうにまた食べたくなります。これだからカレーはやめられません。

地下鉄早稲田駅から通りを高田馬場方面に歩くと、馬場下町の交差点。右に曲がれば早稲田大学の西早稲田キャンパス。左に曲がれば戸山キャンパス。左に曲がったすぐのところにメーヤウ早稲田店があります。

お得な時間は14時から。タイ風とインド風あわせて5つあるカレーのうち、日替わりの1つが割引で食べられます。昼まで寝坊、授業は3限のみ、といった早大生にはもってこい。3限のおわりは14時40分です。

さて、ご飯大盛りといっしょに出されたインド風チキンカレー。見た目からは辛さは想像できないかもしれません。

ルウはご飯にかけると吸い込まれていきますが、さらさらしすぎているわけではありません。香辛料の粒が、ご飯の上に残っているのが見えます。この粒が辛さのもと…。

スプーンで3杯も口にすれば、もう口の中はひりひり。もう、たたかいです。

ご飯も水もたたかいにおいては敵役。どちらも口にすると、カレーの辛さを助長するからです。

味方だっていますよ。ルウに沈みかけたゆで卵、じゃがいも、それにとり肉です。スプーンで具を半分に割ってから口にします。舌を覆い尽くしていた刺激は、すこしだけ軽くなります。

食卓の上には、親切にも鼻紙。ルーをご飯に掛けては食べ、食べては鼻をかみのくりかえし。食べおえた皿には、鼻紙くずが何個も残されるのでした。

ふう。きょうも辛勝だった…。
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書評『社会科学系大学院生のための研究の進め方』
「論文」を辞書で引いてみると、「研究の業績や結果を書き記した文」とあります。さらに「研究」を引いてみると、「よく調べ考えて真理をきわめること」とあります。辞書どおりに考えると「論文」とは「よく調べ考えて真理をきわめたことの業績や結果を書き記した文」ということ。

その「よく調べ考え」るためにどのような方法があるかを知ることが、論文をはじめて書く人にとっての第一歩になるのでしょう。

『社会科学系大学院生のための研究の進め方 修士・博士論文を書くまえに』ダン・レメニイほか著 小樽商科大学ビジネス創造センター訳 同文舘出版 2002年 154ページ


英国のビジネススクールであるヘンリー経営大学の研究者たちが著した『ビジネスや経営を研究するということ―手順と方法の入門―』という本の翻訳。

訳者である商学の大学教員たちは、日本には「大学院向けの研究法テキストが少ない」ことを踏まえ「大学院における研究の進め方」の概略を読者に理解してもらうことをねらいとしたようだ。

章立ては「研究のスタート」「研究のプロセス」「研究の戦略と戦術」「経験的証拠を集める」「質問票の作成と測定ツール」「ケース・スタディの方法」「標本(サンプル)」「統計分析」「学位論文を書く」の9つからなる。

原著を企画する段階で4人の執筆者たちの書き方などに制約や統一事項をあまり設けなかったのだろう。各章によって、執筆者の原稿執筆に対する“質の差”のようなものを感じた。

論文づくりのために知っておいたほうがよい知識を得られる部分はある。たとえば、社会科学に関する「理論」を生み出すためには「すべての証拠について何らかの三角測量的手法を使って裏付けをとること」といった原則は、調査をしようとする人にとってのよき心がまえになるだろう。

いっぽうで、「情報技術は、社会のある部分の進歩を促しますが、多くのホワイトカラー、ブルーカラーの職を奪うことにもつながります。すなわち、知識はパワーであるがゆえに、手榴弾にもなりうるのです」といった、ちんぷんかんなくだりも経験する。

研究には理論的研究と実証的研究があるだとか、証拠には定量的なものと定性的なものがあるだとか、社会科学系の研究の進め方や論文の書き方にはどのような種類があるのかについて大まかな分類がされてある。なので、自分がどのような方法で研究をしたらよいのか、頭の整理にはなるだろう。

ただ、その分類に対して深くつっこんだ方法論が書かれてあるというわけでもない。「修士・博士論文を書く前に」とあるが、修士課程や博士課程に進んだ人ではなく、むしろこれから修士課程に進もうかどうか迷っている大学3年生、4年生あたりが、卒業論文の書き方を知る目的も合わせて読む、ぐらいのほうが向いていると思った。

『社会科学系大学院生のための研究の進め方』はこちらで。
http://www.amazon.co.jp/社会科学系大学院生のための研究の進め方?修士・博士論文を書くまえに-ダン-レメニイ/dp/4495865218/ref=sr_1_1/250-3461571-9880240?ie=UTF8&s=books&qid=1190562327&sr=1-1

本の帯には「巻末掲載 さらに学びたい人のための書籍紹介」という惹句。それぞれの書籍の短評はたしかに役に立ちそうです。ただ、こうした文言を帯で示すところに、この本の“入門らしさ”とともに“頼りなさ”を感じてしまいます。
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大胆な名前


割れものを衝撃から和らげるために使われる気泡シート。だれもが目にしたことがあることでしょう。

そして、使ったことがある方も多いことでしょう。使い方はたぶんふたつ。ひとつは割れものを包むこと。そしてもうひとつは、なんとなく気泡を指でつぶしていくこと。

気泡をひとつずつつぶしていけば、「ぷちっ。ぷちっ。ぷちっ」という切れのよい音がしますね。いっぽう、ぞうきんをしぼるように、シートを両手でねじる豪快な人もたまに見かけます。とうぜん音も「ぶーちぶちぶちぶぶちぶちぶちー」と勢いあるものに。

気泡シートは日本では複数の製造業がつくっています。それぞれの会社がつけるシートの名前もさまざま。

たとえば、1966年に米国の製造業者からシートを買い、日本で売り出した宇部フィルム(当時は宇部興産)が付けた商品名は「UBEエアーキャップ」。酒井化学という製造業では「ミナパック」という名前。なんでも包み込めるという命名者の意図が感じられます。

ただ、これらの商品名を口にしても「ああ、あれね」と思い浮かべられる人はどのくらいいるでしょう。

そうしたなか、大胆な名前の付けかたで意表をつかせるのが川上産業という会社です。

1994年に商標登録をした気泡シートは、その名も「プチプチ」。

そもそも、気泡シートは閉じ込められた空気により物が割れることを防ぐもの。気泡をぷちぷちとつぶしてしまえば、緩衝剤としての機能は低下するはず。にもかかわらず、商品名を「プチプチ」としてしまうところに、消費者の立場に立とうとする精神が感じられます。

「あなた、ちょっとあれもってきて」
「あれってなにさ」
「ほら、あの“プチプチ”しててつぶせるやつよ」

こうした会話を想像して、消費者たちにとってもっとも通じやすいことばを商品名にしたのでしょう。

さらに驚くべきことに、この企業は上に書いた“ふたつめの使い方”、つまり、なんとなく気泡シートをつぶすという使い方にも目を付けました。

その成果のひとつが「∞プチプチ」というおもちゃ。

同社は、気泡シートをつぶしたときの感覚がいつでも味わえるようなおもちゃの開発に協力。「∞プチプチ」という商品名で、玩具製造業のバンダイからきょう(2007年9月22日)発売となりました。

つぶしたときの手触りが、実際の「プチプチ」とおなじになるようなスイッチを内蔵し、また音も限りなくほんものに近づけた電子音で表現するそうです。でも、たまに叫び声のような音が出て惑わされるのだそうな…。

「プチプチ」から「∞プチプチ」。消費者のぷちぷちしたい気持ちをうまく包み込んだ結果でしょう。

「プチプチ」を作っている川上産業のホームページはこちら。
http://www.putiputi.co.jp/
「プチプチ」から生まれたおもちゃ「∞プチプチ」の商品ホームページはこちら。
http://www.asovision.com/putiputi/
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駅に柵を


時代とともに、世の中の制度や常識も変わっていくもの。たとえば、かつての国鉄では基本的にほぼすべての車両でたばこの喫煙は許されていて、親切に座席には灰皿まで付いていました。

おなじようにいまから数年たったときに、「数年前まではこんなことも行われていなかったんだ」と驚くようになっているかどうか…。鉄道関係では、駅を使うたびに気になることがあります。

それは、電車が入ってきたときのホームの客の安全性。

ちかごろは、列車に車掌が乗っていない、いわゆる「ワンマン運転」で走っている路線の駅には鉄柵やガラス扉などが設けられていますね。ただし、これはワンマン運転によって危険になることに対して、埋め合わせをするための策。

いっぽう車掌がいる路線の駅では、新しい路線を除けばあいかわらず柵は設けられていません。ホームのへりと白線の間は50センチメートルくらい。電車が入ってくるたびに、いつも「会社側も客側も、こんな短い距離でよく平気でいられるな」と思ってしまいます。快速電車などが通りすぎる駅ではとくに。

2001年1月に東京の新大久保駅でホームから転落して3人が亡くなった事故がありました。その後、JR東日本などの鉄道会社は、次のような対策をとっています。

まず、列車非常停止ボタン。例えば人がホームに落ちたことに気づいた客が黄色の箱の中の赤いボタンを押すと、走ってくる電車に危険が伝わるしくみです。

また、なにかのはずみで客がプラットホームに落ちたときにホームの下に避難できる空間を設けるなどもしています。

しかし、これらの対策に共通していえるのは、いずれも対処策であり、予防策ではないということ。人が線路に落ちてからとる方法であり、人が線路に落ちないようにする方法ではありません。

転落事故ではありませんが、昨2006年には、自殺しようとした女性と止めようとした警官が駅近くの線路でもみあいになったものの、駅のホームにあった非常列車停止ボタンは押されなかったといった例もあります。この件だけで判断することはできませんが、“対処策”の認知度はあまり高くないようです。

「失敗学」などでも、対処策よりも予防策の方がはるかに効率的といわれています。

数年後のこのブログで、「いまはむかし、2007年の時点では、安全柵がない写真をのせた記事を書いていましたたっけ」などと書いていることを祈りたいもの。
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世界でとれる4割が…


あまり目立たないけれど、使い道がいろいろあってなにかと役に立つ…。数ある元素の中でも「ヨウ素」は、そのような存在でしょう。

たとえば、うがい薬「イソジン」のおもな成分はヨウ素。ウイルスや細菌などを殺す効き目があるからです。また、写真の感光材にも使われていますし、ちかごろでは液晶テレビで に使われる偏光板にもヨウ素が使われています。ほかにも飼料に混ぜたり、色素として使ったり。

ヨウ素は、わかめやのりなどの海藻などに多く含まれています。工業用に取り出すときには、天然ガスの液体を取り出すときに生じる「鹹水(かんすい)」という塩水にから取り出します。この鹹水のなかにはヨウ素と別の元素が結びついた化合物が入っているので、酸化してヨウ素だけを取り出します。

とりだしたヨウ素の色は紫がかった黒。液体になる融点は113.5度と決まっていながらも、たいていは個体がそのまま気体になります。ドライアイスなどで見られる昇華という状態変化ですね。

薬学や工学では役立っているヨウ素。鉄や銅などの元素にくらべて、またヨウ素の仲間であるフッ素や塩素などと比べてもあまりなじみのある元素とはいえないかもしれません。

この黒っぽい結晶、どこの国から輸入されてくるのでしょう。

南米あたりのなじみのない国で大型船に積み込まれ、パナマ運河を通って地球を半周して運ばれてくるのだろう、などと勝手に思っていたのですが…。

じつをいうと、ヨウ素は私たちの足もとに眠っていました。世界で生産しているヨウ素のなんと4割は日本でつくられているのだそうです。資源の乏しい日本で、これだけの割合で天然資源がとれるとは。

しかも、日本でつくり出しているヨウ素のおよそ9割は千葉県産。千葉県といったら、私の住んでいるところではありませんか。

房総半島の地下には、シルトという細かい土の層があり、ここに海藻などが起源と考えられる化石燃料が大量に眠っているのです。つまり、千葉県は天然ガスの産出地であり、その産物としてヨウ素がたくさんとれるというわけです。

人にとってもヨウ素は欠かせない元素。母親が欠乏すると、おなかのなかの赤ちゃんの成長が悪くなったり、生まれてからの脳の発達が遅くなったりします。カンボジアではヨウ素欠乏症が広がっているため、千葉県産ヨウ素が送られて支援されているそうです。

使い道いろいろ。変化のしかたもちょっと変わりもの。とれるところは千葉県。つかみどころのないぶん魅力的な元素といったところ…。
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薬の広告、決まりいろいろ。


医薬品の放送広告を見ると、いろいろな“決まりごと”があることに気づきます。

よく知られているものは、「この医薬品の『使用上の注意』をよく読んでお使い下さい。」といった表示とともに流れる「ピンポーン」といった音。

この音は、上にあるような表示に注目を向けさせるためのもの。機械的な音が流れる場合もあれば、放送広告に出演している俳優などが「ポンポーン」と声で発音している場合もあります。

また、効き目を概念図を描写する場合がありますね。たとえば「ヴィックスドロップ」によって退治される「エヘン虫」。たじたじに弱っていくものの、完膚なきまでに消滅するのではなく、すこしだけその弱った姿を残しています。エヘン虫にかぎらずどの広告を見ても、病気の原因が一掃されるような描写はありません。



これらの決まりは、1980(昭和55)年に当時の厚生省が各都道府県知事あてに通達した「医薬品等適正広告基準」がもととされています。「8 使用及び取扱い上の注意について医薬品等の広告に付記し、又は付言すべき事項」として、つぎのことに留意するよう求めています。

使用及び取扱い上の注意を特に喚起する必要のある医薬品等について広告する場合は、それらの事項を、又は使用及び取扱い上の注意に留意すべき旨を、付記し又は付言するものとする。(以下略)

企業による自主的な取り決めもあります。日本大衆薬工業協会という団体が「一般用医薬品等の広告自主申し合わせ」を公表しています。

たとえば、放送広告の最後に出てくる「この医薬品の『使用上の注意』をよく読んでお使い下さい。」と「ピンポーン」については、「静止した明確な文字で明瞭に1秒以上表現する」や「視聴者の注意を喚起するような音声等も併用する」などといった表現のしかたの取り決めがあります。

また、「エヘン虫」などがすこしだけ姿をとどめる点についても、「病原菌を殺菌するような場面では、画面から完全に菌が消えてしまうことなく、菌全体の2割程度を残す」とあり、さらに「2割程度とは、通常の状態で映像を見た場合に明確に残っていることの目安である」という注記があります。

ほかにも、カロリーを示すときの表現では、「『たったの○○』『わずか○○』のような修
飾語とともに表現してはならない」こととか、プロスポーツ選手を広告に登場させる場合は、「医薬品等を使用することにより発揮されたり、維持されたりするかのように誤解される表現は行わない」ことに留意することとか、細かい取り決めがあります。ダルビッシュくんの快投はあくまで彼の実力ということ…。

医薬品は使い方によっては健康を害するものにもなります。正しく使うための喚起はとても大切ということでしょう。

厚生省(当時)の通達「医薬品等広告適正基準について」はこちらで読めます。
http://www.jsmi.jp/advertisement/s_kijun.html
日本大衆薬工業協会「一般用医薬品等の広告自主申し合わせ」はこちらで読めます。
http://www.jsmi.jp/advertisement/pdf/jisyumoushiawase.pdf
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冒頭なにを書く


きょう(2007年9月18日)、東京・内幸町の日本記者クラブで、東京大学大学院准教授・横山広美さんの講演会がありました。日本科学技術ジャーナリスト会議が開いたものです。

横山さんは、同会議が科学技術に関する報道や出版、映像などで優れた成果をあげた人に贈っている「科学ジャーナリスト賞」の受賞者のひとり。きょうの会では、対象作となった『光と人の物語〜見るということ〜』という、ニコンが企画している「光」を主題としたホームページ作品についての話が中心となりました。

横山さんの話やその後の聴衆とのやりとりで盛りあがった点をひとつ。

「この作品でとくに特長的な点は、それぞれの話の“導入”のところだと思っています」と横山さん。科学に詳しかったり、科学の話が好きだったりする人が読んでも、「これは聞いたことがなかったな」と思わせるような話をから展開することを心がけているそうです。

例のひとつとして横山さんがあげていた話が、第2章「生命と光」の3話目「チョウの色眼鏡」という話の冒頭。

ギリシャ語でチョウを表す「プシュケ」は、ギリシャ神話の神・エロスに愛された美しい王女の名前である。

これが書き出し。プシュケが「愛を支えるのは相手を信じる心」とささやいたという神話です。ところが、チョウという昆虫は相手を確かめるために光を感じている、つまり“見る”という行為をしていると転じて、チョウの眼の話や色素の話などに展開しています。

「読者にとって盲点だった話をどのように見つけてきて、それをどのようにうしろの話とつなげていくか。いつも苦労しています」

たしかに、記事を書くうえで話の切りだしかたは大切。もともと読む気のない人を惹きつけて、最後まで読ませてしまう効果もありますし、逆に、読む気があった人につまらないことを述べてしまい通過させてしまう効果もあります。

読む人にとって身近な話題から切りだすという定石は聞いたことがあります。横山さんの話のように、だれも知らないような話で惹きつける方法も考えてみる価値がありそうです。

横山広美さんのホームページ「hiromiyokoyama.com」はこちら。
http://www.hiromiyokoyama.com/
横山さんが企画・執筆をしているホームページ「光と人の物語〜見るということ」はこちら。
http://www.nikon.co.jp/main/jpn/feelnikon/discovery/light/index.htm
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国立大学統合の時代


新聞などでのあつかいはまだ小さいようですが、来月(2007年10月)1日に、ふたつの国立大学が統合します。

大阪大学と大阪外国語大学です。規模の大きな大阪大学が大阪外国語大学を吸収するかたち。大阪外国語大学の機能は、おもに外国語学部となります。

大阪大学総長の鷲田清一さんは、新聞社の取材に「統合の話が出て検討するなかで、ものすごくメリットがあるとわかりました。大学の第2外国語といえばほとんどがドイツ語かフランス語です。それが学生にとって役に立つ選択でしょうか。来年度から第2外国語を一気に8言語に増やします」とこたえ、統合の利点に力を入れています。

いっぽう、大阪外国語大学学長の是永駿さんは、大学ホームページの挨拶で「統合を契機に、本学がこれまで培ってきた教育研究の成果をさらに高度化しつつ、他の学問領域と融合して、新たな次元、新たな場での再生と変革をめざします」としながらも、「日本の高等教育は市場淘汰のメカニズムと厳しい国際競争にさらされており、高等教育の国際競争に打ち勝つという国家戦略を担いうる大学が真の高等教育機関として存在に値するという状況になっています」として、大学経営の厳しさをほのめかしています。

大阪外国語大学は、1921(大正10)年に天王寺区上本町に建てられた大阪外国語学校がはじまり。それぞれの言語に根づいた地域文化学科などを中心に、言葉だけでなく文化についても広く教育をしてきました。

先月、大阪外国語大学の教員に実情を聞く機会がありました。「統合によって、大阪外国語大学の機能は、“語学学校化”する」とのこと。地域文化の教育は減り、言葉の修得をめざす色あいが強くなっていく申し合わせのようです。

国の予算から大学に配分される「運営費交付金」は、大阪外国語大学の場合、87大学のうち昨2006年度は83位、ことし2007年度は87位と最下位でした。学生一人あたりの運営費交付金の配分額も今年は最下位です。

国立大学が独立行政法人化されて3年。大学は学問の成果やブランド力によって経営に必要なお金を勝ち取る、競争の時代は強くなっていくでしょう。今回の二つの大学の統合は、そのはじまりとして位置づけられます。

ただ、利益を追う企業とはちがい、大学の統合はあくまで教育機関どうしの合流です。教育の内容が急に変わってしまっては、在学生にとっても教員にとってもとまどいがあるでしょう。学生はなにを学び、教員はなにを教えるべきかを最優先に考えてこそ、統合の利点が浮かび上がってくるのではないでしょうか。

大阪大学のホームページはこちら。
http://www.osaka-u.ac.jp/index.html
大阪外国語大学のホームページはこちら。
http://www.osaka-gaidai.ac.jp/
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ストック型社会


自由民主党の総裁選挙で福田康夫さんは「ストック型社会の構築」を目指していると発表しています。

記者会見でも、記者からこの「ストック型社会」の意味について質問があり、福田さんは「いいものを作って、ていねいに長く使うこと」と答えたそうです。自身のホームページでは「持続可能社会」といいかえています。

福田さんが首相になれば、この「ストック型社会」は、「美しい国」にかわって、世の中に提示されるひとつの社会像になるのかもしれません。まだ耳なれないことばですが、なにも福田さんが使いはじめたわけではありません。

「ストック」ということばと、その反対の意味の「フロー」ということばがあります。日本語にすれば「ストック」は「蓄え」で、「フロー」は「出入り」。

ストック型の社会では、生産や消費といった、経済を決めるさまざまな量を“蓄えること”に、価値をおく社会。かんたんにいえば、いちど買ったものをたいせつに使って財産を大切にする社会です。たとえば自転車を買ったら、錆びないようにこまめに手入れをして、いつまでも使いつづけていくような生活ですね。

いっぽう、フロー型の社会は、たくさんものを作ってたくさんものを使う世の中。たとえば最近では、傘をなくしたり折ったりしても、かんたんに100円ショップで買うことができるため、傘も使い捨ての時代がきているといえるかもしれません。

ちかごろの日本の社会がストック型かフロー型かといえば、やはりフロー型といえるでしょう。その例として福田さんが挙げているのが“家”の建てかえです。

何千万円もの貯蓄を使って建てる家も、日本での平均寿命はおよそ26年。日本人は生まれてから死ぬまで、3個の家に住む計算となります。いっぽう、欧米は日本よりも家の寿命が長く、たとえば米国では44年。英国では75年にもなるといいます。

日本の家の寿命が他の国よりも短いわけは、使われる建材の質が悪いことや、増築や改築などがしづらいつくりとなっていることがあるようです。

もとより、家を建てる建設業者にとっては、客である家族に300年もおなじ家で住みつづけられるよりは、30年建ったら建てかえてもらうほうが、利益が多いのはたしか。「この家は300年間もちます。なのでふつうより10倍の料金をいただきます」といっても、客はいい顔をしないでしょうし。破裂しないタイヤを使われるとタイヤ製造業のもうけが減るため、出まわらないという話も聞いたことがあります。

日本の国内総生産は世界の中でも最高水準。稼ぎはあるけれど、その稼ぎをどんどんと使ってしまうため、“豊かさ”の実感がわきづらいといわれています。

いまのところ福田さんは、「ストック型社会」の例としていまのところ「200年もつ住宅」を示しているのみ。ストック型社会がどれほどフロー型社会よりも優れ、市民に豊かな社会をあたえるものかを具体的に示すことができるか注目されます。
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NHKの科学番組


NHKは科学を題材にした番組をいくつも放送していますね。

むかし、黒ぶち眼鏡の山川静夫というアナウンサーが司会をしていた『ウルトラ・アイ』の流れを汲むのが『ためしてガッテン』。動物番組では、タモリがまじめに司会をしていた『ウォッチング』から、いまでは『ダーウィンが来た』へ。

教育テレビのほうでは、すこし本格的な『サイエンス・ゼロ』。また、こども向けの『科学大好き・土よう塾』などを放送しています。

ことし(2007年)4月からは、『解体新ショー』という番組が総合テレビ始まりました。2組の芸人が、人の体についての素朴な疑問に対して解ったことを発表しあい、スタジオの聴衆が納得度をそれぞれ評価するといった構成です。点数を競いあわせるといったゲーム的手法は、NHKによく見られます。

たとえばきょう(9月15日)の番組で出されたお題のひとつは、「耳がヒダヒダなのはなぜ?」。耳の内側の凹凸、つまりひだは、耳に届く音をさまざまな方向に反響させることになるので、音がどこから届いたものかを聞き分けるのに役立つのだそう。

右から聞こえる音と左から聞こえる音の区別は、両耳に届く音の時間的ずれで判断できます。いっぽう耳のひだの存在によって、その音が後ろから届いたのか、前から届いたのか、それとも上からか、といったことができるのです。

“ねた切れ”になるのでは、などと勝手に心配していましたが、人の体には不思議が多いみたい。

雑学的教養は、生活に潤いをあたえるものよと、改めて気づかせてくれる番組です。ただ、視聴率は5%前後の模様。土曜日の22時台の枠としてはややものたりないでしょうか。

NHK『解体新ショー』のホームページはこちら。
http://www.nhk.or.jp/kaitai/
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書評『黄金分割』
「黄金分割」には「美」が宿っているという説を信じますか。この本を読んで、黄金分割と美の関係は、たしかに存在するという考えを強くしました。

『黄金分割 ピラミッドからル・コルビュジェまで』柳亮著 美術出版社 1965年 256ページ


「1:1.618…」の比率が黄金分割。オウムガイの螺旋曲線の90度分を、正方形でつぎつぎに囲んでいくと、となりあった正方形の一辺の比が黄金分割になる。このように、黄金分割はもともと自然のなかで見られる比であるという。

自然の美に対して、「なんらかの規則性があるのでは」と考えた人間は、その美を数学から導きだした。そして、建築家や絵画などの人工物に積極的に取り込んでいった。

自然が生み出した美を人工物に当てはめるとき、そこに飛躍はないだろうか。そうした疑問は杞憂だったと本を読んで感じた。

紹介されている芸術作品には、すべて黄金分割やルート矩形(1:√2)の比が使われている。そのどれもが造形的に美しい。

著者の分析力は見事だ。芸術作品の数々に、これほどの黄金分割を使った綿密なしかけがなされているのかと驚かせてくれる。とりわけジョルジュ・スーラの代表作「グランドジャットの日曜」に対する分析は圧巻だ。逸品に隠された数学的謎を解きあかしていく。

中性以来、黄金分割はしばらく芸術の舞台から姿を消していたという。しかし20世紀に入り、ピエト・モンドリアンやル・コルビュジエといった人物により、ふたたび脚光を浴びることとなった。本書には、美の追求の一手法として、黄金分割は使われるべきものであるという明解な主張がある。

『黄金分割』はこちらで。
http://www.amazon.co.jp/黄金分割-〔正〕-柳-亮/dp/456830024X/ref=cm_cr-mr-title/250-3461571-9880240
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勝ちを目指さない試合


サッカーの日本戦がたてつづけに行われていますね。フル代表も、22歳以下も、なでしこも、ここのところはまずまず、よい結果を出しています。

あたりまえのことですが、サッカーの試合は、戦いあう両軍がともに勝ちをめざして競うもの。負けよりも引き分け、引き分けよりも勝ちのほうが、試合内容はともかく「よい結果」となります。

ところが、「よい結果」を求めているのに勝ちを目指さない、サッカーの試合がまれに行われます。

1977年5月18日、イングランドのサッカー1部リーグ、ブリストル対コヴェントリー戦もそのひとつ。

途中までは両軍とも勝ちを目指してサッカーをしていました。双方とも譲らず、得点は2対2。後半も時間がだいぶ過ぎ、そろそろどちらかが得点を決めないと引き分けになってしまいます。

ふつうであればこうした試合終了まぎわでの同点なら、試合は盛りあがりをみせるはず。ところが選手たちは、前半・後半あわせて80分をすぎたところで、競技場の電光掲示板のある情報を目にすると、たがいに勝ちに行くことをやめてしまったのです。

球をもったチームは、まるで敵陣に攻めこむ様子なく、味方どうしで球の回しあい。敵はというと、その球の回しあいにわって入る素振りもなく、ただ静観をしているばかり…。

こんな試合ならばとうぜん、観客が罵声を浴びせてもよいはず。ところが両軍を応援する観客もこおどりを始めました。これはどういうことでしょう。

この日のブリストル対コヴェントリー戦は、2部リーグに降格をする候補どうしの最終戦でした。そして、おなじく2部リーグ降格の危機にさらされていた、サンダーランドというチームもべつの競技場で試合をしていました。この3チームのうち、負けた1チームが2部リーグに降格となります。

いち早く、負けが決まったのが、べつの競技場で試合をしていたサンダーランド。まだ試合をしていたコヴェントリーの関係者は、「サンダーランド敗れる」の情報を聞き、すかさず競技場の電光掲示板に流しました。

知らせを目にした両軍の選手は、試合終了の笛が吹かれるまで、球を回しあって平和な試合を繰り広げることで一致しました。サンダーランドの負けはすでに確定。となれば、まだ試合をつづけている両軍は、1部リーグに残るためには勝つ必要がもはやなくなったからです。

複数の人や軍がたがいに戦う中で、すべての損得を合計すると、和が常にゼロになるような勝負事を「ゼロサムゲーム」といいます。どちらかが勝ち、どちらかが負ける、あるいはどちらも引き分けるサッカーという勝負事は、まさにゼロサムゲームの典型。しかしながら状況によっては、勝ちを目指さなくても両軍が得をする価値を見出せる場合があることを、上の例は示しています。

優勝や降格がかかった試合を複数で行う場合はふつう、まったくおなじ時刻に試合をはじめて、公平さを保つことにしています。しかし、上の試合にかぎっては、試合開始の時刻が5分ずれてしまったそうです。

“平和な試合”の様子を、当地の新聞はこう伝えました。

「敵どうしだった観客たちが、とつぜん一緒になって祝典の輪に加わった。審判は、選手たちが球をもっている敵の選手にまったく攻めかかることなく、球を軽く回していくのを、なすすべもなく眺めていた」

参考文献
リチャード・ドーキンス著『利己的な遺伝子』
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うなぎにいろいろ聞いてみた。


日経ビジネスオンラインに『ウナギ 地球環境を語る魚』という本の書評を寄せました。きょう(2007年9月12日)付けで載っています。

日本でちょっとしたご馳走として食されるため、欧州、中国、台湾などの各国が連動して養殖うなぎの国際的な取り引きをしています。書評では、乱獲がもとでこの国際的な取り引きが崩れ、うなぎを食べられなくなる日が近づいているという見方から、この本を紹介しました。

食をめぐる問題も大切ですが、副題にあるとおり「地球環境」の話も大切。ここでは「うなぎと地球環境問題の関係」についてお話します。うなぎは「地球環境」についてどんなことを語ってくれるのでしょう。

書評でも書いたとおり、うなぎは地球環境のちょっとした変化を正確に映し出す「指標生物」といえます。まわりの自然が人間の開発によって変えられていくことにうなぎは敏感に反応します。

日本もそうですが、ここのところ欧州などでもうなぎの捕れる量が減っています。その理由として著者は、環境の悪化と乱獲が重なり合って起きているのではないか、という見方を示しています。

しかも、うなぎはおとなに成長するまでに年月がかかるため、いまの捕れる量の急減は、10年ほど前に生まれたうなぎの数が減っていることがあらわになったものと考えられます。「心配ごとがあれば、とにかく早めに手を打っておくべき」という考え方を「予防原則」といいますが、うなぎは身を犠牲にして、予防原則の大切さを叫んでいるかのよう。

うなぎはまた、移動範囲が広いためにさまざまな環境問題にも目を向けさせてくれます。いま環境問題といえば、もっぱら地球温暖化が話題の中心。たしかにうなぎも、海の温度上昇などで大回遊の進路に影響を受けると懸念されているとのこと。でもそれは、うなぎが受ける環境問題の影響のほんの一部。

干潟の干拓や河口堰の設置、水力発電所の建設によって、うなぎが川を上れなくなり、すみかを失っているおそれが強いと著者は述べています。海に浅瀬に川に湖にと、すみかを転々とするうなぎのあとを追えば、人間がいたるところで自然に手を加えていることがわかりそう。

うなぎをおいしいおいしいとたくさん食べている日本ですが、環境開発とうなぎの数の減少の問題を明らかにする研究などは、外国にくらべて少ないのだそう。たくさん食べておきながら、うなぎに申しわけない気がします。

生存が危ぶまれているいきものをめぐっては、「種を絶滅させてはならない」という考え方があるいっぽうで、「種のひとつやふたつ滅びたところでいきものの多様性に影響はないのでは」という考え方もまたあります。

しかし、うなぎが姿を消す日が来たら、日本人は「うなぎが滅びたところでいきものの多様性には影響はないのでは」と開き直っていられるでしょうか。身近ないきものであればあるほどに人の関心は増すもの。うなぎのことを思いながら地球環境問題を考えると、またちょっとちがうかもしれません。

日経ビジネスオンラインの『ウナギ』の書評はこちら。
http://business.nikkeibp.co.jp/article/life/20070907/134277/
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被害者意識のいっぽうで…


海のむこうから流れてくる「漂着ごみ」の問題が、ときどき報道されています。

韓国などから産業廃棄物などのごみが日本海に流れ着いているといいます。なかには、針のついた注射器といった医療で使われた器具の廃棄物なども…。

韓国からの漂流ごみは、間宮海峡からユーラシア大陸に沿って流れるリマン海流により南下したあと、九州北部lから北海道西岸まで日本海を北へ進む対馬海流に“乗り換え”て、島根、鳥取、京都、福井、富山などの海岸にたどり着くようです。

ごみに韓国語が書かれてあっても、だれが捨てたかもわかりません。海岸に流れ着いたごみを拾うのは原則、地元の人々です。

「外国で捨てられたごみを拾うだなんてはなはだ迷惑」と、だれもが思うところでしょう。増えていく「漂流ごみ」を前に、日本人の被害者意識は高まるばかりですが、では、“加害者意識”となるとどれほどあるのでしょうか。

日本の海岸で捨てられたごみが、太平洋を渡ってハワイ諸島の海岸線にたどり着いているそうです。

日本付近の太平洋には、黒潮という海流があります。千葉県の銚子沖を進んだ黒潮はずっと北米大陸にむかって流れつづけて、米国西海岸付近を流れるカリフォルニア海流へ。そのあと海流は時計まわりにおおきく回って、西の日本のほうへと戻っていきます。その途中にあるのがハワイ諸島です。

漂着ごみは、人間の被害者意識や経済負担を増やすだけではなく、動物の死などをもたらします。たとえばハワイで死んだアホウドリの胃から、ライターや歯ブラシが見つかっています。また、クラゲを食べるウミガメからはビニールが出てきたともいいます。

「遠き島より流れ寄る椰子の実一つ」と情緒的に歌われたのはむかしの話ということでしょうか。「あの国より流れ寄るごみたくさん」という現実があります。
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第6期科学ジャーナリスト塾が開講。


科学ジャーナリストの養成を目指す「科学ジャーナリスト塾」の第6期がきょう(2007年9月10日)開講しました。2月までのおよそ6か月間、講師の「講義」や作品づくりのための「演習」、それに外部からの講師を招いての「月例会」などをこなしていきます。

「演習」では、紙、ウェブ、映像などの媒体に、6か月間で取材したことを表現します。今年は38人の塾生さんが5班にわかれて演習をしていきます。演習の題目はというと…。

「里山をまもる 足もとから見る環境問題」

「ポストYouTube ネット時代に望まれる映像表現力」

「明らかになる宇宙の姿 学校では教わらない天文の世界」

「エネルギー利用 脱地球温暖化は可能か」

「認知症とアルツハイマー 原因・治療・予防はどこまでわかっているのか」

この五つです。「環境の時代」を反映して環境問題に関わるお題は二つ。ただし切り口がちがうので、作品も独自の色が出てくるのでは。

また「宇宙」を題目にした班は、科学ジャーナリスト塾でははじめての試み。

きょうは多くの時間を塾生さんの自己紹介に使いました。みなさんの所属などを聞いていると、やはり科学技術関係の仕事や研究をしている人が多いようです。

「自分の研究を市民にどのように伝えることができるかを学びにきた」とか、「科学に興味のない人たちに科学を面白く伝えることのむずかしさを日々、感じている」とか、「科学を伝える」ということに対して課題をもっている人が多かったです。

昨年までの「市民講座」的な色合いから変わって、より本格的な「道場」的な色合いが増えました。講師のあいさつでも「みなさんが作る原稿に対してはびしびしと赤を入れていきます」。

第6期科学ジャーナリスト塾は、2008年2月23日まで。塾生の活発な議論が見られることでしょう。
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多彩なる屏風の絵図。


受けていた学芸員資格の集中講座を終えたのを機に美術展へ。

東京・六本木のサントリー美術館で『BIOMBO/屏風 日本の美』という展覧会が開かれています。(2007年)10月21日(日)まで。

見なれないローマ字は「ビオンボ」と発音し、スペイン語で「屏風」のこと。屏風は、鎖国をする前の日本が海外の国へ渡した、交易の材料でもあったのです。

驚いたのは、おもに安土桃山時代に描かれた屏風の絵のかずかず。描かれているのは、日本の屏風らしい花鳥風月ではなく、目が青く髪の毛の黄色い西洋人などの様子。西洋の人が描いた絵ではと見まがえます。

たとえば、「泰西王侯騎馬図屏風」は、キリシタンの影響を受けた近江の大名・蒲生氏郷が、日本人絵師に描かせたもの。四曲(屏風の単位)に四人の王と四頭の馬。絵の背後にほどこされた金箔が、ちょうど日が沈むころの空の輝きを示すような効果になっており、異国情調を盛り上げています。

また、桃山時代から江戸時代の初期にかけては、ポルトガル人が日本を訪れたときの情景を描いた「南蛮屏風」なども流行ったそうで、おなじく展示されていました。ほかに、世界地図を描いた「世界地図屏風」なども…。

展ではもちろん、京の祇園祭の様子を描いた洛中洛外図や、平安時代や鎌倉時代の山水画などの“王道的屏風”も。

すっかり、魅入ってしまった屏風の数々。ミュージアムショップで、卓上用の「50分の1ミニチュア屏風」とかがあれば買っただろうに、残念ながら売っていたのは絵はがきのみ。

サントリー美術館『BIOMBO/屏風 日本の美』は2007年10月21日(日)まで。その後、大阪で巡回展も開かれるようです。展のホームページはこちら。
http://www.suntory.co.jp/sma/exhibition/07vol03biombo/index.html
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平和的、学芸員資格講座


早稲田大学の「学芸員資格課程夏期集中講座」が、2007年度の日程をほぼ終了。資格取得には関係ない2講義を残すのみです。

「学芸員」は、博物館の資料を収集、保管、展示したり、調査研究をしたりする職員。おもに、大学や短期大学で授業を受けて単位をとることにより、資格を得ることができます。もっとも、資格をもつことと就職することはまったくかけはなれていますが。

講座は、おもに座学系と実習の二本柱。

とりわけ講座の“軸”になるのが、体を動かす「博物館実習」の授業です。14時40分から19時30分までの連続3コマ、3週間分の長丁場です。

内容は、博物館の資料を記録するための写真撮影、刀の手入れ、拓本打ち、石膏固め、本の和綴じなどさまざま。企画展などを想定し、大学の博物館で掛け軸や巻物、骨董品などの資料を配置する模擬展示も。実際に学芸員が仕事として行う作業もあれば、「業者になめられないために」(講師の談)知っておいたほうがよいという理由で行う作業もあるそう。

1グループにつき20人ほどの学生が参加。私が参加したグループでは、半分くらいが主婦、あとは早期退職をした人、会社に勤めている人、私を含む学生などです。なかには、静岡県や愛知県から来て、都内でホテル暮らしをしながら授業に通う人も。

二十歳前後の学生よりも年齢層の高い人々が受ける授業。想像にかたくないかもしれませんが、みな授業に対して熱心であり積極的です。

ちまたの「市民講座」などで、講師のちょっとした冗談にどっとわくような、“盛り上がる講義”がありますが、空気はそれに近いもの。講師と学生の世代が近いために話が通じやすいところもあるでしょうし、揚げ足を取るような“斜に構える学生”もいません。平和的でした。

日本では国に登録された博物館、またはそれに準じる博物館の数は、あわせておよそ1200。いっぽう、学芸員の資格をもつ人は、毎年1万人以上のペースで増えています。資格に対する根強い人気に加えて、「学」の文字がつく印象のよさなどもあるのでしょう。

授業の数を増やすべきだとか、学芸員のさらに上の段階である「上級学芸員」を設けるべきだなどの、意見もあるよう。博物館の運営を委託された民間企業などが行う指定管理者制度が導入されたことと相まって、学芸員資格は曲がり角をむかえています。
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台風で頭痛


台風9号が、東日本を直撃しました。

きのう(2007年9月7日)から今日にかけて新幹線や飛行機などの交通機関が運転を取りやめたり遅らせたり。出張などの計画を立てていたみなさんは、動かない電車の中で頭の痛い思いをしたかもしれません。

「台風」「頭」といえば、前々から、台風が近づいてくるとどうも頭が重くなるような気がしていました。なんとなく体がけだるくもあり…。

きのうも、夕方あたりから、頭がぼーっとした感覚に。ちょうど風邪を引いたあとの病み上がりのときの頭の感覚といったところです。6時間たって真夜中、台風が上陸する直前には、ふとんをかぶって寝てしまいました。上陸したときの台風9号の気圧は970ヘクトパスカル。1気圧、つまりふだんの気圧は1013ヘクトパスカルです。

低気圧が近づいてくると、頭痛が起こりやすくなる人がいることはむかしから知られています。ふだんから疲れていたり、ストレスがたまっている人などは、気圧の低い日のほうが頭が痛くなりやすいという研究結果も出ています。

けれども、低気圧が頭痛を引き起こすしくみについては、詳しく「これこれこうだから」とつきとめるまでには至っていないようです。

一般的に、晴れの日よりも曇りの日に気持ちが沈む人のほうが多いですし、嵐の日は傘をさしていても雨で服が濡れたりしてやはり気持ちいいものではありません。何の効き目もない薬を「これは何々に効く薬です」と渡されて飲んだらその病気が治った、といった話もあるくらい。台風で頭が痛くなるも「病は気から」が作用しているのかもしれません。

いっぽう、気象予報士の森田正光さんは、低気圧と頭痛の関係について、「寒冷前線が通過するときの、気圧・気温の急激な変化に生体の機能が順応できないために起こるようです」と話しています。

急な気圧の変化が影響するという点では、標高の高いところまで上っていくと頭が痛くなる高山病と似ているかもしれません。高山病でも、じょじょに体をならしていけば、軽い症状ですむといいます。

台風のときは、じょじょに体を慣らすわけにも行きません。ただじっと、通過を待つのみ。
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アサヒとカゴメが実らせた「トマーテ」


(2007年)9月3日、アサヒビールとカゴメが共同で開発したカクテル「トマーテ」が発売されました。

電車で広告を目にして、さっそく1缶、買ってみることに。地元のスーパーマーケットではかなり売れたらしく、棚の缶が半分ほど減っていました。

トマト2個と、輪切りにしたレモンの絵柄。ちょっと古風でしょうか。

トマト果汁45%、レモン果汁5%、そしてアルコール分5%と書かれています。くだものを輪切りにして果実を見せてもよい清涼飲料水では「果汁100%」にかぎられていたはず。酒類はそのかぎりではないようです。

缶を開けるところの穴のかたちは、ひとむかし前の、親指の指先のような輪郭の細いもの。これにもきっと、開発者の意図や経緯があるのでしょう。

トマトのカクテルというと、ビールとトマトジュースを混ぜた「レッド・アイ」や、ウォッカとトマトジュースを混ぜた「ブラッディ・メアリー」などが知られるところ。どちらもトマトの味は強いため、きっとこの「トマーテ」も、トマトの風味がきいているのだろうと想像していました。

で、飲んでみました。はじめは、「あれ、これってトマトの味なのか」と疑うような、くだものに近い甘味。トマトジュースの食感であるあの“トロトロ感”はありません。

ひと缶を飲んだかぎりでは、さらりとしており、ごくごくと飲めます。

アサヒビールとカゴメは、今年の2月、「両者にメリットのあるラインナップの拡充」を図るために業務・資本提携を結んでいました。「トマーテ」は、2社の共同開発の始めての成果。

口あたりはさらっとしているものの、やはりトマトジュースなどをつくってきたカゴメの技術開発の影響は大きいようです。しぼった果汁から水分をとばして数倍に濃くしておいたものを冷凍保存し、使うときに水を加えて戻す、ジュースの作り方を「濃縮還元」といいます。「トマーテ」では、濃縮還元でもカゴメが独自に開発した「逆浸透圧濃縮技術」により、還元されたトマト果汁なのだそう。

「水分だけを透過する『逆浸透膜』を利用し、圧力をかけることで、濃度の高い液体から水分だけを染みださせる濃縮方法であり、加熱して水分を飛ばす濃縮法と比べて余分な熱を加えないのでトマトのフレーバーが活きています」(「トマート」の案内より)

30種類のトマト果汁の中で、この「逆浸透圧濃縮技術」を使ったものだけがとりわけ美味しかったという開発者たちの談。

野菜飲料といえば、ふたむかし前は「トマトジュース」が全盛でした。でもその後、ニンジンなどのほかの緑黄色野菜を混ぜた「野菜ジュース」が現れ、トマトジュースは野菜飲料のシェアを奪われるかたちに。

アサヒビール製のアルコールとの組み合わせで、トマト果汁がふたたび脚光を浴びそうな予感。

「トマーテ」のホームページはこちら。
http://www.asahibeer.co.jp/tomate/
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東京駅徒歩0分の大学院


東京駅日本橋口から徒歩0分のところに、サピアタワーというたてものがあります。

35階建てのこのたてものの8階から10階には、14大学が入居。事務所のみを置いている大学も多いですが、関西の立命館大学や、関東の埼玉大学などは、教室を構え、首都圏に住んでいる人たちを大学院生として迎え入れていまう。

このたび発売された『社会人・学生のための大学大学院がイド』という雑誌で、サピアタワーのなかの「埼玉大学東京ステーションカレッジ」に通う社会人の学生さんに取材するため、先日、はじめて建てもののなかに入りました。

“学び舎”のある階につくと、まず見えるのは休憩室と待合室の兼ねた部屋。授業を終えた、40歳台、50歳台の大学院生たちが会話をしています。教室は二つあり、ざっと数えると40人弱が座れる様子。全体の印象は、英会話学校や資格学校をすこし大規模にした感があります。

取材した学生さんの声を聞いていると、東京駅に直結している立地はとても便利のよう。その方は恵比寿の会社から通っているとのことでしたが、新幹線通学などもできそう。「名古屋の人が埼玉大学大学院の授業を東京で受ける」などといった状況もありうるわけです。

ただし、お話を聞き、実際に建てもののなかを覗くかぎりは、サピアタワーに入居している大学間のつながりはあまりなさそう。

まだ、大学院としての授業を行っている大学の数自体が少ないという事情もあるでしょうが、大学院どうしの単位互換などは行われていません。また、ビルへの入館にはセキュリティが厳しく、他の大学やキャンパスの学生どおしが気軽に交流するといった環境ではありませんでした。異なる文化から学ぶといった利点をもっとも享受できそうな環境にあるのに、これではすこしもったいない…。

サピアタワーに入っている地方大学にとってはこの場は「学問の拠点」と呼べるかもしれません。が、サピアタワー全体としてみれば、まだ「学問の集積地」にとどまっているようです。
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「ちいさい秋見つけた」の三番


「ちいさい秋見つけた」という歌があります。

1955(昭和30)年にNHKが企画した「秋の祭典」という番組で歌うために作られた歌。作曲は中田喜直、作詞はサトウハチローです。

題名からすると、9月のいまごろの秋の訪れの発見を歌った歌のように聞こえます。

けれども曲の旋律を聞いていると、11月ごろの晩秋を思い浮べてしまいます。歌詞の中にも「お部屋は北向き曇りのガラス」(二番)というくだりがあり、すくなくとも残暑の季節ではなさそう。

歌詞のおもむきがとくにあり、詞に凝っているのは三番でしょうか。
むかしの むかしの かざみの とりの
ぼやけたとさかに はぜのはひとつ
はぜのは あかくて いりひいろ
ちいさいあき みつけた
「むかしの むかしの かざみの とりの」に見られる助詞「の」の連なりは、柿本人麻呂が歌った「足曳の山鳥の尾のしだり尾の…」という歌にも見られ、韻律を生む技として古くからあるようです。

また、「ぼやけたとさかに はぜのはひとつ」で「はぜの葉」を登場させておいて、次のくだりで旋律の変化に合わせて「はぜの葉赤くて」と、「はぜの葉」を折り重ねている点も聞き逃せません。

三番の“中締め”は「いりひいろ」。子どものころは「ひりひりろ」や「ひりひいろ」などとまちがって歌い、きっとこの色は肌がひりひりするほどの真っ赤な色なのだと誤解していました。

「いりひいろ」は「入日色」のこと。黄昏時、西の空に沈んでいく太陽がもたらす夕陽の色でした。入日色になった「はぜのは」は、秋口から赤くなりはじめ、冬に近づくに連れて赤味を増していく広葉樹の葉です。

いい歌ですね。ちいさい秋に口ずさみたくなります。

「ちいさい秋見つけた」を「ちいさいあき」から歌うと、すこしやっかいなことになります。
| - | 23:59 | comments(0) | -
中華街“占い”実況中継


先日、大学時代の友人らとひさびさ横浜中華街に行ってきました。

中華街に行った目的のひとつが「占い」。友人のひとりが、恋愛運などを占ってもらうために「占やかた」へ…。

エレベータの扉が3階で開くと、「中野ブロードウェイ」を思わせる雑然とした通路の脇に占いの小部屋が。小部屋のなかには5、6人の占い師。その正面には占ってもらう人が腰かけて手のひらを見せています。そのとなりには付きその人も腰かけて話を聞いています。

30分ほどして、友人の番に。完全興味本位の私は“つきそい役”で友人のとなりの席に。

黒ぶち眼鏡をかけた初老の女性占い師が、あらかじめ友だちが記入した生年月日などに目をとおし、おもむろに“占いシート”に記入していきます。

“占いシート”への記入がもくもくと5分間も続いたので、「このまま、何もしゃべらずに終わってしまうのか」などと不安に思っていると、占い師はとつぜん「来年からだね」とひとこと。そして、「ここ2年はよくないね。“天中殺”が出ています」

「テンチュウセツですか…」と友人が聞き直すと、占い師は間髪入れず「テンチュウサツ! 全部だめってこと!」と、なぜかすこし切れ気味。

そのあとも横で話を聞いていると、「全部だめ」ながら、友人は仕事運があるようで、仕事でがんばってしまうぶんだけ、恋愛運は奪われている模様。

「とにかく、来年の2月まで待ちなさい。そうすればいい人は現れます。それからは、あなた行動によりけりです」

20分ぐらいの”面接”を終え、占い師は、赤ペンと青ペンで記入していた“占いシート”を封筒のなかに入れはじめました。どうやら終わりの合図のよう。友人は、占い料を払いこれにて終了。

「渋谷で占ってもらったときは、今年の秋にいい人が現れるっていわれたのに」と友人。「いいところだけを受けとめるようにしている」そうです。

完全興味本意ながら、絶えない行列に「こんなにも人気のある予測の世界もあるのよ」と驚きました。

“将来予測”の手段として科学よりも人気があるのは、ほぼまちがいないようです。
| - | 23:59 | comments(0) | -
緊急地震速報(2)
緊急地震速報(1)

来月(2007年)10月1日から始まる緊急地震速報について、大きな問題がおきるのではと気にかかる場所は、車が走る道路です。

車内でラジオを聞いている運転手と、そうでない運転手がいます。ラジオを聞いている運転手は緊急地震速報を聞いて、ブレーキなどをして車を止めようとします。

いっぽう、ラジオを聞いていない運転手は、まわりで止まりだした車に反応してみずからの車を止めに入るために、すこしブレーキをかける時間が遅れてしまいそうです。これにより、追突事故や玉突き衝突事故が起きるのではないかと危ぶまれています。

緊急地震速報を放送局に提供する気象庁は、車の運転手にどのように呼びかけているのでしょう。

「乗り物にのっているとき 自動車運転中はあわててブレーキをかけないでください。ハザードランプを点灯し、揺れを感じたらゆっくり停止してください」

渋滞にさしかかり車の速度を急に落とすとき、ハザードランプを点灯して後ろの車にも速度を落とすようにうながす運転手の間の意思疎通はこれまでもあります。似たようなことが、緊急地震速報のときにも通じるでしょうか。

千葉大学工学部の山崎文夫教授の研究室は、緊急地震速報を聞いた車がまえを走り、聞いてない車が後ろを走る車がうしろを走るような場面で、どのようなことが起きるかを、模擬的に運転する実験で調べました。

すると実験では、前の車と後ろの車でブレーキを押す時刻がずれてしまうために、追突事故を起こしてしまう場合が10回のうち2回あったといいます。

実際の場面では、ラジオが流れている車とそうでない車がさらに不規則に連なっています。混んでいながらも渋滞せずに流れているような道では、車の間隔もかなり短くなっている場合があります。

緊急地震速報のときに、NHKはテレビとおなじようにラジオでも第一報で「緊急地震速報です。千葉県で強い地震。強いゆれに警戒してください」と知らせる予定です。運転者が聞いていることを考えると、第一報のときにすぐ「運転者の方は、後ろの車に追突されぬよう、ハザードランプを付けて少しずつブレーキを踏んでください」などとお知らせすべきではないでしょうか。  

また、ラジオは関東ならば関東、関西ならば関西といったように、かなり大きな範囲にむけておなじ放送がされています。地震は、基本的に震源地から遠ざかるに連れて震度が低くなるために、たとえば群馬県の自動車道路で「千葉県で強い地震」などと聞いた運転手はどのように対応するのでしょうか。

車の運転については、運転者に緊急地震速報の存在を知らしめるとともに、速報を聞いた場合にどのように対応しなければならないか、また、速報を聞いていない場合にどのようなことに注意しなければならないかを、より徹底して知らせていかなければ、「大地震そのもによる犠牲者よりも、緊急地震速報がもたらす玉突き事故による犠牲者のほうが上回った」などといった事態も起きかねないのでは。

車の運転者については、避難訓練をすることもままなりません。10月1日以降、最初に流れる緊急地震速報の結果から、よりよい改善策を探っていくしかないかもしれません。(了)

気象庁のお知らせ「緊急地震速報を見聞きしたときは」はこちら。
http://www.seisvol.kishou.go.jp/eq/EEW/kaisetsu/knowledge/index.html
千葉大学工学部・山崎文夫研究室が発表した「複数のドライビングシミュレータを用いた緊急地震速報の効果に関する検討」はこちら。
http://ares.tu.chiba-u.jp/~research/~Thesis/resume/2007/Sakaya.pdf
NHK緊急地震速報「利用・活用の心得」はこちら。
http://www.nhk.or.jp/bousai/knowhow.html
| - | 23:59 | comments(0) | -
緊急地震速報(1)

NHKの緊急地震速報画面イメージ

来月からテレビやラジオから耳なれない「緊急のお知らせ」の音が聞こえてくることになりそうです。

(2007年)10月1日から、大きな地震が起きたことをすみやかに知らせる「緊急地震速報」を、テレビの視聴者やラジオの聴取者は受けとることになります。

この緊急地震速報は、気象庁が各放送局などに提供するもの。

地震のゆれは、波のように伝わっていきます。震源地でゆれがおきると、まず小さくて速い縦方向の波が伝わっていき、そのあと大きくて遅い横方向の波が伝わっていきます。まず小さく“グラッ”ときて、そのあと大きな“グラグラグラ”とくるのは、このふたつの波があるからです。

緊急地震速報では、震源地に近い地震計がはじめの縦波を観測し、すぐさま横波のゆれの大きさを予測。横波がくるまえに放送などを通じて各地に「緊急地震速報です。千葉県で強い地震。強いゆれに警戒してください」などと伝えます。

NHKでは、震度5弱以上の大きな地震が起きると予測されたときには、テレビ・ラジオとも緊急地震速報を伝えることを決めています。テレビの場合は音声それに字幕で伝えます。ラジオの場合は音声で伝えます。民放各局もNHKとおなじように10月から大きな地震が起きたときにこの速報を伝える予定です。

地震の横波は、毎秒4キロメートルの速さで伝わります。震源地に近いところでは、緊急地震速報を聞いてから大きなゆれを感じるまでの時間はありません。

しかし、震源地からかなり距離のあるところでは、緊急地震速報を聞いてから大きなゆれが起きるまでに数秒から十数秒の“間”があります。この“間”を使えば、台所で使っている火を消したり、机の下にもぐったりして、大きなゆれに備えることができます。

緊急地震速報の問題点として、まだあまりこのお知らせが流れることが知られていないために、地下街や百貨店などの大勢の人がいるところで混乱が起きるのではないか、ということがいわれています。

けれども、これから各放送局が緊急地震速報を始めることについて放送などで知らせていけば、この速報が流れることを知らない人の数は減っていくでしょう。また、地下街や百貨店などでの店員のとるべき指示を教育したり、市民が参加して「緊急地震速報を受けての避難訓練」などを行ったりすることもできます。

大勢の人がいるところでの混乱は、緊急地震速報の存在を周知することで防げる気がします。

しかし、緊急地震速報を流すことで、もっと大きな問題が起きるのではと思われる場所があります。つづく。
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