江戸時代から幕末から明治維新にかけての日本では、来日している医学者が日本人に西洋の医学を教えていました。
その重要人物のひとりが、オランダ軍医のアントニウス・ボードイン(1820-1885)でした。たとえば、いまも日本人が飲んでいるあの「太田胃散」は、ボードインが海外の香辛料を混ぜ合わせてつくると胃に効くとして、処方を伝えたことからつくられたのだそうです。
長崎に建てられた医学校で医学を教えるために、ボードインは1862年に初来日しました。江戸から明治に時代がかわる、5年前のことです。
さて、5年後に維新が起きるなどと思ってもいなかった江戸幕府は、そのころ海軍を置くことを決め、あわせて海軍病院も開くことにしました。そこで、幕府はボードインに「薬や医療器具、医学の本などをオランダから持ってきてもらえないだろうか」と協力を頼みました。
幕府の依頼によろこんで引き受けたボードインは、その準備をするためにいったんオランダに帰ります。
そして、船便で海軍病院に置く医療器具などをオランダから日本に向けて送ってから、ボードイン本人も再来日。
ところがです。ボードインがふたたび降り立ったときの日本は、前の日本とはちがっていました。明治維新が起こり、江戸幕府はなんと崩壊してしまっていたのでした。
船便であらかじめ送っておいた医療器具はどうなったのでしょう。新政府がすべて没収してしまいました。幕府を倒して起こった新政府。幕府と仲がよかったボードインを冷遇するのも無理からぬことだったのかもしれません。
新政府の冷遇ぶりにボードインは腹を立て、機嫌を悪くしてしまいます。
ただ、ボードインを冷遇をした新政府も、ボードインによって日本の医学が進歩したことはまぎれもない事実であると認識はしていました。ボードインに教えを受けた日本人の医者は数多くいます。新政府がこれからの医療の計画を進めるにあたって、ボードインと親しい日本人の医者からの協力はなくてはならぬもの。となれば、ボードインがご機嫌を損ねてしまっているいまの状況は、いささか不都合…。
そこで新政府は、ボードインのご機嫌をなおし、なんらかの重要な役職に迎えるのが得策、と思いなおすようになりました。相良知安と岩佐純というボードインの教えを受けた二人の医者を御用掛という調査役にして、この二人にボードインのご機嫌とりを命じます。
ボードインは大阪の門下生・緒方惟準から紹介された法性寺という寺に身を寄せ、そしてすねていました。「わざわざオランダに帰って準備てきたのに。新政府は冷たいものよ」と。
対して相良と岩佐は「ボードイン先生、そうおっしゃらず。こんど、大坂の鈴木町に仮病院と医学校ができますので、そこで教壇にお立ちになって、またわれわれ日本人に医学を教えてくれませんでしょうか」とボードインをなだめます。
「もう日本なんてこりごりだ。オランダに帰りますよ」
「ボードイン先生、そうおっしゃらず。新しい日本には先生の存在が必要なのです」
相良と岩佐の再三にわたる必死の説得にボードインも折れて、新政府にも協力することになったといいます。ボードインは、大阪の仮病院(現在の大阪大学医学部の前進)で1年間、教頭として教鞭をふるいました。
こうして新政府は、ボードインの機嫌を取り戻すことに成功し、ほっと息をついたのでした。その後、新政府は旧幕府が建てた昌平黌を、昌平学校さらには大学校(いまの東京大学)に改めるなどして、医療政策を着実に進めていくことになりました。
激動期の日本。青い目の人たちには、どのように映っていたのでしょうか。
さて、ここからは余談です。
1870年、東京・上野の山に新政府の医学校と病院が建てられようとしていました。しかし、オランダへ帰る直前に東京に来ていたボードインが「ここは、自然のままにしておきなさいよ」と新政府に言ったため、政府はこの提案をのんで、ここを公園に指定しました。
そんな経緯から、ボードインは「上野公園の父」ともよばれています。そして、開園から100周年の1973年、上野公園内にボードインの銅像が置かれることになりました。
除幕されたボードインの銅像。しかしなんと、すえおかれていたのは、じつはボードイン本人の顔ではありませんでした。まちがって、ボードインの弟が銅像になってしまっていたのです。
「この期におよんで私を冷遇するのですか」と、ふたたび機嫌をそこねたボードインの声が、あの世から聞こえてきそうな…。
その後、2006年10月になってボードイン像は、ボードインが大阪で身を寄せていた法性寺からの寄贈により、弟から本人にすげかえられたそうです。めでたし、めでたし。
参考文献:
吉村昭著
『白い航跡(上)』
参考ホームページ:
http://www.tpa-kitatama.jp/museum/museum_09.html
http://www.geocities.jp/bane2161/bo-doin.htm
http://www.lb.nagasaki-u.ac.jp/ml/exhibit/kyoshi/orandakyoshi.html