科学技術のアネクドート

「命の設計図」を報じる(2)
「命の設計図」を報じる(1)



1953年、科学雑誌『ネイチャー』4月25日付に、ジェームズ・ワトソンとフランシス・クリックの論文「デオキシリボ核酸の分子構造」、つまりいわゆる「DNA二重らせん構造の発見」の論文が掲載されました。

近ごろの日本の新聞報道では、大きな科学の研究成果が『ネイチャー』や米国の『サイエンス』などの雑誌に載るとわかると、その号の日付当日あたりに記事として紹介する場合が多いです。「発見の内容は、科学雑誌『ネイチャー』の何月何日号に掲載される」といった紹介を目にしたこともあるでしょう。

これは雑誌社が、報道機関などにあらかじめ「何々という論文が載ります」と情報を流しておくため。しかし、雑誌より何日も前に新聞が研究成果を紹介してしまっては、雑誌の価値が落ちてしまいます。そこで「何月何日何時になったら報道しはじめてもいいです」というお達しを雑誌社が出します。港で外国の船舶の出港を阻止するため抑留を「エンバーゴー」といいますが、おなじく雑誌社が報道機関に対して提供する情報の解禁日を決める行いを「エンバーゴー」といいます。

50年前以上の、雑誌と新聞社には、エンバーゴーのような取り決めは、まだなかったものと考えられます。では、当時の日本の報道機関は、「DNA二重らせん構造の発見」という、生命科学の歴史の礎となるできごとをどのように報じたのでしょうか。

ここに、朝日新聞の昭和28(1953年)4月と5月の「縮刷版」があります。目次の「科学」という項を見ると「パノラマ式魚群探知機登場」や「『原子力』の平和的利用」やといった、記事の名前が並んでいます。しかし、目次を見ても、また、どのページを当たってみても、ワトソンとクリックの業績は報じられていません。

“報道なし”は、朝日新聞でけではなく、毎日新聞や日本経済新聞などを見てもおなじ。偉大とされる発見が、国が違うからとはいえ、当時の新聞に載っていないのは、すこし意外な気もするでしょうか。しかし、次のような背景を考えれば、“報道なし”は当たり前なのかもしれません。

まず、1点目。当時の新聞の科学技術報道の扱いは、いまのぐらいに充実してはいませんでした。たとえば、朝日新聞の1953年4月分の科学に関する記事を目次で数えると、11本の単発記事と日本学術会議関連の9記事、それに短信の3記事だけでした。

2点目。「DNA二重らせん構造の発見」は『ネイチャー』に載った直後は、まだ科学的価値がゆれていた点です。たしかに、ワトソンが後にみずからの研究を振り返った『二重らせん』という本の中で、DNAの構造を解き明かすための研究は、当時の生命科学における最大の論点であったように書かれています。

しかしながら、熱い争点となっている論題に関しては、熱いがために追試などを通して、後年に「あの理論はどうやら素晴らしい」と価値が与えられるもの。当時の生物学界には、「ワトソンとクリックから論文が発表されたようだけれど、さて、この論文は、これからどう評価されるか」といった、のんびりとした雰囲気もあったともいいます。

さらに3点目。日本国内ではDNAについての研究などはまだ進んでいず、「発見」の価値を鑑定できる目利きは、少なくともマスメディアの周辺には存在していなかったのでしょう。

こうした点から、「DNA二重らせん構造の発見」が、日本の新聞報道にお目見えするまでには、しばらくの歳月をまたなければなりませんでした。では、「発見」に対する報道がなされたのは、いつでしょうか。時は、『ネイチャー』に論文が載ってから9年半後へと移ります。つづく。
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「伝世古」と「土中古」


古美術品などのような、文化財(文化的にお値打ちがある品々)は、国や地域によって“未来への受けつがれ方”がちがいます。

日本の歴史的な文化財の「宝庫」といえば、奈良・東大寺にある正倉院がまず思い浮かびます。聖武天皇が死んだあと、生前の愛用品などを、この正倉院に収めました。

奈良時代に正倉院の管理をしていた人物は、遺品の数々を大事に扱っていたようです。布で包み、唐櫃(とうひつ)という箱の中に入れ、さらにその櫃が床にじかに着かぬよう、四隅に脚を付けて保管したといいます。くわえて正倉院は高床式。湿気から遺品を守ることもできます。

こうして正倉院の歴史的な文化財は、千年以上ものあいだ、世代から世代へと受け継がれていきました。

いっぽう、中国など大陸の歴史的文化財は、どのように受け継がれているのでしょう。

中国は、全土を支配する“国”がめまぐるしく変わったため、千年以上にわたり人から人へと受け継がれるような歴史的文化財はありません。

よく耳にするのは、「古都の地中から何千、何万の鏡や器が見つかった」という話。秦の始皇帝の墓からは、「明器」とよばれる人とおなじ大きさの人形などが6000体も見つかっています。始皇帝が“あの世”でもおなじ生活を営む、と信じられていたため、おともする人を模した人形を墓のまわりに置いたのです。

日本の正倉院に置かれている遺品ような、人から人へと伝わっていく歴史的文化財を「伝世古」といいます。いっぽう、中国の始皇帝の名器のような、土の中から発掘されるかたちで結果的に伝わっていく歴史的文化財を「土中古」といいます。

「日本のほうが、文化財の扱い方がていねい」。そう思えるかもしれません。

たしかに、その一面はありそうです。けれども、貴重な品々がそれほど多くなかったために、正倉院で大事に保管することができた、という考え方もできるようです。いっぽうの中国では、土に埋めないと保存できないほど、遺品の数も多かったとか。

あなたの家にある“お宝”は、どのように保管しますか。物騒な世の中、いっそのこと未来に「土中古」として発掘されるよう、土に入れておくという手段もありなのかも…。
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書評『生命の未来』
選挙の結果、日本の政治の未来はかなり見づらくなったようです。いっぽう、こちらの未来のほうはどうでしょうか。原著は2002年に出版されています。

『生命の未来』エドワード・O・ウィルソン著 山下篤子訳 角川書店 2003年 279ページ


進化の結果、自然の世界ではさまざまな生物が生を営んでいる。生物や遺伝子、生体系の種類がたくさんいる状態を「生物多様性」という。

著者のエドワード・O・ウィルソンは、その生物多様性を大切にしようという主義をもっている。この本で、生命の未来を憂う。

著者に対して理想主義者を描く人も多い。けれども、本を読むかぎりは、まったくの理想主義者というわけではなさそうだ。たとえば安全性が保証されれば遺伝子組み換え技術の利用もいとわない。また、財力のあるNGOが原生林の土地を競売で購入することで自然を守るという案をさしだす。現実的視点に立った目ももっているのだ。

環境問題を話すときには、次のようなふたつの根本的な葛藤があるだろう。この本ではその葛藤に対する著者の答が示唆されている。

ひとつは「環境か経済か」といった優先順位の選択について。つまり「地球の遠い将来を見すえる」といった長い目をもつか、「今日明日の利益を追求する」という短い目をもつかの問題だ。

著者が言うには、地球環境を保全することは結果的に経済をうるおすことになる。たとえば、生物多様性から利益となる資源を求めようとするバイオプロスペクティングという考えがある。米国の国立公園で好熱菌が発見されて莫大な経済的利益がもたらされた。生物多様性が保たれているおかげだ。

もうひとつの葛藤は、生物が一種や二種だけ絶滅したからといって、大勢には影響ないではないかという論だ。自分が選挙で投票したって当選者がかわるわけではないという感覚と似たものかもしれない。

ところが、現実は一種や二種が絶滅するどころの話ではないという。絶滅の危険に晒されている生物の一覧である「レッドリスト」をもとに計算すれば、21世紀中に哺乳動物の4分の1、鳥類種の8分の1が絶滅する見込みだ。年間の絶滅率で計算すると、最悪の場合1000分の1から100分の1種が絶滅するという。ここまで数字が跳ねあがると、「種の絶滅のひとつやふたつ」といった話ももはや成り立たなくなってくる。

環境問題は「なんとなく」関心を持っている人が多い。そうした「なんとなく」関心を持っている人たちを取り込んで世論をつくっていくためには、やっぱりこうした本の存在を知らしめて、じっくりと読んでもらうことが重要なのだろう。

『生命の未来』はこちらで。
http://www.amazon.co.jp/生命の未来-エドワード・オズボーン-ウィルソン/dp/4047914622/ref=sr_1_3/249-7485572-0365152?ie=UTF8&s=books&qid=1185726271&sr=1-3
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「命の設計図」を報じる(1)


米国人ジェームズ・ワトソンと英国人フランシス・クリックは、英国のケンブリッジ大学キャベンディッシュ研究所に籍をおいていた研究仲間でした。

1953年ふたりは、DNA(デオキシリボ核酸)という分子の“形”が「二重らせん」の形をしているという確証を得ます。喜び勇んだふたりは、英国の科学雑誌『ネイチャー』に論文を送りました。

『ネイチャー』1953年4月25日号に737ページには、二本のリボンを横棒がつないでいるような“形”の絵とともに、「デオキシリボ核酸の分子構造」という論文を見ることができます。

これが、科学史の中でももっとも有名となった、ワトソンとクリックの、いわゆる「DNA二重らせん構造」の論文です。

「我々はここに、デオキシリボ核酸(DNA)の塩の構造を提案したい。この構造には、生物学的に見て非常に興味深い新しい特徴が備わっている」で始まる、この論文は、そのページの終わりごろには、はやくも謝辞がはじまり、次のページに進むと、著者名と参考文献がならび、そこで終わってしまいます。

核酸の構造は、当時の欧米の生物学者たちにとって、論争の的でした。人から人、生き物から生き物へと、次の世代に情報を伝える遺伝子は、かつては体のたんぱく質の中に潜んでいると考えられていましたが、その後、細胞の染色体の中にあるデオキシリボ核酸つまりDNAの中に含まれているということがわかっていたのです。遺伝子の正体を突き止めることには、DNAの構造を解き明かせばよい。生物学者たちはだれもがそう思い、その“形”を突き止めようとしていたのです。

「20世紀から21世紀へと続く生命科学の歴史で、礎となった研究成果を挙げよ」という問いに対して、科学者だけでなく、科学にすこしでも詳しい人ならば、多くの人が、ワトソンとクリックの「DNAの二重らせん構造の発見」と答えることでしょう。

科学史にも輝く『ネイチャー』1953年4月25日号の論文を、日本の国内はどのように捉えていたのでしょうか。1953年の新聞をひもとくことにしましょう。つづく。
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アラブ世界の科学事情


きょう(2007年7月27日)、早稲田大学で「科学技術ジャーナリズムの現在:日本とアラブ」というシンポジウムが開かれました。

講演では、アラブ圏出身で日本の情報をアラブに伝えているジャーナリストのサラメ・ウィサム氏がアラブ諸国の科学ジャーナリズム事情を話しました。

アラブと聞くと、科学の歴史のにおいが漂います。ギリシャ文化の幾何学を受け継いだのはアラブ。天文学を発展させたのもアラブ。

ところが話によると、アラブの人々の科学への関心のなさは筋金いりのようです。放送で科学の話題を取りあげる機会はほとんどなく、市民の科学への関心は国際的な標準よりも低いとのこと。

また、科学的発見を市民に伝える機会があっても、情報は非アラブ圏からのもの。欧米などで発表された科学的発見を、アラビア語に翻訳してそのまま伝えるのが日常だそうです。

こうした“科学の低迷”のいくつかの背景をウィサム氏は示しました。

まず、報道の優先順位が高くありません。伝え手は政治の話題を重視し、受け手はスポーツの話題に一喜一憂するそうです。

企業が科学に投資をする気がありません。放送や新聞での科学の話題の露出が少ないため企業が科学に魅力を感じない、という悪循環があるようです。

科学ジャーナリストの水準が低いため、市民の科学への関心が薄いそうです。これも、どちらが卵でどちらが鶏かという話のような気がします。

科学に対してはくらい話ばかりのようですが、科学の芽が出てきている国もあるとのこと。「アラブ諸国という括りだけでなく、各国の文化的特性があることも知ってほしい」とウィサム氏は言います。

その急先鋒がカタール。カタールでは、現政権が国に科学を根づかせるための改革を断行しているそうです。たとえば、国内総生産の28パーセントもの額を科学研究費に充てたり、「教育都市」という学術研究地域に、米国のコーネル大学やカーネギーメロン大学などの、科学に優れた教育機関を誘致したり。

カタールが科学に力を入れはじめた背景には、いつしか訪れるかもしれない石油の枯渇に備えるといった、国の事情があります。産油国が産油に頼れなくなったとき、何に頼るのか。カタールは科学に白羽の矢を立てました。

アラブの科学事情を知るとともに、アラブの情報に接する機会の少なさを実感した催しものでした。
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科学ジャーナリスト塾の塾生募集はじまる。


「科学ジャーナリスト塾」の第6期が、(2007年)9月10日(月)からはじまります。上の写真は前期のようす。

科学ジャーナリスト塾は、科学ジャーナリストの団体「日本科学技術ジャーナリスト会議」が開いている科学ジャーナリスト養成の場です。東京・内幸町の日本記者クラブの一室にあります。

6年目となるこの第6期は、9月から2月のおよそ半年間にわたり、講師による「講義」と「演習」、さらに講演客を招いての「講演会」への参加などで、塾生さんを養成します。日時は、月曜の18時30分から20時30分が中心です。

これまでの期では、塾生さんの数は50人ほどでしたが、この第6期は30人ほどにしぼり、その分、講師たちの指導を手あつくする方針です。塾に入ることを希望する方には、志望動機などを書いていただき選抜をおこないます。塾生になったときの費用は3万円です(前期にくらべて値上がりしました)。

また、この第6期では「新聞記事の書き方」などの「講演」と、作品づくりの「演習」を1日の回の中で行う予定。さらに塾生さんには、日本科学技術ジャーナリスト会議が毎月1回ほど、講演客を招いて開く講演会にも参加してもらいます。

作品づくりの演習では、「里山を守る」「ポストYouTube」「明らかになる宇宙の姿」「エネルギー利用」「認知症とアルツハイマー」という題目の各班に分かれて行われます。それぞれの班には、元NHKディレクターの林勝彦塾長や、東京新聞の科学部長の引野肇さんなどの講師が付いて指導する予定です。

申し込みの受け付けは(2007年)8月20日(月)まで。日程などの詳しい内容や応募方法につきましては、科学ジャーナリスト塾のホームページをごらんください。
http://www.jastj.jp/Zyuku/index.htm の「2007年の塾 塾生募集」です。
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「宇宙はふくらんでいる」となぜいえるのか。


「宇宙はふくらんでいる」となぜいえるのでしょう。科学の“材料”の組み合わせによる説明が要ります。

まずは、「ハッブルの法則」とよばれる物理学の法則から。ハッブルは20世紀前半に活躍した米国の天文学者です。「ハッブル宇宙望遠鏡」という世界でもっとも有名な天体望遠鏡の名前にもなっています。

銀河を観ていたハッブルは、「宇宙にあるすべての銀河が、私から遠ざかっているみたい」と気がつきました。そして、どうやら私たちからより遠い距離にある星ほど、その遠ざかる速さは増しているというのです。

ゴム風船で考えてみましょう。風船のなかのからっぽの空間の、「とある一点」を私たちのいる場所とします。風船のなかはもちろん空っぽですが、仮に一つの点があると思い浮かべてください。

この風船をぷうっとふくらまします。私たちのいる「とある一点」のほんの近くにある別の一点と、私たちのいる「とある一点」からもっとも離れた別の一点、つまりゴムの部分にある一点とでは、ゴムの部分にある一点のほうが、より速く遠ざかっていくことがわかると思います。

けれどもハッブルはどうやって、私たちから遠い星、つまり宇宙の果てのゴムの部分にあるような星ほど遠ざかりかたが速いという事実に気づいたのでしょう。ここで登場するのが、もうひとつの「赤方偏移」という材料です。

救急車の鳴らす音が、こちらに近づいてくるまでと、遠ざかってからとで変わって聞こえる経験をしたことがあるでしょうか。音はこちら近づいてくると高く聞こえ、逆に遠ざかっていくと低く聞こえます。これは、音に波の性質があるため。高い音だと波長は短く、低い音だと波長は長いのです。つまり、波がこちらに近づいてくるときは波長は短く、遠ざかっていくときは波長は長くなります。

いまの例は、救急車の鳴らす音という波でした。音と同じように、赤や青などの光にも波の性質があるのです。私たちから遠ざかっている物体が放っている光の波長は長くなります。光の色の波長は、赤がもっとも長く、青がもっとも短いのです。この性質から、私たちのいる場所から、より速く遠ざかっている星ほど赤くなるという現象が導かれます。

ハッブルは、宇宙の星々を観ていると、「どうも青い星よりも、赤い星のほうが多い」と気づいたのです。そこで、地球との距離がわかっている星々の「赤さ」をくらべてみたところ、遠くにある星ほど「赤さ」が強いという法則が導かれたのです。

なお、地球と星の距離を計る方法は、ハッブルが生きていた時代からすでにいろいろとあったようです。

たとえば「変光星」という変わった特徴をもつ星を使う方法。変光星はその名のとおり、光の強い弱いが周期的に変わる星です。変光星にはとても規則正しい性質があります。光の強い弱いの周期がまったくおなじ星と星であれば、そのふたつの星が放つ光の明るさもまったくおなじなのです。ただし、地球からの見た目としては、遠くにある星ほど暗く見えます。つまり、Aという変光星とBという変光星の光の強い弱いの周期がおなじなのに、Aの星がBの星より暗ければ、Aの星のほうが地球から遠くにあることになります。

本来の明るさと見た目の明るさの差をくらべることによって、変光星どおしの相対的な遠さの関係を求めることができるわけです。ハッブルは「赤さ」くらべに変光星を使ったようです。
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わかった気分にさせられる


3年ほど前のこと。ナノテクノロジー(微細加工技術)にくわしい人が、こんな話をしていました。

「機械の針先でナノの大きさの微粒子を動かすむずかしさを、私はこう言っているんです。富士山の山の形を逆さまにして、頂上のところで卓球の球を動かすようなものだ、って」

この話を聞いて、富士山の頂上のところで卓球の球をころころと転がしている絵を想像し、極微の技術とはいかに細かなものであるかと思ったものでした。

科学や技術の“しくみ”や“大きさ”などを説き明かそうとするとき、そこに立ちはだかるのは“理解のしづらさ”という壁です。

説明がむずかしくなってしまうわけは、日ごろの暮らしのなかでは使っていないような用語や概念や数式などが出てくるからでしょう。たとえば、1ナノメートルといわれても、引き出しの中の定規には1ミリメートルまでしか目盛りが刻まれていないため、想像しにくいもの。

そこで話の伝え手は、話の受け手が暮らしのなかで目にしたり耳にしたりしている知識や情報を借りて、「AはBのようなもの」とか、「CとDの関係は、EとFの関係のようなもの」のように喩えて話します。受け手は頭の中で“絵”を浮かべることができるようになります。

ただし、比喩による副作用も考えられないわけではありません。

たとえば、比喩による想像のなかには、不正確な情報までもが入り込むおそれがあるという副作用があります。はじめに紹介した富士山の頂上と卓球の球の比喩でいえば、機械の針先の形は、噴火口とちがって“すり鉢型”をしているわけではありません。この比喩では、寸法の話に焦点を当てているのであり、形の話をしているわけではないのです。

比喩で“百のうちの百”を伝えられるわけではありません。よく、たくみな表現ながらも、細部まではきちんと理解しきれない説明を、からかいをこめて「わかった気分にさせられる説明」といいます。比喩による説明は好例かもしれません。

とはいえ、比喩を使って話しが伝わるときの利点と、比喩を使って脇の不正確な情報までもが伝わるときの不利益を考えると、やはり利点のほうが大きそう。ぎゃくに不利益のほうが大きいと感じてしまうような比喩は、比喩として成り立たないということでしょう。

ふだんの暮らしの感覚が通用しづらい科学技術だからこそ、比喩の出番は多いのです。
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書評『異端の数ゼロ』
一般向けの数学書には、きらりと光る作品が見受けられます。この本も、そんな一冊。

『異端の数ゼロ 数学・物理学が恐れる最も危険な概念』チャールズ・サイフェ著 林大訳 早川書房 2003年 267ページ


「0」という数字は、1から9までの他の数字とはなりたちも性格も大きく違うもの。その異端の数字がこの本の“主人公”である。こうしたテーマには惹かれるものがある。

本書の前半は、「0」という概念の発見から始まり、なぜ、世界の多くで「0」が長い間受け入れられてこなかったかが書かれてある。そこには「神の存在」という問題がつねにつきまとっていたのだ。

そして、「0」がだんだんと中世以降のヨーロッパで認められていく過程や、「0」が生み出したともいえる新発見などに話が移っていく。そして最後は数学から離れて、20世紀以降の物理学や天文学で扱われてきた「0」の話になる。

「0」というテーマは、けっこう壮大なものかなと思っていたが、本編のボリュームは標準的な240ページほど。たとえば『エレガントな宇宙』や『フェルマーの最終定理』などの分厚い海外ノンフィクションに比べると、人物の紹介やエピソードなどはエッセンスだけに絞って、いくぶん抑えてかかれてあるような気がした。

「0」と表裏一体の関係の「無限大」についての話も、「0」についてと同じぐらいの分量で出てくる。それほどまで「0」と「無限大」は切っても切れないものということだろう。

昔の人々は、存在の無いものを「0」として存在させて、世の中の仕組みをよりわかりやすいものにした。こうした話を読むと、「0」の発見とは言わないまでも、単純でありながらまだ発見されていない「便利なもの」が、世の中には眠っているのかもしれないと思えてくる。

『異端の数ゼロ』はこちらで。
http://www.amazon.co.jp/異端の数ゼロ?数学・物理学が恐れるもっとも危険な概念-チャールズ-サイフェ/dp/415208524X
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ゲームの主人公から遺伝子の名前


「遺伝子」や「DNA」などといった科学のことばは、世の中で「受け継がれていく精神」といった意味合いで使われています。「科学から社会へ」ことばが転じた例といえます。

ぎゃくに、「社会から科学へ」ことばが転じるときもあります。

15年ほどまえ、セガというゲーム会社が、任天堂のマリオ・ブラザーズに対抗するように、ゲームで「ソニック・ザ・ヘッジホッグ」という主人公を登場させました。「ソニック」は「音速の」という意味。「ヘッジホッグ」は「ハリネズミ」という意味。ハリネズミのようなキャラクターが画面の中を速く走り回る…。『ソニック・ザ・ヘッジホッグ』はそんなゲームでした。

さて、話はかわって1995年。米国のエリック・ヴィーシャウスとドイツのクリスティアーネ・ニュスライン=フォルハルトという生物学者が「初期胚発生の遺伝的制御に関する発見」という業績によりノーベル賞を受賞しました。

「胚」とは、精子と卵子が出会って間もない段階の細胞のこと。皮膚や骨や臓器などの、体のいろいろな組織や器官が作り出される前の段階の、枝分かれの源となる細胞です。ふたりは、この胚の枝分かれを制御する遺伝子を見つけたのです。

ノーベル賞をもたらしたその遺伝子は、いくつかの種類があることがわかっていたのですが、それらをまとめて「ヘッジホッグ遺伝子」とよんでいました。機能を果たさなくなると、胚にハリネズミの針のような突起物が生えてくるからです。

ヘッジホッグ遺伝子の研究により、哺乳類には似た3種類の遺伝子があることがわかりました。そして、ハーバード医科大学のロバート・リドルという博士号取得研究者が、ヘッジホッグ遺伝子のうちもっとも胚の枝分かれに影響をあたえる遺伝子を特定。「ナントカ・ヘッジホッグ遺伝子」と名付けていたこれまでの例から、「ソニック・ヘッジホッグ遺伝子」と名付けたのです。

リドル博士が、とりわけ“セガ派”のゲーム好きだったかどうかはわかりません。けれども、この命名に対しては、多くの科学者たちが「崇高なる生物の分子を価値のないものにおとしめるものだ」などと、反対の声を上げたそうです。

ゲノムの読み取りがなされ、「○○に関係する遺伝子」がつぎつぎと見つかる時代。“美名”でも“悪名”でも、人々の記憶に留まる遺伝子の命名法が大切だということでしょうか。
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けがしやすい力士、痛い力士。


大相撲は、この名古屋場所からひさびさの東西両横綱。むすび前の一番にのぞむ朝青龍の姿には、まだ違和感があります。

今場所はまた、地元の愛知出身の関脇・琴光喜が活躍。大関昇進を確実にしました。

いっぽうで、その大関陣はというと、今場所で大関在位記録を51とした千代大海は14日目でやっと勝ち越し。また前半戦に白星を重ねていた魁皇も、幕内通算705勝で歴代5位となりながら休場。積み重ねた結果としての記録はすばらしいものがありますが、反面、休場やカド番が多いという印象もつきまといます。

けがをしにくい力士とけがをしにくい力士。なにか、差はあるのでしょうか。

体重がある力士は、体への負担もかかりやすそうなため、故障になりやすいと連想してしまいがちです。けれども、体重とけがの関係を示すような根拠ある数値は出ていないのだそう。

いっぽうで、観ている側に「痛そうだ」と思わせる力士とそうでない力士がいるそうです。

科学的な説明があるわけではありませんが、真正面からぶちかましていくような正攻法の攻めや、相手の体当たりにまともに受けてたつような、“まともな”力士には、まわりに「痛さ」をあたえる傾向があるのだとか。思いあたる力士といえば、土佐ノ海や雅山あたりでしょうか。

観ているかぎりの印象では、体のしなりがあり、相手の突きなどをうまく吸収する力士は、けがに強そうな印象があります。白鵬とか(過去には、休場もしているけれど)。

朝青龍の強さと、高見盛のロボティクスのみが目立っていた大相撲ですが、ここに来て礼儀正しい豊真将や、往年の若瀬川を思い起こさせる琴奨菊などのように、個性のある力士も登場しています。いっぽうで、琴欧洲や黒海などの欧州勢の相撲ぶりは、懐郷の念にかられていやしないかと、やや心配なところであります。

今場所やや脇役にまわっていた朝青龍と、今場所の主役のひとり琴光喜がともに1敗。大相撲名古屋場所はあす、千秋楽をむかえます。
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新しい眠りの話


日経BPオンラインの「日刊新書レビュー」に、『眠りの悩み相談室』という新書の書評を寄せました。こちらです。
http://business.nikkeibp.co.jp/article/life/20070712/129758/

書評には載せられなかった話を、この場を借りて。

この本の中には、「じつはこういうことがわかってきたのです」という、みっつの驚いた話がありました。

ひとつめは、「人の体内時計の周期は約24時間」という話。これまで、人の体内時計の周期は25時間であり、日の光を浴びることでどうにかつじつまを合わせているという話だった気がします。

けれども本では、「最近の研究によると体内時計は、ほとんど正確に24時間で動いており、個人差は30分以内とされています」とあります。このわずかなずれによる、睡眠時間帯の早まりまたは遅れを、本では「睡眠相前進症候群」「睡眠相後退症候群」という症状として説いています。

ふたつめは、「眠りの浅い深いの周期は人によりけり」という話。これまで、浅い眠りのレム睡眠と深い眠りのノンレム睡眠は、90分ごとにくりかえすから、寝てから3時間後や6時間後が起きやすいと思いこんでいました。

けれども、レム睡眠とノンレム睡眠の周期は、人によってだいぶ異なり、60分周期の人もいれば、120分周期の人もいるのだそう。3時間ぴったり眠ったのに、なぜかどうしても眠いという方も、これで安心して眠れそうです。

みっつめは、「ご飯を食べていようがいまいが、昼の眠気はやってくる」という話。これまで、昼過ぎに眠くなるのはご飯を食べたからだと思っていました。

けれども著者は、眠気は「実は食事をとらなくても現れるそうです」として、昼の眠気と夜の眠気の“ふたこぶラクダ”を説いています。これで、昼ご飯を満腹に食べても食べなくても、安心して昼寝ができそうです。

眠りの研究は日進月歩のようです。

『眠りの悩み相談室』はこちらでどうぞ。
http://www.amazon.co.jp/眠りの悩み相談室-粂-和彦/dp/4480063676/ref=sr_1_1/249-7485572-0365152?ie=UTF8&s=books&qid=1184865041&sr=1-1
日経BPオンラインの日刊新書レビュー『眠りの悩み相談室』の書評はこちら。
http://business.nikkeibp.co.jp/article/life/20070712/129758/
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「進化論」対「太陽年齢2千万年論」


きわめてかんたんなつくりだった生物は、時がたつにつれてじょじょに進化していき、人間のような複雑な生物が誕生するにいたった…。

「進化論」が登場したのは、19世紀のなかごろでした。論の持ち主はチャールズ・ダーウィン。

進化論に、まずたてついたのがキリスト教です。なぜならキリスト教は人間を「神が創りたもうた特別な存在」と考えていたから。人間と獣の起源はいっしょだ、などという論はとうてい受けいれられるものではありません。

けれども、ときはすでに19世紀なかごろ。ガリレイが断罪されながら「それでも地球はまわっている」と言っていたころの時代とはちがって、教会がダーウィンをきびしく処罰する行いを時代が許しませんでした。

キリスト教会の遠くからの非難にひるむことなく、進化論を唱えたダーウィン。けれども彼には、さらにおそるべき天敵がいたといいます。

天敵の名は、ウィリアム・トムソン。またの名はケルヴィン。絶対温度の単位「ケルヴィン」の名でも知られる英国の物理学者です。ダーウィンと同じ時代を生きました。

なぜ、ダーウィンの天敵がケルヴィンだったのか。そこには、生物学と物理学を代表する者どうしの、知的な争いがあったのです。

ケルヴィンは「温かいものはすべて冷める」という熱力学第二法則の発見者でもあります。この法則を太陽にあてはめて、太陽の年齢を計算してみました。

ケルヴィンが出した太陽の年齢は、2千万年。太陽の誕生から19世紀なかばまでは、2千万年しかかからなかったというのです。ちなみに、いまでは太陽の年齢は46億年といわれており、ケルヴィンの計算の230倍になります。

ケルヴィンが出したこの結論は、進化論を唱えていたダーウィンにとっておそろしいものでした。なぜならば、いきものの進化の速さを考えると、とうてい2千万年では、人間のような複雑なしくみをもったいきものなど現れえないからです。もしケルヴィンの言う太陽の年齢が正しければ、ダーウィンの論は崩れさってしまいます。

ダーウィンとケルヴィンの知的な争い。勝ったのはどちらでしょう。

ダーウィンの進化論は、その後も世の中に受け入れられました。対して、ケルヴィンの太陽年齢2千万年論は、まちがいが指摘されたのです。

ケルヴィンの論は、どこにまちがいがあったのでしょう。

太陽の年齢を、あなたがいま使っているパーソナル・コンピュータの寿命におきかえるとわかりやすいかもしれません。ケルヴィンは、「あなたのコンピュータの寿命を計算しました。あと2時間です。そのバッテリーというエネルギー源がなくなってしまいますからね」と言っていたのです。

コンピュータはバッテリーのほか、電源をコンセントから求めることができます。おなじように、ケルヴィンが太陽の年齢の計算をするときに対象とした重力エネルギー以外にも、太陽の年齢の計算に取り入れるべきエネルギーの要素はたくさんあったのです。

ダーウィンは1882年、73歳で生涯を終えました。ダーウィンが生きているうちは、ケルヴィンの太陽の年齢2千万年論はくつがえらなかったとか。

不安のまま、あの世に逝った人間ダーウィン。「ケルヴィンの論をどうにかしてよ」と、神にすがりつく思いだったのでしょうか。

参考ホームページ:Nobelprize.org “The Age of the Sun”
http://nobelprize.org/nobel_prizes/physics/articles/fusion/sun_1.html
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ものの言いよう


おなじものごとでも、言いようによって良くも悪くも聞えるもの。

たとえば、会社の部長から「○○くん、今回の競合プレゼンだけれど、A社の案でいくぞ」と言われたとき。おなじ賛意を示すにしても、「部長、当然でしょう」とこたえるのと、「部長、私もそう思っていました」とこたえるのでは、「そんなのあったりまえじゃないすかぁ」と「部長、これからもサポートします」くらいのちがいがある気がしてなりません。

上の例では、ことばを発した人(つまり部下)は“ものの言いよう”に気づかず、ことばを受けた人(つまり部長)は「言いようってものがあるだろう」と、“ものの言いよう”に気づく、そんな関係のときが多そうです。

いっぽうで、ことばを発した人が“ものの言いよう”に気づいているものの、ことばを受けた人は“ものの言いよう”に気づかない関係のときもあります。

その最たる例として思い浮かぶのが、新聞や報道番組での調査結果の伝えかたです。

たとえば、「原子力発電に賛成ですか、反対ですか」という問いに、応じた人の6割が「賛成」と答え、4割が「反対」と答えたとします。

伝え手がもし、原子力発電に賛成の立場であれば、記事には「原子力発電に賛成する人は6割にのぼることが明らかになった」と書くでしょう。

いっぽう、伝え手がもし原子力発電に反対の立場であれば、記事には「原子力発電に反対する人は4割にのぼることが明らかになった」と書くでしょう。

まったくおなじ結果に対しても、“ものの言いよう”によって、ことばを受けた人の印象はちがってくるもの。でも、一つの記事を見るだけでは、“ものの言いよう”にはなかなか気づきません。

伝え手は、受け手の情報提供者たれ、中立たれ、とよくいわれます。調査結果を報じる場面にかぎっては、伝え手がみずからの主観を示す場でありつづけている気がします。
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原子力発電所の耐震設計指針


きのう(2007年7月17日)起きた中越沖地震では、東京電力の原子力発電所・柏崎刈羽原子力発電所の原子炉が緊急停止しました。微量ながらも放射性物質を含んだ水が海に漏れたそうです。今回の地震の揺れは、耐震設計の基準を上回っていたといいます。

日本の原子力発電所の耐震基準はどうなっているのでしょう。

昨2006年9月、政府の原子力安全委員会は、原子力発電所の地震対策の基準である「耐震設計審査指針」を改めました。1981年に指針が決定されてから25年目で初めてです。

新しい指針では、それまで二つの段階があった耐震基準を一つに統一し、それぞれの原子炉の近くを走る活断層の対象を5万年前のものから13万年前のものにまで広げるなどしました。全体として原子力発電所の安全基準を強くなったとされています。

かつての耐震基準では、設計用最強地震動「S1」と、設計用限界地震動「S2」という基準が用いられていました。S1は、原子力発電所のまわりで過去1万年のあいだに活動した活断層や、過去の地震の記録をもとに考えられていた基準でした。S2は、S1よりも強く、過去5万年のあいだに活動した活断層や、マグニチュード6.5の直下型地震を想定して考慮されていました。

いっぽう、新しい指針では、放射能を内蔵する施設や、それらの施設と直接関係する施設について、S1とS2を合わせた「Ss」という基準を適用しています。そのうえで、書く原子炉の敷地ごとに検討すべき活断層を、13万年前のものまでさかのぼることとしました。

けれども、この新しい耐震基準はこれから設計される原子力発電所に適用されるもの。

柏崎刈羽原発を含め、いま実際に動いている原子力発電所については、原子力安全委員会から各電力会社に耐震の安全性を評価することを求めているにとどまっています。また、原子力安全委員会は昨年、「稼働中の原子力発電所はすでに耐震安全性は確保されている」とも話していました。

さらに、指針が新しくなっても「残余のリスク」が残ることが、原子力安全委員会では共通の意見として出されています。残余のリスクとは「策定された地震動を上回る地震動の影響が施設に及ぶことにより、施設に重大な損傷事象が発生すること、施設から大量の放射性物質が放散される事象が発生すること、あるいはそれらの結果として周辺公衆に対して放射線被ばくによる災害を及ぼすことのリスク」のこと(同委員会)。つまり、いくら危険性を考えても、それを上回る災害が起きうることを認めているかたちです。

今回の地震の揺れは、柏崎刈羽原子力発電所を設計したときの想定外だったといいます。安全基準に「残余のリスク」や「想定外」が許されるのかどうか、耐震基準のより厳しい見直しが求められそうです。

原子力安全委員会「発電用原子炉施設に関する耐震設計審査指針」はこちら。
http://www.nsc.go.jp/anzen/sonota/kettei/20060919-31.pdf
東京電力柏崎刈羽原子力発電所のホームページはこちら。
http://www.tepco.co.jp/nu/kk-np/index-j.html
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書評『世界デザイン史』
今日は、デザインの歴史についての良作の紹介です。

『世界デザイン史』阿部公正監修 美術出版社 1995年 193p


歴史には大河がともなう。世界史の教科書を眺めれば、古代ローマから、ゲルマン民族大移動、ルネサンス、産業革命、列強の台頭、世界大戦へと続く大きな流れがある。

同じように、デザイン史にも大河が存在するようだ。デザインの祖ウイリアム・モリスのアーツ・アンド・クラフト運動を源流とし、河はアール・ヌーボーやドイツ工作連盟といった19世紀や20世紀の革新的運動へと流れていき、その後、ロシア構成主義という溜りを経て、バウハウスやデ・ステイルへとたどり着く流れである。その後、第二次世界大戦以降は価値観の多様化などもあって、デザインの流れはデルタ地帯のように細分化していく。

デザイン史をこの本で初めて触れる方には、一度読むだけでその流れを捉えきるのは難しいかもしれない。けれども、少なくとも各時代の雰囲気を感じ取ることはできそうだ。各時代の象徴的なデザインの図が、複数載っているから、「これがアール・ヌーボー」「これがロシア構成主義」といった各時代のデザインの特徴はわかるのではないだろうか。同じページの図版には、共通した特徴を見てとることができる。

この本は、本文と図版の両方が無いと成り立たないと思う。ただ、味わいどころとしては、図版のほうに軍配が上がる気がする。それは喩えるなら、美術館の主従関係が、「主・作品、従・解説」であるというのと同じことだ。

読者のあなたは「世界デザイン史展」を訪れ、デザインの歴史を順路に従い見て回ることになる。テーマごとに分けられた各部屋には詳しい解説が付いている。あなたのお気に入りの作品とその時代を見つけられるかもしれない。それほどでもないデザインはささっと素通りすればいい。

好き嫌いとはまたちょっと違う、善し悪しという尺度で観てみることもできる。ここに載っているデザイン作品は、誰が観ても「よい」と思えるものばかりだと思う。

『世界デザイン史』はこちらで。
http://www.amazon.co.jp/世界デザイン史-阿部-公正/dp/4568501741/ref=cm_cr-mr-title/249-7485572-0365152
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参議院選挙、科学の争点(4)まとめ


参議院選挙、科学の争点(1)
参議院選挙、科学の争点(2)与党編
参議院選挙、科学の争点(3)野党編

「遺伝子診断」と「DNAデータベース」という、ヒトゲノム情報の社会利用について、それぞれの政党に党の姿勢を聞いてきました。おさらいをしてみましょう。

まず、大きな枠組みとして、ヒトゲノム情報の社会利用については…。

自民党は「推進」。公明党は「推進」。民主党は「推進あるいは否定しない」。社民党は「推進」。共産党は「与党の出す案に反対」となりました。「いますぐやめるべきだ」という党はありませんでした。

では、より具体的な遺伝子診断についてはどうかというと…。

自民党は「態度決めず」。公明党は「態度決めず」。民主党は「態度決めず」。社民党は「態度決めず、ただし否定的」。共産党は「態度決めず、国民的議論を」となりました。「態度決めず」で、足並みはほぼ揃っています。

DNAデータベースの使用についてはどうかというと…。

自民党は「態度決めず、ただし行政は実施中」。公明党は「態度決めず、ただし行政は実施中」。民主党は「態度決めず、ただし肯定的」。社民党は「態度決めず、ただし否定的」。共産党「態度決めず、ただし条件付きで肯定的」となりました。ほとんどの党が、DNAデータベースの使用には賛成のようで、社民党だけが否定的な色が強いという結果です。

今回は、取材の予告もせずにいきなり電話で聞きました。

遺伝子診断とDNAデータベースについて、各政党とも明確な態度を示さないのは、次のような背景があるからでしょう。

まず、第1話でも話したとおり、倫理的な問題が大きく関わってくるという背景。人それぞれの経験や思想に関わってくる問題のため、「政党としてこう考える」という、まとまった姿勢をうちだしづらいのでしょう。

けれどもより大きな背景として、問題への無関心さがありそうです。電話で「ヒトゲノムについてお聞きしたいのですが」と聞くと、どの政党も「ああ、なんかそんな話ありましたっけ」という応え方。「申しわけないです。あまり科学のほうは強くないものですから」という公明党の対応者のひとことが象徴的でした。

年金問題などとちがい、たしかに生命科学の問題は、多くの人にとって差し迫った議論が要る問題ではないのかもしれません。けれども一人ひとりの考え方や哲学に関わる、とても深いものでもあります。

遺伝子診断などの話がより身近になってきたら、生命科学の問題は選挙の争点になってくるでしょうか。政党が無関心であるという現状を考えると、「国民の議論が必要」という気がします。が、自然と議論が活発になっていくのかという点では「ただし否定的」という印象です。議論のきっかけとなる大きな問題提起を、報道や医療に携わるひと、あるいは市民が起こす必要がありそうです。

参議院選挙の投票日は(2007年)7月29日です。(了)
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参議院選挙、科学の争点(3)野党編
参議院選挙、科学の争点(1)
参議院選挙、科学の争点(2)与党編



各政党は、「遺伝子診断」と「DNAデータベース」という二つのテーマについて、賛成なのでしょうか。それとも反対なのでしょうか。

きょうは野党に電話をして聞いてみたいと思います。

まず、政権争いに躍起の民主党から。

民主党はかなり前になりますが、2001年に発表した「次の内閣」の政策の中で、「21世紀の産業の鍵を握るヒトゲノム(人間の全遺伝情報)をはじめとする遺伝子情報の解析(略)を促進します」としています。また、2000年にも「ゲノム・プロジェクトチーム」の設置を決め、「バイオテクノロジーの進歩そのものは否定せず、生命倫理や新たな南北問題の可能性、安全性などさまざまに想定される問題の所在について当面、幅広く研究していく」ことを議論しています。

では、そんな民主党にも電話。

今度の選挙の参考にしたいのですが、民主党さんは、遺伝子診断について賛成でしょうか反対でしょうか。

「遺伝子診断ですか。生まれる前の胎児が病気をもっているとか、そういうのを診断されていたりしますよね。それについて党が考え方として出しているかというのはないと思いますね。賛否両論あって、政策的というよりも倫理的な問題なんだと思います。生殖医療については、代理出産や体外受精などいろいろな問題があると思います。学会の自主的な規準や医療機関の判断でやっているところもありますので、なんらかの基本的な枠組みを検討すべきではないかという議論はあります」

DNAデータベースについては賛成でしょうか、反対でしょうか。

「新聞報道で知ったぐらいなんですけれど、党としてそれについて賛成か反対かということはありません。プライバシーには配慮しつつ、個人情報は厳格に管理しつつも、利用できる部分は利用してもいいんじゃないか、という議論はたしかあったと思います」

つぎは社民党です。

社民党は、2003年11月の衆議院選挙のときのマニフェストの中で、「高度先端医療を拡充し、ゲノム技術等を用いた画期的な治療技術や医薬品、医療機器の研究開発・普及への圧倒的に少ない予算を増額し、基盤を整備します」としています。これからすると、ヒトゲノム情報の社会利用については、推進しているようです。

では、社民党に電話。

社民党さんは遺伝子診断に賛成でしょうか、反対でしょうか。

「遺伝子診断についてはかなり否定的なトーンだと思いますけれども、党として賛成か反対かということで議論に決着がついているということはないと思いますね。マニフェストに良いとか悪いとか書いてあるわけでもないですし、そこで議論がつきているということではないと思います」

DNAデータベースについては賛成でしょうか、反対でしょうか。

「基本的に反対だと思います。生体情報を治安機関が収集するということはどうなのか、と」

社民党は、ヒトゲノム情報の利用については推進ながらも、遺伝子診断やDNAデータベースにはやや否定的のようでした。

最後に共産党。

共産党のヒトゲノム情報の社会利用に対する姿勢はどうなのでしょう。2004年12月29日の機関紙『赤旗』では、ゲノム(遺伝子)情報の研究は、「長期的視野で地道な活動が求められ、公的研究機関でこそ可能となる研究」としています。研究の大事さを言っていることから、ゲノム情報の社会利用には推進のように思えます。

ところが、およそ1年後の2005年12月25日の『赤旗』では、「もうけ直結研究に増額」という小見出しのもと「新規で、遺伝子工学を利用した薬を開発する『ポストゲノム競争に勝ち残るゲノム創薬研究開発』に六十六億円」もの額の予算がつけられている、と政府の予算案を批判しています。

共産党の姿勢は矛盾するように見えます。ただ、政府与党の出してくる案に反対であることはまちがいないようです。

そんな共産党にも電話で聞いてみました。

共産党さんは遺伝子診断に賛成でしょうか、反対でしょうか。

「態度表明をしていませんが、遺伝子診断については、本格的な実施に際して問題は起きていないと考えています。けれども学会の主導でいろいろなことに利用されていくということには慎重な姿勢です。国民的議論が必要でしょう。また、胎児の遺伝子診断では、妊婦さんがよく考慮した上で受けるかどうか判断できないと。行政による相談員などを設置してもよいのではないでしょうか」

DNAデータベースについては賛成でしょうか、反対でしょうか。

「指紋調査の延長として考えるかぎりは、問題があるとはいいがたいですね。ただし強制ではなく、DNA型を供出する本人の同意がなければなりません。また集めた情報は個人情報となるので、捜査目的以外に利用されることがあってはならなりません」

警察は、捜査目的以外には利用していないと言っています。

遺伝子診断とDNAデータベースに対する、与党・野党の答が出揃いました。まとめてみましょう。つづく。
| - | 23:59 | comments(0) | -
参議院選挙、科学の争点(2)与党編
参議院選挙、科学の争点(1)



各政党は、「遺伝子診断」と「DNAデータベース」という二つのテーマについて、賛成なのでしょうか。それとも反対なのでしょうか。

まずは与党。自民党から。

自民党は、党機関紙「自由民主」で、「ゲノム開発で、がんや高血圧や糖尿病の新薬も」「予防や治療面でも『医療革命』」などと書いています。全般的な、ヒトゲノム情報の社会利用は推進しているようです。

それを踏まえて、自民党に電話。

今度の選挙の参考にしたいのですが、自民党さんは、遺伝子診断について賛成でしょうか反対でしょうか。

「遺伝子診断ですか。あまり聞いたことがないですね。自民党の公約の中で取り入れるというような話は聞いていませんですね。そういう研究はあまりおおっぴらではないと思うんですけれども。倫理観のことだとか、考え方がまた違うものですから、宗教的にどうのということもあると思いますしですね。自民党のスタンスとしてどうこうということは、いまのところ…」

では、DNAデータベースについて賛成でしょうか反対でしょうか。

「そういうことがどうか、ということはちょっと聞いていませんけれども。その『DNAナントカ』もある意味で必要なことだと思いますし…。ちょっとわかりません。警察庁のほうにお聞きになられたらいいと思いますけれどもね」

そして最後に「行政がいろいろとやる分について、すべてを自民党で云々ということではないのです。そういった議論をいちいち自民党でやらないものもありますので」とのことでした。

では、連立政権を組み、厚生労働大臣も担当したことのある公明党はどうでしょうか。

公明党も、ホームページを見ると、「健康フロンティア戦略」という党の戦略の中で、政策に「ゲノム科学、たんぱく質科学、ナノテクノロジーの推進」を掲げているので、ヒトゲノムの社会利用については推進をしている模様。

これを踏まえて、公明党に電話をしてみましょう。

今度の選挙の参考にしたいのですが、ヒトゲノムに関連して…。

「詳しくないのでその辺は、はっきり分からない部分もあるんですけれど。党として賛成だとか反対だとかという議論はしていないと思います。政策の中ですべてできればいいと思いますが…」

遺伝子診断という診断法があってですね…。

「申しわけないです。あまり科学のほうは強くないものですから」

遺伝子診断とDNAデータベースについて、自民党も公明党も党としての態度というのはどうやら決めていないようです。電話応対者の反応を聞くかぎり、その人たちは科学にはあまり関心がないようでした。「遺伝子診断」は聞いたことがあるような気がする程度で、「DNAデータベース」はことば自体も知らないといった状況でした。

では、野党のほうはどうでしょうか。つづく。
| - | 11:28 | comments(0) | -
参議院選挙、科学の争点(1)


参議院の選挙戦がはじまりました。年金問題や消費税引き上げなどが争点になっているようです。

あまり注目されないテーマにも、政党間の争点はあるのでしょうか。

あなたの投票の参考になるかはわかりませんが、このブログでは、ある科学テーマについての各党の態度をただしておくことにします。

科学の分野は幅広いですが、今回の選挙にむけては「遺伝子診断」と「DNAデータベース」という生命科学の2テーマを取りあげて、勝手に争点にしてみたいと思います。

まず「遺伝子診断」。病気になる可能性があるかを調べる方法です。

人体の設計図「ヒトゲノム」のなかには、「ある病気になるかならないかの鍵をにぎる遺伝子」がいくつかあります。遺伝子に問題があるかどうかだけで、その病気にかかる可能性があるかどうかがわかってしまう病気があるのです。「遺伝子疾患」などといいます。

遺伝子診断を受けることにより、将来あなたが遺伝子疾患になる可能性があるかどうかがわかります。また、お腹のなかの赤ちゃんの遺伝子を調べることで、その赤ちゃんが生まれつきの病気をもっているかどうかも調べることができます。

つまり遺伝子診断により、受診した人の未来の運命がわかってしまうのです。となると、いろいろな問題が生まれてきます。

たとえば、企業が新入社員を雇うときに遺伝子診断を受けさせて、遺伝子疾患にかかる可能性のある人はすぐに解雇してしまうといった「遺伝子差別」が生まれないか。

さらに、生まれつきの病気をもって生まれる赤ちゃんをおろしてもよいのか。優れた遺伝子の子だけを産むといった危険な思想につながっていかないか、などなど。

科学の進歩にともなって浮かんできたのがこのような問題。遺伝子診断のことを、各政党はどのように捉えているのでしょうか。

もうひとつ。「DNAデータベース」についても、ただしてみましょう。

事件で容疑者が逮捕されると、その容疑者は、警察により指紋を採られるのと同じように「DNA型」を採られます。

DNA型は、その人がその人であることを見分けるための「DNAの指紋」のようなもの。容疑者たちのDNA型をデータベースとして記録しておけば、その後、別の事件で現場に残された体液や髪の毛などのDNA型と照合して、「型が一致するぞ。犯人はあいつにちがいない」と、容疑者を絞り込めるわけです。

ただ、このDNAデータベースにも、問題点があるといわれています。

たとえば、事件の容疑者とはいえ、警察が個人情報を握ってもいいのか。

また、いまはDNA型を採っている対象は容疑者ですが、だんだんと対象が拡大していかないか。

法律にはなっていない、このDNAデータベース制度。各政党はどのように捉えているのでしょうか。

自民党、公明党、民主党、社民党、日本共産党の各党に直接、電話で聞いてみることにしましょう。

「今度の選挙の参考にしたいのですが、○○党さんは、遺伝子診断について賛成でしょうか反対でしょうか。DNAデータベースについて賛成でしょうか反対でしょうか」

すると、こんな答が返ってきました。まずは与党から。つづく。
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命を扱う職業の倫理


「国立成育医療センター」という医療機関をご存じでしょうか。東京・世田谷にあります。

“成育医療”とは、「受胎に始まり、子供の身体心理的、社会的成長が完了し、次世代を産み育てる、いわゆるリプロダクションサイクルにおける医療」のこと (同センター案内)。

同センターには、患者たちに治療をほどこす病院と、成育医療のもととなるような研究を行う研究所の二つの機能があります。「臨床と研究」ということばをよく聞きますが、「臨床」は「床に臨む」つまり病気の人を相手にすること。このセンターでは病院がその役割を果たします。いっぽうの「研究」は、臨床に活かすための、より基礎的な真理を知る作業といえます。

きょう(2007年7月12日)、早稲田大学大学院の「生命倫理」という授業で、センターを見学する機会がありました。

職員の話を聞いて感じたのは、倫理的な面でのセンターの取り決めが、こちらの予想以上に厳しいということ。

同センターの研究所は生命科学の最先端といってもいいでしょう。たとえば、受精してまもない細胞をとりだして培養することにより、皮膚や組織などの体のあらゆる部分を作ろうとする胚性幹細胞についての研究なども行われています。胚性幹細胞を自在にあやつることができれば、自分の体の一部の機能が失われても、臓器などの組織をつくりだしてそれを体に植えれば機能をとりもどせるようになるといいます。

このような研究につねにともなうのが倫理的問題。たとえば、受精した細胞には、すでに人としての「命」が芽ばえている、ということもいえます。命あるものを医学のためだとしても利用してよいのか、という問いが生まれてきます。

このような医学のさまざまな倫理的問題については、国が「こう考えるべきだ」という指針を出しています。センターではその指針にのっとったうえで、これから始めようとしている研究について科学的に倫理的に見てしてよいものかどうかの審査を倫理委員会などがつねにしています。

センター内部の研究者たちだけでなく、市民を代表するような外部の人たちも倫理委員会などに加わります。また、上で見た胚性肝細胞を樹立させるためには、三重もの審査を経なければならないようにしているといいます。

「私どもの研究は、万人の理解のもとでやらなければならないものです。厳しいものとは思っていません」(倉辻忠俊研究長)

どの仕事にも職業倫理はともなうもの。とりわけ人の命をあずかる医学や医療ではとくだんに高い倫理意識が求められているといえます。

国立成育医療センターのホームページはこちら。
http://www.ncchd.go.jp/research/researchmenu2.htm
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「宇宙人はいない」と言った科学者


科学者にとっても「宇宙人がいるかどうか」という疑問については興味が尽きないところなのかもしれません。

エンリコ・フェルミという20世紀前半に活躍したイタリア出身の物理学者がいました。

フェルミは放射性の元素を新たに見つけた業績などにより、ノーベル物理学賞を受賞します。このとき1938年。おりしも母国イタリアはムッソリーニ率いるファシストが台頭していたころ。妻がユダヤ人だったフェルミは、ノーベル賞の授賞式を終えるとイタリアには戻らずに米国に亡命しました。その後“亡命科学者”の一人としてフェルミはマンハッタン計画にも参加するなどしています。

さて、そんなフェルミによれば、宇宙人はいないのだそう。

まず私たちが住んでいる星のことを考えましょう。いま温暖化が懸念されている地球も、あと10億年すれば太陽がふくらんでくるために、とても住めるようなところではなくなってしまいます。

もし、そのころまで人またはそれに代わる知的生物がいつづけるとしたら、たぶん彼らは生きのびるために宇宙船に乗って別の星に移り住んでいるか、移り住もうという企てをしていることでしょう。

おなじように、地球のような星に住んでいた宇宙人の中には、すでになんらかの事情により自分の星から離れて、定住地さがしをしている存在があってもいいはず。

科学的計算によれば、定住地さがしの中で、宇宙人は地球を訪れて地球を新たな物件として検討していたとしてもおかしくないことになるのだそう。

そこでフェルミは、同僚の科学者たちに言いました。「みんな、どこにいるというんだい」。

地球には宇宙人がきたあとが見つからない。つまりフェルミの出した結論は「宇宙人はいない」というものでした。

さて、宇宙人の存在を信じて疑わない人は、きっとフェルミの説明だけでは、宇宙人さがしをあきらめたりはしないでしょう。ある人はフェルミの前でこう反論したといいます。

「知的生命体である宇宙人は、きっと倫理観が高いんだよ。地球にやってきているとしても、私たち地球人のじゃまにならないように、陰に隠れてこそこそとやっているにちがいないさ」

対してフェルミはこんな答えを言ったとか言わないとか。

「宇宙人の倫理観が高いだって? そんなことはありっこないね。現に地球人がそれを否定しているじゃないか」
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7月21日から8月10日は「安全安心塾」
お知らせです。

日本の科学技術の安全・安心の向上を目指す「安全安心研究会」という研究会が、(2007年)7月下旬から8月上旬にかけて、「安全安心塾」という勉強会を東京都内などで開きます。

安全安心研究会は、東京大学の先端科学技術研究センターが開いているプログラム「安全安心な社会を実現する科学技術人材養成」の受講を終えた人々が立ち上げた研究会です。

塾の催しものは全部で4つ。

7月21日(土)の東京都大田区にある海上保安庁羽田基地の特別見学会や、8月4日(土)5日(日)の木曽駒ヶ岳ハイキングなどの“実地勉強”もあれば、7月28日(土)の「海洋国家の安全安心」という題目での講演会や、8月10日(金)の自衛隊陸幕防衛班班長を招いての「日本の安全保障と周辺情勢」という題目の勉強会などのような“座学研修”も予定されています。

日々の暮らしの中で、「安全だけれど安心ではない」状況も「安心だけれど安全ではない」状況もできれば避けたいところ。塾で、あらためて「安全」と「安心」の両方について学んでみてはいかがでしょうか。

安全安心研究会が開く「安全安心塾」は、(2007年)7月21日(土)、7月28日(土)、8月4日(土)5日(日)、8月10日(金)に開かれる予定。申し込みやお問い合わせは、研究会の小倉正恒さんまでどうぞ。メールアドレスはこちら。ogura.m2@tepco.co.jp (@を半角に直してください)

詳しいお知らせは以下の「続きを読む >>」をご覧ください。
続きを読む >>
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こんなAさんの土曜日


Aさんは、どんなことについても“参加”をする意欲が強い、積極的な性格の人です。こんど行われる町内会の清掃作業にも奉仕活動として参加することを町内会の事務所に連絡していました。

「こんどの土曜日、公園に朝9時集合ですね。よろしくお願いします」

町内会の事務局はAさんの積極的な態度に好感をもち、Aさんに作業班の班長さんになってもらうことをお願いしました。Aさんはもちろん快諾します。

さてさて。町内会の清掃作業の当日が来ました。前日の夜に思わぬ残業をしてしまったAさんは、なんとその日の朝、寝坊をしてしまいます。寝ぼけ眼で時計に目をやると、時計の針は11時をまわっていました。

「しまった! 大遅刻だ!」

あわてて公園に行くと、参加者はもくもくと清掃作業をしています。

Aさんは、事務局の人に「たいへんもうしわけありません。寝坊してしまいました」と謝りました。事務局の人は「班長は別の方にやってもらっていますから。あと残り30分、よろしくお願いします。それにしてもよく寝ていらしたんですねぇ」と、すこし機嫌が悪そう。Aさんに対する期待が大きかっただけに、事務局の人もややがっかりだったのでしょう。

けっきょくAさんは、のこりの30分だけ、清掃作業に加わりました。Aさんにとっては、なんとも気分の悪い土曜日になってしまいました。

Aさんは集合時刻から遅刻してしまったため、町内会に多少の迷惑をかけてしまいました。けれども、清掃活動は無償の奉仕活動であり、30分間でも働いたのだから、まったく参加しないほかの町内の人よりは町のために奉仕したことになります。

さて、問いかけです。あなたは、2時間半も遅刻をしたけれど30分間は奉仕活動をしたAさんの行動を、どう評価しますか。
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1939年の「豆科学」(2)
1939年の「豆科学」(1)



世界の人口増加は一日平均十萬というところが掛値のない數字である、毎日中流の都市が一つづつ増えてゐるわけ。
今日では、2000年におよそ61億人だった世界の人口が、2050年にはおよそ91億人に達するだろうといわれています。計算すると1日でおよそ16万人の増加。三重県津市や栃木県足利市が毎日ひとつ増えているわけ。10万人と16万人では対して違わないではないか、と思いがちですが、年を重ねるごとにその差はどんどんと広がっていきます。
仔馬の身長は、出産時すでに成馬の約五分の三に當る。しかるに體重においては著しく輕く、出産後九ケ月を經て始めて成馬の體重の半分となる。
たしかに生まれてまもない子馬の体長はおよそ100センチに対しておとなの馬はおよそ200センチというので「五分の三」は遠からずです。いっぽう体重は子馬の体重は40キロほどであるのに対して、おとなの馬の体重は400キロから500キロといいます。子馬がいかにか細いかがわかりますね。

いまも読めば楽しい「豆科学」。けれども、こうした知識を国民にあたえるのは、科学知識の普及による近代軍備の拡張という国のねらいもあったようです。太平洋戦争開戦4年前の1941年には「科学する少国民」という合い言葉が文部大臣から発せられ、科学は戦争に利用されていきました。
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1939年の「豆科学」(1)


読売や朝日、毎日などの大手新聞社で、科学記事を専門にあつかう部署が立ち上がったのは1956年から翌1957年ごろ。このころ、原子力の利用がさかんにいわれ、科学技術庁が新しく政府の庁として置かれるなどしました。

けれども「科学欄」そのものは、戦前からあったようです。

そのころの朝日新聞(東京朝日新聞)をめくってみると、そこには「豆科学」という、雑学的な科学の知識が短い文章で書かれています。偶然目にした、1939年6月19日の科学欄の「豆科学」を覗いてみます。
交通文明はサハラ砂漠へも侵入し、そこにはいまや百箇のガソリンスタンドが設けられてゐる。
いまでも「へぇ」と言ってしまいそうな豆科学ですね。今日の話ですが、グーグルの地図などを見るとたしかに道が走っています。衛星写真で見ても道の形は確認できませんが…。
人體の外観を見ると、大部分は見事なシムメトリー(左右對稱)をなしてゐるが、指紋だけがその大きな例外で、特殊な存在理由をもつてゐる。
たしかに左手と右手の指紋をくらべてみると、左右対称ではないものの基本的な模様は似ている気も…。顔が左右が非対称であるのと同程度ですが、顔のことについては触れられずじまい。シムメトリーということばはすでにこのころから使われていたようです。

「豆科学」のつづきはまたあした。
| - | 23:59 | comments(0) | -
フォトショップ水平補正の一発技
そのむかし(2006年3月26日)、このブログで「Photo Shopにもの申す。」という記事を書きました。画像処理ソフト「フォトショップ」の使い方について、「ななめに取り込んでしまった画像を水平にするのに、何度も画像回転で微調整しなければならないからたいへん」と、愚痴めきました。

その後、フォトショップに詳しい人に聞いたり、いろいろと調べたりすると、一発で画像を水平にできることがわかりました。もの申したフォトショップへのお詫び意味もこめて、その技を紹介します。

取り込んだ画像がななめになってしまいました。orz

ここで、「ものさしツール」を用意します。ツールバーでは「スポイトツール」の裏にかくれています。


画像から、水平にしたい直線の上を、マウスを押す・離すで、ぎーっと線を引きます。すると、画面上側のオプションウィンドウに「A: 2.9°」と示されます。この「2.9°」が水平線との角度差です。


あとは、[イメージ][カンバスの回転][角度入力]と進むと、そこにはフォトショップ側の計らいで[2.9°]がすでに入っていますので、そのまま[OK]を押します。

これで、一発で画像を水平にすることができました。


ブログの記事では「実際の不便から生まれたこの考え。アドビシステムズに提案をすることにしたいと思います」などと書きましたが、まったくその必要はありませんでした。orz

すでにご存じの方にはご無用でしたが、私と同じく困っていた方は便利ですのでぜひお使いください。

参考サイト:Retouch Web Laboratory「画像回転のテクニック」
http://retouch-weblab.com/kennkyuu/kaiten.html

また、上で示したやり方のほかに、[編集][自由変形]で、直すべき角度を調整するやり方もあります。こちらにくわしく載っています。
http://www.e-earthborn.com/gallery/memo/howto_html/henkei.html
| - | 23:59 | comments(0) | -
奇才の午前の過ごし方

ル・コルビュジエ 1950年 (c)FLC

東京・六本木ヒルズの森美術館で、「ル・コルビュジエ展:建築とアート、その創造の軌跡」が開かれています。2007年9月24日まで。

ル・コルビュジエ(1887-1965年)は人生の大半をフランスで過ごしたスイス生まれの建築家・画家です。彼の建築手法は理論的であり芸術的でもあり、かつ実用的。ル・コルビュジエが生まれてこなかったら、いま私たちが“ル・コルビュジェ建築”として見ているような建てものを見ることはできなかったでしょう。

(2007年)6月24日のNHK「新日曜美術館」では、美術家としてのル・コルビュジエに焦点を当てた特集を放送していました。いっぽう、今回の森美術館の展覧会では、絵画作品も多く示されているものの、建築物の模型や図面なども同じくらいの配分で紹介されています。

たとえば、「マルセイユのユニテ・ダビタシオン」という、フランスにル・コルビュジエが建てた集合住宅の居住空間を実寸大で再現しています。


マルセイユのユニテ・ダビタシオン 再現模型 撮影:渡邉 修 写真提供:森美術館

ル・コルビュジェは、メートルによる長さは人間の生活にはなじまないとしました。理想的と仮定した男性の身長である183センチと、そのへそから足下までの高さが黄金比となることに着目し、「モデュロール」という独特の長さの尺度を設計に使います。展示されている居住空間でもモデュロールは活かされており、手を伸ばすとちょうど天井に手が届きました。

また、ル・コルビュジエが、コンペティションに応募し設計をしたものの落選した「ソヴィエト・パレス」の模型とイメージ映像なども目を引きます。

絵画の話に戻りましょう。ル・コルビュジエは長年にわたりパリの作業部屋で、一日の午前中を絵を描くことに費やしていたそうです。建築設計の仕事は午後からでした。


アトリエ 再現模型 撮影:渡邉 修 写真提供:森美術館

奇才の生活様式は凡人とは異なるのかもしれません。が、絵画を描くという作業はそれなりに労力や集中力を必要とするものでしょう。それを、ル・コルビュジエは毎日のようにこなしてから、本業といえる設計を始めていたというのです。

ここに、ル・コルビュジエの人生における“絵描き”の位置づけを想像します。結果的に本職となった建築設計のための英気や直感を養うための、純粋な楽しみだったのではないでしょうか。ル・コルビュジエが画布に描いていた曲線などが、教会建築の曲線などに活かされているという話もあります。

展示物の多さから、ル・コルビュジエ作品の幅広さを改めて知ることができます。森美術館で2007年9月24日まで開催。ル・コルビュジエ展のお知らせはこちら。
http://www.mori.art.museum
| - | 22:37 | comments(0) | -
多摩川に入る


おととい(2007年7月1日)の日曜日に続いてきょうも多摩川へ。“水辺”を特集する雑誌の取材のためです。

神奈川県川崎市の多摩川下流ぞいで育ったために、小学校のころはことあるごとに河川敷まで遠足をしていました。中学校のマラソン大会も会場は土手でした。

子どものころ、それなりに慣れ親しんできたつもりでしたが、多摩川の中に入ったことはありませんでした。

新幹線が渡る高架下。取材対象の小学生や先生たちが魚とりにはしゃいでいるあと追って、生まれてはじめて多摩川に入ってみました。

上の写真では、水が淀んでいるように見えるかもしれませんが、実際は水底がはっきりと見られるくらいに澄んでいます。引き潮の時間だったため、水の深さはせいぜいひざあたりまで。ボラやハゼが泳ぐ姿も。夏至を過ぎたばかりの日の水は、冷たくもぬるくもなく、いつまでも入っていたい心地よさでした。

1960年代、高度経済成長期の多摩川を知る雑誌編集長氏の話によると、そのころは水面に生活排水や工業用水の泡が浮かんでは流れていたそうです。

とかく「環境は悪いほうへ向かうばかり」という先入観にとらわれがち。けれども川は、ゆかりのある環境浄化財団、行政、そして市民の活動などにより、“死の川”は“生の川”に生まれかわっています。
| - | 23:59 | comments(0) | -
なぜ発表は長引くのか


学会や会議などで科学者たちの発表を聞いていると、あたえられた発表の時間をすぎることがほとんど。予定時刻よりも会合全体が早く終わる試しはほぼなく、たいていは時間にして“2割増”…。

10分の発表時間があたえられている場合、12分かかってしまう人がいるならば、8分ですませる人がいてもいいはず。けれども、予定時間よりも早く発表がおわる会合にめぐりあった経験があまりありません。

なぜ、発表は長引くのでしょう。いろんな人に聞いてまわりました。

「人因説」。発表時間をあたえられるような人は、基本的にみんな話したがりです。これまで自分が温めてきた研究や意見を人々に向けてきちんと伝えられる機会があれば、だれだって多くの内容を話したくなるでしょうね。

「影響説」。前の人の発表が長引くと、「私も長引かせてよかろう」という心理が働きます。「自分も長引かないと不公平」と考える人もいるかもしれません。長引く発表がはじめのほうにあるほど、会のおひらきは遅くなる気がします(測ったことはないけれど)。

「風潮説」。「発表は長引くと、相場が決まっている」という世のむきがあるのかもしれません。“発表を時間内に終わらせる運動”などの動きがあればすこしは長引かなくなるのかもしれません。けれども、そういう運動を起こす人はきっと話したがりでしょうから…。

「どだい無理説」。ひとつのいいたいことを5分や10分で言い切るのはそもそも無理だということです。たしかに、発表する内容の背景知識をもっていない人に話をする場合、「こういう歴史があって、こういう状況が起きていて」といった前置きで時間をとられてしまいます。背景知識をもっている人に対してでも“いきなりクライマックス”的な発表はやはりしづらいもの。

ほかにも要因はあるでしょう。会を開く側の問題としては、時間が来たら呼び鈴を鳴らしつづけるロボットくんや、マイクを奪ってしまうくらいの原理主義者など、厳しい時間配分役がいるかどうか。講演者に発表を依頼するような会の場合、こうした行為は失礼に当たるためにしづらいもの。

とはいえ、時間配分をきっちりとこなしている世の中もあります。最たるものは放送の世界。むかしは60分の生ドラマで65分かかってしまうこともあったようですが、いまは時間に厳密です。生放送の会話番組や討論番組でいくら話が盛り上がっても、最後には主題歌が流れてきて番組をむりやりでもまとめます。

いつも時間配分に困っている主催者のみなさん、ものはためし。無機質な呼び鈴のかわりに、発表終了時刻30秒前に「徹子の部屋」や「朝まで生テレビ」の主題歌が流れるような企てをするのも、悪くはないかもしれません。
| - | 23:59 | comments(0) | -
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