科学技術のアネクドート

医学の発展に貢献する町「フラミンガム」―sci-tech世界地図(3)


米国マサチューセッツ州ボストンから西に30キロ行ったところに、フラミンガムという人口約3万人の町があります。

1948年9月、この町で医学史に刻み込まれる研究がはじまりました。

当時、米国の“国民病”は心血管疾患、つまり心臓や血管に関する病気でした。すでに高血圧や脂質異常、喫煙などが病気と関係していることがいわれていましたが、たとえば血圧がどれだけ高いと心臓病にどれだけなりやすいのかといった、数値による検証はほとんどされていませんでした。人の体には個性があるもの。ひとりの患者の病気の特徴を調べたからといって、それが多くの人に当てはめられるわけではないのです。 

そこで1948年9月、国立衛生研究所(NIH)の一部門である国立心臓肺血液研究所(NHLBI)が、一つの町をまるごと研究の対象にして、その住民の健康や病気の状態の推移を追っていこうという国家的計画を始めたのです。その舞台となったのがフラミンガム。町にあるユニオン病院にフラミンガム研究所が置かれました。

フラミンガム研究で特徴的なのが「前向き研究」とよばれる研究方法。病気になった人に「いま思えばこれが原因だったのでは」とその原因を後向きに探るのではなく、健康な人がこれからどのような病気になっていくのか、ということを追っていきます。手間とお金はかかりますが、ごくありふれた人がどんな要因でどんな病気になりやすいかが、これで分かるのです。いま医療の世界で、病気の要因という意味で使われている「危険因子」という考え方は、こうしてフラミンガム研究によりつくりだされました。

なぜ、辺鄙な町ともいえるフラミンガムが疫学研究の場として選ばれたのでしょう。それは、地元に根ざした商業や製造業が中心の町であり、住民の入れかわりがあまり激しくなかったこと、国立衛生研究所や心臓肺血液研究所があるメリーランド州ベセスダからほど近いこと、などがあげられます。

市民がフラミンガム研究に積極的に協力をする背景には、米国の医療保険のしくみも関わっているようです。米国の市民は、日本とちがってすべての人が医療保険に入っているわけではありません。疫学研究に協力しているあいだは医療費が免除されるという待遇もあり、保険に入っていない市民の協力をえやすいようです。

研究の始まりから、そろそろ60年が経とうとしています。いまでも、フラミンガム研究は続いており、研究成果は日本を含めた世界中の病気の予防や治療に役立てられています。

フラミンガム周辺の地図はこちら。中央の桃色の地がフラミンガム研究所のあるユニオン病院。


フラミンガム研究の公式ホームページはこちら(英文)。
http://www.framinghamheartstudy.org/
フラミンガムの町の公式ホームページはこちら(英文)。
http://www.framinghamma.org/

参考文献:『世界の心臓を救った町』嶋康晃著 ライフサイエンス社
| - | 22:53 | comments(0) | -
都市伝説「背中を触ってみてくれませんか」


都市伝説がかなりはやっているそうな。このブログでも「『「猫を電子レンジに」はガセ』はガセ?」という、都市伝説めいた話の真相について書いたことがあります。

たいていの都市伝説は、「マクド○ルドのハンバーガーはみみずで作っている」とか、「山手線と中央線は陰陽対極図を描いている」とかのように、まさかと思わせつつ、驚かせつつ、といったもの。

おなじように米国で、腎臓についてのこんな都市伝説が出回っていたそうです。

勤め人(学生という設定の場合もある)が、出張先で知らない男に酒をおごってもらいました。飲んだ酒にはなにかの毒が入っていたようで、その勤め人は気を失ってしまいます。

意識が戻ると、勤め人は氷がいっぱい入った浴槽に裸でつかっていることに気づきます。肘掛けには書き置きが。

「救急車を呼ばないと死んでしまいますよ」

救急司令室に電話をかけると、司令室の応対者は言いました。

「背中を触ってみてくれませんか」

背中に手を当てると、そこにあるのは二つの切開痕。腎臓を二つとも取られてしまったのです。臓器は闇の組織により売られてしまいました。

この都市伝説は、1980年代後半にラスベガスで出回りはじめたといわれています。もっとも「出張していた勤め人」というのは「ギャンブラー」という設定だそうですが。

マ○ドナルドが「みみず説」の火消しにどれだけ躍起になっているのかは知りませんが、この米国の「腎臓強盗」の都市伝説は、臓器提供に影響をあたえたといわれます。臓器提供や臓器移植についての市民の心象を悪くするからです。

実際に、米国で臓器提供を促進している全米臓器分配ネットワーク機構は、1999年に公式ホームページで「都市伝説を聞いたり、怪しいメールを受けとった場合は、広めないでください」というお願いまで出したほど。こちらです(英文)。
http://www.unos.org/news/newsDetail.asp?id=197

風評被害などによる影響は深刻なものと聞きますが、都市伝説が思わぬ形で臓器移植に影響をあたえるとは。“されど都市伝説”といったところ…。
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書評『バイオポリティクス』
科学史や生命倫理などの研究をしている米本昌平さんが2006年に書いた本です。今年(2007年)の「科学ジャーナリスト賞」の受賞作。

『バイオポリティクス 人体を管理するとはどういうことか』米本昌平著 中公新書 2006年 271p


生命科学は、人の命を取り扱う学問である。だからこその倫理的な問題がともなう。

たとえば、しばしば設計図に喩えられる遺伝子を人が操作してもよいのか。人の始まりの段階といえる受精卵や胚に手を加えてもよいのか。これらの問題はこれまで「生命倫理(バイオ・エシックス)」という括りのなかで話されてきていた。

いっぽう、この本で著者が話しているのは「バイオ・ポリティクス」。聞きなれない言葉かもしれない。振り子が有名なミシェル・フーコーが広めはじめた考えといわれている。本の中でもいろいろな説明がされているが、「先端医療や生物技術に関する政策論」と捉えればよいだろう。

これまで生命倫理で話されてきた、ヒトゲノムの解読やクローンづくり、臓器移植などの問題についてを、政策や法律といった面から見ていこうというのがこの本のねらいだ。

国や地域によって、生命を扱う政策は異なる。著者は、「ヒトゲノム解読」「ヒト胚研究」「臓器提供」といった問題を縦の列にとり(これが章立て)、いっぽう「米国」「欧州(連合)」「日本」「アジアなどの振興地域」といった国・地域を横の行にとって、それぞれの政策を比較する試みをしている。

ごくかんたんにいうと、米国は研究に積極的姿勢、欧州はフランスに代表されるように慎重、日本は制度的不備があり海外の政策の受け売り、といったところ。宗教や歴史や文化といった、科学では決めることのできない要素が、各国・各地域に深く影響をあたえている。米欧日の政策を均衡よく紹介できているのは、長年にわたり比較政策研究をしてきた著者だからこそだろう。

生命科学についての専門用語や、長い名前の法令などがつぎつぎと出てくるため、さらっと読めるような本ではない。けれども、医療や生命科学を司る人また関心がある人、「生命倫理」とはまた少し違った観点を身につけるためにも、手にとっておきたい一冊だ。政策や法といった分野に関わりのある人も、現代的な事例を扱う参考書となるだろう。

『バイオポリティクス』はこちらで。
http://www.amazon.co.jp/o/ASIN/4121018524/ref=s9_asin_title_1-1966_p/249-7485572-0365152?pf_rd_m=AN1VRQENFRJN5&pf_rd_s=center-1&pf_rd_r=18YFR7TNXV46ADPZ4QAR&pf_rd_t=101&pf_rd_p=61605406&pf_rd_i=489986
著者・米本昌平氏の、科学ジャーナリスト賞受賞についての言葉は、2007年5月15日の記事(の後半)からどうぞ。
http://sci-tech.jugem.jp/?day=20070515
| - | 23:59 | comments(0) | -
猪瀬直樹氏「地方分権を進めるためには必要かな」


きょう(2007年6月27日)早稲田大学大学院のジャーナリズム研究セミナーに、作家の猪瀬直樹氏がよばれ、1時間ほど講演をしました。

15日、石原都知事から副知事に起用したいという発表があり、きょう、都の議会で副知事になることが決まったばかり。いまとりわけ話題の人が来ただけあり、教室は人、人、人でたくさん…。

と思ったら、教室にいあわせた人は、学生4、5名と教員4、5名。報道番組「ニュース・ゼロ」の関係者がひとり部屋に入って、猪瀬氏を撮影していたほかは、よくあるせまい教室での講義とかわりません。

猪瀬氏はいま、政府の地方分権改革推進委員を務めています。日本で法律を決められるのは国会だけですが、都道府県などの地方自治体にも法律を決められる(上書きできる)権利をもたせて、“地方政府”を実現しようという提案をしています。

石原都知事から「そういう案があるなら、(副知事を)やれよ」と言われていた猪瀬氏。かつて務めていた道路公団民営化委員会(2005年に意見書を小泉首相に提出して解散)のときに、報道があまりよく書かなかったという印象が残っていて、「はじめはやりたくないなと思っていた」。でも、「地方分権を進めるためには(副知事就任は)必要かな」と、思いなおすように。

「国はタンカーのようなもの。社会保険庁の解体に2年も3年もかかるという。モーターボートのような速さで方向転換をできるのが地方だと思う」

小泉首相(当時)から指名されて、道路公団民営会員へ。そして今回、石原都知事から指名されて副知事へ。体制側に寄りそっているように見られてしまいがちですが、要請をする側の人柄あってのことだと強調します。

「二人とも、性格に“天然”なところがあっておもしろい。小泉さんも石原さんも、下心があってこちらに近づいてくるわけではない。貧乏ったらしくない姿勢がいい。“小泉さん”、“石原さん”と呼べる、普通の人ですよ」

今回のセミナーは“ジャーナリズム研究”が主題。「市民の知性はジャーナリズムがつくる。マスコミは攻められたら大変だけれど、うまく活用することもできる」。

副知事という自分の立場や、報道という社会の機能をうまく活用するその先には、「国と闘う」という大きなねらいがあります。猪瀬氏は(2007年)6月28日から、4年の任期で副都知事に就きます。

| - | 21:12 | comments(0) | -
二の矢、三の矢で谷をこえる。


大学などの研究機関が生み出した研究の成果が、世の中で物になるなどして実を結ぶまでには、“死の谷”とよばれる谷があるといいます。

研究機関が発見や発明をしても、その先のモノにするための研究がうまく行かず、息がとだえてしまうために“死の谷”とよばれます。研究機関から企業へのたすき渡しまたは二人三脚がうまくいかないなど、理由はいろいろ。

研究機関が「企業のみなさん、私たちはこんな発明をしました」と発表すると、企業は「おお、わが社のものづくりに活かせそうな気がする」と興味を示します。

で、研究機関と企業で顔合わせ。いろいろと話をしているうちに「うーん、これだと、やっぱりわが社のものづくりには使えなさそうですね」となって、共同開発の話はご破算に。

しかし、「うーん、これだと、やっぱり」という空気が広がりつつあるときに、そこであきらめるか、あきらめないかに、研究機関の真価が問われているのかもしれません。

産業技術総合研究所(産総研)の広報担当の方から聞いた話。2006年に、ナノメートル(ナノは10億分の1)の微細加工ができる卓上型の装置を開発したそうです。

その情報を得たレンズ製造業から「おお、わが社のものづくりに活かせそうな気がするのですが」という技術相談が産総研にありました。

で、双方は顔合わせ。ところが、産総研が発表したその技術では、その企業のニーズに対応できないことがわかりました。製造企業は、レンズの形をつくる鋳型でナノ加工ができることを期待していたのだそう。

ふつうなら「今回は残念ながら、ご縁がなかったということで」ということで、話がご破算になる場合が多いもの。

でも、ここで産総研は「うーん、これだと、やっぱり」と言いかけたその企業に、「ならば、新しい技術を共同で開発しましょうよ」と提案しました。

そして1年後の2007年4月に二人三脚は実を結び、産総研の技術は応用され、ナノ加工のできるレンズの鋳型が生まれました。新聞にも「ナノ構造を付けた金型で高性能レンズを安価に製造」という見出しで記事になっています(日経産業新聞4月24日)。

研究機関と企業の間で話がご破算になりそうなときに、その先の道を示せるかどうか。一つには、研究機関に技術を発展させられる知識の蓄積があるかどうかが重要でしょう。

とともに、(上の話には当てはまらないけれど)研究機関の横のつながりがどれだけあるかも大切な気がします。研究機関のなかの研究室どうしが情報交換をしていれば、「うちの研究室では無理だけれど、となりの研究室ならかなえられるかもしれませんよ」と話がつながってくからです。

一の矢は落ちても、二の矢、三の矢は、死の谷をこえていくかもしれません。

この記事で紹介した、産総研と企業の共同開発についてのプレスリリース「ナノ粒子を利用して反射防止機能付レンズの大量生産技術を開発」はこちら。
http://www.aist.go.jp/aist_j/press_release/pr2007/pr20070423/pr20070423.html
| - | 14:50 | comments(0) | -
快適な催し物の工夫


きのう(2007年6月24日)お伝えした国立環境研究所のシンポジウムでは、いろいろなところに、“聴衆に快適さを感じさせる工夫”がありました。

壇に立って研究の紹介をした講演者の4人は、みな話しはじめると「きょう、お話しするのは、次の5つです。1つ目は…。2つ目は…」というように、話の筋道を聴衆に示していました。

聴衆は、話がどんな方向に進むのかということがわかるため、すっきりと講演を聞くことができます。おなじ組織の中の人たちであっても講演の方法を統一させるのはかんたんなことではありません。

1人40分の講演のうち、終わりの10分は聴衆との質疑応答にあてられました。質疑応答で難しいのは、時間配分がずれてしまうお場合があるということ。会場からつぎつぎと手が挙がると、司会者は「はい、次の人」「えー、ではうしろに座っている人」「ええと、質問は、いま手をあげている3人のかたまでとします」と時間配分を忘れ、ずるずる予定の時間を狂わせることが多々。

今回の催し物では、講演が終わったあとに、直接会場の外で講演者と対話ができる「ポスターセッション」の時間を設けていました(上の写真)。これにより、講演のときに手をあげたにもかかわらず答えてもらえなかった人も、あとでゆっくりと話を聞くことができ、さらに進行も予定どおりに進むというわけです。

ほかの催し物でもよくあるように、今回もアンケート用紙が配られ、催し物の内容が満足だったかといった質問に聴衆が答える形をとっていました。

えてしてアンケートの結果は打ち上げのときに回し読みされるくらいで終わってしまうもの。でも国立環境研究所では、次の催し物にきちっと活用されていることが伺えます。10年間のノウハウの蓄積が活かされているのでしょう。

最後のあいさつで、理事がこう話しました。「来年も、『みなさんからいただいた意見を受けて、こんな取り組みをしました』という報告ができているようにしたいと思います」。
| - | 12:38 | comments(0) | -
“科学の風水”で街を冷やす。


きょう(2007年6月24日)、東京・港区で、国立環境研究所の公開シンポジウムが開かれました。環境研究所は、地球温暖化対策や循環型社会づくりなどの課題に取りくんでいる研究施設。つくば市にあります。

10年目をむかえる今年の題目は「持続可能な社会をつくる」。研究員4人が、国際交渉、バイオマス、交通、都市づくりといった見方から、温暖化を防ぐため、また、石油に頼らない社会をつくるために、取り組んでいる研究を紹介しました。

おもしろかったのは、一ノ瀬俊明さんが発表した「都市づくりのために、科学的な“風水”を」という話。

一ノ瀬さんらは、長野市の街なかに戸隠の山から吹きおりてくる風に注目。山で冷やされた空気は重くなるので、下へと向かいます。この山風がいわゆる“おろし”とよばれるもの。この山風の通り道をきちんと街づくりの中に組み込めば、夏涼しい都市をつくれるのではないか、という課題を立てて研究をしているそうです。

この「風の道」の考え方は、ドイツのシュツットガルト郊外の町ですでに街づくりに取り入られているそうです。

さていっぽう、韓国ソウル市は、東京都や大阪市と同じように、川があったところを埋め立てて、その上に一般道路と高速道路を走らせていました。ところが「元の川がある風景に戻します」と公約を掲げていた市長が選挙で当選すると、宣言どおり、2003年から2005年にかけて、高速道路は取り壊され、川が復元されたのです。

想像では、車が走っていたところに水が流れれば、都市の温度は冷えそう。それを、一ノ瀬さんらは実際に測ってみました。すると川の水面だけでなく、川と交差する大通りの向こうそれぞれ80メートルぐらいまで、街は冷やされていたということです。こちらは「水の道」といったところでしょうか。

東京ではここ100年で平均気温がおよそ3度も上がったそうです。そのうち1度は地球温暖化の影響とされていますが、残りは車や冷房などの人の生活によるもの。

科学的にはかって、風や水の流れを街の中に通し、都市の温暖化を抑える…。科学者も、「現代の風水」に注目しているようです。

国立環境研究所のホームページはこちら。
http://www.nies.go.jp/
| - | 23:55 | comments(0) | -
求む、海の男たち。


業界がひらく就職相談会というと、背広をびしっときめた人事担当者が、学生たちをまえにして、“イノベーション創出に求められる人材”とか、“IT業界の未来を大予測”とかいったお題で話をする、といった絵を思い浮かべてしまいます。

さて。きょう(2007年6月23日)、東京・飯田橋で、「漁業就業支援フェア」が開かれました。漁師を目指す人たちと漁師を求める人たちが会って、情報を交わしあうための催しものです。

漁業も他聞にもれず後継者不足。配られた『ドキュメント ザ・漁師』という資料によると、漁業に就いている男性のおよそ35%は65歳以上。いっぽう、39歳以下の若い人たちは15%ほどしかしかいません。

ただし、きょうの会場は、立ち見が出るほどの人の多さ。受講者のなかには、角刈りに金の首飾りをした30歳台の人や、鳥羽一郎風情の40歳台の人たちも。水産庁が後援をしているということもあり、宣伝が効いたのでしょうか。私も地下鉄の中吊り広告を見てこの会を知りました。

島根県や長崎県などの海からやってきた漁師たちが舞台に立ち、「私たちの仕事場は波もおだやか。船酔いの心配はありません!」とか、「隠れた本能を見出したい方、ぜひ私たちといっしょに働きましょう!」と、威勢よく宣伝します。

配られた出展団体の案内にも「大漁した時は疲れも一気に吹っ飛び、とてもやりがいのある仕事です」や、「近くには温泉施設があり疲れをいやせます」、また「休日・休暇:しけのとき」。業界ならでは。

漁業を志し、いま研修中という31歳の人に話を聞きました。それまで千葉県で会社員をしていましたが、会社でのやりたいことの限界などを感じ、沖縄県で漁師になることを決めたそうです。

「生活はぎりぎりのところ。でも、漁業の世界では、船長たちは対等の地位。陸では酒を交わしながらのけんかもありますが、海では船が危険なときなどは、みんなが協力しあいます。人生ですか? 決まりました」

転職を得る人がいるいっぽう、ベテラン漁師の話では、若い人が漁業に就いても「すぐにやめられるとやっぱり困る」。沿岸で漁をしている人たちは、ほとんどが個人経営。たった1人が職に就いたり職を去ったりするのでも、経営には大きな影響が出ます。長いこと海に出たあとで「やっぱりやめます」と陸に戻ってしまうのは痛手のよう。

海の仕事の喜びと厳しさがわかる就職相談会です。



漁業就職支援フェア2007は全国漁業就業者確保育成センターが主催。8月下旬まで、広島、仙台、福岡、大阪、東京の各地で開かれます。詳しいお知らせはこちら。
http://www.ryoushi.jp/
| - | 23:59 | comments(0) | -
“ひみつ道具”をつくる。(2)
“ひみつ道具”をつくる。(1)



ちゃちゃらちゃん
「空気ペン」
ほわーんわーんわ〜ん

いまから7年前。当時、玉川大学工学部の助教授だった椎尾一郎さんたちが、とある“筆記用具”を発明しました。

専用のめがねをはめます。空気に向かって特殊なペンで文字をなぞります。すると空中に書かれた文字が眼鏡ごしに見えるというのです。

ペンにはセンサーが付いていて、めがねで文字の位置や向きなどを情報として受けることができます。顔の向きを変えると文字の向きも変わります。さらに、文字を書いた人以外でもめがねをはめればその文字を見ることができます。

ドラえもんのひみつ道具には、「空気ペン」ならぬ「空気クレヨン」というものがありました。空間に向かって書くことのできるクレヨンです。もっとも、空気クレヨンのほうは、文字が風で吹き飛ばされたり、さらにのび太たちが乗ることもできたそうですが…。

椎尾さんは当時の新聞に、まんがは発明の発想のもとになると話しています。

ドラえもんの連載が始まったのは1969年。今年はそれから38年もたった2007年。「現実化も不可能ではないのでは」と思えるような、ひみつ道具があってもいいくらいに、時は過ぎました。了。

ところで、あなたが欲しいと思う“ひみつ道具”はなんでしょう。どこでもドア。スモールライト。それともコベアベでしょうか。私は、もしもボックスと答えます。受話器に向かって、「もしもとびらの向こうが行きたい所になっているドアをもっていたら」とか、「もしも浴びると小さくなるライトをもっていたら」とかいえば、だいたいのことは足りそうだからです。
| - | 23:59 | comments(0) | -
“ひみつ道具”をつくる。(1)


「ドラえもん」の作者、藤子不二雄(故・藤本弘と安孫子素雄)は、“ひみつ道具”を考えるにあたり、「現実の世界ではつくれないものである」という条件を、自分たちに課していたといいます。

誰もが知っているひみつ道具を、もしどうにかしてつくらなければならないとしたら、どんな用件が必要か。いくつかの道具で考えてみたことがあります。

千葉大学が1999年に「実現可能であるか」という入試問題を出したという“タケコプター”。体の一部分に吸着させて、飛行中はぜったいに人間から分離しないような吸盤が要ります(脱着はかんたんに)。人の体重を持ちあげる力も必要。しかも、タケコプターが人を振りまわすことなく回るような機構が求められます。

映画でよく使われていたのが”ホンヤクこんにゃく”。外国語を瞬時に話せる能力を使用者に備わせるのではなく、使用者は母国語を話しているけれど表現型は外国語、といったしくみのほうが簡単でしょう。こんにゃくの中に、「母国語-外国語転換可能」なマイクロマシンを入れることになるでしょうか。

どんな動物でも食べさせると従順になるという“桃太郎印のきびだんご”。生まれたばかりの鳥が初めて目にした動くものを親だと認識する“刷り込み”と同じ効果をもたらすような作用物質を、きびだんごの中に含有することになるでしょう。

と、こんな絵空ごとを考えているうちに、ほんとうに実現化された(といってもよい)ひみつ道具があるそうです。つづく。
| - | 23:59 | comments(0) | -
エレファントな証明
スーパーコンピュータを使った計算により、湯川秀樹が唱えた「中間子論」の正しさがあらためて確認されたということです。読売新聞が報道しています。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070620-00000403-yom-soci

中間子は、湯川により「存在するだろう」と予想された素粒子。「原子核」と、原子核が変化する「ベータ崩壊」というしくみを統一的に説明するためには中間子の存在が必要でした。この予想により、湯川は1949年に日本人初のノーベル賞を受けました。

さて、“コンピュータによる理論の確認”という話は、1976年に証明された、ある数学の問題を思い起こさせます。

「4色問題」とよばれる、その問題。問題の意味を理解するのはそう難しくありません。

「平面の地図で、となりあう国々を色で区別する場合、4色あればよい(ただし国々は国境線で隣接し、飛び地をもたないものとする)」

たとえば、下の絵柄は4つの色でできています。ありとあらゆる平面地図も、同じように4つの色だけで表すことができるのでしょうか。数学の証明されるべき問題として、19世紀中ごろから数学界で話題に浮かびんできました。


そして1世紀以上もたった1976年。ケネス・アペルとヴォルフガング・ハーケンという2人の数学者が「4色で表せることを証明をした」と発表したのです。

数学でいう証明とは、一度なされれば永遠性と不可逆性をあたえられるもの。「証明がくつがえされた」ということはまずあり得ないものと考えられてきました。

ところが、アペルとハーケンによる4色問題の証明は、発表されたあとも、「その証明ははたして許されるのか」と、尾を引いたのだそう。

というのも、このふたりは数学の証明に当時最新鋭式のコンピュータを駆使していたからです。1200時間にわたりコンピュータを働かせつづけた結果、ついに4色問題は証明されたのでした。

証明をめぐる物議は、おもに次のようなものだったそうです。

まず、コンピュータを使った数学の証明には、そのコンピュータの能力が問われます。コンピュータとは誤りや欠陥が生じうるもの。証明のために使われたそのコンピュータやプログラムが完全無欠だということをだれが言えるのか、というものです。

より精神的で審美的な話としては、「数学とは美しく解かれるもの」という数学のあるべき理想像を、コンピュータの力技による証明は打ち壊してしまった、というものです。「美しい(エレガント)創造」であった数学の証明は、「象(エレファント)の力技」におとしめられた、という声もあったとか…。

その後も、数学の世界では、球体をもっとも隙間なく積み重ねる方法を問う「ケプラーの球体充填問題」のように、証明のために最新鋭コンピュータを駆使するという状況は起きつづけています。理論の解明は進むけれど、証明を検証する手間はかかるというジレンマ…。
| - | 23:37 | comments(1) | -
「毎日一冊! 日刊新書レビュー」はじまる。


ここ何年かで、本屋さんの「新書」の棚は大きく様変わりをしました。

むかしは、岩波新書、現代新書で棚のほとんどを占めていました。ところが1998年に文春新書が加わったことを皮切りに、集英社新書、新潮新書、朝日新書など、“新しい新書”がつぎつぎと創刊されています。新書群雄割拠の時代。

それぞれの新書の内容も、一昔前といまとでは、かなり変わった印象です。「格調高さから手軽さへ」「教養から時事ネタへ」といったところ。『ざっくり分かるファイナンス』(光文社新書)や、『臆病者のための株入門』(文春新書)といった書名からも、いまの新書の傾向を伺うことができますね。

読者にとっては、かさばらない判型で値段も安い。出版社にとっては、本ごとの装幀をそれほど考える必要もない。こうした“手軽さ”が、読み手と作り手の両方に受け入れたといえるのでは。

きのう(2007年6月18日)から、日経BPオンラインで、「毎日一冊!日刊新書レビュー」という企画が始まりました。「忙な毎日の中で『読むべきか、読まざるべきか』のお悩みを毎日1冊ずつ解消致します」という趣旨。“手軽な新書”を反映して、評者の読了時間なども記してあります。また、おすすめ感の強い新書には「奨」印がつきます。

きょうの記事では、企画・編集の「須藤輝さん&連結社」から話をもらい、福岡伸一氏の『生物と無生物のあいだ』を書評しました。こちら。
http://business.nikkeibp.co.jp/article/life/20070615/127555/

書評では、“売り言葉に、買い言葉”といったらよいのか、原稿を書くときに、つい本の内容や文体にやや影響を受けてしまいます。今回は「ここまで読ませてくれる科学者がいただろうか」という驚きがありました。かつての“古き良き”新書の雰囲気が漂っていました。

日経BPオンライン「日刊新書レビュー」はこちら。
http://business.nikkeibp.co.jp/article/life/20070612/127147/
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ネックスとゼロ、コーラ原材料くらべ(2)
ネックスとゼロ、コーラ原材料くらべ(1)

“黒いコーラ”の原材料くらべをしています。きのうのペプシネックスに次いで、きょうはコカ・コーラゼロ。



コカ・コーラゼロの原材料名を見てみると、「カラメル色素、酸味料、甘味料(アスパルテーム・L-フェニルアラニン化合物、アセスルファムK、スクラロース)、香料、保存料(安息香酸Na)、カフェイン」となっています。

コカ・コーラゼロに書かれてあって、ペプシネックスに書かれていないものとしては、まずカラメル色素。つくりかたによって4種類がありますが、うち3種類は遺伝子の突然変異に影響をあたえるかもしれないといわれています。コカ・コーラゼロの表示には、どの種類のカラメル色素が使われているかまでは記されていません。

また、スクラロースもコカ・コーラゼロにのみ書かれてある人工甘味料。ペプシネックスにもコカ・コーラゼロにも入っているアスパルテーム・L-フェニルアラニン化合物にくらべて、後味が残りにくいために使われているようです。しかし、このスクラロースも、熱をくわえると有害な塩化水素ガスが出てくるともいわれています。“ホットコーラ”にはしないほうがいいのかもしれません。

さて、ちょっとだけ味くらべを。

ペプシネックスのほうは、広告で福山雅治などに「おいしいところが、いい。」と言わせているとおり、味はこれまでのコーラとあまり遜色がありません。レモンの風味が効いています。

やや味が後手に回っているのがコカ・コーラゼロのほうでしょうか。飲んだあと、やや粉っぽい風味が口の中に残ります。これは、銀色ラベルの「ノンカロリー コカ・コーラ」でも感じられた後味です。なお、銀色のノンカロリーコカ・コーラのほうは、「自分のスタイルを持ったスタイリッシュな女性のためのコカ・コーラ(ホームページより)」。黒(コカ・コーラゼロ)と銀(ノンカロリーコカ・コーラ)で、販売対象をすこし分けているのですね。

両社が黒いラベルで勝負。カロリーゼロを実現し、味の質も落とさないようにする…。人工甘味料に見られる、そのための代償はかなりのもの。消費者にはいろいろな選択があります。ペプシネックスを選ぶかコカ・コーラゼロを選ぶか。ノンカロリーを選ぶか従来のコーラを選ぶか。飲むことを選ぶか、飲まないことを選ぶか…。了。
| - | 22:24 | comments(0) | -
ネックスとゼロ、コーラ原材料くらべ(1)
ペプシとコカ・コーラの間で、“黒い争い”が繰りひろげられています。

ペプシの販売元サントリーは昨2006年3月にカロリーゼロが特徴の「ペプシネックス」を発売。今年の3月には、「“ゼロカロリーでおいしいコーラ”を徹底追求し、よりすっきりとした後味で飲みごたえのある味わいを実現(ホームページより)」、黒いラベルに一新しています。

コカ・コーラのほうも、この6月から「コカ・コーラ ゼロ」を発売。「ゼロ」という名から察せるとおり、こちらもカロリーゼロ。「シャープで力強い炭酸の刺激はそのまま(略)日常生活で糖分やカロリー摂取にためらいを感じている男性にも、躊躇なくお楽しみいただけます(ホームページより)」とのこと。

この記事では、“味くらべ”は後にまわして、まずは“原材料名くらべ”をしてみます。二つの飲みものは、どんな材料でできていて、それぞれどんな性質があるのでしょう。

コーラなどの清涼飲料水を含む加工食品には、「農林物資の規格化及び品質表示の適正化に関する法律」により、原材料名を商品に記しておくことが決められています。消費者が商品を選ぶときの判断材料にするためです。



ペプシネックスのほうは、「レモン、酸味料、カラメル色素、香料、甘味料(アスパルテーム・L-フェニルアラニン化合物、アセスルファムカリウム)、保存料(安息香酸Na)、カフェイン」となっています。

いちばん多く使われているのは、レモンなのですね。同社は、レモン果汁1%が入っている「ペプシ・ツイスト」も発売しています。コーラにレモンを含める手法はコカ・コーラにはありません。

アスパルテーム・L-フェニルアラニン化合物は、人工の甘味料で甘さは砂糖の200倍もあるといいます。通常は「アスパルテーム」でも通じるようですが、フェニルケトン尿症という精神遅滞の遺伝病はフェニルアラニンが体に蓄積されると起きるため、「アスパルテーム・L-フェニルアラニン化合物」というようにきちんと表示されます。

アセスルファムカリウムも砂糖の約200倍の甘さをもちます。上のアスパルテーム・L-フェニルアラニン化合物の後味を消すために使われることが多いようです。

保存料の安息香酸Naは防腐剤。すこしの量では体に問題ないようですが、大量に摂った場合には、むくみや呼吸障害などが起きるおそれがあるとされています。

さて、コカ・コーラゼロの原材料は、どんなものでしょう。つづく。
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『環境問題はなぜウソがまかり通るのか』書評へのメール


先日(2007年6月13日)の記事で、ウェブの情報誌「日経BPオンライン」に『環境問題はなぜウソがまかり通るのか』という本の書評を寄せたとお知らせしました。

明くる日、出版元・洋泉社の社員さん(たぶん編集担当者さん)からメールが届きました。書評とこのブログの記事を見ていただいたようです。

編集者さんが著者の武田邦彦さんに、書評が載っていることを伝えたところ、武田さんから「若干の弁明」をお預かりしたということで、「『正統』は『異端』である!?」という名のついた武田さんの文を付けてもらいました。

その文では、「余りにまとも」なことを書いたのに「武田は異端だ」と思われていることを奇妙に感じている、という武田さんの感想がありました。

「みんなが常識として捉えている事柄に、『それはウソ』とあえて反論を唱える人がいる」と書いたので、「武田は異端」だと書いたと捉えられてもしかたありますまい。

異端と思われる背景には、“世論の沈黙”がある気がします。だれもがうすうす感じているようなことに明確な説明があたえられると、「やっぱりそうだよね」という共感が生まれるもの。『環境問題はなぜウソがまかり通るのか』が売れたのも、環境問題のウソを「うすうす感じている」人たちに受け入れられたの部分がきっと大きいのでしょう。

編集担当者さんからは、ブログ記事と書評に対して二つほど“補足説明”を受けました。このような場ではありますが、その二つを示しておきます。

ブログで書いた「本が番組や新聞記事で紹介される場合、出版社から放送局や新聞社に働きかけがあるもの」という話については、担当者さん曰く「この本が『たかじんのそこまで言って委員会』に取りあげられたきっかけはこちらから働きかけたわけではなく、番組の方が声をかけてきたからでした」とのことでした。

また書評では、締めくくりに「ベストセラーが出た後の圧力と印税はたぶん相当なものだろうけれど、今後もぜひ黙り込まずに『環境問題の真実』を発信し続けてほしい」と書きました。これに対しては「黙り込むことはない」という旨の返事をもらいました。これからも武田さんの話に耳をかたむけていきたいと思います。
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知的財産戦略をめぐる論戦


きょう(2007年6月15日)、早稲田大学でセミナー「知的財産推進計画2007を切る」が開かれました。

政府の知的財産戦略推進事務局が発表した「知的財産推進計画2007」をめぐって、政府とマスメディアを代表する2人が、論戦を繰り広げるという企画です。

「知的財産推進計画」は、政府が2003年から毎年改訂している行動計画。計画をもとに、知的財産についての国の新制度や新機関がつくられています。

知的財産戦略推進事務局の杉田定大氏が「計画2007」の特徴を説明。対して、日本経済新聞編集委員の三宅伸吾氏が“つっこみ”を入れていきました。

日経・三宅氏「今年の計画を書いた文章には、情熱が感じられませんね」

事務局・杉田氏「事務局長の交代がありまして、前任は知財本部を発起した一人でしたが、新任はひとつひとつのことを着実に積み重ねていくような性格の者でして…」

というように、最初は日経・三宅氏がかなり攻めたてていきました。

ところが、時が経つにつれて、日経・三宅氏に「最近の動向を取材していないので」ということばが多くなり、事務局・杉田氏が救われたかたちでした。

「計画」で強調しているのが、“デジタルコンテンツの流通”。
デジタル化や国際化が進展し、本格的な知の大競争時代を迎えているが、コンテンツ分野においては、依然世界のスピードある変化に対応できず、個々の潜在的な能力も十分に発揮されていないといった問題点が指摘されている。今後、未来に向けた長期的な視点に立ち、クリエイティブな創作活動やビジネス展開を加速することにより、コンテンツが産業として国際競争力を強化し、世界を活躍の場として発展していくことが必要である。(知的財産推進計画2007)
デジタルコンテンツに関連して、事務局・杉田氏は「グーグルやユーチューブなどの日本版」の必要性を話します。たしかに、いま私たちがよく使うインターネットのサービスは米国発のものが多いですね。

「法整備や社会的雰囲気づくりがまだ足りないのでは」という日経・三宅氏に対して、「みんなで情報を受けあえるしくみをどう作っていくか。放送は通信にくらべて見たい番組を気軽に流すことはできない。こうした違いをどう変えていくか、考えなければいけないと思っています」と事務局・杉田氏。

途中、「まさにそのとおりなんですよ」というように意見が一致する場面も多かったのですが、“論戦形式”というのはなかなかのものでした。

知的財産戦略推進事務局の「知的財産推進計画2007」はこちら。
http://www.kantei.go.jp/jp/singi/titeki2/kettei/070531keikaku.pdf
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“死神医師”の仮釈放


今月(2007年6月)はじめ、米国ミシガン州の刑務所から、ある一人の“医師”が仮釈放で出所しました。

79歳になるジャック・キボーキアンというこの人物、米国では“ドクター・デス(死神医師)”という名でも知られています。白髪、彫りの深い目のまわり、ほくそ笑む口元…。報道の写真を見てみると、キボーキアン医師の表情は「ドクター・デス」の名を体で表したかのようにさえ思えてきます。

この医師、殺人罪で8年間、刑務所に服役をしていました。なぜ殺人罪にとわれたかというと、自殺の手助けをしたから。病気になり、生きる望みを失った130人もの人たちが、この医師のもとをたずね、薬をうってもらうなどして死を迎えました。

“死神医師”が施した“手術”の第一例は、53歳のアルツハイマー病をわずらった女性でした。鎮静剤と塩化カリウムの点滴を与えると、1分後にはこの女性は息を引き取ったといいます。

“手術”をしはじめた当初、キボーキアン医師は地元の検事により殺人罪で起訴されたものの、控訴棄却の判決をくり返し受けていました。ミシガン州には自殺を助けることを罪とする法がなかったのだそうです。

でも、転機がおとずれます。1998年11月に米国のテレビ局CBSの「60分」という報道番組で、キボーキアン医師が実際に52歳の男性に注射をして死に至らしめる映像が流れたのです。放送終了後、許される行為なのかと、大きな議論が巻き起こりました。翌1994年に、医師は第2級殺人罪での有罪となったのです。「第2級」は、計画的ではないものの故意による殺人といった程度の罪の重さをいいます。

長年、塀の中で暮らしていた医師は、出所するとすぐに「最高だ」とよろこび、「この闘いは私が死ぬまで続くだろうし、勝つという見込みはないかもしれない。でも、私に生きる理由をあたえてもくれているのだ」と報道陣に話したそうです(ロイター記事より)。

医師は、仮釈放のあいだは、自殺の手助けや政治活動は行わないことを言明。しばらく娑婆の空気を味わったあと、また“死の医師”は信念に基づいた行動を起こすのでしょうか。

米国では州ごとに法律がちがいますが、自殺の手助けはほとんどの州で有罪とされています(オレゴン州だけ認められている)。日本では、刑法により「人を教唆し若しくは幇助して自殺させ、又は人をその嘱託を受け若しくはその承諾を得て殺した者は、6月以上7年以下の懲役又は禁錮に処する」と決められています。

この記事は、早稲田大学大学院科学技術ジャーナリスト養成プログラム「生命倫理」(瀬川至朗客員教授)の講義を参考にしています。
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「逆襲のテクを学べ。『環境問題はなぜウソがまかり通るのか』」


ウェブの情報誌『日経BPオンライン』の「超ビジネス書レビュー」という書評欄に、きょう(2007年6月13日)書評を載せてもらいました。『環境問題はなぜウソがまかり通るのか』という本の評です。

原稿を書くまえ、いつものように編集者さんに書評したい本を伝えたところ、「やけに売れているらしい本があるんだけれど、やってみませんか」と逆に指定してもらいました。

関東では放送されていない『たかじんのそこまで言って委員会』というテレビ番組で、この本の著者が客として出演して盛り上がったことで、一気に本が知られるようになったようです。

本の著者が番組に出演したり、新聞の記事の中で本のことが取りあげられたりする場合、たいがい事前に出版社や著者の側から、放送局や新聞社の側に「こんな新刊が出ますから、番組で(記事で)紹介してくれませんか」という仕掛けがあるもの。『環境問題はなぜウソがまかり通るのか』も、編集担当者や広報担当者が事前の宣伝活動に優れていたのかもしれません。

とはいえ、宣伝を受ける媒体のほうも、番組や記事にする価値があると思える本でなければ、とうぜん扱ってもらえません。書かれてある内容が、煽情的だったことも功を奏したのでしょう。

書いた書評にはふだんはそれほどコメントが付かないのですが、きょうだけで、すでに4つ。「大勢が正しいと思っていることを否定するのはタブーという風潮は危険です」とか、「貧困問題やアフリカのAIDSなど、温暖化などよりずっと重要で、改善しやすい問題がたくさんあるでしょうに」とか、いただいてます。

このブログで先日『環境問題のウソ』という、内容のけっこう似た本の書評を書きましたが、その記事にもけっこうコメントをいただきました。「地球にやさしく」といった門切り型の環境問題とはちがう見方からの関心がそれだけ高いということかもしれません。

旬な本ということから編集者さんや出版社さんに配慮いただいたようで、今回は記事脱稿から間もなく書評を載せてもらいました。数えてみると、「超ビジネス書レビュー」に寄せた書評はこれで10本目。今後もどうぞご覧ください。

日経BPオンライン「超ビジネス書レビュー」の記事「逆襲のテクを学べ。『環境問題はなぜウソがまかり通るのか』」はこちら。
http://business.nikkeibp.co.jp/article/life/20070608/126889/
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年金問題、もうひとつの害悪


時事ネタを。

社会保険庁による“年金支給もれ”が大きな問題になっています。

この問題では、年金をきちんと受け取れなくなるおそれがあるといった金銭的な害がもっぱらとりざたされています。「これまできちんと支払ってきたのに、年金をもらえないとはなにごとだ」と。

しかし、この問題には、さらに根の深い社会への影響があるような気がしてなりません。社会のしくみそのものを変えてしまいかねない影響です。

政府は、過去の領収書をもっていない人に対して、「その人がほんとうに払ったのかどうか」を審査する第三者委員会を設置するそうです。

これまで、法人を含めた人と人とのあいだの取り引きでは、つねに支払いが発生したり、問題が起きたりしたときの拠りどころとして「記録」や「証拠」が頼りにされてきました。領収書があるからこそ、お金の立て替えもすんなりいくもの。契約書があるからこそ、権利がどちらにあるのかがはっきりするもの。

でも今回は、国家みずからが「領収書(記録)をもっていないみなさん、ここはひとつ仲立ち人を立てて、あなたが支払いをしたかどうかを話しあいで解決しましょう」ということを言いはじめたのです。社会のもめごとを解決する手段として、あらたに「直談判」が加わろうとしています。

政府がこれからやろうとしている「直談判」は、これまでの社会でそれなりに機能してきた「約束」や「記録」という装置の価値を低めることにもつながりそうです。すべては、社会保険庁の年金記録の過誤からはじまりました。

「記録はどっかにいっちゃった。でも話し合いがあるさ」は、社会を安心させる以上に、社会のしくみを壊す心配があります。「約束」や「記録」というものの価値をおとしめるきっかけを、社会保険庁はつくってしまいました。

社会保険庁「年金記録問題について」はこちら。
http://www.sia.go.jp/top/kaikaku/kiroku/index.htm
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見えないけれど、ある。(あった。)


ある国の王様が、織りもの職人に「ふさわしくない仕事をしている人には見ることのできない着物」を“仕立てて”もらいました。家来たちはだれもが「すばらしいお着物ですねぇ」と、その着物を褒めそやしたのでした。そんな王様と家来を見ていた小さなこどもが「あの王様、裸だよね」と言いましたとさ…。

『裸の王様』が語りつがれるのは、社会を皮肉った話だからこそ。

でも科学の歴史では長い間、『裸の王様』で王様やまわりの家来たちが「私には見えている」と言ったのとおなじような物質がほんとうに存在していると思われていたのでした。

「エーテル」という物質です。音が伝わるためには空気が必要。津波が伝わるには水が必要。おなじように、光が伝わるには、音でいうところの空気、津波でいうところの水のような物質が必要なのだ、そう考えられていたのです。

土星の環が岩ででてきていることを見つけた17世紀の天文学者クリスチャン・ホイヘンスはエーテルについて次のように説きました。

「ここに同じ大きさの球がいくつかあり、それらは何らかのきわめて硬い物質でできているとしよう。それらを互いに接触させて一直線に並べ、それらと同じ球で先頭の球を打つ。すると、運動はあたかも時間を要しないかの如く最後尾の球まで伝わり、最後尾の球が列から離れるのが見られる」(ホイヘンス『光についての論考』)

数個のビリヤードの球を一列に並べ、いちばん手前の球に白球をこんと当てると、すぐにいちばん向こう側の球だけが弾かれます。空間には、見えないビリヤードの球のようなものでびっしり覆われているため、遠くの光でもあっという間にこちらに伝わるのだという説明です。

海のなかを魚が進むように、もし地球も宇宙のエーテルの中を漂っているのだとしたら、地球が進む方向からやってくる光は、ほかの光にくらべて早く地球に届くはず。

ところが、米国のマイケルソンとモーリーという物理学者が調べてみると、どんな方向からの光でも速さは同じだったのです。ホイヘンスがエーテルの存在を説いてから200年以上もたった19世紀末、エーテルの存在は大きくゆらぎました。

そして20世紀、アインシュタインが「自分がどれだけの速さで動いていようとも光の速さは一定」と説くことにより、エーテルは「実際に見えないし、無くても問題ないみたいだから、やっぱ無いんだろうね」という架空の物質になったのでした。

エーテルの存在そのものは裸の王様が身にまとっていた着物のようなものかもしれません。

でも『裸の王様』の物語に出てくる王様や家来たちと、かつての「エーテルは存在する」と言っていた科学者たちを同じ扱いにしてしまうのはすこしかわいそう。当時の科学者たちにとっては、エーテルは物事を説明するためのいちばん道理にかなった答だったのですから。けっきょく存在はしなかったけれど、エーテルの存在を前提にしたことで、いまでも通じる科学の理論は進んだのです。

この記事は、早稲田大学大学院科学技術ジャーナリスト養成プログラム「科学史」(小山慶太教授)の講義を参考にしています。
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収束と拡散(3)
収束と拡散(1)
収束と拡散(2)



しめきりある作業の中での「枠組み内での拡散」とは、どのようなものでしょうか。

全体としては収束の方向に進んでいるなかで、作業の枠組みを飛び出さない範囲であらたな発想を取り入れるというものです。

たとえば本や雑誌では、第一段階「台割(どのページにどの特集が来るか)が決まった」、第二段階「特集のページ割り(どこにどんな話を盛り込むか)が決まった」、第三段階「ページ内の図版と原稿の配置が決まった」、第四段階「原稿の見出しが決まった」、第五段階「原稿の文章が決まった」というように、「決める」枠組みが、大きなところから小さなところへとだんだん収束していきます。

制作者がいま第一段階にいるときは、「台割はああしよう、こうしよう」と、その枠のなかで思いっきり拡散させます。それが決まったら第二段階へ。「ページ割はああしよう、こうしよう」と、ここで思いっきりページ割の発想を拡散させます。

このようにして、作業の進み方のそれぞれの段階で、「枠組み内の拡散」をくり返せば、全体としては収束という、完成度をあげていくほうに向かいつつも、新たな発想を取り入れていくことができるわけです。

集団でものをつくっているときに、段階をふみはずして、他の人が首を傾げるのを抑えてまでして内容を思いつきで改める行いは、全体の完成度を低めるもの。その発想はだれもが「賛成してくれるか」「ふみはずしても利点が欠点をうわまわるか」などを考えることが大切です。

ふみはずし、ふみはずされもした経験のある身から。了。
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収束と拡散(2)
収束と拡散(1)



制作者の集団だれもが「よし、その発想をとりいれよう」と一致するような発想であれば、たとえしめきり直前での「拡散」になっても、みんなで挑戦することができます。

いっぽう、「行き当りばったりで恣意的だよ」とまわりから思われる、あるいは自分でも思うところがあるくらいの発想ならば、元の発想のほうがよっぽど統一感が保たれたり、取りこぼしや誤りがすくなく済むものだと思います。

では、作業のどのあたりの段階で、拡散から収束へと向かうべきなのでしょうか。

極端なことを考えれば、いちばんはじめの構想や企画の段階で思いっきり拡散させて、いろいろな発想を出しておけば、あとは収束のみだとしても、しっかりとした作品をつくることはできるのでしょう。

けれども「いろいろと書いていると、新たな発想が浮かんでくる」という思考法があるのもまたたしか。経験的にもこれは当たっている気がしますね。

ここで、考えられるのが「枠組み内での拡散」という考え方です。あと一回だけ、つづく。
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収束と拡散(1)


コンピュータの普及により、制作物をしめきり寸前までよくすることができるようになりました。

手書きの原稿では段落の配置がえなどは、けっこう勇気のいる作業でした。でもいまは「切り貼り」を気軽にすることができます。また、編集作業も活版印刷のころとちがい、いまはパソコンの画面で簡単に図案や文字の修正をすることができます。

「収束」と「拡散」ということばがありますね。ものがある一点に向かってだんだん絞り込まれていくのが収束。いっぽう、ものがとりとめもなく広がっていくのが拡散。創造的制作物をつくる際に、この「収束」と「拡散」の考えはよく論じられます。

たとえば、しめきりや納期まであと3日に迫った作品があるとします。この期におよんで、制作者はこれまでになかった発想が思い浮かんだとします。ただし、その発想を取り入れるには、それまで作ってきたものをかなりいじらなければなりません。

収束してきた作業は、ここで拡散へと向かいます。しめきりや納期直前の拡散。利点と欠点と、どちらが大きいのでしょう。長くなりそうなので、つづく。
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書評『森のスケッチ』
今年からはじまった「みどりの学術賞2007」受賞者のひとり、東北大学の中静透教授が2004年、総合地球環境学研究所勤務時代に書いた本です。

『森のスケッチ』中静透 東海大学出版会 2004年 238p


春夏秋冬という時の移りかわりのなかで、森は芽吹、紅葉、落葉などをあわただしくくり返しながら表情を変えていく。

四季による森の変化については、人々(とくに日本人)は敏感なまでに応じ、また愛でたりもしている。

けれども、こうした比較的短い時間の中で起きている移ろいとはまた別に、森はたえずもう一つの側面から変化しつづけているということをこの本で知ることができる。この変化を「ギャップダイナミクス」などとよぶ。四季による変化が“顔の表情”だとしたら、ギャップダイナミクスによる変化は“新陳代謝”に近いものといえるかもしれない。

台風や洪水により木が倒れる。あるいは人が介入した山火事により木が焼かれる。外からの要因で、森のなかに「ギャップ」という、木の生えていない部分が生まれる。ここに日が射し込むと、あらたな木が芽吹き、長い時間をかけてギャップが埋められていく。ギャップの大きさや日の差し込み具合などにより、吹いてくる芽の種類はさまざま。これが、森にパッチワークのような多様性をもたらすのだという。

いまある森が少なからず人の生活の影響を悪い意味だけでなく受けているというのがよくわかる。山火事などもギャップ形成の要因の一つとなっているのだ。人もまた森の多様性のなかに取り込まれているといっていいのかもしれない。

「おわりに」が、森を見てきた著者の個性が出ていて、また読ませる。ものごとの複雑さをなるべく単純な要素で説明しようとする還元論的思考に対するように、「多様性認識力」の大切を著者は説く。
これはマニアとよばれるような人なのかもしれないが、とにかくあるカテゴリーのものをとことん集め、その微妙な違いを瞬時に感知できるような人がいないだろうか? 私は、そのような方々は「多様性認識能力」に優れた方なのではないかと思う。
「多様性」ということばはよく聞かれる。その認識能力に長けた人がどのような人物であるかまで踏み込んだ話はあまり聞かなかったので新鮮だった。

学術的な色あいはかなり強い。専門的な話も多くでてくるけれど、森の知られざる変化を詳しく知るには格好の一冊だろう。

『森のスケッチ』はこちらで。
http://www.amazon.co.jp/森のスケッチ-中静-透/dp/4486016378/ref=sr_1_3/503-7183678-0598346?ie=UTF8&s=books&qid=1180948585&sr=1-3

中谷宇吉郎の『雪』を、旅先の雪降る北国の街の読むなんてのは、シチュエーションフェチにはなかなかの状況だと思います。この『森のスケッチ』も、ブナの木の生えるような森のなかで、木もれ日を浴びながら日がな読むなんていうのが、もっとも味わえるのでしょう。
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『水からの伝言』を斬るには。


きょう(2007年6月6日)、早稲田大学で同志社女子大学・左巻健男教授の講演会「『水からの伝言』を斬る」が開かれました。

『水からの伝言』は、1999年に江本勝という人が出版した写真集。水の入った容器に「ありがとう」と書いた紙を貼ると、形のととのった結晶ができ、「ばかやろう」と書いた紙を貼ると、形の崩れた結晶ができるという非科学的な話を写真つきの本にしたものです。国内でも海外でもよく売れたみたいで、すくなくともそのころ左巻教授が出版した科学書『おいしい水安全な水』の売れ行きを桁ちがいにしのいだようです。

左巻教授らは『水からの伝言』や、それに次ぐ商品で説明されている“あたかも科学的であるかのような話”を「ニセ科学」とよんでいます。

このごろまで科学者たちは、「ニセ科学」のことをあまりにもでたらめなものだなどとして無視していました。昨2006年3月の日本物理学会で「『ニセ科学』とどう向きあっていくか」というシンポジウムが開かれたことを機に、科学者のうちに何人かが「ニセ科学」に立ち向かい始めたのです。

きょうは100人ほどの聴衆が集まりました。左巻教授の話では「江本氏の説法には、1000人ぐらいの聴衆が訪れます」。聴衆の数や本の売れ行きを見れば、明らかに軍配は江本氏に上がります。

これから、「ニセ科学」をやっつける運動が大きな波となり、左巻教授らが理想としているであろう「ニセ科学の殲滅」に近づくには、さらなる工夫が要るでしょう。

そう感じたのは、きょうの講演での左巻教授の話の中心が「科学者であるという職業的な自尊心からして、ニセ科学で悪徳な金稼ぎをする江本氏らが許せない」というものだったからです。

「職業的な自尊心からして許せない」では、ニセ科学殲滅のために同調する科学者以外の人たちを取り込むのは難しいところ。きょう左巻教授の話を聞きにきた聴衆を“高みの見物でもするか”という心情から、“行動を起こすか”という状態にまでもっていく必要がありそうです。

そのために、なにが必要なのでしょう。やはり、『水からの伝言』などが世の中に広まることによる害の大きさを示していくことが大切なのではないでしょうか。きょうの講演で害の話があったのは「江本氏らはアフリカ諸国に『水からの伝言』などの本を無料で配る企てをしている。そんなことがあれば日本の恥になる」というものぐらいでした。

「科学者として許せない」「人として許せない」という論に同調する人の域をこえ、ふだんの生活で科学のことをあまり考えない人たちにも同調させることは、一筋縄ではいかないようです。でも、挑まなければ、科学者側の勝ちは見えてこないでしょう。

左巻教授のブログ「さまき隊的科学と環境と仕事と遊び」はこちら。
http://www.doblog.com/weblog/myblog/32167
『水からの伝言』はこちらで。
http://www.amazon.co.jp/水からの伝言-江本-勝/dp/4939098001/ref=sr_1_3/503-7257412-2611120?ie=UTF8&s=books&qid=1181145941&sr=1-3
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世界環境デー


「みどりの日」とか「海の日」とかいった祝日でないと、「きょうは○○の日」ということに気づかない場合が多いもの。きょう6月5日は「世界環境デー」です。

1972年、スウェーデンの首都ストックホルムで「国連人間環境会議」が開かれたのが6月5日。以来、「世界環境デー」となりました。日本が提案をしたそうです。

人間環境会議で採択された「人間環境宣言」という意思表明と「環境国際行動計画」という案を現実のものにするために、国連環境計画(UNEP)という機関が立ち上がりました。世界環境デーを広める役割も担っています。

国連環境計画の「世界環境デー」ホームページを見てみると、今年2007年の標語は“Melting Ice ? a Hot Topic?”。日本語にすれば、「とけゆく氷、熱い話題?」といったところでしょうか。

ホームページには、世界のリーダーたちがこれまでに述べてきた、地球温暖化や気候変動に警鐘を鳴らすことばが紹介されています。その中から、ひとつだけ紹介しますと…。
気候変動は、大規模な経済的利害を含めた、高度な政治的問題になっている。いつ終わるかもいえない問題の性質を前にすると、途方に暮れてしまう。なにに力を入れていくかは、この先何十年も続くインフラストラクチャーやエネルギーシステムに影響をもつだろう。気候変動に立ち向かう行動の次には、社会的緊張が現れるかもしれない。
前国連事務総長のコフィ・アナンが述べた言葉です。ほかの人たちが「世界が直面する挑戦的課題だ」(前米国大統領クリントン)とか、「未来の世代を危険にさらさないためには、いま行動を起こすしかない」(スウェーデン環境大使ボー・シェレン)とかの、メッセージ性に走った言葉が並ぶ中で、環境問題は政治や経済の問題であると説いたアナンのことばは光っています。 

くしくも、地球温暖化対策を主要議題とする先進国首脳会議が、あす(2007年6月6日)から始まります。日本の主導で、地球温暖化に向けた各国の足並みは揃うのでしょうか。それとも、社会的緊張がまた生まれるのでしょうか。

国連環境計画(UNEP)の「世界環境デー」のホームページはこちら。
http://www.unep.org/wed/2007/english/About_WED_2007/index.asp
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禁煙大国と喫煙天国
ひと昔前にくらべて、いまの日本で売られているたばこの包装は、健康への悪影響を知らせる表示が目立つようになりました。
たばこの煙は、あなたの周りの人、特に乳幼児、子供、お年寄りなどの健康に悪影響を及ぼします。

妊娠中の喫煙は、胎児の発育障害や早産の原因の一つとなります。疫学的な統計によると、たばこを吸う妊婦は、吸わない妊婦に比べ、低出生体重. の危険性が約2倍、早産の危険性が約3倍高くなります。
「MILD SEVE LIGHTS」などといった題字の下に大きく書かれてあります。利用することが法的に認められている商品に、自虐的な警告を示すという行い。けっこう社会的矛盾にみちていると思います。似たような例としては、「借りすぎに注意」とさかんに訴える消費者金融の広告ぐらいしか思いうかびません。

海外に目を向けてみると、たばこの警告文は日本のものどころではありません。たとえば、禁煙大国して名高いオーストラリアのたばこの包装の警告文を読んでみると…。

「喫煙は末端血管の病を引きおこします」「肺気腫を引きおこします」「口と喉のがんを引きおこします」

「喫煙はあなたの動脈を詰まらせます」「胎児を傷つけます」「失明を引きおこします」

「喫煙は肺がんを引きおこします」「心臓病を引きおこします」「卒中になる危険性を2倍にします」

「お前の煙をこどもに吸わせるな」「喫煙は中毒性があります」「喫煙―それは死をもたらすもの たばこ19,019人、アルコール2.831人、違法ドラッグ863人、殺人203人」

「たばこの煙は毒です」「たばこをやめる意思はあなたの健康を向上します」

おみくじでいえば、いちばん最後の警告だけ“末吉”かも。

字による警告よりもさらに効果的な感があるのは、字のまわりに描かれてある写真や絵。



がんにおかされてぼろぼろになった、くちびる、歯ぐき、歯。先っぽが白い固まりで詰まった血管。不安そうな顔つきで酸素吸入を受ける女の子…。

包装の表側のおよそ3割を、また、裏側のおよそ9割を、この警告文と絵で埋め尽くしています。ここまでにくると、「そこまでして、なぜたばこを売るか」といったパラドックス感も。

オーストラリアでは、2006年1月から、国内のたばこ商品この警告を示すことを決まりにしました。いま、日本で大人の男性がたばこを吸う率はおよそ4割。いっぽう、オーストラリアはおよそ25%にとどまっているそうです。

ところかわって、カナダの公的機関「たばこ撲滅のための医師集団カナダ」では、オーストラリアのたばこ警告表示のほかにも、ブラジル、カナダ、香港などのものを見ることができます。「心臓の弱い人は見ないでください」といったほうがよいほど、描かれてある絵はおそろしいもの。
http://www.smoke-free.ca/warnings/default.htm

いかに日本が喫煙天国に見えてくることか…。
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「かがくナビ」始まる


こどもむけホームページ「かがくナビ」が、(2006年)6月1日から始まりました。理科や科学の情報交換をするための“場”です。文部科学省系の独立行政法人・科学技術振興機構が立ち上げました。

ホームページには、「『かがくナビ』では、そんな日常で抱くギモンを大事にしながら、科学や技術の楽しさや有用性を、情報として提供していきたい」といった、ねらいを書いています。

光の屈折や静電気の作用を動画で紹介する「授業サプリ」や、「世界には『美』がたくさん」と、沖縄の虫たちを紹介する「科学ライブラリ」などがあります。科学ライター森山和道さんが本を紹介する「ブックナビ」も。

はじまって3日目。まだ「工事中」のブログがあったり、「禁止事項 排他的・閉鎖的雰囲気をつくりだすこと」といった“ディズニーランド内の現実世界”のような大人ことばが見受けられたり…。情報を語りあう「ナビのひろば」も、“あらし”対策のためか会員登録が必要と、やや敷居あり。

でも、ホームページは雑誌などの印刷物よりは内容の改良がきく媒体。これからどんどんと、できた“器”のなかにこどもたちの意見を取り入れて、みがきをかけていってほしいものです。

「かがくナビ」はこちら。
http://www.kagakunavi.jp/index

昨2006年の秋ごろから4か月ほど、記者仲間で「かがくナビ」に、世の中の科学のできごとをこどもに伝える「科学ドキュメント」の原稿を書きためてきました。編集は元科学技術振興機構メディア課の近谷純子さん。

「いつ公開されるのかな」「公開されるのかな」「謝礼、返したほうがいいのかな」などと、仲間たちで話していましたが、ここに来てついに公開。不二家問題に関連した「消費期限や賞味期限が切れた食べもの、どうすればいい?」などの、賞味期限をこえた記事もありますが、日々のこどもたちへのネタづくりなどにお役立てください。こちら。
http://www.kagakunavi.jp/document/top
| - | 23:59 | comments(0) | -
先端の科学技術がここから


きょう(2007年6月2日)まで、東京・目黒区の東京大学駒場リサーチキャンパスで、研究室の一般公開が行われました。大学研究家・山内太地さんからの誘いで先端技術研究所の各研究室を覗きました。

生産技術研究所は、産業技術のもっとも進んだ研究を行うところ。工学系の教員がおよそ300人、大学院生がおよそ700人、日々ここで研究をしています。

生産技術研究棟では、NHKの科学番組『サイエンス・ゼロ』の論客をつとめる大島まり教授と研究員から、研究室の紹介を受けました。

まえ(2007年3月11日)に、「進化する流体計測技術」という記事で、“流れ”あるものの位置や速度などを測る「流体計測」について書きました。横浜国立大学発ベンチャーの研究です。

いっぽう、きょう訪ねた大島教授の研究室は、流体計測技術などを活かして、脳動脈瘤という血管に“こぶ”ができてしまう病を、血の流れ方を目でとらえる方法を研究しています。「3次元眼鏡」をかけて、血管のこぶを立体的に見る方法なども開発しています。

ものを測る技術を高める研究と、具体的なものを測って知る研究という、同じ分野での研究の関わりあいがよくわかった研究室訪問でした。

「大学を一般の人に紹介する傾向は高まっています。東大駒場リサーチキャンパスの一般公開も以前は平日のみの期間だったのに」と山内さん。

どの研究室を覗いても、「私たちの研究を知ってほしい」という大学院生たちの積極さは相当なものでした。いま、大学の研究室では、どのように研究費をえるかが大きな課題となっています。一般の人たちに研究を知ってもらうことも、産学連携などで社会からお金を得ための地道な一歩といえるでしょう。

東京大学駒場リサーチキャンパス内にある生産技術研究所のホームページはこちら。
http://www.iis.u-tokyo.ac.jp/
大島研究室のホームページはこちら。
http://www.oshimalab.iis.u-tokyo.ac.jp/index_j.html
同じくキャンパス内にある先端科学技術研究センターのホームページはこちら。
http://www.rcast.u-tokyo.ac.jp/ja/
| - | 23:59 | comments(0) | -
離れたいときもある。


めったに使わないセロハンテープが、1年をかけて形をかえていきました。いちばん外側のテープは、すでに巻芯の延長上にありません。

ひと巻きごとに、その内側の巻きからわずかにずれているだけなので、これからも使うことはできます。ただ、まわりに付いた黒いけばけばを指でこするなどして取りのぞかないとみっともないのですが…。

セロハンテープのセロハンは、じつは天然樹脂のパルプでできているのですね。パルプといえば紙のもと。木材などからセルロースという繊維を取り出してつくります。紙とセロハンがおなじ素材だとは。セロハンは化学合成樹脂のビニールでできているとばかり思っていました。

上の写真のような変形も、セロハンテープが天然樹脂でできているため。湿気を吸い込むとセロハンが膨れひろがって、型くずれをしてしまうのだそうです。

戦後、“セロテープ”をつくりはじめた老舗のニチバンは、セロテープを世に出してからしばらく、お客さんからの「しまっておいたセロテープが、いつの間にか変形している」という苦情を受けていたそうです。

変形する原因は、セロハンが膨張するときに圧力がかかるため。芯は、この圧力を外に逃してやる役割も担っているのです。

ニチバンは、テープをまく芯を強くて固いものにすることで問題を解決しました。いまも受け継がれる強くて固い芯を考えだしたのは、元社長・高綱基裕。製造課長だったころ、紙を何層かに圧縮した緩衝材がビスケットの缶に入っていることに気づき、「こういうものを巻心にすればいいのではないか」と思ったそうです。

というわけで、写真のセロハンテープはもちろんニチバン製ではありません。変形しはじめたころは、「早く使い終わって、ニチバンのセロテープにでも切り替えたいな」と思っていましたが、ここまで変形するとそれはそれで見上げたもの。使うのが惜しい気もしてきます。

参考ホームページ
NTTコムウェア「ニッポン・ロングセラー考 ニチバンセロテープ(R)」
http://www2.nttcom.co.jp/comzine/no034/long_seller/index.html
| - | 23:59 | comments(0) | -
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