科学技術のアネクドート

人生を聞く。


原稿を書くための取材で、その人の歩んできた人生をねほりはほりと聞くことがあります。どのような研究人生を歩んで科学的な発見をするにいたったかとか。どのように勉強をして東大に合格したかとか。その人の情報を各媒体から得られるようであれば、年表つくっておくと頭の中が整理されます。

記事に書く内容がどちらかというと明るい内容だからかもしれませんが、取材に応じてもらった人々は、みな一様に楽しそうに語ってくれます。「ああ、あんな時代もあったねぇ」と。

「海外の学会で言われたあの一言が、私の人生の転換点でした」と語る科学者もいれば、「東大の合格発表の掲示板まで、母ちゃんの手をつなぎ、番号を見た瞬間は、抱き合って喜びました」と語る東大生もいます。

楽しそうに話している人に耳をかたむけると、もちろんこちらも楽しくなります。こっちまで楽しくなるのは、その人の世界の中に入り込むことができるからなのでしょう。小説や漫画で、主人公やそのまわりの人物になってしまいたいと感じることがたまにありませんか。そんな気分を一時的に体験できるのだと思います。

というわけで、話を聞いたあとは、こちらも「いい人生だったぜ」と、思っているわけです。取材をしたときの楽しさと、原稿を書くときのしんどさは別物です。

余談ですが、「生い立ち」という言葉は、「人生の歩み」と同じ意味なのかとずっと思っていたのですが、そうではないようです。子供が成長するまでの過程や経歴のことをいうそうです。たしかに「生いて、立つ」のだから、子どものころの話なのかもしれません。
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『科學知識』と「アームストロング氏」


ふらふらと新橋へ。街頭取材のメッカ、SL広場で明日(2007年3月31日)まで、「新橋大古本まつり」が開かれています。

つい、そそられるのが科学雑誌の既刊号。それも戦前や戦中のとても古いものです。戦前は、『科学ペン』(三省堂)、『科学朝日』、『科学図解』(中央公論社)、『科学日本』(大日本出版)、『科学文化』(科学文化協会)、『科学』(岩波書店、これはいまも継続中)など、多くの雑誌が世に出されていました。

昭和3(1928)年に発売された『科學知識』という雑誌を発見。背表紙には「發行所 財團法人 科學知識普及會」とあります。調べてみると、現在の日本科学協会のよう。

かの野口英世の追悼号(!)ということで、つい買ってしまいました。その特集の話はまたお伝えするとして、とても不思議な写真が載っていたので、その紹介を。

「大洋中の新案浮き飛行場」という名の記事で、「米人アームストロング氏」が着想する、海上に飛行場を浮かべる計画が紹介されています。

最大にして唯一の不思議は、このお方が、模型の飛行場のある池のなかに、なぜ背広を着たまま入っているのかという点。



おそらく、海上飛行場を報道陣にお披露目する晴れの舞台。海水パンツ姿で「この夢の飛行場は…」と説明するわけには行かなかったのでしょう。

でも、模型を池のほとりのすぐ近くに作れば、「アームストロング氏」は地上から説明できたはず。ひょっとしたら、“大海原にぽつねんと浮かぶ飛行場”をどうしても演出したかったのかもしれません。

髪をきちっと整えている容姿から想像すると、几帳面なお方だったというのが、もっともな理由かと思います。

調べてみると「アームストロング氏」は、カナダ生まれのエドワード・アームストロングという発明家。ナイロンを売り出したことでも有名なデュポン社につとめていたこともあるようです。

リンドバーグの太平洋横断飛行が、この記事の前年の1927年。世界が飛行機で沸き立っていたころ。壮大な夢のためであれば、背広を着て池のなかに飛び込むのも厭わない時代(または一個人)だったのでしょう。

「新橋大古本まつり」は新橋駅SL広場で、明日31日(土)夜20時まで。お知らせはこちら。
http://www.shinbashi.net/top/news/detail.php?nws_cod=10586&PHPSESSID=0e0dfb0f1d827b97a60132a793ac0
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信太郎はんと信三郎はん(2)
商標だけは受け継いだ長男の新・一澤帆布のほうは、職人が退き払ってしまったためか、商品にも技術力の衰えが見えています。

たとえば、画像は、旧(上)と新(下)の黒い鞄を比較したもの。旧のほうは底の釘がはめられてあり、固い床に置いても、帆布が傷まないようになっていました。ところが、新のほうには釘がありません。





いっぽう、分裂した三男の一澤信三郎帆布は、旧・一澤帆布時代にはなかったような柄もので打って出ました。たとえば、「鉄腕アトム」の柄が入った手提げ。「釣りバカ日誌」の浜ちゃんとスーさんの柄が入ったサイクルバッグなど。

旧来の、柄の入っていない鞄もないわけではありません。けれども、旧・一澤帆布時代の品物より一まわり小さいなど、完全に再現しているわけではないのです。職人が移ったため技術力は保たれていても、たとえば旧・一澤帆布で買ったお気に入りの“二代目”を信三郎帆布で買おうとすると、限られてしまうのです。

もちろん、生まれ変わった2店の商品を新たに好きになる人もいるでしょう。けれども、伝統を売りにしてきたのが一澤帆布。分裂前の商品を愛していた人は、2店とも魅力に欠ける気がするのでは。「こんなんなら、元のお店のほうがよかったな」と。

しょせんお家騒動。されど、客にとってこの騒動にご利益はあまりありません。信太郎はんと信三郎はんに仲直りの日は来ないのでしょうか。(了)
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信太郎はんと信三郎はん(1)
このブログで以前、京都の老舗鞄屋「一澤帆布」のお家騒動を取り上げました。父の遺産相続権をめぐる、長兄・信太郎氏と三男・信三郎氏の確執です。

長兄は店の名前を引き継いで再び「一澤帆布」として、昨2006年10月16日に店を再会。三男は分裂以前の職人を引き連れて、すでに「一澤信三郎帆布」として、営業をはじめていました。

「一澤帆布」の所在地は鞄の布に刻まれているとおり、「東山知恩院前上ル」。いっぽう分裂した「一澤信三郎帆布」はどこにあるかというと、東山知恩院前上ル。京都特有の住所表記でいえばまったく同じ。この2店は画像のとおり、東山通りを隔てて、わずか徒歩20秒の斜向いにあるのです。



今年の2月14日。長兄は、三男に商標権を侵害されたなどとして、約13億円の損害賠償請求をしました。

訴えた長兄側は、一澤帆布のホームページで次のように意見表明しています。
信三郎氏は、一澤帆布が二度とカバンの製造販売ができないようにして退去していったのです。(中略)信三郎氏は、「これからは品質で競争する。」と言った旨聞き及んでいますが、このような発言は、信三郎氏が、一澤帆布のミシンなどの製造機器等全てを持ち去って、製造販売の継続を不可能とする重大な損害を一澤帆布に与えたことを全く自覚することなく、無視したものとしか言いようがありません。
一方、訴えられた三男は、報道機関に対して「両者の争いは法的には解決済み」と返事をしたそうです。

お家の事情はいってしまえば、しょせん他人事。アニータが千田被告に会いに来ようと、芸能番組の取材陣から「迷惑も顧みず、なにしに来たのですか」と問われる筋合いはありません(迷惑なのは地元を騒然とさせる報道陣のほう)。

けれども、客を相手にする商売であるだけに、他人事で済ませてしまうには、ちょっと腑に落ちない部分もあるような…。

分裂後、2店の扱う商品は、どのようになったのでしょうか。つづく。
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ニッポン産業の箱庭(10)
ニッポン産業の箱庭(1)
ニッポン産業の箱庭(2)
ニッポン産業の箱庭(3)
ニッポン産業の箱庭(4)
ニッポン産業の箱庭(5)
ニッポン産業の箱庭(6)
ニッポン産業の箱庭(7)
ニッポン産業の箱庭(8)
ニッポン産業の箱庭(9)



先日、出張の帰り、ひさびさに秋葉原駅で降りてみました。

ヨドバシカメラの地上階にある喫茶店でコーヒーと菓子パンを買って一服。その後メイド姿の娘たちがチラシ配りをしているJRの電気街口きっぷうりばを抜け、中央通りを散歩。歩いている途中で、気が付きました。この街には、広場の植え込み以外には、樹木に出会うことがほとんどないことに。

住宅街は空襲に遭い、焼け野原へ。ラジオ部品を扱っていた露店街は成長してテレビを扱う家電店へ。パソコンマニアの聖地はアニメおたくの“趣都”へ。ここ1世紀の間で、秋葉原は大きく変わりました。

ただ、ここ最近のつくばエキスプレス開通や、ヨドバシカメラ、クロスフィールド、ダイビルといった大きなビルの建設の波は、すこし“変貌の質”がちがうように思います。それまでの街の変わりようが自己発生的だったの対して、最近の変わりようは都市整備の中で計画されたものだから。都市整備で街が変わるということ自体も、ここ最近の日本の産業の傾向を示している出来事かもしれません。

内発的に変化をしていた街は、いま外発的な変化を経験しています。きのうの9回目の記事で紹介したような政府系観光局の外国人観光客誘致も、どちらかといえば外発的な試みでしょう。

しかし、秋葉原にかぎっては、自己発生的に変わってきた街に外からの手が加わっても、街が現代的な建物ばかりに豹変することはきっとないでしょう。自己発生的な街の変化には、力強い文化が伴っているからです。

内からの変化で形成された文化に、外からの変化が加わっていく。ニッポン産業の箱庭は、新しい融合のしかたで、きょうもきのうとはちがう表情を見せています。(了)
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ニッポン産業の箱庭(9)
ニッポン産業の箱庭(1)
ニッポン産業の箱庭(2)
ニッポン産業の箱庭(3)
ニッポン産業の箱庭(4)
ニッポン産業の箱庭(5)
ニッポン産業の箱庭(6)
ニッポン産業の箱庭(7)
ニッポン産業の箱庭(8)



きらびやかな店が軒を連ねる電気街の店の中で、すこし異色を放つのがラオックスの免税店です。英語、韓国語、漢字で看板を飾り立て、入口中央には堂々と「JAPAN」の文字。同店は外国人観光客の取り込みに積極的で、ホームページでも英語で秋葉原の魅力を紹介しています。

ここ数年、秋葉原には外国人が多く見られるようになりました。以前は、アジア人が電子機器を買う姿が多かったものの、いまは欧米の人たちが観光目的で来ています。

海外の人たちは、この街をどのように捉えているのでしょう。

旅行関係の情報を送っている英国のサイト「オポド」は、「日本がアニメのギーク・シックを抱き込む」という見出しの記事を書いています。「ギーク・シック(geek chic)」とは、眼鏡をかけ、漫画を読み、電子機器に詳しい、といった風体がにあうような人たちを指すことば。「おたく」に近いものがあります。
これまでの観光客はたいてい、この街の裏路地に構えるアニメのがらくたで満たされた店に近づくことはなかった。

だが、時代は変わった。いまや、政府系の日本観光局「ヴィジット・ジャパン」が、積極的にアニメの中心地アキハバラを宣伝しているのだから。

案内役に連れられた観光客が大挙としてこの地を訪れ、アニメ店が軒を連ねる迷路のような道を通り歩いている。
記事は、日本人が「おたく」をどちらかというと隠したてようとしていた態度が変わりつつある、と論調します。

ただ、日本人が思っているほど、海外の人たちには、秋葉原の認知度はまだ低いのかもしれません。

先日、日本を訪れた報道関係の米国人と話したとき、私は当たり前に秋葉原の話をしたのですが、どうやら電気街でありアニメのメッカであるということを知らないようでした。上の記事のように紹介されていること自体もその証拠といえるでしょう。つづく。

ラオックスの英文ホームページはこちら。
http://www.laox.co.jp/english/index.html
英国の観光情報サイト「オポド」の記事はこちら。
http://news.opodo.co.uk/articles/2007-03-02/18077689-Japan-embraces.php
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書評『「ネイチャー」を英語でよみこなす』
魅力的な書名の『99・9%は仮説』が売れ、数学のテレビ番組で北野武と共演するなど、かつてより輪を掛けて有名になった竹内薫さん。氏が書いた、科学記事翻訳の技法書です。私が通っている早稲田大学の大学院(科学技術ジャーナリスト養成プログラム)の入学試験の英語受験対策に、使ったのがこの本。辞書を引かずに、書かれてある英文を訳してから、竹内さんの訳と解説を読んで解答あわせ。ええ、とっても役に立ちました。

『「ネイチャー」を英語で読みこなす』竹内薫著 講談社ブルーバックス 2003年 260p


『ネイチャー』に自分の論文が載ることは、野球選手が大リーグ行きを果たすくらい、あるいは、映画俳優がアカデミー賞の候補に選ばれるのに匹敵するくらい名誉なことではないだろうか。科学雑誌数多くあるなか、最高権威とされるのが『ネイチャー』。そんな『ネイチャー』をごく普通の人も身近に感じられるようになるのがこの本だ。

科学書好きなら誰もが知るこの著者は、『ネイチャー』の日本語版で翻訳をしていた経歴の持ち主。少年期を英語圏で過ごしたバイリンガルなのだ。

前半の解説編では、そんな『ネイチャー』に深く携わっていた著者だからこそのウラ話が披露される。

たとえば新聞で科学のセンセーショナルな発見を扱う記事には「この研究論文は本日発売の『ネイチャー』で発表される」などと書かれている。「さてはすっぱ抜きか」と思いきや、じつは数日前に報道機関に論文の配信があり、解禁日を待ったうえで新聞社は記事を載せているのだ(報道関係者には知られた話だが)。

後半の実践編は、『ネイチャー』の英文記事を選び抜き、「英文→訳→解説→英作文」という順で、実際に『ネイチャー』を読むことに挑戦してもらおうというもの。

何個か訳文を見ずに翻訳を試みてみた。知らない単語を前後の文章から推測するといった、英文和訳の醍醐味を味わえる。こなれた訳文も勉強になるし、解説も軽やかで親しみやすい。

とりわけ科学の分野では、英語を読みこなせるかどうかで、得られる科学の情報量は雲泥の差となるだろう。この本はそうしたことを再認識させてくれる。また、科学英語への接し方も示してくれる。

『「ネイチャー」を英語で読みこなす』はこちら。
http://www.amazon.co.jp/gp/product//4062574136/ref=cm_aya_asin.title/503-7257412-2611120
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樹木の“ねがえり”


「壁際に寝返り打って、背中で聞いている」の歌詞ではじまるのは、名曲「勝ってにしやがれ」。部屋を去りゆく女を、寝た振りをして黙って送るという、哀しい男の心情を歌った歌ですね。

ジュリーの歌に負けず劣らず劇的な「ねがえり」が、自然界にもあると聞きました。しかも、森の樹木が「ねがえり」をするのだといいます。壁際もなにもない森の中で、天へ天へと成長していく樹木が、なぜ「ねがえり」をするのでしょう。

樹木の「ね」といえば、根っこの「ね」。樹木が「根」ごとひっくり「返る」から、「ねがえり」。つまり、漢字で書くと「根返り」というわけです。すいません。「寝返り」とは字がちがっていたようで…。

たとえば、樹木の枝に雪が降り積もるとします。すると、その樹木は重みに耐えられなくなり、ついには根っこから倒れてしまうこともあるのだそう。また、土の水分の凍結や、台風などの大風によっても、樹木は根っこから倒れます。こうした自然の営みが「根返り」。

樹木はかなり深くまで根がはっているものだから、根返りがあったところには地面が盛り上がったり、大きな穴があいたりして、ちょっとした地形の変化が起きるのです。

この、根返りによる土地の変わりようが、生態系にとっていろいろなご利益を生み出すのだそうな。

たとえば、森のクマたちは、この根返りでできた穴を、冬眠用のねぐらにすることもあるとか。クマに「なぜ、冬眠するの」と尋ねたら、「そこに穴があるからさ」とこたえるかわかりません。

また、根返りによって地中の土が露になります。さらに、その場所の樹木が倒れたことにより、太陽の光がふりそそぎます。すると、土の温度が上がって、温かい土の条件で芽を出しやすい植物が、そこで芽生えをするのだそうです。

こうして、倒れていった木に代わり、別の命が生きながらえ、また新しい命が誕生して、森は生まれ変わっていくのです。
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第5期科学ジャーナリスト塾の修了


科学ジャーナリスト塾の最終回が、東京・内幸町のプレスセンタービルで行われました。

きょうは、3月9日と2日間にわけて行われる各班の発表の2日目。「食と農業」班、「脳と心とロボット」班、そして、「エネルギーと原子力」班の3班が、演習の成果を発表しました。

すべての班の発表が終わったところで、1点から10点までの評点をし、順位を発表。1位に輝いたのは、NHK室山哲也解説委員が顧問をつとめた「脳と心とロボット」班でした。

発表の題目は「サイボーグ技術の先にあるもの」。障害をもつ人々に使われている人工内耳などの再生医療技術の大いなる光の部分(技術による障害の克服)と、小さな影の部分(軍事への転用)を映像で紹介しました。

ほかの班も優秀な発表形式でしたが、「脳と心とロボット班」が優れていたのは、ニュース番組の特集を見ている気にさせる演出の妙でした。いわば、「学会発表型」の対極にある「番組型」の発表。聴衆は映写膜に写されている映像と、とつとつと語る語りにも引き込まれました。

最後に塾生のみなさんに“修了証”が与えられ、半年にわたって行われた第5期科学ジャーナリスト塾はお開き。塾から巣立ちをした塾生たちは、地下街へ下っていき居酒屋へ。たがいの労をねぎらいあいました。

塾生のみなさん、ほんとうにお疲れさまでした。

後日、各班の成果が公開される予定。科学ジャーナリスト塾のホームページはこちらです。
http://www.jastj.jp/Zyuku/index.htm
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2007年4月7日(土)から「ランドセルミーティング」


ありがたいことに、郵便受けをのぞくと、毎日のように、だれかからの便りや案内などが入っています。科学についての過去分の記事を送ってくれる毎日新聞のNさん。街についてのしみじみとした随筆「古町風歩」を送ってくれる、ほりみちよさん…。

先日も、郵便受けを覗くと、催し物の招待状が入っていました。日本科学未来館からです。きょうはその紹介を。

来月(2007年)4月7日(土)から、5月14日(月)まで、「ランドセルミーティング ミュージアムの入学式へようこそ」という企画展が開かれるそうです。

ランドセルといえば、小学生の必需品。なぜ「ランドセルミーティング」なのかというと、「今年設立6年を迎え、人間に喩えるなら学校に上がる年頃」となったから。小学校への入学祝いに喩え、このたび模様がえをした1階の展示広場で、催し物を多く開く予定です。

4月21日(土)の「味覚」を題材にした「サイエンスカフェ」なども興味引かれますが、興味ひかれたのは、5月4日(金)に行われる「サイエンスカフェ歌会」。西洋から入ってきた科学を、日本の伝統である俳句で詠むという異色の試みで楽しみです。

開館当時、勤めていた出版社の仕事で、未来館には何度となく足を運ばせてもらいました。遠い昔の出来事の気がして、開館からまだ6年しか経っていないのかというのが個人的な感覚です。

6歳になった未来館。人間にたとえれば、まだランドセルも大きなこわっぱ。けれども幼少のころこそが、もっとも成長する時期でもあります。

4月7日(土)より開催。日本科学未来館「ランドセル・ミーティング - ミュージアムの入学式へようこそ」のお知らせはこちら。
http://www.miraikan.jst.go.jp/j/event/2007/0514_plan_01.html
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学校選び、卒業したての若者に耳をかたむける。


だれもが学校にかよった経験をもち、また多くの人が子どもを育てた経験をもつ。こうしたことから、「教育」は、とても多くの人が、自らの体験などをたよりに一家言をもちやすいテーマだと思います。

いま本屋で売られてる『週刊ダイヤモンド別冊 いま、試される父親力』という子どもの進路特集で、「卒業生が語る『中高一貫校の現実』」という報告記事の取材・執筆をさせてもらいました。中高一貫校とは、中学校と高校がひとつになり、6年間を通した教育を行う学校です。

大人たちだけの話になりがちな学校選びについて、学校生活を終えたばかりの若い人たちに耳をかたむけて、新たな見方を提供しようというのが記事のねらいです。

取材に応じてもらった中高一貫校卒業生の学生たちは、みな心を開いて学校生活での自分の成長や後悔について語ってくれました。

東京大学や京都大学に進み、これまでの進路を「よかった」と思っている人たちの話で共通していたのは、学校に入学した後の生活のなかで、本格的に勉強に打ち込むことになる転機に出会ったという点です。

たとえば、部活動でのある苦い経験を勉強に転嫁したり、予備校の進路指導役からの助言を受けて勉強に本腰を入れる決心がついたりと、さまざま。

定評のある学校に受からせることも大切ながら、入った学校で子ども自身が、どのような出会いをし、どのような体験をするかも、またその後の人生を左右する大事なことだと感じました。

『週刊ダイヤモンド別冊 いま、試される父親力』の紹介はこちら。
http://book.diamond.co.jp/cgi-bin/d3olp114cg?isbn=20247032707
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京の美意識と匠の世界


京都・三条高倉の京都文化博物館で、特別展「近世 都の工芸 京の美意識と匠の世界」が開かれています。2007年3月31日まで。

桃山時代から江戸時代に至るまでの間に、京都が生んだ工芸品、約200点を、「桃山の革新」「古典の復興と雅の意匠」「琳派の成立とその展開」「復古と創造」という四つの時代に分けて展示するという企画です。

ひねくれた鑑賞法かもしれませんが、展示されている作品から、現在の流行と共通するような意匠や色彩を想い巡らせました。

たとえば「桃山の革新」の展示では、嵯峨人形の犬が飾られています。画像をご覧いただけないのが残念ですが、犬の形をしたこの張り子に特徴的なのは、体に刻まれた紅菊の模様。

この作品から想像を膨らませると、見えてきます。チェック柄の布地でできたテディ・ベアに相通じるものが!

また、「古典の復興と雅の意匠」に飾られている「賀茂競馬模様小袖」という着物の絵柄と配色。遠くから見ると、赤や黄色が中心の競馬の様子を描いた模様の中に、淡い空色の配色が。

この色の配分、どこかで見たことがあると思ったら、“スカジャン”じゃん。

たぶん、こうした意匠は偶然の一致と思いますが、創造を膨らませるだけで楽しいものがあります。お近くにお住まいの方、それぞれの鑑賞法で、京の美を楽しんでみては。

「近世 都の工芸」は京都文化博物館で3月31日まで。ホームページはこちら。
http://www.bunpaku.or.jp/exhi_special.html
また、明日3月21日「春分の日」は、京都市が定める「伝統産業の日」。さまざまな催し物があるようです。詳しくはこちら。
http://www.city.kyoto.jp/sankan/densan/densannohi/
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あえて特許を得なかった研究者たち


“発明家”とよばれるかぎられた人たちだけでなく、企業はたまたふつうの生活を送る市民にも、研究の成果や発明品を「特許」として登録する向きが強くなってきています。特許は、発明者が発明したものを、独り占めして使ったり作ったりすることができるしくみ。価値のある特許の権利を売れば、大きなおカネになります。

日本の大学も、資金源のごく一部にしかならないと言われるものの、大学内の教員たちに特許を持つように薦めています。国立大学では、2004年の独立行政法人化により、教員が特許で得たおカネの一部が大学に渡るようになっているのです。

科学技術の長い歴史の中では、特許をとらないことを信念とした研究者たちもたくさんいます。まったく興味がなかったという人もいるでしょうが、あえて特許を得なかったという人も多くいます。研究者たちの信念はいかに…。

フランスは1791年にはすでに特許法が制定されており、知的財産権の歴史が長い国のひとつに数えられます。19世紀後半から20世紀前半にかけてこの国で活躍した科学者キュリー夫妻は、特許を得ることを拒んだ人物として知られています。

1898年に夫妻は、ラジウムという元素を夫妻は発見しました。ラジウムは、体の組織を破壊する放射線を発するため、世界中でがんの治療などに役立てられました。

キュリー夫妻は、なぜ発見したラジウムを特許に登録しなかったのでしょうか。のちに娘のエーブが、母マリー(トップ画像)の生涯を伝える伝記のなかで、母の思いをこう記しています。

「物理学者はいつも研究をすべて明らかにしている。もし、この発明に商業的な芽があるのだとしても、それは、利益を決して受けてはならぬ偶然なのだ。そして、ラジウムは病気治療のために使われるだろう。そこから利を得ることなどできまい」(“Madame Curie”より)

もう一人。いま活躍中の東京大学大学院・坂村健教授は、コンピュータの基本ソフト「トロン」の開発者。でも、米国マイクロソフト社のビル・ゲイツが開発した「ウィンドウズ」とはちがって、特許をとらずにソフトのしくみを社会に公開しました。

トロンは携帯電話などでとても広く使われている基本ソフト。もし、坂村教授が特許をとっていれば、いまよりもはるかに巨額の利益を得ていたことでしょう。坂村教授は、報道機関からの取材に対して、特許をとらなかった哲学をこう話しています。

「日本語を話す時、特許料を払えとはだれもいわない。基盤技術は積極公開し、公共財にする。それがトロンの発想でした」(朝日新聞2002年11月9日週末版)。

発見を人間の治療のために役立てたいという思いから特許をとらなかったキュリー夫妻。基本ソフトの存在は、空気のようにあたりまえのものだからという考えから特許の申請を見送った坂村教授。結果、ラジウム治療もトロンも、世界のだれもが享受することのできる財産となりました。

もちろん、発明の対価として、特許の登録をするのもしないのも発明者の自由。科学技術が社会の利益になるためには、特許制度の存在が研究の動機づけとなるという考え方があるいっぽうで、特許を得ないから社会の利益につながるという、別次元の考え方もあるのですね。
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キンコンキン


生物多様性についての講演会を聞きにいったときのこと。ある研究者の発表で、響きのよいことばを耳にしました。

「生物の機能を最大限活かすには、キンコンキンの共生を利用することが重要でありまして…。種類には、内生キンコンキンと、外生キンコンキンがありまして…。アーバスキュラー・キンコンキンは標高が高いと感染率は下がりまして…」

その研究者は、講演中、やたら「キンコンキンが、キンコンキンが」と言葉を連発します。耳から離れなくなり、帰りの地下鉄で私も「キンコンキン、キンコンキン」と、つい口ずさんでしまいました。

漢字で書くと“菌根菌”。“山本山”とか“満山満さん”とかを思い浮かべてしまいますね。

木の根っこには、マツタケのように、菌類がひっついた種類があります。“菌”がついた”根”だから、“菌根”。その菌根をつくり出す菌のことを“菌根菌”というのです。つまり、この言葉のふたつの“菌”は、同じものを指しています。

菌根菌と木の根は、基本的によい関係。木が、やせこけた土から栄養を摂るのは大変なことですが、菌根菌が栄養や水を木の根っこに与えるのです。その代わりに菌根菌は、木が光合成でつくった糖などをもらって生きています。

根っこを外から包むように成長する菌は“外生菌根菌”。一方、根っこの中で成長する菌を“内生菌根菌”とよびます。

とくにその道の研究で注目されているのが、“アーバスキュラー菌根菌”という、内生菌根菌の一種。菌の糸が、枝状に広がったものです。聞きなれないため、めずらしく思われがちですが、じつに陸上の植物の8割以上は、アーバスキュラー菌根菌と共生関係をもつことができるのだそう。この菌根菌は、リンという植物にとって栄養のある物質を与えることができるため、農業用に市販されています。

菌根菌と木のように、生物の世界には、もちつもたれつの共生関係にあるものは数多くあります。サメとコバンザメは、サメがおこぼれを与え、コバンザメがサメに付いた寄生物を掃除するという共生関係があるのでは、といわれています。また、私たちヒトも、食べたものを分解してくれる乳酸菌とは、共生関係にあるといわれています。
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書評『科学者という仕事』
「日経ビジネスオンライン」に書いた書評を、評した本の著者(中西準子さん)が気づいて、ご自身のホームページの日記で紹介してくれました。ありがたいことです。

閑話休題。きょうは、科学者の像に迫ることのできる本の紹介を。

『科学者という仕事 独創性はどのように生まれるか』酒井邦嘉著 中公文庫 2005年 276ページ


多くの人にとって、“科学者”とは、なかなか遠い位置にある職業かもしれない。大学の奥まった研究室の中で、白衣を着た“先生”方は、何を考え、何を話しているのか…。

科学者になろうかと考え中の高校生や大学生、そして、産学連携などで科学者と接する必要のある企業人などにとっては、「科学者という仕事」を知るための、格好の本である。

著者は、言語を脳科学的に研究している東京大学の助教授。つまり、科学者自身が書いた科学者についての本だ。科学者という職業の“標準”あるいは“典型”が示されているような印象をもった。

たとえば、科学者の志を、著者はこのように述べる。
研究者になる上で最も大切なことは、「個」に徹することである。

研究者として「独創性」こそが最も大切だと考えるならば、どの国にいようと、いつの時代にいきようともただ一つ変わらない鉄則がある。それは、他人に左右されず、決して群れないことである。
独創性を保ち、科学者として成就するためには、外部に流されない頑さが大切ということだろう。同時に、著者により示されたこの志は、民間企業の人が大学研究者と共同研究をうまくやっていくための心構えを考える種にもなるだろう。

また、自分自身の経験談に頼らず、客観的に科学者の像に迫ろうとしているところも、科学者が書いた本という印象を強めている。著者は自らの体験を語る代わりに、アインシュタインや朝永振一郎などの、過去の科学者が語った言葉を多く紹介する。著者の個性にもう半歩、迫れない反面、歴史的科学者たち美しい言葉にひたることができる。

大学生活4年が修了してからのその後の進路についてや論文の査読のされ方についてなど、実際的な制度が書かれている一方で、研究者としてあるべき姿といった精神面も書かれていて、全体として、平衡のとれた本となっている。

『科学者という仕事』はこちら。
http://www.amazon.co.jp/科学者という仕事?独創性はどのように生まれるか-酒井-邦嘉/dp/4121018435/ref=sr_1_1/503-7257412-2611120?ie=UTF8&s=books&qid=1174156485&sr=1-1
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科学コミュニケーションの情報発信、続々と。


ここにきて、各大学の科学コミュニケーション関連のプログラムが、いろいろな媒体を使って出版や情報発信する動きが出てきています。

まず、北海道大学の科学技術コミュニケーター養成ユニットは、インターネットで読める雑誌『科学技術コミュニケーション』を(2007年)3月15日に創刊。

代表の杉山滋郎教授は、「『科学技術コミュニケーターを養成する』というCoSTEPのミッションは、『授業』の中だけで完結するものではなく、広く社会と交流する必要があるということになります」と、創刊の理由を言います。加えて、雑誌を発刊することにより、外部の人たちの評価を受けたいというねらいもあるようです。

内容は、2月まで道主催で行われた「遺伝子組換え作物の栽培について道民が考える『コンセンサス会議』」についての報告が特集されています。また、昨2006年11月に東京で開催された科学の催し物「サイエンスアゴラ」の主催者による実施総括も。

今後、同誌は、9月と3月の年2回、発行される予定です。

また、お茶の水女子大学サイエンス&エデュケーションセンターは、書籍『サイエンスコミュニケーション 科学を伝える5つの技法』(日本評論社)を3月下旬に刊行予定。

気になる“5つの技法”は、目次によれば「プレゼンテーション」のほかに、「科学的探究力育成スキル」、さらには「外部資金導入スキル」といった現実味を帯びたものまで掲げられています。執筆者は同センター長の千葉和義教授や、『国家の品格』がベストセラーになった藤原正彦・同大学教授(講義録の模様)ら。いずれ、当ブログでも書評を書きたいと思います。

さて、私の所属している早稲田大学科学技術ジャーナリスト養成プログラムでも、4月から『テリア』というブログを公開する予定。昨年4月から蓄積された実習授業の報告記事や、催し物の情報、書籍・音楽・映画の評などの記事を発信していく予定です。

北海道大学科学技術コミュニケーター養成ユニットの創刊誌『科学技術コミュニケーション』のサイトはこちら。
http://costep.hucc.hokudai.ac.jp/jjsc/
お茶の水大学サイエンス&エデュケーションセンターのホームページはこちら。
http://www.cf.ocha.ac.jp/SEC/
早稲田大学科学技術ジャーナリスト養成プログラムのホームページはこちら。
http://www.waseda-majesty.jp/
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けんもほろろ
ことばの歴史とは、意外性があるものです。

「けんもほろろ」という慣用句がありますね。辞書には「無愛想に人の相談などを拒絶するさま。取りつくすべもないさま」などと、意味がのっています。ちなみに、6年前の2001年に文化庁がおこなった「国語に関する世論調査」によると、「けんもほろろ」の意味を理解している10歳台は、24.7%にとどまったそうな。

で、このことばから想像をふくらませると、「とがずに使っていた剣がボロボロになり、相手にまったく歯がたたなかった」といった絵が浮かんできます。

ところが、「けんもほろろ」の「けん」は、じつは「剣」ではないのだそう。そして、「ほろろ」も、ボロボロの状態をいっているのではないのだそう。

では、なんなのかといと、じつは「けん」も「ほろろ」も、日本の国鳥(かつ、狩猟鳥)キジの鳴き声なのだそうです。



いろいろな情報を総合すると、似た意味のことば「つっけんどん」の「慳貪(けんどん)」と、キジの鳴き声をことばで表した「ケンケンホロロ」が似ていて、かつ、キジの鳴き声に愛想をかんじられないことから、「けんもほろろ」ということばが江戸時代に誕生したのだそうです。

さて、はたしてキジは「ケンケンホロロ」と鳴いているのでしょうか。そして、鳴き声には愛想が感じられないのでしょうか。キジの鳴き声を聞きに動物園まで行くほどの暇ではないお方もご安心。キジの鳴き声を聞くことのできるサイトがいろいろとあります。

たとえば、見つけた「名古屋の野鳥」というホームページで、キジの鳴き声を聞くことができます。実際、耳をこらしてみると、「ケーン、ケーン、ホロロロロ」と聞こえるではありませんか! けれども、最後の「ホロロロロ」は、どうやら羽ばたき音のよう。orz。

キジの鳴き声に愛想があるかどうかは、この鳴き声からは何ともいえません。でも、桃太郎の腰につけたきびだんごが欲しくて、挙げ句の果てには鬼退治の手伝いまでしてしまうくらいなのだから、ほんとうは愛想があるのかもしれません。

ちなみに、眼鏡をつけた桃太郎とともにキジが旗を持って歩いていた、メガネドラッグのコマーシャルの音楽は小林亜星作。こちらで視聴できます(5番目)。
http://www.neowing.co.jp/JWAVE/detailview.html?KEY=BSCH-30049
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創設100年。100人の絵画。


仕事で名古屋へ。取材が終わってから、ジェイアール名古屋タカシマヤできょう開催の「現代日本画・洋画 名家百画展」を観ました。

百貨店と画廊はよくお似合い。高島屋は1908(明治41)年に「高島屋美術部」を創設し、翌1909(明治42)年に、横山大観らの作品100点を集めた「現代名家百幅畫會」を開きます。

民間初となった、この美術展からまもなく100年。今回の「百画展」では、いまも活躍中の日本画家と洋画家の新作100点を集めています。

代表的なところでは、平山郁夫の『月光の砂漠を行く』や千住博が数多く描いている滝の絵などが展示されています。

100点のうち、数点観られたのが、富士山を描いた作品。なかでも大山忠作の『赤富士』のように、富士山が赤々と染まっている様子を描いた作品が多かったです。

他に心打たれたのは、牧進の、鯉およぐ池に桜の花弁がいくつも浮かんでいる作品。鯉や池底の石を描いた彩度の低い色と、桜の花弁を描いた色との淡い対照に目を奪われました。

百貨店と美術の関係は古いもの。例えば、高島屋も江戸時代に呉服商を営みながら、美術染織品を取り扱っており、その後1887(明治20)年のパリ万国博覧会でも美術染織品を出展したようです。

高島屋ではないけれど、百貨店の経営統合が取沙汰されている昨今。こうした文化的事業は、それぞれに歩んできた独自の歴史をこれからも継承していってほしいものです。

「現代日本画・洋画 名家百画展」はジェイアール名古屋タカシマヤ10階の特設会場で(2007年)3月19日(月)まで。入場無料。10時から20時まで(最終日は17時閉場)です。
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「テレビの父」が信じた「知」


東京・新橋の近くに愛宕山という、小高い山があります。高層マンションのほうが背は高いものの、“下界”とはやはり別世界。

山頂には神社とともに、NHK放送博物館が。1925(大正14)年に、日本初のラジオ本放送が開始された場所です。

放送のあゆみ約80年をたどった常設展のほか、(2007年)5月6日(日)まで、「企画展 テレビの先駆者たち〜高柳健次郎・正力松太郎〜」が建物の一室で開かれています。

高柳健次郎は、明治から平成までを、テレビとともに生き抜いた「テレビの父」。1923(大正12)年の関東大震災から1926(大正15)年の大正天皇崩御にかけて期間にテレビ開発を手掛け、同1926年の12月25日、ブラウン管に「イ」の字を受像することに成功しました(下の画像)。



歴史的な写真が多く貼られている展示室の壁を見ると、「人工天才」という文字が。

「人工天才 一人の天才に対して、一つの目的に結集した多人数の智恵は天才的な力を発揮する」

独創的な研究は、集団の力を集めることでも実現可能であるという意味のこのことば。戦前に高柳が読んでいた米国の論文に載っていて、出会って以降、高柳はこの言葉に大いなる影響を受けたそうです。

いま、多くの人の「知」を集めた「集合知」で、問題の解決をはかろうとする方法に目が注がれています。けれども高柳は、それを60年以上も前から意識し、それを実行していたのです。

2年半後の2011年7月24日までに、いまのアナログテレビ放送は修了し、地上デジタルテレビ放送に完全に切り替わります。インターネットがますます普及していく今後、「地デジ」ヘの移行は、簡単には取得できない放送免許を手に、利益を上げてきた既存テレビ局が既得権益を守るための一手とも言われています。

これもまた、既得権益集団の集合知ということか…。天国の高柳さん、なにをか思わん。

「企画展 テレビの先駆者たち」は2007年5月6日(日)まで。NHK放送博物館のホームページはこちら。
http://www.nhk.or.jp/museum/index.html
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価値のある情報


株式などによって利益を上げるためのしくみを工学的に研究する「金融工学」の世界には、「効率的市場仮説」とよばれる基本的な理論があるそうです。

この仮説、かんたんにいえば、「市場に出回っている情報を頼りに、株価が上がりそうな銘柄を予想して買っても、無意味。掘り出し物の株は見つからない」という、ちょっと夢のない話です。

株価の上り下がりは非常に敏感なものであり、だれもが知っているような情報は、すぐに株価に反映されてしまう。つまり、いま示されている株価は、上り下がりに関係する情報をすでに織り込み済みということになるそうです。

飛躍しますが、ブログを書く身として、効率的市場仮説を意識することは、どのような記事を書くことが価値ある情報を伝えることになるのかを考える機会になります。

記事づくりには、インターネット上のページの他に、過去の新聞や雑誌を参考にします。けれども、これらの参考資料は、大多数の人々がすでに知識としてもちうるもの。

数あるブログの中には、大手新聞の記事をそのまま貼付けたものを記事にしているものもあります。でも、その記事はおおもとの情報ではないため、価値が高いものには思えません。

公開するからには、ブログの記事のあらゆる情報は「効率市場仮説」にしたがうと、株価という価値の中には織り込まれてしまいます。

株の価値を上げるかどうかはともかく、「その記事自体に読む価値があるかどうか」という点から考えれば、次のようなことが要点になるのではないかと思います。

「“現場”から伝えている」。情報の発生源を肉眼で捉えてから伝えるということです。また、人の話す声を伝えるというのも近いでしょう。

「大きな報道機関は伝えないような情報を伝える」。人の知らないことを伝えるということです。たとえ、大手新聞の後追い記事であっても、誰もが書かなかった細かく詳しい解説があれば、記事の価値は高まります。

「独自の視点がある」。これは、その人の生き方が反映される部分ですね。

どの要点も、「誰にも知られていないことを伝えようとする」ということで共通します。「誰にも知られていないこと」を探すのは大変なので、せめて「あまり知られていないこと」を書いていきたいものです。
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「進化する流体計測技術」


科学技術振興機構という政府系団体の雑誌『JSTニュース』(2007年)3月号に、取材した記事が載っています。お題は「進化する流体計測技術」。こちらでご覧いただけます。

「流体計測」がどういったものかについては、当ブログ1月17日の記事でざっと触れました。流体計測とは、“流れ”あるものの位置や速度などを測ること。小さなつぶつぶを水に浮かべ、光の反射をから動きを測る方法が基本です。クルマの吸排気からヒトの血液まで、測る“流れ”の対象はほんとうにさまざま。

『JSTニュース』の記事では、フローテック・リサーチという流体計測の企業を取材しました。同社は、科学技術振興機構のベンチャー立ち上げ支援により起業した大学発ベンチャー。非常にめずらしい業種のようです。

同社は「屈折率マッチング」という技術を独自開発。記事に写真も載っていますが、あらましを説明します。

これまで、水中にゴム製の対象物を入れて、そのまわりの流れを測ると、対象物の向こう側が測りづらいという問題がありました。なぜなら、ゴムの向こう側は歪んでしまうから。

でも、ある方法でゴムの後ろの歪みは見事に消えてしまいます。それが「屈折率マッチング」。

歪みの原因は、水中を伝わっていた光が、ゴムに当たった瞬間、方々に折れ曲がるから。水とゴムとでは、伝わる光の速さがちがうのです。

そこで、ゴムと同じ光の速度になる水以外の液体を用意して、その中にゴムを入れると…。あら不思議。水のときとはちがい、液体とゴムの間で散乱が起きずに、ゴムの向こう側が透きとおって見えるようになります。

同社は、こうした固体と液体の見えやすさの相性を組み合わせで考えたわけです。

「“流れ”を測ってほしい」という製造業などからの依頼は引く手あまたのよう。流体計測を必要とする分野の幅広さに驚きました。取材した実感。流体計測はこれから長い間、すたれることはなさそうです。

『JSTニュース』3月号「進化する流体計測技術」はこちらでご覧いただけます。
http://www.jst.go.jp/pr/jst-news/2006/2007-03/page12.html
フローテック・リサーチのホームページはこちら。
http://www.ft-r.jp/
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科学ジャーナリスト塾の作品発表会


科学ジャーナリスト塾の作品発表会がきのう(2007年3月9日)、東京・内幸町のプレスセンタービルで開かれました。

23日の最終回と2日に分けて行われる1日目。5つある班のうち、きのうは「情報革命とメディア」班と「知的財産と産業技術」班が発表をしました。

「情報革命とメディア」班は、指導役が関西学院大学で映像制作を教えている畑祥雄教授。塾生が映像という媒体で作品を仕上げたのは、5年前の塾立ち上げ以来初めてです。塾生それぞれがほぼ個人単位で『予防原則! それはあなたの身を守る法』や『さとやま』といった10分ほどの映像作品をつくりました。

半年間の開講とはいえ、塾でのうちあわせなどは実質10時間たらず。意欲あってこその作品の数々。誰もが手作りでつくるこれからの映像メディアを感じさせるものでした。

「知的財産と産業技術」班は、『知財レポート』という4ページの新聞を作成。日刊工業新聞OBで早稲田大学の藤本瞭一教授がデスクとなり、班員がそれぞれ主題を決めて取材・執筆したものを、新聞の形にまとめています。

三菱自動車の電気自動車の開発といった企業最前線の紹介から、青森県八戸市がせんべい汁で街おこしをしている青森県八戸市の話題など、内容はまさに新聞そのもの。写真や川柳も充実しています。発表後の講評では、塾生などから「充実した紙面で驚いた」といった意見が多数。

2班とも発表後は、充実感や解放感からか、みな生き生きとした表情。次回、3班の発表で、いよいよ第5期科学ジャーナリスト塾はお開きとなります。

科学ジャーナリスト塾のホームページはこちら。
http://www.jastj.jp/Zyuku/index.htm
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論文捏造の構造


きょう(2007年3月9日)、早稲田大学大学院・科学技術ジャーナリスト養成プログラムでワークショップが開かれました。主題は「科学論文捏造の構造」。ゲスト講師は、サイエンスライターの阿部純子さんら。

科学者が研究成果を発表する場が「論文」です。昨2006年は、海外・国内で論文捏造が次々と明るみになりました。

阿部さんは、科学者たちが「なぜ捏造をするのか、非常に疑問に思った」という純粋な動機から、国内の大学で起きた論文捏造の問題を、フィクションとノンフィクションを交えた記事として『論座』(朝日新聞社)の2006年8月号に寄稿しています。

論文は公に誰もが見ることのできるもの。そして科学の発見とは、発見者でなくても同じ環境や設備を整えれば再現可能なもの。この二つの条件があるので、論文の捏造はいつかはばれると考えてもよさそうなもの。

では、なぜ科学者は論文を捏造してしまうのでしょうか。

阿部さんは、捏造の種類を三つに分けます。

一つ目は、ありえないデータを使ってありえない論文を書く場合。例えば、20世紀前半の英国で、「サルとヒトの中間的な化石が発見された」という捏造を犯したピルトダウン事件などがあげられるとのこと。

二つ目は、はじめは正しいデータを出しているものの、気がついたときには捏造データを自然と作り上げている場合。研究室の教授の機嫌を取るために、若手研究者が「10回中、2回成功しました」と言うべきところを「5回中、2回成功」と報告するなどして、精度を偽ってしまうことは、よくあるといいます。こうした偽造の積み重なった挙げ句、捏造として扱われてしまうということ。

三つ目が、解釈のちがいからねつ造と疑われやすい、灰色領域の場合。

阿部さんは、捏造の原因には、教授の名誉欲や嫉妬心などのほか、論文の数を求める風潮などがあると指摘します。もう一つ、強調していたのが捏造をした本人の“鬱”でした。「鬱が判断力を狂わす」と言います。

ただ、そうした心的状態を察知するのも同僚の役目であり、また、捏造論文をつくらせない確認機構などの安全網をつくることも重要となります。構造的に論文捏造を防ぐしくみも問われています。
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餃子のお供の、あの感じ。


大学生のころ「餃子の王将」に通った影響が色濃く、よく餃子を食べに行きます。

餃子のお供が調味料。その日の気分で、小皿の上にラー油をたらしてから醤油と酢をたらしたり、醤油と巣で土台を築いたうえでラー油をたらしたり…。

そのラー油、以前から気になっていたことが。

それは、醤油や酢の容器に比べて、ラー油の容器だけ群を抜いる感のある、あの“ベタベタ”。

成分が油だし、見た目もとろっとしているし、比較的サラサラな醤油や酢に比べて容器の“ベタベタ感”はお似合いです。

気のせいなのか、本当に他の容器よりベタベタしているのか。本当ならば、プラスチックやガラス越しに油分が浸透し、容器表面に滲み出たベタベタなのか…。

いろいろと思考を張り巡らせているうちに、また一歩、餃子が好きになりました!!

煩悩を解くため、ラー油製造企業の「かどや製油」に、容器ベタベタの謎を聞きました。広報から、丁寧かつ意外な回答をもらいました。

――ラー油の容器が、他の調味料の容器に比べてベトベトしやすいのはなぜでしょうか。

「他の調味料の容器と比較して、ラー油の容器のみベトベトしやすいということは無いと考えられます」

のっけから、質問のすべての前提が崩れました。orz。

「容器がベトベトとするのは、容器に付着した油が酸化することによって油を構成する脂肪酸などの物質が重合することによって生じます。炒め物など、火と油を使った料理では、調理加熱中に食材の水分が蒸発すると共に、微細な油滴が水分と共に中を舞って周辺に付着します。これが、油汚れの原因となります」

これは、どの調味料容器にも言えること。

けれども、ラー油ならではの、容器ベトベトの原因も説明してくれました。

「ラー油は、他の基礎調味料よりも使用頻度が少なかったり、一度の使用量が少ないことが想定されます。一度の使用量が少ない場合などは、サラダ油よりも油を切り難かったり、一度垂れた油の付着部分を伝って、次回も油切れし難くなることが考えられます。これが余計に容器に油が付着しやすい原因になっている可能性があります」

なるほど。どばどばと使わないため、注ぎ口からラー油が容器の外側に伝わる模様。

もう一つ気になることが。

――メーカー各社は、ラー油容器のベトベトを認識されているのでしょうか。ベトベトしないための開発などにも着手されているのでしょうか。

「容器に油が付着した場合、ベトベトしてしまうことは既知のことであり、認識はしておりますが、油という物質の特性上のことであり、あらゆる環境でも対応できる商品を開発できないことが現実としてございます」

キャップメーカーとの情報交換を重ね、さらにコスト面も考え、いまの最良の容器にたどり着いたようです。

他にも、「ガスレンジ台の上やその周辺での保管を避ける」「付着してしまった際には、付着した油を拭き取る」そして「なるべく早く使い切るよう心がけてください(開封後約1ヶ月位の目安での使い切りをお勧めしております)」といった、容器をベトつかせない提案ももらいました。

結論。

「べとつかないように使えば、ラー油容器はべとつかない」

ベタつく容器を拭きたいな。また一歩、餃子の店が近づきました。

親切丁寧にご対応いただいた、「かどや製油」のホームページはこちら。
http://www.kadoya.com/index2.php
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ニッポン産業の箱庭(8)
ニッポン産業の箱庭(1)
ニッポン産業の箱庭(2)
ニッポン産業の箱庭(3)
ニッポン産業の箱庭(4)
ニッポン産業の箱庭(5)
ニッポン産業の箱庭(6)
ニッポン産業の箱庭(7)



秋葉原で電気製品を売っている企業は1979(昭和54)年、秋葉原電気街振興会をつくりました。1996(平成8)年には「秋葉原ホームページ」を立ち上げ、会長をつとめるオノデンの小野一志社長は、「デジタル・ネットワーク時代の最前線と、自他ともに認める『秋葉原』の公式ホームページ」と自負します。

新興会にはオノデンのほか、石丸電気、サトームセン、ソフマップ、ヤマギワ、ラオックス、ロケットなど、秋葉原の代表的家電店も入り、計48企業が名を連ねます。秋葉原電気街の“老舗”たちが、新興のオタク系店舗やヨドバシカメラに対抗している構図を連想します。

「秋葉原ホームページ」には、この連載でたびたび参考にさせてもらっている「秋葉原の歴史」のほか、会員店名もしくは取扱商品を検索することができるページ「ショップリスト」も。

けれども、公式ホームページから直接、「ウィンドウズ・ビスタ」などの商品を検索したり購入したりすることはできません。

さて、伝統的な店舗が寄り合った団体を宣伝するホームページとして参考になるのが、「本の街」神田神保町オフィシャルサイト「じんぼう」でしょう。こちらのホームページには、「古書データベース」があり、登録されている古書店88店の307,329冊をオンラインで購入することができます。

ためしに、データベースに「科学技術」と入れて検索を掛けると、1982(昭和57)年刊『東洋の科学と技術』などの書籍タイトルを一覧することができます。さらに「買い物かご」も用意されていて、あとはオンライン書店アマゾンと同じような手順で、古書を購入することができるのです。

秋葉原電気街振興会に無くて、神田古書店連盟に有るもの。それは、客の商品購入を前提としたネットワークです。

もっとも、「じんぼう」は国立の情報学研究所がしくみを構築し、NPO団体が運営しているため、支援体制は充実。しかも、神田古書街の客は、商品の目当てがほぼ「古本」のみのため、商品購入を前提としたネットワークをつくりやすいのでしょう。

けれども、秋葉原を訪れる客にも、多くの店をハシゴする人が多いのは明らか。秋葉原電気街振興会も、商品購入を軸にしたネットワークの構築には、それなりの意義があるのではないでしょうか。

ヨドバシカメラがいろいろな商品を「マルチメディアAkiba」の一店舗内に取り揃えているのにたいして、“老舗”たちは、各店により扱う商品も細分化されています。

もし、これらの“老舗”たちが、商品購入を前提としたネットワークをつくれば、ヨドバシカメラをはるかに凌駕する、巨大バーチャル電気街が実現します。商品発送の流通経路なども一元化すれば、商品の取引に掛かるコストは減り、客にとっても重い商品を担いでハシゴをする必要もなくなり、ハッピーに!

夢の話でしょうか。

たしかに、複数の店が同じ商品を同一サイトで扱うとなると、店による価格差が一目でわかってしまうため、更なる価格競争を助長してしまうかもしれません。だとすれば、その店にしか在庫がないであろう商品を扱うだけでもいいのかもしれません。あまり売れない商品でも、ネット店舗では確かな収益源になるからです。

品揃えに限りのあるヨドバシカメラに比べ、秋葉原の“老舗”の集合体には大きな潜在力があります。商品購入を前提としたネットワーク形成は、ヨドバシカメラや郊外量販店などにも対抗できる有効なツールになるのではないでしょうか。つづく。
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松坂大輔の“魔球”
大リーグのレッドソックスに入団した松坂大輔投手の球種のひとつとされる“ジャイロボール”について、全米では「魔球では?」と、かなりの話題になっていたようです。たしかに、グーグル・ニュース米国版で[Matsuzaka gyroball]と入れて検索すると、163もの記事が当たりました。

「ジャイロ」は、「回転」や「らせん」を意味する接頭辞。「ユーチューブ」などの動画サイトで、松坂投手が西武ライオンズ時代に投げた“ジャイロボール”を見ると、球が実際に進行方向に螺旋を描いていることがわかります。

ほとんどの投手が自分の球種としている“ストレート”では、投手の指を離れてから、球が垂直方向に回転するバックスピンが掛かります。対して“ジャイロボール”は、回転方向がドリルのように螺旋を描くことで微妙な変化が加わるといいます。

ただし、ジャイロボールにも2種類あります。

松坂投手が投じるジャイロボールは、捕手からの視点からは下図のように、球の縫い目が双曲線に見える、“フォー・シーム”とよばれるもの。こちらは、空気抵抗をあまり受けないため、高速で捕手まで到達します。また、ドリルのような螺旋を描くことにより、横方向への回転が掛かるため、右打者にとって離れていく、“スライダー”の要素があります。



一方、下図のように、“フォー・シーム”とは90度、球の角度がちがう状態で螺旋を描くジャイロボールで、“ツー・シーム”とよばれます。こちらは、空気抵抗が普通に投げる球と同様となり、打者にとっては「なかなかボールがやってこないな」という感覚になるとか。



投手の投げる球ひとつとってみても、これほどまで細部が知りつくされているとは。全米報道陣の“魔球”の憶測を尻目に、あっけらかんとしている松坂投手が、またひとつ大きく感じられます。
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広重『東海道五十三次』、構図の妙。


NHK『新日曜美術館』のきのう(2007年3月5日)の特集は、「よみがえれ広重! 平成版東海道五十三次に挑む職人」。いまも職業として現存する版画の“彫師(ほりし)”や“刷師(すりし)”たちが、江戸の浮世絵師・歌川広重作「東海道五十三次」の完全復刻に取り組んだという内容でした。

番組から多大なる影響を受け、きょう東京・銀座のポーラミュージアムへ。3月14日まで、「平成版歌川広重『東海道五十三次』」が開催中です。

展示室の中では、刷師による実演があります。また、「日本橋」を例にして多色刷りが出来ていくまでの工程を紹介。『新日曜美術館』の再上映も。

もちろん、復刻された55作品もすべて展示。絵の下に、ほぼ同じ場所から撮影した現在の風景があります。富士山はもちろんのこと、それと思わしき松の木や、宿場など、昔の面影がけっこう残っているものです。

こうして江戸の版画がいまも受け継がれているのは、やはり、絵そのものに魅力があるからこそでしょう。無数の“色”が氾濫している現在の街のなかでも、『東海道五十三次』は見映えがあります。

日本橋から京師(京都三条大橋)まで、55枚の絵を一度に見たのは初めてですが、気づいたのは構図の妙。

「御油」では、横長の画面を縦に3等分、横に3等分する仮の線を敷き、そ線上にたてもの境目を配置したり、線と線の交差点上に人の顔など絵の中で重要な要素を配置したりしているのは知られています。広重が意図したものかどうかはわかりません。

ほかにも「宮」では、画面の右端に鳥居のごく一部だけを見せる大胆な配置。全体では、人や馬が右から左に動くのに伴って、それらの要素自体も、左に向かうにつれてだんだんと狭まっていく構図になっています。また、代表作「庄野」でも、雨の線と道の線、さらに奥の竹やぶをたがいに斜に構えさせた表現は見事。

三分割法にしても、動的に見せる仕掛けにしても、一瞬の風景を切り取るという点で、写真撮影の術で大いに学べそうな技法が数多くあります。

五十三次を往来する人々の様子をリアリスティックに描き、ときには山並みなどの風景を大胆に誇張する…。広重は、写実と想像を自由に行き来できる絵師だったのでしょう。

「平成版歌川広重『東海道五十三次』」は(2007年)3月14日まで。展示場ポーラミュージアムの案内はこちら。
http://www.pola-ma.jp/schedule/pop0703_01.html
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「もはや『戦後』ではない。」の真意


先日、国会図書館で昭和31年度の『経済白書』を閲覧しようとしました。流行語「もはや『戦後』ではない」が載っている有名な白書です。

蔵書検索システムで「経済白書」「1956年以降」と入力し、検索。ところが「1959(昭和34)年」以降のものしか見当たりません。科学技術・経済情報室の司書に聞いても、見つからず。「国会図書館も有名な資料を所蔵していないものよ」と驚いたものでした。

じつはこれ、とんだ間違いでした。『経済白書』の正式名称は『年次経済報告』。これで再検索をしてみると、昭和26-43年度の資料が検索されます。さらに便利なことに、全文を内閣府のホームページから閲覧することもできるのです。

で、「もはや『戦後』ではない」。

一文だけ切りとると、「敗戦から10年。日本も混乱期を脱した」という、明るい将来を予兆するような意味合いで捉えられる向きがあります。けれども、前後を読むとそうではないことがわかります。

白書は「敗戦によって落ち込んだ谷が深かったという事実そのものが、その谷からはい上がるスピードを速やからしめた」と指摘し、こう続けます。
消費者は常にもっと多く物を買おうと心掛け、企業者は常にもっと多くを投資しようと待ち構えていた。いまや経済の回復による浮揚力はほぼ使い尽くされた。なるほど、貧乏な日本のこと故、世界の他の国々に比べれば、消費や投資の潜在需要はまだ高いかもしれないが、戦後の一時期に比べれば、その欲望の熾烈さは明らかに減少した。

もはや「戦後」ではない。

我々はいまや異なった事態に当面しようとしている。回復を通じての成長は終わった。今後の成長は近代化によって支えられる。そして近代化の進歩も速やかにしてかつ安定的な経済の成長によって初めて可能となるのである。(改段落は筆者)
つまり、「もはや『戦後』ではない」は、「復興による好景気は終わった。今後、日本はどう経済を成長させればいいのやら」という、未来を不安視する文言だったのです。

「もはや『戦後』ではない」が、楽観的な言葉として捉えられた背景には、その後、1964(昭和39)年の東京オリンピックのころまで、日本の経済成長が目覚ましかったため、白書に書かれている内容が杞憂と化したことなどが原因としてあるのでしょう。

かく述べる私も、白書の本当の意味合いを知ったのは、つい最近のこと。一次情報に当たってみることの大切さを思い知らされました。

「内閣府」ホームページの経済白書関係の資料一覧はこちら。
http://www5.cao.go.jp/keizai3/whitepaper.html
「もはや『戦後』ではない」が載っている昭和31年度版は「経済白書データベース」に進み、[昭和31年度版経済白書]などと検索すると、出てきます。
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音声起こしの“職業病”


取材の相手が話したことや、会議の参加者が話したことを録音して、そのことばを文字にすることを「音声起こし」とか「テープ起こし」とかいいます。重要な会議では、この音声起こしの専門スタッフが、マイクや集音機器それにテープレコーダなどを準備して、録音をすることがあります。

ある会議で、音声起こしの専門スタッフから、「とても怖がっている職業がらの出来事があるんです」と打ち明けられたことがあります。

それは、「ハウリング」とよばれる音の現象。マイクを使うと、スピーカーが「キーン」とか「ピーン」とかの轟音を発する、アレです。

通常の、ハウリングが起きるしくみは次のようなもの。

人がマイクに向かって声を出すと、その音はマイクから増幅器(アンプリファイアー)という機械に送られます。増幅器は、入ってきた音の信号を大きくして、拡声器(スピーカー)に送ります。

ここまでは、正常なのですが、スピーカーから出てきた音をまたマイクが拾ってしまうと、「マイク→増幅器→拡声器→そしてまたマイク」の順で音の循環が起きます。マイクが拾う音が、ハウリングが発生する一定のレベルを超えると、耳につんざく音が拡声器から出てしまうわけです。

ハウリングを防ぐには、マイクの音を拾う部分を、拡声器に向けないことが基本。また、音を拾う角度が狭いマイクや、音を発する角度が狭い拡声器を使い、ふたつの機器の角度範囲が重ならないようにするなどの工夫もあります。

さて、音声起こしのスタッフが「怖がっている」のは、拡声器がハウリングして会議に水をさしてしまうということもあるようですが、それ以上の恐怖は“耳の穴の中で”ハウリングを体験してしまうことのよう。

音声起こしの専門スタッフは、音声がきちんと拾われているかどうかを、イヤホンで確認しているのです。つまり、会議場でハウリングが起きたとき、専門スタッフはイヤホンでその轟音を聴いてしまうことに…。

「3日間ぐらいは、頭の中に音が残ることもあるんですよ」

“後遺症”もさることながら、会議で話す人が向けるマイクの角度により、いつ耳の穴の中でハウリングが起きるかわからないという状況は、大いなる恐怖でしょう。耳栓は…できませんし…。

参考サイト
TOA「なるほど音の教室 ハウリングとのあくなき戦い」
http://www.toa.co.jp/products/manabiya/oto/4-2.htm
| - | 20:27 | comments(0) | -
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オタクたちが一時代を築いた秋葉原。2005年の8月には、秋葉原とつくばを結ぶ新線「つくばエキスプレス」が開業し、また翌9月には、“出店場所のすみわけ”を破るように、ヨドバシカメラが秋葉原に進出してきました。

ヨドバシカメラの藤沢昭和社長は開店当時の雑誌取材で、「特定の人だけで成り立っている街は活性化しない」と語り、凝り固まっていた秋葉原に対するイメージ打破を強調しています。「今は市場全体が専門化している。これでは客が飽きてくる。30年前、家電の街だった頃は、たくさんの家族が訪れた。アキバから足が遠のいた人に、もう一度来てもらいたい」

社長の思惑どおり、2005年秋以降は、“特定の人”たちの層を薄めるかのように、他の街にもいるような家族連れなどの一般客が街を訪れるようになりました。「ヨドバシカメラ マルチメディアAkiba」への来場者は、開店から1か月で約350万人。開店した9月の秋葉原駅利用客は、前年の同じ月よりも4割も増えたといいます。

秋葉原に詳しい知人の指摘では、ヨドバシカメラ出店以前の秋葉原では、カメラ(とくにフィルム写真)製品を扱う店がほとんどありませんでした。ヨドバシ“カメラ”の進出により、家電の街、秋葉原における品揃えの“空白域”は埋まりました。

しかし、ご存じのとおりヨドバシカメラがカメラ専門店だった時代はとうの昔。家電商品からパソコン、ゲームソフトまで幅広く商品を取り扱うヨドバシカメラの進出は、オタクたちの街と化して、やや肩身が狭くなってきた従来の電気街に、さらに打撃をあたえるものでした。それは、よい言葉で捉えれば「活性化」なのかもしれません。けれども、現実的には価格競争が激化。店の存続をかけた「生き残り」の様相が強いようです。

“家電の街”の電気店の主たちは、ヨドバシカメラの進出にどのような対抗策を打っているのでしょう。つづく。

参考文献
「『アキバ』ブームはまだ続く?」『日経パソコン』2005年12月12日号
「萌えて燃える秋葉原 ヨドバシは舞い降りた」『日経ビジネス』2005年9月26日号
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