科学技術のアネクドート

この言葉、科学の世界では…


私たちの生活でよく使われるのと同じ言葉が、科学の世界では特定の意味をもつ場合があります。

たとえば「修飾」というと、「飾りたてる」とか「言葉に別の言葉を付けてさらに説明する」とかの意味が思い浮かびますね。でも、化学でいう「修飾」とは、「ある分子のつながりに、別の分子のつながりを噛ませて、物質としての新しい機能をあたえる」といった意味になります。「抗体で薬物を修飾する」なんて言い方をします。

もう一つ。「他人の物事に強いて立ち入り、自己の意思に従わせようとすること」をもともとは意味する(『広辞苑』より)言葉が、物理学の世界で別の言葉として使われています。

それは「干渉」。

1世紀から3世紀にかけて中国を治めた後漢の出来事を記録した史書『後漢書』の「東夷伝」(中国の東方の民族について書かれた伝)にも登場するという「干渉」の言葉。物理の世界では、「同じ光の源から出た光を、ふたつ以上に分けて、それぞれ別の道を通らせたあとで、再びその光どうしを重ね合わせたときに起きる相互作用」のことをいいます。「光」は「電波」にも置き換え可能です。

動いている光や電波は、「波」として考えることができます。いったん分けたふたつの波が、ふたつとも同じ形で運動をしている場合には、「団結しようぜ」ということで、お互いの波は強くなります。逆に、ふたつの波が逆の形で運動をしている場合には、「俺たち意気が合わないね」ということで、お互いの波が弱まります。振動させた音叉を耳に近いところでいろいろと角度を変えると、音が大きく聞こえたり小さく聞こえたりするそうです。これも、音叉の二股から出ている波が、互いを強め合っているか、弱め合っているかによるもの。

英語では、物理学の「干渉」のことも、対人関係などの「干渉」のことも、“interference”。日本に、科学が輸入されるときに、“interference”がそのまま「干渉」となったのでしょう。光にしろ、電波にしろ、音にしろ、ふたつの波がおたがいに影響をあたえるので、元の意味と、遠くはないといったところでしょうか。

参考サイト
「FUJINON レーザー干渉計の基礎知識」
http://www.fujinon.co.jp/jp/products/laser/kisotisiki2.htm
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キラリと光るアンチテーゼ


あるモノゴトについて、みんなが「こうだ」とか「こうあるべきだ」と大合唱している中で、「それはちがうと思う」とか「こんな見方もある」という意見には注目が集まるもの。池田清彦氏の著書『環境問題のウソ』とか、ロバート・アーリックの著書『トンデモ科学の見破りかた』などは、その例でしょう。

しかも、その意見が単なるウケ狙いではなく、「なるほど!」とつい納得してしまう内容を伴っていると、反対の主張としてキラリと光りますね。

ブログ「nn的USCPA考試后的天天努力」を書いている朋友のnnさんが先日の「オフ会」で話していた、“きらりと光る意見”を今日(2007年2月27日)の記事にしています。「個人主義=利己主義?I don’t think so.」という題。

nnさんの結論は、「『集団の和を大切にする日本人に対して、米国人は自己主張をはっきりする個人主義だ。だから日本人は、他人が困っているときに協力的であるのに対して、米国人は自分勝手に振る舞おうとする』という考えには疑問だ」というものです。

詳しくはnnさんの記事を読んでいただければと思います。記事と、直接に聞いた話とを私なりに解釈すると、要点は日本人が他人に「大丈夫ですか」と、協力的な行為を示そうとするのは、和を大切にする社会の中での“自己保身”だ、という点です。

つまり、ほんとうに心配しているかどうかはともかく、「大丈夫ですか」とひとこと掛けておけば、「私はあなたを心配していますからね」という協調的合図を発した証しになるということ。

対して、米国人の口から発せられる「大丈夫ですか」は、nnさんが書くところ、「強い『個』からのメッセージなのだから、日本人のそれよりも正直で、時に、ずっと誠意があるものかも」ということです。

もっともnnさんも書いているとおり、日本人らしさや米国人らしさという紋切り型は個々人には当てはまらない場合も多いし、もちろん文化に良し悪しはないのでしょう。

モノの見方を学んだ気がしました。

nnさんの考え方は、利他的行為ともに「遊び」とかにも言えるのかもしれないと考えました。気心知れた仲間と“バカンス”をとことん楽しむ(そんな印象の強い)米国人。対して、組織での“つきあい”とか、仲間内での“連れ行為”とかに走りがち(そんな印象の強い)日本人。

あるいは、日本人の「とことん楽しむ」をつきつめていくと、「オタク」文化にたどり着くのかな、なんて。また、“紋切り型”で考えてしまいました。

『nn的USCPA考試后的天天努力』の「個人主義=利己主義?I don’t think so.」はこちら。
http://nn77.exblog.jp/d2007-02-27
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「次元」の問題解決と残された謎
うんうん唸っても解けなかった謎に、突然あるとき答が与えられると、「なぜこんなことがわからなかったんだろう」と、逆に謎に思うことがあります。茂木健一郎氏がよくテレビ番組で紹介している「アハ!ピクチャー」は典型でしょう。白黒の“まだら”にしか見えなかった模様も、それが何の図かがわかると、それからはもうその図にしか見えなくなってしまいます。詳しくはこちらを。

同じような体験を、最近「次元」の話でした気分になりました。数学の厳密なる定義の「次元」はここではさておき、「0次元は点」「1次元は線」「2次元は面」「3次元は立体」という世俗的定義でお考えください。

「2次元(面)で3次元(立体)的な表現はできる。でも、0次元(点)で1次元を(線)的な表現ができない。また、1次元(線)で2次元(面)的な表現ができない。なぜか」

このことを、私はずっと疑問に思っていたのです。

ところが、ブログによくコメントをくれる“きょろいち”さんらの教えで、この疑問自体がまちがいであることに突然、気がつきました。

下の図のとおり、0次元(点)を数珠つなぎにすれば、1次元(線)的な表現をすることができます。



また、下の図のとおり、同じく1次元(線)の端点をそれぞれ別の線の端点と繋げれば、2次元(面)的な表現をすることができます。



「こんな単純なことに、なぜ、気づかなかったのだろう(orz)」と、その瞬間はお皿が割れるほどに膝を打ったものでした。

けれども。冷静に考えてみると、まだ頭の中では、解決しきてれていない疑問が残っていることに気づいたのです。

それは、「2次元(面)の“中で”、3次元(立体)的な表現をすることはできるが、0次元(点)の“中で”、1次元(線)的な表現をしたり、1次元(線)の“中で”、2次元(面)的な表現をしたりすることができない。なぜか」という疑問。

たしかに、下の図のようにして、2次元(面)の“部品”で、3次元(立体)的な表現をすることができます。



けれども、「n次元の“中で”、(n+1)次元を表現する」となると、「n=2」つまり面というカンバスの中では、(n+1)=3次元の立体を表現できます。下の図のとおり。



けれども、「n=0」つまり点の中で(n+1)=1次元の線を表現することも、また「n=1」つまり線の中で(n+1)=2次元の面を表現することも難しそうです。

つまり3次元までの世界では、その次元よりも1個多い次元の像を表現できるのは、2次元だけということになります。なぜなのでしょう。図形の得意なお方、お答えやヒントをお待ちしています。
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ニッポン産業の箱庭(6)
ニッポン産業の箱庭(1)
ニッポン産業の箱庭(2)
ニッポン産業の箱庭(3)
ニッポン産業の箱庭(4)
ニッポン産業の箱庭(5)



1970年以降、日本の産業は「工業の時代」から「情報産業の時代」へ。秋葉原でも、個人向けのマイコンやパソコンの普及とともに、パソコンを扱う店舗が次々と進出。これが、情報産業の“第一波”でした。

パソコン本体などのハード製品の次に来た波は、ソフト商品の隆盛です。ご存じのとおり、秋葉原では、いわゆる「オタク系」「萌え系」のソフト商品があふれる街へと展望を遂げていきます。この部分は、パソコン関連商品を扱う小売店が立ち並ぶ新宿西口や都市近郊とは違う、秋葉原独自の展開が見られた部分です。

森川嘉一郎は『趣都の誕生 萌える都市アキハバラ』(画像)で、秋葉原の「オタク文化」の成長を分析しています。例えば、Bit-INN東京が入っていたラジオ会館は、1998(平成10)年から2000(平成12)年にかけて、オーディオやパソコン店が中心だった建てもの内の店構えの約半分がオタク趣味の専門店で占められるようになりました。



「実状は、家電やオーディオを扱う店が経営悪化で縮小、撤退する中で、不動産経営者にとってはやや不本意ながらも、オタク関連の店に周旋せざるを得なくなったのである。これが結果として、あたかも意図されたものであるかのようにラジオ会館の急変をもたらしたのである。」

家電の街は、パソコン商品を触媒として、アニメソフトの街へと変貌を遂げました。

街の性格は、その街に住みつく住民や、その街を訪れるお客ではなく、事業主や店の側が主導で作り上げていく場合が往々にしてあります。お台場や、水道橋の東京ドームシティなどはその典型例でしょう。けれども1990年代後半からの秋葉原は、街を訪れる客側こそが、街の文化をつくり出していく、自己成長的な街だったのです。

情報産業の“第二の波”が作ったオタクの街として安定期を迎えた秋葉原に、新たな波が押し寄せてきました。つくばエキスプレスの開業とヨドバシカメラの進出で、街はさらに変貌を遂げていきます。つづく。

参考文献
『趣都の誕生』森川嘉一郎著
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課題多し裁判員制度


今日(2007年2月24日)、千葉市中央区の千葉県教育会館で「裁判員制度全国フォーラム」が開かれました。

「裁判員制度」は、2009年5月までにはじまる裁判の新制度。殺人などの重い罪を扱う裁判で、裁判官とともにくじ引きで選ばれた市民が判決に参加して、有罪・無罪や刑罰の重さを裁くというものです。全国各地で「裁判員制度全国フォーラム」が開かれています。

昨年1月、千葉県で開かれた同フォーラムでは、主催新聞社・千葉日報社の社員がお金で「さくら」を動員したことが発覚。聴衆が入らないことを懸念しての行為とのこと。

でも今日のフォーラムでは、会場の大ホールが9割近くが埋まっていました。主催者には今回も千葉日報社が入っていましたが、コーディネーターの説明では「やらせはありません」。言葉を信じれば、市民の関心はかなりものもかもしれません。

パネルディスカッションでは、市民参加者4人と、裁判官、検事、弁護士の代表が裁判員制度の難しさなどについて意見を交わしあいました。

市民参加者のひとりで法教育を学んでいるという千葉大学生は、模擬裁判での“裁判員”経験の持ち主。考えさせられるエピソードを語ります。「裁判官3人は“有罪”とア判断したのに対して、裁判員4人は全員“無罪”を主張し、判決は“無罪”になりました」

市民の意見を裁判に取り入れることを意義のひとつとする今回の裁判員制度。けれども、裁判官と市民との判断がこうも食い違うと、判決の妥当性が議論されそうです。導入を前に「自分が人を裁けるのか」という不安の声が聞かれますが、それとともに「自分が死刑の言い渡しに加担できるのか」といった“罪悪感”も、裁判員にバイアスとして働くのでは…。

また、同じく市民参加者のひとりからは、「裁判官も検事も弁護士もプロ。いまの裁判制度に問題がないのであれば、裁判員制度は必要がないのでは」と指摘。

裁判員制度導入の理由には、「市民に参加してもらえば、法廷で使われる言葉が分かりやすくなるから」とか、「忙しい市民たちに参加してもらえば、審理が迅速化するから」などがあるといいます。でも、この理由には「そんなこと、法曹界の自助努力で改善してよ」という感もあります。これでは、「台所の蛇口がゆるくなったから家を建て替えた」といっているようなもの。

“本末転倒”な導入理由はさておき、裁判員制度のより本質的な意義は、「裁判員制度に参加することで、市民自体が学んだり得たりすること」にあるのだと思います。ゲストの判事も言っていましたが、裁判員になった人は責任意識や規範意識などが強くなったりもするでしょうし。法に関心をもてば、法を冒すといった意識も減るのではないでしょうか。

内閣府の世論調査によれば、裁判員制度に「参加したくない」と答えた人が8割にも及んだそうです。裁判員制度は、いわば究極のトップダウン制度と言えるかもしれません。

当ブログでは、今後も「法廷で扱われる科学」といったテーマを中心に、裁判員制度の課題などについて追っていきたいと思います。

裁判員制度のホームページはこちら。
http://www.saibanin.courts.go.jp/
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改良ニワトリからのメッセージ


今日(2007年2月23日)、科学ジャーナリスト塾が行われました。

今回は、塾のアドバイザーを勤めている関西学院大学の畑祥雄教授が、写真や映像ジャーなりスムについての講演を2時間にわたって繰り広げました。

畑教授は、映像や写真を中心としたメディアの専門家。ただ、もちろん研究のみならず、写真家や映像作家としての経歴も豊富です。

今日の講義で印象的だったのは、写真家としての代表作『HANAKO/改良ニワトリの一生』の話。

改良ニワトリとは、卵を生むため、または鶏肉となるため、つまり人間の「食」目的のために品種改良された鶏たちのこと。

普通の鶏は7年から8年は生きるそうです。でも、産卵用の鶏は生きて1年少々。卵を過剰に生み続けていくうちに、卵自体に栄養を吸い取られて、早く体が弱っていきます。一方で、鶏肉用の鶏には、どんどんと肥え太っていき、動けなくなり、3か月ほどで死んでしまうのだそうです。人の手でそのように改良されているのです。

写真家としての畑氏は、こうした改良ニワトリの一生にカメラを向け、改良ニワトリの儚さなどを撮影していきました。写真作品は海外でも評判となり、オランダのスキーダムでは個展なども開かれたとのこと。

撮影した改良ニワトリの姿を何枚か披露。壮年期の体躯の美しさ、老年期の体の衰え、そして死を迎えた鶏の無表情さ。それぞれ印象は、単なる記録写真などとは明らかに違うものでした。

「生命の改変は、遺伝子組み換えだけの話ではない。人は、生物の一生を人工的にコントロールしてしまうんです」

そこには、生命とは何かといった問いかけが含まれていたのです。個人としての発意が加わるからこそ、作品にメッセージ性が出てくるのでしょう。

写真家としての畑祥雄氏が撮影した改良ニワトリの写真集『HANAKO バイオメカロイドニワトリ“ハナコ”と過ごした日々』はこちら。
http://www.amazon.co.jp/HANAKO?バイオメカロイドニワトリ“ハナコ”と過ごした日々-畑-祥雄/dp/4833905140/sr=1-1/qid=1172259468/ref=sr_1_1/503-7257412-2611120?ie=UTF8&s=books
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知的財産専門誌『Right Now!』休刊へ。



「知で時代を勝ち抜くためのビジネス誌」を謳っていた知的財産分野の専門誌『Right Now!(ライトナウ)』が、(2007年)4月19日発売予定の第24号で休刊になることになりました。原稿執筆者に送られた「お知らせ」で明らかになりました。

同誌は税務経理協会という企業が発行していた隔月誌。各号の特集では「中国後略の知財戦略」(2006年10月号)、「知財の論点最先端」(同12月号)、「再生医療ビジネスの現状を探れ!」(2007年2月号)と、タイムリーな見出しが並んでいました。また、各大学や研究機関の産学連携体制を紹介する「産学連携FORUM」などの連載もそれなりに充実していました。

「お知らせ」には、「近年の社会情勢の変化、およびメディアの多様化など、雑誌をとりまく環境は厳しく」なったと、休刊の背景に雑誌の売れ行き低迷があることを示唆しています。

出版関連の研究機関「出版科学研究所」によると、昨2006年の雑誌の売り上げは、前年に比べて4.7%も減ったとのこと。雑誌の不況は深刻。インターネットやモバイルコンテンツが充実した中では、売り上げ減は避けられない状況です。

オンライン書店Fujisan.co.jpによれば、『Right Now!』の発行部数は創刊時の「予定」で4万部だった模様。定価900円(税込)という、専門誌にしては廉価な価格設定も、かなりの負担だったのかもしれません。

今後も、単行本やウェブサイトをとおして、さまざまな情報を発信していく予定とのこと。雑誌(とくに専門誌)の先細りはかなり深刻です。

税務経理協会のサイト内にあるページ「雑誌 Right Now!について」はこちら。
http://rightnow.zeikei.jp/about.htm
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毎日新聞が創刊135周年


今日(2007年2月21日)、毎日新聞が創刊135周年を迎えました。

以前このブログで、各新聞1面下段コラムの改行マーク(▲、▼、■)についてのこだわりを記事にしました。1面下段コラムの歴史は毎日新聞が最古を書きましたが、現存する日刊紙の歴史においても、毎日新聞は最も古い歴史をもつそうです。

本日付の朝刊は、135周年を記念した特集が数ページ。中面には「生命と環境見つめなおす」「限りある資源 生の営み学ぶ」といった大見出しが踊る3ページ。さらに、安藤忠雄さんや向井千秋さんが未来を語った別刷りもあります。

社告では、「緑と水の環境本部」(科学環境部とは別の新聞社全体としての部署)の創設や、4月1日から東京本社1階に市民参加を目的とした「出会いの場」をつくるとのこと。

「環境問題の毎日」を全面にアピールしています。メインとなるキャンペーンは二つ。「持続可能な社会」の実現につながるキーワードと銘打つ「MOTTAINAI(もったいない)」と、135周年にちなんで135万本の植樹を目指す「My Mai Tree」です。

科学環境部長の瀬川さんや、同部所属記者の元村さんと面識があるからか、おぼろげにはイメージしていましたが、やはり毎日新聞は、環境問題への取り組みを大きな柱としている模様。

環境問題のビジネス化は、なかなか一筋縄ではいかない側面もありますが、「環境の毎日」が、今後どのようなビジネス展開を実際に繰り広げていくのか、注目です。

135周年の毎日新聞。ウェブ版「毎日インタラクティブ」はこちら。
http://www.mainichi-msn.co.jp/
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ニッポン産業の箱庭(5)
ニッポン産業の箱庭(1)
ニッポン産業の箱庭(2)
ニッポン産業の箱庭(3)
ニッポン産業の箱庭(4)



1976(昭和51)年、国鉄(現JR)秋葉原駅の電気街改札口を出て向かい側にある「ラジオ会館」に、NECの直営マイコン販売店「Bit-INN 東京」が開店します。家電の街だった秋葉原に、初めてコンピュータ関連機器が進出してきました。

「硅石器時代」の幕開けである1970年から遅れること6年。秋葉原へのコンピュータ機器の進出はやや遅めの感もあります。これは、コンピュータの普及が、企業への大型コンピュータから個人へのマイコン(いまでいうパソコン)という順番をたどったからでしょう。

Bit-INN東京は、当初3坪で店開きをする計画だったといいます。ところが、NECデバイス販売特約店の社長が、「NECの看板に恥じないように」と、用意した店舗面積は40坪。コンピュータの技術者が、店舗に直接赴き、「われさきにマイコンを使いたい」と思っていた客たちと直接、技術的な対話やサポートをしたそうです。週末に押し掛けた客は1日3000人。Bit-INN東京の関係者は「個人でも使えるコンピュータへのニーズが高まるのを肌で感じた」と当時を振り返ります。

1989(平成元)年には、アップル・コンピュータが「Macintosh」を発売。翌1990年には、IBMがOS「DOS-V」を、マイクロソフトが「Windows3.0」を発表。秋葉原にコンピュータの波が押し寄せました。日立、東芝、三菱、富士通などが、次々とラジオ会館にパソコン専門店を開いていきます。1992(平成4)年には、秋葉原電気街における総売上高の約3割をパソコン関連製品が占めるようになり、ついに1994(平成6)年には家電売上を上回ったといいます。

改めて「情報産業」という言葉を辞書で引いて見ると、「情報の収集・加工・処理・検索・提供などの業務に直接関連する産業」「狭義にはコンピューター関連産業」とあります。情報産業の象徴として、“マイコン”や“パソコン”が広く秋葉原に出回るようになったのが、1980年代から1990年代。しかし、これは秋葉原における情報産業の“第一波到来”にしかすぎませんでした。つづく。

参考文献
「記者歴23カ月の技術再発見」『日経バイト』2004年03月号
『趣都の誕生』森川嘉一郎著
『全図解 東京開発計画』21世紀都市研究会著
参考URL
PC Watch「秋葉原ラジオ会館に「パーソナルコンピュータ発祥の地」のプレートを設置」
http://www.watch.impress.co.jp/pc/docs/article/20010927/nec.htm
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「神は細部に宿る」


ミース・ファン・デル・ローエというドイツの建築家がいました。ニューヨークに建つ「シーグラムビル」(トップ画像)や、シカゴに建てられていた「ファンズワース邸」などが代表作として、よくあげられます。

ファン・デル・ローエ建築の特徴は、機能性として無駄な部分を極力排除するといった設計方法でしょうか。例えばシーグラムビルにはエンパイヤ・ステートビルのような尖塔もなく、建てものの要素はどれをとっても四角。習字道具の(擦る前の)墨のように無機質です。

クリエイティブな仕事をするうえで、考えさせられる言葉をファン・デル・ローエはいくつか残しています。例えば「レス・イズ・モア」もその一つ。「飾りをより少なくすることが、その表現をより豊かにする」といった意味合いでしょう。

そして、もうひとつ。「神は細部に宿る」という言葉があります。どこかで聞いていた言葉でしたが、これも、ファン・デル・ローエが発した言葉だったのですね。私は知りませんでした。

先日(2007年2月17日)の記事では、オフ会のことを書きました。参加した「表参道の小さな広告屋から」の川島孝之さんは、この「神は細部に宿る」という言葉を大切している様子でした。

広告制作業を営む川島さんは、だれかに仕事を頼んだり任せたりするときには、実際に作業をする人の裁量で自由にやってもらうことを基本にしているとのこと。

けれどもただふたつ、「最初の方向づけ」と「最後の細部の詰め」、ここだけは依頼した側としてしっかりと見るということ。仕事の依頼のしかたはいろいろあれど、直感的に「あ、なんかよさそうだな」と膝を打ちました。

「神は細部に宿る」。仕事のきめ細かさを目指す者にとっては、励ましの言葉かもしれません。

「表参道の小さな広告屋から」はこちら。
http://www.omotesando-ad.jp/
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ニッポン産業の箱庭(4)
ニッポン産業の箱庭(1)
ニッポン産業の箱庭(2)
ニッポン産業の箱庭(3)


JNTO

1960(昭和35)年から1970(昭和45)年にかけての10年間、白黒テレビ、電気洗濯機、電気冷蔵庫のいわゆる「三種の神器」が各家庭に普及します。

この10年間におけるそれぞれ機械の国内生産高は、白黒テレビが約355万台から約609万台へ、電気洗濯機が約153万台から約435万台へ、また、電気冷蔵庫が約90万台から約263万台となりました。家庭への普及率も、1957(昭和32)年から1975(昭和40)年にかけて、それぞれ7.8%から95%、20.2%から78.1%、2.8%から68.7%と、急激に伸びていきました。

こうして、秋葉原は1970年代に電気街としての黄金期を迎えることとなります。全国家電市場の1割がこの、秋葉原電気街のわずか1平方キロメートルに集約したといいます。家電製品を売っていた朝日無線電機(現在のラオックス)には、「お宅の自宅で使っているものでもよいから扇風機を売ってくれ」という客まで現れたそうです。

しかし、1970年ごろ、すでに社会では「工業の時代」から「情報産業の時代」への転換期に差し掛かっていました。「工業の時代」の象徴ともいえる鉄の生産量や原油の輸入量はこの年に頭打ち。かわって、トランジスタやIC(集積回路)などに使われるシリコンの国内需要は、この頃から急激な伸びを見せ始めます。いわゆる「硅石器時代」が始まったのです。

秋葉原にも、やや遅れること1976年、いよいよコンピュータを扱う店が出てくるようになりました。つづく。

参考文献
「アキハバラ・グラフティ」『フォーブズ日本版』2006年7月号ぎょうせい
『趣都の誕生』森川嘉一郎著
参考URL
日本原子力文化振興財団「科学技術の進歩と現代生活」
http://www.nucpal.gr.jp/website/support/kagakugijutsu/kagakugijutsu_03.html
秋葉原電気街振興会「秋葉原の歴史」
http://www.akiba.or.jp/history/
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オフ


先日のことですが、(たぶん)生まれて初めての「オフ会」に参加しました。

朋友のnnさんが、出張ということで、東京にやってきたのです。関西在住のnnさん。東京は「(たぶん)生まれて4回目」とのこと。

そのnnさんのブログ「nn的USCPA考試后的天天努力」のつながりで、私のブログの数学記事にもコメントをしてもらったことのある「kyoro1.net/blog」の“きょろいち”さん、おなじく「表参道の小さな広告屋から」の川島孝之さんと、4人での会合。“きょろいち”さんが店を決めてくれました(トップ画像はピアノを弾く“きょろいち“さん)。

nnさんとは、なんだかんだと13年間、顔を合わしているのですが、“きょろいち”さん、それに川島さんと顔を合わすのは初めて。「ああ、あなたが、○○さんですか。お噂はかねがね…」というのと、似た感覚ですね。

4人の職業は、航空業界のITエキスパート、広告制作会社代表、ネイティブ関西人、物書きと、さまざま。「わっわたくし、ウルシッハラと申します。きっきっ今日は、よよよろしくお願い申しあげます」から始まった会合は、いつしかみんな意気投合し、お開きのころには「ああ! それ、わかるわかる!」とか「なんでやねん!」とか、すっかり打ち解けモード。

ま、なんでしょう。初めてのオフ会に参加した人のブログの記事って、だいたいこんなものになるんだなと、この記事を書きながら実感している次第です。

会合で学んだこと(みなさんに伝えたいこと)もとてもありました。それは、また、おいおい…。

「nn的USCPA考試后的天天努力」はこちら。
http://nn77.exblog.jp/
「kyoro1.net/blog」はこちら。
http://kyoro1.net/blog/
「表参道の小さな広告屋から」はこちら。
http://www.omotesando-ad.jp/
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サクラの“見ごろ”は


早稲田大学の近くで、ふと上を見上げると、サクラの蕾がもう膨らんでいました。今年は、例年よりも早く花を咲かせそうですね。

日本で多く見られるサクラの種類「ソメイヨシノ」は、一説では「寿命は60年」とも言われています。これは、ソメイヨシノの成長が他の種に比べると速いため、その分、木の老化も早く訪れるということのようです。

しかも、植樹をした場所に上からアスファルトを被せたり、環境の大気が汚くなったため、かなり木には負担がかかっているとも…。

日本で咲いている多くのソメイヨシノは、終戦直後に植えられたもの。となると、サクラの名所での花見も早めのうちがいいのかもしれません。
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ニッポン産業の箱庭(3)
ニッポン産業の箱庭(1)
ニッポン産業の箱庭(2)



JR秋葉原駅は、「乗り換えの難しい駅」と言われることがあります。

「キ」を横に倒したように、南北には山手線と京浜東北線の2つの島式ホームがあり、その1層上には東西に総武線の対面式ホームがあります。山手線や京浜東北線を降りた客は、同じ総武線に乗るにも、御茶の水方面へは南の神田駅よりの階段を、千葉方面へは北の御徒町駅よりの階段を上らなければなりません。

この高架構造になったのは、1932(昭和7)年のこと。総武線・御茶の水-両国間の開通を受けてです。

さて、戦後の秋葉原は「露店のアキハバラ」で始まったとされます。街の南西にある電気工業専門学校(いまの東京電機大学)の学生がラジオを工作して露店で商売したところ、これが大ヒット。このころのラジオの全国普及率は、1945(昭和20)年の約40%から、1950(昭和25)年の約55%へと急激に伸びます。街は、真空管など、ラジオ工作装置を売る露天であふれていました。

ところが、 GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)が、道路の拡張などを口実に、闇市の取り締まりに出ます。1949(昭和24)年8月に露店撤廃令が出され、秋葉原や神田付近の電器部品露店も撤退を余儀なくされました。

営業ができないのは、露店主たちにとってはまさに死活問題。露店撤廃令の2か月後、1949(昭和24)年10月には、秋葉原から南に キロの日比谷公園で全国の露店主がや政治家が集まり、反対総決起集会まで開かれました。

情勢を受け、東京都は秋葉原周辺の撤退を余儀なくされた露店に対して、代替地を確保しました。

それが、現在の総武線の高架下、ラジオセンターです。比較的高い標高で走る総武線の線路下、2階までで約50の店舗がひしめいています。通路の歩幅は2メートル弱。人がすれ違うのがやっと。

2、3坪の店構え。置くで座っている店員の前にはずらっと並ぶ電子デバイスやラジオペンチなどの数々。観光地化された秋葉原の“深部”は、こうして作られたのです(下の画像は、ラジオセンターの北側入口。上を走るのが総武線)。



ラジオセンターの公式ホームページはこちら。
http://www.radiocenter.co.jp/index.html

なお、このホームページでは、ラジオセンターの成立として、太平洋戦争中、各戦地に赴いていた無線技術者たちが敗戦後戻ってくると「『日本の復興はエレクトロニクスから。』を掛け声に秋葉原の高架線の下に集まってきてラジオの部品を売り始めました」と紹介しています。つづく。

参考サイト
秋葉原電気街振興会・秋葉原ホームページ「秋葉原の歴史」
http://www.akiba.or.jp/history/index.html
東京ラジオデパート50年史 元気、東ラジ物語
http://www.tokyoradiodepart.co.jp/50nen2.htm
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超ビジネス書レビュー
『日経ビジネス オンライン』に「超ビジネス書レビュー」という書評のコーナーがあります。普通は「ビジネス書」とされない一冊を、オン・ビジネスの視点から読み解くという企画。

今回の配信で、『科学革命の構造』という本の書評を載せてもらいました。

書評の原稿を作るまでには、読んだ本を読みなおして、ポイントと思ったところに印をつけ、それを「メモ帳」に書き写して着想し、ブレインストーミングやら、関連記事検索やらをしつつインプット。そうして原稿を書いていきます。

その後は、企画・編集をしている連結社のみなさまと、毎回毎回、原稿のキャッチボール。赤や指摘を見て、書き改めていきます。インプットの段階もアウトプットの段階も、学ぶこと非常に多し。

このたび評した『科学革命の構造』は、表紙の雰囲気からもわかるとおり、おかたい内容。「パラダイム」という言葉が世の中に広まるきっかけとなった本です。「パラダイム」の原義を本から拾い、言葉の原典に当たってみることの有益さを書きました。

「パラダイム」という言葉について。この言葉を世に広めた、著者トマス・クーン本人は、いま世の中に広がっているような形で「パラダイム」が使われることは想定範囲外だったようです。

時代時代の必要性によって言葉の意味が転じたり、解釈が広がったりすることは、しばしばあること。「ら抜き」言葉などに代表される、言葉の使われ方の代わりようについては、自分自身の中で、許されるものなのか、避けるべきものなのか、なかなか決着がつきません。

『日経ビジネス オンライン』の「超ビジネス書レビュー」はこちら。
http://business.nikkeibp.co.jp/article/life/20060330/100893/
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ニッポン産業の箱庭(2)
ニッポン産業の箱庭(1)



「アキハバラ」なのに、「アキハ系」ではなく「アキバ系」。これは、伝統的な地名の由来からすれば、むしろ合っているということができます。

1869(明治2)年、相生町(現在の神田相生町、つくばエキスプレス秋葉原駅とJR線にはさまれたあたり)で大火事が発生しました。翌1870(明治3)年、この地に火除けの神社を建てようということになり、静岡県から秋葉大権現(あきばだいごんげん)という神様を迎えることになったのです。

秋葉の神の原っぱで「あきばはら」もしくは「あきばっぱら」。これが1890年に秋葉原駅開設の際、地名の読み方を知らなかった鉄道官僚が誤って「あきはばらえき」と名付けたことから、「あきはばら」が定着するようになったとされます。

昭和初期の秋葉原は、ランドマークとしてかの「伊勢丹」が、昌平橋(JR秋葉原駅から西に300メートル、総武線と中央線にはさまれた橋)近くにあったくらい。神田と上野という 街にはさまれたごくふつうの住宅街だったといいます。

伊勢丹が新宿に移転した1933(昭和8年)、山際電気商会(いまのヤマギワ)などが外神田(目抜き通りであるトップ画像の中央通りを含む地)に店を構え始めました。「電気の街」の萌芽期です。

1945(昭和20)年3月に東京大空襲を経験した街は、その後の戦後復興とともに発展をとげます。山際電気商会と同じ時期に秋葉原に進出していた老舗の廣瀬無線電機(旧・廣瀬商会)を街の中心的存在とし、石丸電気やオノデンなど、電気街おなじみの企業が終戦直後に新規出店をしました。つづく。

参考サイト
秋葉原電気街振興会・秋葉原ホームページ「秋葉原の歴史」
http://www.akiba.or.jp/history/index.html
廣瀬無線電機ホームページ「沿革」
http://www.hir.co.jp/hirose_hp/
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「伝える化」超入門


(2007年)1月31日の記事2月8日の記事で、ローランド・ベルガー遠藤功会長の本を評しました。

いま発売中の『週刊東洋経済』2月17日号に、遠藤会長を取材したときのインタビュー記事「『伝わる化』への粘り強さが根源的な組織能力を高める」が載っています。著書『ねばちっこい経営』よろしく、取材でも、組織内での対話がいかに大切かを、何度も編集者さんと私に語っていた口が印象的でした。

インタビュー記事を含む特集の内容は、「『伝える化』超入門」。組織内コミュニケーションという、つい見過ごされがちな基本的問題を言語化しています。

特集の中から、おもしろい記事を一つ。中村修二が起こした発光ダイオード訴訟で、原告側として携わった新井裕樹弁護士が「論理力を鍛えたければ学者の文章を読むべし」と語っています。

新井弁護士いわく、「学者というのは、きれいに自分の理屈が整っていることに美意識を持つ方々なので、彼らの本を読むと自然に論理力を培うことができます」とのこと。

日本のコミュニケーションには、とかくロジックが足りないといいます。論文も、海外のものに比べたらそうなのかもしれませんが、国内でも他の種類の文章に比べたら、筋のとおった文章に触れることができるということでしょう。

論文と聞くと、とかく難しそうな印象がまとわりつくもの。まあ、実際に気軽に読めるエッセイなんかに比べたら、読み応えはあるのでしょう。けれども、あえて難かしめの文章をたくさん読むことによって、相対的に、普通の難しさだった書物を簡単に読みこなすことができるようになる、と聞きます。

“難解”なことに日々挑んでそれに慣れると、それまでの“普通”が“簡単”になるというこの鍛え方は、いろいろな方面で聞きますね。学生のころディベートをしていた友人も、英語でしゃべっている音声をわざと2倍速とかで聞くことにより、リスニング力を鍛えたそうです。野球のバッターも投球マシンの投球速度を150キロとかにするといいますし…。

「コミュニケーション力」「粘り強さ」「論理力」これらの言葉が琴線に触れた方、同誌を手にされてみては…。
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ニッポン産業の箱庭(1)


民俗学者として知られる梅棹忠夫は、1962(昭和37)年に発表した「情報産業論」という論文の中で、こんなことを書いています。
自動制御系理論の発展と、エレクトロニクスの発達とは、たしかにあたらしい情報産業の技術的基礎となってゆくであろうが、同時にそれは、工業的生産方式それ自体にも、革命的な変革をまきおこしつつある。それはいわば、きめのあらい工業に対する、きめこまやかな情報産業的要素のの導入であるといってもよい。
1962年といえば、国産旅客機YS-11が完成し、国鉄北陸トンネルが開通した年。日本では、工業がまだまだ産業全体を牽引する時代でした。そうした中で、「脱工業現象こそが、現代から未来の時代につながってゆくのだ、ともいえるのではないだろうか。」で締めくくられる梅棹のこの段落は、それから約10年後にくる工業から情報産業への産業構造の転換期を見事に予言したものといわれます。

1970年代の日本で見られた、この産業構造の転換を、雑誌『日経エレクトロニクス』は「硅石器時代」の到来と銘打ちました。「硅石器」の「硅」は、「ケイ素」つまりシリコンの「硅」。重化学工業を支えてきた原油の生産量が横ばいになる一方で、マイクロプロセッサに使われるシリコンが急速に普及し始めた時代だからです。

日本のこうした産業の転換を、肌で感じつづけてきた街があります。「秋葉原」です。

1960年代には「三種の神器」を求めて、多くの人たちが「家電の街」へと足を運びました。その後、1970年代になると街は、「パソコンの街」への変貌をはじめました。そして1990年代には、情報産業の行き着いた先に、「趣都」が誕生します。

日本らしさの象徴ともされる「秋葉原」。これから何回かに分けて、産業構造の変化と重ね合わせて、街の過去と未来を綴っていきたいと思います。つづく。

参考文献
『情報の文明学』梅棹忠雄著 中公文庫
参考URL
Tech-On!「日本電子産業,競争力の変遷を振り返る---日経エレクトロニクス『電子産業35年の軌跡』を読んで」
http://techon.nikkeibp.co.jp/article/COLUMN/20060724/119370/
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「公平であること」が「利益を受けること」を上回る。


先月(2007年1月)、死刑判決を受けている東京拘置所内の容疑者から、茨城県警に「仲間たちとともに殺人・死体遺棄を犯した余罪がある」という趣旨の上申書が提出されたというニュースがありました。この上申書を受け、被害者の家族を含めた8人が殺人容疑で送検されたそうです。

アルコール度数の濃い酒を被害者にむりやり飲ませて殺害させるという犯行手口もさることながら、異例の出来事と報道されているのは、死刑判決を受けている容疑者が、シャバにいた共犯と不仲になったことに対する「復讐」を理由に、上申書を提出したという点です。

上告中とはいえ、死刑判決を受けている容疑者が、自らも関わった別件の余罪を語れば、自らの刑が軽くなることはあまり考えられません。それでも容疑者には自分だけが刑務所にいることの不公平さを感じていたようです。

この出来事からは、人間の不公平さに対する執念を証明する、ある実験を連想させます。

A氏とB氏のペアが、10ドルを与えられます。A氏が10ドルの分け前を決める配分者となり、B氏がA氏によって決められた分け前をもらいます。つまり、A氏は「オレとBとの分け前を5対5にしよう」とか「9対1にしよう」とかを決める権利があるわけです。

一方のB氏にも権利があります。それは、「A氏が決めた分け前を不服としたら、与えられた10ドル全てを、お流しにすることができる」という権利。

合理的に考えれば、もしA氏が決めたB氏の分け前が1ドルだけだとしても、1ドルももらえないよりはもらったほうが自分の利益にはなるはず。

ところが、この実験でB氏にあたる人は、2ドル以下の分け前しか貰えない決定を下されると、ことごとくこの決定をはねのけ「お流し」の権利を使ったそうです。つまり、A氏も0ドル、B氏も0ドル。

「最後通牒ゲーム」というやや不穏当な名前のついたこの実験。そして冒頭で触れた、死刑判決容疑者の上申書提出という出来事。人々が自分への絶対的な利益よりも、いかに「人に比べて公平であること」を重視しているかがわかります。
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科学ジャーナリスト塾、佳境へ。


今日(2007年2月9日)、東京・内幸町のプレスセンタービルで、科学ジャーナリスト塾が開かれました。

9月から3月にかけて全12回開かれるこの塾は、講師の話を聞く「聴講」の回と、5班に分かれて作品をまとめる「演習」の回が交互にやってきます。今日は「演習」最後の回。

班では、ジャーナリストやメディア専門家がアドバイザーをつとめ、8人ほどの“塾生”さんに作品づくりの指導をします。

それぞれのアドバイザーの経歴や個性は、作品の形態にもけっこう反映。例えば、メディア情報学が専門の畑祥雄教授(関西学院大学)がアドバイザーを努める班は、映像作品をつくり発表を目指している模様。また、日刊コ業新聞社記者だった藤本瞭一教授(早稲田大学)がアドバイザーの班は、新聞形式での発表を目指し、塾生さんが記事づくりに勤しんでいます。

私はこの塾に関わりをもって3年。いつも驚くのが、この組織がけっしておカネを中心にしてまわっていないということです。塾生の会費は1万5千円。そのほとんどが、会場代や雑費に当てられます。アドバイザーは、ほぼボランティアと聞いています。

作品発表でも優秀作の順位をあらそいますが、最優秀作品に賞品が出るわけでは決してありません。けれども、昨年、一昨年の発表での盛り上がりぶりはかなりなものでした。

同じ志あれば、人は集まってくるということでしょうか。1か月後の作品発表を控えて、どの班もいまが佳境。発表が楽しみです。

科学ジャーナリスト塾のサイトはこちら。
http://www.jastj.jp/Zyuku/index.htm
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書評『ねばちっこい経営』
先日、書評した『見える化』に続く、遠藤功氏の「3部作」の3作目です。

『ねばちっこい経営 粘り強い「人と組織」をつくる技術』遠藤功著 東洋経済新報社 2006年 216p


主題は「粘り」。根源的なテーマのためか、前作『見える化』よりも精神的な話の割合は多くなった。

著者は「現場が粘らなくなってしまっている」とまず指摘。その理由は、リストラによる現場の疲弊、成果主義の導入、IT化の進展など、さまざまだ。

一方、成功をおさめている、優良企業は、「粘り」があると言う。例えばキヤノンは、複写機の開発に18年、オートフォーカス一眼レフに22年の歳月をかけたそうだ。またホンダは、創業者・本田宗一郎が1962年に宣言した「飛行機への進出」を貫き通し、昨2006年に、航空機を開発する小会社をついに立ち上げたという。優良企業の「粘り」の数々に読者は圧倒されるであろう。

組織の「粘り」の大切さが書いた本ではある。でも個人の「粘り」に通じる話は多い。

例えば、「黄金のかめ」の話。「かめのような粘り強さ・しつこさに、うさぎのような飛び抜けた身体能力を身に付けた企業こそが、本当に強い企業である」と著者は述べる。「自分も黄金のかめになれたら」と、重ねあわせる読者も多いだろう。

巷では、著者の主張とは逆に、「勇気ある撤退だ」とか「諦めも肝心だ」とかいった言葉もたしかにある。たぶん、そうした諦めの言葉が正しかったと思える場合もあるのだろう。評者にもその間はあり、読後にその気持ちが消えたわけではない。

けれども人間生きていく上で、諦めずに粘ることが必要な場面はやはり多いはず。「粘りが足りないんだよな」と思っている人は、著者の明解な説明に、大いに刺激を受けることになろう。

『ねばちっこい経営』はこちら。
http://www.amazon.co.jp/ねばちっこい経営-粘り強い「人と組織」をつくる技術-遠藤-功/dp/4492532242/sr=1-1/qid=1170947457/ref=sr_1_1/503-7257412-2611120?ie=UTF8&s=books

そういえば、最近、地元の街を歩いていると、ついこの前オープンしたはずのお店が閉まっている、といった景色を見ることが多くなった気がします。流行り廃りの移り変わりの早さも、社会全体の“ねばちっこさ”が無くなっていることが一因としてあるのかもしれません。
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イギリスに学ぶ、科学の伝え方


きょう(2007年2月7日)、早稲田大学でイギリス科学番組プレゼンター、クエンティン・クーパー氏の講演会「Science Journalism Across the Media(メディアを超えた科学ジャーナリズム)」が開かれました(早稲田大学大学院科学技術ジャーナリスト養成プログラムとブリティッシュカウンシルの共催)。

クーパー氏は、ラジオの科学番組の司会を多く手掛けていて、国営放送BBCのラジオ番組"The Material World"や“Connect"などに出演中。講演では、新聞、ラジオ、テレビ、インターネット、ポッドキャストなど、いろんなメディアでの、科学の見せ方、魅せ方を披露しました。クーパー氏自身が、プロのプレゼンターとして、科学の魅力を全身で伝えようとしていた姿が印象的。

少し驚いたことに、イギリスでは科学番組の人気にやや陰りがあるとのこと。例えば、BBCのテレビ番組“HORIZON”では、アトランティス大陸が存在したかどうかに迫る特集や、宇宙人と遭遇したときの対処法を考える特集といった番組が制作されるなどして、センセーショナリズムに走る傾向が見られるとのこと。クーパー氏自身も、こうした傾向は「よくないと思うね」。

また、「このプログラムは科学です」と主張しないで科学を伝える方法があることも、具体例をまじえて紹介。例えば、スウェーデン出身のDJプロデューサ、エリック・プライズが、イギリスのロックバンド、ピンク・フロイドのシングル曲から作った「ペーパー・エデュケーション」のミュージックビデオが上映。映像では、少年たちが街中の照明を省エネ型の電球取り替えたり、高層ビルの部屋明かりを全部消してから「SWICH OFF」というメッセージを掲げたりします。日本のミュージックビデオにはなかなか見られないコンセプトで、新鮮でした。

日本の科学コミュニケーションには、まだまだ試してもいないアイディアが多くあると思います。海外の手法をそのまま輸入するのでは芸がないかもしれません。けれども、考えるヒントは、イギリスにもたくさんありそうです。

エリック・プライズ vs. ピンク・フロイド「ペーパー・エデュケーション」のミュージックビデオは、YOU TUBEでも見ることができます。
http://www.youtube.com/watch?v=dQHIgd4BTu0
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スペース・デブリを分析する「CSSI」とは?


中国が衛星破壊の実験をしたことがわかったという、先月(2007年1月)来のニュースで、こなごなになった衛星のかけらと国際宇宙ステーションの軌道が重なることが指摘されています。

これは、米国の民間調査機関「CSSI」が分析したデータでわかったもの。日本のニュースでも、下記のCSSI提供画像をご覧になったかもしれません。赤いドットは衛星のかけら。緑のラインは国際宇宙ステーションの軌道。


STK-generated images courtesy of CSSI (www.centerforspace.com)

さて、にわかに日本のニュースでも知られるようになったCSSI。でも、一般的には知っている日本人は多くないでしょう。どのような企業なのでしょうか。CSSIのサイトを見てみました。

まず、CSSIとは、“The Center for Space Standards & Innovation”の略語で、「宇宙標準・イノベーションセンター」とでも訳せるでしょうか。アナリティカル・グラフィックス社という防衛や宇宙分野の一般商用ソフトウェアを提供する企業の調査機関です。本社はコロラド州のコロラドスプリングス。

同社の使命(ミッション)も掲げられています。以下、拙訳。
米国の安全と、宇宙についての市民の意識をよりいっそう高めるために、宇宙財産利用の最適化を促進する。

宇宙に関する管理、技術、商業、探検などで、イノベーションを促進する。

相互運用性を支援するため、オープンで、入手容易で、産業ワイドな標準の、資源センターとして活動する。

宇宙や防衛に資するための最上の技術、ソース、業務ならびに手段といった、正確な産業情報を収集し普及させる。

最上クラスの進歩を謳うことで、高品質性をサポートする。

航空宇宙分野が繁栄するよう、若い才能や創造的アイデアを引き出す。
構成メンバーには、今回の衛星破壊実験のスペース・デブリの(宇宙ごみ)の広がり具合を分析した元・空軍宇宙分析センター宇宙司令官の(ASAC)のトーマス・S・ケルソー博士はじめ4人の博士が名を連ねています。

今回のケルソー博士が分析した画像は、誰でもダウンロードすることが可能。サイトを見るかぎり、この機関、かなりオープンな印象です。

CSSIのホームページはこちら。
http://www.centerforspace.com/
中国衛星破壊実験画像データのダウンロードページはこちら。
http://www.centerforspace.com/asat/
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終末時計、対象は核のみならず。


人類滅亡までの残り時間をカウントする「終末時計」は、今年に入って2分進み、「23時55分」つまり、「残り5分」となったそうです。

この時計を“管理”しているのは、米国の『ブレティン・オブ・ジ・アトミック・サイエンティスツ』(原子力科学者会報)という雑誌。1947年から時を刻んでいます。

当初は、広島と長崎に原子爆弾が落ち、冷戦により核の恐怖が起きたため、もっぱら「核による人類滅亡」が、長針が進むか戻るかの対象でした。けれども最近は、対象が広められています。

今年に入って時計が2分進んだ理由は、昨年の北朝鮮の核実験や、米ロの2千発以上になる核弾頭の保有などの、「核」問題が主。けれども、「科学技術の進歩が、悪いほうへと向かっている」といったことも、『ブレティン…』誌は理由として上げています。以下、拙訳。
新興の技術
ここ50年で遺伝学と生命科学は進歩し、良きにせよ悪しきにせよ、多くの新たな可能性が高まってきた。遺伝物質を理解し、神経システムの相互作用のしくみを解明することで、生物学者は病気に対し善戦することができるようになったし、また、人間の健康をあまねく向上させてもいる。だが、こうした知識は、悪意をもった人の命令に従う生物をプログラムさせることにもつながる。脳の機能は操作され、生体防御は犯され、さらには生殖能力さえ改変されてしまうかもしれない。問題は複雑化し、より多くの集団と個人がかつてよりも深刻な被害をあたえる技術を所有できるようになった。また将来、より多くの人がそうした技術を手にするであろう。細胞レベルまたは原子レベルの加工技術であるナノテクノロジーの台頭は、とりわけ化学的・生物的な兵器、爆弾、ミサイルと結びついた場合、同様の心配をあたえるものである。これらの分野の複合化は、破壊能力の高い昆虫サイズのミサイルや、危険な病原体を運ぶ微細なデリバリーシステムを生じさせるおそれがある。(The Bulletin Online “5 Minutes to Midnight”より)
少し驚いたのは、原子力の科学者たちからなる『ブレティン…』誌が、科学技術の危険性をかなり声高に叫んでいるということと、その危険の矛先が、バイオテクノロジーやナノテクノロジーに向けられているということ。他分野の科学を尊重する(あるいは、関心をもたない)日本のアカデミアでは、あまり見られない構図かもしれません。

『ブレティン・オブ・ジ・アトミック・サイエンティスツ』オンライン版の、 “5 Minutes to Midnight”はこちら(英語)。
http://www.thebulletin.org/minutes-to-midnight/
| - | 23:55 | comments(0) | -
プロレス技に見られる科学技術


土曜、日曜の深夜、関東ではプロレスのテレビ中継があります。

プロレス中継といえば、私の子供時代は、ジャイアント馬場ひきいる全日本プロレスは土曜日、アントニオ猪木ひきいる新日本プロレスは金曜日の夜でした。がまかつの「がまかつマーク2」と、タイホー工業の「クリンビュー」のテレビCMが懐かしい…。

科学技術のブログにプロレスネタは似合わないかもしれません。でも、前々から、プロレスの技にけっこう、科学技術関連の名前がつけられていることが気になっていたのです。

例えば、「DDT」という技があります。A選手がB選手の首を二の腕でロックして、頭からリングにたたき落とす危険な技です。一方、「DDT」といえば、『沈黙の春』でも有毒性が指摘された殺虫剤。まったく連想できないわけではありませんが、なぜプロレス技に「DDT」?

これは、米国のプロレスラーでDDTの産みの親とされるジェイク・ロバーツの飼っていたニシキヘビの名前がダミアン君で、技をかけられた敵がダミアン君の餌食になることに因んで“Damian Dinner Time”の頭文字をとったからなのだそうです。もちろん、殺虫剤の「DDT」にも掛けられてるようです。

もうひとつ、「ジャーマン・スープレックス」という、A選手がB選手の胴を背後から両手で掴んでそのまま後ろの投げるという決め技があります(トップ画像)。これは、技を発明したプロレスの神様カール・ゴッチが、ドイツ人だったから。でもこの技は和名で「原爆固め」といいます。

これは、プロレス担当の記者が、「ジャーマン・スープレックス」だと紙面に貼りにくいために、デスクとの話の中でふと「原爆固め」と言ったことが和名になったとも。でもいまは、被爆者などに配慮して「原爆固め」を使っていないプロレス雑誌もあります。

プロレス技を調べてみると、他にもあるわあるわ(カッコ内は、日本語の対訳)。

アトミック・ドロップ(原子落下)。稲妻レッグラリアート。パイルドライバー(杭打ち機)。パワーボム(威力爆弾)。ミサイルキック。ノーザンライトスープレックス(オーロラ固め)。ムーンサルトプレス(月面水爆)…。

プロレス技は、やはり、人に害をあたえるような名前が多々。ノーベル・プライズ・ホールドとか、ISSとかでは迫力に欠けるということでしょうか…。

追伸
「フライング・メイヤー」という技がありますね。私はいつも、なぜ「市長(Mayor)が飛ぶ(Flying)必要があるのか」と疑問に思ってます。だれか教えてください。

画像提供:「エンタメのすすめ」
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書評『偶然の本質』
毎日新聞の大型企画「理系白書」は、(2007年)1月31日から、「科学と非科学」というシリーズをはじめました。31日の記事では、「波動」という科学的には検証されていない現象が商売で利用されていることを取り上げています。記事によると、すべての生命の根源となる、原子や素粒子の絶え間ない振動、というのが「波動」の典型的説明です。こうした、科学と非科学の分け隔てについては、マスコミなどで本腰を入れて取り組んでこなかっただけに、注目です。

今日は、「科学と非科学」について、「偶然」というテーマから考えさせてくれる本を紹介します。1974年に蒼樹書房からだされた翻訳書の復刊です。

『偶然の本質 パラサイコロジーを訪ねて』アーサー・ケストラー著 村上陽一郎訳 ちくま学芸文庫 2006年 260p


読みはじめてすぐに気付く。この本の「偶然」とは、おもに超心理学やESPなど「あっち系」の力によるものを指しているのだと。

その時点で、本を閉じてしまおうかどうか迷った。翻訳者はかの村上陽一郎。訳者あとがきにも「結局私はこの仕事を引受け、しかもかなりおもしろい体験となった」と書かれてある。ならばということで最後まで読んでみた。

いい意味で期待を裏切られた。この本はいわゆるトンデモ本とは明らかに一線を画す本である。

この手のテーマは、「超常臭」とでもいうべき臭いが放たれただけで嫌気をさされる宿命を背負っている。そのあたりを著者はとてもよくわかっている。読む人のご機嫌をつねに伺うかのように、慎重に論を進めるのだ。まっとうな科学の中でも理解しがたいとされる量子論を引き合いに出したり、ユングやパウリなど多くの権威的研究者もESPや超心理学の研究をしていたことを示したりして、読む人の嫌疑心を鎮めよう鎮めようとしている。この時点で、著者は嫌疑派読者から少なくとも個人的な信頼を勝ちとることに成功している。

だが、肝心の部分「なぜ、ESPのような超常現象が起きるのか」については、あまり納得はできなかった。著者は、超心理学のようなものは、いまの認められている科学の外側に別の体系とルールがあるのだ、という論を出してくる。その「別の体系」を科学的に説明できない今の段階では、「ESPを信じるかどうか」は「神を信じるかどうか」と同じ話じゃないかと感じてしまうのだ。

というわけで、この手の超心理学を「信じられない」とする度合は、いくぶんは減ったかな、くらいのもの。一方で、著者への好感はとても高くなった。

『偶然の本質』はこちら。
http://www.amazon.co.jp/偶然の本質?パラサイコロジーを訪ねて-アーサー-ケストラー/dp/4480090053
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世界をリードするために…。


研究者や開発者たちがしのぎを削り競争しあう多種多様な技術。手掛けているのは日本国内だけではありません。いまや各分野の技術は、世界各国が競争相手となっています。

開発した技術で世界をリードするためには、知的財産の保護がなによりも大切。知的財産とは、知的創作活動の成果にあたえられる財産権で、発明の「特許」などが代表例です。「この技術は私たちのオリジナルですよ」と表明することで、財産を守るわけです。

では、特許を得て、その特許をもとに独自技術をアピールすれば、その分野で世界をリードできるでしょうか。そうとも限らないようです。

最近の技術開発の戦略では、知的財産の確保とともにもうひとつ、あることがとても重要視されているようです。

それは、国際標準の先取権を獲るということ。

サッカーや野球などのスポーツで国どうしが競えるのも、国際的なルールがあるからこそ。同じように、世界各国が同じ分野の技術力を高めていくためには、共通の定義や尺度が必要となります。

スポーツでは自国で適応しているでルールを世界のルールにすれば、当然その国に有利に働くでしょう。同じように、国際会議などの場で、「我が国で開発した技術をもとに、世界的な標準をつくりましょうよ」と売り込むわけです。他人の下駄を履いて、他国と勝負するよりも、自分の下駄を履いたほうがやはり有利。

特許などの知的財産は、確立している制度にのっとって特許などを登録すれば、確固たるものとなります。一方、標準化については国際的な会議が競争の舞台。まさに交渉で勝ち取る、シビアな世界といえるでしょう。
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2050年、都市の青写真。


駅から歩けない地域は全部緑地に…。

将来の首都圏の都市計画の一つに「ファイバーシティ」というものがあります。「ファイバー」とは「繊維」や「生地」のこと。樹々の“緑”などを使って、2050年の首都圏に“指”や“間仕切り”や“網”などを取り入れようという、壮大な計画です。建築家の大野秀敏氏が提唱しています。

未来の首都圏を、緑の多い都市圏に変貌させるのは、それなりの背景や必要があってのこと。

日本の首都圏の人口は3300万人ともいわれています。けれどもご存じのように、日本人の出生率は下がり、「2050年には現在の3/4にまで減ります」(大野氏の記述)。その世の中は、「高齢者(65歳以上)は全人口の4割」(同)という高齢社会。

人口が減少し、住宅はすかすかに。高齢者が増え、目的地までの移動はおっくうに。こうした将来予測から、駅の近くのみに人を住まわせ、あとの土地は緑化してしまおうというのが「ファイバーシティ」の構想の一つ。大野氏はこれを“緑の指"とよんでいます。

ほかにも、密集した住宅地に“緑の間仕切り”を入れることで防災性を高めたり、都心の主と高速道路を“緑の網”として緊急災害時にライフラインにもなる緑道にしたり、といった青写真が描かれています。

「ファイバーシティ」では、ニューヨークのセントラルパークや東京の日比谷公園などとは違って、緑地を長方形の街区におさめるのではなく、楓やヤツデの形ように拡散させます。そうしたほうが、街の住民が緑を目にしたり緑に触れたりする機会が多くなるから。幾何学的発想からのアプローチです。

「日本の人口が減っても、東京への人口集中は続くのでは」と突っ込みを入れたくなる面もありますが、東京に限らず、「縮小する都市」の未来像を描いた見事な計画といえるのでは。2050年、私がもし生きていれば高齢社会に寄与する側。恩恵を預かる身です。



東京・秋葉原UDXの2階「アキバ・スクウェア」で、「ファイバーシティ」を紹介した展示会「Shrinking Cities × fibercity @ akihabara」が開催中(上の画像)。(2007年)2月18日まで。サイトはこちら。
http://www.sfa-exhibition.com/
「FIBERCITY / Tokyo 2050」はこちら。
http://www.fibercity2050.net/jpn/fibercity.html
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