科学技術のアネクドート

書評『見える化』
“組織の質を上げる”と評判のベストセラー。いまさらながら読んでみました。

『見える化 強い企業をつくる「見える」仕組み』遠藤功著 東洋経済新報社 2005年 208p


組織とは、つねになにかしらの「問題」を抱えながら進んでいくもの。けれども、組織の中の誰もが、その「問題」が「問題である」と共通に認識することはなかなか難しい。ボスと部下では立場がちがう。パートさんやバイトさんが捉えるのと、経営者が捉えるの、同じ組織でもまったく別ものとなる。そんな、“問題の共有”が難しい状況のなかに、「見える化」の出番がある。

たとえばこんな状況を考えてほしい。

なんとなく焦げ臭い…。どこかでパキパキと音がしている…。自分の部屋のすぐ近くで火事が起こっていても、目に見えていないうちは、「なんか変だぞ」と思っていても、なかなか行動をとらないもの。ところが炎を目にしたとたん、「こりゃ大変だ!」と問題を認識し、すぐさま避難や消火という行動をとりはじめる。

善い喩えではないかもしれないが、これが「見える化」の本質。著者が「見える化」を強く意識するようになったきっかけも、小火騒ぎだったという。

「問題の見える化」の他にも、「状況の見える化」「顧客の見える化」「知恵の見える化」「経営の見える化」といった、さまざまな「見える化」を提示する。その上で、トヨタや和民など実際の企業が実践している「見える化」の具体例を豊富に紹介していく。

ただし、筆者は「『見える』ようにするのは人間の意思」とも述べる。「見える化」を根本まで突き詰めていくと、積極的に問題を開示するマインドが必要となるのだ。「『見える化』とは『見せる化』であり、『見せよう』という意思と知恵がなければ、『見える化』は実現できないのである」

「見える化」の効果や方法を知ることにより組織論的技術が身につくうえに、著者の情熱的な言葉によりやる気がわいてくるという、二層構造で成り立っている本だ。

『見える化』はこちら。
http://www.amazon.co.jp/見える化-強い企業をつくる「見える」仕組み-遠藤-功/dp/4492532013/sr=1-1/qid=1170249967/ref=sr_1_1/503-7257412-2611120?ie=UTF8&s=books
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狂騒? 空騒ぎ? ウインドウズ・ビスタ発売


パーソナルコンピュータのOS(オペレーティングシステム)ソフト、「ウィンドウズ・ビスタ」が(2007年1月)30日に発売となりました。

秋葉原の「ヨドバシカメラマルチメディアAkiba」では、発売30分前からトークイベントとカウントダウン&くす玉割りイベントが行われました。来場者は約200人。報道陣も40人ほどいたでしょうか。

トークイベントでは、マイクロソフトのWindows OSマーケティング部シニアプロダクトマネージャ飯島圭一氏が「ウィンドウズ・ビスタの特長をひとことでいうと、美しく見やすくなったこと」とアピール。カウントダウンのあと、くす玉が割られました。

他にもスペシャルゲストとして、マイクロソフトの社長のダレン・ヒューストン氏、インテル共同社長の吉田和正氏(画像)など、業界注目の人物がつぎつぎと舞台に登場。吉田氏は、「インテルはウインドウズとの相性がいちばん。エレクトロニクス関連製品は携帯電話などに目がいきがちだが、パソコンも忘れないで」と、訴えました。



ウィンドウズ・ビスタは、2001年秋発売のウィンドウズXP以来の新バージョン。マイクロソフトは、「AERO(エアロ)」という新機能をイチオシしています。これは、動作中の画面をディスプレイ上に3次元的に並べる機能。

たしかに、2次元のディスプレイでウィンドウを3次元的に表現する方法には美しさを感じます。また、マイクロソフトによれば、他にもエンタテインメント性を重視したり、ウイルスに感染しないようにセキュリティを上げたり、といった点をアピールしています。

カウントダウンイベントの雰囲気を見るかぎりでは、大騒ぎというよりは空騒ぎといった感も。実際に商品を購入した客も発売開始から15分で2、30人ほど…。会場にいた店員たちからも、「帰って、風呂に入ってあったまろ」「体の芯から冷えちゃったね」と、しみじみとした本音が漏れ聞こえてきました。

電子情報技術産業協会によると、昨2006年のパーソナルコンピュータ出荷台数は、前年比3%減で4年ぶりの減少。ウィンドウズ・ビスタの発売を待つ”買い控え”もあったようです。市場の起爆剤となるか。ヴィスタの展望はいかに。

ヨドバシカメラでの単品価格は、最下位の“ベーシック”から最上位の“アルティメイト”までで、27,090円から51,240円。また、アップグレード版価格は同じく14,490円から33,390円(いずれも税込)。最下位の“ベーシック”には、AERO(エアロ)の機能は搭載されていませんのでご注意を。

マイクロソフトのサイト「ウィンドウズ・ビスタ」のページはこちら。
http://www.microsoft.com/japan/windows/products/windowsvista/default.mspx
ヨドバシドットコム「新世代のWindows 「Windows Vista」1月30日(火)発売」はこちら。
http://www.yodobashi.com/enjoy/more/promotion/65280388.html
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アメリカ的遺伝子組み換え法


先日(2007年1月21日)、「アグロバクテリウム」という、植物に“こぶ”をつくる最近を使った遺伝子組み換え技術を紹介しました。植物にトンネルを掘って、自分のDNA断片を植物の中に組み込んでしまうという変わった細菌アグロバクテリウムを利用した方法です。

けれども、この細菌を使った方法では、細菌が寄生する植物に限りがあったため、どんな植物に対しても遺伝子を組み込めるというわけではありませんでした。そこで、細菌による遺伝子組み換え技術が発明されたのとおなじ1980年代、もう一つの遺伝子組み換え技術が米国で誕生します。

遺伝子組み換えでは、とにかく、もともとの植物の細胞核にあるDNAに、他の種類の植物などのDNAを組み込めばよいわけです。どのような方法が考えられるでしょう。植物の細胞にDNAを突き刺すのでも、なんでもあり…。

偉大な遺伝子組み換え技術をもたらしたのは、「銃」の発明でした。DNAを「弾丸」にした「銃」が作られたのです。名づけて「遺伝子銃」。英語では“Gene Gun”または“Particle Gun”といいます。米国コーネル大学の園芸学者ジョン・サンフォードらが開発、1980年代に特許をとりました。

ある植物に組み込みたい遺伝子が含まれたDNA断片を、金などの粒子にコーティングします。これが「弾丸」。この弾丸を遺伝子銃でまさに撃ち込むのです。撃ち込むときの圧力にはヘリウムガスなどを使います。撃ち込まれた植物は、もちろん「なんじゃこりゃー」と叫んだりしません。

この遺伝子銃を使った遺伝子組み換え法により、1990年代には、除草剤より8倍強いイネや、収穫後1か月腐らないトマトなどがつくられました。

いまでは、米国が生み出した偉大な発明品として、ワシントンDCにあるスミソニアン博物館と、フロリダ州オーランドにあるディズニーワールドの博物テーマパーク「エプコット」にも展示されています。

科学技術の発見や発明は、その国の文化的背景がおおいに関係するもの。この遺伝子銃は、まさに銃社会の米国ならではの産物という気がします。
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こんなにある! 納豆の健康効果


納豆はこれまでに、いろいろな健康への効果が発掘されています。

先日、納豆を買おうとスーパーマーケットに行くと、納豆の棚から納豆商品が無くなってしいました。人々が納豆のさまざまな効果を調べたからだとしたら、ここで紹介するまでもないことですが、さまざまな中事典や小事典などから、納豆の健康効果を調べてみました。

まず、納豆には、骨を強くする効果があります。納豆に特徴的なのが糸を引くあの“ネバネバ”ですが、これは、アミノ酸の一種であるグルタミン酸が30から5000個つながったもの。このグルタミン酸はマイナスイオンを帯びていて、カルシウムのプラスイオンと結びつくと、腸の中でカルシウムの吸収が進むのです。加えて、納豆自身カルシウムを豊富に含んでおり、また、骨づくりをさかんにするビタミンK2も含まれているそうです。

また、「ナットウキナーゼ」という言葉を聞いたことがあるでしょうか。血管中の血のかたまり(血栓)を溶かす酵素がナットウキナーゼ。納豆を作るときに利用する納豆菌がナットウキナーゼを作り出します。

納豆のPRをする全国納豆協同組合連合会によると、他にも納豆には「悪玉酸素をやっつける成分も多い」「血糖値を下げる作用がある」「脳の老化を防ぐ」「お肌の若返り」などのさまざまな効果があるようです。

納豆をPRする全国納豆協同組合連合会のサイト内、「納豆百科事典」はこちら。
http://www.710.or.jp/hyakka/index.html
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無駄が安全をよぶ。


同じ飛行機に乗る機長と副機長は、それぞれ別料理の食事をとるといいます。グルメを張り合っているため? それもあるかもしれません。でももっともな理由は、同時に食中毒にならないため。

万一のことに備える方法は、いろいろとありますが、その一つが「冗長性」。「リダンダンシー」ともよばれます。

「ご冗談を!」というときにも使われる「冗」という言葉。「無駄なこと」とか「わずらわしいこと」を指しています。つまり「冗談」は「無駄な話」が原義。この「無駄」や「わずらわしさ」こそが、安全を考える上では重要だというのです。

たとえば、コンンピュータ通信では、ある情報を「0」か「1」というビットデータの集まりにして離れた場所に送りますが、そのときどうしてもデータが失われたり、まちがって伝えられることがあります。

データが誤送されないように、「いま送った情報は間違いなく『0』です」という確認情報を「0」の信号の近くに付けておく必要があります。たとえば「0」であることを伝えるためにデータを「000」や「0000」にしておけば、たまにまちがって「1」が混じったとしても「010」や「1000」となるために、結局そのデータで伝えたかったことは「0」だとわかるわけです。無駄な「0」も、たまには役に立つ場合もあるということですね。

冗長性には、異なるものを使う「異種冗長性」と、同じものを使う「同種冗長性」という二つの方法があります。

私たちに身近な異種冗長性異の例は、目覚まし時計を何種類もセットして眠る行為。万一、最初のジリリリリで寝過ごしてしまっても、別の目覚まし時計が10分後に鳴れば、ことなきを得るわけです。冒頭の機長と副機長がちがう料理を食べるのもこの方法。

いっぽう、同種冗長性の例は、ジリリリ鳴るのを止めた10分後にまたジリリリと鳴る機能をもった目覚まし時計を使うようなこと。「0」のデータを「000」で送るのもこっちの方法でしょう。

効率性と冗長性は対立するもの。どっちをとるかは、個人の生活レベルではその人の判断によりますが、組織のなかでは安全第一をかんがえて冗長性をとるべきという風潮にあるようです。
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終電間際の「各駅停車東京行き」


以前、関東地方を中心に流れていたヨドバシカメラのテレビCMでは、「まぁるい緑の山手線。真んなか通るは中央線」と、東京都心を走るJR(国鉄)の路線を替え歌にしていました。

この「真ん中とおる」中央線は、二つの色の電車が並走しています。

一つは、オレンジ色の快速。上り電車でいうと、新宿、四谷、御茶の水、神田を経て、東京が終点となります。

もう一つは、黄色の各駅停車。新宿、代々木、千駄ヶ谷、信濃町、四谷、市ヶ谷、飯田橋、水道橋、御茶の水に停まり、その先はオレンジ色の快速に別れを告げ、総武線各駅停車として、秋葉原、千葉方面へと向かいます。

でも、早朝と深夜にかぎって、ダイヤは変則的。黄色の電車の代わりに、オレンジ色の電車が各駅停車で走り、東京行となります。御茶の水に着く前までは黄色の電車の線路の上を走り、御茶の水から先は従来のオレンジ色の線路の上を走って東京へたどり着きます。

終電間際の時間帯。このオレンジ色の「各駅停車東京行」が停まる市ヶ谷駅や飯田橋駅のホームでは、ちょっと不思議な光景が見られます。電車が入ってきて、発車音が鳴ったにもかかわらず、なかなかホームの客が電車に乗ろうとしないのです。「どうぞ先に乗ってください」とでもいわんばかり…。

客は「じゃあ、乗るか」と、ゆっくり電車に乗り込むと、乗りこんですぐのドア近くにへばりつくように立ちます。こうして「各駅停車東京行」は毎夜、進行方向右手のドア付近に乗客が固まったまま走ります。

じつはこれ、電車座席獲得のためのちょっとしたテクニック。

飯田橋から二つ先の御茶の水で、向かい側に千葉方面に向かう黄色い電車が始発電車として待っているのです。ドア付近で固まっていたのは、みな千葉方面に帰る客たち。御茶の水で右側のドアが開くと、いっせいに向かいの黄色い電車へまっしぐら。椅子取りゲーム状態になります。

市ヶ谷や飯田橋でホームの客が乗車を譲り合うのは、次の黄色い電車で座席を獲得するためのポジション取りをしているから。午前零時過ぎのホームや車内では、ちょっとした心理戦が働いていて、見ものです。かくいう私も、深夜の飯田橋駅で、よく参戦してしまうのですが…。
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水道格差社会(4)
水道格差社会(1)
水道格差社会(2)
水道格差社会(3)

イメージ画像

水道料金格差への対策を考えてみましょう。

まず、そもそも、水道格差は解消されるべきなのでしょうか。

たしかに、地域により地理や気候や土壌の差があるのはあたりまえ。水道料金の高い町に住むか住まないかは住民の判断です。ただ、その町に引っ越してくる住民は、おそらく水道料金が高い(または安い)といった情報は気に留めていないでしょうし、その町にもともと住んでいた住民にとっても、水道料金が高いからといって引っ越しをする人はあまりいないでしょう。

全国一律料金というのは極端でしょう。ただ、まったく同じ暮らしをしても払う水道料金が地域によって最大約10倍もちがうという状況は、やはり是正すべきことだと思います。

ではどうやって格差を是正すべきなのでしょう。

まず、「経済アセスメント」の導入が考えられます。

いま、ダムを建設するにあたっては、環境影響評価法という法律により、「環境アセスメント」をする必要があります。環境アセスメントは、建設工事による環境への影響を調査、予測、評価して、影響を避けたり小さくしたりする方法のことです。

一方、ダムの建設に際して、関係する地域への経済的影響を予測・評価するといった話は聞いたことがありません。新空港や新幹線の新駅などをつくろうとする場合、自治体などが実施している「経済アセスメント」をダムについても適用してはどうでしょう。「みんなの意見」は案外正しいといいます。ダムをつくることが生活にどのようなメリットとデメリットをもたらすかを住民を含めて考えれば、環境面はもとより、経済面から見ても無駄になるダム建設や水の受け入れは抑えられるかもしれません。

また、必要なダムしかつくらないという前提の上で、より広範の住民による税金負担を考えてもいいのかもしれません。ダムをつくることにより、洪水を防いだり、渇水のときに水の供給をコントロールしたりすることができます。ダムの開発効果は、下流域の広い地域にも及んでいるのです。

水道料金の設定は住民の節水などの努力では解消しづらいというからくりがあります。地域格差や情報格差など、“格差社会”がいろいろと叫ばれているなか、水道料金の格差についても身近な問題として考えていく必要があるでしょう。(了)
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水道格差社会(3)
水道格差社会(1)
水道格差社会(2)



自治体の独立採算制による水道経営のため、水道料金の最大格差は約10にもなっています。

ダムや長い配管が生活に不可欠である自治体にとっては、コスト高もしかたのないところなのかもしれません。けれども、住民にとって「ムダなダム」の存在が、水道料金が高めている自治体もあるようです。

京都府の大山崎町(トップ画像)は、大阪と京都を結ぶ鉄道や道路が集中する交通の要所。東海道線で京都までは約15分、大阪までは約24分です。

この町は高度経済成長期に人口流入を経験しました。1965年、町の人口は3,852人だったのに対し、5年後の1970年には10,475人にふくれあがったのです。役場は「今後も人口が増えるにちがいない」と判断し、当時、京都府内を流れる桂川中流で着工予定だった日吉ダム(下の画像、縮尺はトップ画像とは異なる)から水を受ける申し込みを府に申請しました。日吉ダムは大山崎町から北西に約30キロの位置にあります。



ところが役場の予測は外れ、町の人口は思ったほど増えませんでした。1975年以降、大山崎町の人口は1万5000人前後で推移しています。

結果、日吉ダムからの水を使わないでも住民は水をまかなえるようになりました。ところが町は、日吉ダムのからの受け入れ水量を見直しませんでした。2004年現在で、町は府に年間2億6000万円の水道代を支払っています。一方、大山崎町民が実際に使った分としておさめている水道料金は年間1億2000万円。残りの1億4000万円は、使われていない水のための水道料金として上乗せされているのだそうです。

町民がいくら節水をしても、水道料金には反映されません。現在の大山崎町の水道料金は、20立方メートルまでは一律4032円。10立方メートル当たりの全国平均は1470円です。

昨2006年12月、大山崎町では町長選挙で、水道料金の値下げを訴えた、革新系の町長が当選を果たしました。就任から約1か月半。水道料金問題対策の秘策があるのか、町長の自らの署名による「町長短信」では、水道料金の値下げについてはまだ触れられていません。あと1回だけ、つづく。

参考URL
国民生活政策ホームページ「最近の水道料金の動き」
http://www5.cao.go.jp/seikatsu/koukyou/water/wa02.html
テレビ朝日報道ステーションサイト「Rifujin 節水しても料金が上がる!?」
http://www.tv-asahi.co.jp/hst_2006/contents/special/040423.html
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水道格差社会(2)
水道格差社会(1)



水道料金は、それぞれの自治体の独立採算制が基本です。長野原町では、八ツ場ダムというダムが建設されようとしています(トップ画像のあたり)。洪水から暮らしを守るのと、関東平野の水需要を支えるのがおもな目的。

下流域の人々のためとはいえ、ダムの現場である長野原町も当然、ダムの建設などにお金を掛けます。長野原町ホームページから、2004年の歳出項目を見てみると、「ダム生活再建人件費1426万円」「八ツ場関連公債費1億4737万円」「八ツ場ダム関連文化財調査費526万円」「ダム対策委員会等補助金1384万円」「ダム周辺整備事業基金3億2001万円」「ダム生活基盤安定対策基金4億3282万円」などが決算されています。これらを合計すると、9億3356万円となります。

一方、富士河口湖町には、町名の示すとおり河口湖(下の画像)という天然の水瓶があります。また、富士山からの湧き水も湧き出るため、水道にあまりお金がかからないことは容易に想像ができます。同町の2005年度決算のうち「水道費」の項目の合計は、7402万円でした(特別会計は除く)。



長野原町のようにダムを建設している自治体や、水源を遠くはなれたダムに求める自治体などでは、ダム建設に関連する費用や水道管を設置・管理する費用などがどうしても掛かってしまいます。それに、人口が少ない町村では、一人当たりが水道に掛けるコストも割高になってしまいます。

地域による水道利用の事情の差から、長野原町と富士河口湖町のような極端な水道料金の差が生まれてしまうということです。つづく。
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水道格差社会(1)


各世帯が支払う水道料金は、水を使う量がそれぞれの家で異なるため、当然、差があります。8人家族の家庭のほうが、一人暮らしよりも、納める水道料金は高くなることでしょう。けれども、差が出るのは世帯間だけではありません。それぞれの自治体の間でも、水道料金の差はとても激しいのです。

水道料金は、通常、10立方メートルあたりの月額で計算されることが多い模様。風呂桶でだいたい20杯分ぐらいです。

2006年4月現在、もっとも水道料金が高い自治体は、群馬県長野原町の3,255円(10立方メートルあたりの月額料金)。一方、町民の水道代負担がもっとも軽い自治体は、山梨県富士河口湖町で、たった335円。じつに最大格差9.72倍にもなります。

この二つの自治体の平均的な家庭が、水道を普通に使った場合、1年間でどれだけの使用量の差になるか、計算してみます。

2004年の日本の年間水道使用量(生活用水)は約164億2900万立方メートル。一方、同じ年の日本の総世帯数は約4632万3000世帯だったので、単純に割り算すれば、1世帯あたり年間354.7立方メートルの水道水を使っていた計算になります。井戸水を使っている家庭もあるので、実際の数字はもう少し低くなるかもしれませんが…。

先ほどの長野原町と富士河口湖町の月額料金を年額にして、それぞれに“年間354.7立方メートル”を当てはめてみると、長野原町で暮らした場合、11万5,454円。一方、富士河口湖町で暮らした場合、1万1,882円となります。この差、10万3,572年。まったくおなじ生活をしていても、居住する場所により1年で10万円以上もの差がつくのです!

自治体ホームページを見てみると、長野原町も富士河口湖町も、山あり温泉ありで自然の豊かな土地。なぜ、これほどの水道料金の差ができてしまうのでしょう。つづく。
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アグロバクテリウムのがめつさ


アグロバクテリウムという細菌がいます。この細菌は、ある特定の植物に“寄生”します。

寄生した細菌は、なんと植物にトンネルを掘りはじめます。いったい、なぜ? 植物の細胞に向けて自分のDNA断片を入れた小包を送り込むためです。小包は、細菌の中のプラスミドという“運び屋”がデリバリーします。

送り込まれた側の植物は、細胞核の中のDNAの中に、アグロバクテリウムのDNAを組み込んでしまいます。

組み込まれたアグロバクテリウムのDNAは、植物が成長するホルモンを出す遺伝子として働きます。すると、植物のその部分では成長が続きどんどん膨らんでいきます。また、その膨らんだ部分では、細胞分裂が起きているので、アグロバクテリウムのDNAもどんどん増えていくのです。

1
細胞が分裂するほど、アグロバクテリウムのDNAが成長ホルモンをどんどん放出する。

2
アグロバクテリウムのDNAが成長ホルモンを放出するほど、細胞がどんどん分裂する。

つまり、1と2がループして、どんどんアグロバクテリウムが寄生した植物のある部分は“こぶ”として膨らんでいきます。アグロバクテリウムはその“こぶ”から栄養を蓄えるのです…。

この不思議な細菌がなす業に1970年代、米国やベルギーの研究者や企業がこぞって、この細菌の力を利用しようとしました。なぜならば、この細菌のなせる業は遺伝子組み換えに応用できるから。

実際、いま遺伝子組換え技術の一つとして、「アグロバクテリウム法」が確立されています。

遺伝子組み換えの賛否はともかくとして、アグロバクテリウムのがめつさと、そのアグロバクテリウムを遺伝子組み換えに使えると思った研究者たちの発想には、見習うべきものがありそう…。
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元村有希子さん、科学ジャーナリスト塾で講演。


きのう(2007年1月21日)、手伝いをしている科学ジャーナリスト塾で、毎日新聞科学環境部記者の元村有希子さんが講演をしました。

ここ1年間で、元村さんの講演を聞くのはもう4度目。テーマも、これまでと同じく、毎日新聞科学環境部の企画「理系白書」とその連動で元村さんが書いている「理系白書ブログ」について。4回も聞いたら、普通だったらもう飽きてきそうですが、話を聞くたびに新しさがあります。

新聞の記事に限らず、森羅万象の事象には、分野が重なったり、融合したりするものがありますね。プロ野球(運動)における球団経営(経済)とか、パルテノン神殿(建築)における黄金比(数学)とか。

「理系白書」では、これまでだったら社会面で取り扱われていたような記事でも、「おかまいなしに」科学面で取り上げることを試みてきました。例えば、オウム真理教の幹部が理系出身だったという事実を取り扱ったのも「理系白書」。科学そのものではないけれど、科学に関係する社会の話などを元村さんは「科学の周辺の話」と呼んでいます。科学そのものの話と科学の周辺の話では、書く記事の量は「半々ぐらい」とのこと。

「これは記事にできる」と思ったものを記事にする…。元村さんには変な先入観などが見られません。何事にも自然体で接していることが、記事もブログも評価を得ている理由ではと思います。まあ、もともとバランスがとれた“自然体”だからこそなせる業だろうけれど…。

元村さんらが書いている理系白書ブログのきのうの記事は、科学ジャーナリスト塾に招かれたというもの。元村さんが塾に来て、パソコンの用意をしてから、塾が始まるまでの10分間。私が、開始前にどたばたしている間に、さらさらっと記事を書いてしまったようです。まったく気づきませんでした。

毎日新聞のウェブ、毎日インタラクティブの「理系白書」はこちら。
http://www.mainichi-msn.co.jp/science/rikei/
「理系白書ブログ」はこちら。
http://rikei.spaces.live.com/
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秋草鶴次さんが語る硫黄島戦(2)
秋草鶴次さんが語る硫黄島戦(1)



昭和20年3月1日。アメリカ軍の艦砲射撃で要塞の壁に穴が。秋草さんはその穴からアメリカ兵の様子を肉眼で覗き見しました。誰かが敵兵の間隙をくぐって、要塞から離れた日本軍の本部まで、状況報告と食料補給のために向かわなければなりません。身体が屈強で土地勘もあった兵が要塞を出て行きました。

その兵が要塞に帰ってくることはありませんでした。

3月8日。玉名山の要塞にいる日本兵に連絡が来ました。総攻撃を仕掛けるようにというものです。しかし、意思伝達の齟齬がありました。本部で指揮をしていた硫黄島戦の全権掌握者・栗林中将は「自嘲してゲリラ戦を展開しよう」と考えていたのです。結局、その旨を伝える連絡が、秋草さんのいる要塞に来たときには、すでに総攻撃は始まっていました。

けれども、秋草さんは言います。

「要塞に食料はありませんでした。総攻撃をしなければ、みな餓死していたことでしょう」

秋草さんは通信兵として要塞に残ります。出て行った兵士は、ほぼみな戻ってはきませんでした。

要塞に残された幾ばくかの兵士たち。アメリカ軍は、水攻め、ガス攻撃、ガソリン引火を仕掛けてきます。

「武器を持っていないわれわれの間で、弱肉強食が始まりました。食べ物をもっていない。生き残るにはどうするか。争いをやるしかない。人間、究極は命ですよ。命、命…」

それまで淡々と語ってきた秋草さんは、ここで声を詰まらせ、涙を流し始めます。

「絶対に、命を大事にしなくてはなりません。いま、こんなにも長く平和が続くのは、戦争時代を生きた人々が人柱になったから。私はそう思います。戦死した彼らは、平和を続けてほしいと思っているにちがいない」

“玉砕”という偽りの言葉のもとに、特別攻撃隊は奉られ、戦争は美化されます。秋草さんは、知己の兵士は、だれも特攻隊になんて選ばれたくなかった、選ばれることをどうしたら免れるかを真剣に考えていたと言います。周りで死んでいった兵士たちは「お母さん、長生きしてください」と言いながら息を引き取っていきました。

昨2006年にNHKが放送した『硫黄島玉砕戦 生還者61年目の証言』で取材に応じるまで、秋草さんをはじめ多くの元帰還兵は、硫黄島での惨状にかたく口を閉ざしてきました。戦場の光景はできることならば思い出したくもない。沈黙を破り、戦争を語ることは、戦争を生き抜いた人にとってのもう一つの闘いなのかもしれません。

秋草さんの、震える声と頬を伝わる涙が、何もかもを表していた気がします。
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秋草鶴次さんが語る硫黄島戦(1)


今日(2007年1月19日)、早稲田大学で秋草鶴次さんの講演会がありました。

秋草さんは、太平洋戦争の激戦地・硫黄島から生還した日本人の一人。硫黄島で戦った日本兵約21000人のうち、秋草さんと同じように、死を免れた人は約1000人でした。

大きな図書館には、新聞の縮刷版が置いてあるでしょう。朝日新聞は、戦争中の新聞記事を縮刷版で手軽に読める唯一の新聞です。昭和20年の2月から3月にかけて、毎日のように1面トップ記事は硫黄島戦関連の記事が占めています。

けれども、新聞は、真実を伝えてはいません。

ご存じのとおり、戦争中の原論統制は非常に厳しいものがあり、日本にとって有利なことを伝える記事ばかりが目立ちました。たしかに下の画像が示す記事(昭和20年2月22日)では、「硫黄島遂に敵手へ」という大見出しで事実を伝えています。けれども、その横には「壮烈・全員総攻撃」「敢闘一箇月」などの言葉。これほど悲しみに満ちたポジティブな表現を見たことがありません。



記事は敵性語が極力排され、見出しは戦意を高揚するためのスローガン。広告欄は新株、社債、国債の募集が軒を並べる…。ジャーナリズムの対象として考えれば、戦時中の新聞の一言一句は、現在のそれとはまったく違い、研究対象として興味深いものがあります。

けれども、新聞は、戦争そのものを決して伝えてはいません。

真実は戦争を体験した人の心の中にしかない、そんな時代が戦争時代だったのです。

秋草さんは昭和19年7月30日に通信兵として武器も持たずに硫黄島へ上陸しました。17歳のことです。

防空壕の中、秋草さんは1日4交替制の中で、通信傍受や無線連絡をしました。ある日、暗号が書かれた“赤本”を手にとってみると、紙に書かれた文字が真白に消えていることに気がつきました。壕は蒸し風呂のよう。汗で文字が滲んでしまったそうです。

昭和20年2月15日になると、秋草さんたちは傍受により、米国の艦船がマリアナ諸島付近に集結しているという情報を入手します。

「それまでは、艦船は他の方面に逸れるんじゃないか、沖縄に行けばいいな、と希望をもっていましたが、はっきりと(アメリカの標的は)硫黄島だと確信しました」

16日以降のことも、克明に秋草さんは記憶しています。アメリカ艦船の砲丸が秋草さんがいたすぐ近くに着弾しました。着弾すると、まず大きな爆発音がし、それから遅れて艦船からの砲丸発射音が聞こえたそうです。艦船の砲撃がやむと、今度は戦闘機が波状攻撃を仕掛けます。「島の空のどこを見ても赤とんぼの大群が飛んでいるようだった」

敵の上陸から10日。3月に入ると、ついにアメリカ兵が、秋草さんのいた玉名山の防空壕にまで押し寄せてきました。つづく。
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流体の新計測法。アイディア急募。


小川の流れ。見ていて飽きることがありません。さっきと、いまと、のちと。いずれの時点でも、水がまったく同じ流れの形を見せることがないからでしょうか。

水や空気の流れ方を調べる研究は、学問分野として確立されていて、「流体力学」といいます。私たちの生活とは無縁そうな学問ですが、じつはけっこう密接。

たとえば、私たちの身体の中を流れる血液も流体。血管の中で血が固まって滞ると、酸素が脳に行き渡らなくなります。これが脳血栓。

また、クルマのエンジンの吸排気も流体。吸気側から排気側にスムーズに効率よく空気を流すことにより、クルマの馬力を上げることができます。

こうして流体の動きを測ることで、血栓の起こらない人工血管を作ったり、効率よく吸排気できるエンジンを作ったりすることができるのです。

では、実際どのようにあてもなく漂う空気や液体を動きとして計測しているのでしょう。ここでは、水の流れを例にとりましょう。

小さなつぶつぶ(反射体といいます)を水に浮かべます。流体の計測では、水そのものの動きを測ることはできませんが、水に浮かべた粒子であれば、光の反射を捉えてその動きを測ることができます。水の流れと、水に浮かんだ粒子の流れは、ほぼ同じ動き。つまり、水の動きを測るには、粒子の動きを測ればいいわけです。

けれども、ミクロの世界では、液体にごく小さな粒子を浮かべると、粒子がぶるぶる震えて、水の動きとは異なる動きをします。粒子を構成する分子たちが、不規則にぶつかりあっているため。このような粒子の不規則運動を「ブラウン運動」といいます。

ブラウン運動が起きる世界では、粒子の動きを測ったからといって、かならずしも水の動きを測ったことにはなりません。流体の計測の精度は落ちてしまいます。

この分野では、粒子の動きを捉える以外の方法で、流体を測る方法が求められているそうです。流体計測技術の専門家から聞いた話、このブレークスルーは非常に難しく、新手法を開発した人は、ものすごい偉業を達成した人として尊敬されるとのこと。

分野を切り拓く新しいブレークスルーは、門外漢の素朴な思いつきから出てくることも多々。あなたも、ひとつ、アイディアを捻り出してみては。
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宇検村と余呉町の首長選


鹿児島県奄美大島の宇検村と、滋賀県最北の余呉町にとって、(2007年)1月は首長選挙の月です。

宇検村は人口2,200人あまり。海あり、山あり、滝ありの、自然豊かな土地。一方の、余呉町は、人口4,200人あまり。滋賀県といえば琵琶湖が有名ですが、余呉町には余呉湖があり、ワカサギ釣りが観光の目玉です。

関係なさそうな二つの町村ですが、両自治体には共通点があります。

それは、高レベル放射性廃棄物処分場の誘致に意欲を見せていたということ。

原子力発電所で使い終わった核の燃料は、茨城県東海村や青森県六ヶ所村の再処理工場でウランやプルトニウムといった物質が取り出され、さらに核燃料として使用されます。この再処理工場で再処理された後で、使い物にならなくなった核燃料などが、高レベル放射性廃棄物となります。いま高レベル放射性廃棄物は、六ヶ所村などに保管されていますが、あくまで一時保管。

そこで、経済産業省管轄の資源エネルギー庁は、廃棄物処理場建設の候補地として名乗りを上げてくれる自治体を募集している状況です。トップ画像は、高レベル放射性廃棄物処分場の選定を管理している原子力発電環境整備機構(経済産業大臣の認可法人)が配布している応募書。

さて、鹿児島県宇検村は、村長が昨2006年、処分場誘致の説明会を村民に対して開くなど、誘致推進の動きを見せていました。で、今月(2007年1月)14日に村長選挙が行われ、その村長は破れてしまいました。44票差で初当選を果たした新しい村長は、「放射性廃棄物持ち込み拒否条例」の制定を公約に掲げています。

一方の滋賀県余呉町は、町長が処分誘致の構えを見せています。けれどもこの町長はもうすぐ任期満了。21日の町長選に立候補した新人の二人は、いずれも「高レベル最終処分場は誘致しません」と明言しています。

ということで、今月の選挙では、処分場誘致に進展はない模様。

自治体は、高レベル放射性廃棄物処理場を受け入れると立候補をし、立地地点を決めるための文献調査をしただけでも交付金がもらえます。宇検村、余呉町の他に、これまで誘致の構えを見せた自治体は、鹿児島県笠沙町、高知県東洋町、津野町、長崎県新上五島町、対馬市、福島県東通村など。けれども上位自治体の県が誘致を反対するなど、正式な立候補には至りません。

2030年が、処分場の操業開始年と計画されていて、あせり気味の資源エネルギー庁。なんと最初に支払う交付金2億円を、2007年度より5倍の10億円に釣り上げるそうです。

もし仮に、原子力発電所を金輪際使わないように決めたとしても、高レベル放射性廃棄物は、現に存在します。最終処分場の確保は、ある意味、原子力発電に賛成・反対の議論よりも重大といえるかもしれません。

宇検村のホームページはこちら。
http://www.uken.net/
余呉町のホームページはこちら。
http://www.cny.ne.jp/yogo/
高レベル放射性廃棄物処分場の選定を管理している原子力発電環境整備機構(NUMO)のサイトはこちら。
http://www.numo.or.jp/
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大学施設の共有なるか?


文部科学省は、大学などがもっている先端研究施設を、他の所属の研究者たちが共有することを促進する「先端研究施設共用型イノベーション創出プログラム」を2007年度から実施する方針です。年度予算額は13億8000万円と報じられています。

例えばの話。人のパソコンを貸す・借りるといったときに、ちょっとした抵抗感やためらいをもつ人は多いかもしれません。ほとんど使い方が分からない人に、つきっきりで教えるのには、それなりの手間暇もかかるというもの…。

同じように、ある大学の施設・設備を他大学や企業の研究者が使うことについては、いろいろな壁が指摘されてきました。つまるところ、上に示したような、人のパソコンの貸し借りのような問題があるようです。

施設・設備を貸す側にとっては「どこの馬の骨だかわからないやつらに、うちの施設・設備を使わせたくないね」といった主張。「下手な使い方をされて壊されては困る」と、施設の不具合を心配する声のほかに、「ここは素人が来る場所じゃない」という排他的意識もなきにしもあらずのようです。

また、施設・設備を貸す側の人的負担も問題視されていました。その施設・設備をもっている大学の教授などが、管理・運営を任されたりするわけです。すると、どうしてもその教授にしわ寄せが行き「他の所属の人に貸すなんて面倒なことしたくないね」となるわけです。

そこで、文科省のプログラムでは、「施設共用技術指導研究員(仮称)」という専門担当員を配置することにしました。施設共用を技術的に支援する役割を担うそうです。文科省の発表資料からは、具体的にどのように人材を用意するのかまでは書かれていません。おそらく、公募をして、ポスドク(博士号を取得した若手研究者)などをあてることになるのでしょう。

現場の研究者たちの間には、「他人の施設を貸す・借りるのではなく、まったく新しい研究機関を建てたほうが、気兼ねなく使うことができる」といった、別の案も出されています。今回のプログラムではそこまではやらない模様。

ともあれ、問題視されてきた人的問題をこのプログラムで解決することができるかどうか。施設共用技術指導研究員たちの活躍により、閉塞的構造が打ち破られるかに注目です。
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動物の寿命
ウォークマンの広告で一世を風靡したサルのチョロ松(初代)が死にました。29歳だったそうです。

広告出演は1987年のこと。二昔前です。こんなにも長く生きていたのかと正直、驚きです。人間の年齢にすれば100歳とのこと。

動物の平均寿命を、各種サイトで調べてみました。

動物の寿命についての知見は、さまざまな種でさまざま存在するようで、けっこうバラツキがあります。さまざまな情報を統合すると…。



ツルは、「鶴は千年」と言われるように長寿の象徴ですが、実際の寿命は40年ぐらい。ツルよりも長生きをする鳥類もいるようで、たとえばコンドルの寿命は50年といいます。



人間よりも寿命が長い動物もいます。ゾウは約100年。カメは種類にもよりますが、長寿記録は一説によればゾウガメの約180年以上。それでもカメの寿命を平均すると30年から50年ぐらいでツルとどっこいどっこい。



本川達雄さんの著書『ゾウの時間ネズミの時間』によれば、昆虫から哺乳類まで、動物の平均寿命は心臓の拍数により、だいたい決まっているとのこと。

けれども、じつは動物の寿命は厳密に調査されたことは少なく、情報はあまり定かではありません。聞いた話、カメの長寿記録が諸説あるのも、人間よりもカメのほうが長生きするため、人から人への記録の伝達がいいかげんとなり、結局あいまいになってしまうからだとか…。
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書評『PCRの誕生』
以前「バイオの倍々法」という記事(2006年11月21日)にコメントをもらったsakさんがオススメしていた『PCRの誕生』を読んでみました。

『PCRの誕生 バイオテクノロジーのエスノグラフィー』ポール・ラビノウ著 渡辺政隆訳 みすず書房 1998年 286p


DNAの解析は、世の中を大きく変化させている。ヒトゲノムが解読されたり、犯罪捜査の鑑定精度が飛躍的に上がったりしたのは、ヒトのDNAを知り尽くすことができたから。

なぜ、DNAを知り尽くすことができるようになったのかというと、ワトソンとクリックの業績があったからという根本的解答は今回は脇においておいて、PCRという手法の確立があったから、と断言できる。

ポリメラーゼ連鎖反応と訳されるPCRは、調べたいDNAの断片の量を物理的に増やしてしまう画期的な“倍々法”である。たいてい、モノを調べたいとき、例えば顕微鏡の精度を上げて対象に迫るように、見るための手段をよくしようとするが、PCRに限っては逆。調べるものを大きくして調べやすくするのだ。ボトムアップのアプローチと言えるだろう。PCRによりDNAが見やすくなったことで、PCRなしでは、いまの遺伝子研究の発展ぶりはなかったという声は多い。

PCR誕生の舞台となったのが、1980年代の米国ベンチャー企業「シータス社」である。そのシータス社の顛末と、PCRの誕生を描写したのが『PCRの誕生』である。

本の半ばまでは、バイオベンチャーの勃興がまあ淡々と語られるが、ある男の登場を境に、ベンチャーのそして本の雰囲気ががらっと変わる。

PCR発見の張本人とされ、実際にその業績でノーベル賞も受賞しているキャリー・マリスの登場である。シータス社で、家で、日がな齧りついていたパソコンの指数関数増幅という計算に接していたマリスは、倍々法PCRの概念をある日、思い立つ。彼の頭の中でのブレークスルーの瞬間も描かれている。

「ここで私ははっとした。標的中のDNAと伸長したオリゴヌクレオチドは、じつは塩基配列が同じではないか。要するに、偽の反応は、サンプル中の標的DNAの数を二倍にしたのだ」

PCRの“概念”を発見したマリス。同じシータス社社員はその価値を認め、PCRの“実現法”を発見していこうとする。

本書は様々な論点を読者に投げかけてくれる。

“発見とは誰のものか”という問いが最も大きな論点かもしれない。マリスと他のシータス社社員の間では、主張がまるで異なるのだ。

「賞の選考委員会や科学ジャーナリストたちは、独創的な人間、一人の天才が独創的なアイディアを生んだという筋書きが好きですよね。ところが実際のところ、PCRはチームワークの産物という、よくある典型的な例の一つなんです。大勢の人間が貢献しました」(社員の一人、ヘンリー・アーリック)

「ちくしょう、アーリックとアーンハイムとサイキはいんちきをして逃げ延びようとしている」って言ってやりました」(キャリー・マリス)

また、“ベンチャー成長と衰退の鍵を握るのは何か”といった、いまの商業にもあい通じるテーマも含まれている。マックス・ヴェーバーの言葉「全身全霊を打ち込めない人は、学問を職業とはしないほうがよい」に示される通り、ベンチャーの研究者生活がいかに過酷であり、かつ魅力的なものであるかが示されている。

上の問いに対し、評者が受けた答えをいうならば、「人こそすべて」。成長していく会社の中で起きるさまざまな対立や、アウトローのマリスへの処遇など、経営者たちが直面した困難は、まさに“冒険”そのものである。

PCRを誕生させ、一世を風靡したシータス社は、1990年代初頭、バイオ企業のカイロン社に買収され、いまその跡形はない。

『PCRの誕生』はこちら。
http://www.amazon.co.jp/PCRの誕生?バイオテクノロジーのエスノグラフィー-ポール-ラビノウ/dp/4622039621/sr=1-1/qid=1168710808/ref=sr_1_1/503-7257412-2611120?ie=UTF8&s=books

余談です。この本には、シータス社社員がたくさん出てきます。強烈な印象のマリスはともかくとして、他の登場人物が誰が誰だかわからなくなる恐れがあります。そんなとき、助けになりそうなのが後付にある登場人物たちの顔写真(やっぱりマリスは強烈)。

登場人物の多い本に顔写真を載せるのは、たしかに親切かもしれません。ただ、もっと親切なのは、文章の描写によって、登場人物の表情や仕草を読者の頭の中に浮かび上がらせることだと思うのです。
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教科書でおなじみの…
高校の生物教科書には、生まれつき備わっている動物の行動と、経験によって得られる動物の行動についての記述があります。

生まれつき備わっている行動とは、「本能行動」と呼ばれ、ミツバチが密の近くいると「8」の字を描くように、その場をぐるぐる回る「8の字ダンス」が有名。

一方の、経験によって得られる動物の行動とは、生まれた後に身につける行動のこと。

経験によって得られる動物の行動してとりわけ、有名なものが「刷り込み」でしょう。水鳥の雛が、生まれてから最初に見たものを親だと決め込んで、“親”の背中に付いていくというアレです。ある、限られた期間にしか刷り込みは成立せず、かつ、いったん成立すると、学習のしなおしが利きません。

この行動原理、生物学者のコンラート・ローレンツが発見し、1935年に発表しました。彼の有名な著書『ソロモンの指環』の中にも、ローレンツが“親”としてハイイロガンを世話する羽目になった話が愉快に書かれています。

さて、生物学者の教授から聞いた話。動物の行動原理の中で「刷り込み」は、水鳥などのごく限られた種のみに固有のものであり、動物の特徴としては、代表的なものとは言えないのだそうです。

にもかかわらず、水鳥の「刷り込み」は、昔の教科書からずっと扱われてきた“古典的”な話。学習指導要領で、具体例の記述の数の制約があるために(これも、変な話ですが)、「刷り込み」を割愛した出版社もあるようですが、依然として載っている教科書もあるようです。生物学者の教授は「動物行動といえば刷り込み」という伝統的な図式に、やや、げんなり。

人間を“親”だと思い込んで付いていく雛たちの姿は、愛くるしいもの。だからでしょうか、学校教育的には定着して、いつの時代の教科書にもプリンティングされています。
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ブログ1周年。なぜ続ける。


「科学技術のアネクドート」は、おかげさまで今日で1周年を迎えました。

日々更新の当ブログ。書き始めた当初は、毎日更新するとは考えていなかったのですが、続けて1か月も経つと、なんだか途切れるのが惜しいやら怖いやらで、そのまま満1年とあいなりました。

当初は、過去に貯めておいたお蔵入りの原稿などネタの貯金もあったのですが、いまはその資源を使いきり、「うーん、うーん」と踏ん張って搾り出すことも…。ここまで行くと性癖の世界。いったんプツっと途切れてしまったら、まったく続かなくなるのではと、不安に駆られることが大きな力となります。

一年を通して、風邪を引かなかったことは特筆すべきかもしれません。毎日どこかで軽い緊張があったから、心が張り健康的に過ごすことができたのだろうと思います(ブログ健康法)。

最近の1日アクセス数は、1日500を超えることも多くなり、検索ワードも「アネクドート」がトップに。お名前は割愛させてもらいますが、コメントをくださる方、ネタを提供してくださる方、客観的に批評してくださる方、「また23時59分の更新だね」とツッコミを入れてくださる方、読んでくださる方には、ただ感謝です。自分の世界に閉じた“日記”では、たぶん続きませんでした。

1年間続いたからといって、浮かれていてはなりません。有名な田口元さんのブログ「百式」は、2000年1月から約7年、いまも休むことなしに毎日続いています。たぶん、世界には、さらに上には上がいるのでしょう。

力尽きるまで書きます。2年目の「科学技術のアネクドート」も、どうぞよろしくお願いします。
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トップダウン vs. ボトムアップ in ナノテク


「トップダウン」と「ボトムアップ」という言葉がありますね。辞書的な意味は「上位から下位へ命令が伝達される管理方式」と「下位から上位への発議で意思決定がなされる管理方式」。

2003年に国立国語研究所が、国民の外来語定着度を調べました。「トップダウン」の認知率は39.6%、理解率は24.2%、使用率は15.3%でした。いっぽうの「ボトムアップ」は、認知率25%、理解率14.4%、使用率7.6%。「トップダウン」のほうが、「ボトムアップ」よりも優勢です。「トップ」はよく知られた言葉だけれど、「ボトム」はあまり知られていない言葉、などの要因があるのでしょう。

ナノテクノロジーの世界では、二つの「トップダウンとボトムアップ」がしばしば登場します。

「科学を語る」と言うとき、科学そのものを話すことと、科学のまわりにある制度を話すことの二つに分けることができます。“そのもの”のほうは、たとえば、なぜ空は青いのか、とか、DNAの構造はどうなっているのか、など。いっぽう、“まわり”のほうは、たとえば、理科ばなれをどう食い止めるか、とか、今後の宇宙開発をどう進めて行くか、などです。

さて、この“そのもの”と“まわり”の世界において、それぞれ「トップダウンとボトムアップ」が出てくるわけです。

“そのもの”のほうは、大きな材料を切ったり削ったりして、“ナノメートル(ナノは10億分の1)”の段階まで小さくしていく方法が「トップダウン」。そして、モノが成り立つ最小単位(たとえば分子など)を、積み上げていって機能的な形にするという方法が「ボトムアップ」と言えるでしょう。「ボトムアップ」のほうが難しい概念でしょうか。たとえば、DNAがタンパク質を作り出す技術を人工的に利用しようといった技術は「ボトムアップ」のナノテクノロジーです。生命科学に関係した分野でけっこう耳にする方法です。

どっちの研究のほうが優勢でしょう。「トップダウン」のほうが完成度は高く充実しているといえそうです。もともとナノテクノロジーはモノを小さくしていったらナノの世界にたどり着いたという経緯があるためでしょう。「ボトムアップ」のほうは、未知の点が多く、でもそれだけに「何が起きるかわからない」という夢や期待は大きいようです。

さて、“まわり”のほうは、政府主導で研究体制を進め、予算を大学などに割り振る形が「トップダウン」。大学や企業の研究者が目標を自分たちで決めて、「ナノテクの分野はこう進めていきますよ」と政府に提案して予算を獲得する形が「ボトムアップ」と言えます。この「トップダウンとボトムアップ」は、辞書的意味に近いですね。

どっちの形のほうが優勢でしょう。これまた「トップダウン」のほうが主導権があるようです。第三期科学技術基本計画という政府の計画ではバッチリと「ナノテクノロジー・材料」が重点分野となっていて、2007年度は約333億円の税金が使われる方針です。いっぽう、「ボトムアップ」はというと、研究者たちは自分の研究に関心が向きがちのようで、集団で手を組んで一枚岩で政府に提案をしようといった段階はこれからのよう。

国語の認知度もナノテクノロジー“そのもの”の技術も、“まわり”の制度も、「トップダウン」がいまのところ優勢のようです。
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一晩寝かせる。


こう書くと、きゅうりや白菜が浮かんでくるかもしれません。「一晩寝かせる」は、書いた文にも当てはまります。

原稿をつくったあと、すぐに人には見せずに、一日おいてから自分で読みなおしてみます。すると不思議。なおすべき部分が次々と見つかります。

少ない経験から言うと、一晩寝かせることの効果には、どうやら次のふたつがある気がします。

一つは、間違いに気づくということ。誤字脱字はしかり。内容についても、「夕べはこんなこと書いてたけれど、いいのかな」と思いなおして調べると、案の定。ということがあります。

もう一つは、余計さに気がつくということ。きのう、宇宙や地球に関係する今年の科学イベントの記事づくりの中で、私は「上を向いて、下を向いて、前を向いて、2007年を眺めよう」と書きました。一晩寝かせて読みなおすと、どうも長いのです。そこで「前を向いて」を削りました。説明不足に気がつくよりも、浮かれて余計なことを書いていることに気づくほうがはるかに多いです。

どちらも、昨日よりも今日のほうが、書いた文に対して“他人”に近づいたからこその効果なんでしょう。人が書いた文章は、昨日読んでも、今日読んでも、あまり「違って見える」ことはありません。

「一晩寝かす」は、メールを書くときにも言えそうです。書きおえた3秒後に、「アムロ行きます!」と、いきおいで送信ボタンを押してしまうこともしばしば。かの村上春樹は、メールは「必ず一晩は寝かせます」と言っています。「一晩寝かせると、絶対に良いことはあります。言葉ってとんでもなくこわいですから」

文章に限っては、「鉄は熱いうちに打て」は、当てはまりそうもありません。熱くなったり冷たくなったりするのは、鉄ではなく自分のほうだからです。ただし、文章を見てくれるお方(例えば編集者さん)もいっしょに盛り上がってくれているときは、熱いうちに原稿を書き直して、ささっと提出するほうがOKは出やすいかもしれません。いいんだか悪いんだか…。
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ワイン、ではなくシャペロン。


語尾に“ロン”が付く言葉には、愛着が沸いてきませんか。

ソニーはマカロン、明治製菓はポポロン、ロッテはホカロン、円谷プロはギエロン…。

私たちのカラダの中にあるタンパク質の名前にも、ロンで終わるちょっとかわいらしい種類があります。その名は、

シャペロン。

洋酒とかの名前として「サントリーはシャペロン」と加えても良さげなこのネーミング。じつはシャペロンは「(若い未婚女性の)付き添い婦人」のことを指しているのだそう。ご婦人が若い未婚女性の何に付き添うのかというと、社交界デビューだそうです。

タンパク質のシャペロンも、主役のヒロインを手助けする、ご婦人役として活躍します。まだ未熟な他のタンパク質に、シャペロンタンは、そっと寄り添って、そのタンパク質が正しく折り畳まれる介添えをします。シャペロンのおかげで正しく折り畳まれたタンパク質は、これで一人前に機能をしはじめるのです。まさしくシャペロンは、生体界デビューを果たそうとするタンパク質たちの、付き添い婦人ですね。

最近では、このシャペロンにナノの大きさ(ナノは10億分の1)の粒子を持たせ、その後、ATP(アデノ三リン酸)という物質で刺激を与えてやり、シャペロンから再びナノ粒子を手放させるといった離れ業が研究されているそうです。

シャペロンにナノ粒子の薬をもたせて、他のタンパク質に寄り添わさて「ねえ、ちょっと、あなた。この薬、使ってみなさいよ」と説得させるといった使い方もできるようになるかもしれません。シャペロンってすごい、という結論です。

参考サイト
http://www.res.titech.ac.jp/~seibutu/main.html?right/~seibutu/projects/cpn01.html
http://www.nanonet.go.jp/japanese/mailmag/2004/054.html
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ドメインをもつ絶海の無人島(2)
ドメインをもつ絶海の無人島(1)



北欧の王国ノルウェイの本土から遠く遠く離れた南太平洋に浮かぶノルウェイ領の無人島「ブーヴェ島」。なぜ、こんな島にもインターネットのトップ・レベル・ドメインが割り当てられているのでしょう。

インターネットが世界で使われはじめて間もない1970年ごろ、インターネット管理者たちは、領土問題で紛争中の国のトップ・レベル・ドメインをどう決めるかで、悩んでいたそうです。

そんな彼らが頼りにしたのが、国際標準化機構ISOの「3166リスト」。国や地域が2文字で識別されているコード表でした。このコード表にブーヴェ島の"bv”が記されているのです。ペンギンしか暮らしていないブーヴェ島にも地域識別コードが与えられているのは、いちおうノルウェイ極地研究所の無人気象観測所が置かれているから。無人であっても人間的活動が営まれているからには、島にもコードを割り振ったということでしょう…。

インターネット管理者たちは、「3166リスト」に忠実でした。ノルウェイ領ブーヴェ島には“bv”のトップ・レベル・ドメインを割り当てたのです。

けれども、無人島のため、この“bv”のドメインでホームページを立ち上げる島の人はいません。ペンギンもコンピュータを使いません。インターネットが開始された黎明期から現在にいたるまで、この“bv”というドメインは存在はしながらも使われていない、幻のドメインとなっているのです。

では、“bv”がすっかり忘れ去られたドメインか、といったらそうでもなさそうです。

以前、南太平洋の島国ツバルのドメインが“tv”であることに米国の「ドットTV」という米国のベンチャー企業が目をつけ、そのドメインを買収してしまった例がありました。このベンチャーは取得した“tv”を世界のテレビ会社に売り、大儲けをしたそうです。同じように、ブーヴェ島の“bv”というドメインについても、オランダの企業が狙っているそうです。なぜなら「有限会社」を意味するオランダ語“Besloten Vennootschap”の頭文字が“bv”だから。

ノルウェイのアドレス管理団体は、この“bv”をツバルのように売りに出すつもりはあまりない模様。島に存在している団体に対して、ドメインの使用許可を下す可能性があるから、だそうです。

いつの日か、このブーヴェ島に人が暮らし、この島が発見されて以来初めての「ブーヴェ島日記」などといったブログやホームページが立ち上がり、“bv”が日の目を見る時はやってくるでしょうか…。

ちなみに、ブーヴェ島の気象状況を刻一刻と伝えるホームページならあります。米国ミシガン大学のペーリー・サムソン教授が開発した“The Weather Underground”で、現在(2007年1月)のブーヴェ島の最高気温は0℃前後の模様。南半球はいま夏であることを考えると、やっぱりブーヴェ島には、人間よりもペンギンが住民として似合いそうです。

“The Weather Underground”提供、ノルウェイ領ブーヴェ島の気象情報はこちら。
http://www.wunderground.com/global/stations/68992.html

参考サイト
http://hotwired.goo.ne.jp/news/culture/story/20011115205.html
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ドメインをもつ絶海の無人島(1)


ホームページ・アドレスの最後には、国名や地域名を表す“2文字”が付いていることが多いですね。たとえば、当ブログでは“www.sci-tech.jugem.jp”のように“jp”が付いています。これはもちろん、“japan”(日本)であることを意味しています。ホームページ・アドレスのいちばん右側にくるドメインは、「トップ・レベル・ドメイン」(最上位のドメイン)と呼ばれています。

“fr”はフランス、“it”はイタリアと、だいたいの場合、見当がつきます。では“bv”はいかがでしょう。

“bv”が付く国を探し当てようとしても、最後にはみな、根を上げてしまうはず。というのも、“bv”は、国ではなく「ブーヴェ島」という島に割り当てられたドメインだから。今日から1泊2日、その「ブーヴェ島」を探検しましょう!

ブーヴェ島は、南アフリカ共和国の喜望峰から南西に約3000キロ、また、「世界一周双六ゲーム」のガックリ都市、アルゼンチンのホーン岬から東に5000キロの北大西洋インド洋海嶺に浮かぶ、まさに最果ての孤島です。南極の昭和基地からも3500キロと近く、島を氷河が覆い尽くしています。島の周囲はわずか29キロ。グーグル・アースで見るとこんな感じ。ごめんなさい、小さすぎて見えません。



驚くべきことに、南半球のブーヴェ島は、北欧の国ノルウェイの領土。1927年にノルウェイの捕鯨船員が、誰もいないブーヴェ島に、1か月間に渡り生活したことが「実績」となり、ノルウェイの領有権が国際的に認められました。ちなみに、島の名前の由来は、フランス人のジャン=バティスト・シャルル・ブーヴェ・ド・ロジェが発見したから。1739年のこと。

ノルウェイ国の国営サイトでも「南極大陸の北に位置するブーヴェ島もノルウェイの領土とみなされている」と、やや自信なさげ。ノルウェー極地研究所の無人気象観測所を置かれてあるのみで、いま島の占領者はペンギンだけだそうです。

さて、こんな孤島に、なぜ、インターネットのドメインが割り当てられているのでしょう。(ツアー2日目へつづく)

参考サイト
http://www.geocities.co.jp/SilkRoad-Lake/2917/zatsu/iroiro.html
http://www.norway.or.jp/policy/environment/polar/polar.htm
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銀閣寺に銀が使わていなことを証明する法


銀閣寺の壁面には、銀箔が使われていなかったことがこのたび判明したそうです。

金閣寺の絢爛ぶりに比べ、銀閣寺はわびさびの世界。多くの人が「銀箔ははがれてしまったものの、これはこれで渋さがあってオツなもんだ」と思っていたことでしょう。

銀閣寺に銀が含まれているのかを、お寺自身が調査したとのこと。大正時代に修復されるより以前の壁面を科学的に調査したそうですが、そのときに使われた方法がICP-MSという方法です。いったい、どんな方法なのでしょう。勉強がてら、調べてみました。

まず、試料(調べたい材料)を含んだ溶液を用意します。

そこにプラズマ物質を放電させます。プラズマは、電気的にプラスでもマイナスでもない、中性となっている物質の状態のこと。プラズマ物質を放電すると、放電を受けた試料が電気を帯びます。これで、試料の物質はイオンになったのです。

イオンになった物質は、いろいろなものが混ざりあっているのでしょう。分析器に掛けることによって、重さ別に分けることができます。

分けられたイオンの重い軽いによって、どんな物質がどのくらい混ざっていたのかがわかります。現在の技術では、約120ある元素のうち、73の元素を見極めることができるそうです。もちろん銀(Ag)もこの73の元素の中に含まれています。

こうして銀閣寺の壁面をICP-MSで調べてみて、晴れて(?)銀が使われていなかったことが証明されました。

さて、この結果について銀閣寺はどのように受けとめているのでしょう。

お寺のコメント「銀箔がなくても銀閣の価値は変わらない」

非常に深みのある言葉ですね。見る人の目や心が試されるかのようです。まさに、わびさびの世界。初詣で、銀閣寺のすばらしさを再確認してみるのもいいかもしれません。

参考URL
http://www.kyoto-np.co.jp/article.php?mid=P2007010500076&genre=J1&area=K10
http://www.geol.sci.hiroshima-u.ac.jp/~environ/ICPMS/MS.htm
| - | 21:41 | comments(0) | trackbacks(1)
ナノテクも“見た目”
『人は見た目が9割』という本が、2006年の新書ベストセラー上位に入りました。

オビには「理屈はルックスに勝てない。」という謳い文句があります。この言葉どおりだなと思うエピソードを、ナノテクノロジーの研究者が話していました。



夢の材料といわれるカーボンナノチューブ(上の画像)は、その名のとおりチューブ状で、管の直径は1ナノメートルから10ナノメートルほど。また、同じくナノ材料でサッカーボールのような構造をしたフラーレン(下の画像)も、直径が約1ナノメートル。



1ナノメートルは10億分の1メートル。ナノ材料の一粒は、砂粒や小麦粉とは比べ物にならないくらいの小ささです。

その小ささゆえに、ナノ材料は様々な効果を発揮します。例えばフラーレンは、エイズウイルスを増殖させるプロテアーゼという酵素に空いた穴と同じサイズをしています。ここにフラーレンを入れて、エイズウイルスの増殖を抑えるという治療法が開発されています。

いろいろな企業の社員が、カーボンナノチューブやフラーレンに興味をもち、製造している研究所やプラントを訪れます。すると、社員達は口々に言うそうです。

「カーボンナノチューブ、僕にも見せてください!」「触らせてください!」「臭いを嗅がせてください!」

粉状のカーボンナノチューブをひとしきり眺め、感触を楽しみ、鼻をクンクンさせて、満足して企業の社員は帰っていくそうです。

目に見えぬほどの小ささが特徴のナノ材料。であっても、やはり人は実際、目で、手で、鼻で、実物に接しようとしてしまうもの。ナノの驚異を理解していないから? いえ、それがきっと、人間の本性なのでしょう。理屈よりも見た目で「ナノテクってすごい」と理解する。きっと私も臭いを嗅いでしまうでしょう。
| - | 23:59 | comments(0) | trackbacks(2)
サバンナの優位性


私たちの心は、私たちの祖先がアフリカのサバンナでの集団生活により育まれた部分が大きい…。そんな説を聞ききます。「サバンナの優位性」とか「サバンナ仮説」とか言われています。

たとえば、こんな実験があるそうです。

人々に、サバンナ、砂漠、落葉樹林、針葉樹林、ジャングルの画像を見せ、「住んだり訪れたりしたい場所は?」と問うと、世界共通で「サバンナ」を指さす人がもっとも多いのだそうです(もっとも指をさす人が少ないのは「砂漠」)。

そういえば昔、関口宏が司会をしていた「わくわく動物ランド」のエンディングに出てくるサバンナの映像に、子供心が洗われた記憶がなきにしもありません。

「サバンナの優位性」を全面的に信じるとすれば、なぜ、人々はサバンナにあこがれるのでしょう。その答えは、われわれの祖先の活動の歩みと大いに関係しているからとか。

動物はいろいろな場所に進出して生活の場を確保する性質を持っているそうです。こうして、森での生活をしていた人類は、サバンナへと進出していきました。

その後、人類史の99%が、サバンナを舞台にした狩猟採集生活で占められるようになったとのこと。

では、なぜ人類がサバンナでの生活にほぼすべての時間を費やしてきたかというと、ずばり、快適だったから…。

つまり、ご先祖様がサバンナで過ごしていたころの“古き良き思い”がいまも私たちのDNAに脈々と受け継がれているということなのでしょう。

もっとも、最近では人類はけっこう多くの時間を森で過ごしてきた証拠なども見つかっているそうで、「サバンナの優位性」の根拠は少し揺らいでいるとか。

「サバンナの優位性」により、人々がなぜ阪神タイガースの人気がいつの時代も高いのか、また、街中を歩く人々がなぜ“豹がら”を身にまとおうとしているのかといった謎にも一歩近づいたかもしれません。
| - | 23:53 | comments(0) | trackbacks(5)
2007年の計画は…

今年も今日で2日目。もう1年の計は、もう立てましたか?

当ブログでは、今年も“企画もの”をちょいちょいと考えています。というわけで、今日はちょっとだけその予告編を。タイトルも時期も、何もかもがまだ、“仮”の状況ですが…。

sci-tech世界地図

科学を語る上では、「科学史」という、時間を軸にした確固たる方法が存在します。一方で、地理的な広がりを軸にした「科学地理」とか「科学地図」といった方法は、あまり見られません。

地図を片手に「“ニュートンのリンゴ”が落ちたのはここか」とか「世界で初めて写真が撮られたのはこの場所」とかを知るという行為は、新たな発見も伴い、意外と楽しいもの。最近ではGoogle Earthといった、使って楽しいインターネットツールもありますし。

そこで、「地図的に眺める科学技術」がコンセプトの企画を企画中。アジア、アメリカ、ヨーロッパ、アフリカと、世界を駆け回る予定ですのでどうぞお楽しみに!

法廷の科学は真実を語るか

日本で、2009年5月までに、裁判員制度が始まります。国民の中から無作為で選ばれた“裁判員”が法廷で裁判官とともに裁判をするこの制度。あなたも一生に一度は裁判員を経験することになるかもしれません(その確率、10分の1とか)。

裁判員制度と似た陪審員制度がある米国では、O・J・シンプソン事件のように、DNA鑑定の方法をめぐって激しい法廷論争が繰り広げられたケースもありました。そこで、日本で裁判制度が大きく変わろうとしている中、裁判員制度と科学リテラシーとの関係を探ってみる、(たぶん)硬派な企画です。

マニアック東京案内

科学技術とはあまり関係ありません。重箱の隅をつつくような東京の謎を、フィールドワークなどで解き明かし、知られざる東京を案内してまいります。品川区の泉岳寺トンネルと、足立区の舎人公園の不思議な境界線に次ぐ地域を、目下探索中です。

カレーまみれのアネクドート

科学技術とはまったく関係ありません。とある理由から、カレーの食べ続けにチャレンジすることになった私めが、これまで味わってきたカレー(食べ物屋のカレーや、カレー製品、カレー本などなど)の数々を評して参ります。

“翻訳もの”とかにも…

ちょっと(だいぶ)マニアックな論文やエッセイものの翻訳にも挑戦してみたいかなと…。

どれもこれも、興味はありますが、とりわけその分野には精通しているわけではありませんので、ちょっとチャレンジング。どうぞお付き合いくださいませ。
| - | 23:16 | comments(0) | trackbacks(0)
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