科学技術のアネクドート

書評『やれば、できる。』
ノーベル物理学賞受賞者・小柴昌俊さんの自伝的エッセイです。研究への厚い志を伝えるその語り口はとてもおおらか。小柴さんの“あの雰囲気”がよく伝わってくる本です。

『やれば、できる。』小柴昌俊著 新潮社 2004年 208p


子ども時代に面倒を見てもらった恩師や、開発したニュートリノ観測装置カミオカンデ・後継のスーパーカミオカンデを舞台に活躍する愛弟子など、著者が出会ってきた人々との思い出を中心に書かれている。

中でも著者の人柄がよくわかるエピソードが、カミオカンデの建設をめぐる、メーカー社長との「交渉」だ。

宇宙から降り注ぐ微粒子であるニュートリノを捕まえるため、光電子倍増管というセンサーの役割を果たす装置が必要になった。ところが、この装置が威力を発揮するには、12.5センチの直径を50センチにしなければならない。いわば電球の化け物のようなものをこしらえることが必要になったのだ。

著者は、発注メーカー浜松ホトニクスの晝馬輝夫社長に試作を依頼するが、社長は「技術的に大変」と首を縦に振らない。3時間の粘り腰の末に、著者は一言。「誕生日はオレのほうが一日早いじゃないか。この国では年長者の言うことは素直に聞くもんだよ」

この一言で社長も決心し、試作品を作ることになったという。

話はそれだけで終わらない。この光電子倍増管が1個30万円もするとわかった著者は、再び晝馬社長とやりあう。今度は値切り交渉だ。「うちの優秀な部下二人を助っ人に送り込んだのだから、開発費は相殺して欲しい」と、掛け合い、1個30万円を12万円にまで下げてしまった。結局、浜松ホトニクスは3億円の赤字を出したという。

なぜ、そこまで値切るのか?

「全てはぼくの貧乏性だから」とは書いているが、もちろんそれだけではない。「国民の税金を使うということが、どうにもぼくの気持ちを重くしていたんです」と著者は述懐する。好奇心を叶えるための純粋な科学を支えているものが税金であるということを強く意識して、装置の発注も値切りに値切ったのである。

科学の知識を純粋に追う研究者のマインドがこの本にはある。

『やれば、できる。』はこちら。
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4101070210/sr=1-4/qid=1159601298/ref=sr_1_4/503-7257412-2611120?ie=UTF8&s=books

先日、雑誌の取材で、小柴さんとお話をする機会がありました。小柴さんは(2006年)9月19日で御年80歳になったばかり。取材の最後に元気の秘訣を聞くと、ピシャッと一喝。
「本当に『これをやりたいんだ』と思えることには、疲れも感じないんだよ!」
ノーベル賞の成果を出してもなお、基礎科学の振興に東奔西走する小柴さん。夢を叶え続ける人です。
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産総研・生命情報科学技術者養成コースの柔軟さ


昨日は、産業技術総合研究所(産総研)の生命情報科学研究センター研究報告シンポジウムの模様をお伝えしました。今日の午後は同会場で、「生命情報科学技術者養成コース シンポジウム」が開かれました。私は、昨日に引き続き、会場ヘルパーで参加。

生命情報科学技術者養成コースとは、産総研が実施している企業の技術者・研究者向けの、生命情報科学(バイオインフォマティクス)の技術者養成プログラムのこと。文部科学省の科学技術関係の補助金である科学技術振興調整費により開講しています。

今日は、このプログラムの、開講から1年経っての報告会でした。

プログラムの専任講師をしている産総研生命情報科学研究センター配列解析チーム岡田吉史特別研究員によると、昨年の開講から今年にかけて、プログラムの内容やカリキュラム編成には、かなりの変更点があった模様。

例えば、昨年の講義では、生命情報科学研究者の証となる「バイオインフォマティクス技術者認定制度」の過去問解説が中心だったそうです。でも、今年からは、より体系的に生命情報科学を学ぶための授業を増やしたとのこと。

また例えば、生命科学を得意とする受講者と、情報学科学を得意とする受講者とで、基礎知識を学ぶコースを選べるように変更したそうです。

これらの柔軟なプログラム変更は、受講生の声を活かしてのこと。今日も、昨年と今年の受講者が演壇に立ち、「受講生どうしが親密になれるよう、座席の距離を近づけて欲しかった」「Eラーニングの内容を充実させてほしい」「今後も同じプログラムを長年続けていってほしい」などと、受講して感じたことを思い思いに話していました。全体的にはプログラムに対しては満足の模様。

岡田研究員は、「受講者の意見を順次取り入れて改善していきたい」と、今後もプログラム内容を柔軟に変えていく構え。また、研究の進み具合などが速い分野のため「トレンドに合わせて講義内容を、アップ・トゥ・デートなものにしていきたい」とのことでした。

産総研の「生命情報科学技術者養成コース」は、2009年まで毎年開催される予定。案内のページはこちらです。
http://training.cbrc.jp/
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バイオインフォマティクスの最前線


東京・青海の産業技術総合研究所(産総研)臨海副都心センターで、「生命情報科学研究センター研究報告シンポジウム」が開かれています。写真はポスターセッションの模様。

シンポジウムの副題は「バイオインフォマティクスの研究成果を一挙に紹介」。バイオインフォマティクスとは、ゲノムやタンパク質などに見られる生命現象を、“情報論的な立場"から捉える科学のこと。「生命情報科学」とも訳されます。

“情報論的な立場”というのがミソで、バイオインフォマティクスでは、コンピュータシミュレーションなどの計算により、生命現象のしくみをひも解いていきます。

バイオテクノロジーではよく、実際の細胞に触れて実験をする“ウェット系”と、コンピュータを使って細胞のしくみを解析をする“ドライ系”の二種類で分類されます。産総研の同センターの研究は、情報解析などの“ドライ系”が中心。今日のシンポジウムでも、「配列解析チーム」や「数理モデルチーム」などに所属する研究者が発表をしました。

印象に残った発表を一つ。分子設計チームの亀田倫史特別研究員の「Generalized Bornエネルギーを用いたアミロイド形成のシミュレーション」という発表です。

アミロイドとはタンパク質の一種で、狂牛病やアルツハイマー、ハンチントン舞踏病などの神経疾患の原因とされています。このアミロイドが作られるしくみを解明すれば、いま「治療法なし」とされている神経疾患の治療に近づくと期待されています。

ところが、アミロイドは結晶になりにくいタンパク質。しくみの解明が困難なのです。そこで亀田博士は、アミロイドの形成を加速するための方法を紹介します。

それはGeneralized Born Energy法というもの。アミロイドに含まれる水の存在が、解析計算の時間を長くしてしまう元凶。そこで、水の代役を果たすGeneralized Born Energyというエネルギーを使い、計算時間を短くします。同時に、アミロイドの粘り気が減るため、アミロイドの形成はスピードアップ。

亀田博士は、この方法を用いて撮影した、アミロイドがαという構造からβという構造に転換していく過程を動画で紹介。この「α→β」の転換こそが、BSEの原因であるプリオンを作るのです。

「製薬会社は、患者数の少ない神経疾患に対する薬を創っても儲からない。こうしたところにも産総研の出番がある」。亀田博士は地道な研究の意義にも触れました。

バイオインフォマティクスのイメージを掴めると同時に、公的機関の役割も再発見することができる発表でした。

生命科学研究センター研究報告シンポジウムは、明日29日(金)も臨海副都心センターで10:30から開催。また午後は同じ会場で、「生命情報科学技術者養成コース シンポジウム」が開かれます。

産総研生命情報科学研究センターのイベント情報はこちら。
http://www.cbrc.jp/cbrc/events/index.ja.html#cbrc_sympo06
| - | 22:55 | comments(0) | trackbacks(0)
何のために標準化?


標準化が何をもたらすのか、ちょっと考えてみたいと。

まず、国や地域によって使われる言語がちがうという状況は、あえていえば言語の「標準化」がされてない状況といえます。

米国で日本語は滅多に通用しないし、韓国でフランス語はほぼ使えないでしょう。単純に世界150か国がひとつの言語を使っているとして、150か国と150言語とを掛け合わせてみると全部で22,350。つまり「米国×日本語」や「韓国×フランス語」といったシチュエーションが2万以上も存在することになります。これはやはり不便な状況。

そこで、1880年代、ユダヤ人の言語学者ザメンホフが、言語を標準化しようと、エスペラント語を考案しました。けれども、必要性を感じる人は多くなく、ザメンホフの試みは成功しませんでした。

いまでは、実質的に英語が世界の標準言語として標準化しています。これにより。人が外国ヘ行くときも、現地の言語がわからなくても英語を介して情報を入手・伝達することができるようになっています。歴史的に英語がその役割を果たしているわけですが、こうしたある意味標準化された言語の存在は、標準化されていない状況に比べるとやはり便利な道具であると考えてしまいます。

次世代DVDの規格でも、標準化が問題になっていますね。DVDの後継となる光学ディスクが、東芝やNECなどの開発する「HDDVD」になるか、ソニーや松下の開発する「Bru-ray Disc」になるか。標準化がなされていないため、消費者の買い控えを招いているといえます。

標準化が必要なのは、標準化をすることで利便性が上がるから。標準化は、人と人とのコミュニケーションを円滑にしたり、経済状況を改善したりするものです。
| - | 23:59 | comments(0) | trackbacks(0)
地球温暖化を示すデータ発表


米国NASAのゴダード宇宙科学研究所ジェームズ・ハンセン博士などが、(2006年9月)25日、地球温暖化を示す分析データを発表したそうです。発表の要約が、米国国立科学アカデミー会報(PNAS)のサイトに載っていました。訳してみると…。
2006年7月31日 ジェームズ・ハンセン寄稿

地球の表面温度は、過去30年間で10年に0.2℃の割合で上昇している。これは、1980年代に、短期間の温室効果ガスの変動を示した、主要な地球気候モデルシミュレーションで予測された温暖化の率と似た数値である。

過去1世紀、温暖化は太平洋赤道付近の東側よりも西側で広がっており、東西間の温度変化の差が増したことが、1983年や1988に見られたような強いエルニーニョ現象を起こしやすくしていると考えられる。

古気候学的なデータに見られる西太平洋の海面温度の計測と比較すると、この危険な海域、そしておそらくはこの惑星全体が、いま、完新世(1万年前から現在)のもっとも暖かかったときと同じ暖かさにあり、過去100年間の最大温度の1℃前後の範囲内にあると考えられる。

2000年よりも1℃以上、地球が暖かくなると、海面の上昇や種の絶滅への影響に見られるような、“危機的な”気候変動をもたらすという結論に達する。
地球が暖かくなっているということは、至るところで話題に上っています。そうした話が頻繁にされていると、温暖化が起きていることは常識のように思ってしまいがちです。けれども、こうしたデータが発表されることが、温暖化の裏付けになっているのですね。

米国国立科学アカデミー会報(PNAS)のサイトにある、要約“Global temperature change”はこちら。
http://www.pnas.org/cgi/content/abstract/0606291103v1
| - | 22:38 | comments(0) | trackbacks(11)
三種の科学


つまりは「人文科学」「社会科学」「自然科学」の三種のことです。

「人文科学」という言葉を辞書で拾ってみると、「広く人類の創造した文化を対象として研究する学問。哲学・文学・史学・語学などが入る」とあります。

自分科学分野の特徴は、学問の内容がなかなか古びないこと。例えば、“哲学者”といえばいまでもデカルトやヘーゲルの名があがります。

「社会科学」の辞書的意味はというと、「社会現象を実証的方法によって分析し、その客観的法則を明らかにしようとする学問の総称。研究対象により、経済学・政治学・法律学・社会学・歴史学などに分かれる」とあります。

社会科学の特徴の一つは、文献が書籍の形で発表される機会が比較的多いこと。例えば、一昨日の記事でもご登場いただいた、フランスの文化人類学者レヴィ=ストロースの、南米でのフィールドワークの成果も『悲しき南回帰線』(『悲しき熱帯』)という図書で発表されています。

さて、「科学」と聞いて、もっともイメージされやすいのが「自然科学」かもしれません。辞書での説明は「自然現象を対象として取り扱い、そのうちに見出される普遍的な法則を探究する学問。便宜的に、物理学・化学・生物学・地学など」とあります。

文系の人文科学や社会科学に比べると、ある事象を“発見する”ことに対して重きが置かれます。なぜなら、その発見は、普遍的な法則性を伴うものだから。誰が、最初にその発見をしたか。その先取争いは、答が一つに限らない文系学問にはあまり見られない、自然科学特有のものといえるでしょう。

また、自然科学の専門家は、一般的に英語が得意。というか、論文や発表に英語は必須。英語を駆使できないと職が成り立ちにくいようです。また、意外と自然科学の研究者はコミュニカティブ。研究をするうえでの初期段階の情報は、学会などでの対人コミュニケーションで得る場合が多いといいます。

「基礎科学」というとき、この三種の科学を示すこともしばしば。また、「科学ジャーナリスト」という肩書きをもつ人の中でも、自然科学だけでなく、人文科学、社会科学を対象に扱う人もいたりします。「科学」とは、元をたどれば、何かを“分類する”ことを意味するそう。「科学」に三種類があるのも、ごもっともな話かもしれません。
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秋刀魚のクッキングシート焼き


秋刀魚がかなり好きな口なので、秋はけっこう満たされます。

けれども、厄介なのが部屋の中で網焼きをすると、ものすごい煙が出てくること。服にもこびりつくようで、先日、部屋で秋刀魚を焼いて食べたあと、河原を走りに行ったら、猫に、ものすごいスピードで追っかけられました。orz

「“秋刀魚の煙問題”が解決すれば、3日に1日ペースでも食べたいのにな」と思っていたら、タイトルにあるような方法が!

主婦層の方々には「いまさらなに書いてんのよ!」と言われそうですが、あまりにも素晴らしい方法だったので、この場をかりて紹介させてもらいます。

秋刀魚をフライパンで焼くのですが、そのときに、クッキングシートを敷いて焼く。また、フライパンの蓋があれば蓋もする。これだけ!

しかも、メリットがたくさんあります。

その1。網焼きの場合に比べて、煙はうんと少なく済みます。蓋があれば万全。

その2。焦げ付くフライパンでも、クッキングシートを敷いておけば、サラダ油をたらす必要がありません。しばらく焼いていると、秋刀魚自身が持っている脂分がじゅわじゅわと溢れ、まるでフライにしたかのようにカリカリになります。秋刀魚には脂がこんなに蓄えられていたのかと驚くことでしょう。

その3。味はというと、皮はこんがり。中身はふっくら。網焼きよりも香ばしくて美味しい!

その4。後片付けも、クッキングシートをつまむだけ。網にこびりついた皮をこする必要もないわけです。

ということで、秋刀魚のクッキングシート焼きはいいことづくめ。まだの方、簡単なのでぜひお試しください。

本屋さんがPOPを立てるように、「煙の出ないさんまの焼き方!」なんてキャッチコピーのPOPをスーパーマーケットでも立てたら、客はもっと寄ってくるんじゃないかと思ったりして。
| - | 21:21 | comments(0) | trackbacks(10)
「タイトル」と「著者」、重要なのはどっち?


本の世界、「タイトル」と「著者」では、どちらがより重要なのでしょうか?

“誰にとって”重要かにもよると思うので、ここでは、“読みたいと思った本を探す人にとって”ということで考えてみます。

タイトルと著者を比べた場合、タイトルのほうが著者よりも本の固有性(他のどれどもない、その本であること)を示す度合いが高いと言えそうです。

本によっては、複数の著者が存在することがあります。著者を頼りに、読みたいと思った本を探す場合、コンピュータ検索などでは、著者の数が多いと「○○ほか著」といったように略されてしまう場合があります。

また、例えばStevensonさんが書いた翻訳書を探そうとするとき、「スティーブンソン」「スチーブンソン」「スティーヴンソン」「スチーヴンソン」「スティーヴンスン」「スチーヴンスン」などなど、読み方はいろいろ。著者名を頼りにして探すと一発でたどり着けない場合があります。

一方のタイトルはというと、同一の名前が付いている本はそれほどないため、迷う要素はそう多くはありません。これは、タイトルをつける著者や編集者が、すでにあるタイトルの本と重ならないようにするためもあるでしょう。

また、中にはレヴィ=ストロースの著書“Tristes Tropiques”の翻訳書に『悲しき熱帯』(中央公論新社刊)と『悲しき南回帰線』(講談社刊)があるように、同じ内容で複数のタイトルという場合もあります。でも、こうした例はごくまれ。

けれども、タイトルよりも著者のほうがより、重要になる場合もあります。それは、小説などの文学作品を探す場合。

小説のタイトルは、その主題をメタファーなどで表す場合が多く、かならずしも本の内容がダイレクトに反映されているわけではありません。

「あの恋愛の三角関係が書かれてある小説,何だったけな」と思って、検索端末に[恋愛 三角関係]と入力しても、『ノルウェイの森』にはたどり着けません。となると、村上春樹という著者の名前のほうが、より重要な要素となります。

本屋さんや図書館で、文学作品は作家名順に並んでいるのは、やはり探すときにそのほうが便利だから。

本のジャンルにより、タイトルと著者の両方に軍配が上がりそうです。

けれども本全体で考えるとしたら、「タイトルのほうが重要」と言えるのではないでしょうか。それは、昨今の出版事情も関係してきます。

2005年の新刊書籍発行点数は、7万6528点だったそうです。1日になんと210冊の新刊が発行されたという計算!

その40年前の1965年の新刊書籍発行点数が1万4238点というから、いまやその5倍強の点数が出版されていることになります。

1年の新刊が1万点台の時代には、著者の数もそれほど多くありませんでした。つまり著者で本を探すことは、タイトルで本を探すことに比べてさほど難しくはなかったはず。

ところが新刊の点数が増えると、その本の固有的な情報がより重要となってきます。となると、固有性の高いタイトルがより価値を増してくるわけです。

というわけで、出版点数過多の昨今、“読みたいと思った本を探す人にとって”は、固有性を示すのに適しタイトルのほうが、著者よりも重要ということができそうです。
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科学ジャーナリスト塾が開講。


「科学ジャーナリスト塾」の第5期が、今日から始まりました。私はサポーター(塾運営の手伝い)と、サブ担当(アドバイザーの手伝い)として参加します。

半年間、全12回の内容は、「聴講」と「演習」からなります。

「聴講」は、今年より創設された「科学ジャーナリスト賞」の受賞者たちを招いての講演と討論。青山学院大学・福岡伸一教授、毎日新聞社・元村有希子記者、朝日放送・石高健次プロデューサー、フリーマメラマン・中村梧郎さんたちが、私的ジャーナリスト論を話します。

「演習」は、「食と農業」「知的財産と産業技術」「脳と心とロボット」「情報革命とメディア」「エネルギーと原子力」の5班に分かれての、作品づくり。アドバイザーには、東京新聞・引野肇科学部長、早稲田大学・藤本僚一教授、NHK・室山哲也解説委員、関西学院大学・畑祥雄教授、それに林勝彦塾長の面々。今期の特長としては、畑教授がメンバーに加わったことで、新聞・ウェブだけでなく、映像にまで演習の幅が広がったことが挙げられます。

後半では、50人の塾生が自己紹介や入塾の志望理由を述べました。中には、学びたくて名古屋から毎回通ってくる学生、ジャーナリズムに批判的な立場からその正体を探ろうという方、さらには、科学ジャーナリストを主人公にして小説を書いたら編集者に訝しがられたという作家など、あいかわらず顔ぶれは多彩です。

塾が跳ねたあとは、さっそくアドバイザーと塾生が交えての飲み会。ここでは、最近のマスコミがインターネット至上主義、つまり、インターネットの情報こそが正しさの基準となっている風潮への違和感などが話されました。“塾の第二部”では、第一部とはまたちがった裏話などを聞くことができます。

文部科学省が「科学技術振興調整費」というおカネを科学普及活動のために配分していることもあり、ここ1、2年、科学を市民に伝えたり、伝える能力を養ったりする「科学コミュニケーション」活動が盛んです。

一方、科学ジャーナリスト塾は、科学ジャーナリストたちの有志により、2002年にスタートしたもの。5年目とはいえ、科学コミュニケーションの世界では先輩格と言える存在となっています。

科学ジャーナリスト塾のサイトはこちら。
http://www.jastj.jp/Zyuku/index.htm
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公共施設が学ぶべき企業イベント


アップルコンピュータは、国内に銀座、渋谷、名古屋・栄、大阪・心斎橋の4つの直営店を出しています。

各店では、ほぼ毎日、セミナーやイベントを開催しています。有料のワークショップと無料のセミナー・イベントに分けることができます。

私も何度か、銀座店で無料のセミナーを受けたことがあります。ガラス張りのエレベータにのり3階のシネマのようなフロアへ。イベントの内容にもよりますが、200人収容の会場に、だいたい約50人ぐらいの聴衆がいます。

アップル社のサイトにも、「学びましょう。」や「見る。聴く。知る。楽しむ。」などのキャッチコピーが並び、知的な場を提供しているという自負が感じられます。

このような民間の「インストア・イベント」には、図書館などの公共施設が学ぶべき点もあるように思います。

例えば、視聴覚教育の啓蒙活動を単独の時間帯に単発の催し物として開くのではなく、別の行事と連動させたり、人が集まる場所の内部や近隣で視聴覚教育活動を行ったりして、集客効果も高まるということ。つまり、地域の文化フェスティバルの一イベントとして視聴覚教育関連の活動を行ったり、近隣図書館の開館時間帯に合わせて催しものを行ったり、といった方法です。

バブル経済のころ、企業のメセナ活動が流行したことがありました。昨今の景気回復により、視聴覚教育的活動を含め、これまで公共施設が行ってきたような催し物を、民間が行う場合も多くなるでしょう。公共施設は、取り入れられる民間のアイディアは取り入れて、よりイベントへの参加者の増加を計っていくことが望まれます。
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蚊にまいる。


ここ何日間、部屋の蚊にほとほとまいっています。orz

食われたときの痒さもさることながら、恐怖は寝ているときに急に近づいてくるあの「音」。

もし、蚊が部屋にいることを知らないで寝れば、それはそれで、蚊の攻撃を受けるまでは「知らぬが仏」で眠っていられます。ところが、寝る前に蚊が部屋にいることを知ってしまうと、「いつ襲われるか」と気になって最初から眠れません。

蚊は確実に攻めて来ます。温度差や二酸化炭素の濃さを嗅ぎ分けるセンサを持っているそうで、部屋の他のものよりも温度が高く、絶えず呼吸している人間は、とうぜん標的にされます。

昨日は丑三つ時、ためしに布団を頭に被りながら寝てみました。

すぐに窒息しそうになりやめました。

するとすぐに蚊が頭のまわりを嫌な音を立てて飛び回ります。脈拍が上がり、恐怖の底へ。

明かりを付けて退治しようとすると、蚊はまたどこかヘ行ってしまいました。これで目も覚め、しばらく眠れないのでぼおっと起きています。また、眠くなり、目を閉じる頃に再びあの音が近づいてきます。これの繰り返し…。

コンビニエンスストアに行き殺虫剤を買ってくることも考えました。けれども、この時間眠そうな顔で殺虫剤を買うなんて、店員からは「さては、蚊で苦しんでるんだな」というのがバレバレになるので、やめました。

しかも、夜明け前には、よりによって窓の外から「およげ!たいやきくん」が大音量で聞こえてくる始末。これでまた眠れません。イヤになっちゃうよ。

結局、気休めにティッシュペーパーを丸めて耳栓代わりにし、眠ることに…。

それにしても、なぜ蚊は、あの嫌な音を発するのでしょうか? 蚊が音を発すれば発する程、人間や他の動物からその存在を知られてしまうわけで、蚊にとって身の危険を晒すことになるはず。知らぬ間に血をチューチューやってこそ蚊だというのに、進化論的におかしくはないのでしょうか。

蚊が音を発する科学的根拠を示されたうえで、頭のまわりで鳴かれれば、まだ納得がいくというもの。ご存じの方、どなたか教えてください。
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世界遺産の道長し


先日(2006年)9月14日、政府が、岩手県の平泉町、奥州市、一関市にわたる「平泉-浄土思想を基調とする文化的景観」を世界遺産(文化遺産)に推薦することを決めたというニュースがありました。トップ画像は、平泉町の中尊寺の中にある白山神社の能舞台。

「平泉」は昨2005年のNHK大河ドラマ「義経」で主演のタッキーがロケに訪れるなどし、一気に脚光を浴びた感がありますが、世界遺産登録を目指す平泉町世界遺産推進室などでは、むしろ中尊寺などを築いた奥州藤原氏に焦点を当てています。

さて、「次の日本発の世界遺産は平泉!」と早合点してしまいそうですが、どうなるかまだわかりません。

「世界遺産条約」という条約を締結した国(もちろん日本も含まれる)は、「暫定リスト」というリストをユネスコの世界遺産センターに提出します。国は原則として1年に1回、そのリストの中から、「この物件を推します」と世界遺産センターに推薦をすることになっています。

2006年9月までに暫定リストに上がっていた日本国内の物件は、島根県の「石見銀山遺跡」、神奈川県の「古都・鎌倉の寺院・神社ほか」、滋賀県の「彦根城」、そして岩手県の「平泉」の4つ。今後、日本政府は「小笠原諸島」を暫定リストに加える予定です。

じつはこのうち、「平泉」よりも一足早く、島根県の「石見銀山遺跡」が2006年1月に政府から世界遺産センターに推薦されています。

推薦された後の道のりは長いもの。

各国から推薦状を受け取ったユネスコの世界遺産センターは、専門機関に現地調査を依頼します。専門機関は現地調査で、その場所の価値、物件の保存状態、今後の管理計画などを吟味して、世界遺産センターに報告します。

報告を受けたユネスコの世界遺産委員会が、その物件を世界遺産リストへに登録するかどうかを決定します。登録されれば、ようやく世界遺産に!

来年2007年に、まず一足早い「石見銀山遺跡」のほうが、世界遺産委員会により、世界遺産に登録されるかどうかが決まります。「平泉」が世界遺産が世界遺産委員会に登録されるかどうか決まるのはさらに1年後の2008年7月。「平泉」は、世界遺産登録までの長い道のりの3合目から4合目あたりを登っているぐらいに位置するでしょうか。

日本ユネスコ協会連盟サイト「世界遺産活動」のページはこちら。
http://www.unesco.or.jp/contents/isan/index.html
平泉町世界遺産推進室「平泉の文化遺産」のサイトはこちら。
http://www.iwate21.net/hiraizumi/top.html
島根県文化財課世界遺産登録推進室「石見銀山」のサイトはこちら。
http://www.pref.shimane.lg.jp/sekaiisan/
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丸の内を牛が闊歩


東京駅丸の内口周辺で、“Cow Parade Tokyo”が開かれています。

グラスファイバー製の牛のオブジェ(高さ約130センチ、長さ約250センチ、ほぼ等身大)に、アーティストがペイントや装飾させようというもの。

このイベント、1998年にスイスのチューリッヒで地元の芸術家が400頭の牛を“パレード”させたことが、ことのはじまり。翌1999年には米国のシカゴに飛び火。2000年にはニューヨークでも開催されました。

トップ画像の、マーブル模様の青がひときわ鮮やかな作品“Advent”は、エサカマサミ氏によるもの。エサカ氏はビックリマンのキャラクターなども手がけたことのあるイラストレーターです。氏のブログには、製作工程なども事細かに。ほんとは黒一色をベースに装飾したかったそうですが、明るい作品にするようにという要望を受けてこのような模様に。「求められているものに応えながらも自分のベストなものを作るのがプロ」とはエサカ氏の談。



その他にも、Masa Kimura作の「レーサー牛」(上)や、yellow dog作の「だるまうし」(下)など、64頭の牛が、60名のアーティストと千代田区の2校の中学校、さらに一般参加者2名によって制作され、只今、丸の内を闊歩しています。



Cow Parade Tokyoは(2006年)10月1日(日)まで、東京駅丸の内一帯で開催中。公式サイトはこちらです。
http://www.cowparade.net/
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ちょっと気になる谷津干潟


津田沼(千葉県習志野市)で取材を終えた後、散歩がてら谷津干潟へ。

谷津干潟は、津田沼駅から徒歩30分ぐらいのところにある、東京湾に近い干潟です。谷津の地は、遡ること明治中期、旧・津田沼村の初代村長だった伊藤弥一が塩田を開発した地域です。その後、海岸沿いは埋め立てられ京葉工業地域と化しました。けれども、谷津干潟は部分的に残され、現在は面積40ヘクタールの長方形となっています。

さて、数々の野鳥が見られるものと、楽しみに訪れた谷津干潟。

ところが、行ってみると、野鳥の数はごくまばら。コサギの他、ゴイサギとカルガモが見えるのみ…。



ちょうど、夕方の満潮になりかけていたため、浅瀬が顔を出していなかったということもあるのでしょう。

けれども少し気になるのは、干潟の水の淀み具合。以前、この干潟を訪れたときよりも、少しばかり水が濁っている気がしました。

市民は、環境保全に力を入れているようで、干潟のまわりには「谷津干潟市民クリーン作戦 干潟の清掃に参加してみませんか!」という貼り紙を見つけました。

東京と千葉の間の京葉地域には、谷津干潟の他にも、三番瀬や市川野鳥の楽園など、自然環境がけっこう残っています。これらの自然環境には、かなり人間の手が加えられているものの、野鳥が暮らす場所として、また、人間がその野鳥を見て和む場所として、環境の保全が求められています。

谷津干潟自然観察センターのサイトはこちら。
http://www.city.narashino.chiba.jp/~yatsu-tf/
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ホワイトボードマーカの構造的問題


世の中、「不便だけれど、ま、しかたないか」という我慢で保っている道具がけっこうある気がしています。先日は「レーザポインタのポイントが見づらい」という記事を書きました。

レーザポインタと同様、私が「不便だと思うんだけれどなぁ、私だけかなぁ」と思っているのが、ホワイトボードとマーカ(ペン)です。何が不便かというと…、

インクが薄くて見づらいこと。

新品のマーカはまだ見やすいのですが、インクが薄くなると、目を凝らさないと何と書いてあるのかわかりません。とくに数式などの板書は、右肩の小さな文字が2乗なんだか、3乗なんだか…。

経験的には、講師などの使用者がボードに文字を書こうとすると、2本に1本ぐらいはインクが切れかかっている状態のような気がします。

もちろん、ホワイトボードとマーカには利点もあるから普及したのでしょう。白墨の粉が飛び散るという、黒板と白墨の不便さを解消したのがホワイトボード。1994年ごろから一般的に普及したとされています。

筆記用具メーカー「ぺんてる」のサイトによると、マーカでホワイトボードに文字を書くときは、ボードの表面とインク(顔料と樹脂などの色の成分)の層の間に、薄い「ハクリ剤」の層ができます。つまりインクの層はボードから浮いた状態。このため、簡単にボード消しで文字を消すことが可能なのだそうです。

「技術ってすごいな」と賞讃して終わってしまいそう。けれども、やはりマーカの文字が見づらいのは見づらい…。筆記用具メーカのサイトをいろいろと覗いてみましたが、どこも文字の薄さ問題については触れずじまい。

ある文具機器メーカーにいたっては、板書をプリントアウトできるホワイトボードの機能紹介に「読取濃度調整機能により、薄い文字でも印字できます」と書かれてあります。ここは「文字の薄さの問題のほうをどうにかして!」と、ツッコミの入れどころ。

このマーカの薄さ問題、黒板と白墨に比べたときの、絶対的な見にくさもあるでしょう。けれども、それだけでは解決しない、別の“構造的な問題”も抱えている気がします。

黒板で使う白墨は体積が減っていくから、目に見えてあとどのくらい使えるかがわかります。対して、ホワイトボードで使うマーカのほうは、インクの残量がブラックボックス化されていて見えません。かつ、インクが薄くなって、マーカとしての役目を終えたとしても、マーカとしての形は残るわけです。

しかも、なぜかは知らないけれど、どのマーカもインクの“薄さ加減”がビミョー。まだ使えるのか、もう使えないのかのギリギリの薄さ加減が、講師たちに「まだ、何とか使えるかな」と思わせ、講義後も「まだ私が捨てないでもいいか」と思わせている気がします。

こうして今日もまた、薄いインクのマーカはホワイトボードから処分されずに、増えていきます。

この問題については、「マイマーカ制」が導入されればよくなるのかもしれません。黒板の白墨が、誰もが使うような“公的な道具”だったために、その習慣がホワイトボードのマーカにも継承され、誰のものでもない(つまり自分が捨てるものでもない)存在になっているのでしょう。

参考サイト:月刊ぺんてる12月号「なぜ、消える? 『ホワイトボードマーカー』」
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冥王星の「配属転換」


内幸町の日本記者クラブで、日本科学技術ジャーナリストの例会がありました。国立天文台・天文情報センター広報室長の渡部潤一助教授が冥王星の矮惑星(仮称)への“配属転換”の一部始終を語りました。

国際天文学連合総会で、出席者が黄色いカードを掲げて投票をしていた場面がテレビで報道されていましたね。この投票で決まったことは…。

1 太陽系には8個の惑星(水星、金星、地球、火星、木星、土星、天王星、海王星)がある。惑星とは、自己重力で丸く、その軌道周期に他の同サイズの天体をきれいに無くしてしまった天体のことを言う。

2 冥王星クラスの矮惑星(仮称、その軌道周期に同サイズの天体があってもよい)がある。

3 小天体がある。

の3つ。これで、太陽系の3種類の天体が定義されました。

渡部さんも投票の黄色い札を掲げた一人。つまり、上の定義に一票投じたわけです。冥王星が惑星でなくなることに対しては、「ディズニーのプルートが悲しむ」などの感情論もあるものの、「天体望遠鏡の技術革新により、冥王星クラスやそれ以上の太陽系の天体が次々と発見されていた。惑星が増え続けたらどうなるのだろうという懸念もあった」と内実を披露。「小天体は“卵”、惑星は“鶏”。冥王星などの矮惑星は、その途中に抜けていた“ひよこ”という位置付け」と語りました。

天文台の広報は、今回の一連の冥王星問題を各種報道機関がどれだけ科学的に正しい報道をしていたか、10点満点で評点をしたそうです(「正式な結果はこれから」とのことで、あくまで参考)。

新聞報道は評点のばらつきが少なく、5.909点から4.636点の間に集まりました(4、5点台は低すぎるとの会場の声も)。栄えあるトップは日刊工業新聞(8月17日朝刊)でした。

一方、評点にばらつきが出たのがテレビ報道。評点された13番組のうち、トップ6まではNHKの番組が独占(もともと、NHKが8番組と数も多い)。トップは8月31日の『クローズアップ現代』(8.0点)、次点は8月26日の『週刊子どもニュース』(6.9点)とのこと。

で、最下位となったのはテレビ朝日系列の8月24日の『報道ステーション』。評点は1.0点とダントツの低さです。アメリカの政治問題と絡めた報道であったことに批判が集まりました。また、連合総会の会場では、番組レポーターが、出席者から「静かに」と注意されたにもかかわらず大声をあげ、かつ「いま怒号が飛んでいます」などと「意図的な報道」をしていたことにも批判があり、この点数の低さに。

会場からは「このような評点を下すときは、明確な基準も併記しなければならない」との意見も上がりました。たしかによく考えてみると、レポーターが会場で大声を上げたから点数が低くなるというのは、科学的に正しいかどうかとはまた別の基準がありそうです。

さて、連合総会で掲げられた黄色いカードは、渡部さんがNHKテレビの『クローズアップ現代』などで見せたこともあって価値が上昇。渡部さんが持って帰ったカードは国立天文台でラミネート加工され、「あの黄色いカード」として展示される予定だそうです。

国立天文台のサイト「『惑星』の定義について」のページはこちら。
http://www.nao.ac.jp/info/20060824/index.html
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一澤信三郎氏「お家騒動」を語る。


早稲田大学で開催中の日本感性工学学会で、一澤信三郎帆布社長の一澤信三郎氏と妻で取締役の恵美夫人が鼎談に臨みました(司会は早稲田大学の長沢伸也教授)。

信三郎氏は、京都の老舗かばん屋「一澤帆布」の取締役でした。ところが兄・信太郎氏に「父親の“第二の遺書”が出てきた」と言われ、遺産の継承を巡り対立。2004年12月、最高裁で信太郎氏の主張がとおり、2005年12月に信三郎氏は一澤帆布の取締役を解任されました。

ところが信三郎氏に信頼をおいていた従業員のほぼ全員が、解任された信三郎氏側に付き、それを受けて信三郎氏は2006年4月「一澤信三郎商店」を開きました。場所は、京都の知恩院前。一澤帆布のなんと斜向いです。

こうした講演会では滅多に話さないという信三郎氏。お家騒動については「まさかこうした事件に遭遇するとは思ってもいなかった」と神妙な語り口でした。

けれども「店舗や商標など、失ったものは多かったが、同時に得たものも多かった」と言い、社員どうしの結束が高まったことを挙げました。「今までのんびりしすぎていたのかもしれない。神と仏が『もう一度修行のしなおしや』と言ったのだと思う」

司会の長沢教授によれば、京都でものつくりを営む他の経営者は、「信三郎はんの復活劇では、重要な問題を突きつけられた。うちで同じようなことが起きたら、果たして社員のみんなが付いてきてくれるやろか…」と話しているとのこと。裁判で勝った兄・信太郎氏は、現在も一澤帆布店を再開できない状況です。

この社員との信頼関係を、信三郎氏は「店内でかばんを作っていたことがよかった」と分析します。「稟議書などの書類はなし。夕方閉店した後、従業員みずからが『こうしたかばんを作りたい』と提案すると、材料は店にあったので、次の日には試作品ができていた」

また、感性工学的な見方で、かばんの素材となる帆布へのこだわりを披露。帆布とは厚手の布のことで、帆船の布が語源です。

「帆布は水を含むと縮むし、自然の物なので腐りもする。けれども、肌触りはよいし、丈夫だし、退色もまたいい味と言ってくれる。天然繊維のよさを守っていきたい」

帆布のかばんの原点は、信三郎氏の祖父が牛乳配達用のかばんを発案したことにあるとのこと。その後、形をじょじょにかえ、現在のトートバッグまでたどり着いたのです。来月には、新作として、文字柄の付いたかばんを発売する予定(写真)。



登壇前と登壇後、信三郎氏と婦人は深々と頭を下げていました。客や従業員との信頼関係がいかに重要か、その気持ちを体で示していました。

信三郎帆布のサイトはこちら。
http://www.ichizawashinzaburohanpu.co.jp/
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イノベーション・ジャパン2006


有楽町の東京国際フォーラムで始まった、「イノベーション・ジャパン2006」に行ってきました。

この催し物、「大学見本市」ともよばれています。産学連携のシーズ(発明などビジネスの種になるもの)を企業などの産業界に売り込もうといった狙いがあります。

午前中に別ホールで開かれた基調講演では、東京工業大学・相澤益男学長が「知の大競争時代を切り拓く」というお題で講演。約500人を収容する会場は満員となりました。



相澤学長は、IBM社サミュエルパルミザノ社長の「イノベーションの本質は大きく変わった。もはや個人が研究室に閉じこもり一人で苦労してすばらしい発明を思いつくというものではない」という言葉を引用し、21世紀型の大学や研究体制のあるべき姿を示しました。

20世紀、社会は「量」という明快なものを求め、大量生産の方法を追い求めてきたが、21世紀なると、「量から質」に社会ニーズが変わり、そこに、「持続可能性」という環境問題の視点が加わり、単純な構図ではなくなった…。相澤学長はこのように指摘。

そのような時代変化の中で、大学に問われているのは、まず「人材育成」。次にそれによる「知の創造」であるということを強調しました。この二つがイノベーションを創出すると言います。

講演で終始、相澤学長が強調していたのが「国際性」。人材育成でも、世界に通用するような若手研究者を育て上げなければならないとのこと。実際、東京工業大学では、「ものつくり教育研究支援センター」を立ち上げ、例えば優秀な学生をMIT(マサチューセッツ工科大学)の学生らと共同で、ロボットの共同開発の機会を与えるなどをしているそうです。

ここ何か月か、仕事や研究を進めるうえで、「産学連携」が大きなキーワードとなっています。なかなか、「産学連携とはこういうものだ!」という実感は沸きづらいものですが、今日の相澤学長の講演と会場の熱気は、伝わってくるものがありました。

大学見本市「イノベーション・ジャパン2006」の公式サイトはこちら。
http://expo.nikkeibp.co.jp/innovation/
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学校が作った地名と…。


東京都目黒区には、自由が丘という地名があります。セレブな雰囲気の街ですが、私の中の自由が丘はやはりナボナの亀屋万年堂。

「朝日が丘」とか「美ヶ原」とか、よい語感のある言葉を付けた地名を“吉祥地名”などといいますね。「自由が丘」もそんな雰囲気が…。

でも実際は学校が地名の元なんだそうです。

自由が丘2丁目にある「自由ヶ丘学園」は、1927(昭和2)年11月、教育者の手塚岸衛により立てられました。そのころ、近くを走っていた東京横濱電鉄(いまの東急東横線)の駅名は「九品佛」。ところが、北隣にできた新駅のほうが九品仏の仏閣に近かったため、新駅を「九品仏」としました。で、元の「九品佛」駅に新たに付けられた名が、学園の名である「自由ヶ丘」だったのです。

自由ヶ丘学園や自由ヶ丘駅のある場所は、「谷畑」という名の地でした。けれども、自由ヶ丘駅前に住む人たちが、便利のため郵便物に「目黒區自由ヶ丘驛前」と書いているうちに、「自由ヶ丘」という町名が定着していったのです。そして、1932(昭和7)年に“字”として「自由ヶ丘」の名が正式に付きました。現在、町名や駅名は「自由が丘」となっていますが、学校は「自由ヶ丘」のままです。

設立者の手塚が掲げた自由主義教育が、自由が丘という瀟洒な雰囲気ある地名の由来だったわけです。

学校が地名を作った例がある一方、地名が学校を“作れなかった”例もあります。

東京都練馬区には、大泉学園町という町があります。こちらの町名は、大泉学園があったからではなく、大泉学園を作ろうとしたから。

1924(大正13)年、箱根土地という西武グループの源流となる会社がこの地に、東京商科大学(いまの一橋大学)を誘致して一大キャンパスタウンを作ろうと企てました。 行政も1932(昭和7)年、この地を大泉学園町とし、また、近くを走っていた武藏野鐡道(いまの西武池袋線)も「東大泉」の駅名を、「大泉学園」と変えました。これで大学誘致は準備万端。

ところが東京商科大学の移転先は、大泉学園町ではなく、国立と小平の地に。大泉学園に大学やってこなかったのです。いま、大泉学園町にある学校は、「大泉学園中学校」や「大泉学園小学校」などという練馬区立の小中学校のみ。

練馬区のホームページには「現在、小・中・高校のほか各種の教育施設や公園ができ学園の名にふさわしい街づくりが整ってきた」とあり、行政は大学誘致に未練があるようです。

参考文献:自由ヶ丘学園高等学校サイト「自由ヶ丘地名の由来」
http://www.jiyugaoka.ed.jp/modules/tinyd0/index.php?id=3
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インターンシップ全盛


10年前、私が大学の学部生だったころ。「インターンシップ」という言葉自体はあったと思いますが、それを経験するなんてこれっぽっちも考えませんでした(専攻や就職に関心なかっただけか…)。

ところがいま大学は、インターンシップ花盛り。何年か前の不況のころは、企業もそれどころではなかったようですが、景気回復により学生を受け入れる余裕が出てきたようです。

インターンシップの歴史を調べてみると、いまからちょうど100年前の1906年、米国シンシナティ大学の工学部長ハーマン・シュナイダー博士が始めた制度のようです。博士は後に同校の総長になります。

「この訓練方法はもちろん、23歳の熟練技術者を生み出す代物ではない。けれども、技術の実践で成功をおさめるための、良質な予習となり、強固な基礎となることは疑いのないところである」

シュナイダー博士のこの弁は、学生にとっても、産業界にとっても、インターンシップが有益であることを主張したものです。

私の所属している早稲田大学大学院でも、この夏休みインターンシップを経験したメンバーは少なくありません。毎日新聞社、インターネット新聞JANJAN、栃木県日光市の湯西川ダム建設現場など、さまざまな場所に散らばり、それぞれの職場体験をしたようです。

「仕事とは何であるかを考える」「自分の適正を見つける」「チームワークを学ぶ」

インターンシップの意義は、このようにさまざま言われています。

8月に、産業技術総合研究所(産総研)の取材と研修に行っていたことを記事で書きました。私は企業勤務経験者ではありますが、それでもインターンシップに参加できてよかったと思っています。

それは、大きな組織を内部から眺めることができたから。座っていると聞こえてくる激しい電話交渉。省エネルギー政策を象徴する薄暗いフロア。外部しか知り得ない研究機関を、内部から眺められたことで、「研究機関とはこういう所なのだ」という実感を得ることができました。

こうした感覚が少しでもあることと、まったくないこと。この差はけっこう大きいような気がするのです。
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秋の科学イベント「サイエンスアゴラ」


秋の科学イベントのお知らせを。

(2006年)11月25日(土)〜27日(月)の3日間、東京都江東区の日本科学未来館で、「サイエンスアゴラ」という催し物が開かれます。

「アゴラ」とは「広場」という意味のギリシャ語。古代ギリシャの市民集会は、このアゴラで開かれていました。

主催の科学技術振興機構(JST)によると、サイエンスアゴラ開催の目的は、(1)科学技術と社会との間の対話を促進し、(2)細分化している科学技術コミュニティ内部の対話を促進し、(3)その対話の場作りそのものや、その担い手を支援する、の3点。

プログラムでは、米村でんじろう氏によるサイエンスショウや、科学と研究の倫理に付いて考えるシンポジウムも開催される予定。

JST担当者からのお知らせでは、催し物が「サイエンスコミュニケーションの実践そのものとなるのに留まらず、我が国でサイエンスコミュニケーション活動に携わるあらゆる団体・個人からの多数の参加を得て、お互いの交流、ノウハウの共有・蓄積がはかられるよう」取り組んでいくとのこと。

「サイエンスコミュニケーション」は、最近科学の周辺でよく聞かれる言葉です(トップ画像は、googleの“サイエンスコミュニケーション”の検索結果)。

科学のことを市民によく理解してもらうために、市民と科学の伝え手(科学者自身や科学コミュニケーターなど)が交流をはかることを指します。街中のカフェで科学者を招いて、お客に科学の話を聞いてもらう「サイエンスカフェ」などの催しも開かれています。

サイエンスコミュニケーションという言葉がもてはやされること自体、まだ科学が市民の文化として根付いていないということなのかもしれません。科学に無縁と思っている人たちに、科学に興味をもってもらうかにはどうしたらいいか。これは、永らくの課題となっています。

科学を文化にするための試みは、至るところで行われています。所属する早稲田大学大学院科学技術ジャーナリスト養成プログラムでも、サイエンスアゴラで、3〜4つの催し物を行う予定。これから、準備で忙しくなりそうです。

公式なプレスリリースはこれからですが、11月下旬の3日間をお楽しみに。
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発明を守る研究ノート


きのうに引き続き、明治大学で開かれた「産学連携ネットワーキング UNITT」に参加。「大学における管理情報」というお題のセミナーを聞きました。

産学連携では「大学側の情報管理が徹底されていない」といったことがしばしば問題視されています。発明や発見は、いつの時点で誰が生み出していたかが、とても大切になります。研究者が「あの発見は、あのときですでに頭の中にはあった」と主張しても、その証拠がなにも残されていなければ、裁判などで不利な立場になってしまいます。

そこで、登場するのが「研究ノート」と呼ばれるもの。研究者の発明がいつの時点で、どこまで進んでいたかを書きとめておく記録帖です。かのノーベル化学賞受賞者・白川英樹博士も米国留学中に、研究者たちが研究ノートをきちんと取っているのを見て、日本も見習わなければならないと思ったそうです。

けれども日本では、「忙しい」とか「面倒くさい」とかいった理由で、研究ノートをとりたがらない研究者も多い模様。講師の山口大学知的財産本部長の佐田洋一郎教授は、「先生ひとり一人にノートを取るように地道にお願いまわるしか方法はない」と言います。

講演では「研究内容が正しいかどうかではなく、文書の存在を確認したという意味の決裁印を上長が捺すことが望ましい」「論文などから得た知見は書かずに、発明だけを書けば手間は省ける」などの具体的アドバイスも。

会場からは「パソコンを使うご時世、手書きのノートはいかがなものか」といった質問が出ました。けれども、電子媒体による記録を裁判所が認めてくれるケースが少ないそうで、「電子媒体は証拠力を保てない」そうです。

以前の産学連携では研究者個人の活動が主体のものでしたが、最近は国立大学の独立行政法人化などにより、学校が管理をすることになったため、研究者に記録をとることの重要性を周知徹底させることが学校側の課題となっています。いままで無かった習慣を根付かせるということはかなり大変なことのようです。
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産学連携のホンネ


明治大学で開催中の「産学連携ネットワーキング UNITT」に行ってきました。

大学技術移転協議会という、大学の認証TLOや産学連携本部といった、産学連携に関係する部局が集まった会が開くものです。

TLOとは、“Technology Licensing Organization”のことで、日本語では「技術移転機構」などと呼ばれています。大学の研究者などが生み出した発明を「知的財産」として企業にアピールして特許料を得たり、大学発ベンチャーの起業を手伝って、対価を得たりする機関です。大学認証のTLOであっても、株式会社の形をとっているところがほとんど。

七つあったセミナーのうち、「ベンチャー企業が大学に求めること」というお題のものを聞きました。

基本的に、ベンチャー企業が大学に何を求めるかというと、「シーズ(種)」というものを求めます。大学の研究者が生み出す発明は、ベンチャー企業にとって、商売の「種」となるわけです。「○○先生の発明は、商売に使えそう!」と思った起業人は、大学のTLOなどに相談して、その「種」を使わせてもらう契約を結びます。その「種」をウリにして会社を起こせば、「大学発ベンチャー」の設立となるわけです。

今日のセミナーはそこから一歩進んで、実際に企業が大学と手をつなぐときに、「大学がこんなことをしてくれるといいんだけれどなあ」と思っていることを、大学発ベンチャーの社長が告白するというもの。東京大学のTLOに招かれた、大学発ベンチャー社長4人が話をしました。

大学への要望を強く言い過ぎると、いろいろあってマズいのか、どの社長の告白もいくぶん控えめな感はありました。でも、ホンネもちらほら…。

たとえば、「大学の研究者は、自分の研究について、もう少し口を重くしていてほしい」といった要望。ベンチャーにとって研究者の研究成果である発明こそ商売の種だというのに、大学の研究者が発明に関する情報をいろんな人にバラしてしまっては困る、といったことです。

他にも「特許の出願をするとき、大学にも出願料を負担してほしい」といった要望や、「大学やTLOは、ベンチャーへの営業が足りない」といった批判も出されました。

聴衆はおもに、大学のTLOや産学連携本部で働く人たち。やはり、自分たちの活動が、産業側にどう思われているのかは気になる様子でした。やや耳が痛かった模様。

「産学連携ネットワーキング UNITT」は明日9日(土)が最終日。当日参加もできます。詳しくは案内をご覧ください。こちらです。
http://www.jauiptm.jp/dldata/dlwhatsnews/20060712.pdf
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カーボンナノチューブのカイラリティ


炭素がつくる構造には、炭とダイヤモンドの2種類しかないと思われてきました。

ところが、炭素の六角形がパイプ状の構造をつくることを、NECの研究者だった飯島澄男博士(現・NEC特別主席研究員 兼 名城大学教授)が、1991年に発見しました。

これが、カーボンナノチューブです。

注目の材料をいろいろと調べてみると、アルミニウムの半分の軽さで、鋼鉄の20倍の強度。さらに、電気をよく通すなど、素晴らしい性質があることがつぎつぎとわかってきました。いま、ナノテクノロジー(微細加工技術)の分野で、カーボンナノチューブは外せない「夢の材料」とされています。

さて、カーボンナノチューブの画像を、本やgoogleのイメージ検索などでよく見てみると、似て非なる3種類があることに気づきます。

トップ画像の右上のように、横に広がった六角形構造が「列」をなしているもの。また、右下のように、横に広がった六角形が「行」をなしているもの。さらに、左下のように六角形の連続を追っていくと「斜め螺旋」を描くもの。

じつは、このちょっとした違いが非常に重要なのだそうで、ナノテクノロジーでは「カイラリティの問題」などといわれています。

「カイラリティ」。耳慣れぬ言葉。辞書で調べてみると、ただひとこと「掌性」と載っています。???

「掌性」とは何かと項目を見てみるとさらにひとこと、「→キラル」の指示が…。
キラル
【chiral】
〔ギリシャ語の cheir(手の意)から〕
光学異性の性質。左右の手のように,鏡像関係にあって重ね合わせることのできない物質の性質。掌性(しようせい)。対掌性。
と出ています。

例えば、机の上に右手の掌と左手の掌を重ね合わせても、決して形は一致しません。こうした不一致を「カイラリティ」と呼ぶのだそう。

では、上に挙げたカーボンナノチューブ3種のうち、「カイラリティ」があるのはどれかというと、つまり3番目の斜め螺旋型となります。

カイラリティがない1番目と2番目の構造だと、カーボンナノチューブは金属の性質を持つことになります。つまり電気をよく通すということ。

これだと「半導体」の性質をもつことができません。半導体は読んで字のごとく、電気を「半分導き、半分導かない」物質のこと。半導体のこの性質は電子機器には欠かせないものです。

カーボンナノチューブで求められているのは、1番目や2番目の構造ではなく、3番目の「カイラリティ」を兼ね備えた性質なのです。

ところが、カーボンナノチューブを作るとき、構造が「カイラリティ」になるかどうかは、まだ運に左右される程度なのだとか。つまり、カイラリティを生み出す方法を生み出すことが、ナノテクノロジーの重要な課題となっているのです。

カーボンナノチューブの発見という偉大な出来事の後、それに付随した課題がつぎつぎと生まれているわけです。カイラリティを生み出す方法を見つけることは、カーボンナノチューブの発見に続く、「第二の発見」となることでしょう。
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丸一冊、水族館。


最近あまり買うことのなかった雑誌『BRUTUS』を今号は衝動買い。だって、「水族館」特集ですから。

ページをめくると、青色のトーンが支配するグラビヤには、ゴマフアザラシ、ジュゴン、エンペラーペンギンなど、“水族”の数々がみんなこっちを向いています。

最近、生き物を魅せるテーマパークというと、話題は旭川市の旭山動物園で持ち切りですが、今号では旭山動物園は“動物園”とあって脇役。

ライターの川端裕人さんは記事の中で、「水族館人の多くが、旭山動物園の成功を『水族館の手法をうまく取り入れたから』だと感じていた」と書きます。地先の海でとれる水の生き物を多く飼育して地域性を出すなど、水族館は魅せる工夫をいろいろとしているそうです。

DVDの付録も。2003年にドキュメンタリーながら各地の映画館を満員にした『DEEP BLUE』と、いま全国公開中、北極の四季を描いた『WHITE PLANET』のダイジェスト版、それに、日本の水族館の水族の数々を映した 『Special Footage』。

「自然環境を研究し伝えていく施設であることも、これからの水族館には必要です」と、肩の凝らぬ程度に環境問題や生物多様性についても触れています。

水族館のデザインや、ペンギンのキャラクター集など、同じ“水族”関係でも、『BRUTUS』ならではの括り方で、いい按配。

充実の水族館特集。表紙のジュゴンは「水族館に行ってみない?」と誘っています。多忙な方は、まず『BRUTUS』からどうぞ。

BRUTUS ONLINEはこちら。
http://www.brutusonline.com/index.jsp
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書評『心に夢のタマゴを持とう』
夏休み読書感想文の課題図書としては、もう遅いですが、子どもでも易しく読める文庫です。

『心に夢のタマゴを持とう』小柴昌俊著 講談社 2002年 160p


著者は、太陽などの恒星がヘリウムを水素に変えるときに発生させる「ニュートリノ」に、質量があるということを証明し、ノーベル物理学賞を受賞した。岐阜県の神岡地域の「カミオカンデ」、「スイーパーカミオカンデ」、第三の観測装置である「カムランド」は著者の提唱した施設である。

本書は著者が母校である横須賀の学校や東京大学で、児童・生徒・学生を相手に講演をしたときの記録をまとめたもの。

その人の話にじっくりと浸るだけで、そこはかとなく“やる気”が漲ってくる経験はないだろうか?

著者の言葉には、まさにそうしたエネルギーがある。本書の題名が意味しているところは、著者が常日頃から若者に諭している、「自分の中でテーマを4つ、5つもって生きていこう」というメッセージそのもの。著者自身のこれまでの人生や人となりが、この言葉の支えとなっている。

子どもにも読んでもらうよう、大きな活字で書かれてあり、すらすらと読める。日経新聞記者の解説「小柴先生がノーベル物理学賞をもらった理由」も、平易に書かれていて、あまり著者や著者の功績を知らない大人も読むのに向いている。

『心に夢のタマゴを持とう』はこちら。
www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4062736330
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原子の存在を信じ続けた男


原子の存在は、古くは古代ギリシャの哲学者デモクリトス(紀元前460-紀元前370)らによって唱えられていました。

けれども、「すべての物質は原子でできている」という、いまでは常識となっている考えも、つい100年前までは、まだまだ論争の的だったのです。

エルンスト・マッハ(1838-1916)というオーストリアの物理学者がいます。音速の単位にもなっているマッハです。彼は原子の存在を信じませんでした。原子についての話を耳にするたびに、「あなたは原子を一つでも見たことがあるのですか?」とその人に問い返したといいます。

マッハのこうした姿勢は「実証主義」と言われています。「科学的な命題・仮説・理論は、経験された事実によって構成されるべき」という主張。原子をこの目で見ることができないかぎりは、マッハは原子の存在を受け入れませんでした。代わりにマッハは、実証することのできるエネルギーを、万物の基本かつ彼自身の心の拠り所にしていました。

さて、実証主義と対決したのがオーストリア出身の物理学者ルートヴィヒ・ボルツマン(1844-1906)です(写真)。 彼は、熱力学第二法則(エントロピー増大の法則)の証明を発表したことで知られています。また、気象学でも「ステファン=ボルツマンの法則」という重要な法則の名前の中に彼の名は出てきます。

ボルツマンは、原子論の急先鋒としてマッハらに闘いを挑みました。1895年ベルギーのルーベンスで行われた会議で対立は最高潮に。マッハと同じくエネルギー論者だったドイツ人ウィルヘルム・オストワルト(1853-1932)らを向こうに回して、ボルツマンは激しく罵ります。この論戦はまるで剣士と闘牛の対決のようだった、という記述さえあります。

ただし、いくら原子の存在を主張しても、ボルツマンは直接的にそれを実証することができません。当時は原子を目で見る顕微鏡など存在しなかったからです。実証主義者のマッハらはそんなボルツマンにつけ込み、激しく反論しました。

論争を繰り広げるうちに、ボルツマンは疲れ果てて、気を病みます。そして静養中だったイタリアの避暑地ドゥイノにて、ピストル自殺を謀り死んでしまいました。

原子の存在が証明されたのは、ボルツマンの死の3年後でした。フランスの物理学者ジャン・ペラン(1870-1942)が、花粉から出た粒子が液体の中を不規則に動く「ブラウン運動」を研究し、原子の存在を突き止めたのです。原子からなる分子が水中を不規則に動くからこそ、花粉から出た粒子も不規則に動くというもの。

いま私たちは、走査プローブ顕微鏡などの極微技術(ナノテクノロジー)によって、原子の凹凸や形まで目で見ることができるようになりました。ボルツマンは、あの世でマッハたちに「みたまえ、これが原子だ」と言っているのでしょうか。

明日2006年9月5日、ステファン・ボルツマンが自殺を遂げてから100年になります。
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10月3日から、仏像大集結。


館内に所狭しと並ぶ、仏像、仏像、仏像…。さぞ気持ちの和むものでしょう。

(2006年)10月3日(火)から12月3日(日)、上野の東京国立博物館平成館で、特別展「仏像」が開催されます。

仏像には、ひとつの木を彫って作った「一木造(いちぼくづくり)」と、複数の木を組み合わせた「寄木造(よせぎづくり)」があります。宗派を超えて「一木オールスター。百四十余驅 東京に結集!!」(パンフレットより)

奈良時代から江戸時代までを4つの区分にわけて展示します。

中でも注目は、11月7日(火)から12月3日(日)までの限定限定で展示される国宝「十一面観音菩薩立像」

この菩薩さまは、滋賀県の渡岸寺(どうがんじ)に置かれていました。1570年の姉川の戦で寺は焼失。ところが、村人が菩薩さまを土に埋めたため、焼失を逃れました。そんな曰く付きの菩薩さまですが、特長的なのはなんといってもその体躯。腰をほんの少しだけ菩薩さまから見て左側にくねらせています。このわずかなアシンメトリー(非左右対称性)が、なんとも美しい! 国宝の菩薩さまにこう言っては失礼ながら、セクシーささえも感じてしまいます。

今回の特別展の広報担当で、学芸員の資格をもつ共同PRの三井珠子さんは、「仏像だけで構成される展示会は、日本初。仏像を背後からもご覧いただけるような仕掛けを考えています」とのこと。いまから楽しみです。

仏像マニアはなさんも来場まちがいなし。国立博物館特別展「仏像」のサイトはこちら。
http://event.yomiuri.co.jp/2006/butsuzo/index.htm
| - | 23:41 | comments(0) | trackbacks(1)
「ニセ科学フォーラム」

菊池氏、小波氏、左巻氏

「ニセ科学フォーラム[東京]」が目白の学習院高校で開かれたので参加。

同志社女子大学の左巻健男氏、大阪大学の菊池誠氏、京都女子大学の小波秀雄氏が講演しました。

「ニセ科学」

どんな科学でしょう? 端的にいえば、科学的な用語を使って、いかにも科学っぽい装いをしているけれど、じつは科学的な根拠はなにもないもの、といったところ。

たとえば、今日のフォーラムで槍玉に挙がっていたのが『水からの伝言』という、水に「ありがとう」とか「ばかやろー」といった言葉を見せると、結晶の形が“美しく”なったり、無秩序になったりするという“現象”を見せた写真集。「同時期に出した水関係の本の2桁は売れた」とは左巻氏の談。

もう一つ、「マイナスイオン」という、機能付きのドライヤーやエアコンなどの家電製品から出てくる、負の電荷を帯びた分子。

この二つの話がどれだけ奇妙奇天烈であるか、詳しい内容は改めてじっくり紹介したいと思います。

これまでは、科学者がこうした、ニセ科学を取りあげること自体、めずらしいことだったそう。たしかに、今回のフォーラムも「これからどう、ニセ科学と闘っていくか」といった雰囲気でした。

では、科学者がニセ科学と闘う理由はどこにあるのか…?

たしかに、科学の名を使って科学とは言えないことを商売にされていることに対する、職業的プライドの問題もあるのかもしれません。けれども一方では「ニセ科学だったとしても、『水からの伝言』を読んで、言葉を大切にする気になったり、『マイナスイオン』と言われているものを浴びて、リフレッシュしたかのような気分に浸れればいいじゃないか」といった論理もあります。

左巻氏らは、ニセ科学には実害をなかなか見つけられないでいるということに、やや手をこまねいている感じでした。たとえば、機能付きの家電製品から出されているマイナスイオンも、じつは「光化学スモッグの原因物質と変わらない」(小波氏)のですが、電化製品から出てくる量自体が、まったくに気にすることないくらいに微量であるため、吸いこんでも健康にプラスにもならなければマイナスにもならないのだそうです。

そこで、左巻氏らは、実害を探します。

たとえば、『水からの伝言』が、小中高の学校の授業で、教諭たちに「道徳の教材」として使われているそうです。このこと自体、私には耳を疑ってしまうことですが、これだけでは、「きれいな言葉を使おうという道徳の授業の目的は叶っているのだから、問題ない」と言われてしまいます。けれども、この授業を受けた生徒が先生に「こんなの、ウソだよ!」と反論したところ、先生からそれを注意され、それからは人間不振に陥ったという“実害”があるとのこと…。

「ニセ科学を商売にしている人は、命をかけて金儲けをしようとしている。その敵を倒すのは、そう簡単なものではない」(左巻氏)

長い闘いはこれからも続きそうです。

左巻健男氏のブログ「さまき隊的科学と環境と仕事と遊び」はこちら。
http://www.doblog.com/weblog/myblog/32167
菊池誠氏のブログ「kikulog」はこちら。
http://www.cp.cmc.osaka-u.ac.jp/~kikuchi/weblog/
小波秀雄氏のブログ「こなみ日記」はこちら。 
http://www.cs.kyoto-wu.ac.jp/~konami/diary/
| - | 23:59 | comments(0) | trackbacks(7)
ソニー製リチウムイオンバッテリー


ソニー製のPC用バッテリーが発火するおそれがあるということで、回収騒ぎになっています。

で、今日、使っているマッキントッシュ(Mac)の製造元であるアップルコンピュータから「安全に関する重要なお知らせ」というメールが届きました。Macでも、問題となっているソニー製のバッテリーを使っており、該当するものは回収をするとのことです。

お使いのiBookまたはPowerBookのバッテリーが回収対象かどうかは、下表に示すバッテリーの製品番号(Model No.)とシリアル番号でご確認ください。

とあり、番号が出ている表が載っています。念のため、バッテリーを取り出して、調べてみることにしました。



すると…。

バッチリ該当してるじゃん! orz。

何度、番号を確かめても、やっぱり該当しています。使っている製品がリコール対象となる経験はありませんでした。

今回の問題は、リチウムイオンバッテリーというバッテリーの構造が関係するものでした。リチウムイオンバッテリーでは、プラス極とマイナス極をリチウムイオンが行ったり来たりすることで、電気の放出や充足をすることができます。そのイオンが通り抜ける仕切り板に、混入した金属粒子が付いてしまい、そこで放電が起きて熱が出るということのようです。

いま、バッテリーの世界では、「リチウムイオン電池」が主流。一度、下火になっていた電気自動車の開発なども、このリチウムイオンのバッテリーの性能が上がったため、高速充電が可能になり、ふたたび息を吹き返しました。

さて、使っているMac。たしかにバッテリーが働く状態で使い続けていると熱くなってきます。でも、このぐらいの熱さは、想定の範囲内なのでしょう。万一のため、無償交換の手続きに従いたいと思います。

ソニー「アップルコンピュータ社による同社製ノートブック型コンピュータの 電池パック回収に対する弊社の対応について」はこちら。
http://www.sony.co.jp/SonyInfo/News/Press/200608/06-0825/index.html

アップルコンピュータ「バッテリー交換プログラム」のページはこちら。
https://support.apple.com/ibook_powerbook/batteryexchange/index.html?lang=ja
| - | 23:59 | comments(0) | trackbacks(132)
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