科学技術のアネクドート

朋友、資格取得!


朋友のnnさんが米国公認会計士(USCPA)の資格を取りました。おめでとう!!

米国の試験だけに、受験場所はもちろん米国内。現地の人しか受けられない州もあるそうです。乗り込んで英語の試験に臨む日本人は、まさにアウェイ状態。ハワイで受験したnnさんの旅の記が、ブログ「nn的為USCPA和漢語的努力」に書かれています。観光目的とは違った目から見たハワイの様子もめずらしいもの。

試験科目は、Financial Accounting(財務会計)、Regulation (規制)、Business Environment & Concept(ビジネス環境・概念)、そして、Audit & Attestation(監査・証明業務)の4つ。すべてに合格すると、USCPAの資格が与えられます。

ブログでのUSCPA受験生のお祝いコメントからも、忙しい社会人が一発で合格を果たすことがどれだけ難しいかがよくわかります。nnさんは、ふだん職場に勤めながら、朝2時起きで勉強をつづけました。私がそろそろ寝なきゃなと思っている時刻です。「意思は石よりも固し」とはこのこと。

数年前、そんなnnさんに英語の勉強法の取材をしたことがあります。取材のときも今回のときも、nnさんの勉強には小さな「気づき」や「感動」があります。「ここで覚えたことが、どんなシチュエーションで使われるだろうか」と考えながら覚えていき、実際にそれが世の中で使われている場面に会ったときに、「実際でもこんなふうに使われてるんや」と気づいて感動するわけです。

けれど、そうした「気づき」や「感動」を意識的に勉強に取り込み続けることは簡単ではないはず。日常の出来事に、気づき感動をすること自体も才能なのでしょう。

誰かに物事を説明するときに、どうしたらわかりやすく伝わるかをいつも考えるnnさん。そこには「伝達」という営みの原点があります。nnさんのブログは、これからもUSCPA合格を目指す多くの人に読まれることでしょう。

「nn的為USCPA和漢語的努力」はこちら。
http://nn77.exblog.jp/
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大学のワンストップ・サービス


雑誌『東洋経済』に、大学発ベンチャーの記事を書かせてもらいました。いま書店で売っている号です。

大学発ベンチャーとは、大学の研究者や学生など「大学側」がなんらかの形で起業に参加しているベンチャーのこと。典型的なスタイルとしては、大学の研究者が生んだ発明を「産業側」の人が目に留め、その大学の研究者を取締役などに引き入れて起業するというもの。その発明をウリにします。

かつては、産業側の人が大学側の人と仲良くなり、個人的な関係でベンチャーができるといったパターンが主流でした。でも最近は制度が変わり、大学本体がベンチャーづくりを仲介・支援しています。

となると、産業側にとって気になるのは、大学本体の産学連携に関する充実ぶり。経済産業省の調べでは、ここ2年の間、企業にとって最も評判が高い大学が関西の立命館大学でした。

その秘訣には産学連携における「ワンストップ・サービス」があるようです。

ワンストップ・サービスとは、お客が一度の手続きで、やりたかったことすべてを済ませられるサービスのこと。産業側が大学と手を組むとき、なるべく大学との間の事務的な労力や時間は掛けなくないもの。

多くの大学のホームページを見てみると、一つの大学の中に「知的財産本部」などといった部署と、「産学連携推進室」などといった部署が、同居していることがわかります。これは、窓口の“二元化”状態。

ワンストップ・サービスをしている立命館大学は、その点が充実しているようです。一人の担当者が、産学連携の最初の(大学での発明を産業側に紹介)の段階から最後(起業したベンチャーを支援する)の段階までを受け持っているそう。じっくりと腰を据えて、産学連携ができるわけですね。

大学発ベンチャーの数はつぎつぎと増えていまや1500社以上。これからは大学発ベンチャーもそれを後押しする大学も、「質」が問われる時代になっていくことでしょう。

立命館大学の産学官交流の総合窓口「リサーチオフィス」のサイトはこちら。
http://www.ritsumei.ac.jp/acd/re/b-liaison/about/index.htm
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世界遺産の“危機”


つくばの産総研で原稿書きをした帰り、筑波西武で開かれている「世界遺産からのSOS【写真・映像】展」を見てきました。

世界遺産には、記念物、建造物群、遺跡、文化的景観などの「文化遺産」と、地形や地質、生態系、景観などの「自然遺産」、それに文化遺産と自然遺産が重なり合った「複合遺産」があります。

けれども、世界遺産には、これとはまた少し別の次元での「○○遺産」があります。

それは、「危機遺産」と呼ばれているもの。これは、武力紛争、自然災害、大規模工事、都市・観光開発、商業的密猟などによって、存続の危機にさらされているような世界遺産のことをいいます。

今回の展覧会では、アジアの危機遺産を写真と映像で紹介しています。アフガニスタンの「バーミヤン遺跡」、イランの「アルゲ・バム城砦」、カンンボジアの「アンコール遺跡」、フィリピンの「コルディリェーラの棚田」、ネパールの「カトマンズ」の5つです。

タリバーンによるバーミヤン仏像の破壊や、2003年12月の大地震によるバム城砦の崩壊など、人や自然の“威力”による文化的遺産の危機も衝撃的でした。でも、もっとも考えさせられたのがフィリピンのコルディリェーラの棚田です。

棚田というと、日本にもある、それはそれは美しい里山の風景ですね。実際、このコルディリェーラの棚田も約2000年前に現地ルソン島のイフガオ族により造られ、「神への階段」といわれて奉られてきました。ただし、棚田には農機はもちろん水牛などの農畜も、険しい地形のために入れることができません。この地域の農家は、これまで手作業で稲作をしてきたのです。収穫量も少なく、この地域でまかなわれる米の半分程度しか、この棚田で収穫することができないそうです。

そんなコルディリェーラの棚田が1995年、世界遺産に登録されることになりました。貧農の村も、世界遺産の登録でホテルなどが建ち始め、晴れて観光産業がさかんになりました。

けれども、世界遺産の登録が皮肉な結果を引き起こします。コルディリェーラの棚田で、田植えをしていた若者などが、「ホテルで働いたほうが、収入が多い」と言って、次々と棚田から離れていってしまったのです。

この結果、世界遺産の棚田は手入れが行き届かず、斜面の崩壊などがあっても手つかずのまま。展示されていた写真では、明らかに棚田が荒れている様子がわかりました。

こうしてコルディリェーラの棚田はいま、危機遺産のリストに入っています。社会構造の変化そして、世界遺産の登録自体が文化遺産に危機をもたらしたという、皮肉なケースです。

まだ現実になったことはありませんが、危機遺産にはユネスコにより「世界遺産から抹消される」という危険性をはらんでいます。ユネスコがそう警告することによって、国が対策を講じて、世界遺産を守っていくというしくみです。

テレビで放映されている世界遺産の番組とはまた違った、世界遺産の側面を目の当たりにできる企画展です。

「世界遺産からのSOS【写真・映像】展」は(2006年)9月4日(月)まで、つくば市の筑波西武にて。午前10時〜午後8時、最終日9月4日(月)のみ午後5時閉場。案内サイトはこちら。
https://www2.seibu.co.jp/wsc/023/N000013738/0/info_d
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舎人公園の不思議な境界線(後日談)
「舎人公園の不思議な境界線」という東京の地図にちなんだ記事を、(2006年)8月20日まで7回に分けて書きました。今日は“後日談”です。

4回目の記事で、「舎人町」にある電柱広告の町名番地表示が、なぜか「古千谷1-13」になっていることをと書きました。この「古千谷1-13」、ほんとうは、この電柱から南に約50メートル行ったところにあります。

ではなぜ、電柱の町名番地表示は舎人町ではなく古千谷なのでしょう? 人っ子一人住んでいないし、境界線が入り組んでいるし、面積も狭い舎人町のこと。表示が「古千谷1-13」となっているのにも何か意味深なわけがあるはず…。

そう思って、電柱広告を作成・管理している「東電広告」に、記事を書いていたときに、以下のように問合せをしてみました。東電広告は、社名からもわかるように、東京電力の系列企業。関東1都6県と山梨・静岡(富士川より東)の 電柱広告を作成・管理しています。
「足立区古千谷1-13」と表示されている電柱が尾久橋通り沿いにあります。地図で調べますと、この電柱のある位置は、「足立区舎人町」の地域内かと思います(実際の「古千谷1-13」の地域は、電柱位置よりも南にあるようです)。この電柱の表示が「古千谷1-13」となっております理由は何でしょうか?
すると、2、3日して、東電広告の管理者の方から、親切にもお電話をいただきました。

「係の者が、その電柱のところに行って確認をしました。たしかに、あの場所は舎人町ですね。こりゃすいませんでした。ご指摘、ありがとうございます」

ただ単に表示を間違えていただけでした。orz。

管理者の方から聞いた話、電柱の町名番地を表示するにあたっては、いわゆる「住宅地図」などを参考に、正確を期すよう努めているとのこと。でも、舎人町や周辺のように、住宅が皆無に等しいところでは、町名番地表示にはけっこう苦労しているそうです。

さて今日、ひさびさに舎人公園に行ってきました。すると1か月前に行ったときと二つ、様子が違っていることに気づきました。

一つ目は、上でお話しした電柱広告の「古千谷1-13」の表示が無くなっていること。


どうやら、上の質問を受けて、東電広告がさっそく処置をしたようです。個人的には、町名番地表示「無し」よりは「ここは尾久橋通り舎人町」としてほしいものですが…。

二つ目は、この電柱のすぐ近くに、舎人町を含む「舎人公園B地区」の工事計画の看板が掲げられていたこと。

この看板を見てみると、平成20(2008)年には、舎人町が造成されて、ちゃんとした公園になるようです。

7回目の記事のとおり、足立区の住居表示担当者によれば、舎人町ととなりの入谷町は「都立舎人公園の完成を待って町名変更を行う予定」とのこと。「舎人公園の完成」というのが、B地区だけのものとすれば、舎人町と入谷町は、再来年の3月に地図上から姿を消すということになります。

こうして町の名前は、全国の至るところで、じょじょに変わっていくのでしょう。東京の地図をぼんやり眺めていたことから端を発した、舎人公園の不思議な境界線の謎。まったくのトリビアが、知りたい欲をおおいにかき立ててくれました。

関東一円の電柱広告の作成・管理をしている東電広告のサイトはこちら。
http://www.todenkokoku.co.jp/
| - | 22:33 | comments(0) | trackbacks(0)
ゴミかお宝か。
季節の風情として愛されている鈴虫の音も、西洋社会ではただの“雑音”なんだそうです…。

「学術廃棄物」という言葉を聞いたことがあるでしょうか? 「産業廃棄物」が、産業活動によって生まれる廃棄物を指すのに対して、「学術廃棄物」は、学問や芸術などの活動によって出される廃棄物を指す言葉です。

まあ、言ってしまえば学術廃棄物も「ゴミ」の一種。

けれども、この学術廃棄物、人によってはゴミでしかなくても、人によってはお宝になることさえあるのです。

教育学を研究している大学の先生が、以前、こんな話をしていました。

学校の研究品や資料が学術廃棄物として処分される予定だということを聞いて、その先生は「どうせ捨てるんだったら、子どもたちに遊んでもらおう」と思いつき、懇意にしているミュージアムで美術展を企画したそうです。

学術廃棄物を前に、子どもたちは目を輝かせ、錆びた金具をていねいに磨いたり、実験器具を天地逆さまにして飾り付けをしたりしました。さすがは“遊びの天才”。こうして、学術廃棄物は作品として生まれ変わったそうです。企画した先生も、子どもたちが息を吹き込んだ作品を観て、「ビビッド(斬新)な作品ばかりだ」と感心しました。

ところが。同じ館内に作品が展示されている、あるエラい先生が「こら、わしの作品を、ゴミといっしょにされては困る!」と怒ったそうです。

結局、学術廃棄物を材料にした作品たちは、文字通りゴミ箱行きになってしまいました。

たしかに、学術廃棄物すべてに芸術作品としての価値が備わっているわけではありません。ゴミも、ガラクタも、何もかもを、なんとなく「芸術的だ!」とむりやりに捉えるのにも、やはり無理があるでしょう。

けれどもこの話は、子供の感性に大人が付いていけなかった、または、子供の感性を大人が忘れてしまったことを示しているようです。

芸術的感覚の有無といった側面とはまた別に、学術廃棄物の価値を見出そうとする考えもあります。

東京大学総合研究博物館の西野嘉章先生は、学術廃棄物とは時代の産物であり、環境の指標であり、生活の反映であると主張します。

「学術専門的に見て無用であるとの理由からゴミ扱いされる歴史的なモノすなわち「学術廃棄物」 には、それらの制作者や収集者の専門的知識、産業的技術、人間的感覚などに関する情報のすべてが刻み込 まれている」

たしかに、倉庫が飽和したなどの理由で、学術的価値のある資料を捨てざるを得ないといった事情も、それぞれの機関にはあるのでしょう。ただ、当事者にとっては処分に値する「ゴミ」であっても、他の人にとっては「お宝」である場合も往々にしてあるでしょう。

「学術廃棄物をいつ処分する」といった情報を学術機関どうしで交換しあって、学術廃棄物の「廃品回収」が進むようになれば、「ゴミ」がふたたび「お宝」となる機会も増えるのではないでしょうか。

参考URL:西野嘉章「塵埃圏彷徨あるいは学術廃棄物のミクロコスモグラフィア」
| - | 23:59 | comments(0) | trackbacks(1)
苦手な講演


学会の講演や大学の授業を聴いているとき、どうも苦手に感じるものがあります。

それは、レーザポインタ。

ボタンを押すと赤や緑のレーザが出て、スクリーンなどにその光を当てるという道具です。つまり、指示棒の役目を果たします。さらに、レーザなので、遠くからでもスクリーン上の指し示したいところを指し示すことができます。

最近の講演などでは、「パワーポイント」「スクリーン」「レーザポインタ」の三点を使うことが主流。講演者はパワーポイントの内容をスクリーンで大写しにして、レーザポインタで「こっちのグラフは…」「表のここのところが…」と言いながら講演を進めていきます。

けれども、レーザポインタは「ポインタ」だけあって、スクリーン上の指し示す部分はほんとうに「点(ポイント)」です。遠くの席で聴いているときなどは、光がどこ指しているのか、わかりづらいこともしばしば。とくに部屋が明るいままだと、いったいどこを指しているのかまったくわかりません。

また、メモをとりながら講演を耳で聴いていると、「こっちのグラフは…」「表のここの部分が…」と、指示代名詞が頻繁に出てきます。

「“ここのところ”ってどこのところ?」とスクリーンを見てみると、すでにレーザポインタが使われていなかったり、指している場所がすでに別の場所に移っていたり…。

ポインタが指しているところを見落とすのであれば、まだいいほうですが、もし「ここの部分が…」という部分を別の部分と勘違いしたら、影響は大です。

先日、早稲田大学で行われていた学芸員の夏期集中講座では、先生がレーザポインタを使う代わりに、パソコンの画面上にペンツールで太い線を描いて説明をしていました。次のページに移らないかぎり、描いた線は画面に残ったまま。非常にわかりやすかったです。

といっても、そこまでしてもらえる先生に出会ったのは初めて。使う側にとっては、レーザポインタはとても便利な道具なのですね。

たぶん今後も、たとえば発光ダイオードの技術など、製品開発の進歩によって、レーザポインタも改良されていくのでしょう。より、光がくっきりとしたレーザポインタを待つばかりです。光がしばらくしても消えないような、夢のレーザポインタができればいいのですが…。
| - | 23:59 | comments(0) | trackbacks(1)
夏の夜の来客


家に帰り、ふぅっと一服していると、めずらしい来客者が…。

“カサカサと部屋をはい回る茶色い闖入者”とは違い、その体は美しく、じっとその場にとどまり堂々とした振る舞いです。

でも、肝心なこの来客者の名前がわかりません。

おまえはいったい何という名前なんだい?

「……(ムシ)」


orz

というわけで、以前、当ブログにおこしいただいた動物ジャーナリストの宮本拓海さんにトップの画像をもとに「鑑定」してもらうことにしました。

いろいろと調べてみて、コガネムシ、カナブン、ハナムグリあたりではないかと思っているのですが、これは、何という虫ですか?
「ヤマトアオドウガネ、コガネムシあたりかと」

かなり外見の似た種類があるようですね。見分け方のポイントは?
「前翅に筋模様があるなら別の種でしょう。見分け方は、
・全体の色
・触角の形、大きさ
・前翅の筋、模様、斑点
といったことで確認してください。カナブン類は顔が長いのですぐわかるはず。そして、候補がしぼれたら体長のデータを探しだして、実物と比較してみてください」

家で出会ったときの対処法は?
「ありません。コガネムシ類はマメコガネのように農業害虫にもなりえます。コガネムシ科はほとんどが植物食であり、哺乳類で例えればウシやシカと同じです。特に害虫でありません」

宮本さんによれば、コガネムシ、カナブン、ハナムグリなどは「甲虫目コガネムシ科」に含まれ、この科には昆虫の王様カブトムシも含まれるのだそうです。

昆虫は地球の動植物のなかで約80%もの種をシェアするとされますが、昆虫の中の最大派閥が甲虫目で、甲虫目の中の最大グループがコガネムシ科なのだそう。「地球を代表する動物だと言っても過言ではありません!」(宮本さん)

さて、ふだんは蚊取り線香を炊いて虫除けをしていますが、今晩は使わずに寝るとしましょう。



動物ジャーナリスト宮本拓海さんのホームーページ「いきもの通信」はこちら。
http://ikimonotuusin.com/
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消火に水を使わない。(2)
消火に水を使わない。(1)



図書館や美術館などで、水を使わずに火を消す「ハロゲン化物消火設備」。たまたま、あなたが訪れた建物で、この設備の出番となったとき、どうなるのでしょう? どうすればよいのでしょう?

ハロゲン化物消化設備の近くに館員や警備員などがいれば、手動でハロゲン化物消火設備を使うことになるでしょう。一般の人は操作しないほうがよいそうです。近くに誰もいなくても、センサーが働いて自動的にハロゲン化物消火設備が動き始めますから。

すると、「ハロゲン化物が放射されるから、この場から離れてください」といった主旨の放送が流れるはずです(流れるはずの放送が流れないことが、人的被害につながることはよくあることだけれど)。速やかにいまいる部屋の外へ出ましょう。

しばらくすると、燃えている部屋が、自動閉鎖装置(ダンパー)によって閉鎖されます。ハロゲン化物はガス(気体)のため、火がおきている部屋を密閉状態にしないと効果を発揮しないからです。

いよいよ、ハロン1301などのハロゲン化物がいよいよ、密閉された部屋で放射され、消火開始となるわけです。

火の上がっている部屋を密閉し、火が燃えなくなるガスを放射するといったことでは、ハロゲン化物消火設備の他に「二酸化炭素消火設備」という装置もあります。二酸化炭素消火設備はハロゲン化物消火設備に比べると、かなり“危険な設備”と言われています。

なぜなら、万一密閉されてしまった部屋で逃げ遅れてしまった場合、酸素濃度が低下して窒息するからです。また、高い濃度の二酸化炭素は、人間にとって毒物でもあるのです(たとえば10%の濃度の二酸化炭素を1分吸い続けると、意識が無くなる)。実際に二酸化炭素消火設備の誤作動で死亡事故も起きています。

であれば、比較的安全なハロゲン化物消火設備をもっと普及させればいいのでは、ということになるでしょうか…。けれども、ハロン1301などのハロゲン化物は、じつはオゾン層を破壊してしまうため、1994年以降、これ以上は作ってはならないということになったのです。

限られたハロンの資源を有効に使うため、日本ではハロンバンク推進協議会という団体が、ハロゲン化物の一括管理をしています。

より安全に、建物の延焼を防ぎ、かつ、重要な文化財を守るハロン1301などのハロゲン化物。これも立派な「限られた資源」といえるでしょう。
| - | 23:18 | comments(0) | trackbacks(2)
消火に水を使わない。(1)


火災が起きたとき、水に頼らない消化方法があるのをご存じでしょうか?

火災が起きたときに、「ガス」を放射して火を消すのです。火が燃えるのは、そこに燃えるガス(酸素など)があるから。効果的なガスを部屋に充満させれば、火が燃えなくなるわけです。

図書館や美術館などをよく探してみると、トップの画像のように「ここにはハロゲン化物消火設備を設けています」という案内板が見つかるかもしれません。

もし図書館や美術館などで火災が起きた場合、「水をじゃんじゃん掛けて消化!」となると、館に収めてある貴重な資料は、焼失は免れても水びたしで価値ががくんと下がってしまいます。

“水びたし”にならないように、水を使わずに「ハロゲン化物」というガスで、消化をするというのが「ハロゲン化物消火設備」です。

「ハロゲン」。たまに聞く言葉ですね。「フッ素」「塩素」「臭素」「ヨウ素」の4つの元素の総称がハロゲンです。中でも、消化剤としてよく使われているのが、トップの画像にも書いてある「ハロン1301」。上の4つの元素の中の「臭素」に含まれます。

ハロン1301は、気体を吸い込んでも人体にはほぼ無害とされています。ただし、吸うと声が高くなるヘリウムガスのおもちゃのように、ハロン1301も吸い込むとしばらくは声が高くなるそうです。

では、万一、あなたが図書館や美術館を使っているときに火が出て、この「ハロゲン化物消火設備」の出番となったとき、その場はどうなるのでしょう? その場にたまたま居合わせたあなたはどうすればよいのでしょう? (続きの記事が今日読めなかったために、明日、火事で逃げ遅れる方が出ないことを祈りつつ)つづく。
| - | 23:59 | comments(0) | trackbacks(0)
市町村が公共施設を手放す時代(2)
市町村が公共施設を手放す時代(1)



地方自治法が改正され、都道府県や市町村など地方自治体は、公共施設の管理を「指定管理者」に任せるかどうか、選ぶことができるようになりました。

この法律改正の背景には、どんなことがあるのでしょう?

指定管理者制度も、小泉政権が掲げてきた「小さな政府」の方針のひとつ。小泉首相がよく言っていた「『民』にできることは『民』に」の、まさに具体例といえるでしょう。

では、公共施設の管理を指定管理者に任せると、いったいどんなメリットとデメリットが出てくるのでしょうか?

メリットとして、まず挙げられるのは「サービスの向上」です。民間団体に「うちに任せてください」「いや、うちに」と競わせることで、サービスの質が上がります。地方自治体にはそうした“競争意識”はそれほどありませんでした。一方、民間団体は、ほかの団体とのサービス競争は日常茶飯事。民間企業にとっては、指定管理者制度導入といっても何のことはない、これまでと同じく利用者へのサービスを追求を続けていけばいいだけのことです。

また、むだを省いて、少しでも利益をあげようとするのが民間団体の性。市町村が公共施設を管理するよりも、経費を低く抑えることができそうです。これまでの税金のむだづかいも、少しはよい方向に変わっていくかもしれません。

今回の指定管理者制度は、新たに建物を建設するといった話ではなく、これまで使っていた図書館やプールを誰が管理していくかという話。つまり、民間企業にとっては、初期設備のためにおカネを使う必要がないのです。

一方、デメリットとして挙げられるのが、まず、民間団体に任せると、管理が甘くなるということ。たとえばこの夏、プールの吸水口に女児が吸い込まれて亡くなるという、いたましい事件がありました。市が「指定管理者」である民間団体に管理を丸投げしていたのが、事件の遠因であると指摘されています。

また、施設の入館料や使用料が値上がりするのでは、という心配もあります。市町村が直営で管理していれば、多少の採算は度返しで、市民のために入場料を安くすることもあるでしょう。けれども民間団体が管理するとなると、利益を追求して、入館料や使用料の値上げに踏み切るのでは、といった心配があります。

メリット・デメリットある中で、全国の都道府県市町村は、来月(2006年)9月までに条例改正を行い、公共施設を引き続き直営にするか、それとも指定管理者に任せるかを決めなければなりません。

指定管理者制度で、あなたの住む街の公共施設がどう変わるか、この秋、注目です。(了)
| - | 22:42 | comments(0) | trackbacks(0)
市町村が公共施設を手放す時代(1)


あなたの町の公共図書館や博物館、公共プールを管理しているのは誰?

いまから3年前の2003(平成15)年6月、地方自治法という法律の「第244条の2」という部分が改正されました。次の条文の太線が改正された箇所です。
普通地方公共団体は、公の施設の設置の目的を効果的に達成するため必要があると認めるときは、条例の定めるところにより、法人その他の団体であって当該地方公共団体が指定するもの(以下本条及び第244条の4において「指定管理者」という。)に、当該公の施設の管理を行わせることができる。
なんとも地味目で、私たちの生活には何の関係もない法律改正のように見えますね。でも、そうではありません。

この法律改正のミソを一言でいうと、「都道府県市町村が運営する公共図書館や公営プールなどの公共施設を、今後は、こ都道府県市町村が直営で管理しなくてもいいですよ」ということ。もはや、あなたの町の公共施設も自治体が管理していないかもしれません。

「では、誰が公共施設を管理するのさ?」となりますね。法律改正後は、「指定管理者」が管理をすることになりました。この指定管理者とは、いったい何者なのでしょう? 

一言でいえば、指定管理者は「公共施設請負人」と言えます。株式会社などの民間企業やNPOなどの営利団体が、また、「○○文化財団」「○○文化振興事業団」などと名の付いた現行の「受託管理者」が引き続き、指定管理者になることができます。

「あれ、指定管理者制度になる前から、受託管理者が公共施設を管理してたことにならない?」おっと、鋭いツッコミですね。

指定管理者は、売上の一部を自治体に戻していたのですが、指定管理者になると指定管理者の収入になるわけです。いまや会社やNPOをつくりやすい時代ですから、あなたも「受託管理者」になって、儲けることができるかもしれません。

では、指定管理者になるためにはどうしたよいのでしょうか。これには二つの道があって、ひとつは、自治体から「よろしく」とご指名を掛けられること。もう一つは、「公募プロポーザル」といって名乗りを上げた複数の団体で争って、選定委員会から選ばれること。このどちらかです。

法律が施行されてからすぐに、「じゃあ、わが市のプール管理はA団体に任せるよ」とは行かないため、法律には「市が直営するか、それとも指定管理者に任せるか、3年間待ってあげるよ」という猶予が付いていました。これを「経過措置」と言います。

で、第244条の2が改正された自治法が施行されたのが、2003年9月2日。その「3年間」の猶予期限が、いよいよ来月(2006年)9月に迫ってきたわけです。

というわけで、いま市町村が直営で管理している公共施設なども、あと1か月もすれば、次々と管理者が代わっているかもしれません。

もちろん、こうした法律の改正には、「改正したほうがよいことがたくさんある」と役人や国会議員が考えがあったからこそ。では、法律を改正して、公共施設の管理を受託管理者に任せることに、どのようなメリットがあるのでしょうか? 一方、改正することによるデメリットはないのでしょうか?

ちょっと長くなったので、このメリット、デメリットについては、次回、お話したいと思います。つづく。
| - | 23:31 | comments(0) | trackbacks(0)
舎人公園の不思議な境界線(7)
舎人公園の不思議な境界線(1)
舎人公園の不思議な境界線(2)
舎人公園の不思議な境界線(3)
舎人公園の不思議な境界線(4)
舎人公園の不思議な境界線(5)
舎人公園の不思議な境界線(6)



昔は、足立区の広い地域に渡って“飛び地”が点在していた「舎人町」と「入谷町」。いまは、舎人公園の敷地のごく一部にその町名が残されているのみ。

念のために足立区のホームページにある「町丁別の世帯と人口」を見てみましたが、「舎人町」も「入谷町」も案の定、人口は「0」でした。

では、今後も舎人町と入谷町はれっきとした「町」として、残されていくのでしょうか? 先日、足立区の戸籍住民課の方に、この二つの町の今後についてお聞きする機会がありました。

――なぜ現在も、舎人公園敷地の一角のみに、「舎人町」と「入谷町」が残されているのでしょうか?
周辺で町名変更などを進めてきた結果、大規模な公園の敷地内に一部が残ったものです。
――現在の「舎人町」と「入谷町」は、今後も町名として残されるのでしょうか? もし変更されるとしたらいつ頃ですかい?
都立舎人公園はまだ完成していないため、その完成を待って住居表示を実施する際、別の町名に変更される予定です。都立舎人公園の完成を待って町名変更を行う予定ですので、予定年月日や変更後の町名については、現在のところまだ何も決まっておりません(以上、足立区区民部戸籍住民課住居表示担当者)。
どうやら、二つの町名は、いまも“なりゆき”で、残っているようです。けれども、きちんとした公園の設備が完成した時点で、町名の変更をする模様。

では、公園完成がいつになるのでしょうか? 公園を管理をしている東京都公園協会のホームページなどを見ましたが、まだ決まっていない模様。現地取材をした感触からいうと、少なくともあと1、2年は、舎人町と入谷町での造成は続きそうです。

地域を「土地の住所(地番)」から「建物の住居番号」に変えていく作業を、「住居表示」といいます。これは、昭和30年代から、地域情報の利便性を高めるために、各自治体が行ってきたこと。

「○○町」のように「町」が付いていた町名から「町」の付かない町名に変わるのが住居表示の傾向です。「舎人町」と「入谷町」も、ほとんどの地域で住居表示が行われ、「舎人」や「入谷」などの町名へと変わりました。

舎人公園の一角に残る「舎人町」と「入谷町」。このふたつの「町」は、昭和の名残を残した地理的遺産であるということができそうです(了)。

“後日談”はこちら。
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バス停の名前が気になる。


お台場へのアクセスといえば、「ゆりかもめ」や「りんかい線」がよく知られています。

けれども「都バス」もいろいろな駅からお台場方面へ走っていて、料金は一律200円。ゆりかもめの新橋駅-台場駅間310円、りんかい線の新木場駅-東京テレポート駅間260円に比べてもお得です。

私も最近、東京メトロ門前仲町駅から都バスに乗ってお台場方面に行くことがよくあります。

さて、毎度この都バスに乗るたびに、気になってしかたがないバス停の名前があります。東雲のあたりを過ぎるころ…。

「つぎは、ジャパン・エア・ガシズ前、ジャパン・エア・ガシズ前でございます」

ガシズって…。

他のバス停のアナウンスと同じように、たんたんと女性の音声が、日本語読みで「がしずまえ」と発音します。

「たぶん『ジャパン・エア・ガシズ』はガス関連の企業で、『ガシズ』は『ガス(gas)』の複数形なんだろうな」とは察していました。けれども「東京ガス」「大阪ガス」「京葉ガス」、多くのガス会社が単数系の呼び方の中で、なぜ「ガシズ」なんでしょ?

ジャパン・エア・ガシズのサイトを覗いてみると、同社はフランスの「エア・リキード」というグループと、日本の「大阪酸素工業」が統合して2003年1月にできた会社。現在はエア・リキードグループと、英国の「BOC」というグループが親会社です。

で、肝心の複数形の呼び方「ガシズ」について、同社の広報担当に聞く機会がありました。広報担当の方は親切にも次のように教えてくれました。
弊社の取り扱います、産業・医療用ガスは、酸素・窒素・アルゴン等の空気より分離する所謂エア・ガスをはじめとして、水素ガス、炭酸ガス、アセチレンガス、ヘリウムガス等々多くの種類に渡ります。従いまして、「多くのガスたち」と言うほどの意味合いを持たせた「ガス」の複数形である「ガシズ」とさせていただきました。
やはり。多種多様なガスを扱っているということだったのですね。

納得するとともに、もうひとつ疑問が。親会社“Air Liquide”の日本語読みが「エア・リキード」と発音に忠実であるならば、“Japan Air Gases”も「ジャパン・エア・ギャッシーズ」とか「ジャパン・エア・ギャシーズ」にしてもよいのでは? 

これについても、広報がごていねいに次のように教えてくれました…。
弊社の親会社の1つである、英国のBOCグループの産業ガスを担当する部門に、「BOC GASES」があります。弊社名の「ガシズ」の由来は、ここにもあるのですが、本来は英国流の発音で「ガシーズ」若しくは「ガッシーズ」と発音いたします。しかしながら、カタカナ表記とした場合にただでさえ長い社名が一層長くなることと、日本語として、「ガス」からかけ離れてしまう事が懸念されるため、「ガシズ」とさせていただきました。
なるほど。親会社の発音の読みに忠実にということと、日本語での社名をなるべく長くしないこと、この二つを取り込んだ結果が「ジャパン・エア・ガシズ」だったのですね。社名ひとつとっても、いろいろとあるもんです。

ジャパン・エア・ガシズのサイトはこちら。
http://www.japanairgases.co.jp/

都営バス「ジャパン・エア・ガシズ前」のバス停は、「東16系統」(東京駅八重洲口-東京テレポート駅前など)や「海01系統」(門前仲町-東京テレポート駅前など)の路線にあります。それぞれの運行系統一覧はこちら。
http://www.kotsu.metro.tokyo.jp/bus/keitou/2524.html
http://www.kotsu.metro.tokyo.jp/bus/keitou/2500b.html
| - | 19:18 | comments(0) | trackbacks(1)
アクセス解析の検索文字列1位は「マイティマウス 掃除」


ブログの「管理者ページ」には、「アクセス解析」というページがあります。

アクセス解析は、googleやyahoo!などの検索サイトに、皆さんがどんな検索文字列(キーワード)を入れて当ブログに来ていただいたかがわかるというもの。たとえば、googleに「アネクドート」と入れた方が、そのgoogleの検索結果から「科学技術のアネクドート」にアクセスしたとします。そうすると「アクセス解析」で「アネクドート」の検索数が1つ、カウントされます。

当ブログでのアクセス解析は過去3か月分が対象。このなかでランキング1位のワードは何かというと…。

「マイティマウス 掃除」でした。

つまり、最も当ブログに導いた言葉が「マイティマウス 掃除」だったのです。

(2006年)2月24日に、「スベスベマイティマウス」という記事で、マイティマウスの光学スクロールボール(スクロール機能などをもった突起状の小さな球ころ)が、“カリカリ”せずに“スベスベ”と滑ってしまい、スクロールができないといったことを書きました。

アクセス解析のランキングでは、「マイティマウス 掃除」以外にも、「マイティマウス 掃除」(スペースが半角、7位)や、「マイティマウス 故障」(9位)、「マイティマウス 不具合」(10位)と続きます。これらをワンテーマと考えれば、マイティマウスの諸問題は、圧倒的に当ブログへのアクセスを導いたテーマとなります。

では、アクセスをよく導く言葉とはどんな言葉なのでしょう。ひとつの特徴としては、そのテーマに関係する公式サイトが存在しなかったり、存在しても検索結果で目立たない位置にあったりといった言葉が考えられます。

検索の結果、アップル社の公式サイトによるマイティマウスの掃除の仕方がすぐに見つかれば、そちらにアクセスは流れるのでしょうが、見つかりづらいと、マイティマウスの掃除のしかたが書かれてありそうな個人サイトがアクセス先として選ばれるようです。実際、「マイティマウス 掃除」をgoogleで検索すると、当ブログは4番目に引っかかりましたが、アップルのサイトはなんと、ヒット上位195番までに一つも引っかかりませんでした。

いま私が使っているマイティマウスは2代目。初代は約6か月使って「スベスベ」状態になりました。2代目は、途中で「スベスベ」状態になりかけながらも、「掃除」によって、どうにか使える状態が初代と同じく6か月間、続いているといったところ。

アップル社の公式サイトにもマイティマウスの掃除のしかたが書かれてありますが、掃除の仕方を。


写真のように、マウスを天地裏返して、少量の水を含ませた、清潔でけば立っていない布の上に光学スクロールボールを当て、前へ後ろへと強くボールを転がしながら、掃除してください。すると、内部ハードウェアにたまった細かいゴミを取り除くことができます。その結果、また、“カリカリ”とスクロールするようになるというものです。

新品状態の“カリカリ”感は取り戻せませんが、これでスクロールはするようになりました。

免責事項。今回書いた掃除のしかたは、アップルの公式サイトを参考にしたものです。ただし、万一当ブログで書いた方法に従って、マウスの状態が悪化した場合、責任は負いかねます。正式な掃除の仕方は以下のアップル社サイト「Mighty Mouse の清掃方法」に載っていますので、そちらをご覧の上、掃除してみてください。
http://docs.info.apple.com/jarticle.html?artnum=302417
| - | 23:38 | comments(0) | trackbacks(2)
お台場、もう一つの橋。


産総研(産業技術総合研究所)の臨海副都心センターと日本科学未来館は、お台場の「国際研究交流大学村」というエリア内に建っています。船の科学館と大江戸温泉物語の間のエリアで、お台場の中心地(フジテレビなど台場駅周辺)からはやや遠し。けれども、ゆりかもめや都バス、それに無料シャトルバスが走っているので、交通の便は思うほど悪くはありません。

産総研のすぐ西側に日本科学未来館が建っているのですが、先日、この二つの建物の裏側と裏側に「橋」が渡っていることに気づきました。トップの画像です。

で、近づいてみると…。この橋、ちょうど真ん中のところに2、3センチの“すき間”が! 二つの建物を人は行き来できそうですが、アリは難しそうです。


産総研の方に“すき間”の事情を聞いたところ、橋をつなげると消防法に引っかかるのだそう…。

消防法5条には、構造が火災予防に危険な場合、消防長や消防署長が必要な措置を命ずることができる、と書いてあります。また、橋が繋がっていると、防災管理をどちらが引き受けるかと言った話も出てくるのでしょう。

でも橋を二つに分断しておけば、橋の東側は産総研のエリア、橋の西側は未来館のエリアとなるわけです。

橋は寸でのところでつながっていないものの、それが何かを象徴しているということではない模様。実際、産総研臨海副都心センターと日本科学未来館は「提携」ということで、きちんとつながっているようです。

2004年10月に両館は、研究者や、未来館の科学技術スペシャリスト(展示企画者)や、同じく未来館のインタープリター(展示・館内解説者)などが交流したり、展示品を共同開発したり、また学術の資料を貸し借りしたりといった提携をはじめました。期間はとりあえず5年とのこと。

たとえば、日本科学未来館の7階には、おもに館員が使っている食堂がありますが、そこを産総研の職員が使ったりもしているようです(もちろん人材交流って、ただそれだけのことじゃないだろうけれど…)。

お台場の橋は、レインボーブリッジだけにあらず。まだ私は、産総研と未来館を渡る橋を、人が使っているところを目撃したことがありませんが、今後この橋がよりひんぱんに使われれば、提携内容にも盛り込まれている「最先端技術のさらなる社会還元」にもつながっていくのでしょう。

くれぐれも橋の真ん中のすき間ではつまづきませぬよう…。

産業技術総合研究所臨海副都心センターのサイトはこちら。
http://unit.aist.go.jp/waterfront/jp/
日本科学未来館のサイトはこちら。
http://www.miraikan.jst.go.jp/
「日本科学未来館、産業技術総合研究所臨海副都心センターの提携」のプレスリリースはこちら。
http://www.miraikan.jst.go.jp/j/press/pdf/20041012.pdf#search=%22産総研 日本科学未来館%22
| - | 22:11 | comments(0) | trackbacks(1)
通学制と通信制


早稲田大学で学芸員資格取得夏季講座が開講中で、講座を受けに行っています。

早稲田の大学院に所属している大学院生は、講座料が「免除」。でも、この夏期講座はかなりの人気のようで、受講生のキャパシティに限りがある実習系の講座では、登録しても抽選で落ちてしまう場合があり、資格取得のためには少なくとも2年かかる見込みです(講座料免除者が“優先的”に抽選落ちするかどうかは不明)。

学芸員の資格と同様、人気があるのが司書資格取得講座。私は、いま、玉川大学の通信教育学部にも籍をおき、司書の資格も取得中です(こちらも2年計画となってしまいました)。

両方の資格をとろうとする理由は置いておいて、性格の似ている二つの資格。早稲田大学のような通学制と、玉川大学のような通信制、それぞれの長所短所を考えてみたいと思います。

通学制の授業では、もちろん、講師が前に立って授業をします。近くに座っている受講生と「新しい博物館をオープンさせるシミュレーションをしよう」などのテーマのディスカッションをします。これらのことはやはり通学制ならでは。

けれども、それぞれの講師はそれぞれの研究専門領域があるわけで、授業はどうしても、講師の専門領域に近い部分の話にかたよってしまうこともあります。大学の授業で「科学史」などという名前の授業を受けてみたら、ある限られた国の限られた年代の科学者についての話がもっぱらだった、なんていうのと同じようなものですね。もちろん、授業は全部で数個あるので、トータルで見たら「いろいろと学んだな」ということでバランスがよくなるかもしれません。

また、通学生は「夏期集中講座」のように、ある短い期間のうちに、朝から晩まで何限も連続で授業を受けることになり、持久力勝負の面があります。とりわけ、「講師の話し方や教え方がどうも合わないな」となると、それをたとえば「3限×5日」連続などで聞くのは、忍耐のいることかもしれません。

一方、通信制では、レポートを提出し、ある決められた週末に学校に出向いて試験を受けることが資格取得への条件になります。これらレポートと試験の二つに大きく関係するのが、年度初めに送られてくる「教科書」。教科書を読んだうえでレポートを書いたり、教科書を読んだうえで試験に臨んだりするわけです。

となると、教科書は、通学制でいう講師の役割。教科書も、もちろん書いた著者によって、分野や考えのかたよりがないわけではありません。けれども「共著」などの形をとっているものも多く、通学制に比べると、「まんべんなく学ぶことができる」といった印象です。

けれども、自分で教科書を開かないことには勉強時間は始まりません。

また、みんなでディスカッションといったことは難しいです。そうしたこともあり、夏休みなどに「スクーリング」という通学の授業も設けられているのだと思います。

人と直接会っての通学制と、自分のペースでコツコツの通信制。性格などによっても、合う合わないはできるでしょう。

言えるのは、先生のことが好きになると、その科目も好きになる、ということはよくあること。そうした意味では、「通学制」のほうが、「アタリ・ハズレ」の差は大きく出る、ということです。
| - | 12:36 | comments(0) | trackbacks(4)
民博の曲線美
先日、大阪府吹田市にある国立民族学博物館に行ってきました。以前の記事では、そのときに開催中の「みんぱく昆虫館」をお伝えしました。今日は常設展示の模様です。

どちらかといえば、ふらふらーっと館内に入ってみたのですが、中の展示物の美しさに驚きました。とくに曲線美が! やはり、曲線美の美しさは、自然のなかの曲線と結びついているのでしょう。昔の民族が、いかに自然の中で曲線に囲まれて過ごしていたかがよくわかります。

とりわけ、美しいのが、オセアニアやアフリカなどの南半球の作品の数々。彫像の顔の表情がとても豊かでした。


ご存じ、イースター島のモアイ像。


オセアニアのお面。下から見上げるのと…


上から見下ろすのとでは、こんなにも表情が違います。紙幣の肖像に折り目を付けて見るのと似てますね。


アボリジニの虹ヘビ。雨をもたらす自然を象徴しています。


同じくアボリジニの展示から、オーストラリアの在来犬「ディンゴ」の家族。開拓者ヨーロッパ人にとっては厄介者でしたが、先住民アボリジニにとってはかわいいペットだったようです。


どれもカラフルな帽子の数々。


アメリカ先住民のトーテムポール。


アフリカの彫刻。曲線にムダがありません。光沢ぶりも美しい。


同じくアフリカから。こちらは一転、リアリスティックな顔の表情です。


サハラの滑車。


カメルーンのかざりひょうたん。均等な並べ方が、またきれいに見せます。


カメルーンの座像。表情の「余裕ぶり」が、なごませてくれます。大阪の新世界あたりにもいそう…。


ナミビアの「ヒンバ」という民族の首飾り。


タンザニアに住むマコンデの人々が彫った木像。圧倒されます。


最後はナイジェリア・イボ族の木像。さくらももこ作のキャラにいそうな顔です。

というわけで、取材のついでにふらふらーっと立ち寄ったつもりが、作品の美しさにただただ感動してしまいました。

大学生の4年間、私はこの民族博物館のある万博記念公園のすぐ近くに住んでいました。にもかかわらず、民族博物館は今回がはじめて。いまごろになって、関西にいたのならば、あれもこれも見ておくべきだったと反省しきり。

国立民族学博物館(民博)のサイトはこちら。
http://www.minpaku.ac.jp/
| - | 23:39 | comments(0) | trackbacks(0)
鉄道運行のアナウンスもいろいろ


今朝、東京と千葉県で大規模な停電が起きました。

私は、早稲田大学で行われている夏期講座の1限目の授業に向かうため、東京メトロ原木中山駅から東西線に乗ろうとしていたところでした。

原木中山駅は東西線単独の駅。

ここから都心のほうに進むと、門前仲町駅までの9つの駅が東西線単独の駅となります。

一方、都心から離れていくと、次の駅が東西線の終点・西船橋駅。この駅は、総武線、武蔵野線、京葉線などが止まる、交通の要所の駅です。

「西船橋駅まで行って、そこから総武線で都心へ向おう」とも思いましたが、早稲田へはどうせ東西線を使うことになるので、そのまま原木中山駅から都心へ向かう電車に乗りました。10分ほどして、葛西駅-西船橋駅間が復旧したため、乗った電車は「葛西駅行き」となり出発。

車掌のアナウンスでは、「東電の故障のため、東西線は、現在東陽町と飯田橋の間で運転を見合わせています。なお、JRも京葉線が運転を見合わせているとの情報が入っております」とのこと。たぶん、何度も「東京電力の変電所の故障」と繰り返しているうちに「東電の故障」となっちゃったんでしょう。

また、車掌に入ってくる情報と、各停車駅に入ってくる情報とでは、かなり内容が異なるものでした。

たとえば、原木中山のとなりの妙典駅では、「東京地方で起きた大規模な停電のため、東西線は、東陽町-飯田橋間で運転を見合わせております。また、ただいまJR線も、京葉線、武蔵野線、総武線すべてにわたって電車は走っておりません!」と、かなり悲観的。

また、駅によっては、「総武線は大幅にダイヤが乱れていますが、運転はしています」というアナウンスもあれば、さらにその先の駅で「総武線は全線で運転を中止」というアナウンスも。

一方、時間が経って、復旧のメドがたったこともあるでしょうが、途中の浦安駅では「東京地方で起きた大規模な停電がありましたが、もうすぐ東西線は全線復旧しそうです」と、かなり希望的。結局、その直後「え、ただいま、電力が回復したようです。全線運転再開です」との駅員のアナウンスで、ホームで待っていた客がどっと車内に押し掛けました。

結局、約40分遅れで早稲田駅に到着。

たぶん、駅アナウンスのマニュアルなどもあるのでしょうが、事故情報のアナウンスには、悲観的に伝えようとする駅員と、逆に楽観的に伝えようとしている駅員の性格の差が滲み出ていました。こう言ってはなんですが、大学には遅れたけれど、ちょっと貴重な経験をした朝でした。

東京メトロ「停電事故による輸送障害に関するお詫び」はこちら。
http://www.tokyometro.jp/kinkyu/index.html
東京電力「クレーン船の接触に伴う当社特別高圧送電線損傷による停電事故について」はこちら。
http://www.tepco.co.jp/cc/press/06081401-j.html
| - | 16:39 | comments(0) | trackbacks(1)
科学者を見せる科学
科学者と対話したり、科学史の本を読んだりするにつけ、感じるのが「科学者を知ることが科学を知ることにつながる」ということです。

常日頃、「科学者を見せる科学」は重要だと思っています。「科学者を見せる科学」とは、「科学教育を受ける者が、科学者の波瀾万丈の人生や人間味溢れる逸話などを知ることで、さまざまな科学分野の興味や知識を得る」こと。

「科学者を見せる」ことにより、科学を学ぶ人は、「誰が何をした」という動的な文脈の中で科学を知ることにより、学習者にイメージが植え付けられるでしょう。また、科学者の逸話を知ることにより、その科学者に対する興味をもつでしょう。それが、科学への興味にもつながっていくと思うのです。

では、「科学者を見せる科学」にふさわしい「場」は、いったいどこにあるでしょうか。

まず考えられるのは、「学校教育」という「場」です。

たとえば、高校理科では2003年から「理科基礎」という科学史を扱う新科目が導入され、「理科基礎」の教科書で、レイチェル・カーソンなどの女性科学者の活躍や、ナイロンの発明者ウォーレス・カロザースが、ナイロンの製品を見ぬうちに自殺を遂げたエピソードなどを載せています。

けれども、学校教育では、いつの時代も取沙汰されている「学習指導要領」が、「科学者を見せる科学」の自由を制限することと、「大学受験勉強」が「科学者を見せる科学」の時間を制限すること。この二つの要員により、「科学者を見せる科学」の実現は、残念ながら、あまり期待できません。

では、「科学者を見せる科学」の「場」として、どんなところが考えられるでしょうか。

私が着目しているのは、科学館です。学校教育に比べて、博物館における活動は自由度が高く、「科学者を見せる科学」を実行しやすいからです。

たとえば、東京のお台場にある「日本科学未来館」は、2001年開館したときに、10のコンセプトを掲げた中で「みなさんに見てもらうのは物より人です。」というのを1番目に掲げています。

 実際に、日本科学未来館では、来館者が館内で科学実験をすることのできる「実験工房」で、ノーベル化学賞受賞者の白川英樹先生が、長い間、実際に“教授”としてレクチャーしたことあり、話題を呼びました。

また、各展示フロアには、「研究者インタビュー」という動画ディスプレイがあり、各ゾーンの監修者が、自分の研究における原点、研究テーマ、今後の研究への抱負を語っています。

スポーツには記録保持者がいます。音楽には作曲家や指揮者がいます。芸術には画家や書家がいます。こうした人々に、われわれが関心を示すのは、「人間は人間に関心がある」という証拠でしょう。

他の分野と同様、科学には発見をしたり、科学の面白さを広めたりする科学者がいます。「科学者を見せる科学」を、さまざまな科学館・博物館が実践していってほしいと思います。

日本科学未来館のサイトはこちら。
http://www.miraikan.jst.go.jp/
| - | 23:59 | comments(0) | trackbacks(0)
大学の競争原理


社会のいろいろなところに、「競争原理」がつぎつぎと入ってきています。大学もその例外ではありません。

日本の大学は、ここ15年ぐらいの間におもに3つの大きな出来事があり、それによって大学間の競争が進んでいったと言われています。年代順にその3つを追いかけてみることにします。

第一弾が、1991年に文部科学省から出された「大学設置基準の大綱化」というもの。

それまでは、大学の組織の作り方や、教育課程のありかたなどは、文部科学省が作っていた「大学設置基準」によって細かく区政されていました。けれども「大綱化」つまりは、「大学の設置基準についての、だいたいの内容を決めるだけにします」という変更によって、この規制が撤廃され、それぞれの大学が創意工夫して、自らの大学のあり方を決めていくことになったのです。

第二弾は、おなじ1991年ごろから、東京大学や早稲田大学などの“一流どころ”と言われる国立・私立大学がおこなった「大学院重点化」です。

大学院重点化とは、大学の組織を、学部(文学部、理学部などの大学4年生までの教育を担当する部)から、研究科(政治研究科などの大学院での教育を担当する科)を中心にして考えるようにすることです。大学院重点化をおこなった大学は、予算どりや教員確保の面で、いろいろと有利なことが起こり、その結果、大学の間での「序列」が生まれるようになったといわれています。

そして、第三弾が、2004年の「国立大学の独立行政法人化」です。

それまで国立大学は、文部科学省の一機関でしかない位置づけでした。けれども、この独立行政法人化により、国立大学は自分たちの手で学校の経営をしなければならなくなったのです。大学の「質」をあげることや、運営費・研究費などの費用を獲るといった面で、実力が試されるようになったわけです。東京大学や北海道大学などに、ビアガーデンがオープンしたなんていうニュースは、この独立行政法人化ならではの試みでしょう。

それぞれの出来事に関して、それぞれの評価があります。たとえば、大学院重点化によって、(いろいろな意味で)強い大学はより強くなり、弱い大学はジリ貧を招いたなどという批判もあります。

日本の社会は、貧富間の差や地域の差などの「格差」が広がったと言われていますが、それらとおなじ縮図が、大学にも当てはまるわけです。
| - | 23:59 | comments(0) | trackbacks(0)
ギネス公認の癒しロボット


今日も産業技術総合研究所(産総研)の研修へ。ただしつくばではなく、お台場の副都心センターです。9月29日・30日のバイオインフォマティクス(生命情報科学)についてのイベントの打合せや関連の新聞記事原稿づくり、また創薬についての講習会の聴講などなど。

昼休み、研修担当の原田さんに「産総研の“パロ”には触ったことがありますか?」と言われ、案内してもらうことに。

1階の入口横のブースの箱にタテゴトアザラシのパロが眠っていました(口のおしゃぶりが充電の印)。受付嬢に眠っているパロを出してもらってなでなで。すると、

「ウーーーッ!」という鳴き声。瞬きもします。

今度は、ヒゲをぴんぴん引っ張ってみると、

「ウーウゥッ!!」という叫び声。イタズラしてごめんごめん。

このパロは、産総研の最先端技術を結集して作った癒しペットロボットです。リラックス、元気付けといった心理的効果、ストレス低減といった生理的効果、コミュニケーションを活発にするといった社会的効果があることが確認されています。なんと、かのギネスブックが「世界で最もセラピー効果があるロボット」として、ギネスレコードに認定したほど! しかも、研究開発がもとで、パロを販売する産総研発ベンチャーまで設立されています。

このパロ、一般販売用は税込み35万円也。その他、リースなどもやっています。最近では白以外にゴールドのパロも選べるようになったとのこと。

当初は、福祉介護用として、例えばご老人のコミュニケーション相手に買われることを見込んでいたそうですが、ロボット好きの若い人たちがけっこう買うそうです。

そもそも、なぜ、アザラシなんですかい?

「なぜって、イヌやネコだと、人間はふだんからよくかわいがっているからです」(原田さん)

まつげが長いところだけ、やや納得いきませんでしたが、それ以外は言うことなし。癒しの効果世界一というとおり、しばしの休み時間、パロに首ったけとなりました。

パロのサイトはこちら。鳴き声も聞くことができます。
http://paro.jp/
パロを販売している「株式会社知能システム」のサイトはこちら。
http://intelligent-system.jp/
| - | 20:13 | comments(0) | trackbacks(1)
産学官連携の現場で「研修」


今週は毎日のようにつくば市に行ってます。産総研(産業総合研究所)での「研修」のため。

産総研…。理工系出身の方や産業技術にお詳しい方はよくご存じかもしれません。研究者や技術者が、モノづくりなどのために日々、研究開発をしている公的機関です。2001年に独立行政法人化し、また昨2005年には“非公務員型”の独立行政法人となりました。

今回の「研修」は、私の通っている早稲田大学大学院の関係で紹介してもらったもの。産総研の「産学官連携推進部門」という部署での研修です。

「産学官連携」は、ここ数年、よく聞く言葉ですね。産業(つまりは企業)と学(つまりは大学)と官(つまりは省庁や自治体)が協力して、おもに産業に役立つことをしましょう、というのが産学官連携。たとえば、企業の研究部門と大学の研究者たちとが手を組んで新製品を開発する、といったしくみは「産学連携」です。

産総研は、産学官それぞれの連携の間を取り持つ「イノベーションハブ」としての役割を担っていると謳っています。

実際、研修で何をやっているかと言うと、産総研の研究部門のリーダーに取材をしたり、産総研のパンフレットなど各種資料からデータを入手したりして、産総研の産学官連携を紹介する雑誌記事の原稿を作っています。また、催し物の案内状のパッケージングをしたりも。

トップの写真は、いま私が詰めている筑波センター情報棟の窓からの眺め。今日は台風一過。筑波山がとてもきれいでした。

研修でお世話になっている産学官連携推進部門・原田さんの話では、「今年の研修は試験的なものだが、来年からは正式にインターンとして受け入れることも考えている」とのことです。

産総研のサイトはこちら。
http://www.aist.go.jp/
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原爆と「ホルミシス効果」


長崎に原爆が落とされてから今日で61年。今回も、原爆に関係したことを考えてみます。

大阪大学の近藤宗平名誉教授は、原爆で被爆した日本人を対象に、死亡リスクについての調査したことがあります。

近藤名誉教授の調査結果では、例えば、長崎で被爆した男性の場合、被爆の線量が55〜99センチグレイでは、がん以外の病気での1970年〜1988年での死亡危険度が、明らかに100%より低くなっているというデータがあるそうです。「グレイ」とは、放射線が物体を通過するときに1キログラムあたり1ジュールのエネルギーを与えることを示す値。「センチ」がつく「センチグレイ」は「グレイ」の100分の1となります。

原爆の被爆者の半数が死亡するとされる線量は、0〜450センチグレイ以上といわれ、実際に長崎・広島の被爆者は、このような線量を受けました。通常、人が自然界の放射性物質から1年間に浴びる線量は0.3センチグレイといわれています。

つまり、近藤名誉教授の調査結果によれば、1年間に通常浴びる線量の300倍を被爆したとしても、かえってそれは、がん以外の死亡危険度は少なくなるということになります。

予想されるように、この結果に対しては反論もあります。

米国の物理学者ロバート・アーリック教授は、「特殊な選択をおこなわないかぎり、そのような効果は見られない」と言います。例えば、女性に関するデータ、がんによる死亡についてのデータ、1970年〜1988年以外の年における死亡データを調べると、50〜99センチグレイの線量での死亡危険度はむしろ増していると主張。「全データのうちから一組の部分データを選び出すという統計学的な誤り」は「データを『料理する』と呼ばれる」と、近藤名誉教授を批判しています。

ところで、「生物に対して害のあるものも、少しの量ならば逆によい作用を示す」ことを「ホルミシス効果」といいます。米国のトマス・ラッキー博士が1982年に発表した考えです。語源は「ホルモン」とおなじで、「刺激する」というギリシャ語の“horme”から来ています。

近藤名誉教授もこのホルミシス効果を支持する学者の一人。実際に、近藤名誉教授の調査ではありませんが、日本の被爆者は、他の日本人の死亡率と比較すると、実際には長生きをしているという統計も存在するそうです。

けれども、こうした「被爆者長寿説」にも反論があります。戦争や原爆被害をなんとか生き延びた人々は、からだがより屈強で健康だったため、長生きをしているという「健康な生存者効果説」です。

原爆の被爆によるホルミシス効果を当てはめられるかどうか…。私には判断がつきません。

けれども、「もし仮に原爆の被爆によるホルミシス効果がたしかにあるのだとしても、それを声高に広めるべきではない」というのが私の考え方です。

なぜなら、長生きしている被爆者たちは、いまも被爆の後遺症で体が疼くなど、苦しい生活を強いられているからです。クオリティ・オブ・ライフを考えたときに、単に「長生きだから幸福」とは、簡単に言うことができません。

また、被爆者のホルミシス効果を主張することが、つい、原爆の存在を肯定することにつながりかねないからです。もちろん、原爆の被爆によるホルミシス効果を謳う科学者も、原爆の存在自体には反対する人は多いでしょうが…。

武器や戦争の正当性を主張する人が、科学の調査結果さえも利用することは、歴史を見れば明らかです。科学と政治が切り離されるほどの成熟した世界にはまだ至っていません。

参考文献:ロバート・アーリック著『トンデモ科学の見破りかた』
| - | 23:36 | comments(0) | trackbacks(0)
舎人公園の不思議な境界線(6)
舎人公園の不思議な境界線(1)
舎人公園の不思議な境界線(2)
舎人公園の不思議な境界線(3)
舎人公園の不思議な境界線(4)
舎人公園の不思議な境界線(5)



江戸時代、舎人公園周辺はひとつの村でした。その村には舎人の人、入谷の人、そしてとなりの古千谷の人がそのひとつの村の中で一緒に暮らしていたそうです。

当時、このあたりは、手つかずの土地が広がっていたのでしょう。住民たちに「土地を買う」といった感覚はなく、「早い者勝ち」で土地を自分のものにしていたようです。

舎人の人は、「このへんは、わしどもが耕すぞ」と言って、囲った土地を舎人の人のものとしました。

一方、入谷の人は、「うちらは、このへんをもらうぞ」と言って、囲った土地を入谷の人のものとしました。

こうして囲っていった土地が、そのまま舎人の人のもの、入谷の人のものとなったのです。

江戸時代の終わりごろ、ひとつの村だったこの地域は「舎人町」と「入谷村」そして「古千谷村」という三つの町村にわかれました。

けれども、土地の所有権は昔のまま。となると、収拾がつきません。

舎人町の中に入谷の人の土地がぽつぽつと点在し、一方の入谷村の中にも舎人の人の土地が多く点在することになったのです。

時は流れ1932(昭和7)年。舎人の一帯が(東京市)足立区に併合されました。けれども舎人町と入谷町は依然として錯綜状態が続いたまま。

それも、昭和から平成にかけての住居表示などで、じょじょに解消されていき、舎人町や入谷町は「舎人」や「入谷」といった新しい地区名に生まれ変わっていきました。

でも、舎人公園の一部はいまだに「舎人町」と「入谷町」が残されています。

今後もれっきとした「町」として、残されていくのでしょうか? つづく。
| - | 23:59 | comments(0) | trackbacks(0)
「ビール」の内側からの景色


浅草の対岸、墨田区吾妻橋に、アサヒビール本部「アサヒビールタワー」(写真左)と直営のビアホール「スーパードライホール」(同右)があります。

以前、この地にはアサヒビールの吾妻橋工場がありました。昭和の終わりごろまで生産を続けていましたが、当時は経営状態も芳しくなく閉鎖することに。その後、「スーパードライ」などのヒットにより、息を吹き返したアサヒビールは、1989(平成元)年に、この二つのタワーとホールを竣工します。国土地理院のサイトでは、1948年当時の吾妻橋工場が映し出されています。


ビールを模したような、アサヒビールタワーのほうは、巴コーポレーションという総合建設企業の施工。設計は日建設計という設計事務所です。

一方の、スーパードライホール。こちらは、フィリップ・スタルクと野沢誠(GETT)という有名建築家が手がけました。フィリップスタルクはフランス人で、内装のほか、家具や椅子などのインテリアデザインも手がけています。この二人は、東京都港区白金台にある「ユーネックスナニナニ」というオフィスビルも1990年に竣工しています。

誰もが、目に行くのが屋上の枝豆然としたオブジェ。「フラムドール(金の炎)」とよばれていて、アサヒビールの「新世紀に向かって飛躍 するアサヒビールの燃える心」を表現しています。

先日、取材のため「ビール」のほうの、本社におじゃましました。1階のエントランスに案内ブースがあるものの、総合受付は16階。このフロアは銀行の待合室のようになっていて、受付嬢が面会先の社員との取り次ぎしてくれます。

内側から見たガラスの色は…。まあ、予想はついていましたが、何ともない、ほぼ無色透明の東京の景色が広がっていました。壮観な眺めです。

もう少しこの二つのビルを詳しく調べたいと思って、手元の『建築MAP東京・2』をパラパラめくってみたのですが、意外や意外、この二つのビルは地図には載っているものの、写真付きの記事にはなっていませんでした。これだけのインパクトがある建物。見る人の好き嫌いも激しいということでしょうか…。

今度は、対岸の浅草から、二つのビルをつまみにしながら、ビールと枝豆を楽しみたいもんです。

アサヒビールの会社概要はこちら。
http://www.asahibeer.co.jp/aboutus/summary/
「アサヒビールタワー」の施工者・巴コーポレーションのサイトはこちら。
http://www.tomoe-corporation.co.jp/
同じく「アサヒビールタワー」の設計者・日建設計のサイトはこちら。
http://www.nikken.co.jp/index_ja.html
「スーパードライホール」の建築家フィリップ・スタルクのサイト“PHILIPPE STARCK NETWORK”はこちら。
http://www.philippe-starck.com/
同じく「スーパードライホール」の建築家GETT野沢誠氏のプロフィールはこちら。
http://gett.jp/profile.html
| - | 23:57 | comments(0) | trackbacks(7)
書評『原子爆弾の誕生』
広島に原子力爆弾が投下されてから今日で61年。今日は、広島原爆の日にちなんで、米国の原子力爆弾作成計画「マンハッタン計画」に関わった科学者たちの心の細部にまで迫ったドキュメントを紹介します。

『原子爆弾の誕生(上・)』リチャード・ローズ著 神沼二真・渋谷 泰一訳 紀伊國屋書店 1995年 上巻736p・下巻740p


上下巻あわせて1000ページ以上。登場人物もあまた。中心人物として出てくるのは、レオ・シラード、アーネスト・ラザフォード、オットー・ハーン、ニールス・ボーア、エンリコ・フェルミ、ロバート・オッペンハイマー、アーサー・コンプトン、アーネスト・ローレンス、といった面々。アインシュタインは脇役だ。章によって主役が目まぐるしくかわる。

彼らがだいたいどんなことをした科学者であるかを知っていて読めば、彼らの人物像や性格などの「生」の部分に触れられることができるので、興味も数段増すだろう。

連合国側の科学者たちが原子爆弾を作るまでの研究や、政治家たちの駆け引きなどをありのままに読むことができる。日本やドイツが敗戦に向っている裏側で、科学者(おもに亡命科学者)たちが、戦争のために、どう駆り出されたのか、または、どう駆り出されなかったのかが克明にわかる。感情抜きであれば、これほどの資料的価値のある本は数少ない。

しかし、感情移入してしまえば、日本での戦争末期の惨状を尻目に、まるでサイコロを投げるようにして標的都市を決めたり、広島に落とされる「リトルボーイ」にくだらない落書きをしたり、投下直後に原爆開発者のオッペンハイマーが「まあまあの出来栄」などと悠長にコメントしたりという事実があったわけで、人の命をこんなにも軽々しく考えていたものかとがく然とする(その後オッペンハイマーが原爆投下を後悔したのは救いだ)。

結局はだれにも止められなかったわけだ。ドイツでの原爆開発が進んでいないことがわかってからもなお、大義を差し換えて開発を続ける(最近のどこかの超大国のようだ)。戦争が加速させる時の勢いとはそんなものかと思う。

戦争、とくに第二次世界大戦において、勝敗の分かれ目となった要素には、兵站術や暗号解読などさまざまなものがあるだろう。もっとも大きな要員のひとつが科学だったことは間違いない。好奇心を純粋に求める科学が、何かのために使われる科学に変わっていくことは多々ある。原子力爆弾開発は、その最たる、そして最悪の例として、いつまでも人間の記録に残されていかなければならない。

『原子爆弾の誕生(上)』はこちら。
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4314007109/249-9697270-2293966?v=glance&n=465392&s=books
『原子爆弾の誕生(下)』はこちら。
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4314007117/249-9697270-2293966?v=glance&n=465392&s=books
| - | 23:45 | comments(1) | trackbacks(1)
舎人公園の不思議な境界線(5)
舎人公園の不思議な境界線(1)
舎人公園の不思議な境界線(2)
舎人公園の不思議な境界線(3)
舎人公園の不思議な境界線(4)

「このあたりはね、一面、舎人町と入谷町の飛び地がいくつも広がっていたのよ」

ご婦人からもらったこのお話を頼りに、足立区千住にある、足立区立中央図書館に行ってみました。

郷土資料の棚から、1993年の『カラーマップあだち』という地図を見つけて、舎人公園のあたりを開いてみます。

するとどうでしょう。舎人公園周辺の一帯には、舎人町と入谷町の飛び地が、斑点のように地図の至るところにぽつぽつと点在しています。


『カラーマップあだち'93』赤いところが当時の「舎人町」。青いところが当時の「入谷町」。

例えば、舎人町の北、「入谷1丁目」(話の主役になっている入谷町ではない)となっているところには、合計15個もの舎人町の飛び地があります。しかも、いちばん面積の広い舎人町の中には、小粒の「入谷町」(話の中心になっている)が埋め込まれています。つまり、入谷1丁目の中に舎人町があり、その舎人町の中にさらに入谷町があるという関係。イタリアの中のバチカン市国の中にさらに別の国があるようなもんですね。

では、謎の発端だった、舎人公園内の舎人町と入谷町はこのころどうなっていたのでしょう?

現在の「舎人公園」という町名となっている地域は、93年の時点では「舎人町」と「入谷町」なっていて、ここでも二つの地区が複雑に入り組んでいます。ベースは入谷町で、その中にいくつも舎人町がはめ込まれています。

93年の時点では、尾久橋通りの西側も「舎人町」と「入谷町」が複雑に入り組んだ地域になっていますが、いまは、尾久橋通りの西側は「舎人公園」という地域になっています。別の資料によると、この地域が「舎人公園」に改められたのは、97年3月1日のこと。

こうした結果、現在のとおり、尾久橋通りの西側の一角のみが、「舎人町」と「入谷町」が複雑に入り組む地域として残されたというわけです。

そもそも、こんなにおなじ名前の地域がそこかしこに点在するなんて、どうしたことだったのでしょう? つづく。
| - | 23:59 | comments(0) | trackbacks(0)
「みんぱく」で虫に注目


大阪に出張をした足で、吹田市の万博記念公園内にある国立民族博物館へ。

世界の民族の彫刻や食器など工芸品の品々の美しさにただ圧倒されましたが、それはまた後日改めまして…。

今回は、(2006年)9月5日まで民族博物館の中で開催中の「みんぱく昆虫館」についてです。「民族博物館が、なぜ昆虫の展示を?」と思っていましたが、行ってみると納得。蝶の模様をあしらった絵や、蜘蛛の背中に人の顔を彫り込んだ蜘蛛仮面など、世界の民芸品が展示されていました。


日本の民芸品もけっこうありましたが、実用品が多め。例えば、以前このブログでカイコのサナギの食用缶詰があると書きましたが、まだまだあるわあるわ。飾ってあったのは、蜂の子にざざむしにヘボの子といった、食用昆虫の缶詰め・瓶詰めの数々。


また、日本で昆虫にかかわる生活品といえば「蚊帳」がありますね。遠足で来ていた小学生たちが、物珍しそうに蚊帳に触ったり、中に入ってたたずんだりしていました。


メキシコの蜘蛛仮面くんは、こう案内してくれます。

「今後ともお互いに切磋琢磨、おなじ地球に生をうけた生き物同士、したたかに利用し、利用されながら、正々堂々と進化のレースを繰り広げようではありませんか」

昆虫は、地球の動植物のなかでじつに約80%もの種をシェアすると言われています。たしかに、人間とさまざまな動物の間にも、鈴虫から秋の風情を感じたり(アメリカ人にはこの風情は理解できないそうですが)、蚊に血を吸われたりしながら、持ちつ持たれつで行きています。

彫刻品や生活品の数々は、人間が昆虫からなんらかの影響を受けたからこそ作られたもの。これらの昆虫たちを見ることで、虫たちからどんな影響を受けたのか、人間を見ることができます。

夏休みの自由研究などで万博公園に虫取りをきたら、セットでよってみるのいいかもしれませんね。

国立民族博物館「みんぱく昆虫館」は9月5日まで。案内ページはこちら。
http://www.minpaku.ac.jp/museum/exhibition/insect/
| - | 21:00 | comments(0) | trackbacks(2)
買ったモノを「古い」と感じないために。


先日の記事「書評『スクラップエコノミー』」では、日本が壊しては作りを繰り返す「スクラップ&ビルド」社会であるということに触れました。

人はなぜ、新しいものをつぎつぎと買おうとするのでしょう?

ひとつには、使っていたモノが物理的に壊れたから買い替えるということがあります。私も先月、ブラウン管のテレビが故障した(電子ビームの走査が横一本になった)ため、液晶テレビに買い替えました。

もうひとつ。新しいものを購入しようとする心理の裏には、使っていたモノが古くさく感じられるようになるといった、デザイン面での心理変化があることも考えられます。

とくに感じるのは、パソコンのデザインやクルマのデザイン。新商品を買った当初は、新しいデザインに満足します。ところが不思議なことに、新しい製品が出てくると、どうも自分が使っていたものが古く見えてきます。

こうして、使っていたものに対して「古いデザイン」と感じはじめると、別の新しいモノに目移りしてしまいます。

こうした感覚の総和こそが、つぎつぎと新しいものを人が買う社会なのではないでしょうか。

次々と買い替えることは、経済的に見れば「高回転社会」を生み出していいのかもしれませんが、環境面を考えると、やはり、マータイさんに「モッタイナイ」と言われてしまいます。

使う人個人の話でも、「古いデザイン」と感じながら使い続けるのはあまりいい気がしません。

そこで考えてみたこと。

まず、「古風なデザイン」のモノを買えば、「古いデザイン」と感じることはなさそうです。

クルマでいえば「ミニ」。最近はモデルチェンジもされましたが、トップの画像のとおり、それでも古風なデザインは残っています。いくらまわりのクルマが新しいデザインになったからといって、「ミニ」には、それに流されないような絶対的なデザインがあります。

もともと古風なデザインのモノを買うのがイヤな場合でも、たとえば、よりシンプルなデザインを選べば、まわりのデザインチェンジに流されずに、いつまでも飽きずに使うことができるでしょう。飾りがあればあるほど、それは「古いデザイン」の要素になる気がします。
| - | 12:09 | comments(0) | trackbacks(1)
書評『この地球で最初に愛を見つけたふたり』
読む本といえばもっぱらノンフィクションですが、たまに手にとるフィクションもやはりいいもの。今日ご紹介するのは、韓国で発売当時、大きな話題になった物語です。

『この地球で最初に愛を見つけたふたり』イ・スヒョン著 孫美幸訳 サンマーク出版 2006年 208p


水辺の地でイワティに育てられた少女リラと、岩場の地でつねに闘う者として育ってきた少年ナトゥール。ふたりの住んでいた地は氷に閉ざされる。生き伸びるために、ふたりは暖かい太陽が降り注ぐ地を求めて旅をする。

ときに、ナトゥールは、リラの親切に対して「おまえみたいな意地っぱりは嫌いだ!」と言ってリラを傷つける。またときに、リラは、ナトゥールを思いやるあまり、「食べるときはくちゃくちゃ音をさせたらダメ」「あんまり食べすぎるのはよくないわ。少し控えて」と、ナトゥールを拘束する。

出会いの道、戦いの道、対決の道、お互いに親しくなる道をともに歩みながら、ふたりは暖かい地へと向っていく。

愛の原型を示しているとも言えるリラとナトゥール。この物語の背景にある科学的設定が、作品を深めている。

3万年前、旧人のネアンデルタール人が滅び、われわれと同じ種(ホモ=サピエンス)である新人のクロマニョン人が生き残った。滅んだネアンデルタール人と生き残ったクロマニョン人には、どんな違いがあったのだろう? 巷では、曰くネアンデルタール人とクロマニョン人が混血した結果、前者が後者に吸収されたという説。曰くネアンデルタール人のほうがクロマニョン人よりも知能が足りなかったという説(「ネアンデルタール人」とは「野蛮な原始人」という意味)。いろいろとある。けれども、決定的な説はまだない。

著者はこの本で、「クロマニョン人には愛があったから生き残った」という、一見は大胆でありながらもよく練られた説を示す。

ケンカをしても、仲直りをしても、いつのときもリラとナトゥールの間には「対話」があった。はじめは共同作業もままならなかったふたりが、絶えず言葉で意思疎通をはかることで、「理解」や「尊重」というものを意識していく。凍った世界から、じょじょに暖かな世界へと舞台が移っていくにつれ、ふたりの愛情も成熟したものへとなっていく。

言語の獲得が愛を生んだ。この違いこそが、愛を見つけられなかったネアンデルタール人と、愛を見つけたクロマニョン人の違いである、ということをほのめかしている。

最後、ふたりは結ばれるのだろうな、と思いながらも、途中ははらはらどきどきの連続だった。この地球で最初に愛を見つけたふたりには、「愛の原型」がたくさん詰まっている。

『この地球で最初に愛を見つけたふたり』はこちら。
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4763196774/249-9697270-2293966?v=glance&n=465392&s=books
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