科学技術のアネクドート

2007年2月18日、東京マラソン。


鬼に笑われるでしょうか。来年の2月18日「TOKYO BIG MARATHON FESTA 2007(東京マラソン2007)」という、マラソンの一大イベントが開かれます。

石原東京都知事がぶちあげたイベントの一つ。「コース沿道のスポット毎に多彩な応援イベントを展開しまして、東京大マラソン祭りとして、観光都市東京を世界にアピールしてまいります」(石原都知事)とのこと。

そのコースは、東京都庁をスタートし、皇居の北東べりを通り、東京タワーを見ながら品川駅へと向います。品川駅前で折り返し、今度は北上。銀座、東京駅周辺を通り、浅草雷門へと向います。雷門でまた折り返し、銀座から豊洲や辰巳などのベイエリアを通り、最後は有明の東京ビッグサイトがゴールとなります。

ふだん、渋滞の激しい、都道や国道を通行止めにして、走るのですから、それはそれは気分よいことでしょう。

参加料は、フルマラソンで10,000円、10kmで5,000円。同じ都内で開かれている青梅マラソンが、30kmや10kmで4,000円。また、荒川市民マラソンがフルマラソンで4,500円と考えると、やはりやや高め。東京マラソンは、フルマラソン25,000人、10km5,000人の参加者を予定しているので、参加費だけで、2億7500万円の収入となります。これ以外に、テレビの放映権、共催や後援の支援もあるでしょうから、相当なもんです。

最近、仕事や大学生活の忙しさにかまけて、あまり走っていませんが、このマラソンの祭典での完走を当面の目標として、またリスタートしたいと思います。

大会エントリーは8月18日まで。東京マラソンに興味のある方、ぜひ、いっしょに走りましょう。

東京マラソン2007のサイトはこちら。
http://www.tokyo42195.org/senkou.html

余談。東京マラソンの男子のレースは、第11回世界陸上競技選手権大会代表選手選考競技会を兼ねています。私は、いつの日かプロ野球のドラフト会議で、どこかの球団から突然に指名される可能性を、ほぼゼロに等しいにせよ、いまだにもっていると思っています。同じように東京マラソンでも、その日のコンディションがすこぶるよければ、陸上の世界選手権代表になる可能性がゼロではないと思っています。ただし、今回の選考協議会エントリーのためには、マラソン2時間30分以内であることなどが条件。ドラフトに引っかかるのと、どちらが可能性は高いのだろう…。
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汚染ワースト返上のカラクリ


「手賀沼」をご存じでしょうか。千葉県北西部にある沼です。

この沼は以前は、その“汚さ”で有名でした。1974(昭和49)年から2000(平成12)年までは、なんと“汚さ”27年連続ワースト1。たとえば、2000年の湖沼のワースト5はというと…。

2000(平成12)年 COD(mg/l)
1 手賀沼(千葉県) 14
2 佐鳴湖(静岡県) 12
3 印旛沼(千葉県) 10
4 長沼(宮城県) 9.5
5 涸沼(茨城県) 9.5

となっています。表のCOD(Chemical Oxygen Demand、化学的酸素要求量)という値は、汚さを表す値としてよく使われます。簡単にいうと、水中の有機物を分解するときに要る酸素の量を示したもの。酸素が要れば要るほど、つまりCODが高ければ高いほど、水が汚れていることになります。

さて、2000年までワースト記録を27年続けて更新していた手賀沼も、2001年には、ワースト2位となり、汚さのワースト記録は27年で終止符が打たれます。(!)

2001(平成13)年
1 佐鳴湖(静岡県) 12
2 手賀沼(千葉県) 11
3 印旛沼(千葉県) 9.5
4 春採湖(北海道) 9.2
5 伊豆沼(宮城県) 8.8

そしてなんと、2002年には、ついにワースト5からも姿を消すことになったのです。(!!)

2002(平成14)年
1 佐鳴湖(静岡県) 11.0
2 印旛沼(千葉県) 9.1
3 長沼(宮城県)  9.0
4 児島湖(岡山県) 8.9
5 春採湖(北海道) 8.7

その後、手賀沼は、2003年ワースト6位、2004年ワースト4位と、ワースト1位の座を静岡県の佐鳴湖に“譲り続けて”います。

けれども、手賀沼のワースト記録返上はたしかに認めるものの、その“返上のしかた”に対して注文をつける研究者もいるようです。どういうことかというと…。

かつて手賀沼は、利根川の下流からわかれる、その名も手賀川という川だけでつながっている、いわば袋小路の沼でした。

ところが、沼の水質の悪さを重く見た行政が「手賀沼を袋小路の状態にせず、他の川と貫通させてしまえばいいのでは」と考えたのでしょう、なんと手賀沼から別の水路を作って、江戸川までつなげてしまったのです。

実際に、千葉県水質保全課のサイト「全国湖沼資料」にも、手賀沼を利根川と江戸川でつないで、水質浄化を図ることを謳っています。
治水、河川水質浄化及び都市用水の供給等を図るため、昭和47年から平成12年にかけて建設された利根川下流部と江戸川を連結する流域状況調整河川への導入のうち、余剰分を手賀沼に最大10m3/秒注水し、手賀沼の水質浄化を図る。
こうして2000(平成12)年に手賀沼は、袋小路の沼から、利根川と江戸川をつなぐ、中継地点としての沼になったわけです。これで、溜まっていた沼の水も、流れ出し、沼は浄化されました。ワースト記録の更新もストップ。やれやれ一件落着…。

けれども、どうも解せないのは、この浄化方法だと、手賀沼はきれいになるかもしれないけれど、手賀沼から流れ出した汚物は、結局は江戸川や利根川へと移動するだけにはならないのかということ。研究者が指摘しているのは、この点です。

この、沼を川と川でつなぐという手賀沼浄化法、どうも、水質汚染そのものを改善するというより、ワースト記録の更新をストップするための措置ではないかと考えてしまいます。

千葉県のサイト「印旛沼・手賀沼の水質浄化について」はこちら。
http://www.pref.chiba.jp/syozoku/e_suiho/8_kosyo/8_a(top).html
同サイト「全国湖沼資料集抜粋<手賀沼>」はこちら(PDFです)。
http://www.pref.chiba.jp/syozoku/e_suiho/8_kosyo/8_1gaiyou/pdf/tega.pdf
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上下にご注意。


映画『エイリアン2』で、こんなシーンがありました。

シガニー・ウィーバーたち人間の乗る宇宙船の中に、エイリアンが侵入してきました。船内のマップには、エイリアンの現在位置が克明に点滅表示されます。どうやら、人間たちは、エイリアンにその居場所を嗅ぎ付けられているようです。点滅が徐々に徐々に人間の集まる司令室へと向ってきます。戦闘のスタンバイをしつつも、あまりの恐怖におびえる船員たち…。

そしてついに、点滅はコックピットの極わずかまで近づきました。ところが、見渡してもエイリアンの姿は見られません。

なんと、エイリアンは、天井裏から近づいて、人間の頭上から振ってきたのです!(恐)

じつは、このワンシーンは、「人間の盲点」をとてもよく付いているようです。つまり、人間は、垂直方向に対しての注意をあまり払わないということ。

以前、都内の治安事情を示す統計として、こんな結果が出たそうです。都内の交番のうち、扱う犯罪件数がもっとも多かったのは、新宿の高層ビル街にある交番で、もっとも少なかったのは、隅田川付近の下町にある交番だった…。

この結果の要因には、街のコミュニティが下町のほうがまだ機能しているということもあるでしょう。でも、それとともに、人間の注意が、平屋建ての多い下町ではよく行き届くのに対して、高層ビルの多い都会ではあまり行き届かないということもあるようです。

ある研究では、人間の垂直方向への注意は、水平方向の注意のわずか17分の1しか行き届かないといった結果も出ているそうです。

たしかに建物内では、垂直方向にはかならず、天井という頑丈なパーティションが存在します。視界は遮られ、それだけ注意が行き届かないということ。

また、あきらかに人間は、普通のかっこうでは前を向いているし、首を動かす機会も、明らかに左右方向のほうが、上下方向よりも多いですね。

東京では、今後も各地で、これまでよりも高層のビルが建てられる計画が進行中です。これからはより一層、垂直方向への注意も払っていく必要がありそうです。

参考文献:『安全学』『やりなおし教養講座』ともに村上陽一郎著
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書評『産学連携』
マクロな視点からミクロな視点まで、「産学連携」の全体がよくわかる好著です。

『産学連携「中央研究所の時代」を超えて』西村吉雄著 日経BP社 2003年 312p


新しいモノをつくるためには、モノづくりの土台となる科学的な基礎研究が必要であることが多くある。これまでは、一企業が最初の科学的研究から、最後の製品を市場に送り届けるまでを、一手に引き受けるのが産業界の主流だった。この一企業内での「研究→開発→生産→販売」といった一連の流れは「リニア・モデル」といわれる。20世紀、米国や日本などの産業界の大半を支配していたモデルだった。

ところこのリニア・モデルはもはや古いものとなった。いまや、リニアモデルに代わる、新しいスタイルの製品開発までのプロセスが出てきてきている。

その新しい流れの一つが「産学連携」である。産学連携とは、産業と大学が手を組んで製品開発などを目指していくこと。おもに大学側が基礎的な研究を進める役割を果たし、一方、産業側はその大学側の結果を産業側が製品化するまでを引き受ける。

この本は、なぜ、リニアモデルの時代は終焉を迎えたのか、なぜ企業が自前の中央研究所を捨て、基礎研究のパートナーとして大学と手を組むようになったのが、鮮やかに描かれている。

例えば、その要因の一つとして、環境問題などの「問題解決」を前提とした社会的テーマが増えたということを著者は指摘する。「(社会に役立つかどうかがわからない)研究を始めてみて、その中から社会に役立つ結果をモノづくりしていく」といったモデルは現代の時世、通用しなくなったのだ。まず、求められているものが何かといったゴールから考える。となると、その明確なゴールのために必要な役割に、適材適所のパートナーを見つけて、彼らに協力を仰いだほうが効率的なわけだ。

また、もう一つは、IT(情報技術)革命が大きな背景として横たわっているという。インターネットの発達により、企業が気軽に外部の人材と連携をとれるようになった。なにも大きな組織の中にある社内研究所の技術者たちと連携をとる必然性がなくなったわけだ。むしろ大企業であればあるほど、社内の調整などに手間暇がかかって、ことが進まなくなるというデメリットも出てくる。

章立てとしては、「産業・経済にとって研究開発とは何か」といった基本的な疑問に対する説明から、「タテからヨコへ」といった社会構造の変化の流れを概観し、最後に「日本の産学連携」といった産学連携の現状を紹介へとたどり着く。

だがじつはこの本は、最終章が終わったあと、約70ページにもわたって付録が続く(全部で7個)。この付録では「科学優位主義とリニアモデル」だとか「ネットワーク外部性と『この指とまれ』モデル」といった付録名で、各章に出てくる重要な(あるいは著者がとりわけ注目している)テーマを、紙幅を使ってじっくりと解説している。「章を縦糸とし、付録を横糸として、編み上げるように本書を構成したい」という著者の意図は、見事に成功している。読者の期待を裏切らない。

産学連携がなぜ、いま世界中で注目されているのか、その理由を明快に述べた本。産学(あるいは産学官)の関係の全体像を、時代背景や具体例も含めつつ捉えたい方は、ぜひ本書を手に取ってみてはいかがだろう。

『産学連携「中央研究所の時代」を超えて』はこちら。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4822243230/qid=1151397745/sr=1-2/ref=sr_1_10_2/250-5072180-7071400

また、著者の西村吉雄先生は、この『産学連携』を上梓する5年前、1998年に『中央研究所の時代の終焉』という本も訳書として出しています。『産学連携』の前段となる話が書かれてありますので、興味ある方はこちらもどうぞ(もちろん『中央研究所の時代の終焉』を読まなくても、『産学連携』をきちんと理解できます)。

『中央研究所の時代の終焉』はこちら。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4822241327/qid=1151401228/sr=1-1/ref=sr_1_2_1/250-5072180-7071400
当ブログで書いた『中央研究所の時代の終焉』の書評はこちら。
http://sci-tech.jugem.jp/?eid=131
| - | 18:50 | comments(0) | trackbacks(0)
珈琲館のモーニングフリー


食べ放題が意外と好きなほうで、つい、暇を見つけては行ってしまいます。

カフェの「珈琲館」で、5月1日より「モーニングフリー」という食べ放題のサービスを始めたことを最近知りました。で、今朝、いさんで飯田橋店に行ってきました。

このモーニングフリーは、朝の11時まで、コーヒー一杯(380円〜)の注文だけで、パン3種類、ゆで卵、ジャム、マーガリンが食べ放題というサービスです。これまでは400円弱を出して、コーヒー一杯だけしか飲めなかったのですから、このサービスは画期的ですね。

今朝、出されていたパン3種は、クルミパン、チョコクロワッサン、プレーンパンでした。

味のほうはというと、種類によってちょっとバラツキがあるかなと。クルミパンは、パンのなかのクルミがけっこうたくさん入っていて、これが印象に残るアクセントになっていました。チョコクロワッサンは、ぱりぱりのクロワッサンというわけではないので、やや、食感が物足りないところも。プレーンパンは、ジャム、バターを付けて食べれば、そこそこでしょうか。

また、ゆで卵も、固ゆででも半熟でもなく、ふつうにゆでられていて美味しかったです(塩の容器を振っても、塩がなかなか出てこなかったけれど)。

正直、けっこう気合い入れて食べました。パン10個に、ゆで卵2個、ジャム2個、バター1個!

ところが、午後2時を回ると、すぐにまた空腹が…。orz

朝食の後って、けっこう、腹がすぐにまた減ってくるもんですね。とくに、パンの場合は、ごはんに比べて、血糖値の上がりが早く、また下がりも早いため、目覚めの効果は高いけれど、腹もちはあまりよくないといったことのようです。

美味しければ、朝の定番にと考えましたが、ラッシュアワーの地下鉄に乗って、毎日通うとなると…。

珈琲館のサイト、「モーニングフリー」のページはこちら。
http://www.kohikan.co.jp/regular/morningfree.html

参考URL:「食育大事典」
| - | 20:14 | comments(0) | trackbacks(189)
「燐寸箱の会」


新宿で行われた「燐寸箱の会」に参加しました。

この会は友人のフリーライター松井大助さんが開いてくれた、ライターたちの勉強会。「燐寸箱」とはマッチ箱のことで、参加者たちのなかに(いい意味で)摩擦が生まれることで、やる気にも火がついたらいいよね、という思いから付けられたものです。

東大の科学技術インタープリター養成プログラム竹沢さんをはじめ、総勢8名のライターが集結。他には、フリーペーパー『R-25』などに寄稿をしている方や、会社を設立して執筆に編集にと東奔西走している方など、さまざまでした。

じつはライターどうしが集まって情報交換するような機会はそう多くはなく(あとは、共著の打上げとかでしょうか)、メモの取り方とか、原稿の取り方とかも、ライターそれぞれで違うんだなということがよく分かりました。

みなさん共通しているのは、「経済」とか「健康」とか、自分の得意分野を持っていながらも、それとは別の次元で「他者の不幸を前提とした幸福を問題視する」だとか、「自尊心との関わり方を探っている」などといったテーマをもっているということ。表現をする分野と、表現をする中身とは、別物ということです。かくいう私の表現する中身は、言うに恥ずかしいくらい稚拙なものであり、いまはまだマッチ箱の中にしまっておきます。

参加したライターたちの、自分とちがう部分を知ることができて刺激になったのと同時に、参加したライターたちの、自分と同じ部分を知ることができて安心した、という勉強会でした。

今後も「燐寸箱の会」は不定期で開かれると思います。興味あるライターの方は、どうぞ連絡をいただければと思います。

「燐寸箱の会」を開いていただいたフリーライター松井大助さんの著書はこちら。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/search-handle-form/503-1861222-7056726
| - | 22:51 | comments(0) | trackbacks(0)
アスベスト報道の原点は一本のラジオ番組


部屋のテレビの調子がどうも悪く、かわりにラジオをよく聞いています。

土曜日は、NHKラジオ第一で「土曜ジャーナル」という硬派な報道番組を放送しています。今日は「女性医師の子育て」という内容で、産科婦人科学会の担当者をゲストによび、子供をもつ女医の働く場について、特集していました。

ラジオは聴取する人もテレビに比べ多くなく、マイナーなメディアと化しています。そんなラジオ番組が、昨今、各メディアがこぞって報道しているアスベスト問題の火付け役だったという話を耳にしました。

先月発表された、日本科学技術ジャーナリスト会議主催の第1回科学ジャーナリスト賞では、アスベスト問題を報道した朝日放送アスベスト取材班(代表・石高健次氏)などが賞を受賞しました。該当番組は「テレメンタリー2005・終わらない葬列」というタイトルで、中脾腫(ちゅうひしゅ)というアスベストが原因の致死病に冒された患者を取材したものです。番組は、クボタの尼崎工場が周囲住宅地にアスベストをまき散らしていたのではないかと指摘。この放送から一気に大きな社会問題へと発展していきました。

ただ、この番組をきっかけに2005年一気に広まったアスベスト問題の報道も、さらに元をたどると、その原点は、冒頭で紹介したNHKラジオの「土曜ジャーナル」にたどりつくのだそうです。

2004年6月5日の「土曜ジャーナル」は「終わっていないアスベスト問題」という放送でした。当時NHKの本局に勤務していた内美登志さんというアナウンサー(現在高知放送局勤務)により、故・田尻宗昭という環境問題に取り組んだ「公害Gメン」を特集した番組が放送されました。当時「土曜ジャーナル」では、他に宇井純、宮本憲一など、過去の公害問題に携わったキーパーソンを紹介するシリーズを組んでいたそうです。

この「土曜ジャーナル・終わっていないアスベスト問題」を、たまたま朝日放送のテレビスタッフが聞いていたのです。「これは、大きな問題になるぞ」とピンと来て、そこからテレビ番組の取材が始まったのだそうです。

私は残念ながら「土曜ジャーナル・終わっていないアスベスト問題」の放送をまだ聞いたことがありません。内容は、じっくりとした取材を重ねたスタイルだったそうで、番組の制作に協力した研究者の方も「かなりいい番組だった」と評しています。

NHKの報道番組やドキュメント番組などをあれこれ聞いていると、ラジオはラジオで良質の番組を独自に数多く作っていることがわかります。

NHKラジオ第一「ラジオセンターオンライン」のサイトはこちら。
http://www.nhk.or.jp/radiodir/

この記事は、早稲田大学院の科学技術ジャーナリスト養成プログラム「科学コミュニケーション実習1」(佐藤年緒客員教授の授業)を参考にしています。
| - | 23:59 | comments(0) | trackbacks(1)
ナノワイングラスとナノフラスコ


以前、セイコーインスツル、兵庫県立大学、NECの産学連携が、「ナノワイングラス」を作ったということが話題になりました。

ワイングラスならご存じでしょう。それに「ナノ」がつくと何が違ってくるかというと、大きさが違ってきます。1ナノメートルは10億分の1メートル。このナノワイングラスの底の直径はわずか2750ナノメートル!

このナノワイングラスは、炭化水素というガスを吹き付けながら、あるビームを当てると、炭素の膜が堆積していくことを利用して作ったものです。ビームを当てる位置をいろいろと変えることで、こうしたワイングラスの形を作ることができるのです。

一方、最近では、今年の4月に、科学技術振興機構(JST)から、ナノフラスコなるフラスコを開発して、化合物(単体の物質が組合わさってできた物質)を作ったというプレスリリースが出されました。JSTの藤田誠先生の研究開発です。

フラスコというのは、理科の実験で、薬と薬を混ぜ合わせるために使った、あの入れ物のこと。このフラスコの役割をナノの世界で実現させたから「ナノフラスコ」(トップ画像がイメージです)。ナノフラスコで物質と物質を組み合わせることによって、医療や農業で使う新しい薬品を作ることが可能になるといいます。

ナノフラスコは、ナノワイングラスとはまったく違った方法で作ります。それは「自己組織化」という自然界の不思議な機能を利用するというもの。自己組織化とは、たとえば私たちの体の中の分子が、放っておいても結集して、なにかの形をつくって機能をはたすといった変化をいいます。喩えるなら、公園でてんでばらばらに遊んでいた子どもたちが、ある子の「この指とーまれ」という号令のもと、つぎつぎと集まってくるといった感じでしょうか。

ナノワイングラスは、ナノテクノロジーでこうした極微の置き物を作ることができるというデモンストレーションだったのに対し、今回のナノフラスコは新しい薬品が作れるかもしれないという、実用的な面をもった研究開発ということができます。

NECのサイト「ナノワイングラス」のプレスリリースはこちら。
http://www.nec.co.jp/press/ja/0012/0701.html
科学技術振興機構(JST)の「ナノフラスコ」についてのプレスリリースはこちら。
http://www.jst.go.jp/pr/info/info280/index.html

そういえば、『ハイスクール奇面組』で理科教師の陸奥五郎先生がフラスコで煮込んだラーメンを美味しそうに食べるシーンがあったっけ…。
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眠らないことは経済にとって損失?


京都の学会取材から戻ってきました。

海外の研究者への取材などもあり、かなり緊張もして、疲れていたのでしょう。帰りの新幹線では、名古屋駅で停車したのが分からないくらいに眠りこけてしまいました。「暴睡」ならぬ「溺睡」もいいところです。

最近、睡眠のトピックといえば、日本大学の内山真先生が、労働者の睡眠に関わる問題が引き起こす経済損失が年間約3兆5000億円にのぼる、という試算を出したというものがあります。

睡眠に関する問題が引き起こす経済損失とは、たとえば、欠席・遅刻・早退が頻繁になったり、交通事故のリスクが増えたりといったことで、経済的に損をすることだそうです。

睡眠の問題に関わる、もっとも大きな経済損失の要因は何といっても寝不足による作業効率の低下。眠くて作業の効率が低下することで、3兆665億円の経済損失となるそうです。

ただ、ちょっと腑に落ちなかった点もあります。たしかに、睡眠不足は経済的損失をもたらすような気もしますが、逆の場合はどうなんでしょう。つまり、睡眠を削って働いたほうが、経済的利益がむしろ多くなるのではないかということ。

もちろん寝不足である状態は不健康で、健康面で良いことか悪いことかといえば、悪いことなんでしょう。たぶん。

けれども、誰かさんが寝不足のところ、無理して徹夜して頑張るからこそ、今日も社会は動いているといったことも言えなくもありません。

たとえば、締切の原稿が溜まり「ここで眠ってしまったら、明日はてんやわんやだ」と言う状況で、人ははたしてぐっすりと眠ることができるでしょうか。てんやわんやぶりが予想されるであろう明日の状況が心配で、眠りが浅くなったり、何度も起きてしまったりしてしまわないでしょうか。

そんなことであれば、徹夜して一仕事終えた後で眠りについたほうが、安眠できるような気がするのです。実際に内山先生ご自身も、「緊張」や「不安」を抱えているとなかなか眠りにつけないということを言っています。

たしかなのは、中味の濃い睡眠を効率よくとるに超したことはないということ。内山先生は、熟睡をするポイントとして、夕食後にカフェインの入ったコーヒーなどを飲まないことや、昼間活発に活動するなどして、昼と夜の生活のメリハリをつけることなどをあげています。

「NHK健康ホームページ」に、内山先生のアドバイスが載っています。こちらです。
http://www.nhk.or.jp/kenko/2001/pf/uchiyama_m.html
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国際学会、英語抜きでは…。


京都で行われている、国際生化学・分子生物学会の4日目のセッションに参加してきました。

今回の学会は、「国際」と名のついているように、世界各国の生物学者や医学研究者などが京都に集結しています。

おみやげもの屋や、中のカフェなどは別ですが、学会そのものは、すべてが英語で占めらています。たとえば、発表セッションの司会も発表も英語ですし、参加当日に配布されたプログラムを見てみても、最後のほうに「光環境制御のニーズにお応えします」とか「小型、迅速、高い柔軟性」などとわずか5ページだけ日本語の広告ページが入っているだけで、電話帳ほどの分厚いプログラムのすべて英語で書かれています。



感覚としては、オールイングリッシュの国際学会がまず前提としてありきで、たまたま今回、会場が日本の京都だったというようなものです。もちろん、学会に参加している人は日本人が多いのですが、日本人どうしのコミュニケーションでも英語が使われます。たとえば、研究者が発表した後、Q&Aの時間がありますが、日本人が質問して日本人が答えるという場合でも、使う言語は英語です。

日本人研究者が話しているときは、「NOVAの日の鈴木さん」よろしく、いわゆるジャパニーズイングリッシュの研究者もいますし、フランス人研究者が話しているときは、なんとなくフランス語を聞いているような感覚です。母語のイントネーションが英語の発音を支配しているのでしょう。Q&Aを聞いていると、「よくも、あんな訛った英語を聞いて答えることができるなぁ」と思うことの連続です。

これまで、科学の国際学会の現場を取材することはあまりありませんでしたが、あらためて科学は英語で成り立っているということを身にしみて実感しました。科学者は、英語を使えないと話にならないのです。

と、思って学会を振り返ってみたら、唯一、公式の場で日本語が使われていたことに気づきました。初日の“Welcome Lecture”(ようこそ講義)では、ホンダのASIMOが能を踊って、「みなさん、京都へようこそ」といったことを日本語で話していましたっけ…。
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ものづくりの町


京都での学会出張の空いた時間を使って、高倉二条にある、島津製作所の創業記念館へ。

いま、島津製作所の本社は、西院駅の近くにありますが、以前は、高倉二条にありました。トップの画像の建物は、島津製作所の創業者、島津源蔵が居住し、店舗としていた創業当時のままの姿のたてものです。1975年に、創業100周年を記念して建てられました。

記念館館長の案内により、中の展示室を見学。ほとんどが、学校での理科の実験に使う道具で占められていました。もともと島津製作所は、科学好きだった創業者と二代目が、学校などの理科の実験を楽しくするためにと発明した道具を売っていたそうです。

坂道を下から上へ転がるローラーや、回転すると色がグレイになるカラフルな円盤など、いま、理科の実験で実演したとしても、子供たちにおもしろがられそうな、実験器具の数々でした。

お金を稼ぐよりも、科学を好きになってもらうために、創業者や二代目は商売をしていたというマインドがよく伝わってきます。高価すぎて買ってくれなかった漆塗りの扇風機などの「失敗例」もちゃんと飾っていました。

創業間もないころの、商品カタログも展示されていました。やはり明治時代から、カタログは商売をする上での重要なメディアだったようです。



そして、これが現在の会社案内。いまでは医療から宇宙開発まで、幅広い分野の機器を作る企業になっているようです。



京都は、土地柄広大な土地を企業が得づらかったため、大きな工場を建てづらく、小型機械や陶磁器など、比較的小規模でも成り立つ産業が江戸時代や明治時代から栄えていたそうです。こうした企業が、伝統を守りつつも新しいものを取り込んでいった結果、現在の島津製作所や京セラのような企業が発展し、ものづくりに長けた「技術の町」に発展していったのです。

島津製作所創業記念館のサイトはこちら。
http://www.shimadzu.co.jp/forest/
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国際会館
第20回国際生化学・分子生物学会を見るため、京都国際会館にやってきました。

京都はしばしば用があってよく来ました。北へ向う地下鉄はみんな「国際会館行き」でしたが、実際に来場するのははじめてです。

この国際会館は、1997年に地球温暖化防止京都会議で、有名な「京都議書」が採択された場でもあります。

先日、ある大手新聞社のジャーナリストH氏からこんな話を聞きました。

いまから9年前のこと。H氏はトヨタ自動車から依頼を受けて、ハイブリッドカー「プリウス」の販促をするような立場に立っていました。

プリウスの完成と京都会議はタイミング的にほぼ同時期。そこでH氏は、エコカーをアピールするためのセンセーショナルなしかけとして、京都会議が開かれる国際会館の駐車場にプリウスを何台も並べて、詰めかけていた世界中に記者たちをびっくりさせようと目論みました。

でも、諸事情があって、結局その計画は頓挫。代案は、京都会議に参加しているNPOの団体に、プリウスをレンタルするという、かなり地味なものとなりました。

けれども、H氏は「駐車場にプリウスを並べるというしかけがポシャって本当によかった」と振り返ります。

というのも、京都会議の当日、駐車場に車が1台も止められていない光景を目の当たりにしたからです。二酸化炭素削減をメインテーマとする会議であることから、自動車で来場する参加者はだれひとりとしていなかったのです。警備をしていた京都府警まで、パトカーではなく、なんと馬に乗って、警備に当たっていたという徹底ぶりでした。

会議に参加する人たちの意識の高さを物語るエピソードですね。

さて、今回の学会での国際会館の駐車場はというと、こんな感じです。



国立京都国際会館のサイトはこちら。
http://www.kich.or.jp/
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生化学と分子生物学の国際学会


今日から23日(金)まで、第20回国際生化学・分子生物学会議が、京都の国際会議場で開かれます。

「生化学」というのは、生物の体の中で起きる化学反応を解明して、生命現象を研究する学問のこと。また、「分子生物学」とは、分子というとても小さなスケールから、生物のしくみや成り立ちを見てみようという学問です。1953年にワトソンとクリックがDNA(デオキシリボ核酸)の二重らせん構造を解明して以来、これらの分野は爆発的な発展を遂げました。

20回目となる今回の学会は、第11回アジア・オセアニア生化学者・分子生物学者連合会議、第79回日本生化学会大会、それに、第29回日本分子生物学会年会という3つの学会・大会も兼ねていて、とても大規模です。

私は21日(水)まで、セッションなどを見てくる予定です。とくに注目しているのが、20日(火)の午前に開かれる予定の“Aging and Diseases”(加齢と病気)というセッション。

以前、何度か「テロメア」という、DNAの末端の部分のことをこのブログで書きました。細胞が分裂するたびにこのテロメアがすり減って行き、それが、細胞分裂の停止(つまりは老化)の原因となっているのではないかという説です。

予稿集(各発表の概要が書かれた資料)は、会場に行かないと入手出来ないので、まだなんとも言えませんが、MIT(マサチューセッツ工科大学)のレナード・ギャラント博士あたりから、最新の研究成果が発表されることが期待されます。

というわけで、いても立ってもいられません。朝起きたら出張に出かけます。出張先で、ブログを更新出来なかったら、どうかあしからず…。

第20回国際生化学・分子生物学会議の日本語公式サイトはこちら。
http://www.congre.co.jp/iubmb/indexj.html
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泉岳寺トンネル(7)
泉岳寺トンネル(1)
泉岳寺トンネル(2)
泉岳寺トンネル(3)
泉岳寺トンネル(4)
泉岳寺トンネル(5)
泉岳寺トンネル(6)



なぜ、泉岳寺トンネルは、こうも低いトンネルのままなのでしょう? 仮説の域を出ませんが、こんなことが考えられます。

おそらく、この付近が海抜0メートルに近いため、地面をこれ以上深くすると、すぐに水が入ってきてしまうからだと思います。頭上は頭上で、JRが走っているので、そう簡単に天井を高くすることはできません。このような理由により、制限高1.5メートルという、難関のトンネルが成立しているのだと考えます。

トンネルの低さの謎について考えたところで、では、もう一度高輪側に戻って、今度はタクシーでトンネルをくぐることにしましょう。行き先は、「品川駅東口」。ここを指定すれば、タクシーはほぼ間違いなくトンネルをくぐるルートをとることでしょう。

トンネルへの道に差し掛かったところで運転手さんはブレーキを軽く踏み、「トンネルをくぐってもよろしいでしょうか?」とひとこと。

返事はもちろん「はい、お願いします」。でも、運転手さん、なぜ「トンネルをくぐってもいいか」なんて聞くのですか?

「このトンネルには下にデコボコが敷かれてあるでしょう。あれは、スピードを落とすためのものというよりは、お客さんに不快な思いをさせるためのものなんですよ。どうやらこのトンネルにタクシーを通したくないらしいんです」

えっ、それはいったいなぜ?

「車高の高いタクシーだと、屋根の広告灯が当たって、天井が削れちゃうんですよね。トンネルを壊されたくないんですよ」

ああ、なるほど。

映画『メッセンジャー』でも、タクシーに乗った別所哲也が、泉岳寺トンネルを通って近道するようにと運転手に頼むシーンがあります。けれどもその車はあいにく車高が高く、広告塔が天井に引っかかってしまい、それが引き金で玉突き事故を起こしてしまいました。この映画、泉岳寺トンネルが重要なポイントになっています。

トンネルとは入口や出口が見えなければ閉所空間です。薄暗いし、空気もこもって、気持ちのいい空間ではあまりありません。とりわけ泉岳寺トンネルは、こうしたトンネルのエッセンスをぎゅっと圧縮したようなトンネルです。

けれども、ここまで極端な具合になっていれば、逆に一見の価値ありとなります。歩けばジメジメ、車に乗ってもデコボコの泉岳寺トンネル、一度くぐってみてはいかがでしょう? (了)
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書評『リサイクルアンダーワールド』
以前、産業廃棄物をめぐるアウトロー世界を暴いた『産廃コネクション』という本を紹介しました。その著者の石渡正佳さんが2004年に出した本です。

『リサイクルアンダーワールド 産廃Gメンが告発! 黒い循環ビジネス』石渡正佳著 WAVE出版 2004年3月 238p


1990年代の10年間は、リサイクルに関する法律制定の目白押しだった。建設リサイクル法(1991年公布)、食品リサイクル法(1991年公布)、容器包装リサイクル法(1995年公布)、家電リサイクル法(1998年公布)、などである。2002年には自動車リサイクル法が公布された。

ところが、これらのリサイクル法はうまく機能していないという。国内でのスムーズなリサイクルをもくろんでいた政府ではあるが、いまや、日本の「ゴミ」は中国がつぎつぎと買い取って、現地でリユースやリサイクルをしてしまう。「ゴミ」に高い金を払って国内のリサイクルに回すくらいなら、中国に売ってカネを設けたほうが断然お得。こうして、産業廃棄物を扱う“アウトロー”たちは、狙いを中国に定めていく…。

今回アウトローたちはやや出番薄ではあったが、著者はしっかりとアウトローのことを観察し続けている。「アウトローを分析すると、システムのどこが悪いのかがはっきり見えてくる」といった「アウトローの使い方」まで示してくれるのだから。

アウトローの代わりに、槍玉にあげられたのが、政府省庁だ。環境省と厚生省との対立構図などを、つぎつぎと暴露していく。

おもしろかったのは、法律の名前には、言い逃れのニュアンスが潜んでいるという話。たとえば「基本法」と付く法律は、「あくまで基本であって、例外もあるよ」ということ。また「促進法」は、「行政は後押しするのみで実施主体にはなりません」ということ。さらに「対策法」は、「次号的に対応するだけ。防止策は考えません」ということだそうだ。

こうした「ほんとうのところ」を今回もまたいい具合に突いてくる。著者は、情報がつぎつぎと入ってくる「公務員」という立場を、著者はこの上なく利用しているようだ。

処女作『産廃コネクション』が、不法投棄の現場を世間に知らしめる、情報提供型の作品だったのに対して、この『リサイクルアンダーワールド』は、提案型の作品。たとえば、リサイクルは、通り一遍とうの政策しかつくらない国に任せるのではなく、地域ごとに資源循環システムを作るべきと提言したりもする。

もはや石渡正佳という人は、「告発する公務員」という域を超え、「世の矛盾を暴くジャーナリスト」と化したようだ。

『リサイクル・アンダーワールド』はこちら。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4872901827/qid=1150390208/sr=1-1/ref=sr_1_2_1/503-1861222-7056726
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泉岳寺トンネル(6)
泉岳寺トンネル(1)
泉岳寺トンネル(2)
泉岳寺トンネル(3)
泉岳寺トンネル(4)
泉岳寺トンネル(5)

時代とともに、いまの品川駅-田町駅間の土地はじょじょに埋め立てられていくことになります。1921(大正10)年の地図『東京市芝区図』(東京逓信局)では、それまで海だったところが「鐵道院埋立地」となっています。また、このころに、いまの新芝運河(芝浦4丁目)ができたことがわかります。


1921(大正10)年『東京市芝区図』(ピンク色の部分が現在の泉岳寺トンネルのある場所)

さらに1934(昭和9)年の『東京市芝区地籍図』を見ると、いまのJRの線路が何本も通っているあたりや、港南1丁目の芝浦下水処理センターあたりまでがすでに埋め立てられています。


1934(昭和9)年『東京市芝区地籍図』

そして1941(昭和16)年の『芝区詳細図』をみると、高浜公園一帯が運河になっています。そして、その運河の先端と現在の地図を重ね合わせてみると、なんと昔の運河の先端といまの泉岳寺トンネルがある場所とぴたりと一致します。つまり、かつて運河だったところを暗渠にして、さらにそれをトンネルにしたのがいまの泉岳寺トンネルということのようです。


1941(昭和16)年『芝区詳細図』

じつは、トンネルが運河の先端を延長して作られたことを示すと思われる証拠が、泉岳寺トンネルの中にもいくつかあります。

まず一つ目は、トンネルの壁の模様が変わる場所。天井が最も低くなっている場所の壁を見てみると、はっきりと模様の境目を見ることができます。高輪側はブロック塀。港南側はセメント塀。この境目こそが、運河の先端だったのではないでしょうか。いまの泉岳寺トンネルをつくるにあたり、この運河の先端より先をあらたに掘り出したため、このように模様が変わっているのではないでしょうか。



もう一つの証拠は、このトンネル内に漂う“臭い”です。トンネル中間地点に近づくに従って、潮の香りが鼻をくすぐるようになります。途中、ちょろちょろと壁から流れ出ていた水は、おそらくしょっぱいものと思います。

ところで、そもそもの疑問として、なぜ、泉岳寺トンネルは、こうも低いトンネルのままなのでしょう? つづく。
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数学の“power”


といっても、役立ち具合や魅力のことではありません。powerは数学の「累乗」という意味があるのだそうです。

たとえば、「4の2乗は16」を英語で言うと、
2 to the power of 4 equals 16.

“power”の語源は、ラテン語で“be able(できる)”を表す“posse”であり、その後、アングロノルマンフランス語(11世紀ノルマン人が持ち込んだフランス語)で“poeir”という言葉が使われるようになり、その後、11世紀から15世紀ころまで使われていたミドルイングリッシュの中に“power”という言葉が組み込まれていったようです。

このような語源と「累乗」とは、ちょっと縁遠い気もします。なぜ、“power”という言葉に「累乗」の意味が付けられたのでしょう? これには、次のような説があります。

古代ギリシャには、2乗を表す“dynamis”(ディナミス)という言葉がありました。この“dyna-”で始まる言葉には、“dynamite”(ダイナマイト)や“dynamo”(発電機)のように、「力」を示すものが多くあります。また、ある数を2乗、3乗すると、とても大きな数になります。これらのことから、累乗するということを「力」を持つということと捉えて、英語で“power”としたのだということです。

数学のpowerは、たとえばこんなところにも使われています。

酸性やアルカリ性を示す「ペーハー」という度合いがあります。“pH”とも書きますね。この、“pH”の“p”は“power”の“p”なんだそうです。つまり、“pH”とは“power of Hydrogen” (potential of Hydrogenとされる場合もあります)。

中性の「pH7」とは、水素イオンの濃度が10のマイナス7乗(0.0000001)のことを言います。「pH7」よりも酸性の「pH6」は、水素イオンの濃度が10のマイナス6乗(0.000001)のこと、また、アルカリ性の「pH8」は、水素イオンの濃度が10のマイナス8乗のことを指します。いちいち「0.0000001」とか「0.000001」とか書いたりしていてはたいへんなので、「pH」に数字を付けた単位になっているのです。pHにも自乗が関わっていたんですね。

“power”に「累乗」の意味があることを知ったのは、『パワーズ オブ テン』という科学の名著を手にしたときでした。

この本の中には、ミシガン湖の湖畔で昼寝をしている人がいます。そのごくありふれた世界をスケールの中心(10の0乗メートルつまり1メートルの世界)として、ページをめくっていくと、どんどんそこから遠ざかっていき、10の25乗メートル(約10億光年離れたところ)の世界までたどりつきます。今度は、昼寝をしている人のページから逆のほうにページをめくっていくと、どんどんその人が拡大されていき、10のマイナス16乗メートル(0.1フェルミというらしい)の世界まで行きつというものです。

はじめ、「10の力は偉大だ」という意味なのかなと思っていたところ、どうやら「力」という意味よりは「累乗」という意味のほうが強いということが分かってきました。

“power”という、普段カッコいい言葉として使われる言葉ゆえに、『パワーズ オブ テン』も響きのいいタイトルだと思います。

10の累乗の世界を味わえる『パワーズ オブ テン』はこちら。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/453206239X/qid=1150223175/sr=1-2/ref=sr_1_10_2/503-1861222-7056726
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泉岳寺トンネル(5)
泉岳寺トンネル(1)
泉岳寺トンネル(2)
泉岳寺トンネル(3)
泉岳寺トンネル(4)


内務省地理局「東京実測図」明治20年

交通の要所と言ってもいいくらいの泉岳寺トンネル。古地図などからこのトンネルの成立の歴史を辿ってみることにしましょう。

江戸時代、いまの品川駅-田町駅間のJR線一帯には、一面の海が広がっていました。海岸線は、いまの第一京浜(国道15号)あたり。泉岳寺トンネルの高輪側の道が始まる付近です。

明治時代が始まってすぐ、日本初の鉄道が新橋-横浜間に開通しました。1872(明治5)年のことです。この鉄道のレールが敷かれた場所は、いまのJR線の品川駅-田町駅間の線路と同じところになります。

第一京浜付近が明治時代の海岸線でした。また、いまのJR線のほうが第一京浜よりも海側に位置しています。ということは、昔の線路は、海の上を走っていたのでしょうか。

その答は「イエス」となります。実際、日本初の鉄道は、海の上に土手を築いて、そこを走っていたのです。古地図を見ても、たしかに海の上にレールが2本敷かれていますね。

なぜ、海の上に鉄道を敷いたのでしょうか。当時、このあたりの住民や軍からは鉄道を敷くことに反対の声が上がっていました。この反対の声を受けて、日本の鉄道の創始者である大隈重信は、鉄道を海の上に走らせたのだそうです。たしかに当時の品川駅の写真を見てみると、ホームの柵を越えるとそこは海岸の絶壁となっています。いまでは信じられない景色! つづく。
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自然のなかのπ


科学は自然科学といわれるように、自然の理(ことわり)を扱います。対して、数学が扱うのはもっぱら数字や図形です。

でも、数学と自然がまったく縁がないかといったらそんなことはないようです。たとえば、「π」という無理数についても、自然との結びつきがあるといいます。

日本は国土が狭く、山が多いために、川の流れは比較的、急です。

けれども、アマゾン川のように高低差もなく、広い地域を裕大に流れるような川が世界には数多くあります。

こうした川は、蛇行を繰り返しながら、上流から河口へと流れていくわけですが、ここに「π」の出る番があります。

アマゾン川の源流の地点ら河口の地点まで直線を引き、その長さを「1」とすると、実際の蛇行した川の長さはなんと「π」になるそうです。つまり、

アマゾン川の直線距離:実際の距離=1:π

となるそうな。流れがさほど急ではなく長い川であれば、世界中の川はだいたい「1:π」の比で表すことができるそうです。

まっすぐ流れている川は、何かのはずみで少し、流れが曲線を描き始めるとだんだんと岸がえぐられていき、長い時間をかけて、それがカーブへのなっていきます。ただ、カーブが膨らみすぎると、その膨らみをショートカットして、新たな流れへと変わっていきます(残された膨らみが湖になったのが、三日月湖)。

つまり、カーブとショートカットを繰り返しながら川は変形していくわけですが、時が経つとだんだんと、先ほどの比率つまり「川の直線距離:実際の距離=1:π」に収束していくというのです。

このようなことを考えると、やはり「π」という数字にも、自然との分ち難い因果関係が存在しているような気になってきますね。

参考文献:『フェルマーの最終定理』サイモン・シン著
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泉岳寺トンネル(4)
泉岳寺トンネル(1)
泉岳寺トンネル(2)
泉岳寺トンネル(3)



狭くて低い泉岳寺トンネル。それにもかかわらず、自動車、自転車、人間がひっきりなしに行き来しています。この近辺で高輪側と港南側を結ぶ道路がないからでしょう。

もしこのトンネルを使わないとしたら、北は約700メートル先の札の辻橋まで回り道しなければなりません。南はどうかというと、いちばん近い品川駅の東西自由通路まで約1200メートル。車道だとさらに400メートル南下して、八ツ山橋まで行かなければなりません。小さくて薄暗いながらも泉岳寺トンネルは、付近の住民にとってなくてはならないものなんですね。

少し、定量的なフィールドワークをしてみることにしましょう。高浜公園に陣取って夕方の1時間、通行者を数えてみました。
徒歩の人…29人(うち、高輪側から港南側へが11人)
自転車の人…21人(同12人)
タクシー…24台
自家用車…28台
バイク・原付…12台
ネコ…1匹(!)

人も車も1分に1度はトンネルをくぐっています。最後の「ネコ」は、公園で眠っていたノラが、すっくと立ち上がってトンネルの中へと入っていったものです(すぐに出てきたけれど)。

次回は、この泉岳寺トンネルの歴史を探ってみることにしたいと思います。つづく。

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多摩川の魚道


狛江の多摩川沿いに行ったついでに、近くの二ヶ領宿河原堰にある魚道を見てきました。

「魚道」とは読んで字のごとく、「魚」の「道」のこと。

多摩川には、源流から河口に至るまでに堰がいくつもあります。堰は、おもに人間にとっては、川の水量を調節するなどの役割を果たしています。

でもこの堰、川の魚たちにとっては迷惑な壁。故郷の川を遡って散乱しに来たアユなどの魚は、この堰があるせいで、これ以上源流のほうへ遡上することができないのですから。

そこで、人間が魚たちにバイパスを用意しました。これが魚道です。全国でその数は約1万。多摩川の二ヶ領宿河原堰には左岸(東京都側)と右岸(川崎市側)の両方に魚道が設けられています。



魚道は、川の中流ぐらいの傾斜角の段々になっています。その段々は、全長にして30メートルぐらい。残念ながら、今日は魚が魚道をのぼっていく姿を見ることはできませんでした。

多摩川に魚道がいくつも作られたことにより、アユなどの魚は、この二ヶ領宿河原堰を通り、小田急線や京王線の効果をくぐり、JR中央線の高架下をさらにのぼり、河口から約63キロの青梅市日向和田まで遡ることができるようになりました。

先月29日に国土交通省関東地方整備局京浜河川事務所が発表した、多摩川下流域におけるアユ遡上調査の結果によると、二ヶ領宿河原堰では、4月26日から5月7日の間で27万7千尾が観測されたそうです。また、下流にある調布取水堰では、日最大遡上量が35万尾を超え、過去最高を更新したそうです。

以前の魚道は、魚道なのに魚がのぼらないものが多かったそうです。けれども、この数を考えると、魚道の技術も進歩しているということでしょう。アユの世界にも、じょじょに魚道の存在が浸透しつつあるのかもしれません。

多摩川の流域の情報の収集と共有をしている「多摩川流域リバーミュージアム」では、ライブ映像で、魚道の様子を見ることができます。こちらからお入りください。
http://www.tamariver.net/studio/live/syukugawara.htm
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ヨコのものをタテにする。


新聞業界では「ヨコのものをタテにする」という言葉があるそうです。この言葉、あまりよい意味では使われません。

「ヨコのもの」とは何かというと、政府機関や大学、企業などから新聞社に配信されるプレスリリースのことです。政府機関や大学、企業は、新しい研究発表やイベントのお知らせがあると、その告知をマスコミにFAXなどで送り、このプレスリリースを元に、新聞社は記事を書くことがあるそうです。プレスリリースはほとんどの場合、縦には書かずに横書きで配信されるから「ヨコのもの」。

では一方の「タテにする」は何かというと、新聞記事のことを指すそうです。英字新聞などでないかぎり、新聞記事はほとんどが縦書きですね。

つまり、「ヨコのものをタテにする」とは、新聞記者が受け取ったプレスリリースを、ほぼなにも手を加えることなく、記事にしてしまうことを指すのだそうです。プレスリリースの内容が、新聞を読む市民にとってどう重要なのかといったことを吟味してから書くのと、ただ単に発信元の政府機関や大学、企業が発していることをほぼそのまま記事に載せるのとでは、ちがってきます。

ここ何か月か、プレスリリースを見る機会が増えています。中には、とても分かりやすいプレスリリースもあります。けれども、だいたいは新聞や雑誌の記事を読むのよりも骨が折れます。聞いたことのない専門用語がけっこう当たり前に出たりしているから。

プレスリリースの内容の難しさと、そのプレスリリースの内容を書いた新聞記事の分かりやすさとの差には、新聞記者の技量があるわけですね。この場合、記者はただ「ヨコのものをタテにする」だけではなく、プレスリリースをきちっとフィルターにかけて記事にしたことになるわけです。

プレスリリースは、最近多くの団体が、自分たちのサイトに「発表」とか「ニュースリリース」といったタイトルで、市民に直接発信しています。「科学・技術系ニュース/プレスリリースアンテナ」というサイトは、科学技術関連のプレスリリースのリンクを貼っています。こちらです、どうぞ。
http://a.hatena.ne.jp/yatta/

この記事は、早稲田大学院の科学技術ジャーナリスト養成プログラム「科学コミュニケーション実習3」(藤本瞭一教授の講義)を参考にしています。
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美しいブックデザインの展覧会


仕事と授業の合間に、早稲田大学で開催中の展覧会「本の声、土の香り DOUBLE BUSH BINDING展」を見てきました。

ポール・ウェンツという、19世紀後半から20世紀前半をフランスとオーストラリアで過ごした作家がいます。彼が書いた希有な「フランス語によるオーストラリア文学」の小説を、世界中のブックデザイナーが手製でブックデザインしました。その美しい本の数々が並べられています。

100点以上並ぶ中でもとくに目を引いたブックデザインを3点紹介しますと…。

ニコラス・ヒース(豪)の「プラ・ラポルテ製本」。表紙にプラスチックの一種ポリカーボネートを貼ってあり、光沢がありました。PP加工(本屋でよく見掛けるつやつやの表紙カバー)よりもつやつやしていて、漆塗りのようでした。ポリカーボネートは、原料のビスフェノールAが、内分泌かく乱物質(環境ホルモン)だとして一時期注目を浴びましたが、いまでは人体の影響は少ないと言われています。

イサベル・ポイトラス(カナダ)の「リバーシブル製本」。本の背に、メタルの金具が何本も並べられてあります。これほど強固な本の背骨を見たことがありません。冬場、外での読書は、ちょっと手が冷たそう…。

コンスタンス・ウォズニー(米)の「ソフトカバー製本」。ソフトカバーといっても、日本の本屋で見掛けるソフトカバーとはちがいます。カバーに子牛の革を使っていました。手帳のような風合いでしょうか。展示物を触ることはできませんが、ほんとうに手に馴染みそうでした。

壁には、PJM MARKSという製本キュレーターによる「製本」の定義が書かれてあります。
製本は、マニュスクリプト、あるいは印刷された書籍のページがある特定の順番に整えられ、保護する表紙におさめられるプロセスを言う。
(“Book Binding” PJM Marks, British Library, 1998)
中面のレイアウト、本文用紙の種類、ハードカバーとソフトカバーの別、カバーの紙、カバーの絵柄、綴じ方などなど、ブックデザインはほんとうにたくさんの要素からなっていて、それぞれの要素には、またそれぞれの選択肢があります。

つまり、本の内容に無限のレパートリーがあるのと同様、ブックデザインのレパートリーも果てることがありません。ソフトの面から本を成り立たせているのがストーリーだとしたら、ハードの面から本を成り立たせているのがブックデザインだと言えます。

「愛蔵本」とは、まさに展覧会で展示されていたような本を指すのでしょう。

本の声、土の香り DOUBLE BOOKS BINDING展は、早稲田大学総合学術情報センター(中央図書館の建物)の2階展示室にて、6月17日(火)まで開催中です。公式サイトはこちら。
http://bookbinding.jp/DBB.htm
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めまぐるしき気温変化


風の話のついでに、もうひとつ気象のお話を。

昨日の記事で、風は瞬間瞬間で風向・風力が異なるため、10分間の平均値を出してそれを、風向・風力として発表するということを書きました。

気象情報の要素には風の他にも、例えば気温があります。

よく考えてみると、風が吹いて身の回りの空気がたえず入れかわっているわけだから、気温の瞬間瞬間の上下動も、風力と同じようにけっこう激しいはず。実際に、身の回りの気温は、かなりのめまぐるしさで上下しているんだそうです。

ところが、街中の「只今の気温」などと書かれている電光掲示板を見ても、瞬きしたら「27℃」、瞬きしたら「28℃」、瞬きしたら今度は「30℃」なんて、ぱっぱと変わったりしませんね。

気象学の先生から聞いたのですが、これは、わざと気温の変化を鈍く反応するように、温度計を作っているのだそうです。

なぜかというと、気温がぱっぱと変わることを市民が把握しても、役に立たないから!

「あっ、気温が28℃を超えたぞ! よし。ビールの飲み時だ! プシュッ! あっ、30℃を超えた。母さん、スイカ切って! 早く早く」なんて気温の上下動であわただしく生活する人はほとんどいませんね。

一方、風の強弱が短期間にぱっぱと観測されて、「最大瞬間風速」などという値が出るのは、風の変化のほうがガラス窓が割れたり、瓦が飛んだりと、市民生活に直接的影響を及ぼすからだそうです。

市民にとって役立つ情報を考えて、気象情報は発表されているということでしょう。
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風を測る


テレビやラジオなどの気象情報では、風向きや風の強さの情報が出てきます。

NHKラジオ第二の「気象通報」という番組では、「大阪、南南西の風、風力2」なんて具合に淡々とアナウンサーが原稿を読んでますね。

でも、考えてみると不思議です。風はたえずびゅーびゅー吹いているわけではありません。ときに強くときに弱く、またときには東からときには西から吹くというのに。だとしたら、「大阪、南南西の風、風力2」は、どのように決まるのでしょう?

じつは風向・風力は、定時の時刻の10分前からの風のデータを平均して出しているのだそうです。

瞬間瞬間で切り刻まれた風の強さをグラフにしてみると、強弱の波が非常に激しいものとなります。トップ画像がグラフの一部です。縦軸は風速(風の強さ)、横軸は時の流れを表します。風が吹いたり止んだりを繰り返していることがわかりますね。

例えば正午の風であれば、10分前からの風を平均して、「大阪、南南西の風、風力2」といった具合に発表しているのだそうです。

こうして発表されるのが、「平均風速」です。

いっぽう、台風が接近中のときなどに「最大瞬間風速」という言葉を聞きます。これは、読んで字のごとく、瞬間的に強く吹いた風のことです。瞬間というのがどのくらいの時間かというと、その間0.25秒。

台風の日のように、最大瞬間風速が強いときは、当然平均風速も強くなりそうです。平均風速と最大瞬間風速との間には関係はあるのでしょうか。

だいたいの場合、最大瞬間風速は、その風が吹いた時間帯の平均風速の1.5〜2倍ぐらいになるといわれています。この、「最大瞬間風速÷平均風速」で出た値は「突風率」とよびます。

「平均風速」はあまりニュースの気象情報などには出てきませんね。一方、「最大瞬間風速」はよく出てきます。これは、「これだけ大変な風が吹いているんだぞ」と、なるべく大げさに報じようとする報道の習性があるからとも言われています。
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泉岳寺トンネル(3)
泉岳寺トンネル(1)
泉岳寺トンネル(2)



トンネルを進みます。入口からはすでに7、80メートルでしょうか。天井が最も低いエリアに突入します。

低さに注意を促すための黄色と黒の縞表示。天井はこれまでよりも約20センチ低くなります。すれ違う通行人はみな、身を屈めながら歩いていきます。



全体の道のりの半分ぐらい進んだあたり。歩道の壁に大きな鉄板が現れます。鉄板の横には注意書きが二つほど。一枚目は「許可なき者の構内立ち入りを禁ず」と品川駅長からの注意。もう一枚は、表示板の上のほうが欠けていて読めません。たぶん、「きけん みなさん、はいってはいけません」だったのでしょう。



鉄板の向こうは鉄道施設の構内になっているようです。鉄板は頑丈そうで、バールかなにかでこじ開けないと入れそうにもありません。

出口の明かりが向こうに見えてきました。地元民でしょうか、自転車がひっきりなしに通ります。自転車であれば頭をぶつけることはありません。

出口の手前の壁側に階段があり、日光がそこから差し込んでいます。この階段は鉄格子の扉で閉ざされていて、「閉鎖 品川運転所」とはり紙が。鉄格子の向こうには水たまり。空き缶などのゴミが散らかっています。



この階段のあるところから十数メートル行くと、港南側の出口となります。出口はほぼ直角の右カーブとなっていて、点滅警告灯がチカチカと光っています。つづく。

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嘘二


大学院のとある授業で、「人はなぜ嘘をつくのか。」について考えてくるようにという課題が出ました。

なにもかも嘘ばかりであることを指す言葉に、「嘘八百」があります。でも考えてみれば、800も嘘を並べなければ「なにもかも嘘ばかり」とならないのだから、世の中、嘘はあって当たり前のものなんでしょう。

800の嘘を語るのは今日は無理ですが、二つの種類の嘘について、考えたいと思います。世の中には、外向的な嘘と内向的な嘘がありそうです。

外向的な嘘のほうが、イメージしやすいでしょうか。

自分の心の中ではそう思っていなくても、人に話を合わせたほうが、場が円滑に進むときにつく嘘のことです。

たとえば、飲み会の1次会終了後、家に帰ってサッカーの日本代表戦を見たくてしょうがないのに、スポーツに興味のない上司から、「○○くん、この近くにもう一軒、いいところがあるんだよ。行くよねっ? 行くよねっ? ねっ。ねっ」と言われたとき。

「部長! それは、いいですね(嘘)。私も今日はもうちょっと飲みたいなと思っていたところだったんですよぉ(嘘)。さ、さ、行きましょう、行きましょう」と、上司に合わせます。

このとき「いえ、部長。今日は日本にとっても私にとっても重要なオーストラリア戦があります。家に帰ってテレビを見ますので、ここで失礼させていただきます」と言わなかったのは、嘘をついたほうが、明日以降の××さんとの関係も円滑に進むと考えたからでしょう。

また、お得意様への接待などで、いわゆる「おべっか」を使うというようなものも外向的な嘘ですね。

一方、内向的な嘘というものもあると、聞いたことがあります。

ナルシシスティックな性向が極端に強い人は、自分の言動や行動のすべてを正当化させようと試みるそうです。つまり、自分のやることなすことなにもかもが、自分にとっては正しいことにならなければならないのです。社会的にどう考えてもその人のほうが悪いという場合でも、当の本人は、なにかと嘘を言って、自分を正当化するということです。

たとえば、朝8時に駅に集合という約束だったのに、△△さんは8時半にやってきました。30分も遅れて、いったいどうしたんですかい?

「ちがうの! 今朝は駅に来る途中で、ウィッキーさんにつかまっちゃったの!」(orz orz orz)

前者の外向的な嘘の場合は、嘘をついたことにより、自分の被害は大きいものの、社会的には円滑になるという、言わば自己犠牲の側面が強いですね。

一方、後者の内向的な嘘の場合は、自己正当化を嘘をついた本人はあまり気にすることもなく、また、社会的が円滑になるようなメリットは見られません。このことからすると、内向的な嘘のほうが、やはり性質が悪いと言えそうです。

参考文献:『平気でうそをつく人たち』M・スコット・ペック著
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平成18年版の科学技術白書


「平成18年版 科学技術白書」が2日に発表されました。

白書とは、毎年、政府が科学技術や、経済、外交などの各分野でについて発行する報告書のことで、将来の政策が書かれてあります。イギリスの同じ役割をもつ報告書の表紙が白く、“White Paper”とよばれていたことから、日本でも「白書」とよばれるようになりました。

今年の科学技術白書は、少子高齢社会での科学技術の役割を打ち出したことが特色です。平均寿命が伸びた反面、子供の生まれる数が減っています。昔は「少子高齢化社会」と、「化」を付けていましたが、白書では「少子高齢社会」。「化」は付いていませんね。つまり「その社会に突入しつつある」という変化の状態から、「その社会に突入した」という完了の状態に移ったことを示しています。

本格的な少子高齢社会をこれから迎えるのだから、この特集が組まれるのは当然です。ただ、もうひとつ。白書のバックグラウンドに「第3次科学技術基本計画」という大きな政策があることも注目したいと思います。

「科学技術基本計画」は「この先の10年間の世界を見据えて、当面の5年間の科学技術の方針を決めていきましょう」という政府の方針です。方針は「総理大臣を補佐する知恵の場」などとよばれている総合科学技術会議という会議で決められます。

で、今年の3月に「第3期」の「科学技術基本計画」が閣議で了承され、スタートしたばかりです。となれば、今年の白書も当然、この第3期の基本計画が色濃く反映されているはずです。

では、白書の中のキーワードは何になるかというと、「イノベーション」という言葉が多く出てきます。この言葉は「経済や社会で新しいモノや仕組みを切り拓いていきましょう」といった語感の言葉です。以前に書いた記事もご覧ください。「第3期科学技術基本計画」でも「イノベーションが大切」とされており、今年の白書で色濃く反映された形です。

では今年の白書の特集「少子高齢社会と科学技術」と、「イノベーション」はどう関係しているのでしょう。これは、「少子高齢社会では、働く人が不足するため、それをどうにか科学技術で補っていきましょう」といったことが基本となっています。

今年の科学技術白書は、文部科学省のサイトでも読むことができます(ページのタイトルに「平成17年度」とあるのは「昨年度分の報告です」と示しているからで、ページの間違いではありません)。
http://www.mext.go.jp/b_menu/houdou/18/06/06060200.htm
| - | 23:56 | comments(0) | trackbacks(0)
「アネクドート」


知り合いの毎日新聞社の社員のNさんから、「『アネクドート』という言葉が『余録』に使われてるよ」と、紙面を送ってくださいました。余録は、朝刊一面下のコラムです。Nさん、毎度ありがとうございます。

「アネクドート」とは、広くは「逸話」「奇談」のことを言います。とくにどの地方・時代の「逸話」「奇談」かというと、ロシアもとい旧ソ連のの体制下での「逸話」「奇談」を言います。「社会主義体制下で、検閲をかいくぐって盛んになった一種の民衆的フォークロア」と、三省堂の辞書にはあります。

ここ数日間で、「余録」では、二つの記事に「アネクドート」が載ったようです。

5月26日の余録では、ロシア語訳者の米原万里さんが永眠したことを悼んで、生前に米原さんが「余録」の記者に紹介したアネクドートを披露しています。
ガガーリンが地球に帰還すると共産党の書記長から電話があった。「頼むから神様に会ったのは内緒にしてくれ」。すぐローマ法王からも電話が来た。「どうか神様がいなかったのは内緒にしてくれ」
また、5月31日の余録で、「アネクドート」という言葉がどう使われているかといいますと…。
シベリアの強制収容所に新入りがやってきた――
「おい、おまえは何をやってたんだ?」
「ノルマが達成できなかったんだ」
「仕事は?」
「消防士さ」
――旧ソ連のアネクドート(笑話)には「ノルマもの」がかかせない▲
とあります。ノルマ超過達成競争は「徒労」を指す言葉になり、「ノルマどおりにやったほうがいい」はたまた「ノルマ達成をうまくごまかせばいい」となっていった、とのこと。旧ソ連のシステムの矛盾の本質をついていますね。

余録はその後、最近日本で起きた損害保険会社の保険料立て替えの不祥事に言及。背景にノルマ主義があるとして、「アネクドートにもならないいじましいノルマ達成の偽装工作である」と綴られています。この「余録」自体がアネクドートですね。

「科学技術のアネクドート」では、風刺や批判の域まではなかなか到達できていない点もあり、また、笑いを取ったつもりがたぶん外しているときも多いと思いますので「小話」というニュアンスが強いと思います。

これからも、「こんな話を聞いたから、聞いてよ」という思いをスタンスに、「アネクドート」を続けて参ります。

アネクドートを研究している北海道大学の方の論文をサイトで発見しましたので、紹介します。こちら。
http://src-h.slav.hokudai.ac.jp/publictn/76/32-45.pdf
| - | 02:52 | comments(0) | trackbacks(0)
言い間違いにもいろいろ


「言い間違い」の種類のうち、典型的な二種を考えてみたいと思います。

一つ目は、インプットのときにエラーを起こしているタイプの言い間違い。

ガンダムの主人公、アムロが密かに恋いこがれていたのが女性中尉の「マチルダ」さんでした。アムロが寄せていた仄かな想いはけっきょく告白されないまま、マチルダさんはドムにやられて戦死してしまいます。アムロは心の中で、こう叫びます。

マチルダさん。マチルダさん。マチルダさーん。

さて私の知人で、ガンダムの原作を見た経験のある人物は、かつて「マチルダ」さんのことを、こともあろうに「チダルマ」さんと言っていました。

チダルマさん。チダルマさん。チダルマさーん。orz

また、私の高校時代のクラスメートが、現代文の授業で魯迅の『故郷』に出てくる人物「アマ」を、すべて「マア」として、最後まで朗読しきった覚えがあります。

この種の言い間違いは、音声からのインプットではなく、むしろ文字を視覚でインプットするときのエラーによるものでしょう。

インプットの際の言い間違いに対して、アウトプットの際の言い間違いも存在します。人間の脳の処理能力の限界を示すような言い間違いです。

TBS夕方の長寿番組『ニュースの森』で、かつてメインキャスターだった荒川強啓アナウンサーが、ニュース原稿に出てくる「大江健三郎(おおえけんざぶろう)」のことを言い間違えて、「おおえけんらぶぞう」と読んでいました。

似た例では、「ラグビーラグビーラグビー」を何回も言っていると、そのうち「ラブギー」と言ってしまうことがあります。

「おおえけんらぶぞう」と「らぶぎー」に共通しているのは、どちらも「ぶ」や「ぐ」といった濁点が関係しているということ。この手の言い間違いは、おそらく脳内の発音処理能力などが関連しているものと思われます。

言語学や脳科学の世界では、この手の言い間違いを論じている研究もあるのでしょうね。
| - | 23:59 | comments(1) | trackbacks(0)
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