科学技術のアネクドート

「くわしくわかる編」を「楽しく見る」には。


一文を引用します。
こうした科学技術による研究・開発が効率的に進められるように、国は企業と大学・研究機関、役所の、いわゆる「産学官の連携」を推進したり、研究・開発資金を出すなど、しくみづくりを進めています。
「効率的」だとか「産学官の連携」だとか「研究・開発資金」だとか、小難しい漢字が並んでますね。科学技術白書にも載っていそうなこの文章、どこからの引用かというと、

首相官邸のサイトです。

サイトのなかのどのページからの引用かというと、

「キッズページ」(子供向けかよ! orz)

「みみずく博士のウェッブ・マガジン」というページがあって、「モノ作り」とか「食育」とか、毎回テーマのちがうウェブマガジンをアップしています。

「やさしくわかる編」と「くわしくわかる編」に分かれていて、「楽しく見るために」という説明書きによると、「やさしくわかる編(どんぐりマークひとつ)」は、「主に小学校高学年までに習う漢字や言葉を使って説明しているよ」とのこと。

一方、冒頭で引用した「くわしくわかる編(どんぐりマーク二つ)」は、「気になる言葉やことがらをくわしく知ることができるようになっているよ。主に、中学生までに習う言葉や漢字を使って説明しているよ」とのこと。

「楽しく見る」ことができるかどうか、他の「くわしくわかる編」も覗いてみましょう! たとえば「くわしくわかる編 環境保護と経済発展」の「温暖化を防ぐために 1」
日本が出す温室効果ガスの9割以上が石油や石炭などのエネルギーから発生する二酸化炭素です。活発な経済活動を行いながら二酸化炭素をへらすためには、「省エネ対策」が不可欠です。
(中略)
●産業界の自主行動計画
工場など「産業部門」の排出量は全体のおよそ4割、もっとも大きい割合となっています。自主的な行動計画を策定し、温暖化ガス削減に努める企業も増えています。
●省エネ技術の開発
ガスを用いて発電し、その廃熱を冷暖房や給湯に利用するコージェネレーションシステムや、省電力で長寿命の発光ダイオード(LED)照明など、エネルギー効率を高める技術の開発と普及を進めていきます。
●環境税
温室効果ガスの排出量に応じて税金を負担する制度も検討されています。省エネな製品ほど割安になるので効果的とされています。一方で、企業の国際競争力が弱まるとの意見もあります。
環境保護にはコストがかかり経済発展を阻害するという考え方もありますが、多少高くても環境にやさしい製品を買うなど消費者の意識も変わってきました。私たちが「省エネラベル」のついた商品を選んだり、ハイブリッドカーのタクシーに乗ったりすることで、二酸化炭素を減らすだけでなく企業の環境技術の革新を促すという風に、環境と経済の好循環が生まれるのです。
たしかに、子供は大人が考えている以上に理解力があるから、子供向けの文章を書くときにはこびへつらうことはない、とはよく聞きます。

それにしても、開き直り過ぎ!

いまの中学生は、そうとう難しい言葉や漢字を習っているものだなあと感心しました。

文章の内容が楽しければ、難しい文章にも子供はついてくるといいますが、「くわしくわかる編」を読んでいるかぎりでは、どうも「楽しく見る」文章とは言いづらいです。

そういえば、やけに「やさしくわかる編」と「くわしくわかる編」のちがいの説明が多いなと思っていました。これはつまり「『くわしくわかる編』は、やさしくわかってもらうことをあきらめました」ということを伝えるための、制作者の優しい心遣いなのかもしれません。

首相官邸サイト「キッズルーム」はこちら。
http://www.kantei.go.jp/jp/kids/index.html
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1901年の新聞トップ記事


大学院の授業で、1901年1月3日付けの「報知新聞」の写しを先生からいただきました。

「報知新聞」はこの日の2段目の記事として、100年後つまり2001年に実現していると予想する文明の利器を予言しました。「二十世紀の豫言」という有名な記事です。

この記事はこの記事でとてもおもしろいのですが、それは他のサイトに譲るとして、これ以外の記事につい目がいってしまったので、今日はそちらを紹介したいと思います。

1901年1月3日の報知新聞で目が止まったのは、トップ記事でした。この日のトップ記事は、「人物と其生活 近衞公(二)」という見出しです。「近衛公」とは、公爵で政治家の近衛篤麿(このえあつまろ)のことを指すようです。近衛文麿首相の父親にあたります。1901年当時、近衛は当時の国会の上院に当たる貴族院の議長という要職に就いていました。

記事は、報知新聞のジャーナリストが近衛の家を訪れ、そこで単独インタビューを行ったスクープです。近衛篤麿という剛腹で酒豪の大物政治家が、普段どんな生活を過ごしているのかといったことが書かれてあります。

まず、「酒と肉と運動」という小見出しの記事では、
「肉ですか、私は肉好きです、殆ど肉ばかり食べて居ると云う風でしたが、此頃は幾何か淡白になりました」
と、肉が好きであることを近衛が告白します。ちなみに肉といえば、肉じゃがが海軍軍人の東郷平八郎によって発明されたのも同じ1901年のこと。

さらに、喉を痛めたために禁酒しているという話をした上で、近衛は「コー太るのがよくないから、一月程前から運動を始めて居ます。」と、運動に話を切りかえます。
「日本には公園が少ないからチョット散歩にも不便です」
このころから、やはり東京は世界に比べて公園の少ない都市という通念があったのですね。

また、「讀書の楽しみ」という小見出しの記事で近衛は、
「此節では趣味のない書類を見ることに忙殺されて讀書の暇などは殆どないです、議會の休みになつた晩には遅くも、少し静かの所に行こうと思つて居つたのですが、またも俗務に妨げられて仕舞いました」
と言って、ジャーナリストが引き出したかった、どんな本を読んでいるかの答を見事に裏切っています。見出しは「讀書の楽しみ」なのにね。

で、最後に、記者はまとめに入ります。
問題にもよるべけれど、公爵は慥に演説に於けるよりも、談話に於て他の感情を引きつくべき多くの力を有せらるゝなり。
これは、政治の舞台よりもプライベートの話のほうが、この記者は引きつけられていたようです。また、
公爵の品位は爵位的品位にあらず、その人格に伴ふ生ける品位なり、今の政治家中「生活」てふ問題に就て甚深なる趣味を有し居るの人、平民的名士の中に於ても公の如きは稀なるべし
公家の人でありながら、庶民的な趣味をしていることに驚きつつも賞讃をしています。
時は已に十二時半、他にも訪客の待ち居たればその日は爰に暇を告たり
記者は近衛邸をあとにしたようです。

結局この日の第2話を読むかぎり、この記者は、あまり大した話は聞き出せていません。全体としては、意気込んで取材したわりに、これはという答えは返ってこなかったという感があります。ただ、大物政治家に単独インタビューをすることができたこと自体、大きなニュースだったのでしょう。

近衛はこの3年後の正月に亡くなっています。

「報知新聞」とは、いまの「スポーツ報知」の源流となる新聞です。もともと、1872年に「郵便報知新聞」として創刊されました。その後、人気低迷で1975年に大衆紙となり「報知新聞」となります。その後1930年講談社に買収されたり(1941年撤退)しながら、1942年に戦時下の新聞統合で、読売新聞社に吸収されました。戦後も出たり入ったりがありましたが、1949年にスポーツ紙となりました。

報知新聞1901年1月3日「人物と其生活 近衛公(二)」の全文は以下の「続きを読む」でどうぞ(一部、ワープロにない文字はかなにしてあります)。
続きを読む >>
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書評『産廃コネクション』
2003年の第3回日経BP・BizTech図書賞の受賞図書作。審査員の方のお話では、審査員満場一致で文句なく受賞が決まったそうです。普段冷静な審査員が「とにかく、すごい!」と、感嘆の声をあげるほどの本です。

『産廃コネクション 産廃Gメンが告発! 不法投棄ビジネスの真相』石渡正佳著 WAVE出版 2002年 254p


なにがすごいのかというと、産業廃棄物を不法に処理する「裏社会」を克明に知らせているということだ。つまり「アウトロー」の世界。アウトローであればアウトローであるほど、しっかりと上流組織から下流組織にいたるまでのコネクションが確立されていることがわかる。

たとえば、正規ルートから地下ルートへと廃棄物を取り次ぐ、不法投棄センターの「保積」(積替保管場。アウトロー社会ではしばしば文字を逆さにしてに使う)。不法投棄の適地を見つけて進行指揮する「穴屋」。ダンプ一台で夜陰に乗じて不法産廃を運ぶ「一発屋」。無許可や偽りで産廃を次々と処理してしまう「自社処分場」など、それぞれの役がそれぞれの役回りをきちんと果たしていく。コミュニケーション手段は無線などを使うそうだ。

本全体としては、「知らない世界があるものよ」と感嘆させる、インフォマティブなもの。ただし、最終章の解決策についても、現場を知りつくした人でないとそうやすやすとは言えない提案が示される。たとえば、中途半端に農薬を散布しても害虫はかえって耐性がついてしまうようなものといったアナロジーで不法産廃コネクションの根絶を提案したり、パトロールなどのディフェンスだけでなく、不法業者に経済的ダメージを与えるオフェンスも必要だと提案したり、など。

「これは、そうとう裏社会のことを取材しつづけたルポライターが書いたものに違いない」ここまで書評を読んでいただいた方は、そう思われるかもしれない。ところが、著者はなんと千葉県庁に勤める地方公務員なのだ。これにまた驚かされる。上司や知事がよくもここまで許可したものだ。けれども、それだけ問題の根は深いということだろう。

著者は会計のエキスパートである(「石渡メソッド」なる産業廃棄物処理施設の経営状態の把握法を開発した)。お金の流れの部分は、ついていくのにやっとだった。たとえば保積と一発屋との間、一発屋と穴屋との間で、カネの動きは事細かに書かれてあるが、どちらからどちらにカネに渡って、といったことを把握するのは大変だった(評者がカネの流れに疎いだけ?)。

けれども、本全体に驚きがあるので、それだけで十分に読ませてくれる。「ヤクザのことを知るにはヤクザの中に入っていかなければならない」と言う著者だからこそ、このように裏社会の構造を知らせることができるのだ。

『産廃コネクション』はこちら。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4872901428/qid=1148913536/sr=1-1/ref=sr_1_2_1/503-1861222-7056726
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大学院の授業は大学とどうちがう?


大学院に通い始めて、だいたい2か月が経ちました。今日は、大学院の授業についての2か月経っての印象をお伝えしたいと思います。

私が通っているのは、早稲田大学大学院の政治学研究科「科学ジャーナリスト養成プログラム」というプログラムです。名のとおり、科学ジャーナリストを養成するために立ち上げられたプログラムです。

授業の内容としては、取材などをして原稿を書く「実習」が3分の1、科学技術政策やリスク管理などの比較的横断的な分野を学ぶ「座学」が3分の1、学部生といっしょになって地球科学などの基礎的素養を身につける「一般教養的授業」が、3分の1といった配分です。この比率は、選択のしかたによってだいぶ違ってきます。

(約10年前、私が通っていた大学という限定はありますが)大学のときと大学院とを比べてみます。ちなみに大学は大阪にある、国立の単科大学でした。

大学院のほうが少人数制だというのは明らかなちがいです。大学院の「一般教養的授業」を除けば、1授業あたり平均7人ぐらいで、先生を囲んでいることになるでしょうか。学部生のころの平均は、たぶんもっともっと多かったことと思います。

また、授業の延長があり、1限の時間が長くなったということがあります。大学のころは90分きっかりで終わっていたと思います。大学院の授業では90分の正規の時間が過ぎた後、さらに授業(Q&Aなど)が続く場合が多いです。とくに、院生の誰もが次の時限に授業がない場合などは、平均20分ほど授業が延長されます。

ほとんどの先生がパワーポイントを使って、授業をするというのも、大学生時代には見られなかった光景です。

それと、実感としては大学のころよりも授業に関することについては「忙しくなった」と感じます。

とくに「実習」の授業では毎週、新聞記事原稿を書いてくるような課題が出されることなどが原因でしょうか。

また、大学時代は単科大学のこじんまりとしたキャンパスだったのに対し、大学院は西早稲田キャンパスというかなり広いキャンパスで、教室と図書館の距離も離れているために、移動に時間が掛かるのかもしれません。1時限の空きコマ(100分)なんて、あっという間です。

「科学ジャーナリスト養成プログラム」という、ある意味ちょっと特殊な専攻なので、そのあたりは大学院の授業の平均とは異なるのかもしれません。ただ、私が大学院に入るまでに思い描いていたイメージ「少人数の学生が、先生を囲み、先生と対話を重ねいきながら、授業が進んでいく」といったことはだいたいイメージどおりでした。

早稲田大学大学院「科学ジャーナリスト養成プログラム」(通称MAJESTy)のサイトはこちら(URLが変わりました)。
http://www.waseda-majesty.jp/
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泉岳寺トンネル(2)
泉岳寺トンネル(1)



「泉岳寺トンネル」がどのくらいの低さの天井か、とりあえずトンネルを歩いてみることにしました。すると、注意表示が。

「制限高1.5メートル」

大きな話をすると、日本人男子の平均身長はいま171センチ。女子でも158センチ。普通の日本人だと歩きづらいことになります。

トンネルに入ってすぐ、山手線と京浜東北線が通るところは鉄橋のようになっています。まだここは本格的なトンネルとは言えません。ここからは、電車のボディの下腹部を至近距離で見ることができます。

山手線が通る鉄橋に「橋りょう名 高輪橋架道橋」という表示を発見。東京からの起点は「5K573M88」とあります。

山手線と京浜東北線が通過する先を過ぎると、いよいよ本格的なトンネルの雰囲気。向こうからは通行人がやってきます。通行人の背は高く、いくぶん猫背に身を屈めつつ通り過ぎていきました。

トンネルをともす灯りはオレンジ色。路側の壁にはよく見掛けるランプが並んでいます。



それとともに歩道側の壁には筒型のパイプが走っていて、そこからオレンジ色の光が灯ります。車道と歩道の境にはコンクリートのブロック。このブロックは歩道の向こう側にもあり、その向こうにはドブがあります。どうやら車を脱輪させないためのもののよう。

トンネルの深部へ行くほど、じめじめしてきます。低い天井からは雨漏りのように水がぽたぽたと滴り落ちます。壁からところどころ、元気なく水がちょろちょろと流れ出ては、壁を伝って地面を濡らしています。



車道を見ると、地面には凸型の金具。車がここを通るたびに、ドカドカドカと音を立てて通っていきます。スピードを抑えるための仕掛けなのでしょう。まるでマキビシのよう。つづく。


| - | 22:46 | comments(0) | trackbacks(0)
第1回科学ジャーナリスト大賞に毎日新聞の元村有希子さん


日本科学技術ジャーナリスト会議が決定する、第1回科学ジャーナリスト大賞の発表が26日、内幸町の日本記者クラブで行われました。大賞には毎日新聞記者の元村有希子さんが選ばれました。受賞理由は「ブログを含む『理系白書』の報道に対して」です。

「理系白書」は、毎日新聞科学環境部が科学環境面に連載している大型企画です。元村さんは「理系白書」のキャップを担当しています。また、「理系白書ブログ」も立ち上げて、科学記者としての日常などを綴っていて、アクセス数は1日に5000件(!)と、好評を博しています。

以前聞いた元村さんの話では科学記者として、難しいことをわかりやすく伝えることと、是々非々(良いことと悪いことの両面)を伝えることなどを心がけているそうです。また、書く媒体や給料の保証があるからこそやりたいことができる、といったことを話していました。

「科学を伝えるカッコいいひと」が不在といわれる中、「元村さんこそが、最もその位置に近い人」という話をあちらこちらで聞きます。

元村さん、大賞受賞おめでとうございます。

科学ジャーナリスト賞は、科学技術に関する報道や出版、映像などで優れた成果をあげた人を表彰する賞で、日本科学技術ジャーナリスト会議の発足10年を記念して開設された、新しい賞です。

大賞・賞の受賞者と選考理由、選考委員は次のとおりです。

科学ジャーナリスト大賞
毎日新聞記者 元村有希子さん
ブログを含む「理系白書」の報道に対して

科学ジャーナリスト賞
フリーカメラマン 中村梧郎さん
ベトナム戦争の枯葉剤被害から30年余も目をそらさず、追及を続ける報道姿勢に対して

青山学院大学教授 福岡伸一さん
分子生物学者として斬新な視点からBSEを分析し、一般向け科学書にまとめたことに対して

朝日放送アスベスト取材班、代表 石高健次さん
毎日新聞編集委員 大島秀利さん
アスベスト問題に粘り強く取り組み、住民被害の実態と救済を社会に訴えた報道に対して

選考委員会
外部委員
白川英樹さん(ノーベル賞受賞者)・黒川清さん(日本学術会議会長)・米沢富美子さん(慶応義塾大学名誉教授)・村上陽一郎さん(国際基督教大学教授)・北澤宏一さん(科学技術振興機構理事)

日本科学技術ジャーナリスト会議委員
小出五郎さん(会長)・武部俊一さん(副会長)・牧野賢治さん(理事)・高木靭生さん(理事)・柴田鉄治さん(理事)

毎日新聞サイト「サイエンス」のページはこちら。
http://www.mainichi-msn.co.jp/science/
「理系白書ブログ」はこちら。
http://spaces.msn.com/rikei/
科学ジャーナリスト賞・中村梧郎さんの著書などはこちら。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/search-handle-form/503-1861222-7056726
科学ジャーナリスト賞・福岡伸一さんの著書などはこちら。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/search-handle-form/503-1861222-7056726
朝日放送のサイトはこちら。
http://www.asahi.co.jp/
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nature投稿論文落選3種


この春から、「科学をちょいびき!」という週刊のメールマガジンで、隔週連載をさせてもらっています。「科学をちょいびき!」は、科学関連のちょっとした話を、英語の関連サイトのリンクを貼りつつ、お届けするメールマガジン。言うなれば、英語と科学のタイアップといった感じでしょうか。

今日は夜遅く、大久保で編集長の松岡さん、それに同じく隔週で執筆している藤田さんたちとミーティングでした。

隔週で執筆している藤田さんは、雑誌『nature』の日本版で、宇宙関係の論文のアブストラクト(概要)の翻訳をしている科学ジャーナリストです。私の連載は、藤田さんから分け与えてもらったもの。

藤田さんは理学博士で理論宇宙が専門。natureで翻訳をする傍ら、自らの論文もnatureに二度、投稿したことがあるそうです。

natureに論文が載るといえば、感覚的には映画俳優がアカデミー賞を受賞する、もしくはアスリートがオリンピックでメダルを取るぐらいに名誉あること。当然、掲載までの道のりは険しいもので、大半は、編集者が論文を受け取った段階で、ふるい落とされてしまうそうです。掲載倍率は100倍以上。1つの論文が載る影で、99本以上の論文は落選となってしまうわけです。

で、natureには、落選した論文が3タイプに評価されて、投稿者に通知されるそうなんです。

Aタイプの評価は、「価値はあるけれどつまらない」型。natureは商業ベースで発行している以上、読者の興味を引く論文を載せる必要があります。そのため、学問的には優れているものの、読者の20%ぐらいしか読まないであろうという論文は、掲載されません。

Bタイプの評価は、「価値はないけれどおもしろい」型。読ませる論文ではあるものの、論文としてのサムシング・ニューがいまいち感じられないものも、掲載されません。

Cタイプの評価は、「価値もないしつまらない」型。これはそのままですね。

藤田さんが投稿したふたつの論文は、残念ながら掲載には至らなかったものの、両方ともAタイプの評価でした。それぞれの論文は日本と海外の論文雑誌に掲載されたそうです。

論文がたくさん載っている雑誌ではあるものの、いわゆる「ジャーナル」とはひと味もふた味もちがうのがnature。エンターテインメントとはちがった、知的好奇心を読者に起こさせようといった雰囲気があります。

nature日本版のサイトはこちら。
http://www.natureasia.com/japan/
メールマガジン「科学をちょいびき!」の紹介サイトはこちら。
http://www.mag2.com/m/0000169799.html
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42年ぶり。空の下のコウノトリ雛を孵す。


兵庫県豊岡市の「コウノトリの郷公園」で5月18日、放し飼いをしているコウノトリのつがいが、雛を孵したことが確認されました。野生に近い状態のコウノトリが雛を孵すのは、国内ではじつに42年ぶりのことになります。

いま、地球上に生存している鳥類の種は約1万だといわれています。

地球上に鳥が誕生してからの鳥類の系譜をたどると、ひとつの種が現れてからだいたい100万年で自然に絶滅を迎える計算になるそうです。

例えばここに、その地球上に生存している鳥類すべての種が載っている図鑑があるとします。自然の運命に従えば、上の計算により、100年間でひとつの種がこの図鑑から姿を消すことになりますね。

けれども、現在もそうした状況かといわれたら、決してそうした状況ではありません。1年間にひとつの種がこの図鑑から姿を消すことになっているといいます。つまり、人間が自然に手を加える以前の100倍の早さで、いま鳥類は絶滅しているということになります。

一時期、コウノトリは日本にたった20羽しかいなくなってしまったときがありました。いまでは、それが約120羽にまで増えています。

生物の多様性を綻ばせていったのが人間であれば、それを繕わなければならないのも人間だということを、コウノトリの事例は伝えます。

兵庫県立コウノトリの郷公園のサイトはこちら。
http://www.stork.u-hyogo.ac.jp/

参考文献『日経サイエンス』「絶滅のホットスポットを救え」2005年12月号
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進まない、図書館のDVD資料への移行


最近のレンタルビデオ屋は、1、2年前に比べても、DVDソフトの比率が格段に増えています。

一方、いまだビデオの貸出が主流であるのが図書館です。私がよく利用している市民図書館では、比較的映像資料が充実してはいます。けれども、DVDソフトの映像資料はまだ導入されていません。全国的に見ても、いまだ映像資料といえばビデオソフトが主流のようです。

国内のDVDプレーヤーの普及率は2004年時点で35.4%に達しています(内閣府調べ)。これは2002年に行われた同じ調査に比べて、10.1ポイントの増加。それまで使っていたビデオデッキが壊れた家庭では、DVDプレーヤーに買い替えをしているのでしょう。

図書館が映像資料としてDVDソフトを購入する場合は、著作権法上の制約があります。たとえば3000円のDVDソフトを図書館が購入する場合、市価の5〜6倍の値段が掛かるそうです。一方、映像資料としてビデオテープを購入する場合は、補償金を支払うという形で定価の2〜3倍の値段で済むそうです。

今後、ビデオデッキのさらなる普及はあまり望めません。たしかにビデオテープがDVDに比べて半分ぐらいの価格で購入できるからといって、このまま図書館がビデオテープを買い続けていては、市民生活の現状から離れていく一方となります。ビデオ購入の場合よりも資料収集のペースは落ちるかもしれませんが、今後はビデオテープを購入する代わりにDVDを購入するということに切り替えていってもいいのではと思います。

もちろん、DVDプレーヤーを持っていない方々のために、図書館のビデオブースで利用していただくといった措置はとったほういいでしょう。

実際に、映像資料をDVDに移行することは、各地の図書館での検討課題になっているそうです。都内の区立図書館の報告書では、「貸出状況を見ながらDVDを中心に収集を進め、ビデオからDVDへの移行を図ることが望ましいと考えています」という言葉もあります。

本や雑誌という紙媒体の資料に対して、映像資料は技術の進歩ともに再生機会の主流がスピーディにかわっていきます。最近は次世代DVDの規格をめぐるメーカー間の覇権あらそいもニュースになっています。図書館は、時代の流れに遅れないように、どの規格が主流となるか、つねに目を見張らせていくことが望まれます。

参考文献
「消費動向調査 平成16年3月実施調査結果」内閣府経済社会総合研究所景気統計部 2004年4月27日公表
『文藝著作権通信』「特集/貸与権と公共貸与権」NPO日本文藝著作権センター 2004年6月
『区立図書館サービスの基本的なあり方について(提言)』新宿区立図書館運営協議会著 2005年6月
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泉岳寺トンネル(1)
以前にお知らせしましたように、何回かに分けて東京の重箱の隅をつついてみたいと思います。今回は、港区の「泉岳寺トンネル」の話です。



東京国際マラソンのコースでも有名な第一京浜(国道15号)を、品川駅から新橋方面へ北上します。山手線や京浜東北線、東海道線などを右手に見ながらしばらく進むと、やがて泉岳寺のT字交差点へ。左へ曲がれば泉岳寺。

地下鉄泉岳寺駅の入口が見えてきたところで、第一京浜をもうちょっとだけ新橋方面へと直進します。すると、信号も何もないポイントに右折路がさりげなく現れます。この何の変哲もなさそうな小道が「泉岳寺トンネル」への入口です。

この泉岳寺トンネルはJR線のガード下のトンネルで正式には「高輪ガード」と呼びます。第一京浜側の高輪2丁目地区と、海側の港南1丁目地区をつないでいます。トンネル内は一方通行で、車は高輪から港南方面へしか進むことができません。

トンネルの上はJR品川駅と田町駅の線路の中間地点。この品川駅から田町駅にかけては、線路の本数がやたらと多いです。山手線、京浜東北線、東海道線、さらに予備の車両を並べておくための線路が十数本並び、最後に東海道新幹線。筋肉繊維の模式図よろしく広がった線路の下をトンネルがくぐります。全長約200メートル。東京のトンネルとしてはちょっとした長さといってもいいでしょう。

けれども、東京の長いトンネルということならば、他にももっと長いトンネルがあります。この泉岳寺トンネルを皆さんに紹介したいのは、もっと別の特徴があるからです。

それは、このトンネルの天井がとんでもなく低いということです…。つづく。
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日本の飲み水


飲み水の安全と危険についての原稿を書いています。

過去に水道水とか井戸水とかに関する事件がなかったかと、新聞の過去記事データベースなどをいろいろと当たってみました。

「飲み水」というキーワードで探してみたところ、出るわ出るわ。朝日新聞のデータベースで、過去5年間で600件以上「飲み水」という文字が見出しか本文に使われている記事があることがわかりました。

なかでも大きく取りあげたれていたのが、2003年に茨城県神栖町(現在・神栖市)の井戸から、ヒ素が検出されたという事件でした。旧日本軍による毒物兵器がヒ素の由来ではないかとされています。この事件では、発育の遅い子供が出たり、手足にしびれが出て歩行困難なる人が出るなど、深刻な被害が出たため、連日に渡って取りあげていました。

「飲み水」で検索した記事の大半は、井戸の近くで産廃が見つかったとか、住民からの依頼があったとか、何らかの理由で自治体が水質検査した井戸から、基準値を上回る化学物質が発見されたというものです。

自分の生活にはまったくもって無縁だったために気づかなかったのですが、全国各地には井戸を(それも飲み水として)使っている地域がまだまだたくさんあることがわかりました。

「都市に住んでいると、地方のことはわからないものだなぁ」

そんなことを思っていたところ、これもとんでもない勘違いだったようです。調べてみると、例えば東京23区でも、いまも飲まれている井戸はけっこうあるそうです。世田谷区では、震災時に生活用水を供給するために1563の井戸が登録されていて、そのうち344の井戸は飲用することができるとのこと!

水道普及率とちがって、井戸水をいま何人の人が飲んでいるのかは調査されていないそうです。また、水道水とちがって、井戸水を飲んで健康を害したら、基本的にその責任は飲んだ人にあるそうです。けっこう、自己責任の世界ですね。

「日本人の飲み水は水道水かミネラルウオーター」と、鵜呑みしていました。
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「デルポイの神託」から「デルファイ調査」


ギリシャにあるデルポイの古代遺跡(トップ画像)は世界文化遺産にも登録されている由緒ある遺跡です。

この地では、「デルポイの神託」が行われていたと言われています。デルポイにあるアポロンの神殿で、巫女さんが神々のお告げを人々に伝え、それによって、都市国家(ポリス)の政策を決めていったそうです。

さて、このデルポイの神託が行われていたころから長い歳月が経った今日、科学技術政策をデルポイの神託にあやかって決める方法があるといいます。

その名も「デルファイ調査」。この「デルファイ」はまさに「デルポイ」が語源です。「デルファイ調査」では、直観を頼りに未来の科学技術を予測するため、ご神託というニュアンスが引き継がれたのでしょう。

デルファイ調査は、ある科学技術について、それがいつごろ現実のものとなるかを予測しようとする調査です。

方法は、まず、その道の専門家や、その道の専門家ではないけれども有識者といわれるような人たちに、未来の技術がいつごろ達成されているかをアンケートで聞きます。

たとえば、「がん化の機構が解明されるのは、次のどの期間においてか? (1)2006〜2010年(2)2011〜2015年(3)2016〜2020年(4)2021〜2025年(5)2026〜2030年(6)2031年以降(7)わからない」などと選択肢を示して、答えてもらいます。

ここまでは普通の質問とあまり変わりませんね。でも、デルファイ調査のおもしろいところは、この後の手順。アンケートに協力してくれた人たちに、いったん、アンケートの結果を見せてしまいます。そのうえで、まったく同じ質問をしてもう一度、答えてもらうのです。

質問内容によっては、1回目の調査よりも、実現予想時期の平均が、少し前にずれたり少し後にずれたりします。

けれども、どんな実現予想時期の質問をしても、2回目の回答の散らばり具合は、1回目の回答の散らばり具合よりも、確実に狭まるといいます(世界共通の法則!)。

こうして、同じ人たちにまったく同じ質問を2回もしくは3回以上、繰り返すことによって、未来予測をより確かなものにしていこうというのがデルファイ調査の極意です。

デルファイ調査は、国が科学技術のどの分野に重点的に力を入れていくべきかなどを決めるときの、重要なツールのひとつになっているそうです。

文部科学省・科学技術政策研究所の、デルファイ調査を使った技術予測に関する調査研究の概要はこちら。
http://www.nistep.go.jp/nistep/about/thema/themaA.html

この記事は、早稲田大学院の科学技術ジャーナリスト養成プログラム「科学技術政策」(桑原輝隆客員教授・西村吉雄教授の講義)を参考にしています。
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書評『ロシアの宇宙開発の歴史』
今日は、ソ連の月探査をめぐる話のおまけです。

『ロシアの宇宙開発の歴史 栄光と変貌』的川泰宣著 東洋書店 2002年 p63


1960年代の宇宙開発競争の時期、日本は西側陣営の傘下にすっぽり入っていたこともあって、宇宙開発の状況はどうしても米国中心の見方をせざるを得なかった。いまも、日本の宇宙開発の協力相手といえば、真っ先に思い浮かぶのが米国のNASAである。

この本は、日本からは遠い存在だったソ連の宇宙開発にスポットを当てた。いわば、長嶋茂雄の輝かしい活躍の裏で三冠王をとった野村克也にスポット当てたようなもの。

とはいっても、1960年ごろの宇宙開発競争の記述では、ソ連と米国の出来事がほぼフィフティ・フィフティに出されるので、あまりソ連から見た宇宙開発という感じはしなかった。

ソ連の宇宙開発政策が、かなずしもその当時の為政者(スターリンやブレジネフ)の オンリーで進んでいたわけではないことが伺える。それ以外にも、コロリョフという宇宙工学者のロケットへの情熱が、米国にスプートニクショックを与えたことがよくわかる。人は生まれる国を選べないけれど、たぶんコロリョフが米国で生まれて宇宙開発に目覚める同じ環境があったならば、いまごろ彼は米国の宇宙開発の父と評されていたにちがいない。

最後のロシア製ロケットの紹介の部分は、読み物というよりは資料といった感じ。

『ロシアの宇宙開発の歴史』はこちら。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4885953812/qid%3D1148049987/503-1861222-7056726
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1969年の月で(6)
1969年の月で(1)
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1969年の月で(3)
1969年の月で(4)
1969年の月で(5)



「月15号」の月軟着陸そして月の石回収を果たせなかったソ連は、次の月探査機に希望を託します。そして月15号の失敗から1年2か月後の1970年9月、「月16号」が月の「豊かの海」に軟着陸を果たしました。その後、月16号は月の石採取に成功、モスクワ時間24日午前、ソ連領内のカザフに無事着陸します。

月15号で果たせなかった目的を、月16号がかなえた瞬間でした。

史上初の無人探査機による月の石回収を、当時の日本のメディアも高く評価していました。朝日新聞の1970年9月25日朝刊では、このニュースが一面を飾っています(トップ画像)。アポロ11号の月着陸に比べたらもちろん扱いは小さいものですが、ソ連の限られた情報を差し引いて考えれば、このニュースもとても大きなものと言えます。記事を読んでみましょう。
月の岩石採取はすでに昨年の米の有人宇宙船アポロ11号およびアポロ12号に先を越されているが、ソ連は人命への危険がないこと、将来太陽系の惑星の観測がまず無人で行われなければならないことの理由から、月16号の成果を宇宙観測史上画期的な出来事として、誇っている。
また別の日の朝日新聞の記事によると、ソ連は、米国がアポロ計画を本格化させたころから、無人の宇宙ステーションで安全を確かめたのち、どうしても有人でやらなければならないものだけを、有人宇宙船で行うという立場を表明し続けていました。こうした立場を具体的に示したのが、月16号だったわけです。

当時のソ連のこうした、無人宇宙探査と有人宇宙探査を分ける考えは、これからの宇宙探査でも、重要な考えになってくるでしょう。

米国のブッシュ大統領は2004年「宇宙探査計画のための新ビジョン」として、人類が再び月を目指すこと、さらには、その先の火星を目指すことを打ち出しました。

もちろん、月や火星への第一段階としては、無人探査機を送ることも考えているようです。つまり、1969年ごろのソ連のように、まず、無人探査機で安全性を見てから、有人で月を再び目指すというステップを踏むことになるでしょう。けれども、突き詰めていくと、根源的な疑問がここで沸いてきます。

そもそも、人類はなぜ危険を冒してまで、宇宙へ向うのか?

1969年には冷戦があり、ソ連も米国も、宇宙開発で先取権をとることは軍事的に重要な意味がありました。また、人類が地球以外の天体に足を踏み入れること、それ自体が意義のあることでした。

けれども冷戦も終わった今日日、一度足を踏み入れたことのある月に、もう一度人間が向かう理由とはなんでしょうか? 

「火星へのステップ」という見方ももちろんできます。では、なぜ、人間は火星を目指すのでしょうか? つまるところ、人間はなぜ宇宙を目指すのでしょうか?

こうした根源的な疑問に対しては、誰もが納得のいく共通の答えがあるわけではありません。

けれどもたしかにいえることは、“人間が危険を冒して”まで、月や火星へ行くのであれば、その理由についてはさらに議論を深めていくべきだということです。

1969年の月で、アポロ11号が偉業を果たした影で、月15号が軟着陸に失敗しました。そのこと自体も人の記憶から忘れられました。けれども月15号は、現在の宇宙開発で考えるべきメッセージを残しました。いまも月の危機の海のどこかで横たわっています。(了)
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火星でなにを食べる?
ブッシュ大統領が打ち出した、宇宙探査計画のための新ビジョンには、火星への有人宇宙飛行も視野に入れられています。遠い将来には、人類が火星に定住するということもあり得るのかもしれません。

火星に定住となると、移住者はどのように「食」を確保するのでしょうか。これが課題となってきます。

千葉の幕張で開かれている「日本地球惑星科学連合大会」では、JAXAの山下雅道氏が「火星での人類生存に向けた宇宙農場構想」という演題で講演を行いました。火星移住時の食料確保をどうするのかがテーマです。

人間は、アミノ酸などを摂取するために動物性の食品を摂ることは欠かせません。でも最初からウシやブタなどの大型家畜動物を火星での農業に組み込むのは難しいそうです。そこで白羽の矢が立っているのが…。

昆虫(!)

昆虫といってもいろいろとありますね。その中の有力候補が、カイコのサナギなんだそうです。カイコの幼虫はクワの葉を食べて動物性のタンパク質や脂質を体内に生み出します。実際、人間は古くから、カイコのサナギを食料として食べていたという歴史もあります。

というわけで、山下氏の発表の後は、カイコのサナギの試食会。試食会で出された缶詰は、宇宙用に特別つくられたものというわけでもなく、信州の食品業者「かねまん」の珍味シリーズのひとつでした。

おそるおそる、1匹だけ食べてみると…。味は、銀紙に包まれて身の締まったキューブ状のおつまみ(なんていうんでしたっけ?)の味と似ていました。それよりも少し油っぽかったかな。

ごはんがあればけっこういけるかもしれません。いまの家庭の食卓で毎朝、海苔の佃煮が置かれるように、将来、火星の家庭では朝の食卓の定番はカイコのサナギが置かれているのかもしれません。



日本地球惑星科学連合のサイトはこちら
http://www.jpgu.org/
珍味「かいこのさなぎ」を売っている、「かねまん」のサイトはこちら。
http://www.yukisenli.com/shop/kaneman.htm
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書評『人間の安全保障』
『人間の安全保障』アマルティア・セン著 東郷えりか訳 集英社新書 2006年 208p


アマルティア・センはインド生まれの経済学者。貧困対策や弱者対策をグローバルに捉えて、その解決策を示してきた。1998年には、アジアからは初のノーベル経済学賞を受賞している。

普段、「安全保障」と聞くと、国が有事のときに備えるといった、国単位での安全の保障を思い浮かべてしまう。けれども、センの提起する安全保障はもっとずっと単位が小さい。センは、人間ひとりひとりが安全保障を持ちながら生きる世界を目指すべきだとする。本書はセンのこれまでのスピーチやエッセイを集めたもの。

「人間の安全保障」とは、どういったものか。センは4つに分けてこう書く。

1. 「個々の人間の生活」に、しっかり重点をおくこと。
2. 人間が、より安全に暮らせるようにするうえで、「社会および社会的取り決めの果たす役割」を重視すること。
3. 全般的な自由の拡大よりも、人間の生活が「不利益をこうむるリスク」に焦点を絞ること。
4. 「より基本的な」人権(人権全般にではなく)を強調し、「不利益」に特に関心を向けること。

これらを叶えるための方法として、センは、ものの見方を変えてみるべきだと提言する。

例えば、グローバル化と西洋化はイコールではないという言説だ。つまり、かつて科学などのイスラム地域の文化が、ヨーロッパに渡ってヨーロッパが繁栄したように、文化が輸入されたことは古今東西よくあることであると、歴史を引き合いに出して説く。

また、デモクラシーについても、かならずしも多数決ですべてを決めるという固定観念にとらわれず、少数派の意見をつねに聞いて尊重する姿勢を保てば、それもデモクラシーのひとつになるとも説く。

「人間の安全保障」という考え方もあるいは目新しいかもしれないけれど、これらの言説は、われわれの固定観念を解きほぐしてくれる。他にも、日本の歴史を引き合いに出したりも(どちらかというと見習うべきこととして)。例えば聖徳太子の一七条憲法を「かなりリベラルな憲法」としているように。

内容はかなり抽象的な話が多く、二度読み、三度読みが必要なところもあった。けれども民主主義や人権について、新しい視点をいろいろと得ることができる。

『人間の安全保障』はこちら。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/408720328X/sr=1-4/qid=1147738528/ref=sr_1_4/503-1861222-7056726?%5Fencoding=UTF8&s=books
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一筋の青


千代田区内、皇居の周りを歩いていると、道ばたに青い筋の入ったチョウがとまっていました。

アオスジアゲハです。

本州から沖縄にかけて広く生息しています。出現期は5月ごろから10月頃ということなので、今年のアオスジアゲハの中では、けっこう早めに成虫になったものだと思います。

日常の忙しさに追われている人たちにとっては、いまやアオスジアゲハどころか、アゲハチョウすら珍しい存在になってしまっているのかもしれません。けれども、都会でさえもかなりこうした昆虫や動物は棲息しているそうです。ただたんに、目に入ってこないだけで…。

ある特定の自然の動物を見つけたい場合、その動物が食べているものがある場所に行くと、出会える確率はやはり高くなるといいます。

アオスジアゲハは幼虫のころは楠(クスノキ)の葉をムシャムシャと食べているそうです。楠は御神木のため、神社などに行くとよく見掛けます。でも、アオスジアゲハは比較的高いところを飛んでいることが多いそうで、今日出会えた私はちょっとラッキーだったかもしれません。

参考文献:『動物の見つけ方、教えます!』宮本拓海著
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1969年の月で(5)
1969年の月で(1)
1969年の月で(2)
1969年の月で(3)
1969年の月で(4)



1969年の月で、対照的な二つの探査機が、同じ期間にそれぞれの行動をとっていました。米国の有人月探査船「アポロ11号」。そして、ソ連の無人月探査衛星「月15号」です。

1950年代後半から米国とソ連の間で繰り広げられてきた人間を月へ遣るレースは、1969年に入ると、米国の勝利がほぼ確実な状況となりました。それだけに、なぜソ連は、米国のアポロ11号と同じ時期に人も乗せない探査衛星の月15号を月に遣ったのか。その憶測がさまざま飛び交いました。

前回は、その憶測の数々を紹介しました。そして諸説の中でも「月15号は月面への軟着陸に挑戦しようとしている」という説こそが、関係者や報道機関が最も有力視した説でした。月面に近づく月15号の動向に目が注がれました。

さて、そんな中、次々と歴史的偉業を月の表面で成し遂げた「アポロ11号」の乗組員(アームストロングとオルドリン、それに母船に待機していたコリンズ)は、21時間40分の月面活動を終えて米国東部夏時間21日午後、ついに月を離陸し地球への帰途につきます。7月22日の朝日新聞夕刊1面トップでは華々しい見出しとともに、アポロ11号が帰途についたことを報じています。ヒューストンの馬上特派員からの記事です。
アポロ11号 任務果たし一路地球へ なめらかに月面着陸 両飛行士母船移乗 完ぺきな飛行続ける
これで三人の飛行士は危険な関門をほとんど突破し、三日後に無事地球へ帰りつくことがほぼ確実になった。他の天体に初めて足を踏み入れるという重大な使命を果たした宇宙の探検者達を乗せた宇宙船が日本時間二十五日午前一時五十分ごろ、中部太平洋に無事着水することは間違いないとみられる。
この記事どおり、アポロ11号が無事に地球に帰還したのは周知のとおりです。

さて。一方の「月15号」に目を向けてみましょう。おなじ夕刊1面のアポロ11号記事の右下には、このような見出しと記事が出ています。モスクワの中島特派員からの記事です。
月15号 軟着陸に失敗か タス通信全計画完了と発表
タス通信は、ソ連の月(ルナ)15号が二十一日、月周辺の科学調査と同ステーションの新しい機器体系の点検というそのプログラムをすべて完了したと発表した。
タス通信の発表から見て月15号は月の岩石を採集しなかったことは明らかになったが、月15号の軌道修正により、月面のどの部分にも着陸できる能力を持つことや、新しい自動航行体系の実験を行ったことなどは、米国のアポロ計画に遅れをとったとはいえ、ソ連はソ連なりに月旅行計画を着実に進めていることを示したものである。
記事の左上には、月面の写真地図が大きく載っています。その写真地図では、「静かの海」を「アポロ11号着陸地点」としている一方で、「危機の海」を「月15号到達地点?」としています。

この時点の新聞報道では、月15号が月面に「軟着陸したのか、途中に山などがあって、激突したのか明らかでない。しかし、(中略)着陸がうまくゆけば、その後しばらくはデータを送ってくるのが当たり前――とすれば、軟着陸は失敗と受け取れる」とあるだけで、月15号自体の首尾がはたしてどうなったのかについては、やはり仮説の域を脱していません。

その後、英国のジョドレルバンク天文台が、月15号はやはり月面軟着陸に失敗し、月面に衝突したと見られると発表しています。

新聞の1面を飾る数々の言葉。「完ぺきな飛行」と「軟着陸に失敗か」。「静かの海」と「危機の海」。「着陸地点」と「到達地点?」。日の目を見たアポロ11号と、日の目を見ることのなかった月15号のコントラストを見ることができます。

こうして、宇宙の藻屑となった月15号は、世界が注目したアポロ11号の輝かしい光の影で、多くの人から注目されることもなく、ソ連の「計画は完了した」という発表のもと、忘られし存在となりました。

月15号の顛末は以上です。

さて、忘られし月15号ではあるけれども、国際宇宙ステーションから月・火星へと目が向けられるようになった現在の有人宇宙開発計画のなかで、学べることがあるとすればそれはなんでしょうか。少しだけ考えてみることにしたいと思います。つづく
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書評『中央研究所の時代の終焉』
科学技術分野の研究が、産業にどう関わっているかを知ることができる本です。

『中央研究所の時代の終焉』リチャード・S・ローゼンブルーム、ウィリアム・J・スペンサー編 西村吉雄訳 日経BP社 1998年 368p


中央研究所とは、ひとつの企業が抱える研究所のこと。この中央研究所で研究された成果は、その企業の製品開発などに活かされる(活かされないときもある)。

近年、中央研究所の役割が変わってきた、というのがこの本のテーマ。構成は3部構成となっている。各部のなかの各章ごとに執筆者が異なる、オムニバス形式だ。

まず、第1部では、中央研究所がどのように現れたかといった歴史や、企業研究や大学研究の産業界のなかでの位置づけなどを追う。とくに、研究から開発へ、開発から製品へ、製品から市場へ、といった研究を水源とする流れのモデル(「リニアモデル」という)が、いかに第二次世界大戦前後を通して、モデルとして君臨していたかを紹介する。

第2部では、米国のゼロックス社、IBM社、アルコア社、インテル社の各企業経営者が、各社の研究体制を、優れている点も課題となっている点も含めて紹介する。「ムーアの法則」(半導体の集積密度は18〜24か月で倍増するという法則)で知られるゴードン・ムーアも執筆者として登場し、インテルが半導体で成功を収めている理由などを披露する。各社各様の研究体制があるが、共通しているのは、競争激化などのため、リニアモデルのころの研究体制は、もはや通用しないという点だ。

そして第3部では、産業における新しい研究体制のモデルを示していく。競争の激化や、組織の複雑化、科学技術領域の細分化などにより、提案されるモデルは単純なモデルから複雑なモデルへと変わってきている。たとえば、第8章に示される「チェーンリンクトモデル」は、研究が、製品の発明から生産にいたるまで、様々なフェーズで関わり合いをもつようなモデルだ。

このような、モデルの変革が示されているとともに、ある執筆者は「企業の最高経営者(CEO)はその技術の源への認識を深めるべきだ」と書いている。企業の経営者がいかに企業研究所を役立てようとしているか、とか、企業の経営者と研究所の責任者がいかに太いパイプでつながっているか(つまり、仲良くやっているか)といった、経営判断やコミュニケーションの部分も問われていることを伺わせる。

『中央研究所の時代の終焉』はこちら。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4822241327/sr=1-8/qid=1147528830/ref=sr_1_8/503-1861222-7056726?%5Fencoding=UTF8&s=books
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交通博物館、もうすぐ幕。


午前中、秋葉原の交通博物館に行ってきました。交通博物館は、2007年10月14日さいたま市にオープンする鉄道博物館にバトンタッチする形で、5月14日(日)をもって閉館となります。つまりあさってで見納め。

平日の午前中に関わらず、最後に館内を見ておこうというお客でかなりの混雑ぶりでした。かくいう私も、初来館者の一人です。



1階は、パンタグラフの体験装置から、日本で最初のトンネルは天井川をくぐるためのトンネルだったといったトリビアまで、鉄道(とくに国鉄・JR)についての展示がたくさんあります。実際に機械を操縦できる体験型の展示が多かったです。

入口の新幹線のイメージ(トップ画像)から、鉄道についての展示しかないのかと思ってしまいがち。でも、2階は船・自動車がテーマ、3階は航空がテーマで、まさに「交通博物館」の名の通りです。引き継がれる博物館は「鉄道博物館」ですので、鉄道以外の展示品はとくに、もう見られなくなるものが多いことでしょう。

交通博物館ならではのものがもう一つ。万世橋駅です。この交通博物館は、万世橋駅というターミナル駅の跡地に建てられました。万世橋駅は、いまも中央線が神田駅から御茶の水駅に向う途中、ホームの跡を見ることができます(万世橋駅の話は、また後日、このブログでじっくりと書きたいです)。

今回、閉館のための特別展示ということで、万世橋駅のホームへの中央階段を公開していました(写真)。また、万世橋駅の写真や映像(貴重!)を展示したミニコーナーも。



「ちゃんと見えるか?」と我が子に声を掛け、模型鉄道パノラマを見せようと肩車しているお父さん。「わしは、万世橋駅があったころに、親父に連れてこられてよくこの博物館にも来てたんだよ」とちょっと誇らし気に話すおじいさん。館内は、誰もがみな童心にかえって、乗り物に夢中のようでした。それとともに、なんともいえない寂しさがあふれていました。



5月14日(日)で見納め。63年の歴史に幕を閉じる交通博物館。サイトはこちら。
http://www.kouhaku.or.jp/index.html
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シュンペーターの経済用語


「イノベーション」という言葉と「技術革新」という言葉は微妙にちがうそうです。

正直、私も、それほど違いを意識せずに、もっぱら「技術革新」という言葉のほうばかりを使っていました(どうも外来語は面映くて…)。例えば、「技術革新によって商品の要素になった材料名は、それ自体がキャッチコピーの性質をもっているものが多いですね」といった具合に。

「イノベーション」と「技術革新」とは、どうちがうかというと、「イノベーション」のほうが「技術革新」よりも広義の言葉。つまり、「イノベーション」は「技術革新」を含むということです。

では、「イノベーション」という言葉が何を意味するのかというと、この言葉(innovation)は、オーストラリアの経済学者ジョセフ・シュンペーター(1883〜1950年)が経済用語として、ある論文の注釈で定義していたそうです。

シュンぺーターは、資本主義の発展には、企業家による絶え間ない「イノベーション」が必要であるとし、その「イノベーション」には5つの種類があると言いました。

その5つとは、(1)新しい商品、あるいは商品の新しい質の導入 (2)新しい生産方法の導入 (3)新たなマーケットの開発 (4)原料または中間生産物の新たな供給源の獲得 (5)産業における新たな組織の形成、の5つです。

いっぽう「技術革新」はというと、もっぱら「イノベーション」のうちの(1)(2)あたりまでを指す言葉として捉えられます。新たなマーケットを開発することや新たな組織を作ることまで含むと考える方はあまりいないでしょう。

つまり、「イノベーション」という言葉には、普通に思うよりも、けっこう広義であるということですね。

たしかに“innovation”を辞書(三省堂『EXCEED 英和辞典』)で引いても、「改革, 革新; 新しいもの; 新制度」とあるだけで、「技術の」という限定した意味は、とくに含まれていません。

では、なぜ人々は、「イノベーション=技術革新」として捉えてしまっているのでしょう?

これには、ある誤訳が尾を引いているようなんです。1958年の『経済白書』に初めて、「イノベーション」の意味で「技術革新」という言葉が出てきました。でもこれは、「イノベーション」をより狭い意味しかもたない「技術革新」としてしまったから誤訳。この誤訳から「イノベーション=技術革新」という等式が、技術関係者などに浸透してしまったそうです。技術者関係者にとっては、「技術革新のことだけ考えればいいのか」ということで、むしろ好都合だったという背景もあるようです。

早稲田大学客員教授で、元『日経エレクトロニクス』編集長の西村吉雄先生の話では、「マスコミなどほとんどの人は、イノベーションと技術革新を混同して使ってしまっている」とのこと。

言葉一つとって見ても(とくに学術用語の場合)、厳密な定義というものがあるものです。


この記事は、早稲田大学院の科学技術ジャーナリスト養成プログラム「科学技術政策」(小林信一教授・西村吉雄教授の講義)を参考にしています。
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東京・原風景


高校時代までを、東京とは多摩川を隔てた隣の街(つまりは川崎市)で過ごしてきました。そしていまは、東京とは江戸川を隔てた隣の街(つまりは市川市)で暮らしています。

だからいつも東京に対しては、その中に居るのではなくて、一歩おいた目で接してきた気がします。それはいまも変わらずです。船橋市の地下鉄(といっても地上)の駅から、通っている大学の最寄り駅まで行く際、江戸川を渡って東京都に入ります。車窓を眺めつつ、いまでもほんの少しだけ「ここから東京だな」という思いに駆られます。

東京に対しての原風景を思い浮かべると、なぜか(いまはなき)都の青い清掃車が、緑色に舗装された路上でゴミの収集をしている光景が現れます。たぶん、子供のころ初めて東京に足を踏み入れたとき、自分の街とは違っていた最初のものが青い清掃車であったり、緑色の舗装道路だったりしたんでしょう。

以前のブログでちらと書きましたが、今後、「知られざる東京のマニアックスポット」として、重箱の隅を突くような東京の部分を、フィールドワークによる取材とともに紹介していく予定です(科学技術とはあまり関係ないけれど)。
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「ドーハの悲劇」の原因を地球科学的見地から分析
ワールドカップまであと1か月。日本代表は3大会連続出場となり、近年、本戦にでるのが当たり前といった雰囲気になっていますね。

でも、4大会前のフランス大会アジア最終予選、本戦出場をかけたイラク戦で、後半ロスタイムに同点とされ、本戦出場を逃した試合は多くの方が覚えているでしょう。いわゆる「ドーハの悲劇」です。

試合あと、「ドーハの悲劇」が起きた原因が、数多く分析されました。曰く、選手が暑い中で連戦を重ね疲労困憊していた…。曰く、得点を許す直前のコーナーキック(ショートコーナー)で、守備の不徹底があった…。こうした厳密な原因分析が、その後の日本代表を強くしていきました。

最近になって、ある地球科学の研究者が、ドーハの悲劇が起きた原因を“科学的見地”しかも“地球科学的見地”から分析しているのを耳にしました。ご紹介します(勘のよい読者の方はこの時点で、サッカーの話からどんどん離れていくことを予想されているかもしれません。そして、その予想が外れることはないでしょう)。

日本がイラクとのあの死闘を繰り広げたのは、「ドーハの悲劇」の名からもわかるように、中東の小国カタールの首都ドーハでした。

カタールは、アラビア半島の右上に位置します。カタールも含めたアラビア半島の国々、例えばサウジアラビアやオマーンなどがしばしばサッカーのアジア予選やアジア大会で日本代表のライバルとなっていることからわかるように、このアラビア半島の国々は、アジアのメンバーです。



じつはこのアラビア半島、アジアの一部となる前は、アフリカの一部だったのです。

地球の大陸は、つねに少しずつ少しずつ移動していることを聞いたことがあるかもしれません。これは、マントルという地球内部のかなりの部分を占める層がちょっとずつ移動していて、その上に乗っかっている大陸も動かされているからです。

では、いまの世界の大陸を巻き戻ししていくとどうなるかと言うと、大陸と大陸がひとつの大陸になっている状態にたどり着くことができます。

アジア大陸とアフリカ大陸の関係も例外ではありません。現在、ナイル川付近のアフリカ大陸と、アラビア半島のアジア大陸は、紅海という長細い海によって分け隔てられています。けれども、大昔、この両陸の間には紅海などなく、陸続きだったそうです。つまりアラビア半島は、アフリカ大陸の一部分ということもできたわけです。

そこに、地球の内部から上ってきたマントルという流動的な層が、地球表面で裂け目を作り、その裂け目に海水が入っていき、それで現在の紅海ができたわけです。

アラビア半島はいまではアジアの一部ですが、その昔はアフリカだったのですね。つまり、「ドーハの悲劇」が起きた理由を地球科学的に分析すると…。

「かつてアフリカとアラビア半島の間にマントルの裂け目が生じて、そこに紅海という海ができ、アラビア半島がアジアの一部になってしまったから」

ということになるわけです。

なんともはや。壮大なスケールのしょぼい分析…。orz
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没入感の演出


まわりの状況を忘れるくらいに、なにかに夢中になるときがありますね。ブログの右側でリコメンドしている『フェルマーの最終定理』を読んだときなどが、その典型でした。もう、寝るのも忘れるくらいに、数学の世界に浸りました。

さて今晩、早稲田大学で講演会「メディアアートとエンターテイメントにおける没入感の演出-映像考古学の視点から」があり、参加してきました。

講演者は、カリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)芸術学部教授のエルキ・フータモ氏。

演題の「没入感の演出」という言葉。興味をそそられるものの、講演前は何のことやら、よくわかりませんでした。よくありがちな「時間という名の装置」とか「スペクトルを通して見るニヒリズム」とかいったような、抽象的な言葉を暗喩として使って、かっちょいい演題にしているだけかと、最初は思っていました。

ところが予想は外れ、まさにそのまま「没入感の演出」がテーマでした。「没入」とは没頭すること。メディアでいま体験していることが、まるで現実であるかのような感覚に陥ることです。つまり「没入感の演出」とは、現を抜かすくらいに人を没頭させるためのメディアの仕掛けといった意味です。

例えば、ドームすべてが星々で満たされるプラネタリウム。投映中はまるで夜の感覚ですね。また、眠っているときに見る夢など、現実で眠っている自分を忘れて、夢の世界にいる感覚になります。こうしたときの感覚が「没入感」。

フータモ氏は、没入感を演出する装置として、18世紀から20世紀に掛けての「パノラマ映像」と「覗き眼鏡」をおもな例として、次々と没入装置を紹介していきました。

「パノラマ映像」は、360度風景で取り囲んでしまうような映像です。昨年の愛・地球博の「日本館」では、世界初の360度全天球型映像システムなどが話題になりましたね。

また「覗き眼鏡」とは、二つの穴を両目で覗くと、そこに映像が広がる装置です。エジソンのキネトスコープなどが典型です。

こうした装置は、かつては、あたかも川下りをしたり、あたかも屋外の庭園を散策したりといったことを味わうための主要メディアだったそうです。ところが、映画が隆盛となり、こうした「没入装置」は影を潜めます。

でも、いまもバーチャルリアリティという言葉があるように、没入感の演出は、メディアにおけるメインテーマのままです。かつてのメディアから何かを得ることが「映像考古学」の本質でしょう。

さて、冒頭に書いた“本”も、没入感を引き起こすことの出来るメディアです。しかも、大掛かりな装置は必要ありません。なぜ、没入する本があるのか(少ないけれど)。なぜ、没入しない本があるのか(ほとんどだけれど)。これからも、“没入装置”となりうる本の書き方というものを探って行きたいと思っています。

フータモ氏の話と映像を交えて講演時間は約3時間半。とてもおもしろい講演でした。ええ、没入してしまうくらいに…。

フータモ氏の所属する、カリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)芸術学部のサイトはこちら(英文)。
http://dma.ucla.edu
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書評『理系志望のための高校生活ガイド』
理系・文系の分け隔てはよくないと、たまに耳にします。けれども、出身地やら出身学校やらを言うように、自分のポジションを明確にするためには、「私は理系です」とか「私は文系です」とか言うのも、けっこう重要だと思います(逆に「理系です」とか「文系です」とか言うことのできない世界はけっこう不便なんじゃないかと)。

そのあたりは、またおいおい申し上げるとしまして…。

『理系志望のための高校生活ガイド 理系をめざしたら何をすればいいのか? 』鍵本聡著 講談社ブルーバックス 2000年 237p


実際、多くの高校生が、とにかくどこか大学に受かって受験勉強から早く逃れたいと考えているかもしれない。でも、高校時代、自分の進路をよくよく考えて選んだ人とそうでない人とでは、結果はだいぶ違ってくるだろう。よくよく考えるきっかけとなるのが、この本だ。

理系の進路の具体像と、その路を進むための高校生活の過ごし方が書かれてある。具体的な話と具体的なさし絵で、理系生活の経験がない人も、イメージがわいてくると思う。

著者は理想論ではなく、あくまで現実論をぶつ。英・数・国・理・社、各教科の「性格」分析など、分析力は目を見張るものがある。また、大学に入ってからの奨学金の得かたなどといったところまでイメージしやすいように書かれている。これだけ詳しく書かれていれば、近い将来の自分の環境がどんなふうかということで、不安になることはなくなるだろう。

著者の学生経験や、その後の理系についての研究などから、かなりズバッと断言しているところが多い。たとえば「数学は苦手でも理系はやっていける」(ズバッ)。進路のことであれかこれかと迷っているような方には、力強くお尻を押してくれる本になるだろう。たとえ1パーセントでも「理系に進もうか」と考えている方なら、きっと得られるものがあるから、試しに読んでみては。

『理系志望のための高校生活ガイド』はこちら。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4062572842/ref=pd_rhf_p_1/503-1861222-7056726?%5Fencoding=UTF8
| - | 23:56 | comments(0) | trackbacks(1)
『舎密開宗』を拝見。


早稲田大学中央図書館で開催中の「蘭学者と蘭学資料展」へ。

歴史の教科書で、杉田玄白(すぎたげんぱく)とか、前野良沢(まえのりょうたく)とかの名前が出てきたのを覚えている方もいると思います。

蘭学とは、江戸時代中期から幕末に掛けて、オランダから輸入された、西洋の学問や技術や西欧事情に関する知識とその研究のこと。杉田玄白が訳した解剖書『解体新書』が、蘭学の起こるきっかけとされています。

その後も、静電気製造マシン「エレキテル」を発明した平賀源内や、浮世絵師また銅版画の祖でありながら天文学・植物学などに興味をもち蘭学に貢献した司馬江漢など、西洋学問とくに科学に秀でた人々が江戸時代にいました。彼らは蘭学者とよばれています。

展示では、杉田玄白の肖像や、伊能忠敬の三浦半島のフィールドノートなど、興味沸くものが数点ありましたが、中でも、宇田川榕菴の『舎密開宗』(せいみかいそう)は本物を見ることができて感慨ひとしお。以前勤めていた職場では、『舎密開宗』の話がけっこう話題になっていたので、ついに「これがそれか」といった感覚でじっくりと眺めました。

『舎密開宗』とは、イギリス人の ヘンリーが著した『化学概要』をドイツ語訳したものをさらにオランダ語訳したものをさらにさらに、宇田川が1837(享保8)年に日本語訳したものです(未完)。「舎密」は、オランダ語で「化学」を意味する“Chemie”を日本語読みにしたものです。開いていたページの実験器具らしきものの挿絵は、とても鮮やかで精密でした。

早稲田大学は、所蔵している古典籍(江戸時代以前の資料など)を、広く一般に公開するために、「古典籍総合データベース」を作りました。インターネットから、蘭学のコレクションを始め、古典籍を鮮明な画像で見ることができます。今回の「蘭学者と蘭学資料展」は、このデータベースの公開を記念したものです。

「蘭学者と蘭学資料展」は、早稲田大学中央図書館2階の展示室で、5月10日(月)まで。閲覧時間は10時〜18時。ただし明日7日(日)は閉室です。

早稲田大学図書館のサイト「古典籍データベース」のホームページはこちら。
http://www.wul.waseda.ac.jp/kotenseki/index.html

同図書館「古典籍総合データベース公開記念 蘭学者と蘭学資料展」のページはこちら。
http://www.wul.waseda.ac.jp/TENJI/exb/2005exb05.html
| - | 22:00 | comments(0) | trackbacks(0)
科学技術関係のイベント・出来事を情報サイトでチェック!
大型連休も、そろそろ終盤。連休中、近場のイベントなどに足を運ばれた方もいらっしゃると思います。

まだ連休もあと2日あるということで、今日は科学技術分野のイベント・催し物をチェックできる便利なサイトと、イベントではありませんが各種機関が発表するプレスリリースをチェックできるサイトを紹介します。

裳華房サイト「2006年 学会主催等 一般講演会・公開シンポジウムなど」

裳華房という科学書出版社が提供しているページ。その名の通り、一般の方が参加できる学会主催のイベント情報です。地味なサイトタイトルですが、使い勝手はとてもよいです。

分野ごとに、一般、数学系、物理学系、化学系、宇宙・地球科学系、生物学系、農学系、生活科学・家政学系、環境系、医学系、工学系、と分かれています。ただし、それぞれの分野ごとに別のページに飛ぶのではなく、1ページの中でスクロールすればすべての分野のイベントを見られるから便利。各分野のイベント情報(主催者、イベント名、日時、場所、問合せ)が直近のイベントから順番に紹介され、各主催者のサイトにリンクが貼られています。

EICネット[イベント情報]

こちらは、国立環境研究所の環境情報案内・交流サイト「EICネット」が提供しているページ。環境関連の各イベント情報(都道府県の場所、イベント・セミナーの別、イベント名、期間)が直近のイベントから順番に紹介され、各主催者のサイトにリンクが貼られています。驚くのは、イベントの数の多さです。土日はもちろんのこと、平日でも全国どこかで何かしらのイベントが執り行われているんですね。

科学・技術系ニュース/プレスリリースアンテナ

最後は、プレスリリースへのリンク集です。プレスリリースとは、各種団体が広報のために,報道関係者に向けてする発表のこと。このサイトでは、産業技術総合研究所(産総研)だとか、NTT先端技術総合研究所だとか、各研究所が発信するプレスリリースの情報(更新日時、機関名、リリースのタイトル)を、更新があった機関から直近に表示していくものです。

サイトのキャッチコピーは「新聞なんてもういらない。これからは1次情報を直接チェックだ!」。たしかに近年は、それぞれの企業や研究所がプレスリリースをインターネットで公開しています。プレスリリース情報を新聞が伝えることについては、不要論も聞こえてきますね。ただし、新聞は読む価値あるプレスリリースを取捨選択してくれること、また、専門性の高い(書いていることが難しすぎる)プレスリリースを易しくしてくれること、といった利点もあります。生の情報に触れたい方は、紹介したサイトなどを利用して、各種団体のプレスリリースへアクセスするのがよいでしょう。

裳華房サイト「2006年 学会主催等 一般講演会・公開シンポジウムなど」はこちら。
http://www.shokabo.co.jp/keyword/openlecture.html

国立環境研究所の環境情報案内・交流サイト「EICネット」の[イベント情報]はこちら。
http://www.eic.or.jp/event/?gmenu=1" target="_blank

「科学・技術系ニュース/プレスリリースアンテナ」はこちら。
http://a.hatena.ne.jp/yatta/
| - | 23:59 | comments(0) | trackbacks(0)
ボイス・バロットの法則
古い時代の航海者たちは、航海のとき、風がどちらから吹いているか、とか、今後の天気がどうなるかといったことは、自分たちの安全に関わる大きな問題でした。

何度も何度も後悔を続けていくうちに、航海者たちはあることに気づきました。

「風が吹いて来る方向を背にして立ったとき、左手前方に低気圧の中心があるのではないか」

低気圧と台風は、風向きが同じなので、低気圧で想像しづらい人は、台風のときの気象情報を想像してみるといいかもしれません。台風をとりまく雲の連続画像を見ていると、左巻きで中心に吸い寄せられていきますね。これは台風や低気圧の風が、左巻きで中心に吸い寄せられていくからです(南半球は逆になる)。

冒頭の航海者たちは風が吹いているほうを背にして立っているのですから、図のように左手前方が低気圧の中心になるわけです。



このような経験則を19世紀、オランダのクリストフ・ボイス・バロットという気象学者が法則として提唱しました。それが「風が吹いて来る方向を背にして立ったとき、左手前方に低気圧の中心がある」であり、「ボイス・バロットの法則」と言います。

いまでも、このボイス・バロットの法則は、山登りや航海で嵐に遭遇したときなどに役立つ知識だそうです。
| - | 23:59 | comments(0) | trackbacks(1)
化粧品の科学


化粧品は科学ヘの扉です。お化粧をする人は、テレビCMとかで新開発の材料名を連呼されれば、それらにどのような効用があるのか興味が沸くでしょう。

今日は「ナノエマルジョン」という言葉から、科学技術の世界へ行ってみましょう。

お察し付くように、「ナノエマルジョン」は、複数の言葉の要素から出来上がっています。

まず「ナノ」とは何なのか。100分の1メートルを「1ミリメートル」と呼ぶように、10億分の1メートルを「1ナノメートル」と呼びます。つまり、ナノは「10億分の1」を表す接頭辞。「ナノテクノロジー」という言葉を聞いたことがあると思いますが、ナノメートルで寸法をはかるのがふさわしいくらい、ちっちゃな世界で繰り広げられる技術のこと。「超微細加工技術」などともいわれますね。

一方の「エマルジョン(emulsion)」とは、日本語で「乳濁材」ともいい、ミルクのように水と油の成分が、均等に散ったもののことです。マヨネーズもエマルジョン。バターもエマルジョン。

水と油の混ざった粒を、“ナノ”メートルという単位で計るのがふさわしいくらいまで小さくした“エマルジョン”。だから、“ナノエマルジョン”。

エマルジョンをナノスケールまで小さくすることが、化粧品の宣伝文句になるのでしょう?

人のお肌の角質層のすきまは、50ナノメートルといわれています。50ナノメートルよりもエマルジョンの粒を小さくすることで、エマルジョンが角質層のすきまに入っていくことができるようになります。

カネボウの製品開発研究所によれば、ナノエマルジョンによって、化粧水の保湿効果を向上させることと、化粧水に乳液・クリームのようなコクのある感触を与えることができるそうです。

ナノエマルジョン以外にも「ヒアルロン酸」とか「コエンザイムQ10」とか、技術革新によって商品の要素になった材料名は、耳新しい言葉なので、それ自体がキャッチコピーの性質をもっているものが多いですね。

詳しい解説が載っている、カネボウ化粧品製品開発研究所のページ「好感触の化粧水〜ナノエマルジョンの開発〜」はこちら。
http://www.kanebo-cosmetics.co.jp/randd/seihin/02.html
| - | 23:59 | comments(0) | trackbacks(80)
散歩の効用
散歩の効用

アリストテレスの学派は、別名「逍遥学派」とよばれます。「逍遥」とは気ままにぶらぶらと歩くこと。アリストテレスが、自分で創設した学園リュケイオンの中の歩廊を逍遥しながら弟子たちと意見を交わしたことから、このような別名が付きました。

私邸の庭の散歩を日課としたワーズワースや、歩く達人と評されたモーツァルトなど、散歩を愛した偉人の名が数々浮かんできます。

散歩がアイデアの創出に役立つとは方々でいわれること。程よいスピードで歩いていると、たしかに街の看板や流行のポスターなど、アイデアの想像に刺激的な情報が飛び込んできます。

また、その他にも、散歩とアイデア創出の関係には、科学的な根拠がやはりあるようです。

青森大学の雨森輝昌先生は、「歩くという運動は、筋肉(持続的に力を出す筋肉=遅筋または赤筋という) を大いに使って、脳へ刺激を送っている。また、脳への血流量や酸素の供給量も増えるため、脳の巡りがよくなる」と言っています。

また、アメリカのアーサー・クラマー博士らは、60歳から75歳の人に対して、散歩による有酸素運動の実験を行いました。その結果、散歩をした人には、計画、スケジュール、ワーキングメモリー(短期的に情報を蓄積し処理する能力)などの思考プロセスに進歩が見られたと発表しています。

さて、3連休、全国的におおむね晴れみたいですよ。
| - | 23:59 | comments(0) | trackbacks(2)
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