科学技術のアネクドート

仕事のときに休暇のことを考え、休暇のときに仕事のことを考える


大型連休も二日目。

よく「日本人は仕事のときに休暇のことを考え、休暇のときに仕事のことを考える」と揶揄されますね。

けれども、仕事のときに休暇のことを考え、休暇のときに仕事のことを考える人って、いつも未来のことを考えながら生きる人ですよね。つまり未来志向型です。

会社勤務時代、午後半休を予定していたときは、その日の午前中はもちろんのこと、前日の勤務時間から「どこのランチバイキングに行こうかな」などとウキウキしていました。また、午後半休の時間帯には、次の日からの仕事をどう組み立てようかと漠然と考えていました。それによって心の準備ができ、翌日からの仕事は捗りました。

「仕事のときに休暇のことを考え、休暇のときに仕事のことを考える」ことを揶揄する人は「仕事=楽しくない、休暇=楽しい」というイメージをもっているのかもしれません(少なくとも「仕事=楽しい、休暇=楽しくない」ではなさそう)。

けれども「仕事=楽しくない、休暇=楽しい」と考えること自体、もったいないことです。楽しさを感じながらすることができる仕事だってあります(ちっとも楽しくない休暇も)。仕事と休暇を、マイナスとプラスの対立した概念で考えることは、損なこと。

たしかに、仕事にはおカネが掛かっているとか、責任があるとかで、プレッシャーとストレスがあるのは確かです。相対的な気楽さからいったら、仕事よりも休暇の行事のほうが大きいでしょうね。

けれども、やることが仕事であれ、宿題であれ、ランチバイキングであれ、デートであれ、なんであれ、同じ時間をかけてそれをやると決まっているのならば、同じ時間を楽しむのと楽しまないのとでは、楽しむほうが健康的なはず。どうせ同じことをやるのであれば、楽しみながらやるほうがいいに決まってます。

では、楽しみながらやるにはどうしたらよいのでしょうか? つまるところ「楽しみながらやろう」と自分自身が思う(念じる)ことではないでしょうか。積極的に参加してみたり、いつもよりちょっと大げさに驚いてみたりと…。

ということで、これは仕事、これは勉強、これは遊びというカテゴリーにとらわれず、もろもろ楽しみながら連休を過ごします。
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▲と▼と◆
毎日新聞社の知り合いの方にこんなトリビアを聞きました。

新聞各紙は、朝刊の1面下段にコラムを設けています。朝日新聞だったら「天声人語」、読売新聞だったら「編集手帳」、毎日新聞だったら「余録」。

これらコラムは、字数に限りがあります。そのため、段落を改める代わりに、黒い記号を使って「ここが段落の分かれ目ですよ」と区切っています。

で、各紙をよく見てみると、それぞれの新聞で区切りの記号が違うんです。

朝日新聞の「天声人語」は三角形の頂点が下を向いた「▼」の形。読売新聞の「編集手帳」はダイヤモンド型で「◆」の形。毎日新聞の「余録」は頂点が上を向いた「▲」の形。

なぜ、それぞれの新聞それぞれの形をしているのでしょう? これには、コラムを始めた順番が深く関わっているそうです。

朝日、読売、毎日の三紙の中で、はじめに1面下段のコラムを始めたのが毎日新聞でした。普通、三角形を人々はどう書くかというと、たいがいの方は頂点を上にして書きます。そんなことから、当然のように毎日新聞の区切り記号は「▲」になりました(下図)。


その次にコラムを始めたのが朝日新聞です。対抗意識が働いて、毎日の「▲」とは、違う区切り記号にしようとしたそうです。結果、朝日は三角形の頂点を下にした「▼」にしました(下図)。


毎日と朝日に遅れて読売がコラムを設けました。毎日は「▲」。朝日は「▼」。ならばということで、読売は毎日と朝日の図形を合わせて「◆」にしたそうです(下図)。


たかが、区切り記号。されどそれぞれの新聞社にはそれぞれの伝統があるということが、この区切り記号から伺えます。

三紙のコラムは、いまやインターネットで読むことができます。字数に制限がないインターネット版では、区切り記号はどうなったのでしょうか? 朝日は、すっきりと1行空けて段落を改めています。一方の読売と毎日は、ネット版でもやはりそれぞれ「◆」と「▲」を使っています。

各紙それぞれこだわりがあることを、コラムから知ることができます。

毎日新聞「余録」のネット版はこちら。
http://www.mainichi-msn.co.jp/eye/yoroku/

朝日新聞「天声人語」のネット版はこちら。
http://www.asahi.com/paper/column.html

読売新聞「編集手帳」のネット版はこちら(社説とコラム)。
http://www.yomiuri.co.jp/editorial/
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書評『作文の論理』
今日は、かなり刺激的な文章指南書の紹介です。

『作文の論理 [わかる文章]の仕組み』宇佐見寛著 東信堂 1998年 208p


著者がこれはよからぬと判断した文章を「欠陥だらけの文章である。」「私は、これを読んだだけで、途方にくれる。」などと斬っていく。本から「バッサバッサ」という音が聞こえてきた。

この『作文の論理』は、丸谷才一の「ちよつと気取つて書け」などといった文章指南書とは無縁の本だ。ただただ、物事を正確に分かりやすく伝えることだけを目指している。

巷でよく見かける文章指南書と大きく異なるのは、例えばこんなこと。

「段落内で、同じ言葉を何度も使うな」とはよく目にすること。たとえば、ある文の中では「A氏は2000年に『B』という本を出版した。」と書く。次の文章では「出版」という言葉を使わずに、「この本の発表後、A氏は評論家に転身した。」などと書く。

ところが、言葉を変えることについて著者は、次のように述べる。
様ざまな語を一度に使う。そうすると、語相互の意味がどう違うのか、意味範囲のどの部分は共通なのかという類いの問題が次つぎと生ずる。(中略)同じ語を使い続けるべきなのだ。
他にも、「前おきをやめよう」など、他書ではあまり聞かれぬ指導がある。これまで本や講座で文章指南を受けてきた方にとっては、かなり刺激の強い内容だ。

美文にするためのレトリックを極力排し、物事を正確に伝えるという意味では、論文などの学術的文書や、ビジネス文書などを上達させたい人におすすめする。逆に、美しい日本語とか、魅せる文章とかをうまく書きたいと思っている方は、別の本を読んだほうがいいかもしれない。

『作文の論理』はこちら。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4887133081/qid=1146237255/sr=1-5/ref=sr_1_10_5/503-1861222-7056726

全体として、私はこの本は考えさせられる材料が多く、読めば役に立つと思います。こういう考え方があるということを知ること自体が、自分の文章スタイルの幅を広げる機会になるでしょうから。

ただし一点、どうしても気になったことがあります。それは著者が「…のである。」を多用していること。通常「…のである。」は省略しても文の意味は通じると言われます。たしかに語調は強くなりますが、これだけ「…のである。」が多いと、いっそ「…のである。」が無くてもいいのではと思えてきます(インフレしたマルクの桁を落とすために、新通貨レンテンマルクを使ったように)。私は、著者の「…のである。」が鼻に付きました。
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『大人の科学』の発案者はあのDJ。


学研が『大人の科学』という商品を書店で売っています。

学研といえばかつては(いまも)『科学』という、小学校の学年別の実験キットが看板商品の一つ。私も小学生のころ、日光写真のキットで実験をした覚えがあります。

『大人の科学』は、まさに『科学』のおとな版。「マルコーニ式電波カー」や「真空管ラジオ」など、すでに20種類以上の『大人の科学』のキットが発売されています。

この『大人の科学』の企画をしたのは、学研の科学創造研究所・湯本博文さん。子供のころ『科学』で育った湯本さんは「実験キットを企画しよう」と思って学研に入り、見事そのポストに就きました。

その後湯本さんは実験キット開発の傍ら、全国の小学校に出張して、子どもたちの前で実験をして楽しませていました。

そんなこともあって、湯本さんは、ある日J-WAVE(東京のFM局)の番組ゲストに呼ばれます。DJは、「すぽると」の司会などもおなじみのジョン・カビラ。番組中、湯本さんが作った子供向けの実験キットでいろいろと遊んでいると、ジョン・カビラがひと言「湯本さん、子供向けの実験教室もいいけれど、これ、大人向けにやっても感動するね。“大人の科学”だよ」と言ったそうです。

ジョン・カビラのひと言にピンと来た湯本さん。「今の大人のうち、3000万人は『科学』を楽しんできた。そのころの感動やわくわく感は覚えているはず。大人に科学の面白さをもう一度思い出してもらう!」と思いました。

大人のための実験キットの開発に着手し、二年後に第一弾として「エジソン式コップ蓄音機」を発売しました。これが大ヒットとなり、現在は『大人の科学』の他、本の教材を付けた『大人の科学マガジン』などのヒット商品を開発し続けています。

『大人の科学』が、なんとジョン・カビラのひと言から生まれたとは…。知りませんでした。

学研のサイト内『大人の科学』のページはこちら。
http://shop.gakken.co.jp/otonanokagaku/

この記事は、早稲田大学などが主催した「第1回MAJESTyセミナー」(4月21日)の講演内容を参考にしています。
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東大科学技術インタープリター養成プログラムを聴講。


夕方、早稲田大学大学院での授業を終えた後、客員教授の毎日新聞科学環境部長・瀬川さんに同行して、駒場の東大へ。

東大で昨秋始まった、「科学技術インタープリター養成プログラム」の授業を聴講しました。授業のゲスト講師が瀬川さんだったわけです。授業では瀬川さんが「理系白書から『コトーの問題』を考える」と題して、毎日新聞の特集企画「理系白書」を題材に、理系文化の中の問題点と解決策について述べました。

東大の科学技術インタープリター養成プログラムは、早稲田大学の科学技術ジャーナリスト養成プログラムや、北海道大学の科学技術コミュニケーター養成ユニットと同様、文部科学省の科学技術振興調整費によって企画・運営されているプログラムです。科学技術と社会の中間に立って、両方のコミュニケーションを活性化してくれる人材(インタープリター)などを養成しようというもの。東大大学院生の副専攻として位置づけられていて、理系の大学院生が十数名、プログラムに参加しています。

今日の授業では、おふたりが受講していました。授業で印象的だったのは、受講生たちの積極的参加姿勢です。瀬川さんのお話の途中、受講生は「『科学と社会をつなぐ人材育成が大切』という話だが、教育を受ける側にはその段階から説明しはじめたほうがいいのか」などと、積極的に質問をしていました。

授業の後、受講生のおふたりに話を聞きしました。現状では、受講のための移動がけっこう大変とのこと。大半の受講生は、本郷キャンパスで主専攻の研究をしています。研究の合間を縫って、駒場キャンパスまで移動しなければなりません。そのため、土曜日の午前中などにも開講しているそうです。

また、科学技術インタープリター養成プログラムが副専攻であるため、就職活動の面接などではいまひとつこの副専攻をアピールしにくいということもあるそうです。

ともあれ、今日のおふたりを含め、東大の受講生の方々はみな個々人のレベルや志が高そう。学生たち自らで活動する「学生自治」的なものもかなり活発のようです。

シラバスも載っている、東京大学大学院科学技術インタープリター養成プログラムのサイトはこちら。
http://park.itc.u-tokyo.ac.jp/STITP/
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21世紀の新航路
毎年のように豪雪に悩む新潟県民に対して、かつて田中角栄はこう言ったそうです。

「日本海からの空気が谷川岳にぶつかって新潟に雪を降らすんだろ。ならば谷川岳を削り取って無くしてしまおう。日本海からの湿った空気は東京へと吹き抜けるだろう」

角栄さん、削り取った谷川岳の土はいったいどうするというんですか?

「きまっとるだろ。その土で日本海を埋め立てて、佐渡ヶ島を陸続きにするんじゃ」

山を丸ごと削り取って、気候を変えてしまう…。いやはや奇抜な話です。

けれども最近、突飛さではこれに劣らぬ話があることを聞きました。その話のスケールは谷川岳の比ではありません。かつ、その話のほうが、はるかに現実味を帯びているといえます。

その舞台は北極です。

現在は一面氷の世界の北極海ではありますが、ここにロシアと北アメリカ大陸を結ぶ「北極航路」ができるという話です。つい私たちが地図を見るとき、ロシアが左、アメリカが右といった位置で見がち。けれども地球儀を見れば一目瞭然、ロシアからアメリカへ最短ルートは北極経由です。ロシアの船は、北極航路を通れば、北米大陸にすいすいとたどり着くことができるわけです。



こんな声が聞こえてきそうです。「北極には氷があるんだから、氷を割って進まないかぎり、そんなことできるわけがないだろ」

でも、氷が解けて水になったとしたら…。昨今の地球温暖化によって、北極の氷は確実に解けています。東京大学工学系研究科の山地憲治先生は、21世紀の前半中に北極の氷は解け、「北極航路」が実際にできるだろうと予測します。

ロシアはこの北極航路の出現を心待ちにしているそうです。北極航路で経済が活発になるのなら、そりゃ嬉しいでしょう。

けれども、航路完成が地球温暖化の産物となると…。手放しで歓迎できるものでは決してなさそう…。

この記事は、早稲田大学院の科学技術ジャーナリスト養成プログラム「エネルギーと環境」(山地憲治教授担当)の講義を参考にしています。
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書評『大人のための勉強法』
『大人のための勉強法』和田秀樹著 PHP新書 212p 2000年


著者の専門領域(いっぱいあるけれど)のうちの「勉強法」と「精神医学」の見地が、うまい具合に縦横に織りなされている。長年研究してきた勉強法を大人向けとして示し、その裏づけに精神医学的な根拠を多く使っている。

前半は「いまの時代の頭のよさ」がテーマ。インターネットやコンピュータがあるせいで、知識や計算能力の価値が下がった時代。著者はいまの時代の頭のよさを次のように定義する。1自分の中で貯えた知識を、2適切な推論を立てることに活かし、3自分のことを客観的に捉えることができ、さらには、4自分に足りない知識を補うため人に頼ることができる能力。そしてその根拠を具体的に示していく。

全体的には著者の考える「頭のよさ」には対人関係においてという前提がある。とくに3の「メタ認知」の部分については、つねに自分が自分をチェックすることの大切さを認識させられる。日本の社会ではまわりから自分の性格や言動についてを指摘されることもそう多くはあるまい。

後半は、前半で示した「頭のよさ」を強化するそれぞれの具体的方法が示される。「興味をもって勉強したほうが覚えやすい」だとか「単眼思考より複眼思考を」だとか、なるほど言われれば「そのとおり」と思うようなものもけっこうある。けれども「自分の感情状態をパーセンテージで表す」(たとえば、部長に呼び出されたときの自分の感情は、気分の落ち込み60%、不安50%、といった具合)ことが、自分の心の状況を客観的に捉えることにつながるといった、日常生活でも使えそうなアイディアも多かった。

本の構成もよく考えられていて、中身も濃い。価格も比較的安く、コストパフォーマンスも申しぶんない。勉強法に迷っている方は、頼ってみてはいかがだろう。また、「自分には確立した勉強のしかたがある」という方でも、その勉強のしかたを変えずとも、部分的に補強することのできる情報を得られると思うので、おススメだ。

『大人のための勉強法』はこちら。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4569610862/ref=pd_rhf_p_1/503-1861222-7056726
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東京がどれだけ危険かを数字にすると…


ミュンヘン再保険会社という企業が、大都市の災害危険度指数という数値を公表しています。

「再保険会社」とは、保険会社が引き受けたリスクの一部を引き受ける、保険会社の保険会社のようなもの。ミュンヘン再保険会社は、世界最大の再保険会社といわれています。

ミュンヘン再保険会社公表の大都市の災害危険度数値は、1 危険性(地震や風水害などの発生危険性)、2 脆弱性(住宅の構造特性、住宅密度、都市の安全対策水準)、3 経済的価値(経済への影響規模)を足して出したもの。

驚いたのは、京浜地域(東京と横浜を合わせた地域)の指数が異常なまでに高いということです。

たとえば、2003年度の報告では、ロサンゼルスが100、サンフランシスコが167、ニューヨークが42、日本の京阪神地域(京都・大阪・神戸)が92であるのに対して、京浜地域の指数はいくつかというと…

710。

誤記ではありません。710です。サンフランシスコ湾の約4倍、ロスの約7倍、ニューヨークの約17倍です。係数の低い都市を比較に選んだわけではありません。実際、東京の次に指数が高いのは、サンフランシスコの167ですから。

明治大学大学院教授で都市災害に詳しい市川宏雄先生の話では「実感としてこの数値は妥当なものだと思います」とのこと。

行列のできるラーメン屋にはさらに行列ができることからもわかるように、もともと日本人は、人の集まっているところに集まっていく傾向があるようです。東海道新幹線が開通してから、東京の人が大阪に行くよりも、大阪の人が東京に来るほうが多くなったといいます。

市川教授によれば、日本人には「地震なんて怖がっていたら人生を送れないという、楽観的な国民性もある」とのこと。日本人は地震の慣れっ子ということでしょう。

東京では、墨田区の第2東京タワーとか、東京駅のグラントウキョウタワーとか、巨大な建築物の建設が計画されています。そうした計画を知るにつけ、「大地震はいつかかならず起きるといわれてるのだから、デカいのが起きてから建てたほうがいいのでは」なんて思ってしまいます。そんなことも言ってられないんだろうけれど…。

下記、URLに、ミュンヘン再保険会社による大都市の災害危険度指数が載っています。
http://www.fdma.go.jp/html/new/pdf/1512_tiiki_2.pdf

この記事は、早稲田大学院の科学技術ジャーナリスト養成プログラム「リスク管理」(市川宏雄教授の講義)を参考にしています。
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交見室のトリビア


横浜で行われている、日本産科婦人科学会の取材に行ってきました。

取材の結果は別の機会でお伝えするとして、ふたつトリビア的発見がありました。

会場には、交見室という場があります。この交見室は、発表者を発表後に捕まえて、改めて話を聞くための場所です。先生たちへの取材には、この交見室を使わせてもらいました。

トップの画像は交見室のもの。最初、産科婦人科関連の医療機器製品のディスプレイかなと思っていました。近づいてみて見ると、このディスプレイ、どうやら宝石、しかもダイヤモンドを展示していた跡のよう。そういえば、さっき通った受付のフロアでは、ダイヤモンドが売られていたような気が…。

なぜに、産科婦人科学会に、ダイヤモンド!?

同行させてもらった、学会に精通しているお方の話では、学会にやってきたお医者さんたちに、おみやげとして売っているのだそう。医師会の学会では珍しくないとのことです。ただし、他分野の科学会(とくに、もっぱら知の探究にとりわけ精力を集中させるような分野の科学会)では、決して見られぬ光景だとのこと。

もうひとつ。ふと交見室の机の上を見ると、うずたかく積まれたピンクのお菓子袋。「このお菓子を食べながらお話をしてください」という主催者側の計らいのようです。

パッケージを手に取ってよく見ると、お菓子の名前はなんと「子宝の種(こだからのたね)」。中味はずばり柿の種です。「第58回日本産科婦人科学会」とプリントされていることから、まちがいなく、この学会のために企画された非売品です。

発売元は、ふつうの「柿の種」でも有名な亀田製菓。おなじく同行させてもらった方の推測では、今回の主催は新潟大学。亀田製菓も本社が新潟。だから、タイアップしたのではないかとのこと。なるほど!

学会の重役の方か、亀田製菓の重役の方か。さぞ、ユーモアに富んだ、オヤジギグの好きな方がいたのではないかと考えられます。

夕方、取材を終えました。じゃあ私もということで、おみやげにダイヤモンドでも買って帰ろうかなと思っていたのですが、販売所はすでに閉店。閉店ではしかたありません。ダイヤモンドの代わりに「子宝の種」を一袋いただいて、会場をあとにしました。

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動物の「ちがい」と、人間の「おなじ」


21日(土)、早稲田大学で「第1回MAJESTyセミナー」が開催されました。“MAJESTy”とは、しばしば当ブログで話題に出てくる科学技術ジャーナリスト養成プログラムの愛称です。“Master of Arts Program for Journalist Education in Science and Technology”の略。

講演者は、生物学者の養老孟司氏。言われてみると「なるほど」と思う話を聞くことができました。

動物は「ちがい」を感覚でとらえ、人間は「おなじ」を意識でとらえる、と養老氏は言います。私の解釈では、たとえばこんなことです。

ヤギが、長細い紙きれ1枚と、銅製の円盤形金属100枚と、ニッケル性のドーナツ型金属20枚を目の前に出されたとします。ヤギは、目で形を見て鼻で匂いを嗅いで「ああ、これだったら食べられるわね。ムシャムシャ」と、紙を食べ始めるかもしれません。でも金属を食べることはなさそうです。ヤギは紙と金属の「ちがい」を感覚的にとらえています。

いっぽう人間は、感覚的に「ちがう」ということよりも、意識的に「おなじ」ということを優先させます。ヤギの前に出された、長細い紙きれ1枚、銅製の円盤形金属100枚、ニッケル性のドーナツ型金属20枚。人間であれば、これらすべては「1000円」で「おなじ」です。人間は、紙と金属の「ちがい」よりも1000円という「おなじ」ものを意識的にとらえます。このような人間の「おなじ」に対する意識は、言葉や通貨といった、代替可能なものによく現れていますね。

人間も動物である以上、感覚も兼ね備えています。養老氏によれば、赤ちゃんのころは匂いに敏感で、お母さんのお乳と他人のお乳を含ませた布を赤ちゃんの左右に置くと、かならずお母さんのお乳のほうに顔を向けるそうです。

養老氏は、「ちがい」がわかるということを大切にしてほしいと言います。とくに日本人は、それが文化的に優れていたはずと言います。「日本人は、外国に比べて、細かく地形が違っていて、複雑。多様な自然感覚を養うことができるはず」

「おなじ」であるということを意識しつつも、感覚も働かせて「なにかがちがう」ととらえることがジャーナリストにはとくに重要ということを強調しました。

養老氏といえば、『関口宏サンデーモーニング』で、関口宏が話を振るのに対して、「そんなこと俺に聞かれてもね」とでも言いたげにコメントしている印象ばかりでした。壇上で前に後ろに歩きながらユーモア交えて大いに語る養老氏。アクティブでした。
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ブログ100日


おかげさまで、当ブログ「科学技術のアネクドート」は、1月11日のスタートから、今日で100日となりました。

デイリーペースの更新は、当初考えていなかったのですが、しばらく続けていくうちに自分の中で引っ込みが付かなくなってしまいました。

たかが100日続いたからといって、それをネタにするなとの声も聞こえてきそうですが、これを機会に今日はとくに(いろんな意味で)お世話になっているブログやサイトをご紹介させていただきます。

nn的為USCPA和漢語的努力
USCPA(米国公認会計士資格)取得を目指すnnさんのブログです。学生時代の友人で、昔も今も大阪在住。使用言語は、英語、大阪弁、中国語のトリリンガル!
http://nn77.exblog.jp/

blog 荷風!
ライターの堀径世さん・カメラマンの瓜生純子さんのシリーズ「横道まわりみち」も連載中の東京情緒あふれるブログです。
http://nihonbungeisha.cocolog-nifty.com/kahooblog/

こども省生活環境化学の部屋
新潟の大学でご教鞭をとられている本間善夫先生(ecochem先生)のブログとサイトです。情報量の多さ、更新の多さ、そしてリンクの多さには、いつも頭が下がります。
http://d.hatena.ne.jp/ecochem/ http://www.ecosci.jp/

いきもの通信
東京の動物を追い続けてウン年、動物ジャーナリスト宮本拓海さんのサイトです。都会の動物の知られざる生態がよくわかります。
http://ikimonotuusin.com/

simon singh.net
わが敬愛のイギリス人科学ジャーナリスト、サイモン・シンのサイトです。本と同様、クオリティの高い内容です(英文)。
http://www.simonsingh.com/


また、当ブログで今後みなさんにお送りする予定のシリーズものを、ここで改めてご紹介させていただきます。

1969年の月で
アポロ11号の月面着陸という世紀の瞬間と時を同じくして、ソ連は月に向って探査機「月15号」を打ち上げていました。ソ連の目的はなんだったのか? 「月15号」の顛末はどんなものか? 当時の新聞記事を拾いながら月を舞台にした謎を追います。
1969年の月で(1)
1969年の月で(2)
1969年の月で(3)
1969年の月で(4)

学校数学の性格
議論沸騰。受験数学勉強法などの本を編集してきた立場から、いわゆる「学校数学」の性格を論じていきます。
学校数学の性格
学校数学の性格1  ルールが厳密
学校数学の性格2 答えがごく限られている

The Tips of Creativity
アイデアやイマジネーションを人工的に沸き出させる方法はあるか。創造の源泉を追い求めていきます。
お暇ならgoogleイメージ検索
「創造力がある人と無い人のたった一つの違い」
最終目標からさかのぼって考える
ブレインストーミング
逆さにしてみる

書評
小難しいと思われがちな科学の本ですが、その小難しさを上回る魅力やおもしろさがあるのもまた科学の本です。科学一般書を中心に、書評をお届けします。

今後も当ブログでは、メジャーなニュースとはひと味違った、誰も知らない科学技術トピックやエピソードを追いかけ続けていきます。科学技術のアネクドートをこれからもどうぞよろしくお願いします。
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書評『科学と創造』
科学書に限らず、翻訳書を読むかどうか品定めするとき、しばしば原題に注目します。邦題が原題からあまりにも離れていると、内容も邦題から離れてしまっている場合があるからです。

『科学と創造[科学者はどう考えるか]』H.F.ジャドソン著 江沢洋監訳 培風館 1983年 212p


原題は、“The Search for Solution”、「解決への探索」とでもいったところか。

邦題を鵜呑みすれば、「科学的発見は科学者によってどのように創造されたのか」といった、想像するためのアイデアや発想が書かれていそうだ。一方、原題を鵜呑みすれば、「ブレークスルーのための方法をどのように見つけるか」といったところだろうか。

読んでみてどちらが近かったかといえば、原題のほうかなと思う。アイデアが湯水のごとくあふれて出てというひらめきよりも、科学的問題をブレークスルーするための努力が書かれてあったから。

ただしどちらも、この本の内容全体を表し切ってはない。たしかに、創造の瞬間を追うような部分もあるけれど、それだけではない。

ときには科学者自身に深く迫って、発見の瞬間を刻々と表したような章もある。本が出された当時(原書は1980年)の最先端科学、20世紀初頭の数々の物理学的発見、17世紀のガリレイの地動説の時代など、様々な時代を行きつ戻りつしながら、それらから科学の創造を抽象しようとする。

ときには、科学の事象そのものに迫るところもある。例えば、面積と体積とでは乗ずる数がちがうため、そこから昆虫の体のスタイルなどが決まって来る、といった話が一章分を割いて出てくる(第3章)。ここでは物理学者の創造についての話が中心というよりは、物理そのものの特性が中心。

というわけで、章によりタイトルに近いところとそうでないところがあったが、とりわけ、人間に迫るところはおもしろかった。

とくにコラム。むしろ、コラムのほうが読み応えがあったかも。研究者へのロングインタビューが記事になっていて、じっくりとその人の科学への貢献を楽しむことができる。登場人物は、日本人にはあまり知られていない。返ってそれがまた「こんな話があるのか」と楽しくさせてくれる。例えばアマチュア天体ファンがプロの天文学者を打ち負かした話などは胸がすくし、フィールドワークが大事ということを教えてくれる。

20年以上前の本だ。本の中で歴史的科学者がまだ生きていたころの“生の声”を聞けるのもいいところ。いま本を出すとしても、ポール・ディラック(マイナスのエネルギーを計算で導き出した)や、グレン・シーボーグ(新元素をつぎつぎと発見した)や、フランシス・クリック(DNAの二重らせん構造を解明した)たちは取材に応じてくれそうもない。

『科学と創造』はこちら。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4563020265/qid=1145454962/sr=1-1/ref=sr_1_0_1/503-1861222-7056726
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発明の日


4月18日は発明の日なんだそうです。地下鉄の駅にポスターが貼ってあるのを見て知りました。

特許庁によればこの発明の日は「日本の産業の発展の基礎となった専売特許条例(現在の特許法)が明治18年4月18日に公布されたのを記念」して決めたとのこと。

発明やアイデアは適切に保護しないと、発明者が「マネされたら嫌だ!」と思って、そのアイデアを隠し通してしまうかもしれません。けれども、それは発明者にとっても社会にとってももったいないこと。そこで、発明者にはアイデアを保護するため、一定期間独占権利を与えるというのが特許です。発明者は安心して発明品を発表できるので、社会の財産にもなるというしくみです。

もうひとつ、実用新案という言葉も聞いたことがあるかもしれません。特許庁のホームページでは実用新案について、特許と目的は同じだけれど、「『物品の形状、構造又は組合せに係る考案』に限られる」と説明しています。つまり、特許がモノや方法やコンピュータプログラムなど、幅広いのに対して、実用新案はモノ限定ということ。

みなさんも知っている有名な実用新案としては、江東区森下のカトレア(名菓堂)が発明したカレーパンがあります。1927(昭和2)年、「洋食パン」という名で申請していました。

ところで、聞いてください。私もひとつ思いついたアイデアがあります。

「2回押すと停止階が取り消されるエレベータのボタン」

いかがでしょ?

これは、こんな出来事から思いついたものです。以前勤めていた会社のオフィスは6階にありました。昼休み、私と職場の社員たちが外に行くためエレベータに乗り、1階まで降りる途中のこと。一人の社員が「しまった! 財布を忘れた!」と言い出しました。どんどん降りていくエレベータ。そこでその社員は、「止まれ! 止まれ!」と慌てながら、5階、4階、3階、2階…つぎつぎと停止ボタンを押していったのです。結果、エレベータは各階停止となり、ふつうに1階まで行って6階に戻るときよりも余計に時間がかかってしまいました! orz。

そこで、まず1回ボタンを押せば、普通に止まる階が光って表示され、もう1回押せば止まるのを取り消すことができれば便利かなと思ったわけです。

で、この「取り消し可能エレベータボタン」を思いついてから数日後、本邦初公開の気分で、友人にこのアイデアを披露しました。すると、情報通の友だちはニヤリとして一言。

「ああ、あのビルのやつね」

すでにアイデアを商品化していたお方がいたのですね。私が思いつくぐらいなら、誰だって思いつくということでしょうか…。

特許庁「発明の日特別サイト」はこちら。
http://www.hatsumei-no-hi.jp/
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連結社を訪問。


数研出版勤務時代にお世話になった方々に、退社挨拶のはがきを送りました。いろいろな方から、激励や声援をいただきました。ありがとうございます。

5年前、『研究室のひみつ 大学は研究室で選べ2』という本でお世話になった、オバタカズユキさんからも連絡をいただきました。

オバタさんはこの4月、「連結社」という会社の事務所を立ち上げました。メンバーは、オバタさんの他、編集者であり、書評を数多く手がける斎藤さんと、デザイナーの菅野さん。オバタさん曰く、「フリーランサーの溜まり場を目指して」いるとのことです。

で今日、ご挨拶で連結社に行ってきました。日暮里から歩いて6分。谷中墓地(写真)を通って、ちょっと行ったところのマンション1階に事務所があります。

事務所はまだ、段ボールやゴミ袋が置いてあり、まさにこれから始まるぞ、といった感じです。連結社では、ジャンルを問わず、さまざまなライターを募集しているとのことです。ご興味ある方。ご連絡いただければ、オバタさんにお伝えします。
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活字を発明したのは誰?


先週始まった大学院の授業では、レジュメ等の印刷物がつぎつぎと配られました。これまでの枚数を数えてみると、じつに117枚。大学の授業はある意味、活字文化がまだまだ健在な場のようです。

ところで「活字」とは、広くは「印刷した文字」のことをいいますが、より狭義には「鉛の合金を左右逆に浮き彫りにした文字」のことを指します。鉛でできたハンコのようなものですね。1445年頃、ヨーロッパで“何者か”によって発明されたといわれています。

「あれ? 活字を発明したのは、グーテンベルクなんじゃないの?」と思われる方もいらっしゃるかもしれません。世界史でそう習った方も多いことでしょう。でも、じつは活字の生みの親が誰であるのかはまだ特定できず、諸説紛々あるそうなんです。

例えば、ラウレンス・ヤンソン・コスターという人物も候補の一人。彼はオランダ人で、ハールレムという街の宿屋の主人でした。この地のユニウスという人物が書いた『オランダ年代記』の中にコスターの名が出てきます。なんでもコスターは、木版印刷、鉛活字づくり、錫活字づくりを次々と手がけていきました。ところがある日、そんなコスターのもとに「ヨハン・ファウストゥス」なる男が現れ、印刷機器一式を盗んで、ドイツのマインツに逃げていったというのです。

他にも、シュトラスブルグのヨハン・ショットという男が発明者だという説。いや、北イタリアのフェルトレに住んでいたパム・フィーロカスタルディという男こそが発明者だという説。伝説に近いものも含め、いろんな説が存在します。

で、冒頭のコスターについての話も含め、じつはこれらの説すべてに共通していることがあります。それは「“ある男”が、印刷技術と印刷機を盗み、ドイツのマインツに持ち去ってしまった」ということ。

その“ある男”というのは誰なのでしょう? じつは、活版印刷発明者の最有力候補ヨハネス・グーテンベルクを指している場合が多いらしいのです。でもこれは、グーテンベルク以外の説を唱えた人々の、グーテンベルクに対するひがみなんかも入っているものと思われます。

さて、活字の発明者がグーテンベルクであるという説については、フランスのガスパリーノ・バルジッサという人物が著した『正書法』という書物の中で次のように出てきます。

“bonemontano”なる男が、「印刷術を考案した最初の人物である。これは我々が今日やるような葦やペンで書くという伝統的なやり方ではなく、金属活字を用いて、早く、優美に、そして美しく書かれた書物であった」(高宮利行訳)

“bonemontano”というのはラテン語で「良い山」という意味。どうやら、「グーテンベルク」の「グーテン(良い)」と「ベルク(山)」をモジっているらしいのです。

活字のほんとうの生みの親は誰なのでしょう? これだけ歴史の参考書や教科書等にも名前が挙がっているくらいですから、グーテンベルクが活版印刷生みの親というのは真実に近いのだとお思います。

それでも「活字生みの親はグーテンベルク」という説が決め手に欠くのは、「グーテンベルク」という名前そのものが刻まれている資料がほとんど存在しなかったから。彼の固有名詞が出てくる資料は、仲間から借金取り立てで訴えられたとき訴状ぐらいにしか残っていないというのです。もしその仲間が温厚な性格だったら、グーテンベルクの名前は歴史から忘れ去れていたかもしれません。

人々の業績を活字にして後世に伝えることに寄与したグーテンベルク。ただ、彼自身は自分の名前が活字に刻まれることにあまり前向きではなかったようです。

参考文献
高宮利行著『グーテンベルクの謎』
J・ケルホフ著『ケルン年代記』(印刷博物館蔵)
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書評『高校数学とっておき勉強法』
書くたびにコメントをたくさんいただいている「学校数学の性格」は、その後、続きをなかなか出さずにすいません。

そのかわりというわけではありませんが、高校数学勉強法の良書を紹介します。

『高校数学とっておき勉強法 学校では教えてくれないコツとポイント』鍵本聡著 講談社ブルーバックス 1999年 214p


受験生ではない方が読んでも、数学を勉強する気がわいてくるだろう。高校生(とくに高1)が読めば、3年間勉強していく上での心構えができるだろう。奇抜なことに驚く本ではなく、安心して読んで頼りにする本。

著者は、高校数学では、試験で出される問題に「解答」することこそが大切とする。このあたりには、社会などの暗記科目との絶対的なちがいがある。

では、数学ができるようになるにはということで、「数学(と英語)は毎日の勉強が重要」「模擬試験は予備校に利用されるのではなく道具として使え」といった具体的な勉強法がたくさん出てくる。なかでも多くのページを割いて説明しているのが、各単元によって必要とされる能力が変わってくるという話だ。2次関数、方程式、三角比・三角関数、微積、2次曲線などは忍耐力と集中力。数と式、数列・極限は計算力・表現力・パターン適応力・好奇心。確率は表現力や読解力。そして指数・対数、ベクトル、複素数、行列などは常識にとらわれない力が必要になるという。学ぶ人により得意な単元がちがってくるということは、つまりそういうことなのだろう。

すでに自分の勉強法が確立されていて順調に成績を伸ばしている方は、その勉強法を強化するようなアイディアのみ得ればいいだろう。また、自分の勉強法がまだ確立されていない方は読んでみて、この本は自分に合っていそうかどうかを考えてみるといいと思う。自分に合っていれば、著者のすすめる勉強法を実行しよう。数学力が相当身に付く気がする。


『高校数学とっておき勉強法』はこちら。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4062572435/qid=1145109966/sr=1-1/ref=sr_1_2_1/503-1861222-7056726
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上流の科学
第1次世界大戦と第2次世界大戦の間のこと。米国の企業デュポン社は、優れた人工繊維の開発を目指していました。

そこでデュポン社は一人の科学者を雇います。ウォーレス・カロザースという米国の科学者です。彼は、大学で化学を勉強し、大学でも教えたことがあります。

デュポン社で研究を重ねた結果、カロザースは繊維の開発に見事に成功しました。こうしてできあがったのがみなさんもよくご存知の「ナイロン」です(ただし、ナイロンが商品となる2年前、カロザスは心の病気から自殺してしまいました)。

ナイロン開発の成功は次の二つのことをもたらしました。一つは市民生活の便利さ。

そしてもう一つが、その後の社会モデルです。そのモデルとは、企業や政府科学者を雇って、組織内で研究をさせることで、市場や国策に成功をもたらすというもの。川の上流から河口までの流れに喩えれば、次のようになります。

科学。繊維化学を研究する。

開発。研究成果を使ってナイロンを開発する。

生産。開発したナイロンを大量生産する。

市場。大量生産されたナイロン製品を販売する。

ナイロンでの成功をきっかけとして、米国の各企業は、1950年から60年を中心に、企業内の研究所がつぎつぎと起こしました。製品作りの源泉を自分の会社の中に作ろうとしたのです。

ところがこのモデルでは立ち行かない面も1970年代頃から現れはじめます。企業と企業の競争が激しくなって、基礎的な科学に力を入れる余裕もなくなってきたのです。

ナイロンの成功をきっかけとするモデルが「役に立つかどうかはわからないけれど色々と研究をしてみて、その成果を技術に活かす」といったものだとすれば、最近のモデルは次のようなものになります。「人が生活で困っているから、それを解決するために研究を始める」。新たな科学のモードです。

誰のための科学? という問いに対して、市民(つまり納税者)が、自分たちの利害にも関係するものとして「自分たちのための科学」と答え始めるようになったということかもしれません。

参考文献「科学の倫理的次元」村上陽一郎
この記事は、早稲田大学院の科学技術ジャーナリスト養成プログラム「科学技術政策論」(西村吉雄客員教授の講義)を参考にしています。
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逆さにしてみる


東京湾に面したマリーナに取材に行ったときのこと。遠近感のある地図が貼ってありました。大小2つの半島の奥に、いくつかの島が見えます。最初、この地図はどの地方を示しているのかわかりませんでした。2、3秒して、気付きました。東京湾を逆から見た絵だということに。手前が東京の陸地、奥が東京湾と太平洋。奥に見えるいくつかの島は伊豆七島だったのです!

この地図を見て以来、デザインをする場合などに「逆さにしてあらたなアイデアを得る」という方法が使えるのではと思い始めました。

歴史的な画家にも似た経験の持ち主がいます。ロシアの画家ワシリー・カンディンスキーは、抽象画家になるきっかけのひとつをこう回想しています。
黄昏が押し迫るときであった。私は、一枚のスケッチを終え、絵具箱をたずさえて、まだ空想に耽り、済ませた制作に気を奪われたまま家に戻ってきた。と、私は、突然名状しがたいほど美しい、内面の灼熱に満たされた一枚の絵を見つけたのである。私はハッとして、それから急いでこの謎の絵の方へ歩み寄った。その画面に私はさまざまな形体と色彩以外何も認めず、絵の内容は分からなかった。私は、すぐさまその謎を解く鍵を見つけた。つまり、その絵は、自分の手で描いた絵で、画面を横にして壁に寄せ掛けてあったのだ。
自分で描いた絵とこんな形で再会するなんて、なんとドラマチックな画家だこと!

カンディンスキーまでは行かないでも、「逆さ」の定義を広げると、すでにいろんな事例がすでにあるのだとわかります。

「上下逆さ」は、「逆さ」と聞いて、すぐに思いつく種類だと思います。ハインツ社の「逆さケチャップ」は、“テーブルの上に立たない”“最後になると出しにくい”といった消費者の声に対して、ケチャップそのものを逆さにしてしまうことで解決。逆さケチャップは2005年「助かりました大賞」の食品部門金賞を受賞しました。

「鏡像」は、鏡に映したときに正常に見えるようにデザインしたものです。レオナルド・ダ・ヴィンチは、文字を鏡像で書きました。独創的なアイデアを読みとられないためとか、これのほうが印刷の版を起こしやすかったからとか、諸説いわれています。

「明暗の逆」は、暗い部分を明るく、逆に明るい部分を暗くするものです。この原稿を書いてるときに知ったのですが、パンダの白黒を逆にした「daNpa」なるキャラが北海道土産になっているとのこと。

こうした逆さにデザインをしてみる試みは、パソコンで簡単にできるようになりました。「上下逆さ」ぐらいならプレビューソフトでもできますし、鏡像もPhotoShopや写真管理ソフトに機能がついています。また、冒頭の逆向き地図も、Google EarthのRotate(回転)とAdjust tilt(視線の傾き)の機能を使えば、簡単に試すことができます。

まあ、なんでも逆にしてしまえば作品に結びつくというわけではないですが、「こんな見方もできるのか!」と、発想の転換がはかられたりして、アイデアのヒントにつながるような気がします。

参考文献 カンディスキー著 西田秀穂訳『カンディンスキー著作集4 回想』
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ミーム
利己的な遺伝子(2006年4月6日)



「利己的な遺伝子」の記事の最後で、「『利己的な遺伝子』説はわれわれ人間にも当てはまるのでしょうか」と書き残しました。

ドーキンスの説では、犬やカエルと同じく生物である以上、人間もまた「利己的な遺伝子」が操縦する乗り物の一つとなります。人間が子どもを産み、自分の遺伝子情報を子孫に遺し伝えてくということは、遺伝子の立場から見れば、自分の遺伝情報を子孫に伝えることに成功したといえるわけです。

けれどもドーキンスは、彼の著書『利己的な遺伝子』で、「人間に限っては、遺伝子に支配されているだけともいえない」とも加えます。いったい遺伝子以外の何が、人間の行動を操作しているというのでしょう?

ドーキンスはそれは「ミーム」だと答えます。ミームこそが、遺伝子以外に人間を支配している、もう一つの遺伝子だというのです。ミームとはなんぞや…。

ミームを説明するとき、こんな例え話が使われます。今日のこのブログを読んでくださったあなたが、翌朝職場や学校で「なあ、ミームって知っとる?」と、同僚や友だちにミームの話を伝えてくれたとしますね。すると「ミーム」という言葉のミームがあなたから友だちに遺伝したということになるわけです。言葉などの文化が伝わることから、ミームは文化的遺伝子などともよばれます。

ただ単に、人から人へと言葉が伝わるだけならば、なにも文化的遺伝子などとよぶ必要はありません。生物学的遺伝子とミームとの間には、非常に優れたアナロジー(対等関係)が成り立っているのです。

まず、生物学的遺伝子の特徴を挙げてみましょう。遺伝子のもつ情報は、親から子どもへと「遺伝」します。そして、たまにDNAの暗号のミスコピーによって「突然変異」もします。さらに、その環境により叶ったものが生き残っていくという「淘汰」があります。

これと同じことがミームでも起こっています。ここでは長嶋茂雄の「わが巨人軍は永久に不滅です」という言葉のミームで考えてみましょう。

ミームがもつ文化的情報は、テレビなどのメディアによって人から人へと「遺伝」します。「わが巨人軍は永久に不滅です」が長嶋によって口にされたとき、私はまだ生まれていませんでしたが、テレビというメディアを介して、この言葉は頭の中にも定着しています。

そしてミームは、たまに人から人に伝わる間にミスコピーによって「突然変異」もします。たとえば「わが巨人軍は“永久”に不滅です」ではなく、「わが巨人軍は“永遠”に不滅です」をgoogleで検索すると106件もヒットしました。

さらに、ミームにも「淘汰」があります。受け継がれていく言葉と使われなくなる言葉があるといった具合に。長嶋の「わが巨人軍は永久に不滅です」という言葉はいまも名言として語り継がれていますが、南海ホークス最後の監督・杉浦忠によって発された「ホークスは永久に不滅です」という言葉は、ほとんど知られていません。

このようにしてドーキンスは、文化をもつ人間は、生物学的遺伝子の他に、ミームという文化的遺伝子にも支配されていると言うわけです。

ミームが生物学的遺伝子に打ち勝っているシーンを挙げるのは簡単です。例えば、同時多発テロで自爆行為を演じた犯人は、そのまま生きていればこの先、奥さんとの間に子どもが生まれて、生物学的遺伝子を子どもに遺し伝えていたかもしれません。けれども彼はその道を選ばず、宗教的信条を人々にアピールするために自爆行為に走り、ある意味世界に大きな影響をもたらしました。こうして彼の中にあった「イスラム教万歳!」というミームは、とにもかくにも世界中のマスメディアを通じて遺し伝えられたわけです。

生物学的遺伝子。そして、ミームという文化的遺伝子。ドーキンスによれば、人間は二つもの遺伝子に操作されている存在です。でも少なくとも人間は、どちらの遺伝子に支配されるのかを自分で選択することができる存在といえそうです。
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科学技術ジャーナリスト養成プログラム講義開始


早稲田大学院で、科学技術ジャーナリスト養成プログラムの授業が今日、始まりました。大隈記念タワー(写真)内の教室で、5名ほどの学生に対して先生が講義しました。

今日は「リスク管理」と「エネルギーと環境」という、どちらも分野を横断する領域がテーマの講義。

「リスク管理」の初回は、日本国際保健医療学会の常任理事などを歴任する若杉なおみ客員教授が担当しました。

「リスク」とは、「安全・安心ではない状態にあること」を指す言葉です。何か行動をとるとき、Aの方法とBの方法ではどちらが安全・安心(危険・不安)か、リスクを数値で出してみて客観的に比べる、といった方法が最近よく提案されています。原発を使わない安全をとるか使う便利さをとるか。牛肉を食べない安全をとるか食べる幸せをとるか…。報道でも「リスク」はよく話題にされています。

講義で若杉先生は「リスク」とよばれるものの種類を学生に挙げさせて(食や事故や感染症など…)、それぞれのリスクには、「自然」「社会」そして「科学技術」という起因する分野があることを説明。とりわけ、科学技術はリスクを生み出す原因となる一方で、そのリスクを予防したり軽減したりする役割を果たすことを強調しました。

医師・科学者の立場から若杉先生は、エイズ関連の薬のちょっとした技術進歩があっただけで、「エイズのオーダーメイド薬、開発される」などと見出しをつける新聞の「がっくりくる記事」を嘆き、市民の不安をあおりパニックを引き起こす報道は問題だ強調しました。

今後はゲストスピーカーを招いて、講義ごとに、「環境リスク」や「食品リスク」など、テーマを細分化していく予定です。

一方、「エネルギーと環境」の初回は、『日経エレクトロニクス』の元編集長・西村吉雄客員教授が担当。これからの講義をはじめるにあたって、環境問題の捉え方などをパワーポイントを使って講義しました。

とても長い目で見て、すべての生物はいつか死ぬことを考えれば、環境問題を考えることは無意味になります。けれども、今日・明日をどうやって生きていくかを考えれば、環境問題はごく身近な問題にもなります。つまり環境問題は、どの長さの時間の範囲をとるかによって、正義が変わってきます。西村先生は環境問題の複雑さをこう強調しました。

この講義も今後、ゲストスピーカーを招いて、「産業廃棄物問題」「21世紀の自動車」などのテーマで講義が行われる予定です。

大学で授業を受けるのは10年ぶり。少人数制の授業は、やはり受ける側も参加している感が強いです。時間は1限90分。どちらも時間を感じさせないものでした。

若杉なおみ客員教授のプロフィールはこちら。
http://www.waseda-stj.jp/faculty/wakasugi/index.html
西村吉雄客員教授のプロフィールはこちら。
http://www.waseda-stj.jp/faculty/nishimura/index.html
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横道まわりみち @ blog 荷風!


「小町風歩」という東京の街の風景を綴ったフライヤーのシリーズを、ライターの堀径世さんとカメラマンの瓜生純子さんが続けています。そのシリーズをまとめた展覧会「小町風歩展」を、1月に紹介しました。

好評のうちに小町風歩展は幕を閉じたようですが、その堀さんと瓜生さんが、今度はブログに進出したそうです。

堀さんたちが参加しているブログは「blog 荷風!」。サブタイトルに「時を超えて遊ぶ、大人の時間旅行ガイド!!」とあります。『断腸亭日乗』の永井荷風からのネーミングでしょうか。いろんなライター、エディター、カメラマンが参加して、おもに東京と時間(今昔)をテーマにしたエッセイを綴っています。

堀さんたちのテーマは「横道まわりみち」。第1回は「歌舞伎町」。初回から歌舞伎町を選ぶあたり、さすがですね。堀さん曰く「いわば古町風歩のB面です。」とのこと。

新宿歌舞伎町の土曜日の早朝(フライデーナイトの果て)を路上観察しています。だんだんと空けていく街のグラデーションと、それでもまだ金曜のままでいたがる街の乖離が伝わってきます。

他にもこのブログでは、霞が関ビルをフィールドワークした連載や、都バスで下町を散歩する連載など、サブタイトルの名、偽り無しの「ガイドブログ」となっています。

私も東京の散歩はかなり好きで、とりわけ赤瀬川原平のトマソン的な路上観察や、塚本由晴研究室のペット・アーキテクチャーのような、観光地ではないけれど心くすぐられる、東京の重箱の隅を見て回るのが好きです。『マニアック東京案内』という原稿を以前書いたことがあるのですが、お蔵入りしています。これはまたおいおい…。

「blog 荷風!」のサイト内、堀径世さんと瓜生純子さんの「横道まわりみち」はこちら。
http://nihonbungeisha.cocolog-nifty.com/kahooblog/cat5708610/index.html
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鶴見俊輔講演「若き哲学者の占領期ジャーナリズム活動」
プランゲ文庫(2006年1月20日)
国会図書館公開セミナー「プランゲ文庫をめぐる新展開」(2006年2月16日)



早稲田大学国際会議場で、占領期雑誌記事情報データベース完成記念 講演会・シンポジウムが行われました。テーマは「占領期の雑誌記事メディアをひらく」。

当ブログでは、プランゲ文庫(日本が敗戦後、米国の統治下に置かれていたときに発行された出版物が眠っている、米国メリーランド州立大学の文庫)関連のイベント毎に、その模様を報告してきました。今回もその一環です。

スペシャルゲストは哲学者の鶴見俊輔氏。「若き哲学者の占領期雑誌ジャーナリズム活動」と題して、御年83歳、立ったまま90分にわたり講演しました。

鶴見氏は、戦後の占領期、GHQによる検閲をリアルタイムで体験した、いまや数少ないジャーナリストの一人でもあります。当時鶴見氏は執筆者であり、雑誌の編集者でもありました。

「言葉のお守り的使用法」という論文を発表する際、検閲者に「『大東亜戦争』という文言を消せ」と言われたそうです。それに対して鶴見氏は「思想は消せない」と言って検閲者に反論しました。

日本の戦時中の検閲者ならば、著者が反論をしようものならば、発行禁止や場合によっては投獄などの処分を下していたでしょう。一方、このGHQの検閲者というのが鶴見氏と同年齢ぐらいの女性大尉で、彼女は鶴見氏の主張をしっかりと理解しようとしていたようでした。彼女のその態度が、鶴見氏に驚きと好意をもたらしました。

それでも、立場上「消してもらわないと困る」と女性大尉は言ってきたため、鶴見氏は彼女の態度と立場に理解を示し、引き下がったということです。

鶴見氏の話を聞くと、国やまた個人によって、検閲にもいろいろとあるものと思えてきます(いずれにしても認められるべきものではありませんが)。

鶴見氏は青年期の15歳から19歳(1938年〜42年)まで、留学のため米国で過ごしました。その後、太平洋戦争が始まってからは交換船で日本に帰国。戦争では、英語が話せるということで、ジャワ島に行き、米国やイギリス、インドなどの短波放送を傍受してそれを新聞にし、海軍に提供するという仕事をしました。

米国時代に友人となったアメリカ人が、1945年に鶴見氏を訪ねました。彼は「これからUSAはファシズムのほうへ行くよ」と一言。「まさか」とそのときは思いましたが、50数年後、それを鶴見氏は実感することとなります。

2001年9月11日、米国で同時多発テロがあった数日後、鶴見氏はテレビ番組でブッシュ大統領と二人きりで対面をしたそうです。そのときのブッシュの“We are crusaders.”(われわれは十字軍だ)という発言を耳にしたとき、「ああ、かつて友人の言っていたことが当たったんだ」と思ったそうです。

少年期を米国で過ごしたことが、その後の鶴見氏の哲学でも対米を見据えたものとさせました。自慢気に「私は19歳のとき以来、カナダへもメキシコへも行きましたが、USAの地に一度も足を踏み入れたことはないんです!」と何度も繰り返していたのが印象的でした。
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種の絶滅をめぐる楽観論と反論


絶滅しそうな動物や生物を守る運動が各国で行われています。日本では、コウノトリを里山にに返そうとする兵庫県立コウノトリの郷公園の取り組みなどが最近話題になっていますね。

でも、素朴なところで思ったことはありませんか?「種が一つぐらい絶滅したからといって、自然全体で考えれば大勢に影響はないんでしょ」と。

多くの対象がある群の中で、わずかひとつやふたつの状況が変化したからといって、全体には影響はあまり及ばない、という論です。同じような例に、投票の際に働く心理があります。投票に行かない人の中には「私が1票入れたからといって、選挙の結果が変わるわけではないだろう」という気持ちの人もいるでしょう。

ところが、「種が一つぐらい絶滅したからといって、自然全体で考えれば大勢に影響はない」と考えた場合、落とし穴が一つあります。種の絶滅は、そんなにスローなペースで進んでいるわけではないということです。

エドワード・O・ウィルソンという生物学者がいます。『社会生物学』という本を著者としても有名です。彼は『生命の未来』という著書の中で、「そんなのんきなことを言っていられない」と思えるような、シミュレーションを紹介しています。

「レッドリスト」というリストの名前を聞いたことがあるでしょうか。絶滅の恐れのある生物を一覧にしたリストで、国際自然保護連合(IUCN)という団体が作っています。このレッドリストをもとにウィルソンは将来、どれだけ、生物種が絶滅するのかを計算してみました。すると、21世紀中に哺乳動物の4分の1が、鳥類種の8分の1が絶滅する見込みであることがわかりました。

昆虫や植物に比べて、哺乳類や鳥類は種類も少なく、また、身体の作りも断然複雑で、自然環境変化の影響をとりわけ受けやすいということでしょう。そして、われわれ人間も、4分の1が絶滅するとされる哺乳動物に属しています。

「どうせ○○なんだから…」という楽観論に対して、「いや、そうはいっても」と反論するのはけっこう難しいことだと思います。でも「いや、現実はこうなんだよ」と返す用意がある話については別。今日取りあげたような話は、もっと目に見える形で、まだ現実を知らない人たちにも知らせていくことが重要だと思います。

国際自然保護連合(IUCN)日本委員会のサイト「IUCNの活動 IUCNレッドリスト」はこちら。
http://www.iucn.jp/protection/species/redlist.html
IUCN本部のサイト「2004 IUCN Red List of Threatened Species(TM)」はこちら(英文)。
http://www.redlist.org/
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市民が貢献できる科学


最近の科学は細分化が進みすぎたとよく言われます。細分化の進み具合は、その分野の中でもごく一部の専門家(あるいはその人ひとり)しか理解できないほどの分野もあるというほど。

ここまで来ると、市民が科学に学術的貢献をするといったことは夢のまた夢の話ですね…。

と思いきや。科学でも、アマチュアの活躍がしっかりとその学問を支えている分野があります。それは、天文学。

例えば新星の発見などは、アマチュア天文家による場合が多く、国立天文台を始め、専門家も彼らの業績を高く評価しています。この記事を書いている4月7日も、タイムリーなことに、静岡県掛川市のアマチュア天文家・西村栄男さんが白鳥座のデネブ近くで新星を発見したというニュースが飛び込んできました。

アマチュア天文家が、いかに天文学を支えてきたか。今日は、その手本となるような一人の英国人を紹介します。

彼の名は、ピーター・オルコック。職業は学校の教師でした。1912年に生まれ、天文に興味をもちはじめたのは、10歳のころ。石鹸会社が配っていた百科事典の巻頭に1枚の星座早見表がついていたのがきっかけです。のちに、小さな太陽望遠鏡をプレゼントされたことから、オルコックのアマチュア天文家への道が決定づけられました。

オルコック少年や天文仲間の天体観測は、外に出て実際に星を見ることをモットーとしていました。星座表を見るだけでは5等星までしか見られず、それでは、飽き足らなかったのです。仲間たちと夜な夜な外に出て星を観察しました。

オルコックは流星の軌道を調べるために、遠くの街に住む仲間とも連絡を取りあいました。三角法を使って、数学的に軌道を導き出そうとしたのです。その結果、流星は楕円か放物線の軌道を描いていることがわかりました。つまり、流星は太陽系に属するものである、という結論に達したのです。

そこに立ちはだかったのが、一人の職業科学者。米国の天文学者ハーロー・シャーレーが、当時最先端の機械を使って流星の観察をし、「大部分の流星は、双曲線軌道を描いている」と提唱しました。つまり、流星は太陽系の外側から近づいてやってくるということを意味します。オルコックの説を否定したのです。1930年代の終わりのこと。

オルコックの前に立ちはだかったこのシャーレーは、1918年に太陽が銀河系の中心ではないことを示すなど、数々の業績を上げているプロフェッショナル。オルコックも「あの専門家が、流星は太陽系の外からやってくると言ってるのなら、しかたあるまい」と一旦は引き下がりました。

ところが、です。第二次世界大戦が終わってレーダーによる流星軌道観察が可能になると、流星の軌道は、やはり太陽系の中にあるということが証明されたのでした。アマチュア天文家が、専門家に勝利した瞬間です。オルコックは「肉眼が頼りのアマチュアのほうが正しかったというわけですね」と述懐しています。

その後もオルコックは曇りがちなイギリスの空の下で天体観測を続け、5個の彗星と5個の星の爆発(新星や超新星)を発見しました。この10の発見は、18世紀後半に8個の彗星を見つけたカロリン・ハーシェルを超える記録です。

オルコックは2000年12月に88歳の生涯を閉じ、自らが満天の空の中の新しい星になりました。天文学の専門家たちから、「誰も真似のできない貢献をした人物」「またとない観測者だった」と評されました。

アマチュアが天文の分野で活躍できる要因としては、機材が比較的安価で手に入れられることや、星が美しくロマンに満ちあふれていることなど、いろいろあると思います。この分野には、科学全体にフィードバックできるような市民参加型モデルのヒントが潜んでいるような気がします。

参考文献
『科学と創造』H.F.ジャドソン著 江沢洋監訳
“Legendary astronomer dies” BBC NEWS 2000 Dec. 21
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利己的な遺伝子


根本的な話を。生物はなぜ生きるのでしょう?

人間だったら「生き甲斐」という言葉があるように、生きることになんらかの理由を見出すことができます。けれども他の動物は自分自身を意識することがないというから、「今日の獲物はうまい! コリャ生き返るな」とか「愛しのミケちゃんをついにゲットしたぜ。生きてきた中で今日がいちばん幸せ」などと生き甲斐を感じることもないでしょう。だとしたらいったい生物は何のために日々暮らしているのでしょうね?

この疑問に答える説の一つが動物行動学者リチャード・ドーキンスによる「利己的な遺伝子」説です。

「利己的」とは、「わがまま」といった語感がありますが、辞書的な意味は「自分の利益だけを追求しようとすること」。遺伝子が「自分の利益だけを追求する」というのは、つまり、遺伝子がもっている自分の情報をとにかく各方面に広めることに躍起なっている状態を指します。

なぜ生物が生きるのかを「利己的な遺伝子」説で捉えれば、それはそれぞれ動物の中の遺伝子が自分の遺伝子を少しでも遺し伝えようとしているから。サバンナの子カモシカがチーターに殺されまいと必死に逃げるのも、遺伝子にとってみれば「大人になったら子どもを産んでもらわないと。ここで死なれたらたまったもんじゃない。自分の遺伝情報が途絶えてしまうよ」となるわけです。マンボウが一回に3億もの卵を生むのも、ペンギンが酷寒の南極で吹雪をじっと耐え忍んで卵を孵すのも、「利己的な遺伝子」説を通してみれば、自分の身体の中の遺伝子が、子孫を繁栄させて次の世代に乗り移ろうと躍起になっているから、となります。

ここでもしあなたが昆虫に詳しければ「ちょっと待った!」と言って、利己的な遺伝子説の反証を挙げるかもしれません。「働きバチ(ミツバチ)はメスだけれど、子どもを産まずに、女王バチのためにくる日もくる日もせっせと働くんだゼ。働きバチの遺伝子は自分の情報を子孫に伝え遺そうとしてないじゃないか」と。

ご指摘のとおり、働きバチはたいていがメスです。しかも彼女らはじつは女王バチ(こちらはせっせと卵を産む)の姉妹なのです。働きバチは、女王バチの食事の面倒を見たり、女王バチが外敵にやられそうなときには捨て身の行動で敵に反撃したりと、ほんとうに献身的に働きます。姉のために行動するこうした働きバチの姿は「利己的な遺伝子」ならぬ「利他的な遺伝子」も自然界に存在する証拠のように思えてきます。

ところが、この利他的と思える働きバチの行動でさえ、「利己的な遺伝子」説では「それも利己的な遺伝子がやってる振る舞いの一つ」と説明します。次のように。

オスとメスのある動物は普通、父と母からランダムに半々ずつの遺伝情報を与えられて生まれます。ところが働きバチや女王バチの世界では、父からの遺伝情報は100%そのまま与えられ、母からの遺伝情報は50%与えられるようにできています。つまり、働きバチ(や女王バチ)にとって、親の世代から子の世代への遺伝子の伝わり方は、(父100+母50)×1/2=75%となります。よって、働きバチと女王バチは同じ遺伝子を75%共有していることとなります。

ここで、もし働きバチが自分の子どもを産んで子孫に遺せたとしても、遺伝子にとって自分の情報が次の世代に伝わるパーセンテージは半分の50%(なぜなら父親がいるから)。これを考えたら、自らと比べて遺伝子の濃さが50%になる子どもを作るよりも、自らと比べて遺伝子の濃さが75%である女王バチのためにせっせと働いたほうが、遺伝子にとってはより自分の遺伝情報を遺し伝えることができるということになるわけです。

このようにして、「利己的な遺伝子」説は、動物のあらゆる行動を「遺伝子が自分の利益だけを追い求めて情報を遺し伝えようとする」目的と結びつけます。

さて。生き甲斐を感じたりするわれわれ人間も動物ですから、この「利己的な遺伝子」説はわれわれ人間にも当てはまるのでしょうか。つづく。
| - | 23:58 | comments(0) | trackbacks(0)
科学技術ジャーナリスト養成プログラム履修説明会


早稲田大学「科学技術ジャーナリスト養成プログラム」の履修説明会が西早稲田キャンパスで行われました。カリキュラムの内容を大まかにお伝えしたいと思います(正式なカリキュラムの情報などは、科学技術ジャーナリスト養成プログラムのサイトをご覧ください)。

早稲田大学のカリキュラムは前期(4月〜7月)と、後期(9月〜2月)の2期制にな
っています。1期の授業を習得すると単位は2個もらえます。

科学技術ジャーナリスト養成プログラムを修了するには、32単位が必要。科目区分はだいたい基礎的なものから応用的なものの順に、「理科基礎知識」「ジャーナリズム論基礎知識」「基礎部門(ジャーナリズム論・科学コミュニケーション論)」「国際コミュニケーション」「イシュー領域部門(生命科学・理工学・複合領域)」「実践部門(国際コミュニケーション・科学コミュニケーション)」そして修士論文の「演習科目」となります。理系出身者と文系出身者では2割程度、必要とする単位などの違いがあります。

夕方、実際に教える先生方が講義内容を説明しました。

全体の印象は、「科学技術ジャーナリスト養成」という名の中でも、科学技術の知識習得は各自指定の授業を受けたりして自主的に行い、むしろジャーナリスティックな「取材する」「書く」「創る」といった面により重点を置くといった印象。実感では、「科学技術の知識」:「ジャーナリズム」の重さの比は、1:2ぐらいだと思います。

各先生は「サイエンスライターがカネを取れる原稿を作るにはどうしたらよいか、経験したことををもとに教えて、みんなの手伝いをしたい」また「ジャーナリストとは、ときには取材した人を自殺に追い込むことさえある。まずは人の痛みというものを知ってもらいたい」などと、それぞれの授業に対する思いを述べました。

指定された授業以外は、学部(大学院ではなく大学のほう)の科学に関する授業を原則としては受けられないなど、制度的な制約はありますが、それぞれの授業の内容自体は、どれも期待の膨らむものでした。

明日が履修科目の登録締切日となります。

早稲田大学科学技術ジャーナリスト養成プログラムのサイトはこちら。
http://www.waseda-stj.jp/
| - | 20:27 | comments(0) | trackbacks(0)
ブレークスルーがなかなか起こらなかった理由


生物の細胞は分裂回数に限りがあって、いつかは死ぬ(だから老化する)。限りなく真実に近いこの説は、1960年レナード・ヘイフリックという生物学者により提唱されました。それからまだ50年も経っていません。

このヘイフリック限界とよばれる説が生物学界に受け入れらてからは、不老不死の科学が一気に広がりを見せることとなりました。ヘイフリック限界の発見はいわば科学のブレークスルーといえます。

けれども、他の分野の科学的進歩に比べると、このブレークスルーが起きるまでには時間がかかりすぎた、ということもできそうです。それはどういうことかというと…。

1912年のノーベル生理学・医学賞はフランスの医学者アレクシス・カレル(1873〜1944、写真)のもとに輝きました。受賞理由は「血管縫合および臓器の移植に関する研究」。カレルは現代医療にも脈々と継がれている臓器移植技術のまさに開拓者だったのです。

ところがそんなカレルも、細胞分裂の研究においては、“大きな誤り”をすることになります。ノーベル賞をとった同じ年、カレルは鶏の心筋の細胞を分裂させ続ける実験に着手しました。培養皿においた鶏の心筋に、毎日のように栄養を与え続けたのです。するとどうでしょう! 1944年にカレルが死ぬまで、30年以上にわたってその鶏の心筋細胞は生きながらえたというのです!

カレルが死んで久しい現在、カレルの実験には、重大な誤りがあったと指摘されています。心筋細胞に与えていた栄養のなかに、鶏の胎児の新しい細胞が含まれていて、細胞は少しずつ入れ替えられていたのではないかということです。焼き鳥屋さんが伝統の味を守ると言って、秘伝のタレを毎日継ぎ足すのと似ていますね。

カレルはノーベル賞を受賞した超一流の医学者。周囲の人物たちは、彼の実験を疑うだなんて畏れ多いとして、だれも口を挟みはしませんでした。細胞の不死は、超一流医学者によって聖域に奉られていたのです。

この長きにわたる定説を覆したのが、冒頭に紹介したレナード・ヘイフリックでした。新説を学会で認めてもらうためには、そうとうの苦労があったようです。それほど、カレルの定説は生物学会に染みついていたということでしょう。

科学にも「たら・れば」はありません。でも、もしカレルが超一流の医学者でなければ、もしくは、カレルが超一流であっても周囲の人物に批評精神が残っていれば、細胞不死説はもう少し早い時期に覆されていたかもしれません。そして、不老不死の科学的進歩はいまより数段進んでいたのかもしれません。

ノーベル賞受賞者の白川英樹先生は、著書の中で米国留学中の経験を振り返り、米国の論文審査官は、論文執筆者がノーベル賞受賞者だからといって、「ああ、あのお方の書くことなら、この論文は通さなければ」とはせずに、逆に「ノーベル賞の学者がこんな論文を書くだろうか」となると言います。

科学とは、自然の現象を客観的に捉えて、事実に近づこうとするもの。ところが、その客観的事実に近づこうとする主体は人間であり、また、人間とは主観的で社会的な存在です。カレルや彼を容認していた当時の生物学界の“誤り”、そしてそれに疑いの目をもって定説を覆したヘイフリックの“勇気”には、科学のあらゆる分野に相通じる教訓が含まれている気がします。
| - | 23:40 | comments(0) | trackbacks(1)
黄金チャーハン


昨年、テレビ番組「発掘あるある大事典2」で、コーヒーを1日4、5杯のペースで飲み続けると、ダイエット効果があるという特集をしてましたね。私の友人がそれを試してみたところ、あまりにもトイレが近くなって仕事にならず、開始1日であきらめたと笑ってました。

かくいう私も「あるある」につい乗せられて、翌日スーパーマーケットに走ってしまうことがあります。長続きしないので友人を笑うことはできません。

科学に詳しい人ほど、「あるある」の内容をけっこう小バカにしているものだと、経験的にわかってきました。

けれども、この番組を見てほんとうによかったなあとつくづく思い、また三日坊主にならずにいまも続けられている特集がただ一つあります。

それは「黄金チャーハン」の作り方。

私は以前、チャーハンを作るといえば永谷園の「チャーハンの素」を使っていました。でも「あるある」を見て以来、永谷園には頼らずに、毎回おいしくいただいてます。

番組と完全に同じではないと思いますが、ポイントをご紹介しましょう!

材料(1人前)は、ごはん1杯。たまご1個。ネギ・タマネギ・ハム・にんじん・キャベツなどの適当な具。サラダ油。塩・こしょう。そしてしょうゆです。

ごはんを熱いものを使いましょう(ポイント)。炊きたてでも、このあとの作り方によれば、大丈夫ですよ。たまごはといておきます。

さて、このあとの調理は終始一貫、フライパンや中華鍋に入れた食材を、ぱらぱらっと空中に浮かせたりはせずに、あくまでもフライパンや中華鍋の表面につけたまま炒めてください(ポイント)。家庭の弱いガスでは、熱をなるべく食材に伝えたほうがいいみたいです。

フライパンか中華鍋をまず中火で1分、空焼きします(ポイント)。やっぱり熱く熱く作っていく方針ですね。鉄板から煙が出てきたら、サラダ油をたらして、ときたまごを入れます。

そしてその1秒後、早くもごはんを入れてしまうんです(ポイント)。こうすることでたまごがごはんをコーティングしてふっくらと黄金なごはんに仕上がります。

その1分後ぐらいに具を入れて炒め、そのまた1分後ぐらいに塩・こしょうをパッパッパと入れます(ここらへんの量ははっきりいってテキトー)。

具と塩・こしょうがよく混ざったら、最後にしょうゆをポトッポトッとたらして風味をよくして出来上がり!

中華料理屋やラーメン屋で食べるような、ぱらぱらとした食感や香ばしさには及びませんが、たまごにコーティングされたごはんはまさに黄金で見た目がよく、かなりおいしくいただけますよ!
| - | 22:29 | comments(0) | trackbacks(0)
早稲田大学院「科学技術ジャーナリスト養成プログラム」が始業


退社後、4月から新生活が始まりました。これから当面の間は「半学半職」の生活を目指します(これもリカレント教育といえるのでしょうか)。

早稲田大学大学院の政治学研究科で始まった「科学技術ジャーナリスト養成プログラム」で勉強をすることになりました。このプログラムは、文部科学省の「科学技術振興調整費」という助成金によって立ち上がった、科学技術ジャーナリストを養成する修士(大学院の前期)のコースです。科学技術振興調整費とは、日本の科学分野を盛り上げるために国が出す(=みなみなさまの)おカネのこと。

で、今日は大学院全体の入学式と、政治学研究科の始業式がありました。

入学式では総長や来賓の祝辞のあと、最後に校歌斉唱。応援団が登場し、「あいやぁー、おいっ、おいっ」と音頭をとり、会場の新入生がみんな胸に手を上げたり下ろしたり。他大学卒の私は「おお、これがそれか!」とただ驚き。

その後、前の会社のバイトさんで早稲田大学院生のSくんと天下一品でしゃべったあと、政治学研究科の始業式へ。

なぜ、科学技術ジャーナリスト養成の講座が、文系の政治学研究科にあるのでしょう。始業式で挨拶をした伊東孝之・政治学研究科長は「科学といっても自然科学、人文科学、社会科学の融合する部分があり、理工学研究科、文学研究科、政治学研究科どこが担当してもどれもしっくりこない。けれども、政治学研究科はジャーナリストを輩出してきた実績があるため、“ジャーナリスト養成”という点では一歩抜きん出ている」と説明しました。

ただ、修士号が政治学となることについては、「文科省との約束でしかたがなかった」と残念そう。たしかに文系出身の受講生には、科学を学んだ証として、科学系の修士号をとりたい気持ちもあるでしょう。

その後、科学技術ジャーナリスト養成プログラムを総括する谷川健司プロジェクトマネージャーや着任教官や助手さんとともに、第1期生が顔合わせ。17人の平均年齢は約34歳。理系と文系の比率はだいたい半々です。大学4年を卒業してそのまま入ってきた人、学校の先生、医師の方など経歴はさまざま。夕方や夜の時間帯の授業が多く、会社に勤めている方も多くいました。

これほど3月と4月とで急激に生活ぶりが変わるのは、学生から社会人になったとき以来。今後しばらくは、「学」のほうの忙しさ加減を探りながら、「職」のほうも書くことや編むことができるよう求めていきたいと思います。みなさん、どうぞよろしくお願いします。

早稲田大学政治学研究科(大学院)科学技術ジャーナリスト養成プログラムのサイトはこちら。
http://www.waseda-stj.jp/index.html
| - | 23:04 | comments(0) | trackbacks(0)
書評『DNA』
ジェームズ・ワトソンがフランシス・クリックとともにDNAの二重らせんを発見したのが1953年。この本はその50年後に書かれたものです。

『DNA』ジェームズ・D・ワトソン著 講談社 2003年 521p


著者のジェームズ・ワトソンは、DNAが二重らせんであることを発見した科学者の一人。科学界の重鎮の重鎮が、DNAや遺伝子の分野全般を俯瞰し、そこに科学者の立場からのメッセージを加える。

まず、著者がフランシス・クリックととともにDNAの二重らせんを発見した黎明期から、その後のヒトゲノム(人間のDNA全体)解読計画が完了した現在に至るまでを紹介する。

ただ、それだけにとどまらない。現在はDNAや遺伝子の正体を知った、ポストゲノムの時代。われわれがその知識をどのように使っていくべきかといった、未来のことを見据える。例えば登場するのはこんな話。

犯罪に時効が存在する理由の一つは、事件から時が経つと、目撃者の記憶も風化してしまい、証言の正確性などが保たれなくなるから。ところがDNA鑑定の登場により、証言の正確性を心配する必要が無くなりつつある。DNAは人と人とでまったく同じであることはまずあり得ない、いわば指紋のようなものであり、かつ、採取された毛髪や汗などから得られるDNAの情報は、人間の記憶よりもはるかに風化しにくい性質をもっているからだ。こうして、時効が存在する理由は揺らいできているらしい。

また、医療では、遺伝子の解析が可能になったために、自分が将来どんな病気にかかるかがわかる状況だ。つまり「未来の患者」が誕生する。しかも、遺伝病なら、その人が将来病気になることがわかった時点で、本人以外の家族の運命もそれによって知り得てしまう可能性がある。息子は未来に病気にかかるかを知りたいけれど、父親は知りたくない、などといった場合どうすればよいのか。こんな状況は増えてくるだろう。

ワトソンのスタンスは終止、科学者として典型的なものだった。それは「科学技術は積極的に推進しよう。そうすればわれわれの生活はより豊かなものになる」といったもの。遺伝子技術に対して「何か得たいのしれないもの」といったイメージをもって遠ざかろうとすることは、人間を幸せにしないと表明する。例えば、遺伝子組み換え作物が広く普及したら、飢餓で苦しむ人たちがどれだけ助かるだろうかといったことを用いて力説する。

重鎮が著した大部。喩えるならば、野球の神様・川上哲治さんが、自分の現役時代の野球黎明期からV9の監督時代、そして現在のプロ野球の状況までを広く書いたといったような感じ。

『DNA』はこちら。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4062121727/qid=1143901376/sr=1-4/ref=sr_1_10_4/503-8705048-8602362
新書判(上下刊)もあります。ただし上下刊合わせると2,457円。上記ハードカバーが2,520円だからうま味はあまりないかも。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4062574721/qid=1143901780/sr=1-1/ref=sr_1_10_1/503-8705048-8602362
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/406257473X/qid=1143901780/sr=1-2/ref=sr_1_10_2/503-8705048-8602362
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