科学技術のアネクドート

職場を退社


3月31日で、長い間勤めてきた数研出版を退職しました。社内・社外のみなさん、長い間どうもありがとうございました。

かつて科学技術に縁も興味もまったくなかった私に、天職を与えてくれたのは、職場で科学の一般書を編集させてもらったからです(それ以外なにもありません)。

環境問題、生物学、大学研究室、勉強法、ミーム、宇宙飛行士、理系小論文、脳、情報学、感染症、動物、算数・数学、ナノテク、デザインと、多種多様の分野を幅広く担当させてもらい、モノゴトを知ることの楽しさを知ることができました。

科学という分野は他の分野に比べて、説明するのにおいそれとは行かない、複雑な要素を多くはらんでいると思います。それだからこそ、分かりやすく科学を伝えるにはどうしたらよいかということは大きなテーマであり、またそれが成功したときには大きなやりがいも見えてくるものだと思います。

私はいろいろと考えがあってこのたびこの会社を去ることにしました。でも数研出版に対しては、理系分野(じつは理系分野だけじゃないけれど)をリードし、若者への教育をしていく担い手として、これからもずっと応援していきたいと思います(ありんこが巨像にエールを贈るようなもんですが)。

どうもありがとうございました。

これからのことは、また日を改めて書きたいと思います。

数研出版のサイトはこちら。
http://www.suken.co.jp/
| - | 23:59 | comments(0) | trackbacks(3)
もう一冊校了。


昨日に続き、もう一冊本が校了しました。『新しいスタイルの学校』という、教育書です。

以前「そろばん特区」の話をしたように、全国ではいろいろな学校教育の試みが進んでいます。こうした試みが「問題無し」となれば、全国への展開が見込まれます。

また、公立の中高一貫校や、トヨタ・JR東海・中部電力が発起したエリート養成学校・海陽学園など、最近とくに学校制度改革が進んでいます。

こうした学校教育の急速な流れを、戦後60年の教育政策やゆとり教育の顛末などと絡めながら、分析をしていくといった本です。学校制度改革の背景・現状・課題・展望について、筑波大学で学校制度学などを選考している藤田晃之先生に執筆していただきました。

藤田先生の文章はとても分かりやすく、教育関係者だけでなく、娘・息子をこれから学校に入学させる親御さんもきっと役に立つ知識を得られると思います。

というわけで『新しいスタイルの学校』、4月末日ごろ発売ですので、どうぞよろしくお願いします!
| - | 23:26 | comments(0) | trackbacks(0)
担当本が校了。


担当していた2冊の企画のうち、1冊が今晩、校了を迎えました。『数学の出番です。』という本です。

タイトルのとおり、この本は、日常のちょっとした迷いや疑問の場面で、数学がヒーローのように現れて、案件をみるみる解決するといったハナシです。新幹線の座席が3列・2列であるのを数学的に分析すると、とても理に叶っていることが見えてきたり、ケーキのかしこい等分のしかたを知ることができたり。ついまわりの友だちに伝えたくなるようなハナシばかりです。

今回、著者になってもらったのは、京都の編集制作会社・桜風舎の代表の日沖桜皮さん。制作も桜風舎さんにやってもらいました。元会社の同僚でいまはフリーランスで活動している小島まき子さんからの紹介でした。日沖さん率いる桜風舎とは初の協力作業で、かなりこちらのシリーズ上の制約などを飲んでもらう場面もありましたが、人にプレゼントしたいような、よい本が生まれたと思っています。

明朝体とはちがった書体をしかも焦げ茶色で使ってみようとか、カバーの絵を点描画にしようとか、制作の中でささっと流してしまいがちなところに“こだわり”や“ひとひねり”を加えていただきました。きっと日沖さんは本を愛しているんだろうなあと、いつも思っていました。

『数学の出番です。』は、数学が好きな人もきらいな方も、とにかく気軽にくつろいで読むことのできる本です。5月1日ごろ発売となりますので、みなさん、ぜひどうぞ。

2匹のネコもかわいらしい、紙媒体専門の編集プロダクション・桜風舎のサイトはこちら。
http://www.ofusha.co.jp/
| - | 23:59 | comments(0) | trackbacks(0)
書評『天使の出現』
『天使の出現』野口悠紀雄 日本経済新聞社 2004年 219p


日経新聞夕刊の連載原稿を本文とし、それに「注釈」や「後日談」などの解説を入れたもの。解説のほうが、何倍ものボリュームになっているから、むしろ解説をエッセイとして楽しむといった感じ。670字という限られた字数の本文には凛とした緊張感がある一方で、解説のほうは後日談としてのリラックスした雰囲気があり、その対照が心地よい。

本全体のテーマは、副書名のとおり「時間」。特殊相対性理論でよく耳にする「双子のパラドクス」ような、「時間」についてを直接的に考える話もあるが、全体的には歴史の話(過去という時間)や、地球の年齢に対する人類の活動時間の話(時間のスケール)など、時間をゆるく捉えて随想する。もちろん、この本でも氏が味わってきた小説、映画、音楽、美術作品、歴史的挿話などがあいかわらず好い感じに絡まっている。

本のメッセージを、本の中のワンフレーズから選ぶとしたら、「一期一会」。単純に言えば、その日一日が人生最後の一日と思って過ごしましょう、ということ。よく言われることだけれど、氏にあらためて説かれると、やっぱり価値あるものを読む気分になってくる。『「超」整理日誌』などの社会時評中心のエッセイに比べると、今回の本は人生の時間をどう過ごすかとか、自分の死生をどう考えるかとか、人間の自己(著者の内面)に向けられて書かれている感じ。とくに最後の戦争にまつわる章は、氏が実際に体験したことと、心から感じていること(それは憤りである)が剥き出しに表現されていて、迫るものがあった。

『天使の出現』はこちら。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4532164885/qid=1143558280/sr=1-1/ref=sr_1_2_1/503-8705048-8602362
| - | 23:59 | comments(0) | trackbacks(0)
書類の海


昨日はひん曲がった海の画像でしたが、今日は書類の海。

あと少しで3月も終わりということで、仕事が終わってから机まわりの書類を片付けました。みんな帰ったあと、要らない封筒や書類を床に放り投げ、封筒と紙に仕分け…。

ステープラーで留めてあったものはバラさないといけません。爪の先がボロボロになってしまいました。やっぱり書類留めはガチャダマにかぎりますね。

床に散乱した書類の海。9年前の自分の部屋の光景がよぎりました。

9年前、就職活動をしていた私は、周囲に流されるがまま、名古屋のあるメーカーの最終面接を終えました。「あとは卒業までのんびり遊んで過ごそっと」と思っていた矢先、その企業の人事の方から電話がかかってきました。

結果は、不採用でした。

持ち駒もほとんどなかった私は、気がつけば、そのメーカーに受かるしか道が無い状況だったのです。電話が切れたあと、半分自暴自棄になり、就職活動の書類を部屋の中にぶちまけました。それでもどうしても絶望に耐えられなくなくなり、同じクラブだったnnさんに電話をして部屋まで来てもらい、足の踏み場もなくなった書類の海の中で二人、ウイスキーを飲みました。

「きっと、10年後、あんなときもあったよなあと言って笑ってるんやって」とnnさんは私にひとこと言い、書類の海を泳いでいる私の姿を記念に写真に撮ってくれました。パチリ。

nnさんが帰ったあと、書類の海を半分片付けて床の上で寝むりこけ、2日後からまた就職活動に復帰しました。そして、やっぱり本意だった本の世界を受けてみようと考え直し、縁があっていまの出版社に入ったわけです。そして、仕事をしているうちに科学の魅力を知ることになりました。

nnさんに「あんなときもあったよなあと言って笑ってるんやって」と声をかけられてから、まだ10年は経ってません。けれども、書類の海に溺れかけていたあのころは、いま思えばやっぱり「あんなときもあったよなあ」です。メーカーには就職せずに、出版社に就くことができ、そしてそこで、たぶん一生テーマにしていくであろうジャンルに出会うことができたのですからね!

人生、どこでどう転ぶかなんて分かりません。人間万事塞翁が馬。9年前、書類の海を掃除して、いまの状況にたどり着きました。

そして、今日、また書類の海を掃除しました。新たな季節を迎えたいと思います。
| - | 23:59 | comments(0) | trackbacks(0)
Photo Shopにもの申す。


画像処理ソフトのPhoto Shopをよく使います。

このソフトは、写真や画像のデータを切り抜いたり、解像度を上げたり、色調を補正したりと、画像の調整や加工をするためのものです。当たり前のように使っていますが、その恩恵は大きなもの(携帯電話のようなもんですね)。

ところが、ある場面では作業が停滞してしまいます。

それは、画像の回転。写真をスキャニングするのですが、微妙に斜めに写真をスキャニング台に置いてしまうと、水平・垂直ではなく、0.5度とか、1度とかの微妙な角度がついて斜めに画像が映し出されます。たとえばトップの画像のように、海の水平線が微妙に右肩上がりになってたら格好悪いですね。

これを修正するためには、Photo Shopの中の[カンバスの回転]という機能を使います。ところがこの調整がけっこう大変。目分量でずれている角度を「1度くらいかな」と目算し、角度入力のところに[角度:1.0(時計回り)]と入れて、角度を補正。

ところが、1.0度だとやっぱり直す角度が大きすぎたようで、今度は逆に水平線が微妙に左肩上がりになってしまいます。orz。

そこで今度は[角度:0.5(反時計回り)]と入れて、角度をさらに補正します(または、最初の状態に1段階戻って、[角度:0.5(時計回り)]と入れる)。

ところが、まだ直す角度が大きすぎたようで、ほんのちょっと水平線が右肩上がりになってしまいました…。

ムキャー! どうにかならんかな!

そこで考えたのですが、コンピュータが画像の中のライン状になっているところを自動検知して、水平線または垂直線に角度補正することってできないんですかね。例えば、写真のフレームとか、トップの写真の中の水平線などを見つけ出して。

Photo Shopには、[色域選択]といって、白い部分とか、青い部分とか、色のちがいを区別することができます。また、ソフト自体が角度の基準として、水平線や垂直線を認識しているのは確実。色域の違いによる「線」を抽出すれば、それを垂直線や水平線に補正することも可能なのではないでしょうか。

実際の不便から生まれたこの考え。次のバージョンの目玉機能にならないかと思い、Photo Shopを作っているアドビシステムズに提案をすることにしたいと思います(いや、マジで)。アドビ社からどんな返事が来るのか、今後の展開をお楽しみに!

アドビシステムズ社のPhoto Shopのサイトはこちら。
http://www.adobe.co.jp/products/photoshop/main.html
| - | 23:50 | comments(0) | trackbacks(1)
東京の一面


意外と思われるかもしれませんが、野生の動物にとって東京とはかなり住みよい街のようです。

まず何といっても皇居の存在は動物にとってはオアシス。私は何度か、黄昏時、皇居のまわりを歩いたことがありますが、ビル群や街路で昼間活動していた野鳥が、皇居のねぐらに一斉に返っていく光景を見かけたことがあります。

また、東京には、旧財閥などの緑豊かなお屋敷が都などに売り払われて、いまも昔のままの形で残っている場所が点在します。文京区の旧岩崎邸、同じく文京区の六義園、江東区の清澄庭園などなど。

その他、江戸には古くから神社仏閣が点在し、いまもそれらの大半は、そのままの形で残されています。

こうしたことから、都会にはわれわれの想像を超えるくらいに多種多様の野生動物が暮らしています。例えば、芝生の中、黒土がもこもこと盛り上がっているスポットがあれば、それはモグラが土を地上に処理した形跡です。また、うるさくない場所で耳を澄ましていれば、かならず鳥のさえずりが方々から聞こえてきます。

忙しさに追われている東京の人々にとっては、そうしたことをただ単に気づかないだけ。その日一日、都会の野生動物をテーマに生活してみれば、人間が多いだけでなく、いろんな動物が東京には棲んでいるんだということがわかることでしょう。

こうした話は、昔はまったく認識していませんでした。動物ジャーナリストの宮本拓海さんとプロナチュラリストの佐々木洋さんというお二人に仕事で出会って、こうした都会の中の自然の豊かさを知ることができました。

桜の花がほころび始める季節、花見がてら、耳を澄まして、目を凝らして、野生の豊かさに触れてみれば、新鮮な気持ちになれると思います。今日、私は東京で、そんな一日を体験をしてきました。

動物ジャーナリスト・宮本拓海さんのサイト「いきもの通信」はこちら。
http://ikimonotuusin.com/
NPO都市動物研究会理事長・佐々木洋氏のプロフィールはこちら。
http://streaming.tepco.co.jp/kids/ikimono/profile/index-j.html
| - | 23:59 | comments(0) | trackbacks(0)
1969年の月で(4)


1969年の月で(1)
1969年の月で(2)
1969年の月で(3)

1969年7月、3人の宇宙飛行士を乗せて月に向かった米国のアポロ11号。その一方、時を同じくして人を乗せない月探査機「月15号」が月に向かって飛んでいました。世界で初めて人類を月面に送りこむという宇宙開発レースの勝負がほぼついていた当時、ソ連はなぜアポロ11号の偉業を静観せず、無人の月15号を月に向かわせたのでしょうか。今日、紹介する当時の説は、すべて当時の朝日新聞で報道されたものです。

まず、「月15号はアポロ11号を偵察しようとしているのではないか」という説がありました。アポロ11号が月に着陸した翌日、7月21日の「ルナ15号新たに軌道を修正」という記事では、モスクワの中島特派員がこんな記事を書いています。
タス通信によれば、月15号に積んでいる機器類はすべて正常に動いており、依然として月周辺で科学的調査を続行中だという。すでに、アポロ11号が月面に降りた現在も月15号の月着陸はついに報道されなかった。モスクワでは月15号の本当の目的が、あるいはアポロ11号の動静観察にあるのではなかったか、とする観測が新たに強まっている(7月21日夕刊4面)。
なかには、「月15号は月面でアポロ11号の乗組員の月面到着を待ち伏せしていて、彼らが月に降り立ったところを襲撃しようとしているのではないか」といった説もあったようです。朝日の記事は生々しくこう伝えています。
アメリカ人の記者の中にはアポロ11号が月の裏側でソ連の月15号に迎撃されるのではないかと本気に心配しているものがいた(7月22日朝刊2面)。
当時の米国とソ連の緊張関係を象徴するこの説が、もっとも避けるべきものだとしたら、次の説はその対極にあるもの。「じつは月15号はとても良心的な宇宙船で、アポロ11号や乗組員たちのバックアップ役を買おうとしているのではないか」という、ほのぼのとしたものです。
非常に好意的な見方もあるんだよ(笑い)。月15号には酸素、水、食料などが積んであって、アメリカの月着陸船が何かの故障で飛び立てなくなった時、救援の物資を積んだ月15号が、アメリカの宇宙飛行士のそばに軟着陸するという話なんだ(7月22日朝刊2面)。
もしこんなことが本当に起きていたならば、一挙に米ソの冷戦も雪解けに向かっていたかもしれません。なんせ人類史上まれに見る米国の偉業に、ソ連が歩み寄って協力の手を伸ばしてきたのですから。

そして最後に紹介する「月15号は月面への軟着陸に挑戦しようとしている」というものが、もっともらしく、有力視されていた説です。
訪ソ日本科学記者団とモスクワで会見したアレクセイ・レオーノフ宇宙飛行士が「ソ連は無人、有人いずれかの方法によって、来年大阪で開かれる万国博には必ず月の岩石を出品できると確信している」と語っている(7月14日朝刊1面)。
結局翌年の大阪万博では、長蛇の列ができた月の石を展示したのは、アポロ11号のアメリカでした。

これだけの諸説が飛び交うほどに、月15号の意図と月での動きは憶測が憶測を呼ぶ、掴みづらいものだったのです。

次回は、いよいよ月15号の顛末を書きたいと思います。つづく。
| - | 23:35 | comments(0) | trackbacks(0)
ブレインストーミング


ブレインストーミングを知ったのは、大学生のころでした。所属していたクラブでスピーチの原稿をつくるとき、先輩たちがブレインストーミングを開いてくれました。それ以来、事ある毎にブレインストーミングをやっています(この原稿書きもブレインストーミングから)。

ブレインストーミングは、あるテーマ(ナノテクの本の企画を立てるとか、マスメディアについてのレポート原稿を書くとか)に沿って、頭に思い浮かんだことをなんでも書き出して、まとめられるものは結合していくという、アイデア出しのツールです。ルールとして、1. 出たアイデアを批判しない。2. 質より量。3. 他人のアイデアとの結合や便乗もOK。といったことがあります。

i-modeの生みの親・松永真理さんは、ブレインストーミングを日常化させていて、i-modeのコンセプトを決めるときにももちろんブレインストーミングをしたそうです。著書『i-mode事件』にブレインストーミングの効果の程が書かれています。
ブレストをしているうちに、脳の動きはだんだんと活発になり、脳全体がどんどん柔らかくなるのを感じるときがある。その混沌とした海をもっとと掻きまわしていると、ある瞬間、それは最高潮に達する。脳が蕩ける瞬間だ。
その瞬間、混沌とした言葉の中から「キーワード」が浮き立ってくる。
で、松永さんは開発メンバーを引き連れホテルでブレインストーミングに興じます。そこでメンバーから出された「コンシェルジュ」という言葉が心の中でヒットし、i-modeのメディアコンセプトにしたということです。

さて、i-mode開発のように、ブレインストーミングが役に立つ場合もありますが、日本では、ブレインストーミングが企画の成果に結びつかないという傾向もあるようです。

産能大学が2000年、製造業の研究開発部門の部長職にアンケートをとったところでは、ブレインストーミングを活用している率は39.9%でしたが、創造技法の問題点として「思ったほど有効なアイデアが得られない」と答えた率も42.2%に上りました。

過去の経験も含め、日本の組織のブレインストーミングにおいて、考えられる問題点はおもに三つあるような気がします。

一つは、立場の上下関係が強いため、下の者が自由奔放に話すことに躊躇したり、逆に上の者が下の者にかえって気を遣ったりして、アイデアがなかなか出てこないという問題。これは、リーダーシップをとる人が、ブレインストーミングの前に「積極的に発言するように(じゃないと怒るわよ)」と、参加者にアイデアを出すことを至上命題とすることで少しは解決されるでしょう。

もう一つは逆に、上の者が下の者からアイデアをつぎつぎと無礼講のように出されると「俺の温めている企画の方向性からは軌道が外れちゃいそうだな」などの懸念が浮かぶため、ブレインストーミングをすること自体を避けるといったこと。

そして三つ目は、ブレインストーミングをしてアイデアは出るけれど、それが企画書などにうまく反映されないで、いつの間にフェードアウトしてしまう問題です。

二つ目と三つ目については、出されたアイデアをすべて取り入れなければならないと思うからこうしたことが起きるのでは。もちろん素晴らしいアイデアはどんどん企画書に取り入れるべきですが、出されたアイデアのすべてを取り入れる必要はないと思います。ブレインストーミングでアイデアを次々と出すことと、そのアイデアを企画に取り入れるかどうかの判断は別。ブレインストーミングが終わった後、上司は本来の上司に戻って、アイデアの取捨選択をすればいい話と私は思うのです。
| - | 23:29 | comments(0) | trackbacks(1)
科学ジャーナリスト塾、第4期が修了。


科学ジャーナリスト塾に参加。9月から3月まで全10回の最終回でした。

今日のメニューはプレゼンテーションです。40人の塾生は最初の回で、「環境と物質」「温暖化」「知的財産」「原子力」「農業」「脳と心」「再生医療」「産業と技術」という班に分かれ、それぞれの班で、新聞作りやウェブでの表現を目指してきました。成果物を発表し、会場の全員で投票をして、出来映えの順位を決めました。

最終回で、私はこの塾に対し改めて目を開かされたことが二つありました。

一つは、参加していた塾生さんの熱心な姿勢です。1位になったからといって、なにか賞品が出るわけではありません。けれども各班真剣で、きちんとこれまでに取材をこなし、今日のプレゼンも真剣さが漂いました。集団で何かをつくりあげるときのパワーを感じました。

もう一つは、現役ジャーナリストのアドバイザーたちの厳しい目です。出し物をして、Q&Aをして、拍手をして、はい終わり、というような生易しいものではありません。

例えば、二つの立場に分かれる問題を扱った記事に対して「両サイドへの取材はしたのか。双方の立場が記事から見えないのは、ジャーナリスティックな報道としては問題がある」とか(これについては取材を試みたが先方に応じてもらえなかったとのこと)、「環境ホルモンの話題は、ほんとうに『加熱報道でした』で終わらせていいものなのか。人間に害が及ばないことが環境ホルモンの問題点ではない」とか、かなり手厳しいアドバイザーの指摘もあり、緊張が漂いました。

8名のアドバイザーは50歳台から60歳台の現役ジャーナリストたち。かなり厳しい突っ込みに、私は職業的意識の高さを感じました。この場は「塾」であり、塾生たちにはジャーナリズムとはどうあるべきかを正すという、アドバイザーたちの使命感や責任感が感じられました。

市民と科学ジャーナリズムをつなぐ結び目としての役割を、この科学ジャーナリスト塾は果たしていると思います。

今年の秋にはおそらくまた、第5期の科学ジャーナリスト塾が始まるのでしょう。これまでの塾生のバックグラウンドは、フリーライター、学生、歯医者、日本科学未来館の展示解説員などなどさまざま。参加目的も、ジャーナリストになりたい、物事をわかりやすく伝えたい、人脈を作りたい、さまざまです。

私自身、前回・今回と参加した理由は、第一線で活躍中の科学ジャーナリストたちや科学者たちと直に話をしたりして接することができるから。そこに高い価値を見出します。また、年上のジャーナリストの方と接している中で、原稿を書かせてもらったり、温めている企画の話をしてもらったりなど、直接的な仕事に結びつけるためもありました。

塾生のみなさん、修了お疲れさまでした。そしてありがとうございました。塾長や現役ジャーナリストのみなさんも、いろいろとありがとうございました。

今日のプレゼンテーションは後日、科学ジャーナリスト塾のサイトにて一般公開される予定です。また、正式には決まっていませんが、秋から第5期の塾が始まる場合も科学ジャーナリスト塾のサイトでお知らせがあると思いますので、興味ある人はこまめにチェックしてください。

科学ジャーナリスト塾のサイトはこちら。
http://www.jastj.jp/Zyuku/
| - | 23:59 | comments(0) | trackbacks(0)
書評『アンダーグラウンド』
『アンダーグラウンド』村上春樹著 講談社 1997年 727p


村上は、いままでの報道とは全く異なった方法で、あの事件にアプローチした。それは、地下鉄サリン事件に不幸にも遭遇してしまった被害者に対してインタビューを行い、彼等一人一人の生い立ち、事件当日に彼らが目にしたもの、事件後の後遺症などを語ってもらうという形式だ。

証言の数は60にも及ぶ。村上は、もう一度別の角度から別のやり方で事件を洗いなおすことで、あの事件から真に何かを学び取るべきだといっている。では、その「何か」とはいったい何なのか。

被害者の証言ではオウムや麻原彰晃に対してだけでなく、周囲の人々に対しての憤りも多々見られた。上からの指示を待たなければ救急車を発車させられなかった救急隊、人が歩道に倒れているというのに、道路の向こう側で、何くわぬ顔をして出勤しようとしている霞が関の役人など。

「被害者の人を一刻も早く助けよう」という自我よりも「上司の命令や出勤時刻を守らなければ」というシステムのルールを優先させてしまっている人々だ。このような人々は、あるシステムの中に自分の自我を預けてしまい、その代わりとしてそのシステムから受動的に、自分の人生の道(村上は「物語」とよんでいる)をもらっているのである。だが、何も官公庁の人々だけがこのようなことをしているわけではない。我々にも、ある集団や組織に自我を預けて、受動的な姿勢で人生を過ごしたいという望みはないだろうか。

我々の心の中にもどこかに、オウムの信者が麻原彰晃に帰依したのと類似したものが潜んでいるのではないか。オウムの信者が麻原の出した命令を信じ切っていたのと同様に、我々も、ある我々のシステムからの命令を絶対のものだとしている。ただ我々は「オウムは悪だ。オウムは悪だ」としか繰り返さない報道の前で、我々とオウムはまるで対極のものだ、という概念が植え付けられてしまっているだけなのだ。

村上が言っている、この事件から真に学ぶべき「何か」とは、我々は自我を持つべきであるということだ。システムに動かされているのではなく、システムの中で動く自分をもつことが大切なのだと村上は暗にいっているように思える。

『アンダーグラウンド』はこちら。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4062085755/qid=1142891008/sr=1-3/ref=sr_1_2_3/503-8705048-8602362
文庫版もあります。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4062639971/qid=1142891838/sr=1-2/ref=sr_1_10_2/503-8705048-8602362

この書評、大学3年生のときに『読書の泉』という雑誌に寄稿したものでした。地下鉄サリン事件が起きてから2年半後の1997年のことです。「自我を持つべき」とか、とんがったことを言ってたもんでした…。そして、このころからなぜか官僚や組織というものに対して反発心や違和感みたいなものを感じていたみたいです。

読んだ内容をまったく忘れてしまう本もあれば、いつまでも鮮明に記憶に残る本もあるもので、この本は、いまも、被害者の人々の言葉が断片的にですが鮮明に甦ってきます。すべての登場人物が、たまたま地下鉄に乗っていた被害に遭っただけの市民であるにもかかわらず。いや、それだからこそなのかもしれません。

この2年後、私は会社という組織に属することになりました…。
| - | 06:57 | comments(0) | trackbacks(0)
オウムがもたらした科学技術不信
1995年は、読売新聞のスクープで年が明けました。元日のトップ記事は、オウム真理教のサティアン付近からサリンの成分が検出されたというニュース。前年に起きた松本サリン事件とオウム真理教との関係をほのめかすものでした。

3か月後、地下鉄サリン事件は起きました。今日で事件から11年になります。

当時私は大阪の大学に通う学生でした。春休みで、3月20日は関東の実家に帰省中。10時ころ起きて、居間のテレビを見ると、目に入ったのは茅場町駅の出口あたりの道路が担架や救急車であふれている光景でした。ヘリコプターが中継する、普段とまるでちがう東京の様子は、いまも強く印象に残っています。

オウム真理教の犯罪的活動がもたらしたものの一つが、科学技術に対する市民の不信感でした。当時、私は科学技術に何の興味もない市民でした。ただあの当時、もし意識調査などで「あなたは科学を信頼できるか?」と聞かれたらNOと答えていたでしょう。いま振り返ると、当時の市民が科学技術に対する不信感を高めたのは、オウムから直接・間接的な二つの印象を受けたからだと思います。

一つは、オウム真理教が科学技術を悪用したということ。これは明確です。地下鉄サリン事件や松本サリン事件に関するかぎり、科学技術(とくに技術のほう)が悪用されたということには、疑いの余地がありません。実際オウム真理教の信者は、読売新聞が案じていたとおり、科学技術の知識を使ってサリンを製造し、そのサリンを使って松本の市民や地下鉄の乗客を無差別に殺したのですから。

もう一つは、ダイレクトなものではありませんが、心の深いところでしみ込むタイプのものです。それは、オウム真理教が、「科学技術とは得体の知れないもの」というイメージを助長したということ。

まず、オウム真理教自体が発する「得体の知れなさ」はあまりにも、印象が強烈でした。象の着ぐるみを被って「ショーコーショーコー」と連呼する選挙戦のシーン、入団を促すためのアニメーション、空中浮遊を試みる信者たちの映像……。市民は、これらのイメージが植え付けられていました。そのうえで、地下鉄サリン事件発生後からのオウム糾弾報道で「理系出身者がオウムに入会したのは、麻原彰晃が自分たちの研究してきたことを解き放つ受け皿となっていたからだ」という筋書きを見せつけらたわけです。

地下鉄サリン事件後のテレビは、オウム真理教を糾弾する特別番組の連続でした。得体の知れない教団自体の姿と、理系出身者たちの暴走。これらが(当時の私を含めた)市民の間で頭の整理のつかないままオーバーラップしたことにより、得体の知れないものを解明するための科学さえも「得体の知れないもの」の一部に同化してしまったような気がするんです。本来、得体の知れないものに対して光を当て、それがどういうしくみになっているのか、正体を解き明かすものが科学だというのに。

明日も、地下鉄サリン事件関連のアネクドートをお伝えするつもりです。
| - | 23:01 | comments(0) | trackbacks(0)
書評『ノーベル賞の決闘』
今日は、ある意味、科学者の「人間らしさ」を感じることのできる本のご紹介です。

『ノーベル賞の決闘』ニコラス・ウェイド著 丸山工作・林泉訳 岩波書店 1992年 335p


1977年のノーベル生理学・医学賞は、ロザリンド・ヤーロウ、ロジャー・ギヤマン、アンドルー・シャリーの三人に贈られた。うち、ギヤマンとシャリーの「争い」を追ったのがこの本。

二人の研究者が同じテーマの研究成果を争っている場合、勝利、名誉、業績……これらすべては、先に論文や学会で成果を発表した人のものとなる。「早い者勝ち」こそが科学界の常識だ。

相手との駆け引きとなると、学会や雑誌での発表を温存して競争相手に情報を漏らさぬまま、ある日満を持してすべてを発表するといった戦法をとることもある。でもこの戦法はリスキーだ。発表を温存している間に競争相手に同じ成果を発表されてしまえば、なにもかもが水の泡に帰すのだから。「沈黙」か「開示」か。このふたつの間で揺れるギヤマンとシャリーのジリジリとした葛藤が伝わってくる。

けれどもそれだけにとどまらない。この本は「早い者勝ち」という科学界の常識を揺るがしかねない事実を示してくれる。

シャリーは甲状腺刺激ホルモン放出因子という物質の構造の研究成果を、ギヤマンよりも先に論文にした。シャリーの勝ちだ。ところが、いくぶん社交的で筆も立つギヤマンは、巧みな宣伝活動によってそれがあたかも自分の研究成果であるかのような状況をつくり、対決を引き分けに持ち込んでしまったのだ。

名誉欲やライバル心は科学者にもあるだろう(ギヤマンはそれを否定しているが)。けれどもこの二人に限っては、最初からまったく馬が合わなかったという一言に尽きる気がしてならない。

本の冒頭、ギヤマンとシャリーのポートレイトが並んでいる。この2枚の写真こそ、二人の性格、考え、研究態度…何から何までを象徴している。身を整えたギヤマンはうっすらと笑みを浮かべ、表面上余裕の表情を見せている。一方のシャリーといえば、ぶっきらぼうな顔で白衣を身にまとい、研究以外はほんとうになんの興味もなさそう。

さて、晴れのノーベル賞授賞式。この二人が目を合わすことはいっさいなかったという。性格の合わぬ人間の典型例をこの本は見事なまでに描ききっている。

『ノーベル賞の決闘』はこちら。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4002601242/qid=1142776294/sr=1-1/ref=sr_1_0_1/503-8705048-8602362
| - | 22:55 | comments(0) | trackbacks(0)
木を使うと木が守られる。


渋谷の「電力館」で開かれた第1回「森の鼓動」フォーラムに参加。東京電力が取り組んでいる地球温暖化防止のためのECOサポートプラン森林保全活動の報告会です。

講演のうち、東京農業大学で森林政策学を教えている宮林茂幸先生は「森とくらしと地球温暖化」というテーマで話しました。

日本の森林は世界の森林にくらべて特徴的な面がいろいろとあります。たとえば日本の森林は原生林よりも人の手の加わった人工林の率が高いこと。

また、日本のここ20年間の森林面積は、横ばいかむしろ増える傾向にあるんだそうです。世界の森林面積が減り続けている中、健闘してるじゃないですか!

ところが問題があって、日本の森林の“質”は悪くなる一方。樹木が荒れたりやせ細ったりして、質の悪いものになっているのです。

その原因は、日本の森林が伐採されなくなったから。

うん? 自然な状態にまかせておけば、森林もすくすく育つんじゃないの? この原因は逆説的だと思えませんか?

こういうことのようです。つまり、人工林には人工林なりの育ち方があるのだけれど、その育ち方が破綻しはじめているということ。

昔から日本人は、タンスやちゃぶ台、神輿に檜風呂など、木でできたものを使うために、木をたくさん切ってきました。切った跡には苗木を植えたりして、面倒よく木を見てきたわけです。手の行き届いた環境で、日本の森林は育てられてきたわけです。

けれども最近は外国からの輸入木材にもっぱら頼るようになり、あまり人びとが日本の森林に入って行かなくなりました。

人工林が放置されるとどうなるでしょう? 木がツルなどによって締め付けられます。また、間伐されなくなるので、木どうしが密集して太陽の光を受けづらくなります。こうして、日本の木は貧弱なものになっていくのです。

輸入木材に頼っているのは、日本の木は高価だからということでもありません。むしろ日本の木は価格破壊が起きているくらい安いそうです。たとえばスギの価格は1立方メートルあたり37年前は36000円しましたが、最近ではわずか2800円ほど。日本の木が切られなくなった原因は、林業政策の失敗によって、日本の木を採っても採算性が合わなくなったことだといいます。

宮林先生は「日本人は日本の木を使おう」と言います。それは、手入れの行き届いた森林を守るため。とともに、二酸化炭素の排出量を減らして、地球温暖化防止に貢献するため。

地球温暖化のおもな原因は、二酸化炭素が大気中に多くばらまかれること。では、二酸化炭素を大気中にばらまかないためにはどうしたらいいかというと、二酸化炭素を陸上で固めてしまえばいいわけです。そして木にはその能力があります。私たちが吐き出す二酸化炭素は1年間に320キロ。これは、スギの丸太23本に含まれる二酸化炭素の量と同じです。

つまり、私たちがタンスやらちゃぶ台やらで木を使うことによって、より多くの二酸化炭素を固定されたままの状態にキープできるわけです。木を切ったらまた植えて、二酸化炭素を固定していけば、大気中の二酸化炭素の量が少なくなっていきます。

「京都議定書」で日本は2008年から12年までに、1990年に比べて二酸化炭素を出す量を6%減らすことを約束しました。日本の木でできた製品をたくさん使うことが、日本の二酸化炭素排出削減にも一役買うことになるのです。

電力館では、第1回「森の鼓動」関連の写真展も実施中。多摩川源流研究所所長の中村文明さんが撮影した「知られざる多摩川源流の春」の数々です。3月21日(火)まで(無料)。

電力館サイト「今月のイベント」のページはこちら。
http://www5.mediagalaxy.co.jp/Denryokukan/event/index.html
| - | 22:10 | comments(0) | trackbacks(0)
ヘルムート・ヤーンも辰野金吾も、東京駅ルネッサンス。


東京駅で、「東京駅ルネッサンス」特別イベントが今日から始まりました。丸の内南口で、ドームに映し出す「東京駅百年物語」と、スクリーン映像「未来の東京駅」を観ることができます。

2011年、東京駅は、八重洲口、日本橋口、そして丸の内口とも大幅にリニューアルがされるそうです。

現在、東京駅東側の日本橋・八重洲口には大丸百貨店や高速バスターミナルなどがあります。2011年、このエリアにそれぞれ、グラントウキョウノースタワーとサウスタワーという42階建て・43階建てのツインタワーが建てられます。

建築はヘルムート・ヤーンというドイツの人。これまで、ドイツのソニーセンターや、米国のイリノイ州庁舎などの大きな建築物を手がけてきました。ノースタワーを大丸が入った百貨店とオフィスからなるビルに。サウスタワー全体をオフィスビルにするそうです。

一方の丸の内口は、東京駅を象徴する赤レンガ建築がおなじみ。大正の建築家・辰野金吾が大正3年に建てました。建築当時は3階建てで、モスクのようなタマネギ型のドームがありました。いまも人気の「ステーションホテル」は、日本の駅構内ホテルの先駆けで大正4年開業。また、大正10年に原敬首相が暗殺されたのも、いま特別イベントが行われている、丸の内南口です(キップ売り場の近くの床にパネルが埋め込んである)。

太平洋戦争の戦禍により、赤レンガの丸の内口も火災に遭い、3階部分とタマネギ型ドームが焼け落ちてしまいました。現在の2階建ての駅舎は、戦災の応急処置で3階部分を削った産物だったのです。

そこで「東京駅ルネッサンス」で、辰野金吾が建てたときと同じ、3階建て+タマネギ型ドームの丸の内口駅舎を復元するそうです。

2011年、日本橋・八重洲口には最先端のビルが2棟。一方の丸の内口はルネッサンスの呼び名にふさわしく、大正建築の復興。いまもそうですが、こうも出口の違い表情が変わる駅も珍しいと思います。

ちなみに私の思い入れはなんといっても丸の内口のほう。

仕事でどうしても翌日までに届けたい荷物があるとき、仕事帰りに東京駅丸の内口の東京中央郵便局に速達を出しに行くときがあります(ありました)。窓口で集配係に荷物を渡し、郵便局を出るとすでに午前零時をまわり終電間近。いつも赤レンガの駅舎が「さあ、お帰りはこちらですよ」と優しく迎えてくれます。

いつの日か「いや、今日はきみの家にお邪魔するよ」と言って、そのままステーションホテルで寝泊まりしてみたかったのですが、いつも予約で満室。3月31日には、ルネッサンス工事のため営業を休止し、再オープンは2011年とのこと。ステーションホテル宿泊は、叶わぬ小さな夢です。

丸の内南口の映像展示「未来の東京駅」とドーム映像「東京駅百年物語」は3月31日(金)まで毎日上映しています(11:00〜19:00、無料)。

3月22日(水)から4月9日(日)にかけては、東京駅ステーションギャラリーで「東京駅の歴史展」が開かれます(10:00〜20:00、無料)。

JR東日本「東京駅ルネッサンス」のプレスリリースはこちら。
http://www.jreast.co.jp/press/2005_2/20060302.pdf


| - | 22:41 | comments(0) | trackbacks(1)
便利だけど違和感はある。


ちょっと気になっている科学技術関係の言葉があります。宇宙開発の話でよく使われる「運用」という言葉。

ためしにJAXA(宇宙開発研究開発機構)のサイトで、サイト内検索を掛けてみると、「運用 検索ヒット件数6279件」と出てきます。

典型的な使用例が「スペースシャトルの運用」とか「国際宇宙ステーションの運用」とかいったもの。「機械を操作して活用する」といった語感ですね。先日、星出彰彦・古川聡・山崎直子の3宇宙飛行士がNASAで取得したミッション・スペシャリスト(スペースシャトルの操作に携われる宇宙飛行士)という資格も、「搭乗運用技術者」という日本語があてがわれています。

さらにJAXAサイト内では「電気工事のため、下記のWEBサイトの運用を停止いたします」なんていうふうにも使われています。

この「運用」という言葉、たしかに便利です。「スペースシャトルを活用する」とか「スペースシャトルを利用する」とかだと、「使う」ということだけに意味が集中してしまい「その状況や環境を活かそう」といったニュアンスが強くなってしまいます。

でも「スペースシャトルを運用する」と使えば、「機械に触って操作する」といったニュアンスも中に含まれてきます。実際、星出さんたちがスペースシャトルに乗ることになれば、宇宙実験などでシャトルを「活用・利用」するだけでなく、シャトルを動かすため操作をして、シャトルを「運用」することになります。

けれども、JAXAのプレスリリースなどでこの「運用」という言葉をみると、私はちょっと違和感を覚えてしまいます。理由は単純で、日常であまり使われない言葉だからです。

「部長、今日は部署のパソコンを利用させていただきます」「ああ、うん」
は、まあ、ありそうな会話ですが、
「部長、今日は部署のパソコンを運用させていただきます」「ああ、うん」
は、あまり想像できません。「運用させていただきます」なんて言うと、ネット証券にアクセスして「資産運用」でも始めそう。

行政側(この場合はJAXA)が宇宙開発についてより多くの市民に理解をひろめるためには、便利だけども日常であまり使わない言葉をやみくもに使わないことも一つの(消極的な)方法だと思います。

こんなこと書くと、いざ「運用」という言葉を私が使ったとき、「お前も使ってるじゃん」お叱りを受けるかもしれません。科学を伝える上で、日常語として浸透してない言葉はなるべく使うまいと思いますが、苦肉の策で「運用」がベストと思うときは使ってるかもしれません。そのときは、どうかあしからず…。
| - | 21:39 | comments(0) | trackbacks(0)
『metropolitana Green edition』創刊


今日、『metropolitana Green edition』というフリーマガジンが創刊されました。東京メトロの駅構内で無料配布しています。

この『Green edition』は、3年前創刊の赤い表紙『metropolitana』の姉妹誌に当たります。姉貴分の『metropolitana』が「もう一歩、私になる。」というコンセプトであるのに対して、『Green edition』のコンセプトは「未来への、はじめの一歩。」地球環境問題や社会的なトピックなどを身近な始点から届けることを雑誌のねらいとしているそうです。

創刊号の特集も環境問題やボランティアと関わりのある女性たち6人が登場します。最初が小池百合子環境大臣だったのが、やや硬派なフリーマガジンを主張しているかのようです。他にはキャスターの滝川クリステルさんなど。環境問題や社会問題にどのようなきっかけで取り組みはじめたのか、「はじめの一歩」が語られているわけです。

他の特集は、農家へのインタビューを会員制野菜宅配サービスのと絡めた記事や、地域とのかかわりを重要視している渋谷の企業を紹介する記事など。フリーマガジン特有のタイアップ記事といえばそうともとれますが、その色合いはまあ抑えめ。

私は赤い『metropolitana』のカフェ特集や街の紹介などがけっこう好きで、駅で見つけたらかならず読んでました。今回の『Green edition』は『metropolitana』のスタイルはそのままで、そこに環境問題や社会問題の視点を加えたといった感じです。

地球環境問題は「問題」と付いているだけあって、どんなトピックも「解決すること」が直接的にも間接的にも話題の中に伴います。解決にはアクションが必要で、要は、人びとがそのアクションをどうすればとるようになるか…。

その方法の一つが、「環境問題にも目を向けることが、豊かな生活を送ることにつながる」といった考え方を提供すること。エコライフ、スローフード、流行のLOHASなどには、環境を意識したライフスタイルが自分の生活を豊かにする、といったイメージが伴っています。この『metropolitana Green edition』も、まさにその路線をいく雑誌だと思いました。

帰りの電車の30分で読み終えることができます。読者対象は女性のようだけれど、男性も読めますよ。

記事の一部を読むことのできる、『motropolitana Green edition』のサイトはこちら。
http://www.metropolitana.jp/green/
同誌は次の東京メトロの駅構内、姉妹誌『metropolitana』と同じ棚で無料で手に入れられます。上野駅、銀座駅、日本橋駅、新宿駅、新宿三丁目駅、茅場町駅、虎ノ門駅、新橋駅、渋谷駅、池袋駅、大手町駅、表参道駅、六本木駅、高田馬場駅、恵比寿駅、外苑前駅、溜池山王駅、日比谷駅、八丁堀駅、有楽町駅。
| - | 22:07 | comments(0) | trackbacks(0)
1969年の月で(3)
1969年の月で(1)
1969年の月で(2)



1969年7月の新聞報道で、アポロ11号の完全なる脇役と化していたのが、ソ連の月15号でした。このころの事実関係を確認してみると、月15号が地球から打ち上げられたのが7月12日。これはアポロ11号打ち上げの4日前のことです。アポロ11号が月に向かうよりも一歩前に、月15号が月に向かって打ち上げられたというニュースは、当時最高潮に達しようとしていたアポロフィーバーに冷や水を浴びせるようなものでした。7月14日の朝日新聞朝刊では、「ソ連、月15号を打上げ」という見出しの下、次のように報じています。
ソ連は十三日モスクワ時間午前五時五十五分(日本時間十一時五十五分)宇宙ステーション、月(ルナ)15号を月に向って打ち上げた。
「月着陸競争での米国の勝利はほぼ確実になった。ソ連もこれを率直に認めて祝福している。アポロ11号の打上げ直前になって、まさか“いやがらせ”はすまい」との考え方がNASAにはあった。
当時の宇宙ブームの世相を反映してか、この記事は、朝日新聞14日朝刊の一面トップでした。

また、この日の社会面の関連記事では、当時から東大教授の肩書きだった竹内均先生(2004年に亡くなった、鼈甲眼鏡がトレードマークの物理学者)がこんなコメントを寄せています。
「沈黙を破って、このタイミングにやるからにはソ連も相当のおみやげをねらっているのだろう。お手並み拝見といきたい。(中略)米国の打上げ式の方がオープンでいいですがね……」
当時、アメリカとソ連は、意外とたがいの宇宙開発を尊重しあうマインドがあったようです。当時のNASAは、ソ連の宇宙開発の業績などについては、公式にコメントを発することはあまりせず、静観の姿勢をとっていました。一方のソ連のほうも、当時の駐米ソ連大使ドブルイニン氏がアポロ11号打ち上げへのNASAからの招待を受諾するなど、米国に対して軟化の兆しがありました。またこの時期、米国の宇宙飛行士でアポロ8号の乗組員だったボーマン氏が、親善目的でソ連を訪れています。表面上はフェアプレーの姿勢を見せていたといったところでしょうか。

このようなこともあって、アポロ11号が月面着陸をしようとしていたさなかの月15号の動きは、不穏な雰囲気を醸し出していたようです。すでにソ連は月探査については半ば米国に引導を渡されていたと考えられていました。当然ソ連は、アポロ11号のミッションも静観するだろうと思われていたようです。でもソ連は静観しませんでした。この期におよんで月15号はいったい月のまわりでなにをしようとしているのか…。

当時、ソ連という国から世界に向けて発せられる情報は極端に乏しいものでした。当時、ソ連からの数少ない情報のほとんどを発信していたのが、国営の「タス通信」。現在の「イタルタス通信」です。ちなみに「タス」は、Telegrafnoe Agentstvo Sovetskovo Soyuza(国営ソビエト連邦通信社)の頭文字。また、「イタル」は、Information Telegram Agency of Russia(ロシア通信情報社)の頭文字です。ソ連からロシアへと国の体制が変わったいま、ただ単に現在の社名のみを採用して「イタル通信」と呼んでもよいはずですが、現在の日本の報道機関はソ連時代の「タス」を付けて「イタルタス通信」と呼ぶのが主流。あるいは旧ソ連時代のまま「タス通信」と呼んでいるところも見受けられます。

アポロ11号の月面着陸目前にしての月15号の月接近にはソ連のどんな意図があるのか。新聞記事を読んでみるとまともなものから、いまではとんでもないと思えるものまで、さまざまな説が飛び交っていたことがわかります。月15号の月接近をめぐる、珍説のいくつかを見ていきましょう。つづく。
| - | 22:18 | comments(0) | trackbacks(0)
LOHASのS


“LOHAS”という言葉、けっこう聞くようになったと思いませんか?

この言葉は“Lifestyles Of Health And Sustainability”の頭文字をとった造語。マーケティングコンサルタントの西川りゅうじん氏によれば「健康と環境の持続可能を志向するライフスタイル」の意味で「元はマーケティング用語」なのだそう。

LOHASの5個の言葉の中でとりわけ難しいのが“Sustainability”でしょうか。“Sustain”が「維持する、持続する」といった意味なので、“Sustainable”で「維持できる、持続できる」、“Sustainability”では「持続可能性」といった意味になります。では、「持続可能性」とはどういったことなんでしょう?

“Sustainable”は、1992年にリオデジャネイロで行われた環境と開発に関する国際連合会議(地球サミット)あたりからけっこう日本でも耳にするようになった言葉です。この会議のなかで、“Sustainable Development”(持続可能な開発)を考えて環境問題に取り組みましょうと宣言されたことがその理由。

では“Sustainable Development”(持続可能な開発)とはどんなものかというと、地球は私たちに酸素を与えてくれたり、紫外線から守ってくれたりと、いろんな恵みを与えてもらっているから、そうした恵みをこれからも受け続けられる程度に開発を続けていきましょう、といったところでしょうか。国連の「環境と開発に関する世界委員会」が1987年に発行した“Our Common Future”(『地球の未来を守るために』)では、“Sustainable Development”を「将来の世代のニーズを満たす能力を損なうことなく、今日の世代のニーズを満たすような開発」と定義しています。

地球規模でなくても、“Sustainability”(持続可能性)は身近なことで喩えられそうです。私の場合、もっとも卑近なのが肝臓とお酒の関係。肝臓を悪くしない程度に、お酒はほどほどにたしなみましょう。そうすれば持続可能性をもって未来も飲めます(小確幸)。自然にしていれば健康なり安定なりを維持してくれるものに対して、あまり無茶をしないようにしましょう、といった感じです。

LOHASに戻ると、自分の身体の健康や環境の保全を大切にして、持続可能な社会を目指していきましょうといった、LOHAS的なライフスタイルを心がけている人は米国で4人に1人にもなるといいます。その割には、地球温暖化問題ではわがまま言ってる気もしますが。

流行好きな日本でもLOHASはさらにはやるのかもしれません。良いか悪いかといったらもちろん良い概念だと思うので、こうした造語からでも、健康や環境に興味をもつ人が増えればいいと思います。ただ流行がほんとに流行で終わって、10年後とかに「LOHASな生活してます」なんて言ったら「うわ、LOHASだって。だせえ」とならないことを祈るのみ。

LOHASの普及・促進を目指すNPO「LOHAS CLUB」のサイトはこちら。
http://www.lohasclub.org/
「環境goo」のロハスのページはこちら。
http://eco.goo.ne.jp/life/lohas/
| - | 23:13 | comments(0) | trackbacks(0)
ゲノム ⊃ DNA ⊃ 遺伝子


「ゲノム」という言葉を理解している人は15%にとどまっているという結果が山縣然太朗・山梨大教授らの調査で出たそうです。12日の朝日新聞が伝えました。

ゲノムとは、ある生物がもつ遺伝情報の全体のこと。建物を建てるときに設計図があるように、生物にも親から子どもへと遺伝情報が伝わるための設計図があります。その設計図全体がゲノムです。「全体」というのがミソで、細分化するとゲノムはDNAで出来ていて、そのDNAの中には遺伝子も含まれています。「ヒトゲノム」ならば、ヒトの遺伝についての設計図の全体。イネゲノムであれば、イネの遺伝情報についての設計図の全体となります。

ちょっと、朝日新聞の記事を見てみますと…
ゲノム(ある生物の遺伝情報全体)という言葉の意味を理解している人は15%――ゲノム研究に関する関心の低さが山縣然太朗・山梨大教授(社会医学)らの国民意識調査で分かった。一方で、医療に応用する研究には賛成する意見が多かった。

調査は文部科学省特定領域研究のゲノム分野の一環として、研究と社会のかかわりを調べるため05年11月、全国の約4000人に質問紙を郵送して答えてもらった。回収率54%。

その結果、「ゲノム」という言葉を全く知らなかった人が30%を占め、意味を理解しているという人は15%だった。一方で、「DNA」は知らない人が1%、意味を理解している人が55%と、かなり定着していた。(以下略)
よく思うのですが、遺伝のしくみとかを知るときにけっこう高い壁になっているのが、それぞれの言葉の大小関係や包含関係がいまいちわからないということ。「ゲノム」とか「DNA」とか「遺伝子」とか、よく聞く言葉だけれど、じゃあ、「ゲノム」と「遺伝子」と「DNA」では何がどれを含んでいて、それぞれどうちがうのか、そういったことがいまいちわからない状態です(この場合、おおざっぱにいうと「ゲノム ⊃ DNA ⊃ 遺伝子」となります)。

今日は、そうした遺伝子関連の知識を分かりやすく説明しようと試みている研究室を紹介したいと思います。

京都大学理学部科学研究科の加藤和人研究室は、助教授・加藤和人先生をボスとする理学部科学研究科の研究室です。研究室の目指すところは、ヒトゲノム(ヒトの遺伝情報の全体)だとか、クローン技術だとかの生命科学情報を、ごく普通の市民たちとシェアし、生命科学の意義や問題点をともに話し合っていきましょう、といったことです(研究室サイトより)。

実践のひとつとして、研究室では「あっとゲノム」というサイトを立ち上げています。この中の「ゲノムって何?」というコーナーは、FLASHによる動画で、遺伝のしくみ、細胞内のゲノムの位置、DNAと遺伝子の違いなどを示していきます。

このサイト「ゲノムって何?」では、動画で、細胞がズームしたり、その中身が動いたりしているのを動画で目に焼き付けることができます。これで、かなり頭の整理はされるんじゃないかと思います。ああ、スッキリしました。

科学の知識について、一旦は新聞とか本とかを読んで理解しても、またしばらく経つとそれを忘れてしまい、結局元の木阿弥になってしまうというケースはけっこうあるんじゃないかと思います(私もそれでずっと悩んでます)。「あっとゲノム」は、動く画面を見て知ることの有用性を示してくれます。

朝日新聞3月12日付「『ゲノム』の理解は15% 山梨大教授ら調査」の記事全文はこちら。
http://www.asahi.com/science/news/TKY200603110292.html
加藤和人研究室のサイトはこちら。
http://www.zinbun.kyoto-u.ac.jp/~kato/index.html
動画「ゲノムって何?」がわかりやすい、「あっとゲノム」のサイトはこちら。
http://www.zinbun.kyoto-u.ac.jp/~kato/atgenome/index.html
| - | 22:25 | comments(0) | trackbacks(0)
マイティ・マウスが復活


修理に出していたアップルのマイティ・マウスが再び使えるようになりました。

宅急便の不在連絡票をもらっていたのが3月8日。2月24日にビックカメラに修理に出したときは「3週間くらいお時間をいただきます」と言われていましたが、2週間もしないうちに戻ってきました。

さっそくパッケージを空けてみると、マウスがビニル袋の中に入っていて、マウスとパソコンをつなぐUSBケーブルもきちんとたたまれています。どうやら、このマウスは使っていたそのものではなく、交換されたもののよう。修理報告書を見てみるとやっぱり。「Mighty Mouseを交換しました」と書いてあります。

下スクロールが効かなくなるという今回の症状は、多くの人も同じように困っているとのこと。だから交換したマウスもまたしばらく使っていれば故障するんでしょう。アップルが修理ではなく交換をしたのは、その症状が現れるまでの期間が、修理品と交換新品とでは、交換新品のほうが長いからではないかと思います(いちいち修理するよりも交換しちゃったほうがマシという魂胆?)。

保証期間は、初代マウスを買った日から1年間。今年の9月までです。となると、8月ごろにもう一度壊れて修理に出す、というのがもっとも理にかなった未来予想図ということになるのでしょうか!?
 
マウスも消耗品つまりは使い捨ての時代になってきているということでしょうか。ちょっと腑に落ちないところもあるけれど。
| - | 16:31 | comments(0) | trackbacks(0)
つくばで見つけたフリーペーパー3紙


筑波大学の著者の先生とうちあわせをするために、つくばに行きました。

著者の先生が会議が入ったとのことで、1時間の空きが。そこで目についたのが、つくば駅に置いてあったフリーペーパーです。なんと沿線情報誌だけで3紙もあったので、それを読むことにしました。


『つくばエクスプレス特集』は東京新聞と茨城新聞の合同発行。茨城県全体のエリア別の見所を載せた記事や、つくばエキスプレス沿線のお店、公園、施設などを紹介しています。浅草と秋葉原が特集記事もあって、3月9日にオープンしたIT拠点「秋葉原クロスフィールド」の紹介なども。つくばエキスプレスは茨城、千葉、埼玉、東京をまたに掛けますが、やはり始点と終点のある茨城と東京を大きく取りあげています。なんとなくですけど、紙面からは『東京ウォーカー』的な雰囲気がちょっと漂います。



『City Opera』は常陽新聞新社発行のタブロイド版。特集ページ(今回のは守谷市をチャリンコで廻ろうというものと、なぜかスリランカの紹介)と、いろんな連載コーナーから成ります。社会派の記事もあって、例えば「空虚な国会メール騒動」という記事では、「猛省を促したい」「あり得ないと分かるだろう」「ちゃんと調べないからおおやけどする。」などと、この記者、永田議員をこき下ろしてます。またその隣の記事は「税金無駄使いの象徴」という見出しで、つくば市が昨年小・中学校に設置した小型風車が「いつ見ても回っていない」「本当に発電しているのか」などと批判を受けているという記事。全体としてはタウン情報紙の雰囲気ですが、硬派な一面を覗かせています。



『沿線リビングつくばエクスプレス編』はサンケイリビング新聞社発行のタブロイド版。今回の特集は「TX沿線ラーメン紀行」です。沿線10店のラーメン店を紹介。うまそうです。他に、つくばエクスプレス沿線の梅まつりを紹介した特集なども。つくばエクスプレス沿線の情報と、それ以外の関東各地(たとえば西武沿線や京急沿線)の情報とが混在しています。西武沿線情報とかは、たぶん『つくばエクスプレス編』以外のバージョンでも共通で掲載しているのでしょう。記事と宣伝がボーダーレスの、ごった煮的情報紙です。

関東では、リクルートの『R25』や、東京メトロの『metropolitana』など、しっかりと読ませるフリーペーパーがブーム。つくば駅におかれているだけでも3紙が競合しているとは。タダだから読んでもらえるという時代はすでに過去のもののようです。

つくば駅のフリーペーパー置き場は、きっぷ売り場と改札の間にあります。
| - | 22:00 | comments(0) | trackbacks(0)
講談社、ブルーバックスの2冊を回収
講談社ブルーバックスの2冊『科学史から消された女性たち』『早すぎた発見、忘れられし論文』に、他の本や論文からの盗用があったとして、回収されることが9日、決まりました。

各種報道は、米国で刊行された本から無断で引用した部分があったことと、国内の出版物からも不適切な引用があったことを講談社広報のコメントとして伝えています。

『科学史から消された女性たち』の発行は2005年。この本と同じメインタイトルの書籍が13年前に工作舍という出版社から発行されています。工作舍の社長が講談社に対して抗議文を出していたことが、複数のサイトからわかります。この工作舍社長からの抗議が、今回の回収と関係していることは間違いないでしょう。

同じタイトルを書籍に使ったということについては、そのタイトルを商標登録していなければ法律的に罰則は受けることはありません。もちろん心証の問題は残りますが。それよりもむしろ、工作舍社長は、当該2冊の著者が、工作舍の『科学史から…』の内容を随所に借用(盗用)しているなどとして、原著者や訳者に礼をつくさなかったことなどに対して抗議をしています。

この当該2冊の著者は、そのうちの1冊『早すぎた発見、忘られし論文』について、自著を振り返る「後記」を昨年、科学技術関連の冊子に寄稿しています。

「後記」で著者は、編集者からかなり多数のコメント付きで原稿が戻ってきたことに触れ、科学用語が、科学にあまり馴染みのない人たちにとって障壁となっていることに改めて気付かされたといった主旨のことを書いています。「場合によっては、分かりやすさという視点から文を構成しなおしたほうがスムーズに読める」として、コミュニケーターやジャーナリストが文章の分かりやすさを追究することの重要性を記して締めています。

著者が「後記」で書いていることはしごく真っ当なことであり、比喩表現の効果などについては、まったくそのとおりだと賛同できるものです。科学を伝えるためのマインドが伝わってくるものだったために、それ以前の問題である盗用を著者本人も認めているというのは、ショッキングなものがあります。

当該の2冊は合計で2万9000部を発行していたとのこと。こうした形で科学を伝える書籍が2冊姿を消していくことは残念なことです。

講談社のサイト「ブルーバックス『科学史から消された女性たち』『早すぎた発見、忘られし論文』について緊急のお知らせ」はこちら。
http://shop.kodansha.jp/bc/books/bluebacks/oshirase.html
| - | 20:57 | comments(0) | trackbacks(0)
1969年の月で(2)
1969年の月で(1)



1969年の7月は、世界が人類の月到着に歓喜沸き立っていたということが、当時の新聞の記事からも強くうかがわれます。当時の朝日新聞の記事を見てみると、「でかしたアポロ」「わきかえる地球」「人類としての感動」などという見出しが連なっています。

また、アポロ11号が月面着陸した7月21日(日本時間)のテレビ欄を見てみると、各社ともお昼の13時や14時ごろから18時頃まで特別番組を組んでいます。今日はちょっと脱線しますが、特別番組の出演者の面々を見てみましょう。
NHK 13:00-18:45「月に立つ宇宙飛行士」 久野久 竹内均 森英恵など 司会・鈴木健二アナ。
さすがはNHK。知識人や文化人で固めています。久野久は東京大学の地質学の教授。この年に亡くなっています。司会は『クイズおもしろゼミナール』の名司会ぶりでも有名だった鈴木健二。NHKはまた、20:00-21:30に「アポロアワー」として、1時間半の番組を組んでいます。アポロアワーの出演者はNHK解説委員の村野賢哉、司会は野村泰治アナ。
日本テレビ 14:00-18:00「人間月に立つ!」 藤本義一 青島幸男 坂本九 水前寺清子 谷川俊太郎 堺正章 手塚治虫など。
今も活躍中の出演者も多く、豪華絢爛な顔ぶれです。また日本テレビは夜22:00-23:00にかけて「拡大スクリーンで見る月面探検」という魅力的なタイトルで特番を組んでいます。東京プリンスホテルからの実況中継で、石坂浩二や高島忠夫が出演していました。
TBS 13:45-18:00「人類いま月に立つ」 (特別ゲスト)ニクソン大統領 ローマ法王パウロ六世 エリザベス女王 佐藤栄作など。(ゲスト)三遊亭金馬 加藤芳郎 安達瞳子など。
“特別ゲスト”と“ゲスト”に相当なギャップがあります。どう考えてもこの“特別ゲスト”の要人は現地中継かなにかで映されるだけで、スタジオゲストではないでしょう(誇大予告もいいところ)。TBSはまた夜の22:00-23:00に「月面第一歩の記録」として、特別番組を組んでいます。解説は天文学者の村山定男など。
フジテレビ 14:00-17:45「月を歩く」力武常次 長門裕之 南田洋子 前田武彦 芳村真理 木原美知子など。
地震学者の権威・力武常次から東京五輪の水泳選手だった木原美知子までバラエティ豊か。前田武彦と芳村真理は『夜のヒットスタジオ』の繋がりでしょうか。「月を歩く」という、他局にくらべてかなり先を見据えたタイトルの番組名です。万一の着陸失敗を恐れない大胆なネーミングともいえます。フジテレビは他の時間帯の特番として、18:00-18:30に「ちびっこ月世界作戦」という子ども向けの番組を編成。出演は歌舞伎の中村光輝(現在の歌昇)や前年まで初代「コメットさん」を演じていた九重祐三子。
NETテレビ 13:00-18:00「月面へ第一歩」総合司会岸本康 江上不二夫 桂小金治 北杜夫 古今亭志ん馬など。
NETテレビは現在のテレビ朝日。NETは「日本教育テレビ」の略で、このテレビ局は発足当初、教育番組をメインとした教育系テレビ局でした。昼の特別番組の他に19:00-20:00は「月をとらえた人類」として、昼間と同じ出演者で特番を組んでいます。
東京12チャンネル 14:30-18:00「人類いま月に立つ」中曽根康弘 福島正実 高木東六など。
東京12チャンネルは当時のテレビ東京です。中曽根康弘はご存知のとおり、このあと13年後に総理大臣になる人です。当時、中曽根は運輸大臣でした。この他、22:00-23:00は「ホモ・サピエンス 月を征服」という、なんともロマン溢れるタイトルの特別番組を編成。ゲストに昼間の福島正実のほか、作家の星新一などを迎えています。

テレビ番組の特番の時間帯やゲスト、そして番組タイトルから、アポロ11号に乗った宇宙飛行士が月面に到達したその日は、華やかな記念日の1日だったことが伺えます。つづく。
| - | 20:31 | comments(0) | trackbacks(0)
デジタル時代の映像づくり


内幸町のプレスセンタービルで行われた科学ジャーナリスト塾に参加。今日のゲストは関西学院大学メディア情報学科の畑祥雄先生と、同学科一期生の泉山由典さん。映像作品づくりについての講義でした。

畑先生は、千里アーカイブスステーションという”認定"NPOの代表なども勤めています。このNPOは、科学関連の映像コンテンツの情報発信源として、30種の10分番組などをインターネットで配信しています。

畑先生と泉山さんの話は科学を伝える人たちにとって非常に刺激的に感じるものでした。

「メディア」という言葉を冠した大学の学科は乱立気味。でも、関西学院大学のメディア情報学科は、今日の話を聞くかぎりホンモノです。実際学生のつくった映像は、かなりクオリティの高いものでした。

畑先生の研究室での卒業条件は卒業論文の他に映像作品をつくること。大学での映像作品づくりには、シナリオ→テクニカル講座→取材→編集といった流れがあるそうです。で、何度も畑先生が強調していたのが「シナリオ」こそ大事であるということ。

デジタル化によって、アナログの方法論を知らなくても、誰もが映像コンテンツを制作できるようになりました。なので使える技術の面ではプロもアマもほとんど差は無し。そこで、より重要になってくるのがシナリオというわけです。

"デジタル臭"漂う作品が乱立する中で、しっかりしたシナリオの作品があれば、他の作品と差別化できるとのこと。いまの日本の映像制作の現状は、繰り返される映像制作ソフトのバージョンアップにより、機械についていくのがやっとで、シナリオ重視とはほど遠いとのことです。

これまでは、音楽という学問と、映像制作という学問は結びついたことがありませんでした。映像の中の音楽というものがあまりに軽視されてきたからです。ところが、最近は音楽畑から入った人が映画監督をやっているケースもあるくらい。映像と音楽は切っても切れない融合的な関係であることに気付いてほしいと畑先生。

実際、畑先生とともにプレゼンした泉山さんの音楽入り映像を見させてもらいましたが、見事に音楽と映像とマッチしてました。映像をつくった後に音楽を載せるという時代から、いまは、音楽と映像を同期させながらコンテンツをつくっていく時代なのだそうです。

畑先生の「芸術センスはすべて後天的なもの」という言葉が印象的でした。いろんなよい芸術に触れてこそ、センスも身に付いていくものだということです。

教育内容とその成果物の質の高さを感じた畑先生の話でした。海外の科学番組「ディスカバリーチャンネル」を超えた映像をつくり、それをコスト的に有利なインターネットで配信する…。畑先生の夢は膨らみます。

「関西学院大学メディア情報学科」の紹介サイトはこちら(畑先生テイストは感じられませんが)。
http://www.ksc.kwansei.ac.jp/02_department_intro/02_fm_department_intro.html
認定NPO「千里アーカイブスステーション」のサイトはこちら。
http://www.s-a-station.org/
泉山由典さんのマイページはこちら。
http://players.music-eclub.com/?action=user_detail&user_id=75252
| - | 23:25 | comments(0) | trackbacks(1)
脳内そろばん


小泉政府の教育特区の試みが、広がりを見せています。地域限定的に公立小学校で英語の授業などをしていたものを全国にも広げていく提案をするそうです。

教育特区の試みの中で、一風変わったものを見つけました。尼崎市の「計算特区」です。ここでの「計算」とは「そろばん」のこと。市内の小学校に「そろばん」の授業を取り入れましょう、というもの。

尼崎市はそろばんの授業の意義として「安易に機器に依存せず、本来人間が持ちうる能力を活動の基礎とできるような教育の充実が必要」と謳い、また、そろばんの効果として「右脳の発達につながる」や「定量的作業の繰り返しによる持久力の向上」などを挙げました。

「持久力の向上」は、別にそろばんでなくても、座禅特区とか、マラソン特区とかでも身につくでしょう。ここで注目するのは「右脳の発達」です。そろばんと右脳の発達。どんな関係があるんでしょ?

以前編集した本で、“暗算の天才”への取材を著者にしてもらったことがあります。その天才は19桁の足し算をものの3秒くらいでやってしまうという才能の持ち主。それで、彼女の脳内を調べてみると、暗算中に、ふつうの人とちがって右脳が活発に活動していることがわかりました。

じつはこの天才、暗算をする以前はそろばんを使った計算の特訓を父親のススメでしていました。

娘のそろばんの上達振りを見た父親はある日、この子はそろばん無しでも計算ができるんじゃと気付き、試しにさせてみたところ、これが案の定。そろばんなしの暗算でぐんぐん計算問題を解いていきました。

彼女の話によれば、暗算中、彼女の頭の中には、もう一つの“イメージとしてのそろばん”が存在しているそうです。これを“脳内そろばん”とよびましょう。

彼女が計算をするときは、“脳内そろばん”を“脳内の画面”のなかで使います。右脳はイメージを司る領域。そのため、“脳内そろばん”をはじくたびに、彼女の右脳は活性化されていたのです。

こうした“脳内そろばん”は、じつは多くの暗算の達人ももっているそうです。けれども他の達人とちがって天才の彼女がすごいのは、その“脳内そろばん”のイメージを拡大したり縮小したりできること。

たとえば、パソコンで絵を見るとき、画面に入りきらないと上下左右にスクロールさせる必要がありますね。並みの暗算達人は“脳内そろばん”が拡大・縮小しないので、計算する桁数が大きくなると“脳内画面”から“脳内そろばん”がはみ出てしまいます。そこで頭を左右にスイングさせて、“脳内画面”をスクロールさせ、“脳内そろばん”の必要な場所をイメージして続きの計算をするそうです。

一方、天才には拡大・縮小機能が備わっているため、頭をスイングさせる必要なし。計算もより速くできるのでしょう。

暗算までは行かないでも、そろばんをパチパチはじいていれば、計算のプロセスが視覚化されて、それが右脳を活発に刺激し、右脳の発達につながるといったことのようです。

さて、尼崎市の計算特区。新聞記事などでは、そろばんの授業を受けた4割以上が「計算が速くなった」と自信をつけるなどの効果が表れているとのこと。今後は、実施する小学校の数をさらに増やしていくようです。

そろばんの授業が増える分、算数などの授業が減ります。でも、『計算力を強くする』などで知られる塾経営者・鍵本聡先生いわく「数学におけるそろばんや計算の能力の関係は、野球における足の速さのと同じようなもの」。なるほど。算数や数学の基礎を養うという意味では、そろばんの授業は価値あるものなのかもしれません。

参考文献
『天才とはなにか?』森健著
| - | 22:11 | comments(0) | trackbacks(1)
スポーツ選手の心理


東京都総合組合保険主催のミニマラソン大会に出場、品川区の勝島(大井競馬場の近く)で10キロ走ってきました。職場のみなさん、応援どうもありがとうございました。

この大会は、各業種の健康保険組合が開いているロードレース大会を走った人が出場する代表レースです。

結果は約150人中55位。50分近くかかってしまいました。ここ2週間、練習らしい練習をまったくしていなかったので、もろにその影響が出ました。もうクタクタです。

1位〜3位は鉄鋼健保、運輸健保、金型健保と、なんとなく強そうな雰囲気漂う業種の選手たちが名を連ねていました。

よく、マラソン中継で解説の金哲彦さんとかがデッドヒートを繰り広げている選手について「ここで、食らいついていけばいいタイムが出ますよ」と言ったり、優勝した高橋尚子選手が「沿道のみなさんが応援してくれたので頑張ることが出来ました」と言ったりしますね。

テレビを観ていたときは「それって、どれほどのもんなんだろうな」と半信半疑で思っていたもんですが、実際走ってみると、並走する人の存在も、沿道の拍手も両方ともとてもありがたいものとほんとに感じます。すぐ前の人に離されないように走っていれば、その間はそのことだけに集中できるし、また沿道の誰かに走りを見られているというだけで、とりあえずその場ははりきってしまうもんです。

同じように「それって、どれほどのもんなんだろうな」と感じているのが、サッカーなどの「ホームが有利でアウェイが不利」という常識です。解説者も監督も選手も誰もが「アウェイは不利なのはあたりまえのこと」という前提で話をしますね。

もちろんアウェイでも選手たちはアウェイでのベストを目指してプレイするのでしょう。でも、「ホームだから有利に戦える」と思うのとちがって、「自分たちはアウェイでこそ力を発揮できるんだ」と考えるまでには至りません。事実、アウェイの方が長時間の移動や時差、さらにサポーターの少なさなどもあって、肉体的にも心理的にも負の影響があるのは事実なんでしょう。

身近な例で喩えれば、取引相手を自社に迎えて交渉するか、それとも先方に出向いて交渉するかといった感覚と似ているのでしょうか。

アウェイのときのほうがよくゴールを決めるストライカーとか、ビジター試合のほうが打率が高いようなバッターなどには、「ホームでも頑張れよ」とも思ってしまう向きもあるでしょうが、なぜ、ビジターのほうがよい成績を残すのかといった点については、その選手の肉体面や心理面などを分析してみる価値があるのではないかと思います。

野球ではワールド・ベースボール・クラシックで日本代表はアジア予選突破が決まり、次は敵地で米国代表と戦います。昨年の日本シリーズでマリーンズが甲子園のタイガース(と観客)相手に見せたような「アウェイでの強さ」を見せてくれるのか、いまから楽しみです。
| - | 18:26 | comments(0) | trackbacks(0)
高校数学の性格2 答えがごく限られている


高校数学は与えられた問題を解けてなんぼの世界。で、その問題に対する答えは、答え方がごく限定されているといえるでしょう。

数学では、答が「x=2」だったら、ただそれだけです。「x=2」が正解の問題に、「x=3」と答えたら不正解。もし「x=2」も「x=3」も正解となるのなら、「x=2,3」とか「2≦x≦3」などという答が用意されているのでしょう。ともあれ、1個の決められた答え方で答えないとなりません。

他の教科でも、漢字の書き取り問題とかでは、同じようにただ一つの正解だけを答えるものは見受けられます。けれども「『○肉○食』の中に漢字を入れて、四字熟語を完成させなさい。」といった問題では、「弱肉強食」と答える他に、「焼肉定食」とか「鶏肉定食」とかとしても、漢字四字を使った“熟語”である以上、不正解とは言いきれなくなります(出題者は「弱肉強食」という答をもっとも望んでいるだろうけれど)。受験生は1個だけ答えれば正解になるのであって、「弱肉強食 または 焼肉定食 または 鶏肉定食」と答える必要はありません。

高校数学の答の限定性には、結果としての正の部分と負の部分があると思います。

こうした数学の性格は、受験生に少なくとも不正解でも納得のいく試験を提供することが出来ます。「x=2ならば正解。それ以外は不正解」というように、受験生にとっては誰もが「自分は正解だった」または「不正解だった」と納得がいくからです。こうしたことから、数学の試験は、センター試験などのマークシート式との相性がよいといえるでしょう。

これが国語の試験問題などとなると、「筆者の主張はどのようなものか、次の1〜4の中から答えよ」などと行った問題が出て、受験生はいろいろと迷った挙げ句「これかな」と思うものを答えますね。で、不正解になったときに「そうかなあ。2のほうが正しいと思うんだけれどなあ」といった未練が心に残る場合もあります。しかも、自分の文章が出題されていたのを見つけた作家さんがエッセイなんかで、「私にはどれも正解があるとは思えない」なんて書いているのはよく目にすることです。

さて、負の面は、求める正解が厳密に限られているために、その答えに向かって進むしかないという窮屈さです(数学が苦手だった私は、それを昔から感じていました)。

もちろん正解に至るまでの解法はさまざまあるかもしれませんが、文系の論述試験のように「あれも答えておこう、これも答えておこう」といった様に、必要ないかもしれないことについてもまあ冗長に答えておいて、保険をかけておくといったことはできないわけです。このようなことから、私の中では数学とは、かなり「ストイック」な教科であるというイメージがあるんです。

「高校数学の性格1 ルールが厳密」はこちら。
http://sci-tech.jugem.jp/?eid=27
| - | 22:16 | comments(0) | trackbacks(6)
1969年の月で(1)


先日「はやぶさ」についての話をしました。はやぶさのおもなミッションは、小惑星イトカワに軟着陸し、そこで岩石を採取して、地球に帰還するというものです。岩石を採取できたのか、また、地球に帰ってこれるのかはまだかなりあやしい状況。現在はやぶさは、満身創痍の身体ながら、地球に向かって遠い家路についているところです。

天体への軟着陸、岩石採取、さらには地球への帰還というはやぶさのミッション。このミッションが、いまから37年前の、月を舞台にしたとある出来事にわれわれを誘います。

いまから37年前、1969年の7月20日。この日は、アポロ11号に乗った宇宙飛行士ニール・アームストロングとバズ・オルドリンが人類史上初めて月に降り立った記念の日です。アームストロング船長の「これは一人の人間には小さな一歩だが、人類にとっては大きな飛躍だ(That's one small step for a man, one giant leap for mankind.)」という言葉は、いまも宇宙開発の歴史に焦ることなく輝き続けます。アポロ11号の功績は20世紀の人類の果たした大イベントのひとつとして語りつがれています。

けれども、この歴史的業績とほぼ時を同じくして、アポロ11号とは別の宇宙探査機が、同じ月を目指して宇宙を飛んでいたという事実を知っている人はそう多くはありません。アポロ11号乗組員の月到着が達成された7月20日の7日前、ソ連の月探査機が月面付近を周回軌道に乗って飛んでいたというのがその事実です。

このソ連の探査機は名前を「月(ルナ)15号」と言います。「月15号」の番号からわかるように、探査機「月」はそれ以前に1号から14号が作られ、その都度月に向かって打ち上げられていました。第1弾である「月1号」がソ連の領内から月に向かって飛び立ったのは1959年1月2日。ところが月1号は月を大きく逸れてしまい、しまいには地球と同じように、太陽のまわりをまわリはじめました。こうしたことから、月1号は世界初の「人工惑星」とよばれています。その後もソ連の「月計画」は進み、同じ年の10月4日に打ち上げられた「月3号」は、史上初めて月の裏側の撮影に成功。1966年2月3日打ち上げの「月9号」は、史上初めて月面軟着陸に成功しました。続く3月31日打ち上げの「月10号」は、史上初の月軌道周回に成功。こうしてソ連の月計画は、いくつかの「史上初」の偉業をおさめていきました。こうした「月」シリーズの流れの中に「月15号」は位置します。

「アポロ11号」という輝かしい名前に比べると、「月15号」という探査機の名は一般にはあまり知られていません。1969年当時、日本は完全に西側陣営の社会に組み込まれており、ソ連からの情報がきわめて限られていました。当時、アポロに比べたら月15号への注目の度合いは各段に低いもので、現在、月15号がアポロ11号と同時に月の近くを飛んでいたことを覚えている人はあまりいないようです。

こうした社会背景とはまた別に、当時「月15号」があまり注目されなかった明快な原因もあります。それは、アポロ11号が人を乗せていたのに対して、ソ連の月15号は人を乗せていなかったということ。月15号はもともと人を乗せることを意図していない、無人の月探査機だったのです。私たちが毎晩のように見ているあの月に、同じ人間がいま向かっているんだと思うことと、機械が向かっているんだと思うこと。単純にセンセーションの度合いを比べれば、軍配は明らかに前者に上がります。

人を乗せて月を目指すことと、人を乗せないで月を目指すこと。このちがいは、当時の米国・ソ連両国の宇宙開発政策の一端を表しています。米国はケネディ大統領の「1960年代に人類を月に送る」という強烈な旗印の下、アポロ計画を集中的に進めていました。一方、月探査という同じゴールを目指して米国とデッドヒートを繰り広げていたソ連ではありましたが、かならずしも宇宙開発の目的が月への有人着陸だけに定まっていたわけではありませんでした。アメリカが叩きつけた挑戦状を真正面から受けて立つのか、それとも、独自の路線をひた歩むのか、ソ連の決定はそのどちらともいえない中途半端なものだったのです。これがソ連が月探査で遅れをとる要因になりました。1969年までには度重なるロケット打ち上げ失敗もあり、ソ連は人間を最初に月に遣ることについてはあきらめ、米国にその道を明渡していたと見られていました。

月に人間を遣るというレースの勝敗はほぼ決していたにもかかわらず、それでもなぜソ連は月15号をあえてアポロ11号と同じ時期に月に向かわせたのでしょう。

残念ながら私は、アポロ11号と月15号が月面を目指していた頃はまだ生を授かっていませんでした。そこで、次回からは、当時の新聞を拾いながら、アポロ11号の影に隠れた、月15号の動きを追いかけることにしたいと思います。つづく。
| - | 20:55 | comments(0) | trackbacks(0)
環境問題の懸賞論文


玉川大学通信教育部に応募していた環境に関する懸賞論文が入選しました。やったぜ!

玉川大学通信教育部は、私が司書資格取得のために受けている通信制の学部です。去年の夏ごろ論文を募集していることを知り、学費払っているのだから、賞金でちょっと取り戻そうかという貧乏根性で応募しました。

送った後、ずっと音沙汰なかったので、だめだったかとあきらめていたところ、書留が届いて結果を知りました。

論題は「環境問題情報のメディア・シェアリング」。本の編集をしているので、論文のテーマの「環境」を、職業と結びつけられないかなと思いました。で、環境問題をテレビや新聞や本などのそれぞれのメディアはどう伝えていくべきかといったことを書いたわけです。

それぞれのメディアには“受動性”と“能動性”があると考えています。例えば、テレビはつけっぱなしでもどんどん情報が入ってくるから受動的。本は本屋まで買いに行って、なおかつ自分の目で読んで理解しなければならないから能動的、といった具合に。

人びとに環境問題をより知ってもらうために、そうした各メディアの特性をどう使うのが効率的なのか、といったことを書きました。本の編集をしている職業上、書籍メディアについては、ちょっとひいき目に書いてしまったかもしれません。

以下のリンク先に論文を掲載させていただきます。ご声援ありがとうございました。
続きを読む >>
| - | 21:18 | comments(0) | trackbacks(2)
CALENDAR
S M T W T F S
   1234
567891011
12131415161718
19202122232425
262728293031 
<< March 2006 >>
SPONSORED LINKS
RECOMMEND
フェルマーの最終定理―ピュタゴラスに始まり、ワイルズが証明するまで
フェルマーの最終定理―ピュタゴラスに始まり、ワイルズが証明するまで (JUGEMレビュー »)
サイモン シン, Simon Singh, 青木 薫
数学の大難問「フェルマーの最終定理」が世に出されてから解決にいたるまでの350年。数々の数学者の激闘を追ったノンフィクション。
SELECTED ENTRIES
ARCHIVES
RECENT COMMENT
RECENT TRACKBACK
amazon.co.jp
Billboard by Google
モバイル
qrcode
PROFILE