「大鴨脚樹(おおいちょう)」とは、鶴岡八幡宮の石段の脇にあるイチョウのこと。長いことこの神社を象徴する木となっていましたが、2010(平成22)年3月10日未明、根本から倒れているのが見つかりました。折からの強風によるものとみられます。
鶴岡八幡宮の源流は、平安時代中期の武将だった源頼義(988-1075)が1063(康平6)年、石清水八幡宮を勧請した、つまり移しまつったことにあります。頼義が建てたその神社の場所はというと鎌倉の海寄りのほう。いまの鎌倉市材木座にあります。建立から100有余年の1180(治承4)年、頼義の5代後の源頼朝(1147-1199)の手で、いまの鶴岡八幡宮の地に神社が移されたのです。そのため源流にあたる頼義の建てた神社は「元八幡」とよばれています。
鶴岡八幡宮の一の鳥居。源頼朝が社を移したとき木で建てられました。木づくりから石づくりになったのは、江戸幕府の第二代将軍だった徳川秀忠(1579-1632)と結婚した崇源院(1573-1626)が願ったためとされます。
二の鳥居。鶴岡八幡宮境内にある若宮社殿へと向かう目抜き通り「若宮大路」の起点です。
三の鳥居。奥に見えるは鶴岡八幡宮の舞殿。その奥には本宮の姿が。
鶴岡八幡宮は、この神社の別当つまり長だった公暁(1200-1219)が、鎌倉幕府第三代将軍だった源実朝(1192-1219)を暗殺した舞台でもあります。公暁は、幕府第二代将軍だった源頼家(1182-1204)の第三子。八幡宮の別当の座にありながら、自分もいずれ将軍の座に就くという望みを抱いていたようです。実朝に後継となる嫡子がいなかったことからその可能性はあったかもしれません。ところが、実朝が後継を京にいる後鳥羽天皇(1180-1239)の家系に求めていることを公暁は察し、そうだとしたら自分の将軍就任の道が絶えてしまうと悟り、実朝を殺してみずから第四代将軍となる意を決しました。幕府側からみれば、血迷ったとしかいいようがないでしょうが。
暗殺決行の時は1219(建保7)年1月27日夜。雪が深く積もっていたといいます。公暁は、実朝が右大臣拝賀の儀で八幡宮を訪れたのに乗じ、太刀で実朝の首を斬りました。上の写真は、公暁が斬首のとき幕府方の列座に向かって「父の敵を討つ」と叫んだとされる上宮の砌(みぎり)つまり軒下からの眺め。公卿の父の頼家は、将軍の座を幕府初代執権だった北条時政(1138-1215)らに奪われたのち誅殺されたことから、幕府側の最高位にいる実朝も敵とみなし「父の敵を討つ」と表したのかもしれません。
実朝の首を斬ったあと、公卿はわが味方と信じてうたがわなかった三浦義村(生年不明-1239)と合流するはずでした。義村からの迎えを待っていたものの遅く、ついに公暁は本宮の裏にある大臣山にのぼって、みずから義村亭をめざすことにしました。ところが、公暁は義村に裏切られてしまいます。義村から討手に指名された長尾定景(生没年不明)にあえなく斬首され、命を落としました。実朝を殺して自分が将軍になるという夢は、実朝暗殺からわずか数時間のうちにはかなくも絶えました。
公暁に暗殺された実朝の墓は、暗殺の場から西に700メートルほど、寿福寺の境内の崖を切りぬいた「やぐら」に置かれています。すぐ側には、実朝の母にあたる北条政子(1157-1225)の墓も並びます。では公卿の墓のほうはというと、現存しません。
実朝なきあと、鎌倉で政府の実権を握る北条家と、京で朝廷に君臨する天皇家は急速に関係を悪化させます。天皇を後代に攘夷した後鳥羽上皇は、鎌倉幕府打倒を試みたものの失敗。隠岐島へと流され、最期を迎えました。鶴岡八幡宮には、本宮のさらに北に「今宮」とよばれる社が建てられています。これは、この「乱」を首謀した後鳥羽上皇はじめ三天皇の霊をなだめるため鎌倉幕府が1247(宝治元)年に建てたもの。
2010年に倒れた「大鴨脚樹」から若芽が吹きました。この若芽が八幡宮の宮司たちの手で大切に育てられ、大鴨脚樹と階段にはさまれたところで背を伸ばしています。強い生命力をもつイチョウと、その生命力を信じて再生を誓う人びとと……。
じつは、公暁が「大鴨脚樹」に隠れていたというのは創りばなしとも。「大鴨脚樹」の樹齢は2010年に倒木した時点で1000年ほど。暗殺のあった1219年、まだこのイチョウは、公暁が隠れるには細すぎる若木だったはずです。公暁が暗殺を企てていたころのイチョウの姿は、むしろ再生のため育てられているいまのイチョウの姿に近いものだったのではないでしょうか。
建樹先生。本宮の砌からの鎌倉の眺めはいかがでしたか。
参考資料
坂井孝一『源実朝』
https://www.amazon.co.jp/dp/B00MOYKK96/
坂井孝一『源氏将軍断絶』
https://www.amazon.co.jp/dp/B08QHGMZPY/
百科事典マイペディア 「鶴岡八幡宮」
https://kotobank.jp/word/鶴岡八幡宮-99577
鎌倉観光公式ガイド「由比若宮(元八幡)」
https://www.trip-kamakura.com/place/9.html
鶴岡八幡宮「武士の都・鎌倉の文化の起点」
https://www.hachimangu.or.jp/knowledge/
精選版 日本国語大辞典「後鳥羽天皇」
https://kotobank.jp/word/後鳥羽天皇-65564
日本経済新聞 2010年4月10日「大銀杏再生、ここまでやる 鶴岡八幡宮が3つの方法で挑戦」
https://www.nikkei.com/article/DGXNASDG09029_Q0A410C1CC0000/