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1969年の月で(1)


先日「はやぶさ」についての話をしました。はやぶさのおもなミッションは、小惑星イトカワに軟着陸し、そこで岩石を採取して、地球に帰還するというものです。岩石を採取できたのか、また、地球に帰ってこれるのかはまだかなりあやしい状況。現在はやぶさは、満身創痍の身体ながら、地球に向かって遠い家路についているところです。

天体への軟着陸、岩石採取、さらには地球への帰還というはやぶさのミッション。このミッションが、いまから37年前の、月を舞台にしたとある出来事にわれわれを誘います。

いまから37年前、1969年の7月20日。この日は、アポロ11号に乗った宇宙飛行士ニール・アームストロングとバズ・オルドリンが人類史上初めて月に降り立った記念の日です。アームストロング船長の「これは一人の人間には小さな一歩だが、人類にとっては大きな飛躍だ(That's one small step for a man, one giant leap for mankind.)」という言葉は、いまも宇宙開発の歴史に焦ることなく輝き続けます。アポロ11号の功績は20世紀の人類の果たした大イベントのひとつとして語りつがれています。

けれども、この歴史的業績とほぼ時を同じくして、アポロ11号とは別の宇宙探査機が、同じ月を目指して宇宙を飛んでいたという事実を知っている人はそう多くはありません。アポロ11号乗組員の月到着が達成された7月20日の7日前、ソ連の月探査機が月面付近を周回軌道に乗って飛んでいたというのがその事実です。

このソ連の探査機は名前を「月(ルナ)15号」と言います。「月15号」の番号からわかるように、探査機「月」はそれ以前に1号から14号が作られ、その都度月に向かって打ち上げられていました。第1弾である「月1号」がソ連の領内から月に向かって飛び立ったのは1959年1月2日。ところが月1号は月を大きく逸れてしまい、しまいには地球と同じように、太陽のまわりをまわリはじめました。こうしたことから、月1号は世界初の「人工惑星」とよばれています。その後もソ連の「月計画」は進み、同じ年の10月4日に打ち上げられた「月3号」は、史上初めて月の裏側の撮影に成功。1966年2月3日打ち上げの「月9号」は、史上初めて月面軟着陸に成功しました。続く3月31日打ち上げの「月10号」は、史上初の月軌道周回に成功。こうしてソ連の月計画は、いくつかの「史上初」の偉業をおさめていきました。こうした「月」シリーズの流れの中に「月15号」は位置します。

「アポロ11号」という輝かしい名前に比べると、「月15号」という探査機の名は一般にはあまり知られていません。1969年当時、日本は完全に西側陣営の社会に組み込まれており、ソ連からの情報がきわめて限られていました。当時、アポロに比べたら月15号への注目の度合いは各段に低いもので、現在、月15号がアポロ11号と同時に月の近くを飛んでいたことを覚えている人はあまりいないようです。

こうした社会背景とはまた別に、当時「月15号」があまり注目されなかった明快な原因もあります。それは、アポロ11号が人を乗せていたのに対して、ソ連の月15号は人を乗せていなかったということ。月15号はもともと人を乗せることを意図していない、無人の月探査機だったのです。私たちが毎晩のように見ているあの月に、同じ人間がいま向かっているんだと思うことと、機械が向かっているんだと思うこと。単純にセンセーションの度合いを比べれば、軍配は明らかに前者に上がります。

人を乗せて月を目指すことと、人を乗せないで月を目指すこと。このちがいは、当時の米国・ソ連両国の宇宙開発政策の一端を表しています。米国はケネディ大統領の「1960年代に人類を月に送る」という強烈な旗印の下、アポロ計画を集中的に進めていました。一方、月探査という同じゴールを目指して米国とデッドヒートを繰り広げていたソ連ではありましたが、かならずしも宇宙開発の目的が月への有人着陸だけに定まっていたわけではありませんでした。アメリカが叩きつけた挑戦状を真正面から受けて立つのか、それとも、独自の路線をひた歩むのか、ソ連の決定はそのどちらともいえない中途半端なものだったのです。これがソ連が月探査で遅れをとる要因になりました。1969年までには度重なるロケット打ち上げ失敗もあり、ソ連は人間を最初に月に遣ることについてはあきらめ、米国にその道を明渡していたと見られていました。

月に人間を遣るというレースの勝敗はほぼ決していたにもかかわらず、それでもなぜソ連は月15号をあえてアポロ11号と同じ時期に月に向かわせたのでしょう。

残念ながら私は、アポロ11号と月15号が月面を目指していた頃はまだ生を授かっていませんでした。そこで、次回からは、当時の新聞を拾いながら、アポロ11号の影に隠れた、月15号の動きを追いかけることにしたいと思います。つづく。
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