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三日月湾「ホテル三日月の湾」にあらず

千葉県勝浦市にある宿泊施設「勝浦ホテル三日月」で配られている「南房総勝浦ガイド」という地図には、地名情報のひとつとして、つぎのように湾の名前が書かれています。

「勝浦湾(三日月湾)」


勝浦ホテル三日月「南房総勝浦ガイド」より

海の名前をめぐっては、日本が「日本海」とよぶのに対し、べつの国が「東海」とよぶといった例があるように、“よび主”の思惑が見えかくれしがちなものです。

では、「勝浦湾」にかっこ書きされている「三日月湾」についてはどうでしょうか。

ホテル三日月は勝浦湾に面していて、この宿泊施設から湾を広く眺めることができます。また、施設のすぐ外に広がる砂浜は、ホテル三日月が「勝浦ウォーターアイランド」とよんで運営する、有料の海水浴場となっています。

これらのことから、「三日月湾」という地図にあるよび名に、ホテル三日月の「この湾はホテル三日月あっての湾だ」という自負心あるいは商魂のようなものを感じる人もいるかもしれません。

しかし、じつのところ、そういうことでないようです。勝浦ホテル三日月が建てられるよりも前から、勝浦湾は「三日月湾」ともよばれていました。

勝浦ホテル三日月が開業したのは1961(昭和36)年。その48年前の1913(大正2)年に篠原新軒という人物が編した『勝浦案内』という本には、「勝浦灣は三日月灣 叉は鳴鹿の海と稱す」とあります。

では、どうして勝浦湾を「三日月湾」と称するのか。篠原はこの本のなかで、鎌倉時代後期の私撰和歌集『扶木集』(夫木和歌抄)の載っているつぎの和歌を引いています。

 弓張の月の宿れる底を見て
  鳴鹿の海にあまの入(いる)らむ

「弓張の月」は弓のようなかたちをした月。光輝く月が、勝浦の海の底まで届いていたのでしょう。この海の底の月を見ながら、「海人(あま)」が漁のため海に入っていったのでした。「あま」には「天(あま)」もかかっているのかもしれません。

「弓張月」は、上弦の月または下弦の月をさすため、厳密には、より細いかたちの「三日月」とは異なるものです。しかし、古来から、弓のかたちをした月の姿が似あう湾だったことが、篠原の著書からうかがえます。「三日月湾」のよび名も、こうした歌からきているのではないでしょうか。

ホテル三日月をめぐる歴史を開業前までさかのぼると、旅館業を営んでいた小高鶴治が、大正時代に経営していた「三日月自動車合資会社」という乗合馬車の会社にたどり着きます。本社を勝浦に置き、勝浦湾つまり三日月湾を臨む外房一帯で交通サービスを提供していたことからすると、この「三日月自動車」の社名も「三日月湾」と無縁ではないでしょう。

「ホテル三日月」という宿泊施設があるから「三日月湾」というよび名ができたのではなく、「三日月湾」というよび名があったから「ホテル三日月」という名の宿泊施設ができた、というのがこのふたつの関係のようです。

そして、「三日月湾」というよび名があるからには、ホテル三日月がみずから発行する地図に「勝浦湾(三日月湾)」と記すのも自然なことです。

参考資料
篠原新軒『勝浦案内』
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/932557/21
ウィキペディア「ホテル三日月」
https://ja.wikipedia.org/wiki/ホテル三日月

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