科学技術のアネクドート

<< 「似た海岸線」は偶然で必然 | main | 「光と影」描いて異彩を放つ >>
「取材した人にまた取材することはあまりない」と記者

写真作者:Ethan

雑誌やインターネットニュースなどの記事の多くは、記者の取材をもとにつくられています。取材とは、記者などがつくる記事の主題に合った研究者や当事者の話を聞くなどして材料をとることを指します。

ある自由業の記者は、こんなことをぼそっと言います。

「どなたかに取材するでしょう。それで記事をつくるでしょう。その後、その方に、ふたたび取材するかというと、あまりないんですよねぇ」

つまり、その人に対する取材は、その記事づくりのための一度きりということが多く、新たな記事をつくるごとに、その人にふたたび取材をするということはすくないというわけです。

もちろん、その人に取材するのがふさわしい記事を、いくつもの媒体で何度もつくるといったことはそう多くありません。そこからすると、二度、三度とその人に取材をする必然性は高くはなさそうです。

こうした事情に加えて、この記者はその人への取材が一度きりになることが多い理由を、つぎのようにも話します。

「一度だけなら取材に応じてくれるかもしれないが、二度、三度となると嫌がられやしないかという、うしろめたさがあるのかもしれませんね」

どうやらこの記者には、「相手に取材を受けてもらうことに利はない」という考えのもとで取材を申しこんでいるようです。

基本的に、自由業の記者が申しこむ取材は、取材対象者に謝金を払うといったような、お金のやりとりは生じません。謝金はなしで応じてもらうことになります。

すると、一度目は“だめでもともと”で取材を申しこんで、応じてもらえることはあります。しかし、その後またおなじ人に謝金なしで取材を申しこむとなると、気が引けてしまうということのようです。「また1時間も2時間も時間をつくってもらって、原稿ができるまでに何度かやりとりさせてもらうということを思うと、どうも腰が重くなってしまい……」。

「だったら、またべつの人に対してのほうが、よほど気楽に取材を申しこみできます。自分の場合はですが……」

記者のなかには、一度目の取材でその取材対象者ととても親しみ深くなり、その後もなにかあるごとに連絡したり、ふたたび取材を申しこんだりする人も、もちろんいることでしょう。

また、取材対象者に謝金を払う媒体で記事をつくっている記者は、「お金で時間をとってもらう」という意識によって、たびたび取材を申しこむことにあまり負担感を覚えないかもしれません。

こうした事情とはまたべつに、取材というおこないに対する記者の考えかたが、その人への取材が一度きりか、二度、三度とつづくかにかかわってきそうです。
| - | 18:08 | comments(0) | -
コメント
コメントする









CALENDAR
S M T W T F S
  12345
6789101112
13141516171819
20212223242526
27282930   
<< September 2020 >>
SPONSORED LINKS
RECOMMEND
フェルマーの最終定理―ピュタゴラスに始まり、ワイルズが証明するまで
フェルマーの最終定理―ピュタゴラスに始まり、ワイルズが証明するまで (JUGEMレビュー »)
サイモン シン, Simon Singh, 青木 薫
数学の大難問「フェルマーの最終定理」が世に出されてから解決にいたるまでの350年。数々の数学者の激闘を追ったノンフィクション。
SELECTED ENTRIES
ARCHIVES
RECENT COMMENT
RECENT TRACKBACK
amazon.co.jp
Billboard by Google
モバイル
qrcode
PROFILE