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本の「むずかしさ・わかりやすさ」にも淘汰圧

写真作者:Seniju

本は、印刷され、保存されうるものです。いまを生きる人は「いまの本」も「昔の本」も読むことができます。

本好きたちのなかには、「名著」ともいわれるような半世紀前の本や1世紀前の本を読むという人もいることでしょう。そして、そうした人の多くが感じることでしょう、「昔の本のほうが読むのがむずかしい」ということに。

たとえば、1931(昭和6)年に日本人の哲学者が著し、いまも「名著」と評されている本では、つぎのような記述があります。
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「寒さを感ずる」というその「感じ」は、寒気に向かって関係を起こす一つの「点」なのではなく、「……を感ずる」こことしてそれ自身すでに関係であり、この関係において寒さが見いだされるのである。
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すべての熟語が、いまも意味を理解できるものです。しかし、一読ではなにを伝えようとしているのか理解できないという人も多いのではないでしょうか。

また、1964年に英語圏人の著述家が著し、その後、日本語に訳され、いまも「名著」と評される本に対する読者の感想では、つぎのような記述があります。
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主張に対する理由説明、論拠が非常にわかりづらく、主張との関係性が不明瞭な引用、比喩がダラダラ続いて理解に非常に苦労します。
シンプルに解説できる事をワザとごちゃごちゃ(文学的な)蛇足を加えて、難解で立派に見えるようにしているのでは、と邪推してしまうほどです。名著であるとの事なので内容は是非ともキャッチアップしたいと考えているのですが、私の読解力ではチラシの裏的な文章を再三読みこなすのは苦痛であり時間的な効率も非常に悪いと思われました。
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おなじ本の感想を述べるほかの人たちが「ぜひ、読んでおきたい良書」「数世紀にわたって残されるべき数少ない書物の一つ」などと賞賛のことばを並べます。そうしたなかで「理解に非常に苦労します」「難解で立派に見えるようにしているのでは」という上の感想は「読んでみた人の本音の記述」ともとれます。

「昔の本のほうが読むのがむずかしい」ということを統計学的に確かめたわけではありません。しかし、もしこの傾向があるのだとすれば、いくつかの原因はありえそうです。

ひとつは、過去の原稿づくりが手書きによるものだったということです。ワードプロセッサのような推敲のための電子機器は、人びとにかぎりなく文章をわかりやすく伝えるための機会をあたえました。

原稿を書く人たちのあいだに、「書物とは知識階層に属する人たちのものだから、理解できる人だけ読んでくれればそれでよい」といった諦観もあったのかもしれません。大衆文学はべつとして。

原稿を書くというおこないに、権威主義的な空気がともなっていたということもあるのかもしれません。上の「名著」を「理解に非常に苦労します」と評している人が「難解で立派に見えるようにしているのでは」と推しているように。

しかし、時が経るとともにだんだんと、読者たちの「わかりやすい本のほうがよい」という感覚が、人びとのあいだで分かたれるようになり、それが本をつくる編集者や著者たちのあいだにも広がっていったのでしょう。いま、昔の「名著」に見られるような書かれかたをした本が新刊として出たとしても、読者から「イミフ(意味不明)」「ちょっとなに言っているかわからない」と一蹴されてしまうか、はじめから見向きもされないのではないでしょうか。

生きものの世界では、ある特徴をもつ個体たちに「自然選択」の作用がはたらくといいます。「淘汰圧」や「選択圧」とよばれます。「高いところの葉を食べるのに有利な、長い首のキリンが残った」というように。これとおなじようなことが、人の社会でも起きるのかもしれません。「理解されるのに有利な、伝わりやすい記述が残った」といったように。

参考資料
和辻哲郎『風土』
https://www.amazon.co.jp/dp/4003314425
マーシャル・マクルーハン『メディア論』
https://www.amazon.co.jp/dp/4622018977
デジタル大辞泉「選択圧」
https://kotobank.jp/word/選択圧-1721048
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