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指揮者に「企てない」という選択肢も

写真作者:Petras Gagilas

野球の監督は、攻撃のとき打者が塁に出ると、犠打、ヒットエンドラン、盗塁などをしかけることができます。でも「なにもしかけず、つぎの打者に打たせる」という指示を出すこともできます。つまり、監督は、企てるか、企てないかを選べるわけです。

攻撃がうまく進めば、企てても企てなくても試合を観ている人たちからは「よし、いいぞ」とよく思われます。いっぽう、攻撃がうまく進まないと、企てないときのほうが「この監督、なにもしかけないとは」と心象を悪くしてしまうようです。

しかし、無死1塁といった場面では、犠打を成功させるよりも、なにもしかけず打者に打たせるほうが、得点期待値は高まるという統計な結果もあります。企てないほうが成功する率が高いという場合もあるわけです。

世の中の組織でも、人びとを率いる指揮者は、とかく「企てる」ことを求められがちです。組織の人びとや、その組織に外から携わる人びと、さらによく知られている組織では社会全般から、「あらたに就任した統率者は、なにをしてくれるんだろうか」といった目で見られます。

つまり、指揮者はなにかを企てているような姿勢をつねに示していないと、「あの人は無策で無能」と思われてしまうおそれがあるわけです。

しかし、その組織のなかにいる人びとも、外側から携わっている人びとも、「改善が必要だ」「変革しないとまずい」と感じず、「順調だ」「このままの状態なら問題ない」と感じているときはどうでしょう。新たな指揮者がなにかを企てないほうが、ものごとがうまく行くという場合もあるでしょう。

「指揮者であるからには組織を改革をしなければ」とか、あるいは「自分が指揮者になったことの痕跡を残さなければ」とかいった思いと企てが、ときに組織の状況を前より悪くさせるということもあるわけです。

組織が抱えている事業はひとつでなく複数あることが多いでしょう。ですので現実的には、「この事業はうまくいっていないから、改革が必要だ」「この事業はうまくいっているからこのままでいい」といったように、「企てる」「企てない」の峻別をすることが、新たな指揮者のすべきこととなります。

「今日からは自分が指揮者だ。この組織をなにもかも自分の独自色に変えていくぞ」。そういう思いを抱いて企てる人は、自分が率いることになった組織よりも、その組織を率いている自分のほうを愛してやまないのでしょう。

参考資料
Wedge Infinity 2015年4月30日付「『無死1塁で送りバント』という定石とリスク 『なにもしない』という戦術が利益を最大化することも」
http://wedge.ismedia.jp/articles/-/4933
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