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人は「絶対」を口にする

写真作者:Takashi Yamaoku

日本人にかぎったことではないのかもしれませんが、人びとはよく「絶対」を口にします。「絶対そうに決まってますよ」とか「絶対に忘れるなよ」といったように、みずからの言いたいことを強調したいがために「絶対」をつけるわけです。

「絶対」は、もともと仏教で「ほかの事物との対比からかけはなれ、それだけで存在する」といった意味で使われる「絶待」だったといいます。これを、哲学者の井上哲次郎(1855-1944)が「絶対」にあらため、英語の“absolute”の訳語とし、1881(明治14)年に井上らが編纂した「哲学字彙」に収めたとされます。

あらためられたほうの「絶対」についても、「ほかに並ぶものがない」「比べられない」といった意味をもっているので、「絶待」の意味を継いでいるといえましょう。

もっとも、いま人びとが多く使っている「絶対」は、「かならず」とか「なにがなんでも」いったような副詞的な意味のものが多いよう。上の台詞も「かならずそうに決まってますよ」や「なにがなんでも忘れるなよ」といった置きかえができます。

しかし、世の中「絶対」といえるものがそう多く存在するものではありません。「どちらかといえば」とか、さらには「確実に」といった、ほかと比べることのできる度合から離れて、対立を絶する存在ものが「絶対」なのですから。

球技などの勝負ごとの応援では、選手たちに「絶対勝つぞ」と言って鼓舞します。「絶対勝つぞスワローズ」といった具合に。

しかし、応援者のかけ声の「勝つぞ」の部分には、ふたつの意味で、すでに「絶対に」がふくまれているのではないでしょうか。

ひとつは、競技の勝負では「勝つ」か「勝つ以外」しかありませんので、勝てばその勝ちは絶対となるはずなのです。どんな勝ちでも勝ちは勝ち。よって「勝つぞ」と言えば、その「勝つ」は絶対のものにしかなりえません。

もうひとつは、「絶待勝つぞ」には、「かならず勝つぞ」「なにがなんでも勝つぞ」といった意味が込められているのでしょう。しかし、応援者の口にする「勝つぞ」は、「今日もまぁどちらかといえば勝ってほしい」といったぬるいものではなく、「勝ち以外はありえない」つまり「かならず勝つ」「なにがなんでも勝つ」といったものに必然的になるのではないでしょうか。

このようなことから、「絶対勝つぞ」というかけ声は、「勝つぞ」というかけ声を放ちさえすれば意味が足りることになります。

しかし、そうはならず「絶待勝つぞ」のように「絶対」がつくところに、人間の気持ちの勢いが表されています。「絶対」を発するのは人間です。その人間が声を揃えて「絶対」と発しているわけですから、「絶対」がつくことの意味がないわけではありません。

参考資料
大辞林 第三版「絶対・絶待」
https://kotobank.jp/word/絶対・絶待-308320
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