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博多祇園山笠、「流舁き」から「追い山」へ
  山笠や博多目出度き祝唄 橋本幹夫



福岡市の櫛田神社とその周辺では、7月1日から15日にかけて、夏祭「博多祇園山笠」がくりひろげられています。

「山笠」は、櫛田神社の例祭に出る山車のこと。人びとは祭の名前としても「山笠」とよんでいます。

祭の起源については、いくつかの説がありますが、1241(仁治2)年に始まったとするものが有力のよう。臨済宗の僧で聖一国師(しょういちこくし)ともよばれる円爾 (1202-1280)が、疫病をなくそうと「施餓鬼棚(せがきたな)」とよばれる精霊棚に乗って、祈祷のための甘露水をまいたのが始まりといいます。僧、つまりお坊さんはお寺の主であり、神社との縁はふつうないものの、円爾の生きていた鎌倉時代には、仏事と神事が混ざりあって信仰されていた時代。神社がとりおこなう祭として発展していったとされます。

「祇園山笠」とよばれるのは、この祭が祇園信仰にもとづくものだから。祇園信仰とは、出雲系神道の祖「素盞嗚命(すさのおのみこと)」と、疫病神の「牛頭天王(ごずてんのう)」を信じあがめるもの。災厄や疫病をもたらす霊を慰め、平安を祈ります。

1241年を博多祇園山笠の起源年とすると、2018年は777年目。「777」という数字にとりわけ強調すべき意味はなさそうですが、一般に神事では奇数の縁起がよいとされています。



中洲の対岸、上川端町にある櫛田神社の境内は、ふだん大きな広場のようになっていますが、山笠の期間中、特設の見物席が設けられたり、出店が並んだりと、ようすを変えます。



神社周辺の街には、「飾り山」とよばれる見せるための山車が置かれています。それぞれの飾り山には物語があり、たとえば写真のものは戦国時代の1586(天正14)年、薩摩の島津義久が、大友家の高橋紹運が籠る岩屋城を落とした「岩屋城の戦い」を表したもの。また、現代版の飾り山では、福岡ソフトバンクホークスのユニフォームを着た放送局のアナウンサーたちの人形をあしらったものなども見られます。



「飾り山」とはべつに、実際に人びとが引く山車は「舁き山」とよばれます。毎年、7月14日は「流舁き」の最終日。神社のまわりの各区域に置かれている6期の舁き山を、区域の人びとが引きまわします。

そして翌15日は祭の最終日、「追い山」がおこなわれます。6基の舁き山を氏子たちがかつぎ、櫛田神社から上須崎までの4キロメートルを走りきそいます。

参考資料
清月俳句歳時記「博多山笠」
http://hai575.info/sa07e/09/09.htm
博多祇園山笠公式サイト「起源七百七十年 博多祇園山笠の歴史」
https://www.hakatayamakasa.com/61840.html
日本大百科全書「円爾」
https://kotobank.jp/word/円爾-448063
山笠ナビ「『舁き山笠』と『飾り山笠』」
http://www.hakata-yamakasa.net/knowledge/history/yamakasa/
山笠ナビ「流舁き(7月14日)」
http://www.hakata-yamakasa.net/yamaksa-seeing/recommend-guide/nagaregaki0714/
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