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書評で本編以外について触れるかは議論すくなき課題


本について、その内容を紹介し、また批評する文章は「書評」とよばれます。多くの人にとって、書評を読む機会になるのは、新聞の日曜日の「読書欄」ではないでしょうか。

一般的には、書評は、その本の「伝えたいこと」や特徴、あるいは長所などについて、書き手が評価を述べていくものです。たまに、その本がいかに読む価値のないものかを述べるような否定的な書評もあります。

あまり議論されていないようですが、「書評でそのほんのどこまでを書くか」という課題があります。推理小説を評するときにたね明かしをすべきか、といった課題ではなく、本編以外の部分も書評の対象にしてよいか、といった課題です。

たいていの本には、本編のほかに「まえがき」または「あとがき」があります。さらに、本によっては本編とはべつの「囲み記事」もあります。さらに、翻訳書には「訳者あとがき」とよばれる翻訳者の解説もあります。

「その本に書かれてあることについて評する」という広い考えに立てば、これらの本編以外の要素も書評の対象として書いても差しつかえないといったことになりそうです。

しかし、いっぽうで、本のなかの本編以外の要素は、本編にふくまれなかった理由があるはずです。たとえば、「囲み記事」は、本編の筋とは逸れるけれど著者が書きたいことを書いたものです。

「この本で真に伝えたいことは本編にふくまれているはず」といった考えをすれば、書評で本編以外の要素について書くのは、その本の心に伝えたいことが書かれている部分とは異なる部分を評するということになります。そうした要素について述べるくらいなら、もっと本編について述べるべきではないか、といった考えもできるわけです。

「まえがき」には、著者が「この本で伝えたいこと」や「ねらい」を書くものなので、その部分は、書評の対象にふくめてもよいのかもしれません。

いっぽうで、「訳者あとがき」の内容については、著者本人が書いたものではないため、特筆すべきことがないかぎりは通常は書評にはふくめないものです。

「囲み記事」や「あとがき」については、対象にふくめるかはその書評によりけりといったところでしょうか。しかし、やはり本編のなかに評すべき内容があるのであれば、本編の内容を優先すべきものではあるでしょう。

読者たちは書評に対するイデアをもっているものです。「書評とは、だいたいこんなふうに書かれるものだ」と。書評の書き手が、特徴的な書評を書きたいのだとすれば、その定型から逸脱した原稿を書くことをめざすのではなく、目のつけどころや評価のしかたに独自性をもたせることをめざすべきなのでしょう。
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