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光の正体が「粒」か「波」かでかつて対立


「光の正体がなんなのか」は、近世の自然科学者たちのあいだで明かしたいことがらとなっていました。そして、大きくふたつの説が、ふたりの人物により対立していました。

ひとつは、アイザック・ニュートン(1642-1727)による「光の粒子説」。つまり、「光の正体は粒なのである」とする説です。

高性能の望遠鏡をつくろうとしていたニュートンは、光の研究に手をつけました。そして、白く見える太陽光をプリズムに通すと、虹とおなじさまざまな色に分かれることを確かめました。「光の色が分かれるということは、光は粒である」と、ニュートンは考えたのです。

しかし、障害物に一部さえぎられた光が、障害物の影のところにも伝わることが知られていました。粒だとすると、どうして届きそうもないところに粒が届いているのかの説明がつきません。

光の粒子説に対して、「光の波動説」つまり「光の正体は波である」とする説を唱えたのが、クリスティアーン・ホイヘンス(1629-1695)です。

ホイヘンスは1678年、「ホイヘンスの原理」とよばれるようになる光のしくみを唱えました。「ある時刻に、波面上の各点を波源とする小さな波がつくられるとき、その波を合成したものがつぎの時刻の波面をあたえる」とするものです。光の正体は波であるとするとだいたい辻褄が合うことから、光の波動説の根拠となりました。

さらに、近代の19世紀に入り、英国の物理学者ジェームズ・マクスウェル(1831-1879)が登場します。マクスウェルは、電磁波の存在を理論的に発見。さらに、打ちたてた方程式から、光は電磁波のひとつではないかと予測しました。つまり、これは「光の正体は波である」ということを強く支持することになります。

これで、光の粒子説と波動説の対立に決着がついたかのようですが、それは「光は粒子なのか、波動なのか」という文脈においての話。べつの可能性、つまり「光は粒子でもあり、波動でもある」という理論は除かれます。そして、この「光は粒子でもあり、波動でもある」とする光の二重性こそが、光の正体であることが19世紀末から20世紀はじめにかけてわかったのです。

光の二重性という性質がわかっているいまとなっては、粒子説と波動説は二項対立の関係ではなかったとわかります。しかし、粒子説と波動説の対立の過程がなければ、光の二重性が示されたのはもっと後の時代になってからだったのかもしれません。

参考資料
ブリタニカ国際大百科事典「光の粒子説」
https://kotobank.jp/word/光の粒子説-119238
世界大百科事典「光学」
https://kotobank.jp/word/光の粒子説-119238
ブリタニカ国際大百科事典「光の波動説」
https://kotobank.jp/word/光の波動説-119235
キヤノンサイエンスラボ・キッズ「光の“正体”は? ニュートンもわからなかった光の正体」
http://web.canon.jp/technology/kids/mystery/m_01_01.html
大辞林 第三版「マクスウェルの電磁理論」
https://kotobank.jp/word/マクスウェルの電磁理論-633687
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