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「災害を『仕方ない』とする日本人の『無常観』、防災意識を高めるには?」


ウェッジ社のニュースサイトWEDGE Infinityで、きょう(2017年)3月11日(土)「災害を『仕方ない』とする日本人の『無常観』、防災意識を高めるには?(11)日本人の災害観」という記事が配信されました。連載「学びなおしのリスク論」の第11回目です。

2011年の東日本巨大地震から6年となります。直接的な被害を受けた人たちにとっては、いまも震災が残した被害のあとは相当なものかもしれません。いっぽう、直接的な被害を受けなかった人たちにとって、6年前のことは昔のことになりつつあるかもしれません。

人には「忘れる」というしくみが備わっています。過去にあった災害のことも忘れがちになり、そして忘れます。

日本人にはさらに、一切のものは変わりゆくものとする「無常観」を強く抱く精神性があるとされます。こうしたことも、過去のことにいつまでも固執しない、つまり「忘れる」ということに結びつくのかもしれません。

記事では、きのう10日(金)このブログで著書を紹介した、神戸学院大学現代社会学部社会防災学科教授の前林清和さんに話を聞いています。

無常観が根づいている日本人は、過去の災害のことを忘れてしまいがち。忘れてしまうことは、災害に備えるといった側面では、マイナスに作用してしまいます。

そこで、前林さんは、日本人の無常観を見こしての、社会防災の提案をふたつしています。

ひとつは、学校で「防災」という科目の授業をおこなうこと。教育によって、日本人の防災への意識を高めさせるということです。そしてもうひとつは、省庁に「防災省」あるいは「防災庁」を置くこと。防災の専門家集団を組織し、社会のシステムや、人びとの意識を高めるような役割を果たしてもらうということです。

どちらも、災害の多い日本でどうしてないのだろうと多くの人が感じるであろう提案です。

いまのところ「防災」の授業は、各地でその試みは見られるものの、各教科のなかでの記述にとどまっているのが現状です。

また、「防災省庁」の設置については、河野太郎防災特命担当大臣が2016年5月、「防災庁をつくるより、いざというときに必要な人間をオペレーションにスムーズに加える体制が必要だ」と講演で述べ、否定的であると報じられています。どのような「防災庁」を想定しての発言かはわかりませんが。

記事では、災害が日本人の無常観がとどうかかわってきたか。また、日本人の無常観が災害対応にどう影響するかについて、前林さんの深い考察もあります。

WEDGE Infinity「災害を『仕方ない』とする日本人の『無常観』、防災意識を高めるには?」の記事はこちらです。
http://wedge.ismedia.jp/articles/-/9102

この記事の取材と執筆をしました。

参考資料
日本経済新聞 2016年5月13日付「防災相、『防災庁』設置に否定的」
http://www.nikkei.com/article/DGXLASFS13H3Z_T10C16A5PP8000/
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