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書評『社会防災の基礎を学ぶ』

社会における防災のあり方を、“日本人である”という視点から見つめなおす機会をあたえてくれる本です。

『社会防災の基礎を学ぶ』前林清和、昭和堂、2016年、202ページ


日本で暮らしている以上、わが身に直に降かかるかはべつとしても、かならず自然災害を感じることになる。1年に一度くらいは台風の影響を受けるし、何年に一度くらいは地震によって犠牲者が出たと伝えられる。

それだけ自然災害が身近であると、ほかの国よりも、自然に生かされているという感覚は強くなるだろうし、その感覚は後世に受けつがれていくものだろう。

著者は、「『自然の一部としての人間』としてどのように生きるかという視点から防災のあり方を考えなければならない」と述べる。この考えはこの本で貫かれている考えかただ。

前半では、日本人の災害観に対する考察が展開される。

日本人も人間であるからには、理不尽なできごとを納得するための理由が要る。日本人にとっての死は、人に殺される死でなく、自然に殺される死だった。身近な死に対して「恨み」より「諦め」の感情がわいていったという。そのため、日本人のあいだには「天命」という死の理由が発達した。

いつ災害が起きるかわからないが、起きてしまった止められないから諦めるしかない。そうした感覚は日本人の無常観につながるのだろう。寺田寅彦のことばが引用されている。「地震や風水の災禍の頻繁でしかも全く予測しがたい国土に住むものにとっては天然の無常は遠い祖先からの遺伝的記憶となって五臓六腑にしみ渡っている」と。

日本人の無常観は、災害を諦めるという心情をつくった。これは、防災の観点からはよくないことだ。だが、無常観は、生かされた人たちにとっては、生きていくための糧にもなる。起きてしまった災害を恨みつづけるより、つぎの一歩目を踏みだそうとする心が生まれる。無常を感じるゆえに。

「鎮魂」もそれがかたちとして表れたおこないかもしれない。著者は「鎮魂」には「たまふり」という読みかたもあると紹介する。「魂に活力を与え再生させる呪術」のことだ。被災者や被災地を奮いたたせるという意味でも鎮魂は大切であると述べる。

著者は、もともと武道や身心統合論などを研究していた。防災や減災の研究については、1995年の阪神淡路大震災のボランティア活動を契機に、深く携わるようになったという。防災・減災のあり方をめぐる考察も、日本人の精神性との深い関係性のなかで語られていく。独特の観点ともいえるが、日本の風土のなかで生かされているからこそ、立ちかえりたいものの見方だ。

『社会防災の基礎を学ぶ』はこちらでどうぞ。
https://www.amazon.co.jp/dp/4812215382

なお、この本の印税は、すべて特定非営利活動法人「活動教育研究センター」を通じて、カンボジアの子どもたちの教育支援活動に使われるとのことです。

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