科学技術のアネクドート

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漁師の忠五郎、勇敢にも異国船へ


サイエンスフィクションで、「異星人との初接触」が劇的に書かれることがあります。

地上のものは思えぬ謎の飛行物体が光を照らしながら降りてくる。なかからは何者も出てこず膠着状態がつづく。その後、人がおそるおそるその飛行物体なかへと足を入れていく。そのようなようすが描写されます。その初接触のあと、異星人との友好が始まることもあれば、戦争が始まることもあります。

“異星人”ではありませんが、これと似たようなできごとが、1820年代の文政年間に日本で起きました。

水戸藩(いまの茨城県)の大津浜(いまの北茨城市)の沖に地元の漁師たちが出ていくと、複数の船を見つけました。地元の船とは明らかに異なっている、それは異国船でした。どうやら、鯨を追っているようです。

しかし、異国船のほうから、地元の漁師たちに近づいてくることはありません。地元の漁師たちは、異国船に乗っている人びとの詳しい動きがわからず、不安がりました。

そんななか、地元の漁師のなかでもっとも勇敢とされる忠五郎という人物が、「異国人が果たして自分たちに悪意をいだいているかどうかを確かめる」と、異国船に近づいていきました。

忠五郎が、異国船に自分の船を寄せると、異国船からは縄梯子が下ろされてきました。そして、忠五郎は異国船のなかへと入っていきました。どうなる、忠五郎……。

忠五郎が受けたのは、歓待でした。この異国船は、英国からわざわざ日本の近海の捕鯨場まできていた太平洋帆船捕鯨の一行。船のなかで、忠五郎は「酒食等饗応」を受けたといいます。

さらに忠五郎はべつの日、ふたたび異国船へと向かいました。こんどは3日間も船に滞在させてもらい、捕鯨の仕事まで手伝ったといいます。異国船の船長からは、酒とお菓子をもらいました。

このような交流を地元の漁師たちに話すと、ほかの漁師たちも忠五郎を見習って異国船に近づいていき、天気が荒れてきたのでしばらく異国船に乗せてもらったり、喉が渇いたので異国船で水を飲ませてもらったり、また、病にかかると異国船の船医から薬をもらったりしたといいます。

さらに、物々交換まで行われました。日本人たちは、煙管、煙草入れ、半纏などを英国人にあげると、英国人は珍奇な異国のものをいろいろとくれたそうです。その情報が地元に知れわたると、物々交換目的で異国船に近づく者もでてきました。

忠五郎の勇敢な行動により、異国船の英国人と大津浜の漁師たちの雰囲気は友好的になるばかかりか、ちょっとした経済活動まで起きたわけです。

しかし、水戸潘が黙ってはいませんでした。領内に見慣れない異国の品々がやけに出回っていることに気がつき、300人以上の漁師がつかまってしまったといいます。しかし、温情にも、出漁禁止くらいの措置で済んだといいます。

当時、西欧などでは海で遭難したり問題を抱えている人を見つけたら、とにかく助けるなどして手厚く接することが“海の作法”とされていたようです。そのようなこともあり、英国人たちは日本人を歓待したのかもしれません。

参考文献
山下渉登『捕鯨II』

参考ホームページ
貨幣「第115回筆間茶話、我村の浜に黒船がやって来たの巻。前篇」
いばらき解体新書。「桜田門外の変」
メールマガジン「一風斎の趣味的生活」 通算第114号
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