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見附、追分、広小路――街の名前に歴史
日本の地名には、その場所で果たされていた役割や付けられた意味がそのまま地名の一部になったものがあります。それは、歴史とも深く関係するものです。

まず、「何々見附」とよばれる地名があります。

東京では「赤坂見附」という地下鉄の駅名があるほか、四谷見附などの土地のよびかたも。また、東海道の宿場にはいまの静岡県磐田市に「見附宿」が、新潟県には「見附市」があります。


赤坂見附

見附は、見張り番が置かれていた施設をさします。たとえば、江戸城には「三十六見附」とよばれる見附がありました。赤坂見附や四谷見附は、この見附があった場所です。城のまわりだけでなく、街道の宿場の入り口にも見附が置かれました。

「何々追分」という名前も見られます。

東京・新宿の3丁目の交差点は、「新宿追分」ともよばれており、交差点の角には「追分交番」という交番もあります。また、長野県には「信濃追分駅」が、北海道と秋田県にもそれぞれ「追分駅」があります。

新宿追分交差点

追分とは、分岐点のこと。「Y」の字のように、こちらに進むと何々街道、こちらに進むと何々街道といった分岐点です。語源は「馬を追い、分けるところ」から来ています。

たとえば、新宿追分は、日本橋から下諏訪まで通じる甲州街道と、新宿追分から青梅を通って甲府で甲州街道に合流する青梅街道の分岐点になっています。信濃追分駅の近くにも、中山道と北国街道の分岐点があります。

なお、民謡にも「何々追分」とよばれる歌が多くあります。これは、信濃追分の宿駅でうたわれた歌が「追分節」とよばれるようになり、それが各地に伝わったためです。

ちなみに、追分に「これから道がふたつに分かれるところ」という意味合いがあるのに対し、おなじ「Y」の字のようなところでも「ここでふたつの道がひとつに合わさるところ」という意味合いで「落合」という地名も残っています。

「何々広小路」もよく聞く地名です。

東京では、「上野広小路」という地下鉄の駅や、「大崎広小路」という私鉄の駅があります。また、静岡県三島市にも私鉄の「三島広小路駅」があります。

上野広小路

広小路とは、道幅の広い道のこと。江戸時代の1657年、「明暦の大火」とよばれる大規模な火事が起きました。これを受け、江戸幕府は広い道をつくって、火事の火を除けるような対策をとりました。こうした大きな道が「広小路」とよばれるようになっていきました。

見附、追分、広小路。街の地名には歴史があるものです。
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