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“魚食の民”は魚をあまり食べていなかった


日本人は「魚を食べてきた国民」とよくいわれます。たしかに、ほかの魚を食べない国民とくらべれば、日本人は魚を多く食べてきたといえるのでしょう。

せまい土地は海に囲まれていて、川も何本も走っています。潮の流れも北からと南からの両方があり、近海を泳ぐ魚の種類も豊富です。

しかし、たとえば江戸時代や明治時代の日本人が、魚をありあまるように食べることができたかというと、そうではなかったようです。

むかしの日本人は魚がきらいだったわけではありません。食べられる鮮度で輸送をする方法がかぎられていたのです。海でとれた新鮮な魚を遠くの街までとどけられるのも、冷凍・冷蔵技術や運送網の発達があるからこそ。

江戸時代、江戸の人びとが食べる魚といえばもっぱらいまの東京湾でとれた“江戸前”が多く、鎌倉の相模湾あたりから船で日本橋の魚河岸まで運ぶのが限界だったといいます。房総半島沖では新鮮な魚を運んでくるのには遠すぎました。

漁獲量についての統計が日本で初めてとられたのは1891(明治24)年。この年の日本での魚の生産量は、人口およそ4000万人に対して100万トンほどだったといいます。

いっぽう、2007年の日本の食用魚介類の供給量は、人口1億2000万人に対して700万トンほど。1人あたりの魚の消費量でいえば、明治中期よりいまのほうが2.3倍、魚をよく食べている計算になります。

もっとも、いちばん漁業・養殖業生産量の多かった1984(昭和59)年にくらべて、2007年は半分にまで落ち込んでいるといいます。日本では魚をとらず、外国から輸入して食べるようになってきたのです。

かぎられた量の魚を地元でとって地元で消費するといった魚と日本人の関係は、もう完全に“いまやむかし”となりました。

参考文献
長崎福三『魚食の民 日本民族と魚』
『サイエンスウィンドウ』2011年春号「いにしえの心」
水産庁「平成22年 水産白書」
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